大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 前回までのあらすじ

 悩みを抱える春雨さんにゆきかじぇが一生懸命になるお話。


 それでは何かご意見ご質問があればお気軽にどうぞ。


2018/01/22
 誤字脱字修正反映致しました。
 ご指摘頂きました対艦ヘリ骸龍様、鷺ノ宮様、リア10爆発46様、forest様、有難う御座います、大変助かりました。


終わった事だと思っていたら始まりだった的な

「えっと……お久し振りです、教官」

 

 

 大坂鎮守府執務棟。

 

 二階最奥、特務課の向かいに位置する応接室では現在髭眼帯が一人の艦娘と差し向かいで会話を交わしつつ、怪訝な相を表に貼り付けていた。

 

 現状鎮守府では呉からの異動組の処理が終わったばかりにあり、その後更に続くであろう異動希望者の件に先駆けて大本営と連絡を取りつつ準備を進めている最中。

 

 また先日発布された北方へ対する作戦実行の為の根回しを急ピッチで進めており、同時に教導受け入れの第一陣が後期プログラムに入った事もあり、そちらの方にも注力しているという、ややこしい執務が重なってしまった髭眼帯的には体がもう二つ三つ欲しいという最中にあった。

 

 

「教官とは随分と懐かしい呼ばれ方ですが、今貴方は中将、私は情報室付けの中佐相当にありますから、昔の縁のまま対応されては色々と不都合が出ます」

 

「え、いやその辺り堅苦しいのがヤなのと、貴女の事ですから何かあって人払いを言ってきたのではと思ったんですが……」

 

「確かに人払いが必要な案件を持ってここに来たんですけど、今日はプライベート関係でお邪魔した訳ではありませんよ、吉野さん(・・・・)

 

 

 髭眼帯の前でニコリと微笑み、優雅にコーヒーを口にする艦娘。

 

 所属は大本営情報室、実質そこのナンバー2にある主任の肩書きを持つ阿賀野型三番艦の矢矧が現在髭眼帯と対している艦娘であった。

 

 

 海軍内にある情報関係の組織に絞って分類すれば、実質的な面では大隅麾下にある特務課が一番とは言われているが、権限で言えば大本営が持つ情報室が上位にあたり、更にそこは人員の数も所属する艦娘の数もちょっとした基地並みの数を誇っている。

 

 ただそれはあくまで数と権限だけが上位という状態にあるだけで、現在手掛けているのは主に軍部内に於ける折衝から、政治的取り引き等と関係各所の繋ぎや軍部主導のそういう方面(・・・・・・)を主任務としている組織と言われている。

 

 そして今髭眼帯の前に居る矢矧は元々は大隅麾下の特務課に属し、一時期は吉野の上官と言うか、高級官僚が絡む政治的面での(つて)や仕事を仕込んだ者であり、後に大隅麾下特務課再編後、軍部の強い要請、つまり元帥大将の坂田一に請われ、人員刷新の状態にあった情報室へ異動したという艦娘であった。

 

 

「ふむ? という事はお仕事関係なのは確かですけど、これってマジモンの筋なんです?」

 

「えぇ、そうなりますね」

 

「……大本営情報室がウチに直で接触とか、他の将官さんから見れば物凄く邪推されると思うんですけど?」

 

「そうですね、一応ウチは軍部直轄、公的には最上位情報機関と位置付けられてますから、特定拠点、若しくは将官と繋がるというイメージが持たれては余り宜しくは無いのですが……今回はちょっと事情が込み入ってますので仕方なく、ですね」

 

 

 海軍という組織に於いて、情報機関というものは大小含めればそれこそ二桁では収まらない程に存在する、割とポピュラーな組織であるとも言える。

 

 その中にあり、名実共に力を持つと言われているのは大本営の情報室、大隅麾下特務課、リンガの対外情報局、そして大坂鎮守府の特務課と言われている。

 

 其々は得意とする分野は被ってはいても活動する場が微妙に違っている為交流は無く、また意図して繋がらない様に活動はしている為住み分けは出来ている状態にあった。

 

 

 その情報系に強い拠点4つの内、大隅とリンガの斉藤は友好関係にあり、また大坂の吉野はその大隅の元に居た男であった。

 

 対して大本営情報室は艦政本部の色が濃く、権限的な物で言えば1:3であっても、属する組織の関係上それらは全体的なバランスが取れていた状態とも言えた。

 

 そんな最中、旧鷹派の力が件の事件により衰退した期に乗じ、坂田が腐敗していた情報室を再編し、中立的な組織を作る為に同課を掌握、そして人員を刷新した事により、現状の大本営情報室という組織は坂田が目指す「特定派閥に傾く事は無い中立組織」へとなりつつあった。

 

 だが元々坂田は艦政本部とは折り合いが悪く、大っぴらに組織改革を前面に押し出しては情報室が旧慎重派に傾いたという見方がされ、それは組織的にバランスが取れなくなるという懸念もあり、現在も大本営情報室は艦政本部の色を意図的に残した形にし、派閥間のバランスを取る形で活動を続けている。

 

 

 そんな状態の最中、今現在急成長し、また特務課を立ち上げたばかりで、ある意味警戒度が高いという面で注目されている大坂鎮守府に大本営情報室が接触するとなれば、色んな意味での「中立性」が周りから疑われ兼ねない事になる。

 

 故にこの情報室ナンバー2の矢矧が大坂鎮守府へ直接乗り込んで来た事は、吉野にとっては首を傾げる程には異例の出来事であったと言えよう。

 

 

「それで矢矧さん、今回の御用向きは……」

 

「ああそれより吉野さん、能代姉さんがこちらの職場環境保全課に着任していると聞き及んでいるのですが、それは本当ですか?」

 

「はいぃ? え、えぇまぁ昨年リンガからウチに……」

 

「ふむ、確か大坂は現在所属する艦娘とのカッコカリ率は驚きの98%、という事は当然吉野さんは能代姉さんともカッコカリを済ませているんですよね」

 

「……それはまぁ、一応」

 

「よくもまぁあの姉さん(・・・・・)と……いえ、まぁそれは良いとして、そうすると吉野さんは一応私の兄、と、いう事になりますね」

 

 

 お堅い表情を崩さず、淡々として語る矢矧の口から飛び出した言葉は、予想外と言うか、何と言うか、髭眼帯の怪訝な表情が更に深まる物であった。

 

 因みに大坂鎮守府艦娘お助け課主任の能代は大本営で建造された艦であり、矢矧も大本営で建造された艦、つまり二人は実の姉妹という関係にある。

 

 しかしそこには艦娘の建造という不可思議なシステムの妙が関係したりする。

 

 艦の縛りで言えば能代は阿賀野型二番艦、そして矢矧は三番艦ではあるが、建造順で言うと実は矢矧の方が能代よりも五年程早くに建造され、また能代の初期教練は矢矧が担当したという関係の、微妙な姉妹関係の逆転現象がそこにあったりした。

 

 

 そういう事情がある為認識上の姉妹はちゃんと能代が姉、矢矧は妹という状態にあるが、関係的には矢矧の方が強いというちぐはぐな姉妹事情がこの二人にはあったりする。

 

 

「矢矧さん? あの、その……」

 

「まぁ世間的には義理の兄、しかし感覚的には妹婿……つまり、私と貴方は心情的には義理の弟であり関係的には義理の兄といややこしい関係性が……」

 

「ねぇちょっと矢矧さん? 結局何の用向きで来たワケ? てか鎮守府総嫁の件は色々諸々誤解を多分に含んでいるから!? 変な誤解しないで!?」

 

「あら、誤解? という事は愛も無いのに貴方は私の姉(妹)を(たぶら)かしたと?」

 

「ちぃがぁうのぉっ! カッコカリはカッコカリでもそれは色々な事情があってぇっ! そういうカンジでやっちゃってる状態じゃなくてぇっ!」

 

「えぇまぁその辺りは知ってますが」

 

 

 足をダンダンと踏み鳴らしつつ悶絶する髭眼帯を横目に、涼しい顔でコーヒーを飲む矢矧。

 

 ある意味双方の力係性が見える絵面(えづら)がテーブルを挟んだそこに垣間見えるという、そんな空気が応接室を支配していた。

 

 

「……で? 教官(・・)、今日の御用向きを今一度お聞きしても?」

 

「あら……ちょっとした冗談だったんだけど、その辺りイジられると表の顔が剥がれるのは相変わらずですね、噂では随分とやり手に成長したと聞いていたんですけど」

 

「身内ネタで責められれば誰でもこうなります……」

 

「その調子じゃ未だに姉さん(・・・)にイジられてるんじゃありませんか?」

 

 

 最後の突っ込みに閉口する髭眼帯を見て、苦笑を浮かべつつ矢矧はテーブルへ一枚の紙と、そしてA4サイズの封筒を並べる。

 

 散々イジられた状態に不意打ち気味に差し出されたそれを見て、髭眼帯はピタリと固まってしまった。

 

 

「嘗て身内関係にあったとしても、この程度の揺さぶりで素面を晒すのはどうかと思いますよ、吉野中将(・・)

 

 

 書類をテーブルに置いた瞬間矢矧の顔からは表情が抜け落ち、そして苦言染みた言葉は割れたガラスの如く尖った状態で吉野へ突き刺さった。

 

 

「……なる程、確かにお見苦しい処をお見せしました、教官殿」

 

「矢矧、と、お呼び下さい、吉野中将」

 

 

 場の空気が一瞬で張り詰めた物へと変化し、仕事モードに気持ちを切り替えた髭眼帯は差し出された書類に目を通すが、その内容に眉根の皺を深くしていく。

 

 手にした書類に記載されている物、それは先に軍令部より発布された命令の文言が先にあり、その続きには吉野が作戦遂行の為に北方へ出撃する為の許可を上申した件が書かれ、更にはそれに対し大本営情報室名義での作戦延期要請という文言が記載されているという内容の物であった。

 

 

「……情報室からの要請(・・)、ですか?」

 

「はい、立場上こちらは軍令部が発布した作戦へ割り込む権限はありませんし、その作戦が急を要するという事情(・・)は把握しています」

 

「事情を知ってるにも関わらず、作戦の自粛要請ですか」

 

「一時的な物ではありますが作戦の実施は暫く待って頂きたいという物になります、その理由はそちらの封筒の中に……」

 

 

 書類にある内容に首を捻りつつも、矢矧に促されて封筒の中身を取り出した髭眼帯は、中にある写真が添付された書類を見て眉を顰める。

 

 続いて手にしたそれらを流し読み程度で確認し、無言で髭眼帯は視線を矢矧に投げる。

 

 

「……封筒の中にあるそれら(・・・)の説明に移っても?」

 

「えぇ、是非に」

 

「先ずそれらはここ一ヶ月半内に発生した、連続殺人事件と思われる案件の現場写真と報告書の写しになります」

 

「……連続殺人事件?」

 

「一応発生した順でそれらは纏めています、現在それらの事件は複数犯で行われた物ではなく、単独犯によって殺害された物だと当局は分析しています」

 

「ふむ、で? 事件を担当してる部課署はどこなんです?」

 

「四つの内二つは当初警視庁管轄でしたが、四つ目が発覚して以降、全ての案件は特警と憲兵隊が合同で捜査する事になりました」

 

「海と陸が合同でですか、それはまた大層な話ですね」

 

「はい、一つ目の事件から三つ目の事件の被害者はそれなりに立場のある人達ではありましたが全員民間人でした、しかし四人目は……」

 

「今の話の流れ的に要人か、軍部筋の者か……」

 

「四人目の被害者は元海軍情報室室長、小川紀夫(おがわ のりお)大佐です」

 

「は!? 小川大佐ぁ? この人が?」

 

 

 吉野の持つ書類の四枚目、そこに添付される写真の人物を見て吉野が眉根を寄せて首を捻る。

 

 部課署が違えど同じ大本営という場で情報に携わっていたという事で、それも大本営の情報室責任者であれば、吉野がその人物を知らない訳は無い。

 

 しかし吉野が見る写真の人物は顔面はおろか全身が肥大化し、人相も判明出来ない程に膨れた状態になっており、記憶にある元情報室室長とは合致しない状態で殺害された様をそこに晒していた。

 

 

「彼が軍籍を剥奪されてから凡そ一月半、ただ放逐するには情報を握り過ぎていた人物でしたので、情報室は小川元室長が放逐された後彼を軍の影響下へ抱え込む為に(・・・・・・・)行方を追っていたのですが……」

 

「ああ、まぁ色々外に漏れちゃヤバい情報を握っている人物でしょうしね」

 

「しかしその所在はまるで掴めず、結果的に警視庁から軍への身元問い合わせという事でその所在は漸く発覚したという事で」

 

「ふむ……て言うか、この殺害現場の写真とか、中々えげつない状態になってますね」

 

「そうですね、警視庁でも当初これは異常者が起こした連続猟奇殺人という見解で捜査をしていたらしいんですが……」

 

「情報室は違うと判断した、と?」

 

「はい、先ずは現場写真にある共通点、何れも現場には【avaritia】【pigritia】【superbia 】【gula】と被害者の血でメモが残されていました」

 

「【avaritia(強欲)】【pigritia(怠惰)】【superbia(傲慢) 】【gula(暴食)】……わざわざラテン語で、しかも七つの罪源ですか」

 

「はい、そして彼らには判り易い繋がりがありましたが、逆に現場には普通あるべき証拠が殆ど無いという状態となってまして」

 

 

 四つの殺害現場の写真にあった共通する事項。

 

 それはカトリック教会に於ける思想、生きる為にどうしても必要とされる『原罪』とは対極にある、人を罪へと誘うとされる『罪源』を説いた物。

 

 それらは「傲慢(superbia)」「嫉妬( invidia )」「憤怒(ira)」「怠惰( pigritia )」「強欲(avaritia)」「暴食( gula )」「色欲(luxuria)」の七つに在るとされ、仏教に於ける血の池地獄や針の山という概念に対し、キリスト教に於いての地獄という物はこの七つの罪源を元に階層が定められ、生前罪を犯した者はその罪に応じた階層で(みそぎ)を行い、最終的には魂が浄化されていき、天国へと至るとされている。

 

 

「殺害方法は七つの罪源に応じた方法で、被害者の血でそれらは書かれ、更には背中には『purgatorium(煉獄)』の文字が刻まれていたらしいですね」

 

「うーわ、煉獄(れんごく)って確か救いが許されない者が地獄を永遠に彷徨うって意味でしょ? 浄罪の余地無しって犯人はどれだけ殺意を持ってたんだか」

 

「其々の現場には相当な殺意と言うか他殺を示す痕跡があるにも関わらず、凶器以外の遺留品も無ければ指紋、若しくはDNAが採取できそうな物が何一つ残されていませんでした」

 

「え、何も?」

 

「はい、死体自体は綺麗に残されてはいましたが、周囲は塩酸系の薬品が噴霧されていた様で、科学捜査が出来ない状態にあったと報告書には書かれていますね」

 

「……ねぇ矢矧さん、この連続殺人って罪源の順が飛び飛びになってるみたいだけど、殺害された人以外にはまだ他の殺害された人とかは発見されてないんです?」

 

「それなんですが、我々の間ではこの手の込んだ殺人の流れは、まだ他に死体があってそれが見つかってないのではなく、どうやら()()()()()()()()()()()()()()()()という見解にあります」

 

 

 そう言って矢矧が懐から取り出したのは、彼女の直筆による物だろう、達筆な文字が綴られた一枚のメモであった。

 

 

ūnus -a -um

duo -ae -o

trēs tria

quattuor

quīnque

sex

septem

 

 

「えっと、これは?」

 

「ラテン語で1~7を表す単語、この内の1.3.4.6が消されてます、そしてそれを罪源に当てはめると、1は強欲、4は怠惰、5は強欲、6は暴食になります、それはつまり……」

 

「あー、殺害された方に対応してる訳ね、てかそのメモに書かれてる情報の出所は……」

 

「とある死亡した情報将校から辿っていったら、これが出てきました」

 

「情報将校ぅ?」

 

「元艦政部執行部所属、今田陽一(いまだ よういち)少佐、艦政部執行部部長野田昭雄(のだ あきお)少将子飼いの一人で、ロシアとの繋がりが噂されていた人物です」

 

「うわぁ、また艦政本部ですかぁ、しかも野田少将絡み?」

 

「はい、彼は吉野さんが野田少将を失脚させた後行方を眩ませていたのですが、それを追っていた特警が身元不明、不審死という形で警視庁が捜査していた死体が今田少佐である事を突き止めまして」

 

「不審死?」

 

「はい、発見場所は都内のとある安宿だったのですが、死亡時には身元を特定できる私物を持ってなく、丸裸で外傷も無いという状態で発見されたそうです」

 

「それって不審ってより、強盗に遭った的な状態なんじゃ……」

 

「発見される二時間前には宿の防犯カメラにちゃんと服を着て廊下を歩く姿が確認されてます、因みに死因は心臓麻痺なんですよね」

 

「あー……所謂突然死ですか、確かにその状態で身の周りの物がなんも無いんじゃ不審死になりますよね」

 

「それで所轄の警察が捜査を開始したんですが、その捜査で即彼が元海軍所属の者だという事が判明しまして」

 

「は? それはまた何で?」

 

「吉野さんは『思想犯罪予防プログラム』というのをご存知でしょうか?」

 

「……内閣情報調査室絡みですか?」

 

「やはりご存知でしたか」

 

「触り程度は、でも内容はさっぱりで」

 

「ざっくりと説明すると、それらは不正規任務を含む網を張って、そこで得られた情報により危険思想の人物をリスト化するという内容の物なのですが……」

 

 

 事が複雑化し、関係する機関も人物も多岐に渡る話になって来た為、吉野はその情報を忘れまいと矢矧の話に集中する。

 

 そして矢矧もまた噛んで砕く様にややゆっくりと言葉を口にし、髭眼帯の反応を見つつ話を進めていく。

 

 

「そのプログラムの中に、国会図書館の閲覧記録の監視という物がありまして」

 

「あー……その閲覧物内容の傾向で危険思想の持ち主かどうかを判断しようと……」

 

「そういう思想が含まれる幾らかの書籍、記録を予めリスト化し、そのリスト上にある物を一定期間の内複数閲覧、貸し出しした人物を抽出する、と、こういう形でその人物の思想を推し量る基準とするんだそうです」

 

「て事は、その今田さんて少佐は内調のリストに入ってたと」

 

「はい、しかも閲覧した資料は指定物の内割りと多岐に渡っていた為、身元照会された上で要注意リストに記載されていた様です、その人物が不審死、こういう流れになると、まぁ内調から公安へ話が行くのも自然な流れで……」

 

「んで? そこからそのメモへどう繋がるんです?」

 

「しかし彼はここ最近それまでとは毛色の違った書籍を突然閲覧する様になった様で、最後辺りはアンブローズ・ビアス著【悪魔の辞典】、ベネティクト16世交付版【CCC(カトリック教会のカテキズム)】、ミルトン著【失楽園】、ダンテ・アリギエーリ著【神曲】、という順に二週間という短い間に閲覧した形跡があり、それらの書籍を調べた結果最後の書籍にはメモが挟まっていまして、それを書き写した物がこのラテン語の数字の番号になるんです」

 

 

 トントンとメモを指で叩き、矢矧は一度吉野を見る。

 

 ここまでの話は連続殺人事件に絡む内容詳細であり、その犯人か関係者と目される者が以前吉野が失脚させた野田少将の関係者という事、そしてその人物は不審死を遂げているという事実がそこに浮かび上がってくる。

 

 しかし何故ここからどういう流れで大坂鎮守府へ発布された命令へと繋がるのか一向に判らない髭眼帯は、相変わらず難しい表情のまま首を傾げるしか無い状態で黙って情報に耳を傾ける。

 

 

「問題はここからなんですが、この今田元少佐が閲覧していった資料、履歴を調べてみると、とある人物がその書籍を今田元少佐と同じ順に閲覧した記録がありまして……それも、期間にしてきっかり二日間を空けて」

 

「あからさまな記録ですねそれ、今田少佐がその人物と何かしらの連絡を取る為国会図書館を利用していたのは間違い無さそうですけど」

 

「確かにそういう形で彼は連絡を取っていたのは間違いないみたいですね、しかし周囲の防犯カメラの映像を調べても相手の特定は出来無かったのですが、後にこのメモの筆跡から、その連絡相手は以前別件であったテロに関係した、スラブ系過激派組織に属する活動家、Celedonio(セレドニオ),Hermoso(エルモーソ)という人物である確率が高いという事が判明しました」

 

「スラブ系過激派? それってどの辺りの組織なんです?」

 

「主にベラルーシに拠点を置き、近年は東ヨーロッパで急速に勢力を拡大しつつある組織ですね、因みにですが、ロシアがその活動の支援をしていると専らの噂になっていますよ」

 

「あー……野田少将の筋からロシア、んで過激派……もしやそれって」

 

「これから言う情報の出所はこっちの(つて)に関係する事なので言えないのですが、件のセレドニオという男は殺しを専門に扱う工作員らしく、手口としては『七つの罪源』に充てた、何かしらの意味を含むテーマを盛り込んだ殺害方法を用いる事で知られている、その筋では『殺人神父』という名で通っている有名なテロリストらしいです」

 

「殺し方にテーマとかまたそれは拘った仕事してますねぇ、で、この書類の連続殺人犯の正体はある程度掴んでいるって事みたいですが、それがどうしてこっちに発布された命令に待ったが掛かるのかって話になるのか、それが全然判らないんですが……」

 

「ここからは予想を多分に含む物という事を前提での話しになるのですが、殺害された者を順に上げていくと、第一の殺人は丁度野田少将が軍籍を剥奪された三日後、殺害されたのは都内で古物商を営んでいた男でして」

 

 

 氏名に言及しない辺り、恐らくその部分は重要では無いのだろう、矢矧は死体の写真を指し示しながら説明を続けていく。

 

 そこにあるのは、全身にナイフを突き立てられ、椅子で絶命している初老の男が写っていた。

 

 その様は凄惨ではあったが、それよりも刺さったナイフ其々が一万円札を貫いて刺さっている状態という見た目の方が目立ち、まるでそれは出来の悪い前衛芸術作品の如き様相を晒す状態にあった。

 

 

「その男は総武中将と繋がりがある者で、彼が横領していた資金を洗浄し、そしてそれらを以前こちらを襲った民間軍事組織へ流していた事が判明しています」

 

「……また野田少将絡みですか、しかし資金関係を扱ってたとか良く突き止めましたね、普通そういう部分を扱う人って情報の漏洩にはかなり慎重になる筈なんですが」

 

「総武中将関係の捜査が自身に及んだ時点で自ら特警へ接触を計ってきまして、情報を提供する代わりに身柄の安全と保護を求めてきたんですよ」

 

「ああ、司法取引ですか」

 

「えぇ、それで取り敢えず取り引きが成立した時点で担当が特警から憲兵隊へ移った訳なんですが、その手続きがゴタゴタしている隙に行方不明になってしまいまして、発見された時にはもう……」

 

「総武中将の資金運用担当者……で、【avaritia(強欲)】というメモが残され、この殺され方ですか」

 

「まぁプライベートでは相当派手な生活をしていたようで、恐らく例の資金の幾らかを個人的に消費していたのではと言われています」

 

「だから強欲、ですかぁ」

 

 

 矢矧は次いで二枚目の書類をテーブルの真ん中へ置き、それに添付されている写真を人差し指でトントンと指し示した。

 

 

「二人目の被害者、この者は群馬県の草津で殺害されているのが発見された女です」

 

 

 写真には大きめの湯船に半身を沈めた状態の女性の姿が写っており、その前には盆とその上に乗る徳利と猪口が乗った盆が漂うという、一見するとそれは温泉を堪能する女性を写した写真に見えなくもない。

 

 しかしその顔面にはpigritia(怠惰)と書かれた紙が貼り付けられており、表情が伺えない状態になっていた。

 

 

「この女性は銀座で倶楽部を営む経営者なのですが、公安からの情報ではその倶楽部はどうも諸外国の情報員が集って情報を交換する場となっていたようで」

 

「ふむ、まぁそういう場所は公安もそこそこ情報収集したりするモンですし、割と公然の秘密的な部分という処理がされていたんでしょ、で? そのオーナーママがどうして殺されるんです?」

 

「それなんですが、どうもこの女性はロシア大使のコレ(・・)だったみたいで」

 

 

 矢矧は微妙な表情を滲ませつつ右手の小指だけ立てた状態で、スイッとそれを前に差し出した。

 

 

「またロシアですかぁ、って事はこの女性も野田少将絡みなんです?」

 

「はい、そしてこの女性を通じ野田少将はロシアと渡りを付けていたのでは無いかと言われています、が」

 

「が?」

 

「この女性、実は公安の外事課とも繋がっていたという事実がありまして」

 

「二重スパイ? そんな面倒な人を通じて野田さんはロシアと繋がっていたんですか? 慎重な彼にしてはまたそれはえらくリスキーな事をしてたんですね」

 

「そこなんですが、実はその外事課の担当も野田少将が買収していた状態であった事が、この女性が殺害された後の捜査で発覚しました」

 

「うーわ、そっちも抱き込む事で逆に公安からマークされるの避けてたんですかぁ、中々思い切った手を使ってたんですね彼」

 

「代々軍閥にあった家の出という部分がそれを可能にしたんでしょうね、買収された本人は、ロシアから情報を引き出す為に活動するから協力して欲しいと野田少将に話を持ち掛けられたらしいですし」

 

「……なる程、で? この殺害された女性はある意味犯人側(ロシア)の関係者なんじゃないかって思うんですが、それが何故殺害されたんです?」

 

「それなんですが、彼女は野田少将がロシアへ接触していた情報の幾らかを他国、多分米国辺りに流していた節があります」

 

「え、三重スパイ? はぁ……正にそういう人達(・・・・・・)が集う場を仕切ってた人だからできる荒業ですけど、うわぁ」

 

「で、恐らくそれがバレたので殺害された、ロシアからの協力を忠実にこなさなかった『怠惰』という罪によって」

 

 

 淡々と絡み合った人間関係を口にしつつ、矢矧が最後に摘んだ書類は、冒頭にあった第四の被害者、元大本営情報室室長小川紀夫(おがわ のりお)に関する物であった。

 

 

「そして四人目が小川元室長、彼は単純に軍を追われた後の保身の為、ロシアや野田派に属していた者、そこら辺りに接触を図っていた事が判っています」

 

「保身……ってより、殺されたって状況的には握っている情報を盾に何かしらの取り引きを持ち掛けていたってとこですかねぇ」

 

「そうだとは思いますが現状死人に口無し状態ですから、その辺りも想像の域を出ません」

 

「あちこち同時に渡りを付けていた……だから『大食』?」

 

「彼は恐らく二週間程監禁状態にあり、フォアグラの鴨宜しく強制的に高カロリー食品を口に流し込まれ続け、最終的にはブクブクと太った状態で殺害された物と思われます」

 

「罪源を表す為にそんな手間を掛けるとか、拘りを通り越して最早病気ですねそれ」

 

「元々は敬虔(けいけん)なクリスチャンだったらしいですし、宗教という絶対的な依り代を歪めた上でテロ思想を持つとなれば、それもまた狂信者と言えるんじゃないでしょうか」

 

 

 四人の殺害された者達、それは辿れば野田昭雄という元少将に繋がっていくが、それは状況と僅かばかり残った情報からでしか裏が推測できず、実際確実な物が何一つない状態であるとも言えた。

 

 そんな中、矢矧はテーブルの上にある書類を纏めて横へ置き、一番最初に出した大本営情報室から上申された書類を再び髭眼帯の前に置く。

 

 

「で、話はコレ(・・)に戻る訳なのですが」

 

 

 呟く口調は今日一番固い物となり、視線はややキツい物へと変化していく。

 

 

「どうもこの連続殺人のターゲットには吉野中将、貴方も含まれている可能性が高いのではと我々は踏んでいます」

 

「は? 自分がターゲットに? ナンデ?」

 

 

 怪訝な表情になる髭眼帯の前に矢矧はメモをピラピラと見せ付けつつ、髭眼帯が狙われる根拠を口にし始める。

 

 

「この一連の殺人は、野田少将を失脚させた者達に対する報復という明確な目的があるのは確実です」

 

「えぇまぁそれはそうですけど」

 

「で、その事態を招いた大元は間違いなく吉野中将でしょう?」

 

「うん、その流れで自分の名が出てくるのは確かに不思議じゃないけど、その活動家と言うか殺し屋さんがこっちを狙ってきたとしてもさ、鎮守府に居る自分を狙うってのは実際問題、かなり難しいんじゃないかって思うんですけど?」

 

「ですね、確かに吉野中将が鎮守府に引き篭もっている(・・・・・・・・・・・・)内は身の安全は高い水準にあると思いますよ?」

 

「あー……それで例の作戦を自粛して欲しいって事に繋がるんですかぁ」

 

「相手はロシア系のテロリスト、そして中将が作戦へ出るつもりでいるのは北、それも北方棲姫絡みになるなら、日本の制海権から出るのは確実だと私は予想してるんですが、その辺りはどうなのでしょう?」

 

 

 矢矧の言葉に返事は口にしないがボリボリと頭を搔いて、髭眼帯は表情を苦い物へと変えていく。

 

 確かに北方棲姫側に何かしら働き掛けるという行動は、日本の制海権の内に居る限りは難しい。

 

 故に状況次第であったが、吉野はいつか自身が制海権を出て北方棲姫と対さねばならないという考えは持っていた。

 

 だがそれは恐らく軍部からの許可が下りる事は難しく、しかしそうしなければどうしようもないという状態は、ある意味吉野だけには留まらず、軍部自体もそういう行動を吉野が取るだろうという予想は想定の内にあった。

 

 

「北方領土から向こうの公海、それもオホーツク海辺りはロシアの手が及び易い海、そして相手はその国の支援を受けたテロリスト、なれば……」

 

「大事を取ってそういう行動は自粛せよと、そういう事ですか」

 

「はい、これはここだけの話情報室からの要請という形になってますが、実際は上からの意向も含んだ物とご理解して貰えたらと」

 

 

 矢矧が言う上というのは、言わずもかな現在情報室の差配をしている元帥大将坂田一の事を指す。

 

 軍の立場とすれば北方棲姫絡みの件を早急に解決しないといけない状態にあったが、それと同時に現在は吉野という男を失った場合の損失という部分も考慮しないといけない状態に陥ってしまった。

 

 その為軍令部筋からは北へ出る命令を発布しておきながら、同時に元帥筋からはそれに待ったを掛けるというややこしい事態に発展してしまったというのがこれまでの流れとなる。

 

 

 吉野としては軍令部からは期限は切られていないが命令を、元帥筋からは要請を。

 

 ある意味それらの判断は自身でしなければいけないという、板挟み状態になってしまったのが今の状態と言えよう。

 

 

「まぁまだそのテロリストがやってない殺しのテーマには、『色欲』が含まれてますし、この先吉野中将が狙われるのは確実だと思います」

 

「ちょっと待って!? 色欲ってナニ!? 何で自分の罪源がそれに確定されちゃってる訳!?」

 

「え、それは中将という位にありながら鎮守府総嫁とかやらかしてしまっては、誰がどう見ても権力を嵩に着た好色漢がやりたい放題してると思われても仕方ないんじゃないかと思いますよ?」

 

「命を狙われる上に好色漢認定とか自分とっても納得いかないんですが!? ねぇ情報室的にはそこんとこどういう認識にあったりするワケ!?」

 

「……私は大和とは今もそれなりにプライベートで連絡を取り合ってるんですが」

 

「……うんん? 大和君? え、ナニ?」

 

「貴方が嫁を増やす度に、私は大和から延々と愚痴を聞かされ続けるという苦行を現在進行形で味わい続けています」

 

「ナニソレ自分そんな赤裸々なプライベート事情聞きたくなかったよ!? てかそれが今回の件にどう関係がある訳!? ねえっ!?」

 

「一応件のテロリストはこちらでも追ってますし、軍令部からの命令は特に期限が切られている訳ではないのでしょう? ならカタが付くまでの間はせいぜい頑張ってあちこちに対する折衝に苦心しながら、命を狙われる恐怖に震える日々を送ればいいんです、はっ、ざまぁみろ」

 

「なにその警告しつつもムッチャ個人的な逆恨みを前面に押し出した捨て台詞!? これこっちしてみたら何から何まで全部貰い事故的な状態なのに何でこっちが罵られなきゃならないワケ!?」

 

「貴方は存在自体が女の敵なんです、早く決まった本妻貰ってこういう被害を周囲に拡散する環境をどうにかするべきなのでは?」

 

「存在自体が女の敵とかまで言う!? ぶっちゃけ過ぎでしょそれえっ!?」

 

「煩いヘタレ! 死ね! 氏ねじゃなくて死ね! むしろテロ屋に煉獄へ叩き落とされろ!」

 

 

 こうして髭眼帯は思わぬ方面からまた罵声と共に問題を持ち込まれ、更には国際的なテロリストから命を狙われているという事実が発覚してしまうのだが、それよりも矢矧が言う聞きたくなかったアレコレと、彼女から投げられるジト目からの視線に耐え切れずプルプルしてしまうのであった。

 

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 ただ言い回しや文面は意図している部分がありますので、日本語的におかしい事になっていない限りはそのままでいく形になる事があります、その辺りはご了承下さいませ。

 それではどうか宜しくお願い致します。

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