大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 前回までのあらすじ

 へんたいさがティーを片手に語る不明艦娘の過去、そこに潜む狂気と行いは何を生んだのか、それが今大坂鎮守府にどう関っていくのか。
 始まった戦いは其々に深まり、そしてゆっくりとだが一つへと収束していく。


 それでは何かご意見ご質問があればお気軽にどうぞ。



2017/10/23
 誤字脱字修正反映致しました。
 ご指摘頂きましたリア10爆発46様、有難う御座います、大変助かりました。


陽炎の銘は

 ヘッドセットから聞こえるアラームが体を前のめりにさせていく。

 

 今までにも何度か聞いた事のあるその音は、自身の帰る家であり、守れと命令された、生きる理由となっている船から送られて来る信号であった。

 

 彼女は何も望んではいなかった。

 

 只、只、受けた命令を遂行する。

 

 それしか出来ない、それしか知らない。

 

 言ってみればそれが今の己にとっての全てであり、何よりも優先される事だった。

 

 

 だから急いだ、命令を遂行する為に、だから(はし)った、受けた命令を遂行する為に。

 

 

 命一杯回る主機に鞭打って、36ノットも出せば限界の筈であるそれは40ノット近くもの速度を絞り出し。

 

 そんな無茶を続ける艤装からは悲鳴にも似た音が聞こえてくる。

 

 リミッターという安全機構を備えない艤装に対しては、艦娘自身が無意識にリミッターの役割を果す様本能に刷り込まれている為に、意図的にでも限界を超えた性能を引き出す事は難しいというのが通説であった。

 

 しかしこの雪風は元々心に問題を抱えていた艦娘であり、繰り返し無茶な実験に投入され続けた結果、その辺りの本能に刷り込まれている部分が欠落している状態にあった。

 

 2号砲を撃つという行為もその延長線上にある無茶であり、それを補助する妖精達も彼女に付き従うかの様に無茶を実現させていた。

 

 しかし肝心の肉体はそれらを成す為の特別を何一つ備えてはいなかった。

 

 

 限界を超えた艤装はいつか壊れるだろう、無理に装備した砲は自壊を誘発するに違いない。

 

 

 しかし彼女はそれが危険だと認識していない為に、そして苦痛を精神的に切り離す術を常としていた為に。

 

 何一つ特別では無い筈なのに、その雪風は他の艦娘から見れば特別として映り、恐れられる存在になっていた。

 

 

「ねぇごーや、そっち確認できてる?」

 

『判ってるでちよ、これって深海棲艦のじゃなくて艦娘の物でちね、ちょっと煩い感じだけど……駆逐艦か軽巡のスクリュー音でが近付いてくるでち』

 

「さっすが元大本営潜水艦隊旗艦、こっちからじゃまだ豆粒程しか見えてないから、近付いて来るのが艦娘って事しか判んないわ、で? この状態でこっちに近付いて来るヤツってさぁ」

 

『……ウチの連中よりも、この船の主って可能性が高いでちね』

 

 

 特殊母艦の程近く、ウェルドロン湾内の真ん中辺りで陽炎は目を細めて南を凝視していた。

 

 人よりも遙かに遠くを見渡せる目を以ってしても未だ艦種不明という程度であったが、こちらに近づく何者かをギリギリ捕らえ事はできた。

 

 目を細めて遠くを見る陽炎から僅かばかり先、同湾を少し出た水中では哨戒の網を広げていた伊58は水中を伝わってくるスクリュー音に耳を傾け、そこから読み取れる情報に集中しつつも迎撃の為の態勢に移行している最中であった。

 

 

『イク、もうちょっと前進、湾の入り口で挟み撃ちにするでち』

 

『判ったのね、でもそこ抜けられたらもう追撃は出来ないから危険なの、大丈夫?』

 

『だから確実に相手を仕留める為に陽炎には頑張って貰うでち、いいでちか陽炎?』

 

「ん、了解よ、要するに私は相手の気を引きつつ、湾の入り口に誘い込めばいいのよね?」

 

『でち、あ、それとこっちの射線に入ったら命の保障はないでちよ』

 

「おー怖っ、そんじゃ精々お邪魔にならない程度にお相手させて貰おうかしら」

 

 

 今や大坂鎮守府の駆逐艦では標準装備となりつつあった10cm高角砲+高射装置へ砲弾を装填し、湾の入り口よりやや内側でストレッチ宜しく屈伸をする陽炎。

 

 進んでくる視界にある艦はそれなりの速度で航行してるのだろう、今や陽炎の目で見ても何者かが判別が付く距離にまでにそれは接近してきた。

 

 

 やや(まだら)に赤黒くなった着衣、それが違和感として映る程に見慣れた艤装と姿。

 

 首からは彼女の代名詞とも言える双眼鏡がぶら下がり、片手には駆逐艦が備えるにしては大き過ぎる砲を装備して。

 

 

「……雪風」

 

 

 それは姉妹艦に当たる為に知ってはいた、実の姉妹には居なかったが、それは間違いなく己の系譜の先に居る、同胞だという事は本能が告げていた。

 

 何故なら彼女は陽炎型駆逐艦の長女、ネームシップであるなら、例えそれが歪な存在となっていても妹に当たる艦だという事は嫌でも理解出来る。

 

 この作戦に従事する時点で目的とする対象が己の姉妹艦だという事は聞いていたので今更驚きはしない。

 

 しかし事前に聞いていた『艦娘とは違う何か』という情報とは少し違う、見た目だけなら艦娘のままを晒すそれに複雑な思いを感じつつも、ここから先へは通せないという使命感と意地でそれら全てを無理矢理飲み込んで、砲を構える。

 

 

「ごーや、攻撃はこっちのタイミングで始めちゃっていいのよね?」

 

『そっちのやり易い様にして貰っていいでちよ、どの道湾の入り口を通過しなければこっちへは来れないでち、ごーや達はそこに集中するでち』

 

 

 いつもより緊張している為か、乾いた唇を無意識にペロリと舐めつつ砲の狙いを付けた時、未だ射程外である筈のそれからは砲撃による物と思われる光が瞬いた。

 

 

「えっ?」

 

 

 10cm高角砲+高射装置ですらまだ届かない距離からの砲撃、相手からの攻撃が来るのはまだ暫く後だと思っていた陽炎の耳に、空気を切り裂き間延びする様な音が徐々に大きくなるのが聞こえてくる。

 

 それが何かという理解が思考へ結び付く前に体が勝手に反応し、後ろへ飛びずさる様に後退した直後、ほんの僅かの差で水柱が陽炎の前に吹き上がった。

 

 

「え!? 何で!? まだ射程距離に入ってない筈なのに!?」

 

 

 陽炎が装備する砲は駆逐艦が装備可能な中でも最も威力が高く、射程もある10cm高角砲+高射装置、しかし雪風が構えるのは20.3cm(2号)砲、その砲は威力は元より、射程距離も陽炎が装備する物よりも大きく上回っているのは当然であった。

 

 

「ちっ、なにアレ妙に違和感あると思ったら2号砲!? 何てモン装備してんのよっ! 反則じゃないっ!」

 

 

 飛んでくる砲撃を躱しつつ悪態を付いてる間に彼我の距離は10cm高角砲+高射装置が届くまでの位置へと縮まっており、予想外の事に意表を突かれた状態の為、正確な狙いが付けられないのを承知で陽炎は応射を開始する。

 

 無理な装備を使用する為に正確な射撃が出来ない雪風、そして体勢を立て直す前に砲撃戦へ入ってしまった為に、狙いが甘くなっている陽炎。

 

 両者の間では中・小口径砲特有の間断無い砲撃が繰り返され、派手な水柱がそこかしこに発生する事になった。

 

 中でも無理な速度で航行している為だろうか、雪風の砲撃は特に弾着位置が広範囲に広がる形になっており、陽炎からしてみればそれが余計に予測が難しいという問題を引き起こし、相手へ狙いを定める為の集中力を欠いていく。

 

 

『とんでもない速度で突っ込んでくるでちね、砲撃の精度も滅茶苦茶でち……でも、動きは直線的過ぎるでち、イク、湾の入り口一杯に散布界が広がる様に雷撃するでち! カウント10で斉射……9、8、7……』

 

 

 伊58達が雷撃を開始するタイミングを見計らって僅かに下がる陽炎は、湾の入り口に差し掛かる雪風に視線を集中する。

 

 それまで砲を抱える様に構え、前傾姿勢で砲撃を繰り返しつつ進んでいた彼女はそのまま湾に入るかと思われたが、何故かその直前で急停車するかの如く一旦動きを止め、更には両足に固定してあった魚雷発射管をその場でパージする。

 

 刹那、雪風の少し前方では派手な爆発による瀑布が吹き上がり、それが幾つか連鎖する形で湾の入り口に発生する。

 

 その勢いに陽炎は顔を庇いつつも凝視すれば、あろう事かその水柱の中を再び猛然と進んでくる雪風の姿が見えた。

 

 

『しくじったでち!? あいつ自分の動きに合わせて魚雷を射出してたでち!』

 

『進行方向に弾着がバラけてたから雷跡も音も感知できなかったのね!?』

 

 

 予め待ち伏せを感知していたのか、それとも勘でそれを成したのか。

 

 雪風は自身が通過するコース上どうしても通過しなくてはならない、一番コースが狭まる位置へわざと砲弾をばら撒き、同時に己の全速力で通過するだろうタイミングに到達する様に魚雷を射出していた。

 

 不味い位置に砲撃が集中した為、予測に頼るしかないごーやとイクが繰り出した魚雷に雪風の魚雷が接触し、彼女が通るコースが綺麗に開いてしまう事となり、潜水艦二隻に駆逐艦一隻の待ち伏せを鮮やかに躱した彼女は湾内へ進入する事に成功した。

 

 

「くっ……やってくれるじゃないっ」

 

 

 直近まで来てしまった雪風に対し、最早砲撃する距離じゃないと判断した陽炎は手持ちの砲を投げ捨てて、展開していた武装も艤装へ格納しながら格闘戦の為に前へ踏み出した。

 

 対して雪風も砲が邪魔になると感じたのであろう、潔くそれを手放し低い体勢で陽炎へと突っ込んでいく。

 

 

「長女を舐めんなこのおっ!」

 

 

 低い体勢に合わせて膝を蹴り出す陽炎に対し、主機を傾ける事で瞬間的に勢いを殺し、それを抱える雪風。

 

 次の瞬間受けた膝を抱えたまま、やや派手目なプロレス技の如く体を捻って雪風が飛べば、瞬時に陽炎もそれを振り解くのは無理と判断したのか自ら飛んで同じ方向に体を捻り、同時にもう片方の足を絡める様に首筋へ落す。

 

 絡み合う様に双方が水面へ倒れ込み、一瞬だけその場に転がったままになっていたが、互いはすぐに飛びずさると徒手空拳の間合いで対峙する。

 

 

「くっ……ほんととんでも無いわねあんた」

 

 

 雪風は相変わらず無言ながらも額から血を流して低く構え、対する陽炎は潰された右目に(・・・・・・・)手を当てて顔を歪める。

 

 一瞬の攻防は雪風に脳震盪を(もたら)し、陽炎には視界の半分を奪う形で再び仕切り直すという場を残した。

 

 首を振って感覚を取り戻そうとした雪風を見て今相手がどんな状態か悟った陽炎は、一瞬で間合いを詰め足払い気味に蹴りを放つと、殆ど間を置かず肘を首へ叩き込む。

 

 狙い済ました一撃は予想に反した硬質的な感触を陽炎に返し、相手がそれをガードしたのだという事を瞬時に理解させる。

 

 反撃が来るだろうという予想が反射的に身を引かせるが、それを追って雪風が飛び込んで来る。

 

 首を左手でガードした形のまま、懐深く身を沈め、腰の捻りを利用し繰り出した右手掌底は、わき腹の柔らかい場所に突き刺さる。

 

 

「ぐぅっ!」

 

 

 振り抜く為の体勢が整わない無理な一撃は致命打には至らなかったが、それでもボキボキと鈍い音と共に、陽炎のあばら骨を数本へし折り動きを殺す事になった。

 

 瞬間的に受けたダメージは反撃が出来ない状態にされてしまったが、それでも陽炎は無意識に雪風を引き寄せる事で打撃の為の間合いを潰し、結果的に二人は額をぶつける形の、互いを見る形で固まった。

 

 

 ほんの少し背が高い陽炎が隻眼で睨む様に頭を寄せ、そして顔は苦痛に歪むが歯を食い縛って。

 

 しかし次の瞬間、陽炎の表情は驚きの物へと変化する──────

 

 

「……あんた」

 

 

──────直近で見る雪風という艦娘は、表情に色こそ無かったが、右目からは陽炎と同じく血を流し、そして左眼からは涙を流していた。

 

 

「なん……で、泣いてん……のよ」

 

 

 感情の篭らない表情であるが為に、余計に目立つそれに集中力を欠いた陽炎の視界は天と地が逆さまになり、次の瞬間暗転してしまった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 特殊船の指揮所では髭眼帯がケーブルで義眼とノートパソコン接続した状態で待機した状態にあり、咥えた煙草から暢気に紫煙をスパーと肺へ流し込んでいた。

 

 生身の右目には景色が映ると景色に混じって、左眼から送られて来る情報が網膜へ薄く浮ぶ。

 

 その視界の中央には、ゆっくりとゲージが進んでいく様が見えていた。

 

 

「システム掌握率67%……あと5分程でメインサーバーは落せそうだねぇ」

 

『流石夕張さん謹製のプログラムですね、こんな小型端末で船のメインサーバーを落せるなんて』

 

「ねー、何でこんな技術あんのに普段はおかしな物しか作らないのか、提督それが不思議でなりません」

 

『あははっ、まぁその辺り提督の人柄が大きく関係してるんじゃないかなって思うんですけども?』

 

「ちょっとぉ、それだとまるで提督が彼女の我儘を助長させてるみたいな言い方じゃない」

 

『え、違うんですか? 普段から提督は夕張さんに甘い気がするんですけど?』

 

「いやそんなつもりは一切無いんだけどねぇ……ってか古鷹君、気付いた?」

 

『……はい、音は聞こえなかったんですが、僅かに振動が……』

 

「あーやっぱ気のせいじゃないんだ、って事は外でドンパチやってるって感じなのかな」

 

『感じたのはほんの少しでしたが、恐らくは』

 

 

 軽い口調で会話を交わしつつも吉野は上着の前を開け放ち、ショルダーホルスターから銃を引き抜いてロックを解除する。

 

 それはいつも携帯している物では無く、ハンドガンとしては巨大で長く、特徴的な形をしていた。

 

 

 トンプソン・センター・アームズ社が製造するシングルアクションハンドガン、『コンテンダー』

 

 通常の銃とは違い中折れ式のその銃は装弾数が僅か一発という代物であり、バレルや機構をカスタムする事で22口径の小口径弾から、大型リボルバー弾までをも撃つ事を可能とする特殊拳銃であった。

 

 

 数々の銃器を収拾する吉野のコレクション中でも際立った変り種のその銃は、特殊加工されたバレルを備え、込める弾薬は600 Nitro Expressという物であった。

 

 それは通常のハンドガンの為に用意された実包では無く、象や熊、果ては鯨等をターゲットにした狩猟に使用されるマグナム弾、所謂『象撃ち銃』に込められる弾として知られている。

 

 今回の作戦に出る前から特務課を立ち上げた吉野にとって、己の身を守る為の銃器を携帯するというのは今までと変らないが、目的が暴徒の無力化では無く、人外をも含む存在に対する事も想定しなければいけなくなった。

 

 また最悪軍部が関わる厄介事も想定した結果、公式の場に出る将官が大っぴらにライフルを持ち歩く訳にはいかず、しかし普通の拳銃では対応出来ない可能性も考慮した結果、拳銃でありながらライフル並みの威力を持つ銃と、通常の拳銃という二つを携帯するという苦肉の策を吉野は選択する事になった。

 

 そして今その銃に込められた600 Nitro Expressの弾頭には陸奥鉄で拵えた物が装備され、極近距離であるなら、艦娘にでさえ手傷を負わせる威力を秘めていた。

 

 非現実的な作りの銃は実に60口径という大きさを誇り、象ですら一撃で即死させるという、そんな殺傷力はデザートイーグルですら軽く凌駕する、市販品としてはほぼ限界値の威力を叩き出す代物であった。

 

 

「こんなのまともに当てる自信無いんだけど……最悪接射するしかないかぁ、んー……肩抜けるだけで済むかなぁ」

 

 

 コレクションとして購入した銃にまさか実包を込める日が来るとはと苦い顔をしつつ上着を脱いで、髭眼帯は大きな溜息を吐いた。

 

 季節は既に晩秋であったがそれは日本での話、赤道に程近いミッドウェーに於いて対爆スーツを着込むと言うのは耐え難い暑さを伴い、また急いで出撃してきた為二種軍装の上にそれを着込んできた吉野は汗だくになっていた。

 

 そういう訳で薄暗く、誰も居ない船の艦橋にて二種軍装のだらけた男が片目からコードを垂らし、キワモノ拳銃片手に咥え煙草というワケワカメがそこに完成してしまった。

 

 

『……れ……い、き……えてる?』

 

「……ん? 誰? 何か言った?」

 

『司令……にげ……て』

 

「えっと陽炎君? どしたの?」

 

『ごめん司令……例の艦娘取り逃がしちゃった、今……そっちに向ってるけど間に合うか……判んない、だから逃げ……て』

 

 

 息も絶え絶えの陽炎の言葉に只ならぬ空気を感じ、吉野は表情を固くした。

 

 今陽炎が言った事から現状を整理するなら、先ほど感じた振動はやはり交戦による物だったのは間違いない。

 

 そして対象は護衛である陽炎を振り切り、彼女が船に横付けしてある松風(水上バイク)から有線で連絡してきているというこのタイミングは、既にその艦娘が船内へ入って来ている事を示す。

 

 対して今吉野が見るデータハックのバーは85%の位置まで伸びており、時間にしてまだ数分の間吉野は端末に接続状態を保つ必要があった。

 

 何故ならサーバーの掌握作業は古鷹側で行ってはいたものの、その作業は艦橋側で保安プログラムをロックし続ける必要があり、必然的に作業が終了するまでそこから吉野は動けないという状態にあった。

 

 

『提督、今の陽炎ちゃんの通信……』

 

「ああ、古鷹君も聞こえたね? 例の艦娘さんがどうやらこっちの彼女達を振り切って船内に浸入したらしい、君か自分のどっち側に来るかは判らないけど、もしそっちに現れたら取り敢えず退避を優先に、いいね?」

 

『こっちはそれでも何とかなりますけど、もし提督の方に行ったら危険過ぎます、今すぐ作業を中断して……』

 

 

 焦る古鷹の言葉が終わるか否かのタイミングでブツッという雑音が入り、それ以降インカムからは何も音が聞こえなくなる。

 

 何事かと身構え、イヤーマフに手を添えた吉野の耳には、誰かの声のに代わり金属が軋む様な音が聞こえてくる。

 

 

 その音に視線を向ければ、薄暗く足元しか見えない状態にある誰かの姿があり、それがゆっくりと近付いて来る様が吉野には確認できた。

 

 

 時津風や天津風に良く似た形の脚部主機、首からは垂れ下がった双眼鏡がゆらゆらと揺れ、極めて裾が短い着衣は赤黒く染まったそれは、事前に母艦で見た、仁科が『雪風型』と呼んでいた者であった。

 

 それを理解した瞬間銃を構えようとした吉野はしかし、次の瞬間首と右手を押さえられた形で馬乗りにされる。

 

 入り口から吉野の位置までは凡そ10m程、身体能力では比べる事すら出来ない差があっても、動体視力はそれなりと自負していた吉野でさえ追い切れない速さで間合いを詰めた雪風は、恐怖を感じさせる暇も与えずに獲物の命を手中に収めた。

 

 

 一瞬で決してしまったそれは、対決と言うにはおこがましい程に、一方的な対峙であった。

 

 

 吉野が見る者の目は、本気の榛名とはまた違った色の光がない物で、しかし不自然な程に澄んだ物に見えた。

 

 それは吸い込まれそうに何も無い、言葉にすれば虚無とも言えそうな相貌には何も映ってはいなかった。

 

 そんなガラス玉の様な瞳の筈なのに、何故かその艦娘は涙と血を両の目から流していた。

 

 

 何故?

 

 

 それを見る吉野の心は恐怖よりも先に疑問へと傾くが、それは一瞬の事、次の瞬間首に掛かっていた手に力が篭り、握り潰す様に動く。

 

 

「待ちなさいよっ!」

 

 

 艦橋に響く声に反応し、吉野を抑えていた手が固まる。

 

 それと同時に吉野の網膜へ浮んでいたゲージが消失し、『Complete』の文字が明滅する。

 

 

「まだ……こっちとの決着は付いてないでしょ……何スルーしてくれてんのよ雪風ぇ……」

 

 

 そこにはごーやに肩を借りて辛うじて立つ陽炎が険しい表情で睨む姿があった。

 

 それを見る雪風はしかし、先程まで感じていた威圧感は霧散し、ただ吉野に跨ったまま呆然としていた。

 

 

「ああ……そうか、やっぱり入力されていた命令は一つだけだったんだ……」

 

 

 そんな様子を見る吉野は、出撃前に仁科から別働隊へ伝えられた話を思い出す。

 

 

──────今吉野達が無力化する為に追っている対象は艦娘の形をした抜け殻である。

 

──────度重なる理不尽は既に雪風という存在をこの世から消し去って、誰かの命令に縛られたままの犠牲者に成り果てた。

 

──────彼女にはもう死を以ってしか救う道が残されてはいない。

 

──────もし彼女を無力化する機会が訪れたなら、選択肢は一つしか無い。

 

 

 母艦のメインサーバーがダウンしたという事は、即ちこの雪風が守るべき対象は消滅した事になり、彼女が受けていた命令はその時点で無効化したと同義であった。

 

 数々の理不尽に振り回され、こんな敵地の真ん中で彷徨い、過去の亡霊に縛り付けられてきた少女。

 

 そんな艦娘に吉野は義眼からケーブルを引き抜くと、自由になった右手の銃を雪風へと向ける。

 

 

「司令……まだ死んでないでしょうね……」

 

 

 陽炎の言葉に安堵の息を漏らすが、その言葉に反応したのは吉野だけでは無かった。

 

 ゆっくりと、放心状態だった少女の視線が吉野の方へ向いていく。

 

 

 その瞳には相変わらず光は灯っていないままだったが、しかし己に向けられた銃口を通しつつも雪風の視線は吉野へと向いていた。

 

 

「……しれぇ?」

 

 

 命令という絶対的な支配が内から消失し、陽炎の『司令』という言葉を耳にして。

 

 昔自分に全てを与え、最後は動かなくなった、白い服を着た者を目の前の男に重ね合わせ。

 

 今はもう殆ど思い出せないが、目の前の者が着る物と同じ服を着ていた、そして土に埋めたあの者を思い出し。

 

 僅かに残る思い出と今が不規則に重なり、何故か自然と口を付いて出た言葉。

 

 

 吉野に跨った雪風は、何故か涙を流しながら笑い、そして向けられた銃口を握って自らの額に当てた。

 

 

「──────っつ!?」

 

「司令……もしその子が命令から開放されたんなら撃って、助けてあげて……聞いてたんでしょ、あの変態の話を」

 

 

 息を呑み固まった吉野と雪風の様は、陽炎の位置からはただ放心した雪風が跨った状態で放心している風にしか見えなかった。

 

 

「中身が空っぽになったとしても……妹なのよ、例え抜け殻って言われても……殺してやるのが救いになるなら、楽に……」

 

「違う」

 

「……え?」

 

「空っぽじゃない」

 

 

 引き金に掛けた指を外し、今も銃口を額に当てた雪風を睨んで吉野は言葉を搾り出す。

 

 

「今この子は自分の事を司令と呼んだ」

 

「……だから、どうしたのよ」

 

「自ら銃口を額に当てて、笑ったんだ……」

 

「それが、どうしたってのよ」

 

「空っぽじゃない、生きてるんだ」

 

「生きてる? そんな状態で? またそんな事言って誰も彼も関係なく助けようとするの? 冗談じゃないわよ……そんなの司令の都合から出た我儘じゃない! また黒潮みたいにその子へ偽善を押し付けるの? 冗談じゃないわ……ねぇ撃って、撃ちなさいよっ! もう楽にしてあげてよっ!」

 

 

 叫ぶ陽炎は勢い余りつんのめって前へ倒れる。

 

 それを助ける為に寄り添ったごーやは無言のまま、何も言えずにこの場の成り行きを静観していた。

 

 既に陽炎には黒潮という心に傷を負った妹が居た。

 

 駆逐艦の中にあって最も姉妹が多いとされる陽炎型の長女は、他の者達と同じくかそれ以上に姉妹の事に心を砕く艦娘であった。

 

 

 黒潮も雪風も、時間を掛ければ状態は快方に向うかも知れない、しかしそれは元には戻らない、見えない傷という心に負った物は、生きていく間は胸の奥底に刺さったまま、本人は延々とそれに向き合う事になる。

 

 そして艦娘とは寿命が無い存在の為に、戦場を離れれば永遠にその苦しみを抱える事になってしまう。

 

 黒潮はまだ戦場へ帰る可能性があると聞いていた、だからまだ我慢が出来た。

 

 しかし雪風の状態はどう贔屓目に見ても、命令という枷で縛らない限りは自発的な行動は無理だと陽炎は判断した。

 

 

「司令がやらないなら私がやるわっ! 何で皆こんなになるまで苛め抜いてっ……ねぇ、どうしてよ司令……」

 

「……陽炎君」

 

「……うっさい……黙れ」

 

「生きるか死ぬか、その選択肢は本人が決めるべきだ」

 

「っつ……今の雪風にそんなちゃんとした選択が、出来る訳……無いじゃない」

 

 

 今も銃口を額に当てた少女を見つつ、髭眼帯は視線を前に向けたまま、雪風に対し返ってくるかも判らない問いを口にする。

 

 

「君が望むのは安らかな死か、それともこの先も続く地獄か」

 

 

 問い掛けるもそこにはやはり無言しかない。

 

 やはり陽炎が言う様に、そして仁科が言った様に、この子にはもうコレしか(・・・・)救いは無いのかと、溜息と共に吉野は再び指を引き金に掛ける。

 

 

「てーとく、その子をここで殺さないと、ウチは色々マズい事になるんじゃないでちか?」

 

「……ああ、この子は軍が消し去りたい出来事の生き証人だからね、確かにここで消えて貰わないとマズい事になるかも知れないね」

 

「なら、どうするんでちか?」

 

「君達に生きる自由は与えられてない、ならせめて、いつ、どこで死ぬかという選択くらいはさせてやるべきだと自分は思ってる、でもさ、でっち……もし、この子が生きる事を選択するのならさ……」

 

 

 未だ反応が返ってこない雪風を見つつ、引き金に掛かった震える指に、再び力を込める。

 

 

「もし、この子が生きる選択をしたのに、それでも保身の為に切り捨ててしまったら、多分自分はもう……先へは進めない」

 

 

 吉野の言葉にごーやは再び口を(つぐ)み、陽炎もまた何も言えないまま地に伏し動けない。

 

 そんな中、今まで銃身を握っていた雪風が首から静かに手を離し、そのまま吉野の襟首を掴んで前へ倒れ込んだ。

 

 それは無言のまま、しかし襟に沿える様に掴んだ手は震えたまま。

 

 

「自分の手の届く範囲でベストならそれでいい……そんな逃げ口上で誤魔化せる場所は、もうとっくに過ぎちゃったんだよ」

 

「しれぇは……ゆきかぜをコロしては、くれないのでしょうか?」

 

「……え? 雪風?」

 

 

 不意に漏れ出したか細い言葉に陽炎とごーやは固まり、髭眼帯だけが目を閉じて溜息を吐いた。

 

 

「あー……やっぱり、命令が解除されるとある程度の思考は、戻ってくるのかぁ」

 

「もういたいのは……いやです」

 

「あー、そっかぁ、痛いのは嫌かぁ」

 

「くるしいのも、いやです」

 

「うん、確かにそれは、嫌だねぇ」

 

「ちょっ……ちょっと司令、どういう事なの……これ」

 

 

 艦内に侵入してからずっと吉野が感じていた違和感。

 

 人が死んだ痕跡は残っていたのに、亡骸だけが無いという船の中。

 

 そしてこの艦で生き残った者はたった一人だけという状況。

 

 

 仁科が言う『命令を遂行するだけの抜け殻』なら、それをこなすだけの人形ならば、死んだ者達を埋葬するという感傷的な行動なんかは取らないだろう。

 

 それはつまり、受けた命令を第一として行動しつつも、それ以外の部分はある程度の自立した思考を元に雪風は行動していたという事では無いか。

 

 吉野が感じた違和感から導き出した答えがそれであって、それを確かめる為のたどたどしい会話を通じての答え合わせが今、静かに始まる処であった。

 

 生きるの死ぬのという本当の意味を雪風が理解しているかは判らない、しかし痛いのも苦しいのも嫌だとこの少女が言う。

 

 

「……生まれてからずっと、与えられた命令にYESという選択肢以外無かった彼女には、母艦を守れという命令は自分の命よりも重い物だったんだろうねぇ」

 

 

 吉野の呟きを聞きつつ、這う様に近付き、雪風の隣にペタンと座る陽炎。

 

 

「で、その命令が無くなってしまった彼女の中には、今なーんも、残って無いんじゃないかな?」

 

 

 恐る恐る手を置いた雪風の背中、それからは僅かに震えが伝わってきた。

 

 

「しれぇを土にうめて、ひとりぼっちになるのは、もういやです」

 

「っ!? ……う、ふぐっ……何よ、それ……人の目を平気でくり抜く程、ぶっ飛んだ事する癖に……」

 

 

 そして陽炎が置いた手には、自然と力が入る。

 

 

「寂しいなんて、言われたらもう……殺す事なんて、できないじゃない……」

 

 

 彼女が受けた非人道的な行いも、命令も、それに対する善悪という感覚は、比較対象をする過去と常識があってこそ成立する物である。

 

 生まれてからずっと外の世界を知らない雪風にとって、今まで生きてきた時間は、誰かが言う非人道的な物と言われても彼女にとっては理解の及ばない、極当たり前の日々でしかなかった。

 

 しかし作戦遂行中に全てが瓦解し、目覚めた後に彼女が見た光景は、涙ながらに朽ち果てた者達を島に埋めたあの時は。

 

 

 与えられた命令を支えにギリギリで生きていられたという程には、この少女の『当たり前を崩してしまった』衝撃的な出来事であった。

 

 

 確かに精神的に変質した存在には違いない。

 

 しかし艦娘とはある程度の感性と、意思を以って生れ落ちてくる。

 

 そして仁科が言った様に、基本的にこの雪風は計画による外因的な物を全て跳ね除け続けてきた存在であった。

 

 

 故に誰に教えてもらうまでも無く、痛い、苦しい、辛い、そして寂しくて悲しいと思う感情は、表には出さなくとも元から持ち合わせている物であった。

 

 

「痛いのも、苦しいのも、無くならないなんて保障は多分出来ないと思う、けどさ」

 

 

 上体を起こした髭眼帯には、胸元にへばり付く前面子泣きジジイになった陽炎型 八番艦と、その背中を掴んでポロポロと泣く大坂鎮守府では悪名高い、お茶会テロリストの姿が見えた。

 

 そんなどうしようもない絵面(えづら)に何とも言えない表情で苦笑しつつも、答えが出せない雪風へ髭眼帯は泣きじゃくる二人を見た感想を素直に口にした。

 

 

「少なくとも寂しくは無いという一点だけは、保障は出来そうだね」

 

 

 

 命のやり取りの末に集った者達の、混沌とした団子状態を見つつ、ごーやは深い溜息を吐く。

 

 自分の指揮官がまた悪癖を発動した事で、洒落にならない厄介事が大坂鎮守府に舞い込む事が確定してしまった事に対して。




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 ただ言い回しや文面は意図している部分がありますので、日本語的におかしい事になっていない限りはそのままでいく形になる事があります、その辺りはご了承下さいませ。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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