大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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 前回までのあらすじ

 朔夜が吉野の舟になる事を望み、そして麾下にある者達もそれに従い、吉野はそれらを受け入れた。

 そして新たに西蘭泊地に誕生した、紳士淑女の社交場。


 それでは何かご意見ご質問があればお気軽にどうぞ。


2018/05/09
 誤字脱字修正反映致しました。
 ご指摘頂きましたK2様、有難う御座います、大変助かりました。


日常という物は存在しない、常に事は動いている

 

「ではこれで、総会の時はくれぐれもお願いします、では、失礼致します」

 

 

 落ち着いた調度品で整えられた十二畳程の部屋。

 

 重厚な執務机に収まる、二十台も半ばに見える痩躯の男は受話器を置いて溜息を吐く。

 

 

 半分上げたブラインドから見える外へ視線を向けると、初秋特有の茶色が目立つ風景が広がり、暦で言えば五月という事を考えるとそこは日本では無いという事が判る。

 

 ややオールバックに近い七三で固めた髪を軽く撫でつつ、秘書が淹れたコーヒーで喉を潤し、手元にあるファイルを確認すると少しだけ口角を上げて満足気な色を表情に滲ませる。

 

 

「就任から一年半、足場固めと準備に一年程掛かったが、諸々の規模から考えると恐ろしい程早く計画が進んだな」

 

「佐伯様とのお話は纏まったのでしょうか」

 

「あぁ、見込みという部分も含めてとなるが、これで株式の2/3は確保出来た事になる、後は北側に展開している企業体との調整を進め、同時に"ニュージーランドの御方"の首を縦に振らせれば話は全て終了だ」

 

 

 脇に立ついかにも秘書という出で立ちの女性に薄い笑いで返し、男は書類の束を手渡しつつ、事務手続きの指示を出す。

 

 

「途中で日本からニュージーランドなんて僻地へ拠点替えをするもんだから、計画に大きな修正をしなければならなくなったが、同時に慎重だった筋がこぞって保身に走る事になったお陰で計画の難易度自体が下がって、楽に事を進められるようになった、正に吉野三郎様々だよ」

 

「豪州方面企業体連合の方も概ね同じ状態で話は進んでいるようです、農業・畜産系の現地法人の一部は様子見をしている様ですが、こちらの話が纏まればおのずと足並みを揃える事になるかと思います」

 

「こっちへ飛ばされた者達は歳若い者が多く、それでいて実務を回さないといけないから歳の割には有能な者達ばかりだ、仕事の割には報われていない現状に内地へ不満を募らせているし、今俺が煽らなくても何れ誰かが同じ事をやっていた筈さ、どうせそれが不可避の未来なら率先して話を進め、おいしい部分を確保しないと損だしな」

 

 

 自らの饒舌に語る言葉に少し酔ったのか、飲み干したカップを机に置いて、今も窓から見える広大な風景に目を細めて男は笑みを深めていく。

 

 

「外地の安全圏から内地の世代交代を促す、一気に足場を切り崩して老害達には早々に舞台から降りて頂き、古臭い慣習も撤廃する事にしよう、そして……経済を握れば国政にも食い込めるだろうし、世界最大の海軍戦力を持つ日本はその有体に相応しい立ち位置として生まれ変わる」

 

 

 席を立ち、窓際まで歩くと、半分だけ垂れ下がっていたブラインドを完全に巻き上げ、そこに見える豪州最大の開発風景を眺めた男は、笑いの相を消して、最後はこう呟いた。

 

 

「力ある者が全てを回すのが今の世界だ、これまで古い考えの者達が差配していたお陰で必要以上に諸外国へ媚び(へつら)ってきた日本だが、これからは保有する戦力と経済に見合う立場と、利権を手に入れる事になる、俺達の手によってね」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「大体の話は聞いてましたけど、まさか大坂の地下施設より規模が大きくなってるなんて……」

 

「あっちのは先に入れ物があって、そこで研究が進んだから無理に詰め込んだ状態だったんだ、けどここは研究に合わせて入れ物を作ったからね、最適化したらこんな形になった訳さ」

 

 

 西蘭泊地総合研究施設。

 

 地上一階、地下四階として作られたそこは、地上建屋が保養施設兼治療の為の区画になり、地下一階が隔離患者と重篤治療を施す医療区画、地下二階から三階が研究施設に、最下層には封印区画が収まっている。

 

 

 最下層を除く全ての区画を見学し、暫く黒潮と速吸二人と面会という名の歓談をした髭眼帯は、現在天草と電に伴われ、地下二階医療区画に設置された電の医療ラボで説明を聞いていた。

 

 

「黒潮ちゃんと速吸ちゃんは環境的にこっちの方が良かったのです、自然も多くて知り合いしか居ないので、大坂に居た時よりも散歩に出た時に気遣う事が少ないですし」

 

「あっちは不特定多数の人が出入りしてたからねぇ、彼女達も中々外に出る機会が無かっただろうし」

 

「て言うか随分髭もなつかれたモンだなぁ、二人共ベッタリだったじゃないか、まぁちっこいのに対してお前は天然のタラシみたいな力を発揮するし、その調子であいつらの面倒は頼んだぞ」

 

「いや何がどうしてそういう話になるのは判らないんですが、取り敢えず彼女達が環境の変化に馴染めて良かったです」

 

 

 施設規模は大概な物であったが、内装は個人の趣味を反映したのだろう、三人が居る電のラボは極普通のスチール製による事務机や書類棚、そして簡易の診察ベッドにちょっとした医療機器というのが収まった物になっていた。

 

 

 折り畳みのパイプ椅子に腰掛けた其々は丸い簡易テーブルを囲む様に座り、紙コップに入ったコーヒーを啜りつつ、医療研究棟見学後の諸々を意見交換していた。

 

 が、やはりそこは西蘭泊地、設備や室内関係は長年使ってきた簡素な物をという電の希望で固められていたが、一階の保養施設はガッチリとした和風建築となっており、そこから周囲100m範囲は芝が敷き詰められた自然公園染みた形に整備されていた。

 

 加えて今髭眼帯達が居るラボの壁面には大きな窓が嵌められており、そこから向こうには地下栽培場に収まる広大な果樹園が見えていた。

 

 そこは電の趣味であるガーデニング施設となっており、夏が短く冬は東北から北海道程に冷え込む西蘭島でも木々が枯れない作りとなっていた。

 

 当然植えられる物は例の明石謹製品種改良の植物が目白押しで、年中通してそれらには果実が実っており、地上から直通の出入り口も備える形で、誰でも利用可能な憩いの場として泊地の者へ開放されていた。

 

 

「まぁこうしてお披露目は終わったけど、それ以上に重要な話を今からする事になる」

 

「……地下四階の封印区画の事ですか?」

 

「それも絡んだ諸々さ、ぶっちゃければ時雨の治療についてだね」

 

「時雨君の? ああ……だから彼女は連れて来るなと言ってたんですか」

 

「なのです、現状時雨ちゃんの治療をする為には三郎ちゃんに負担を掛けているというのは内緒になっていますし、これから相談する内容は先ず三郎ちゃんに話して了承を得ないと行えない物になるので、施設確認業務を口実として利用させて貰ったのです」

 

 

 時雨の治療は頻度こそ月一という物に納まっているが、吉野から時雨へ輸血しなければ成り立たないという現状は余り芳しく無いという物になっていた。

 

 それを本人が知れば精神的負担となるのは確実で、元々戦闘に参加できないという負い目を背負う彼女へ更なる負担は掛けたくないと考えた吉野は、本人へ隠す形で治療を行う様電と天草へ頼んでいた。

 

 

「何か治療方針に変更が?」

 

「そんな構えなくてもいいさ、確かに治療方針に変更が必要になったが、それは時雨の状態が悪化したからするモンじゃない」

 

「大坂では三郎ちゃんの警護という仕事が絡んで、時雨ちゃんが業務を長期間離れるのを拒んでましたし、治療自体まだ有用な物がありませんでしたから」

 

「……今の話を聞くと、彼女には長期の治療を要する時間が必要な代わりに、現状を好転させる治療法が確立できたと聞こえるんですが」

 

「その通りさ、ただそれはあくまで予想の範疇を出ていないし、許可はあくまでお前が出す必要がある」

 

「その手の判断は全てお二人にお任せしていた筈ですが、何か危険な事が絡むんです?」

 

「未知の領域に足を踏み込むのに危険が無いなんて都合のいい話なんざある筈が無いけどね、そんなのはこれまで幾らもあったから今更さ、でも今からするのはその手の話じゃなく、主にお前の心情的に問題が出る可能性が大きいからね」

 

「なのです、だから予めその話をして、三郎ちゃんが納得すれば時雨ちゃんの治療に取り掛かろうと思うのです」

 

「時雨君の治療に自分の心情が絡むってあんまいい予感がしないんですが、取り敢えず内容を聞かないと判断がつかないので……」

 

 

 持って回った話の切り出しと、好転すると言いつつも微妙な表情の二人に一抹の不安を抱えながら、吉野は二人からの説明を聞く姿勢になる。

 

 それを見て電は鍵付きのロッカーから何冊かのファイルを持ち出すと、そこから数枚の書類を抜き出して纏め、普段は掛けない眼鏡を装着すると吉野へ説明を始めた。

 

 

「先ずおさらいですが、時雨ちゃんは現在体内に"艦としての時雨"と、"深海棲艦の姫"としてのコアが同居する形で存在しています」

 

「えぇ、そして深海の影響が強く艦娘としての自我が侵食されていく危険があるので、それを食い止める為に現在は治療を続けていると……」

 

「その話に移る前に知っとくべき知識として、人間、艦娘、深海棲艦という種の肉体的親和性を知っておかなきゃならない、この三種は『人間の細胞は艦娘の細胞に食われ、艦娘の細胞と深海棲艦の細胞は拮抗し、人間の細胞は深海棲艦の細胞と融和する』という関係上、『人間→深海棲艦→艦娘→人間』と、其々強弱の三竦みを作り出す事が可能になっている」

 

「時雨ちゃんは平時は艦娘の、そしてある程度精神的に切り替え可能な形で姫級の、どちらかのコアに依存して体の細胞置換を行う事が可能となっています、彼女が持つのは戦闘に関する能力ではなく、この体細胞の置換という能力と言えるのです」

 

「ただ備えているコアの能力的に、駆逐艦時雨の物よりも駆逐棲姫のコアの方が体に対する支配力が高く、放置すればそっちに取り込まれる、また深海側から艦娘へ戻った際は、力関係によって不足する細胞が発生し、それが元で昏倒する形になってしまう」

 

「血液成分が全体的に薄まり、更に造血幹細胞の機能低下が著しい形になってしまうので、それを補う為に平時には三郎ちゃんの細胞を用いてそれらの重要部位を保護する形で、今までは艦娘という形を保つ治療を続けていたのです」

 

「確か……既に艦娘と深海棲艦の部位を使って治療した自分の体には、そういう形で治療に利用できる細胞が体内で出来上がっていたとか言ってましたね」

 

「正確には、時間を掛けて培養させなきゃいけない混合された細胞が、お前の中では既に構築されていた、ぶっちゃけ『予めこちらに出来上がった物をご用意しております』ってTVで良く聞くアレみたいなモンがお前の中にはあったんだよ」

 

「そう聞くとなんだかムッチャ複雑な気分になってくるんですが……」

 

 

 ドヤ顔のハカセの前でものっそ微妙な髭眼帯に、苦笑する電はバナナを一本ポケットから取り出してモグモグと食べはじめる。

 

 割と内容はハードな物になりつつあったが、敢えてそういう空気を挟みつつ考えが煮詰まらないよう仕向け、この先にある「避けては通れぬ地雷原」へ研究者二人は一歩を踏み出した。

 

 

「で、髭は例の北方棲姫に施術をして貰ったお陰で、体内バランスの調整が整った訳だけど、それは同時に時雨の治療に使えない形になっちまった」

 

「元々そういう形ありきで時雨ちゃんの治療をしていましたから、今更違う塩基細胞を元とした物は治療に使えないのです」

 

「えぇ、だから造血細胞の機能低下の代替として、変異の影響が薄い自分の血液を彼女に輸血するって事にしたんですよね」

 

「そうだ、でもそれはお前に負担が掛かり過ぎる上に、恒久的な物で考えれば、続けていくのは困難な物でもある」

 

「まず三郎ちゃんの造血能力と供給バランスがとれてないので、いつかは必ず破綻するのです、そして時雨ちゃんの体に変調があった際の予備血液が無い現状は、何かがあれば対応が出来ないという事にもなってしまうのです」

 

「えっと……自分の体って、時雨君の治療にまったく使えない程変わっちゃったんです? 前と比べて」

 

「北方棲姫からは何て聞いてんだい?」

 

「は? えぇと……確か、体内に移植された艦娘由来の臓器と拮抗する程度の深海成分を植え付けて、その副次的な結果として寿命が延びたと……」

 

「物は言い様だね、それは間違っちゃいないが、別な言い方をすればお前の体は治療された訳じゃなくて作り替えられた、変質じゃなくて単なる置換さ」

 

「は? 作り替えられた?」

 

「人間の寿命が無くなるなんて都合のいい話なんてある訳ないだろ? お前は現在体の七割部分を深海の物に置き換えた状態だ、見た目と、脳以外の殆どがあっちの物に酷似した何かになっちまってると言えば理解できるか?」

 

 

 元はと言えばボロボロになった体をどうにかするという目的で吉野の体に施された施術。

 

 艦娘とはいっても最初の五人という強力な部位を臓腑(ぞうふ)に繋いだ吉野は、延命こそなったが強力な毒をそこに抱える状態になっていたとも言える。

 

 それらを御して拮抗する為には人としての部位が邪魔となり、また深海棲艦の細胞も強力な物を用いなければならなかった。

 

 これらの問題を解決するには最早治療という範囲では収まらず、天草の言う通り体を別な物に作りかえる他には手段が無かった。

 

 施術後は確かに人という枠にあった体は、時間経過と共に徐々に細胞が変質していき、別の物になる様手を加えられていた。

 

 故に今の吉野三郎という存在は、不老という物を得た人間ではない。

 

 人の部分の殆どを深海棲艦の細胞に置換した"何か"に成った。

 

 つまり深海棲艦の特性を持つ"何か"ならば、艦娘と同じく寿命という物に縛られない、つまり北方棲姫のした施術は治療行為という物ではなかった。

 

 

 だから朔夜(防空棲姫)達しか持たない「支配力の繋がり」を受け入れる事もできたし、元々あった、これまで苦しめられてきた最初の五人と同じ細胞が吉野を完全に深海落ちさせず、状態を拮抗させる事になっていた。

 

 

「元々弄られまくってて往くトコまで行っちまってたんだから、今更だって諦めるんだね、だが問題は体がそうなっちまったらもう時雨に細胞を分け与えることが不可能になっちまったってとこさ」

 

「元々深海側の侵食を防ぐ為に使っていた三郎ちゃんの体細胞が深海棲艦に近い物になってしまったら、用を成さなくなるのは当然なのです」

 

「……確かに、そういう事になりますね」

 

 

 己の体がどうなっているかという事実を聞かされた瞬間頭の中が真っ白になってしまったが、次いで突きつけられた時雨の治療に話が及ぶと急に頭の芯が冷え、そっちに考えが向いてしまう。

 

 そんな髭野眼帯を見てハカセも電も苦い相を浮かべるが、艦娘の事となると割りと他の事が目に入らない性質だと知っているからこそ、敢えてそういう順で話を進めると二人は決めていた。

 

 それでも余りに返ってきた反応が思惑通り過ぎて、この男の艦娘に向ける有体に苦笑すると同時に、想いが深過ぎる事に危機感も募らせる。

 

 

「あー……まぁ、時雨の治療は要するに髭、お前の細胞に依存するという前提で成り立っている事になる、逆に言えば前提になるそれさえクリアすれば、治療は継続可能になるし、実はより安定した状態に出来る手を見付けてある」

 

「ハカセがそんな言い方をするって事は、それが可能な方法があるんじゃないですか?」

 

「ある、だがそれをするにはお前の許可が要る」

 

「元々自分はこの件に関しては門外漢ですから、全て電ちゃんとハカセにお任せしている筈です、必要なら幾らでも許可は出しますけど」

 

 

 やはりという返しに天草は苦い相で電を見て、そして電は一度目を閉じ、少しだけ心の整理をすると、首を一度だけ縦に振った。

 

 

「時雨の治療は言ってしまえば血液の病気、白血病に酷似した状態と思って貰っていい、その手の治療には色々準備と段階を経て骨髄移植を行う必要があるが、幸い肉体的な差異が人とはある為この辺りの部分は省略してもいい」

 

「つまり化学療法で血液成分の死滅を促す事無く、そのまま骨髄移植をすると言うのが基本的な流れになるのです、そして移植する為に必要となる細胞は三郎ちゃんの物が使えませんので……」

 

「お前と同じHLA(ヒト白血球抗原)を持つ体から培養した物を使う」

 

「HLA?」

 

「Human Leucocyte Antigen、略してHLA、ヒト白血球抗原と言って……あー、詳しく説明するのはアレだから、血液型から更に詳しく分類した造血幹細胞という物の事を指すんだけど、それが適合しなければ移植は無理って思えばいい」

 

「そしてその型が適合する確率は肉親の物程高くなるのです、人間の間でそれをするのはかなり厳密かつ難しい物になりますけど、艦娘の細胞はそれなりに強固な作りになっていますから、多少の無茶は出来るのです」

 

「自分の細胞の代わりに使う物で……肉親の物程適合率が、高くなる? それはどこから持って来るんです? 元々採取していた自分の物を無制限に培養する事は無理と以前聞いていた気がするんですが……」

 

「ここの地下四階、封印区画にはお前の母親、一之瀬桔梗の遺体が保存されている」

 

 

 嫌な予感に顔を歪めていた吉野は、言葉を詰まらせ視線だけを返した。

 

 それは感情として読み取る事ができない程に、恐らくは驚きという物に近い物であったが、それだと断言できない程には色々な物がない混ぜになっていた。

 

 

「お前も知っている様に、アイツは自分で命を絶った、だがそれと同時に自分の体を有効活用しようとしていた」

 

「死んだ後に三郎ちゃんへ臓器を移植するよう遺書に(したた)めてあったのです、そしてすぐそれができる様色々な段取りまでも終わらせていました」

 

「精神が磨耗して、命を絶つほど病んでたのに、同時にそういう事をやってのけたのは……まぁ色々とおかしいと思うけどさ、アイツらしいっちゃアイツらしいよ」

 

「その為お母さんの体は緊急的に保存する事にして、希望通りに三郎ちゃんの臓器移植に使う事にしていたのです」

 

「……じゃぁ、自分の中には、その……」

 

「結果的にそれは出来なかった、何故ならお前とアイツは移植に必要なマッチングはクリアしていたが、一つだけ見落としがあったんだ」

 

 

 相変わらず呆けた髭眼帯の前で、ハカセは頭をボリボリと搔きつつ煙草を取り出し、それに火を点けた。

 

 医療研究者として研究に携わっていた一之瀬桔梗という人物は、性格が壊滅的と言われる程粗雑ではあったが、逆に研究に対しては理詰めが過ぎる程に、周到な段取りとリスク回避に重きを置く人物であったという。

 

 ある意味吉野と同じ精神ロジックを持つこの女性は、その周到さ故に最後にはミスを犯す事になった。

 

 

 軍事拠点へ夫婦だけでは無く、家族共々暮らすという環境。

 

 駆け落ちという物を経た生活は、周りに頼る親族が存在しない。

 

 そして何かあった際はそれらのマイナスを抱えながらも生きていく事を考えねばならない。

 

 

 稼ぎ頭である自身と夫が欠けても大丈夫な筋を用意し、出来る限り最悪を回避する事に努めた。

 

 これは後に天草によって吉野が生き延びる形で作用した。

 

 そして戦時中という事もあり、家族の身に何かあった場合の最低限の事にも配慮した。

 

 その中の一つに、臓器移植のマッチングの確認という物もあった。

 

 吉野という存在に限れば、姉妹と母親である桔梗のマッチングは可能という事も、実はその時確認が取れていた。

 

 

 故に遺書にはそれを前提とした、臓器移植の言葉が綴られていた。

 

 

 しかし彼女は旧大阪鎮守府に於いて、艦娘の素体を培養・研究する事に従事していた、それは未知の領域であり、更には対処すら確立されていない諸々の危険な実験も含まれる。

 

 

「アイツの体は艦娘の細胞を弄くりたくってたから、汚染されてたんだ、要するに事前のマッチングはクリアしてたけど、死んだ時のアイツの臓器はお前に移植する事が出来ない状態にあった」

 

「でも逆にその汚染状態というのは、少しでも深海の侵食を防ぐ必要のある時雨ちゃんにはプラスに作用するのです、そして同時に三郎ちゃんとのマッチングがクリアする程遺伝的にも細胞が近いのです」

 

「汚染源であるアイツの体を始末するのは少々厄介な上に、まぁ……研究に何か使えるかも知れないって事で、今まで私が……」

 

 

 そう言い掛けた天草の袖を、電が掴む。

 

 咄嗟に自身だけのせいにしようと言葉が出た時、それを阻むかの様に。

 

 それを見て何かを感じたのか、チッと舌打ちと共に言葉をそこで区切って煙草を口にする。

 

 電はそれに納得したのか、引っ張った袖を離し、説明を継ぐ形で吉野へ対する。

 

 

「先生のせいだけでは無いのです、研究の為に、恐らく何かの役に立つかもという目的の為に、電はずっと……お母さんと呼んだ人の体を封印区画に閉じ込めてきたのです」

 

 

 旧大坂鎮守府にあった地下区画は、汚染されているとして軍では機密として取り扱われてきた。

 

 医療分野に類する事と、本人の強い希望によりそれらの管轄は医局にあり、年に一度、最初の五人が集う日には、定期的に電がそこの様子を見つつ、最低限の維持はされていた。

 

 

「既に死人になって、あそこにあるのは医療研究用の検体って事になってる、でもアレは間違いなくお前の母親だ、最低限……その辺りは説明しとかなきゃいけないだろう?」

 

「……あー……えっと、それで、その方法でいけば、時雨君の治療は上手くいくと?」

 

「え……、えっと、必ずと言う事は……言えないのです、ただ上手くいけば健常体に近い状態には……」

 

「なら、それでお願いします」

 

「おい、髭、お前それでいいのか?」

 

「いいのか、とは?」

 

 

 余りにもあっさりと、返って来る反応が予想とは違う物に困惑する研究者二人。

 

 それに対する髭眼帯も逆に反応に困り、二人に聞き返してしまう。

 

 

「いや……私達は、お前の母親をだな……その、利用しようとしたと言うか」

 

「あぁ、そういう事ですか、そもそも自分には彼女の記憶は存在しません、肉親として感謝の気持ちはあっても、執着という物が無いんですよ、お二人ならそれは理解して貰えるでしょ?」

 

「お、おう……まぁ、でもさ……」

 

「思う物は無いと言えば嘘になりますが、感情的になれる程の物は……残念ながら自分には無いんですよ、それに」

 

 

 予想と反して、髭眼帯は逆に申し訳なさそうな相を向け、そして心情を吐露していく。

 

 一度全てを無くした吉野にとって、記憶にある肉親と呼べるのは、嘗てプライベートとして縁を持った最初の五人と、特務課に関わった者達だけであった。

 

 知識として肉親の人物像はあっても、そこに情が絡まないのは当然と言えば当然であった。

 

 寧ろ彼女と直接関わり、今もその感情を押し殺して研究に利用している二人の方が辛いのでは無いか?

 

 

 吉野が口にしたのはそういった内容であった。

 

 

「なら、この話はこのまま進めてもいいんだな?」

 

「はい、お願いします、それで治療に必要な期間や諸々は……」

 

「適時大淀に申請していく、期間的な物は現状断言できない」

 

「治療に関しての説明は、後日改めて時雨ちゃんを交えて……」

 

「いや、それは自分から彼女にしておきます」

 

「え、でも……」

 

「施術関係に関しては無理ですが、それ以外の物は自分から伝えるべきだと思ってますんで」

 

「お前がそう言うなら私らからは何も言う事はないよ、こっちは準備を進めておくから、いけそうと思ったら時雨を連れてきな」

 

 

 こうして電と天草が想定していた最悪は起こらず、寧ろ髭眼帯が申し訳なさそうな反応を見せるという予想外の展開を迎え、西蘭泊地の小さな秘書艦は長期離脱確実な治療に入る事になった。

 

 それとは同時に今まで無かった別方向からの問題が直接この泊地に降り掛かる事になるが、それに髭眼帯が対するのはこれより僅か三日後の事となる。

 

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 ただ言い回しや文面は意図している部分がありますので、日本語的におかしい事になっていない限りはそのままでいく形になる事があります、その辺りはご了承下さいませ。

 それではどうか宜しくお願い致します。

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