刃金と血霞のグリムガル   作:足洗

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第12話 弔い、慟哭、別れ告げて

 不意に、ハバキが動いた。

 彼はじっと一点を見据えている。今や瓦礫ばかりとなったルミアリス神殿のさらに奥、暗闇の向こう側を。

 ゆっくりと刀の切先を差し向けた。

 その所作だけで分かる。

 敵だ。

 錫杖を手にメリイもまた身構える。この期に及んでまだ……そういった心持ちもないではない。しかし、ここは敵地の真ん中。その上あれだけの乱闘騒ぎを起こしたのだから、他の事情を解さぬコボルドが誘き寄せられても不思議ではなかった。

 程なく、足音がメリイの耳にも届く。がちゃがちゃと金属音が喧しいのは十中八九全身甲冑(フルプレート)の者がいるからだろう。

 足音は複数あった。けれど、そのどれもがひどくゆっくりとしていて、どころか覚束ない(・・・・)。騒ぎを聞き付けて襲撃に来た、といった風情とはとても思えなかった。

 猜疑という水滴が水面に落ち、不安が波紋となって胸の内を走った。

 

「…………」

 

 不安は像を結ぶ。急き立てるように心がざわめく。見てはいけない。早くこの場から逃げなくては。見るな、逃げろ、早く速くはやく、と。

 そうして、暗闇の名残をベールのように纏わせて、とうとうそれは……いや、彼らは来た。

 

「……ぁ……あ……」

 

 先頭は全身甲冑を纏った偉丈夫の剣士。厚みのある両手剣をどうしてか地面に引き摺って歩いている。

 対して、続くもう一人の方は小柄。金属製の装甲ではなく胸や関節を保護する皮製のプロテクター。盗賊(シーフ)だ。ダガーを逆手に携えている。

 最後尾に赤茶けたローブ姿。トンガリ帽子と歪曲した木杖は魔法使いの装い。

 ――――知っている。

 その姿形はメリイの記憶野の奥深くを掻き毟る。容赦なく掘り返し、抉り、吐き出させる。この、どうしようもない痛みを伴って。

 懐かしささえ、滲んだ。

 

「……ミチキ、オグ……ムツミ……」

 

 傷だった。それはずっと、見て見ぬふりを続けてきたメリイの過去。塞がることもなく膿み焼けることもなく、今なお赤く鮮やかな。

 けれど、大切な傷だった。

 鎧や衣服から覗く肌に皮膚は少なく(・・・)、薄汚れた黄色の骨が露になっていた。落ち窪んだ眼窩、その奥に眼球はない。ただ朧げに淡い光が時折瞬く。

 屍。眠ることない死体。生ける骸。

 不死王(ノーライフキング)がグリムガルに遺した不死の呪詛。死した後、荼毘に付されぬ肉体は一つの例外もなくアンデッドとなる。そして彼らの行動指針はたったの一つ、生者を殺すこと。

 ミチキ、オグ、ムツミ。

 

「……ごめんね、長いこと待たせて……」

 

 それでも。

 今はもう意思のないただの人形だとしても――――

 歩き出そうとするメリイの肩に手がかかる。傍らに進み出る黒い影。見上げればそこにハバキがいた。

 ハバキはメリイを一瞥し、すぐに目の前へ向き直ってしまった。けれど彼の言わんとすることは言葉なくメリイに伝わった。

 変わり果てた姿。自身に突き刺さる無感情の殺意。

 足が竦む、悲痛が胸を抉る。

 それでも。

 

「不死の呪いを解く。その為に……その為だけに、私は神官で在り続けた。だから……!」

「術はあるのか」

解呪(ディスペル)なら。でも……この魔法は、相手に直接触れないと効果がない」

「やり様はある」

 

 あっさり言い放って、ハバキは前へ。メリイの正面に陣取った。

 けれど今度は違う。

 

「背中にぴったり着いて来い。“機”は作ってやる。断じて、逃すな」

「……はいっ!」

 

 眺めるばかりだった不甲斐無さ。けれど今度は、メリイがこの手で救う。この手で、やらねばならない。

 メリイの応えが、黒い背中を押し出した。

 間近であればこそ解る。ハバキの凄まじい速度。一瞬と気を抜いていたなら追い縋ることなどできなかったろう。

 置いて行かれてなるものか。メリイはハバキの疾走に食らい付いた。

 こちらの行動開始を見て取って当然に彼らもまた動いた。臨戦態勢。武器を構え、駆け来る。三者から発露した明らかな殺意がメリイの肌を泡立てた。

 距離など既に無い。先頭に出たのは盗賊……オグだ。軽装故の身軽さ、何よりオグはパーティでも優秀な遊撃役だった。速攻退避(ヒットアンドアウェイ)の手腕は同期の義勇兵の中でも擢んでたものがあった。

 そのオグの敏捷性を、ハバキは優越する。

 間合。オグの刃圏にハバキは自ら踏み込んだ。その速度はオグが攻撃を企図しただろうタイミングを完全に外している。

 ハバキの踏み出した右脚が地面を砕く。

 そして、接触。

 肩口からオグの鳩尾に体当たり。

 

「――――」

 

 果たして彼らは言葉というものを覚えているだろうか。いや覚えていたとて、一声と上げる暇もなかったろう。

 凄まじい速度で全体重分の威力が余さずぶつかった。

 宙を舞う人型。

 直前にデッドスポットとの戦闘を見ていて良かったとメリイは思う。やはり、ああも軽々しく人体が空を飛ぶ光景は非常識に過ぎて、脳が混乱を起こすのだ。

 しかし、吹き飛ばされたオグの背後から間髪入れず黒い甲冑が出現する。ミチキ。欠片ほどの動揺も感じられない。生命なんてない。心も、ない。かつて友人だった死人。

 迷いなく黒い剣士は剣を振り抜いた。

 

「詠唱!」

「っ! 光よ……!」

 

 埒もないことに没しかけたメリイを男の号令が現実へと叩き戻す。

 同時に、ハバキは上段から落とされた大剣を弾き、地面へ叩き伏せていた。土中に剣の切先が埋まる。度し難い隙。ミチキはその一刹那だけ無防備を晒している。

 それを逃してくれるハバキではない。

 ハバキは打ち下ろした刀を引き戻さず(・・・・・)、そのまま柄頭でミチキの顔面を突いた。

 

「ルミアリスの加護のもとに――」

 

 痛みなど感じなくとも眉間を貫けた衝撃は脳髄を直に揺さぶる。もんどり打つ勢いでミチキは上体を仰け反った。

 退くミチキの腕をハバキが掴む。そのまま手首を捻り上げ、剣を手放させた。

 ミチキは丸腰。これ以上にない好機が眼前で出来上がる。

 錫杖は既に放り捨てていた。この祝詞には発動体たる杖も儀礼具も必要ない。

 ただ、この両手で。

 

解呪(ディスペル)……!!」

 

 合わせた掌に光が溢れ、それは湧き出る水のように、あるいは咲き乱れる花のように。

 零れ落ちる前にそっと押し当てる。残光を散らしながら光がミチキの身体を包んだ。

 中身のない眼窩がメリイを見下ろす。もう、彼は何も語ってはくれないけれど、送る言葉は決めていた。

 

「ありがとう……ミチキ」

 

 先の見えない道の一番前を歩いてくれた。手を引いてくれた。

 あなたは最高のリーダーだった。

 形を無くす。鎧越しに触れていた筈の彼が、消える。足元にさらさらと塵埃が舞う。勇ましかった彼は灰になった――――

 感傷に浸る暇などない。

 次の瞬間、烈しい熱気がメリイを押し包んだ。肌を焼き、皮下の血液までも沸騰させかねない熱量。仄暗い洞穴がまるで熱砂の真っ只中に変わったかのよう。

 この感触には覚えがある。

 炎熱魔法(アルヴマジック)。各魔法の中でも特に攻撃的、破壊的な属性。

 ムツミの選んだ魔法。そしてこれは熱した風を広範囲に放つ熱風(ホットウィンド)。それをこんな至近距離で。

 目を開けていられない。足が、止まる。

 

「足を止めるな……!」

「はい!!」

 

 そんな甘え、許さない。

 何より今、自分の前を往ってくれる人がいる。熱風をその黒い背中が阻んでいた。

 ハバキが懐からナイフを擲つ。文字通り目にも留まらない鋭さで。それは過たず、一本はムツミが握る木杖に突き刺さり、もう一本は彼女のローブの裾を地面に縫い止めた。

 熱風が止む。エレメンタルは金属を嫌う。杖に束ねられていたそれらが乱されたのだろうか。いずれにせよ、そんなものは一瞬でしかない。

 ごく短いその隙を逃すまいとハバキは迷うことなく――オグの短剣を弾き返した。

 ムツミの背後からオグが飛び出してきたのだ。

 一息に二撃、小さく軽い短剣の手数の多さをオグは遺憾なく発揮する。対手の斬撃を弾き往なす、盗賊の蠅叩(スワット)と呼ばれるスキルだ。

 しかし四度目の干戈。

 

「……シィッ」

 

 くるり、ハバキは手中で刀を逆手に持ち替えた。そうして下段から、片腕で棟を支えまるで浴びせ掛けるように(・・・・・・・・・)刃を押し出す。弾くも往なすもこれでは叶わない。無理矢理鍔迫り合いに持ち込んだ。さらに凶悪にも、同時にハバキはオグの足を踏み付けていた。

 オグの動きが止まる。フットワークの軽さを活かした盗賊の闘法を殺された。

 ここだ。これが“機”。

 

「光よ、ルミアリスの加護のもとに――」

 

 今度はメリイ自らその機を捉えた。動作に淀みはない。ハバキは絶対にオグを止めてくれるという確信があった。

 

「解呪!」

 

 光がベールのようにオグの身体を包み込む。

 お調子者、悪戯小僧、そんな風に呼んだこともあるし、オグ自身そう名乗ることさえあった。でも、オグが居ればいつだってパーティは明るかった。不安も恐さも無くなりはしないけど、それでも皆で笑っていられたのは。

 

「あなたのお陰なんだよ……オグっ」

 

 光の雨の中、崩れ去る。

 けれどそれを見送る時間さえ与えられない。

 ――――視界の端で“(あか)”が瞬いた。

 息を呑んで反射的にそちらを、ムツミを見る。

 ムツミ自身を捉えるより先に、メリイの目は別の方向へと奪われた。前方ではなく下方から。地面だ。何かが、高速で這い寄って来る!?

 蛇行する橙色の光線。

 炎だ。

 細長い火炎の鎖。

 

縛鎖炎(ファイアチェイン)!? ダメ、逃げられ――)

 

 ハバキに警告する暇もなかった。意思を持つかのように幾つもの炎の鎖が地面を跳ね、二人へと殺到する。

 肌に纏い付く炎の熱、その痛みを覚悟して身が竦む。

 

「ぇ……?」

 

 一向に訪れない苦痛。

 目を開ければそこにはハバキが。

 その左腕と両足、右肩にまで紅く燃える火の鎖が巻き付いていた。鞣革のジャケットが黒く焦げ付き煙を上げる。鼻に付くこの臭気は明らかに衣服を焦がすものだけではない。肉を皮膚を、ハバキの身体が炙られている。

 メリイは喉の奥で悲鳴を上げた。

 

「……ぁ……ハ、ハバキ」

「あの娘、なかなかどうして筋がいい」

「へ」

「いや……それはお前達全員に言える」

 

 世間話の続きをするかのように軽い調子でハバキは言った。火を押し当てられる苦痛など想像を絶する。だというのに。

 

「連携と奇襲の練度、対手の“間”を外し“虚”を衝き“機”を捉える感度。どれを取ってもハルヒロ達の二歩は先を行っている……呵呵っ、悪くない」

「なに、言って……そ、そんなこと話してる場合じゃない!」

 

 掠れた風鳴りのような音色が響く。見ればムツミがまた詠唱を始めていた。

 それなのに、ハバキは笑う。纏い付いた炎蛇(えんじゃ)が今もその身を焼き焦がしているのに。

 どうして。

 

「良い仲間を持ったな」

 

 その凶相、男の恐ろしげな笑みに、メリイは優しげな(いろ)を見た。

 炎が地面を走る。

 五条の縛鎖炎。一気呵成に迫り来る。

 ハバキが刀を振るった。拘束など知ったことではないと、まず両足、次に左腕、右肩のそれは掌中で刀を回転させるように振るい断ち切った。

 火の粉が舞う。その中を突き進む。

 もはや目前に迫る縛鎖炎、それらは直前で地面を跳ねた。標的の身体に余さず絡み付く為。

 そして。

 

「カァッッ……!!」

 

 気迫を形にしてそのまま吐き飛ばしたかのような。炭鉱全体を震わせるような。

 メリイは己の心臓が飛び上がるのを感じた。

 刀の銀光が瞬く。刀身が見えない(・・・・・・・)。霞んだように姿を消し、かと思えばその切先は既に地面を指して静止していた。

 そして炎の鎖は消し飛んだ。

 

「!?」

 

 何をしたのか。今度こそ本当に見えなかった。

 無論のこと、悠長に説明などしてはくれない。

 ハバキは突き進む。

 メリイとてそれは同じ。

 距離が縮まる。昨日までは、いいえ、ほんの数分前までは永遠に思えるほど遠かった。今は、それが、こんなにも近くに。

 手を伸ばせば触れられる距離に、貴方達がいる。

 エレメンタル文字が完成し、ハバキとメリイの進路を巨大な炎の壁が阻んだ。しかしメリイが声を発するまでもなく、ハバキはそんなものに憶さない。

 疾走しながら、刀を上段へ取る。

 間合。刃圏へ。

 

「ッッッ!!」

 

 音声の伴わない気迫がまたも発せられ、刀身が消える――消えたと見紛うほどの速度で斬撃を為したのだ。

 炎壁(ファイアウォール)に物理的な防御力はない。視界の阻害と、炎熱による威嚇こそがその効用。

 斜めに走った斬線、それはあたかも侵食するかのように炎を蹴散らした。

 露となったムツミのその手に握る杖までもが斬り断たれている。

 

「光よ、ルミアリスの加護のもとに……」

 

 両手を伸ばす。小柄な彼女をメリイは抱きすくめた。

 そう、昔メリイは尋ねたことがあった。理知的な彼女が、まず最初に荒っぽい炎熱魔法を選んだことが不思議だったから。単純に強力だから、そんな風に言っていたろうか。でも、メリイは本当の理由を知っている。

 

 ――火は暖かで、皆を安心させられる

 

 お酒を飲んで彼女が不意に漏らした本音。クールで、少しひねくれ者のムツミだから、それが意外で、可笑しくて、とてもとても嬉しかった。

 もう二度とは聞けない。火のように暖かだった彼女の言葉を、メリイは思い出した。

 

「……おやすみなさい、ムツミ」

 

 腕の中には、ただ灰だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀を鞘に納める。

 半ばから折れ砕けた刀身を見るだに己が未熟を思い知る。

 

「……」

 

 一歩踏み出すだにコボルドの死骸を踏む。この惨状はまさに地獄の光景であろう。

 それだけに、他のコボルド共がこの空間へ寄り付くことは皆無と言えた。同胞の無惨な遺骸、何よりデッドスポットという強者の敗北は少なからぬ恐怖を奴らに齎す筈だ。

 

「後で取りに行かせるか……」

 

 ハルヒロ達当人らの与り知らぬところでそのような算段を着けた。

 死骸が多いということはそれだけ得られる戦利品も相当な数になる。捨て置いてもいいが、飯の種は無論のこと、(これ)の修復にも金は掛かるのだ。

 オルタナにまともな刀匠は一人だけだ。剣ではなく、刀を扱う職人は。

 是非もない。そう胸中で締め括る。

 背後を振り返ると、少女は未だ地面に跪き仲間の遺品を探っていた。

 遺品、そして何よりその灰を。

 

「……」

 

 小さな背中だ。触れれば手折ってしまいそうなほどに。

 殊に今は。

 別段急いた訳でもないが、こちらの視線に気が付いた娘はすっくと立ち上がる。手には小さな革袋と革紐に通された小さな鉄板。遺灰と団章。

 

「ごめんなさい、待たせちゃって」

「……いや」

「灰と団章以外にも何か持って帰りたいけど、どれがいいかわかんなくて」

 

 手にしていた革袋と団章を雑嚢に仕舞い込み、笑みを浮かべてこちらに向き合う。

 

「……」

 

 笑み。笑みだ。少女の貌に何やらそのようなものが張り付いている。端整な容貌に見合う人形めいた美しさ。

 人形のように、それは中身というものが無い。空虚。細められた瞳の奥に虚穴が空いている。

 なんだこれは。

 この、酷い面は。

 

「ミチキって意外とアクセサリー着けたりするんだよね。逆にムツミなんか絶対着飾ったりしないし。オグはちょくちょくナイフとか短剣とか溜め込んでたなぁ。革鞘の刺繍にも拘ったりしてさ、男の癖に。ふふっ、ムツミもオグのそういうとこちょっとは見習って欲しかったけど。チャラチャラした男はボクの好みじゃないだって。それでミチキとオグが猛反発するの。私はその仲裁に入って、それで……」

 

 色の無い顔が、穴のような目が、さも楽しげに思い出を語る。在りし日を、もはや戻りはしない過去。

 それを理解している。この娘は、心の底より思い知っている。

 知りながら笑うのだ。(ひび)だらけの歪な笑顔を必死に繕い、耐えている。

 耐える。何を。

 身の内から“それ”が溢れぬように。“それ”を自己に赦さぬと。

 心を殺し、ほんの僅かな安息さえ己に与えはしない。そんな決意。覚悟。

 二十にも満たん小娘が、こんなガキが。

 

「うるせぇ」

「え?」

 

 ぐつぐつと、煮える。腹の底で熔銅が滾り泡を立てている。

 苛立ち、憤怒の源泉。

 

「ガキが」

 

 そうだ。このガキは、出会ったその瞬間からこんな目をしていた。こんな、濁り淀んだ目を。腐った目を。

 呆然と、少女は男を見上げた。どうしてか理不尽に怒る(おどろ)のような男を。

 怯え竦むその弱々しさ。

 この血臭漂う地獄のような世界で、その姿がどれほど場違いが。

 それこそを理解しろ。

 ここは手前のような小娘が来て良い場所ではない。

 ここは、己のような外道が歩む為の修羅の巷だ。

 

「目障りなんだよ」

 

 何故ここにいる。何故だ。

 何故、手前らのような者がこんな所で――――刃金を握って生きている!?

 

「あ」

 

 少女の頭を無理矢理自身の胸に押し付けた。右手に掴んだ頭は、強く握れば真実砕くこともできよう。それほどに脆く、小さな。

 僅かに身動ぎした切り、メリイは動きを止めた。

 

「どう、したの……ハバキ」

 

 問いかけと共に、遠慮がちな所作で少女は男の胸板に触れる。

 

「心配して、くれるの……?」

「……」

「…………でも、ダメだよ。私、もう何回も破った。決心して、誓った筈なのに。私だけ楽になるなんて、ダメだよ。ダメだから。だからっ……」

「知ったことか」

 

 少女の手がシャツを握り締めた。そのままその小さな額を押し付けてくる。

 

「ひどいよ……」

「うるせぇ」

「…………いい、の?」

「ああ、もう我慢しなくていい」

 

 息を呑み、少女の身体が震えた。奥底に残留していた“箍”、今それが外されたのだと得心する。

 

「……っ……は、ぁ……」

 

 漣が、少しずつ波濤を強くしていく。

 抑え続けたものが胸の内より吐き出されている。

 

「あぁっ……! ぁあぁあうぅぁああああ、っっあああぁあぁああ゛あぁ、ぅうわぁあぁああぁああぁあ!!!」

 

 無責任に、何憚ることもない。赤子のように泣き声を上げる。ようやく。そうようやくに。随分と、時間が掛かったものだ。

 弔いの涙は灰を黒く染めた。慟哭は洞を鳴動し遂には天に届くだろう。

 押し当てられる残火のような熱が、ただ己の胸を焼いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤い月を一度だけ仰ぎ、また正面に向き直る。

 石畳に硬質な音が響く。一つはハバキ。一つはその背後に随って歩くマナト。

 ハバキは振り返りもせず、出し抜けに言った。

 

「望み通りに事は済んだか」

 

 皮肉げな色味を伴う言葉であった。

 堪らずマナトが苦笑する。

 

「うん。お陰様で」

「強かな野郎だ」

「……ごめん」

「呵っ」

 

 消沈としたマナトに比して、ハバキの笑声はさも愉快げである。

 マナトは意外そうに首を傾げた。

 

「怒らないの?」

「怒って欲しいのか」

「それは……ホント勘弁してください。でも……俺は、ハバキのことを利用した」

「義理堅い話だな。命の恩人に礼をする為、その素性までわざわざ調べたか」

「調べたというか、人相を言ったら向こうから勝手に話してきたんだ。口さがない人が多かったよ、本当に……腹が立つくらい」

「なるほど」

 

 マナトは拳を強く握る。そうして苛立ちを鎮めるように。

 ハバキはまた口の端に笑みを刻んだ。

 

「端から事情を話さなかったのは」

「言ったら、ハバキは一人でデッドスポットを狩りに行こうとするだろ? それじゃあメリイさんは何も救われない。踏ん切りの着かないまま傷だけが心に残る。そう、思った。そして今の俺達のレベルじゃ、デッドスポットはおろかアンデッドにも勝てない」

「だろうな」

 

 かつかつと、足音は続く。

 路地の暗がりを二つの影が往く。しかし、家々の隙間からは大通りに満ちる灯りと喧騒が断続的に彼らを照らし出した。

 

「何故そこまであの娘に肩入れする。シホルが妬くぞ?」

「そんなんじゃないって……ただ」

 

 賑やかな人々の活気が、沈黙を嫌に際立たせた。

 

「ただ、メリイさんは俺と同じ間違いをしたんだって、思った」

「……」

「パーティの誰かが傷付くのが、どうしようもなく恐い。恐くて、実際に傷を目の当たりにすると居ても立ってもいられなくなった。心底びびった。その都度、馬鹿みたいに魔法使いまくって……感謝されるのは悪い気しないしさ。だから頑張った。俺が頑張れば皆生き残れるんだって」

「思い上がったな」

「うん、そんなの勘違いに決まってるのに!」

 

 自嘲的な笑みが少年の端整な顔を彩った。

 

「俺達とメリイさんのパーティ、結果は真逆だけど、根っこは同じなんだ。俺一人が息巻いたって出来ることは人一人分が精々で、それで当然なのに、それに気付かずに無理なことをした。だから、俺は」

 

 身震いする。忘れもしないその恐怖に少年は戦いていた。

 頭を振ってマナトはハバキの背中を見た。

 

「そんな子を、放って置ける訳ない」

「……」

「…………なんて、他人を利用しておいて何言ってんだろ俺」

 

 足音の一つが止まる。

 それを聞き取ってハバキも足を止めた。

 

「打算、打算、打算そればっかりだ。本当に性格悪いよな。ははっ、こんなんじゃメリイさんに顔向けとか、無理だよ」

 

 マナトは俯き、ただ薄汚れた石畳を見ている。

 行き交う人々の影がハバキとマナトを覆い、また過ぎ去っていく。それを果たして幾度、繰り返しただろうか。

 そして、影の中を泳ぐようにハバキはマナトに歩み寄る。

 そのまま固めた拳をマナトの頭頂部に振り下ろした。鈍い打撃音が響く。

 

「いっづ!?」

「悪知恵使いの子猿が、いちいち大仰なんだよ」

「わっ」

 

 拳を開き、マナトのそのさらさらとした髪をこれでもかと掻き乱す。

 抵抗も許さない。男の握力はマナトの頭部を逃がしはしなかった。

 

「一丁前な自己嫌悪より先に言うことがあるんじゃあねぇのか? えぇ?」

「ごめ、ごめん! ごめんなさい!」

「何がだ」

「そ、相談しな、かったこと! すいませんでした!!」

「おう」

 

 言うやあっさりとハバキはマナトを解放した。そのまま背を向けて当初の進路を歩き始める。

 マナトも慌ててその背中を追った。

 

「ハバキっ」

「そろそろランタ辺りがゴネてる頃合だ。急ぐぞ」

「……うん、そうだね」

 

 はにかむような、気恥ずかしげな笑みを浮かべてマナトは頷いた。

 ハバキはそれ以上何も言わなかった。

 マナトには、それで十分だった。

 目的地はいつもの場所、いつも騒がしい義勇兵の吹き溜まり、シェリーの酒場。

 ハルヒロ、ランタ、モグゾー、ユメ、シホル、そしてメリイ達六人が待っている。だから急ごう。仲間の元へ。

 しかし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、往く手を阻む者がある。

 暗がりの向こうに立ち塞がる偉丈夫。薄闇の中で赤い月光に煌く銀髪、その下で獰猛な眼光が月明かりなぞ食い破ってハバキを捉えていた。

 背後でマナトが息を呑む。

 

「レンジ……」

 

 黒い陣羽織、脚絆。手脚は装甲で鎧っている。

 何より目を引くのは右肩から斜めに背負われた巨大なる諸刃の剣。

 

「マナト、お前は先に行ってろ」

「でも、ハバキは」

「見た通り野暮用だ」

 

 逡巡する気配も一瞬のこと、動かぬハバキらを見てマナトは諦めたように路地を出て行った。

 

「……」

「……」

 

 瞬発すれば二歩で詰められる距離だが、対手の剣は一歩でこちらを刃圏に収め得る。抜刀の速度は我が優越する。しかし剣の厚み、重量においては比較にもなるまい。先を()るか、はたまた対手の剣を削ぎ落とし後を奪るか。

 睨み合いながらそのような思索を廻らせる。目の前の男とて考えていることに大差はなかろう。おかしな信頼をハバキは抱いていた。

 徐にレンジが口を開く。

 

「デッドスポットを殺ったらしいな」

「ああ」

「程度は」

「膂力は中々。が、それだけだ」

「そうか」

「で?」

 

 互いに何程の興味も無い会話を終えて、ハバキはゆっくりと歩き出す。

 視線は変わらず。互いを射抜き、貫いている。

 そうして真っ直ぐにレンジを――素通りした。

 レンジを横切ってなお歩みを止めず、一歩、二歩、三歩、四歩、五歩目、石畳を踏み締め、ハバキは静止する。

 距離は、先程と同じ。

 異なるのは背中を晒しあい、互いに対手は視界の外であること。

 

「……」

「……」

 

 不意にハバキが鯉口を切った。

 同時にレンジは柄に手を掛ける。

 

「呵」

「ハッ」

 

 歪んだ笑みを刻む二人の男。不気味な沈黙が路地裏を席巻する。

 道の一本向こう側に日常は確かに存続しているというのに、この空間だけが全てから断絶していた。

 ここにあるのは刃金を携えた二匹の獣。ならばすべきことは一つ。齎される結果もまたたったの一つ。

 “それ”が今であったとしても、構いはしない。刃金狂いに相応しい末路。それが、今だというのなら――――

 

「みぃつぅけぇたぁ!」

「あ?」

「は?」

 

 冷えていた思考回路に微温湯をぶちまけるような、言ってみればそんな声が路地裏に響き渡る。

 細い小路に、灯りを遮って立つ人型。何者か。誰何するより早くそれはハバキに歩み寄り、そのまま胸に飛び込んできた。

 

「はばきぃ」

「メリイ、か?」

 

 逆光を抜ければその容姿は件の少女に相違ない。がしかし、ハバキの呼びかけには確信というものが欠如していた。

 それほどに、今腕に抱えるモノと記憶の中の少女は合致しなかった。

 赤らんだニヤけ面。ざんばらに乱れた髪。だらしなく襟を肌蹴た神官服。

 見るからに泥酔者然とした少女。

 

「メリイさん!」

「いたぞー! ここだここ!」

 

 続いて現れたのはハルヒロとランタだ。慌てた様子で走り寄って来る。

 

「メリイちゃんこんなとこおったー!」

「ダメですよメリイさん! 危ないじゃないですか!」

「怪我とか、してない?」

「あはは、ごめんハバキ」

 

 ユメ、シホル、モグゾー、そして酒場へ先行した筈のマナトが苦笑を湛えてのこのこ戻ってきた。

 大凡の状況を把握する。

 この娘、どうやらまた(・・)らしい。

 

「……アミタは」

「今日は非番だって」

「誰がこいつに酒を飲ませた」

 

 一同を睨め付けると、どいつもこいつもぶんぶんと首を横に振った。

 

「俺達が来たときには」

「こいつもう勝手に飲んでたんだよ! しかもありえねぇくらいベロンベロンに!」

 

 ハルヒロとランタは交互にいかにも言い訳がましく言い訳を口にした。単なる事実ではあるが。

 酔いどれの小娘は知ったことかと言わんばかりに頭を胸に擦り付けてくる。

 

「えへへへ」

「……ええなーメリイちゃん。ハバキ、次それユメにもやらしてー」

「お、おぉれの胸にすりゃ、いいじゃねぇかよ」

「はぁ? なんでランタにそんなことせんとあかんの? 絶っっっっっ対イヤや!」

「んだとてめぇ!? そこまでか!? 『っ』そこまで入れるレベルか!?」

「なんか、こう、初めて会ったときのイメージが……」

「……いやぁ酒乱のメリイって噂、本当だったんだな」

「と、とにかく、一旦シェリーの酒場に戻ろうよ」

「メリイさん! ボタン留めて! 肩まで脱げてる! 見えちゃうから!?」

 

 両腕で抱き付き、背中に回した手は綿のシャツの裾を固く握り締めている。赤子が差し出された指を決して放さぬように。

 見れば既にレンジはハバキらに背を向け、路地の暗闇の向こうへ消えようとしている。暗がりの先でサッサ、ロン、アダチ、そして名も知らぬ童女が男を出迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レンジは無言で歩き続けた。なにかしら言いたげなサッサも、無論アダチやロン、チビにしても、今のレンジに声を掛けようなどと無謀なことはしない。

 

(何を、遊んでいやがる)

 

 刃金を首筋に突き付けられるかのような殺気。

 死を。純然たる恐怖を。否応無くそれを魂に掻き立てさせる。あの男、ハバキの威。

 そうだそうでなくては。それこそがお前だ。それでこそ、殺り甲斐がある。

 だというのに。

 

(お前は)

 

 刃金に狂い、何かを斬らずには居れぬ剣鬼。それがお前だ。

 殺し殺し殺し、その果てに死するを望む救い難き闘争者。それがお前だ。

 

 ――お前は俺と同類の筈だ!

 

 暗き道をレンジは往く。

 かの男の背中が待つ、修羅の道を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハバキはメリイを背負い、酒場への道を歩く。

 ハルヒロ、マナト、シホル、ユメ、ランタ、モグゾー。彼らを伴い、ひどくゆっくりと道を歩く。

 

「……ハバキ」

「なんだ」

 

 囁きが耳を撫でる。

 

「ありがとう」

 

 少女の声は淡く微かで、喧騒にいとも容易く浚われた。

 

「うるせぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「悪知恵使いの子猿」って言い回しが何故か好きです。やっぱり市川は鷲頭を除けば作中最強の敵でしたね!


…………更新遅れまして本当にすみませんでした。


なんだかんだと書き連ね、ようやく一区切り着きました。読み返してみるとアニメ版をただただなぞっただけのような……。


エピローグかなんか書くかもしれません。もしよろしければお暇つぶしの種にお使いください。

読んでいただいて本当にありがとうございます!
無上に幸いです。
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