大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 物事は事案として見れば一つであるが、関わる者の数だけアプローチが違う、それは極当たり前の物だが足元にしか視線が向かない者にはそこへ至る筋は極めて限定した物しか認知出来ない。
 絡み合う糸は複雑怪奇に見えるが紐解けばそれはたった一本の物という事もあり、手間を掛ければ不可能と思える事柄も案外簡単に進む事もある。


 それでは何かご意見ご質問があればお気軽にどうぞ。


2017/05/01
 誤字脱字修正反映致しました。
 ご指摘頂きましたリア10爆発46様、MWKURAYUKI様、京勇樹様、有難う御座います、大変助かりました。


艦娘お助け課.3

「所属艦21人中PTSDの判定が出たのは14人、内重度が2に要加療が6とかどんなブラックなんだよここは」

 

 

 インドネシア連邦スマトラ島クルイ警備府。

 

 執務棟内にある会議室を臨時の詰め所とし所属艦の面談と診断をした結果を眺めつつ、大坂鎮守府生態科学部門主管である天草早苗(あまくさ さなえ)ハカセが吐き捨てる様に言葉を口にし、テーブルの上に転がしていたケースから一本煙草を引き抜いてそれを咥えると忌々し気にライターでそれに火を点けて肺に煙を流し込んだ。

 

 大坂鎮守府で突然発令された出撃命令で殆どの者が抜錨してから既に3日、髭眼帯から仕事に対して全権委任をされた足柄は何かを吹っ切ったのか、それともヤケになったのか、ほぼ準備が整っていたクルイ警備府への出向予定を早め、まるで吉野への当て付けの様に将官特権を発動しまくり、通常移動だけでも四日は掛かると言われる日本から現地への行程を航空機や高速巡航船を乗り継ぎ、僅か一日半で現地へ到着した。

 

 事前にクルイには今回の現地査察の通達と日程調整の為の連絡をした際、警備府の司令長官である日下部栄治(くさかべ えいじ)中佐からは『軍務を止める訳にはいかないが、それと平行する形でなら全面的に協力する』という快諾に近い返答に、反発を予想していた足柄は少し面食らいながらもとっとと荷物を纏め、パンパカと霞、そして渋るハカセを伴って現地入りをしていた。

 

 

「事前予想よりはまだマシな状態と言えるけど、それでも隔離予備軍の数が多いわね……」

 

「取り敢えずは今居る軍医とは別にカウンセラーを別途着任させる必要があるねぇ、それと出来ればもう少し環境を整えないと現状のままじゃ治療しても効果は今一薄いだろう」

 

「……それでハカセ、例の二人は」

 

「アンタが言った通りメタメタの状態だったから別室に隔離してあるよ、良くあんな状態で海に出ていたモンだ、特にあの関西弁……黒潮つったか、アレは特に酷い、見た目もう一人よりもマシに見えちゃいるが、アレは強迫観念に突き動かされて軍務に付いてただけで、普通の余裕がある拠点みたいなローテで出ていたとしたら今頃は何かやらかしてただろうよ」

 

「自分を振り返る余裕が無い程基地事情が切迫していたのが逆に幸いしたのね……あの子はここの駆逐艦の取り纏めをしていたし、轟沈した艦は初風、浦風、谷風って姉妹艦ばかりだから、ここに所属している一番上の姉としては色々と思う処もあったんでしょう」

 

「それだけじゃないわ、その轟沈艦が出た時黒潮は全て同じ隊に編成されている、一年なんて短いスパンにこれじゃ本人はたまったモンじゃ無いわよ」

 

 

 顔を顰める霞の手にはクルイ基地での略歴が記載されており、今見ている箇所にはこれまで轟沈した艦娘の名が刻まれていた。

 

 少数精鋭を主眼に比較的性能が整った陽炎型を集めた同警備府の駆逐艦事情は、姉妹艦のみで編成され統率が取れた作戦行動を可能としていた、しかしそれは軍務の質を向上させる結果に繋がってはいるが、轟沈者を出したり負傷艦が出ればメンタル的に強い影響が広がるという負の面も生み出している。

 

 そしてその姉妹を取り纏めていたのは配属された中で一番姉の位置に居た黒潮であった。

 

 生来からのムードメーカー気質と、誰からも愛される「いじられ」特性というキャラは姉妹達の取り纏めをするという立場に最適であり、割と気遣いの出来る性格は駆逐艦と他艦種との緩衝材としても充分な働きをしていたと言える。

 

 故に環境が切迫した状況下ではより負担が集中し、立場的な物を考える黒潮はどんどん追い詰められていく。

 

 

『自分は叱る立場に居るが、その自分を叱ってくれる者は居ない』

 

 

 あの時涙して漏らした言葉が今のクルイに於ける黒潮の立場を如実に表していた。

 

 

「そんで速吸は艦種の縛りがあって後方待機が常だから戦場では無傷な事が多い……って負い目が祟ってこのザマかい、こんな状態になるまで使い回さなきゃ仕事が回らないなんてまったく業が深いね軍ってトコは」

 

「司令長官が無能ならまだ改善の手はあったんだけど、ここの提督は物凄く有能なのよ……そこいらのボンクラが指揮執ってたら今頃は警備府自体が無くなってたんじゃないかしらって位にはね」

 

 

 霞と同じく書類に目を通しつつ苦い顔で椅子に深く腰掛ける足柄は、事前に予想していたケースの中で最悪に近い状況を引いたという認識に頭を抱える。

 

 誰も悪くは無く、逆に誰も彼も有能な為にギリギリで維持が出来てしまっている(・・・・・・・・・・・・)拠点、それがクルイという警備府の実態であった。

 

 調べた限りでは指揮系統に問題は無く、設備としてもやや煩雑としてはいるが不足した物は見当たらない、結論としては内部環境の改善では現状の環境を変える事は難しく、ただ人員が足りないという一点だけが全ての元凶なのだというのが結論ではあったが、その差配を握るのは自分の上である吉野から見れば敵対派閥の筆頭である艦隊本部である、故に幾ら将官としての権限を行使した処で人員の追加補充という物は難しい。

 

 

 現状打開の為に押し通る道を塞ぐ壁、その分厚く巨大な壁に何か穴でも無いかと思考を巡らせる足柄の耳にドアをノックする音が聞こえてくる。

 

 

「空いてるよ~ 誰だい?」

 

「失礼する、足柄君済まないが少し構わないか?」

 

「あら日下部司令、どうかしました?」

 

「ああ、ちょっとした通達なんだが……」

 

「足柄! ちょっと来て! 外! 外見て!」

 

 

 会議室を訪れた警備府司令長官の日下部が入室して用件を述べようとした時、別室で控えている速吸と黒潮の様子を見に行っていた愛宕が血相を変えて室内に飛び込んでくる。

 

 いつもののんびりした雰囲気からは滅多に見せない表情と言葉に余程の事があったのかと狼さんは日下部に一言断って、愛宕が正面にある窓から指している外を見て目を見開く。

 

 

「ちょっと……これどいう事よ……」

 

「ああ、丁度その件で君達に知らせておこうと思ったんだが遅かったか」

 

「……日下部司令」

 

「現時刻を以って当警備府は支配海域を接する未知の海域攻略に動く艦隊を支援する為の拠点として接収された、拠ってこれより厳戒態勢に入るので君達には申し訳無いが暫くの間施設より外に出る事を制限させて貰う事になる、作戦は秘匿事項を含む物になっていた為に君達への通達は作戦発動後の今になってしまった事を謝罪するが、その辺りはどうかご理解頂きたい」

 

「か……海域攻略ですって……」

 

 

 海域維持ですら限界ギリギリの警備府で突如発令された新海域攻略という緊急事態。

 

 その言葉と眼下に広がる光景に言葉を失った足柄は、拳を握り締めて肩を震わせた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 足柄がクルイで混乱している時から四日程遡った大坂鎮守府。

 

 時間軸で言えばまだ狼さんが課のデスクであんぱんを齧っていた頃、その足の下、執務棟地下三階にある指揮所では髭眼帯が椅子に腰掛け親潮から受け取ったドクペを口に含みつつ目の前に浮ぶ三面の画像に真面目な相で対峙していた。

 

 時間は深夜と言える時、対するモニターに映るのは対極にある陽の光が差し込む部屋で此方を見る者が映っている。

 

 モニターにはペナン基地司令長官椎原登喜男(しいはら ときお)大佐、クルイ警備府司令長官日下部栄治(くさかべ えいじ)中佐、そしてそれに挟まれる様に真ん中のモニターにはリンガ泊地司令長官であり、実質南洋海域の総責任者となっている斉藤信也(さいとう しんや)少将の姿がある。

 

 

「吉野君が言うクルイの件は僕も把握しているよ、色々日下部君には無理を強いている事は理解しているが、早急に戦力を南へ送る余裕はこっちには無いんだよね……頭の痛い話ではあるんだけど」

 

「いえ、斉藤司令にはリンガから支援を適時送って頂いてるお陰でウチはまだ何とかなっている状況にありますから」

 

「日下部君、あんなのが支援なんてこっちは恥ずかしくて口に出来ないよ……それに吉野君が言ったそっちの艦娘達の現状、もうギリギリ一杯なんだろう?」

 

「それは……」

 

「一応ウチとリンガで協議して夏までに捻出した戦力をクルイへ配属する計画をしていたんですが……日下部、何故現状を連絡して来なかったんだ」

 

「椎原さん、申し訳ありません」

 

「いや、この件に付いてはインド洋北部の海路に注力し過ぎて足元を疎かにしていた僕に責任がある、しかし現状ヨーロッパ方面と行き来する船舶数が激増して護衛や海域維持に戦力が取られてしまっているからねぇ……戦力を送るどころか現状調査に充てる為の余力も実は無いんだよ」

 

 

 元々ペナンの副官の任にあった日下部は南洋海域に展開している基地事情を充分把握しており、余裕の無い状態で奔走している斉藤と椎原の激務と懐事情を察して頼る事を躊躇していた。

 

 そして夏までに増員する計画があるのも知っていた為何とか現状の戦力で踏み止まるしか無い、そう覚悟して何とか警備府を維持しようと苦心している最中であった。

 

 ペナン所属の頃は艦娘に対し周りの者から「シスコンニキ」と珍妙なあだ名で呼ばれる程サポートと支援を怠らなかった男が、艦娘達との日常会話すらままならない程の現状は如何にクルイが切迫した状況かを想像するに難くない状態であり、逆にそんな司令長官だからこそ麾下に居る艦娘達は身を粉にして支えようと必死で軍務を回していた。

 

 

「どちらにしても事前の見通しが甘く、現状のままではクルイが夏まで持たないのは確実と自分は判断します」

 

「いや吉野さん、それは……」

 

「何とかなると?」

 

「それは……」

 

「おいおい吉野君、あんまりウチの新人を苛めてくれるな、斉藤さんの言う通りこの件に関しては日下部だけじゃなく俺らの見通しの甘さが招いた結果なんだし」

 

「だねぇ、もしその辺り彼を責めるなら先ず僕に言ってくんなくちゃさ」

 

 

 モニターに映る斉藤と髭眼帯は暫し無表情での睨み合いを続ける。

 

 おさんどんの為控えていた親潮が固唾を呑んでその様を見守る程に硬質な空気が蔓延し、その両者の様子をペナンとクルイの長も黙って見守っている。

 

 

「クルイに対する人的増員、若しくは恒久的な支援艦隊の編成は」

 

「一時的な支援を出すのは可能だね、でもそれを定期的な物として艦隊運営に組み込む事は難しいかな」

 

「防衛ラインを下げて陸に補給施設を置く等の防衛線の位置変更計画で、哨戒艦隊の負担を軽くする事は出来ませんか?」

 

「その陸側施設を維持したり防衛する人員はどこから出すの? 第一インドネシアとの条約で30海里以上防衛線は下げられない事になっているからその案は採用出来ないね」

 

 

 現状日本とインドネシア連邦との間には海域維持に関して幾つかの条約が結ばれている。

 

 その中に含まれる防衛ラインは場所によって様々な数字が取り決められていたが、一番外側のラインに位置するクルイが担当する海域は一律陸から30海里が防衛線という形で定められており、そこから下がってしまっては船舶の往来はおろか、陸その物の安全が保障されないという状況になってしまう。

 

 そして資源大国と称されるインドネシアは原油だけでなく鉱物資源や天然ゴムを始め、食料関係に於いても日本という国を生かすには欠かせない物資を拠出している、その国との間で結ばれた条約は軍としては何事に於いても優先すべき物となっており、口にはしないが日本にとってインドネシア連邦を含む南洋の国々との関係は、ヨーロッパやアメリカ等の国よりも上と位置付けられている状態であった。

 

 

「では……」

 

「ねぇ吉野君」

 

「……何でしょう?」

 

「そろそろ回りくどい事辞めて本題に入ろうよ、君が日下部君に現状の把握を促す為におさらいをしてるってるのは判るけどさ、彼はそこまで細かく問答しなきゃ現状を理解しないなんて無能じゃないよ」

 

「なる程……本題、でしょうか」

 

「そそ、君がこっちにあきつ丸、そして青葉を送って色々調べてるのは僕の耳にも届いてるんだ、そんな状況で、ただどうにもならない話をする為にこんな場を君が設けるなんて無駄な事しないでしょ?」

 

 

 目を細めニヤリと口角を吊り上げモニターの中で笑う斉藤を見て吉野は初めて固い表情を崩す。

 

 そんな両者の様子に日下部は訳が判らず眉を顰め、椎原は苦笑を表に貼り付ける。

 

 

「本題に入る前にお聞きしたいのですが斉藤さん、あの辺りの海域に関して、維持的な部分に大本営の手が入るという事になったら問題になるでしょうか」

 

「正直面白くは無いねぇ、今まで最低限の支援しかせず人のシリばっかペシペシしてきたのに今更とは思うけど、その介入元が大本営じゃなくて大坂鎮守府ってんなら話は別さ」

 

「ウチは鎮守府という事になってますが、現在も所属は大本営のままなんですけど?」

 

「そんな世間に対して体裁を取り繕うみたいな事言ってもさ、実際君達はもう大本営の手から離れている状態に僕は見えるんだけど?」

 

「自分的には今も大本営麾下独立組織のつもりでおります」

 

「ふ~ん、まぁ君がそう認識している内はそうなのかも知れないね、それで? 君がウチのシマを切り崩して自分の管轄にしてまで新海域を攻める根拠を聞かせてくんないかな?」

 

 

 斉藤の言葉に日下部はおろか椎原までもギョッとした表情で吉野を見る。

 

 現在南海と呼ばれているエリアは嘗て元帥である坂田が獲り、大隅が切り開いた後斉藤が血道を上げて今に至った海であった。

 

 それは言葉で表現出来る程生易しい道では無く、大量の犠牲と時間を消費して漸く支配した海である。

 

 そんな海域の事に関して口が出せるのは大本営でも極一部の者であり、海域の総責任者である斉藤の階級が少将であるにも関わらず直接的な命令をする者は実際の処軍では皆無と言えた。

 

 

 その南海の主が口から発した言葉は、この髭の眼帯が縄張りに入り込み、あまつさえそれを獲って行くという言葉である。

 

 斉藤という男の本当の怖さと狡猾さを理解し、それと同時に吉野という男の得体の知れなさと今の持つ力を知っている周りの者、特に椎原は今の斉藤の言葉に縄張りを荒らされるという怒りよりも、この二人が敵対した時の恐ろしさに考えが至り冷や汗を額に浮かべる。

 

 

「いやいやいや斉藤さん、別に自分はそちらの縄張りに関わろうって気は毛頭無いですよ」

 

「いや吉野君さ、現状を打破しようとしたらクルイの防衛線に食い込んでいる隣の海域を攻略しないとどうにもなんないじゃない?」

 

「ですねぇ、今手元には資料を整理して統計を取った物があるんですが、クルイ艦隊が哨戒時に戦闘したポイントと敵艦の分布を纏めると、どうしても防衛ラインに隣の深海棲艦の縄張りが掛かっている部分があるのは疑い様の無い事実だと自分は判断します」

 

「うん、詳細は纏めて無いけど多分そんなこったろうと思ったよ、だから君としてはその隣接しているエリアを攻略して深海棲艦の勢いをどうにかしようと、そういう話なんでしょ?」

 

「ええまぁ、はい」

 

「でもウチにはその攻略に出す為の戦力は準備出来ない、そしてもし攻略してもそこを維持する……特に定期的に沸いちゃう海域のボスを定期清掃(・・・・)する艦隊なんて出す余力は無い」

 

「あーソウナンデスネー、それはコマッタナー」

 

「ソーナンダヨネー、手段はあるのに手が足りない、ほんとモー困っちゃうヨネー」

 

「って訳で現在ウチでは海域一つを落せる程には全力出撃が出来る人員がこの前整った訳なんですが」

 

「んでもさぁ、落とした所で維持がねぇ、大本営の定期清掃を頼むのもアレだしねぇ」

 

「ウチは緊急支援艦隊の当番を免除されてますから、一応その余力はありますよ?」

 

「アーソウナンダァ、うーんでもなぁ、椎原君とか日下部君とかの古参組なんかがさぁ、『ウチのシマになにしてくれとんじゃ』とかキレそうな話だよねぇそれ」

 

「それは困りマシタネー」

 

「いやいや斉藤さんに吉野君、俺とかダシにして茶番を繰り広げるのは辞めてくれ、一体この話は二人の間ではいつから詰めてたんだ?」

 

 

 妙に白々しい斉藤と髭眼帯の茶番に怪訝な表情で椎原が突っ込むが、指摘された二人は極真面目な相で今回の話は初めて口にしたと言い、周りを呆れさせた。

 

 吉野としては自分の艦隊を出して海域を攻略しても維持する余裕は今の南洋戦線側に無いのは判っていたが、それをしない事にはクルイの現状を根本的に解決する事は不可能という考えがあった、しかしもしそれを実行してしまえば斉藤等の縄張りを横から掻っ攫う形になり、敵対関係となるのではという考えがあった為にそれとなく話題を振って反応を待った。

 

 それに対して事前に足柄の要請とは別にあきつ丸と青葉が情報収集に当たっている事実を掴んでいた斉藤も、吉野がやろうとしている事に当たりを付け、この会談に至るまでに熟考し、答えを腹に抱えたまま今日に至っていた。

 

 どちらの将官も特に相手に接触した訳でも無いが諸問題に対する答えが同じであった為、会談の中で交わされる言葉から其々考えている事が同じ物だと確信するに至り、白々しい茶番という行為で周りに自分達の考えを周知させるに及んだ。

 

 

「特に打ち合わせなんかはしてないですよ、ねぇ斉藤さん」

 

「だねぇ、僕としても吉野君とそんなに親しい関係じゃないし、髭面のヤロー相手にネチネチと話すよりは飛龍とイチャコラしてた方が楽しいもん」

 

「じゃ……今のは」

 

「吉野君も僕もクルイの現状を改善するには隣接する海域の攻略しか無いという結論に及んでいるって事かな、でもそれをするとなると……」

 

「あの辺り一帯の海域担当を大坂へ移管しないと無理だと」

 

「どちらにしてもウチにはあそこ一帯を維持する余裕は無い、だからって大本営へそれを投げたら……今揉めに揉めて立場が危うくなってる鷹派がしゃしゃり出てくるのは間違いないだろうね」

 

「なる程……」

 

「この海域は僕だけじゃ無く、椎原君や日下部君が体を張って守ってきた縄張りだ、だから僕の一存でそれを決めるのはねぇ、だから君達の意見も聞きたいかなと」

 

 

 南洋戦線は戦闘回数が他の海域よりも激しい激戦区ではあるが、そこに関係する諸外国は日本の生命線を握る資源産出国であった為に関われば軍部での発言力が増すという大きなメリットも存在した。

 

 そして今は鷹派と言われる派閥は頭と言われている大将、三上源三(みかみ げんぞう)が拘束され派閥の影響力が弱体するのではと危惧されている状態にあった、そしてその混乱は上層部だけに留まらず前線にまで波及し、現状維持としての業務以外では大きな動きをする事が出来ない状況にある。

 

 そんな事情を背景に、今弱みを見せれば平時以上に危険という判断をした斉藤はクルイの現状を掴みつつも動けず、悩んでいた矢先の出来事が今回の案件であった。

 

 

「今回の件に関して、もし実行するとなると縄張りが手に入る云々という利がある以前に、吉野君に対しては他の将官より半ば越権行為を押し通したと取られる悪感情が付き纏う事になるだろう、それを押しての彼からの提案だ、だから僕はこの話に乗ろうと思っている、しかし……」

 

「ええ、もしあの海域が吉野君の管轄になると……クルイの司令長官である日下部は自動的に彼の麾下へとなりますね」

 

「だね、椎原君と日下部君は長い間コンビでやってきた、その部下を他の者へと強要出来る程僕は将官としての権限を奮う事は出来ない」

 

「いえ、俺は今回の話に付いて特に反対する気は無いですよ、むしろ吉野君が泥を被る形になるんだから頭を下げる立場だと思います、後は日下部……この件は結局クルイの未来とお前の身の振り方に関わってくる、拠点の司令長官として最後の決定はお前の判断でするべきだと俺は思う」

 

 

 場の全てはクルイ警備府の若き司令長官に集中する。

 

 話が思いの他大事に発展していると理解した日下部は、当事者でありながら途中から終始無言で場の様子を伺っていた。

 

 言葉にされる内容を頭に叩き込みながらも今の警備府の置かれている状況、そして今も海で戦っている部下に想いを巡らせ、自分の考えを静かに纏めつつあった。

 

 

「吉野さん」

 

「うん、何かな?」

 

「もし大坂鎮守府が海域を開放した場合、クルイ周辺の状況はどう変化するとお考えですか?」

 

「深海棲艦の支配する海域は海域の首魁が健在である場合脅威となる、組織化された艦隊行動が顕著となり、守りも攻めも効率的な物へと変化する、しかし逆にその存在が居ない場合活動が沈静化し、攻撃的な行動を取らなくなる、そして接触した時も組織的な行動を見せないというのが現在の軍としての認識だ」

 

「はい、それは俺も知っています」

 

「で、クルイは今インドネシアと日本が取り交わした条約で前線を下げられない状態にある為、どうしても哨戒する海域の一部は今回問題となっている敵支配海域に踏み込む事になるんだけど、そのエリアを獲った場合、敵の攻勢は今より格段に緩い物になる為に色々な面でクルイ警備府の負担は軽くなるだろうね」

 

「しかし新海域を開放するとなるとそちらの維持が問題にならないでしょうか? 結局はその為に人員の負担が増すのではと俺は思うんですが……」

 

「あ、それね、新規海域開放してもそっちに構わなくていいから、クルイは今までと同じエリアの防衛続けてたらいいんじゃないかな」

 

「は? という事は大坂鎮守府からの人員が開放した海域の管理をすると?」

 

「しないよ、新規海域を攻略する目的はクルイの防衛線内にある深海棲艦の動きを抑制させる物だし、隣のエリアを制した所でそこが別の国や主要エリアに繋がっている訳じゃ無いからほっとけばいい」

 

「そ……それじゃ、ウチの哨戒域にある小さなエリアを維持する為だけにあの広大な敵海域を落すのですか……」

 

「そこはほら逆転の発想さ、人員が増やせないなら敵を弱体化させればいい、一度海域を開放すれば後は三ヶ月に一度発生した海域の首魁を叩くだけの定期清掃を実施すればいいし、結果的にはコスト面でもそっちの方が戦闘が激化している今より安く付く」

 

「しかし支配海域を放置するとなると大本営からは問題視されるのでは……」

 

「んじゃその時は文句言ってきた相手に海域維持する分だけの投資と、人員をクルイにくれって言えばいいじゃない」

 

「そんな無茶な話……通るんでしょうか」

 

「普通なら通らない、しかしそれを言うのが大坂鎮守府司令長官(・・・・・・・・・)なら話は別だ」

 

 

 狼狽する日下部に苦い顔で椎原が答える。

 

 結局巨大な組織で道理が通るか通らないかは常識や良識という類の物でなく、最後は力関係という歪な構造に辿り着く。

 

 それは誰しも胸を張って言える立派な物では無かったが、綺麗事で全てが回らない以上、その力を持つか持たないかが自分に降り掛かる理不尽を払い除ける唯一の手段という事は軍人であるなら誰もが理解している事であった。

 

 

「今ウチの部下が君の部下を助けようと必死で奔走していてね、君が自分の部下を思う様に自分も部下が可愛いんだよ、だから今回は誰の為でも無く、ウチの事情として勝手に介入させて貰おうと思った訳なんだけど、後は……君の選択次第になるかな」

 

 

 今の上官である椎原の言葉と、髭眼帯の言葉に日下部は暫く目を閉じて考える。

 

 現状を打開する為に奔走し、それでも徐々に壊れていく拠点。

 

 そして沈んでいった者達の顔が思い浮かび、それでも何も言わず黙って付いて来てくれている部下達に想いを馳せ。

 

 

 自分が積み上げてきた物と意地、そして折れずに留まっている今の自分の心の内に存在する、根底にある物は何なのかという理由に思い至った。

 

 

「吉野さん……いや、吉野中将」

 

「ん、考えは纏まったかな?」

 

「自分の部下を……宜しくお願い致します」

 

 

 国の為、世界の為と口にしても、結局はそんな見る事も背負う事も出来ない巨大な物より、自分は自分の目に映る、そして手の届く範囲に存在する者達の為に戦ってきたんだと、大義名分を隠れ蓑に見えない振りをしてきた物に向かい合い、そこから出た言葉を歳若い中佐は髭眼帯へ吐露し頭を下げた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「しかし本当にいいのかい? 今君のとこはやっと自分の足場を固めて安定したばかりなんだろう? またこんな厄介事を背負い込む事になったら面倒なんじゃないの?」

 

「それは今更ですよ斉藤さん、厄介事は全て外から持ち込まれた物ですけど、それを背負うと決めたのは他の誰でもない自分ですから」

 

「相変わらず達観したと言うか刹那的な考えをしてるね、僕には君みたいにメリットよりもリスクが大きい物に手を出そうなんて判断は出来ないよ」

 

「斉藤さんと自分にはメリットデメリットと感じる部分に違いがあるんじゃないですか? 自分は今回の件に付いてはデメリットよりメリットの方が大きいと思ってますよ」

 

 

 南海の司令長官三人と髭眼帯が会談し、それなりの話が纏まり一端解散となった後。

 

 椎原と日下部が通話を切った今は斉藤と吉野が対話をしていた。

 

 

 吉野が見る斉藤の横には先程まで姿が見えなかった飛龍の姿が映り込んでおり、其々は軽食を摘みつつの緩い雰囲気での話し合い。

 

 一応軍務に付いての意見交換の場とはなっていたが、それは個人的な物を多分に含んだ物となっていた。

 

 

「メリットねぇ……今回君の行動は艦隊本部だけじゃなくて、ヘタしたら大隅さんなんかにも睨まれる事になるかも知れないんだけど、その辺りに気付いてない訳じゃないでしょ? それとトレードオフしても得られるメリットって何なのか僕は興味があるなぁ」

 

「ん~ 今回の発端になった件はウチの新設の課から始まった騒動なんですよね」

 

「ああ、確か呉から移管された業務だって言ってたね、それが?」

 

「担当の者が出来る艦娘さんでして、恐らく彼女が頑張れば今の体制下で色々と起こってる諸問題は幾つか改善されて、前線に蔓延るリスクとか少なくなったり、小規模拠点なんかは特に恩恵を受けるでしょうから余裕が生まれると思うんですよね」

 

「そりゃまた偉く壮大な話になってきたね、んでそうなると君にどんなメリットがあるんだい?」

 

「足場が固まるという事になって余裕が生まれるなら、考えは自然と外に向くじゃないですか?」

 

「ああ確かにそうかもね」

 

「んでそんな時にほら、ウチから色々と営業もとい案内なんかして教導なんかやって戦力の底上げとかしませんかーとか言うとですね」

 

「何それいきなり雑な話になってきたね、要するに君は教導任務を周知させる環境にする為職場環境保全課を引き受けたと?」

 

「少なくともそっちの仕事(艦娘お助け課)が上手くいった場合は声掛け易いですしね」

 

「……なる程、そうして徐々に自分の影響力を大きくしていく、いや、敵を減らしていこうと? まったく地道な活動を考えているね」

 

「どんな事でもやっておいて損は無いです、まぁ期待はしてないですが備えってのはそんなモンでしょ?」

 

「確かに……」

 

 

 苦笑するリンガの司令長官はサンドイッチを齧りつつ、髭眼帯の言った話を頭の中で咀嚼していった。

 

 恐らく言った言葉に嘘は無い、但しそれに対する比重は大きく違い、言葉に含まれていない別の目的も当然存在すると判断した。

 

 

 色々な問題と言うのは直面する者にとって、外部から見る者より遥かに負担となっている場合が多い。

 

 それは関わってから初めて認識する物であり、心と言う目に見えない物に対しては事の外大きな影響を及ぼす事になる。

 

 

 そして職場環境保全課という看板と、将官という権限があれは諸拠点へ介入する大義名分が生まれ、そして内情を知る手段ともなる。

 

 公務を前面に押し出す艦隊本部とは違い、艦娘のプライベートと言う部分の依頼が多い艦娘お助け課という存在は関係する案件の性質上、私的な部分に対して深く関わる事になる、それは艦娘に対してだけじゃなく、拠点の司令長官に対しても少なくない影響を齎す事になる。

 

 

 揉め事を抱えていない拠点等は恐らく存在しない、そしてその潜在的爆弾を抱えているのは鷹派や慎重派という括りに関係なく無数に存在する。

 

 言い換えれば派閥に縛られず他拠点へ公務として介入し、恩という貸しを前提とした繋がりを持つ、それは軍務では無く個人的部分に近い物となれば表からは見え難く、更により効果的な物となる。

 

 そんな効果は眉唾物と笑われそうだが、現にその仕事は先程日下部という男の心を簡単に変化させた。

 

 仕事に対して実直で、恐らく椎原に対しては絶対的な信頼と絆を持っていた筈の男があっさりと提案を受けた様を見て、口添えした立場とは言え斉藤は今回の件を受け、吉野三郎という男に対しての警戒度を一段上げる事にした。

 

 

「意識してないのにいつの間にか僕も彼とそれなりの繋がりを持っちゃったからね……」

 

 

 

 こうして艦娘お助け課が奔走する横では髭眼帯が別なアプローチで案件に介入し、たった二人の艦娘の相談が未開放の海域攻略と言う盛大な手段を以って解決しようという馬鹿げた物へと発展する事になっていったのであった。

 

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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