2015年大学三年の年末、今年最後の日曜日。
世間的に休日と呼ばれている本日日曜日、俺は前日の夜大学の教授から一方的にかかってきた電話で研究室に呼び出された。
暖冬で雪が降っていないとはいえ十二月の終わり上着が必要なほど寒い中、俺は一方的とはいえ強制的に作られた約束を守るため大学に向けて足を運ぶ。
本当ならば炬燵に入って、一日中録り溜めたアニメを見る予定だった、くそ。
クリスマスプレゼントで貰ったの明るい色のマフラーに顔をうずめ、同じくクリスマスプレゼントで貰ったシックな少しばかり値が張りそうな――実際そこそこいい値段の――コートのポケットに手を突っ込んで、ようやく大学に到着して正門の前に付くと、俺を待っていたとばかりに正門の横に停車していた真っ赤な車の中から教授が姿を現した。
突如出現し警戒の外から現れた教授に、俺が回避行動を取れるわけもなく、なすすべなくなすべきこともできず俺はあっと言う間に拉致られ、今は教授の車の中で過ぎ去っていく街並みを目で追う。ただ、ささやかな抵抗として教授が説明を始めるまで口を開かないようにと心の中で決意した。が、結局俺が話しかけることになるんだろうな。
窓から見える景色から、車は市街地を外れ田畑が多くなる街外れに向かっていることが分かる。横にいる教授の顔は始終笑顔で、その顔は遊園地に行く前日の子供のように爛々と輝くような笑顔だ。
いや、こんなおっさんがそんな笑顔をする場所って。てか、おっさんがそんな無邪気な顔してんじゃねぇよ。
山塚静、それが俺の先行している学科の教授である。
紳士、と言うよりはダンディやハードボイルドと言った言葉が相応しく、イメージで言えばCV.中田譲治と考えてもらって差し支えないだろう。その容姿や行動からか男女問わず人気であり、よく女子生徒から告白されている場面を目撃することがある。しかし、と言えばいいのか当然と言えばいいのか、年齢差や立場歴な観念からその手の告白に応じる事はなく、そのフォローが完璧すぎるが故に女子からの人気は絶えずうなぎ登りだ。
だがしかし、俺は知っている。クールな印象とは違い、実際は子供であることを。悪戯好きの悪ガキだと言う事を。
「……はぁ、んでどこに向かってんですか」
少々咎めるような口調をしつつ、ダメもとで教授に行き先を聞く。
「さて、君はどこに行くと思うんだい?」
「いや、聞いてんのこっちですからね」
「HAHAHAHA」
「おい聞けよ、聞きやがれよ」
教授は笑って車をとばした。
「んで、ここどこだよ」
「見て分からないかい?」
JRA(Japan Racing Association)日本中央競馬会
簡単に言えば、競馬場みたいなものである。ただし、ここは実際にレースを行っている場所ではなく、ウィンズと呼ばれる競馬中継と場外馬券を売っている場所だ。そもそも、競馬場自体が全国で十ヶ所程度しかなく、地方で馬券を買うのであればこういう場所の方がなじみ深いだろう。
「競馬っすか」
「そう、今年最後のレース」
有馬記念、2015年最後に行われるドリームレース。
「それで、なんで俺を連れてきたんですか?」
「なに、ちょっとした社会勉強と言うやつだよ」
「社会勉強ね」
俺は教授から目を離し、目の前のでかい建物に吸い込まれるように、いや自分から吸い込まれに行くように入っていく多くの人たちに目を向ける。その人たちの背中には、戦場向かうような決意が浮かんで見えた。
「さて、私達も向かおうじゃないか。戦場へ」
相変わらず俺の心の中が見えているんじゃないかと思うほどに、タイミング良く教授は俺に言葉をかける。
「うっす」
従者よろしく、俺は先行する教授の後ろに付いて戦場へ向かった。
中に入ると広いエントランスが拡がっており、想像した以上に綺麗な空間だった。入口付近に案内板が設置されており、それを見るとどうやら三階まであるようだ。
「思っていたより綺麗だろ」
「いや、思ってましたけど。ナチュラルに心を読まないでくださいよ」
しかし、教授の言う通り想像以上だ。よくある漫画やドラマじゃ足元に馬券が捨てられ、煙草を吸っているおっさんがそこかしろにいるイメージしかなかったが、実際は子供を連れてきている親が少なくないみたいだ。それに女性も意外と多く、イメージとは本当に違う。
「では、私は私で動くとするよ。君は君で動きたまえ」
「ちょ、待て! 何も分かんねぇんだぞ!」
「なに、大丈夫。そこを見てみるといい」
教授の指さす方へ顔を向ければ、そこに『ビギナーズセミナー』と書かれた幕が張られている一室があった。どうやら初心者のために、馬券の買い方や種類などの講習をする場所らしかった。
「へぇ、こんなこともやってるんですね」
感心しながら横を向くとそこには教授の姿はなく頭を振って周りを見渡せば、入口横にあるエスカレーターに乗って二階へ向かう後ろ姿が目に入る。唖然としてその光景を見ていると、教授はエスカレーターを降りて俺へ向かって一度手を振り二階へ消えていった。
「あんの自由人め」
と、悪態をついてみたものの、この程度は日常茶飯事、教授を追いかけても仕方が無い。ならばせっかくの機会だ、俺も楽しむことにするか。
そう俺は思い直し、セミナーを受けにその一室に足を向けた。
「今回の講師を務めます、夏ノ下夏乃です」
ちょうど一つ前のセミナーがタイミングよく終了したようで、待つことなく次のセミナーに参加することができたのだが、できたのだが、
「へ?」
俺の口からふぬけた声が漏れ出た。
当然だ、今目の前にいる講師の容姿が限りなく雪ノ下雪乃にそっくりだったからだ。それは、鏡に映したかのように同じではなく、写真に写したかのように同一だった。もう、雪ノ下本人が俺を騙そうとしているように勘繰ってしまうほどに。
しかし、俺の驚愕はまだまだ終わっていなかった。
「あの、あなたも始めてですか?」
「え、ええ。そうで……す?」
となりに座っていた同い年くらいの女性が声をかけてきたので俺がそちらに振り向くと、
「じゃあ、あたしたちと一緒だね! あたし、弓ヶ浜結美。よろしく」
「あ、ああ。俺は、比企谷八幡だ」
差し出された右手を握り返す相手は、これまたよく知った顔にそっくりだった。
自分とそっくりな人間は世界に三人いるとは言うが、ここまで似ているとすれば生き別れの双子の姉妹としか思えないほどに、目の前の女性は由比ヶ浜に瓜二つなのだ。
「それでこっちは……」
「山崎沙希、よろしく」
「ああ、よろしくな」
これまたびっくり、吃驚仰天。まさか、か、川……川さ……そうそう、川越さんのそっくりさんまで居るとは。
え、なに? 俺、死ぬの? つか、こいつら完全にドッペルゲンガーでしょ。
「では、講習を始めていきたいと思います」
基本的に馬券の種類は、ゴールする一頭の順位を当てる『単勝』『複勝』
二頭の順位を当てる『馬単』『馬連』『ワイド』『枠連』
三頭の順位を当てる『三連単』『三連複』となっている。
『単勝』
これは最もシンプルで、一着になる馬を当てればいい。ただそれだけだ。
『複勝』
一着から三着まで入る馬を一頭当てる、最も当てやすい馬券だと言っていいだろう。
『馬単』
一着と二着を着順通りに当てる馬券。つまり、一位と二位を当てると言えばいいか。
『馬連』
一着と二着になる馬を当てる馬券。これは馬単と違い、着順は関係ない。どちらが一着でも二着でも良いのだ。
『ワイド』
三着までに入る馬のうち、二頭を当てる馬券。これもまた、着順は関係ない。例えば、一着と三着、二着と三着の馬を当てると言ったように。
『枠連』
一着と二着になる馬の枠番号の組み合わせの馬券。競馬では出走する場所によって枠番と言う番号が決められており、その番号から出走する馬の組み合わせを当てる。これまた、着順は関係ない。
『三連単』
一着、二着、三着のとなる馬を着順通りに当てる馬券。これが、最も当てるのが難しいと言っていいだろう。
『三連複』
これは馬連と似たようなもので、一着から三着までの馬を当てればいい馬券だ。
そしてこれらを競馬場やウィンズ(WINS)と呼ばれる場外馬券投票券発売所に置かれているマークカードにレース場所とレース番号を塗り潰し、種別ごとの予想と掛け金を決めて同じように塗り潰す。
マークカードに必要事項を記入した後、自動発券機にお金を入れマークカードを投入する。あとは重複する組み合わせが無いか、掛け金の不足が無いかを自動で処理されると、これで馬券が購入できる。
およそ二十分程度のセミナーが終了し、入れ代るように一室を出るとより一層人の多くなっていた。
「ねぇねぇ、ヒッキー」
「おい、それ俺の事じゃねぇだろうな」
見た目も中身も、それこそあだ名のセンスも同じってなんだよ。
「え、ダメ?」
弓ヶ浜は子犬のようなうるんだ瞳を向けてくる。俺はこの状況に困惑しながら横に立つ山崎に助けを求める目線を向けると、慣れたようにため息をついている姿が見えた。
「はぁ、結美。馬鹿やってないで行くよ」
「え、ちょっと沙希ちゃん」
これまた慣れたように弓ヶ浜の首根っこを掴み、ズルズルズルズルと引きずって離れていく。しかし引きずられる弓ヶ浜も慣れたもので、そのままの体勢で俺に向かって手を振っていた。
「またね、ヒッキー!」
どんどん引きずられ、人の壁で見えなくなるまで弓ヶ浜は手を振り、山崎に叱られている姿を見ていると少しだけ、口角が上がった。
「さて、確か有馬記念だっけか。レースまで時間があるが、一応買っておくか」
とりあえず二階にある自動発券機で単勝と複勝の馬券。そして適当に番号を選んだ三連単を購入すると、一階にあるレストランで少し遅めの昼食を取ることにした。馬券を買う際、教授の姿を探してみたがどうも人が多すぎて、探す行為そのものが無駄なのだと理解した。
しかし、結構立派なレストランだ。発券式だがメニューも普通のレストランと変わらないくらいあり、既に食べている他の客の料理を見る限りなかなかに美味そうである。
「とりあえず、食うか」
俺は機械にお金を入れ、メニューの中から数品選びカウンターにもっていき窓際の席に陣取った。
「ここ、普通に営業すればいいじゃね?」
頼んだ料理を口に含むと、そんな言葉が自然と口から漏れ出た。ウィンズは基本的にレースのある休日しか開いていない。まぁ、平日にも開いている場合があるがレストランはやっていないようだ。
故に、
「もったいねぇなぁ」
なんて言っているうちにすっかり料理を完食し、食べ終わった食器を持ってカウンターに向かった。食器返却口に食器を置き近くにいた食器を洗っている店員に、
「ごっそさん」
と、声をかけてその場を離れようとするとその店員は律儀にも声を返してきた。
「うん、ありがとう」
「……戸塚?」
はい、ほんと俺は今日で死ぬんじゃないのか、てか、マイスウィートエンジェルである戸塚が連れていってくれるいんならどこでも行くがな!
「えっと、あの、ぼくは小塚って言うんだけど」
「あ、ああ、悪い。知り合いに似てたもんでな」
戸塚似の小塚は、戸塚と同じようなちょっと困った顔を向ける。もう、戸塚だとか小塚だとかどうでもいいじゃね?
「え、ぼくに似ている人がいるんですか! えっと、それって……」
どうやら自分と似た人物も自分と同じかどうか知りたいようだ。まぁ、同じような仲間がいるってのはそれだけで心強いからな。
「あ~俺の知り合いは男だが」
「ほんとですか! 会ってみたいな~」
うん、俺も会わせたい。てか、並んでる所を見てみたい! 切実に。
「小塚君、お喋りもいいけど、ね」
奥にいるおばちゃんが少し苦笑しながら声をかけてきた。
「あ、ごめんなさい」
小塚はそのおばちゃんに顔を向けた後、俺に申し訳なさそうな顔を向けた。
「ごめんね、もう少し話したいんだけど」
「いや、いいさ。こっちも悪かったな」
「ううん。あ、また時間があったら来てくれないかな? ぼく、ここで働いているから」
向日葵のような太陽のような、光り輝く笑顔だった。
「ああ、機会があればまた来る」
「うん、ありがとう。あ、名前聞いていいかな?」
「比企谷八幡だ」
「うん、またね、比企谷君」
俺は小塚に手を振って、レストランを後にした。
再度言うが世界には自分とそっくりな人間は三人ほどいるらしいが、三億人ほど戸塚のそっくりさんだったら世界から戦争がなくなるんじゃね?
さて、腹も膨れそろそろレースの時間もせまってきた。俺はレストランから、二階にある190インチの大画面が設置されている映像ホールに向かう。
映像ホールは映画館のような場所だった。一番奥に大画面が設置され、その画面が見えるように何百とある椅子が設置されている。そして、大画面は一日中競馬中継を流しているらしく、今は一つ前のレースを映していた。
どこかの椅子に座ろうにも、新聞やらマークカードが置かれておりどこがちゃんとした空席か判断に困る。椅子に座ることを諦め、一番後ろに設置されているポールでできた柵に体を預けて画面に目を向ける。
「すげぇもんだな」
大画面に映るレース。
いままで休日の昼過ぎには必ずと言っていいほどに、競馬中継をテレビでやっていた。せっかくの休日なのに見るテレビが無くてつまらないと思っていたが、こうしてしっかり見ると圧倒される。
画面越しでも息遣いが聞こえてきそうになる躍動感、騎手と競走馬の一体感、地響きを立てるような足音。そして、一進一退の順位争いから起こる、観客たちの怒号と歓喜の声。
もし、俺がこのレースの馬券を買っていたのなら、周りの観客と同じような見方だったかもしれない。まぁ、有馬記念の馬券は買っているんですけどね。
「デュフフ、木座氏。結果はどうでござったか」
「そう言う葉川氏もどうなのだ」
うわ~、目の前に座っている二人の声に聞き覚えあるんですけど。
おそるおそる目線を下に向けると、葉山っぽいなにかと完全に材木座が手に持っている馬券を見せ合っている光景が目に飛び込んできた。
「オッズ的にどうでござろう」
「けぷこんけぷこん。なに、本番は次のレース。この程度はへでもないわ」
葉山のそっくりさんはともかく、材木座のそっくりさんはいてほしくねぇよ。いや、聞いている限りこの葉山のそっくりさんもたいがいだが。
ため息をつき、頭痛を押さえようとするように片手を額にもっていき呆れたように首を振る。が、俺はすぐに画面の方へ顔を戻し始まるのを今か今かとレースが始まるのを取り出した馬券を見ながら待つ。
少し待つと画面にはゲートに入っていく競走馬の姿が映し出され、少しずつ少しずつ観客の緊張感が高まってくるのが肌で感じる。固唾をのみ、ゲートが開くのを今か今かと目を皿のようにして待つ。この空間にいる全ての目が画面に向けられた瞬間、今まさにゲートが開かれた。
十六頭の競走馬が一斉に走り出す。
2500メートルのトラックを、走る、走る、走る。
出遅れた競走馬に野次を飛ばし、先頭馬に希望の声をあげる。
ほんの数分で結果は出る。しかし、その数分はどんな事より熱い数分だった。
「入れ!!」
気がつくと俺の口から熱い言葉が洩れる。ああ、これは戦場だ。
馬はどんどんゴールに入っていく。
「さて、どうだった?」
「……楽しかったですよ」
「そうか、それは良かった」
帰りの車の中、教授は悪戯が成功したガキのような表情を俺に向ける。
レースが終わったあと、いつの間にか後ろにいた嬉しそうな教授に驚きつつ、メインレースが終わり帰る旨を伝えられ教授の後に付いて外に出た。
「それで、結果はどうだったんだい?」
「あ~それは……」
なぁ、俺の結果、どうだったと思う?