十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第三十四話

 遠月茶寮料理學園。通称、遠月学園。料理という界隈において、日本屈指の名門校である遠月は、徹底した実力主義に基づいた少数精鋭教育が特徴である。

 例年、高等部へと進級した新一年生の学年が一つ繰り上がる頃。学友の九割が遠月を去っている現実は、遠月の教育理念を非常に分かりやすく表している。

 在籍したという履歴があるだけでも料理人として箔がつき、卒業に至れば料理界での絶対的地位が生涯約束される遠月で、学生という立場でありながら学園の持つ権力と財力を一部手中に収める者達がいる。

 名を遠月十傑。

 少数精鋭教育の極地。学園の最上位十名のみで構成された学園の最高決定機関。高等部一年でありながら、その末席に籍を置く彼女は颯爽とした様子で十傑評議会に繋がる校内の廊下を歩く。

 澄みきった菫色の瞳。視線を窓の外に向けると、朝とも昼ともつかない柔らかく暖かな光が差し込んでいた。紅葉が色付くこの季節は、寒暖の差が激しい。今はこんなにも暖かいのに、夜がふけると身を切るような寒さになるのだから。

 

 ──幸い、今日は書類を届けるだけ。遅くなる事はなさそうね。

 

 彼女が歩みを進める度、溢れんばかりの光を放つ金色の髪が揺れていた。

 

 ☆☆☆

 

 薙切えりなの二年先輩であり、十傑第一席を務める司瑛士に書類を手渡して軽く仕事についての報告を終える。帰路に就くまでに二十分はかからなかったと思う。

 手荷物が無くなり幾分か軽くなったえりなの足取りが止まったのは、職員室に通りかかった時。

 休日という事もあって少しがらんとした印象を受ける室内に、窓越しから見知った人物を発見した為であった。

 

「……葵くん?」

 

 何をしているのだろう。そんな疑問が頭を過る。

 彼の様子を観察していると、人を待っているようだった。少し待って現れたのは壮年の男性。遠月のフランス料理部門の主任を務める、ローランシャペルだった。

 壁を隔てて距離がある為会話の内容は分からない。しかし雑談といった感じではなさそうだった。

 

「失礼します」

 

 様子を伺っていたえりなはそう言って、職員室の扉を開く。

 頭で考えるではなくて、体が勝手に動いてしまった。多分それは彼の端正な横顔が、少し困っているように見えたから。

 

「えりな、さん?」

「こんにちは、葵くん。貴方が職員室に来るなんて、随分と珍しいわね……何か困っている様子だけど、何かあったのかしら」

「いやー、えっと……」

「口を挟むようで悪いが、彼が寝泊りしている宿直施設のガスが昨日の大雨の影響で止まってしまったそうだ。もうじきに控える選抜決勝に向けて学園の設備を借りたいと相談を受けていた」

「ちょっ、シャペル先生っ」

 

 葵が言い淀んでいた会話の内容を、シャペルが全て暴かれてしまった。

 何でバラしちゃうんですか! と言う葵に、別に隠す事ではないだろう、とシャペル先生が返す。

 目の前で応酬されるやりとりを耳にしながら、えりなは胸の中にムカムカとしたものが溜まっていくのを感じた。

 苛立ちにも似たやるせなさ。

 きっとガスの修理には少なくない時間がかかって、こうやって手続きをする間にも対戦相手は己の料理を高めていく。自らの持つ力の全てを出し切らないといけない大舞台が控える中、彼にはつまらない不利益を被って欲しくなかった。

 でも、本当は……。

 

 ──私に頼ってくれればいいのに。

 

 えりなは葵の力になりたかったのだと思う。

 大会の運営を担当する十傑という肩書きは、公明正大であることをえりなに求める。一人の選手に肩入れし助言や援助をする事は、遠月が薙切の姓が許さない。

 応援してる。

 がんばって。

 月並みの言葉しかかけられない事が悔しかった。

 だから。

 

「話はだいたい分かりましたわ、シャペル先生。そういった事であれば薙切の施設を一日、葵くんに貸し出すという事で如何でしょうか?」

「成る程……確かに警備面の問題から、学園の調理施設では遅くても午後10時には施錠しなければいけない」

「ええ。その点、薙切であれば24時間選手に最高の環境を提供する事をお約束しますわ……勿論、私が葵くんに助言等をする事はないと誓います」

 

 了承するシャペルの言葉に、えりなは内心で胸を撫で下ろす。

 あり得ない事ではあるけれど。薙切という家名、十傑という立場、二つを脱ぎ捨てる事が出来るのであれば。

 ( ただ)のえりなとして胸中を打ち明けるなら、葉山アキラでなく葵に勝って欲しいと思う。

 

 ──昔の私が今の私を見たらどう思うかしら。

 

 孤高を貫き只ひたすらに己を高めていた自分が、誰かの為に祈るなんて。

 えりなと葵が知り合うきっかけとなったのは、中等部二年の秋と冬の間。月饗祭を終えてからしばらく経った頃だ。

 いきなり食戟を吹っ掛けてきたものだから、最初の印象は良いものではなかった。けれど彼自身の調理技術のレベルの高さや工夫を凝らした発想は、えりなの料理人としての興味を誘った。そして彼自身の何処か放っておけない性格も相俟って、気がつくと学園で一番よく話す男の子になっていた。

 

「決まりね、ではすぐに向かいましょう……行くわよ葵くん」

「えっ、ちょっ、一人で歩け……」

「ではシャペル先生、ご機嫌よう」

「あ、ああ」

 

 有限な時間は、有効に活用するべきだ。

 話がまとまるとえりなは何処か戸惑う葵の手をとって、職員室を後にした。

 帰り際。えりなが葵と接する態度にシャペルは驚いたような顔をしていたが、すでにシャペルから背を向けているえりなはその様子に気がつかない。

 

「もう少しで迎えの車が来るはずだから待っていて頂戴。距離はそこまでないからすぐに私の家に…… わ、わたしの、いえに? 

 

 廊下を歩いて階段を降りて、また廊下を歩いた先にある昇降口。学校指定のローファに履き替えたえりなは、自らの発言に不意に言葉を詰まらせる。

 頭の中で言葉が反芻する。次第にえりなは自分の言動に気が付いた。

 事情があったとはいえ、男の子を家に誘うなんてえりなの人生で初めての経験であった。

 突然の事に頭の整理が追いつかない。屋敷は雇われているメイドが清掃しているから、清潔を保たれているはずだ。寝床は客間を使ってもらおう。寝間着はどうしたものか。お父様のでは大きすぎるから、到着したらメイドに買いに行かせよう。

 脳内で今後の予定を組み立てていると、隣から名前を呼ばれて咄嗟に上擦った声が出てしまう。

 

「えりなさん?」

「な、何よ」

「急に静かになったから、どうしたのかなって」

「べ、別に何でもないわ……ほら、迎えの車が来たから乗るわよ」

 

 漆黒の光沢を放つ質の良い車が、緩やかに速度を下げてえりなの目前で停車した。運転席から降りてきたスーツを身に纏った老年の男。

 えりなにとっては見慣れた薙切のドライバーが、後部座席の扉を開き恭しく此方に頭を垂れる。

 男を一瞥して車内に乗り込むと、葵も恐る恐るといった風体で後に続いた。

 ドライバーによって扉は閉められ、車は僅かな振動と共に走り出した。

 

「……佐々木」

「はい、えりな様」

「三十分ほど適当に走ってから屋敷に向かいなさい」

「畏まりました」

「車、揺らしてはダメよ」

 

 運転手に言いつけると、えりなは自らの上着を脱ぎ、隣で静かな寝息を立てる葵の細い身体にそっと掛けた。

 長い睫毛が重そうに垂れる端正な寝顔。透き通る肌には拍車がかかる様に青白く、このまま放っておいたら本当に消えてしまいそうなほど儚い。

 

 ──無理もないわね。

 

 求められるのは無数の選択肢を一つ一つ試して、答えを見つけ出す作業。きっともう何日も神経を研ぎ澄ませて、食材と向き合っている筈だ。連日ギリギリのところで戦っていたのだろう。車が走り出し数分としないうちに葵は眠りについた。

 結果が全てを物語る世界で、過程は軽視される傾向が強い。いつだって光が当たるのは勝者で、脚光の陰に隠れた暗いところで敗者は涙を流すことになる。

 ボロボロになって張りつめて頑張ってきたことは知っている。だからこそ彼の努力が報われてほしいと思う。勝って嬉しそうに笑う彼の隣で、一緒になって喜んで盛大に祝福してあげたい。

 

「……身体にだけは気を付けなさいよね」

 

 

 

 

 




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