問 以下の文章に当てはまる生き物の名前を答えなさい。
『オーストラリア原産の『殺人クラゲ』と呼ばれるハコクラゲの一種』
姫路瑞希の答え
『キロネックス』
水瀬楓のコメント
正解よ。授業じゃ習わないはずなのによく知っていたわね。ちなみに和名は『オーストラリアアウンバチクラゲ』、英名は『シーワスプ』。地球上で最も強い毒を持つクラゲと言われていて、まともに刺されたら約10分で死ぬから気を付けましょう。オーストラリアの海に行く時はストッキングを忘れずに。
土屋康太の答え
『エロクラゲ』
水瀬楓のコメント
あれの触手でプレイをご所望だなんて、自殺志願者でもなきゃ絶対にできないわよ。悪いことは言わないからやめておきなさい。
吉井明久の答え
『キクラゲ』
水瀬楓のコメント
キクラゲ。キクラゲ科キクラゲ目キクラゲ属。
ブナやケヤキなどの倒木や枯れ木に群生するキノコ。径約5センチメートルの不規則な耳形で,暗褐色。ゼラチン質で,乾燥すると堅い軟骨質になる。近縁のアラゲキクラゲとともに食用とする。
君は刺胞動物と真菌の違いもわからないのか。
「やーっと着いた! 辿り着いた! ここが私の部屋!」
クソ姉妹とババアを何とか乗り切った私は、家を出た時とまるで変わらない、自分の部屋を見て感動しながら皆を招き入れる。
刺激欲しさに姉妹(主に姉さん)やチンピラ共からぶん捕ったお金で買った膨大な量の資料に、自分のお小遣いで買った漫画やゲーム、鍛錬道具に野球用具。うん、埃を被ってはいるが全部あの時のままだ。
まぁ、当時は自分で言うのもなんだけど荒れてたからなぁ……。喧嘩とカツアゲなんて普通にやっていたわ。それもあってまともに掃除してなかったし、部屋の埃が凄い量なのも無理はない。
「個室も広いんだな。俺ん家のリビングとそんなに変わらねぇぞ」
「と、図書室じゃないのよね……? すごい資料の数……」
え? 他の人の家のリビングってここと変わらないの? そういえば、アキ君の家のリビングもこれくらいだった気がする。
というか、今気づいたけど……私の家ってお金持ちの類だったりする? 部屋の一つ一つが広いし、お小遣いは多かったし……今となってはどうでもいいわね。
「…………成人向けはある?」
「バッチリよ」
「お主は何を聞いておるのじゃ、ムッツリーニ……」
刺激を得るためなら、手段を選ばなかった頃の私が集めたのよ? それくらいなくてどうするのよ。どんな性癖の人でも見られるように揃えてあるわ。
何ならエロだけじゃない。通常の手段じゃ入手できないような、危険な資料まである。持っているだけで犯罪になるようなものはさすがにないけどね。
「ほ、埃の量が凄いです……」
「そうだね。勉強しようにも、まずは掃除しなくちゃ……」
「わかってるわよ。手伝ってアキ君」
「はいはい」
アキ君を引き連れ、自室の横にあるロッカーから掃除機やコロコロなどの掃除用具を取り出す。どうしてこの家にはこんなものがあるんだろう。
「掃除なら俺達も手伝うぞ。無理言って押し入ったようなもんだしな」
「うん。皆でやった方が早いわよ」
雄二と島田さんが聖人に見えるんだから、この家は不思議よね。学校だとなんてことのない、普通のクラスメイトなのに。
そんなわけで、掃除は全員でやることになった。これなら三十分足らずで終わるかもしれない。
「透明のケースに入れて飾ってあるのは貴重品かのう?」
「そっ。壊すと面倒だから、慎重にやってくれると助かるわ」
「…………任せておけ」
貴重品は秀吉とムッツリーニに担当させる。この二人なら地味ながら安定してこなしてくれそうだからね。窓側は瑞希とアキ君、本棚やベッドは島田さんと雄二、そして電子機器の類は私だけで掃除することにした。
これといった事故もなく、順調に掃除は進んでいる。これなら早く終わりそうね。そう思ったところで、雄二が本棚から一冊の本を見つけ出した。
「これは……卒業アルバムか?」
「アルバム? 楓、そういうのあんまり好きじゃなかったよね?」
「嫌なものでも本は本。私物である以上、仕舞っておくのは当然でしょ?」
当時はどっかの質屋にでも売り飛ばそうと思っていたけど。思い出かなんだか知らないけど、焼き捨てるよりはマシだと思っている。
「皆で見てもいいか?」
「別に良いけど、責任は取らないわよ」
「責任? 何の話だ?」
「異性関係」
「…………」
昨日、玲さんが散々言っていた言葉を言っただけで、ヤバいと思ってそうな顔で黙り込んだ雄二。いやもう、女子である私の家に上がっている時点でアウトの可能性もあるけどね。
それでも見るつもりなのか、雄二はぎこちない動きでアルバムをテーブルの上に置く。ここまで来たら当たって砕けろとでも思っていそうだ。
「ね、ねぇ水瀬さん……」
「今度は何──なんで勝手に見てるの?」
「き、気になった……から、その……」
呼ばれたのでベッドを掃除している島田さんの方へ振り向くと、ベッドの下から見つけたであろう、成人向けの薄い本を堂々と読む赤面状態の島田さんがそこにはいた。
別に見るのは構わないが、まずは掃除を終わらせてからにしてもらいたい。ジャンルは……貧乳とロリか。胸が小さいことに共感でもしたのかな?
「か、楓ちゃん……。これは、一体……?」
「次から次へと──あら、懐かしいものが出てきたわね」
「あっ、中学の時に楓が描いてたイラスト集じゃん。よく見つけたね、姫路さん」
「窓の近くにある勉強机を掃除していたら出てきたんです……」
いい加減怒りそうだったが、瑞希が顔を赤らめながら見せてきたものを見て少しだけ懐かしい気持ちになった。
私がこれまた刺激欲しさに頑張って描いていた、成人向けのイラスト集。一般向けもあるにはあるが、割合的にはこっちの方が多かったと思う。
これに関しては中学最後の夏休みの頃に挫折したはずだ。世の中、上には上がいるんだよ。素人にしては上手く描けても専門家には及ばない。
そんなこんなで皆に昔の産物を何度も見つけられたが、掃除自体に大きな支障はなく、なんと二十分くらいで終わってしまった。
「……やっと終わったな」
「そうだね。これでもかなり早い方だけど」
「そりゃあ、こんなに広けりゃ時間が掛かるのも無理はないな」
「一人の時じゃと一時間は掛かりそうじゃのう」
「皆、手伝ってくれてありがと。早く勉強しましょ」
それぞれ私の私物に興味を示す中、簡潔にお礼を述べて勉強の準備に入る。高二で習う範囲の問題が載っている資料を取り出さないと。
アキ君に掃除道具を片付けに行かせ、七人どころか十人までなら使える大きなテーブルの上に資料を置く。期末の範囲どころか三年で習いそうな問題も交じっているが大丈夫だろう。
「楓ちゃん。こ……この問題、まだ授業でも習っていませんよ……?」
「後々習うはずだし大丈夫よ。それも含めてやっていきましょ」
「み、水瀬さん……。この資料、漢字だらけで何が書いてあるか全然わからないんだけど……」
島田さんが帰国子女なの完全に忘れていた。
「訳したやつを印刷してあげるわ。言語はドイツ語でいい?」
「い、いいけど……」
「そんなことまでできるのか」
「当時は好奇心に駆られていろいろやってたからね。これくらい朝飯前よ」
まだ生きていたパソコンに電源を入れ、Wordを開いて資料の内容をドイツ語に訳していく。全部合っているかどうかは保証できないが、本場にいた島田さんなら大丈夫なはず。
訳し終えた文章を新たな資料として印刷機から取り出し、島田さんに渡す。即興で作ったものだから不憫なところがあっても勘弁してほしいわ。
「これなら読めるわ! ありがとう水瀬さん!」
「他にもやってほしいのがあったら言ってね。後から出されると困るから」
どうやら資料的に問題はなかったようだ。やり直さなくて済むのは私としても助かるわ。
といった感じで、取り出した資料を手に瑞希以外の全員に勉強を教えながら、休憩を挟んでは私の卒業アルバムを皆で少しずつ見ていく。数学は瑞希に資料を渡して一任させてある。私じゃできないからね。
三回目の休憩に入ったところで、これまで沈黙を貫いていたムッツリーニがついに動き出した。
「…………これ、保健体育の資料?」
「そうよ。どこか無駄なところでもあった?」
「…………世界保健機関の調査結果、間違ってる」
「調査結果? どの辺?」
「…………ここ。成人女性の賛同率が70%以上になっている」
いやそれで合ってるから。
「あのねムッツリーニ。それ二年前の比率よ? 今はこっち」
「…………成人男性の72%が賛同。こっちは正解」
「私が言うのも何だけど、資料はいっぱいあるからね。年くらい間違えても不思議じゃないわ」
私がちゃんとした資料を見せると、それを隅々まで確認して納得するムッツリーニ。それにしても、まさかこのムッツリーニが保健体育関連の資料を間違えるなんて思いもしなかったわ。
アキ君が頭から煙を出すほどダウンしたところで、全員休憩に入る。つまりアルバムの閲覧タイムだ。今は小学校のところだ。
「おっ、これ明久か?」
「女の子みたいでかわいいわね」
「それ地味に傷付くからやめてほしいんだけど」
当時のアキ君は今よりも女々しい感じだったからね。髪留めを付けて登校してきたときなんて、本当に女の子になったのかと錯覚したものだ。
うむ、ショタもアリね。母性本能がくすぐられるわ。あ、秀吉はショタじゃなくて男の娘ね。皆には第三の性別『秀吉』として認知されているけど。
「うむ、水瀬は今とさほど変わらんの」
「自分で見ても驚きだわ」
一方、小学生だった頃の私は今と外見が驚くほど変わっていなかった。違いがあるとすれば女性的部位と身長、そして筋肉の付き具合か。
そんで次に注目した写真は──私と瑞希のツーショット写真だった。今よりも儚さが強くて良いわね、この頃の瑞希は。……ロリもいいわね。
「瑞希って昔は小さかったのね」
「…………まだ第二次性徴期が来ていない」
「み、美波ちゃんに土屋君……。どこを見て言っているんですか……?」
十中八九胸でしょ。島田さんはペッタンコの貧乳だし。まぁ、そこを恥じらう姿は可愛いんだけど。徹底的にイジメたくもなるし。
秀吉は……なんで顔を赤くしてそっぽ向いているのだろうか。もしかしてロリコンだったりする?
「秀吉? ロリにでも目覚めた?」
「そ、そんなわけなかろう! 第一小学生相手にそういう気持ちを抱く方が──」
「これか。秀吉がさっきまで見ていたのは」
そう言って雄二が指差したのは、私の水着写真だった。あー、これは無理もないか。ちょうど第二次性徴期を迎えていた頃だったし。
でも心配なのは雄二の方だ。今回の一件が翔子にバレようものなら今度こそ病院送りにされかねない。その時は私でも助けられないからね。
「み、水瀬さん。胸の大きさが間違ってるわよ?」
「いい加減目を覚ましなさい」
「なんでこの時点でウチよりも大きいのよぉ!」
いくら自分が貧乳の中の貧乳だからって、小学生の時点で自分よりも大きくなっている私に当たるのはお門違いだと思うんだけど。
そんなこんなで、なんかエロ的な部分にしか触れていないが休憩は終わり。勉強を再開するとしよ──
「──皆さーん、晩御飯ができましたよ~」
え? もうそんな時間?
「あれ、もうそんな時間か」
「四時間近く経っていますね……」
「時間が経つのはあっという間じゃのう」
いやはや本当に。というか母さん、あんた何勝手に人の部屋に入って来てんのさ。しかも皆の分の晩御飯をわざわざ持ってきてさ。
さすがにここまでされて断るわけにはいかないと、テーブルの上の資料を一旦除けて晩御飯を並べていく雄二とアキ君。……ラザニアとはこれまた渋いものを。
「……ところで母さん」
「何? 楓ちゃん」
「私の分は? 明らかに人数分足りないんだけど?」
「楓ちゃんの分は……えーっと……」
そう言って普通にラザニアを出してくれるのかと思いきや、灰皿のような皿を一枚取り出し、私の目の前に置いて一言。
「──はい、これが楓ちゃんの分よ」
「霞を食えと!?」
私は仙人か何かですか、そうですか。
「あらごめんね。てっきりタバスコ掛けご飯が入っているものだとばかり……」
「タバスコ掛け!? アレは調味料だけどふりかけじゃないのよ!?」
「タバスコは嫌いだったかしら? それなら卵──」
「もうそれでいいわ。卵かけご飯で」
「──の殻かけご飯で良いのね?」
「良くない! 何一つとして良くないから! せめて中身を掛けなさいよ!」
「嫌だわ楓ちゃん。また新しいエロネタでも思いついたの?」
「人の話を聞けクソババア!!」
全く、なんで皆にはラザニアで私には霞とタバスコ掛けご飯なのよ。そもそもタバスコ掛けご飯って何よ。卵の殻かけご飯って何よ。
ていうか、どうしてここに来て私が同人誌のエロネタを思いついたかのように言うのよ。もう描いていないもののネタなんて思いついても口に出すわけないでしょうが。
「楓姉さん……。母さんを、ババア呼ばわりはダメ……。そこは、老いぼれって呼んであげなきゃ……」
「楓姉さんの分はこの私が全部食べておいたよ! ていうか仙人になれるなんて羨ましいよっ! 水と空気だけで生きていける存在になれるんだよ!? そこは普通に喜ぶべきだよ楓姉さん!」
「お前らどっから出しゃばってきたの!? つーか恵コラァ! 何人のラザニア勝手に食ってんのよ!」
シバきたい。今すぐコイツらをブチ殺したい。
「こらっ、勝手にお姉ちゃんの分を食べちゃダメよ恵ちゃん。罰として恵ちゃんの分はお父さんにあげるから、今日は水だけで過ごしなさい」
「……ぶっ、ザマァ」
「良いもん! 良いもん!! 私はいつものように有海姉さんの分を食べるから! 晩御飯抜きになるのは有海姉さんなのだ! はいザマァ!」
「あ゛……? お前、ブチ殺されたいの……?」
「いやそれこっちの台詞だから。お前ら全員ぶん殴るぞコラ」
何でここに来て家族漫才的な展開になるのよ。アキ君と瑞希含めて誰一人としてついていけてないじゃない。全員顔がポカーンってなってるじゃない。
『ね、ねぇアキ。水瀬さんの家族って、いつもこんな感じなの……?』
『うん。今日は美雪さんがいないから、マシな方なんだけどね……』
『俺のおふくろはまだマシな部類だったんだな……』
『…………良識ある家族に感謝』
『よく怒る姉上はまだ可愛い方じゃったか……』
『あ、あはは……』
家族の団欒に口を挟むものではないと思ったのか、次々と部屋を出ていくアキ君達。お願い皆。私もそっちに入れて。お願いだから、コイツらと一緒の空間に残さないで……!
「なんだかんだで飯は美味かったな」
「そうだね。芽衣さんは相変わらず料理が上手いよ……」
「まぁ、能力だけは高いからアイツら……」
なんだかんだでご飯は食べた。いや、食べることができた。あれから部屋を出て行ったアキ君と瑞希が私の分を持ってきてくれたのだ。……正確には美雪姉さんの分だったけど。
「いたた……恵ちゃん、加減の知らなさが昔よりも悪化してたよ……」
「さっきから思ってたけど、すごい顔になってるわよ、アキ」
「不可抗力、なんですよね……?」
「当たり前だよ……僕はただ、トイレに行きたかっただけなのに……」
アキ君の頬がおたふく風邪みたいに赤くなっている件については、私からはツッコまないでおく。というのも、さっきトイレに行った際──
『ひっ……あ、あ、アキ兄さん……!? な、なんでここにいるの……!?』
『そ、そこにトイレがあるから……』
『じ、じじ、ジッと見てる暇があるなら出て行け! 出てけバカ兄さん!! 死ねぇぇーっ!!』
『ちょ、それは洒落にならなぎゃぁぁーっ!?』
──トイレの傍にある風呂場にいた、風呂上がりの有海と恵に遭遇してしまったからだ。これがラッキースケベってやつね。
「楓、今日使った資料をいくつか貰ってもいいかな?」
「あっ、ウチも国語と漢字の資料を借りたいんだけど……」
「…………保健体育の資料を何枚か借りたい」
「良いわよ。だけど故意に汚したり、破損させたり、無くしたりしたら弁償してもらうからね」
この部屋にある膨大な量の資料、全部手に入れるのにめちゃくちゃ苦労したからね。金額も入手条件もバカにならないものばかりだし。お手製の資料もあるにはあるが、数は非常に少ない。
ふと時計を見てみると、その針が九時半を指していた。勉強と休憩に四時間、晩飯を食うのに一時間も使っていたなんてね……。
「皆、そろそろ帰った方が良いんじゃない? ていうか私は今すぐにでもここから逃げたいんだけど」
「そうだな。これ以上遅くなると親に怒られる奴もいるし、今日はこの辺にしとくか」
雄二の言う親に怒られる奴とは瑞希のことだ。島田さんも怒られるかはわからないが、妹の葉月ちゃんが心配する可能性がある。
男子組は大丈夫だろう。喧嘩の強い雄二ならよほどのトラブルに巻き込まれない限り問題ないし、ムッツリーニもその気になればトラブルからは逃げ仰せそうだし。となると心配なのは秀吉か。男にしては非力だからね。私よりも力が弱いし。
アキ君? あのバカの一体何を心配すれば良いのか、私にはわからないね。なので大丈夫。トラブルに巻き込まれても次の日には元気になって現れるわよ。
「水瀬、今日はありがとうな」
「大勢で、それも無理に押し掛けてすまなかったのう」
「…………ありがとう。できればまた来たい」
「資料まで貸してくれて、ホントにありがとう水瀬さん」
なんでや。なんでこの四人は嬉しそうな顔をしているんだ。特にムッツリーニと島田さん。もうこんな家に人を呼ぶのは嫌なんだけど。……翔子がいなくて、本当に良かったわ。
さっさと家を後にするべく、必要なものを持って玄関に向かう。その途中、瑞希に妙なことを聞かれた。
「楓ちゃん」
「何?」
「どうして、一人暮らしを始めたんですか?」
どうして、か。そんなの決まってる。
「この家が、家族が嫌だったからよ」
「家族はともかく、家も嫌なの? 自分の部屋にあんなにたくさんの資料があるなんて、いろんなことを忘れる僕からすれば羨ましい限りなんだけど」
「私もそう思います。資料だけじゃなくて、パソコンも印刷機もあって……何でもできる環境で過ごせるなんて、羨ましいです」
今度は羨ましい、か……。あぁ、この子達にはわからないんだろうな。うん、この際だ。コイツらには言っても、聞こえても大丈夫だろう。
ちょうど玄関に着いたところで、私は羨望の眼差しを向けてくる瑞希とアキ君に、昔から確信していたことを告げる。
「瑞希。何でもできる環境、って言ったよね?」
「は、はいっ」
「……何でもできる。それはつまり、あの部屋から、この家から出なくても生きていけるってことになるんだよ」
「それはさすがに極端過ぎない……?」
「そうね。でも、そう思えるだけのものが、ここにはあるのよ」
何でもできる環境。それは求めなくても全て揃っているということ。わざわざ外に出なくても、部屋にいるだけで問題が解決してしまう。
かなり極端な意見ではあるが、私は小学校に入った頃からずっとそう思っていた。だからこそ、この家から出たくなった。外の世界を、私の見たことのない世界を、この目で見たかったからだ。
その想いを瑞希達に告げ終えたところで、玄関の扉を開ける。やっと、ここから出られ──
「ただいま楓ちゃーん!」
「嫌ぁぁまた出たぁぁーっ!」
──またしてもクズに絡まれた。
「離して姉さん! 私はもう帰るから!」
「帰るならせめてお金ちょうだい、お金! 有海や恵はくれないんだよー!」
「当たり前でしょうがこの銭アマ!」
しかも喋るなりこれである。コイツの頭にはお金のことしかないのか。いや、コイツ構ってちゃん気質もあるから……お金が絡まなくてもこういう風になるわね。間違いなく。
さすがに今度ばかりは長時間の足止めを食らうわけにはいかない。姉さんには悪い──とは微塵も思っていないが、力ずくで退いてもらう。
「離、れろ、このクズがぁ!」
「クズとかアマとかさっきから口がぶべらっ!?」
姉さんの下顎に渾身のアッパーを入れ、強引に家の中へ放り込み、玄関の扉を閉める。さようなら姉さん。できることならもう顔は見たくないわ。
「はぁ……完全に油断してたわ……」
「あはは……」
「でも、お金にうるさいだけで、悪口だらけの妹さんよりはマシじゃないの?」
「島田さんはあのカスを知らないからそんなことが言えるのよ。『私の物は私の物、姉妹の物も人権含めて私の物』とか平気で言って、実行に移す女。それが水瀬美雪なんだから」
それにあんなでも学力は高い。Aクラスに入っているのが何よりの証拠だ。首席でないことには驚いたが。あの姉よりも凄い奴が、三年にはいるのだろうか?
最初から最後までいろいろありすぎたが、もう私を阻むものはない。これでようやく、あのオンボロアパートに帰ることができる。
皆とは途中で別れ、瑞希はアキ君が、秀吉は私が家まで送っていくことになった。普段ならデート気分になっていたに違いないが、今回は実家からの帰りというのもあって、素直に喜べるほどの気力はもう残っていなかったことを、心底悔やむのだった。
『母さん! 私の晩御飯がないんだけど!?』
『さっき楓ちゃんの分が欲しいって、アキ君と瑞希ちゃんが持っていっちゃったのよ。だから美雪ちゃんのご飯は抜きね』
『そんなぁーっ!?』
バカテストは当分、特別問題になります。自分で問題を考えるの、結構楽しいな……。