あとはお任せします、姉上 (ぬえぬえ)
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あとはお任せします、姉上

 本編の信勝くんがあまりにも『アレ』過ぎたので、勢いのまま書いちゃいました。


往く(・・)のか、信勝」

 

 その言葉を受けて、僕は顔に笑みを浮かべた。僕からすれば、誰が見ても『笑顔』と断言するであろう、完璧な笑顔のつもりだ。

 

 

 でも、それが目の前の人―――――第六天魔王 織田信長の目にどう映ったのか、どう見えたのか、そればかりは分からない。

 

 

 ぎこちなかっただろうか? 頬が引きつっていただろうか?

 

 無理矢理引き上げた表情筋が、口角がヒクヒクと痙攣していただろうか?

 

 紅潮した鼻から「ズズッ」と間抜けな音を鳴らしていただろうか?

 

 噛み締めていた下唇から血が出ていただろうか?

 

 閉じられた両目の目頭に、何か温かい(・・)モノが溜まっていただろうか?

 

 

 もしも、もしもそんな表情をしていたのなら、姉上は『あの時と同じだ』と思ったに違いない。何せ、僕の最期(あの時)も、同じような顔をしていたのだから。

 

 

 姉上は――――後の世で『第六天魔王』と呼ばれる織田信長は、とても不思議な人だった。

 

 『吉法師』と名付けられ、武家の女子としての養育を受けた姉上。なのに、姉上は「武家の女子」と言う言葉から一番遠いと言える存在になってしまった。

 

 乳母達の手をすり抜けては城下へと繰り出し、村の子供たちと戯れる、露店を冷かす、山に潜む獣を追い掛け回す、逆に追い掛け回される等々、武家の男子でもやらないようなことを平然とやってのける、『わんぱく娘』となったのだ。聞いた話によると、まだ赤子だった僕を背負って城下に繰り出し、僕がかどわかされたと城中で大騒ぎになったこともあるとか。

 

 特に酷かったのは、「水練じゃ!!」と言って着物姿のまま川に飛び込み、後に高熱を出して七日程生死の境を彷徨ったことだろうか。そう、照り返す己の額をペチペチと叩きながら平手の爺が語ってくれた時は思わず笑い転げそうになった。

 

 僕の横に「今更そんなことを引っ張り出すな」と渋い顔をする姉上が居た手前、自分の腿をつねることでどうにか笑いを噛み殺すのに苦労したのはいい思い出だ。

 

 

 ともかく、そんな『不思議な人』だった。傍から見たら、気が狂った(・・・・・)かように映るぐらい、とにかく『不思議な人』だ。

 

 そんな、何の前触れもなく、誰もが度肝を抜くことを平然とやってのけるその姿に、多くの者は変なモノを見るような目を向け、不愉快そうに眉を潜め、『尾張の大うつけ』などと口々に囁き、好き勝手に嘲り罵った。

 

 一番酷かったのは母上だ。腹を痛め、命を懸けて産み落とした子である姉上を、散々に貶し、嘲り、罵った。しかも、姉上が目の前に居ようが居まいが関係なく、時には姉上の存在を確認した上で、呪詛染みた言葉を吐き出すこともあった。

 

 その行為に姉上は『わんぱく』を助長させ、それに母上は更に大量の呪詛を吐き出す。当時の、そして今の僕から見ても堂々巡りだと思う。まぁ、どちらとも『意地っ張り』だったから、仕方がないことだ。

 

 

 そんな『尾張の大うつけ』の背中を、その姿を僕はずっと見てきた。物心ついた時から、ずっと。周りからは「あのようにはなるな」と言われながら、「悪い例」として見せつけられてきた。

 

 でも、僕はその姿が「悪い例」と見えなかった。むしろ、非常に魅力的なモノに見えたのだ。

 

 

 『武家のしきたり』と言う枠組みを撥ね退け、好きなものを、好きなことを、好きな時に、好きな場所で、好きな人と、好きなだけやれる、その『自由』が非常に魅力的だった。いや、『自由』ではない。

 

 その『自由』を謳歌している時に姉上の顔が、光り輝くような笑顔が、誰よりも、何よりも、どんなことよりも魅力的だと映ったからだ。そして、決まってその周りには同じような笑顔を浮かべている者たちで溢れかえっていたからだ。

 

 僕もあそこに行きたい。あそこに行って、一緒に顔中泥だらけになりたい。顔を見合って、一緒にゲラゲラと笑いたい。肩を組んで、一緒に歩きたい。刻一刻と進んでいく時間を、一緒に過ごしたい。

 

 

 でも、それは『武家の嫡男』と言う立場が、姉上の素行に嫌気をさしていた家臣と母上によって阻むことになった。僕は『自由』から切り離された世界で、『次期当主』としての養育をされた。喉から手が出るほど欲しかった、『姉上の傍(自由)』から最も遠い場所へと。

 

 

 それからだろうか、姉上を疎ましく思うようになったのは。無論、姉上の所業で母上や家臣など、周りの期待と圧力を余計に背負い込まされたことや、姉上が欲しいままにしている『自由』に嫉妬したことも、その原因であろう。

 

 

 でも、一番は、『姉上の傍に居たい』と言う、どうすることも出来ない渇望だった。

 

 

 その渇望が、当主としてふさわしくないように見えてしまったのだろう。ある日、父上が僕ではなく、姉上を次期当主に据えようとしていることを耳にしてしまった。

 

 それを聞いた母上は報告した者をこれでもかと怒鳴り付け、父上を問い詰めに部屋を飛び出し、家臣たちはそれぞれ顔を青くし「織田家も終わりか……」と落胆し、僕はその報告の意味を理解しようと必死に咀嚼していた。やがて、何人かの家臣たちが僕に向き直り、平服しながらこう言い出した。

 

 

「このままでは、若様の全て(・・)を奪われてしまいますぞ」

 

 

 一人がそう言うと、咳を切ったように他の家臣たちが次々と進言を吐き出し始めた。

 

 

 このままでは、僕がやってきたことが、費やした時間が、背負い込んだ苦行の全てが無駄になってしまう、遊びほうけていた姉上(うつけ)にその全てを奪われてしまう、姉上が当主になったら織田家が滅んでしまう、姉上よりも僕の方が当主にふさわしい人物である、と。口々に、僕にとって『耳当たりの良い』言葉を吐き続ける。

 

 

 でも、それらは僕の耳に入らなかった。それよりも、僕の頭の中を一杯にするモノがあったからだ。

 

 

 それは『希望』。次期当主と言う柵から解放されることを、今まで渇望していた、『自由』を手に入れることを意味する、最後の『希望』のように見えたのだ。

 

 

「何より、『女子』なんぞに武家の当主が務まるわけがありません」

 

 

 ふと、家臣の言葉が聞こえた。あれだけ他の言葉は入らなかったのに、その言葉だけは異様に大きく、そして嫌と言うほど僕の鼓膜を揺らした。

 

 

 

「姉上を悪く言うな!!」

 

 

 

 いつの間にか、僕は立ち上がってそう声を張り上げていた。あまりの大声に、家臣一同が目を丸くして僕を見てくる。その呆けた顔の一つ一つを睨み付け、僕は荒い息を整えなが再び腰を下ろした。しばし、沈黙が流れる。

 

 

「さ、さすが若様。あのう……吉法師様をお庇いになるとは……我ら、その度量の大きさに感服しますぞ」

 

 

 沈黙を破ったのは、先ほど姉上を罵った者だった。それを皮切りに、再び家臣たちが耳当たりの良い言葉を吐き出し始めた。しかし、その時の僕には先ほどとは違うモノで再び一杯になっていた。

 

 

 

 それは、僕に成り代わる当主が、『女子(姉上)』であること。

 

 

 たった今、あの家臣が言った通り、武家の当主に女子がなるなど聞いたことが無い。例え、(ぼく)以上に『武家の男らしい』姉上であっても、いくら才気に溢れていても、『女子である』と言うだけで渋い顔をされるのだ。そう思うのが先ほどの家臣だけとは限らない、何より母上がそれを良しとしないだろう。

 

 

 もし、このまま父上が姉上を次期当主としたら、どうなる? 母上を筆頭に、多くの家臣が姉上に反発するのは明白。やがて、姉上を当主の座から引きずり下ろすだろう。その後、当主になるのは確実に僕だ。せっかく手に入りそうな『自由』を、また取りこぼしてしまうではないか。

 

 

 

 ……いや、そんなことは――――僕のこと(・・・・)はどうでもいいのだ。

 

 

 当主の座から引きずり降ろされた姉上はどうなる? 普通なら『姫』として手元に置いておくだろう。しかし、母上や家臣たちを見ると、それで済むとは限らない。

 

 それに、姉上は『周りの人を笑顔にさせる才』がある。現に、織田家家中の中でもその才を見抜いてつき従っている者も居り、城下に出れば少なくはない人々が集まるほどだ。その才を、父上も分かっていらっしゃるのだろう。だから、当主に指名した。つまり、少なからず姉上を支持する存在もあることになる。

 

 当然、母上や姉上を支持しない連中もいつかはそれに気づく。そして、それを踏まえて姉上を引きずり下ろした後、どうする? 良くて(・・・)尼寺行き、それ以外は存在そのものを消し去る(・・・・)ことになろう。

 

 勿論、姉上を引きずり下ろすことなく、膠着状態に陥ったとしよう。そんな折に、他国に攻められてしまえば、それこそ織田そのものの滅亡だ。当然、そうなれば姉上も無事では済まない。

 

 

 つまり、このまま姉上が当主になってしまったら、ほぼ確実と言っていいほど姉上がこの世から、僕の目の前から消え去ってしまう。それは、僕が今の今まで渇望していた『自由』の喪失を意味する。そして、同時に永遠に手に入れることの出来ない幻となってしまうのだ。

 

 

 それだけは阻止しなければ。『自由(あねうえ)』を守らなければ。

 

 

 

「父上にお会いしてくる」

 

 

 そう言って、僕は立ち上がって廊下へと続く襖へと近付き、手を伸ばした。しかし、僕の手が触れる前に、襖が勝手に開け放たれる。

 

 

 開け放たれた襖の向こうに立っていたのは、先程とは打って変わって顔面蒼白の母上。その姿に僕や家臣が驚いている中、蚊の鳴くようなか細い声を上げてその場に崩れた。

 

 

 

 『父上が殺された』と言う事実と共に。

 

 

 

 織田家当主の暗殺――――それは、織田家家中の命運を揺るがす大事であった。しかし、僕にとってそれよりももっと、肉親の死よりももっともっと重要な事実が降りかかった。

 

 

 

 父上が残した遺言に、『姉上を当主に』と書かれていたことだ。

 

 

 それを見た瞬間、僕はその遺言状を破り捨てそうになった。そして、今まで抱いたことのないほどの憎悪を、嫌悪感を、悲壮感を抱え、それに苛まれた。

 

 

 なったのだ。姉上が正式な当主になった、なってしまった(・・・・・・・)のだ。このままでは織田家家中が割れてしまう、織田家が弱体化してしまう、織田家が滅んでしまう。

 

 

 そして何より姉上が、あの光り輝くような笑顔が、僕の目の前から消えてしまう。永遠に手の届かない所に行ってしまう。

 

 

 そんなどうしようもない不安を、僕と同じように姉上も抱えていたのかもしれない。いや、姉上は更にその先を、それを解決する策を打った。

 

 

 

 それが、父上の葬式に姉上が行った蛮行だ。

 

 

 皆が粛々と父上の死を悼む中、その辺の農民と大差ない姿でやってきた姉上は、経を読んでいた坊主を押し退けて父上の位牌の前に立った。そのまま沈黙した姉上は、部屋に居た全ての人間の視線が姉上に集中するのを見計らって、有ろうことか手元にあった抹香を掴んで父上の位牌に思いっきり投げつけたのだ。

 

 

 その行為に母上も、参列していた家臣も、平手の爺も、僕ですら息を呑んだ。唯一、蛮行を起こした姉上だけが大きく息を吐き、すぐさま踵を返して出て行ってしまった。その後ろ姿を、僕以外はポカンと口を開けて見つめ続ける。

 

 しかし僕だけは、踵を返すほんの一瞬、姉上が僕に向けて微笑みかけたのを見た僕だけは、その真意を理解できた。

 

 

 

 姉上は自身を陥れたのだ。自らが当主にならぬよう、父上の遺言を白紙に戻させるよう、僕を当主にさせるよう、自らを陥れたのだ。

 

 

 その蛮行を、それが姉上が仕組んだ策だとも知らず、母上や家臣たちは手を叩いて喜んだ。これで僕を当主に出来る、と。これで織田家は安泰だ、と。

 

 その姿を見て、そして彼らに担がれた僕は、姉上を卑下されている事実に複雑な心境を抱きながらも、安堵の息を漏らした。

 

 これで、少なくとも姉上の身の安全は確保できた。余計な権力争いからも逃れ、姉上も今まで通り『自由』を謳歌できる。あの光り輝く笑顔を、見せてくれるだろう。

 

 

 しかし、ことはそう上手く運ぶものではないのを、僕は思い知らされた。

 

 

 姉上の後見人を担っていた平手の爺が、突然死んでしまったのだ。

 

 表向きは、父上の葬式の際に姉上が犯した蛮行を恥じて、自らの死を持って姉上を諫めたとされた。そう、表向き(・・・)は、だ。

 

 

 

 

『平手のお蔭で、あの大うつけを殺し損ねたわ』

 

 

 

 平手の爺が死んだ翌日、僕は偶然それを聞いてしまった。平手の爺は自ら死んだのではなく家中の者に、それも姉上を殺そうとした者の手にかかって死んでしまったのだと、知ってしまった。

 

 その言葉を吐いたのが僕を当主と担ぎ上げた重臣の一人であったことも、そしてよりにもよってそれを実行せよと命令したのが、母上であったことも。

 

 

 僕はすぐさまそのことを母上に問い詰めた。何故姉上を狙った、僕が当主になった以上、姉上の命を狙う理由は無い筈、なのに何故狙ったのだ、と。息を荒げて、煮えくり返る腸をこれでもかと見せつけ、鬼も裸足で逃げ出すだろう凄まじい形相で、母上に迫った。

 

 

 そのおかげで、母上は簡単にその理由を吐いた。

 

 

 

 『(信勝)が当主となったから』だと。

 

 

 その理由に、僕は面を喰らった。その意味が、道理が、根拠の一切を理解できなかったためだ。

 

 

 

 僕が当主になれば、姉上は無駄な権力闘争に巻き込まれることは無くなるのではないのか?

 

 僕が当主になれば、姉上は今まで通りの生活を送れるのではなかったのか?

 

 僕が当主になれば、『自由(姉上)』を守れるのではなかったのか?

 

 

 そんな疑問が、ぐるぐると頭の中を回り続けた。そこに、僕の身体に縋り付き散々に泣き喚く母上の戯言が入り込んでくる。

 

 

 未だに姉上を慕う者も多く、更に遺言には姉上を指名されている。そのため、いつ何時他の奴らが姉上を担ぎ出すのかも分からない。ならば、争いの芽は早期に摘んでしまうのが最良である、と。

 

 それにあの性格では、到底嫁の貰い手はないだろう。そうなれば、姉上は周りから『行き遅れ』と蔑まれ、同時にそんな人間をいつまでも置いている織田家の名に傷を付けてしまう、と。

 

 そして何より、母上()はあの『姉上(出来損ない)』が織田家当主になるのが我慢ならない、と。

 

 

 

 そんな母上の戯言を、僕は聞く耳を持たなかった。そんなことで姉上を殺す理由になるとでも、そんな身勝手な、我が儘な、理不尽な理由で、屁理屈で納得するとでも思っているのか。

 

 しかし、現実に姉上を殺そうとされ、それを平手の爺が己の命を擲って阻止した。そんな馬鹿らしい理由で、人が死んでしまったのだ。しかも、これによって姉上は後見人を失った。姉上を守る存在が、今の今まで山の如く佇んでいた大黒柱が、支えていた屋台骨が折れてしまったのだ。

 

 そうなれば、誰が姉上を守る? 同じように第二、第三の刺客に襲われた時、誰が姉上を守ると言うのだ。襲われる理由が『僕』である以上、それが止むことは無いだろう。

 

 

 なんて、なんて理不尽な世の中だろう。一個人の勝手な都合で他人を巻き込み、正当性を捻じ曲げ、多くの命を奪いさる。そんな蛮行が通例化し、横行し、当たり前になっている。それを阻止することも、無くすことも、消し去ることも出来ない、そんな理不尽な世の中だ。

 

 僕はそんな世の中に、『時代』に居たくない。ただ、『姉上の横に居て、顔を見合って笑う』だけで、それだけで僕は満足なのだ。姉上を守れるなら、それで十分なのだ。

 

 例え、織田家当主の座を、今目の前で縋り付く母上を、僕を担ぎ上げる卑しい家臣共を、そして()が消えてしまったとしても。

 

 

 

 

 ―――そうだ、その『手』があるではないか。僕を―――姉上を消し去る『理由』を消せばいいではないか。

 

 

 理由()だけではない。『姉上を害そうとする存在』もまとめて先に(・・)消し去ってしまえばいいではないか。そうすれば、残るのは姉上を慕う者たちばかり。あの光り輝く笑顔の姉上、その周りで同じように笑顔を浮かべる者たちばかりだ。

 

 彼らなら姉上を、『自由』を、あの光り輝く笑顔を、いつまでも守ってくれるだろう。それなら安心だ。安心して、僕は消えることが出来る。それで、織田家も姉上の元に結束を強めることが出来、『万事解決』ではないか。何故、何故こんな簡単なことが思いつかなかったのだろうか。

 

 

 やはり、僕は姉上よりも遥かに『うつけ者』のようだ。

 

 

 もし姉上なら、あの蛮行を演じた姉上なら、すぐに思いついただろう。そんな姉上を、母上は『出来損ない』と言った。なら、そんな『出来損ない』よりも馬鹿で愚かな(うつけ者)は何だろうか。

 

 

 そう、『無能』だ。僕は『無能』なのだ。

 

 『能が無い』のだ。そんなヤツが当主になるのは、その家の滅亡を意味する。ならば、『無能』よりも幾分か取り柄のある『出来損ない』が当主になるのがふさわしい。

 

 ハハッ、これは痛快だ。痛快の極みだ。この『時代』に、ここまで筋が通った話があるだろうか? いやないだろう。ならば、僕はその先駆者となる、第一号となる、『無能』の代名詞となるのだ。

 

 

 これが笑わずにいられるか? 笑うしかないだろうさ。何せ、僕は『無能』なのだから。

 

 

 

 それ以降、僕は姉上に、そして家中の者たちに横暴な態度を向けるよう努めた。

 

 それは、少しでも姉上につき従う者たちを増やし、そしてそれでも僕にすり寄ってくる家臣たち―――――早い話『道連れ』をかき集めるためだ。母上が言っていた通り、『争いの芽を摘む』ことは大事であるからな。

 

 

 次に、僕は正式な当主である姉上を差し置いて、代々の当主が継承してきた官位『弾正忠』を名乗った。

 

 これを名乗るのは僕が当主であると内外に発表することに直結する。端的に言えば、正式な当主である姉上に盾突いたのだ。これでまた、多くの家臣が姉上の元に集まった。同時に、『道連れ』の殆どが集まった。

 

 

 更に、僕は叔父の家臣が誤って弟を殺してしまったことを受け、『当主の一族殺し』の罪でこれを滅ぼした。

 

 当事者である家臣、そして叔父や他の家臣、その城下ごと領民の一人も残さず、徹底的に攻め滅ぼした。兄は「迂闊に動いた弟が悪い」と言って特に動かなかったが、これによって姉上に靡いていた『道連れ』がこぞって僕の元に鞍替えした。

 

 

 そして、それは姉上の元に『本当の忠臣』が集まったことを示していた。

 

 

 これで、準備は整った。僕の元には『争いの芽』が、そして姉上の元には忠臣が集った。あとは、どうにかして『争いの芽』を摘むか。どうにかして、『(理由)』を消し去るか。その時を待つだけだ。

 

 

 

 そして遂に、その時が来た。

 

 

 織田と接し、長きにわたり争いを続けてきた斎藤家で内乱が勃発。姉上を正式な織田家当主と主張していた斎藤道三が、息子によって討たれてしまったのだ。『美濃の(マムシ)』の異名通り、主君への裏切りによって成り上がった斎藤道三は、その生涯を息子の裏切りによって幕を閉じた。

 

 彼もまた、この『時代』の波に飲み込まれてしまったのだろう。まぁ、自業自得と言えばそうなのだが。それに、僕はその最期に何処か親近感を覚えたのは彼と同じ道を、姉上(主君)に反旗を翻すからだろうか。そんな疑問など、今となっては詮無き事だろう。

 

 

 ともかく、斎藤道三の死を契機に、僕は姉上に反旗を翻した。

 

 

 織田家筆頭家老(道連れ)を中心に倍以上の兵を率い、姉上の居城へと攻め寄せた。そして、倍の兵を率いながら敗北した。沢山の道連れを、先に逝かせることに成功したのだ。

 

 

 だが、僕自ら打ち負けるよう仕組んだわけではない。戦ばかりは僕の采配でどうにかできるモノではなかった。だからこそ、そこで姉上の凄さを知った。姉上は『己』だけで、自らに降りかかる火の粉を払ったのだ。

 

 

 母上や家臣などの力を借りなければ動けない無能()と、己の力で周りを纏め劣勢を覆した出来損ない(姉上)。どちらが当主にふさわしいだろうか。そんなモノ、赤子でも分かるわ。

 

 

 そして、僕は姉上に降伏してその身柄を明け渡した。あとは、姉上が謀反の罪で僕を殺せばいいだけだ。それで、僕の計画は完遂する。

 

 

 

 しかし、姉上は僕を許した。『一族であるから』と、言う理由で僕を許したのだ。

 

 

 

 その事実に、僕は初めて姉上に対して怒鳴った。『一族など関係ない』、『情けは無用、早く殺せ』と、ありったけの罵詈雑言をまき散らしながら、盛大に姉上を罵った。

 

 

 だって、僕は一族であった叔父を滅ぼしたのだから。自分は一族を殺しておいて、『一族だから』と言う理由で助命を乞うなんて、そんな真似が出来なかったから。

 

 

 だが、僕は許されてしまった。もっと言えば、僕につき従った道連れ共も許されてしまった。ここで、僕は姉上の『出来損ない』な点を垣間見た。それは、『一族に対して甘すぎること』、『一族を贔屓してしまうこと』だ。

 

 

 

 これではだめだ。これでは、また姉上が正式な当主と認めない者が出てくる。そして、姉上の命を狙われてしまう。それだけは、それだけは何とか阻止しなければならない。

 

 

 しかし、一度降伏してしまった手前、兵を集めて戦を起こすことは難しい。僕に従った者たちも、姉上の寛大な措置で忠誠を誓ってしまっている。勿論、それが本来の目的ではあるのだが、それは理由()を片付けた後だ。今はまだ、姉上に反旗を翻さなければならない。姉上に抗って、殺されなければならない。

 

 

 だから、『戦』ではなく『暗殺』を企てた。それも、意図的に姉上に漏れるように仕向けて。

 

 

 蟄居中の僕が密かに外部の者と通じ、姉上の暗殺を謀ろうとしている――――そんな噂を意図的に流させた。今まで付き従っていた者を使って。勿論、全員に馬鹿正直に話すことは無く、その殆どには僕が密かにその計画を進めている姿をワザと見せて、それを姉上の近臣に伝聞させることで噂を流した。

 

 

 恐らく、そ奴らはこの報告で反旗を翻した罪を払拭しようとするだろう。元々平気で主君を鞍替えす奴らだ、その卑しい利己心を利用するに限る。しかし、それだけでは姉上も、そしてその近臣たちも大きくは動かないだろう。

 

 

 だからこそ、僕はそのことを面と向かって話した。その噂を決定づけさせるために、僕に付き従った者の中で最も信頼できる男――――『柴田勝家』に。

 

 

 

 

 それを聞いた勝家は、即座に僕の願いを断った。そんなことをすれば、自分は末代まで『裏切り者』の汚名を被ることになる。そんな屈辱を味わうなら、『僕の忠臣』として一緒に処刑された方がマシだ、と。そう言ってくれた。

 

 

 その言葉に僕は苦笑いを浮かべた。彼なら、そう言うだろうと思っていたから。彼なら、自分のことと同じぐらい僕のことを思ってくれるから。彼なら、僕の願いを聞き届けてくれるから。

 

 

 『だからこそ、僕はお前に頼みたい』――――そう言ったら、勝家は年甲斐もなくその場で泣き崩れた。

 

 

 大の男が子供のように泣き喚くのは見苦しいと思った反面、その涙が僕のためであるのかと思うと、胸の奥がジンワリと温かくなった。

 

 

 やがて、落ち着いた勝家は涙や鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま頭を下げ、僕の願いを聞き届けてくれた。腹の底から絞り出した声は所々震えていたが、それでも力強い言葉だった。それを受け、僕は未だに震えているその肩に手を置く。

 

 

 『姉上を頼む』――――――そう言いながら。

 

 

 

 その言葉に勝家は再び肩を震わせるも、それを押し留めるように深々と頭を下げた。その姿に、僕は再び苦笑いを浮かべる。

 

 

 しかし、その苦笑いは頭を上げた勝家が吐き出した言葉によって、瞬く間に瓦解した。

 

 

 

「この勝家は、土田御前様でも、筆頭家老様でも、況してや御館様でもない。『弾正忠』様、貴方様のお姿に惚れて織田家に仕官し、貴方様を『御館様』として盛り立てて行こうとしていたのです。どうかそれだけは、それだけはお忘れ無きように」

 

 

 涙でぐしゃぐしゃの顔を精一杯に綻ばせながら、勝家はそう言ってくれた。それは、母上でも周りの有力家老でもない、僕だけの力でその忠義を勝ち取った、『当主』としての僕に向けた、耳当たりの良い(・・・・・・)、最期の『忠言』だ。

 

 

 僕は、それに対してふさわしい言葉を返すことが出来なかった。何故なら、彼に微笑むだけしか出来ない―――――彼の『当主』としての威厳を示すのに精一杯だったから。

 

 

 

 そんな勝家との密談から数日後、姉上が病に臥せり、僕の顔を一目見たい、と言う文が来た。それをもたらしたのは勝家、そしてそれこそが僕を殺す計画であることを教えてくれた。

 

 

 それを伝える勝家の顔は暗い。当たり前か、自分が心の底から惚れ込んだ男が今まさに殺されようとしているのだから。だからこそ、僕は彼の肩に手を置き、そして『姉上を、織田を頼むぞ』と告げた。すると、またもや勝家は年甲斐もなく泣き崩れ、その場で平伏した。

 

 

 その姿を見て僕は笑いながら姉上が寄こした馬に跨り、従者に引き連れられて姉上の元に向かう。その間も勝家は平伏を続け、その姿が見えなくなるまで微動だにすることは無かった。

 

 

 

 それが、僕が見た彼の最期の姿だ。

 

 

 そのまま、従者に引かれて姉上の居城にたどり着く。予想では、道中で刺客に襲われるのではないか、と思っていたが、期待外れであった。

 

 

 そして、従者から小姓に案内役が変わり、そのまま何事も無く僕は姉上の元へと歩を進める。その間、僕は何度か己の懐に手を当てた。

 

 

 

 道中、周りに潜む気配は無かった。勝家はこれが罠だと言っていたが、本当にそうなのか、と疑問に思うも、それは姉上が居るとされる部屋の前に来たところで吹き飛んだ。

 

 

 一枚の襖を隔てた先から、紛れもない殺気を感じたからだ。それも、一つや二つではない、優に五、六人はいるだろう。だが、それと同時にコホコホ、と言う咳が聞こえた。

 

 

 やがて、小姓によって襖が開かれる。その瞬間、僕の身体は動き出していた。

 

 

 

 

 

「姉上!!」

 

 

「おぉ……信勝か……」

 

 

 襖の先には当然姉上が居たのだ。それも、普段なら人前に出ない夜着の姿を晒し、その顔を青くさせ、布団の上で苦しそうに咳をする姉上が。

 

 

 

 

「本当に……ご病気になられていたのですか……」

 

 

「『本当』も何も、儂は病気だからお主を呼んだのじゃが……」

 

 

 

 思わずポロリと漏れた言葉に姉上は眉を潜めるも、すぐにそれは込み上げてきた咳によって消え去った。

 

 

 

「姉上、ご自愛ください。今、小姓に薬湯を用意させましょう」

 

 

「いや、良い。それよりも、儂はお主と話がしたかったんじゃ」

 

 

 そう言って、上体を起こす姉上。その背中に手を回し、その手助けをする。すると、姉上は「すまんのぉ」溢して苦笑いを向けてきた。

 

 

「それで、話とは?」

 

 

 姉上が起き上がるのを待って、僕は切り出した。すると、姉上の顔に影が掛かり、一瞬躊躇する表情になる。しかし、それもすぐに笑顔に戻った。それは、あの光り輝くものではなく、何処かぎこちないモノだ。

 

 

 

 

 

 

「信勝、これより儂の家臣として仕えぬか?」

 

 

 そんな仮初の笑みを僕に向け、姉上はそう言い放つ。その言葉に、僕はすぐに反応することが出来なかった。何せ、僕を殺そうとしている姉上()が、僕を傘下に引き入れようとしているのだから。

 

 

 

「お主が儂に反旗を翻したのは、どうせ母上や家老に炊き付けられただけであろう? 儂はお主とこれ以上争いたくはない、共に(・・)この織田家を盛り立てて欲しいのじゃ。初めは周りから煙たがれようが、それも時間が解決してくれる。儂は過去のことをとやかく言うつもりもないし、他の者もそれ相応の働きをすれば認めてくれよう。どうじゃ? 儂に仕えてくれぬか?」

 

 

 姉上は時折顔をしかめながら、それでも笑顔を崩さずにそう言ってきた。その語気、そして必死に取り繕っている笑顔から、その言葉が本心からであることが分かる。姉上は、今までのことを水に流そうとしている。そして、姉弟揃って織田家を盛り立てて行こうと、そう手を差し伸べているのだ。

 

 

 

 そして、その手を僕が掴むことを、心の底から望んでいるのだ。

 

 

 

 

 

 

「それは無理です、姉上」

 

 

 だからこそ、僕はその手を払い退けた。そう言った瞬間、あれだけ取り繕っていた姉上の笑顔が消え去り、悲痛の面持ちに変わり、その顔もすぐに下を向いてしまう。

 

 

 

「……何故じゃ、何故無理なのじゃ」

 

 

 顔を下に向けた姉上から、絞り出すような声が漏れた。その声は怒気を孕んでおり、その声、肩、そして姉上の身体が小刻みに震えていた。

 

 

 

 

「姉上も分かっているでしょう。僕は母上や家老どもに祭り上げられたのではなく、自分の『意思』で貴女に反旗を翻したんです。これは、いくら一族と言えども許されることはまずありません。もし、ここで僕を消さなければ、それはやがて姉上に盾突く芽となりましょう。そしてそれは、織田家存亡の危機となりましょう。そんな確実(・・)な芽を御当主自ら捨て置かれるのは、些か配慮にかけまするぞ」

 

 

 僕は、なるべく自然な口調でそう述べた。その言葉を吐きだす度に、姉上の顔は苦痛に歪んだ。そして、同時に周りから尋常ではない殺気を感じたのだ。

 

 

 

「姉上、貴女は女子ですが、この織田家の当主です。武家の当主とは、常に合理的に物事を判断しなければいけません。ましてや、血族の情に流されて謀反人を許すなど、言語道断です。これでは、その謀反で散っていった者たち、そしてこれから貴女様を支えていく家臣一同に、顔向け出来ません。だから、『血族の情(そんなもの)』すぐに捨て去ってくだされ。それも、貴女の恵まれた境遇に嫉妬し、身の丈に余ることをしでかした、哀れな『無能』なら、尚更切り捨てるべきです」

 

 

「お主が『無能』なわけがあるか!!」

 

 

 僕の言葉に、今まで黙っていた姉上がいきなり吠えた。そのことに面を喰らう僕を尻目に、姉上は自らの手に視線を落としながら、淡々と言葉を吐いた。

 

 

 

「お主が反旗を翻した『本当』の理由は知っておる。儂とお主で、家中が真っ二つに割れるのを防ぐためであろう? そんなこと、『最初』から分かっておったわ。だからこそ、儂は父上の葬儀の時に蛮行をしたのだから。だからこそ、叔父上討伐の折にどっちつかずなことを言ったのだから。儂だって、お主と同じように分裂の危機を防ごうとしたのじゃ。お主を当主にさせようと躍起になっていたのじゃ。そして、お主が儂の暗殺を企てていること、そしてそれが儂に自身を殺させる計画であることを、お主の『忠臣』から聞いたからこそ、今こうしてみっともない姿を晒しているのじゃ」

 

 

 ポツリポツリと、一つ一つ噛み締めるように言葉を吐く姉上を前に、僕は何も言えなくなってしまった。姉上も僕と同じようなことを、同じようにしようとしていたことが、それが直接的ではないにしろ、『姉上の傍』に居られたことが、何よりもうれしかったからだ。

 

 

「お主が挙兵した際、儂はお主を当主にすることを諦めた。この一戦でお主を下し、儂が正式な織田家当主になることを決めたのじゃ。だから、あの時は元味方であり、そして戦後に登用することも可能であった沢山の家中の者を容赦なく殺した。お主の言う通り、争いの種を残さぬように。だがお主だけは……幼き頃、乳母に叱られる儂の背で無邪気に笑っていたお主だけは、どうしても殺すことが出来なかった。またお主の笑顔を、姉弟揃って笑い合える日を望んでいたからこそ、どうしても切り捨てることが出来なかったのじゃ。どれほどお主に罵詈雑言を浴びせられようとも、な」

 

 

「姉上……」

 

 

 いつの間にか、そう言葉を漏らしていた。同時に、僕の目頭が熱くなり、温かいモノが頬を伝っていくのを感じた。

 

 

「だからこそ、儂はもう一度言う。またここで罵詈雑言を浴びせ掛けられようが、諦めの悪い儂は、『合理的に考えられない』儂は何度でも言おう。信勝――――いや、『勘十郎』よ。儂の――――――この『吉法師』の元に、いや『吉法師』の隣に居てはくれんか?」

 

 

 そう言って、姉上はその頭を下げた。織田家当主が、謀反人に頭を下げたのだ。いや、それは違う。今の姉上は、ただ一人の姉として、ひねくれ者の弟に、『仲直りしよう』と言ったのだ。

 

 

 そしてそれは、僕がずっと欲しかったモノ―――――姉上の隣に行ける、最期の『希望』だった。

 

 

 

 

 その言葉を受けて、僕は顔をしかめ、頬を伝うモノに構わず、下に垂れていた両手を伸ばした。それは、あるモノを掴み、ゆっくりと引き上げられる。

 

 

 引き上げたモノを見て、次に今なお頭を下げていた姉上に向けて、笑みを溢した。

 

 

 

 

 

 

「すみません、姉上」

 

 

 

 そう言った。その瞬間、勢いよく姉上の頭が持ち上がり、その下から泣きそうな顔が現れた。しかし、その表情は、すぐさま別のモノに変わる。

 

 

 それは、限界まで目を見開きながらも、時が止まってしまったような何処か呆けた、姉上らしくない顔だ。それを見た僕は無意識の内に笑みを浮かべ、同時に喉の奥から込み上げる熱いモノ(・・)を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

「何をしておる馬鹿者が!!」

 

 

 姉上の悲鳴が部屋に響き渡る。それが響いたのか、僕は再び熱いモノを―――――『血』を吐き出した。そして、己の両手で掴んでいるモノ――――――己の腹部にその半分以上を埋めた脇差を、更に付き立てる。

 

 

 

「早う、止めい!! 止めんかうつけ者め!!」

 

 

「ハハッ、姉上に『うつけ者』なんて呼ばれるとは、世も末ですなぁ」

 

 

 僕の両手を掴み、今なお自身の腹部に深々と付きたてていく脇差を奪おうと躍起になる姉上。そんな、いつもの姉上らしからぬ姿に、僕は更に笑みを溢した。同時に、喉から込み上げた血を吐き出し、それが真っ白だった姉上の夜着を赤く染めた。

 

 

 

「姉上ぇ……夜着が汚れてしまいますぞぉ……」

 

 

「夜着などどうでもよいわ!! それよりも信勝が……信勝がぁ!!」

 

 

 僕の言葉と姉上の悲鳴が木霊する。腹にくる激痛に視界が霞む中、僕は脇差を掴んでいた片手を、姉上の肩に回した。

 

 

 

「姉上ぇ……僕の最期の我が儘、聞いてくれませんかぁ?」

 

 

「不吉なことを申す出ないはこのうつけ者が!!」

 

 

 僕の言葉に、姉上は僕の顔を見ることなく怒鳴る。また「うつけ者」って呼ばれちゃったなぁ。でも、姉上なら、別に良いか。

 

 

 

「『自由』であって下さい」

 

 

 そう、声を漏らした。今までよりもはっきりと、且つ力強く。それは、今まで僕の言葉を聞かずに取り乱していた姉上を黙らせるほどだった。

 

 

 

「姉上ぇ……どうかいつまでも、いつまでも『自由』であって下さい。いつまでも『自由』で、その輝く笑顔でいて下さい。その輝く笑顔で織田家を、日ノ本を照らし、この理不尽な『時代』を終わらせてください……」

 

 

 そう、僕の我が儘は『織田家存続』でも、『当主になること』でも、そして『姉上の隣にいる』ことでもない。

 

 

 それは、『姉上がいつまでもその笑顔を浮かべている』こと。『姉上がいつまでも、その光り輝く笑顔で過ごす』こと。そしてそれは、この理不尽な『時代(戦国の世)』を終わらせることだ。

 

 それは父上でも、母上でも、僕を担ぎ上げた家臣たちでも、そして僕でさえも成し遂げられない、まさに偉業だ。でも、姉上なら、『周りの人々を笑顔にする才』を持つ姉上なら、その偉業を成し遂げることが出来るだろう。

 

 

 だからこそ、僕はそれを望んだ。『自由』を、『最期の我が儘』とした。

 

 

 

「ですから……」

 

 

 

 そこで言葉を切り、僕は顔を上げた。

 

 

 

 そこに居たのは、真っ赤に染まる夜着のまま、涙でぐしゃぐしゃの顔を晒す、みっともない姿の姉上ではない(・・・・)

 

 

 黒を基調とした南蛮風の軍服に真っ赤なマントを翻し、巨大な織田家家紋を付けたど派手な帽子を被った。今までの姉上とは似ても似つかない、派手な格好をしている。まぁ、今の僕自身も同じような格好ではあるが。とにかく、姉上は相変わらず『不思議な人』だ。

 

 

 それに、()の姉上も『出来損ない』の部分を改めている様子はなかった。姉上の『出来損ない』を直そうと自らの腹を切ったというのに、これでは切り損もいいところではないか。まぁ、それはあくまで『織田家当主』としてであり、本音を言えばそんな姉上の『出来損ない』も心底好きだったのだが。

 

 

 

「何じゃ、信勝」

 

 

 僕の言葉に、今の姉上―――――第六天魔王 織田信長が答える。その声は力強く、そして何処か自信に溢れていた。そしてその顔には、あの笑顔が浮かんでいた。

 

 流石は姉上。僕の最期の我が儘をちゃんと守ってくれた。そのことが分かり、同時に胸の奥がジンワリと温かくなる。そして僕の顔にも、僕の最期(あの時)と同じような笑顔が浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

「あとはお任せします、姉上」




 『勘十郎』は信勝君の通称です。本当は幼名で呼ばせたかったのですが、探しても見つからず断念しました。

 蛇足で、本編をクリアーした時、「ここまで荒れたことがない」と言える程、Twitterが荒れました。信勝くんに土方さん、そしてアンドラスくんも尊いよぉ……。

 更に蛇足で、作者は6章で止まってます。円卓ェ……。

追記
 勝家の『当主様』を『御館様』に修正。


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二度あることは、三度ありますから

 ま、まだ4月ですよね? ログインボーナスが更新されていませんから、まだ4月ですよねぇ!!(迫真)


「あとはお任せします、姉上」

 

 その言葉――――1回目と同じ言葉を吐き出した瞬間、全身が何か柔らかいモノで包まれる感覚が。それと同時に、奇妙な出来事が起きた。

 

 

 最初は、被っていた帽子の重みが消えた。

 

 次は、頭頂部の感覚が消え、それは段々と下がってくる。

 

 やがて、耳や額に前髪が触れる感覚が消え、それに続けとばかりに額や耳の感覚も消えていく。

 

 

 いや、僕は何を言っているんだ。『奇妙な出来事(こんなこと)』、分かっている筈だ。何せ、ついさっき僕自身が言った。僕が――――『英霊 織田信勝』と言う虚偽(・・)の存在が消えているのだと。

 

 

 でも、そう分かっていても、この出来事は、この『感覚』は奇妙だ。

 

 

 確かに、今の僕は帽子の重み、髪の感触、空気の感触、聞こえる音、などの『感触』は消えうせた。しかし、僕の『意識の中』では、何処に頭が、耳が、髪の毛があるか分かる。つまり、肉体自体は既に存在していないのに、『意識の中』では未だにそれらがあり、それが存在すると言う『感覚』があるのだ。

 

 

 例を挙げるなら、幽霊だろうか。肉体と言う魂の入れ物を失いながらも、『意識』が魂を現界に辛うじて繋ぎ止めている。そんな、『存在している』と断言できない非常に不安定なモノ。今の僕は、そう言った一種の思念体の類いだろう。

 

 そして、幽霊は現界のモノに触れることが出来る。このことを、南蛮では『ぽるたぁがいすと』現象などと言うらしいが、とにかく幽霊と言うモノは『意識』の中にある『身体の感覚』を動かし、現界のモノに影響を与えることが出来るのだ。それも、誰にも見えない。周りにする全ての存在にも、己ですらも見えない、文字通り『誰にも』見えないのだ。

 

 そんな中で、ある者は興味本位で物を動かしたり、ある者は人肌恋しさ故に人々に触れたり、ある者は果てしない憎悪から人に害をもたらす。その度合いは『意識の強さ』、そして『願望の強さ』に比例するだろう。また、それが強ければ強い程に、その通りに動いてしまう。まして、入れ物であり、『意識』を抑える枷でもある肉体が無いため、その行動を阻むモノはない。それが極まり、人を死に至らしめるのであろう。

 

 

 と、そんなことはどうでもいい。僕が言いたいのは、『身体が消滅』しても意識の中にある『感覚』は未だに存在しており、消える前(・・・・)と同じよう『動かせる』ことだ。つまり、身体の一片に至るまで、この世(姉上の目の前)から消えうせない限り、僕が、『死してなお姉上の前に立ち塞がり、身勝手な願望を押し付けようとした哀れで無能な愚弟』が存在し続けてしまうことになる。

 

 

 いや、それなら良かった。『織田信勝』が消え失せるその瞬間まで、そんな『どうしようもない愚弟』でいられるのなら、どれほど良かったか。

 

 

 そう思った瞬間、脚の力が抜けた。僕はすぐに脚の筋肉に力を入れて、その動きを止める。それによって、少しふらついただけで済んだことを、『脚の感覚』が教えてくれた。そのことに、僕は『意識の中』で安堵の息を、嗚咽(・・)を漏らした。

 

 

 そう、僕は泣いている(・・・・・)。『意識の中』で、咽び泣いているのだ。

 

 

 

 目頭が熱く、目尻から大粒の涙が止めどなく零れ、頬は涙の痕が分からない程濡れている。

 

 ズズッと下品な音を立てる鼻ではもう鼻水が決壊しており、溢れ出たそれがだらしなく糸を引き、口に伝っている。

 

 肩は悲鳴の度に震え、頭は悲鳴の度に上下に激しく揺れる。

 

 つい先ほど、『感触』の消えたばかり左手は顔を覆い、右手は胸の服を掴み、どちらも痛い(・・)程握りしめた。そして悲鳴の度、上下に揺れる度に、何度も何度も締め付けてくる。

 

 

 そんな、酷い姿だ。まるで癇癪を起した子供ではないか。22歳にもなって、みっともない。

 

 

 そんな中、口は流れ込む涙や鼻水を押し退けて嗚咽が、声にならない声が吐き出した。一瞬も途切れることなく、獣の鳴き声とそう大差ない、けたたましい悲鳴(・・)を上げているのだ

 

 

 『あの人(・・・)の傍に行きたい』と、『あの人(・・・)と一緒に顔中泥だらけになりたい』と、『その顔を見合って、ゲラゲラと笑いたい』と、『肩を組んで一緒に歩きたい』と、『同じ時間を、あの人(・・・)と過ごしたい』と、『同じ思いを持ち、同じ行いをして、同じ言葉を溢したい』と。

 

 

 

 そんな、そんな『自由』を、姉上(あの人)と共に謳歌したい、と。

 

 

 そんなみっともない姿を晒している。それも、どれもこれも自分の意思で捨て去ったモノを性懲りもなく懇願している、自分のやってきたことを受け入れずただ与えられることを望む、強情で、傲慢な、子供のようなどうしようもない身勝手な我が儘を、本当の僕(・・・・)を曝け出しているのだ。

 

 

 もし、僕が幽霊なら、躊躇なく曝け出していた。何故なら、見えない(・・・・)から。僕自身に、姉上の近くに居ることの出来る、僕にとっては嫉妬の塊と言える人たちに、そして何より姉上に見えないのだから。

 

 だけど、僕は虚偽と言えども英霊(サーヴァント)。金色魔太閤様に召喚されただけで、かの方の御力が無ければこうして姉上の前にすら現れることの出来ない『無能』であるが、それでも今この時、消え失せる最後の瞬間までは英霊だ。故に、見えてしまう(・・・・・・)。視界が消え失せた僕にはもう何も見えないが、まだ消え失せていない身体は見えて、見られてしまう(・・・・・・・)のだ。

 

 

 最悪なことに、目の前に立っている姉上に。

 

 

 こんなみっともない――――――『無能』と言う言葉すら憚られる姿を姉上に見せる訳にはいかない。それだけは是が非でも避けなければならない。もし、それを曝け出してしまったら、僕は『無能』以下の存在に成り下がってしまうからだ。『死してなお姉上の前に立ち塞がり、身勝手な願望を押し付けようとした哀れで無能な愚弟』が、『無能以下』になってしまうからだ。

 

 

 そしてそれは、『出来損ない』と断じられた姉上の()から更に遠ざかってしまうことになるからだ。

 

 

 「消え失せる手前、今更何だ」と言われるだろう。でも、これは僕にとって、本当の僕(・・・・)にとって何よりも代えがたい苦痛なのだ。

 

 

 「それはお前自身が捨てたモノだろ」と言われるだろう。でも、これは本当の僕にとって、何よりも叶えたい『我が儘』――――『願望』なのだ。

 

 

 

 あぁ、遂に膝まで『感覚』が消えてしまった。すると、僕は『意識の中』で跪こうとし、同時に顔と胸を握りしめていた両手が離れて目の前に―――――姉上に向けて手を伸ばそうとしている。それを、未だに残っている足首以降が踏ん張り、倒れないようにする。

 

 

 あと少し、あと少しなのだ。あと少しで僕は消えることが、『無能』として消えることが出来る。

 

 

 だから、あと少しだけ、ほんの少しだけでいい。僕の『我が儘』を聞いてくれ。僕の『願望』を叶えてくれ。

 

 

 

 ――――――最期の瞬間まで、『姉上の隣に居させてくれ』――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、あれだけ踏ん張っていた両足の『感覚』が消えた。それは僕と言う存在が、『意識』を含めたその全て(・・)が消滅したことを表している。

 

 

 しかし、未だに僕は居る。僕と言う『意識』が存在している。金色魔太閤様の御力が消え、僕は消えてしまう筈なのに、何故か『意識』だけが存在している。

 

 

 だけど、僕はこの状況を知っている。何故なら、一回目(・・・)にも味わったから。

 

 

 あの言葉を最初に言った時、その瞬間僕の視界は真っ暗になり、同時に全身の『感覚』が消えた。でも、しばらくの間、僕の『意識』は、いや、『織田信勝の意識』として存在していた。言うなれば、『幽霊』と言う思念体になったのだ。

 

 

 それと同じなのだろうか。いや、そんなことを気にしている余裕は無い。

 

 

 『意識』が残っていると言うことは、つまり今まで抑え込んでいたモノも在ると言うこと。そして、肉体と言う枷が完全に消え去ったと言うことは、その全て(・・)を曝け出してしまうと言うことだ。

 

 

 それを肯定するかのように、口から嗚咽と悲鳴を上げる。

 

 

 『このまま消えたくない』と、『一人になるのは嫌だ』と、『もう何も背負い込みたくない』と、『理不尽な思いをしたくない』と、『姉上の傍に行きたかった(・・・)』と、『姉上と一緒に顔中泥だらけになりたかった(・・・)』と、『その顔を見合って、ゲラゲラと笑いたかった(・・・)』と、『肩を組んで一緒に歩きたかった(・・・)』と、『同じ時間を、姉上と過ごしたかった(・・・)』と、『同じ思いを持ち、同じ行いをして、同じ言葉を溢したかった(・・・)』と、『姉上に抱きしめ、抱きしめられたかった(・・・)』と、『姉上を大切に想い、想われたかった(・・・)』と、『姉上を愛し、愛されたかった(・・・)』と。

 

 

 

 そして何より、姉上の傍に、一番近くに居たかった(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 そんな、今となっては叶わない『願望』を吐き出し続けた。『意識』だから、実際に僕の耳には聞こえない。ただ、そう吐き出したと言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 『願望』を吐き出しながら、膝を折り、足元に縋り付く。『意識』だから、膝や両手、全身にそのような感触は無い。そんな動きをしたと言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 泣き喚く目から大粒の涙が溢れ、鼻をすすり、頬も濡れすぎてヒリヒリしている。『意識』だから、大粒の涙が零れるのも、鼻を啜る音も、頬のヒリヒリも、何もかも感じない(・・・・)。そんな顔をしている、と言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 『願望』を出し尽くした口が、『姉上』と何度も言い続ける。『意識』だから、僕の耳には聞こえない。ただ、そう呟き続けていると言う『事実』を受け取っただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その筈だった。

 

 

 

「姉上ぇ……」

 

 

 それは、蚊の鳴くような声だった。小さな小さな、ちょっとした物音で掻き消されてしまうほど、本当に小さな声であった。そんな小さな声が、聞こえるはずのない(・・・・・・・・・)僕の声が、本当に聞こえた。

 

 

 その事実に驚き、僕は呟くのを止めた。有り得ないことだと思っていたことが今目の前で起きたのだから。そうだ、有り得ないことが起きたのだ。絶対にありえないことが、今目の前で起きてしまったのだ。

 

 

 それは僕の声が聞こえたことではない(・・・・)。それもそうだが、それよりも更に有り得ないことが起きた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何じゃ、信勝」

 

 

 それは、聞き慣れた声だった。それを聞いたのは、ずいぶん昔。僕がまだ生きている時代に聞いた、懐かしい声――――――いや、何を言っているんだ。その声を、その言葉を、僕はついさっき(・・・・・)聞いたではないか。

 

 

 そして、その声を聞いた瞬間、僕は自分が漏らす嗚咽を聞いた。

 

 同時に、膝を折り、足元に縋り付いている感覚と、石に触れているような冷たさを感じた。

 

 目から零れる大粒の涙も、鼻を啜るみっともない音も、頬のヒリヒリとした痛みも。全て(・・)を感じた。

 

 

 

 そう、消え失せていた筈の『感覚』が戻ってきていたのだ。

 

 

 

 そう理解する間もなく、僕は弾かれた様に顔を上げた。そして、目を丸くした。何故なら、見えるはずもない僕の視界に、不思議な光景が映ったからだ。

 

 

 青を基調とした壁に白い模様が横並びにいくつも走り、その一つ一つが薄っすらと発光している。足元は透き通るような青色の、木とも土でもない石のようなモノで敷き詰められ、その表面には何かのマークが刻まれている。その床は僕が居る場所からずっと先まで続いており、その両端には鉄のような金属で作られた敷居が床と同じようにずっと先まで続いている。

 

 

 そして何よりも、ずっと先へ続く床の上。そこに、一人の人物が立っていた。

 

 

 その顔には、『あの笑顔』が浮かんでいる。『笑顔』を振りまき、周りに居る人々を同じく『笑顔』にすることが出来る、そんな人物を、僕は一人しか知らない。

 

 

 

「あ、姉上ぇ」

 

「全く、みっともない顔しおって……」

 

 

 無意識の内に、その人物を―――――姉上を呼んでいた。対して姉上は『あの笑顔』を浮かべつつそんなことを言いながら前へと、僕の方へと歩き出した。

 

 

 一歩一歩、姉上が歩を進めるごとにそのマントが揺れ、帽子のど派手な装飾が触れ合う音が鳴る。しかし、僕の視線はずっと、姉上の『あの笑顔』に釘付けだった。

 

 

「ほれ、これでそのみっともない顔を何とかしろ。そんな顔で皆に会われたら、『儂の弟』であると示しが付かん」

 

 

 僕の目の前で立ち止まり、膝を折って僕と同じ目線になった姉上は、『あの笑顔』のまま僕に丁寧に折りたたまれた手ぬぐいを差し出してくる。しかし、その姿に、そして今この状況を把握しきれていない僕は、ただ姉上をじっと見つめることしか出来なかった。

 

 

 そのまま、ほんの少し、沈黙が流れる。

 

 

 

「ええい、じれったいのぉ!!」

 

 

 それを破ったのは、『あの笑顔』のまま黙し、手ぬぐいを差し出す腕を若干プルプルさせていた姉上だ。その言葉は怒気を孕んでおり、その言葉と同時に僕に飛び掛かるその姿は怒っているように見えた。しかし、その顔は相変わらず『あの笑顔』であった。

 

 

「わっ!?、ちょ、あ、姉上ぇ!?」

 

「黙れ信勝!! 黙らぬと舌を噛んでしまうじゃろうがぁ!! 黙らぬならその口に手ぬぐいねじ込んで屈強な男どもの中に放り込むぞ?」

 

それ(・・)だけはよしなに!! どうかよしなにお願いします姉上ぇ!!」

 

 姉上の言葉に、僕はすぐさま暴れるのを止めた。と言うか、姉上が言い出した状況を思い浮かべて、凄まじい寒気が走って全身が強張ったためだ。いや、僕の時代にも『そういうモノ』は一般的ではあるが、生憎僕にそんな趣味はない。もう一度言う、僕に『そんな趣味』はない。

 

 

「全く、『やんきー』とやらに拾われた子犬のように大人しくしていればいいものを……あ、『やんきー』と言うのは儂らで言う傾奇者のようなものじゃな。って、あれ? そうなると今の儂って傾奇者ってこと? 傾奇者……DQN……黒歴史……うっ、頭がっ……」

 

 そんなことをボソボソと呟きながら、何故か一人で項垂れる姉上。しかし、その手は相変わらず僕をガッチリ掴んでおり、もう片方の手は手ぬぐいで僕の顔を拭っている。僕の涙と鼻水でグチャグチャの顔を、姉上自ら拭っているのだ。

 

 

 相変わらず、今の状況が分からない。僕は消えた、姉上の前から消えてしまった筈だ。でも、何故か僕の『意識』が残り、そして『感覚』が戻り、目を開けたら姉上が居た。

 

 目の前に姉上が見えて、僕を羽交い絞めにして、僕の顔を拭っている。こんな状況だ。こんな状況にいきなり放り込まれた。むしろ、これで状況を把握しろと言う方がおかしい。

 

 

 と言うか、さっき姉上はなんと言った? 『そんな顔で皆に会われたら』? 『皆』とは誰のことだ?

 

 

 

「姉上、先ほどの『皆』とは一体誰のことでしょうか?」

 

「そんなの、ここ(・・)に居る者たちに決まっておろう」

 

ここ(・・)……とは?」

 

「相変わらず察しが悪いのぉ、お主は……」

 

 

 僕の問いに、姉上はやれやれと言いたげに肩を竦め、その言葉にムッと頬を膨らませる。察しが悪いのは認めるが、姉上の言葉から無能()なりに一つの答えを導き出している。だが確証が持てないし、何より僕自身が信じられないから言葉にするのを避けただけだ。

 

 

「此処は、人理継続保障機関・カルデア。そして、これからお主が会うのはこのカルデア唯一にして、この儂、魔人アーチャーこと第六天魔王ノブナガのマスターじゃ。お主だって顔を知っている筈であろう? 後の連中は、まぁ……その辺の石ころみたいなものじゃな。後、あのおっぱいデミ・サーヴァントも居るぞ」

 

 

 自信満々と言いたげに胸を張って宣言する姉上。姉上が挙げた人物に、特に驚きもしない。だって予想通りだったからだ。そして、その言葉から推測されることを更にぶつけてみる。

 

 

「……つまり、僕はマスターに召喚されたと言うことですか?」

 

「ほう、ここまで言えば流石に分かったようじゃな。そう、お主はマスターに召喚されたのじゃ。儂と同じ英霊としての」

 

「それは言い過ぎですよぉ、姉上」

 

 

 上機嫌に語る姉上の言葉を、僕は否定する。しかし、姉上の顔に不満げな表情は無い。相変わらず『あの笑顔』を浮かべている。そして、姉上は羽交い絞めにしていた僕を解放し、代わりに手を握ってきた。

 

 

「そんなに謙遜する必要はないぞ、信勝。ここに召喚されることは、『英霊』となったと言うことじゃからな。ほれ、さっさと行くぞ。これからマスターに会って、その後は他の連中との顔合わせを兼ねた宴じゃ。どっかの人斬りサークル(笑)のように、料理がたくあんと白飯だけとか『土方すぺしゃる』とか言う犬の餌が出てくるとか、そんな阿呆(あほう)な宴ではない!! 儂の!! 儂による!! お主のための!! 菌糸類もびっくりの総監修(ぷろでゅーす)じゃ!! この日のために、黄金の杯も用意しておる。それを見たら、きっとお主は腰を抜かす筈じゃ!! 何故なら、儂自ら用意したのだからのぉ!!」

 

 

 そう大声で宣言しながら、姉上は大股で歩き出す。それに引っ張られる形で、僕も一緒に歩き出す。そこまで、僕は特に暴れることなく大人しくついていく。それは、未だに状況を理解していないわけじゃない。逆に、ハッキリと己の状況を理解したからだ。

 

 

 そう、僕はまた召喚されたのだ。同じ『英霊』として、新しい命を与えられたのだ。あの固定化された空間ではない、ちゃんと時間が流れるカルデアに召喚されたのだ。金色魔太閤様のように、マスターによって召喚されたのだ。

 

 

「一つ、聞いてもいいですか?」

 

「ん? 何じゃ?」 

 

 

 ふと、僕が口を開くと、姉上はこちらを振り返る。相変わらず、その顔には『あの笑顔』があった。それを見て、僕も同じように笑顔を浮かべ、更に口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつまでこんなことをするつもりですか、マスター(・・・・)?」

 

 

 僕はそう言った。すると、姉上の顔から表情が抜け落ちる。あれだけ息巻いていた気勢も、僕の手を握る力も、僕を引っ張るために力強く踏み出していた足も、それら全てから力が抜け落ちてしまった。

 

 

 その様子に、僕は特に驚くこともない。だって、その反応すらも予想通り(・・・・)だったから。

 

 

「大丈夫ですか、マスター?」

 

 

 いつまで経っても先に進もうとしない姉上―――――僕のマスターに問いかける。対して、マスターはそれに反応することなく、ただ固まっているのみ。いや、その目だけは忙しなく動いていた。

 

 恐らく、動揺を隠す方法でも探していたのだろう。そして何か固まった(・・・・)のか、マスターは再び『あの笑顔』を浮かべた。

 

 

 

「……な、何馬鹿なことを言っておるのじゃ。いくら第六天魔王と謳われる儂でも所詮は『英霊』。英霊が英霊を召喚出来るわけなかろう? あぁ、そう言うことか。召喚されたばかりで少し混乱しているのじゃな。全く、仕方がないおと―――――」

 

「では、その懐にあるのは、先ほどおっしゃっていた『黄金の杯』でしょうか?」

 

 

 僕の言葉に、再びマスターはまた固まってしまった。今度は『あの笑顔』を浮かべたままだが、それでも頬がヒクヒクと動き、目尻に深いシワが刻まれている。

 

 その表情を見て、僕は視線を下げた。その先はマスターの懐。

 

 

 何故なら、マスターの懐からにあるポケットから、黄金の杯が―――――『聖杯』が少しだけ顔を出していたからだ。

 

 

 しかし、次の瞬間、聖杯はマスターの手によって懐の奥深くに隠されてしまう。それを受けて、僕は再びマスターの顔に視線を戻す。やはり、マスターは『あの笑顔』を浮かべていた。先ほどよりも少々崩れてはいるが、それでもまだ『あの笑顔』と言えよう。

 

 

 それは、あの光り輝く『笑顔』ではなく、それよりもちょっとぎこちない『あの笑顔』だ。

 

 

 それは、『自由』を謳歌するマスターが浮かべていた『笑顔』ではなく、身内に甘い『出来損ない』が殺そうとしている愚弟を傘下に引き入れるために必死に取り繕っていた『あの笑顔』だ。

 

 

  そしてそれは、金色魔太閤様と同じように(・・・・・)、マスターが『聖杯』を使い、英霊でもない僕を再び虚偽(・・)の英霊として召喚させたことを表していた。

 

 

「まさか気付かないとでもお思いでした? 僕は一度、聖杯(それ)で召喚されているんですよ。一度目ならまだしも、二度目となれば流石の僕でも気づきますよ。それと聞きたいのですが、貴女がカルデア(ここ)に召喚された時、目の前に誰が居ましたか? 恐らく、いや確実(・・)に『貴方のマスター』が居た筈です。それを踏まえて聞きたいのですが、何故僕を召喚したはずの『貴方のマスター』が、今この場にいないのですか?」

 

 

 初めから気付いたわけでもないくせに、僕は何を言っているんだ。カルデア(ここ)に居る理由を考えて思いついた内の一つなのに、それも最も低い(・・・・)モノとして扱っていたのに。それを、さも初めから分かっていました、みたいに言うのは本当にどうかしている。

 

 召喚したマスターがこの場に居なければおかしい、なんて『確実』に言えるわけがない。僕がそう思い込んでいるだけで、本当はマスターがその場に居なくても召喚が出来るかもしれない。もしかしたら、たまたまマスターが席を外しているだけで、次の瞬間に現れるかもしれない。もしそうであれば、マスターは僕の言葉を全否定してくれる筈だ。

 

 もしそうなれば、僕は赤っ恥をかく。あんなドヤ顔で言い切ったのだ。もしそうなれば、僕は今すぐにでも腹を切るだろう。無論、英霊だから切ったところでどうにもならないのだが、それぐらい恥ずかしい思いをする。

 

 そう、するだけ(・・)。するだけなのだ。それだけで、僕は『欲しかったモノ』が手に入るのだ。あれほど渇望し、そのためにどんな犠牲を払おうとも厭わず、己の命すらを捧げたモノ――――――姉上(マスター)の隣に、一番近くに居られるのだ。

 

 

 だから、僕は願った。『もしそうであれば』……と。

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 しかし、マスターは何も言わない。ただ、口を噤み、黙している。その顔は、『あの笑顔』すらもない。あるのは、あの時と同じ、悲痛の面持ちだ。

 

 

 それは、僕の『勝手な思い込み』が、『現実』ヘと変わったことを示していた。

 

 

 

「……何故こんなことをしたんですか?」

 

 

 いつまでも黙しているマスターに、僕は問いかける。その語気は若干怒気を孕んでいた。その言葉に、マスターはピクリとも動かない。その姿に、お門違いと分かっていても腹が立った。

 

 

聖杯(それ)を使えばどうなるか、マスターは嫌と言うほど味わった筈でしょう? なのに、何故こんなこと……と言うか、それを使ったことをカルデアの人たちは知っているのですか? いえ、そんなわけないですね。そんなことをすれば、皆で止める筈です。大方、内緒で持ち出して、内緒で使ったのでしょう。違いますか?」

 

 

 口から零れるままにマスターを弾劾する。それでもマスターは一言も、身動ぎ一つしない。その姿に、更に腹が立った。

 

 

 何故なら、僕が召喚されたと気づいたのはマスターの声を聞いた時だ。つまり、その声を聞くまでは召喚されたなどと微塵も考えていなかった。ただ誰にも見えない『意識』として、そして『意識の赴くままに』振る舞っていたのだ。

 

 それも、マスターに見せまいと必死に堪えていたモノを。一度目(・・・)と同じように、最期の一瞬まで必死に隠し通せたモノを。

 

 

 それを、見られてしまった。遂に見られてしまった。そしてそれは、僕が『無能以下』に成り下がったことを示しているから。マスターの隣から、更に遠くに行ってしまったから。

 

 

 そんな、身勝手な我が儘だ。分かっている。ただの八つ当たりだと、分かっている。だけど、それを叶えるために全てを捧げた僕にとっては、何よりも耐え難い『屈辱』だったのだから。

 

 

 

 

「答えろ!! 吉法師(・・・)!!」

 

 いつまで経っても黙しているマスターに、僕は思わず怒鳴りつけた。あの時の、降伏した僕を『一族であるから』と言う理由で許そうとした『出来損ない』に怒鳴りつけた時と同じように。公衆の面前でその幼名を声高に叫ぶ、最大級の侮辱をぶつけたのだ。

 

 あの時、周りに居た近臣たちは刀を抜き、僕に切りかかろうとした。しかし、それは『出来損ない』の一言で収まった。周りの目を欺くためにうつけ者を演じていた『出来損ない』が、先の戦場でも見せたことのない表情で、ただ一言、こう溢したのだ。

 

 

 

「うつけが」

 

 

 

 そう、あの時の『出来損ない』が―――――目の前のマスターが溢した。あの時と同じ、一切の感情を感じさせない『真顔』で、吸い込まれそうな程深く、温度を感じさせない冷めきった目で見下ろしながら。

 

 

 その一言に、あれだけ煮え滾っていた怒りが消え去った。その代りに、現れたのは凄まじい寒気と全身の震え。額に汗が浮かび、口の中が乾燥する。

 

 

 それらの症状が表すモノ、それは『恐怖』。これもあの時と同じ、殺されるために戦い、今この場で自ら殺されることを望んだ僕が、その一言、その表情、その目に『恐怖』したのだ。

 

 

 

 僕が黙り込んだ後、マスターはその表情のまま手を―――――右手を持ち上げた。恐怖によって動けない僕は、ただ目線だけをその右手に注ぐ。それに構わずマスターは持ち上げた右手を口元に近付け、白い手袋の口を噛み、ゆっくりと手から外した。

 

 

 

 その手の甲には、血のような赤で刻まれた不思議な紋章があった。そして、僕はそれに見覚えがある。確か、英霊を従えるマスターが持つことの出来るモノで……絶対の命令権を表していた筈。

 

 

 

「『令呪』を以て我が不肖の弟、『織田信勝』に命ず」

 

 

 マスターがそう言うと、手の甲の紋章―――令呪の一画が光り出す。それと同時に、見えない何かに捕まったかのように、全身の自由が奪われた。

 

 

 そうだ、僕はマスターに召喚された英霊。そして、英霊と契約したマスターが『令呪』を持っているのは当たり前じゃないか。そして、『令呪』を以て命じられたモノは絶対服従。ただの一英霊である僕ではどうしようもない。ただ、命令を授けるマスターに向けて、『恐怖』を浮かべた視線を送ることしか出来ない。

 

 

 

 ふと、僕の視線とマスターの視線が合った。相変わらず、マスターはあの表情を浮かべている。しかし、次の瞬間、その表情が和らいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「儂を抱き締めろ」

 

 

「へっ?」

 

 その表情のまま、マスターはそう言った。それと同時に、僕は間の抜けな声を上げた。今しがた、マスターが言った言葉が信じられなかったからだ。

 

 

 だけど、僕の意思とは無関係に身体が動く。マスターに近付き、マスターの肩幅ぐらいまで両腕を広げ、一歩踏み出し、広げていた両腕で、マスターの身体を包み込んだ。抱き締められたマスターは黙したまま僕の胸に顔を押し付け、両腕を僕の背中に回し、あろうことか僕を抱き締め返したのだ。

 

 

 

「……マ、マスター?」

 

 

 未だに状況を把握しきれていない僕は、自らの胸に顔を押し付けているマスターに問いかける。 しかし、マスターはそれに応えることなく、何故か僕の胸に顔を押し付ける力を、僕の背中に回る腕の力を強めた。

 

 

 

「……あ、あね――――」

 

「『令呪』を以てヤンデレシスコンヘタレショタその他諸々属性のバーゲンセール野郎、『回される方の儂』に命ず。儂の頭を撫でろ」

 

 

 僕の言葉を遮るように、マスターが更に『令呪』を使う。や、待ってマスター。それ僕じゃないで、いやある意味、僕を構成するモノだから間違っては無いけど。そして最後のヤツは貴方が言っちゃ駄目ですよマスター!! と言う突っ込みも空しく、マスターの背中に回してた片手が離れ、マスターの頭に触れる。

 

 

「あ、あね――――」

 

「黙れ、このうつけが」

 

 

 マスターの頭を(無理矢理)撫でながら僕が再び問いかけるも、その二言、それも先ほど僕に『恐怖』を植え付けた一言に一蹴されてしまう。しかし、不思議とその言葉に『恐怖』を感じなかった。

 

 

 何故なら、そうマスターが漏らすと同時に、その身体が震えているのが分かったから。マスターが押し付けている胸に、微かながらも確実に広がっていく湿り気に気付いたから。僕の胸に顔を押し付けるマスターから、噛み殺しきれない嗚咽が聞こえたから。

 

 

 マスターは今、泣いている(・・・・・)のだと、分かったから。

 

 

 そして、その姿が、僕が今までマスターに隠し通した、それなのについ先ほど曝け出されてしまい、『屈辱』に思った僕と―――――『本当の僕』と、寸分狂わず重なって見えたからだ。

 

 

 

 だから、僕はそんな姿を見ないよう、上を向いた。その間も、僕の手は『令呪』の命令通り、マスターの頭を撫で続ける。マスターも、同じように僕の胸にグリグリ頭を押し付け、そして変わらず嗚咽を噛み殺し続けた。

 

 

 

 

 

「下手くそ」

 

 

 しかし、そんな時間はポツリと漏れたマスターの一言によって終わりを告げた。それと同時に、僕に抱き付いていたマスターの身体が離れる。その言葉に離れていく身体に、僕は思わずマスターを見下ろそうとする。

 

 

 

「『令呪』を以て女子の頭も満足に撫でられない奥手バカ、織田信勝に命ず。儂の顔を見ずに頭を垂れよ」

 

 

 すると、すかさずマスターが『令呪』を使用する。と言うか、それもう悪口ですよね!? なんて突っ込みをする前に見えない力に頭を押さえつけられてしまう。押さえつけられた僕の視線は、だいたいマスターの胸の位置で止まった。

 

 

 しかも、そこはちょうど僕の腰のより少し低い位置にあり、その結果、僕の腰は多大なるダメージを現在進行形で受けている。このままでは腰が再起不能になる、そう思い見えない力に逆らって頭を上げようとするも、あっさりと防がれてしまった。

 

 

 

 

 それも見えない力ではなく、僕の頭を抱き締めたマスターによってだ。

 

 

 

 

「儂が、正しい撫で方を教えてやろう。光栄に思うが良い」

 

 

 頭上から、マスターの声が聞こえ、そのすぐ後に頭に何かが触れた。それはゆっくりと、そして絶妙な指し加減で僕の頭に触れながら動き、離れる。そして、一呼吸置いてまた触れ、動き、離れる。それが、何回も繰り返された。

 

 

 『大事なモノ』を触れるような、『愛おしいモノ』に触れるような、そんな優しいマスターの手に、僕はいつの間にか目を閉じ、その手に全てを委ねていた。何故なら、その感触は遠い昔のこと呼び起していたからだ。

 

 

 僕も父上も死んでおらず、マスターも僕も元服していない。母上によってマスターと引き剥がされていない、確か僕が3、4つぐらいの時だ。

 

 ぼんやりとしか覚えていないが、その時に父上も母上も、そして姉上も僕もいた。今まで生きてきた中で唯一と言える、『家族団らんの時間』。その時、僕が何かに躓いて転び、大泣きした。

 

 その様子に父上は「元気な子だ」と笑い、そんな父上を母上が脱兎の如く叱る。そして、そんな二人を尻目に姉上は転んだ僕に近付き、泣き叫ぶ僕の頭を優しく撫でてくれたのだ。

 

 

 僕を撫でる姉上の手、そして撫でながら僕に微笑みかける姉上の笑顔が、泣き喚いていた僕を惹き付けた。そこからかもしれない、僕が姉上に並々ならぬ感情を抱いたのは。

 

 

 

 

 

「のぉ、『お勝』」

 

 

 すると、頭上からマスターの……もういい、姉上(・・)の声が聞こえた。今の今まで、昔懐かしいことを思い出していた僕を、『その名』で呼ぶのは卑怯だ。

 

 

 何せ、それは僕の名前でもなく、幼名である『勘十郎』でもなく、言葉足らずな姉上が必死になって考えた、僕のことを呼ぶためだけに作った名前だからだ。

 

 そして、その名と同時に姉上は別の名(・・・)を僕に授けた。それは、まだまともに喋れない僕が、『自分』を呼ぶ際に使えるようにと考えてくれた名前。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何ですか、『(きち)ねぇ』?」

 

 

 その名を使って、僕は吉ねぇの言葉に応える。すると、あれだけ優しく撫でていたその手が止まる。同時に、僕の頭を抱き締めるその腕に力が籠る。

 

 

 

 

「……その名は卑怯じゃぞ」

 

 

「吉ねぇだって、人の事言えませんよ」

 

 

 そんな短い会話だった。でも僕は、僕たち(・・・)はそれだけで互いの表情が手に取る様に分かった。そして、僕は『吉ねぇの顔を見るな』と言う命令が有り難く思った。だって、その顔を見れない、同時に吉ねぇも僕の顔を見れないからだ。

 

 

 こんな『みっともない顔』を見られちゃ、今度こそ本当に『無能以下』になってしまうから。

 

 

 

 

「お勝は自分が死んだ後、儂が何をしたか知っているか?」

 

「えぇ、知っていますよ。あの時代の住人や茶々様に聞きまくりましたから」

 

 

 吉ねぇの問いに、僕は苦笑いを浮かべながら答える。

 

 

 僕が死んだ後、吉ねぇはあの今川を退けた。それも、何倍ともいえる兵力差を、奇襲で覆したのだ。その後、吉ねぇは斎藤を滅ぼし、上洛した。将軍を祀り上げ、京を市中に収めた。そこから、吉ねぇの『天下布武』が始まったのだ。

 

 

 その後、いろいろな裏切りや奇襲に遭いながらも、近江の浅井、朝倉、畿内の三好、甲斐の武田などと互角に渡り合い、そしていずれも屈服、もしくは滅ぼした。越後の上杉や安芸の毛利は屈服しなかったが、それも時間の問題であっただろう。

 

 

 

 あの日、吉ねぇが本能寺で討たれなければ、の話だが。

 

 

 

「そうじゃ、儂は天下の一歩手前で死んだ。あと少しの所で、死んでしまったのじゃ。『天下布武』を掲げていながら、最期は己が広げた『武』に滅ぼされるとは、皮肉なモノじゃなぁ……」

 

 

 僕が吉ねぇの人生を簡単に語ると、吉ねぇは独り言のようにそう声を漏らした。だが、次の瞬間、その腕に力が籠る。それも、先ほどとは類を見ないほど強く。

 

 

 

 

 

「すまんな、お勝」

 

 

 

 

 そう吉ねぇが言った。何故か謝罪の言葉を、それも僕に向けて。何処か縋る様な声で、そう言ったのだ。

 

 

「な、何を言うんですか、吉ねぇ。吉ねぇが天下を取れなかったことと僕は関係な―――――」

 

 

「何を言うておる……お勝が、『そう望んだ』からではないか」

 

 

 突然の謝罪に僕は慌ててそれを否定するのを、何処か呆れたような吉ねぇの言葉と共にげんこつが降ってきた。げんこつを喰らって混乱する僕を尻目に、吉ねぇは更にその腕に力を籠め、そして僕の頭に覆いかぶさった。

 

 

「お勝が死ぬとき、そう言うたではないか。『この理不尽な時代を終わらせてくれ』と。よもや、忘れたわけではないな?」

 

 

 吉ねぇの口調は穏やかだった。それも、子供をあやす母親のようだ。だが、その腕はさらに力が籠り、そして僕の頭に水滴が落ちてくる。

 

 

 そこで、僕は悟った。

 

 

 吉ねぇが、姉上が天下を駆け上がった、いや、『駆け上がざる負えなくなった』のは、僕が最期に言い残した我が儘のせいだと。

 

 

 死ぬ寸前、僕は姉上に我が儘を残した。『いつまでも自由でいてくれ』と、『光り輝く笑顔でいてくれ』と。それが、僕が一番に望む『願望』だった。しかし、僕はそこにさらに付け加えた、加えてしまった。それが、先ほど姉上が言っていた。『この理不尽な時代を終わらせてくれ』と言う願いだ。

 

 

 僕にとって、最後の願いは先の2つを叶えてから、『余裕があれば』叶えて欲しいと言う認識だった。先ず、姉上が『自由』であり続け、その『自由』の中で光り輝く『笑顔』を浮かべる。姉上がいつまでもそうあり続ければ、周りにその笑顔が広がっていき、最終的にこの理不尽な時代が変わっていくだろう、そんな甘い考えだ。

 

 

 甘い考えだと分かっていたから、その願い自体の優先順位は最も低く、最悪叶わなくても良い(・・・・・・・・)と言うモノだった。そう、ハッキリ言えばよかった。

 

 

 しかし、姉上はそう捉えなかった。僕の認識をちゃんと伝えなかったことで、姉上は『自由でいる』こと、『光り輝く笑顔でいる』こと、そして『理不尽な時代を終わらせる』こと、これら全てを叶えようとした。いや、平等ではない。それは姉上の言葉ではっきりと分かった。

 

 

 姉上は、その3つの中で『理不尽な時代を終わらせる』ことを、第一にした。我が儘を吐いた僕の中で、それが最もどうでもいい(・・・・・・)モノだとも知らずに、それを最優先に考え、その道筋として天下を目指したのだ。

 

 その結果、姉上は背負い込まなくてもいい重荷を背負い、姉上の才能であった気質を押し殺し、代わりに僕が示した『合理的な』考えを貫き続ける羽目になってしまった。元々、身内に甘い、殺そうとする愚弟に最期の最期まで手を差し伸べようとするほど、どうしようもない甘々な人だ。

 

 

 そんな人が、それら一つ一つを行うのにどれほどの葛藤があったのだろうか。

 

 そんな人が、それらを続けていくことに、どれほどの苦痛に苛まれただろうか。

 

 そんな人が、それらを死ぬ直前まで、そして自分の『死』すらも構わず貫き続けることが、どれほど恐ろしく、悍ましく、そして辛いことであっただろうか。 

 

 それに、姉上は家臣に殺された。『合理的な』考えのもとに下した命令で動いていた家臣の謀反によってだ。その原因は、『合理的な』考えを貫いたから。そして、それを無理やり続けさせたのは紛れもない『僕』だ。

 

 

 つまり、僕が姉上を死に追いやったのだ。僕が残した我が儘は、ただ単に、姉上を苦しめただけだ。

 

 

 

 

「何だよ、僕はずっと姉上を苦しめただけじゃないか」

 

 

「全くもって、その通りじゃ。一度目と言い二度目と言い、本当にお勝はロクなことをしない。困ったうつけ者よ。だがな……」

 

 

 僕の呟きに、姉上はカラカラと笑った。しかし、それも最後の言葉を境に途切れ、同時にその腕に力が籠り、そして僕の頭に大量の涙が落ちてきた。

 

 

 

 

 

 

「儂は、心底感謝しておるよ」

 

 

 

 姉上の言葉。それは僕の鼓膜を嫌と言う程叩き、同時に目尻を熱くさせた。

 

 

 

「確かに、お主は儂にとんでもない我が儘を押し付けてきた。それも、3つ用意しているようで、よく見たら一つしかないのだからのぉ。『自由にいろ』? お主に言われんでも儂はいつ何時どのような状況でも『自由』じゃ。当たり前じゃ、『自由であること』を決めるのは他の誰でもない儂なんじゃからな!! はい、終わり。次は、『光り輝く笑顔でいろ』? うつけ者、儂は何時だって『笑顔』じゃ!! はい、終わり。次は……って、そら見ろ。後、『理不尽な時代を終わらせろ』しか残っていないではないか。それ以外、何を選べばいいんじゃ? だから、初めからこれしか選びようがない、と言うか他が楽勝過ぎてこれしか残らなかった(・・・・・・)んじゃ。なのに、それを最期の願いとかこつけてドヤ顔で押し付けられれば、いくら『ぱぁふぇくと』な儂でも頭を抱えるわい」

 

 何処か、懐かしむように語りだす姉上の言葉に、僕はじっと耳を傾けた。

 

「そして、最後に残った『理不尽な時代を終わらせる』。これはお勝の知っているように、一筋縄ではいかなかった。沢山裏切られ、沢山斬り捨てた様に、儂は沢山苦しんだ。文字通り血反吐をまき散らし、時には周りの者に当たり散らし、理不尽なことで部下を痛めつけた。まぁ、それが祟っての本能寺の変だ。それだけ見ると、お勝の我が儘は儂を苦しませただけかもしれぬ」

 

 

 そこで言葉を切った度と同時に、姉上の腕が僕の頭から離れる。そして、次の瞬間離れた姉上の手が僕の頬に添えられ、あろうことか無理矢理上を向かせた。『令呪』の効力は切れているため、僕が姉上の顔を見ること自体に問題はない。しかし、それはつまり僕の『みっともない顔』を姉上に見られることになる。そうなれば、僕は正真正銘の―――――。

 

 

 

 

「今の儂を見ろ、信勝(・・)

 

 

 僕の思考は、その一言共に現れた姉上の顔を見て止まり、そして四散した。

 

 

 そこにあるのは、姉上の『笑顔』。自分が聖杯を以て僕を呼び出したマスターであると悟らせないために浮かべていた『あの笑顔』や、『幼名で罵る』と言う最大級の屈辱を味合わせた僕に『恐怖』を植え付けたあの真顔でもない。

 

 僕が真っ先に挙げて、そして最も叶えて欲しい我が儘である、あの『笑顔』だ。

 

 

「今、儂は英霊、『魔人アーチャーこと第六天魔王ノブナガ』と言う大英霊じゃ。では、儂は何で大英霊となれた? それは『天下を握る寸前まで昇りつめた』と言う偉業を成し遂げたからじゃ。では、儂はその偉業を成した要因は何じゃ? そう、お主じゃ。お主が儂に残した、あのとんでもない我が儘じゃ。あれが無かったら、今の儂はおらん。今こうして英霊として召喚され、お主の前にいて、お主の顔を掴んで、お主に『笑顔』を向けている第六天魔王ノブナガは、居なかったであろう。つまり、お主が我が儘があったからこそ『今の儂』が存在するのじゃ。だから、お主は『無能』などではない。今の儂を作り上げたお主が、『無能』なわけがなかろう。それは、ゆめゆめ忘れるでないぞ……そして、それを踏まえた上で儂から『褒美』を授けよう」

 

 

 そこで言葉を切った姉上。その上体が動き、前かがみになる。そして姉上の顔が近づき、やがて額に何か(・・)が触れた。それは一瞬にして離れ、やがて姉上の顔が現れる。

 

 

 

 

「ありがとう、信勝」

 

 

 そう、姉上は言った。いつもの『笑顔』のまま、涙のせいでほんの少しだけ頬が紅潮している。その言葉、そして姉上の顔に、僕はただ、改めて分かった。

 

 

 

 やはり、姉上は『笑顔』が似合う、と。そんな場違いで、そんな当たり前のことを、改めて認識したのだ。しかし、その時間は姉上の手によって頭上に付き上げられたことにより瞬く間に終わりを告げた。

 

 

 

 

「さて、儂の願い(・・)はこれで終い。後は信勝、お主次第じゃ」

 

 

 突然、俺の頭を放り出した姉上は懐から聖杯を取り出し、あろうことか手で弄び始めた。先ほどまでからの変わりよう、そして一つあるだけで時空を歪めるほどの力を持つ聖杯を、玩具のように弄ぶその姿に、僕はただ目を丸くした。

 

 

「お主はどうしたい? ここに残り、見た目麗しい儂と共に楽しく過ごすか? それともこのまま消え去り、ジメジメとした空間で一人寂しく過ごすか? どちらが良い?」

 

「おっ、ちょ!?」

 

 

 いつまで経っても呆けている僕にしびれを切らした姉上はそう言い、同時に弄んでいた聖杯を僕に投げ渡してきたのだ。宙を舞う聖杯を寸でのところで掴み、落とさなかったことに安堵の息を漏らす。全く、姉上はこれがどれほどのモノか分かっているのか。

 

 

 いや、分かっていて(・・・・・・)やっているのだ。姉上は、僕がどちらかを選ぶと分かっていて、敢えて選ばない方(・・・・・)の魅力を語り、僕の心を揺さぶろうとしているのだ。

 

 

「姉上、少しは聖杯(その)扱いには気を付けてくださいよ」

 

「うるさいぞ信勝。大体、聖杯(こんなもの)、儂らのレベル上限を引き上げるだけではないか。あれだけ苦労して手に入れているのに、その見返りがそれでは全然見合ってないぞ!! これ一つで儂のスキルレベルを一気に上げるとか、これ一つで儂のレベル上限をMAXまで引き上げるぐらいしたらどうじゃ!!」

 

「何で頑なに姉上だけなんですか」

 

 

 姉上の暴言とも、メタ発言とも言えるそれに、僕は苦笑いを浮かべながら突っ込む。同時に、このままでは更に雑に扱われるであろう聖杯のために僕は結論を出した。

 

 

 

 

 

「『二度あることは、三度ありますから』」

 

 

 そう、苦笑いを浮かべながら言った。その瞬間、姉上の動きが止まる。そんな姉上に、僕は手にしていた聖杯を押し付けた。聖杯の効力を打ち消すには、聖杯を使った本人の意思が必要だからだ。

 

 

「……そうか」

 

 

 押し付けられた聖杯に視線を落としながら、姉上はポツリとつぶやく。一瞬、その頬を何かが伝っていたように見えたが、素早く顔を逸らした僕は見てません。

 

 

「信勝が決めたなら、儂が引き留める義理は無い。こういうモノは変に感情的になると駄目じゃ、そのままずるずると引き摺ってしまうからのう。ここは『合理的に』考えるべきじゃ。と言うわけで、最後に言いたいことを言って別れることにしようぞ」

 

 

 何処かわざとらしく捲し立てる姉上に、僕は苦笑いを向ける。すると、姉上も『笑顔』を向けてきた。それと同時に、姉上の手にある聖杯が微かに輝き、僕は再び全身を何か柔らかいモノに包まれる。

 

 

 あぁ、これはあの時と、二度目(・・・)と一緒だ。また、僕はあの奇妙な出来事と戦わなくてはならないのか……いや、それは無いだろう。何せ、今の僕にあの時のような感覚も、ましてや『願望』もない。強いていれば、『無能』ではなく、大英霊『第六天魔王ノブナガ』を生み出した者として、その名に恥じぬよう消えていくことか。そして、僕はその『願望』を叶える自身がある。

 

 

 

 

 何故なら、今この時、本当の意味で僕の我が儘が叶うこの瞬間でさえも、姉上は『笑顔』で居てくれるからだ。姉上が『笑顔』を、そして僕に額に口づけをした時に本当の『笑顔』を見れたのだから。やっぱり、姉上は『笑顔』が似合うなぁ。

 

 

 やがて、頭の感覚が消え始める。もうすぐ、僕の視界も消えてしまうだろう。だからその前に、姉上の顔が見れなくなる前に、僕は言いたいこと纏める。そして、視界の上が消え始めたその瞬間、『笑顔』を浮かべて、こう言った。同時に、姉上の声も聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「さらば、我が最愛の弟よ」 「あとはお願いします、姉上」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「何が『二度あることは三度ある』じゃ。三度目でセリフを間違いおって……これだから信勝は」

 

 

 儂以外誰も居ない場所―――――――『れいしふと』と呼ばれる特異点に移動するための装置がある部屋で一人、第六天魔王ノブナガは独白した。

 

 

 つい先ほど、目の前で消えて行った我が不肖の弟、信勝。今この時、あやつは憎たらしいほど清々しい笑顔で消えていきおった。その姿に、儂も同じように『笑顔』を向ける。信勝がそう望んだのだから、儂はそれをするしかあるまい。それがどれほど辛い(・・)ことでも、儂はそれをしなければならない。

 

 

 さて、この聖杯も返さないといけないのぉ。信勝が消え、あの人斬りサークルの吠える方を倒して、いつの間にか茶々が持っていた聖杯を宴のノリで持ち出してしまったのだから。しかも、使ってしまったのだから。

 

 

 今までの儂は、聖杯にまるで興味を示さなかった。ぶっちゃけ、天下統一手前だったけど、そこに至るまでにいろいろとやりたいことをやり尽くして、後は隠居生活をまったりと過ごすかぁ、ぐらいにしか考えていないかった。だから、英霊として召喚され、何でも願いが叶う聖杯を奪い合え、なんて言われても、やる気が起きなかった。

 

 

 ともかく、儂はマスターに召喚されてから、聖杯そのものに一切の興味を抱かなかった。そう、信勝が現れるまでは。

 

 

 初めて信勝を見た時、儂の中にとんでもない罪悪感が襲ってきた。それは、あやつの我が儘である『理不尽な時代を終わらせられなかった』ことだ。長い目を見れば儂の後を継いだ猿が天下統一をしたから、結果的に見れば儂が天下を統一したようなモノだが、それでも『儂の手』で獲れなかったことが、何よりも悔しく、そして信勝の我が儘をかなえられなかった、と、儂は自身を責めた。

 

 そしてそれが、あれだけ無い無いと思っていた『聖杯への願い』を呼び起こしたのだ。それも、1つ2つではなく、大量に。

 

 

 その中で、儂は聖杯に『信勝に会いたい』と願った。

 

 

 これは、儂が抱える全ての願いを纏めて叶えるためにひねり出した、謂わば儂の願望の集合体だ。もっと細かく言えば、『信勝を抱き締めたい』、『信勝に撫でられたい』、『信勝とじゃれ合いたい』『信勝に謝りたい』、『信勝にお礼を言いたい』等々。そんな単純な、傍から見たら願いと呼べるかどうかさえ怪しい類いのモノばかり。それも、誰もが羨む天下に最も近づいた儂だからこそ、その願いがちんけなモノに見えるだろう。

 

 

 でも、儂から言わせてもらえば『逆』なのじゃ。生前、普通なら絶対に手に入らないものばかりを持っていた儂にとって、誰もが当たり前に持っているそれが、とても美しく、自分が持っているどんなものよりも羨ましく見えるのだ。その中で、儂が最上級に願っていたことなのに聖杯の願いから外したモノがある。

 

 

 それは、『信勝とずっと一緒に居られる』だ。普通の姉弟なら当たり前の事を儂は最も欲した。でも、儂はそれを聖杯に願わなかった。何故なら、その願いは限りがないから、ずっと聖杯を使い続けなくてはならないからだ。

 

 

 そんなことをしてみろ、今回の魔人柱のように時空を歪める程の大惨事になる。聖杯に願うことが長ければ長いほど、それだけ周りに与える影響は計り知れないだろう。これ以上、カルデアの連中に迷惑をかける訳にはいかない。だから、儂はそれを外した。

 

 

 己が最上級の願望を除き、その穴を埋めるように小さな願いを聖杯に願った。無論、それだけはただの付け焼刃であり、信勝が現界している間は満たされる。しかし、消えてしまった今、儂はとんでもない虚無感に襲われているのだ。

 

 

 こんな想いをするならば、最初から会わなければ良かった、と溢すほどに。

 

 

 

 

 

 

「ノッブ」

 

 

 ふと、横から声が聞こえた。その方に目を向けると、マスターが歩いてきているのが見える。どうやら、宴を抜け出した儂を探しに来たようじゃな。

 

 

「儂を探しに来たのか? それは御苦労じゃった。久しぶりの宴にちょっと油断してのぉ、軽く涼んでおったのじゃ。さぁ、早く戻ろうぞ。今宵は儂自ら『敦盛 2017年ばぁじょん』を踊ってやろ―――――」

 

 

 そこで、儂の言葉は途切れた。いや、断ち切られたと言って方が正しい。何故なら、近づいてきたマスターが、いきなり儂を抱き締めたのだから。

 

 

 

「ま、マスター!! 無礼であるぞ!! 一体誰の許可を得て―――」

 

 いきなり抱きしめられたことに、儂は驚きつつもすぐさま引き剥がそうともがく。だが、その動きも次に聞こえたマスターの言葉によって、止まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「泣いていいんだよ」

 

 

 そう、マスターが言った。その言葉の意味を理解するのに数秒、そして理解した時に息を呑むのに一秒、『笑顔』を浮かべるのに二秒、それだけ時間がかかった。

 

 

 

「な、何を言っておる。儂が泣くことなぞ、天地がひっくり返ってもない―――」

 

 

「『令呪』を以て我が眷属、『織田信長』に命ず。今この場で、好きなだけ(・・・・・)泣き喚け」

 

 

 儂の言葉を遮るように、マスターはそう言って右手をかざした。その瞬間、『令呪』の一画が光る。あの時と全く同じだ。だが、今は立場が違う。それがマスターであった儂が、ただの英霊であることだ。

 

 

 次の瞬間、ダムが決壊した様に目から大粒の涙が溢れ出てきた。

 

 次の瞬間、鼻がグズグズになり、一刻も早く啜らなければ垂れてしまうほど鼻水が溢れ出てきた。

 

 次の瞬間、喉の奥から嗚咽が込み上げてきた。

 

 次の瞬間、儂は顔をマスターの胸に押し付け、その背中に回した両腕で力いっぱい抱き締めた。

 

 

 次の瞬間、喉の奥から込み上げてきた嗚咽は、獣の鳴き声にも遠吠えにも似た、凄まじい泣き声(・・・)に変わった。

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああん!!!!!!」

 

 

 それは、腹の底からの声だった。いや、腹の底よりももっと深い。ずっとずっと深いところ。それは、我が儘を叶えるために塗り固めた『合理的な』判断の分厚い壁を貫いた先。

 

 

 信勝の我が儘を叶えるために生前の儂からずっと押し殺してきた、今となってはその存在ですらを忘れかけていた、つい先ほど消えて行った信勝の前でさえも決して見せなかった、『本来の儂』だ。

 

 

 今までずっと心の奥底にしまい込み続けた。生前も合わせればマスターの年齢など優に超えるであろうそれを、マスターは引っ張り出したのだ。いや、引っ張り出してくれたと言った方が正しいのかもしれない。

 

 

 何故なら、そうでもしない限り、儂はそれを更に抱え込んでいたから。そうでもしない限り、儂は『本来の儂』を曝け出すことが出来ず、『合理的』で塗り固めた『嘘の儂』を演じ続けていたかもしれない。

 

 

 それが、どれほど苦痛だろうと、どれほど辛かろうと、今すぐにでも逃げ出したくなろうとも。ずっとずっと、それらを押し殺し、儂は演じ続けただろう。

 

 

 そこまで、このマスターが考えていたのかは分からない。でも今はただ、ただ『令呪』の命ずるままに、好きなだけ(・・・・・)泣き喚くことしか出来なかった。

 

 

 そんな泣き喚く儂を、マスターはぎゅっと抱きしめて、背中を撫でて、そして頭を撫でてくれた。その撫で心地は、どっかの愚弟よりも何倍も心地よく、その心地よさが余計に儂の感情を高ぶらせ、そして大量の泣き声を吐き出させた。

 

 

 そして、ようやく儂の泣き声が止んだ。未だに嗚咽を漏らす儂を、変わらずマスターは抱きしめている。嗚咽を漏らす度に抱き締め、背中を、頭を撫でてくれる。傍から見たら、癇癪を起した妹をあやす兄ではないか。ふざけるな、儂の方が年上じゃぞ。

 

 

「もうよい、大丈夫じゃ」

 

 

 己を客観視して見た儂は、そう言ってマスターの胸から離れる。対して、マスターは簡単に儂を解放してくれた。その姿に、儂は思わずムッと顔をしかめた。儂を抱き締めるなんて、滅多に出来ないんじゃぞ? もう少し位食い下がってもよかろうに……儂は何を考えているんじゃ。

 

 

「と言うか、マスターは儂を探しに来たのか? それとも偶々見つけたのか?」

 

「勿論、ノッブを探していたのさ。それも、とびっきりのニュースを持ってね」

 

 

 儂の問いに、何故か上機嫌になるマスター。とびっきりのニュース? 一体何のことじゃろう……儂のモーションが『りにゅぅある』するのか?

 

 

 

「ついさっき、ダ・ヴィンチちゃんから連絡があって、何でも新しい英霊が座に召されたらしいんだ」



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三度目の正直の方が……って痛い痛い!!

 前話がちょっと無理くり過ぎた、と言うかぐだ男が何か気味悪かったのでエピローグだけ分割しました。

 若干(総文字数が修正前より4倍増。何故こうなった……)加筆修正しています。既に修正前を読まれた方でも、多分楽しんでいただけると思います。


「おや? ノッブ、こんなところで会うとは奇遇ですねぇ」

 

 

 カルデアの廊下を歩いていると、脇の通路から桜セイバーこと人斬りサークルの血を吐く方、こと沖田総司がひょっこり顔を出した。

 

 

「何じゃ人斬りサークル員A。儂は急いでいる、用があるなら手短に申せ」

 

「そうですね、では先ず私のことをモブキャラみたいに呼ばないで下さい。次に――――」

 

「あい分かった、以後注意しよう」

 

 何か考える沖田の脇をすり抜けて進むも、すぐにマントを掴まれる。おかげで少し舌を噛んじゃったではないか。

 

 

「人斬りサークル員B!! 儂は急いでいるんじゃ!!」

 

「だから人をモブキャラ扱いしないでください!! それと、私たちは人斬りサークルではなく『新選組』です!!」

 

「分かった、『弱小人斬りサークル幹部A』。これでいいじゃろ?」

 

「流石に温厚な沖田さんでも怒りますよぉ? 『沖田さんの顔も三度まで』と言いますし」

 

 

 言わぬわ阿呆、と言う突っ込みすら億劫になり、沖田を無視して先に進む。流石にふざけ過ぎたと反省したのか、沖田はマントを掴むことなく儂の横に並び、同じ歩調で歩き始めた。

 

 

「で、何処に行くんですか?」

 

「お前に教える義理はない」

 

「酷い!! 今まで同じ『ぐだぐだコンビ』として頑張ってきたじゃないですか!? それなのにノッブは沖田さんを雑に扱うなんて、この薄情者!! メカノッブとノッブUFOが草の陰で泣いていますよ!!」

 

「ついこの間、新たな相方に乗り変えたお前だけには言われたくないわ。そしてそいつ等に関してはあのライオン頭と雷電アーチャーにマジで著作料請求するからなぁ!!」

 

 

 と言うか、何で今日に限って嫌にしつこいんじゃ? そして、ボケは儂の専売特許。なのに、何で突っ込み役がボケ倒しているんじゃ。儂を喰う気なのか、この幹部Aは。

 

 

 

「どうせ、マスターの所でしょ? あの日から、ずっと立ち合い続けていますもんね」

 

 

 今でのハイテンションは何処に行ったのか、沖田は目を細めて静かに問いかけてくる。その言葉に、儂は答えない。儂とこやつの間では、質問に対する沈黙は『肯定』、と言う便利な図式が出来上がっているからだ。

 

 

「さっきマスターを見ましたけど、土方さんも引くほどの恐ろしい形相で見たことないほど大量の石を抱えてましたよ。あれ、多分相当つぎ込んでいますね。沖田さんの目算的に、諭吉さんが4,5枚は飛んだでしょう。あれだけあれば、きっとやって来てくれます」

 

 

 何処か遠くを見つめながらそう零す沖田。その言葉は、傍から見れば励ましの言葉に聞こえただろう。しかし、儂にとって、それはただの嫌味にしか聞こえないんじゃが。

 

 

「(マスターがノリで回した単発で相方がやってきた)お主がそれを言うと、(いくら回しまくっても一向にやってこない)儂にはただの嫌味にしか聞こえないんじゃが」

 

「あ、そうですか? それは気付きませんでしたぁ。ごめんなさぁい?」

 

「よし、そこに立て。すぐさま鉛玉の錆びにしてくれるわ」

 

 そう言い、すぐさま宝具を展開するも、それよりも前に沖田は脱兎の如く逃げてしまう。逃げながら、「次は大丈夫ですよ、沖田さんが言うんですから間違いないです」とありがたくもない言葉を吐いて、だ。因みに、今までの勝率は”0”だ。疫病神じゃないのか、アヤツは。

 

 

 なんて思いながら、ようやく嵐が過ぎ去ったことに安堵の息を漏らす。いや、嵐が過ぎ去っただけではないか、アヤツと絡んだおかげで、何となく気分が晴れたようじゃ。流石、『元』相方と言うべきか。まぁ儂を捨てたことは絶対に許さないが。

 

 と、そんな阿呆なことを考えながら歩いていたら、目的の場所――――――マスターがいつも『英霊召喚』に使用する大きめの部屋だ。

 

 

 その部屋に辿り着いた儂は、ノックもせずにドアを開ける。

 

 

「取り敢えず、ここはこうで良い。そして。ここは少しでも関連付けるためにノッブの似顔絵でも書いておこう。こっちは火縄銃とノッブの帽子の模様で、あっちはなんか術式っぽい字で『第六天魔王ノブナガ』って書いておこう。あ、その横に『是非もないよネ』って書き加えよう。そしてこっちは……」

 

 

 ドアを隙間、ブツブツと呪詛のような声が聞こえてくる。その瞬間、全力で引き返したい衝動に駆られたがマスターに呼ばれた手前引き返すわけにもいかん。と、言うわけで、意を決してドアを開いた。

 

 

 ドアの先には、マスターがいた。部屋の床に這いつくばり、召喚術式を記す用のチョークを持った手は忙しなく床の上を走らせ、そのチョークに注がれている目は不気味な程血走っており、その焦点は某聖処女厨程ではないが若干ずれているように見える。口は相変わらずブツブツと呪詛のような言葉を吐きだし続け、その言葉に合わせて術式とは関係なさそうな模様を刻まれていった。

 

 

 これが、あの時のマスターと同一人物なのかのぉ。個人的には全力で否定したが、現実は非情じゃ。

 

 

 

「マスター、やってき――――」

 

「ノッブぅぅぅ!!」

 

 

 術式の改造に没頭して儂に気付かないマスターに声をかける、一瞬チョークを走らせるその手が止まったかと思ったら、次の瞬間奇声染みた声を上げて儂に飛び掛かってきよった。それに対して、儂は特に驚きもせずただ両手を広げた。

 

 次の瞬間、両手を広げたことでがら空きになった儂の胸にマスターが躊躇なく『抱擁』と言う名の殺人タックルをかましてくる。まぁ、『人』じゃない儂にとっては特に意味はなく、難なくその衝撃をいなしつつその身体を抱き留めたんじゃが。

 

 

「ノッブ、ノッブぅぅ!! 今回は……今回こそは絶対来るよね? 絶対来てくれるよねぇ!? 来てくれるよねぇぇえ!? 俺、今回でリリースした諭吉さん5枚超えたよ!! 5枚だよ!! 俺の家賃一か月分払ってもまだ余るよ!! それが、俺の家賃一か月分相当がついこの間一瞬にして水泡に帰したんだよ!! もう、もう後がないんだよ!! これで『爆死』したら俺は自己破産と言うパンドラの箱に手をかけかねないんだよぉ!!」

 

 

「分かっておる、分かっておるから少し落ち着くのじゃ」

 

 

 抱き留められたマスターは悲鳴のような『呪詛』を叫びながら儂の胸にグリグリと頭を押し付けてくる。その姿に目眩を覚えながら、ぐりぐりと押し付けてくるその頭を撫でて落ち着かせる。あまり認めたくはないが、儂もこの役割がすっかり板に付いてしまったのぉ。

 

 

 まぁ、マスターが『がちゃ』と呼ばれる(マスター曰く)人類の敵に何度も『ばくし』と自己破産を繰り返す惨劇の片棒を儂が担いでいる手前、どうしようもないのじゃが……。

 

 

「あれじゃ、この前言っていた『物欲せんさぁ』とやらのせいじゃろう。それさえ切ってしまえば簡単に来ると聞いたぞ?」

 

「そう簡単にオンオフ切り替えれたら苦労しないよぉ……と言うか、俺にとってノッブが『オン』なんだけど」

 

「うつけ者、お主の我欲を儂に押し付けるではないわ」

 

「……じゃあノッブは望んで無いのかよ」

 

「ハッ、今更何を言うのじゃ」

 

 

 儂の胸に顔を押し付けながらボソリと呟くマスターに失笑を浴びせ、すぐに儂の身体から引き剥がす。突然のことに対応できないマスターの顔をむずんと掴み、勢いよく儂の顔に近付けた。

 

 

「”そなたのわしは一心同体”そう申したであろう? 『お主の願いは儂のモノ、儂の願いはお主のモノ』、つまり儂の願いは『お主が望みを叶えること』じゃ。だから、ゆめゆめ忘れるな。お主の後ろにはこの『第六天魔王 織田信長』が常に立ち、粒さにその一挙手一投足を見ていることを。もし、立ち止まったらそのケツを蹴り上げてやろう、力なく頭を垂れようものなら無理矢理上を向かせてやろう、目の前の現実に逃げ出そうものなら後ろを向いた瞬間抱き締め、頭を撫でてやろう。だから、安心しろ、欲望に従順であれ、己の道を真っ直ぐ突き進め、儂のマスターであることをこの上なく誇りに思え」

 

 

 そこで言葉を切り、マスターに笑いかける。マスターは儂の顔を呆けた顔で見つめてくる。何じゃろ、マスターと言い愚弟と言い、儂が顔を近づけたらこんな顔になるんじゃろうか。

 

 

 

 

「だから、安心して『ばくし』しようぞ!!」

 

 

「是非もないよネ! 畜生ぅ!!」

 

 

 ペロッと舌を出して爆弾を投下し、それが致命傷になったのか大声を上げて儂の手を振り払い発狂するマスター。

 

 

 うむ、良いオチがついたついた。この流れるようなフリと容赦なく叩き落すオチの威力、流石の沖田でもここまでうまく決まらじゃろうな。 

 

 

 と、思っていたら、不意に横から手が伸びてきて、あろうことか儂の手を掴んで引き寄せた。

 

 

「ちょ―――」

 

 

「もう自棄(やけ)だ、男らしくスパッと行ってやる」

 

 

 いきなりのことに声を上げるも、それは目の前にマスターの横顔が迫ってきたことで引っ込んでしまう。マスターは召喚術式に視線を走らせ、不備がないかを見ている。その作業の片手間に儂は引き寄せられ、隣に座らされてしまったのだ。

 

 ほんの少し、ブツブツ呟いていたマスターであったが、何かに気付き儂に視線を向けてきた。

 

 

「……どうしたの? ボケーっと俺ばっかり見て?」

 

「……毎回思うのじゃが、この『触媒』とやらは本当に意味があるのか?」

 

 

 向けられた視線からすぐさま顔を背け、マスターが顔を覗き込んでくる前にいつも考えていた疑問をぶつけた。

 

 

 儂が口にした『触媒』。これは、英霊と縁が深い物を指し、英霊を召喚する際に『触媒』を用意することで本命の英霊を召喚することが出来ると言うモノだ。例を挙げるなら、弱小人斬りサークルの吠える方は『沢庵』じゃ。

 

 たまたま夕食のおかずにたくあんが出て、その数切れをマスターがノリで『触媒』としたら奴が召喚出来たと言う、なんとも間抜けな話だが。

 

 

 しかも、召喚された第一声が『沢庵2つ、樽で』。何処ぞの居酒屋じゃねぇんだよここは、ってマスター共々突っ込んだのはいい思い出だ。

 

 

 まぁ、『触媒』があるからと言って必ずお目当ての英霊が来るわけでない。『ばくし』を繰り返しているうつけが今目の前にいるし……ん? 儂の『触媒』はなんだって? 面白いことを言うな、蜂の巣にするのは最後にしてやろう。

 

 

 と、冗談は置いといて、ともかく少しでも特定の英霊を召喚したいなら『触媒』を用意せよ、と言うわけじゃ。そして、その『触媒』に選ばれたのが儂。もう一度言おう、英霊を召喚するための『触媒』として、英霊()が選ばれた。

 

 うん、色々とツッコミどころがあるのは勘弁じゃ。何せ、その英霊とやらに関係するモノが……あるにはあるのだが、その中で最も効果的なモノが儂であると言うだけだ。あの、これでも一応『第六天魔王』なんて名乗らしてもらっている『儂』なんじゃが。

 

 

「ま、是非もないよネー」

 

三千世界(さんだんうち)をご所望かのぅ? マスター殿ぉ?」

 

 

 儂の言葉に、したり顔で、しかも儂のセリフで返してきおったから、『笑顔』でそう言いながら宝具を展開し始める。すると、マスターは兎のようにその場から飛び退き、空中で土下座体勢、そのまま勢いよく床に着地した。

 

 

「す、すみませんでしたぁ……」

 

 

 声が若干震えているのは、脛でも激しく打ち据えたからであろうか。その姿に溜飲が下がった儂は小さく笑いながら、今なお土下座を続けるマスターに近付き、その横に腰を下ろしてその手を取った。

 

 

「さっさと支度せい、マスター。今日こそ、絶対に来るのであろう(・・・・・・・・・・)?」

 

 

 儂の言葉に、マスターは弾かれた様に顔を上げ、呆けた顔で儂を見つめる。しかし、その表情も柔らかい笑みに変わった。

 

 

「あぁ、今日こそ、絶対来る(・・・・)

 

 

 そう言って、マスターは掴まれていた儂の手を改めて掴み直し、そして床に書かれた召喚術式に触れた。その瞬間、部屋は青白い光に包まれ、術式に光が走る。やがて、術式の形を模した召喚サークルが目の前に現れた。

 

 

 ふと、儂は目の前の召喚サークルからマスターに視線を向ける。マスターは、何処か縋る様な顔つきで召喚サークルを見つめ続けてる。

 

 

 次に、儂はマスターから下に視線を下す。そこには、儂の手を掴むマスターの手が。儂よりも一回り大きく、男らしくゴツゴツしていながら、儂の手を優しく包んでいる。

 

 

 そんなマスターの手を見て、儂はいつの間にかため息を漏らした。

 

 

 別に、儂は『触媒』になること自体が嫌なわけではない。儂が『触媒』になることで、少なからず確率が上がるのなら、喜んで協力しよう。マスターが無理をしているのも、儂が原因でもあるし。

 

 

 

 ただ、何故、英霊を『触媒』として扱う条件が、『マスターの手に触れる』なんじゃろうか……。

 

 

「来たぞ!!」

 

 

 そんなことを心の中で吐露する儂を尻目に、マスターの声が響く。儂も召喚サークルに目を向けると、ちょうど中央の火柱が消えて一つのシルエットが現れた所であった。

 

 そして、そのシルエットを見て、儂は思わず目を丸くした。多分、隣のマスターも、同じような顔をしているだろう。

 

 何故なら、そのシルエットに見覚えが、そしてシルエットの向こうから久しぶりに(・・・・・)聞くあの声が飛び出してきたのだから。

 

 

 

 

 

「サーヴァント、アサシン、織田信……あぁ、これはアレだ、えっと……『三度目の正直』ってやつですね。()――――」

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああやったぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!」

 

 

 

 召喚サークルから姿を現し、儂らに笑い掛けながら自己紹介をしようとした、そいつの言葉をマスターの絶叫が掻き消した。そのことに呆気にとられる儂に、マスターは勢いよく抱き付いてきおった。

 

 

「やったよ!! やったよノッブ!! ついに、ついに来てくれた!! 来てくれたんだよノッブ!! これで、もう寂しくないよね? これで、もう『独身英霊』なんて新選組コンビ(主に沖田さん)にいじられなくて済むよね? これでもう夜中に俺のベットに潜りこむことも泣きつくことも無――――」

 

 

「黙れうつけ者がぁ!!」

 

 

 覆いかぶさるように儂を抱き締めてピョンピョンと跳ね、そして変なことを口走るマスターの声を掻き消す様に叫び、そしてその下腹部に拳を叩き込む。同時に、マスターの声が呻き声に変わるも、それに変わらず儂は更に捲し立てた。

 

 

「何を阿呆なことを言っておるのじゃ!! 儂は大英霊『第六天魔王ノブナガ』じゃぞ!! そんなことをするわけが無かろうに!! 寝言は寝て言えこのうつけ者がぁ!!」

 

「だ、だって本当のこ――――」

 

「よぉし、今ここで選ばせてやろ!! 儂の宝具で蜂の巣か!! それともそこの新しい英霊のための種火をかき集めてくるか!! さぁ、選べ!!」

 

「全力で種火をかき集めさせていただきます!!」 

 

 

 般若も裸足で逃げ出すであろう形相でマスターに選択を迫ると、マスターはすぐさま土下座体勢になってそう宣言し、次の瞬間には風のように部屋を飛び出していった。

 

 

「起きろ、アンデルセン!! 今から種火集めに行くぞ!! 20秒で支度しな!!」

 

「元の半分で支度が出来る訳ないだろうマスター。それに、俺は昨日まで戦いっぱなしでこれ以上働かせたら座に還るとお前を脅……説得(・・)して、休日を勝ち取たばかりだ。悪いが、今日は是が非でも休ませてもらうぞ。 と言うか、いつまで俺みたいな三流サーヴァントに縋り付く気だ。いい加減、孔明やマーリン辺りを召喚したらどうだ?」

 

「それが出来たら苦労してないんですよキャスター筆頭様ぁぁぁああああ!!!!」

 

「こら、何をする!! 何勝手に仕事場に入り込んで―――」

 

「はい、キャスター筆頭様確保!! 既に過労筆頭エミヤオカンと、いい加減うちに来てくれませんかね孔明先生をサポートに呼んでいるんで、張り切っていきやがれ下さいませぇぇぇええええ!! そして休みたければ孔明先生の『触媒』持ってこいやぁぁぁああああ!!」

 

「とっととイスカンダルを呼べは良いだろうが!!」

 

「残念、うちには既にライダー筆頭牛若丸様がいらっしゃるのでイスカンダル先生は必要ありません嘘ですごめんなさい早く来てくださいお願いしますぅぅぅぅうううう!!」

 

 

 扉の向こうからうちの年齢詐称筆頭キャスターの妙に艶っぽい声と、その言葉に更に発狂するマスターの絶叫が聞こえてくる。それを、儂は未だに肩で呼吸をしながら、新たに召喚された英霊は未だに何が起きているのか分からないと言いたげに目をパチクリさせて、その茶番劇を聞いていた。

 

 

 やがて、その茶番劇が聞こえなくなった時、儂は改めて此度召喚された英霊に目を向ける。

 

 

 

「騒がしくすまんのぉ、信勝。お主が来たことが相当嬉しかったのじゃ」

 

 

「え、ええ、喜んでいただけたのなら別に良いんですが……。姉上、僕ら(・・)のマスター……なんかあの時とキャラが変わっていませんか?」

 

 

 儂が声をかけると、その英霊―――織田信勝は苦笑いを浮かべる。それも、『僕らのマスター』、か。そうじゃな、お主は儂でも、金色魔太閤でもない、『儂のマスター』の英霊なのだからな。

 

 

「取り敢えず、いまから此処を案内してやろう。本来は、マスター(阿呆)も引き連れたかったのじゃが、あの調子だったしのぉ、今回は儂自らじゃ。そして、その後は宴を催そうぞ」

 

「それは非常に楽しみですね。あ、前回と同じように僕専用に『黄金の杯』はあるのですか?」

 

 

 信勝の言葉に、思わずその顔を見るも、当の本人は悪びれる様子もない。ただ、悪戯っぽい笑みを儂に向けてくる。

 

 

「……そうじゃな、とっておきのモノをやろう」

 

「それは本当に……本当に楽しみですね、姉上」

 

 儂の言葉に、信勝は顔を綻ばせる。嫌味かと一瞬疑ったが、本当にうれしそうなその表情に杞憂であったと悟るり、そっぽを向く。全く、儂も随分疑り深くなったものだ。歳は取りたくないのぉ。

 

 

 

「でも、その前に一つ」

 

 

 不意に、信勝がそう言った。その言葉に顔を上げると、いつの間にかそこで胡坐を組んで座る信勝の姿が。

 

 

「な、何を……」

 

「不肖、信勝。僭越ながら、我が姉であり、英霊の先人でもある、大英霊『第六天魔王ノブナガ』に申し上げたきことがございます」

 

 いきなり、堅苦しい言葉遣いでそう言うと、信勝は『織田』の名に恥じぬ見事な拝礼をし、儂に平伏した。そして、そのまま言葉を続ける。

 

 

「拙者は、己の愚鈍なくせに調子に乗って当主である『ノブナガ』様に反抗し、ボコボコにされました。そんな拙者を慈悲深い『ノブナガ』様は助命をお図らいになりますが、大うつけな拙者はそれを払いのけ、ドヤ顔で死んでいきました。そして、儂が残した嫌がらせともとれる我が儘で『ノブナガ』様を大層苦しめ申した。本来なら、今この場に存在すること自体、おかしな話でございます。しかし、今拙者は此処に居る。それは何故か、貴方様のお蔭でございまする」

 

 

 そこで言葉を切り、信勝は平伏していた頭を上げ、『笑顔』を向けてきた。

 

 

「貴方様が、拙者を認めて下さった。愚鈍で分からず屋で我が儘な拙者を認め、そして拙者に感謝して下さった。当代きっての大英霊に拙者は、愚弟『織田信勝』は感謝されたので。そして、それを受け取った織田信勝は、己の行ってきたことが正しかったことを、そして報われたことを知りました。己の行いが大英霊を生み出したのだと、偉大なる姉『第六天魔王 織田信長』の弟として、その名に恥じぬ生き様を貫けたのだと自覚することが出来たのです。そう織田信勝自身が自覚したことが、『英霊 織田信勝』として座に召されることに繋がったのです。つまり、姉上が認めて下さったから、感謝してくれたから、僕は再び貴女の前に居ることが出来たのです。つまり……」

 

 

 信勝は、そこで言葉を切った。何故なら、その瞬間にその目から涙が零れたからだ。

 

 

 

「僕が姉上を英霊にしたように、姉上が僕を英霊にしたんですよ。姉上のお蔭で、僕は貴女の隣に居られるようになったのです」

 

 

 その言葉、その表情、そしてその涙に、儂は己の胸が締め付けられるのを感じた。それは熱となり、やがて全身に広がっていく。そして、最終的にそれは目から零れるモノに変わった。

 

 

「ば……何を言っておる、うつけ者め」

 

「ハハッ、また(・・)姉上に『うつけ者』なんて呼ばれてしまいましたなぁ」

 

 

 儂の言葉に、信勝はカラカラと笑う。その姿を見ても、目から零れるモノを抑えることに必死な儂には何も出来なく。いや、何かする前に再び信勝の表情が真剣なモノに変わっていた。

 

 

 

「さて、ではそれを踏まえまして、もう一度(・・・・)『我が儘』を言わせてください」

 

 

 真剣な顔で、信勝がそう言う。その姿、そしていきなり変わった雰囲気に、思わず背筋を伸ばした。

 

 

 

 

「この織田信勝を、どうか姉上の隣に居させてください」

 

 

 そう、信勝は言った。そう言って、頭を下げた。頭を上げる様子はない。ただ、伏して、儂の言葉を待つだけだ。

 

 

 本気で、それのみを懇願しているのだ。

 

 

 

 

 その姿を儂は唖然として見た。衝撃で動けなかったわけではない、返すべき言葉が浮かばなかったわけではない。ただ一言、そう思ってしまった。そう思ってしまい、そしてその一言がその懇願に適当な言葉であると、瞬時に理解したからだ。

 

 

 瞬時に理解してしまったから、身体が追い付かなかっただけだ。

 

 

 

「プッ!!」

 

 

 そして身体が追い付いた時、儂は噴き出した。そのまま、腹を抱えてゲラゲラと笑い出してしまった。そんな姿に、いつの間にか頭を上げていた信勝も、次第に表情を歪ませ。遂に噴き出した。

 

 

 しばらくの間、その部屋は二つの笑い声で満たされた。片方は腹を抱えて床の上に身を投げ出し、もう片方が胡坐をかき、片手を後ろの床に、もう一方を胸に当て、上体を思いっきり逸らして笑っているのだ。床が軋む音、ダンダンと床を叩く音、ヒィーヒィーと言う浅く息を吸う音、トントンと床を歩く音、「わぁ!?」と小さな悲鳴、ズルッと床の上を何かが滑り、ドシンと言う重いモノが床に落ちる音、「痛てて」と言う呻き声など、笑い声の中に様々な音が含まれていた。

 

 

 やがて、その笑い声も止む。

 

 

「のぅ、お勝」

 

「何ですか、吉ねぇ」

 

 

 ふと、儂が声を出すと、信勝も返してくれる。そんな信勝は床にゴロンと寝転がっており、対しては儂はその上に覆いかぶさるように膝を付き、信勝の顔の両脇に手をついている。傍から見たら、儂が信勝を押し倒したように見え様。まぁ、実際に押し倒したんじゃが。

 

 

「先ほどの懇願、あれは一度目(・・・)の意趣返しか?」

 

「どちらかと言えば『三度目の正直』の方が……って痛い痛い!! 頬を抓らないで下さいよ吉ねぇ」

 

「ふん、お勝の癖に生意気なことを申すからじゃ」

 

 

 そう言って、更に信勝の頬を抓り、信勝は若干涙目になる。その顔を見て、儂は『笑顔』を浮かべた。それを見て、涙目だった信勝も『笑顔』を浮かべた。

 

 

 

 恐らく、今儂らが浮かべている『笑顔』こそ、信勝の言った『輝く笑顔』なのかもしれんな。

 

 

 

 

 

 

「『我が儘(そんなもの)』、楽勝過ぎるわ!!」

 

 

 

 そう『笑顔』で言ってやった。すると、信勝も『笑顔』でこう言った。

 

 

 

 

よろしく(・・・・)お願いします、姉上!!」




 SERVANT:織田信勝
   クラス:アサシン

 『第六天魔王 織田信長』の弟。望みもしない姉との家督争いに担ぎ出され、姉を守るために自ら『死ぬ』ことを選び、様々な謀略を駆使する。自分を殺そうとしていると分かっていながら姉の元に赴き、最期の最期まで己を救おうとしたその優しさに心を揺さぶられるも『甘さ』と断じ、それを律するために自ら腹を切った。死の間際、姉に『天下統一』への道のりを示し、それが願いとして託した。そして、信長はそれを叶えようと天下を駆け上がり、後の豊臣、徳川を経て天下を平らかにした。


追記
 た……多少は親しみやすいマスターになったんじゃないでしょうかねぇ?(震え声)


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