大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 時が流れ世界は変る、それと共に流されて変化するしかなかった物があった、それでも尚影響されず、変る事が無い物は僅かだが存在する、それは苛烈な時間の中にあった物だったからか、それとも最後が悲しみの只中で事切れた為なのか、何れにしてもそれは消えることの無い物として彼女達の中に存在する。


 それでは何かご意見ご要望があればお気軽にどうぞ。


変ってしまった物と、変らない絆

 

 

 

 薄く雲を延ばした空の下、夜まだ肌寒い大阪湾。

 

 海を照らすのは空に浮ぶ月のみで、それでも充分な視界が取れるのは彼女達が深海棲艦と呼ばれている為か、それとも月が満月という状態だからだろうか。

 

 

 波を切り左右に激しくスライドしつつも前へと(はし)るのは時雨。

 

 黒いお下げは銀髪に、血の色をした眼からは火の粉を散らす様な燐光を舞わせながら目の前に佇む相手へ向けてひた(はし)る。

 

 

 アンダマンで轟沈して以来、深海化の影響で変異してしまったその体は今に至る迄幾度となく治療と調整を繰り返し、当初5分も全力で戦えなかった時間は現在30分程はその姿でいられる程度にはなっていた。

 

 しかしハカセと電のコンビが施した治療を以ってしてもその辺りが限界だったのか、彼女の体力はそれ以上の時間を海で留めるには至っていなかった。

 

 しかもその治療は数々の副作用を発症させ、今より踏み込んだ治療が行えない状態になっている。

 

 

 月と地球という惑星の繋がりは割りと深い関係があり、重力という見えない糸で互いを繋いでいる。

 

 地表を大気や海という流体で覆った地球は他の惑星による表層への影響力が顕著に現れ、特に月からによる影響は目に見える程に強い物になっている。

 

 それは起潮力(きちょうりょく)とも呼ばれ、月の周期によっては海面潮位をメートル単位で変化させてしまう程に地球へ強く影響を及ぼしている。

 

 

 そんな空からの力は繊細な調整を繰り返し、過敏とも言える生態バランスにある時雨にも影響を与えていた。

 

 それは満月の夜、丁度太陽と、月と、地球が一直線に並ぶという時にのみであったが、見えない力は彼女の脳へ介入し、断片的に脳内の記憶を表へ引きずり出す。

 

 垣間見せる類の物は決まって悪夢と呼べる物、印象深く傷跡と呼べる程に激しく心に残る物、そんな物だからこそ繰り返し同じ悪夢を見るのだとハカセは言う。

 

 そして彼女はその悪夢を見ない為、見たくない為に満月の夜は眠らない、眠れない、そして(たか)ぶる自分を抑える為にじっと耐えて夜を費やす事になる。

 

 

「本当に……ヤマシロで良かったのでしょうか」

 

「ん、今の時雨君の全力を受け止めれる子ってウチじゃ朔夜(防空棲姫)君か、君達(戦艦棲姫)位しか居ないし……それに彼女と時雨君って妙に相性がいいみたいだからお願いしたんだけど、それは正解だったみたいだねぇ」

 

 

 月夜の海に浮ぶのは銀色のお下げと戦艦棲姫の片割れ、妹の"ヤマシロ"であった。

 

 突っかかる様に(はし)る時雨に対し、艤装を伴わないヤマシロはその力を受け止め、互いにぶつかる度に舞い散る飛沫は月の光を反射してキラキラと周囲に舞い散る。

 

 そんな夜会を岸で見るのは戦艦棲姫の"姉"と髭眼帯、二人は桜の花びらが舞い散る岸壁の、併設された東屋で持ち込んだ飲み物を片手に今も海で舞っている二人を眺めながら夜を過ごしていた。

 

 

「時雨君が全力で戦えるのは凡そ30分、その時間が過ぎれば電池が切れる様に意識が途絶える、そうしたらもう後は変な夢も見ずに安眠が出来るから……」

 

「難儀な状態になってますね」

 

「まぁねぇ、前々から自分が相手はしてたんだけどさ、ほら、意識が無くなった後運んだり、濡れてる彼女の処理してあげたりするのってほら……ねぇ」

 

「ああ、なる程……ふふっ、確かにその辺りの処理は殿方にはさせられませんわね」

 

 

 長い黒髪に扇情的な出で立ちの深海棲艦、見た目はそっち系に変っていたが中身は紛ごう事無き扶桑型を残す彼女達姉妹。

 

 平時はだらけ枠と言われてはいたが、それは単に周りが余りにも灰汁(あく)が強い為に影が薄くなり、控えめという性格の為に誤解されているに過ぎない。

 

 ある意味大坂鎮守府の深海勢にあって、最も艦娘の頃の性格と色を濃く残しているのは実はこの姉妹であった。

 

 

 だからだろうか、時雨はこの二人と対する時は何故か得も言えぬ気持ちになる時があるのだと言う。

 

 

 それは友愛とも親愛とも、または吉野に感じる安心にも似た何か、恐らくそれは遥か昔同じ海で過ごした西村艦隊という名に繋がっている物だとは誰もが思っていた。

 

 それでもその名を口にしないのは、彼女達(戦艦棲姫)姉妹が人類の敵という深海棲艦と成ってしまい、姿形が変わり果ててしまった為、彼女達の性格からすればそれは口に出す事が憚られる話なのだろう。

 

 

 声も無く只ひたすらに暴力を以って相手へ挑む銀髪は、本来深海化する時は色素が抜け落ち白になる寸前の色で、それは辛うじて深海棲艦という存在にならずに踏み止まっている時雨という少女を表すかの様に、彼女のみに見られる特徴であった。

 

 故に彼女がこの姿で海へ立つ時、周りの者は彼女を時雨とは呼ばずに『銀色』と呼ぶ。

 

 そんな銀色に対峙するヤマシロは元々守りに秀でた立ち回りをする者であった、銀色から向けられた暴力をただただ受け続け、それでも余裕を以っての立ち回りで全ての攻撃を流していく。

 

 

「テイトクは随分とあの子にご執心なんですね」

 

「ん……そんなんじゃないんだよね、元々さ、彼女って横になって寝る事も出来ない状態でさ」

 

「……横になれない?」

 

「そそそ、昔居た泊地でさ、彼女は作戦中大破になって動けなくなった事があったんだけど、その彼女を庇った妹さんが目の前で沈んだらしくて」

 

「妹さんがですか……」

 

「うん、それで海に倒れたまま……動けない状態で、その妹さんが沈んでいく様を横になったまま見ているしか出来なかったらしくて、それ以来彼女は自分の体を横にして眠る事が怖いらしくて、今もずっと、リクライニングさせたベッドでないと眠れない状態なんだよね」

 

 

 第二特務課が発足した当時、夜中に時雨は部屋を抜け出しリビングのソファーで正座しつつ舟を漕ぐという奇行を幾度か繰り返していた。

 

 それを何度か目の当たりにした吉野はその理由を幾度か聞いてみたが、その時は癖みたいな物だから気にしないで欲しいと本人から説明されていた。

 

 そんな日々が幾夜か続いたある晩、吉野は丁度部屋から出る時雨とばったり遭遇してしまった。

 

 

 涙で顔を濡らし、光が消え失せた瞳で、自分を抱き締めるが如く腕を抱き、吉野を見る相は恐怖の色が浮ぶ。

 

 

 そんな様を見てしまっては、見られてしまっては最早時雨が抱えている物を隠す事は適わず、その日は夜通し泣きじゃくる小さな肩を吉野は朝まで抱いて過ごした。

 

 その日より彼女の部屋にある備え付けのベッドは医療用のリクライニング機構が施された物へと交換され、もし何かあった時(・・・・・・)は吉野のベッドに潜り込んでもいいという特別を許される事になった。

 

 

「元々第二特務課の設立目的は、各拠点に居る"戦えなくなった艦娘達の再利用を想定した実験部隊"だったんだ、海で戦えなくなっても強靭な肉体と戦闘能力は喪失していない、だからそんな艦娘さんを集めて色々仕込んで、"対人部隊"として利用は出来ないか、当初選ばれた六人はそんな運用を前提に選出されていたんだよね」

 

 

 時雨を始め榛名、妙高という第二特務課の初期組と、神通、不知火、大鳳という艦娘は武装が特殊で艦隊運営に編入するのは難しい、若しくは本人に致命的な問題があり戦力として計上するには難があるという艦娘達。

 

 その艦娘を集め、当時陸軍にしか存在しなかった"対人鎮圧部隊"を設立する、その為に陸の作戦に多く従事した為ノウハウを持ち、更に特務という裏方をメインにしていた吉野をその長に宛がうという計画で設立されたのが第二特務課であった。

 

 

 しかしその課は準備段階で深海棲艦という存在に対し接触するという特務が充てられ、そこから意図しない形で携わっていく軍務を変容させていった。

 

 それ以降必要だと思った時は手段を講じて、必要だと思う立ち回りをして、気がつけばそんな実験部隊という物からスタートした集団は鎮守府という拠点を持つにまで肥大化していた。

 

 

「集められた子達はそりゃもう色々と問題を抱えてたよ、でもその中で時雨君は特に酷かった、戦えないという以前に精神的に半分壊れた状態だったからね……」

 

 

 強引に秘書艦へと据えた迄は良かったが、それでも無理をした関係は時雨という艦娘には様々なプレッシャーを背負わせる事になった。

 

 戦えないという負い目、悪夢に苛まれるという精神疾患、それを表に出せずに、秘書艦という重責に居る為に言い出せなくなった、見せられなくなったというプレッシャーは一人で抱えるには余りにも大き過ぎた。

 

 故にそれをどうにかする為に吉野は彼女の全てを無条件で受け入れ、そしてわざと時雨に対し自分へ依存させるという手段を取った。

 

 

 それを知っているからこそ、第二特務課に関わる古参組は時雨を不動の秘書艦として認識する。

 

 そして二人の関係は、色恋などという甘い物では無く、彼女の深海化という事情を経た今は言葉に出来ない程の特別な関係として二人を繋げていた。

 

 

「まぁそんな訳でさ、彼女と自分の関係って何と言うか……説明し難いんだけど、そう特別といったモンじゃ無いと思うんだよね」

 

「……テイトク?」

 

「うん?」

 

「それを世間では特別と言うんですよ?」

 

 

 口元を押さえて笑う(戦艦棲姫)を前に、思案顔で首を捻る髭眼帯。

 

 第三者に指摘されて始めて気付く認識というのを経験した吉野は、何とも言えないばつが悪そうな相を表に出しボリボリと頭を搔いていた。

 

 

「人に面倒事を押し付けておいて、二人して暢気に茶飲み話なんていい気なものね」

 

「あらヤマシロご苦労様、大変だったでしょう、後の事は私が引き受けるわ」

 

「……別にいいわよ、ついでだから最後まで私が面倒を見るわ」

 

「あらあら、なら今お茶を入淹れてあげるわね、随分と体が冷えたでしょう?」

 

「うん……ありがとう」

 

 

 意識を失い黒髪に戻った時雨を抱き抱えて東屋へ来たヤマシロは、そのまま膝に時雨を乗せたまま姉の淹れた茶を飲み始めた。

 

 膝の上に乗る小さな秘書艦は静かな寝息を立て、ほんの少し前まで海を駆けていた猛々しさが微塵も感じられない程穏やかな寝顔をしていた。

 

 

「面倒を頼んですまないね、はいこれ毛布、んでどうだった彼女は?」

 

「どうもこうも無茶苦茶ね、ただガムシャラに突っ込んで来るだけだし、力任せに殴ってくるだけだから捌くのは割と簡単だったわ」

 

「そっかぁ、でもお陰で助かったよ、自分が相手だとどうも遠慮があるみたいで、終わった後はこんなに寝顔が安らかにはなんないんだよねぇ」

 

「って言うかテイトク良くこんなじゃじゃ馬相手にしてたわね、普通人間だとワンパンで死んじゃうわよ?」

 

「まぁだから彼女もかなり手加減してたんだと思うよ、そのお陰で不完全燃焼状態でうなされる時もあったしさ」

 

「ふぅん、でも何で今まで他の子に頼まずテイトクが相手をしてたのよ」

 

「あーそれね、時雨君があんまりいい顔しなかったからさ、結局自分がその相手に……」

 

「の割には私達には頼みに来るのね、何? 暇そうだから頼み易かったって事?」

 

「いやいや、その辺りの理由は今夜彼女の相手をした君には言わなくても判ってるんじゃないの?」

 

 

 吉野の言葉にムっとした表情でヤマシロは口をつぐむ。

 

 これまでこの手の話をしても頑なに固辞を続けていた時雨に、何となく思い至った人選を告げた時、何とも言えない表情になった時雨の顔。

 

 そして彼女の相手をしていたヤマシロの様子も普段の物とは微妙に違う物になっていたという事に、自分の予想は的外れでは無いという確信を髭眼帯は得ていた。

 

 

 長い長い時間を掛けて、艦娘だの深海棲艦だのという存在に成り果て、こんな妙な出会いを果たしての邂逅を経たとしても。

 

 彼女達の間にある嘗ての関係は消えることも無い、強い縁を基にした物だったというのに気付いたのは髭眼帯だけでは無かった。

 

 

 そしてそんな関係はヤマシロと姉という戦艦棲姫二人に何かしらの影響を及ぼしたのか、見た目は深海棲艦上位個体であったが、その内面はより扶桑型姉妹のそれに近い物へと変化していた。

 

 少しムクれた相でありながら、膝上で寝息を立てる時雨に毛布を掛けつつ自然と頭を撫でるヤマシロに、笑顔でそれを見る姉。

 

 そんな二人を見て髭眼帯は前から思っていた話を姉にする事にした。

 

 

「姉さん」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「前から何度も言ってた話なんだけど、姉さんって名前と言うのがね……」

 

「えっと、やはりおかしいでしょうか?」

 

「いやいやいや、そんなおかしいという訳では……うん、そのあの、やっぱちょっと」

 

「言い辛いと言うのは判りますが、私としてはもうずっとそう呼ばれ続けていましたので……」

 

「て言うか、今もその辺り違和感とかあったりしちゃう? 例えば『扶桑』と呼ばれる事に」

 

 

 暫く無言で手元の湯飲みに視線を落とし、無言で何かを考える彼女(戦艦棲姫)

 

 今まで幾度か同じ話題を振っては即否定してきた名前に対する話題は、今夜に限って繰り返す事は無かった。

 

 

 元々自分達の前世という物は知っていた二人、それでも頑なに呼び名を否定していたのは扶桑型戦艦という前世を知っていて、今の自分を知っていて、その上で自分は別の存在であるというケジメと意思表示がずっとそうさせてきたという理由があったからであった。

 

 そんな確固たる心情は、東屋に座る今の夜に彼女の心を揺らしていた。

 

 

「今までは私と姉さま二人だけだったからそれでも良かったけど、その呼び名は他の人が言うには違和感がある様に感じるの……」

 

 

 時雨を抱くヤマシロはただ静かに、手元を見詰める姉へと言葉を紡いでいく。

 

 

「でも、もう二人だけじゃ無いし、これから二人だけになるつもりも無いし……それは姉さまも同じでしょ?」

 

 

 静かに、呟く様な声は桜の花びらに乗って宙を舞っていく。

 

 

「さっき時雨に『山城』って呼ばれた時……思ったの、何て言うのか……そう、"還って来た"って」

 

 

 そしてその花びらは湯飲みに落ちて、映っていた月の影を波紋で隠した。

 

 

「……私がその()を名乗っても(ゆる)してくれるかしら、その子はちゃんと……呼んでくれるかしら」

 

「君がその名前に何か思う処があるのなら、誰かを気にする事は無い、自分を自分と決めるのは誰かに許しを請うなんてもんじゃないと思うんだけどねぇ、そう思わないかな、扶桑(・・)君」

 

 

 それから暫く、彼女(戦艦棲姫)は湯飲みに浮ぶ薄桃色の花びらを眺め、そしてそれごと茶を一口飲み込んだ。

 

 

「確かに、姉、という呼び方だと色々おかしい印象があるかも知れませんね、でも既にその()で私は登録されているのでしょう?」

 

「その辺りは自分の仕事だからね、君が何かを気にする必要は無いよ」

 

「扶桑、という名で私を登録するのは軍としては問題があるんじゃないでしょうか」

 

「それが君の名前なのに、別の名を騙る方が不自然なんじゃないの?」

 

「……有難う御座いますテイトク、それではお言葉に頼らせて頂いても良いでしょうか?」

 

「ん、任されたよ、んじゃついでにヤマシロ君もこの際カタカナじゃなくて漢字で山城と登録し直してはどうかと思うんだけど……どうする?」

 

「姉さまの名前が扶桑になるなら、私もそう名乗らないと不自然になるわよね」

 

 

 

 こうして漸く春が訪れた満月の大坂鎮守府では、長らく馴染んでいなかった深海棲艦姉妹の二人が居場所を見つけ、この先ずっと深海棲艦艦隊の盾として、時雨と共に髭眼帯の盾として付き従う事になっていくのであった。

 

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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