【完結】剣姫と恋仲になりたいんですけど、もう一周してもいいですか。 (ねをんゆう)
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01.与えられた○○

 

アイズ・ヴァレンシュタインと恋仲になりたい。

 

……ええ、なりたいんです。

なりたいけど、なんか、ほら、あの人そういう雰囲気全然出してないじゃないですか。そんなことどうでもいいみたいな、というか、それよりもっと重要なことのために突っ走っているというか。

割と頑張ったと思うんですよ。頑張ってロキ・ファミリアにも入ったし。その中でも一応は2軍メンバーの末端まで上り詰めたし。あのファミリア酷いんですよ、容姿が良くないと入れてくれないの。だから頑張ってカッコよくなろうと思ったのに、生まれ付きの容姿的にどうやっても無理だったので、プライドをへし折って可愛い系に突っ走ったりしました。

 

やったんです!必死に!!

 

その結果、妹のような扱いをされるようになり。アイズさんが好きなんです!なんて想いも周りからは"可愛いなぁ"みたいな反応をされて。多分本気と思われていないのか、当の本人からも無表情で頭を撫でられて。泣きそうになって、もうそれ以来は公言するのもやめましたとも。せめて少しでも彼女の手伝いをしようと、彼女の願いが果たされた後にまた想いを伝えようと。そう思ってたんです。

 

最後は、謎の地下迷宮で諸々の消耗の末に殺されました。

 

……ひどい。

まだなにも成し遂げてないのに。

 

というか、死に様はもうどうしようもないからいいんですけど、いや良くはないんですけど、それは一旦置いておいて。

 

僕が1番酷いと思ったのは、リトル・ルーキーことベル・クラネルの存在ですよ!

なんなんですかあれ!卑怯じゃないですか!いきなり現れたと思ったら物凄い速度で成長して!しかもアイズさんとの仲も異常な速さで深めて!僕の今日までの努力はなんだったんですか!アイズさんに追い付けるように頑張って、もう直ぐレベル4も見えてきたところだったのに!!ええ分かります!分かりますとも!彼は直ぐにアイズさんに追い付いて、アイズさんを助けて、それで恋仲になるんでしょう!!分かってますよ!なんかそういう雰囲気があったから!!そういう雰囲気を何度も何度も見せつけられたから!!僕の存在なんて多分1週間もすればみんな忘れちゃうんだ!狡い!!羨ましい!!あらゆる面において僕の上位互換やめろ!!

 

あ、でも、最後に多分リーネさんは守れたから褒めて欲しい。滅多刺しにされても頑張ったから褒めて欲しい。内臓全部引きずり出された気がするけど、最後にアキさん達が駆け付けてくれたのが見えたし、多分守れたので褒めて欲しい。

 

……ベル・クラネルくんは僕と同い年だそうです。実際彼が出てきた時点で僕の恋が叶う可能性は完全に消えたと思う。だってなんか、思い返せば彼と初めて会ったと思われる日あたりからアイズさんの様子がおかしかったし。つまり半分くらい一目惚れ的な感じだったんだろうし。

そんなん最強じゃん……

勝てる要素ないじゃん……

出てきた瞬間に盤面破壊してくるとか、メンコもびっくりな超性能だよ。

 

つまり僕がアイズさんと恋仲になるとするのなら、以下の様な条件が必要だった訳だ。

(1)そもそもベル君が存在しない、若しくは冒険者にならない。

(2)妹扱いをされず、かつロキ・ファミリアに入れるような容姿を手に入れる。

(3)アイズさんに最後までついていけて、むしろ彼女を助けられるような実力が必要。

 

……うん、それもう僕じゃないよね。

僕じゃ無理だって言ってるようなものだよね。

というかベル君がそもそもこの世界に居る時点で、いつメンコ叩き付けられてもおかしくない訳だから、つまりはベル君が居る時点で誰にでも無理なのでは?

……いや、流石に「消えろ!」って言うほど憎んでる訳じゃないし、そういうことも言いたくないけれど。

 

叶わぬ恋でした。

 

神や仏は居ても、神も仏もない世界だったと。

誰もが初恋が叶う訳がない。

そうして苦しみや辛さを知って人間は成長していくのだと。まあ死んだんですけど。

彼や彼女は特別ではあったけれど、僕は別に特別ではなくて、つまりはこれは当然の結末だったのだ。2人とは関係ない場所で命を落として。見送られることもなく、最後に誰かの言葉を聞けることもなく命を落として。平和に至るまでのただの礎として、ただの石ころとして。犠牲になって、積み上げられる一つとなって、その上には最終的にきっとあの2人の仲睦まじい平和な恋模様が……

 

 

 

僕の方が先に好きだったのに!!!!!

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 

……気づくと、そう叫んでいた。

道の中央、街の中。

周りには多くの人が歩いていて、それはいつもと見慣れた風景。そんな中で僕は叫んでいた。「僕の方が先に好きだったのに」と。

 

「は……え?オラリオ?」

 

周りからの視線が痛い、クスクスと笑われて見られている。それもそれで辛いものがあるが、しかし何より信じられないことが起きている。身体に傷はない、あれだけ内臓を引き摺り出されるのにも関わらず。防具も武器もしっかりとある。しかしそれは既に記憶の中にしかないはずの、自分が昔使っていたもので。そして何より、身体がいつもより少し重い。それはまるでレベルを上げた際に感じる感覚とは真逆のよう。

 

「え?……え??」

 

視点が低い、潰れたはずの店がやっている、あの人はこの前たしかダンジョンで亡くなった筈の………周りに目をやり、自分に目をやり、現実を見るほどに異常を見る。しかし同時に感じるのが、それを異常とは感じていない自分がいること。その違和感が徐々に消えていく感覚。自分と自分が入り混じり、回る。

 

「な、なにこれ……なにこれなにこれなにこれなにこれなにこれ!?」

 

まるで脳味噌をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているよう。記憶や認識が自分の手を離れて強引に書き換えられているよう。気持ちが悪い、吐き気がする。恐ろしくて、気味が悪くて、フラフラと必死に足を動かして小道に入って、蹲る。蹲って、身体を丸めて、頭を抱える。

自分は死んだ筈、けれど誰に殺されたのか。内臓を引き摺り出されて弄ばれて殺された、一体どうしてそんなことになったのか。思い出せない、思い出せないことが増えていく。

僕は11歳、レベルはまだ1。ダンジョンで見かけた彼女に憧れて、今必死に努力をしている。でもそれはおかしい、僕は確か14歳でレベル3だったはずだ。主神はロキ様。けれどロキ様に認められたのは12歳の頃、だから今はロキ・ファミリアには所属していない。僕が主神と崇めていたのは、慕っていたのは………………誰だ?

分からない、思い出せない。僕は一体だれの眷属なんだろう?なんでそんな大切なことが思い出せないんだろう。

何かがおかしい、全てがおかしい。それなのにそのおかしさに無理矢理に適応させられているような強制力を感じている。これ以上忘れてはいけない、大切なことまで忘れてはならない。

 

「……大切なこと?」

 

それなら、何が大切なことなのだろう。

僕にとって大切なことってなんなんだろう。

それまで抱えていた大きな何かがスルリと手から落ちていくような嫌な感覚。

 

僕はアイズさんが好きだ。

 

ベル・クラネルに負けたくない。

 

……あとは?

 

……それだけ?

 

僕の大切だったことは、それだけ?

そんなはずはない、もっとあるはずだ。もっとあったはずなのだ。もっとあったはずなのに。

 

「あ、あれ?な、なんだろう。おかしいな……」

 

時が巻き戻っている。

もうそれはそういうことで、自分がそれを自覚しているのだから、前提にして進めるしかない。

 

僕はアイズさんを知って、努力をしてロキ・ファミリアに入った。彼女に追い付けるように頑張って、なんとかレベル3まで上げた。そんな時にベル・クラネルが現れて、アイズさんと仲良くなってしまって……僕は、何かに殺された。

 

うん、大まかな流れは思い出せる。

けれどその詳細が思い出せない。

……僕の大切な人は、アイズさんだけじゃなかった筈なのに。

 

「あ、あはは、あはははは……は…………ぉっ……ぅ……」

 

胃の中の物を出す。

きっと喜ぶべき筈のことが起きているのに、喜べない。涙が出る。これならあのまま死んでいた方がよかったと、そんなことを考えてしまう。

そんなはずないのに。

自分はチャンスを与えられたはずなのに。

本来与えられるはずのない機会を、手に入れているのに。

 

「……………………あたま、われそう」

 

長くなってきたばかりの髪をかき上げて、顔を顰める。頭痛が酷い、意識が朦朧とする。これからどうすればいいのか分からない。自分の主神も分からない。誰に頼ればいいのかも分からない。何処に所属しているのかも、団員が他にいるのかもだ。ギルドに行けば分かるかもしれないけれど、ここから少し離れたそんなところに、無事に辿り着ける気もしなくて。

 

「ロキさま……………だめ、だろうなぁ」

 

確かここからなら、ロキ・ファミリアの本拠地は近い。

しかし今から行っても、きっとまた、入団を断られる。だって今の自分はまだ、実力もなくて、特徴もなくて、容姿も普通で、ただの子供だから。だからまた必死に努力してからじゃないと、受け入れてはもらえない。ロキ・ファミリアに相応しい人間になってからでないと、せめてそうなれる可能性を見せてからでないと、きっとあの時みたいな温情だって貰えない。

 

「……でも、いまは、すこし」

 

綺麗な場所ではないけれど、身体を倒して、息を吐き出して、目を閉じる。ガンガンと叩かれるような頭の痛みを堪えて、歯を食い縛る。

……やり直す、やり直せる。

今はそれだけを考えれば良い。

余計なことを考えようとすると、頭が更に痛くなる。

でも、前と同じでは駄目なのだ。前よりもっともっと頑張らなければならない。そうでもしないと、ベル・クラネルには直ぐに追い抜かれてしまう。彼がこの街に来るまでの3年間の間に、もっともっともっと頑張らないといけない。

……どれだけ努力しても、彼はそれをひっくり返してしまうかもしれないけど。それでも。この奇跡のようなチャンスを失ってしまえば、僕には本当に何もなくなってしまうから。

 

何かを手から落としてしまった僕は、これ以上大切なものを落とすことなんて出来ないから。そんなことは本当に、考えたくもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……全部な、うちのせいやねん。

あの子が最初にここに来た時な、『まだうちのファミリアには相応しくない』なんてことを言うたんや。ただ憧れて来ただけの子供やと思っとったし、まあそれはいいんやけど。ただそれでもあの子は諦めんくて、そこから1年必死になって努力した。1年ぶりに見た時はほんま驚いたわ、別人やと思うくらい。相当色んな努力したんやろうなぁ。恥ずかしそうに新しい可愛い服を着て立っとったわ。

 

……それなのにうちは『将来性見込んでギリギリ合格』なんて何様やっちゅうことまで言って。

今思えばあれが1番あかんかったと思う。

純粋な子供にそんなこと言って、思い込ませたんや。

せやから、あの子は根本的に自分がまだここの団員として相応しくないって想いをずっと抱えとった。そんでうちにも心を開いてへんかった。あの子は結局最後まで家族の輪に入ろうとせず、一歩引いて、必要のない身のほどを弁えとった。アイズに憧れとったのも大きかったんやろな。本気の思いを笑われて、信じて貰えんくて、認めて貰えんくて。受け取っても貰えん。せやからその全部が自分の努力不足だと、更に自分の首を絞める。

 

……辛かったやろうな。頑張っとったわ。全部うちが余計なこと言ったせいや。あの子の本気を誤魔化して茶化し続けとったせいや。

冗談も、言い続ければ刃になる。

あの子と同じことをうちの団員の何人が出来んねん。勉強して、レベル上げて、容姿も毎日綺麗に整えて、コミュニケーションも積極的にして。ほんまに健気な子やった。

他の子のことに忙しくしとって、最近はあの子のことは後回しにしとったけど、それもあの子の人の良さに甘えとったんやろな。

結局、最後まで言えへんかったわ。

『相応しくないなんてことは絶対ない。今はもうアイズと同じくらい、うちのファミリアの自慢の子なんや』って。

そんな簡単な一言が。

言う機会なんていくらでもあったのに。

 

……うちはあの子に、何をしてあげられたんやろ。

あの子の直向きな夢に『頑張れ』の一言くらい、なんで言ってあげへんかったんやろうな。



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02.狂い始めた○○

結局、何も分からなかった。

自分が誰で、どこのファミリアに所属しているのか。自分が今この時まで、オラリオのどこで何をしていたのか。そんな記憶も記録も何処にも残ってはいなかった。

単純に過去に戻った訳ではなくて、何かが変わっている。それも少しだけ歪な形で。まるで元々自分という存在など、この世界には無かったかのように。

 

……そうして行く当てのなくなった僕は、取り敢えず受け入れてくれるファミリアを探すことにした。それはもちろんロキ・ファミリア以外でだ。ロキ様が断るのは分かっていたから。けれどまだ11歳のレベルも1しかないような子供など、何処も受け入れてはくれない。そんな慈善事業のようなことはしてくれない、探索系のファミリアならばなおのこと。

けれどお金を稼がないと生きていけないから、僕は色々と考えた結果、最終的に規則を破ってダンジョンに潜ることを決めた。正しくはダンジョンで1日生活することにした。もちろん目的はお金なので、ある程度溜めたら地上には戻る。その時は規則違反で色々と言われるだろうけれど、最初の一回くらいは子供ということで許して貰えるはず。悪いことをしている自覚はあるが、僕はお金の稼ぎ方をこれ以外には知らない。それに換金さえ出来れば、そのお金と引き換えに入れてくれるファミリアもあるはずだ。

……そうだ、この街でお金を稼ぐのは難しいことではない。必死になってモンスターを倒せば、それで手に入る。死ぬ可能性はあるけれど、死ぬほどの努力をしなければ、否、そこまでしてもなお僕の願いには届かない。ここで死んでしまうようなら、それ以上の努力に耐えられないということなのだから。それは他ならぬ自分が許さない。死ぬことなんかより、この願いがまた破れてしまった時のことを想像する方がずっと怖い。

 

「大丈夫……ゴブリンなんか何度も狩った。問題は食べ物と飲み物だけど、1日くらいならなんとかなる。1日狩り続ければ、少しはお金も貯まるはずだから。それを持って、例えばヘルメス・ファミリアとかなら雇ってくれるかも」

 

ダンジョンに正式に入れるようになれれば、それでいい。恩恵の更新もしてくれるなら、稼いだ額の半分でも安いくらい。自分の立場がそれくらい弱いことは理解している。

でも時間がないのだ、何もかも足りないのだ。あと3年で以前の自分を更に超えなければならない。明らかに悪くなったこの環境の中でも、求められる結果はより高い。そしてそこまでしても、ベル・クラネルは数ヶ月で追い付いてくるだろう。きっとアイズさんを超えてもまだ足りない。彼にアイズさんを取られないためには、もっともっと優位性が必要だ。

 

……ああ、そうだ。足りていないんだ。

 

たった1日ダンジョンに潜って、お金を稼ぐなんて。そんな甘いことをしている暇なんてないだろう。アイズさんは確かもうこの時期にはレベル5に到達する。そんな彼女は恐ろしいほどに努力していたと聞いた。ならばどうして自分がそんな彼女よりも休んでいられようか。

水も食べ物も魔石で他の冒険者に交換して貰えばいい。浅層には中層から帰ってくる冒険者が多く、それらを持って帰っても邪魔になるため、快く交換してくれるだろう。もしかすれば多少腐っているかもしれないが、そんなことは別にどうだっていい。削れる物は他にもいくらでもある。

 

「強くなって、見た目も良くして、誰とでも会話出来るようになって……あとは何をしたらいいんだろう。あ、偉業も達成しないと。シルバーバックとかミノタウロスとかゴライアスを1人で倒して。レベル2になったら18階層にも行こう。……でも、もっと、もっと凄いことしないと。ただでさえ足りてないんだから。そうでもしないと、アイズさんを取られちゃう」

 

不思議だけど、そう思うだけで、その姿を想像するだけで、身体にいくらでも力が入る。どんな辛いことも我慢出来る気がして来る。

そうだ、僕は本気なんだ。

アイズさんに見てもらうためなら、なんだってする。彼女のことを知り、少しずつ交流を深め、彼女の理想になろう。そもそもの自分では駄目だというのなら、自分を消そう。

ただ闇雲な努力なんてしない。

そんなことをしている時間がないんだから。

彼女が受け入れてくれる自分になるまで、この3年間の間で死に物狂いでやってみせる。……この3年間が勝負なのだから。僕の人生は、この3年間のためにあるようなものなのだから。本当に、死に物狂いで。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………う〜ん」

 

その日、エイナ・チュールは真剣な顔をして自分の目の前に広がる幾つかの羊皮紙を睨み付けていた。それは最近噂になっている、とある子供に関しての作成中の報告書。

ダンジョンから戻って来た冒険者達が、浅層で子供から魔石と引き換えに、食料や水、他にも使わなくなった武器や櫛、ハサミなどを求められるというもの。渡される魔石の量がどう見ても多過ぎることから、中層あたりを進む冒険者達からはありがたがられているそうだが、しかし問題はそんな報告が毎日のように上がってくることだ。

その子供自身は愛想も良く、身嗜みも最低限整っているということであるが、それでもやはりダンジョンに住んでいるのではないかという憶測は尽きない。直接聞いてみた冒険者も居るようだが、それも上手いことはぐらかされてしまうらしい。しかしギルドの記録にそういった子供の情報は残っていない。つまりは無断侵入、大きな問題だ。

 

「それに……」

 

報告者の1人が書いてくれた人物像、そこに描かれた子供にエイナはなんとなく見覚えがある。少し前に自分の記録を聞きに来た奇妙な子供のことだ。自分が居たファミリアや主神すらも分からず、色々と調べてみたが記録にないことを伝えると、そのままフラフラと外へ出て行ってしまった。その後は走って行ってしまったために会話をすることは出来なかったが、まさかダンジョンに居たとは全く想像していなかった。

 

「事情……あるに決まってるよね」

 

見たところ、まだ年齢が二桁になったかどうかというような子供。そんな子が誰の助けもなくダンジョンに入るなんて、あのアイズ・ヴァレンシュタインでさえも必ずロキ・ファミリアの誰かと一緒に潜っているのだ。生きていることが奇跡だし、生きているのなら普通じゃない。

そして今日まで彼に関するような捜索依頼も出ていない。犯罪に巻き込まれていたか、それとも本当に何らかの理由で身寄りが消えたのか。どちらにしても彼は1人ぼっち、放っておくことなんてエイナには絶対に出来ない。

 

「珍しく厳つい表情をしているな、エイナ」

 

「っ!リヴェリアさま!?」

 

受付でそんな表情をしていたからだろうか、どうやら変に目立ってしまっていたらしい。ギルドに入って来たリヴェリアの存在にも今の今まで気が付かず、それを直接指摘されてしまい顔を赤らめた。

 

「も、申し訳ありません。少し気になる事案がありまして……」

 

「気になる事案?」

 

「あ、はい。リヴェリア様は最近ダンジョンに子供が住み着いているという話をご存知でしょうか」

 

「……ああ、あの話か」

 

やはりリヴェリアもそれについては多少は耳に挟んでいたらしい。それほどには冒険者の間で広まっている話なのだ。妖精なのか、イカれた子供なのか。どちらにしても普通ではないし、冒険者達はそういう話が大好きだから。嫌でも耳には聞こえて来る。

 

「お前の反応を見るに、あの話は事実だったのか」

 

「はい、ここ数日で報告がかなり多くありまして。人物像も一致していることから、ほぼ間違いないと思われます」

 

「ふむ……ロキ・ファミリア内でそういった子供と遭遇した者は居なかったからな、単なる噂話かと思っていたが。しかし本当の話であれば、確かに問題だな」

 

「ええ、ですので一度信頼出来る冒険者にお願いして連れて来て貰おうと考えていたんです。本人は『まだやることがある』と言っていたそうなんですが、流石に看過できませんので」

 

「そうだな、それがいいだろう。……いかんな、アイズの影響か子供がダンジョンで戦っていると聞くと妙に反応が過敏になる。無事に保護出来るといいんだが」

 

「ふふ、そうですね。事情は分かりませんが、私もギルドの職員としてしっかりと子供の保護を…………っ!」

 

そこまで言い掛けた時だった。

何やらざわつくギルドの外。不審を感じて目を扉の方へと向けてみれば、開け放たれた扉から大きな荷物を抱えた人影が入って来ているところだった。気付いたリヴェリアも振り向き、それを見る。

……その顔を知っている。

以前見た時よりも更に異様な雰囲気を纏っていて、けれどその時よりも容姿が整っているのがまた奇妙で、そして。

 

「お、おい。あの坊主が持ってるの、ミノタウロスの角じゃないか?」

 

「そ、そんな訳ねぇだろ……その、アレだろ。父親の代わりに換金に来たとか、そういう」

 

エイナもリヴェリアも、その少年が歩みを進めて来る中でも身動きひとつ取ることが出来なかった。少年は一瞬リヴェリアの方を見て目を見開いたような気もするが、一度頭を丁寧に下げると、背負って来た荷物を横に置いてエイナに向き直る。背の高さはエイナよりもかなり低い。本当に小さな身体。けれど纏っている雰囲気が、子供のそれとは思えない。滲み出る僅かな悪寒。

 

「ダンジョンに勝手に入ってしまいました、ごめんなさい」

 

「え?あ……」

 

「謝罪します、罰も受けます、罰金だって支払います。……その代わり、これだけは換金させてください。お願いします」

 

そんな雰囲気を持っているのに、彼は綺麗な姿勢で頭を深々と下げて懇切丁寧に謝罪をした。それまでヒソヒソと何かを話していた周りの者達も、それを見て言葉を詰まらせた。だってそんな光景は、この場に居る誰も想像していなかったから。

エイナだって、少しの抵抗があるかと思っていた。話は色々と聞いていたが、もっと年相応の跳ねっ返りのある子だと思っていたのだ。それこそアイズのように。けれど目の前の彼は下手な大人よりも人が出来ていて、この狂気とも言える量の魔石を持ち帰って来た人間とは思えないほどに誠実で。

 

「こ、これは……君が取ってきたものなの?」

 

「はい。この身ひとつでは何処のファミリアにも入れて貰えなかったので、せめて纏まったお金が必要だと思いルール違反を犯しました。十分な金銭を支払い、ミノタウロスを倒したという証拠があれば認めて貰えると、そう思いました」

 

「……レベル1、だったよね?」

 

「はい」

 

「どうやって、倒したの……?」

 

「ミノタウロスの体力を削って、弱ったところを倒しました。幸いにも単体で上層に来ている個体だったので、運が良かったです」

 

「…………」

 

違う、それは違う。そう声を大にして言いたい。

だってミノタウロスはそんなことで倒せるような相手ではないから。ミノタウロスの体力を削る前に普通のレベル1ではこちらの方が先に疲弊してしまうし、そうでなくとも咆哮による強制停止効果なんかもあって、レベル2であっても単独で倒せる者は限られるのだ。そんな簡単な話ではない。

……もしこの場に神が居たのなら、少しは違っただろう。しかしここには神は居ない、故に彼の言葉の真偽が分からない。だからエイナはリヴェリアに助けを求める。彼女なら少しは彼のことを探れるのではないかと、そんな勝手な期待を持って。

 

「……すまない、少し良いだろうか」

 

「大丈夫です」

 

「私のことは知っているか?」

 

「知ってます」

 

「そうか、余計な口出しをしてすまないが……君はそのお金を持ってファミリアを探すと言っていたな?あてはあるのか?」

 

「ありません。ただ、僕の願いはダンジョンに潜ることと恩恵を更新して貰うことだけですから。それが出来るなら何処でもいいです。ヘルメス様あたりが拾ってくれないかとも思っています」

 

「神ヘルメスか……君の目的はなんだ?」

 

「……それは、言えません」

 

「言えないようなことなのか?」

 

「言えないですし、言いたくありません」

 

「家族や仲間はいないのか?」

 

「居ないみたいです。少なくともギルドで調べて貰った限りでは」

 

その言葉に、エイナは頷いてリヴェリアに伝える。彼については調べた、ここ数日も。しかしやはり彼に関する情報はギルドのどこにも存在しては居なかった。‥‥彼の記憶がおかしいのか、ギルドの記録がおかしいのかは分からないが。それでも彼自身がそう言っているのなら、そうなのだろう。彼は本当に1人ということだ。つまり、頼れる相手が居ないといつことだ。

 

「……君はまだ幼い、他者の庇護を受けるべきだ。少なくとも1人でダンジョンに潜るというのはやめた方がいい」

 

「それは困ります、時間がありません」

 

「時間?」

 

「…………………これからはルールも守りますし、勉強も努力も自分で頑張ります。だから1人でダンジョンに潜らせてください。お願いします。我儘言ってるのは分かっています、それでもそうしないといけないんです。お願いします。お願いします。お願いします」

 

「お、おい……君……」

 

「お願いします」

 

突然の地面に頭を擦り付けるようなその勢いに、リヴェリアは酷く困惑する。まだ10歳程度の子供が、ダンジョンに1人で入りたいとここまで必死にお願いしてくる。その異常さが分かるだろうか。これならアイズのように無理矢理にでも抜け出してダンジョンに行く方がよっぽどマシだ。こんなことをされてしまっては、リヴェリアもどう対応すればいいのかが分からない。別に責めていた訳でもなかったのに。こんな小さな子供にここまで頭を下げさせて、まるで自分が悪者になったかのようだ。

 

「へぇ、いいんじゃないか?少なくとも俺は歓迎するぜ、少年」

 

「!!神ヘルメス……!」

 

「……!」

 

だから、偶然であったとしても神ヘルメスがここで現れてくれたのは、リヴェリアとエイナにとっても救いであった。

彼はいつものように背後に頭を抱えるアスフィ・アル・アンドロメダを連れて、飄々とした雰囲気でギルドの中に入ってくる。いったい何処から何処まで話を聞いていたのか。しかしそんな彼の言葉に、少年はバッと頭を上げた。それを喜んで良いのかどうかは、リヴェリアとエイナには分からない。

 

「少年、君の名は?」

 

「ノアです、ノア・ユニセラフ」

 

「そうか。ならノア、俺は君の願いを受け入れてもいい。だが逆に、君は俺に何を齎してくれる?君は何を代償にして俺を利用するつもりだい?」

 

「……お金と、力と、未知を」

 

「へぇ」

 

「稼いだ額の半分を納めます、必要があれば深層にだって着いていきます。そしてこれから3年間、きっと貴方を飽きさせはしません」

 

「なるほど、それは随分と魅力的な話だ。3年間というのは?」

 

「そこで僕の全てが決まります。そこが僕の目的の全てです。なので3年後には、ファミリアを抜けることを許してください」

 

「君の事情を教えてもらう事は出来ないのかい?」

 

「それも含めて教えない方が、きっと楽しんで貰えると思います」

 

「……なるほど、嘘は言っていないな」

 

「はい」

 

「君はもう3年後までの予定を立てている。それまで決して死ぬつもりはない。そういうことでいいんだな?」

 

「はい、問題ありません」

 

「……よし、いいだろう」

 

リヴェリアからしてみても、そのやり取りは神に願うに十分なものだった。特に暇を持て余し下界に降りてきたような神々に対しては、ヘルメスのような神に対しては、暇をさせないという提案は何より深く突き刺さる。

そうでなくとも、稼いだ額の半分を納めるというのは、普通の冒険者にとって相当酷い条件なのだから。ヘルメス・ファミリアのような中規模のファミリアにとっては、それなりに影響が出て来るライン。恩恵で縛っておくだけでもお金が入る。1人の冒険者が生み出すファミリアへの利益としては、十分過ぎるもの。

 

「そういうことでエイナちゃん、彼は俺のところで引き受けるよ。色々迷惑かけるかもしれないが、まあ多めに見てやってくれ」

 

「……!ほ、本気ですか神ヘルメス!そんな小さな子を1人でダンジョンに行かせるなんて!!」

 

「本気だよ、だってそういう約束をしたんだ。1柱の神として、たとえそれが口約束であったとしても、俺は約束は守る」

 

「だが神ヘルメス、条件は緩和すべきだ。最低でも1人は見張りを付けるべきだし、稼いだ額の半分を納めるというのもやり過ぎだ」

 

「何度も言わせるなよ九魔姫、これが俺達の交わした約束だ。それに、どうしてもって言うならそっちで預かるかい?俺は別にそれでもいい。適当な俺なんかより、君達に引き取って貰った方がよっぽど幸せだろう。……もちろん、最近は大人しくなって来たとは言え、あの剣姫と一緒に育てられるならの話だが」

 

「っ」

 

その言葉に対して、リヴェリアは首を縦に振る事は出来なかった。何故ならヘルメスの言う通り、そんな余裕がないからだ。

少しずつアイズも落ち着いて来たとは言え、それでも未だに無茶をする。そんな時に過去のアイズ以上に無茶をしそうな彼を近付けようものなら、アイズにどんな影響が出てしまうか分からない。それに2年前にアストレア・ファミリアが壊滅してから、少しずつではあるがロキ・ファミリアの負担も増えて来た。そして先日もレフィーヤ・ウィリディスというリヴェリアの後釜候補が入団して来たばかり。……今のロキ・ファミリアに子供につきっきりになる人員を割く余裕はない。特に彼のような地雷に成りかねない存在を簡単に受け入れるということは、リヴェリアの独断では決して出来ない。

 

「………」

 

「ま、そういうことさ。さあ、そういうことだから早速いこうかノアくん!俺達の拠点に案内しよう!」

 

「はい。……そうだリヴェリアさん、今度アイズさんにもご挨拶をさせてください」

 

「え?」

 

「歳の近い、でも僕より遥かに強い冒険者さんですから。一度だけでも挨拶がしたいんです」

 

「……機会があればな」

 

「ありがとうございます。それではまた」

 

丁寧にお辞儀をして、子供らしい笑みを浮かべて彼はヘルメスのあとを追う。その様子を見れば、本当に彼はただの子供のよう。けれどリヴェリアは彼とアイズを会わせたいとは思わなかった。言葉ではああ言ったが、そんな機会を作るつもりもなかった。……せめてもう少しまともな少年だったらまだしも、あそこまでの異常性を見せ付けられては、易々とは受け入れ難い。

 

「「……………」」

 

残されたリヴェリアとエイナは顔を見合わせる。そしてヘルメス達が出て行った後、アスフィだけはギルドに残り、少年が持っていた魔石等の換金をし始めた。故に2人の会話にアスフィが参加してくるのも、また当然の話。

 

「……この度はヘルメス様がご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした、リヴェリア様」

 

「いや、いい。……ただ、本当に大丈夫なのか?」

 

「分かりません、ヘルメス様が何を考えて彼を受け入れたのかは私にも予想がつきません。しかし私個人の考えとしても、彼のことは受け入れるべきだと思いました」

 

「アンドロメダ氏もですか?」

 

「……というより、誰も受け入れようとしない以上、誰かが受け入れてあげないといけないでしょう。大人として」

 

「それは……」

 

「あの少年が何処かおかしいのは分かっていますが、だからと言って誰もが突き放すというのも間違っています。リヴェリア様が、ロキ・ファミリアが保護をしないという立場を取った以上、他の誰かが手を上げない限り、彼はまた孤独を深めてしまいます」

 

「………そう、だな」

 

あの年齢であそこまで歪んだ何かを持っている。

しかしそれは本当に彼の責任なのだろうか?

それを彼の責任だとして突き放すのであれば、人でないのはどちらだろう。

実際あそこまで口を出したのなら、説教だけで終わりというのはあまりにも無責任過ぎる。あれでは本当にただ説教をしただけで、事情を掘り荒らしただけで、彼の心を傷付けただけだ。そういう意味では神ヘルメスは一瞬も躊躇うことなく自分の懐に入れて彼を救ったのだし、感謝することはあれど、リヴェリア達にそれをどうこう言う権利はない。

……その異常さにばかり目を奪われてしまって、彼もまた子供であるということを忘れていた。彼はヘルメスがその手を取ってくれるまで、このギルド内においても孤独だったのだ。彼をその立場に追いやったのは、今思えばもしかして自分達だったのかもしれない。

 

「……アンドロメダ氏は、彼のことをどう思いましたか?」

 

「そうですね……奇妙で、狂気を抱えてはいますが、それでも十分に善人の部類には入ると思います。彼の態度には相手に対する敬意がありましたから。少なくとも彼の目的は、都市に刃を向けるような物ではないと思われます」

 

「そうだな……ああ、確かにそうだ。あの異様な雰囲気とは別に、確かに彼はこちらの警戒を解こうと笑顔や誠実さを意識していたように思える」

 

「何者なんでしょう、彼は……」

 

「分からないが……少なくとも私は一度、彼に謝る必要があるようだ」

 

アイズを思うあまりに、不要な疑いをかけてしまったことに。

 

それでも彼等三人は、この後再びその認識を考え直すことになる。それは他でもない彼の、並々ならぬ執着と執念によって。

少なくとも拠点を紹介されて恩恵を更新した直後、直ぐに受け取った半分の金額を持って出て行ってしまい、それから10日も帰って来なくなってしまえば、アスフィだって心配になって他の団員にダンジョンを覗きに行かせたりしてしまっても仕方がない。

 




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https://syosetu.org/novel/303308/


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03.○を流す

 

やはり普通以上の無茶をすると、ステータスの上昇効率がとても良い。

そんな当たり前のことに、しかし改めてレベル2となった自分のステータスが写された紙を見て、驚き、感心する。

 

ギルドでリヴェリアさんと会ってしまった時には酷く動揺してしまった。まさかあんなところで顔を合わせることになるなんて、心の準備をしていなかった。……ただまあそれにしても、やはり今のロキ・ファミリアに僕は受け入れて貰えないらしい。それどころか今の僕にはアイズさんを会わせたくもない、という感じだった。

だがそれも仕方がない、全く見合っていないのだから。まだまだ努力が足りていない。

もっと容姿に時間を使って、自分の雰囲気も直していくべきだろう。次に会った時に警戒されないように、抱いている混乱や焦燥を気取られないようにしないといけない。話していて安心感を相手に与えられるような立ち振る舞いを勉強する必要がある。なんなら容姿も女性に近いように変えていってもいいかもしれない。実際ベル・クラネルも容姿は可愛い系と世間的に言われるようなものであった。この路線で行くのは、それほど間違ったことではないだろう。以前のように自尊心がどうこうというのはない、そんなものは願いのためには邪魔なだけだから。

 

……そんなことを考えながら、18階層へ向かう道を進んでいく。

今日でダンジョンに潜り始めて5日目であるが、18階層へ行く前に一度ギルドで換金をして半分の金額をヘルメス・ファミリアに届けた後、物資の補給もして来た。装備も万全である。

今のレベルでは普通であれば無茶なことをしているが、だがベル・クラネルはレベル2の時点で18階層到達を成功させている。ならばそれ以上の偉業である単独到達をしなければ、彼を上回ることなんて永久に出来はしない。それにこれもまだ通過点だ。

 

……正直、死ぬほど苦しい。

次から次へとモンスターが出てくる上に、ヘルハウンドが厄介過ぎる。この世界に来てから発現していたらしい新しいスキルを持っていなければ、既に何百回も死んでいるくらいの無茶をしている自覚はある。けれど毎回毎回出てくる全てのモンスターを殲滅しているので、ステータスの伸び幅は相当なものになっているだろう。

‥‥もちろん、それでも満足はしていないが。もっともっと頑張らなければ。それこそ今回の探索でステータスを総合計で500以上は上げられるくらいにやらなければ、3年後までにレベル5以上なんて夢のまた夢だ。本当の夢は更にその先にあるというのに。

 

 

 

「ーーーーーーーーーーぁごぇっ」

 

 

視界が消えた。

 

 

世界が真っ白に染まり、意識が飛び掛かる。

 

 

 

………手を動かす。

 

感覚は残っている。

 

崩れた壁、叩き付けられた。

 

左後頭部、ぬるぬるとした感触。

 

叩きつけられた。

否、殴り飛ばされた。

 

回復し始めた耳に聞こえる唸り声。

 

……敵はミノタウロス。

 

隠れていたのか、偶然なのか。

 

「ゆだ、ん……あぇ……?」

 

舌がまわらない。

恐らく頭を思い切り殴られたことで全身の感覚が滅茶苦茶になってしまっているらしい。視界も徐々に戻って来てはいるが、正直ほとんど何も分からない。ただ少しずつ敵がこちらに近付いて来ているのは分かる。それに幸いにもダメージが大きいのは頭だけで、あと左腕が折れているくらいか。……それだけだ、ならまだ全然やれる。

 

「ぁあ……ん、たてうから、らいじょうぶ……」

 

衣服なんてとうの昔にボロボロだ、今更破けようが何しようがどうでもいい。剣だけは頑丈な物を持って来た、流石に大金を出しただけはある。未だに刃は脆くなっていても、割れたり折れたりするような気配は全くない。

 

『ォォォオオオオ!!!!!!!!!』

 

「……たぶん、こっち?」

 

どうせ見えないので、取り敢えず勘と音を頼りに向かって左方向へ前転する。

 

「ぁがっ……!?」

 

しかし、その賭けは失敗した。

再び殴り飛ばされ、元々折れていた左腕が粉砕されるような音を聞く。そしてまた壁に叩きつけられ、回復しかけていた感覚が悪化した。

 

『ーーーーーッッ!!!!!!!!!!!』

 

「ぁっ!?がっ!!ぉぐっ!?」

 

1発、2発、3発……何度も何度も、ミノタウロスはその拳を僕の身体に振り下ろす。その度に僕の身体は悲鳴を上げ、痛みと苦痛に意識とは無関係に声が出る。骨が砕かれ、筋肉が引きちぎれ、内臓が破裂し、五感が欠損する。砕かれた骨が破れた内臓に突き刺さり、かき混ぜられ、押し潰される。身体の内側が液体になったようで、それが気持ちの悪いほど感じられて、死にたくなる。

いくらレベル2になったとは言え、正直僕の才能ではミノタウロスに正面から勝つことなど出来はしない。既に剣も鞄も遠く離れた場所にあり、この状況を打開出来る策も手段も僕の中には一切ない。

 

「かっ……ぁっ………ぃっ……」

 

 

10発、11発、12発………

 

 

 

「ぅ……っ………ぁ………」

 

 

 

18発、19発、20発………

 

 

 

「ぉっ………ぃっ…………ぅぐっ……」

 

 

 

32発、33発、34発……

 

 

 

「っ、ぁっ………ぃひっ………」

 

 

 

48発、49発、50発……

 

 

 

「ひっ、ひひっ………ひひひひっ………」

 

 

 

72発、73発…………

 

 

 

 

……………々…74発目は、来ない。

 

 

 

「くひ、くひひひひっ………!!ぃぎひっ!!」

 

 

『グッ!?オオォォォォァァア!?!?!?』

 

"左手"で握った石を、ミノタウロスの眼球目掛けて抉り込む。

 

突然の反撃、理解不能の行動。ミノタウロスは大きく身体を反り返すと、勢いよく背後に倒れ込み、苦痛に踠き苦しみ出す。

 

「………いはかっは。……ん、ほんろに、くるひかった…………しにたかった。74はつもなぐるなんて、酷いなぁ」

 

肋骨が全て破壊されている。

内蔵が全て滅茶苦茶にされている。

顔面も何発か殴られて、けれどそれは視覚と聴覚、そして思考が正常に働く程度のダメージ。

痛みに耐えながら無理矢理に身体を立ち上がらせて、歩く。拾い上げたのは、殴られた直後に捨ててきた剣。腹の中から何か液体が満たされて揺れている感覚を感じるけども、そんなものだってもう"慣れてきた"。

 

「ぁぐっ……ふ、ふふ、痛いですか?疲れましたか?でも、ここからですよ?ここが開始地点です。ここからようやく、しのぎ合うんですよ」

 

『ゴァァァアッ!!!!!』

 

「ぉぐっ……!!!」

 

死に物狂いといった様子で放たれたミノタウロスの足が、僕の左腕に直撃する。そして響く骨が割れる音。

………痛い、本当に痛い。頭が割れそうになるくらいに全部が痛い。顎が震えるし、床に膝を尽くし、蹲り、歯を食い縛る、けれど。

 

「ぅっ、ぐ…………の、のりこえないと、いけないんです………乗り越えないと、取られちゃうから……」

 

こんな痛みに負けてしまったら、届かないから。今の自分には、もうこれしかないから。だから血と涙で滅茶苦茶になった顔を拭って、無理矢理に笑顔を作って、痛みも恐怖も全部投げ捨てて、剣を振り上げる。

魔法なんてない、だからこれで突き刺すしかない。僕にはこれしか、手段がない。

 

「死んで、ください!!」

 

『ァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!』

 

「ぁ、ぅがっ……!?!?」

 

潰した眼球に向けて、再び剣を振り下ろす。突き刺さる剣。そして発狂したミノタウロスの拳が、今度は僕の頭を叩き付ける。

…‥軽々と飛んでいく僕の身体、けれど痛みは少しずつ弱まっている。腹部と、左腕の激痛は、少しずつ我慢出来る程度のものになっている。こんな痛みと衝撃は、もう何十回も何百回も味わった。こんな物よりキラーアントの群れに永久に噛まれ続けていた方が、よっぽど地獄だった。あの時の方がよっぽど、死にたいと思ってしまった。

 

「………がまんくらべ、です」

 

『ァアッ!?』

 

「僕が先にこの恋を諦めるのか、それとも貴方が先に死ぬのか………我慢比べ、始めましょう?」

 

5日かけても、18階層に辿り着くことが出来ない。

……その理由を、目の前のモンスターに教えてあげるのだ。

その敗因は単独で向かって来たこと。もし複数で来ていたのなら、3日くらいは足止め出来ていたかもしれないのに。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ノア・ユニセラフ 11歳 男

 Lv.2

 力 :I0

 耐久:I0

 器用:I0

 敏捷:I0

 魔力:I0

 《魔法》

 

 《スキル》

【情景一途(リアリス・フレーゼ)】

死亡しない。懸想が続く限り効果持続。懸想の丈により回復速度向上。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この服と剣と、あと食料を多めとなるべく頑丈な袋と鞄も……魔石はこれだけあれば足りますか?」

 

「お、おおう、それはいいが……だ、大丈夫か?坊主、よかったらそこの水使ってけ。サービスしてやる」

 

「本当ですか?ありがとうございます」

 

18階層:リヴィラの町に、全身血塗れで裸同然の姿の少年がたった1人でやって来た。

その噂はきっと直ぐにこの町に広がり、地上にまで伝染していくだろうと。そんな彼に注文された物を用意しながら町の顔役であるボールズは思う。

……見たところ、身体に大きな傷があるわけでもない。であれば全てモンスターの血なのだろうが、しかしそれにしてもそれは人間の血にしか見えないし、流石に全てが返り血だとは思えない。

 

(……傷が、塞がってんのか?)

 

チラと見えたのは、背中に付けられた1つの小さな傷跡。しかしそれが彼が水で身体を拭いていると、いつの間にか消えている。

……正直、それだけでボールズの頭の中に嫌な想像が浮かび上がる。そしてそれと同時に、この子供にはあまり深く関わってはいけないという冒険者としての勘がガンガンと警告を鳴らしているのを感じている。

こんな子供のことはボールズは知らないが、確実に数日もすれば色々と噂が出回ってくるとも確信していた。これはそういうタイプの冒険者だ。それこそ例の剣姫のように。普通の人間とは違う、底知れぬ何か。

 

「……坊主、これからどうするんだ?なんなら知り合いの宿を教えてやるぜ」

 

「いえ、補給が済んだら帰ろうかと思っています」

 

「なに?今来たばっかだろ、宿泊していかねぇのか?こんだけ買ってくれたんだ、値段の交渉くらいしてやってもいいんだぜ?」

 

「お気持ちは嬉しいのですが、時間が勿体ないので。今回の目的はここに来ることでした、目的を果たしたので粛々と帰ろうと思います」

 

「…………」

 

ここまで来たのに、身体を休めない、睡眠もしない、食事もしていかない。物資の補給だけをして、帰っていく。……そんな冒険者など居るものか。たとえ簡単に18階層まで来れる冒険者であっても、ここに来れば多かれ少なかれ休息くらいはとっていく。しかしこの子供は言葉の通り、ボールズから物資を受け取ると、そのまま出口の方へと歩き始める。

 

イカれている。

 

頭がおかしい。

 

だがどうしてか、そんな彼を妙に嫌いになれない自分もいた。それこそ関わってはいけないタイプと知りながらも、こうして宿を勧めてしまうくらいに。

……しかしボールズは知らない。

彼がダンジョンに潜り始めてから既に7日が経っており、これから地上に帰る途中にもまた3匹のミノタウロスと出会ってしまい、2日間もの間、殴り潰され続けてしまうということを。そしてそれを受けてなお、彼は最後には生き残り、より酷い状態となって地上へ帰っていくということを。

 

 

 

……という報告を聞いたヘルメスとアスフィは、珍しく普通に狼狽えていた。

というより、ドン引いていた。

表情を歪めて、言葉が出てこない。

そしてそれを伝えてくれた団員は、彼が18階層に辿り着いた時点で監視の任務を終えて帰って来たがために、彼の帰りの分の報告についてはここにはまだ存在していなかったりもする。アスフィには他にやるべきことがあったため、他の団員にお願いをして監視をさせていたが、誰がこんな報告が戻って来ると思うのか。事前にスキルの内容については知っていたとは言え、まさかこんな方法でミノタウロスを倒していたとは誰も思うまい。

徹底的に抵抗して、徹底的に殴らせて、疲労したところを反撃して、反撃され返して、それを敵が死ぬまで永久に続ける。確かに理論上は可能かもしれないが、しかし常人の精神がそんな拷問にどうして耐えられるものか。報告によれば普通に苦痛は感じているということなのに、それなのに。

 

「……ヘルメス様、よかったですね。これは飽きないで済みますよ」

 

「いや、飽きないっていうか……えぇ……まさかそこまでするとは思ってなかったし、18階層まで本当に行くとは」

 

ヘルメスが最初に恩恵を更新した時、そのステータスの伸び幅はハッキリ言って異常なものだった。殆ど初期状態に近い数字が、一気にランクアップ可能な数値にまでなっており、恩恵昇華に必要な偉業も達成しているという有様。まるで数年ぶりに恩恵を更新した眷属のようではあったが、彼はダンジョンに入ってからまだそれほど時間は経っていなかったという。そのことに単純に疑問を抱いていたが、それも今この瞬間にようやく解けた。彼は本当に只管に戦い続けていたのだ。眠る時は気絶するように、むしろ本当に気絶して。起きる時はモンスターに攻撃されて。そしてそこからまた気を失うまで只管にモンスターを狩り続ける。

彼はダンジョンの壁に傷を入れてモンスターの出現を防ぐということすらせずに、時には完全に意識が飛んでしまったのかブツブツと何か同じことを言いながら、自分の腕の肉まで食い始めていたという。それを見た時には流石に監視役も止めに行こうとしたものの、直後に彼の傷が回復し始めたところを見て、同じ人間とは思えず恐怖を抱いてしまったらしい。……それは仕方のない話だ、誰にも責めることはできない。

 

「いったい何が、彼にそこまでのことを……」

 

「……これが本当に懸想のためだなんて言われたら、俺は子供達についてもう一度考え直さないといけないぜ?」

 

彼のスキル、それはこれまでヘルメスやアスフィが見たこともない類のもの。そもそも"死亡しない"などと、既に世界の規則に反している。神の作った摂理に逆らっている。

それに彼のスキルは死亡しないだけでなく、致命傷になるような破壊は受けないようにも思えるとのことだった。それは即ち、頭を殴られても破裂することはない。腕を攻撃しても千切れることはない。首を狙っても刎ねることは出来ない。しかし致命的でない損傷は受けるらしく、そういった損傷は回復もされるらしい。

……つまりは、彼は彼のスキルで回復出来る範囲でしかダメージを受けない。そう言い換えることも出来る。

 

「つまりどのような手段を用いても、彼は起き上がるということですか。それこそ同じ強度での破壊を続けない限りは」

 

「いや、正しくは彼の想いをへし折らない限りだ。彼が懸想する相手のことすらどうでもいいと思えるくらいまで痛めつけないと、殺すことは出来ない。……そしてどんな物であろうと、摩耗と疲労は存在する。つまりはどうやっても最終的には我慢比べになるのさ」

 

「……なんて人物を引き入れてくれたんですか、ヘルメス様」

 

「俺だってまさかここまでとは思わなかったんだ。というか、こんなことを続けていたらいずれ精神どころか魂まで砕け散る。神としては絶対にやめさせないといけない案件だ」

 

もちろん、策がないわけではない。

彼がこうして生きているということは、そこにはやはり並々ならぬ懸想が存在しているということ。彼のこれほどの努力は、間違いなくその懸想に結び付いている。ならば話は簡単だ、その想いを叶えてやればいい。それだけでこの問題は解決する。

 

「いや、そんな簡単にいく話じゃないですよね?彼がここまでの努力をするということは、かなり厄介な事情がそこにはありますよね?」

 

「あ、あはは……なんか暇潰しどころか、むしろ厄介ごとを引き込んじまったかな」

 

「恋愛なんて私には無理ですよ、手伝えません」

 

「ま、まあそこは俺がなんとかするさ」

 

「……むしろ不安なのですが」

 

「いや、流石に俺だってそこは真剣に…………ん?」

 

「どうしたんですか、ヘルメス様」

 

「…………なぁアスフィ。もしかして彼の想い人って、剣姫ちゃんのことだったりしないよな?」

 

「……………………」

 

「いや、だってほら。この前なんか挨拶がしたいとかどうとか……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「じゃあもう無理じゃないですか……」

 

むしろあのダンジョン狂いが恋だの愛だの知っているのかと、そこからの問題である。

3年間こちらで引き取るという約束はしたが、もうここまでになると3年と言わず直ぐにでもロキ・ファミリアに引き取って貰いたい案件である。こちらから了承したのに申し訳ないという気持ちはあるけれど。

 

「い、いや!まだ結論付けるのは早いぞアスフィ!彼はただのダンジョン狂いではないかもしれない!事前の情報だと容姿に気を使うような仕草はあっただろう!?」

 

「まあ、それは確かにそうですね。ただ肝心の剣姫の方が絶望的だと思いますけど」

 

「し、仕方ない、俺の方からロキに事情を説明してみるか……あんなことを九魔姫に言った手前、少し情けないが」

 

「大丈夫なんですか?女神ロキは剣姫のことをかなり可愛がっていたと思いますが、素直に話せば間違いなく断られますよ?」

 

「そこはもう、徹底的に良い面を押し出すしかない。一度押し付けてしまえばこっちのものさ」

 

「はぁ……まあ私の方でも色々とやってみます。女神ロキに好印象を与えるのであれば、多少容姿を女性に寄せた方がいいと思いますから。そういう方向で彼の無茶を抑制してみます」

 

「ああ、助かる。化粧の勉強とでも言って数日連れ回してあげてくれ。…………やれやれ、こういう英雄もありなんだろうか。どっちにしても無理矢理引き留めて話を聞くか」

 

最初の日は勢いに押されてダンジョンに行くのを許してしまったけれど。やはり放っておくことは出来ないというか、したくない。中立とは言え、一応は善神という立場でこの街に居たいのなら。この件を放置しておくことなんて流石に出来ない。



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04.彼への○○

それから彼が帰って来たのは、更に8日後のことだった。

合計15日間もダンジョンに潜り続け、まるでちょっとした遠征である。それも18階層には僅か1時間程度しか滞在していなかったというのだから、これもまた恐ろしい。

 

「…………っ、凄まじいな」

 

「どうですか?」

 

「合計上昇値が600を超えている。耐久の値は既に200を超えた」

 

「それなら同じことをあと3回……いえ、5回くらい繰り返せばいいんですね。年内にレベル3までいけるといいんですが」

 

「お、おいおい。基本的に1年に1つ上がれば早過ぎるくらいだってのに、最短記録をいったいどれだけ更新するつもりだい?」

 

「そうでもしないと追い付けないので」

 

「……追い付けない、か」

 

「それに僕が強くなればヘルメス様の戦力にもなります、悪いことではないと思いますが」

 

「まあ、そうだな。それはそうだ」

 

そう言って、改めて服を着直した彼と向き直る。

……不思議なものだ。たった2週間顔を合わせていなかっただけなのに、彼は確かに以前とは雰囲気が違っている。というより、上手くその雰囲気を隠す術を覚え始めていると言っても良い。以前感じたような異様な狂気や圧力というものが格段に減っており、笑顔も自然で柔らかいものになった。未だに何か暗い物が広がる瞳はあるけれど、それでもそれを無視すれば、彼はとっつき易い人間に"見える"。

 

……そう、見えるのだ。

つまりは、そういう演技が上手くなった。

髪も何故か少し伸びていて、綺麗に切り揃えられている。衣服もなんとなく女性らしいものに変わっていて、側から見ても可愛らしいという感想を持ってしまうくらい。

……それくらい、隠す技術が上達している。

いくらなんでも帰って来た初日にアスフィがここまで手を入れるとは思えない。つまり、彼自身がこの自分を作って来たのだ。ロキが好みそうな少女のような姿を。ダンジョンから戻って拠点に戻って来る間に、何よりも優先して。

 

「それで、その服はどうしたんだい?」

 

「……あの様な格好で街中を彷徨くわけにはいきませんので、ダンジョンを出て直ぐに身嗜みを整えました。探索中に何度か髪を引きちぎられたりしたんですけど、ちゃんと元に戻って良かったです」

 

「髪まで戻るのか……しかし髪は伸びている。それも少し伸び過ぎなくらいに」

 

「?」

 

「君のこのスキルは、どういう理屈なんだろうな。回復速度が上がるとは書いてあるが、しかし何のデメリットもないとも思えない」

 

「?」

 

つまり、簡単な話。

 

「この脅威的な回復力は、君の寿命を削っている可能性がある」

 

「……」

 

「"死なない"とは書いてあるが、"老けない"という訳ではない。つまり君のその回復力は、何らかの形で君の時間を引き換えにしている可能性がある。髪が異様に長く伸び始めたのも、もしかしたらそれが理由なのかもしれない」

 

「……それは、恩恵を触った神様だからこそ分かる感覚ですか?」

 

「多少な、まだ予想の段階ではあるが」

 

全知無能の神と言えど、無軌道な子供達の何もかもが分かるわけではない。しかしこれだけのスキル、そして回復能力。何の対価もなく実現しているとは思い辛い。恩恵により向上した肉体の強度や回復力を考慮したとしても、彼の中の何かは削られているだろう。それこそ老化を早めているとか、寿命を削っているとか、そういう類の形で。

 

「……その分、早く身長が伸びたりしますでしょうか」

 

「それは分からないが……君の身体の成長速度も早まっているという考え方は、まあ出来なくもないのか?」

 

「ふふ、それだと嬉しいですね。やっぱり背が欲しいです、身体が大きくならないと言葉に説得力が出ません。……ああでも、大き過ぎると圧を与えてしまいますね。適度に、平均的なくらいあれば十分です。筋肉もそれほど必要ありませんね。回復力のおかげなのか見た目は健康的で居られるのが救いです、髪の質も良いですし。そうですね、ダンジョンから帰って来たら3日くらいは地上で身嗜みを整える時間を作ります。その間はなるべく身体を動かさないようにして……あ、身体を柔らかくして体格を整える方法とかあるんでしょうか。そういうのに詳しい神様を探すのもいいかもしれません。やっぱりこういうことは神様の知恵をお借りするのが1番ですよね。ああ、口調も整えないと。やること多いなぁ、やっぱりダンジョンに潜ってるだけじゃ駄目ですよね。それだけで済むならどれだけ簡単なことか。こればかりは耐えて我慢するだけではどうにもなりませんから。そうだ、ある程度形になってきたらリヴェリアさんに連絡を取って時間を取って貰わないと。最初からアイズさんに会えるわけなんてないし、まずはリヴェリアさんの信用を得るところから始めないと。ロキ様に会うには心の準備もしていないといけないし、もう少し時間がかかるかも。今のこんな滅茶苦茶な心のままに会いに行っても絶対拒絶されちゃいますからね。でもそれは一先ず置いておきましょう。まずは目の前のことから一つずつ。……ああ、本当に、寝る間も惜しい」

 

「っ……………」

 

正直、ヘルメスは背筋が冷えた。

人間はここまで冷静に狂うことが出来るのかと、ここまで理知的に狂うことが出来るのかと。それくらいに彼はアイズ・ヴァレンシュタインに対する懸想を叶えるために全身全霊を懸けていて、そのために自分という存在を外から内面すらも徹底的に改造するつもりでいる。……否、改造どころか、改良どころか、作り替えようとすらしている。

 

「あ〜、やっぱり君の目的は剣姫だったのか」

 

「……あ、やっぱりバレてしまいましたね。直ぐにバレてしまうとは思っていましたが、これはヘルメス様の楽しみの一つにしておこうと思ったのですが」

 

「いや、大丈夫さ。十分に楽しませて貰っているよ。……それに、うん、俺もアスフィもそのことについては邪魔するつもりはない。それこそ"こういう神や人を紹介して欲しい"なんてお願いがあれば、知っている限りで紹介しても良いと思っているくらいさ」

 

「本当ですか!?ありがとうございます!!……良かった、これで余計な時間を使わなくて済みます。本当にありがとうございます!ヘルメス様!!」

 

「お、おう……」

 

そこまで感謝されるようなことだったかと思ってしまうが、彼にとってはそれほどのことだったのだろう。……というより、そこまで期待をされていなかったというところにも文句を言いたいところだ。正直既に扱いには困っているし、ロキのところへ押し付けようとも思っているが、それも彼がこれ以上に無茶をして魂まで崩壊させないようにするため。決して自分が面倒だという理由ではないし、確かに大変ではあるが、嫌だなんて全くもって思っていない。

 

「……ん?」

 

そしてそこでヘルメスは気付く。

もしかすれば生じてしまっている、小さくはあるけれど、その実あまりにも大き過ぎる、このほんの僅かな認識のズレを。

 

「……ノア、君は俺のファミリアに入った。そうだな?」

 

「?そうですね」

 

「これは決して一時的な物ではないし、確かに君の意志で抜けて貰うことは可能だが、仮初の契約というわけではない」

 

「はい………?」

 

確かに自分は興味を満たすという理由で受け入れたが、それは決して彼との契約を受け入れたというわけではない。彼という存在を受け入れ、その上で交わした約束と条件を守るという意味だ。つまり……

 

「ノア、多分君は勘違いしていると思うが……君はもうこの俺、ヘルメスの眷属であり、俺の血を分けた家族の一員なんだぜ」

 

「………!」

 

「確かに稼いだ金の半分は納めて貰ってるし、これからもなるべく俺の興味を引いてくれると嬉しい。……だが、だからと言ってそれは義務じゃない。別にどちらも果たせなくなったとしても、俺は君を追放しようとは思わない。むしろ金を貸して欲しいと言われても、俺はまあ貸すだろう。理由にもよるけどな」

 

「でも、それだと……」

 

最初に関した契約を果たせない。

きっとそう言いたいのだろう。

しかしそれが既に間違っている。

 

ヘルメスはそんな契約などした覚えはない。

 

「ノア、君が最初に会った時にした俺に対する提案。俺はあれを正式に契約した覚えはない、約束はしたと言ってもいいが」

 

「え」

 

「あれは君の俺に対するただの売り文句だ、そして俺はそんな君を気に入って自分のファミリアに入れた。だから正式に契約していない以上は、破っても罰はない」

 

「で、でもそれだと……!」

 

「そうだな、俺がその条件を破る可能性もある」

 

実際、場合によっては破るだろう。

1人でダンジョンに潜る、時にはそれを強引に止めなければならない時もある。しかし……

 

「だが俺は子供達との約束はなるべく守る、神様だからな」

 

「ヘルメス様……」

 

「いいかノア、間違えるな。契約なんかしていない、君とは一時的な雇用関係なんかじゃない。俺は君を家族の一員として受け入れた、君と俺との間にあるのは契約ではなく約束だ。互いにそれは"なるべく"守り合うもので、必要なら破ってもいいものだ」

 

「必要なら……」

 

「俺は時には君に酷い我儘を言うだろう、だから君も俺に対して我儘を言っても良い。『知り合いを紹介して欲しい』程度の小さな頼み事なんか、小石を蹴る感覚でしてくれていいんだ。そんなことで大袈裟に感謝なんてする必要なんかない。俺だってそうする」

 

「…………ですが」

 

「それが家族ってもんだ」

 

「!!」

 

そんな小さなお願い事もし合えない仲になど、なる気はない。

アスフィだってそうだ。彼というあまりに衝撃的な人物をヘルメスが引き入れたことに愚痴を言ってはいたが、しかし既に彼のことは身内だと認識している。彼に関して色々と苦労することは目に見えているが、嫌な顔はするが、断りはしないし、突き放しもしない。彼女だってもう受け入れてくれているのだ。

……ファミリアの一員として。

 

「だからまあ、あんま余所余所しくしてくれるなよ。色々大変そうではあるが、引き入れたことを後悔したことは全くないんだ。気張ってこうぜ、剣姫を落とすために」

 

この日、神ヘルメスは最高にイカしていた。

それこそノアが今この瞬間、神ヘルメスという男の懐の広さに感銘を受けてしまうほどに。そして彼のその行動は、ノアに憧れをも与えたのだった。ノアの理想とも言える像の中に、彼は要素を付け加えた。

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら、あの子の恋を壊してしまったのは私だったんじゃないかと。今更ながらに思ってしまう。

まだ12歳で、子供で、小さくて、可愛らしくて。弟みたいで、妹みたいで、姉妹みたいで。アイズと違って、すごく素直で可愛げのある子だったから。すごく可愛がってしまったし、すごく揶揄ってしまった。嫌がってはいても、けどちゃんと頼ってくれてるのも分かって、それが嬉しくて、もっと可愛がった。

 

多分、入れ込み過ぎていたんだろう。

 

だからあの時、いつもみたいに揶揄ってやろうと好きな女の子について聞いてみた時、彼の口からアイズの名前が出て来て、ちょっと嫉妬してしまった。いつも以上に揶揄ってしまった。

彼はそれまでそんな話を誰にもしたことがなかったから、きっと彼なりに計画とか、考えていたこともあったんだろう。けれどそれを私が無理矢理聞き出して、壊してしまった。

そんな私の揶揄いを見ていた人がいて、その話が次の日にはもう広まってしまったのだ。正直しまったと思ったし、その時はもちろんちゃんと謝った。……でも、他人の恋を壊しておいて、どうして謝罪だけで済むと思うのか。彼が気にしていない様子をしているなら、それで許されるのか。アイズにもその話が伝わってしまって、『私も(家族や友人として)好きだよ』なんて言われてしまって、彼は一体どういう気持ちだったんだろう。

 

彼は最後のあの瞬間、知っていたのだろうか。見えていたのだろうか、聞こえていたのだろうか。先頭を走っていた私の後ろに、アイズも着いて来ていたことを。彼が殺されたことに怒り狂い、ヴァレッタを滅多刺しにしたことを。

 

頑張ったね、って言っても。

かっこよかったよ、って言っても。

どれだけ語り掛けても、その言葉は届かなくて。そこに居た誰よりも小さかったのに、誰よりも惨い殺され方をされて。

なんでこの子だったんだろう、別に自分でもよかったじゃないか。こんな殺され方をされるために生きてきたわけじゃない。最後に好きな人に一言も想いを伝えられずに殺されてしまうほど、彼は悪いことなんて何もしていない。もっともっと、もっと報われるべき子だった。これからたくさんの幸福を受けるべき子だった。アイズに追い付こうと懸命に努力していたその姿は、もっと報われるべきものだったはずだ。

 

‥‥あれから、リヴェリア様とリーネと一緒に、彼の部屋の掃除をしている。けれどそこから彼の懸命な努力の跡を見つける度に、涙が溢れて手に付かなくなる。団員全員の誕生日を覚えていて、プレゼントの準備がされていたのを見て、溢れ出してしまう。

手帳に私の誕生日もしっかりと丸が打ってあって、何処から聞いて来たのか、私が欲しがっていたものをしっかりとメモしてあるのを見つけてしまって、どうしようもなくなってしまう。謝っても帰ってこないのは知っているけど、何度でも謝るから返して欲しい。あの子はこんな風に殺されていい子ではないのだ。

 

……こんなことでは顔向け出来ない。

 

あの子より先に天界に帰ってしまった、あの子のことをなにより大切に思っていた、あの女神様に。




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05.他愛のない○○

リヴェリアの元に食事の誘いが来たのは、あれから3月が経った頃のことだった。

あれ以来リヴェリアは何度か彼と話をする機会を見計らっていたが、聞こえてくる噂が噂。ダンジョンを裸に近い格好で血塗れになりながら歩いていたとか、大量のモンスターに襲われてもう助からないと見捨ててしまったが、何故か無傷で18階層まで上がって来たとか。もうなんかどうやってもヤバい話しか耳に入って来ない。それだけで会いに行くのは気が引けたというのに、少し勇気を出してヘルメス・ファミリアに立ち寄ってみたが、もう10日以上ダンジョンから帰って来ていないと平然と言われるのだ。先日の神会でレベル2に上がったことは聞いていたが、10日以上も帰って来ていないことを当たり前、いつものことのように話す団員達の様子の方がむしろ怖かったくらいだ。

 

そんな中で受けたこの食事の誘い。

てっきり誘いの中にアイズとの挨拶が含まれていたりしないかとも思ったが、しかし誘われたのはリヴェリア1人。それも届けに来た万能者(ペルセウス)が、彼が本当に自分に謝罪をしたいだけと言って来たのだから、まあ目的は本当なのだろう。それとなく聞いてみれば、エイナのところにも彼は謝罪をしに行っていたらしい。

…‥思っていた以上に律儀というか、生真面目で。むしろ謝るのはこちらのつもりであったのだが。

 

そして、そういう印象を持って挑んだ今日この日。招待された場所はオラリオでは最高級店というほどではないが、それでもレベル2の冒険者からしてみればそれなりに背伸びをしたような店。流石に普段のような服装ではなく、まあどこに行っても悪くは思われない服装にして来たとは言え、ここまで来ると少し大袈裟過ぎるようにも思えてしまう。

一体誰の何の思惑なのか、もしかすれば狙いはアイズではなく自分だったりするのか。もうなんかそんなことを考えてしまうくらいに訳が分からなくなりながら、リヴェリアは店の中へ入っていく。

 

「あ……こちらです、リヴェリアさん」

 

「え?あ、ああ…………………あ?」

 

入口から少し離れたテーブル。

静かな店内に入ってきた自分にかけてきた声は間違いなく3ヶ月前に言葉を交わした彼のもの。なんとなくその声に柔らかさというか、明るさというか、そういうものを感じて目を向けてみれば…………最初に感じた印象は。

 

 

 

 

【誰だ?】

 

 

 

 

「あ、ええと……ノア・ユニセラフで、間違いないだろうか?」

 

「はい、そうですよ。ふふ、やっぱり分かりませんでしたか?」

 

「わ、分からないも何も………3ヶ月でここまで変わるのか」

 

「はい、色々な方に教えを受けまして……あ、それよりどうぞおかけ下さい。先に注文を済ませてしまいましょう。とは言っても、決めるのは『魚かお肉か』程度のことですが」

 

本当に、こうしてまじまじと見ても以前に見た彼とは面影が殆ど一致しない。もちろん、顔のパーツなんかは彼の物だ。完全な別人とは言わないし、恐らく化粧なんかもしているのでより美人に見えているのだと思う。髪や背も伸びていることもきっと要因のひとつだ、成長期とは言っても3ヶ月でここまで伸びるのかというくらいに。

それに何より……

 

「……本当に、雰囲気が柔らかくなったな。以前のような刺々しさというか、見ていて心配になるような感覚がない」

 

「はい、あれから色々と考え直したんです。それにヘルメス・ファミリアの皆さんにも温かく迎えていただいて、色々な方とお話しする機会を頂けて……変わったと言って貰えるのは、私にとって1番嬉しいことです」

 

「そうか……それは良かった。ずっと気にしていたんだ、あの時の私は結局君の事情も考えずに偉そうなことを言うばかりだったからな。その節は本当に申し訳なかった」

 

「い、いえ!頭を上げてください!……最初に皆さんにご迷惑をおかけしてしまったのは私の方ですし、心配してくださったリヴェリアさんには感謝しかありません。それと謝罪を」

 

「………私?」

 

「あ、えっと……言葉遣いを見直していた時に、一人称を変えた方が良いと言われまして。いつまでも"僕"では子供っぽいと」

 

「そうか……しかし、髪の長さも相まってか、そう言われると女性に見えてしまうな。………ああ、いや!すまない。これは決して君を馬鹿にする意図をもって言ったわけではないんだ」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。私は気にしていません。むしろ自分でもそうなるようにしているというか、こちらの方が受けが良かったのでこうしているだけです。男らしい格好が私には似合わなかったので」

 

「……そうでもないと思うが」

 

「……ありがとうございます。昔から妹のように扱われると言いますか、よく女装なんかもさせられていましたので。そう言って貰えるのは少し新鮮です」

 

一瞬その瞳に暗さが宿った気がしたが、彼は直ぐに笑みを戻して顔を上げる。そしてもう一度先日のことに謝罪をし合ったあと、互いに最近の近況について話をし始めた。まあほとんど初対面のような間柄、話せることなどそれくらいしかない。

 

「なるほど……色々と無茶をしていると聞いていたが、しっかりと勉強をしているようだな」

 

「はい。アスフィさんからも色々な本を貸して頂いて、なるべく多くの知識を取り入れるようにしています」

 

「やれやれ、その年齢でアイズよりもよっぽどしっかりしているな。あいつもそれくらい熱心にしてくれるといいんだが」

 

「ふふ、アイズさんはお勉強が嫌いなんですか?意外な弱点があるんですね」

 

「ああ、いつも私が無理矢理に引っ張って勉強をさせている。最近はむしろ落ち着いた方だ、最初の頃は本当に直ぐに逃げ出していたからな」

 

「でも分かります、勉強より戦闘をしていた方が夢中になれて楽なんですよね。勉強と違ってステータスの数字として成果も表れますし」

 

「そうだな、だが知識がなければ深い層に潜り始めてから苦労することになる。それが1人の責任で収まればいいが、仲間を巻き込むことになってからでは遅い。今から習慣付けておくことが大切だ」

 

勉強は大切、という初対面の人間とするにはあまりに堅過ぎる話を、2人は笑みを浮かべて続ける。しかしこの会話、リヴェリアとしては非常に感心できるものである。まだ11という歳でこれほどしっかりと話せるということも当然、勉強の大切さを理解して本人も真面目に取り組んでいるというところも好ましい。

彼は想像していたよりずっと人間としてリヴェリアにとって好ましい人間で、以前は引き取ることに抵抗感があったものの、今ではやはりあの認識は間違っていたと思い直し始めている。それこそ本当に、今も噂で聞く無茶をやめてくれれば文句はないくらい。

 

「……少し話は変わるが、君は今でも無茶なダンジョン探索を行なっているそうだな。それこそ10日も帰らないことが当たり前のような」

 

「えと、それは……」

 

「まあその、こういう説教のようなことを何の事情も知らない私のような人間がすべきではないということは、それこそ謝罪もしたし分かっているのだがな。しかしこうして話してみて、私は君のことを気に入り始めている。関わりを持った以上、死んで欲しくはない」

 

「リヴェリアさん……」

 

「せめて理由だけでも聞かせてくれないか?君のような利口な子が、何のためにそこまで必死になる?」

 

リヴェリアのその問いに、彼は一瞬口籠る。しかしそれをなんとか言葉にして吐き出そうと思考しているのは分かったので、リヴェリアは静かに彼を待った。

料理が運ばれてくる、時間はいくらでもある。

 

「……負けたくない人が居て、守りたい人が居るんです」

 

「……なるほど」

 

「欲しいものがあって、奪われたくないものがあって……逃したくないんです。絶対に手に入れたい、手に入れないといけない」

 

「手に入れないと、いけない……?」

 

「色々な物を無くしてしまった僕ですから、もしそれすら手に入れられないのなら……ダンジョンに潜るのは、それが理由です。何もしていないと怖くて、落ち着かなくて、鍛錬ならやっぱり数字という形で成果が見れるので」

 

「……つまり、君にとって力とはその大切なものを手に入れるための手段ということか」

 

「そうです。力がなくても手に入るなら、ダンジョンにも潜りません。……ですが、まず間違いなく必要なので」

 

「なるほど。アイズに近づこうとしたのも、あいつの強さの要因を知りたかったからか……」

 

「……………不純な気持ちで近付こうとしています。申し訳ありません」

 

「いや、不純でない者の方がこの世界には少ないくらいだろう。私もそうだ。それがあいつを傷付けるためであるならばまだしも、君はそういうことはしないだろう?」

 

「当然です、そんなことは絶対にしません」

 

「ならいい。それにうちには謀略策略に関しては他の追随を許さないような小人族もいる。それを頭に据えている時点で、君のそんな可愛らしい策略を否定するつもりなんてないさ」

 

リヴェリアは気付かない、その可愛らしい策の深さに。けれど彼女が言うように、それは確かに可愛らしい策だ。可愛らしい年頃らしい願いと、狙い。行き過ぎた想い故に少し不気味に思ってしまうだけで。彼は決して、害を与えるつもりなどないし、そんなこともしていない。

 

「しかし、君は何をそこまで追い求めているんだ?話を聞いた限りだと、時間は3年しかないということだが」

 

「……実際、3年というのも僕が勝手に思っているだけです。ただ、やはりそこが制限時間になると思います。そしてこのことを簡単に誰かにお話しすることも出来ません、お話ししたらその目的が果たせなくなってしまうので」

 

「なるほど……それなら仕方がないか」

 

「ですが、それとは別にリヴェリアさんとは仲良くさせていただきたいとは思っています。もちろん先程も言ったように強くなりたいという思いはありますが、こうしてお話をさせて頂いて、その……今後も仲良くしていきたいと思ったと言いますか……」

 

「……ふふ、これはもしかして口説かれているのか?」

 

「い、いえ!そういうわけでは!……あ、あれ、これだとむしろ失礼なのかな」

 

「くく、冗談だ。そんなに慌てなくていい。そう言って貰えると私も嬉しいからな」

 

前よりも背が伸びて子供のような雰囲気が減ったとは言え、やはり彼はまだまだ子供なのか、こちらのそんな冗談に真面目に反応しているその姿は素直に可愛らしいと思う。

……確かに彼のダンジョンに対するその姿勢はあまりに異質ではある。だがそれも、彼にとっては自己を守るための意識なのかもしれない。こうして話してみて、彼がそれのためになりふり構わず本当に必死になっているということは分かった。その他人には理解出来ない必死さ故に、その姿を見てしまった他者からは気味悪がられてしまい、ありもしない噂話を付け加えられてしまったりしたのだろう。

……だが、リヴェリアにそれを否定するつもりはない。夢のために必死になって生きている人間はよく知っている、彼はそれよりも余裕がないというだけだ。そのためなら本当に、死に物狂いになっているというだけで。

 

「……分かった。今後もこうして君と食事を共にする機会を作ろう」

 

「っ!ありがとうございます……!!」

 

「構わない。だが、今後はこのような高い店でなくていい。君はファミリアに稼ぎの半分を納めているのだろう、私はもっと適当な店で構わない」

 

「……分かりました。ただ、やはり庶民的なお店は避けさせてください。他のファミリアの人間である私と定期的に会っているというのは良い噂話にはならないでしょうし、目も引きますから」

 

「分かった、だが支払いは任せてくれ。いくら男性とは言え、子供に奢られるというのは落ち着かない」

 

「その、それだとなんだか私が高いご飯を集っているような……ただでさえ時間を割いて貰っているのに」

 

「それこそ気にし過ぎだ、子供があまり多くを考えなくていい。私がそうしたいからしているだけだ」

 

「……やっぱりカッコいいですね、大人の人って」

 

「ふっ、君なら私よりもっと格好の良い大人になれるさ。その時は今の私のように、後進の者達に手を差し伸べればいい」

 

ヘルメス然り、リヴェリア然り、そういう懐の広さと考え方の深さがカッコいいのだと。ノアは思う。

 

 

 

 

その後は本当に他愛のない話をしながら食事を楽しみ、僕達は店の前で分かれた。彼女の背中を静かに見送り、僕は大きく息を吐く。先に代金を払っていたとは言え、最後まで申し訳なさそうな顔を彼女はしていたが、むしろ僕からしてみれば本当に感謝しかない。

本当に自分の思い通りに話が進んだ。

しっかりと仲を深めることが出来た。

そして好印象を持ってもらえた。

 

……本当に優しい人だと思う。

巻き戻る前のことは記憶の中に今では薄らとしか残っていないが、それでも彼女には気に掛けてもらえていた記憶がある。アイズさんが慕うのも当然だ、そして数多のエルフ達が彼女を大きく持ち上げるのもまた当然。

 

そして同時に、自分の努力はやはり間違っていないということにも確信出来た。自分の雰囲気を変えるために言葉遣いから立ち振る舞い、視線の動きや表情、そして感情の動きまで徹底的に意識した。そういうことを学んで実践した。

端的に言えば、オラリオのとある花屋で働いていた女性と仲を深め、彼女の動きや仕草を完全に真似したのだ。言葉遣いや心の動き、考え方まで。つまりずっと成り切っている。そしてそれは今日見事に成功した。アイズ・ヴァレンシュタインにとって最も身近にいるリヴェリア・リヨス・アールヴにここまでの好印象を持ってもらうことが出来た。

だからもう迷わなくても良い。

この人格で自分を塗り潰す。

そうすれば後はこの彼女に対する強い執着を隠すだけで完成だ。そこまで完璧に作り替えるにはもう少し時間はかかるだろうが、やはり成果を得られたというのが大きい。穏やかな笑みを浮かべたまま、自分も拠点に向けて歩き出す。

 

「最初の感じだと、やっぱりダンジョン内での私の悪い噂が多少なりとも広がっているみたいですね。今後はもっと気をつけないと。……あと2回程度ダンジョンに潜ればレベルは上がると思いますが、やはりステータスが上がるほど伸びは悪くなりますからね。小部屋なんかを見つけてそこに籠りましょうか、食料と物資を大量に持ち込んで。……キラーアントみたいに仲間を大量に呼ぶ性質のあるモンスターがもっと居るといいんですけど。ままなりませんね」

 

帰ったら直ぐに準備をしてダンジョンへ行く。睡眠を取ったり休息を取るつもりなど一切無い。どうせダンジョンへ行けば嫌でも睡眠を取ることが出来るのだから。

……良い加減に痛みにも慣れてきた、ダンジョンの中で気絶をしながら眠ることにも慣れて来た。そしてこの生活にも。だが今の努力で満足していてはいけない、もっともっと自分を追い詰めないと。もっともっと効率を良くしないと。

 

「ああ、また表情が……これからはリヴェリアさんとの交友もあるんだから。本当に眠ってる暇なんてない」

 

ああ、本当に嬉しい。

努力が身を成している。

早くアイズさんに会いたい。

早くアイズさんに見て欲しい。

そんな我儘な気持ちは当然強くあるけれど、今はそれも心の奥に無理矢理に封じ込めて、リヴェリアさんの信用を勝ち取る。そしてゆっくりとアイズさんへと繋げていく。ここだけは時間がないからと急いではいけない。ゆっくりじっくりと深めていき、刷り込んでいかなければならない。そしてベル・クラネルが現れる前に、引き返せないところまで持っていかなくては。彼女の心を、繋ぎ止めなければ。

 

「………今の僕なら、直接想いを伝えれば受け止めてくれますか?前みたいに、受け流したりしませんか?アイズさん」

 

私も好きだよ、なんて。

そんな言葉で受け流したりされないだろうか。

子供同然だった容姿を変えた、今であれば。



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06.○○との交渉

世界は英雄を欲している。

であれば、英雄とは何だろうか。

 

……細かいことはどうでもいい。

絶望的な状況を覆し、世界や人々を救い出し、俺達(神)が驚き湧き上がる様な興奮を与えてくれる。ただそれだけでいい。

 

そういう意味では彼には、それに成り得る意志が存在している。器はない、才能もない。だがそれら全てを覆す、究極とも言える、神々すら疑う様な明らかに異常な意志が存在している。

あれは才能だ、彼はそういう異常を持って生まれた存在だ。しかし普通であればそのようなものは覚醒しない。滅多な事がない限り、その様な才能が芽を出すようなことがないからだ。

……だが彼の場合、その滅多なことが起きてしまったのだろう。

詳細は分からない、経緯もだ。しかし彼は何らかの影響を受けて、そしてスキルを得てしまって、才能を開花させるに必要な環境を得てしまった。1人の少女と恋仲になりたいという誰もが思い抱くような普通の恋心に対して、ここまで異様な執着を持ってしまった。ブレーキすらも壊れてしまっている。

きっと彼はそれを叶えるためであれば、世界すら救うだろうし、世界すら滅ぼすだろう。その身と意思の2つだけで。彼が今こうして他者に悪影響を及ぼすような行動を起こさないのは、単純、それをしてしまえばアイズ・ヴァレンシュタインの味方になれないという理由一点に尽きる。

 

普通の人間は様々な人間と関わりを持つ事で意識と感情を分配し、適度な距離感や関係を保つものだ。だが彼はその容量が極めて大きく、今の時点でその大半が彼女に向かってしまっているという異常な状態にある。

つまりは、もしアイズ・ヴァレンシュタインが間違った道を走ってしまったら。若しくは世界に反するような意思を見せてしまった場合には。彼は何の迷いもなく彼女の側に着くだろうし、その道を手を取って共に進むことになる。むしろ彼女の後押しをすることになる。

故にヘルメスはここ一年の間、可能な限り彼に他の人間との交流を増やそうと努力して来た。定期的にロキに対して子供の話を持ちかけ、巧妙にノア・ユニセラフという人物について自慢という形で印象付けた。これは彼の願いを叶えるためでもあり、同時にロキ・ファミリアへの橋渡しをすることで、彼と関係性を持つ人間を増やすための行動だ。他者との交流を増やし、関係を作ることで、彼の意識を可能な限りこのオラリオ、そして人類の方へと引き留める。そういう工作をして来たつもりだった。

 

……しかし現状、ヘルメスのその努力が効果として表れているようには見えない。

彼は相変わらずあの少女だけを見つめて努力しており、徹底的な自己改造を行なっている。単独で30階層以上まで潜り、変わらずその精神を殺され続けている。ヘルメスが危惧していた魂の崩壊は刻一刻と進んでおり、彼は僅か1年という期間でレベル4が見えるところまで成長した。

この異例の早さのランクアップをヘルメスはギルドには報告しておらず、むしろレベル4になった時点でレベル3の報告をしようと考えているところ。だがそれにしても最短記録であることは疑いようもなく、彼をロキ・ファミリアに引き渡すことを考えれば、いつかは公表しなければならないことでもあった。

 

「ヘルメス様、今日はロキ様に会いに行くのですよね。準備はよろしいのですか?」

 

「……ああ。問題ないぜ、ノア」

 

柔らかな物腰、丁寧な所作、優しい声色。

完全に身についたそれは、神である自分にも何処にも不自然さを見出すことは出来ない。既に彼が持っているはずの狂気など完全に隠されてしまっており、彼の擬態は今やオラリオにおける殆どの神を騙せるほどのものだ。それはロキでさえも恐らく変わらない。……もしかすれば女神フレイヤであれば、その魂の破損具合から怪しさを見出すことが出来るかもしれないが、それでも看破することは難しいだろう。

……擬態と表現したが、正確には彼の全ては作り替えられているのだから。元の彼の部分が残っているのは、その異様な執着と記憶くらいなのではないかとすら思ってしまう。今は本当に美しく優しいお姉さんにしか見えないし、世間にはあまり知られていないが、ヘルメス・ファミリア自慢の看板娘と売りに出したいくらい。

こうして共に街中を歩いているだけで周囲からの目線を集めてしまうような有様だ。まさかここまでになるのかと、今は別件で出掛けているアスフィすらも驚愕している。自慢の子であることは否定しないが、そこに自分達の助力などほとんど入っていないことを考えると、本当に複雑な気持ちになる。

 

「お、やっと来たんか。……うおっ!?話には聞いとったけどマジで美人やんけ!!」

 

「ようロキ、九魔姫も」

 

「先日ぶりだな、ノア」

 

「はい、リヴェリアさん。……それとロキ様、おはようございます。ノア・ユニセラフと申します、よろしくお願いします」

 

「お、おお、これはどうも……はぁ〜、なんや変な噂色々あって心配やったけど、全然ええ子やんなぁ」

 

小さな飲食店の2階テラスで、待ち合わせをしていたのはロキとリヴェリアの2人。ノアとリヴェリアは今も定期的に食事をしているという話は聞いていたが、2人はかなり自然なやり取りをしている。そこの信頼関係は既に完全に構築してあるということなのだろう。……本当に、既に策が敷き詰められている。戦いは始まる前に終わっているとも言うが、今日この日のために彼がどこまで仕組んできたのか。少し恐ろしくもあったが、暇に飽きた神としては、それが同時にとても好奇心をそそられるものでもある。

 

「そんで……えっと、なんやっけ?うちのファミリアに移籍したいって話やっけ?」

 

「ああ、そうだ。悪いな、突然の話で」

 

「いや、まあ前々からリヴェリアからなんとなく話は聞いとったし、そこは別にええんやけど………ええんかヘルメス?普通どうやっても手放したくないような子やろ」

 

「普通はな。だが本人の希望も強いし、そもそも俺達のところじゃノアの求めることを叶えてやれない。むしろ足手纏いになっちまう」

 

「求めること?」

 

「深層に遠征に行きたいんだと。つまりはまあ、今以上に強くなりたいってやつだ」

 

「ああ、なるほどなぁ」

 

「別にフレイヤ様のところでも良かったんだが、ノアはそっちの九魔姫と仲良いんだろう?俺としてもロキのところに行かせた方が安心出来る」

 

というか、そもそもそんな選択肢なんて存在していなかったんだけれども。ロキ・ファミリアに行きたいと言う彼の意志は、もう何があろうと最初から止めることなど絶対に出来ないものであったのだけれど。ヘルメスが何を言おうと、それは変わらない。彼のその凄まじい強度の意志によって、いつも折らされるのはヘルメスの方なのだから。仕方がないし、そもそもヘルメスとて早く押し付けたい。

 

「う〜ん、でもそれなら遠征の時だけうちに来るってのでええんやないん?それにまだレベル2なんやろ?せめて3になってくれんと受け入れられんで」

 

「……あれ?ノア、九魔姫には言ってなかったのか?」

 

「いえ、今日この日まで隠して貰っていました。一応お話はさせてもらっていますよ、相談に乗って貰っていましたから」

 

「ああ、全く胃に悪い話をな。……やれやれ、いったいどんな無茶をすればこんな事が可能になるのか」

 

「ん?どういうこと?」

 

「こいつはもうレベル3だ、そろそろ4が見えて来た」

 

「はぁ!?」

 

そりゃ驚くだろう、けどヘルメスの方がもっと信じられない思いでいる。

だって他の人からすればレベル2寸前から1年かけてレベル4寸前まで上げたように見えるだろう。つまりは1年でレベル2つ分上げたということ。しかし実際にはレベル1の初期状態からレベル4寸前まで上げているのだ。つまりは1年でレベル3つ分を上げている。

こんなことはあり得ないし、あり得たからには明らかな異常が存在している。不正を疑われても仕方のない話だ。天災の再来と言われても仕方がない。

 

「ま、まだヘルメスんとこ入って1年やろ!?何やったらそんなことになんねん!!」

 

「こいつはな、本当に私と食事の約束をした時くらいにしかダンジョンから帰って来ないんだ。それ以外はずっと1人でダンジョンで寝泊まりしている」

 

「頭おかしいんか!!」

 

「そういうわけで、多分あと半年もしないうちにアスフィを抜くと思うんだ。正直うちとしては手に余る人材でな、ぶっちゃけ遠征の難易度が上がると困る」

 

「来年にはレベル6になりたいです」

 

「向上心が高過ぎん?」

 

「なに?そこまで強くならないと目的は果たせないのか……?」

 

「いえ、強ければ強いほど良いので。別に上限とかは考えたことないですね」

 

「……目標無しにそこまで努力出来るもんなん?」

 

「ただ単独でやらせ過ぎたからな、集団戦闘の経験が殆どないんだ。そういうところも教えてやって欲しいと思っている」

 

「そうですね……知識としてはあるんですけど、やっぱり実践は違うと思うので」

 

「よう生きとるな、ほんま今まで」

 

そう、本当によく生きているなといつ話である。そしてその辺りも移籍をするのであれば、ロキには話しておかなければならない。……だがもちろん、それは今ではない。話が詰まって、決まってから。そこからでないと、話せないこともたくさんある。

 

「それで、どうだろうロキ?受け入れてくれるかい?」

 

「う〜ん、まあそういうことなら……リヴェリアも信用しとるし、実力もあるし、かわええし。ただいくつか聞かせて貰ってええか?」

 

「はい、もちろんです」

 

さあ、ここからが正念場だ。

 

「まず一つ目な。何のためにそこまで強くなろうとするん?正直普通の感覚やないで?復讐かなんかなん?」

 

「いえ、そういう訳ではないのですが……」

 

「……ロキ、実はそのことについては私も知らされていない」

 

「は?なんで?」

 

「どうも他者に教えると、それが叶わなくなってしまう可能性が高くなってしまうかららしい。正直、わたしもその辺りをそろそろ教えて欲しいと思っているのだが……」

 

この時ヘルメスは初めて聞いた。

ああ、そういう風に誤魔化しているのか……と。

まあ言っていることは間違っていないし、その通りなので何も思わないが。さて、それをここでも同じ理由で誤魔化せるのか。この理由だけでは普通に考えれば嫌な顔をされるところだが。

 

「う〜ん、正直それやとあんま信頼出来んっていうか……」

 

「……私、好きな人が居るんです」

 

「え」

 

「え」

 

「え」

 

思わずヘルメスも声に出した。

 

「強くなりたいのは、その人に振り向いて貰いたいからです。そして他の人に取られたくないからです。これが私がここまで努力している理由の全てです」

 

「え………え?」

 

「は?いや、それは……本当なのか?」

 

「本当です」

 

「ロ、ロキ……」

 

「……全く、なんも嘘ついてへん。ほんまにそのためだけに、そないな努力しとるんか……?」

 

「はい、これはヘルメス様にはお話ししています。そうですよね、ヘルメス様」

 

「あ、ああ。俺もそう聞いている」

 

「………………まじか」

 

いや、本当に。

それ言っちゃうんだ……と。

誰もが驚くのは当然だ。

そりゃリヴェリアだって驚いて固まる。

まさかこれまで聞いて来た彼の異常な努力が、恋愛のためのものだったなどと……

 

「ち、ちなみに、それが誰かとかは……」

 

「ふふ、流石にそれはまだ秘密にさせてください」

 

「せ、せやな。うん、流石にそれはな」

 

「ま、待て……その、もしかして。その対象は私だったりするのか……?」

 

「えと……………………………その、アイズさんです……」

 

「「…………………あ〜」」

 

う、上手い。

話の空気の作り方が上手い。

このちょっとおちゃらけた雰囲気、リヴェリアの言葉をうまく利用した。ヘルメスは素直に感心する。

 

「リヴェリアさんの手前すごく言いにくかったんですけど……それにこう、定期的にお話しさせて頂いてるのも、正直利用してるみたいでずっと心苦しくて……」

 

「い、いや、まあ、それは……」

 

「確かに最初はそういう思惑もあってお誘いしたんですけど、リヴェリアさんとお話しするのが楽しくて。続けてるうちに罪悪感が……」

 

「ああいや、その、君の危惧は別に間違った物ではない。もし出会った当時のあの時にこんな話をされていたら、私は君を拒絶していただろう。君の人となりが分かった今だからこそ打ち明けてくれたその判断は、普通に正しい」

 

「……なるほどなぁ。アイズに見てもらうには、アイズ以上の努力するしかないってことか。そらそんな無茶するわ、マジでよう生きとるなとは思うけど」

 

「それに、当時の私には本当に何も無かったので。容姿とか立ち振る舞いとか考え方も、アスフィさんや他の女神様にお願いして色々と直したんです。……リヴェリアさんにそれを誉めて貰って、自信もついて。先ずはリヴェリアさんに認めて貰えるような自分にならないと、この想いを口に出すことも許されないと思っていたので」

 

「ま、真面目過ぎるやろ……」

 

「……君は十分に努力した、それはここ一年君を見て来た私がよく知っている。それが全てアイズへの恋心故なのだとしたら、むしろあの子には勿体無いくらいだ」

 

「な、なあ、そんなに変わったん?」

 

「美容、勉強、心構え、立ち振舞い、口調、力量、仕草、技術、精神……この全てを殆ど平凡な状態からここまで仕上げている。僅か1年の間にそこまで出来る者が他にどれだけいる?」

 

「まじか」

 

「ノア、別に私を騙していたなどと思う必要はない。何かしらの思惑はあったのだと、最初から予想はしていた。それに好きな相手と近付くために、その仲の良い人物に近付くなど、こういう話では当たり前のようによくある話だ。そんなことに罪悪感など抱かなくても良い」

 

「……ありがとうございます、リヴェリアさん。私リヴェリアさんと会えて本当に良かったです」

 

……つまりは、これが彼がアイズではなく最優先してリヴェリアと仲を深めた理由なのだろう。可能な限り教えられる自分のことは全てリヴェリアに伝えた、つまりは自分の努力のほどを彼女はよく知っている。そしてその努力の全てが実は恋心故だったと聞かされれば、その本気の度合いも分かるというものだ。一年という時間をかけて内面も知った、信用を得た、信頼出来る仲になった。今やリヴェリアは母親としてノアを試す立場ではなく、彼をフォローする立場に居るのだ。

直向きで、誠実で、真面目で、子供みたいな浅知恵から始まった関係にずっと罪悪感を感じていた。そんなことを打ち明けられながらも、自分との食事は本当に楽しかったなどと言われれば、素直に可愛いと思ってしまうもの。しかもそれが嘘ではないと、ここに神が居るからこそ証明もされてしまう。

 

「ですから……その、私が移籍したい本当の狙いというのは」

 

「言わんでええ、分かっとる。……せやけど、やっぱりそういうのは本人の問題やから。うち等からは口出しせえへんし、なんやったら今聞いたことはちゃんと忘れる。そんでええ?」

 

「はい、機会を頂けるだけで十分です。それに今直ぐどうこうするつもりもありません。……なんとなく、アイズさんにも事情があるのは理解していますし、時間をかけて少しずつ仲を深めていければと考えています。彼女の邪魔にはなりたくないですし、今はそんなことを考えていられる様子でもないようでしたので。先ずは彼女のお手伝いから」

 

「……健気な子やな、ほんま」

 

「前にアイズと会わせた時も、そういう様子は見せなかったからな」

 

「好きですけど、受け入れて貰うのは今じゃなくて良いんです。いつまでもは待てませんけど、いつか好きになって貰える努力を、私はただ続けるだけです。アイズさんの心の準備が出来る、その時まで」

 

全部本当の話、全部が彼の内心。

だからこそ、タチが悪いとも言える。

本当に何の苦難もなく、彼女が彼のことを選んでくれることをヘルメスは切に願う。それもなるべく早く、彼の魂が取り返しのつかないことになってしまう前に。……もし断られたり、他の男に取られたりしたら。本当に彼はどうなってしまうのか、今から恐ろしくて仕方ない。

 

「私としては当然何も問題ないが、どうだろうロキ」

 

「せやな、うちも問題ないわ。……せやけど、今みたいな無茶は、移籍したらやっぱ自重して欲しいわ。アイズだけやなくて、他の子にも変な影響出そうやし」

 

「……分かりました。なんとか誤魔化すようにします」

 

「止めるとは言わへんのやな……」

 

「まずはアイズさんを追い抜くことが必要ですから、レベル6は本気で狙います。仮にそれで移籍時期をズラす必要が出て来たとしても、そこは絶対に譲れません」

 

「………」

 

「………」

 

「……頑固な子やなぁ」

 

「悪いなロキ」

 

「ま、これくらい我儘もある方が可愛げあるわ。……分かった、そんなら移籍は半年後にしよか。それまでにうちの方でも色々考えてみるわ。ヘルメスも、それまでにレベルの報告は済ませときぃや」

 

「わ、分かってるさ……」

 

「ありがとうございます!ロキ様!」

 

結局全てが彼の思い通りになる結論となり、ヘルメスは苦笑いをしながらも、これからも続くであろう苦労に諦めを受け入れる。

彼のスキルについてはもう何も言わない、そこの苦労はロキに受け入れて貰うことにした。それに今回の件について、大まかな流れと方針は全て彼に任せている。ヘルメスはただそのサポートをするだけ、そういう意味では役割は十分に果たせただろう。

 

「なあノア」

 

「はい?どうかされましたか、ヘルメス様」

 

ロキ達が帰って行った後、頼んだ昼食が運ばれてくるのを待ちながら2人は話す。というか、半ば無理矢理居残らせた。そうでもなければこのままダンジョンに行ってしまいそうだったから。一言声を掛けてやれば言うことを聞くだけ、まだ扱い易い。

 

「レベル6になったら探索をやめる気はないか?」

 

「……ヘルメス様はやめて欲しいんですか?」

 

「質問に質問で返さないで欲しいが。……だがまあ、そうだ。君はその無茶なレベリングと引き換えに、精神と魂の損壊という代償を支払っている。1柱の神として、正直これ以上は看過できない」

 

「……そんなに限界なんでしょうか、大分慣れてきたと思うのですが」

 

「拷問に慣れて来たと言っているも同然だ、それは慣れてはいけないものだと誰でも分かるだろう」

 

「最近はそこまででは無いですよ。ヘルメス様から魔導書を頂いたおかげで魔法も覚えましたし、技術もかなり身に付きました。どうしようもない状況を打開する手段も増えましたし、それに……」

 

「本当に何も無くなることになる」

 

「………」

 

「痛みに耐えるには感情を捨てるのが1番早い。このままでは君は何れ剣姫に対する思いさえ無くしてしまうだろう」

 

異常な執着心こそが、それを今は繋ぎ止めてくれているだけで。待っている確実な未来は廃人。そもそも普通の人間に気合と根性で精神的な自己改造など行えるはずがない。それを行えるということは、つまりそれほど自己という形が歪で薄く弱くなっているからだ。今はまだこれだけで済んでいるが、そう時間も経たないうちにそれはどうしようもないところまで行き着いてしまう。

 

「どこかで区切りを付けなくてはいけない、今までのように上限なしにとは決していかない」

 

「……なるほど。時間的な制限だけではなく、人間の精神的な制限もあったということですか。正直それは盲点でした」

 

「レベルを上げたいのなら普通の方法を取れば良い。それこそロキの言ったようにレベル5を一つの区切りとして……」

 

「いえ、最低でもレベル6です」

 

「っ」

 

「アイズさんがレベル5になって既に1年が経ちます、次のレベルに上がるにはあと2年ほど必要でしょう。しかし私の元の才能では普通にやればレベル6になるのに5年以上はかかるはず。……追い抜かれては意味がないんです。痛くても苦しくても、なんだろうと、ここだけは絶対に譲れません」

 

「…………っ」

 

分かっているとも、彼がこう言っている時はどうやったって止めることなど出来ないと。実際にこの1年間でレベル4寸前まで来ている、あと半年でレベル5まで上げるという言葉も恐らく実現させて来るだろう。そして移籍した後のもう半年でレベル6になるというのも、どんな方法を使ってでも実現させる筈だ。

 

……しかしヘルメスは思う。

誰かと恋仲になりたいという願いを叶えるのは、そこまでしなければならないほど大変な願いなのだろうかと。その願いの難しさを同じ男であるヘルメスも分かっているつもりではあるが、それは本当に魂を破壊しかねないほどの痛みを味わわなければいけないほどのことなのかと。

恋愛というのは、もっと甘酸っぱく、苦しさはあれど、楽しさや嬉しさも混じった尊いものではなかったのかと。……少なくとも、こんなにも苦しみで満ち溢れた物ではなかった筈だ。

 

「大丈夫ですよヘルメス様、流石にレベル6になったらそこからはアイズさんとの時間を大切にするつもりです。ですからこれは、あと1年間の辛抱なんです。……ふふ、最初は3年の予定でしたから。これはむしろ短くなった方ですね。最初に予定していた中で1番苦しかったことのゴールが見えて来たんです、それはもう十分に幸せじゃないですか」

 

それ以上、ヘルメスは何も言うことは出来なかった。

彼を自分のファミリアに入れてから、その想いの強さは嫌と言うほどに味わった。素直にその願いが叶うことを祈っている。彼という器に英雄を求める心も失せて来た、そんなものはもう入り切らないと思ったからだ。彼のひび割れたその器に、もうアイズ・ヴァレンシュタインへの恋心以上の物が入る余地などないと知ったからだ。

……それでも、思わずにはいられないのだ。もしかしたら彼の努力は間違っているのではないかと。代案を出すことなど出来ないのに、本当にその努力が報われるのかが分からない。

そしてもしその願いが報われることがなかった日には……彼の人生そのものが、何の意味もないものになってしまいそうで。その未来を考えることすら、今は恐ろしい。

 



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07.残っていた○○

アイズ・ヴァレンシュタインがその少年?と出会ったのは、ほんの一年前のことだった。

定期的に夜出掛けていくリヴェリアに気付き、その行き先を尋ねてみたところ、『そろそろお前も会ってみるか』と言われ着いていくことになったのだ。

雰囲気の良い少しお高めなお店。普段はあまり行くことのないそんな場所に連れて行かれ、わざわざリヴェリアに着替えさせられた意味がそこに来てようやく分かった。そしてそこで彼女を待っていたのが、彼だった。

 

……正直に言ってしまえば、女性だと思った。

ノア・ユニセラフ、自分と同い年か少し上のお姉さんといった雰囲気。びっくりするくらいに美人で、人当たりが良くて、聞けばヘルメス・ファミリアの冒険者であると言うのだから、2度驚かされた。

何故リヴェリアが彼とこんな風に定期的に会っていたのか、2人はお付き合いをしているのか。何気なくそんなことを聞いたりしたが、しかし本当にただ仲良くしているだけということらしい。それも不思議な話だとは思ったが、話せば話すほどリヴェリアが彼のことを気に入った理由も分かった。

少し話しただけではあったが、彼はとても優しくて真面目な人だったからだ。最近のことについてリヴェリアに話していて、その内容も固い内容ばかり。勉強のこととかも真面目に話していて、分からないところをリヴェリアに聞いていたりもしていた。本の貸し借りとかもしていた。これが大人の会話なのかとも思ったが、彼は本当は自分よりも2つも歳下だというのだから三度目の驚愕である。

 

……そしてあれから一年、自分は常に彼に驚かされている。

自分がここまで来る間に打ち立てた色々な最短記録。そんなものは正直、殆ど覚えていないけれど。彼はその記録を更に上回るような脅威的な速度でレベルを上げていた。それこそ、

 

「ま、まじでやりよった……ほんまに半年でレベル5まで……」

 

ロキがそう言って口をひくひくと動かせるくらいに異常な速さで。

 

「うっわぁ……なにこの記録、どうすればこんなこと出来るの?」

 

「あいつは本当に……」

 

「リヴェリア様はなにかご存知なんですか?」

 

「まあな……だがまあ、こうなればお前達にも直ぐに分かることだ。目標を達成した以上、直ぐにその話をしに来るだろうからな」

 

「「「?」」」

 

リヴェリアのその意味深な言葉を理解することが出来たのは、それから約1ヶ月後のことであった。

……正直、全く想像していなかった。

 

「はじめまして、ノア・ユニセラフです。本日よりこちらでお世話になることになりました、よろしくお願いします」

 

食堂で一堂が会したその時に、ロキとリヴェリアにより紹介された新しくファミリアに入って来た団員の紹介。

その顔を見た瞬間に、その名前を聞いた瞬間に、騒つく団員達。それは当然の反応だ。まさか誰も思うまい、アイズと同じく想像すらしていなかったに違いない。

だって普通に考えて、そのファミリアの最高戦力とも言える者を、他のファミリアに移籍させることなど絶対にあり得ない。何がどうやっても引き止めるはずだ、流出させるメリットがない。そうでなくとも、そこまでの実力を持っているのなら外すことの出来ない要となる存在だろうに。

 

「知っての通り、ノアは先日レベル5に昇格した冒険者だ。だが少し事情があってな、集団戦闘に慣れていない。暫くの間はここの雰囲気に慣れて貰いながら、集団戦闘に関する知識をつけて貰うことになる。……色々聞きたいことはあるだろうが、各々で自重するように」

 

「ちなみにうちへの移籍はノアの強い希望からや!あんま憧れを壊さんようにな!以上!ほな食べよか!」

 

言葉は少なく、紹介はそれだけで彼はリヴェリアに連れられて先に着く。そこでは早速質問責めにされているようではあるが、残念ながらその詳細についてアイズの席から聞こえるものは何もない。

 

……自分を超える凄まじい速さでのレベルアップ。しかしアイズにはなんとなくその正体がリヴェリアの言葉から見えた気もする。

集団戦闘に慣れていない、つまりは単独での戦闘ばかりを行なっていた。ようはアイズがやっていたことを、更に過激にさせたような鍛錬をしていたのではないか。その容姿からはあまり想像出来ないが、そうだとしたら納得は出来る。

 

(じゃあ、あの子も私みたいに……)

 

モンスターに、あれに、どうしようもない憎悪を抱いていたりするのだろうか。

 

「………」

 

首を振る。そんな都合のいいことはないと。

けれど、もし本当にそんなやり方をしているのであれば、少なくともそこに自分と同じくらいの強い意志を持っていることは間違いない。ならばその憎悪の方向性が何であったとしても、彼と自分は同類ということになるのだろう。

それなら仲良くなれるかもしれない。

もしかしたら共に手を取り合って、憎むべき存在を討ち倒す協力をしてくれるかもしれない。自分がどれほど走っても、遅れず着いて来てくれる存在になってくれるかもしれない。

 

……そんな勝手な思いを、抱いてしまってもいいものなのか。

リヴェリアやその他の団員達と楽しそうに食事を取る彼を遠目に見て、アイズは考える。暗闇が一切見えないそんな彼の瞳を見て、少しの勝手な失望も感じながら。

 

 

 

 

さて、そういった経緯はありつつも、ノアは見事にロキ・ファミリアに入るという目的を達成することが出来た。

レベル5になるために本当に滅茶苦茶なことを繰り返して、あり得ないほど深層まで単独で乗り込んで、アンフィス・バエナに焼き殺されて、潰し殺されて、溺れ殺されて、埋め殺されて、飲み殺されて、溶かし殺されて、押し殺されて……何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も死ぬ寸前の苦痛を味合わされて。最後には武器も防具もなくなったその身で、7日間をかけて身体の内部から魔石のある位置まで肉体を食い千切り、何も見えない暗闇の中、終わりが見えない痛みの中、完全に狂った意識の中でも血肉を掻き分けながら、武器も何もなく、この手と歯と拳だけで魔石を破壊し、殺した。

正気を失ったイカれた存在になりつつも、アイズの名前だけを呟き続け、それだけを頼りに自分を保ち、成し遂げた。偉業と認められて当然だ。アンフィス・バエナを食い殺した後も大瀑布によって27階層まで叩き落とされ、肉体をバラバラにされて当然の衝撃に意識と全身を粉々にされ、それに追い討ちをかけるように大量のモンスターに更に3日間も海中に引き摺り込まれてズタズタにされて……

リヴェリアとの約束を破ってしまったのは、それで3度目のことだった。異変に気付いたリヴェリアがヘルメスとアスフィに報告したことでアスフィが彼を迎えに行った時、未だ18階層に戻って来ていないと知ってどれほど焦ったことか。そしてその経緯を聞いて、どれほどの寒気を感じたことか。

 

……もちろん、リヴェリアはそんなことは知らない。いつの間にか時間が経っていて帰って来れなかったとしか聞かされていない。彼の特殊なスキルについてもそうだ。

リヴェリアとロキ、そしてロキ・ファミリアの幹部陣であるフィンとガレスがそのことについて知るのは、正に今この時。

彼が恩恵を改宗するためにロキの部屋へと入って来た、今この瞬間。

 

「なん、や……このスキル……」

 

それを見た瞬間に、ロキの顔が青くなる。

理解したからだ。

一瞬で分かったからだ。

彼女ほどの神であれば、そのスキルを見た瞬間に、そして魂に繋がる恩恵に触れて理解を得た瞬間に、彼がこれまで何をして来たのかまで。大凡であったとしても、想像して、体感して、理解出来てしまったからだ。

 

「……どうしたんだい、ロキ?」

 

「なんだ、お前のそんな顔は初めて見たぞ」

 

「なんじゃ、なにがあった?」

 

それまでの楽しげな雰囲気が、一瞬にして霧散する。先程まで笑みを浮かべて彼等と会話をしていた彼の顔も、俯き、髪に隠れ、何一つ見えることはない。そこにはただロキが動きを停止させ、彼女にしては珍しく思考を停止させている姿があるだけ。

 

「……………ほんまに、ほんまにこんなことしとったんか?」

 

「……はい」

 

「アイズに追い付くためだけに、気に入られるためだけに。ずっとこないなことばっかやっとったんか……?」

 

「はい」

 

その恩恵に触れるだけで、そこに積み重ねて来た経験が伝わってくる。どのような過程があってそれが築かれて来たのか、嫌でも分かってしまう。……そして、既に半壊と評してもいいその魂の在り方も。そこまで自分を追い詰めることの出来る、彼の異常な精神性も。

 

「ど、どういうことだロキ?その子が何を……」

 

「……リヴェリア、この子は暇さえあればダンジョンで寝泊まりしとった。そうやんな」

 

「あ、ああ、そう聞いている」

 

「本当なのかい?それはまた随分な無茶を……」

 

「せやな、ほんまに無茶や。普通ならまず死ぬ。それも単独で潜っとったら、今日まで生きとったのがむしろおかしいくらいや」

 

「……何が言いたいんじゃ、ロキ?」

 

「このステイタス、見せてもええか?」

 

「はい、問題ありません」

 

ロキは改宗と更新を手慣れた様子で済ませていく。しかしそこに普段のような明るい雰囲気はない。指を動かしている間にも何かを考えているようで、けれど納得がいかないような顔をして、正にヘルメスが味わった思いを彼女は今一身に受けていた。そして何故あのヘルメスがここまで彼に入れ込んでいたのかも、同時に考えさせられながら。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ノア・ユニセラフ 13歳 男

 Lv.5

 力 : G230

 耐久:F382

 器用:H154

 敏捷:H189

 魔力:G205

 《魔法》

【ダメージ・バースト】

・付与魔法

・爆破属性

・『耐久』のアビリティ値の効果影響。

・詠唱式『開け(デストラクト)』

 《スキル》

【情景一途(リアリス・フレーゼ)】

死亡しない。懸想が続く限り効果持続。懸想の丈により回復速度向上。

【絶対不諦(ノー・ライト)】

逆境時における判断力低下、全能力の高強化。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

そのステータスは明かされる。

彼は今も服を着ながら顔を俯かせ、こちらに顔を見せることはない。けれどいい、何故ならリヴェリア達も彼の顔を見ていられる余裕がない。ただロキだけは難しい顔をして、悲痛に満ちた顔をして、そんなリヴェリア達を見る。

 

「……ついこの間レベル5になったばかりだというのに、もうF表示があることについては、まあこの際どうでもいいことなんだろうね」

 

「死亡、しない……?それは、その、どういうことだ……?」

 

「そのまんまの意味や。スキルが正常に働いとるうちは、何をされても死ぬことはない。‥‥何をされても、な」

 

「まさか……」

 

それに気付いたリヴェリアが、バッと顔を上げる。そして彼の方へと顔を向ける。

けれどその時にはもう彼は普段のような優しげな笑みを、まるで何事もないように浮かべていた。この場に相応しくない、この場の雰囲気には相応しくない、そんな穏やかな笑みを。

 

「お前……お前は!一体なにをしていたんだ!!どういう無茶をしていたんだ!!こんな、こんなことのために、どこまでのことをやっていたんだ!!」

 

「リヴェリア、落ち着かんか……」

 

彼の肩を持って揺さぶる。

しかし彼は困ったように笑うばかり。

……けれど、このスキルを見てしまったら予想がつく。

 

フィンやリヴェリアは、そのスキルの中に経験値に関するものがあるのではないかと予想していたのだ。しかし実際にはそんなものは何処にもなかった。つまりは、自分達と同じような過程を経て、彼はそのレベルを上げていたということに違いない。そしてその速度が異常に速いということは、単純にそこにそれだけの異常か密度があったということで。しかも彼には、それを可能に出来てしまう最悪のスキルが芽生えていて。

 

「私がしていたのは、本当に単純なことですよ。死なないことを利用して、死ぬまで頑張っただけです」

 

「それでは際限がないだろう!!」

 

「はい、なのでここに来るまでにレベル5になるという目的は実現出来ました。レベル6になれなかったことだけが心残りでしたが、最近いいところを見つけまして。37階層の闘技場に安全地帯があったんです、あそこを使えば何日でもダンジョンに潜ることが……」

 

「馬鹿者!!」

 

バシッと、リヴェリアが彼の頬を叩く。

誰もそれを止めることはない。

彼女が怒るのは当然だ、当然の話だ。

もっと早く知っていれば、もっと早くこうして止めていた筈だ。少なくともそれくらいにはリヴェリアは彼のことを身近に思っている。仮に最初の出会いがアイズ目的であったとしても、彼のその人柄と努力を知り、素直に応援していた。アイズさえ良いのなら、まあ彼であれば許してやらなくもないとすら考えていた。それくらいには認めていたし、信頼していたのだ。

それなのに……

 

「何故、どうしてそこまでのことをする……お前にとってアイズは、そこまで大事なものなのか?」

 

「そこまでしないと私では手の届かない人だと思っています。……それに、このスキルのおかげで腕が千切れたりだとか、首が飛んだりとか、そういうことはしないんですよ。一定の損傷は受けないと言いますか。なのでそこまで危険なことではありません」

 

「………ロキ」

 

「多分、それはほんまや。せやけど、受ける苦痛は全部ダイレクトに伝わっとるはずや。ほぼ確実にそれのせいやろうけど………自分の精神どころか魂まで半壊しかけとるの、ちゃんと理解しとるんか?」

 

「はい、ヘルメス様から忠告を受けています」

 

「どういうことだロキ……!」

 

「……肉体と精神では受け止め切れん負荷が、その根本まで影響しとる。例えば気を失っとる最中に受けたダメージは、この子の場合は肉体も精神も受け止められん」

 

「それが全て魂にまで伝わっているということか……!?」

 

「そういうことや、そこしか受けられる場所があらへんからな。そもそも単純に過剰な負荷を与え続ければ、子供達の魂もヒビ割れる。……そういうこともあって、ノアの魂はうちも見たことないくらいの有様や」

 

「……ロキ。仮に魂が完全に破壊された場合、僕達はどうなるんだい?」

 

「地上からも天界からも完全に消滅する」

 

「「「!!」」」

 

「それだけやない、転生することも出来ん。輪廻の輪にも戻らん。……うちらでも救うことは出来ん」

 

分からない。

本当に分からない。

こんな話をしているというのに、こんな事実を突きつけられているというのに、どうして当の本人が何事もないかのような表情をしているのかが。リヴェリアには全く分からない。

わかっているはずだ、聡い彼ならば現状を。

理解出来ている筈だ、その結末の救いのなさを。

そこまでして欲しいものなのか?

そこまでしてアイズの隣に居たいのか?

他人であるはずの彼が、どうしてそこまで想うことが出来る?

リヴェリアには何一つとして理解出来ない。

 

「リヴェリア、理解出来んくて当然や」

 

「……?」

 

「この子はな、もうとっくに壊れとるわ」

 

「な……」

 

「そうやろ?ノア。自分ほんまは何処まで元の自分が残っとるか分かるか?」

 

「元の私ですか?……そんなに残してないと思います、アイズさんに気に入ってもらえるように頑張りましたので」

 

「気に入って貰えるように、自分を変えたんか?」

 

「それは基本だと思います。相手に気に入って貰えるように衣服を勉強して、容姿を整えて、言葉遣いも気を付けて、仕草も直して意識して……そんな当たり前のことを、私はしただけですよ?」

 

……ここまで来れば誰でも分かる、彼は言葉では何ということもない当たり前のことをしていると言うが、実際にはそれとは比べ物にならないようなことをしているのだと。

だってリヴェリアは分かってしまう、会っていたから。彼があの日ギルドに現れヘルメスに拾われた時、リヴェリアも彼のことを見ていたから。あの狂気を滲ませる真っ黒な目をした彼のことを、知っているから。

ヘルメス・ファミリアに拾われて、救われて、故に今の彼があると思っていたのだ。けれどそれは違った、彼はあの時から何も変わっていなかった。否、自分自身で強引に変質させたのだ。……つまりは、救われてなどいなかったのだ。むしろより救いから離れた方向へ、この1年間ずっと突き進んでいたのだ。

 

「……私のせいだ」

 

「リヴェリアさん?」

 

「私のせいだ。私があの時に神ヘルメスより先にお前を受け入れていれば、こんなことにはならなかったんだ」

 

「?私は後悔なんてしていませんし、十分に幸せですよ?リヴェリアさんにもたくさん助けて貰いましたし、本当に感謝しています」

 

「……もう本人すら引き返せないところまで来てしまっている。そういうことだな、ロキ」

 

「…………」

 

もしかしたら本当は、彼にとってアイズへの気持ちというのは、最初は一般的な子供が異性に抱くそれと同じ程度の物だったかもしれない。しかしそれが何かの理由で異常なものになってしまって、誰も止めることをしないままに、出来ないままに、ここまで来てしまった。

故にもう、彼を救うことが出来るのは1人しかいない。

彼が救われる道は一つしかない。

 

アイズが彼を受け入れるしかない。

 

彼が今こうして自分を保っていられるのは、狂気に飲み込まれず魂を半壊してでも正気を保っていられるのは、その未来の可能性があるからだ。自分の全てと成り果ててしまったその恋心があるからだ。

もう彼を今からどうこう出来る段階ではないのだ。一見まともに見える今の彼も、実のところは機械のようなものであり、その内に残っている人間性など狂人のそれでしかないのだから。いくら諭そうとも、いくら説得しようとも、そんなものは何一つとして届かない。

先程のリヴェリアの掌が、その痛みが、彼の心には全く伝わっていなかったのと同じように。今の言葉を"話すべきではなかったか"と、見当違いな反省を頭の中で冷静に考えているような手遅れ感。

 

「……お前はこれから、どうするつもりだ」

 

「はい、一先ずレベル6に上げたいと思っています。その後は一度鍛錬を打ち切って、ロキ・ファミリアでの生活に慣れようかと。そこでアイズさんとも仲を深めつつ、少しずつでも彼女のことを理解出来ていければなと」

 

「……何故そういうところは常識的なんだ、お前は。お前がそこまで善人で真面目でなければ、もっと楽に生きることは出来ただろうに」

 

もっと狡いことを考えられる性格だったのなら、こんな狂い方をしなくても済んだかもしれないのに。

 

「……どうするんじゃロキ、本当に受け入れるのか?」

 

「約束したことや、受け入れるのは変わらん。それに聞いた通りや、この子はアイズに悪いことなんかせえへん」

 

「……だとしても。僕個人の感想を言わせてもらうなら、少々危う過ぎる」

 

「……そうやな」

 

フィンの言うことは尤もだ。

危うい、他者への悪影響も考えられる。何より彼は恐らく自分の願いが叶わなくなった時、ほぼ確実に死ぬことになる。自殺をする可能性が高く、仮にそれを防いだとしても、気を狂わせて自分を失うことになるのではないだろうか。

……そして彼がたとえここまで努力していたとしても、正直あのアイズが彼を恋人として受け入れるのかと問われれば、彼女を知っているここの者達は皆揃って苦い顔をするだろう。そんな姿が想像出来ないからだ。

それにもっと正直なことを言ってしまえば……こんな風に狂ってしまった男に、愛娘たるアイズを任せるのは、あまり気が進まない。

 

引き返すのならば今だ。

やはり受け入れられないと突き放して、返すことが出来るのは今だけだ。それで彼が完全に自分を無くしてしまったとしても、アイズとその将来だけは守ることが出来る。彼のことを何も知らないうちに、彼のことが誰にも知られない今のうちに。

手を切るのなら、今しかなくて。

 

「……やっぱり、駄目でしょうか。ロキ様」

 

「っ」

 

それは初めて聞いた声。

いや、その声を聞いたことがないわけではない。

ただ、そうまで震えた弱々しい彼の声を聞いたのは、今この瞬間が初めてということ。

 

「私、やっぱりまだロキ・ファミリアには入れないですかね。一応その、努力はしたつもりだったんですけど、今回は、及第点とかも、貰えない感じですかね……」

 

「ノア……」

 

作った面が、ヒビ割れる。

 

「いえ、その、はい、いいんです。無理なら無理と言って貰えれば。それならまた一年頑張って、努力して、また来るだけなので。……その、なんとなく、まだ努力不足かなとは思っていたので」

 

左の眼から、そこからだけ、一筋涙が流れた。けれどそれを本人は気付いていないし、それでもなお仮面を維持しようとしているのが嫌でも見て取れる。その左眼に宿っていた暗闇が、少しずつ表に出て来ようとして、それを必死に抑え込もうとしている努力が、見えてしまう。

 

「あの、はい、次は直してきますので。次はちゃんと普通の人間になって来ますので。この気持ち悪いスキルとかもなんとかして消してきます。レベル6になったら、今みたいな無茶な鍛錬も絶対しません。魂も治して来ます。あとこの気持ちの悪い執着も全部治します。嫌なこととかあったら、言って貰えれば絶対に治します。私の顔が嫌いなら変えますし、声が嫌いなら潰しますし、目が嫌いなら潰します。……だから、だから」

 

 

 

 

 

「絶縁だけは、しないでください……」

 

 

 

「「「「っ」」」」

 

僅かに残っていた、10代の子供。

家族に捨てられようとしている、未熟な子供。

そんな姿を、垣間見てしまう。

 

けれど、それは全く的を射た表現。

何故なら以前の主神という存在を失ったこの世界では、過去の自分を失ったこの世界では、ノア・ユニセラフにとって家族たり得るのは長い時を過ごしたロキ・ファミリアしかないのだから。ノア自身も全く自覚していなかったが、アイズだけではなくロキ・ファミリアという存在もまた、ノアにとっては唯一残っている大切な物の一つだったのだから。完全な絶縁を言い渡されてしまえば、今度こそノアにはアイズへの想い以外には本当に何もなくなってしまう。

これ以上は何も失いたくない、誰にも取られたくないという思いでここまで来た。走って来た。自分の精神が限界なことくらい、本当はもう分かっている。……もしロキ達に絶縁を言い渡されてしまえば。そんなことを考えた瞬間に、正直もう自分の人間性をこれ以上に保てる自信がなくなってしまったのだ。それに気付いたのが、まさに今この瞬間だったというだけ。今こうして直面しなければ、本人ですら気付くことの出来なかった想定外。理解出来ていなかった、自分の残り滓。

 

だからノアは縋るしかない。

それほど重要視していなかったものが、本当は自分にとって酷く大切な物だと気付いてしまった今、あとは運以外に策が残っていない以上は、願い乞うしかない。

自分をファミリアに入れなくても良い、その代わりに絶縁だけはしないで欲しいと。縁だけは切らないで欲しいと。少しでも繋がりを持っておくことだけは許して欲しいと。そう言う以外に何もない。

本当ならここで断られたら、次は受け入れて貰えるような努力をすればいいのだと冷静に考えてもいたけれど。もう今のノアに、冷静な心など何処にも残ってはいなかった。元よりこの鬼門を潜り抜ける策なんて存在していなかったのだから。この場こそが清算の場だったのだ。ノアが今までしてきたズルの。だからそのズルを許してもらうためには、見逃して貰うには、謝り、願い、縋り付く以外に、方法などない。

 

 

 

「…………無理だ」

 

 

 

「っ、」

 

「すまない。……フィン、ガレス、ロキ。やはり私にはこの子を見捨てることが出来ない」

 

「リヴェリア、さん……」

 

見捨てられない、見捨てられるはずがない。

そんな風に2度も捨てられるはずがない。

だってリヴェリアは他の3人とは違う、そんな風には考えられない。それこそリヴェリアももう手遅れなのだ。

 

「それがたとえどんな形であれ、ここまで直向きに努力して来た想いが……受け取ってすら貰えず終わって良い筈などない」

 

それが失敗するにせよ、成功するにせよ。伝えることすら出来ずに終わるなんて、その努力を知っているからこそ認められない。

 

「……それでアイズが傷付く可能性もある、それでもいいのかい?リヴェリア」

 

「……そうだとしても、それはあいつが受け止めなければならないことだ。私とてあの子を傷付けたい訳ではない。だが人として、育てた母親として、結果どうするにせよ、その想いを受け止められる子であって欲しいとは思っている」

 

「……肩入れし過ぎだ。それでもアイズに致命的な影響が出る可能性を否定し切ることは出来ない」

 

「……分かっている」

 

今の自分達にとって、今やアイズは欠かすことの出来ない存在だ。そんな彼女に悪影響を及ぼすくらいなら引き離すことこそが、本来の幹部として、そして親としての責務だろう。

分かっている、分かっているんだ。

これが自分の我儘だということくらい。

もっともらしい理由をつけているだけということくらい。

 

「だがそれでも、それでも……」

 

 

「……うん、僕も受け入れていいと思う」

 

「!」

 

 

フィン・ディムナは、こういう男だった。

 

 

「ただ僕から一つ約束をして欲しいことがある、それを君は守れるかい?」

 

「は、はい。それはなんでも……」

 

「それなら、『今までのやり方でレベルを上げようとするのはもうやめること』。僕から求めるのは、ただこれだけだ」

 

「それは……でも……」

 

「別に鍛錬をするなと言ってる訳じゃない。今までのやり方をやめて、普通の方法でやって欲しいと言っているだけさ。当然今より時間はかかるだろうけど、今後はその方法でも強くなれるよう努力して欲しい」

 

「!」

 

そうだ。

フィン・ディムナは、こういう男なのだ。

 

「君は努力は得意なんだろう?これからは、まともな方法でもレベルが上げられるように努力しよう。これからはなるべく真人間に戻れるように、普通の冒険者として生きていくことを努力して欲しい。……出来るだろう?縁を切らない代わりになんでもすると、君はさっきそう言った。むしろ君が代償として話していたことよりも、よっぽど現実的な話のはずだ」

 

「……や、やります!絶対になります!だから、あの!」

 

「それさえ守ってくれるのなら、僕は団長として君をファミリアの一員として受け入れるよ。もちろん、ロキが良ければだけど」

 

「……この話の流れで嫌やなんて言わへんわ。それにその条件ならうちも大歓迎や。魂を元に戻すことは出来へんけど、これ以上壊れんようにするのは出来るからな」

 

そうだとも、出来るはずだ。

こんなにも文字通りの血の滲むような努力をして来たのだから、それくらいの努力は出来るはずなのだ。

それにこうして、ここまで自己改造してしまった中にもまだ、元の彼たる要素がほんの僅かにでも残っていると分かったのだから。それだけは守らなければならない。それを守って、また育て直せば、まだどうにかなるのかもしれない。

 

「そもそも一回約束した話やしな、それを反故にするには理由が足りん。これから頑張ってこうや、ノア。ちゃ〜んと真人間になれるように、うちらが見といたるから」

 

その努力が報われるかどうかは分からないが、それでも。その行末を見る覚悟は決めようと。

ロキ達に求められていたのは、ただそれだけのことだったのだ。



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08.見えない○○

 

「……なるほど、そう落ち着いたか。流石はロキだな。よっ、天界一のトリックスター!」

 

「お前ほんまぶっ飛ばすぞヘルメス」

 

「痛っ!?」

 

そりゃ殴られもするだろうよ、と。

その場に居合わせたアスフィとリヴェリアは額に拳を受けて後ろに倒れたヘルメスを、なんとも言えない顔で見つめる。

ヘルメスがここに来たのは、お礼と謝罪と様子見。つまりはぶん投げた末にどう丸く収まったのかを確認しに来たわけだ。……ちなみにノアはここには居ない。彼は1ヶ月間はダンジョンに潜らないという約束をさせて、今は部屋で大人しく勉強をしている。というか、何やら少し恐ろしくなるくらいにロキ・ファミリアにある書物を読み漁っている。なんだったらとリヴェリアがそこにアイズを一緒に押し込めたのは、正にファインプレーと言ってもいい。彼女も滅茶苦茶嫌な顔をしながらも、最近は全く勉強に手を付けていなかったことを指摘されてしまい、今日ばかりはと大人しく本を読むことにしたようだ。やはり仲間が居ると反応も変わってくるのだろう。彼等がどんな会話をしているのかは普通に気になるところではあるが、今はそれよりヘルメスを1発殴らなければならない。

 

「お前ほんま……ほんまにお前……!」

 

「ま、待て待て待て待て!確かに色々思い当たることはあるが!そこまでされる覚えはないぞ!!」

 

「やかましいわボケェ!ンなこと分かっとるわ!せやけどなんかムカつくから殴らせんかい!!」

 

「ただの理不尽じゃないか!!」

 

そんな殺伐とした雰囲気を一度整えて。

それから二者の話し合いは始まった。

 

「……はぁ、まずヘルメス。なんであの子の無茶を止めんかったんや」

 

「ん?そこから来るのか。俺はてっきりそれを報告しなかったことを責められると思ったんだが」

 

「別にそこはええ、逆の立場やったらうちもそうしとったやろうしな。神に対しては何より先に契約させるんが1番や、そのために事情なんか隠せるだけ隠すに限る」

 

「流石トリックスター、いったい何柱がその手に引っ掛かって酷い目にあったんだか」

 

「やかましいわ……そんで?なんで止めへんかったんや?」

 

その問いに対して、ヘルメスは一瞬だけリヴェリアの方を見た。それこそ、そんなことは今更話すことなのか?と言いたげな様子で。

 

「その答えは九魔姫も分かっていたと思うんだけどな」

 

「なに?私が……?」

 

「俺達と出会った時、既に彼は壊れていたんだ。その時点で、もう引き返せないくらいにな」

 

「っ!」

 

「考えてもみろよ。レベル1の初期状態のようなステータスで、ミノタウロスを討ち倒した。……単にミノタウロスを倒すだけならまだしも、そもそも彼はどうやってミノタウロスが出現するような階層まで行ったんだ?」

 

「それ、は……」

 

「恐らく彼はダンジョンの中で一度死にかけたんだろう。だがその時に自分の身体に備わっていたスキルの存在を知った。そしてその窮地を脱することができた。……『これなら目的を果たせる、剣姫に追いつくことが出来る』。大方そんなことを思いながら、大いに喜んだんだろう」

 

「………ダンジョン7階層にはキラーアントが居る」

 

「…………」

 

「10階層にはインプが、13階層以降にはヘルハウンドやアルミラージも。ミノタウロスが出現する15階層に辿り着くまでに………あいつはいったい何度死んだ?」

 

「……少なくとも最初に団員に調査をさせた時、彼は既にキラーアントを利用してモンスターを引き寄せる方法を使用していました。我々と顔を合わせたあの時点で、既に普通の人間の精神状態でなかったことだけは確かです」

 

「そうだ、だから俺は今むしろ驚いているくらいだ。どうやって彼にダンジョンに行くのを止めさせてるんだい?意外と剣姫ちゃんはノアのことを気に入っていたりしたのかな?」

 

そう、その事実を知っているヘルメスだからこそ、今の状況に誰よりも驚いているのだ。あれほどレベル6に拘り、ヘルメスが何を言っても絶対に意見を曲げようとはしなかった彼。故にヘルメスもこの一年と少しで完全に諦めていたというのに、ほんの数日ロキ・ファミリアに預けただけで、彼は1ヶ月もダンジョンに行くことを封じられて、それでもこの状況を受け入れているという。

アスフィでさえ、そんな事実が信じられないでいた。もしかしたら抜け出して勝手にダンジョンに行っているのではないかと、そう思ってしまうくらいに。しかし実際に今も彼は部屋の中にいるわけで。

 

「……正直なことを言うと、うち等にもよく分からんのや。あれから色々考えてみたけど、何があの子の感情の引鉄になったのかが分からん」

 

「剣姫じゃないのか……?」

 

「せやな、アイズに関してのことやないとうち等は考えとる」

 

「ノアが反応したのは『私達と絶縁だけはしたくない』というところだ。確かにこれはアイズと結び付けることが出来る要素ではあるが、それならもっと別の言い方をするだろう。……だとすれば、この言葉はそのままに受け入れるべきなのかもしれない」

 

「つまり、ロキ・ファミリアと縁を持っていたいと。ロキ・ファミリア自体も彼にとっては重要な存在だということでしょうか?」

 

「……?ロキはノアと関わりがあったりしないのか?覚えてないとか、そういう可能性は」

 

「いや、無い。ほんまに一回も無い。……無い、はずなんやけどなぁ」

 

「なにかあったのか?」

 

そこでロキは明確に頭を抱えた。

それは彼女でさえも本当の本当に理解出来ない、想像も出来ない何かがあったからに他ならない。ロキはここ最近、ずっとそのことを考えていた。それこそそこに生じる矛盾を、ずっと思考している。

 

「……あの子な、大体2年くらい前に、うちにファミリアに入れて欲しいって言いに来たらしいんよ。その時にうちは『まだうちのファミリアには相応しくない』みたいなこと言ったんやと。せやけど、うちにはそんな記憶全くなくてな」

 

「酒飲んでたんじゃないのか?」

 

「アホ言え、いくら酒飲んどっても記憶くらいはあるわ。……それに他にもおかしなとこはあんねん、なあリヴェリア」

 

「ああ……実はあの子に住まう部屋を選ばせた時、殆ど迷いなく一つの部屋を選んだ。中途半端な位置にある部屋だ、だがそこが良いと言って聞かなかった」

 

「……?それがどうかしたんですか?」

 

「それだけならいい。だがより不思議なのは、彼がこの拠点内の殆どの施設を大した説明をする前から位置や機能も含めて殆ど理解していたことだ。……通常ファミリアの拠点というのは外部に公開していない故に、その内側を知る者は殆ど居ない。いくら彼が我々に興味を持っていたとしても、あれほど細かく把握しているのは異様と言える」

 

「……なるほど、大体言いたいことは見えて来た」

 

「あり得ると思うか?」

 

「あったとしたら神力が関係してるだろ」

 

「発動の余波なんかだ〜れも感じとらんで?」

 

「そうだな、そこが分からない。……ただ、それをもう一つ裏付ける情報がある」

 

「なに?」

 

「2人は覚えているかい?最初にノアと出会った時、彼が"3年"という言葉を多用していたことを」

 

「「………あ」」

 

アスフィとリヴェリア、そしてヘルメスは確かにその言葉を聞いている。リヴェリアに至っては最初の方の食事会の中でもその言葉を聞いたことがあった。

3年以内にやらないといけない、3年以内に成果を出さなければならない。彼は常々そう言っていた。なぜ3年なのかと尋ねれば、そこをなんとなくはぐらかされてしまった記憶もある。

 

「3年……もしかして病気とか抱えとるんか!?」

 

「いや、それはないな。ノアの性格を考えれば、もしそうだった場合、剣姫と恋仲になりたいなんて考えもしないだろう。存分に金を稼いで、その全てを彼女に押し付けるくらいの方がよっぽど納得出来る」

 

「だとすれば……ああいや、そうか。3年以内にアイズと恋仲になる必要があると言っているのか。ならこれは違うな」

 

「……あの、それはもしかして、逆説的に『3年以上経ったら剣姫と恋仲になれない』ということではないでしょうか?」

 

「!!」

 

「例えば……そうですね、3年以内に叶わなければ死んでしまうとか。そういう感じですかね」

 

「いや、それならむしろ、3年後に剣姫が他の誰かと恋に落ちてしまうから。これの方がよっぽど現実味がある」

 

「ヘルメス様。現実味とは言いますが、それも彼が未来でも分からない限りはどうしようも……あ」

 

「気付いたか、アスフィ」

 

「ですが……いえ、でもそんなこと……」

 

つまりは、ロキとヘルメスが考えていたのはその可能性。

なぜ彼が自分の部屋を迷わず選んだのか。なぜ彼がロキ・ファミリアの拠点の内装を完全に把握していたのか。なぜ彼には存在しないロキとの会話の記憶があるのか。……そしてなぜレベル1の段階でミノタウロスについての生息階層である15階層までも含めた詳細な知識を持っていたのか。

その全ての疑問に対する答えが、そこにある。

 

「そもそも彼は、知っていた……?否、経験していた?」

 

「そうでもないと、ファミリア探しをしている時に俺の名前を出さないだろうな。あれは完全に俺のファミリアの特色と、俺という神の性質を把握した言動だった。単に勉強熱心であったとしても、レベル1の冒険者にしては知り過ぎだ」

 

「しかし時間の巻き戻しなど、それこそ神の力を使わなければ無理だろう。仮に神力が発動されていれば、この数多に神が存在するオラリオにおいて、それを隠せるはずがない」

 

「それが問題なんや、それについての手掛かりが全くない。正直この使い方やと別に大きな影響は無さそうなんやけど、それでもうち等に全く気配を察知させることなく神力を使える方法があるってこと自体がまじで不味い。最悪下界が滅茶苦茶に荒らされるで」

 

「ああ、だからこそ俺達は神としてこの問題を放置することが出来ない。それこそ何より優先してでも、その真相解明をしなければならない。……しかしそうは言っても、現状手がかりが無さすぎる。発動された神力の残滓すらも感じ取れないとなると、正直お手上げだ」

 

そのことを直接ノアに聞いてもいいが、彼がそれを知っているかどうかに関わらず、彼はそれを正直に話してはくれないだろう。彼の様子からすれば、これは彼にとってのチャンスなのだから。それを潰されてしまう可能性がある以上、この件に関しては彼の協力は得られないと考えた方がいい。

 

「……ん?待てよ」

 

「なんやリヴェリア」

 

「そういえばエイナが言っていたな。確かノアはダンジョンに潜る前にギルドに来て、自分の経歴について調べて貰っていたらしい」

 

「自分の経歴を?どういうことです?」

 

「確か……そうだ、自分の主神やファミリアについてを聞いていたらしい。しかし結局それは見つからず、彼自身も詳細すら思い出すことが出来ず、途方に暮れていたと」

 

「…………それやな」

 

「ああ……それがロキのファミリアだとは考え難い。記憶にも記録にも残っていないノアの元の主神、そいつが間違いなく今回の件の核を担っている」

 

とは言え、やはり手がかりがないことに間違いはない。ロキもヘルメスも彼の恩恵はいじっているし、それこそヘルメスは改宗の作業もした。しかしそこから得られた情報は今思えば異様なほどに少なかったし、つまりはヘルメスもまた何かしらの影響を受けていたということだ。

ヘルメスは必死に思い返す。

あの改宗作業の最中、確実に何かしらの手掛かりはあったはずだ。

それこそ彼の背中に浮かんでいた紋章、それだけでも思い出せば手掛かりにはなる。

 

「…………………………………………花だ」

 

「花?」

 

「ああ、大きな花だ。何の花かは思い出せないが、それが改宗作業中のノアの背中に刻まれていた。……すまん、これ以上はどうも思い出せそうにない。おかしいな、普通ならまず最初に確認すべきところだったろうに」

 

「いや、それだけでも十分に絞れる。……そんでもって、花の神なら権能を使うのに花は絶対に必要や」

 

「なるほど……ということは」

 

「あとはしらみ潰しだな、このオラリオ全体を」

 

今頭の中に浮かぶ神や女神は候補から外していい。故にその神々が持っている土地は問題ないと見ていいだろう。……つまり、探すのはそこ以外に存在する花畑、もしくはその残骸。そこにこの件の黒幕が潜んでいるのかどうかは分からないが、探してみる価値はある。

 

「ロキ、一先ずはノアのことを頼む。こっちは俺の方で探してみる」

 

「せやな、頼むわ。……どう考えてもその神はノアのこと大事にしとるやろうからな、もし最悪の場合になったら何を仕出かすかも分からん」

 

「そうならないのが1番なんだけどな、剣姫が受け入れてくれれば全部平和に終わるんだが」

 

「……今更ながら、もう少しそういうことも教えておけば良かったと後悔している。まあ最後に決めるのはあの子自身であることに変わりはないのだが」

 

少しずつ、少しずつ見えて来る。

そして見えて来たからこそ、見たくないものまで目に入って来る。それはこの場にいる誰もが口にはしなかったが、全員がなんとなく理解していることだ。

……ノア・ユニセラフは以前の際に一度全てを失敗している。それはきっと間違いない。だとすればこの機会は彼にとって、幸福でもあり、絶望でもあるのだろう。ロキやリヴェリア達が思っていたよりも、ずっとずっと、重い意味がある。



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09.振り回される○○

 

「……………」

 

「……………」

 

「……………」

 

「……………」

 

すごい、なんだかすごい視線を感じている。

 

「……………」

 

これから1ヶ月、取り敢えずダンジョンに潜るのは禁止だと言われた。

それはダンジョンに行く癖を治すためだとか、一先ず苦痛に塗れた生活から抜け出すためだとか言われたけれど、やっぱり今の自分ではいくら約束しても一度ダンジョンに踏み入れば直ぐに焦りによって以前のような無茶をしてしまうと見抜かれていたからに違いない。

自分でもそう思うし、その姿が簡単に想像出来てしまったので、今は取り敢えず図書室の中で本を片っ端から読んでいた。

この図書室にある本は前の生の時からよく読んでいたけれど、記憶が薄くなった今では、改めて読み返しながら「ああ、こんな内容だったなぁ」と思い出すような形になっている。それに題名に関係なく中身を読んでみれば、とてもためになるものも沢山あって、暇な時間に対する焦りを誤魔化しながらも同時に楽しんでいる自分が居たことにも気付いた。これもまたリヴェリアさんの策なのだとしたら、拍手を送る以外に他にない。

 

(……いや、それより)

 

そう、それより。

それより大切なことが、今隣にある。

それより大切な人が、今隣にいる。

 

「あ、あの……?」

 

「?」

 

「その、そんなに見られてしまうと……私も少し気恥ずかしいと言いますか」

 

「駄目だった……?」

 

「いえ!そんなことは!?……もしよろしければ、少しお話ししませんか?」

 

「!……うん、したい」

 

………どうしよう。

泣きそうなくらい嬉しい。

アイズさんが積極的に話そうとしてくれる。

というか興味を持ってくれている。

果たしてこれ以上に嬉しいことが世の中にあるだろうか。

それになにより、今のアイズさんは自分のことを弟や妹のように見ていない。対等な目線で見て貰えている。それが何より嬉しい。自分の努力は身を結んだのだ。間違っていなかったのだ。

油断すれば涙が出そうになってしまうが、今はそれも努力して飲み込む。このくらいの努力なら容易いものだ。それまでのものに比べれば、何倍も。

 

「ええと、私の名前は分かりますか?」

 

「うん、ノアだよね」

 

「!そ、そうです。私もあなたのことは知っていますよ、アイズさん」

 

「そう、ありがとう」

 

「はい」

 

なんとなくぎこちない会話。

けれどアイズさんはきっと、何か私に聞きたいことがあるのだろう。そうでもなければ、あんなに露骨な目線を向けて来たりしない。だから私は待ってみる。話を聞く姿勢を見てわかるように作りながら。

 

「………あの、ね」

 

「はい、何でも聞いてください」

 

「……どうやってそんなに早く、強くなったの?」

 

「!」

 

なるほど、確かにアイズさんならそれを知りたがるだろう。あれだけ強くなろうと努力していた人だ。ここまで一気にレベルを上げた自分を見れば、その方法について聞きたがるのも無理はない。…‥しかし、流石にあの方法は話せない。普通に気持ち悪がられてしまうだろうから。となるとここは無難に。

 

「……必死にダンジョンに潜ってました。私がしたのはただそれだけです」

 

「それだけ……?」

 

「ええ、本当に。……毎日毎日潜ってました、寝泊まりすらして。その結果がこれです」

 

「寝泊まり……」

 

「ヘルメス様にも忠告を受けましたし、リヴェリアさんやロキ様にもたくさんお叱りを受けました。なので今は1ヶ月間、こうして謹慎を受けているんです」

 

嘘はついていない。

ただこのやり方をアイズさんにはして欲しくないという心配事はあるけれど。私はこのスキルがあったからこそ出来ただけだ、無かったらそんな無茶は出来なかった。最初にダンジョンに入った日の夜に死んでいた。ダンジョン内で単独で寝泊まりするというのは、それほどに危険なことなのだ。アイズさんには絶対にして欲しくない。

 

「……どうして?」

 

「え?」

 

「どうしてそんなに、強くなりたいの?……嫌いな人とか、モンスターとかが居るの?」

 

けれどどうやらアイズさんの興味は、そっちにあったらしい。強くなる方法ではなく、強くなりたい理由。……そんなのはただ1つ、僕はこのためだけに努力して来た。

 

「隣に立ちたい人が居るんです」

 

「隣に立ちたい、人?」

 

「はい、追い付きたい人が居るんです。助けてあげたい人が居るんです。……ずっと隣で歩いていきたい、そう思った人が居るんです」

 

「……そのために、そんなに頑張ったの?」

 

「はい、そのためだけに頑張りました」

 

「それって、誰のこと……?ロキ・ファミリアの中に居るんだよね。リヴェリア?それともフィン?」

 

「アイズさんです」

 

「え……」

 

「ちゃんと言葉にして言っておかないと、きっと変に誤解されてしまうと思うので最初に釘を刺しておきますけど。アイズさんです。私はアイズさんの隣に立つために努力してここまで来ました」

 

「…………………え」

 

驚いたように呆然とするアイズさん。

私だって表情には出していないけれど胸の内がバクバクと高鳴っている。

けれど知っているから。ここでちゃんと言っておかないと、アイズさんは私がリヴェリアさんのためにここに来たと勘違いしてしまうような人だ。なんだったら僕の性別を忘れてベートさんやフィンさんに恋をしてここに来たと思ってしまうくらいだ。

だからここは変に誤魔化すより、引かれてしまう可能性を込みにしても釘を刺しておかなければいけない。そうして意識して貰わなければならない。なにせ時間がないのだから、何より私のことを見て貰わないといけない。私のことを考えて貰わないといけない。

 

「その……ごめんね、少しびっくりしちゃった」

 

「いえ、当然の反応だと思います」

 

「私達、まだ3回くらいしか会ってないよね……?」

 

「そうですね、でもそれより昔に一度ダンジョンの中で助けて貰ったことがあるんですよ。多分アイズさんは覚えていないような話なんですけど」

 

「………うん。ごめん、覚えてない」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。ただ、それからアイズさんに憧れて。まあその、その後も色々とあって……はい、アイズさんの隣に立てるようになりたいって思ったんです」

 

「……それだけ?それだけのために、こんなに頑張ったの?」

 

「色々とお話し出来ないこともありますし、多分アイズさんからしたら"それだけのために?"って思うかもしれないんですけど。私にとってはそれは、これだけの努力をする価値のあるものだったんです。だって凡人の私がアイズさんの隣に立つんですよ?そんなの、アイズさん以上に努力する以外にないじゃないですか」

 

「………」

 

多分、これが今彼女に明かせる全部だ。

私が本気でアイズさんを目的にしてここに来たことと、本気でアイズさんの隣に立ちたいと思っているという意思表示。これ以上は今は明かすべきではない。この情報からアイズさんが何処まで私のことを考えて理解してくれるかは分からないが、少しでも興味を惹ける存在として認知して欲しい。

 

「……私のことを、助けてくれるの?」

 

「もちろん、私の努力は全部そのためのものですから」

 

「でも私、何も返せないよ」

 

「私のことをアイズさんが受け入れてくれるだけで十分です。私が隣に立つことをアイズさんが許してくれれば、それだけで」

 

「………よく、分かんないかも」

 

「いいんです、今はただそれだけを覚えておいてください。そしてよければ私のこともたくさん知って欲しいです。……だから手始めに」

 

「?」

 

「お友達から始めませんか?」

 

これは断言してもいいことだけれど、間違いなくアイズさんは私のこの想いが恋であるとは気付いていない。想像してもその可能性を信じることはないだろうし、きっと私のことも所謂ファンの1人としか思っていないはずだ。

だからこそ、それがチャンスにもなる。結局は信頼し合える仲を築いて、そこから始めていかなければならないのだから。私は彼のように一目でアイズさんの目を惹けるような人間ではない。だからそれ以外のことで惹き続けなければならない。それ以外のことで、興味を持って貰わなければならない。

 

「………ノアは」

 

「はい?」

 

「男の人、なんだよね?」

 

「っ、そうですね。私は男性です」

 

 

 

 

「ノアは………私のこと、好きなの……?」

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

……………。

 

 

 

……………?

 

 

 

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ごめん、ちょっと待って。

 

 

 

ちょっと待って。

 

 

ちょ、ちょっと待って。

 

 

ちょっと待って!?

 

 

聞いてない!

 

聞いてない聞いてない!

 

この展開は聞いてない!!

 

なんか、なんかアイズさんが!すごい察しがいい!!察しが良過ぎて事前に立ててた話の計画が全部破綻した!ここから少しずつ積み立てていくつもりだったのに、なんか一気に窮地に立たされた!?というかこれでもかなり迫った方なのに!アイズさんがそれを全部飛び超えて来た!?いや、アイズさんならここは「なんでだろう?」くらいの認識だと思ってたのに!?僕の考えが甘かったのか!?

 

お、落ち着こう。

 

し、深呼吸だ。

 

ここで一番不味いのは、その言葉を否定してしまった時。それは自分で自分の芽を抜く行為だ。ここは一時的に振られてしまう可能性を受け入れてでも素直な気持ちを伝える時。正直自分の精神がもつかは分からないが、しかし勇気を持ってやるしかない。

 

「……はい、私はアイズさんのことが好きです。アイズさんと共になら、どんな地獄にでもついて行けるくらいに」

 

「……ありがとう、嬉しい」

 

ゔっ(心肺停止)

その笑みを向けて貰えただけで、もう人生の半分くらいが報われた気がする。アンフィス・バエナのお腹の中で自分の身体の肉すら食い千切りながら発狂したりもしたけれど、5体のヘル・ハウンドに囲まれて全身の皮膚が爛れるくらいの火炎地獄に2日間囚われて全部裏返って憎悪に染まりそうにもなったりしたけれど、生きていて良かったと、頑張って良かったと、今なら心の底からそう思える。

 

「でも……ごめん、私そういうのよく分からなくて……」

 

「分からなくても大丈夫です。アイズさんに余裕が出来た時にでも考えて貰えれば。……だからまずは、友人として」

 

「………うん、それなら分かるかも」

 

「安心して下さい。アイズさんがたとえ何処まで遠くに行ってしまっても、私は死んでも追い付きますから。……まあ、死なないんですけど」

 

「?」

 

完璧に返すことが出来た。

よくやった自分。

そしてやっぱり生きていて良かった、最高だ。

 

それからは、2人で話をすることに集中した。

勉強なんかいつでも出来る。

というか、勉強なんかよりこっちの方が何百倍も何千倍も大切なことなのだから、そんなことは当然だ。

 

それに………楽しかった。

 

楽しかったなんて、本当に久しぶりに感じた感覚だった。嬉しい、幸せだなんて、本当に久しぶりに頭に浮かんだ言葉だった。

自分の心なんてとうの昔に疲弊して薄まってしまったのではないかと思っていたけれど、彼女とこうして話している間は本当に小さな子供みたいに一喜一憂していた。けれどそれがたまらなく楽しいのだ。

アイズさんと会話をして、アイズさんが笑ってくれて、アイズさんが私のことを見てくれる。ただそれだけなのに、世界の色まで変わったように見える。

 

……あと一年だ。

 

あと一年。

 

その間になんとしてでも、彼より、先に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、アイズさんとすごく仲良くしている人がいる。

 

その人は私がこのファミリアに入って1年と少しが経った頃に急に入って来て、あのアイズ・ヴァレンシュタインさんと急に仲良くなった。

それだけならまだしも、あの人はリヴェリア様とも仲良さげに話していて、しかもたった1年半でレベル2からレベル5まで登り上げた驚異的な記録を持っている。しかもしかも男だ。

もう何処からどう見ても女性にしか見えないのに、あの人は男の人なんだとリヴェリア様は仰っていた。

 

……正直、すごく羨ましい。

 

私だってこれでも2年かけてレベル3まで上げて、成長はそこまで遅くはない方だ。けれど未だにアイズさんやリヴェリア様の背中はすごく遠くて、懸命に手を伸ばしても届かないというのに。彼は自分と同じか、それより短い期間でアイズさんの横にああして立てるまでになったのだ。そんなの羨ましいに決まっている。

最初の1ヶ月は謹慎を受けているとかで拠点に居た彼は、ちょっと怖くなってしまうくらいに拠点内にある全ての本を読み漁っていて、『もしかしたらすごく勉強熱心で効率的にレベルを上げてきたのかな』なんて思ってしまったが、その謹慎が解けた直後に彼は今度は毎日のようにダンジョンに潜りにいくという、これまた極端な行動を取り始めた。その頻度は普通にアイズさんよりも頻繁で、時々アイズさんと一緒に潜りに行くこともあったけれど、やはり1人で潜りに行くことの方が多かった。そしてリヴェリア様やロキはそんな彼が帰ってくると何やら怒ったような呆れたような顔をして、妙に何かを問い詰めているような姿を見せていた。

……正直よく分からない。

 

そんな生活をしているので彼と仲の良い団員はそれなりに限られていて、リヴェリア様やアイズさんはともかく、他には積極的なティオナさんや2軍メンバーとして交流のあるアキさんくらいじゃないかと思う。当然ながら私も彼とは挨拶くらいしかしたことがなかった。

それでも彼に対する評判は全然良くて、『本人はすごくいい子だけどアイズよりダンジョンに潜りたがる困った子』という感じ。

 

『駄目に決まっているだろう!!』

 

そして、リヴェリア様のそんな怒鳴り声が彼の部屋から聞こえて来たのは、彼がファミリアに入ってから大凡半年が経った頃のことだった。あまり良くない行為だと分かりつつも、そんな珍しいことに興味を抑え切れず扉に耳を近付けてしまった私であったが、正直それは仕方のないことだったと思う。

 

「ウダイオスを単独で倒しに行くなど……何を考えている!そういうことは今後絶対にしないと約束したはずだ!!」

 

(え……ウダイオスを、単独で……?)

 

「ですがレベル6への昇華ともなると、現状それくらいしか方法が見当たりません。自分でも無茶を言っているのは分かっているんですが、他に方法が思い付かないんです。……なので、リヴェリアさんやフィンさん達が昇華した際の経験なんか聞けないかなと思って相談させて貰ったんですけど」

 

「………………無理だ、私達の時のそれはダンジョンとは関係のない抗争によって齎されたものだ。お前の参考にはならない」

 

「そうですか………しかしそうなると、本当に大量のモンスターと戦い続けるくらいしか方法が無いんです。それならウダイオス討伐の方がまだ現実的で」

 

「それは駄目だ!!……敵は死霊系モンスターの最高峰だ。お前の戦法は死霊系のモンスターとは特に相性が悪いだろう」

 

「……それは否定しません、摩耗のないモンスターは苦手です」

 

正直に言うと、言っている内容はよく分からないことの方が多い。けれど彼が既にステータス的にはレベル6になるに十分なほどになっているということと、そしてレベル6になるために何らかの偉業を成し遂げたいと思っているということだけは分かる。

しかしそれにしても、ウダイオスの単独討伐なんて、リヴェリア様の言う通り正気の沙汰とは思えない。レベル4以上の冒険者が束になってかからないと倒せないような敵だ、今のロキ・ファミリアでも苦戦を強いられるような相手。いくらなんでもそんなのと一対一なんて、現実的なんかじゃない。死んで当然なくらいの話。

 

「そこで暫く止めておくのは駄目なのか?それが今でなくてはいけない理由があるのか?」

 

「……正直に言うと、ここまでステイタスが上げれましたから、これ以上ダンジョンに潜るつもりはありません。それは単なる無駄ですから、そんなことに使える時間もありません」

 

「ならば」

 

「ですが、同じステイタスでも、スキルと魔法の差でアイズさんの方が強いんです。……であれば私は、ステイタスだけでもアイズさんより高くなくてはいけません」

 

「っ」

 

「対等に見てもらうことが第一条件なんです。そこに一切の妥協もすることは出来ません。彼女にも、自分にも、ほんの僅かな言い訳をしたくない。そんな余地は残したくない」

 

(っ……)

 

それは、こうして話を盗み聞きしているだけの自分の背中すらもゾクリと撫でるような何かを持った言葉だった。これまで女性にしか見えて来なかった彼の男性が見えたというか、それ以上に鈍い何かがあったというか。……それでも何より印象的だったのが、彼のここまでの努力は全てアイズさんと対等にあるためにしているものだということ。彼のことを何も知らない自分にとっては、それはあまりにも驚くべきことだった。

 

「………はあ、分かった。だが少し待て。私からロキやフィンにも相談してみる、もしかすれば何かしら方策があるかもしれない。それまでは絶対に行動には移すな、いいな?」

 

「分かりました。暫くはアイズさんの鍛錬を手伝おうと思います」

 

「そうしてくれ、その方が私も安心出来る。……というか、そっちの方はどうなんだ?むしろそっちの方が本命だろう」

 

「…………………………………ガードが硬いとか以前に。どうしてその辺りの教育はしてくれていなかったんですか、リヴェリアさん……」

 

「わ、私とてお前の話を聞いてからそういう話を読ませたりしたんだ!だがその、全然興味を持ってくれなくてだな……」

 

「あの時のアイズさんの反応はリヴェリアさんの仕業ですか!!」

 

「な、何の話だ!?」

 

「ありがとうございました!!」

 

「何を怒っているんだ!?感謝しているんじゃないのか!?」

 

「感謝してるんですけど凄くびっくりしたんです!!」

 

「お前はアイズのことになると途端に人間味が出てくるな!!」

 

「だってだって!本当にびっくりしたんですもん!」

 

 

(……………)

 

やんややんやと言い合う2人を後にして、私はトボトボと自分の部屋へと戻る。

 

あの人は、アイズさんのことが好きなんだ。

 

そしてそれはリヴェリア様も知っていて、少なくともリヴェリア様も応援している。

 

……なんだか変な気持ちだった。

確かにアイズさんはすごい人だ。カッコいいし、憧れる。だからそんなアイズさんのことを好きになる人が居てもおかしくないし、当たり前のことだ。

けれどそんなアイズさんの隣に立つために本気で頑張っている人の姿を見て、知って、自分がどれだけ甘い気持ちで『追い付きたい』なんて口にしていたのかと嫌悪感を持ってしまう。

 

同じ2年という月日でも彼と自分では成果に差があった。しかしそれはあまりにも当然の話で、単純にその努力の密度が違った。

少なくとも私は彼のように毎日朝から晩までダンジョンになんて潜りたくない。いくらアイズさんに追い付きたいと思っていても、そこまでしようとは思わない。それが彼と自分の違いであり、それこそが彼の本気の気持ちを表している。リヴェリア様が認めるのも当然だ。彼はそれに相応しい努力をしているのだから。

 

「……私は、何がしたいんだろう」

 

自分には彼のように強い思いはない。憧れもあるし、役割もある、期待もされている。けれどそれは彼のように必死になってなりふり構わず努力が出来るほどの理由にはなってくれない。

嫉妬はあるし、憧れもあるし、羨ましくもある。

 

「あれ、レフィーヤ……?」

 

「あ、アイズさん……」

 

「どうしたの?暗い顔して、体調が悪いの……?」

 

そんな風に歩いていたからだろうか。暗い顔をしていた私を見かけて、アイズさんが声をかけに来てくれた。

……正直、今はなんとなくアイズさんの顔が見難い。どんな顔をして話せばいいのかが分からない。いや、別にこれといってやましいことがあるわけではないのだけれど。

 

「あの……聞いてもいいですか?」

 

「え?うん、大丈夫だけど……」

 

「ノアさんって、どういう人なんですか……?」

 

「ノア?」

 

それを聞いてみた。

アイズさんから見た彼は、いったいどういう人なのかを。それを聞いたところで何がどうなるのかという話も別にないのだけれど、それでも。

 

「…………あのね。ノア、私のこと好きなんだって」

 

「はい……?」

 

「そう言ってた。……でも、私はそういう気持ちとかよく分からなくて。ノアの言う好きが、多分私がリヴェリア達に思ってるのとは違うってのは分かるんだけど……レフィーヤはどう思う?」

 

「え」

 

いや、どう思うと言われましても。

というかノアさんはもうアイズさんに告白してたんですか!?そっちの方がビックリなんですが!?

あとこれ私は何をどう答えればいいんですか!?恋とか愛とか、私だってまだそんなの経験したことがないんですが!!?

でもアイズさん凄く期待した顔で私のこと見て来るし、私も分かりませんなんて言える雰囲気じゃないし、質問したのに質問返されちゃったし!と、とりあえず何か言わないと!アイズさんを失望させないような、な、なんかそれっぽい無難な答えを……!!

 

「えと……わ、私も全然詳しくはないんですけど、やっぱりこう、胸がキュンキュンしたりとかするんじゃないですかね?こう、見ているだけでドキドキするというか、目を離せなくなってしまうというか……」

 

「キュンキュン、ドキドキ……目が離せない……」

 

どうしよう、すごい適当なこと言っちゃった。これもしかしたら私の解答一つでノアさんが振られちゃう可能性も出てくるんじゃ。

ど、どうしよう。そう考えるともっと慎重に答えないといけない解答だったんじゃないかって思えてくる。その辺の適当な男の人ならまだしも、アイズさんの隣に立つためにあれだけ頑張ってるノアさんが相手となると、重圧も罪悪感もとんでもない。

 

「……どうしよう。私、ノアにそういうの感じたことないかも……」

 

「あ、あ、あー!!でも私も全然恋とかしたことないので!ほんと!全然信用しないで下さいね!ほら!エルフってみんなそういうのに疎いっていうか!!」

 

「あ、でも、一回だけドキドキしたことはあるかも」

 

「えっ!?あるんですか!?」

 

「うん。ノアがね、私のことを助けたいって、ずっと隣に居たいから努力するって言ってくれた時……すごく嬉しくて、ドキドキした」

 

「へ、へ〜。そ、そうなんですね……」

 

なんだこの惚気は。

邪魔をしたら邪魔をしたで罪悪感がすごいのに、惚気られるとそれはそれで嫉妬がすごい。

それに、ノアさんってあんな女性にしか見えないのに、やっぱり男性なんだなぁって思わされる。正直自分もいつかはカッコいい男の人にそんなこと言われてみたい。……というか、よくよく考えればノアさんはエルフの女性にとっての理想なのではないだろうか?男性味を感じない容姿をしていて、真面目で、一途で。

……いや、やめよう。

この思考は下手したらアイズさんにもノアさんにも嫉妬する最悪の女が出来上がってしまうルートに行き着いてしまう気がする。今ここで断ち切っておくのが一番だ。引き際大事、絶対。

 

「私は、ノアのことが好きなのかな……?」

 

「えと、そういう物語とかを読んでみるのはどうですか?私みたいな素人に聞くより、そっちの方が確実だと思いますし」

 

「……やっぱり、読んだ方がいいのかな」

 

「それか……あ、ティオネさんに聞いてみるとかどうでしょう!やっぱりこういうのは先駆者に聞くのが一番と言いますか!」

 

「……!それいいかも!行こう、レフィーヤ」

 

「はい!………って、えぇ!?私もですか!?」

 

そうして私は、アイズさんに連れられてティオネさんの元へと連れて行かれた。そしてそれから夕方頃まで延々とティオネさんによる恋愛講座をアイズさんと一緒に聞かされることになってしまった。

ちなみに正直に言ってしまうと大半が団長に関することだったので、全然役に立たない知識ばかりだった気もするけれど……アイズさんが満足したような顔をしていたので良かったのかもしれない。



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10.変化する○○

「ノア、ちょっといい?」

 

「はい、お手伝いしますよ。アキさん」

 

ロキ・ファミリアに来てもう半年。2軍の団員として、その中核メンバーであるアキさんのお手伝いをすることもある。というより私は基本的にはアキさんに教えを受けながら、アキさんのお手伝いをすることが多い。

これは私が前の世界の時もそうで、正直その辺りの記憶はかなり曖昧になってきてしまったけれど、アキさんには本当に可愛がって貰った記憶がある。多少揶揄われたりもしたけれど、それでも色々と面倒を見て貰って、色々なことを教えて貰った。私にとってはお姉さんのような人だった。

こちらの世界でもそんな彼女と、前の世界とは多少は立場が違えども、こうして一緒に仕事をさせてもらえる。それはとても嬉しいことだ。それにこちらの世界でも彼女は私のことを怖がらずに、こうして仲良くしてくれている。本当に、少し不思議なくらいに。

 

「悪いわね、助かったわ」

 

「いえいえ、これくらいしかお手伝い出来ませんし。アキさんの頼みならなんでも聞きますよ」

 

「あら、いいの?そんなこと言って。貴女はアイズのことが好きなんでしょう?」

 

「それとこれとは別の話ですよ。私はアイズさんのことが大好きですけど、アキさんのことも尊敬していますし」

 

「それも不思議な話よねぇ、半年前まで私達って面識無かったでしょ?正直色々変な噂も聞いてたし、あの時はここまで仲良く話せるようになるとは思わなかったもの」

 

「それはアキさんが優しいからですね、間違いありません」

 

「あら、褒めても振られる仕事の量は減らないわよ?」

 

「えっと、私まだ13歳なので」

 

「……ごめん、多分それが今一番信じられないことかも。アイズと同い年かそれ以上はあると思ってたから」

 

「子供のままでは要られませんから」

 

「なら仕事量はそのままでいいわね、大人なんだから」

 

「あぅっ、しまった……」

 

正直なことを言ってしまうと、こうしてロキ・ファミリアに戻って来てから。大分自分の中の人間性が戻って来たように感じている。

それこそリヴェリアさん然り、アキさん然り、前の時も僕に良くしてくれていた人達が、今もこうして仲良くしてくれるから。多分それが一番大きい。

今の自分がロキ・ファミリアに相応しいかどうかは分からないが、今はそれもどうでもいい。そんなことよりもよっぽど考えなければならないことがあるから。ある意味ではそれに助けられてもいるのだろう。まあ最初の経緯的に保護みたいな要素も十分にあったし、相応しいどうこう以前の話であったということも理由の一つだろうが。

 

「まあでも、なんとなく妹みたいな感覚はあるのよね。もちろん男の子っていうのは承知の上でなんだけど」

 

「私もアキさんのことはお姉さんのように思ってますよ」

 

「頭撫でていい?」

 

「それはもちろん」

 

「ん……サラサラね、ダンジョン潜りまくってる割に」

 

「実はそういうスキルがありまして。劣化はしないのに努力は反映されるんです」

 

「え、なにそれ凄く羨ましい」

 

「その分、老化し始めたら怖いんですけどね」

 

「老化も劣化じゃない?」

 

「成長はするので老化もするんですよ。あくまで"今の私"に都合の良いスキルなので、後のこと全く考えてないのも実に私らしいと言いますか」

 

「よく分かんないけど大変ね」

 

まあスキルの細かい理由なんかは神様ですらやってみないと分からない的なことも多いので、本当にそうなるかは分からない。ヘルメス様は再生のし過ぎで身体の変化速度が上がっているとも言っていたが、それのせいで肉体の成長まで促進されるというのも、今になって考えると正直よく分からない理論なのだから。

……もしかするとヘルメス様が隠していることもまだあるのかもしれない。しかしそれはどうでもいいことだ。私の願いを邪魔するような話でさえなければ。

 

「そういえば、団長達を見なかったかしら?今日は朝からリヴェリア様もロキも見ないのよね」

 

「んと……確かずっとロキ様のお部屋にいらっしゃいますよ。何か難しそうな顔をして部屋に入っていくのを見ました」

 

「へぇ、次の遠征の話かしら」

 

「もう次の遠征があるんですか、楽しみですね」

 

「いや、別に楽しみな話じゃ……そういえば、ヘルメス・ファミリアにいた時も遠征はあったんでしょう?参加してたの?」

 

「…………………………はい、一応は」

 

「え、なに今の間は」

 

「な、なんでもないですよ。なんでも」

 

まさか言えまい。遠征の話が来るたびに自分が1人でヘルメス・ファミリアの最高到達階層を1つ更新するところまで赴いて素材を集めていたなどと。まあそもそもヘルメス・ファミリアはレベルも最高到達階層も全部誤魔化しているので、最初の頃でもなければ、そこまで難しい話では無かったが。

正直本当の最高到達階層よりも先に1人で行っていたし……帰る時はいつも全裸だったけれど。

 

「まあいいわ、これが終わったら少し休憩にしましょう。お菓子でも出してあげるわ」

 

「ほんとですか!?やったー!」

 

「………ほんと、そういうところは子供なのよね」

 

「っ……あ、あはは。な、なんか思わず……」

 

そこからは真面目に彼女の仕事を手伝った。基本的には経験したことのある仕事ばかり、故にそれほど大きな失敗をすることもない。

……ただ、それとは別に1つの心配事が頭を過ぎる。

 

(少しずつ、前の自分に戻り始めてる……?)

 

薄れてしまった記憶、しかしそれは確かに今も残っている。そして環境が以前の物に近づくにつれて、それは少しずつ無意識下のものも含めて再び表層に上がろうとして来ている。アキさんへの態度や、リヴェリアさんとのやりとり、そしてアイズさんと話していた時のあの幸福感。全てが自分にとって既視感のあるもの。

……そう、既視感がある。それはつまり。

 

(このままだと本当に……前と何も変わらずに終わってしまうんじゃ)

 

確かに前の時とは変わったものは多くある。けれどこれでは、大切なところが何も変わっていない。前の時と同じ立場になれて、同じことをしていて、安心感を覚えてしまっている自分が居て、それにこの半年間ずっと浸ってしまっていた。しかしそれが決して良いことではないなんて、そんなの誰にだって分かる。

もうベル・クラネルがこの街に来るまでにあと1年しかない。一年しかないのに、自分はまだあの時と同じままだ。本当にアイズさんと一緒に居たいのなら、本当に彼に取られたくないのなら……僕は前の時とは違う道を歩まなければならないのではないのか?もしそれに今この時に気が付いていなかったら、僕はあと残りの1年も今日までと同じように過ごしていたかもしれない。それを想像するだけで、恐ろしいほどに寒気が走る。

 

「?」

 

ただ、そんなことを考える私にとって1つ予想外だったのは、目の前に居るアナキティ・オータムという人物がとても他人の変化に過敏な人だったということだ。いくら仕事の最中とは言え、突然こんな風に落ち込み始めた人間が居れば、彼女はそれに直ぐに気が付く。思い返せば前の時もそうだった。自分が落ち込んでいる時、彼女はこうしてまるで見透いたようにして声を掛けてくれた。本当に、それは偶然では決してなく。

 

「悩みがあるなら聞いてあげるわよ。お姉さんなんだから、わたし」

 

「アキさん……あの、どうすればアイズさんに見てもらえると思います?」

 

「ん?なあに?ベートに取られるのが心配になったの?」

 

「え?いえ、それは別に……」

 

「いや、そこは気にしてあげなさいよ。可哀想でしょ、ベートが」

 

「い、いえ、そういうわけではないんです。ただ、ベートさんには別にくっ付いて欲しい人が居ると言いますか……個人的にはそっちの方を応援したくて」

 

「?」

 

「ま、まあそれはいいじゃないですか。それより……」

 

あの世界ではベートさんと彼女はどうなったのだろうか。彼女はベートさんが好きで、私はアイズさんが好きで、ちょっとした協力関係を築きながら色々とお話ししていた記憶がある。僕の恋が破れた以上、彼女の努力くらいは報われるといいなぁとは思う。…‥こっちの世界では、自分のことにいっぱいいっぱいで手伝えないかもしれないけれど。

 

「う〜ん、正直アイズに恋愛感情を持たせるのってかなり難しいと思うのよ。あの子はそんなこと今まで考えたこともなかったでしょうし、多分恋心を感じたとしても、それが恋とは分からないでしょう?」

 

「確かに……」

 

「だとしたら、やっぱり恋から攻めるのは難しいと考えて、他のところから攻めるのはどうかしら?」

 

「というと……?」

 

「親友とか、腐れ縁とか。そういう絶対に離れられない、なんとなくでも常に一緒に居る、みたいな関係になるのよ」

 

「な、なるほど……!」

 

「そうすれば周りも自然とそう見てくれるし、応援して、身を引いてくれるでしょう?一緒に居る時間が長ければ、理解度も深まって、相手に"この人が居ないと"って思わせることも出来るわ」

 

それは盲点だった。

もしここに彼女が居なければ、自分は変に暴走して全く違う方法でアタックするところだったが……確かにこの方法なら、例えそれが恋愛的なものだと自覚していなかったとしても、アイズさんの大切で唯一無二の人間になれる。つまりは関係から事実に入るのではなく、事実を作ってから関係という名前を付ける方法だ。これはアナキティ・オータムにしか出せない提案。

 

「そうやってラウルさんのことも囲ってるんですね……すごく勉強になります」

 

「お〜い?人聞きの悪いこと言うな〜?」

 

本人達は否定しているけど、どうせあの2人はそのうちサラッとくっ付いているんだろうなぁ……という関係筆頭。そんな彼女がそう言うのだから、きっとそれは間違いないのだろう。ぶっちゃけ他の誰よりも為になる助言をくれた。流石に頼りになるというか、本当に頼もしいというか。

 

「ふふ、私と一緒に居てラウルさんは焼き餅焼いたりしないですかね?」

 

「残念、むしろ未だに男だってこと疑ってるんじゃない?そっちこそいいのかしら?浮気にならない?」

 

「……まず"浮気"って言葉を知ってるんでしょうか」

 

「……多分知らないんじゃないかしら、難敵ね」

 

前の時とは少し違う関係ではあるけれど、それでもやっぱり彼女は頼れるお姉さんで。今回は恋愛に関する相談も真面目にのってくれる。

こうして対等に話せるアキさんというのも、なんだか新鮮で、そして少しの嬉しさをかんじるものだった。もちろん、前みたいにスキンシップを全くしてくれなくなってしまったことは、実は少し寂しく思ったりしたりもしたのだけど。

 

 

 

 

 

 

アキさんの仕事を手伝い終えた後、私はロキ様の部屋に呼ばれていた。そこでは朝からリヴェリアさん達が話をしていて、それが恐らくあまりよろしくない話であるということもなんとなく察していた。

……しかし、それがまさか自分だけが部屋に呼ばれるような案件だとは微塵も思っていなかったのだ。

 

「………………」

 

部屋に入るなり、重苦しい雰囲気がのしかかってくる。自分関係の重い話、恐らくそれは以前にリヴェリアさんに相談したレベル6になるための試練の話くらいしかない。

特に会話をすることもなく促されるままに座らせると、リヴェリアさんは一枚の手紙を手渡してくる。ロキ様宛の手紙、差出人はギルドの主神であるウラノス様。

 

「あの……これは?」

 

「ノア、お前は以前に私にレベル6になるための偉業について相談したな」

 

「はい、そうですね」

 

「それに対する回答がそれだ。……というより、勝手に回答が舞い降りて来たと言うべきか」

 

「つまり、ギルドが私のために回答を用意してくれたということですか?」

 

「ロキ」

 

「ま、十中八九ヘルメスが手を回したんやと思うで。……そんで内容もまあ胡散臭い」

 

「少し読みますね」

 

ギルド創設神ウラノス様からの手紙。

その内容は、『女神ロキを含めた全ての者に公言しないことを条件に、ランクアップに必要な偉業について有益な情報を与えても良い』というものだった。

準備が出来次第ギルドへ出向き、そのままダンジョンへ向かうようにということ。内容は本当にそれだけ。それだけしか書かれていない。

何故こんな風に協力してくれるのか、代わりに自分は何をすればいいのか、どういう準備をしていけばいいのか、そういったことは全くと言っていいほど記述がなかった。私も困った顔をしてリヴェリアさんに顔を向ける。

 

「……色々と話し合ってみたが、結論は出なかった」

 

「僕達も考えてはみたんだけど、いくら神ヘルメスの口添えがあったとしても、あの創設神ウラノスがここまで君に肩入れする理由が分からない。当然ギルド側の狙いもだ」

 

「どういう情報が齎されるかも分からん、危険性もそうじゃ。正直ワシ等では判断が出来ん」

 

「そういうことやから、これはノアに選んで貰うしかない。……まあ、そうは言うても」

 

「行って来ます」

 

「………そう言うだろうな、お前なら」

 

分かっていたんだと思う、私なら迷わないと。だからこそ迷ってくれたんだと思う、このことを私に話すべきかどうかを。

でもこんなにも良い話、他にはない。相性の悪いウダイオスを討伐するのであれば、自分は間違いなくアンフィス・バエナと戦った時以上の地獄を見ることになる。

それに自分はヘルメス様を信じている。そんなヘルメス様がわざわざ持って来てくれた話を、私は信じている。だから迷うことはない。この話を受けて、レベル6になる。心配するほどのことでもない。これが私にとっての最善だ。

 

「いつから行くんだ?」

 

「今から行こうかと」

 

「い、今から!?せめて明日とかに……!」

 

「いえ、時間が勿体無いので。というか本当に待ち侘びた話だったので。今直ぐにでも行きたいです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「………?皆さんどうかしましたか?」

 

「リヴェリア」

 

「分かっている」

 

「え"………むぐっ!?」

 

口元に布を押しつけられて、次の瞬間に私の意識は刈り取られた。

 

……いくら私を止めるためとは言え、薬まで用意して眠らせようとするなんて。酷い。

 



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11.変わらない○○

例えば魔法が通用しない相手が居たとしたら、どうすればいいのか。そんなのは殴って蹴って倒せばいいに決まっている。

例えば自分より早く動く敵が居たとしたら、どうすればいいのか。そんなのは殴られようが蹴られようが全力で捕まえて倒せばいい。

例えば自分の身体を一撃で破壊してくるような敵が居たとしたら、どうすればいいのか。そんなのはどうせ死なないので、常に殴り合えばいい。

 

じゃあ、その全てを持った相手が居たとしたら?

 

 

「……ウラノス様、流石にここまでとは聞いていません」

 

 

 

 

ーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!

 

「ぇごっ……!?ぉごっ!?」

 

腹部を貫いた強烈な一撃。

胃の中にあったものが全て溢れ出る。

全く目に捉えることも出来なかったその一撃が、驚異的な破壊力をもってこの身に叩き付けられる。身体は叩き付けられ、そのまま壁の内部へと埋め込まれ、直後に凄まじい速度での連撃による追い討ちが浴びせられる。

……肉体の表皮を全て抉り取られるかの如く損傷。いくらこの身は致命的な損傷を受けることはないとしても、しかし肉体の表面から数センチ程度までなら抉られる。そして傷口に対する追い討ちというのは、当然ながらあまりにも強過ぎる激痛が走る。

 

「ぁ………ぇ……………」

 

こちらが死んだと思ったのか、一瞬攻撃の手を止めた拍子に、無理矢理に前へと倒れ込む。……あまりの激痛に意識が飛びそうになる、それを無理矢理に引き止めて回復を待つ。無様なことではあるが、死んだふりをしてでも時間を稼がなければ立つこともままならない。

 

「ぉぐっ!?」

 

しかしそのモンスターはそれでも自分に追い討ちをかけ、今度はその凶悪な尾による一撃で私を叩き潰した。

全身の骨がひび割れる、内臓も当然ながらいくつか破裂する。レベル5の、それも耐久力を中心に上げて来たこの身でこれだ。ふざけている。絶対におかしい。こんなものは深層の階層主と同等だ。

 

「……………ぁぁ…………えりくさー、もってきておいて、本当に良かったです」

 

そうでなければ、本当にこのまま敵が摩耗するまで嬲り殺され続けるところだった。……というか、敵はどう見ても骨にしか見えないし、死霊系にも見える。あれは摩耗するのだろうか。正直ここまでくるとウダイオスと戦った方がよっぽど現実的であったのではないかとも思ってくるが、もう呼び出してしまったものは仕方ない。

魔法は跳ね返される、ならばもう殴り付ける以外に方法はない。手に持つのは小さなハンマー、これで叩いて叩いて叩き壊す。事前にこういう武器が効くとは聞けていたので良かったが、さて、これを倒すのに自分はあと何回死ぬ必要があるのか。あと何日かかるのだろうか。

 

「ごぼっ……………ざ、ざあ!いっばづめぇ!!!」

 

ーーーーーーーーーーーーッッ!?!?!?

 

芸の無い攻撃。再び腹部に向けて爪を立てて来たそれを僅かに身体を晒して受け止め、それでも脇腹を抉り取っていかれた感覚を感じながら、腕に向けて思い切りハンマーを振り下ろす。

 

「……?」

 

するとどうしたことか、その如何にも堅そうな身体はただの一撃目で予想より大きくヒビ割れた。そして唸るような甲高いよく分からない悲鳴を上げるそれ。……なるほど、と。ここでようやく理解に至る。

完全とも言える魔法耐性、ここで出現するにしてはあまりに異常すぎる速度と攻撃力。どうもそれは耐久力を犠牲にして成り立っているものらしい。そもそも時にはモンスターを拳と蹴りで潰している自分、腕力は耐久力ほどでなくとも十分に強化されている。こんな見た目をしてはいるが、その実ステイタスはこれでも完全にガレスさん寄りの冒険者だ。

 

「相性悪い悪いと思ってましたけど……もしかして、相性最高でした?」

 

ーーーーーッッ!!

 

「2発目ぇ!!ぐごぇっ!?」

 

ーーーッッッツツ!!!?!?!?!!!!!

 

そこからはもう、本当にただ只管に殴り合った。

より抵抗が激しくなり凄まじい速度での致命的な攻撃を浴び続けたが、右手に縛り付けたハンマーは何をされようが絶対に外れることはなく、右腕が再生する度に全力で殴り付ける。

8回くらい右腕を粉々にされたけれど、痛みに耐えながらそれを遠心力で振り回して叩き付ける。もうずっと腹の中を破裂した内臓と血液がタプタプとしていたけれど、流石にそんなことにはもう慣れているので、麻酔成分を持った薬を気休め程度に飲み込んで攻撃を受け続ける。

 

「魔石もなく、核もなく、頭を潰してもぉごっ!?……あ、あだまをづぶじでも、じなないんでずか……」

 

多分もう80回は死んでいる。

右目は破裂したし、首の左側を裂かれて血が止まらない。右足の腱を切られて立てないし、今首の骨が折れた。思考が遅れてふわふわとしている。右手が変な方向を向いている。身体を袈裟切りされたように切り付けられている。道具を入れておいたバッグはもう粉々だし、衣服なんて当然ながら既に無い。あったとしても紅いクズみたいになっていて、最早意味を成していない。……いつものことというか、なんというか。最近はこういうことをしていなかったので、今となってはむしろ懐かしいくらい。

 

「でも……気は楽な相手ですね。気付いたら殺されてるみたいな感じですし、気を抜いたらハメ殺され続けますけど」

 

少しずつではあるが、確実にダメージを与えられていることが実感出来る。少しずつではあるが、敵の底が見えてくる。こちらは時間さえあればいくらでも再生出来るが、相手は再生能力など大してもっておらず、戦闘を続けるほどに能力が下がっていく。……ああ、本当に気が楽だ。勝利が近づくにつれて、精神的に楽になる。そして余裕が出来るほど、アイズさんへの気持ちが浮かび上がる。そしてアイズさんへの気持ちを自覚出来るほどに、再生速度は速くなる。

 

「ああ、すごい、もう痛くないです。流石はアイズさん。………それじゃあ、始めましょうか」

 

ーーーーー!!!!!

 

「痛いですか?疲れましたか?でも、ここからですよ?ここが開始地点です。ここからようやく、しのぎ合うんです」

 

最後の傷口が塞がる。

折れた右腕が元に戻る。

痛みはない、苦痛はない。

ここまでやってようやく、自分と相手は、互角になった。

 

「私が先にこの恋を諦めるのか、それとも貴方が先に死ぬのか………我慢比べ、始めましょうか」

 

これしか知らない、この方法以外なんて持っていない。……けれど、明らかに格上の相手を屠るために必要なのが自分の苦痛だけなのだとしたら。それはむしろ、安いくらいだろう。自分のこの気持ちが本物であるのなら、そもそも敗北など存在しないということなのだから。そして勝利を掴めば掴むだけ、やはりこの気持ちは本物だったのだと証明し続けることが出来るのだから。

 

 

 

まあ、正直なことを言えば。

これなら3匹のミノタウロスに果てもなく嬲り殺され続けていた時の方がよっぽど苦しかった。あれは本当にいつ終わるのか分からない地獄であり、最後には3匹が飽きた隙をついて数を減らさなければどうにもならなかったからだ。それと比べれば既にこの段階で限界が見え始めている敵など、底が見え始めている敵など。

 

…………倒したところで。

 

本当に上がるのだろうか?

 

本当に偉業と認めて貰えるのだろうか?

 

死ぬことのないというスキルに対する悪い点として、どこまでが偉業と認められるのかが分からないところがある。どれだけ何をしても死なないのだから、あとは評価点として挙げられるのはその苦痛にどこまで耐えられたのか、というものくらいしかないからだ。きっと他の冒険者と同じことをしていても意味がない、それで倒しても当然だと言われてしまう。だからレベルを上げたければ、もっともっと、もっと苦しい思いをしなければならないだろう。

 

 

……致命傷になる筈の攻撃を200回近く受けた所で、そのモンスターは崩れ落ちた。地道にハンマーで破壊し続け、稀に再びハメ殺されながらも、どうしようもならず、ただ攻撃が止むのを苦痛を受け止めながら待ち続け、反撃する。その繰り返し。その繰り返しの末に、頭部も手足も破壊して、尻尾も叩き割って、最後には動けなくなった胴体も壊し尽くした。

 

……でも、それだけだ。

必死にやったけれど、全力を出したけれど、まだ半日しか経っていない。本当に身体を貫かれたかのような攻撃を、何十回も何百回も食らったけれど、結局こうして生きている。例えそれがどれだけ苦しく辛いことであったとしても、結果にそれが反映されるのか。アンフィス・バエナの時のことを考えると、これで足りているのか心配になる。これで認めて貰えるのか自信がなくなる。あの時のように10日間近くも狂いそうになりながらやらなければ、こんな卑怯なスキルを持った自分のことを神様達は認めてくれないのではないか。もっともっと、もっと苦しまなければ……この目的は、達成出来ないのではないのか。

 

「……ウダイオス、倒しに行かないと」

 

足がふらふらと歩き出す。

武器もボロボロ、防具どころか衣服も殆ど残っていない。食糧やポーションも鞄と一緒になってズタズタ。本当に身一つのまま。

けれど、どうせ一度は18階層に戻らなければならない。それならなんだって一緒だ。そこで武器を調達して、またウダイオス討伐に向かったって、それでいい。

正直勝つ方法なんて少しも考えていないし、アンデットによって永久にハメ殺され続けるという可能性も十分にある。けれど、それこそ、それを乗り越えなければ自分は認めて貰えないのではないかとも思うのだ。そんな地獄を見なければ、それを乗り越えなければ、アイズさんに見てもらうことなんて絶対に出来ないのではないかとすら思うのだ。本当にアイズさんのことを思っているのなら、何年何十年殺され続けても変わらず耐え続けられると。それくらいでなければこの願いは叶わないと。

 

「あぁ……遠いなぁ……」

 

18階層が。

夢の先が。

自分の血と吐瀉物、そして体液の上に砂や土砂が被り、本当に汚らしい姿だ。そして持っているのは鞄の中に入れておいた緊急用の頑丈な布袋と、片手に持つボロボロになったゴミ同然のハンマーだけ。よくもまあこんな姿で、こんな見窄らしい姿で美しい彼女の横に立とうなどと思うのか。仮に今の自分を過去の自分が認識すれば、むしろ彼女から引き離そうとするのではないだろうか。こんな奴を近くに居させてはいけないと。こんなやばい奴を許してはならないと。

 

「……多分、そう思われてるんだろうなぁ」

 

少なからず、薄々と誰もがそう考えているに違いない。彼女のことを大切に思う人であれば、その思いが強ければ強いほど、本音を言えばもっと普通の感性を持った格好の良い人と一緒になって欲しいはずだ。それこそベル・クラネルのように、必死で、誠実で、さっぱりとした好ましい少年のような。

それはきっと、リヴェリアさんだってそう思っている筈。彼女は優しいから見捨てられないだけで、私はそれを利用しているだけで、心の内では大切な娘のような存在である彼女にこんなイカれた人間をくっ付けたいとは思っていないだろう。けれどそれは当然のことで、卑怯なのは単純に自分だけだ。

 

「分かってる……」

 

自分が居ない方が全てが丸く収まると。

自分の存在のせいで今回のヘルメス・ファミリアとロキ・ファミリアの上層部は大いに振り回されている。それが原因となって、もしかすれば近いうちに何らかのミスが生じてしまうかもしれない。周囲に決して良い影響を与えているわけでもなく、以前とは違い何処か腫れ物扱いされていることも自覚している。

それでもと我を通したのが今回であり、どれだけ相応しくなくとも彼女の隣に立ちたいと今日ここまで這い上がって来た。自分も、他人も、全部犠牲にして。……だから、そんな愚かな自分を見て"死にたい"だなんて絶対に言わないし、そんな意地汚い自分のことなんて絶対に見ない。その過程がどれほど泥に塗れたものだとしても、最後にそれが手に入れられるのなら全部どうだっていい。下手な自尊心や羞恥など、自分にはそんなものを持っていられる余裕がないのだから。魂がどうのこうのと言われても、結局はそれを破壊する可能性すら飲み込めなければ、自分は彼に勝れないのだから。勝ることが出来るのかどうかも分からないのだから……

 

 

 

 

 

 

『…………良かったのかウラノス、ジャガーノートのことを彼に教えて』

 

「良くはない、ゼノスとの約束もある。……だが、それ以外に策がないというのも事実だ。幸いにも現在は情勢が落ち着いている。最悪の場合になったとしても対処は可能だ」

 

『オラリオにおいて何らかの神力が使われた可能性……大神である貴方すら僅かな痕跡程度しか感知出来ないとなると、確かに脅威ではあるが』

 

「神力の使用者は間違いなくあの少年のことを重視している。ノア・ユニセラフは鍵だ、そして彼の望みが潰えた時に恐らく事は起きる」

 

『……今度は彼の望みが叶う世界に強引に改変する可能性があるということか』

 

「そこまでの権能を持った相手かは分からないが、事実としてそれに近い事象は起きていた。この私すらも認識出来ないうちに。そして一度改変を許してしまえば、2度目を防ぐことは更に難しくなる」

 

『しかしまさか眷属1人の恋愛事情のためにそこまでする神が居るとは、口に出すことはないが正直色々と思うところはあるな』

 

「それほど受け入れ難いものだったということか、それとも…………ん?」

 

『どうしたウラノス』

 

「………フェルズ!今直ぐにロキ・ファミリアを37階層へ向かわせろ!」

 

『37階層?……まさか!』

 

「恐らくウダイオスだ!急げ!」

 

『やってくれたな!!どうしてそこまで必死になれる!!ジャガーノートだけで十分と言ったろうに!!』




この辺りは賛否両論あるとは思いますが、それ以外にこの状況でレベル6に上げる方法が思い付かなかったので特に気にしないでください。
いちゃいちゃ?(困惑)するのは多分もう少し先です。


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12.覚めない○

 

「………頭イカれてんのか、こいつ」

 

「こんな、ことって……」

 

「いいか、この場で見たことは他言をするな。……とは言え、話したところで誰も信じることはないだろうがな」

 

その報告を受けたのは、良くも悪くも彼とそれほど関わりのあった訳ではないガレスであった。リヴェリアとフィン、そしてロキが他の要件で出掛けている最中に、ギルドからその話は降ってきたのだ。

ガレスの判断は早く、直ぐ様に今直ぐに出られそうなベートとレフィーヤを引っ捕まえると、最低限の荷物だけを持って拠点を出た。そうして可能な限りの速度で下層まで下り、レフィーヤがヘトヘトになりながらも辿り着いた先に見たのが……あの光景である。

 

「……ジジイ。こいつ、ウダイオス殺せてたんじゃねぇのか?」

 

「さあのう……そのためにあと何度死ぬことになっていたのか」

 

「し、死ぬって……」

 

「不死身ってやつか?そもそも人間か?」

 

「スキルで不死を得ておる、ただそれだけの普通の人間のはずよ」

 

「……どっちにしろイカれてなきゃやらねぇんだよ、自殺特攻なんざ」

 

ヒビ割れたウダイオスの核、周囲の大量のスパルトイごと切り飛ばしたような極大の斬撃痕、そしてその直線上に倒れ気を失っていた彼。そしてそんな彼に追い討ちをかけるように何度も何度も攻撃を加えていたスパルトイの群勢。彼等が武器を振り下ろす度に血飛沫は舞い、彼は呻き、その身体が大きく跳ねる。口元から大量の血飛沫を上げ、悍ましい音が響き渡る。そんなことが何度も何度も何度も行われていて、それを見た瞬間に間違いなく死んでいると思ったのにも関わらず、彼はそれでも生きていて。彼の身体は本当に皮膚の大半が引き剥がされ、血に濡れていないところがないほどに酷い有様で、それで……

 

「うっ……」

 

思い出しただけでレフィーヤは吐きそうになる。あんな無茶苦茶なことをした人と、これまで自分が見てきた人物が重ならない。彼がアイズのことが好きで、そのために努力をして来た人だということは知っていた。しかしその努力の内容がこれほどまでに苛烈な物だったとは、夢にも思っていなかった。けれどあそこまでの速さでランクアップを繰り返したことに理由なんて不死くらいしかなくて、こんなにも悍ましい方法でしていたなんて、むしろ誰が予想出来るというのか。

 

「どうして……」

 

どうしてそこまで出来るのか。

壁に背を向けて意識を失ったままの彼の顔を拭き、既に治り掛けている怪我を見る。そして不意に押してしまった彼の腹部からグチャという嫌な音と呻き声が聞こえてしまって、驚き慌てて尻餅をつく。

……内臓が滅茶苦茶になっていて、それがまだ治っていないのだ。折れた肋骨とミキサーに掛けられたようにぐちゃぐちゃに混じっていて、最早人間の身体の有様ではないのだ。その事実に思い当たった瞬間に、レフィーヤは結局吐き出してしまった。申し訳ないと思いつつも、それでも。

 

「……これがあの滅茶苦茶なレベルアップの理由か」

 

「納得したか?」

 

「出来る訳ねぇだろ」

 

「当然だな、儂もそうじゃ。今こうして自分の目で見るまで、本当にただの人間がここまで阿呆なことが出来るとは思わんかった」

 

「…………この人はいつも、こんなことを?」

 

「レベル6になればこれ以上の無茶はせんと言っとったのじゃがな、まさか最後の最後にこんなことをやらかすとは。……またリヴェリアが怒る」

 

ベートは知らない、そこまでの理由を。けれどレフィーヤは知っている、そこまでしなければならない理由を。だからこそ、その恐ろしさの感じ方が違う。

 

「………そこまでしないと、いけないんですか?ただ側に居たいということは、そこまでの努力をする必要があるほど贅沢な想いなんですか?」

 

彼は応えてはくれない。

けれど少なくとも彼にとってそれはそこまでする理由のあることであり、そこまでしなければ叶えられない願いでもあったのだろう。

だって事実として、彼はその努力によってロキ・ファミリアに入ることが出来て、リヴェリアにも認められて、アイズと仲を深めることが出来ているのだから。結果がこうして出ている以上は、きっと彼のしたことは間違いではなかったのだろう。彼自身でさえもそう思っているだろうし、だからこんなことを繰り返す。

……でも、だからこそレフィーヤは認めたくないのだ。それは本当にそこまでしなければならないことなのかと。そこまで贅沢な願いなのかと。それを叶えるためには、彼以外の他の人間も同じくらい努力しなければならないのかと。自分も彼と同じだけ努力を積み重ねなければならないのかと。……けれどもし、それが本当に彼にだけ必要で、自分には必要のない努力だとしたら。世の中は不平等が過ぎるのではないかと嫌悪感すら感じてしまう、最悪な矛盾。

 

「……行くぞ、レフィーヤ」

 

「……はい」

 

レフィーヤは彼を担ごうとしたガレスに代わり、血に濡れるのも構わず彼を自分からその背に背負った。

嫉妬はある、それは今も。

けれどそれ以上に、報われて欲しいと思った。正直に言えば気味が悪いという気持ちもあったけれど、そこまでの努力をしたのだから、して来たのだから、少しでも幸せになって欲しいとも思うのだ。ある意味これも上から目線な考えであるかもしれないけど、それでも。

 

 

 

 

………彼は目を覚さない。

 

 

 

「何故だ……もう3日だぞ。何故目を覚さない」

 

「リヴェリア、落ち着くんだ」

 

「これが落ち着いてなど……!」

 

「理由は分かっているだろう」

 

「っ」

 

「アミッドが診ても異常はなかった、けれどあれ以降ロキが神ヘルメスと共に拠点を出て帰って来ていない。……理由は明白だ」

 

「身と心より先に、恩恵の昇華より先に……魂とやらに限界が生じた、ということかのぅ」

 

「ああ、それ以外に理由が考えられない」

 

今も彼は彼の部屋で静かに寝息だけを立てて眠っており、栄養の供給のために最低限の処置はされているにしても、3日前のあの日からその身に全くの変化がない。

時折そんな彼の様子を見るためにレフィーヤやアイズ、アキなんかも顔を見に行っているが、彼等の言葉にさえノアは反応を示さない。ただ静かに眠り続け、まるでそう……魂そのものが抜け出たみたいに床に臥している。

 

「なぜ、なぜあのような無茶を……」

 

「……むしろ、限界だったからこそ無茶をしたのかもしれないね」

 

「?」

 

「精神的に限界だったからこそ、追い詰められて、判断を誤ってしまったのかもしれない。……アンフィス・バエナの時に酷い地獄を見たと彼は言っていた。つまりはそれほどの地獄を見なければ、それ以上の酷い状況に陥らなければ、恩恵の昇華を満たせないと彼が思い込んでしまったのなら」

 

「追い詰められた、ということか」

 

「……………1人で、行かせるべきではなかった」

 

「ああ、その通りだった」

 

せめて近くの階層まで一緒に来ていれば、彼に無茶をさせないように強引に連れ帰る人間を1人でも用意していれば。

ここ最近の彼の様子を見て油断していた、むしろ最近が落ち着いていたからこそ注意をはらうべきだったのだ。今回の件は一時的とは言え、どうやったって落ち着く以前の彼に戻ってしまう可能性があったのだから。抑圧されていたからこそ、この機会を逃せない彼は無茶をしてしまう。今回の敵が彼にとって十分でない可能性を考えるべきだったし、十分であってもそれを彼が正しく認識出来ないところまで予想しておくべきだったのだ。……そもそも彼はもう壊れていたのだから。その価値観や認識まで壊れていることを、理解していなければいけなかった。

 

「とにかく、今の僕達に出来ることはない。君はまだしも、アイズの言葉にも反応しないとなると相当だろう」

 

「……手遅れではないと思いたいが」

 

「少なくとも今はロキに任せるしかなかろう。心配なら顔を見に行ってやれ、もちろん仕事を終わらせてからな」

 

「……言われなくともそうしている」

 

結局はフィンの言う通りで、今の自分達に出来ることなど何もない。そもそも彼のために何かを出来た試しもない。リヴェリアは部屋を出て、彼の部屋に足を運ぶ。

 

正直リヴェリアからしてみれば、色々と知った今だからこそ、彼のことがますますよく分からなくなっている。

ヘルメスとロキは言っていた、彼が何らかの神の力で時間を巻き戻って来たのだと。しかし彼からもその記憶は曖昧に消えており、エイナ曰くそれは彼にとっても酷く辛いことのように見えたと。彼が以前の時にもこのロキ・ファミリアに居たことは間違いない。それなら以前の彼の恋はどうなったのか。……そんなもの、叶っていたのならきっとこんなことにはなっていないだろう。

 

(……皮肉な話だ)

 

恋をしてしまった相手が悪かった。それがもしアイズでなければ、狂ってしまう前の彼なら、それこそ最近になって自分を取り戻し始めていた彼なら、誰にだって受け入れて貰えたはずだ。それくらいには誠実で、努力家で、可愛げのある子だ。けれどアイズ相手となると、それでも振り向いてはくれないだろう。むしろ狂ってしまった今の方が、興味を持ってくれているのかもしれない。

そして3年、つまりはあと1年もすれば、恐らくはアイズの方に運命とでも呼べるような出会いがあるのだろう。少なくともリヴェリアはそう予想している。……こうして事情を整理してみて、彼の気持ちになってみれば、なるほどそれは焦るのも無理はない。ギルドからの指示を終えた後も37階層まで赴き、ウダイオスに単独で挑みに行くような無理をしてしまっても、仕方のないことだ。

結局どれだけ彼が努力をしようとも、その運命の相手が現れた瞬間に、彼の積み重ねて来たものは一瞬にして崩れ去ることになるのだから。それまでに何かをしなければならない、それまでにせめて楔を打ち込んでおかなければならない。彼には本当に無駄に出来る時間など少したりとも存在していないのだ。それこそ本当に、彼はこの数年に長い人生の全てを賭ける勢いで望んでいる。

 

「ん?……アイズか」

 

「リヴェリア……」

 

彼の部屋の扉を開けると、そこに居たのはアイズだった。正に張本人とも言えるべき彼女であるが、しかし本人は自分がそれほど重要な立ち位置にいるなど知る由もない。彼の気持ちは知っているらしく、それについて色々と思うこともあるみたいだが、しかしそれまでだ。……別にアイズは何も悪くない。この件について悪い人間など何処にも居ないのだから。リヴェリアとしてはただ、知っている人間達が幸福を掴めるような未来になって欲しいと思うだけで。

 

「様子は……変わらないようだな」

 

「うん……ウダイオスに1人で挑みに行ったって、本当?」

 

「ああ、ガレスが救出に行ってなんとか間に合った。運が良かったな」

 

「……どうして、そんな無茶をしたんだろう」

 

「…………」

 

本当に、分からないのだろうか。

いや、分かってはいるのだろう。理解が出来ないというだけで。そこまでするという意志を、共感出来ないというだけで。

 

「リヴェリア。好きって、なに……?」

 

「……さあな、私にもまだ分からない」

 

「私のため、なんだよね……?それとも他に、ノアが無茶をする理由があるのかな」

 

「いや、お前のためだろう。言っていたからな。スキルと魔法の差を埋めるには、ステータスだけはお前より上に居なければならないと。……そういう意味では、ノア自身のためという言葉の方が正しいのか」

 

「……分からないよ」

 

「分からなくとも、向き合う必要はある。その返答をどうするにせよ、お前は答えを出さなければならない」

 

「……………」

 

「お前達の問題だ、私が口を挟むのも違うだろう。だが何をするにも自分の勝手。こうして無茶をしたのはノアの勝手であり、お前には関係のないことだ。それでも、お前がこのことに責任を感じることは間違っているが、知ってしまったからには誠実に向き合って欲しいと、私は思う」

 

「………うん」

 

古今東西、男が女のために命を懸ける話など、本当にありふれている。こうして冒険者をしていれば、否が応でもそういう話は聞くものであり、そういう光景を見てしまうことだってある。

今回もその延長線上の話だ。

違いはアイズに命の危機がある訳でもなく、彼が単に自分の思い込みで勝手に命を賭けているというところ。だから別にアイズに非はないし、そもそもアイズは被害者であるくらいだ。変に責任を感じさせられて、アイズはただ勝手に惚れられているだけ。

 

「…………目、覚まさないね」

 

「……そうだな」

 

でも、だからこそ、アイズは彼から目を離せない。自分の隣に居て、自分を守ってくれると言ってくれた、もしかすれば自分だけの英雄になってくれるかもしれない彼のことを。もしかしたら彼こそが、漸く、今になって巡り合えた。

自分だけの英雄かもしれないから。

 

 

 

 

 

あの日、私達は7人の仲間を失った。

クレア、レミリア、ロイド、カロス、リザ、アンジュ……そしてノア。

人造迷宮クノッソスへの最初の攻略、クノッソス内で分断された1団。疲労した彼等を襲った闇派閥Lv.5のヴァレッタによって襲撃された彼等は、9人中7人が死亡した。しかし全滅せずに済んだのは、アキやアイズ達がそこに辿り着くまでに死んでいてもおかしくない状態で喰らい付いていた彼が居たからだ。その意志は優位を保っていた筈のヴァレッタ本人ですら気味悪がっていたほどに異常なもので、腹を引き裂かれ、何度も何度も呪道具の武器に滅多刺しにされ、死んでいて当然な失血量でも、ヴァレッタの首元に歯を突き立て、リーネとルーニーを守り切った。

それを見た瞬間に飛び出して、何度も何度も突き刺して、左腕も斬り飛ばしたけれど、ヴァレッタはクノッソスの仕掛けを使って逃げてしまって、逃してしまって……そんなヴァレッタよりも誰よりも、彼の最期の姿は悲惨なもの。

両腕を失っていて、腹部は向こう側が見えてしまっているほどに抉られていて、首にも頭部にも刃物を突き立てられて、片目が潰れていて、脚も酷い方向に曲がっていて、その全てが呪道具によるもので……もう、人としての原型も歪にしか残っていなくて。

 

彼は私のことを好きだと言ってくれた。

最近になって、そのことを思い出す。

その意味について、考えるようになった。

 

リーネはベートさんのことが好きなんだって。

それと最近、ベートさんのことを大好きだって公言するアマゾネスの少女を見た。「また会えてすごく嬉しい」って、そう言ってた。

 

フィルヴィスさんは男神デュオニソス様のことを愛していたという。それは自分のことを受け入れてくれたから。そのために狂気に苦しみながらも主命のために動き、最後にはレフィーヤとも対立して、その命を終えた。

 

女神フレイヤは"彼"のことを手に入れるために、オラリオ全体を敵に回した。けれどそれも愛によるもので、そのためなら全てを捨ててもいいというほどの強い意志のもとで行われたものだった。

 

………考えれば考えるほど分からなくなる。

好きとはなんなのだろう。

愛とはなんなのだろう。

そのためなら、自分の全てを投げ打ってもいいと思えるほどの強い気持ちであるということは分かる。でも理解が出来ない。

 

ノアは私のことが好きだったらしい。

私はそれを家族や友人としての意味だとずっと思っていたけれど、今思えば彼はそれをずっと否定したがっていた。彼はきっと、そういう意味で私のことが好きだった。彼の色々な努力は、私から見ればあまり理解の出来ない努力は、全部私のためのものだったのだろう。

 

色々なことが落ち着いて、騒動の中で亡くなってしまった団員達の私物の整理が始まって、ようやくその悲しみに向き合う時間が生まれた。そして彼等のことを思い返す時間も出来た。

 

私はずっと、ノアの気持ちに気づけなかった。

彼の気持ちと言葉に向き合えなかった。

彼の努力の意味を理解出来なかった。むしろ容姿を整えたりしているその努力に、疑問すら抱いていた。普通に考えて、3年の間にLv.1からLv.3まで上げた彼の努力は凄まじいものであったのに。結局彼の気持ちに一切の共感も理解も示さず、考えもせず、最期の言葉すら聞くことも出来ず、2度と会えなくなってしまった。

 

『少しでも早く、アイズさんの隣に立てるようになりたいんです。アイズさんのことを、今度は僕が助けられるように』

 

まだまだ子供で自分より背丈の小さかった彼は、まるで妹のような容姿をしながらもそう笑っていた。

 

ダイダロス通りでベルに救われたヴィーヴルを見た時、そしてその昔の自分によく似たヴィーヴルがベルという英雄に助けられたと見せ付けられた時、『どうして私を助けてくれないのか』なんて、『どうして隣に居てくれないのか』なんて考えながら、彼のことを思い出した。とても理不尽なことを考えてしまった。勝手な考えで、勝手な言葉だ。ノアのことを本気で考えたこともなかった癖に、今更になって。都合の良いように。彼の想いすらも、侮辱した。

 

 

ノアの荷物はリヴェリア達が片付けた。

彼の私物は、今はその少しをアキが持っている。

それ以外の荷物は全部処理された。

彼に家族は居ない。

そして以前の主神様も、既に天界に還っている。

アキもリーネもレフィーヤも泣いていた。

リヴェリアもロキも明らかに落ち込んでいた。

 

……けれど、私だけが泣けなかった。

 

私は何をしたかったのだろう。

私は彼のことを何だと思っていたのだろう。

どうして私は泣けなかったんだろう。

 

言われたはずなのに、あの女神様に。

 

『私は天界に帰るけれど、あの子のことをお願い。きっと幸せにしてあげてね』って。

 

その言葉を守れなかったこの身に、見えない刃は今でも突き刺さったままだ。



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13.目覚めの○○

あれからまた半年が経った。

冬に入ろうとし始める時期。朝方にチラチラとした雪を見ることもあり、ちょっとした肌寒さに身を震わせるようはじめるような、そんな時期。

いつものようにダンジョンに潜り、遠征をこなし、上がらないステータスに気落ちして、何気なく手にとった物語に目を通す。繰り返される毎日に、何も変わらず、何も変われていない自分にもやもやとした気持ちを抱えながら、時々彼の部屋を訪ねては、その顔を見て、独り語る。

 

 

………彼はまだ目を覚さない。

 

 

ロキや他の神様達が来て、彼の様子を見て、なんだか難しそうな話をしているのを何度も見た。アミッドが来て、色々な薬を試して、その度に効果の出ない様子を確認して難しい顔をしている様子だって、何度も見た。

 

あれから色々な本を読んだ。

リヴェリアに言われるがまま、ティオネに勧められるがまま、ティオナにも教わって、色々な本を読んだ。でも未だに恋というのはよく分からない。彼の言葉は嬉しかったのに、彼に対して物語の人物達が語るようなそういう感情が現れることは一向にない。

 

……正直、彼との付き合いはそれほど長くはなかった。彼がファミリアに入って来て、彼が意識を持っていたのは大体半年程度。あれからまた半年が経って、意識のあった時期と無かった時期が、そろそろ同じくらいになる。

一緒にダンジョンに潜ったり、一緒に本を読んで勉強したり、買い物に行ったり。今やそんなことをしていたことすら懐かしい。何処まで行っても着いていくと、絶対に私のことを助けてくれると、そう言ってくれた彼は、本当にダンジョンの深くまで付いて来てくれたし、困っていた時には助けてくれた。だからこんなにも気にしてしまうのかもしれない。彼はやっぱり自分の英雄なのではないかと。

 

「……寝過ぎだよ」

 

返事を返さない彼に、語り掛ける。

こうなってしまった原因を、誰も教えてくれない。アミッドでさえ治せないような状況になってしまった彼、その理由を誰も自分には教えてくれない。

ロキやリヴェリア達は知っている。アミッドやここに来る神様達も知っている。レフィーヤやアキも知っているみたいだった。ベートさんも、もしかしたら何か知っているのかもしれない。……けれど、私だけがそれを知らない。私だけには、誰もそれを教えてはくれない。

 

「そろそろ起きないと、寝坊しちゃうよ?」

 

何に寝坊してしまうのかは分からないけれど。

もう半年も寝坊していると言えるけど。

そろそろ起きてくれないと、本当に彼の記憶が眠っている様子ばかりになってしまう。

 

(…………)

 

ふと、昨夜に物語の中で見た一幕を思い返す。

戦争で傷付いた勇敢な戦士。国が攻められる中、たった2人で廃城に残されたお姫様は、寝息を立てる彼の手を取って回復するのを祈るのだ。……自分は姫ではないけれど、もしかしたら。

 

「あったかい……」

 

布団の中に隠れていた彼の左手を取り出して、それを両手で握ってみる。ずっと死人のように眠っていた彼だけれど、しかし彼の手は安心してしまうくらいには熱があった。女性のような姿の彼ではあるけれど、その掌は意外と大きくて、男の人の手という感じがして、新鮮に思う。

……それともう少し意外なことは、こうして手を握っていると、もやもやとしていた自分の心にも熱が灯るということだ。それは決してドキドキや恋心みたいなものではないけれど、心が暖かく感じられる。1人ではなく、そこに誰かが居てくれるのだと。肌と肌を通して、熱と熱を交えて、実感することが出来る。

 

「君は……私の英雄に、なってくれる?」

 

本当になりたいのは、それではないかもしれないけど。彼に伝えたら、本当になってくれるかもしれないから。今の言葉は本当に、意識のあるうちには言ってはいけないことなのかもしれない。…‥なってくれると嬉しいのは、本当だが。

 

 

「?………黄色い、花弁?」

 

 

ふと、握る彼の手にそれが落ちて来たのを見る。

慌てて上を見る、しかしそこには何もない。広がるのは自分の部屋とも変わらない何の変哲もない天井だけ。けれど妙に光を帯びていて、妙な暖かさを出しているその花弁は、少しずつではあるが彼の手の中へと入り込み始めた。

 

「!」

 

奇妙な花弁が彼の中に入ろうとしている、そんな様子を見て慌ててそれを彼の手から払おうとする。しかしそれに触れた瞬間、弾き飛ばされたのは自分の手の方。ヒリヒリと痛みを訴える右手、拒絶された接触。

……なんとなくだが、分かる。この花弁はきっと悪いものではない。だが悪いものではないのに、自分のことを嫌っている。拒絶している。信用していない。相手はただの花弁なのに、不思議とそう感じる。

 

「っ」

 

そうこうしているうちに、花弁は彼の手の中へと完全に溶け込んでしまった。あまりに不思議な現象、目の前でそれを見てしまったら困惑するしかない。しかしそれが溶け込んだからといって、彼の容態に変化はない。彼の手は変わらず温かいままだし、今も少し痩せた様子で静かに寝息を立てているだけ。

 

 

「なんや今の力は!!?」

 

 

「っ!?」

 

 

バンっ!と開かれた扉に、思わず握っていた彼の手を離してしまい、ビクリと大きく身体を跳ね上げる。扉の方に居たのはロキ、彼女は大きく息を切らしてそこに立っていた。

 

「アイズおったんか!今なんか変なこと無かったか!?」

 

「え、あ……あの、花弁が……」

 

「花弁ァ!?ちょっと詳しく聞かせい!」

 

「あ、う、うん……」

 

どうやらやっぱり、普通ではないことが起きたらしい。それこそロキがここまで色々と焦るくらいには。結局そのまま色々と事情聴取を受けることになったが、それ故に彼の手を握っていたことまでは気付かれていなかったようだ。別に悪いことをしていたわけではないのだけど、なんだか少し気恥ずかしいというか、あまり知られたくなくて。ロキに聞かれたことを答えた後は、そそくさとその場を後にしてしまった。

 

 

 

 

 

朝、起きる。

ただそれだけの行為をしようとしたのに、身体が重く、全身に妙な違和感を感じる。朧げな記憶、朧げな意識。目を開けようとするだけで瞼が変に重たいし、開けたとしても映る視界はボケている。……見慣れた天井、なのだろうか。しかしそこには誰かは分からないが、1人の女性らしき人影もあって。指一本すら動かすのも億劫な身体の状況に困惑も抱えながら、朦朧とした意識で目の前の女性に声を掛ける。誰かは分からないけれど、分からなくても。こうして朝に目を覚ました時には、いつもこうして側で声をかけてくれた方が居て……

 

『cxVg#&……さ、ま……?』

 

 

 

 

「………ァ……ノア!……聞こえる!?ノア!」

 

 

「……アキ、さん……?」

 

 

「ノア……!!」

 

 

少しずつ、少しずつ回復して来た視界。徐々に焦点があって来たそこに居たのは、いつも僕の面倒を見てくれるアキさん。……なんだろう、もしかしたら風邪でも引いて倒れてしまったのだろうか。だとすれば、アキさんがこんなにも焦って僕のことを見ていても仕方がない。身体に上手く力が入らないのも、意識が朦朧としているのも、熱があるからだと考えれば当然か。

……しかしそれにしても、やはり何処かに違和感があって。例えばアキさんの様子だとか、部屋の様子だとか、そもそも他にも、色々と……

 

「少し待ってて!今ロキを呼んでくるから!……絶対に起きてるのよ!二度寝したら駄目だから!」

 

「………はい」

 

顔を少しだけ横に動かし、掠れた声で返事をする。……机の上に置いていたはずの物がない。否、それ以外の物もない。代わりに知らない物が多くある。いやそれも違う。知っている物が多くある。

 

「うっ……」

 

ズキンと痛む頭。

同時に疾る2つ目の記憶。

……そうだ、これで間違っていなかった。あるはずの物が無く、あるはずの物がある。二重になっていた記憶を、思い出し、整理し、分け並べる。

"僕"は1度失敗した、そこで1度目のものは全て潰えた。故に2度目は、理由は分からなくとも機会を得ることが出来た2度目こそは、絶対に願いを叶えるのだと努力して来たのだ。

……であるならば、2度目の"私"はどうしたんだったか。確かとにかくレベルを上げることに奮闘して、ヘルメス様に拾って貰って、それからロキ様に移籍のお願いをして、それから。

 

「ノア!!」

 

「っ」

 

バン!と開かれた扉に身体を跳ねさせる。

開かれた扉の先に居たのは、リヴェリアさんとロキ様、それとアキさんと、レフィーヤさん。それぞれが本当に走って来てくれたのだと分かる雰囲気で、困惑する。私はそんなにこの人達を心配させるようなことをしてしまったのかという申し訳なさ。それと、こんなにもたくさんの人達が心配してくれたという嬉しさ。……最後に少しだけ胸を突き刺す、けれどそこには自分の想い人は居てくれなかったという寂しさ。

 

「本当に、本当に起きたのか……!!」

 

「大丈夫なんか!?痛いとことかないんか!?ベートにアミッド呼ばせに行ったから!もう少し待ってな!?」

 

「ぇ……あ、はい……?」

 

何より、ロキ様のその様子に驚く。ロキ様がこんなにも自分のことを心配して、焦っているその様子に、驚く。……正直に言えば、初めて見たからだ。確かにアイズさんのために焦っているのは見たことはあるけれど、私自身のためにこんなにも心配してくれているところは初めて見た。

徐々に記憶が浮かび上がる。ロキ・ファミリアに来て半年くらいだったろうか。しかし僅か半年しか居ない私と、数年間もこのファミリアでお世話になっていた前の私。それでもこんな風に心配されているのは、今の私の方。だから驚く。困惑する。決して嬉しくないわけではないけれど、何かそういう出来事があって、その記憶だけが飛んでいるのではないかと、疑いたくもなってしまう。こんなことを考えてしまうのも、意識が朧げだからか。

 

「ノア、本当に大丈夫か?何処かに違和感はないか?」

 

「……声、とか。出しにくい、です……身体も、動かし、にくくて……」

 

「……それも仕方のない話だ。覚えているか?お前は、その……かなり長い間眠っていたからな」

 

「眠って……?」

 

「記憶がまだ朧げなのかしら……覚えてる?貴方、ウダイオスに1人で挑みに行ったのよ?」

 

「……………………………………………ぁ」

 

瞬間、全ての記憶が蘇った。

確かに私はあの時、あの骨のようなモンスターを倒した後、そのまま地上に戻ることもなくウダイオスに挑みに行ったのだ。あのモンスターだけではレベル6に昇華するのに不十分ではないかと思って、焦って、決断した。

その結果どうなったかと言えば、恐らく失敗した。最後に見た記憶は、ウダイオスが突然情報にない巨大な黒剣を出現させ、そのまま凄まじい衝撃と共に振り下ろされたところまで。……十中八九、私が意識を失ったのはあの瞬間だ。

つまりは私はあの後、誰かに助けられて、そのまま今日まで眠り続けていたということなのだろう。そこまでは分かった。分かったが、それにしたって……

 

「あ、あの……」

 

「レフィーヤ、さん……」

 

「本当に、大丈夫ですか……?その、半年間も眠ってたので。私すごく、心配で」

 

 

 

 

「………………………………………………半、年?」

 

 

 

 

え?

 

 

 

「……ロキ」

 

「……ノア、自分の魂がかなり悪い状態になっとったのは知っとるやんな?多分やけどその、ウダイオスとの戦闘中に、それが限界になったんや」

 

 

「……………なんで、外……雪……?」

 

 

「落ち着いてノア、貴方は半年間ずっと眠っていたの。貴方を治すために色んな神様や治療師達が………」

 

 

「次の!!……次の、遠征は……いつ、ですか!?」

 

 

「え、遠征?それはまあ、少し前に終わったばっかやし、あと2月くらい先の話になると思うけど」

 

 

「……っ!!!!!」

 

 

「ノアさん?」

 

 

………ああ。

 

 

ああ……ああ……ああ……!!!!!

 

 

あああああぁあぁぁぁぁあああ!!!!!

 

 

 

何をしているんだ私は

 

 

何をしていたんだ私は!!!!

 

 

こんな、こんなこと……!!

全部、全部順調に行っていたのに!!

あとレベルを1つ上げるだけだったのに!!

無駄に出来る時間なんて1日たりとも無かったのに!!それなのに!!

 

どうして私は!!!半年も!!!!!

 

 

「ごほっ!ごほっごほっ……!!」

 

「ノア!?」

 

「ノア!!落ち着け!!いいから一度息を整えろ!今は何も考えるな!!」

 

「半年……半年、半年半年半年半年半年半年半年半年半年半年半年半年………!!!」

 

「お、落ち着いてください!大丈夫です、大丈夫ですから……!!」

 

「私は、私は、何のために、何を、何をして、なんでこんな、時間、時間、ないのに、どうして、半年も、寝て、そんな、こと……してる場合じゃ、ないのに……!!」

 

「ノア!貴方まだ立てる身体じゃないでしょう!」

 

何のために、何のために私は今日まで頑張って来たんだ。何のために急いでここまでレベルを上げて来たんだ。何のために半年の余裕を持てるように無茶をして来たんだ。どうしてこうなる、どうしてこうなった。我儘を言ったからか?多くを求め過ぎたからか?私には不相応なことを求めたからか?だから私は罰を与えられたのか?……ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!!ふざけるな!!!まだ遠征は過ぎていない。けれどその次の遠征こそが正に最後じゃないか。アイズさんはその遠征の終わり際にベル・クラネルと出会う。つまりベル・クラネルは既に今の時点でこのオラリオの何処かに居る可能性が高い。もうそんな時期にまで時間は進んでしまっている。その間に私が出来たことはなんだ?眠っているだけ?巫山戯るな!!そんなこと認められない、そんなことあっていいわけがない!!私とベル・クラネルの間に一体どれほどの差があると思っている、今の私とアイズさんとの距離はどれくらいだ?私はベル・クラネルに対して何処までリードを取れている?全く取れていない、こんなもの彼ならば直ぐに追い抜いて引き離されてしまう。私はまだ何も出来ていない、アイズさんと何の思い出も作れていない。彼女の心を少しも掴めてなどいない。これから1ヶ月、多く見積もっても2ヶ月で、果たしてどれほど巻き返すことが出来る?どれほどの無茶を繰り返せば取り戻すことが出来る?……無理だ、そんなの絶対に無理だ。単なるレベル上げなら無茶と無謀を繰り返せば取り返すことが出来る。しかし人の心を求める場合は無理だ。こちらがどれだけ努力をしたところで、それが過剰であればむしろ相手との距離が離れてしまう。一度でも不信を得てしまったら、一度でも抵抗感を抱かれてしまったら、それで終わりなのだ。特に時間がなくて、相手がベル・クラネルとなれば余計にだ。だから最適な環境を作って、残りの1年〜半年でじっくりと関係を作っていくつもりだった。周りからの信頼を得て、アイズさんと共にいる時間を少しでも増やして、少しでも多く意識をしてもらうつもりだった。どうすればいい?どうすればいい??ここから間に合うのか?ここからどうにかなるのか?少なくとも自分の頭に解決策はない。少なくとも常識的な思考をどれだけ持って来たとしても、ベル・クラネルに半年も無駄にした自分が勝てる光景が浮かばない。元々半年をフルに使ったとしても勝算は半々だったのだ。そこまでしてもベル・クラネルに奪われてしまう可能性を捨てきれないでいたのだ。それなのに、当初の想定を、当初の計画を最も大事な部分で壊してしまった私に何が出来る?こんな愚かなミスをしてしまった私に、一体どうやってひっくり返すことが出来る?分からない、分からない分からない分からない分からない分からない!!!………私の恋は、終わったのか?私はまた、負けるのだろうか。私はまた、あんな惨めな気持ちを抱いたまま、笑い合う2人を見て……

 

 

 

「だ、大丈夫ですから!!」

 

 

 

「っ」

 

「レフィーヤ……?」

 

「大丈夫、ですから……!絶対、大丈夫ですから!」

 

「レフィーヤ、さん……」

 

あの引っ込み思案なレフィーヤさんが、私の手を握って、強い口調でそう言う。……ずっと不思議だった。今回の生においては、私はそれほどレフィーヤさんと関わりを持っていない。もちろん挨拶くらいはしたけれど、なんとなく避けられている雰囲気があったから。前の時にはアキさん達と一緒に妹みたいに扱われていただけに、少し寂しさすら感じていたけれど。それでも今の自分の状況では仕方がないと、そう考えていた。けれど目の前のレフィーヤさんは真剣で、本当に私のことを心配してくれているということが分かって、それでいて強い目もしていて。

 

「私も、応援しますから……!」

 

「……!」

 

「私も、ノアさんのこと……応援、してますから!」

 

レフィーヤさんは何かを決意したかのような顔で、そう言う。

まだそれほど多くを話していない筈の間柄なのに。まだそれほど信頼を得ることが出来ていないと思っていたのに。

 

「どう、して……」

 

故に自然と喉から溢れでた言葉は、そんな感謝でもなんでもない、単純な疑問。何も隠すことをしていない、装飾すらしていない、そのままに出て来た乾いた言葉。

 

「……頑張ってること、知っちゃいましたから」

 

「……?」

 

「ノアさんがすごく努力をして、すごく無茶をして、それで、なんだか大変な想いをしてることも。その、リヴェリア様から、無理矢理聞き出しちゃったりして……」

 

「……すまない」

 

「いえ、その……」

 

「だから、私、ノアさんのその努力が報われて欲しいなぁって。そう思ったんです」

 

「!」

 

「すごく上から目線で、失礼なこと言ってるかもしれないんですけど……それでも、やっぱりこんなに頑張った人が報われないなんて、そんなの嘘じゃないですか。私だったら絶対に真似出来ないようなことをずっと頑張ってて、全力で、必死で。それでもアイズさんのこと、ちゃんと大切に思ってて」

 

まるで私のことをよく知っているかのように、レフィーヤさんはそう話す。私なんかのことを知るために、レフィーヤさんはリヴェリアさんから無理矢理聞き出すなんて強硬手段まで使ったらしい。少し前までは想像すら出来ないようなことだ。それこそ前の時にだってそんなことは……

 

「貴方なら……貴方なら、アイズさんの隣に居てもいいかなって。そう思ったんです」

 

「……どうして、そこまで」

 

「……………むしろ、私の方が不思議なくらいです。あんなにも毎日のようにダンジョンに潜っていて、心配になるくらい必死に知識を詰め込んで、それなのに私生活もちゃんとしていて。そんな努力してる姿を見てしまったら。そんなに誠実に頑張ってる人を見てしまったら。応援くらい、したくなるに決まってるじゃないですか」

 

「っ」

 

呼吸が止まる。

けれど、焦りも消える。

消えるというより、塗り潰される。

 

「……ノア、何も努力は結果が全てではない。その過程にすらも、意味はある」

 

「意味……」

 

「懸命な努力は、それを見ている者達にも影響を与える。お前の必死な姿を見ていたからこそ、レフィーヤのように心を動かされる者だって出て来る。それは私や、ロキでさえもそうだ」

 

「でも……私、もう時間が……」

 

「アイズも、偶にここに様子見に来とったで」

 

「!!」

 

「それこそ1日1回くらいは見に来とった。なんや落ち込んだ日は、眠っとるノアに話しとったで。……アイズやって、ちゃんと努力は見とったんや」

 

「アイズ、さんが……」

 

「……一応言っておくが、アイズは今はダンジョンに行っているだけだ。いつものことだな。だからその、なんだ、変に勘違いはするなよ」

 

努力は、結果だけが重要なのではない。

その過程でさえも、それが懸命なものならば、他者は見て認めてくれる。リヴェリアさんはそう言ってくれた。そしてそれに頷き、レフィーヤさんも認めてくれた。……アイズさんだって。見てくれていたと。毎日のように顔を見に来てくれていて、それで。

 

「とにかく、な。一旦落ち着き。混乱するのもしゃあないけど、考え過ぎても何にもならんことやから。ちょっとくらい現実逃避するのも、生きていく上では大切や」

 

「……………はい」

 

「アイズが帰ってくるまでまだ少しある。アミッドが来たら診てもらう必要はあるが、それまでは少し頭を冷やすといい。……レフィーヤ、悪いがノアと居てやってくれ。私達は少し話すことがある」

 

「わ、分かりました!」

 

「アキ、悪いがアミッドが来たら対応を頼む。恐らく問題はないと思うが、何かあれば報告してくれ」

 

「分かりました」

 

……頭を回せば回すほどに、嫌な方向へと思考は進んでいく。けれどそう思考の海に沈もうとした瞬間に、レフィーヤさんがぐっと身を乗り出して、真剣な表情で顔を覗き込んで来る。

もしこれが1人であれば、そのまま思考の海に沈んでまた混乱してしまっていたかもしれない。けれどレフィーヤさんがここに居て、私にそれを許してはくれない。3人が部屋を出て行った後も、私はジッとレフィーヤさんに見つめられていた。それこそ私がまだあまり会話が出来なくとも、気にせず、静かに。私の左手を握りながら。



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14.○○の変化

「はい、アウト〜」

 

「……なんだロキ、部屋に戻って来た途端に」

 

「神力使われたの確定や〜、つまり何処かに神力自由に使える状態の神が居る〜、大大大大大問題や〜」

 

「……バレたのか?」

 

「花弁一枚程度やけど、気付いた奴は気付くやろうなぁ。少なくとも確実にウラノスは気付いたやろ、マジで最悪や〜」

 

ノアのことをレフィーヤとアキに任せ、ロキはその確信を得た事実について酷く絶望する。そんな彼女の珍しい様子を見て、リヴェリアはなんとも言えない表情をしていた。

‥‥一応、事前には聞いていた。もしかすれば近いうちにノアが目を覚ますかもしれないと。それはロキが感知した、ノアの部屋で感じた僅かな神力の気配。アイズ曰く花弁一枚程度の神力ではあるものの、しかしその証言一つで多くのことが確定した。

 

「ノアは治ったのか?」

 

「いいや、単なる応急処置程度や。割れたガラス玉に接着剤を塗り込んで元の形にくっ付けた、って感じやな。根本的な治療にはならん」

 

「……ということは」

 

「次に割れたらほんまに終わり。どころか、もう今の時点で輪廻の輪に還れんのは確定しとる。……死んだら消滅や、これだけは覆せん」

 

「………………そうか」

 

正直、こうして生きている身では死んだ後のことなど全くと言っていいほどに分からない。しかしロキがこれほどに険しい顔をするのだから、それは本当に受け入れることが困難なことなのだろう。

……実際、これは次の生まで見据えて行動している神々からすれば、輪廻の輪に帰れない完全消滅というのは、何より恐ろしいことだ。神々ですら生まれ変わる。数千年という長い時は掛かるが、それでもその先に生まれ変わった誰かと再会することが出来る。愛し合った者達が、次の生でまた出会うことが出来る。今生がどれだけ救われなくとも、次の機会がある。

けれど、魂が砕かれるというのは、未来永劫に渡ってその機会が失われるということだ。何度生まれ変わっても、砕かれた人間とは出会うことは出来ない。やり直す機会が得られない。これから数千年も繰り返せば一度くらい報われることがあるかもしれない。……けれどノアからは、既にその可能性が失われたのだ。ただ一度やり直すためだけに、これから先の全てを犠牲にした。神であるロキからすれば、それはあまりにも釣り合っていない交換にしか見えない。

 

「一先ず、これからどうする?何かしら先手を打つか?」

 

「先手を打つにも、打ちようがないわ。精々出来ることなんかウラノスと話して来るくらいやろ。……ヘルメスも未だに花に関する痕跡を見つけられとらん。オラリオの何処にもそれらしき花畑はない。相手の居場所も分からんなら、どうしようもないわ」

 

「だが、そうもいくまい」

 

「せやな。神力を自由に使える奴が居る、これは本気で対処せんとマズい。ルールの範囲内で神が好き勝手やるならまだしも、それを破っとるのは完全にウチ等で対応せなあかん案件や。子供達には関係ない」

 

「……分かった、そちらは神々に任せよう。私はとりあえずノアとアイズの様子を見ている、あの様子では本当に時間がないようだからな」

 

「ああ、確かに……あの反応はなぁ。予想はしとったけど、予想以上やったわ」

 

「アイズの運命の相手、か。こういう状況でなければ素直に喜べた話なのだが……いや、こういう言い方では、まるでノアを邪魔に思っているようで良くないな。……だが」

 

「酷い話や」

 

「……そうだな」

 

そういうものだと分かっていても、他人が首を突っ込むような話ではないとしても、知ってしまっているだけに、見て来てしまったからこそ、その運命の相手を受け入れることに抵抗が出てしまう。

どれだけ努力しても、どれだけ想い続けても、ただ1つの出会いでひっくり返るのが恋愛だ。だからこそ面白くもあり、苦しくもあり、憧れる。物語になる。神々でさえも、その魅力からは逃れられない。失敗があるからこそ、成功に価値が生まれるのだ。……分かってはいる、そんなことは分かっているけれども。

 

「……ロキ。もしノアの気持ちが実らなかったら、どうする?」

 

「どうするも何も、もうどうしようもあらへんやろ」

 

「…………」

 

「失敗した時点で終わりや、ノアは完全に壊れる。そのノアを見て、黒幕さんがどうするかによるけど。……最悪、神力が飛び交う大戦争や」

 

「……話の規模が大き過ぎるな」

 

「ま、敵さんもそこまでアホやないやろ。せやけど、どっちにしてもあんな応急処置は一回が限度や。魂の完全修復なんか、特定の権能持っとらんと絶対出来ん」

 

「そうか。………そうか」

 

「それにもしかしたら……この対応の遅さを見るに、敵さんも限界が近いんかもしれんな。意外とこのまま何事もなく終わるかもしれん」

 

どちらにしても、ノアはもう助からない。

もう生まれ変わることも出来ない。

最後のこの機会を、成功で終わらせるか、失敗で終わらせるか。残っている選択肢は、その2つしか存在しない。

 

 

 

 

 

アイズが帰って来たのは、それこそ日が沈み始め、空が赤灼けに染まり始めた頃だった。いつものようにダンジョンに潜っていたのはいいが、なんとなく今日ばかりは上手く熱中出来てしまって、気付いたらこんな時間になっていたというところ。

そんな彼女がその報せを聞くことが出来たのは、それこそファミリアの本拠地に帰って来てからである。玄関口に居た団員がアイズを見つけると慌てて駆け寄って来て、ノアが意識を取り戻したということを聞いた。どうにも彼は昼頃には意識を取り戻していたらしく、その時間は正しく彼女がダンジョンから帰ろうかこのまま続けようか迷っていた時間であった。あまりにも間が悪い。本当に噛み合わない。

アイズは急いで階段を駆け上がる。荷物を置くこともせず、汚れを落とすことも後にして、何より先に彼の部屋へと走り向かう。あれだけ彼の顔を見に来ていたというのに、どうしてこういう時に自分は彼の側に居られなかったのかと。そんなことを考えながら、扉を開けた。

 

「ノア……!」

 

「!!………アイズさん」

 

ノアは起きていた。本当に、起きていた。

久しぶりに見た彼の目を開けた姿、久しぶりに聞いた彼のその声。そして表情。ベッドの上で上半身を起こし、少しもたれ掛かるようにしながら、少し色の悪い顔でこちらを驚いたように見ている。

 

「良かった………っ」

 

湧き上がる安堵の感情、胸から吐き出される深い息。脱力し、緊張が解け、駆け寄ろうとする。

 

……しかし、そんな安堵も一瞬。

アイズの足は止まり、思考は止まり、目線も止まる。

 

「?」

 

ノアが不思議そうに、心配そうに首を傾げる。

しかしアイズはそれどころではない。今のアイズはそれどころではない。アイズが見つめているのは彼ではなく、彼の顔ではなく、彼の手の方だ。彼の右手、よく知る右手。

 

それが、握られている。

 

レフィーヤによって、握られている。

 

アイズがそうしていたように、そうし始めていたように、両手で優しく、包み込むようにして、握られている。

……それこそまるで、あの物語のお姫様のように。

 

「…………………………………………ずるい」

 

「「え?」」

 

そこは、そこは自分の席だったはずなのに(そんなことはない)。そこに座って彼の手を握っていたのは、自分だけの特権だったはずなのに(そんなことはない)。

アイズは何とも言えないモヤモヤを胸の内に感じる。これがどういう感情なのかは自分でもよく分からない。ただ少しずつ左の頬が膨れ上がり、額に皺が寄っていくのが分かる。

 

「あの、アイズさん……?」

 

レフィーヤも心配そうにアイズのことを覗き込む。けれどアイズの目が自分の両手に留まっていることにまでは気付かない。

 

自分が居ない間に、彼は目を覚ました。

レフィーヤが今は、その彼の手を握っている。

自分はその間ダンジョンに行っていた。

立ち会えなかった。関われなかった。

……レフィーヤが手を握っている時に、彼は回復した?自分の時には目を覚さなかったのに?自分では回復しなかったのに?レフィーヤがこうして手を握ったら、目を覚ましたということなのか?

 

……つまり。

彼のお姫様は、自分ではなくレフィーヤだった?

 

「むぅぅぅううう…………」

 

「え、あの……え?」

 

「ア、アイズさん?なにをその、そんな、怒って……?」

 

「怒ってない」

 

「いや、でも……怒ってますよね?」

 

「怒ってないもん」

 

「お、怒ってるじゃないですか……」

 

「怒ってない!」

 

「「…………怒ってる」」

 

ずるい、ずるいずるいずるいずるいずるい。

そんなのずるい。

自分の時には何度呼びかけても答えてくれなかったのに。好きって言って、側に居るって言ってくれたのに。……その人は、私の英雄なのに。

 

「ノア」

 

「は、はい!?……あ、あの、アイズさん?か、顔が……近……」

 

「ノアは、わたしのこと……好き?」

 

「「えぇ!?」」

 

「………なんでレフィーヤも驚くの」

 

「い、いえ!それはその!……ま、まさか目の前でそんな会話をされるとは思ってなくて」

 

「むぅ」

 

「だ、だからどうしてわたし睨まれてるんですかぁ!?」

 

レフィーヤとは反対側から、アイズはノアに迫る。怒った顔のまま。そしてどうしてレフィーヤが睨まれたままかと言われれば、それはレフィーヤが未だに彼の手を握ったままで居るからに他ならない。

しかしレフィーヤからしてみれば、彼が起きた直後のあの様子を見ているのだ。夕方まで彼を落ち着かせるために色々と話し、安心させるためにずっとこうして彼の手を握っていた。それが今更悪いことだとは思ってもいなかったし、むしろそうしている時間が長かったので、特に意識もしていなかっただけである。あと彼女はそこまで思い至れるほど恋愛の知識などない。

 

「ノア」

 

「は、はい……」

 

「わたしのこと、好き……?」

 

「………………………………す、すき……です……」

 

「なんで躊躇うの」

 

「は、恥ずかしいからですよ!?でも好きなのは本当です!!」

 

「…………そう」

 

「………え、それだけですか?」

 

「うん」

 

「「えぇ……」」

 

レフィーヤもノアも混乱するばかりである。

これがもしもう少し恋愛の機微に聡い人間がここに居れば何かしら分かったかもしれないが、非常に残念なことに。ここに居るのは恋愛経験ゼロのお子ちゃまばかり。

アイズの奇行にノアもレフィーヤも困惑し、アイズは額の皺を和らげてレフィーヤの反対側に椅子を持って来て、そこに座る。そちら側のノアの手に自分の手を重ねて、相変わらず左の頬だけを少しだけ膨らませて。

 

「あ、あの……心配をおかけしてしまって」

 

「ううん、偶に見に来てただけだから」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「……偶にじゃない、毎日見に来てた。……最近は」

 

「!そ、そうだったんですね」

 

「うん、話してた」

 

「ご、ごめんなさい。返事出来なくて……」

 

「手も握ってた」

 

「そ、そうなんですか!?」

 

「嬉しい?」

 

「す、すごく嬉しいです!!」

 

「そう……」

 

 

「……………」

 

ここまで来ると、なんとなくレフィーヤも空気が読めて来る。

なんというか、こうやって質問をして、自分はこんなことをやっていたんだぞと言って、その想定していた通りの返答に満足しているというか。最初の頃は毎日来ていなかったことを思い出して、でもそれを少し後ろめたく思っていて、小声で付け足すところとか。正直すごく子供っぽい。

これは恋とかではないんだろうなぁと思いつつも、しかしアイズはアイズで彼に対して何らかの執着を持っているということか。つまりはアイズはこうして隣で手を握って仲良くしていた自分を見て、彼を取られてしまったのではないかと思ったのかもしれない。勿論それも恋愛的なところまでは至っておらず、自分の物を誰かに取られた子供のように。

 

(これ、どうなんだろう……)

 

アイズの彼に対しての執着が生まれたのを喜ぶべきなのか、それとも何だか変な方向に向かっていることを心配すべきなのか。しかしどちらにしてもレフィーヤのすることは変わらない。この空間に取り敢えず自分は不要だ。

 

「えっと、それでは後はアイズさんにお任せしますね。ノアさんが何処かに行ってしまわないように、しっかりと見張っておいて下さいね」

 

「うん、任せて」

 

「………レフィーヤさん」

 

「はい?」

 

「その、ありがとうございました。レフィーヤさんのおかげで私、なんとか頑張れそうです」

 

「!……いえ、また何かあれば相談くらい乗りますから。無茶だけはしないでくださいね」

 

彼の手をゆっくりと離し、レフィーヤはニコリと笑いかける。

……本当に、運の悪い人だなぁと思ってしまう。恋をした相手がアイズさんでさえなければ、きっとその想いはそれほどの苦労もなく叶っていただろうに。けれど、そういうことが上手くいかないからこその恋愛とでもいうべきなのか。ままならないものだ。

 

「……他の人に変えたりとか、考えたりしないのかな」

 

部屋を出て廊下を歩きながら、考える。そんなことを容易く言えるのは、自分が単に恋愛をしたことがないからなのか。けれどやっぱり、1人の女性のためにこんな滅茶苦茶な無茶をして。レフィーヤには理解の及ばない気持ちであるし、そこまで思われているアイズのことが素直に羨ましくも思ってしまった。

 



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15.分からない○○○

あれから、私は少しずつ身体の調子を取り戻す努力をし始めた。

……レベルは上がっていた。幸いにも。

けれどそれ以上に大切な時間を失ってしまって、私はようやく決意をすることが出来た。それはつまり、今まで使って来たこのズルを止める決断だ。限定的な不死を利用した物事の解決、これを止めることにしたのだ。というより、止める以外の選択肢が他にないというべきか。

 

『もし次に魂にダメージが入ったら、その時はほんまに終わりやと思っとき』

 

ロキ様にそう言われた言葉を、胸に強く刻み込む。

私は別に死にたい訳じゃない。むしろ死んでしまったら、それこそ目的を果たすことが出来なくなってしまう。これまでの全ての無茶は自分が死なないという前提のものであり、その手段が実質的に使えなくなってしまったというのなら、他の方法を模索するしかない。

否が応でも、これから先もダンジョンに潜っていかなければならない。アイズさんの隣に立つとはそういうことだ。故に改めなければならない。何もかもを。それこそ、これから先も彼女の隣に立ちたいのなら。

 

「ふぅ……ごめんなさいアイズさん、私の身体の慣らしになんか付き合って貰っちゃって」

 

「ううん、気にしないで。……次の遠征、行きたいんだよね」

 

「はい、絶対に行きたいです」

 

「それなら、頑張らないと」

 

「ええ、ありがとうございます」

 

半年も眠っていて色々と劣化してしまっている自分を、アイズさんに見て貰いながら少しずつ矯正していく。恩恵のおかげで肉体の劣化はそれほど酷いわけではなかったのが幸いだが、それでも1ヶ月後の遠征までに万全の状態にしておくには、少しの手抜きもしていられない。

……それに、こうしてアイズさんと一緒に居る時間が増えたのは素直に嬉しいことだ。この機会だって無駄には出来ない。アイズさんの優しさを利用しているみたいで少し罪悪感も感じてしまうけれど、しかし今の自分にそんな余裕がないことも分かっている。成就させたいのなら、これを利用しないでどうするというのか。

 

遠征まであと1ヶ月、アイズさんとベル・クラネルはその遠征の終わり際に出会っていたはず。……正直、以前の時の記憶が徐々に薄れていて、今回の気絶を機に更に記憶の穴が増えている。故にどんなきっかけで2人が出会うことになったのかが、かなり朧げなものになってしまっている。確か帰り際の何らかのトラブルが原因だった筈だが、具体的にそれが何だったのかまでは思い出せない。

しかしそれ故に、次の遠征に参加しないなんてことは絶対にあり得ない。そこさえ止めることが出来れば、少しは時間稼ぎが出来るかもしれないから。可能性は少ないけれど、もしかしたら2人の関係を食い止めることが出来るかもしれないから。単なる荷物持ちであったとしても、一先ずは着いて行かなければ。そこだけ絶対に譲れない。

 

「……少し、休憩しよう?ノアはあんまり休憩しないから、危ないよ」

 

「!……そう、ですかね。分かりました、それではお言葉に甘えて」

 

アイズさんに促されるままに、彼女の隣に座る。よくよく考えてみれば、ダンジョン内でこうして普通に休憩するのも、それまではアイズさんと潜っている時くらいにしかなかったことだ。

だって別に休憩なんかしなくても傷は元に戻るし、疲れは気絶しているうちに治っていたから。だからこういう習慣も、これからはちゃんと付けていかなければならない。しっかりと最善の状態で、いつでも戦闘に臨める様にしていかなければならない。そうでなければ死んでしまう。

…‥こんな風に、普通の人間なら当然のことでさえ、今の私には欠落しているのだ。それは普通の人から見たら、明らかに気持ちの悪い要素になる。これも少しずつでも治していく必要がある、アイズさんに気味悪がられないように。

 

「ノアは、辛くない?」

 

「え?……怪我のことなら、もう大丈夫ですよ?」

 

「ううん、そうじゃなくて……」

 

「?」

 

「戦ってると、偶に……すごく、辛そうな顔をするから」

 

「……そんな顔、してましたか?」

 

「うん。だから心配」

 

「大丈夫ですよ。むしろアイズさんにこんな風に付き合って貰っちゃって、私は幸せなくらいです」

 

「……そっか」

 

「むしろ一人で潜っていた時よりも、ずっと楽で、ずっと楽しくて。ここまで努力をしてきて良かったなって、本当にそう思うんです」

 

「…………うん」

 

戦うことは好きじゃない。

それはまあ確かに前提としてある。

最初に恩恵を貰ったのは生きていくため。最初に冒険者になろうとしたのは主神様のため。そしてここまで来たのはアイズさんの隣に立つため。

私のこれまでの過程の中には、モンスターに対する憎悪や、戦いの中で得られるという楽しみなんかは一切なくて。私にとって戦いというのは、目的ではなく手段だ。だから別に楽しくもないし、もしアイズさんという目標がなかったら、他の方法でお金を稼いでいたかもしれない。

けれど憧れて、こうなってしまったのだから、頑張って、努力して、自分の多くを捨ててまで得た現在に、満足するしかない。ここからどうにかしてベル・クラネルよりも強くアイズさんの心に残る方法を考える以外に、道など何処にも残されていない。そのためなら好きでもない戦闘だって、これまでと変わらずやり続ける。辛くとも苦しくとも、それを手段として使い続ける。

 

「アイズさんは最近どうですか?私が眠っている間もかなりダンジョンに潜っていたそうですが」

 

「……あんまり、伸びなくて。そろそろやっぱり、レベル上げないと」

 

「そうですか……」

 

「でも、もうレベル5になってかなり経つから。仕方ないのかも……」

 

「確か、もう3年でしたか。時期的には丁度ですね」

 

「もし、次の遠征でも伸びなかったら……やっぱり」

 

 

「……………どうしましょう」

 

 

「え?」

 

……これは少し、困ってしまう。

いや、こうなるのも当然なのだけれど。

しかしまさか、こんな欠点があったとは思わなかった。それこそ正に今この瞬間まで、こうなることを予想すらしていなかった。言う側から言われる側になっていて、つまりは自分にはそれを言う資格もなくなっていたなんて。

 

「いえ、その、『あまり無茶をしないでくださいね』って言おうとしたんですけど。……これ絶対私が言えることじゃないなぁ、と思ってしまいまして」

 

「……ふふ。うん、ノアが1番無茶してるから」

 

「我儘ですよね。私は無茶をしてるのに、アイズさんには無茶をして欲しくないだなんて」

 

「そうだね、我儘だと思う」

 

「……でもやっぱり、私はアイズさんのことが大切なので」

 

「………!」

 

「あんまり無茶して欲しくないなぁって、言っちゃいます」

 

まあそうは言っても、アイズさんは直ぐにLv.6になってしまうのだけれど。だからきっと直ぐに、私のことなんて追い抜いてしまうのだけれど。

 

……分かっているとも、どうしようもないこともあると。

 

例えばもう私は、アイズさんの横に一生立ち続けることなんて、口では言えても、やる気はあっても、現実的には絶対に出来ない。

どれだけ努力をしても、それは所詮これまでの方法が使えない中での凡人の努力だ。スタートラインが同じでも、才能のない私ではアイズさんには絶対に追い付けない。

それに激しい戦闘の中にも、私は迂闊に入ることは出来ないだろう。下手に攻撃を受けて魂が砕けてしまえば、その時点で私という存在は今度こそ終わる。私はもう不死ではなく、状況によってはむしろ他人より脆い。

 

……アイズさんの隣に一生立ち続け、彼女を助け続けるだなんて。それを売りにして彼女に売り込んでいたけれど、それは嘘になってしまう可能性の方が高いのだ。

これから遠征でもなんでも、きっと私は最前線に送られることはない。ロキ様は既にフィンさんやリヴェリアさんにそう伝えているだろう。

……こんな身体に、いや、こんな魂になってしまったが故に。だが、それでも私は。

 

 

「……私も、ノアに無茶して欲しくない」

 

「!」

 

「ノアも、あんまり無茶しないで」

 

「……アイズさん」

 

 

その表情に、心を打たれる。

 

 

「私も、私が言えることじゃないけど……今回起きれたのも多分、奇跡みたいなものなんだよね」

 

「……………」

 

「駄目だよ、そんなの……ノアは私のこと助けてくれるって、言った」

 

「……はい」

 

「隣に居てくれるって、言った」

 

「…………はい」

 

「だからもう、あんなことしないで。お願い」

 

「………………はい」

 

 

ぎゅっと手を握られる。

彼女はまた以前のように、私の手を両手で優しく包み込む。そして目を合わせて、訴えかける。諭すように、言い聞かせるように。

だから私はそれに対し、ただ頷くことしか出来ない。ただ申し訳なく、こんな自分のエゴに巻き込んでしまっている彼女に罪悪感を得てしまって、力を失う。

 

……アイズさんはあの日から、私が目覚めたあの日から、定期的にこうして私の手を握ってくるようになった。こうして手を握って、目を合わせて、言葉をかける。そうされると私は途端に何も言えなくなって、アイズさんの言うことにただ頷くことしか出来なくなってしまう。

 

「ノア」

 

「はい……」

 

「ノアはまだ私のこと、好き……?」

 

「……はい、大好きです」

 

「そっか……」

 

アイズさんは狡い。

私にはこうして言わせる癖に、いつもその返答をくれない。私はこんなに好きなのに、アイズさんはどう思っているのかを教えてはくれない。

だから分からないのだ。

何をどうすればいいのか、どうすればアイズさんに好きと言ってもらえるようになるのか。……恋愛の駆け引きなんて知らないし、それだけは勉強する機会もなかったから。本当はそれだってしてから今日に至るつもりだったのに。

本当に、この半年間の空白というのは、重過ぎる。

 

 

 

 

「……リヴェリア様。もしかしてアイズさんって、意外と悪女なのではないでしょうか」

 

「……お前もそう思うか?レフィーヤ」

 

「いえあの、私もそこまで恋愛に詳しい訳ではないんですけど……あれは流石にノアさんがちょっと可哀想というか」

 

「なんと言うか、そんな育て方をしたつもりは無かったのだがな……自分の気持ちが分からないだけならまだしも、独占欲で相手の気持ちだけを引き出し続けるというのは流石にな……」

 

「この前、ノアさんが逆にアイズさんの気持ちを聞き出してるところを見てしまったんですけど」

 

「それは勇気を出したな……」

 

「『……よく、分かんない』って言ってました」

 

「………」

 

「………」

 

「もうなんか最近、ノアの方によっぽど感情移入してしまっている自分が居る。もちろん、アイズが何も悪くないのは知っているのだが……」

 

「私は恋愛の難しさを痛感させられています……なんかこう、もっと簡単なものかと思っていました。お互いに好き合って、気持ちを伝え合って、寄り添っていく〜みたいな」

 

「もちろん、時には相手を妥協して選ぶということもあるのだろうがな。流石にお前達の年頃でそういう選択をするのも良くないだろうし、それはそれでノアは傷付くだろう……」

 

「……アイズさんに振られたら他の女性のことも見るようになったりとか、しませんかね。ノアさん」

 

「無いな、あれは振られたら心が壊れるような状況だ。というか壊れる以前に自殺しかねん。……人目につかない場所で、一人で」

 

「そんな猫みたいな……アイズさんお願いします、なんとかノアさんに恋心を持ってあげて下さい」

 

「恐らくこれは、そう願うものでもないのだろうが……こうまで難しいのか。あれを見ていると自分の伴侶など永久に見つけられる気がしないぞ、私は」

 

「同感です……」

 



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16.○○の限界

「あの……リヴェリアさん、アキさん。助けてください……」

 

「「!?」」

 

それは遠征まであと1週間程度まで迫った頃のことだった。

アキとリヴェリアが主に2軍メンバーを中心とした遠征中の動きについて相談しているところに、彼はやって来た。……泣きながら。

 

「ど、どうしたのノア!?何かあったの!?」

 

「な、なんだ!?アイズがまた何かしたのか!?」

 

ぶっちゃけ他人の世話などしたこともないレフィーヤとアイズに代わり、起きたばかりの頃のノアの世話はアキがしていた。故に本当に最近は姉妹のように接しているアキ。

そしてもう自分の娘のあまりの恋愛下手に逆に申し訳なくすら思い始め、それまでのこともあって変に世話を焼いてしまっているリヴェリア。

そんな彼等にノアが素直に助けを求めに来たのは至極当然の話であり、しかし何より彼が泣きながらここに来たということに、2人は酷く驚いて対応する。当日の遠征の話など放り出す。これはそれくらいに大切な事案だった。

 

「ア、アイズさんが……アイズさんが……」

 

「な、なんだ!?今度は何をやらかした!?」

 

「アイズさんが突然部屋にやって来て、『自分の好きなところを教えて欲しい』って言って来て……」

 

「「あっ……」」

 

「一つ一つ細かく聞き取られて、同じことを3回くらい言わされて、それを全部メモまでされて……」

 

「「うわ……」」

 

「最後は何も言わずに、何も教えてくれずに、何処かへ行ってしまって……私もう、もう……どうすればいいのか……」

 

「ひ、酷過ぎる……」

 

「ほ、ほら泣くな。大丈夫だ、お前が頑張っていることは私達もよく分かっている」

 

「うぅ……」

 

酷い、あまりにも酷い。

泣き崩れてしまった彼の背中を摩り、2人は近くのソファに座らせる。アキはその涙を拭ってやり、リヴェリアは彼のために温かい飲み物を淹れてやる。

 

……あれほどの痛みに耐えてここまで努力して来た彼が、こうまで途方に暮れている。そして素直に助けまで求めて来た。それはつまり、もう本当にどうしたらいいのか分からないということだろう。

しかし2人はこれまでの経緯を見てきた。ぶっちゃけ良く今日まで頑張ったと思っているくらい。それくらいには本当に、彼は耐えていた。

 

「恋愛を知りたいって……知るために、私のために頑張ってくれてるって……分かるんですけど……分かってるんですけど……」

 

「あ、ああ。お前はよく耐えているよ。……だからその、もう少し断ってもいいんだぞ?」

 

「いえ、あの、リヴェリア様?流石にノアの立場的にアイズの頼みを断るのは難しいと思います。アイズはあくまで恋を知るためにやっていることなので……」

 

「くっ、あのバカ娘……だからと言って本人に聞くやつがあるか。それに聞いたのなら感想の一言でも残せ。というか普通そこまで来たら少しの情くらい湧かないのか」

 

「い、色々……色々頑張って、考えて、試してみたんですけど……なんか、全部駄目で……もう何をしたら良いのか、分からなくて……何が正解なのかも、分からなくて……」

 

「分かった、うん、分かったから。一旦落ち着きましょう?今は考え過ぎて混乱してるだけよ。私達も一緒に考えてあげるから、ね?」

 

「あ、ありがとうございますぅぅ……」

 

最早不憫で仕方がない。

あの日からノアは、こうしてずっとアイズによって色々なことを根掘り葉掘り聞かれている。

それはアイズが恋について知るためにやっていることであり、そこには確かにノアの気持ちに対して向き合おうとする気持ちがあるのだろう。それはとてもいいことだ。ノアとてそこは素直に嬉しいだろう。

 

……だが普通、それを本人に聞くか?

 

せめて同じように恋をしているティオネなんかに聞くのが普通のことのように思うが、何をトチ狂ったのかアイズはそれを本人のノアに聞いている。聞きまくっている。聞き尽くしている。

そして当人のノアは、自分のために努力しているアイズの頼みを断ることなど出来ず、むしろ向き合ってくれるからこそ断ったりなど出来る筈もなく。羞恥を抱えながら、自分の秘めていた想いを、まさにその本人に、まるでひっくり返されるように踏み荒らされながらも、ずっとずっと誠実に答えていた。

 

……その結果、未だ何の成果も得られていない。

 

ノアにとってはこれが一番苦しい。

 

2人の間には未だ進展らしきものは一向になく、ただただノアの心が削られていくばかり。

自分でもデートに誘ってみたりなどと色々してみたが、それこそ女装が悪いのかと髪を縛って男性っぽい服装をしてみたりしたのだが、これが本当に何の効果も成していない。アイズは未だに恋について理解をしていないし、そう言った気持ちが芽生えたような様子すら見せていない。むしろ時間が経つほどに分からなくなっているらしく、そういう意味ではここまでやったのに進展はマイナスとすら言っていいだろう。

 

そうして遠征まで残り1週間。

つまりはベル・クラネルとアイズが出会うまでのタイムリミットは2週間。もう時間がないどころの話ではない。

ここに来てようやくノアの心は折れたのだ。

それこそ、これまではフェアではないからとアイズの保護者であるリヴェリアに対しては恋愛についての相談は極力しないようにと意識して来たが、それすら破ってこうして泣き付いた。それくらいにノアにはもう後がない。

 

「リヴェリア様、流石にこれは……」

 

「ああ、流石にな……」

 

「うっ、うっ……」

 

……とは言え、リヴェリア達だって、何をどうしたらいいのか実際のところは全く分からない。正直に言えば、ここまで難航することになるとは思いもしていなかった。

もちろんあのアイズに恋愛を、といった時点で嫌な予感はしていたが、ここまで困難な道のりとは予測していなかった。それは彼等2人のことを見ている周りの者達だって同じだ。

当初はそうした状況に居るノアのことを睨み付けていたベートでさえ、最近は何処か可哀想な目で見ている。同じようにアイズに対して気持ちを抱いてる彼にとっては、他人事ではないのだろう。多少青い顔をしているのも当然だ。一歩間違えればあそこに居たのは自分だったのだから。

 

「……やっぱり、穏便にはいかないんでしょうか」

 

「な、何を言ってるのノア……?」

 

「やっぱりその、何か劇的な出来事が必要なのかなと……危ないところを助けたり、庇ったりとか……」

 

「そ、そんなことはしなくて良い!!あまり早まったことを考えるな!大丈夫だ!」

 

「そ、そうよ!私達が何か考えてあげるから!い、今は少し休みなさい?ね?」

 

「はい……」

 

さて、どうしたものか。

本当にどうしたものか。

ここまで叩いてみて駄目なら、ノアがそういう思考に陥ってしまっても仕方ないし、正直リヴェリア達もそういうことがないと駄目なのか?と思ったりもしている。

だが今のノアでは一歩間違えれば本当に死ぬ。次こそ完全に魂が砕け散ってしまう。何処が最後の引鉄になってしまうか分からない以上は、出来るだけ危険な状況には巻き込みたくない。

 

(だが他に相談出来る人間は……)

 

彼のこの件について知っているのは、ファミリア内でもロキと幹部3人、そしてアキとレフィーヤだけだ。特にレフィーヤにはノアが神の力で過去に戻って来ている可能性についても伝えていない。ベートが知っているのはノアが不死というところまで。それ故に魂が砕け散りそうになっているということまでは教えていない。しかし半年も眠っていたことから、彼もなんとなくの想像は付いているだろう。

もちろんその中の誰にも恋愛相談が出来るような経験はない。この件について頼りになる人間など、当ファミリアには存在しないのだ。そこまで恋愛経験豊富な人間など、ロキ・ファミリアには存在しない。

 

 

 

「……ということで貴方をお呼びした次第だ、神ヘルメス」

 

「……正直に言おう。一応はイケてる系男神としてやってきた俺ではあるが、本気の本気で恋愛相談をされたことなんて、これが初めてだぜ。九魔姫」

 

ということで、男神ヘルメスをお呼びした。

ノアの件で諸々のことを他の団員に丸投げせざるを得ず、今現在そうしたツケをバッチリ支払いながら遠い目をしている男神ヘルメス様である。普段はちゃらんぽらんな彼であるが、こういう話であれば間違いない。

彼の後ろでは苦笑いをしながら目を背けているアスフィがおり、その目の前では明らかに落ち込んでいるノアが居る。

2人もノアが意識を失ってからは起こす方法を模索していたし、彼が起きた時も一度は顔を合わせて声を掛けていた。レフィーヤの活躍もあり何とか立ち直れた彼を見てその時は安堵していたが、まさかこうなっていたとは予想していなかったらしい。……まさかここまで剣姫という壁は高かったのかと。ヘルメスでさえも苦笑う。

 

「そうだな、1つ方法がないことはない」

 

「っ!本当か神ヘルメス!?」

 

「だが死ぬほどゲスい方法だ」

 

「「「…………」」」

 

「ま、まあ聞くだけ聞こう……」

 

ノア以外の3人から冷ややかな目を向けられながらも、ヘルメスはそのゲスい方法を話す。特に味方であるはずのアスフィからの目線が特に痛い。ノアも思うところはあるようだが、しかし特に何も言うことなく話を聞く。

 

「恋愛なんてのは感情の暴走だと俺は思ってる。最初のキッカケはなんでもいい、だがそのキッカケがないと始まらない」

 

「そのキッカケは、どうすれば……?」

 

「方法はいくつかあるが、例えば孤独だ。このオラリオにも恋人達の聖地と呼ばれる場所はいくつかあるが、君達も知っているかな?」

 

「……まあ、多少は」

 

「そこに剣姫を呼び出して、長時間放置する」

 

「「「「え」」」」

 

「暫く1人にした後、時期を見計らってノアを向かわせるんだ。これだけで剣姫の考え方は僅かでも変わるだろう。これだけで剣姫には『自分にはノアが居る』と思わせることが出来る。……どうだい?簡単だろう?」

 

「「「「…………」」」」

 

このヘルメスの提案に対して、返ってくる返答は当然のものだ。

 

「げっす……」

 

「…………」

 

「やっぱり地が最低ですね、ヘルメス様」

 

「ヘルメス様、あの……流石にアイズさんを悲しませるようなことはあまり……」

 

まあ想像していたほどではないとは言え、それなりに適度なゲス。そこまで酷くはないからこそ、なんというか生々しさがある。この男は実際に似た様なことを何度かやっているのではないかと、そう勘繰りたくなるような提案。……しかしリヴェリアの考えは違った。

 

「……一度試してみるか」

 

「リヴェリア様!?」

 

「おっ、意外だな九魔姫。ぶっちゃけ君に一番に反対されるかと思っていたが」

 

「いや、確かにゲスい提案ではあったが……過激な提案になるくらいなら、これくらいが丁度良いだろう。それに理由故にし辛かったアイズへのお灸にしても丁度いい」

 

「それは、まあ……確かに……」

 

下手にダンジョンに潜る必要もなく、荒事にもならない。アイズが辛い想いをするとは言え、別にそれもそれほどキツイものでもない。ここまでノアを困らせたのだから、アイズとて多少は困ってみるべきだろう。

リヴェリアとしては良いラインの提案だと思う。

 

「ただ、この作戦には欠点がある」

 

「欠点?」

 

「ノアより先に他の男性が声を掛けた場合、最悪の事態になりかねない」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………ひんっ」

 

瞬間、ノアの脳裏に過ぎった可能性の光景。

彼女に会いに行こうとして歩みを始めた直後、何故か突然現れたベル・クラネルが彼女に話しかけ、妙に良い雰囲気になってしまって出るに出られない状況になってしまう光景だ。そこから勇気を持って彼女を引き剥がしても、2人はそんな出会い方をしてしまったものだから、むしろ以前にも増して良い感じに……

 

「あ、あのあのあのあのあの……ほ、ほほ、他の方法は、なかったり、しないでしょうか……?」

 

「す、すまないノア!そうだな!別の提案にしよう!」

 

「悪かった!そこまで思い至らなかった!別の方法を考えよう!!」

 

これが普通の男性相手ならばまだいい。

しかしリヴェリア達は既に推測している。ノアが恐れている相手はアイズにとっての運命の相手であると。つまりはたとえそれが普通に考えたら低い可能性の話であっても、実際にそうなってしまうということがあり得る。

……いやまあ、そんなことを言い出したら、こうして離れている間にも2人が出会ってしまっている可能性はあるけれども。そういう可能性があるからこそ、ベル・クラネルが(恐らく)街に来た時期辺りからノアが神経質になってしまっているのだけれども。

今こうしている間にもノアの心はゴリゴリ削られている。怖くて怖くて仕方がない。

 

「そ、それならこうしよう!逆にノアのことが好きな誰かを仕立て上げるんだ!好きと言ってくれる相手が他の誰かに奪われそうになれば!きっと剣姫の独占欲も強くなる!」

 

「よ、よくもまあそんなゲスい発想がスラスラと……」

 

「い、いいんでしょうか……そんな他の人を巻き込むみたいな……」

 

お前は散々人を巻き込んでおいて今更何を……とは言わない。

ただし。

 

「「それだ」」

 

「えぇ!?」

 

リヴェリアとアキはそれを強く肯定した。

 

「ほ、本気ですか九魔姫!?」

 

「ああ、本気だ。と言うかこれに関しては前例がある」

 

「前例……?」

 

「確かノアが目覚めた直後だったかしら。アイズがノアに会いに行った時に、ノアの手を握っていたレフィーヤを見て、アイズが急に怒り出したって話を聞いたのよ」

 

「それは……確かに……」

 

「なるほど、な。つまりこの作戦は剣姫に有効であるということが、既に実証されているということか……」

 

「そういうことです」

 

「……なんというか、意外です。あれで意外と独占欲強いんですね」

 

「ああ、少なくともレフィーヤはあんなアイズの姿は初めて見たと言っていた。好きという気持ちはまだなくとも、何処かにノアは自分のものだという認識はあるということだ」

 

 

 

「……………タチ悪いなぁ」

 

 

「い、言ってくれるな……一応当人に悪気はない……」

 

「悪気があったら尚更ですよ……」

 

アキのその言葉には、リヴェリアも返せる言葉が見つからない。しかしだが、これならまあ何とかなるだろう。少なくとも自分達の中で完結出来る話になる。それに今のアイズには危機感がない、故にこうして根掘り葉掘りとノアに聞いてくるのだ。それを防ぐためには、それをする余裕を失わせるのが一番手っ取り早い。

 

「となると、その相手が必要になる訳ですが。どうするのですか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

「えぇぇぇええ!?!?わ、私がノアさんの、こ、ここ、恋人役ぅう!?!?」

 

 

「いやレフィーヤ、そこまでは言ってないから」

 

 

レフィーヤはまた巻き込まれた。



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17.妖精の○○

「な、なな、なんで私がそんな役を!?」

 

突然部屋に呼び出されたレフィーヤ。

しかしそれとすれ違いになるように、ノアはアスフィによって連れて行かれてしまう。ノアはこんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと一度謝罪をすることは出来たが、しかしそれだけだった。そうするように、リヴェリア達は仕向けていた。……なぜならここからの話は、ノアに対しては聞かせられない。

 

「何故と言われてもな、正直に言えばお前以外に適任者が居ない」

 

「私それアイズさんに嫌われませんか!?この前だってすごく怒ってたのに!!」

 

「だからこそでしょ。アイズに怒らせないと意味がないの、他の人が今更ノアに言い寄っても怪しまれるだけでしょう?」

 

「言い寄るって!」

 

「それにお前はノアのことを憎からず思っているようだからな、だからこそアイズも強く危機感を抱くことだろう」

 

「なっ、なっなっ……!!」

 

「なんだったかしら?確か……『私も、ノアさんのこと……応援、してますから!』」

 

「うぐっ」

 

「『だから、私、ノアさんのその努力が報われて欲しいなぁって』」

 

「うぐぐっ」

 

「あの時のレフィーヤ、本当にかっこよかったなぁ」

 

「うぐぐぐぐっ」

 

どんどん逃げ道を塞がれていく。

というか普通に考えてこの2人から口で勝とうだなんて無理がある、少なくともレフィーヤでは絶対に無理だ。それにアキの言う通り、レフィーヤもあんな風に大口を叩いてしまった手前、このまま何もせずに見ているだけという訳にはいかないだろう。レフィーヤだって事情を知ってしまって、もうこの問題には盛大に顔を突っ込んでしまっているのだ。無関係ではいられない。

 

「……それにな、レフィーヤちゃん。この作戦にはもう一つ、重要な意味があるんだ」

 

「ヘルメス様……?」

 

それまで口を瞑って3人のやりとりを見ていたヘルメスが、息を大きく吐きながら指を一本立ててレフィーヤに話す。

ここからが重要なのだ。

むしろここからが本題なのだ。

 

「この作戦には裏がある」

 

「裏、ですか……?」

 

「ノアが本当に剣姫に振られてしまった時のための対策だ」

 

「……!!」

 

レフィーヤの背筋が伸びる。

 

「知っての通り、ノアの精神はもう限界だ。最近は以前にも増して弱って来ている。魂の状態に心が引き寄せられているんだろう。……単純な話、もし剣姫に拒絶される様なことがあれば、唯一の支えを失ったノアは本当に破滅する」

 

「そ、そんな……」

 

「だからこそ、ここで1つ保険を掛けておきたい訳だ。……剣姫にノアが居ると思わせると同時に、ノアにも他の誰かが居ると思わせる」

 

「他の、誰か……?」

 

「ああ、ここは敢えて悪い言い方をしよう。レフィーヤ・ウィリディス、俺は君にノアの保険になって貰いたい」

 

「!!」

 

それがこの話の、そしてこの作戦の肝であった。

 

 

 

「……つまり、私はノアさんを密かに狙っている役を演じながら、けれど実際にノアさんに寄り添って、少しずつ、自然と……その、そういう関係になっていくことを目指す……ということですか?」

 

「ああ、そうだ。仮に剣姫に拒絶されたとしても、他に支えてくれる人間が居ると知れば、ノアは耐えることが出来るかもしれない。……そこでしっかりと支えてやれば、なんとか持ち堪えることが出来るかもしれない」

 

「もちろん、無事に成就するのが一番であることに間違いはない。だが……」

 

「……そこで、アイズさんの運命の相手っていうお話ですか?」

 

「そうだ。前にそれとなく、アイズにそういう相手が居るかもしれないという話はしたな。そして、もし仮にそれほどに強い運命であるのなら、そもそもアイズがどう頑張ってもノアに対して恋心を抱くことは出来ないのかもしれない。……神ヘルメスにその可能性を示唆されて、私も妙に腑に落ちてしまったところがある。そしてこれがもし、本当にそうだった場合」

 

「ノアの恋は元よりどうやったって勝ち目のない勝負だった、ということになるのさ」

 

「そんな……」

 

アイズがあれほど努力していても、2人の関係は縮まらないし、アイズ自身も未だにノアに対して特別な感情を抱けないでいる。それがもし本人の問題ではなく、所謂運命的な問題であるとするのなら。

……そんな最悪な可能性がもし本当にあるのなら。それはもう何より救いがなくて、何よりノアに深い絶望を抱かせる事実であるだろう。こんなことを可能性すらも彼に伝えることは絶対に出来ないが、しかしその可能性を前提として動くことくらいは可能だ。少なくとも、周りに居る自分達くらいは、その可能性を考慮して、保険くらいは作っておくことが出来る。

 

「あの、どうして私なんですか……?それこそ他に適任が居ないというのは、まあ、なんとなくは分かるんですけど」

 

「……これも正直に言ってしまうが、本当なら別に誰でも良いんだ。別に君が引き受けてくれないのなら、俺や九魔姫が他に良さそうな人物を見つけて来る。もちろん今からそんな人物を探すのは相当大変な作業になるが、見つからないなら別の方法で保険を考える。……それでもやはり、誰かを側に付けるという方法が一番なのは変わらないだろうが」

 

「そうなると我々も、出来る限り信頼出来る相手に任せたい。その点、お前は私に直接ノアの事情を聞きに来るほど熱心だった。……あいつのことを憎からず想っているということも、さっきの反応を見るに、私達の気のせいではないのだろう」

 

「それは……でも……」

 

簡単に頷けることではない。

簡単に飲み込める話でもない。

だってこんなの、絶対におかしい。絶対におかしな話だ。こんなこと、こんな風に始まる恋愛なんて聞いたことがない。それにこれは……

 

「レフィーヤ。分かってると思うけど、これは本当にノアのために自分の人生を賭けて欲しいって言ってるのと同じこと。……さっきはああして囃し立てたけど、正直、断るのは当然の話だと思う。実際、私は断ったわ」

 

「アキさんも……」

 

「それに結局、どちらにしても喜べない立場になる。ノアが拒絶されないと目的は果たせないし、ノアが受け入れられたら抱えた気持ちを持て余してしまう。……そうでなくとも、支えになれずにノアがそのまま壊れてしまう可能性だってある」

 

「…………」

 

「どちらにしても、笑顔のままで居られる立場じゃない」

 

決して良い役ではない。

むしろハズレ役とも言える様な役割だ。

アイズに嫌われる可能性、自分の無力を実感させられる可能性、生まれた想いを持て余してしまう可能性……その全てを乗り越えたとしても、手に入るのはアイズに拒絶されて壊れかけているノアだけだ。むしろ、それすらも手に入らないかもしれない。

 

……あまりにも得る物が無さ過ぎる。

 

アキの言う通り、本当にノアのために自分の人生を賭けられるような人間でなければ、こんなことを引き受けることはないだろう。

確かにレフィーヤはノアのことを憎からず想っている。けれどそれは別に恋心ではない。まだ恋心にまではなっていない。今のままであればノアとアイズの関係を心から祝福出来る、この一歩を踏み出さなければまだ自分は単なる"事情を知る人間"の1人で居られる。

そもそも、ノアのために自分の人生を賭けられるかと言われたら、レフィーヤは申し訳なくとも『無理だ』と言うしかない。彼のために自分の全てを費やすなんてことは、レフィーヤには絶対に出来ない。

 

 

 

 

「………やります」

 

 

 

「「「!!」」」

 

 

だがレフィーヤは、そう言っていた。

 

 

「レフィーヤ、本当にいいのか?何度も言うようだが、これは……」

 

「………私は、エルフですから」

 

「?」

 

「私はこれから先、何十年も、もしかしたら何百年も生きるかもしれません。そんな私にとっては、これは、ほんの少しの時間の話に過ぎません」

 

「レフィーヤ……」

 

「でも、ノアさんは違います。あの人は本当に今を懸命に生きていて、きっと……そんなに先も、長くない。それは私だって、見ていれば分かります」

 

「…………」

 

「……別に報われなくても良いんです。ただ、私のこの長い長い人生の中の、ほんの少しの時間を費やすだけで、あんなにも頑張っている人を助けることが出来るかもしれない。私が少し辛い想いをするだけで、あの人の人生を、何の意味も無いものにせずに済むかもしれない。……それって、素晴らしいことじゃないですか」

 

それは長い時を生きるエルフの中でも、未だ15歳という若さの彼女だからこその言葉だった。そして、必死になって努力をし続ける彼の姿に心打たれて、だからこそ、その努力が誰よりも報われて欲しいと、そう願ったからこそ選んだ選択でもあった。

 

「確かに、アイズさんに嫌われるのは怖いです。でも今はそれより、ノアさんみたいな人が報われない様な世界で生きる方が、よっぽど怖い……あんなにも努力した人が絶望しながら消えていくところを見る方が、私はずっとずっと怖いんです」

 

彼のために人生を賭けることは出来ない。

だがエルフの長い人生の一瞬を賭けることくらいなら、レフィーヤにはすることが出来た。

 

苦しい思いをするだろう。

悲しい思いをするだろう。

もしかしたら酷く後悔してしまうこともあるかもしれない。

だが、それだけなのだ。

もしかしたらアイズの運命の相手は決まっているかもしれないが、ノアの未来が決まっている訳ではない。だからきっとこの選択をした自分は、今のノアの現状よりも、よっぽどマシなところに居るはず。

 

「そうか………ありがとう。レフィーヤ・ウィリディス、俺は君の献身に心からの敬意を示そう」

 

「いえ、その……私が自分で決めたことなので」

 

「ふふ、やっぱりレフィーヤはカッコいいわね。……私は情けないけど、そこまで腹は括れなかったから」

 

「そ、そんなことは……」

 

「いや、アキの言う通りだ。もしお前が断ったのなら私がその役割を担おうかとも考えていたのだが、やはりお前の方が適任だろう。……私は流石に歳が離れ過ぎているからな」

 

「そ、そうだったんですか!?」

 

「頼んだぞレフィーヤ、それに私達も全力でお前の手伝いをする」

 

「ちゃんと私達も責任を持って負担は受け持つから。だからレフィーヤも、続けられそうになくなったら早めに言うこと。不信感を抱かせちゃったら意味がないから」

 

「は、はい……!」

 

「ああ、俺も精々頭を捻らさせて貰うよ。……元々は俺達神の不始末でもあるからな」

 

様々な思惑が交錯していく。

ノアの知らぬところでも、多くの変化が起き始めている。

ただ1人の団員として大人しく慎ましげに過ごしていた以前の時とは異なり、この変化はあまりにも大きい。それが未来にどう繋がっていくのか、どのような変革を齎していくのか。

 

舞台は歪に変化した。

 

 

 

 

 

私がロキ・ファミリアに入って少し経った頃に、彼はここにやって来た。

その時の彼はまだレベル1で、それはこのファミリアにおいては唯一の存在だった。見た目は本当に小さな女の子という感じで、どうしてこんな子が探索系最大派閥のロキ・ファミリアに入ることが出来たのかと、その時は素直に不思議に思ったものだった。

"あの子の熱意に負けた"とロキは言っていたけれど、実際にその熱意を知ることになったのは入団して半年ほどが経った頃のことだったか。

彼はそこでレベル2となり、それでもまだと努力を重ね、そこから更に2年近くをかけてレベル3になった。それこそ魔法という強い武器のあった自分と同じか、それ以上の速度で成長を重ね、アキさんから教えを受けていたこともあって、いつの間にか2軍メンバーの仲間入りを果たしていた。素直にすごいと思った。そしてそんな彼が自分より1つ年下なだけだと知った時は、それ以上に驚いた。

……基本的にロキ・ファミリア内での自分の立場は後輩で、色々なことを教えて貰う側。そして世話を焼かれる側。レベル自体はあってもダンジョンに関する知識はまだまだで、経験なんてありもしない。そもそも戦闘自体がそこまで得意ではなく、色々な失敗をしては怒られたりもしたものだ。

けれど彼はそんな自分にとって唯一年上として慕ってくれる人で、なんとなくそれが嬉しくて、私もお姉さんぶって彼の世話を焼こうとした。だが勿論その殆どが空回って、失敗して、リヴェリア様から怒られているところを逆に彼にフォローされてしまったりもしたのだから、今思い出しても本当に情けない。

……それでも、そんな情けない私を見ても決して見下したりせず。普段通り変わらず接してくれる彼に、一体何度救われたことか。

 

だから私は本当に彼のことが大好きだった。

弟とか、妹とか、仮にも男の人にあれほど気安く接触していたのは、親を含めても彼くらいだと思う。それくらいには気に入っていた。

 

彼はアイズさんのことが好きだと言っていた。

アイズさんに追い付くために努力をしているのだと言っていた。

それを聞いた最初の頃は『可愛いなぁ』と思っていたけれど、次第にそれが本気のものだと分かってしまった。彼は本気でアイズさんに並ぶために努力をしていたし、そのためには一切の妥協をしていなかった。

彼は別にそれほど才能に恵まれた冒険者という訳でもなく、むしろその身長と体格故に向いていないと言ってしまってもいい。特に便利な魔法も持っていなかったし、剣の才能だって無い。団長ほどに優れた頭脳も持っていないし、大抵のことが平凡かそれ以下の出来。

……それでも彼はそれに腐ることなく、勉強も鍛錬も、容姿でさえも、凡人の出来る100%の努力を続けていた。ロキが言っていた『熱意に負けた』という意味が分かった。自分の弱さと欠点に向かい合い、それを補うために懸命に毎日を生きていた。

自分の女性染みた容姿や低い身長に、何より強い劣等感を抱いていることも知った。だからそれからは『可愛い』だとか『小さい』という言葉は言わないようにした。その容姿のせいで自分の言葉が本気で見て貰えないことに、彼は本気で悔しがっていたから。自分の言葉を改めた。

 

……だからこそ、私はベル・クラネルが嫌いだ。

 

嫉妬もある。

 

反発もある。

 

でも何より、ベル・クラネルがその名をオラリオに広めていくに連れて、ノアが自分の努力を疑うようになってしまったから。

 

いつの間にかアイズさんと仲良くなり、ミノタウロスとの戦闘で団長達にも認められて、ほんの数ヶ月で2つも3つもレベルを上げていく。

……それを実現するために、ノアがそれまでどれだけの努力を積み重ねて来たことか。それを見て来たからこそ、「ふざけるな」と言ってしまった。

 

ベル・クラネルが活躍する度に、アイズさんと仲を深めていく度に、ノアは顔色を悪くしていく。他の人が居る前では普段通りに振る舞っていても、自分の部屋やダンジョンの中では焦燥感に追い詰められていく。

「どうすれば巻き返せるのか」「努力の仕方が間違っていたのか」「早くしないと追い付かれてしまう」……そんなことを、部屋の中に居る彼が呟いていたのを耳にしたことがある。

 

誰がどう考えたって、おかしいのはベル・クラネルだ。彼は悪くない。けれどアイズさんの興味が向いていくのは、ベル・クラネルの方。

たった3ヶ月でノアの3年分の成果を出して、結果と名声を積み重ねていく。

 

にも関わらず、相変わらずアイズさんはノアの気持ちには気付かない。闇派閥の件もあって、誰もノアのことを気にしていられる余裕もない。私も出来る限り彼の話を聞いていたりもしたけれど、彼の状況は悪くなる一方だった。

 

……そんな折に、アレは起きたのだ。

 

 

 

彼が死んだ。

 

 

クノッソスと呼ばれる人工迷宮の中で、敵幹部であるヴァレッタ・グレーデによって惨殺された。

分断された各部隊の中で、最も負傷者が多かった部隊と歩を共にしていた彼は、生き残った2人を守るために死を覚悟して一騎討ちを仕掛けたのだという。

 

……酷い有様だった。

人としての原型を、殆ど保っていなかった。

誰より酷い死に方だった。

誰より苦しんだ死に方だった。

 

恨んで、憎んで、吐いて、泣いた。

 

取り乱した。

 

我を失った。

 

誰も彼もに酷いことを言った。

 

そして長く引き篭もった。

 

……今手元に残っているのは、彼がいつも鞄に付けていた小さな飾りだけだ。黄色の大輪の飾り物。彼が以前の主神である女神様に貰ったと言っていたそれを、私は荷物を整理していたアキさんから手渡された。

私はそれを肌身離さずに持っている。

何より大切に背負っている。

それこそ、一生を懸けて共に歩いていくつもりだ。

 

……そうだ。

この世界は酷いくらいに不平等なんだ。

彼の努力は彼にだけは報いてくれなかった。

彼の願いは何一つとして叶わなかった。

あれほど直向きで努力家だった彼は、誰より苦しんでその命を終えた。

 

……こんなことになるくらいなら、アイズさんへの恋なんて応援しなければ良かったのだ。そんなことをするくらいなら、無理矢理にでも彼のことを奪ってしまえば良かったのだ。無理矢理にでも彼のことを、連れて行ってしまえば良かったのだ。

 

憎い、全てが憎い。

彼を追い詰めたベル・クラネルも、彼の気持ちに気付かなかったアイズさんも、オロオロとしてばかりで最後までただ傍観していただけだった自分も。彼があんな死に方をしても何事もなかったかのように振る舞う人も街も世界も何もかも。

このまま彼を忘れようとしているみたいで、許せない。

 

……もし次があるなら、きっと上手くやる。

もし次をくれるのなら、絶対に彼を奪ってみせる。

アイズさんにも、他の誰にも渡したりしない。

彼の人生を幸福にしてみせる。

彼の努力を意味あるものにしてみせる。

 

 

……だから。

 

 

だから、どの神様でもいいから。

 

 

 

私にもう一度だけ、機会をください。



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18.始まる○○

あれから1週間、遂に遠征の日がやって来た。

今日までにノアはアイズの手伝いの元、なんとか身体の調子をある程度まで戻すことに成功し、万全の状態で今日この日に臨むことが出来ている。レベル6になった身体の動きにも慣れて、十分に動くことも出来るようになった。

もちろん、確かにレベル6になったことでファミリア内でも幹部3人に次ぐ実力の持ち主になったとは言え、基本は戦闘には参加しないという条件になってしまったが……それでもいい。それでも、今回は参加出来るだけでいいのだ。それこそが目的であるのだから。これ以上を求めることはしないし、それはノアにとっても有難い。別にノアは戦闘をしたい訳ではないのだから。

 

 

 

……さて、それよりも。

 

 

 

「さ、ノアさん?今日は私と同じ部隊ですし、手を繋いで行きましょうね♪」

 

「え?あ……え?は、はい……?」

 

「むぅぅぅうう……!!」

 

「実は今日はお弁当を作って来たんです。18階層に着いたら一緒に食べてくれませんか?食べてくれますよね?」

 

「は、はい……それはその、もちろん……」

 

「それは良かった♪」

 

「〜〜〜〜〜!!!」

 

部隊の先頭近くを歩くアイズ。

その少し後ろの方で、そんな会話を繰り広げるノアとレフィーヤ。

……端的に言えばリヴェリアとフィンが率いるこの第一班は地獄であった。ピリピリとヒリ付く空気、明らかにアイズは不機嫌である。

何故なら遠征前に一緒にダンジョンに潜っている時、ノアの隣に居たのは自分であり。彼が倒れて眠っていた時、ノアの手を握っていたのは自分である。今は正にそのポジションを両方ともレフィーヤに奪われてしまっているのだ。非常に非常に気に食わない。

しかもそれだけでは飽き足らず、レフィーヤは彼のためにお弁当まで作って来たという。対して自分はお弁当どころか、彼のために何かを持って来たり準備をしてきたりなどということは、全くと言っていいほどにしていないのだ。それもまた差を見せつけられているようで、頬の膨らみは増していく。

 

……実のところ、ここ1週間はアイズは只管にノアと仲良さげに話すレフィーヤを見せ付けられていた。

2人が単に話しているだけならばまだしも、その度にレフィーヤは狙っているかのようにノアの手を握っているし。アイズがノアの部屋に入ると大抵の場合に既にレフィーヤが部屋の中に居て、入れ違いになって出て行く。

 

少しずつ、少しずつレフィーヤがアイズの場所を侵食して来ている。むしろ乗っ取ろうとしている。勿論その度にノアに自分のことが好きかと聞くアイズであるが、しかしそれも聞くだけ聞いた後だ。それだけではアイズの心は落ち着かない。

 

(い、意外とノリノリね、レフィーヤ……)

 

そんな姿を見て、アキとリヴェリアも正直少し呆気に取られているところがあった。

少し前はアイズに嫌われるのが怖いと言っていたのに、一度腹を括ったらここまでしっかりやれるのかと。実際、周りの団員達もレフィーヤのその姿には驚いている。一体彼女に何があったのだろうかと。

 

「はぁ……アイズ、あまりそう睨むな。他の団員が萎縮する」

 

「……ねえリヴェリア」

 

「な、なんだ?」

 

「レフィーヤは、ノアのことが好きなの……?」

 

「……そこは私の言及するところではないな」

 

「なんか最近、ずっとノアと一緒に居る……」

 

「ふむ……」

 

レフィーヤがノアと居る時間が長いというのは、取り敢えず事実である。お前もしかして本気でノアのことを落としに行っていないか?と言いたくなるくらいには、最近のレフィーヤはノアとよく話している。

しかし2人のそんな様子を知っているということは、逆に言えばアイズがそれだけノアのことを見ているということだ。それは単純に良い傾向と言えるだろう。ここまで悔しがっているのも、結果が出ているということ。となるとリヴェリアの仕事は……

 

「アイズ、お前はどうしたいんだ?」

 

「どう、したい……?」

 

「18階層まではそれほど難はない、なんなら隊列を少し変えてやってもいい。……だが変えたとして、お前はどうする?ただ近くで睨みに行くだけなら、別にここに居ても大して変わらないだろう」

 

「…………」

 

「お前はどうしたい?」

 

ぶっちゃけ、この作戦はレフィーヤのためにアイズが身を引いてしまうという最悪の可能性も秘めている。故にその辺りを上手いことコントロールすることこそが、アキとリヴェリアの役割である。……だが勿論、それだけでは話は進まないので、こうしてアイズに自分が何をどうしたいのかを、しっかりと口で言わせようとリヴェリアは考えた。意志を口に出させること、これはとても重要だ。

 

「……どうしたら、いいんだろう」

 

「………」

 

「色々、考えてるけど……分からなくて」

 

「……そうか」

 

「ノアは、隣に居てくれるって言ってくれた。……でも、もしかしたら。私は、隣に居てくれるなら誰でもいいんじゃないかって、思って……」

 

「……似たようなことを言うだけの奴なら、確かに他にも居るだろう。だが真にお前の隣に立つために努力が出来る人間はそうは居ない」

 

「リヴェリア……」

 

「だからお前は、ノアの言葉を信用したんだろう。誰でもいいというのは、流石に違うと思うが」

 

「……そうかも」

 

つまりは、やはりアイズの中でもノアに対する執着は、自分の孤独に由来するものであり、恋愛とは繋がっていないという認識らしい。

ノアが本気で努力していて、本当に自分の隣にいるために頑張っていることは分かっている。だからノアのことを信用している。ノアはこれから先も自分の隣に居てくれると。

だからこそ、そのノアの隣を陣取ろうとしているレフィーヤに警戒心を抱いている。その場所を取らないで欲しいと、そう思っている。概ねは想定通りだ。

 

「ならばお前は、ノアに対して何を与えてやるんだ?」

 

「え?」

 

「仮にそれがノアの意思であり願いであったとしても、お前はその献身に対して『自分の隣に居させてやる』などという少々傲慢な言葉をかけたりするのか?」

 

「そ、そんなことしない」

 

「聞くに最近、お前はノアの気持ちを根掘り葉掘りと聞いているようだな。それだけ聞いて、お前は何かお返しをしたのか?その度にノアは恥ずかしい思いをしたと思うが」

 

「う……」

 

「で?どうする?」

 

「うぅ……」

 

このまま向かわせても、どうせまたノアの手を握りに行くのが精々だ。しかしそれだけでは物足りないだろう。そんな何度も同じことを繰り返していては、物事は進まない。だからリヴェリアは一度攻めてみる。もう一歩くらい先に動いてみるように。

 

「えと、その、手を……」

 

「レフィーヤは既に握っているし、その上でノアのために弁当まで作って来たらしいが。その程度ではレフィーヤの方がよっぽど献身的だな」

 

「ぐむぅっ」

 

「お前とてもう無知ではないだろう。色々な本を読んで勉強したんだろう?少しくらい思い付くものはないのか?」

 

「………う、うん」

 

「なら行って来い」

 

「わ、分かった……」

 

最早隊列などあったものではないが、その様子を察したアキは一応体裁を保つために、自分の場所をアイズと代わるように入れ替わる。まあ実際、こういう時のことを考えてリヴェリアはアキをレフィーヤとノアの前に配置していた。

……さて、アイズはどうするのか。

 

「……………」

 

「ア、アイズさん……」

 

「……………」

 

「あの、アイズさん?……あの〜?」

 

「……ノア、力抜いて」

 

「は、はい?」

 

「レフィーヤも、手を放して」

 

「え、あ……はい……」

 

なんだか妙な雰囲気を出しているアイズ。

その様子にノアもレフィーヤも少し押され気味になりながら、若干冷静では無さそうなアイズの言われた通りにする。レフィーヤとは反対側を歩き、妙に真剣な顔をしている彼女のその様子に、リヴェリアは何となく嫌な予感がした。

 

「いくね」

 

「へ?……わっ!わわっ!?」

 

「暴れないで」

 

「いや、でも、これは…………逆では!?」

 

「?」

 

「えぇ……」

 

所謂お姫様抱っこを、むしろノアの方を抱き上げるアイズ。彼女はそのまま何事もないかのように歩いていくし、リヴェリアとアキ、そして事情を知っている団員達は揃って頭を抱えた。

違うだろう、そうじゃないだろう。

何故そうなった。

何故それをしようと思った。

もう全部が全部間違っている。

 

ノアはもう恥ずかしさのあまり顔を赤くして隠しているし、レフィーヤは心から可哀想な目を彼に向けていた。しかし当の本人は自信満々だ。正にやり切ったとでも言っているような顔で。誇らしげに知識だけでしか知らない、どころか意味すら理解出来ていない知識を実践している。

 

「……え!?これ私18階層までこのままなんですか!?」

 

18階層までこのままだった。

 

 

 

 

 

「すまないノア、私も自分の娘がまさかあそこまで気が利かない奴だとは思わなかった……」

 

「いえ、その……まあ、いえ……」

 

「げ、元気出してくださいノアさん」

 

「レフィーヤさん……ありがとうございます。それにこのお弁当、すごく美味しいです」

 

「そ、そうですか?えへへ、それなら頑張った甲斐がありました♪」

 

「………」

 

18階層。

アイズを無理矢理フィンに呼び出させて、アキ、リヴェリア、レフィーヤとノアは昼食を取りつつも作戦会議を行う。

ただアキが気になってしまうのは、やはりレフィーヤのノアに対する距離感の近さ。計画には無かったお弁当まで作って来て、今もこうして彼の直ぐ隣に座って、ニコニコと笑いかけている。

……一体この1週間で彼女に何があったのか。それも直接聞いてみたいのだが、流石にそれをノアの居るところで聞く訳にはいかない。しかしそれにしても、ボディタッチをしたり、目と目を合わせて話をしたり、もうその頼もしさと言えば少し過剰なのではないか?と思ってしまうくらいだ。もちろん、それは良いことなのでアキは何も言わないが。

 

「ただそれにしても……アイズが想像以上にポンコツだったのはキツいわね」

 

「ぽ、ぽんこつ……」

 

「いやノア、庇う必要はない。私の娘はどうしようもないポンコツだ」

 

「あ、あはは……」

 

「多分さっきのも物語の中で読んだものなんでしょうけど、女性が男性にするのはちょっと違うのよねぇ……」

 

「知識として頭に取り入れても、それをどう理解するかはまた別の話だ。知識だけでは意味がない。……それについて解説する機会を設けるべきだったか」

 

最早言い逃れは出来ないし、フォローも出来ない。アイズ・ヴァレンシュタインはポンコツである。自分で考えろ的な方法は通用しない。少なくとも、こと恋愛に関しては絶対に。

しかしまあ、それも仕方ないと言えば仕方ない。少し前までは頭の中はダンジョンばかり、強くなることばかりを考えて来た。急に人間関係や恋愛について考えろと言われても、それは難しいことだろう。むしろそこまでこちらで想像しておくべきだった。

 

「ただ、その……やっぱりアイズさんの中には、ノアさんへの恋心はまだ無さそうですね……」

 

「……?どうしてそう思うの?レフィーヤ」

 

「え?いえ、その……やっぱりこう、好きな相手の人には触れたくなるじゃないですか?でもさっきの感じだと、あんまりそういう意思は無さそうだったというか」

 

「あぁ……私がなんとなく思っていた、アイズさんから恋愛感情を感じない理由。正にそれかもしれません。レフィーヤさんに言葉にして貰うまでは、よく分からなかったんですけど」

 

「えっと……?」

 

ノアとレフィーヤには分かるのであろう、その感覚。

しかしリヴェリア達にはあまり言っている意味が掴めない。

 

「たとえばですね。さっきみたいに抱き上げたとしても、もしその人が好きな人なら、もう少しこう、密着して深めにすると思うんですよ。でもアイズさんは見様見真似で、ただそうすればいいっていう感じで……ノアさんに自分から触れたいって意思は、それほど強くなさそうだったんです」

 

「……なるほどな」

 

「言われてみたら確かに、見様見真似で変な持ち方をしてたとは言え、自分の身体から離して持ってたものね。嫌ってることは無いとして、けど好きな相手ならもっとしっかりと持つか……」

 

「……改めて実感すると、ちょっと悲しいですね」

 

「だ、大丈夫ですよ!ノアさんには私がついていますから……!」

 

「……ありがとうございます、レフィーヤさん」

 

 

「…………」

 

な〜んでレフィーヤさんはそんなに突然恋愛に関して詳しくなったんですかね。……と、然りげなくノアの腕に手を絡めているレフィーヤを見ながらアキは思う。

ノアもなんとなく顔を赤らめているが、しかしそれよりも感謝の気持ちの方が強いのだろう。ノアからしてみればレフィーヤは、自分の恋のために立場や周りの視線を気にせず積極的に協力をしてくれる優しい人なのだから。もちろん実際にそうなのだけれども。

特に今回の遠征ではレフィーヤとノアを基本的にペアとして運用することを決めている。レフィーヤはどんどんノアの意識に潜り込んでいくだろう。なんかもう、ちょっと怖いくらい順調に。

 

「まあとにかく、流石に19階層以降はさっきまでみたいに気を抜くことは出来ないから。ここからは遠征に集中よ」

 

「そうだな、アキの言う通りだ。一先ずは50階層の休息階層に着くまでは切り替えて貰いたい。特にレフィーヤは後衛の要として、ノアは後衛陣の防御役として必要だからな。頼んだぞ」

 

「「はい」」

 

そうして4人が話し終えた頃、アイズは漸くこちらに戻って来た。そして再びノアの腕に抱き付いているような姿勢のレフィーヤを見て、対抗するように反対側に座る。けれど腕に抱き付くことはせず、いつものようにその手を握るだけ。

側から見ればノアが2人に囲われているようにも見えるが、実際のところはもう少し複雑な様相を呈しているのだから困る。

 

‥‥既に遠征は始まってしまった。

アイズがベル・クラネルと出会ってしまうまで、時間はあと僅かしかない。

 

 

 



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19.○○の理由

 

「前衛!!密集陣形を崩すな!後衛組は攻撃を続行!!ティオナ!ティオネ!左翼支援に急げ!!」

 

凄まじい闘争の中、鋭くフィンの指示が飛ぶ。

49階層、大量のフォモールが押し寄せる大荒野。50階層の休息地帯へ向かうには、このフォモール達を攻略していかなければならない。

 

「うわぁあ!?!?」

 

「え、詠唱はまだなのかぁ!?」

 

……とは言え、基本的には大魔法頼りである。

これほどの力を持った大量のモンスター、一体一体をまともに倒していたらキリがない。いつかは必ず押し潰される。故にロキ・ファミリアが使う戦法は、いつものようにリヴェリアによる最大火力の殲滅だ。

詠唱が終わるまでなんとか攻撃を凌ぎ続け、詠唱完了と同時に前衛は撤退し、ぶっ放す。単純明快、ただそれだけ。

 

(だが……不味いな、詠唱が少し遅れているか)

 

フォモールはレベル3程度の冒険者では敵わない。ただの一振りで大楯を持った前衛であっても吹き飛ばされる。つまりは単純に、戦闘が長引けば長引くほどに犠牲が出る可能性が高くなる。レベル5であるアイズ達も懸命に戦っているが、それでも全員を守り切るなど到底出来ることではない。

ヒリュテ姉妹に命じた左翼側、既にあちら側から前衛が崩れ始めている。このままでは近接戦闘では全く勝ち目がない後衛の方までフォモールが雪崩れ込んでしまい、陣形も崩壊してしまうが……

 

(まあ、だが、今回はそれほど気にするところでもないか……)

 

フィンは恐らくティオナとティオネが間に合わないだろうことも加味しながらも、そちらから目を離す。2人を向かわせはしたが、それは単なる保険に過ぎない。

なぜならこちらには、新たに加わった後衛の"守護神"が居るのだから。

 

 

「きゃあっ!?」

 

「おっと」

 

「っ………ノ、ノアさん……!」

 

「大丈夫ですか?レフィーヤさん」

 

レフィーヤに襲い掛かったフォモールの棍棒による一撃を、ノアは自身の"腕"で受け止める。

ゴンッと鳴り響く打撃音。しかしノアは直ぐ様に受け止めた棍棒を蹴り飛ばすと、一瞬でフォモールに近付き、その頭部を蹴り飛ばした。

……剣も抜いていない、抜く必要もない。

何故なら彼にとって剣とは武器であり、決して防具ではないからだ。剣の才能のない彼にとっては、なんなら素手戦闘の方がよっぽど強い。彼が剣を抜くのは、単純に攻撃力が足りない時だけだ。彼は基本的に自分の肉体以外の耐久力というものを、それほど信用してはいない。故に自分の肉体より、剣の耐久力を心配する。その剣自体も、今やそれほど脆い物は使っていないというのに。その癖だけは、今でもまだ抜けていない。

 

「だ、大丈夫ですかノアさん!?そ、そんな私のために……う、腕で攻撃を受け止めるだなんて!!」

 

「?……あ、なるほど。ふふ、大丈夫ですよ?私こんな見た目をしてますけど、ステイタス的にはガレスさんの下位互換ですので」

 

「え……」

 

「いつも最初にD評価に到達していたのは耐久でしたから。それに……」

 

ゴンッ!!と、再びフォモールの一撃をノアは腕で受け止める。

レフィーヤの髪を揺らすような衝撃、しかしノアはその一撃を絶対にレフィーヤの元へは届かせない。

 

 

「……正直、そこまで痛くはないので」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ノア・ユニセラフ 14歳 男

 Lv.6

 力 : H101

 耐久:H145

 器用:I34

 敏捷:I58

 魔力:I21

拳打G、魔防F、耐異常 F、防護 H

 《魔法》

【ダメージ・バースト】

・付与魔法

・爆破属性

・『耐久』のアビリティ値の効果影響。

・詠唱式『開け(デストラクト)』

 《スキル》

【情景一途(リアリス・フレーゼ)】

死亡しない。懸想が続く限り効果持続。懸想の丈により回復速度向上。

【絶対不諦(ノー・ライト)】

逆境時における判断力低下、全能力の高強化。

【再起堅壁(レイ・ゼラフ)】

耐久のアビリティに高補正。治療後、発展アビリティ『防護』の強化。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

振り向き様にフォモールの顔面を殴り飛ばす。

あれほど前衛達が苦戦していたフォモールの頭が、玩具のように飛んでいく。その様子に一瞬動きを止めてしまう他のフォモール達。集団の中に、明らかに格が違う相手を見つけたからだろう。

ノアは転んでしまったレフィーヤに手を差し伸べ立たせてあげると、自分の指で顔の汚れを拭ってやり、一度ニコリと笑ってからその背中を向けた。

 

「さて、私はこのままちょっと前線を押し上げて来ます。支援をお願いできますか?レフィーヤさん」

 

「……!は、はい!任せてください!!」

 

「ふふ、流石ですね。頼りになります」

 

そんな2人の様子を見て、フィンは小さく微笑んだ。

……本当に。

いや、本当に。

本当にあの2人がくっ付いてくれた方がフィンとしても物凄く助かるというのに。どうしてそうなってはくれないのか。頼むから何か間違ってそうなってくれないものかと、フィンは心からそう思ってしまう。

 

というか、ガレスの下位互換とは言うものの。

割と単純な耐久力だけで言えば、新たなスキルが発現した時点で、ノアの耐久力はほぼガレスである。というかガレスのステイタスが攻撃力にも存分に振られている反面、ノアは普通に防御特化。再生力も含めて考えれば、今の時点で防御性能はノアの方が高い。

本人の好みで防具はそれほど付けてはいないが、フィンとしてはガレスがもう1人後ろに控えているようなものである。あまりにも心強いのだ。

 

……それと。

 

「むぅぅぅ………」

 

アイズがあまり前に出ようとしないこともまた、フィンにとっては喜ばしい状況に違いなかった。その辺りの恋愛事情については、彼はリヴェリアに全部投げるけれども。

 

 

 

 

 

 

 

その後、一向は無事にフォモールの群れを退け、49階層を突破することが出来た。

リヴェリアの詠唱は遅れたものの、ノアの存在やレフィーヤの活躍もあって、それほど大きな被害が出ることはなく、問題なく休息地帯に辿り着いた。

 

「……なんだか、あまり綺麗な風景ではないですね」

 

「うん……今は暗くて見えないけど、明るくなると綺麗だよ」

 

「ふふ。なんというか、もう少し良い雰囲気だと良かったんですけど。せっかくこうしてアイズさんと話せるのに」

 

「……うん、そうだね」

 

団員達がテントを張ったり食事の用意をしたりと忙しくしている一方で、ノアとアイズは少し離れた場所でこの階層全体を見渡す。

基本的に雑用は2軍以下の団員達が担当することになってはいるが、別にアイズ達とてその手伝いはしてもいい。ただ余計なことをするなと言われてしまったのだから、仕方がないというもの。そしてそんなアイズ係として、ノアも側に付けられてしまったのだから、これもまた仕方がない。

まあもちろん、そこにリヴェリアやアキによる思惑はある。

故にノアはただ2人に感謝をしていた。

 

「……アイズさんは、私のことをどう思いますか?」

 

「!……どうしたの?いきなり」

 

「いえ。いつもアイズさんは私に聞きますけど、私が聞いてもアイズさんは答えてくれませんから。今なら答えて貰えないかなぁって、そう思っただけです」

 

「……そっか。そうだよね」

 

まあ、多分自分の望んだ答えは返ってこないだろうけれど。

そう分かっていながらも、しかし何をどうすれば彼女の心を動かすことが出来るのか。今日まで必死に必死に考えても分からなかったノアには、とにかく言葉を交わすしか手段がない。

 

アイズは考える。

以前のように『分からない』と答えるのか、それとも『好きだよ』と答えるのか。別にアイズとてこの数週間をただ無意に過ごしていた訳ではない。何も考えずに今日まで過ごして来た訳ではない。……ただ。

 

「……側に居て欲しい」

 

「!!」

 

「でも、多分……それだけ」

 

「………」

 

「ずっと側に居てくれるって、助けてくれるって、そう言ってくれたのが嬉しかった。……ノアが私の英雄なんだって、そう思った」

 

「……アイズさんが、それを望むのなら。私は」

 

「でも、私はノアに何も返せない」

 

「っ」

 

「ノアの気持ちに、応えられない……ノアは好きって言ってくれるのに、私にはそれが分からない……」

 

「アイズさん……」

 

「……同じ感情を、持てない」

 

アイズとて苦悩はしていた。

リヴェリアに言われなくとも、誰に言われなくとも。彼に側に居て欲しいのであれば、同じように自分も彼に愛を返さなければならないと。それは分かっていた。

だって物語に出てきた彼等はそうしていたし、そうしていたからこそ幸福を得ていたから。……愛が無ければ側に居ても幸福になれないと気付いてからは、アイズだって必死になってはいたのだ。

 

「なんでだろう……」

 

せっかく自分の英雄になってくれる人が見つかって、その人はこんな自分を愛してくれた。だから後は自分が彼を愛するだけで良いというのに、何故かそれが出来ないのだ。

……最後の最後に、自分に問題があった。

それが認められなくて、どうにかしようと思って、努力した。それでもやっぱり、駄目だった。そんな自分に、失望した。

 

「……ノア、少しいい?」

 

「はい?どうかし……」

 

「ん」

 

「っ!?」

 

突然、アイズがノアに向けて寄り掛かる。

別に腕を組むとか抱き付くとか、そういうことはないけれど。

ただ寄り掛かり、身体を預ける。

ノアはそれに驚いたが、かけられた体重を一身に受けて、色々な感情を頭の中で回らせながらも、その嬉しさに唇を噛む。夢にまで見た場所に居る今の自分に。込み上げる感情をなんとか抑えながらも、少しの涙が目から溢れる。

 

「……好きって、どんな気持ち?」

 

「……幸せです」

 

「こうやってる、だけなのに?」

 

「はい……泣いてしまいそうになるくらい、幸せです」

 

「……そうなんだ」

 

だから物語の人達はあんなにも幸せそうなんだなと。アイズはそれでも分からない感情を羨ましく思いながらも、体重を預けたままに階層の空を見る。

 

……どうして、上手くいかないのだろう。

自分がノアを愛しさえすれば、それで全てが上手くいくのに。それで自分は幸せになれるのに。それで全部が上手くいくのに。

こんな風に、ノアを悲しませないでも済むのに。

 

「ごめんね、ノア……」

 

やっぱり自分では駄目なんだと。

自分は駄目なんだと。

自分の前に英雄は現れなかったと、ずっと思い込んでいたけれど。たとえ英雄が現れたとしても、自分はこうして、その人を愛することが出来ない。だから今日までも、これからも、自分は1人で戦い続けるしかないのかもしれない。

こんな風に彼に身体を預けながらも、その温かさに安堵感を得ながらも、それでも本で読んだような気持ちにはなれない自分を自覚して、絶望した。彼を愛することが出来たのなら、こうしている時間も、もっともっと楽しいものであったに違いないのに。

自分にはもしかしたら、幸せになる権利などないのではないかと。そんな風にも、考えてしまう。

 

「……諦めないで、欲しいです。アイズさん」

 

「え?」

 

震える彼の声が聞こえて来る。

何かを啜るような音と共に、彼の縋るような声が聞こえて来る。

 

「私を、好きになること……諦めないで、欲しいです」

 

「でも……」

 

「もう少しだけ、頑張ってくれませんか?アイズさんにとっては、辛くて、苦しいことを、強制してしまっているかもしれませんが……それでも、もう少しだけ。もう少しだけ、私に、希望をくれませんか……?」

 

ノアは懇願する。

みっともない姿だと分かっていても、泣きながらでも縋り付く。

……まだ、まだ結論を出すには早い。

だって、だってまだ、そんなに多くのことを話せていない。まだ全然いっしょの時間を過ごせていない。まだ模索していない可能性もある筈だ。その結論は、その結論は絶対に、今出す必要のあるものではない。

 

「きっと……きっと私、アイズさんを惚れさせてみせますから」

 

「ノア……」

 

「……もし、もしアイズさんが諦めてしまっても。私は絶対に諦めませんから。いつかきっとアイズさんに振り向いて貰えるように、私は努力し続けますから」

 

それは別に、今までと何も変わらない。前の時とも何も変わらない。違うのは前の時よりもレベルを上げる努力を減らして、よりアイズに振り向いて貰える努力を増やせるということ。

だからノアは絶対に諦めない。前の時よりも可能性はあるはずだから、諦める理由なんて何処にもない。たとえベル・クラネルとアイズが出会ってしまっても、以前と同じように過程が進んでしまっても。それでもだ。最後の最後まで、決定的なその瞬間が訪れるまで、ノアは絶対に諦めない。諦められない。

 

「……辛いんだよ?また、泣いちゃうよ?」

 

「構いません」

 

「私より、レフィーヤの方がいいよ。私なんかより、幸せにしてくれると思う」

 

「……好きでいたら、駄目ですか?」

 

「……そんなこと、ないけど」

 

そんなことはないけれど、ないけれど。

何より、誰より、自分よりもよっぽど辛い思いをする筈のノアが、こうして願って来る理由が、やっぱりアイズには分からない。分からないからこそ、分かり合えない。

 

「簡単には、止められないんですよ……そんなに簡単に止めることが出来たら。私はこんなにも、努力はしなかった」

 

「…………」

 

アイズには、分からないけれど。

分からないだろうけれど。

でもノアは、ただそれだけのためにもう6年以上も只管に努力をして来たから。

 

 

 

「これが、私なんです」

 

 

 

「私の願いは、それだけなんです……」

 

 

 

「だからどうか……好きになる努力を、やめてしまっても。好きでいることだけは、許してください」

 

 

ノアとの会話は、それきりで。

途絶えた。



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20.○○からの

ノアとアイズがそうしてキャンプから少し離れた場所で話している頃、レフィーヤはティオナやティオネと共にテントを張りながら雑談を交わしていた。

ノアとアイズが居ないことに気付きつつも、なんとなくその意図を理解して、大人しくこうして自分の仕事をこなしている。もちろん、気にならないかと言われれば、当然に気になることではあるけれども。

 

「ねえねえレフィーヤ!ノアとはどういう関係なの!?」

 

「ぶふっ」

 

突然ブッ込まれた。

 

「そうよね、それ私も気になるわ。……まさかアンタがアイズに対抗するだなんて。ノアもアイズのことが好きだったんでしょ?その辺どうなってるのよ」

 

「ど、どど、どうなってるって……」

 

さて、何処まで話して良いものか。

というか、どう話せばいいものか。

あまり公には話せないこともあるし、しかし話しておかなければ不自然なこともある。その辺りの線引きは難しいところだ。あまり広めていいことでもないし、レフィーヤ個人としても広めたくはない。

 

「……確かに、ノアさんはアイズさんのことが好きです。でもアイズさんは、恋とかよく分からないみたいで」

 

「あ〜、それはまあねぇ」

 

「それで、私はノアさんのことが好きになりました。……は、はい。この話はこれでおしまいです」

 

「いや、そこ!そこが聞きたいんだって!」

 

「そうよ!いきなりどうしてそんなことになったの!詳しくしっかり教えなさい!!」

 

「え、えぇ〜!」

 

ちなみにであるが、この会話はアキも作業をしながら聞いていたりもする。というか彼女はここでレフィーヤの見張りをしていた。まさか無いとは思うが、レフィーヤがノアとアイズの時間に割り込んで行ってしまわないように。

しかしその心配は杞憂ではあったものの、これはこれで良い話を聞けそうではあった。全部本当のことは言わないにしても、それなりのことは聞けるのではないかと。

 

 

「……仕方ないじゃないですか。好きになっちゃったんですから」

 

 

「「「〜〜〜!!」」」

 

しかし、レフィーヤは可愛かった。

思っていた以上に、愛らしい恋する乙女の顔を見せた。

さしものアキも、これには面を食らってしまった。

 

「……別に、アイズさんの邪魔をするつもりはないんです。アイズさんがノアさんの気持ちに応えてくれるのなら、私は大人しく身を引くつもりです」

 

「え?そ、それでいいの……?」

 

「いいんです。でもその間も、私はノアさんに好きになって貰えるように頑張ります。……アイズさんがノアさんに振り向いてくれるか。ノアさんが私に振り向いてくれるか。私の目標はそのどちらかです」

 

「……でも、それだとアンタの気持ちはどうなるのよ。もしノアがアイズとくっ付いたら、それをずっと見せ付けられることになるのよ?」

 

「……別に、私は好きな人のことが欲しい訳じゃないですから。私はただ、私の好きになった人に……誰よりも、幸せになって欲しい」

 

「「おお……」」

 

なんならその一言は、誰よりもノアに聞かせてはならない言葉であったりもするけれども。しかしレフィーヤのその気持ちは、間違いなく本物だった。

……ノアに対する気持ちは、心からのものだった。

 

「ちょ、ちょっとちょっと!本当にどうしちゃったの!少し見ない間に急にしっかりしちゃって!」

 

「そ、そうでしょうか……?」

 

「そうだよ!今日だって途中から魔法の支援すごく上手だったし!リヴェリアも褒めてたじゃん!」

 

「そ、それはその、ノアさんが守ってくれたので……」

 

「は〜、やっぱり恋する乙女は強くなるのねぇ」

 

「ちぇ〜っ、いいなぁ。レフィーヤに先越された〜」

 

……などと話している3人であるが、実際のところ、それを後ろで聞いているアキの思考はそれほど可愛いものではない。

そもそもアキがレフィーヤを見張るように指示を受けた理由、リヴェリアがそれを指示した理由。それこそが今正にティオナの言っていた、49階層での活躍が原因だからだ。

 

確かに、今日の49階層でのレフィーヤの動きは見事だった。ノアに守られながらも後ろから魔法を放ち、リヴェリアの詠唱が完了するまでの時間稼ぎに見事貢献して見せた。これはフィンであっても手放しに誉めていたし、ファミリアとしても喜ばしいことであることに間違いない。

 

……だが、リヴェリアの認識は違った。

誰よりも魔導士としての経験のある、リヴェリアが見ていた光景は、それとは違う。それは本当に一流の魔導士であり、かつレフィーヤの師でもある彼女だからこそ気付けた、僅かな違い。

 

 

……レフィーヤは、『並行詠唱』を使用していた。

 

 

それは、それほど大きなものではない。

ほんの半歩、その程度のものだった。

しかしそれまでのレフィーヤは、自身の強大な魔力を暴発させてしまう危険性があった故に、常に安全を取り、僅か半歩であっても自分から並行詠唱を使用したりはしなかった。

だからこそ、それをあの瞬間に使用したことがあり得ない。その半歩を、見事に使い熟していたことがあり得ない。……そう、使い熟していたのだ。無意識にも、必死になって、癖すら付いていないはずの、その半歩を。

 

「あれ?レフィーヤ、そんな飾り物付けてたっけ?」

 

ティオナが話す。

 

「え?あ、これですか?……その、私もいつから持ってたか分からないんですけど。凄く大事な物な気がするので、ちゃんと持っていようかなって思って」

 

「へぇ、なかなか綺麗じゃない。……黄色の、何の花かしら?見たことないわね」

 

「うん、でもなんか私も好きだなぁ。なんかこう、元気を貰えるって感じがする」

 

「図鑑にも載ってなかったんです。……でも、私の大切な宝物です」

 

レフィーヤはその黄色の花が彫られた飾りを、大切そうに抱え込む。

少し特徴的な形をしたその花。アキはチラとそれに目を向けて、大まかな色と形をメモに取る。……もちろんアキとて、その花のことは知らない。それこそ初めて見たと言っても良いくらいに。

しかしアキは聞かされている。

恐らくノアの主神とも思われる神は、花に関係しているのだと。そして主にヘルメスが中心となって、その花についての情報を探していると。

レフィーヤがそれに何らかの影響を受けたというのも、決して考え過ぎということでもないだろう。このレフィーヤの成長がそれに関係していたとしても、それは決して不思議な話ではない。

 

 

「…………嫌な仕事。みんな願ってることは同じ筈なのに」

 

 

1人の人間を幸せにするということは、神の力まで使わなければ成し遂げられないのかと。きっとその"みんな"に含まれる誰もが思っている筈だ。

 

ノアとアイズはまだ帰って来ない。

けれどやっぱりアキには、2人が仲睦まじく帰ってくるような姿を想像することが出来なかった。

 

 

 

 

 

「……ノアさん」

 

「……レフィーヤさん」

 

「今、少しいいですか……?」

 

「……はい、大丈夫です」

 

フィンによる夜の確認を終えた後、ノアはテントに入ることもなくただ静かに椅子に座って眼を閉じていた。

明日は未到達階層の59階層を目指す前に、ディアンケヒト・ファミリアからの依頼をこなすため、51階層のカドモスの泉にて、泉水を採取しに行くらしい。しかしノアの役割はキャンプの防衛。アイズともレフィーヤとも一緒ではなく、特に危険もない。

そもそも、そんな精神状態ではない。そんなことは、その場にいた誰もが察している。

 

「……私と同じ感情を持てないって、言われちゃいました」

 

「っ」

 

「アイズさんも、努力してくれているんです。私の気持ちに応えようと、色々と考えていてくれている」

 

「……ノアさん」

 

「レフィーヤさんにも、お手伝いして貰ってるのに。リヴェリアさんやアキさんにも、ヘルメス様にだって、協力して貰ってるのに」

 

 

 

「………何が、足りないんだろう」

 

 

 

「足りない物が分かれば、努力するのに……」

 

 

 

弱音を漏らす。

レフィーヤから隠すように目元に手を置くけれど、しかし少し震えてしまっているその身体と声を見て、何も分からないほどレフィーヤは無知ではない。

 

「……今なら、誰も見ていませんから。私しか、居ませんから」

 

「……すみません」

 

「大丈夫です……大丈夫ですから」

 

ノアの隣に座って、その背中をさする。

……駄目だったのは、分かっていた。駄目になることすら、分かっていた。今これで済んでいるのは、まだ可能性がゼロにはなっていないからだ。

 

だが、ノアはもう何も分からない。

何をどうすればいいのか、自分は何を間違えたのか、どうしたらアイズの気持ちを惹くことが出来るのか。アイズ本人すら分からないそれを、ノアだって当然のように分からない。

やるべきことさえ分かれば、それまでのように走ることが出来るのに。それすら分からないから、途方に暮れる。最初の3年という猶予のうち、その大半を使い切ってしまった今になって、それまで以上にどうしようもない壁に突き当たってしまって、絶望している。

 

「ノアさんは、頑張っていますよ」

 

「…………」

 

「私は、ノアさんよりも頑張っている人を、他に見たことがありません」

 

「……でも、結果が出ません」

 

「結果はちゃんと出てますよ。……少なくとも私は、そんなノアさんの姿を見て、お手伝いをすることを決めました」

 

レフィーヤはぎゅっと、彼の背中を抱き締める。

男とか、女とか、エルフとか、しきたりとか。そういうものを全部投げ捨てて。ただ目の前の人のために、自分を捧げる。

 

「私の3年を、貴方にあげます」

 

「……え?」

 

そう、決めた。

彼に捧げると、そう決めた。

 

「これから3年間、私の人生は貴方の物です。私はこれから、貴方が幸せになれるための努力をしたいと思います」

 

「……どうして、そこまで」

 

「……私が、そうしたいと思ったから。ノアさんに、幸せになって欲しいって。そう思ったから」

 

なぜそう思ったのかと聞かれても、自分がそうしたいと思ったからという理由以外に他にない。でもこの人を絶対に見捨てたくないと思ったし、見捨てられないとも思った。見捨ててしまったら、自分の中の大切な何かまで消えてしまう確信がある。

 

「……夢を、見るんです」

 

「夢……?」

 

「夢の中の私は、何かに只管に後悔している。ただ無為に時間を消費して、一歩踏み出すだけで救えたかもしれないそれを、いつでも踏み出せたはずのその一歩を、何もしなかった自分を、ずっとずっと憎んでいる……」

 

「レフィーヤさん……」

 

「私はいつも誰かの後ろで、誰かに言われるがままで、自分で何かをしようともしなかった。何かをしようにも、他の人の力を、他の人の言葉を頼る。……自分には関係ないと、心のどこかでそう思っている。きっと夢の中のアレは、未来の自分なんだって思ったんです」

 

「未来の、自分……」

 

レフィーヤのその夢が、自分が時間を遡ってきたことに関係があるのか無いのか。ノアにはそれは分からない。ただレフィーヤはそう信じて疑わないし、このままではそうなってしまうという確信がどこかにあった。

 

「だから一先ず、私の3年間をノアさんにお渡しします。そこからの契約の継続については、またその時にって感じで」

 

「……その3年間、無駄になってしまうかもしれませんよ?」

 

「でもその3年間で、貴方を救えるかもしれない」

 

「………」

 

「エルフの寿命は長いんです。だからそんなに重く感じないでください。ただ私はノアさんが幸せになれるように、全力でお手伝いをする。それだけなんですから」

 

ノアは思い出す、前の世界のレフィーヤのことを。

彼女は1つ年下の自分のことを可愛がってくれて、世話を焼こうとして、度々失敗していた覚えがある。その度にリヴェリアに怒られて、自分がそれをフォローしに行く。記憶に残っている彼女との関係は、そんなものだ。

ベル・クラネルが現れた頃からは、ロキ・ファミリアはなにかと必死に忙しくて、レフィーヤも忙しくて、自分もそれどころではなくて。結局死んでしまうその時まで、彼女とはあまり関わることは出来なかったけれど。

 

「……その契約の代償は、なんですか?」

 

「え?」

 

「契約ですから、私も何かを差し出さないと。……私に差し出せるものなんて殆どないですけど、レフィーヤさんが欲しいものがあれば」

 

彼女は本当に、直向きな人だから。

彼女のことはきっと、信用しても後悔することはないだろうから。

だから。

 

「それなら……死なないで欲しいです」

 

「……!」

 

「もし、アイズさんとの恋が駄目になってしまっても……死んで欲しくないです。苦しくて、辛いかもしれないけど、生きていて欲しいです」

 

「それは……」

 

「そうなった時は!……私が、ノアさんのこと、幸せにしてみせますから」

 

レフィーヤは、叩き付ける。

感情を。想いを。

 

「だから、どうか……生きていて下さい」

 

「生き、て……」

 

「その時は、本当に……私の人生、全部。ノアさんに差し上げてもいいですから」

 

そう思ってもいいくらいに。

 

「私にとっては、大切な人ですから」

 

ずっとずっと、未来から。

彼はそれを、知らなかったかもしれないけど。



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21.○○の時間

 

「……アイズさんとレフィーヤさん、大丈夫でしょうか」

 

「ふむ、まあ出発する時の2人は特段問題はなかった。心配は不要だろう」

 

「……普段と何も変わらないっていうのも、それはそれで少しショックですね」

 

「あ、ああ。まあ、なんだ……お前も少し立ち直れたようで私は安心した」

 

「レフィーヤさんが慰めてくれたので。昨日のまま引き摺ってたら、それは夜遅くまで付き合ってくれたレフィーヤさんに失礼ですから」

 

「……そうか」

 

主戦力が51階層に向かっている間、ノアとリヴェリアは拠点にて防衛のため待機していた。他にもアキを含めた二軍メンバーも待機しているが、彼等は彼等でこの後に控えている59階層への攻略に向けた準備をしている。

ノアの仕事はない。

良くも悪くも、皆が彼に仕事を回さないようにしてしまっているから。

 

「なんとなく、アイズさんの気持ちが分かった気がします」

 

「?」

 

「レフィーヤさんが、私のことを本当に心配してくれて。すごく嬉しくて。……でも、私なんかのためにどうしてあそこまで言ってくれるのか、分からなくて」

 

「ふむ………」

 

「多分、アイズさんもそうだったんだと思います。だからその理由を、知りたかったんでしょう」

 

嬉しかった。心の底から。

でも、どうしてあんなにも自分に寄り添ってくれるのか分からなくて、困惑もした。つまりは素直に受け取ることが出来なかった。本当にその優しさを受け取ってもいいのか、戸惑った。

だからきっとアイズも、同じ気持ちだったのだろう。その言葉は嬉しかったけど、どうしてそこまで言ってくれるのか分からなくて……困らせてしまった。

 

「……私が思うに、本来そう言った理由を優先して聞く必要はない。どのような理由があろうと、好ましいという感情に変わりはないからな。故に必要なのは、その感情に最初にどう向き合うかだ」

 

「どう、向き合うか……?」

 

「そういう意味では、アイズはようやく自分に向き合えたと言える。…‥お前の気持ちは嬉しいのに、自分の心がついて行かないと。そうして一先ず、今の時点での結論を出すことが出来た」

 

「………」

 

「自分が今どう思っているか。それを認識することが始まりなんだ。……理由なんて物は、その後に積み重ねて、次の結論に繋げるためにある」

 

ノアはその言葉を反復する。

……だとしたら、確かに自分は間違えていたのかもしれない。中途半端にしておかずに、仮にその時に振られたとしても、最初に彼女の想いを聞いておくべきだったのかと。怖がって聞かずに、先延ばしにしていたから、彼女は自分の結論に向き合えず、ノアについて、そして恋愛について知ろうとした。結論の上に積み重ねることが出来なかった。

 

……だってこれは本来、もっと簡単な話だったのだから。

いきなり現れた人物に好意を伝えられた。嬉しかったけど、流石に出会ったばかりで好意までは湧いていない。だから貴方のことを教えてください、どうして好きになったのかを教えてください。そうして時間を積み重ねて、また次の結論を出させてください。

たったこれだけ。

 

それを変に捻くり回して、余計な要素を入れて、互いに考え過ぎた。英雄なんて話は要らなかった。魂が砕けるほどの無茶なんて要らなかった。焦るような状況を作るべきではなかった。……もっと、もっと普通の、単純な好意を、単純な状況で伝えていれば。

ノアはそう考える、反省する。

 

……とは言え、仮にそうだとしても。

英雄になってくれないような人間を相手に、今日までのアイズが今ほど興味を持ってくれるかどうかは絶望的、と言う現実だって当然にある。そのノアの反省が合っているのか間違っているのかは、彼がそれを口に出さなければ誰にも判断することは出来ないし、口に出さない限りは誰も間違いに気づくことも出来ない。

 

「むしろ私は安心しているくらいだ。アイズがお前を引き止めるためだけに、未だ感情が出来てもいないにも関わらず、お前を受け入れてしまわないか。それが心配だった。……そんなものは、お前も嬉しいところではないだろう?」

 

「……はい、その通りですね」

 

「ノア、まだ終わってなどいない。むしろ、ここからが始まりだ。お前達はようやく一歩を踏み出せたんだ」

 

「まだ……間に合いますか……?」

 

「間に合わなかったら、諦められるのか?」

 

「……無理です」

 

「なら、間に合わせるしかないだろう。……なに、大丈夫だ。お前はこれまで努力を重ねて来た。それはいつか必ず、お前を救ってくれる」

 

「……ありがとうございます、リヴェリアさん」

 

リヴェリアとて、今こうして偉そうに話した内容の全てに筋が通っていると思っている訳ではない。これは単にノアを励ますために作った説得であり、実際のところ状況はかなり悪いだろう。

アイズが既にノアとの関係を一度諦めかけてしまったことや、自分よりレフィーヤと居た方が幸せになれると言葉にしてしまったこと。きっと彼女はこれから何かに付けて、他の女性と自分を比較するようになってしまう。そしてノアを好きになれないことを気にして、自分は元より幸せになどなれないのではないかと思ってしまうかもしれない。

一方でノアもまた、傷跡は深い。レフィーヤがなんとか立ち直らせてくれたとは言え、アイズがノアを好きになるために本気で努力していて、それが実らないことをアイズ自身も気にしていたことを知ってしまった。アイズが何も考えていなかったのならまだしも、彼女は必死だったのだ。前者と後者とでは、まるで意味が違う。ノアの心の中にも、本当は何をしても自分と彼女は結ばれないのではないかという疑いが生まれてしまった。これはあまりにも大きい。

 

(……この子達が、何か悪いことをしたのか?)

 

なぜ、年端も行かない彼等がこんなにも辛い経験をしなくてはならない。彼等の歳での恋愛なんて、普通はもっと甘くて酸っぱい、未熟で可愛らしくとも真剣な、そんなものでいいはずなのに。どうしてこうも自分ですら目を覆いたくなるような悲惨なことになる。

 

正直リヴェリアはもう、そのうち現れるというアイズの運命の相手に対して、素直に受け入れられる気がしなかった。その人物がどれだけ優しく、優れた人間であったとしても、きっと心からの笑顔を向けることなんて出来ない。

 

……それでも、きっと。

この遠征が終わった辺りくらいに、その人物は現れるのだろう。

どのような形かは分からないが、どの時点の話になるのかは分からないが、ノアの反応を見ていればそれは明らかだ。その詳細を本人に直接聞くことをロキに止められているのが、本当に歯痒くて仕方ない。

 

その人物を止められるか?

アイズと出会わないように仕向けられるのか?

 

……いや、それは無理だろう。

そんなことが出来るのなら、ノアもそちらにもっと全力を出す筈だ。2人を会わせないように、もっと大々的に動いている筈だ。彼は誠実ではあるけれど、穢れがない訳ではない。それに3年という制限を最初に決めて、あれほど死物狂いになるくらいには、その人物のことを警戒して恐れていたのだから。特に余裕のない今であれば、きっとそれを躊躇わないだろう。

 

……だからつまりは、ノア自身がもうどうしようもないと確信しているのか、そもそもその人物に関してもう殆ど記憶に無いのか、若しくは最初から知らなかったのか。そのどれか。

 

(運命の相手、か……)

 

厄介なものだ。

本来は喜ぶべき存在な筈なのに。

ノアのように敵対する立場になれば、途端にどうしようもなくなる。きっと最初の出会いを潰しても、別の機会に出会ってしまうのだろう。何故なら、運命の相手なのだから。否が応でも、運命と、世界と、敵対することになってしまう。

 

(だからこそ、私はお前を応援したくなる。……運命と世界に争ってまでも、あの子を欲しいと言ってくれるお前が。たとえそれが神に導かれた結果であったとしても、ここまで来れるのはお前くらいだ)

 

狂っていても、狂気を秘めていても。それでも誠実さを忘れずに、真面目にここまで来たからこそ、応援してくれる人間が居るのだ。

 

 

……フィン・ディムナは言っていた。

 

『女神フレイヤが彼には一切興味を示している様子がない。僕個人でそれとなくオッタルに探りを入れてみたけれど、大凡間違いなかった。認識はしているが、触る様子はない。……つまり彼はレベル6になるほどの逸材であったにも関わらず、神々にとっては手元に置きたいと思うような存在ではないんだろう』

 

 

『……けれど』

 

 

『僕個人としては好きだよ。それが何であろうと、1つの目的のためになりふり構わず走り続ける。僕にとってそれは、何より共感出来ることだからね。下手な人間より、よっぽど信頼している』

 

リヴェリアも同感だ。そんなの誰もが好きだ、好きに決まっている。そういう人間の元に、背中に、人は見惚れて、集まる。集まりたくなる。フィンに集ったロキ・ファミリアのように。

だからリヴェリアだって、ここにいるのだから。

応援してしまって、いるのだから。

 

 

「……ノア」

 

 

「はい……?」

 

 

「私はお前を応援している」

 

 

「………!!!」

 

アイズの保護者として、本当は良くないのだろうけれども。

それでも。

リヴェリアはノアを心から応援している。

 

 

 

 

 

 

ノア・ユニセラフにとって、この遠征というのは実は2度目になる。その時は雑用をこなす下っ端だった。しかし既にノアの記憶は虫食いの穴だらけになっており、覚えていることは本当に部分的なものでしかない。

それでも覚えているのは、この遠征ではロキ・ファミリアは撤退を余儀なくされるということ。今回と同じようにキャンプに残っていたところを、緑色のモンスター達に突然襲われ、自分の武器を溶かされてしまったこと。

何も出来ずに退避することしか出来なかった自分を、後から駆け付けて来たアイズ達に助けられてしまった時の、あの無力感。ノアはそれを忘れてはいない。……アイズを1人ここに取り残すとフィンが決めた時のあの無力感を、忘れてなどいない。

 

「痛いなぁ……」

 

ズルリと、爛れた腕を引き抜く。

握った奇妙な色の魔石を握り潰すと、直ぐに場所を変えて別に控えていた別の個体に自分の腕を突き刺す。グジュリと伝わる嫌な感触、徐々に肉体を溶かされていく焼けるような痛み。しかし別に、今更こんなものはそれほど驚くような痛みでもない。

 

「っ、ノア!!」

 

「リヴェリアさんは詠唱をお願いします!時間は私が稼ぎますので!」

 

「………っ、分かった!!」

 

緑色の芋虫のようなモンスター達。これは肉体そのものが溶解液の爆弾であり、攻撃した武器が容易く溶かされるだけでなく、倒してしまっても爆発して、結果的に溶解液を撒き散らす。そんな厄介なモンスターだった。

故に対処法は遠距離攻撃か不壊属性の武器でしかなく、それを知らずに既に団員の何人かが負傷してしまっている。これはタイミングが分からずに出遅れたノアの責任だ、と本人は思っている。

 

だからノアがやっているのは、その習性を利用した同士討ちである。

適当に見つけたモンスターの身体に腕を突っ込み魔石を破壊すると、それを放置するか、そのまま投げ捨てて集団の中で爆発させる。このモンスター達は間抜けなことに、自分達の溶解液を完全に無効化出来る訳ではないのだ。故に同士討ちが非常に有効的に働く。加えて……

 

「結局、攻撃方法は溶解液だけですからねっ……!!」

 

処理する余裕がなくなって来たら、もうそのまま適当な場所に投げたり蹴ったりする。溶解液は避けて、避けれないようなら他の個体を盾にして、跳ね返る溶解液など気にすることなく、とにかく押し寄せるモンスター達を処理する。

……まともに動ける前衛は自分だけ。しかし自分がこうして動いているからこそ、後衛の魔導士達による援護を受けることが出来ている。

 

「っ、痛ぃ……」

 

避けきれなかった溶解液を、左手を犠牲にしてなんとか防ぐ。

溶解液のせいで自分の付けていた防具なんて殆どが溶けてしまっているし、衣服もボロボロだ。……本当に、こんな姿を彼女に見せたくない。

しかしノアの身体は一定以上の損傷を受けることがなく、溶解液による侵食は一定のところで停止する。どころか溶解液よりも自身の再生力の方がよっぽど上回っており、着弾した瞬間は溶けるが、直後に再生が始まるような有様だ。問題はその一瞬の痛みくらい。だがそれも一瞬であるだけまだマシか。

普通の人間ならば痛みに悶え苦しむほどのそれでも、数多の苦痛を経験して来たノアにとっては顔を歪ませる程度のものでしかない。特に耐異常と高い耐久も作用して、ダメージは誰よりもマシなのだ。この役割は誰より自分にも適している。それほど器用に立ち回ることは出来なくとも、ステイタスに任せたゴリ押しだけでなんとかなる。

 

「ノア!下がって!!こっち!!」

 

「アキさん……!」

 

気付くと、リヴェリアの魔法が完成していた。きっと最前線で身体を張る自分のために、全速力で魔法を用意してくれたのだろう。

合図をしてくれたアキの声に従って、ノアは陣地へと走る。

 

「!?あぐっ……」

 

「ノア!!」

 

「だ、大丈夫です……!!」

 

走り出した背中を溶解液で狙われる。それは確かにまともに直撃してはしまったが、そもそも自分には溶解液は効かない。直ぐに再生を始めて、問題なく走り続ける。

……本当に、こういう時に自分の未熟さを自覚させられる。同じレベル6の他の冒険者であれば、こんな風に情けなく背後から攻撃を受けたりはしないだろうに。結局自分には才能はなく、ステイタスとスキルで強引にここまで来れただけなのだ。技術という面で言えば、レベル6相応のものなんて持っていない。

 

「良かった!……リヴェリア様!!」

 

 

【レア・ラーヴァテイン】!!!

 

 

階層ごと焼き払うような灼熱の炎が、全てのモンスターを焼き払う。最早美しいとも表現出来るような爆炎の大波。もしあの場に残っていれば、レベル6にまでなったこの身体があったとしても、相当に苦しかっただろう。ヘル・ハウンドに焼かれた日々が懐かしい。

 

なんとか陣地に飛び込んだノアは、アキに手渡されたポーションを飲みながら、新しい服を羽織らされる。それなりに見た目に気を付けて選んできた服であったのに、こんなにもボロボロにされてしまった。防具だって剣だって、結局溶けて無くなってしまったし。

……そうでなくとも、やはり被害は大きい。

 

「ノア!!………また無茶をしてくれたな」

 

「まあその、私にしか出来ない仕事でしたから……」

 

「……ああ、そうだな。今回ばかりはお前に感謝するしかない」

 

複雑な表情をしながら、リヴェリアは彼の頭を撫でる。本来ならば無茶をしたことを怒りたいところではあったが、彼がああしていたからこそ団員達の被害が少なく済んだのは間違いない。そうでなければ完全に消耗戦で負けていただろう。少なくとも自分がこうして詠唱をする時間を稼ぐことは出来ていなかった筈だ。

 

「だが……こいつらは一体何者だ?どこから湧いて来た?」

 

「……一先ず、撤退の準備はした方がいいかもしれません。今のが第一陣の可能性もありますし、ここから更に親玉が現れる可能性もありますから」

 

「……なるほどな、分かった。アキ!撤退の準備をしろ!フィン達が戻り次第、直ぐに地上への帰還を始める!!」

 

「え?は、はい!分かりました!!」

 

リヴェリアは服を着替えながらそう言ったノアの言葉を信じ、撤退の指示を出す。ノアはまだ知らないだろうが、リヴェリアはノアが時間をやり直しているであろうことを知っている。つまりは今の言葉も、そういうことなのだろうと想像が付く。

そしてノアが焦っていないということは……

 

「リヴェリア!!」

 

「フィン!」

 

51階層に向かっていた彼等もまた、無事に帰ってくるということ。

その様子を見るに彼等も自分達と同様のモンスターに襲われていたらしいが、少なくとも怪我人はラウル1人。なんとか突破は出来たらしい。

 

「ノアさん!?その姿……!」

 

「え?あ、あはは……大丈夫ですよ?ほらこの通り」

 

「………ノア」

 

「なるほど、また無茶をしたみたいだね」

 

「あまり責めてやるな、今回はその無茶のおかげで何とかなった。……それとフィン、直ぐに撤退の準備を始める。第二波が来る可能性が高い」

 

「ふむ……分かった、そういうことか。幸いにも物資の損害はそれほど多くないみたいだし、確かに撤退するなら今のうちだろうね」

 

リヴェリアの視線とその意図に気づいたフィンは、彼女の意見を肯定する。

すっかりと服は着替えたものの、元の服の酷い有様になった残骸を見て顔を青くしているレフィーヤと、何となく気まずそうに、けれど確かに心配そうな顔をしているアイズに見られて弁解をしているノアは、もちろんフィンとリヴェリアのその視線に気付くことはない。

 

……ノアは未だに戦闘の準備をしている。

鞄の中身を入れ替えていて、予備の剣を腰に付けていた。

だからつまりは、来るのだろう。

そして自分達は、それを見逃せない。

ノアはそれと、戦うつもりなのだと。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!

 

 

 

 

「………なに、あれ」

 

ティオナが呟く。

 

「……あれも、下の階層から来たっての?」

 

ティオネの顔が引き攣る。

 

「あれが親玉、か……」

 

リヴェリアは目を細めた。

 

 

 

「………さあ、約束を守る時間です」

 

ノアは剣を握り締める。

この遠征最後の機会である、この瞬間を前にして。




今のところ28話まで書き貯めがあります。
28話も自分で自分の作品に泣かされながら書きました。
今後も読んで頂けると幸いです。


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22.約束の○○

ああ、なるほどな。

フィンはそう思いながら、ノアからの視線を受ける。

突如として50階層に出現した、大樹のように大きな異形のモンスター。それは明らかにそれまで戦っていた芋虫のようなモンスター達と同類で、同じ性質を持っているようだった。その上、そのモンスターは爆粉による広範囲爆撃を得意としており、恐らく倒してしまえば芋虫型と同様に大量の溶解液を撒き散らしながら爆発する。何をするにも厄介な、尖兵として何より向いた要素の詰め込み。

 

……きっと、それを見て未来の自分もこう考えたのだろう。

このモンスターに対しては、アイズを1人で打つけるしかない。そして他の団員達は、アイズを残してここから距離を取る必要があると。そして実際にそれを実行して、成功したのだ。だからこの世界においても、きっと同じことをすれば成功する。だってそれほどに、このモンスターとアイズの能力の相性は良い。アイズが負ける道理がない。

 

(だが、それでは駄目なんだろう?)

 

だってそれでは、アイズが1人で戦うことになってしまうから。

必ず側に居て、必ず助けると言った彼の言葉が、約束が、嘘になってしまう。だから彼は戦う準備をしていたし、フィンに対しても絶対に退かないという意志を伝えている。

……勿論、あのモンスターとノアとの相性は良くない。そもそも使い勝手の良い魔法など持っていないし、攻撃手段も限られているからだ。

だがそれでも彼はやるのだろう。

彼にとってその約束は、他の何より優先すべきものであるから。

 

「……アイズ、ノア。君達2人であのモンスターを倒してくれ」

 

「「!」」

 

「他は全員撤退だ、急げ」

 

「なっ!本気で言ってんのかフィン!!」

 

「そうですよ団長!そんな、2人だけなんて!」

 

「時間がない!2度も言わせるな!全員撤退だ!急げ!!」

 

ノアは静かにフィンに対して頭を下げる。

リヴェリアもその様子を見て、なんとも言えない顔をして撤退の準備を始める。他の団員達も納得した様子はなくとも、渋々といった様子でフィンの指示通りに動き始めた。

……分かっているとも、これは合理的な指示ではないと。だから納得出来ない団員も居ることだろう。しかしそれでも、ある意味ではこれ以外の指示などあり得ないのだ。それこそ、"団員全員"を"無事"に帰還させるためには。これ以外には。

 

「ノア、分かっているね?」

 

「はい……ありがとうございます」

 

素直に頭を下げられる。

仮にノアをここから無理矢理に撤退させてしまえば、きっと彼は腹を抉られる以上に大きなダメージを受けてしまうだろう。彼の心に致命的なダメージを残すことになってしまう。だから多少の危険は覚悟してでも、彼をここに残す以外の選択など、そもそも存在してはいなかった。

これはこれで、フィンの中では最善の選択だったのだ。

団員を守るための、最善の。

 

「ノア………大丈夫……?」

 

「ええ。大丈夫ですよ、アイズさん。……さて、どう料理しましょうか。先ずは皆さんが距離を取る時間を稼がないといけませんね」

 

「……私がやる」

 

「分かりました。それでは、私はアイズさんの援護をしますね。……私にはアイズさんのような速度はありませんが、好きなだけ全力でやってください。余波で死んだりなんかしませんから」

 

「……うん、分かった」

 

なんとなく、なんとなくぎこちない会話。

あの夜からなんとなく話し難い雰囲気があって、それはアイズとて感じている。しかし対してノアの方はと言われれば、最早それどころではない。なぜならこの瞬間、この場所こそが、この遠征における最後とも言っても良いチャンスであるからだ。そしてベル・クラネルに出会う前の最後の機会。ここが分かれ道と言っても良い。……ここで失敗し、約束を破り、彼女に見放されてしまったら。もう巻き返すことは不可能に近い状態になってしまう。

 

「アイズさん」

 

「?」

 

「大丈夫です。……私はアイズさんのこと、ちゃんと助けますから」

 

「!」

 

ノアは剣を引き抜く。

 

アイズもまた剣を抜く。

 

その剣を持つ姿それでさえ、風格が違う。

 

才能も無く、ただ攻撃力を求めてそれを振るってきたノア。一方で才能に恵まれ、モンスターを引き裂くためにそれを振るって来たアイズ。

ステイタスだけで言えばノアの方が上だ。

しかしステイタス以外の何もかもがアイズの方が上だ。

きっと剣を打ち合えば、ノアに勝ち目など一切ない。

……それでも。

 

「っ、ノア!!」

 

死角から触手が振るわれる。

2人を薙ぎ払うように放たれたそれは、アイズより先にノアに向けて着弾する。アイズが気付いたその瞬間には、既にノアには手遅れだった。棒立ちしていたノアにそれは直撃し、アイズの元まで衝撃と豪風が伝わってくる。

……けれど、別に手遅れでも問題はなかった。

 

「ノア……?」

 

「……治療しましたので。今の私はさっきよりも、ずっと堅いですよ」

 

アイズであれば吹き飛ばされていたそれを、ノアは全身で受け止めて笑う。僅かに口端から血を1滴流しながら、確かに痛みと苦しさを感じながらも、それを誤魔化すように拭いながら笑う。

 

スキル【再起堅壁(レイ・ゼラフ)】。

それはノアがレベル6になった時に発現したもの。否、実際には半年の昏睡状態から目覚めた時に生まれたものだ。

単純に耐久のアビリティに高補正を与えるだけでなく、何らかの手段で治療を行った後、発展アビリティ『防護』が強化される。そして発展アビリティ『防護』は、自身の物理耐性と魔法耐性を向上させるものだ。

アキに手渡されてポーションを飲んだノアは、自慢の耐久力を更に増している。それこそ敵の触手による攻撃を、フォモールの時と同じように受け切るくらいには。そしてこの瞬間のノアの防御力は、明らかにガレスを超えていた。

 

「ふぅ……さ、頑張りましょう?どんな攻撃が来ても、私は必ずアイズさんのことを守りますから」

 

この日、アイズは初めて彼の強さを感じた。

それこそ一瞬胸が跳ねたくらいの、小さくとも大きな衝撃を。

 

 

 

 

 

「……すごい」

 

もう、本当に。

何がすごいかと言われたら、とにかく堅い。

 

爆粉による広範囲爆発に耐えるどころか、殆ど煤と皮膚の赤みが付くくらいに抑えているのは当然として。単純な物理攻撃なんて当然のように防いでしまい、そのまま敵の身体の一部を掴んでしまうと、本当に筋力だけで引き千切る。攻撃力に自信はないと言いつつも、確かにガレスほどはなくとも、十分な力が彼には存在していたのだ。

こんなにも可愛らしい女性のような容姿をしているのに、その実ステイタスはゴリゴリの重戦士型。そのギャップにアイズも思わず目をパチクリさせて、殆どヘイトを取れていない自分の働きを今一度戒める。

 

一緒にダンジョンに潜っていた時にはこんな防御力をお披露目する機会など無かったし、それこそ精々フォモールを相手にレフィーヤを守っていた時にチラと目にした時くらいのものだ。あれも後から考えて気のせいだったのかとも思ったが、それは全くもって気のせいでは無かったということ。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!!」

 

「っ、ありがとうございます。アイズさん」

 

「うん……!」

 

ただし、腐食液だけは別だ。

それだけは、彼にも効果があった。

……とは言え、受けた直後にすっかり元通りに回復してしまうけれど。そちらの方がアイズにとっては信じられなかったけれど。それでも腐食液を受けた時に彼が辛そうな顔をしていたから、アイズは積極的に腐食液を自身の風で撃ち落とすようにして立ち回る。

 

そしてアイズが攻撃されそうになった時には……

 

「っ!!!」

 

「ノア……!」

 

「ちょっと潰されて来ますね」

 

攻撃の線上からアイズを追い出し、敵モンスターのヒレのような腕による攻撃に思いっ切り叩き潰される。アイズが食らっていたのであれば、大きなダメージになってしまっているであろう一撃。……しかし勿論、その程度の攻撃でノアにまともなダメージなど与えられる筈もなく。どころか彼はそのヒレを掴むと、強引に腕力でそれを引き千切った。

 

響き渡る悲鳴。ノアは順調に敵からのヘイトを集め、攻撃を集めていく。決して足を止めることなく、徹底的に敵の懐に攻め入り、その肉体を斬り付け、突き刺し、引き千切り、抉り取り、掘り進める。

 

……彼はこれしか知らない。

こういう倒し方ばかりをして来た、こうして敵を削り続けて来た。溶解液があろうが何だろうが、削り続ければ敵は弱くなる。

とても単純な話だ。

 

アイズのように剣を使って綺麗に敵を殺すなんて、そんなことは今更出来ないから。泥臭く、かっこ悪く、みっともなく。けれど才能がないなりに必死にやる。今日までも、これからも、ノア・ユニセラフにはそれしか出来ない。

 

「っ!」

 

「撤退完了の信号!!」

 

「アイズさん!私が隙を作ります!!」

 

「!……うん!」

 

そしてノアにはたった1つだけ、魔法がある。

それはとてもではないが使い勝手の良い魔法ではなく、ノアとて最後の手段でしか使わない。しかしそれは敵にハメられることの多いノアにとって、非常に重要な魔法であり、何より攻撃方法に乏しい彼にとって、唯一のまともな攻撃手段でもあった。

 

【開け(デストラクト)】

 

アイズと同じ付与魔法。付与する属性は爆破。

どうしようもなくなった状況を打開するため、そのためにヘルメスから与えられた魔導書によって発現した、彼の唯一の魔法。

 

そしてその魔法が付与する対象は、武器か。

……若しくは、自身の肉体。

 

「『ダメージ・バースト』!!」

 

潜り込んだ敵の懐に、自身の剣と腕に付与した魔法を思いっきりに叩き付ける。瞬間、生じるのは巨大な爆発。叩き付けた本人すら巻き込むような、大爆発。単純ではあるが、単純だからこそ威力のあるその一撃。

足元の肉体は完全に爆ぜ、支えるものを失ったモンスターは、大樹のように聳え立つその身体を悲鳴を上げながら傾かせた。抵抗するように周囲になりふり構わず爆粉を撒き散らし始めるが、しかしその攻撃はアイズにもノアにも通用しない。

 

「はぁ、はぁ………アイズさん!」

 

「うん……!!」

 

……ダメージ・バーストの代償は、これも単純。

付与した対象の破壊。

当然ながらノアの持っていた剣は砕け散り、ノア自身の両腕も爆散する。しかし、ノアの体はスキルによって一定以上の損壊はしない。つまりそのギリギリまでの破損はするものの、本来払うべき代償をまともに払う必要が無かった。

勿論そのせいで本来より魔法の威力は落ちているが、だが単なる苦痛を代償にこれほどの攻撃力を得られるのなら、彼の中では本当に安い物。ノアがこうして気軽に何度も使用してしまうのも仕方がない。

 

……だって実際にこうやって。この魔法がなければ、アイズの手助けをすることなんて出来なかったんだから。こうして何度も成功体験を得てしまった結果、ノアはこの魔法ありきでの作戦を立ててしまうようになったのだ。

 

 

「リル・ラファーガ」

 

 

最大出力の風を纏った最高速の突きが、倒れ無防備になったモンスターの頭部を刺し穿つ。

アイズの必殺技、文字通りの必ず殺す技。それは正しく閃光のように駆け巡り、モンスターが講じたあらゆる防御策を打ち破り、その核でもある魔石を一瞬で貫き、破壊した。ロキによって『必殺技は名前を叫ぶと攻撃力が上がる』という言葉を信じて今もこうして放ったそれは、結局のところ、そもそもの攻撃力が高過ぎて本当に上がっているのかどうか自分でもよく分かっていない。

 

「っ……!!」

 

……そしてノアは走り出す。リル・ラファーガを使用したことにより、地面に滑り込んでいるアイズの元に、未だ修復途中の肉体の悲鳴を無視して、折れていようが砕けていようが、強引に走り跳んでいく。

 

確かに、あのモンスターはこれで倒せただろう。だがあのモンスターは倒しただけで全てが丸く収まる訳ではない。それは戦う前から予想されていた。あの緑色のモンスターに共通する、死に際の爆発。その親玉ともなる最後っ屁は、果たしてどれほどの威力を持っているというのか。

 

「アイズさん!こっちに!」

 

「う、うん……!」

 

アイズの手を取り、一心不乱に抱き抱えると、近くの木の幹に隠れるようにして、背中越しに爆発を受ける。溶解液や爆粉、そして衝撃などの諸々が混ざり合った強大な爆発。周囲一体を荒野に変えるようなそれから、ノアは自分の身体を盾にしてアイズの身体を守り切る。

……もちろん、こんな事をしなくとも、アイズならば風魔法で生きて帰ることは出来るだろう。ダメージも受けるだろうが、それは致命傷になるほどではない。だがしかし、ノアはアイズを守ると約束した。ならばここでこうしない理由が存在しない。アイズが1%でも死んでしまう可能性がある以上は、ノアは絶対にこうする。アイズを守るために、死力を尽くす。

 

「っ」

 

「ぅっ……ふ……ふふ、なんとか耐えられましたか。アイズさんはどうですか?怪我はありませんか?」

 

「う、うん……ノアは?大丈夫?」

 

「ええ、そのために努力した身体ですから。これくらい、なんてことはありませんよ」

 

「……すごいね、ガレスみたいだった」

 

「ステイタスだけですけどね」

 

再生し始めた腐食液による背中の傷跡を、アイズにはバレないように会話で誤魔化す。血に濡れた衣服が腐食液によって溶かされることを、今だけは心の底から感謝する。折られて、焼かれて、溶かされて。けれど彼女の前ではなんてことないように振る舞った。我慢して、痩せ我慢して、笑みを作って、守り切る。その身体も、その心も。

 

「かっこよかったよ」

 

「……!!!」

 

けど、だとしても。

 

 

それは卑怯だと、思う……。

 

 

「私……アイズさんのこと、助けられましたか……?」

 

「うん」

 

「側に、居られましたか……?」

 

「うん……約束、守ってくれた」

 

本当に、涙腺が緩くなってしまった。

こんなにも簡単に。みっともないのに。

本当に、姿勢的に見られていないのがマシなくらいで。無理矢理に涙を拭いて、心を落ち着けて……

 

 

「ありがとう」

 

 

「………私こそ、ありがとうございます」

 

 

もっとかっこいい所を見せて、かっこいいままに終わる予定だったのに。

アイズさんは、ずるい。



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23.○○の周り

「ノアさんって、どういう人なんすか?」

 

「?なによ、いきなり」

 

隊列の前の方で、何故かアイズにまた姫持ちされて顔を覆っている彼を見ながら、ラウルはアキに話し掛ける。

あまりにも可哀想なその様子に隣に居るレフィーヤも苦笑いを浮かべているが、あれはあれでアイズなりの愛情表現なのだろうなと思いながら、一先ずリヴェリアも見て見ぬふり。まあ何にせよ、こうして触れようとするのは普通に良い傾向だから。ただ……

 

「なんというか、結構話してるアキとかはまだしも、他の団員からしてみれば何も分からないじゃないっすか?それこそ、突然レベル5で移籍して来たかと思ったら、半年も昏睡して、起きたらレベル6になってて、アイズさんもレフィーヤもあんな感じだし……」

 

「それはまあ……確かに」

 

事情を知っている者からすれば分かることではあるが、何も知らない団員からすれば彼のことについては本当に何も分からないだろう。

ノアとて積極的にコミュニケーションを取るタイプではあるが、最近はそれすらも難しい状況にあった。それこそノアと一度も会話をしたことのない団員も、ここにはそれなりに居ると言えば居る。

 

「あ、それ私も気になるわ。教えてよ」

 

「私も私も〜、気になる〜」

 

「2人も……」

 

これ幸いにと話に乗っかって来たのは、ティオナとティオネであった。実は2人もノアとはそれほど話したことはなく、精々少し言葉を交わしたくらい。丁寧な口調の大人しい人間かと最初は思っていたが、半年気絶して蓋を開けたらこの様だ。流石にアホみたいな速度でレベルを上げて来ただけはある。

そうでなくともレフィーヤの反応然り、アイズの反応然り、2人が興味を持ってしまうのは仕方のないことだろう。よく一緒にいる友人たちがあの様子なのだから、その相手の素性が気になるのは当然。

 

「あんなに美人なのに、男性なんすよね?あとアイズさんのことが好き、ってことくらいしか分からないんすけど」

 

「ん〜……歳はアイズより1つ下よ?」

 

「え!そうなの!?」

 

「まだまだ全然子供じゃない!」

 

「あんなに大人っぽいのに……」

 

「見た目だけよ。本人は割と妹気質というか、弟気質というか……」

 

「へぇ、なんか意外ね」

 

「まあ、個人的にはそんな感じで可愛がってるわね」

 

よくあることではあるが、レベルが高いというだけでその人物が如何にも恐ろしい人に思われてしまうということがある。まあもちろんノアは世間的に見たら十分に恐ろしい人間の部類に入るようなことをしているが。しかしそこに偏見があることは間違いなく、それでもレベル6になるような人間は何処か頭がおかしいというのまた悲しい事実。

とは言え……

 

「でもなんか意外よね」

 

「何がっすか?」

 

「ベートが突っ掛からないの。ここまでアイズのことが好きって広まってるのに、あいつ何も言わないじゃない?」

 

「それはまあ……ちゃんと強いし、努力してるし」

 

「ああ……」

 

「雑魚って言えないもんね〜、比べたらベートの方が雑魚なんだし」

 

「オイ!クソ女共!!聞こえてんぞ!!」

 

「やばっ」

 

どうやらベートも少し離れた場所からとは言え、この話を聞いていたらしい。確かに彼としても、ノアに関しては知りたいことが多いだろう。なにせ彼だけはノアが不死であることを知っている、そしてそれほどに異常な努力をしていたのだと理解している。同じ女性を狙う相手として、認めているどころの話ではない。

 

「でも凄いよねぇ。いくらアイズのためとは言っても、絶対ヘルメス・ファミリアの中核だったはずなのに。どうやって説得して来たんだろ?」

 

「確かに、あんまり無い話っすよね」

 

「アキはなんか知らないの?」

 

「……えと、あの子は3年前はまだレベル1だったんだけど」

 

「何回聞いてもおかしい話よね……」

 

「元々ヘルメス様と話してたみたいなのよ、ロキ・ファミリアに行きたいって」

 

「なるほど、それなら………ん?」

 

「あの子は基本的に1人でダンジョンに潜ってたから、ファミリア内での連携とかそもそも勉強してなかったみたいで。抜ける時も大きな問題はなかったみたい。むしろファミリアの等級が下がって良かったとか」

 

「ああ、そういう問題があるんすね」

 

「遠征は流石にねぇ、1人突出した奴がいると逆に大変になるのよねぇ」

 

実際、当時のヘルメスとしては本当に肩の荷が降りたという感じであった。ノアのせいでせっかく団員達のレベルを報告せずに等級を下げていたのに、その意味が無くなってしまったからだ。ある意味では健全な立場になったとも言えるが、ヘルメス・ファミリアの活動方針的にはそれはなかなかに厳しい。

……もちろん、その分の税金なりはノアの稼ぎで充てていたし、遠征も基本的にはノアが1人で行っていたので大きな問題は無かったが。それでもやはりヘルメスは苦労していた。

 

「……ねえ、それってもしかしてさ。ノアはアイズに追い付くためだけにレベル6まで上げたってこと?」

 

「え」

 

「……そう、なるわね」

 

「やば……」

 

「………」

 

やば、とか言わないであげて欲しい。

いや、間違いなくヤバい人ではあるのだけれど。やっていることは女神フレイヤのために鍛錬し続ける猛者オッタルと同じ……どころか、本人からの褒美どころか認識も無かったことを考えると、よりヤバい。

いくらあんなスキルがあるからと言って、改めてこうして一般人的な感性で見ると、本当に凄まじい執念と言えるだろう。頭オッタルどころか、頭ノアと言われても仕方のない案件だ。彼ならフレイヤ・ファミリアでも十分にやれていたと、アキは普通に思う。まあ向こうにアイズが居ない時点で無意味な仮定ではあるが。

 

「なんか、それを踏まえて考えると……アイズのことが好きって言葉もかなり重く感じるわね……」

 

「でも、ちゃんと誠実にやってるのよ?悪いことはしないで真面目にやって来たからこそ、アイズもレフィーヤも、私やリヴェリア様だって認めてる訳だし」

 

「でも、たった3年でレベル6なんてあり得るんすか……?」

 

「そうよね、アイズでさえそれなりに時間掛かったんでしょう?」

 

「でも、ロキも受け入れたんだし。ズルとかしてないんだよね?」

 

「……してないわ。うん、ズルなんてしてない」

 

チラと、今も顔を真っ赤にしながらアイズと何かを話しているノアを見る。彼は今もアイズに抱かれたままで、しかしそれは最初の時とは違い、少しは様になった抱き方だった。だからしっかりとノアを腕だけでなく身体を使って抱えているし、だからこそ互いの身体同士がしっかりと接触してしまって、ノアは大きく慌てている。

 

……そうだ、あんなのはズルではない。

あれは確かにレアスキルであるだろう。死なないという内容はあまりに大きな利点でもある。けれどアキはどうしても、彼の努力をズルとは呼びたくない。事実としてそのスキルによってここまで来れたけれど、そのスキルの"おかげ"だなんて言うのには酷い抵抗感がある。彼にとっては救いの手であったかもしれないけれど、客観的に見たそれはどう考えても悪魔の手だから。それほどの代償を支払って手に入れた力、それをズルと呼ぶのは、アキには出来ない。

 

「あまりあの子のことを誤解しないであげて。確かに普通じゃないけど、良い子なのは間違いないから」

 

せめて恋愛以外は、出来るだけ報われて欲しい。どうやっても上手くいかない恋愛以外には、苦労して欲しくない。それに、その辺りくらいなら、アキにだって助力出来るから。

 

「……なんかアキ、本当にお姉さんみたいだね」

 

「え?」

 

「まあ、確かに意外よね。背丈とか、見た目は普通に同い年かそれ以上に見えるのに。アキってば本当に自分の妹みたいに言うんだもの」

 

「………!」

 

「まあ、確かにアキにしては過保護気味っすよね。普段はそこまで団員に贔屓はしないっすけど、ノアさんにだけは結構気に掛けてるっていうか」

 

……3人の言葉に、アキ自身も確かに自分のこの強い拘りに気付く。

ラウルの言う通りだ。普段はなるべく団員全員とそれなりに上手く付き合い、精々特別扱いしているのはラウルくらい。ノアのように、ここまで深く長く、そして早く入れ込むのは珍しい。

もちろん、彼が可愛い後輩気質だということはある。自分のことを慕ってくれているということもある。……だとしても、それはここまで強く"幸せになって欲しい"と思うほどのことなのか。もちろん彼の状況を知って、同情してしまっているところはあるけれども。それにしても。

 

「っ」

 

アキの鞄に入っていたであろうそれが、突然地面に落ちる。

慌ててそれを拾い、確認してみれば……アキは眉を顰めて首を傾げた。

 

…‥こんな物を、自分は持っていただろうか。

 

真っ白で何も書かれていない、けれど決して新品には見えないような。そんな見覚えのない、黄色の手帳。

当たり前のように自分の鞄に入っていたそれに、なんだか強い親しみを感じると同時に、明らかに自分の好みではないその手帳に、どうしようもない違和感を抱いてしまった。

 

 

 

 

 

「なあヘルメス、実際何処まで残っとると思う?」

 

「残る?」

 

「痕跡や、神の力の」

 

「ああ、なるほどな……」

 

フィン達が遠征に行っている間、ヘルメスと共に行使された神の力について探っていたロキが、休憩がてらに入った茶屋で疑問を呈す。

未だにそれらしき場所は見つかっていない。街の中に詳しいガネーシャ・ファミリアや、都市内外の農作物に関わっているデメテル・ファミリアにも話を聞いてみたというのに、未だにそれらしき手掛かりは欠片程度も見つかりはしない。

ウラノスを通じて、ノアを起こした花弁が間違いなく神の力によるもので、同じ神の力で時間が巻き戻っているであろうことも、証拠は少ないものの殆ど確定であると結論付けられた。しかし発動された場所も分からず、発動した神についても分からない。徹底的に、何処にも痕跡が残されていない。

 

「ロキ、お前はこの状況をどう思う?予想でいいから言ってくれ」

 

「……ぶっちゃけ、行使した神は殆ど死にかけやろ」

 

「……というと?」

 

「干渉が少な過ぎる、本当にノアを救いたいんならもっと使うべきタイミングがあった筈や。それに……」

 

「?」

 

「恐らく、神の力は時間逆行以外にも、もう一つ使われとる」

 

「なっ、もう一つだと?」

 

「自分の存在の抹消や」

 

「!!」

 

「この黒幕さんは恐らく、意図的に自分の存在を抹消しとる。そうやないと、ここまで相手さんの正体を予想出来んなんて状況があり得へん。ウチとヘルメスとウラノスやぞ?なんぼ上手いことやるにしても、証拠どころか関係した痕跡1つ見つけられへんなんて有り得へんやろ」

 

「……なるほどな」

 

一体どこの神がこんなことをやっているのか。そもそも男神なのか女神なのか、何処の出身の神なのか、本当にその何もかもが分からない。

極め付けは花とノアの恩恵。

ヘルメスがノアの恩恵に刻まれていたそれを全く気にすることなく、漸く思い出しても花という大まかな要素だけ。しかしあのヘルメスがそんなミスを起こすはずがない、本来ならば。

 

「自分の存在を、記憶からも記録からも抹消したってことか……いや、そもそも自分が存在しない前提で世界を作り替えた?」

 

「そこまでは流石に無理や。自分の存在を抹消して、世界が勝手にそれを埋め合わせた。せやから微妙にちょいちょいおかしなとこがあるやろ。ヘルメスがノアの恩恵を認識せんかったのも、そのバグの1つや」

 

「………なるほど、だからお前は俺達にノアに過去の記憶について直接聞き出すことを禁止したのか。ノアにそのバグを発生させないために」

 

「あの精神状態でバグなんて起きたら、マジで次は崩壊するやろうしな。最初は可能性程度にしか考えとらんかったけど、段々現実味帯びてきて寒気がするわ。やっぱ橋は叩いて渡るもんやな」

 

「だが、あらゆる存在から自分という認識を消す、それは俺達"神"という存在にとっては致命的だぞ」

 

「だからこそ、死にかけとるんやろ。せやけど、これ以上に他の神から逃れるんに最適方法もあらへん」

 

「………」

 

つまりは、黒幕が誤魔化した神の力の行使は、あくまで最初の1回のみ。2回目以降の行使は、確かに多少の隠蔽はあっただろうが、実際には本人の存在そのものが全ての認識から消えているために、隠蔽する必要さえなかったということ。

その神は既にあらゆる存在の記憶と記録から消えている。故に本人そのものも神の力の行使も相まって消失しかけている。既に行使出来る神の力も最小限。それを感知出来る者は少なく、感知したとしても相手が分からない。何処にいるのかも分からない。……痕跡があったとしても、認識出来ない。

 

「とは言え」

 

しかしそうなると、不味いのは地上で神の力を行使出来る方法があるということくらいで。その本人に関しては……

 

「放っといても死ぬわ」

 

「………」

 

本当に、似た者主従だったと言うのか。

愛した存在のためなら、自分が死ぬ可能性すらも躊躇わない。そうして走って、走って、なりふり構わず走り続けて、最後は共に砕かれ消える。

ノアはもう輪廻の輪に戻れない。今世で死ねば完全に世界から消失する。ノアの元の主神もまた、数千年は転生することは出来ない。むしろ神々の判断によっては、その数千年後の自由さえも保障されないかもしれない。似た物主従にはお似合いの、最悪の最後。

そうでなくともアイズがノアを受け入れなければ、そこまでした1人と1神の努力は無に帰すことになるのだから。何の意味も無かったことになる。余計に下界を引っ掻き回して、何の爪痕も残さず帰ることになる。

……本当に、馬鹿な真似をした。そう思わずには居られない。

 

「せやけど、不思議やな」

 

「うん?」

 

「そないなアホみたいな献身が、変に綺麗に見える」

 

「………」

 

「天界に居た頃のウチなら笑い飛ばしとったわ。心底馬鹿にしとったはずなのにな」

 

正直、探す必要はもうないだろう。

地上においても神の力を使える方法は聞き出すべきかもしれないが、しかし逆に聞き出さなければ広まることもないとも言える。その神は既に自分を抹消していて、その方法が広まることもない。もう碌に力を使うことも出来ないだろうし、放っておいても問題はないはず。むしろ先のことを考えるなら、そっちよりもよっぽどノアとアイズの関係の方に力を入れるべきで。

 

「なあロキ。仮に時間超越が起きているとして、であれば俺達は今ほとんど同じ2度目の時間を過ごしている訳だ」

 

「……まあ、ノアの行動で1度目とはかなり違っとるやろけどな」

 

「だとしたら、1度目の記憶や記録も、何処かに残っていたりすると思うか?」

 

「……普通に考えたら、無い」

 

「普通に考えなかったら?」

 

「ある」

 

「なるほど」

 

「どっかに影響はあるはずや。そうでないなら、やり直す意味がないからな」

 

窓の外を、一際目立つ白い髪の少年が走っていくのを見る。何の変哲もない普段のオラリオの姿。確かに見覚えはあるけれど、しかしそれはヘルメスが話していることとは違う。

 

「あ〜!次は何処探しに行くかなぁ!ノアなんて例外を作って、自分の存在まで抹消して、そんでまともな改変なんか出来るかいな。せやから絶対どっかにあるはずなんや、その痕跡が。認識出来んくとも、予想は出来る。閃けウチの虹色の頭脳……!」

 

「おいおい、まだ探すのか。お前の推測が正しいのなら、神の力による改変はもう起きないんだろう?」

 

「探す。消えるんなら最後にノアに顔くらい見せたる。それくらいの責任は果たさせてやらんとな」

 

「……そうだな」

 

誰もが幸せになることなどできない。

しかし自分の周りの人間くらいには、幸せでいて欲しい。仮にその願いが叶わなかったとしても、それでも……せめて、その人生の全てに後悔をしてしまわないように。

ロキはまた、探し始める。



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24.血濡れた○○

別に努力でどうにかなることじゃない。

どれだけ好意を注いでも、どれだけ献身的に尽くしても、どれだけ自分を犠牲にしても、それが結果として返ってくる訳ではない。100を注いでも50が返ってくることもあれば、200が返ってくることもある。反面、1000を注いでも1すら返ってこないこともある。だからこそ恋愛というのは残酷で、趣深い。

 

今日まで自分の出来る最大限を積み重ねて来た。

半年間、最も大事な期間を寝過ごしてしまうというトラブルもあったが、それでも可能な限りのことをやって来た。そして最後の最後に、交わした約束を守って、しっかりと心の距離を詰めることが出来たと思う。

 

「……あの」

 

「ん?」

 

「どうかしましたか?ノアさん」

 

「その、両手が……」

 

「「?」」

 

「いえ、嬉しいです……」

 

右手をレフィーヤに、左手をアイズに握られながら、ダンジョン17階層を歩く。

あれから物資を失ったロキ・ファミリアは可能な限り付近のモンスターからのドロップ品を集めると、そのまま地上へ向けての帰還を始めた。途中からは2隊に分かれての帰還となり、特に先頭隊であるノア達は適度にモンスターを狩りながらも順調に歩を進めている。

 

……というか、動けないんですけど。

 

モンスター狩も、全部ティオナ達に任せてしまっている。本人達は50階層以降で暴れ足りなかったようで、むしろ張り切っているくらいであるが。しかしそれにしても、なんとなくこの状況は申し訳ない。あと普通に恥ずかしい。他の団員達から変な目を向けられているのが、ありありとわかる。

 

(でも、正直この状況は好ましいんですよね……いや、嬉しいのは確かにそうなんですけど。それ以前に)

 

実のところ、ノアはアイズとベル・クラネルがどうやって出会ったのか、それについての記憶が殆ど飛んでしまっている。唯一分かっているのは、この遠征の最後の辺りで何かしらのトラブルが起きてしまい、そこで2人が偶然に出会う……というところくらいだ。

それでは一体何処でそれが起きるのか?一体何が起きるのか?どうすればそれを阻止出来るのか?重要なそこが全く分からない。

 

しかし、こうして一緒に手を繋いでいるのであれば、彼女とはぐれることは早々ないだろう。少なくとも自分が立ち会えば、2人の出会いを阻止出来る可能性がある。仮に阻止することが出来なかったとしても、別の形にしてしまえば何とか……

 

 

 

「進行方向!!……ミノタウロスの大群です!!」

 

 

「「っ」」

 

前方を歩く団員達からの報告を受ける。

確かに進行方向には群れになっている大量のミノタウロス達が居り、それ等はこちらを認識して戦闘態勢に入っていた。下級冒険者には1体でも脅威だというのに、これほどの量だ。中層とは言え、放っておくのは非常に危険である。もし自分がまだLv.2の頃にこんな群れと遭遇していたら、本当に2週間くらい地獄を見ていたのではないかと思うくらい。

……しかし別にこの程度であれば、ロキ・ファミリアなら難はない。むしろ下の団員に経験を積ませる良い機会として利用するくらいだろう。故にアイズもレフィーヤもそれほど焦ることなく、むしろ自分達の出番はないとばかりに今もノアの手を握っている。

 

……これもトラブルと言えばトラブルなのだろうか?

ノアもまた恐らく自分に話は回って来ないのではないだろうかと思い、他の団員達から一歩引いた位置で様子を見守るが。別にモンスターの大量発生くらいはここに来るまでも何回かあったし、仮にもここは17階層。ベル・クラネルが居るであろう階層までは随分と距離が離れているし。

 

「……………あれ?」

 

「………?レフィーヤさん?大丈夫ですか?」

 

その瞬間、右隣に居たレフィーヤが何かに反応した。

急に頭痛でもしたかのように右手で頭を押さえ、その場で少し動きを止める。ノアもアイズもそのレフィーヤの様子に心配になって覗き込むが、しかし彼女の様子は普通の頭痛とは少し違うらしい。

 

「ミノタウロスが、逃げる……?」

 

「「え?」」

 

 

 

 

『ブモォォオォォォオオオオ!!!!!!!』

 

 

 

「えぇ!?ウソ逃げたぁ!?」

 

「お、おい!テメェら怪物だろうが!!」

 

 

「「「っ!?!?」」」

 

レフィーヤのその謎の予感が、的中する。

これだけの数がいたミノタウロス達は、目の前で同類達を軽々と屠り始めたベート達に怯えてしまったのか、急に錯乱しながら一心不乱に逃げ始めたのだ。驚くのは当然、だってこんなことは滅多に起きない。ノアとて3時間殴り合ったミノタウロスがもうなんか嫌になったのか、そそくさと逃げ始めたことくらいしか記憶にない。まあ当然そのあと後ろから殺したのだが……今はそんなことを思い返している場合ではない。

 

「追えお前達!!パニック状態のモンスターは何をするか分からんぞ!!」

 

「「「っ!!!」」」

 

ノアとレフィーヤとアイズは、反射のように走り出す。それぞれに自分のすべきことを理解したから。……もちろんノアだけは少し違って、これこそが例のトラブルであると確信したから。

もちろん3人は手を離している、離してしまっている。そうでなければアレを追うことは出来ない。だからこそ、ノアの表情は険しい。ここからは速度では勝てないアイズについて行かなければならない。……着いていかなければ、2人の出会いを阻止出来ない。

 

「なっ!上層への階段に……!!」

 

「17階層は私に任せなさい!!上を追って!!」

 

「ミノタウロス止まりません!更に上層に!?」

 

「各階層に1人ずつ残れ!!」

 

「1匹足りとも取り逃がすな!!殺し尽くせ!!」

 

「退けぇ!!」

 

ミノタウロス達は一心不乱にダンジョンを駆け上がっていく。それも正しく導かれるように、17階層から大凡10階層以上も上へ上へと登っていく。

……こんなこと、本来あり得るのだろうか。

知能の低いモンスターが、一級冒険者達が必死になって追いかけているにも関わらず、10階層以上も上へと逃げることなど。特に中層の階層はそれなりに複雑だ、人間ですら迷ってしまうことがある。だがこのミノタウロス達は迷わない、迷うことなく適切なルートを辿って登っていく。もちろん彼等がダンジョンに住んでいるから、そのルートを知っていたという可能性はあるだろう。

 

だが、だとしても。

 

(レフィーヤさんも、ティオナさんも、他の階層に残った……けどやっぱり、私の足では、アイズさんとベートさんには追い付けない……!)

 

既に彼等2人とは気を抜いたら見失ってしまう距離まで引き離された。ノアは一緒に走る団員達を適切に各階層に振り分けるよう指示を出しながらも、必死になってあの2人のあとを追いかける。

 

……出会ってしまう。

このままでは出会ってしまう。

 

なぜ、なぜこうも的確にミノタウロスは駆け上がっていくのか。どうしてこうも2人を結び付けるに適切な状況を作り出すのか。まるでアイズを導くようにして、ミノタウロスは恐らく上層に居るであろうベル・クラネルの元へ向かっている。

……これは偶然か?それとも必然か?

 

あり得ない。

あり得ないだろう。

ロキ・ファミリアだって馬鹿ではない。

ミノタウロスを追っている間にも、どうにか上層への階段部へ行かせないように様々な措置を講じているのだ。魔法を撃って、走るルートを変えるように努力もした。それでも奴等はそれすら無視して階段へ向けて走るのだ。

ならばお前達は何から逃げている?何に怯えている?何を目的に走っている?そもそもどうして逃げ出した?あのリヴェリアですらその行動に驚いたくらいには、普段であればあり得ない行動なのに。どうして今日ばかりはそれが起きた?

 

どうして?

 

どうして??

 

どうして。

 

どうして……

 

 

 

「………ノア………さん………」

 

 

 

「………全員、この場から撤退して下さい。下の階層に戻って、他の団員達を呼んできて下さい」

 

「で、でも……」

 

「いいから行ってください!!!」

 

「は、はい……!!」

 

 

ふざけるな。

 

 

ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな……!!

 

 

巫山戯るな!!!!!

 

 

そうまでして私の邪魔がしたいか。

 

 

そうまでしてあの2人を合わせたいのか!

 

 

それほどまでに運命というのは大切か!?

 

 

 

「運命なんてクソ喰らえだ!!」

 

 

 

『ブモォォォォォォォォオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

目撃した。

 

その瞬間を。

 

ダンジョンの壁に大きな切れ込みが入り。

 

ゆっくりと。

 

けれどはっきりと。

 

黒色のミノタウロスが、生まれ出る。

 

その瞬間を。

 

 

 

「…………ふざ、けるな」

 

 

そのミノタウロスは、普通のミノタウロスと変わらない。

普通より身体が大きく、強靭で、ただ肌が黒いというだけ。

知性も並、武器すら持っていない丸裸。

……しかし、それが正に今目の前でダンジョンから生み出されたのを見た瞬間に、ノアの後ろを共に走っていた団員達は確信してしまったのだ。身体が震え、それほど話したことのない彼に思わず助けを求める目線を送ってしまうほどに、分かってしまったのだ。

これは怪物であると。

自分達ではどうしようもない、抗うことすら出来ない、力の化身であると。

 

だからノアは彼等を逃した。

そして何となくであるが、想像も出来てしまった。これは他ならぬ自分を足止めするためのものではないかと。本当にそうなのかどうかはさておき、仮にそうであった場合、彼等をこれに巻き込むのは違うだろうと。

 

『ゴォォアァァア!!!!!!!!』

 

 

「ごっ……『開け(デストラクト)』!!」

 

 

『グッォオッ!!!?』

 

 

殴り、殴り、殴り合う。

その渾身の力を、武器のない双者は互いに、ただその拳に込めて殴り合う。最も単純で、最も原始的な命の奪い合い。技術も才能もなく、そこには単純な力しか存在しないからこそ見ることの出来る。泥試合。

 

「退け!退け!!退けぇえ!!!」

 

『ブモォォォォォォォォオオオオオオオ!!!!!!!!』

 

血飛沫が舞う。

爆炎が爆ける。

痛みも、苦痛も、何もかもを受け入れた上で、目の前の存在に拳を叩き付ける。

殴り飛ばされても立ち上がり、殴り飛ばしても立ち上がられ。前傾姿勢となって、互いに血塗れになりながらも目線だけは切り離さない。

 

「がぁっぐっ!?!?………わ、たしは……わたし、は……なん、の、ために……何のために……!!」

 

分かっているとも。

もう手遅れだと。

 

きっともう、あの2人は出会ってしまっている。

今更それをどうにかすることなど、絶対に出来ない。

 

『ブモォォオォォォオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!』

 

血に濡れる。

涙に濡れる。

ほんの少し前まで彼女と握っていた筈の左手が、今は酷く悍ましい血に濡れている。あの温かさすら塗り潰すように、冷たく汚い血が染み込んで来る。

 

「そんなに私のことが嫌いなのか……!!ダンジョンまで私が憎いか!!」

 

ああ嫌いだろうとも。憎いだろうとも。

年がら年中通い詰めて、馬鹿みたいに潰されても生き残って。たった1人で階層主を削り殺したかと思えば、ダンジョンの防衛機能たる存在すらも糧とするために呼び出して殺した。そんな自分のことをダンジョンが嫌っているのは当然のことだ。そんな自分のことをさっさと始末したいと思っていても不思議にすら思わない。

 

……だがそれでも、そうだとしても。

 

 

 

「お前達まで!!ベル・クラネルの味方をするのかァア!!!」

 

 

『ゴガァッ!?!?!?』

 

 

出力を最大限まで引き上げたダメージ・バーストを、ミノタウロスの顔面に向けて叩き込む。

腕どころか肩口付近まで吹き飛ぶような一撃。爆発の衝撃で右腕は表皮から3cm程度までの肉が全て吹き飛ばし、剥き出しになった肉が大量の血を吐き出し続けた。それでもそれを、ミノタウロスに頭部を殴られながらも、それでも気合いと意志だけで堪えて叩き付けた。もうこんなことは今更だから。こんなことは少し前までは当たり前のように繰り返して来たことだから。今更躊躇する理由もない。

 

吹き飛ぶミノタウロス。

再生が始まりだす右腕。

次第に赤く染まり始める視界と思考。

 

 

……ああ、また血塗れだ。

 

この感触も、なんだか少し懐かしい。

 

以前はずっとこんな感じで全身の衣服が赤色に染まっていて、鞄にも髪にも何もかも、自分とモンスターの血がべっとりとこびり付いていた。

それを誰かに見せるのが嫌で、噂でさえもアイズ・ヴァレンシュタインの耳に入るのが嫌で、可能な限り早くにそれを落として処分するようにもしていたのに。今日というこの日は、そうすることは出来ないだろう。どうやったって、見られてしまうだろう。そしてきっと、また彼女との心の距離は開いてしまうのだ。ああ分かる、分かるとも。この世界は自分にとって都合悪く作られているから。この世界は自分のことが大っ嫌いだから。そんなことはもう嫌というほど思い知らされたとも。

 

 

「死ね!死ね!死ね!!死んでしまえ!!」

 

 

ミノタウロスも、モンスターも、運命も。

 

邪魔する全て、立ち塞がる全て。

 

全部、全部、全部……!!

 

 

『グォオォォォォォオオオオ!!!!』

 

 

付与魔法を治り掛けの右手に付与し、倒れたミノタウロスの胸部に向けて叩き込む。何度も、何度も、何度も突き込む。突き込んで、爆発させ、その先に向けて掘り進んでいく。

抵抗は強い。

顔面にも、腹部にも、攻撃を喰らう。

爆破の衝撃が自身の身体をも傷付ける。

 

けれど、ノアは適当なポーションを飲んでスキルを発動させた。

 

『防護』のアビリティを強化するスキル。

 

何度攻撃を食らっても、何度反撃を食らっても。仰け反りはしても、吹き飛ばされることはない。だから痛みも、苦しさも、その苦痛だけは受け入れて、ただ只管に魔石に向けて掘り進めた。なりふり構わず、自分の肉体を破壊し続けた。

悲鳴は大きい。

焦げ臭い返り血が本当に不快だ。

自分の身体の変に破損した状態に違和感が酷い。

血が目に入るし口に入る。けれどそれを今更拭ったり吐き出したりすることもしない。身体の外も内も、血によって染まっていく。

 

「早く、早く、早く、早く……終われ、終われ、終われ、終われ……!」

 

殴り続けるほどに抵抗は弱くなり、魔石に近付くほどに悲鳴は小さくなっていく。とうの昔に人間の腕の形をしなくなっていた自分の両腕は、しかしそれでも止まることはない。だってまだ死んでいないから。武器はない、増援も来ない、ここに居るのは自分とモンスター。けれどそれでいい。もうそれでいい。誰も見ていない、誰も聞いていない。

彼等の出会いはもう止めることは出来ないけれど。それでもせめて、せめてこんなにも醜い自分の姿を、彼女に見られることがないのなら。……もう、それでいい。

 

 

 

もう、それで。

 

 

 

『ーーーーーッッ』

 

 

 

バキンッ、と。

 

魔石が割れる音がする。

 

振り下ろした拳に、その破片が突き刺さる。

 

ミノタウロスは一度大きく身体を震わせ、ノアの顔面にまで迫った最後の抵抗となる拳を跳ねさせると、直後に力なく自身の全てをその場に落とした。そうして一瞬の空白の後、それは他のモンスター達同様に灰へと変わって消失する。

 

「…………」

 

残ったのは、そんな怪物の灰と血に塗れた、汚らしい人間が座り込んでいる姿だけ。結局何も成すことが出来ず、ただ血と灰しか得ることの出来なかった、哀れな愚か者の姿だけ。

 

 

「…………弱かったですね、ほんと」

 

 

だが、そんな弱い存在に足止めされた。

そんな弱い存在に、塗り潰された。

 

「血に塗れているのがお似合いだとでも、言いに来たんですか……?」

 

ああ、確かに自分は綺麗ではないだろう。

ベル・クラネルのように白くない、アイズの隣に立つに相応しい綺麗な心の持ち主ではないかもしれない。今だって怒りに任せてこのザマだ。汚れている。美しくない。醜い。悍ましい。気持ち悪い。こんな風に血に塗れて、それを改めて自覚しろとでも言うつもりか。

 

「分かってる。分かってたんですよ、そんなこと……」

 

でも、まだだ。

まだ、どうにかなるはず。

まだ出会っただけだ、まだ手遅れではない。まだ何もかもが終わった訳ではない。だからもう少し、もう少しだけでも身体に力をいれて、普段のように振る舞わなければ。

 

……そう、思っているのに。身体に力が入らなくて。

心を泥水の底から、引き戻すことが出来なくて。

俯き、目に映る血の池から、どうしても、目と心を引き離すことが出来なくなる。血と灰に塗れながら再生している自分の腕が、人間のそれには見えなくなる。

 

あぁ……ぽつり、ぽつり。

また飽きもせず涙が溢れる、またみっともなく心が割れる。

またどうしようもなく、笑みは崩れる。

 

 

「ノアさん!!」

 

 

ああ、血が冷たい。

灰が鬱陶しい。

どうしてこんなにも自分は、美しくあれないのだろう。

どうしてこんなにも自分は、嫌われているのだろう。

そんなにも許されないことなのだろうか。

そんなにも重い罪であるのだろうか。

だったらさっさと、殺してくれればいいのに。



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25.二重の○

「ノアさん!!」

 

一心不乱に走った。

その人が居る元まで、必死に。

 

担当していた階層の処理が終わって、上層へ向けて走っている最中に、引き返して来ている団員達を見つけた。

……黒いミノタウロスが出たと。そして今、それと彼が1人で戦っているのだと。そう聞いた瞬間に既に自分は走り出していた。

 

何故1人なのだろう。

何故こんな上層でそんなものが出て来たのだろう。アイズさんは何処に行ったのだろう。どうして自分はまだここに居るのだろう。

 

51階層でカドモスの泉へ泉水を取りに行く時も、その後に奇妙なモンスターに襲われた時にも。自分はそれなりに上手く立ち回れた筈だ。

魔法による火力支援も出来たし、広範囲魔法による殲滅だってやった。以前よりも自分に落ち着きがあって、咄嗟の対応にも戸惑うことがなくなったように思う。それが彼のおかげかは分からないけれど、少なくとも彼を助けるにはそれくらいのことが出来ないといけないと思ったのは確かだ。

 

……それに不思議と、少しずつ並行詠唱の感覚も掴めて来た。身体に馴染むように、思い出すように、それが身に付いているのを感じる。

だから役に立てるって、嬉しくも思った。きっとあの人の手伝いが出来るって、そう思った。

 

けれど、理解させられる。

どれだけ力を付けたとしても、それは状況が許してくれなければどうにもならないと。本当に助けたい人がいるのなら、何をどうやったって、まずは側に居なければ意味がないのだと。……そうやっていたとしても、努力したとしても、正しく今の彼のように、求める人の側にいられないこともあるというのに。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「………レフィーヤさん」

 

泥と、灰と、血と、涙に濡れて。

呆然とダンジョンの床を見つめる彼に走り寄る。

 

何を見ているのだろう、彼は。

何を思っているのだろう、彼は。

どうして泣いているのだろう。

どうして泣かされているのだろう。

一体何に、泣かされているのだろう。

 

「……黒い、ミノタウロスは……」

 

「……倒しましたよ。まあ、階層主ほど、強くはありませんでしたから……」

 

「……比較対象が、おかしいですよ」

 

取り出した手拭いで、彼の顔を拭う。

けれど全身に返り血を浴びた彼のその全てを、自分は拭ってあげることは出来ない。彼の抱えるその全てを、自分は理解してあげることは出来ない。

こうして彼を拭うたびに汚れていく手拭いを見て、なんだかそれすら恨めしく思う。彼に関わるほどに、お前もこうして暗い気持ちを移されていくのだと。そうまでしても、彼の全てを拭える訳ではないのだと。まるでそう言われているみたいで。気に食わない。

 

「なぜ、こんなところに強化種が……」

 

「……さて、本当にただの強化種だったのか何なのか」

 

「え……?」

 

「いえ。ただ、その様子だと……他の階層は、問題無さそうですね」

 

「は、はい。私の担当していた階層も、問題なく処理出来ました……」

 

「そうですか……レフィーヤさんも、なんだかカッコよくなりましたね」

 

「……まだまだ、そんなことないです」

 

なんだか力の抜けた状態で無理矢理に立ちあがろうとする彼を支える。

……アイズさんは戻って来ない。こんなことが起きているということも知らないのだろう。当然だ、こんなこと自分も偶然下って来た団員達から聞かなければ知らなかった。

 

それでも別に、彼がここを移動する意味はない。

時間が経てば他の団員達も登ってくるだろうし、誰も登って来ないことに気付けばアイズさん達だってここに来る筈だ。

けれどノアさんは、今も上の階層へ行こうとしている。そこに行かなければならない理由が、あるように。

 

「ノア!レフィーヤ!!」

 

「リヴェリア様……!」

 

「……っ!!何があった!?」

 

幸いにも、リヴェリアの行動は早かった。

彼女は団員からその報告を受けると直ぐに処理を終えた団員達をまとめ上げ、全速力でこの階層まで走って来た。それはそうすべき程の緊急事態だと判断したからだ。

そうして駆け付けたところに、見てしまったのは血塗れのノア。彼が仮に不死の身であったとしても、焦るのは仕方ない。そんな彼の姿を見て、何も知らない団員達はより焦りを増す。

 

「ちょ、大丈夫なのアンタ!?」

 

「あ……その、全部返り血なので……」

 

「いや、返り血って……」

 

「……黒いミノタウロスというのは、倒したのか?」

 

「はい、なんとか……」

 

「……アイズはどうした」

 

「…………ここより上の階層に、行っています」

 

「…………そういうことか」

 

ノアがこの遠征に拘っていた理由。それはアイズとその運命の相手が出会うのが、この遠征の後であるからだとリヴェリアは予想していた。故にそれに備えて、遠征が終わった後にアイズとノアにちょっとした休暇でも出してやろうかとも、そう考えていた。

……だが、実際にはそうでなかったらしい。

今この瞬間こそが、その時であったということだろう。正直少し悠長にし過ぎていた。ノアとアイズを取り敢えず2人にさせておけば問題ないと、そう思っていた。

そういう意味では、今回の大量のミノタウロスの逃走劇というのは、リヴェリアが用意したその状況を壊すのに最適な物だったと言えるだろう。あんな風に他の探索者が巻き込まれる可能性を提示されてしまえば、速度に優れたアイズを走らせるしかなくなるのだから。ノアとアイズを引き離すには、それしかないというくらいの最適な状況だったのだから。

 

「……お前達、一先ずこのまま地上に戻る。その間、レフィーヤはノアを頼む。フィン達と合流はするが、お前は先にノアを本拠地に連れて行け」

 

「わ、分かりました!」

 

何にせよ、今は少しでもノアの精神的なケアをする方が先だ。アイズに話を聞く必要はあるが、その結果がどちらにせよ、今のアイズとノアを一緒にさせるのは良くない。

……本当に、そういう意味ではレフィーヤは自分の役割を全うしてくれているし、彼女の存在は非常に大きい。

 

 

 

 

 

自分を見た。

 

否、昔の自分を見た。

 

昔の自分によく見た、少年を見た。

 

その少年はミノタウロスに襲われていて、それを助けた自分を見て一目散に逃げてしまった。血に濡らしてしまったし、差し出した自分の手も血に濡れていた。彼は自分の手を取ることもなく走って行ってしまって、ベートさんはそれを自分が"剣姫"だからと言った。

 

落ち込んだ。

 

悲しく思った。

 

 

……けれどその直後に、そんな少年や自分なんかよりもよっぽど血に塗れた彼を見てしまった。

レフィーヤに肩を担がれ、他の団員達からも心配され、フィン達が来るまで待機していた自分達より先に拠点へ戻って行った彼。妙に疲弊した顔をして、けれどアイズには一度歪な笑顔で笑いかけてから帰って行ってしまった彼。

 

あの大樹のようなモンスターの攻撃を受けてもビクともしなかった彼が、たかがミノタウロスの相手をしていて、あそこまで疲弊するとは思えない。ただミノタウロスを討伐するというだけで、リヴェリアやレフィーヤがここまで焦ることなどあり得ない。

 

……自分の知らないうちに、自分より後ろにいた筈の彼が、何かとてつもない者に襲われたのだと分かった。

そしてそれはつまり、自分がこうして少年に逃げられてしまったことに落ち込んでいる間に、彼は他の団員を逃して、たった1人でそれと対峙しなければならない状況にあったということに違いなくて。

 

「レフィーヤ……」

 

「あ、アイズさん」

 

「……あの、ノアは……?」

 

「部屋に居ますよ。特に大きな怪我とかはなくて、今は休んでいるだけです。……食欲がないみたいなので、さっき飲み物だけ渡して来ました」

 

「………そっか」

 

彼の部屋に向かっている途中に顔を合わせたレフィーヤに、そう教えて貰う。

……やっぱり、レフィーヤは凄いと思った。自分にはそんな気遣いは思い付かなかったし、今もこうして何も持つことなく、ただ顔を見に行こうと考えていた。以前にもこんな感じのことを考えたことがあるというのに、自分はそれを全く反省出来ていない。

それでも彼はレフィーヤではなく自分を選んでくれているということに、嬉しさと、申し訳なさを感じてしまう。こんなにも足りないところだらけの自分を、そんなにも。

 

「あの、アイズさん……」

 

「なに……?」

 

「……ノアさんのこと、お願いしますね」

 

「?……うん」

 

一瞬何かを戸惑ったレフィーヤは、それだけを言い残すとアイズの前から去っていく。アイズにはレフィーヤが何を言いたかったのか分からない。レフィーヤがもしかしたらノアのことが好きかもしれないと、それくらいはアイズでも分かるけれど。だからレフィーヤが何をしたいのかなんて、アイズにはそこまで分からない。

 

「……ノア、入ってもいい?」

 

『っ!……構いませんよ、アイズさん』

 

「うん、入るね」

 

ガタガタっと、慌てるような音が中から聞こえてくる。

アイズが一拍置いて中に入ると、彼は相変わらず少し顔色の悪い様子で、けれど変わらぬ優しい笑みで、自分のことを迎え入れてくれる。

 

「……もしかして、心配させてしまいましたか?」

 

「うん……無事でよかった」

 

「すみません。最近少し疲れやすいというか、精神的に弱くて。でも今はもう大丈夫なので、ほら」

 

ベッドに腰掛けていたであろう彼が立ちあがろうとしたところを無理矢理に押し込んで、自分も同じように彼の隣に座る。

……疲労しているのは知っている、自分のためにわざわざ起き上がる必要なんてない。どうせ自分は彼のために何もすることは出来ないのだから。せめて彼を疲れさせないように、気を遣うくらいは努力する。

 

「ごめんね」

 

「え……?」

 

「ノアは大変だったのに、置いていっちゃった……」

 

「いえ、それは……アイズさんは悪くないですから」

 

「ううん……ノアの手、離しちゃったから。私のせい」

 

彼は自分の側に居てくれると言ってくれた。彼は自分のことを助けてくれると言ってくれた。そして彼はそれを言葉だけでなく、実際にそれを行動でも示してくれた。

……それなのに、自分は彼の手を離してしまった。彼を置いて行ってしまって、彼を1人にしてしまった。彼が交わしてくれた約束を、彼が守ってくれた言葉を、自分の方は無視してしまった。最低だ。

いくらなんでも、そこで彼の足を責めるということはしない。彼は自分を追って来てくれたし、自分は彼を1人にすることに気を向けてすら居なかった。別に自分が行かなくとも、あの少年はベートが助けていただろうに。自分は考えなしに、走り続けてしまった。

 

「……ねえノア。ノアは私のこと、怖い?」

 

「え?」

 

アイズは尋ねる。

 

「どうしたんです?いきなり」

 

「……ダンジョンで助けられた子に、逃げられちゃった」

 

「…………」

 

「昔の自分みたいに弱くて、純粋な子。……でもその子は私のことを見て、凄い勢いで走って行っちゃって」

 

「……そうですか」

 

ノアの顔が曇るが、しかし顔を俯かせているアイズはそのことには気が付かない。ノアが何を思ってその話を聞いているのか、アイズがそれに気付くことは当然にない。

 

「他の団員の人達も、私には遠慮がちで……私、怖がられてるのかなって……」

 

「……なるほど」

 

「仕方ないって、思うの。強いってことは、怖いってことだから。……でも私は、強くなりたいから」

 

それはあの少年と出会ったことによって、表面に浮かび上がって来たアイズの悩みだった。なんとなくでも気付いていた、自分が避けられているという、その意識。……アイズがノアに直接好意を伝えられて、動揺してしまったその理由でもあったりする、根深い根深い、積み重なってしまった悲しい重みだ。

 

「少なくとも私は、アイズさんのことは怖くないですよ」

 

「……ノア」

 

「むしろ好きですから」

 

「!……うん」

 

「それに多分、世間的に見たらアイズさんより私の方がよっぽど怖がる人多いですよ?私の方がよっぽど無茶してるんですから」

 

「……ふふ、それはそうかも」

 

「あ、そこはフォローして欲しかったです」

 

「でも……うん、ノアは無茶するから」

 

「そうかもです」

 

そうだろうとも。

アイズよりもノアの方が、よっぽど周りからは不審がられている。比較にならないくらいの無茶をしている。その執念とかは、普通の人から見れば普通に恐ろしいとも。 

それに……

 

「少なくとも、ティオナさん達には友人として愛されているでしょう?」

 

「……!」

 

「誰からも好かれることなんて出来ませんよ。それでも、自分の好きな人に好かれているなら。それでいいじゃないですか」

 

「……自分の、好きな人」

 

「最後に信じられるのは、そういう人達です。自分も好きで、相手も好きで。だからこそ、その人に自分の全てを任せられる。……そんな人達と一緒に、生きていきたいでしょう?」

 

「………うん」

 

「それなら、その人達を大切にすることです。そういう誠実さを知って貰えれば、きっと怖がる人も減っていきますよ。……少なくとも私はそう思って生きています。万が一にも好きな人に嫌われてしまわないよう、なるべく誠実に生きるようにしています」

 

「……そっか」

 

言われてみれば、それが彼の拘りなんだろうなと納得した。人は誠実にばかり生きることは出来ないけれど、出来る限り誠実に生きていくことは出来る。その不誠実は誰かに不審を抱かせるし、その誠実は誰かに信頼を抱かせる。自分の1つの行動が何処でどうやって伝わるか分からない。……その相手が好きな人間であれば、余計にだ。自分の不誠実を塗り潰そうと、必死に誠実を求めることだってあるのかもしれない。

……彼のその生き方が恐らくは自分に対して向けられたものだと思ってしまうと、そんなに気にしないでいいのにと思ってしまうが。それでも実際に不誠実なところを見てしまえば幻滅してしまうのだろうから、やはり彼のその考えは間違っていないのだろう。

 

「……ん?」

 

……そういえばと、ふと思い出す。

どうして私は彼の様子を見に来たのに、逆にこうして悩みの相談なんてものをしているのだろう?

彼は疲れていて、顔色も悪くて、自分はそれを心配してここに来たというのに。むしろこうして彼を起き上がらせて、彼に気を遣わせて、彼にこんなにも言葉を使わせて……

 

(……またやっちゃった)

 

こういうところだ。

こういうところが駄目なのだ。

アイズは心の中で自分の頭をポカポカと殴る。

自分の都合ばかりを優先させてしまって、自分は彼の気持ちに応えないのに、都合の良いように彼を利用しているみたいで。こんなのはそれこそ不誠実だ。……レフィーヤなら、ちゃんと彼のことを思って行動するだろうに。

 

「あ、あのね……」

 

「?」

 

「ノアは、その……私にして欲しいこと、ある……?」

 

「………………………………え?えぇ?それは、その、どういう」

 

「……私は、その、分からなくて。ノアのために何かしてあげたいって、思うんだけど……何をしたらいいのか、分からないの」

 

「アイズさん……」

 

「ごめんね。でも、私もノアに……返したいから」

 

もしこの場にリヴェリアが居たのなら、『だからお前はそれを本人に直接聞くな!』と言うのだろうが。しかしアイズは相変わらずそれを本人に聞いてしまう。

それにそう言われると、ノアだって困ってしまう。自分のために何かをしてくれるとは言うけれど、何をどこまで許してくれるというのか。その線引きも、例えも分からず、今直ぐに適切な答えというのは思い浮かばない。

 

「え、と…………」

 

「………思い浮かばない?」

 

「い、いえ、もう少し時間を下さい。こんな機会、勿体無くて手放せませんもの」

 

「ふふ、言ってくれればいつでもするよ?」

 

「……そんなに嬉しいことばかり言われると、私の頭が爆発してしまいそうです」

 

顔を真っ赤にさせて、それを隠そうとして手で口元を覆って、『どうしよう、どうしよう』と必死に頭を回しているであろう彼が少し可愛く見える。

50階層ではあんなにも頼もしく敵の攻撃を引き付けて代わりに受けてくれた彼は、こうしていると本当に弟みたいというか、女の子みたいというか、それはそれで彼に失礼なんだろうけども……

 

「じゃあ、お預け?」

 

「え"」

 

「じゃなくて、取っておく?」

 

「……それはつまり、保留ということですか?」

 

「うん。思い付いたら、また言って?」

 

「……分かりました。私もじっくり考えたいので、そうさせて下さい」

 

「うん、待ってる」

 

相変わらず、思い付きで、行き当たりばったりで、知識の無さが足を引っ張ってしまっているけども。なんとなくではあるが、50階層で一緒に肩を並べて戦ってから、少しずつ彼への見方が変わって来ているのを感じている。

このまま順調にいけば、もしかしたら彼のことを愛せるようになれるかもしれない。そんな期待も湧いて来て、アイズはなんだか嬉しくなる。

少しずつではあるが、アイズの中で状況は良い方に向かっていた。少なくともアイズの中では、喜ばしい状況に向かっていた。

 

 

……その日、アイズは夢を見る。

遠い昔の記憶。

優しく輝かしかった父と母と共に過ごしていた頃の幸福な記憶。

 

【いつかお前だけの英雄にめぐり逢えるといいな】

 

果たしてそれは、父の語ったその英雄になってくれる人物を見つけたからか。それとも、かつての自分によく似た少年に出逢い、あの日の自分と再び向き合うことが出来たからなのか。

目覚め、思い返し、思い至ったその時。アイズは嬉しげに笑っていた。



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26.○○なズレ

ノア・ユニセラフの件について、詳細を知っている人間や神々はそう多くない。主にはロキ・ファミリアとヘルメス・ファミリア、ウラノスの一派と、彼が倒れた際にロキが相談した一部の善良な神々だけである。

 

……しかしそこに、1人例外がいる。

 

彼女は確かに先程挙げた一派の中には属していたが、あくまで末端の人間。それでも彼女が彼のことについて知っているのは、単に最初に担当した時以来ずっと彼に関する案件を取り扱うことになってしまって、その繋がりでリヴェリアからもそれとなく情報を与えられていたからである。

 

「え〜?なになにベル君?もしかしてベル君も彼女のことを好きになっちゃったの〜?」

 

「えへへ、その……はい」

 

「ふ〜ん、そっかそっかぁ」

 

 

 

 

(………どうするかな、これ)

 

 

ほんと、どうすればいいのだろう、これ。

エイナ・チュールは表に対しては普段通りの笑みを作りながらも、心の中で冷汗をかく。

 

最近新しく自分の担当になった冒険者:ベル・クラネル。彼はソロの冒険者であり、その兎のような小さく可愛らしい容姿から分かるように、決して突出した戦闘力を持っている訳でもない。元気で真面目で純粋なところはあるが、言いつけを破って予定より深い層まで行ってしまったり、そのせいで今日もミノタウロスに襲われて殺されかけてしまったりする、困った子だ。

年相応にダンジョンに夢を見てしまっている少年であり、まるで弟を見ているみたいで、エイナもそれなりに気にかけていた。

 

……さて、そんな少年がだ。

どうやらあのアイズ・ヴァレンシュタインに恋をしてしまったらしい。そのミノタウロスから助けてもらった際に。

 

いや本当に、どんな偶然なのか。

例の彼と同じ年齢である少年が、同じ女性を好きになってしまった。剣姫には何かそういう特殊能力でもあるのだろうか?年下の男の子を惹きつけるフェロモンでも出しているのだろうか?

 

最近になって、漸くあの少年が本気でアイズ・ヴァレンシュタインの隣に立つためだけに3年間でレベル6まで到達したのだという事実を飲み込めて来たというのに。

流石に目の前のベルがそこまでするとは思えないが、しかし前例がある以上は警戒してしまっても仕方のないこと。同じように無茶をして、この子の場合はそのまま死んでしまうかもしれない。それにエイナとしても、余計な藪は突きたくない。いくらなんでもノアというあの少年の藪は大き過ぎる。この間まで半年も眠っていたとか言っていたし。色々な意味でおかしな子なのだ。今のところは健全で少年らしい少年であるベルを彼に近付けるのは、その彼の想う剣姫に近付けるのは、なかなか簡単に踏み切れることではない。

 

「あー、えっとねベル君。君は冒険者になったんだから、もっと気にしないといけないことが沢山あるでしょう?」

 

「うっ」

 

「それに君はもう自分の神様から恩恵を授かったんだから、ロキ・ファミリアで幹部を務める彼女とお近付きになるのは私は難しいと思う」

 

「ううっ」

 

「思いを諦めろとは言わないけど、現実は見据えていないと。じゃないとベル君のためにもならないから」

 

「はいぃ……」

 

……言い過ぎてしまっただろうか?言い過ぎてしまったよね?言い過ぎてしまったんだろうなぁ。

けれどその全部が本当のことだ。ベルにはまだそんなことが考えられるような余裕はない。あの彼だって最初の数年はヘルメス・ファミリアで下積みを積ん……積んだか?いや、積んでいないな?主神と契約して好き勝手やっていたな?

駄目だ、彼は冒険者としては全然模範的じゃない。良い前例にはなってくれない。他を探さないと。

 

「そ、それにね。彼女はやっぱり人気があるから、競争だって大変だよ?」

 

「そ、そうなんですか?……そういえば、さっき『ベル君も』って」

 

「うん、前にも居たからね。ベル君と同い年の子なんだけど。その子は3年間ものすごく頑張って、今はロキ・ファミリアに居るよ」

 

「僕と、同い年……」

 

(……ん?)

 

エイナは言ってから気付く。

あれ?これもしかしてベル君の背中を押してしまっているのではないか?と。この言い方ではまるで、君も頑張れば彼のようになれる!と言っているようなものだ。

 

……いや、無理無理無理無理!!

そんなの絶対無理だから!!

ダンジョンで物々交換しながらミノタウロスを倒して帰って来たような人間なんて、何の参考にもならないから!!そんなのを真似したら100人中100人が死ぬ!むしろどうして彼が未だに生きているのかは誰にも分からない謎だ!!ギルドですらそれを表向きには公表していない。真似されたら困る。

あれは例外中の例外、絶対に見習わせてはならない。

 

「と、とにかくね。そんな凄い人が君のライバルになる訳なの。なかなか大変な道のりになると思うよ?」

 

「が、頑張ります……」

 

「う〜ん」

 

そっかぁ、頑張っちゃうのかぁ。

 

ここで諦めてくれたならもう少し話は簡単だった……い、いや、もちろんベル君の恋を無碍にしたりはしないけど。

 

さあ、恋というのは大変なものである。

そのためなら本当に男の子は命だって掛けてしまうんだもの。……いや、それはあの子だけか?しかし冒険者が好きな女性の代わりとなって死ぬことは割とよくあって。

 

段々とエイナの中であの少年によって価値観を破壊されているところが見えて来る。それくらいにあの少年はおかしなことをやっている。容姿とかも今では街を歩くだけで(主に男性の)目を惹き付けるくらいになっているし。あれを同じ生き物だと思ってはいけない。

 

「ま、まあ、今は1つずつ地道にやっていこう。冒険者が強くなるコツは、絶対に死なないことだからね。これさえ守れば、君も少しずつカッコいい男の子になれるはずだよ」

 

「は、はい……!ありがとうございます!」

 

この子は普通の冒険者として、普通に育てるんだ。Lv.1でミノタウロスに挑んだり、階層主をたった1人で討伐しに行くような、イカれたことは絶対にさせないんだ。

エイナはそう心に強く誓った。

なお、当然ながらその誓いは容易く破られることになるが?

 

 

 

 

遠征から帰って来た冒険者には、やらなければならないことが沢山ある。

例えば依頼の報告、ドロップ品の売却、装備品の補充や整備などがそれに当たるだろう。それは勿論大手のファミリアとなれば団員達がそれぞれを受け持って行い、そのついでに個人の用事を済ますのが通常である。ロキ・ファミリアとて変わらない。持ち帰る量が量だけに団員総出で街に繰り出し、その日は街もよく賑わうというもの。

 

「なあに?また壊したの?うちの商品は確かに消耗品だけれど、貴方に魔剣を売ったことはないはずよ?」

 

「申し訳ありません」

 

「……もう、ただの意地悪なんだからそんなに湿っぽくしないの。ほら、こっちに来なさい。いつもの一式揃えてあるから」

 

「ありがとうございます」

 

アイズやティオナはゴブニュ・ファミリアで自身の剣を造り管理してもらっているが、ノアは違う。彼は装備を本当に消費する。だからこうしてファミリアの規模で数と一定の質を保証してくれる、ヘファイストス・ファミリアを頼っていた。

滅茶苦茶なレベル上げをしていた時は当然、それが落ち着いた今でさえも防具はともかく、剣の消耗がとにかく早い。才能がない故に剣の扱いが下手なのもあるが、何より彼の魔法がそれを加速させていると言っても良い。

 

「でも懐かしいわね。毎週のように剣と防具を買いに来る変な子供が居るって聞いた時は、正直こんなにも長い付き合いになるとは思わなかったわ」

 

「普通なら死んでいますから、そう思われるのも当然です」

 

「それにしても予備の剣まで無くすなんて、今回はそんなに大変だったの?」

 

「非常に強い腐食液を吐くモンスターが現れまして、不壊属性以外の装備が意味を成しませんでした。恐らく他の団員の方々も後ほど雪崩れ込んでくると思います」

 

「えぇ、なによそれ。どうやって倒したの?」

 

「腕をこう……」

 

「ああ、うん、もういいわ。大体分かったから」

 

相変わらずの彼の様子に呆れる彼女、そういうところは数年前から少しも変わっていない。実は女神ヘファイストスとは、それなりに長い付き合いになる。

きっかけはノアがまだヘルメス・ファミリアに居た頃、ヘファイストス・ファミリアの団員から滅茶苦茶な頻度で装備を買いに来る子供が居ると聞いた彼女が、なんとなく気になって見に来たのが最初だった。当時はまだ『そういえば少し前の神会で見たような……』くらいの認識であったが、しかし1年も経てばその異常さにヘファイストスは気が付く。

 

ヘファイストスが知っているのは、彼が擬似的な不死のスキルを持っているというところまで。それ故に魂が一度は砕けたというところまで。勿論彼がアイズのためにこんなことをしているということも知っているが、それは彼女がノアから直接聞き出したことだ。そこだけは他のノアが倒れた際にロキが相談した善良な神々とは違う。

 

「はい、いつもの装備ね。ちょっと色々工夫はしてるみたいだけど、大まかには変わっていない筈よ。代金もいつも通り」

 

「ありがとうございます」

 

「……いつも思うけど、もう少し良い装備にしないの?貴方の稼ぎなら不壊属性の武器だって作れるんじゃない?ローンなら受け付けるし」

 

「……正直、憧れはあります。ですが私の魔法を考えると、普通の武器の方がいいんです」

 

「それなら拳や脚に付ける武器とかはどう?"凶狼"みたいなの」

 

「……やめておきます」

 

「……本当にいいの?」

 

「……その、上手く理由が説明出来ないんですけど。最近、ちょっと変な感じで。装備とか持ち物とか、変えようとするのが怖いんです。今と違うものにするのに、抵抗感があるというか」

 

「……貴方」

 

「ダンジョン以外のことにも考えることがたくさんあって、少し頭が疲れているので、そのせいかもしれませんね。変なことを言ってしまって申し訳ありません。……ヘファイストス様の仰る通り、装備を見直す必要があるのは間違いないです」

 

ヘファイストスは目を細める。

彼のその様子に、今日会った時からなんとなく感じていた覇気のなさに、違和感を感じた。

 

「……ちょっと来なさい」

 

「?は、はい……」

 

ノアに渡す筈だった装備を適当に箱に仕舞い込んで、ヘファイストスは彼を自分の自室に招き入れる。彼女も主神、このようなことは滅多にしない。ノアとてヘファイストスの部屋に入ることなど、これが初めてだった。

しかしヘファイストスは彼を椅子に座らせると、温かい飲み物を淹れて対面に座る。別のファミリアの、少し付き合いのある程度の冒険者。しかし善神であるヘファイストスにとっては、善良な子供達は皆愛すべき子供である。本当に困っているのなら、その背中に刻まれた恩恵は関係ない。

 

「最近よく眠れてる?食欲はある?」

 

「え?えっと……確かに、あまり眠れてないかもしれません。食事も取るようにはしていますが、食欲自体はあまり……」

 

「身体の調子は?」

 

「身体の調子……」

 

「疲れやすいとか、変に怠いとか、痛みがあるとか」

 

「疲れやすいのは、そうですね。怠さもまあ、それなりに……」

 

「……………」

 

ヘファイストスは別に医療に関して特別に詳しい訳ではない。しかし大手のファミリアを持っている以上は、その辺りはしっかりと気を配っているつもりだ。こういう職業的な仕事をしていれば、自分の世界に閉じこもって心を病んでしまう団員もそれなりに出て来る。だからこういう反応をする子供を見るのも、一度や二度の話ではない。

 

……軽度の精神疾患の傾向がある。

 

あくまで症状だけであるが、間違いなく精神的に弱っていることは確かだ。だが実際のところ、これはロキと話していた際にも予想出来ていたことではある。

魂とはその人間の核と言っても間違いなく、いくら後付けで補修したとしても、一度砕けて何の問題もなく元通りになるものではない。徐々にその歪みは大きくなり、いずれ他の場所にも影響するであろうことは危惧されていた。それがここに来て漸く姿を現し始めたということだろう。

……ただ。

 

(予想していたより、進行が早いわね……)

 

何が原因かは分からないが、ここまで早く精神にまで影響が出て来るとは思わなかった。それとも魂とは関係のない部分で、つまりは元の精神の状態で弱っているのか。

……しかしそうだとしても当然か。あれほどの無茶をして来た人間が、健常な精神でいられることが普通ではないのだ。

 

つまりはこれは魂の崩壊とは別に彼本人の精神が、彼本人の環境によって崩壊し始めていると取るべきなのかもしれない。

……それはそれで救いがないが、しかしもしそれだけならまだなんとかなる。魂の崩壊が起因であるなら、それは不可逆の衰弱だ。彼本人が問題なら、手の施しようはまだある。

 

「そうね、貴方の装備はうちの団員に運ばせておくから。貴方はこれからディアンケヒト・ファミリアに行きなさい?手紙も書いてあげる」

 

「それは、その、嬉しいのですが……やはり何かの病気なのでしょうか?」

 

「ちょっと精神的に疲れているだけよ。でもその感じだと、戦闘中に集中力が途切れてしまうかもしれないでしょう?精神の疲れは早めに治しておくに限るのよ」

 

「なる、ほど………分かりました、ありがとうございます。申し訳ありません、お手数をおかけししてしまって」

 

「気にしないで、大事なお得意様だもの」

 

それから彼は出されたものを飲み干すと、再度ヘファイストスにお礼を言ってディアンケヒト・ファミリアの方向へと歩いて行った。

……それを見送ったヘファイストスは、直ぐ様に自室に戻ると、ロキに向けた手紙を書き、ノアの装備と一緒に団員の1人に使いを出す。ヘファイストスの考えでは本人が起因の精神疲労だと予想しているが、万が一ということもある。これをロキに伝えるのは必要だろう。ロキ・ファミリア内で何が起きているのかはヘファイストスには分からないが、少なくとも彼は精神的に弱ってしまうような状況に居るということなのだから。

 

「……ほんと、完全に狂ってしまえれば少しは楽だったのに」

 

それが出来ないからこそ。それをしなかったからこそ、余計に苦しむことになる。様々な選択肢の中で、最も険しい道を歩くことになる。

ヘファイストスは思うのだ。

結局彼のような人間こそ、生きるのが下手だと言われるのだと。けれど、だからこそ愛おしくもある。人間特有のその愚かしさは、知れば知るほどに味が出る。

 

好ましいとも。

同時にとても痛ましいけれど。

 

 

 

 

 

 

 

生きている、生き延びている。

今でもそれが信じられない、信じたくない。

受け入れたくない。

 

私は幸福だ。

私は幸福だ。

私は幸福でなくてはいけない。

私が幸福でなければ、彼はどうだと言うのだ。

 

好きになった人と、こうして今を生きて歩いていける。これ以上の幸福が何処にあるのだと、私は今一度思い知らされている。

 

私の目の前で殺された少年が居た。

私を守るために犠牲になった少年が居た。

自分よりも年下で、自分よりも小さくて、自分よりもその人生を必死に生きていて、自分よりも皆に愛されていた。自分よりもよっぽど生きていなければならない優しい子だった。

 

そんな少年が自分なんかの犠牲になった。

だったら自分が誰より幸せでなくてはならない。彼の分まで幸せに生きなければならない。貴方が守ってくれたおかげで、自分はこんなにもたくさんの人を救うことが出来て、こんなにも意味のあることが出来て。だから、貴方の死と頑張りは、決して無駄なことではなかったのだと、証明し続けなければならない。それが生き残ってしまった自分の役割だと、思う。

 

あの日からファミリアには何処か暗い空気が漂っている。

それは多くの団員が亡くなってしまったから、というのもあるけれど。何より自分達の中で1番の歳下である彼を守ること出来なかったから、という理由が一番大きいんだと思う。

生き残ることの出来る状況では無かった、単に運が悪かった、けれどそんな言葉で誤魔化すことなんて出来ない。一番若く、一番純粋で、一番守らなければならない大切な末っ子を死なせてしまった。それもあんなにも酷い最期で。それは団長も含めた団員全員に深い傷跡を残してしまって。

だからレフィーヤがあんな風に取り乱して、普段見ないくらいに当たり散らして引き篭もってしまった時も、むしろそれにみんなは救われていたんだと思う。そうして怒って、そうして責めて貰って、そうしてくれる人が必要だったんだ。だからレフィーヤは何も悪くない。悪いのは自分だ。未だに何も成すことの出来ていない、何も変わることの出来ていない自分だ。

 

……どうして、自分は彼と同じことが出来なかったんだろう。

レベルが彼より低かったから?

回復役で戦闘なんか出来なかったから?

背中にルーニーを背負っていたから?

 

違う。

そんなのは言い訳だ。

それは目の前で腸を抉り出される少年を前にしても言葉にすることの出来る理由にはならない。私は単に怖かっただけだ。逃げ出しただけだ。彼を見捨てただけだ。

 

私なんかよりも、彼が生き残るべきだった。

 

彼よりも、私の方が犠牲になるべきだった。

 

それが年上としての、年長者としての役割だった。

 

 

 

……あれから毎日、彼の墓石の前で祈っている。

でも彼の墓石の前には人が居ることが多くて、私はその人が祈り終わるまで待ってから祈ることにしている。

 

レフィーヤは毎朝、早朝から起きて朝食も食べることなく墓石の前に立ち、延々と何かを話しかけているし。

アキさんは暇な時間が出来ると、花束と少しのお菓子を持ってお供えをしている。

アイズさんは夕方頃にダンジョンから帰ると、何かを話して、最後には『ごめんね』と締めくくり去っていく。

 

ロキも、リヴェリア様も、団長も時々来て、みんな何かを謝っている。そしてそれを見る度に、それを毎日見続けるほどに、やっぱり死ぬべきだったのは自分だったのだと理解してしまう。彼が生き残るべきだったのだと、思わされてしまう。

 

ああ、ごめんなさい。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 

私が全てを壊してしまった。

全部私のせいだ。

誰にも言われないけれど、きっとみんなそう思っている。

 

 

やり直させて。

 

もう一度だけ、やり直させて。

 

そうしたら、今度こそは私が死ぬから。

 

今度こそちゃんと、私が死ぬから。

 

今度こそ私が、彼の代わりになるから。

 

 

レフィーヤが今でも夜中に泣いているのを知っている。

アキさんが時々寂しそうに何かを見つめているのを知っている。

アイズさんがより力に固執してしまったのを知っている。

ロキが、団長が、リヴェリア様が、ガレスさんが、表面上はいつも通りに振る舞っていても、彼を死なせてしまった責任を今でも重く抱えているのを知っている。

 

お願い、お願い、お願い。

死なせて、死なせて、死なせて。

彼の代わりに死なせて。

もう幸福なんていいから、もう我儘言わないから、もう全部諦めるから、お願いだから彼を返して。私が壊してしまったものを、全部元に戻して。

 

……お願い。

 

お願い、お願いだから………

 

 

私なんかのことを、慰めないで……



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27.○○の勘違い

「なんや色々あったけど!とにかく今日はカンパーイ!!」

 

「「「乾っ杯ーー!!」」」

 

遠征終わりのいつもの宴会。

今日は豊穣の女主人という店で、ロキを中心に皆が大いに盛り上がっている。今日ばかりは団長のフィンですらもお酒を飲み、酔っ払ってしまうほどの有様。けれどそれもまた一興というものだろう。そういう時間があるからこそ、団長への親近感も上がるというもの。

 

(……でも確か、この時って……あれ?居たよね?記憶が薄れ過ぎて曖昧なんだけど、確か彼も居たよね?)

 

つい先程、ディアンケヒト・ファミリアにて軽度の鬱病と診断されてしまったノア・ユニセラフ。彼は取り敢えず飲み薬を処方されてここに居るが、彼の僅かに残った前回の記憶がそれを告げている。

 

(……あ、見つけた)

 

そしてどうやら、その記憶は正しかったらしい。

カウンターの席で、こちらを見ている白髪の少年。こちらというか、主にアイズを見ながら顔を赤くしているその少年。

……あ〜あ、ついにこうして顔を見てしまった。

別に彼は何も悪くないし、むしろ悪いのは自分の方であるのだろうけれど。出来ればやっぱり出会いたくはなかった。言うなれば彼は、ノアにとってのトラウマだから。

 

「……?ノア、どうかした?」

 

「え?あ、いえ、何でもないですよ」

 

「ノアさん、最近食欲が無いんですよね。何か食べられますか?」

 

「え、ええ。それならこれとこれを……」

 

「……ノアはお酒、飲む?」

 

「その、まあ付き合いで無理矢理飲まされたことはありますけど、どちらにしても今日はやめておきます。リヴェリアさんと同じ果実絞りが飲みたいです」

 

「ん?そうか。レフィーヤ、注いでやってくれ」

 

「はい!任せてください!」

 

アイズとレフィーヤに挟まれて、何故かノアは女性側の席に座っている。しかも対面に居るのは本当に何故かベートである。一体どういう意図でこの席順になってしまったのか。目の前のベートも微妙な顔をしているというのに。どんな顔をして向き合えばいいというのか。

……それに、お酒を飲めないのも薬を飲んでいるからだ。宴会の席でお酒を飲まないのは申し訳ないけれど、年齢が年齢だし、アイズやレフィーヤ、リヴェリアだってお酒を飲まないのでそれも助かっているところはあるだろう。むしろこうして気に掛けて貰ってしまって、申し訳ないくらいに思っていて。

 

「にしても!こうやって見ると美人揃いでほんま目にええわ!真正面のベートやって眼福やろ!」

 

「その真正面に座ってる奴が男じゃねぇか……」

 

「そう言えば聞いたこと無かったんやけど、ベート的にはどういう認識なん?ノアのこと」

 

「あ?どういう意味だ?」

 

「恋敵やろ?」

 

「「「「ぶっ」」」」

 

アイズ以外の全員が吹き出した。

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

「なっなっなっなっなぁっ!?」

 

「……ノア、"こいがたき"って何?……恋?が滝?」

 

「えぇ!?あ〜、ええっと……こ、好敵手ってことです!ラ、ライバル的な!そういう!!」

 

「そうなんだ……いつの間に"こいがたき"になったの?」

 

「さ、さあ?い、いつだったでしょうか。ねぇベートさん……?」

 

「そ、それを俺に振るんじゃねぇ!!クソ!!」

 

ベートは思いっきりにお酒を飲んで、その場の空気を誤魔化そうとする。彼のいつもの常套手段と言ったところだろうか。単純に一気飲みは心配になったものの、まあ彼ならよっぽどのことがない限りは大丈夫だろうと思える。

ノアもレフィーヤに果実絞りを注いで貰って、アイズに素早い動きで料理も取ってもらえて、なんだか嬉しく楽しくなってきた。食欲自体はやはり無いけれど、こういう場は素直に楽しいと思える。

 

 

(………そういえば)

 

 

この後、何か起きなかっただろうか?

 

 

………記憶にない、全然思い出せない。ベル・クラネルがここに居ることを自分が覚えているくらいには何かがあった筈なのだろうけれど、しかしそれが何かまでは覚えていなくて。彼は今もまだこちらを見ているし、そんなこちらの視線に気づくと変に姿を隠そうとしてしまったし、果てさて一体何が起きるというのか。挙動不審な彼に酔っ払いが絡みに行く、なんてのは十分にありそうだけれど。それをアイズが助けたりしたのだろうか。だとしたら代わりに自分が助けに行こう、ということは出来なくもないけれど。

 

 

「ぷはぁっ!!……そうだアイズ!!お前のあの話を聞かせてやれよ!!」

 

 

突然、ベートが叫び出した。

やっぱり一気飲みは流石の彼でもお酒が回ってしまったらしい。

ノアはそそくさと彼の手元にあったお酒の瓶をガレスの元へやって、座り直す。今更な手遅れ感は否めないけれど、それでも一応。

 

「?」

 

「あれだって!帰る途中で逃したミノタウロス!最後の1匹をお前が始末しただろ!?そこに居たあの……トマト野郎のことだ!!」

 

つまり"彼"のことですね。

 

「あ、ノアさん。口元についてますよ」

 

「へ?あ、ありがとうございます」

 

「いえいえ」

 

当たり前のようにレフィーヤに世話を焼かれてしまう。

恥ずかしく顔を赤らめる様子までなんだか嬉しそうに見られてしまって、ちょっと目を逸らしながらも口元を拭かれた。ベートの話の方はどんどん勢いを増しているというのに。

 

「あのヒョロくせぇ冒険者!兎みてぇに壁際へ追い込まれちまってよぉ……可哀想なくらい震えがっちまって!」

 

「へぇ、そんでどないしたん?助かったん?」

 

「アイズが細切れにしてやったんだけどな!けどそいつ、あの"ミノタウロスの臭ぇ血を浴びて"、"全身真っ赤"になっちまったんだ!!マジで綺麗にぶっ掛けられちまって!"綺麗なトマト"みたいだったぜ!!くはははははっ!今思い出しても腹痛ぇ!!」

 

 

 

 

 

 

「「「「「……………………」」」」」

 

 

 

 

 

………あれ?もしかして空気悪いですか?

 

ベートの言葉の直後、急に場が冷えてしまった。

なんだか皆が気不味そうな顔をして、そのいきなりの変化にベート自身も困惑している。ノアももちろん困惑している。あと何故かノアの方にもチラホラと視線が集まっている気がする。

あまりヒートアップするようなら止めようかなとノアも思っていたのだけれど、なんだか違う方向に話が進んでいるというか……

 

 

 

「………あ、そういえば私も同じ頃にトマトみたいになってましたね」

 

 

 

「「「「……………………」」」」

 

 

あ、場の空気がもっと沈んだ。

ベートの顔がなんだか凄いことになっている。

 

え、これどうすればいいんですか?

もしかして私は間違えてしまいましたか?

 

オロオロとして周りを見渡すが、しかしこれにはアイズもレフィーヤも目を逸らすばかり……食事の時分にあんな悍ましい光景を思い出させてしまったのが良くなかったのか、とノアはおかしな方向に思考を働かせるが。こんな時に頼りになる人物もいる。

みんなのママことリヴェリアさんである。

 

「はぁ……いい加減にしておけ、ベート。飲み過ぎだ」

 

「ぁん?」

 

「ミノタウロスを逃したのは我々の不手際であり、巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれど、酒の肴にする権利はない。あと空気を読め」

 

いつものように、手慣れたように、リヴェリアが沈んでしまった場の空気を整えてくれる。彼女のこういうところが凄いと素直にノアは尊敬している。空気の読めない自分と違って、状況に応じた適切なことが出来て言葉にもしてくれるからだ。いつか自分もそうなれたらいいのに……と思うこともあるが、しかし今日のベートはそれでも止まることが出来ないようで。

 

「チッ、ならアイズはどう思うよ?自分の目の前で震え上がるだけの情けねぇ野郎を」

 

「……あの状況では仕方なかったと思います」

 

「あぁ?違ぇよ!あの軟弱野郎に好きだの抜かされたら、受け入れるのかって聞いてんだ!」

 

「それは……」

 

「そうだろう!ああ、そんな筈がねぇ!気持ちだけが空回りしてる軟弱野郎に、お前の隣に立つ資格なんざねぇ!!それは他ならぬお前が認めねぇからなぁ!」

 

「ちょっと、あんたそろそろ落ち着きなさいよ。私達が恥ずかしいんだけど」

 

「うるせぇ!!雑魚じゃアイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねぇんだ!!そんな奴はそもそも必要とされてねぇ!!」

 

「お、おいベート。君もそれくらいで……」

 

 

 

「さあアイズ!言えよ!!あのガキとオレ、ツガイにするならどっちがいい!?」

 

 

 

 

 

「…………………ノア」

 

 

 

 

 

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ごめんなさい、ちょっと泣いてきます。

 

 

 

「クッソがぁぁぁあああああ!!!!!」

 

「ベートが暴れ出した!?全員押さえ付けろ!!」

 

「落ち着いて下さい!当たり前の結論です!」

 

「そりゃそうなるでしょ!!」

 

「なんでノアに勝てると思ったのよ!この馬鹿狼!」

 

 

 

「ノ、ノアさん?大丈夫ですか?」

 

「ノ、ノア?どうしたの?大丈夫……?」

 

「い、いえ、その……はい……大丈夫です」

 

 

 

「ベ、ベルさん!?」

 

「お、食い逃げか?」

 

「この店で食い逃げとは、根性あんなぁ」

 

「………あれ、今のって」

 

「ア、アイズさん!そっちの布巾取ってください!」

 

「え?あ、うん」

 

一瞬で、一瞬で宴会の席はとんでもないことになってしまった。

ベートは暴れ始めてティオネ達に締められてしまうし、ノアは嬉しさのあまりに普通に涙が溢れてしまって周囲に心配をかけてしまう。あとベル・クラネルは食い逃げをした。

 

(………え?食い逃げ?)

 

ノアは涙を流しながら二度見をした。

ほんとに食い逃げをしていた。

ベートが色々言ってたことが突き刺さってしまったのだろうか?……でも確かにあの言葉は、前回の自分が聞いたら、自分にも深く突き刺さってしまうような言葉だったとノアは思う。あんなことを言われたら、今とは別の意味で泣いてしまうだろう。というか記憶にはないが、実際にないたのだろう。だから記憶にも残っていたのだ。

それにそういう意味では、彼はこの場で自分が酒の肴にされて笑われているのを聞いていたことになる訳で。逃げ出したくなるのも仕方ないことというか………まあ、実際に笑っていたのはベートだけだったが。そういう問題ではなくて。

やっぱり自分の弱さを改めて他人に突き付けられると、人は本当に辛くなってしまう。ノア自身もそれについては身をもってよく理解している。だからこうして彼が食い逃げをするくらいに逃げ出したくなってしまったことも、また仕方ないと言えよう。良いことではないが。

 

 

「ノアァァア!!!俺はテメェにだけは絶対ェ負けねぇからなぁぁあ!!?」

 

「ふぇ……?」

 

「強ぇ癖に泣いてんじゃねぇぇええええ!!!」

 

ベートは縛られた。

そしてそのまま吊るされた。

何もかもに負けた、哀れな狼の末路である。

 

 

 

 

 

 

最近、ノアさんとアイズさんがなんだか凄く良い感じだ。

ノアさんが、というよりは、アイズさんの方が変わった気がする。

もちろん恋愛感情どうこうはまだ無いのかもしれないけれど、それを得るに十分な土壌が出来上がっているというか、いつ芽生えてもおかしくないのではないかというか、むしろどうしてまだ芽生えていないのかというか。まあなんにせよ、前よりずっと良い状況になっているのは間違いない。

 

……ただ、問題はノアさんの方だ。

アイズさんがそうして徐々にノアさんの方に意識を寄せ始めているのに、肝心のノアさんがなんだか不安定な状態に見えるのだ。

 

「おはようございますノアさん」

 

「あ……おはようございます、レフィーヤさん」

 

「大丈夫ですか……?なんだかまた顔色が悪いですよ?」

 

「そ、そうですか?……一応眠ることは出来たんですけど、最近なんだか朝が弱くて」

 

「温かい飲み物取ってきますから。あ、これも羽織っていて下さい」

 

「すみません……お手数をおかけしてしまって」

 

「これくらいいですから」

 

神の恩恵、それは本当に人間の肉体を飛躍的に強化する。それがレベル6ともなれば桁が違う。リヴェリア様やガレスさんが体調を崩しているところなんて殆ど見たことがないくらいだし、耐異常のアビリティを持っている眷属なら尚更だ。

……だから、本来なら耐久にステイタスが偏っている彼がここまで不健康である筈がない。だというのに彼は最近は毎朝こんな感じで、流石に心配になってしまう。変に世話を焼いてしまうのも仕方ない。

 

「治療院には行ったんですよね?」

 

「ええ、精神的に少し疲れているのだと言われました。睡眠不足を改善する薬も頂いて」

 

「その、あまり無理をしないでくださいね?寝不足ならもう少し寝ていてもいいんですよ?」

 

「いえ、それは流石に時間が勿体ないので……」

 

「………」

 

少量の朝食を、少しずつ少しずつ食べる彼。なんだか最近は以前にも増して女性らしいというか、萎らしくなってしまって。儚さをも伴ってしまっている。それでも容姿には気を遣っている分、その姿は本当に綺麗だ。

……こうして見ていると正に病床の令嬢というか。

 

「おはよう、2人とも」

 

「アイズさん」

 

「おはようございます、アイズさん」

 

「うん」

 

そしていつものように、アイズさんも起きてノアさんの隣に座る。一時期は何となくアイズさんと居づらい時もあったけれど、今はこうして特に何事もなく以前のように話すことが出来ている。

……それに別に、私もアイズさんの邪魔がしたい訳ではない。アイズさんがこうしてノアさんの方を向いてくれるのなら、私はむしろそれを応援する立場なのだから。昨日の宴会の時のようにノアさんを喜ばせてくれるのなら、ノアさんのことを選んでくれるのなら、私から言うことは他には無くて。

 

「……?アイズさん、なんだか顔色が優れませんね」

 

「そうかな……ちょっと、眠れてないかも」

 

「悩み事ですか?」

 

「うん、少し……」

 

いつもより元気がない。……とは言っても、確かにアイズさんも今日はいつもより沈んでいるように見えるが、それは彼ほどではない。他人の心配をしている状況なのかと、他人が見たらそう言うだろう。

しかしアイズさんが元気のない理由は、私も気になる。少なくとも昨日の宴会の時はまだ元気だったはずだからだ。たった一晩で何があったというのか、昨日はあの後も特に出掛けたりはしていない筈だが。

 

「……あのね、昨日の話」

 

「……ベートさんの話ですか?」

 

「うん、私が助けた男の子のこと」

 

……ノアさんの表情が曇った。

アイズさんは気付いていない。でも私には見えている。少しトーンが落ちたその声で、嫌でも分かる。だからぎゅっと、机の下で彼の手を握る。驚かれても、笑いかけて。

 

「その子が、もしかしたら、昨日あそこで食い逃げをしていった子かもしれなくて……」

 

「……つまり、あの会話を全部聞いていたということですね」

 

「うん……ダンジョンで怖がらせちゃって、それなのに悪口まで聞かせちゃって。すごく、その……悪いこと、しちゃったなって」

 

「……なる、ほど」

 

私はその時、ノアさんのその反応を不思議に思った。いつも優しいノアさんが、その話に、その話に出てきたその少年に、言葉はともかく、実際にはそこまで同情していなさそうだったからだ。

淡々と話を聞いていて、アイズさんの話だというのに、それほど興味を持っていないというか、むしろ拒絶しているようにも見えてしまう。その話について、その少年について、あまり話したくないというような……

 

(………もしかして)

 

彼が?

アイズさんが助けたと言うその少年が、アイズさんの運命の人?

そんな想像が、妙な納得を持って頭を過ぎる。

 

「どうしたら、いいかな……」

 

「えっと……あ〜、そうですね……」

 

「……下手に謝りに行くのは、良くないと思います」

 

「レフィーヤ……」

 

「レフィーヤさん……?」

 

だとしたら、もしそうなのだとしたら。自分のすべきことは一つだ。今こうして彼が困っているように、敵に対しても誠実さを捨て切れない優しい彼のために、自分がその悩みを引き受ける。たとえその言い方が少しばかりキツイものになってしまっても。ちょっとした悪役を引き受けることになってしまったとしても。

 

「だってその、弱いって言われたのに。殺されそうなところを助けられたのに。それなのに相手に謝らせたりしたら、自分には何も残らないじゃないですか」

 

「……でも、私は怖がらせて」

 

「状況的にも、彼が怖がったのは間違いなくミノタウロスに対してです。そのミノタウロスをけしかけてしまったのはアイズさんではなくロキ・ファミリアで、謝罪するならファミリアとして行うべきかと」

 

「でも、宴会の時も……」

 

「あれこそ悪いのはベートさんじゃないですか。アイズさんはむしろフォローしてましたし、謝りに行くのはベートさんです」

 

「………そう、なのかな」

 

「そうです」

 

正直なことを言うと、私はもうこの時点で嫌な予感がしている。だって言い方は悪いかもしれないけど、ダンジョン内でアイズさんを見て怖がって逃げた冒険者なんて、別に他にも過去には当然に居る。宴会の場でのベートさんのああいう発言だって、別に今に始まった話でもない。仮に罪悪感を抱くとしても、もっと抱くべき事柄はあるはずだ。

……それなのにアイズさんは、この件に固執している。

その少年に固執している。

つまりは、その少年に"何かしたい"と思っている。

謝ることを口実にして、会おうとしている。

 

たった1度出会っただけなのに。

ノアさんのために何かしようとアイズさんが思い始めたことなんて、それこそ最近の話でしかないのに。

 

「……アイズさんは、その少年のことが気になるんですね」

 

「!!」

 

「気になる……うん、そうかも」

 

「たとえ自分が悪くないとしても、謝りに行きたいんですね」

 

「………うん」

 

「ノアさん……!」

 

彼はそう目を閉じながら話す。口元は笑みを描いているけれど、目を閉じていると言うことは、きっとそういうことだ。……でも、だからってここでアイズさんに優しくしてはいけない。たった一度顔を合わせただけで、ここまで興味を持たれてしまうような相手に。せっかく少しずつ、状況は良くなっているのに。

 

「……私達は冒険者ですから。ダンジョンに潜っていれば、いつかは嫌でも顔を合わせることになるでしょう」

 

「……!」

 

「っ」

 

「その時にでも、声を掛けてみるといいかもしれません。あくまでファミリアとしてではなく、個人としての謝罪として」

 

「!……うん、そうしてみる。ありがとうノア」

 

……でも、多分。彼の方がよっぽど私なんかより、このことについて知っていて考えていたんだろうなぁと思わされた。

きっと彼はもう、諦めていたんだ。

その少年とアイズさんが出会ってしまうことについては。

アイズさんがその少年と出会った時点で、きっとアイズさんが興味を持ってしまうことまで知っていて。どう止めても会いに行ってしまうことまで含めて予想していたんだ。

 

……実際、なぜノアさんがアイズさんの運命の相手のことについて知っているのかまでは、私はまだ教えられていない。それだってリヴェリア様の想像で、ノアさんには直接聞いたり話したりしてはいけないと言われている。でもそれをこの話の中で確信した。ノアさんは私なんかより、誰なんかより、その少年について警戒していたのだと。当たり前のことではあるけれど、実感が伴うと感じ方もまた違って。

 

 

「……あの、アイズさんは今日はどうするつもりですか?良ければみんなで買い物とか」

 

「ん、ダンジョンに行こうかなって」

 

「あ……そう、ですか。ダンジョンに……」

 

 

「ノアは?一緒に行く……?」

 

 

「っ!?」

 

「え?……そ、そうですね。……えと、はい。良ければ私も一緒にダンジョンに」

 

 

 

 

あ〜…………

 

 

 

えっと……

 

 

 

……………あの〜。

 

 

 

う〜ん……

 

 

 

どうしよう、これ。

 

 

 

これは良くない兆候だ。

 

 

 

良くない兆候だって分かるけど、ちょっと止められそうにない。

 

 

 

……どうしよう。

少し前の自分なら、こんなこと考えられなかった。

だから今、自分でも割と動揺している。

ここまで変われるものなのかと、自分のことながら。

 

 

 

「アイズさん………ノアさんのこと、ちゃんと見てますか……?」

 

 

「え?

 

 

「ちゃんと、見てますか?」

 

 

「……………………………………………っ!」

 

 

自分のことに必死になってしまっても、仕方がない。考え過ぎて、周りが見えなくなるのも、誰にだって良くあることだ。調子の悪いことを可能な限り隠そうとする人だって、私は悪いと思う。

……でも、だからって。

 

 

「ご、めん……私、その……寒いのかなって……」

 

 

「い、いえ、言わなかった私も悪いので。それにこんな風に体調を崩すような上級冒険者なんて滅多に居ませんし、仕方ないですよ」

 

 

仕方なくなんてない、仕方なくなんかない。

 

そう、言いたかった。

 

……ううん。でも、やっぱり仕方ないことなんだろう。これはきっと、自分が過剰に反応してしまっているだけ。主観的な思い込みで、判断してしまっているから。これはただ、タイミングが悪かっただけだ。私が思うほど、怒る必要のないことなのかもしれない。

アイズさんが一つのことに集中してしまうと、他の何かが抜けてしまうことは、今までだって何度もあったことだ。前までは私だってそれを『可愛い』と言っていた。それと同じ。それと変わらない。

それに彼の言う通り、こうして上級冒険者の多いロキ・ファミリアに居れば、身体の不調なんて相当な怪我でもしない限りは無縁のものだ。だから気付かなかったのも仕方ないし、実際にアイズさんだって気付いてからはこうして、ノアさんのことを心配している。寝不足で、見落としていただけだ。そうに違いない。

 

…………でも。

 

(気付いて欲しかった)

 

そう思っているのは、きっと自分だけではないだろう。

それは確かに身勝手で、自分本位な願いではあるかもしれないけれど。それでも。それでもどうにか、ならなかったのか。こんな失望を抱くようなことが起きないで済む選択は、出来なかったのか。

 

「あの……本当に、多分今は寒いだけなので。もう少し暖かくなる昼頃になれば、ほんとに。なんでもないので。だからそんなに気にしないでください。普段からの体調管理が出来ていない私が悪いんです」

 

「………その、本当にごめんね……」

 

……ああ、そうだ。

勝手に期待したのは自分達だ。

普段の生活で、宴会の中で、アイズさんがノアさんのことを望むような発言があったから。だから少しは2人の距離が近づいて、アイズさんもノアさんのことを見るようになってくれたと、勝手な期待をしてしまった。

 

でも、それは間違いだった。

何も変わってなんていなかった。

アイズさんからして見れば、宴会の中でのあの発言は、決してノアさんを選んだという訳ではなく、単にその択の中でなら彼の方が良いという意志を示したに過ぎない。それは『そうなりたい』ではなく『選ぶならそれがいい』だ。消去法だ。即断即決した訳ではない。

 

(アイズさんは……まだ、ノアさんが欲しい訳じゃない)

 

今1番苦しくて辛いであろう彼は、逆にアイズさんのことを慰めている。アイズさんも、こんなことにも気付けなかった自分に、酷く後悔しているように見える。それくらい後悔してしまうくらいには、ノアさんのことを大切にだって思っているのだろう。

 

……でもアイズさん、気付いていますか?

 

きっと悪気はないのかもしれないけれど。それが悪いことであるという意識もないのかもしれないけれど。ただノアさんを、断り切れないだけなのかもしれないけど。アイズさんは本当に何も分からずに、ただただ振り回されているだけの被害者なのかもしれないけれど。

 

そうだとしても。

 

……中途半端な好意が、1番相手を傷付けるんですよ。




アイズさんがファンブル出しまくってます。
目星で致命的失敗まで出しました。
リヴェリアママの出番です。


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28.母親としての○○

感想でベルくんの運命力に関する意見が多いので、1つ補足します。
個人の感想的にもこの作品的にも、本来はベルくんの運命力はそれほど強くないはずです。特にベルくんとアイズさんを結び付ける運命力は、むしろリューさんより低いと思います。
……ただし、この作品においては別です。この作品におけるベルくんの運命力はクソ強です。運命くんの力が激強です。
その辺りについても今後の話の中で出て来る謎の一つなので、『あ……分かっちゃった』となってしまった方も、今は内緒でお願いします。
どうぞこれからもよろしくお願いします。


その日、結局アイズはダンジョンに行くことはなかった。

ダンジョンに行くことなく、本拠地の中庭にあるベンチに座り、ぼ〜っと静かに噴水を見つめる。やりたいこと、やらなければならないことは沢山ある筈なのに、不思議と身体が動かない。動かそうとしても、まるで鉛のように重くなっていて、心まで沼に沈んだようだ。

 

 

【アイズさん………ノアさんのこと、ちゃんと見てますか……?】

 

 

ズキン、と胸が痛む。

レフィーヤのその言葉が、何度も何度も頭の中で反響する。

 

「………見て、なかった」

 

見て、改めて、彼がどんなに酷い顔をしていたのか、初めて気が付いた。

自分がああして一方的に悩みを相談している間、彼がどんな顔をしてそれを聞いていたのか、全く見ていなかった。自分はただ、言葉を聞いて、俯いて、考えて。自分のことだけを言葉にして。自分のことしか考えていなくて。

……また、彼に頼っていた。

分からないことを聞けば教えてくれる彼に。知らないことも優しく教えてくれる彼に。嫌な顔ひとつせずに笑いかけてくれる彼に。甘えてしまっていた。あんなにも疲れた顔をしている彼に対して、甘えて頼ってしまった。性懲りも無く。

 

「……どうした、アイズ」

 

「リヴェリア……」

 

そんな風に落ち込んでいたからだろうか。遠征終わりの忙しい時期であろうに、リヴェリアが見兼ねて声を掛けに来た。アイズがここまで明確に落ち込んでいる姿は、それこそリヴェリアとて滅多に見たことがない。そんな姿が見えてしまえば、それは仕事を止めてでも降りてきてくるのも当然だろう。2人の関係は、それくらいには強い。強い筈だ。

 

 

「………………白い少年、か」

 

「うん、その子について相談しようと思ったんだけど……また、自分のことばっかり、喋っちゃった」

 

「………」

 

「ノアは、疲れてたのに……」

 

やはりな、と。

リヴェリアは心の中で溜息を吐く。

報告を受けた時点で、恐らくその少年がアイズの運命の相手であろうことは、既に推測できていたことだ。そしてここまでアイズが興味を惹かれている時点で、それは確定したと言っても良い。

しかしそうなると……本当に酷な状況にノアは晒されていたのだなと、リヴェリアは少し同情する。自分の恋敵との関係をどうしたらいいのかと、本人からそう聞かれていた訳なのだから。よくまともに答えることが出来たものだと、その心中を察した。

 

「謝った、んだけど……」

 

「ああ」

 

「レフィーヤも、怒ってた……」

 

「……そうか」

 

そしてやはり、レフィーヤを彼の側に置いたことは間違いではなかったと再認識もさせられる。レフィーヤが普段から甲斐甲斐しく世話をしているということは聞いているし、今も彼女は彼を治療院に連れて行っている。自分の役割を十分に果たしてくれているだろう。ノアのためにアイズに怒ってくれたのも、リヴェリアとしては素直に誉めたい。それは勿論、アイズのためにもなっているから。色々な懸念点はあるとは言え、レフィーヤの成長は喜ばしいことだ。

 

「……アイズ、これは恐らく私の責任で教えなければならないことだろう。だからこそ、これから少し厳しいことも言う。いいな?」

 

「うん……」

 

 

「無知は時に罪にもなる」

 

 

「……っ」

 

「いいか。分からないのは仕方がない、それは誰にでもあることだ。だが、いつまでも分からないままにしておくのは違うだろう。……確かに、お前とていつまでも諦めてくれないノアに困惑しているところもあるかもしれない」

 

「そんなことは……」

 

「だがお前はそれを許しているにも関わらず、あいつに期待と失望を与え続けている。悪い言い方をするのであれば、飼い殺しにしている」

 

「飼い、殺し……」

 

「お前は無意識なのかもしれないが、やっていることは世間で悪女と呼ばれる者達と同じだ。自分を好いてくれた男を飼い殺しにし、利益だけを吸い続ける。……違いはそれが金かどうかの違いくらいだろうよ」

 

「そんな……」

 

敢えて厳しい言葉を使っている。

だが言葉が厳しいというだけで、それは紛れもない事実には違いない。そしてそれを教えるべきは自分だった。これはリヴェリアの罪だ。

 

「そしてお前はノアに対してその少年のことを相談したと言っていたが、それはすべきではないことだ。何故か分かるか?」

 

「…………分からない」

 

「好きだと言ってくれた男に対して、お前は"他の男と仲良くする方法"を聞いたんだ」

 

「ち、違う。私はただ、どうやって謝ればいいかを……」

 

「本当にそれだけか?」

 

「っ」

 

「謝るついでに少しでも話せればいいと、本当にそうは考えなかったのか?」

 

「………」

 

「謝る方法を知ることは、本当に主題だったのか?」

 

「………ううん」

 

「お前がノアに聞いたのは、少なくともノアからして見れば、"誰かに謝る方法"ではなく、"他の男に会う方法"だ。……言葉にしなくとも、お前のことを良く見ている人間であれば、それくらい容易く分かる。それがお前を心から好いているアイツなら、当然に気付かない筈がない」

 

「………難しいよ」

 

「そうだな、だが私達は皆そんな難しい世界で生きている。ならば順応するしかないだろう」

 

聞けば分かることもあるが、聞いたらいけないこともある。

相手を気遣うというのは、とても難しいことだ。考えることはたくさんあるし、突き詰めればキリがない。そのために自分を磨耗させてしまっている人間も居るし、そんなことは馬鹿らしいと鼻で笑い飛ばす人間も居る。

……けれど、たとえ疲れることであっても、最低限の仁義くらいは通すべきだ。"好いてくれていた人の前で他の男の話をしない"程度の思いやりくらいは、持って然るべきだろう。本人にそれを聞くなど、言語道断だ。

 

「……正直、宴会中にお前がノアの名前を出した時。私はお前を叱ろうと思った」

 

「……どうして?」

 

「お前がノアの存在を利用したからだ」

 

「っ」

 

「お前は選べない選択肢を突き付けられて、自分を誤魔化すためにノアの存在を使ったな?その気持ちを受け入れることもしていないのに。お前は消去法でノアを選び、その名前を何も考えず簡単に口に出した」

 

「……うん」

 

「だがそれはすべきでないことだ。あんなことを言われたノアは、確かに涙を流すくらいに嬉しく思っただろう。……何故か分かるか?」

 

「……………私は。ノアと一緒になりたいって、言っちゃった」

 

「そうだ。だがそんなノアに対してお前は今日、何をした?」

 

「……あの子と仲良くなる方法を、聞いた」

 

「ノアはどう思ったと思う?」

 

「…………昨日の言葉は、嘘だったんだって……」

 

「だがあいつは優しく聡い。お前が消去法で自分を使ったことも、結局は自分の恥ずかしい勘違いだったことも直ぐに理解したことだろう。飲んではいないとは言え、酒の席だったからな。……そしてお前は何も悪くないと、勝手に勘違いした自分が悪いのだと、そう締めくくった筈だ。決してお前を責めることなどしない。そうするくらいなら、あいつは自分を責める」

 

「………………そう、なんだ」

 

今、思う。

もしかしたら彼の顔があれほどに疲労していたのは、単に身体の具合だけではなかったのではないかと。自分が来るまでは、もう少し良かったのではないかと。だからこそ、最初に朝の挨拶をした時の自分は、彼に違和感を持てなかったのではないかと。そんな言い訳を、思う。

 

「………私、あの子の話に夢中で。ノアの具合が悪いの、気付けなかった」

 

「……そのことも、アイツは当然に気付いている」

 

「ノアは……どう、思ったのかな……」

 

「どう思ったと思う?」

 

「………………自分よりも、あの子の方が大事なんだって」

 

「それで?」

 

「それ、で……」

 

 

 

 

【アイズさん………ノアさんのこと、ちゃんと見てますか……?】

 

 

 

 

「っ。自分のことなんか、見てないって……!」

 

「そうだろうな。……本当に、どういう気持ちだったのか」

 

だって、見ていなかったのは事実なのだから。彼の調子が悪いことに気が付かなかったのは、どころか常に隣に居てくれると思い込んでダンジョンにまで連れて行こうとしていたのは、他ならぬ自分なのだから。彼を自分の物のように扱っておきながら、目を向けていなかったのは、言い訳の出来ないアイズ自身の罪なのだから。

 

 

「さて、アイズ。……お前はようやくそこまでに辿り着くことが出来たが、しかしまだ気付けていないことが1つある」

 

「………まだ、あるの……?」

 

「辛いだろうが目を背けるな、お前のしたことだ。………話の流れを予想するに、そのことについてはノアがお前をフォローするために一度は口にした筈だ。あいつなら間違いなくそうする」

 

「ノアが、説明……」

 

「思い出せ。それは本来、お前があの場で気付いていなければならなかったことだ。……そして、それを考慮した上でお前が今反省していなければならないことだ」

 

リヴェリアにそう言われて、アイズは必死に今朝の会話を思い返す。……こうして思い返してみると、確かに自分は相談している時、俯いてばかりいてノアの顔を見ることが出来ていなかった。昨晩から考え続けていたことに夢中で、それ以外のことはどうでもよくて、相談に乗ってくれた相手にさえ、感謝すらなく、それが当然のように接して。

……あの会話の時、果たして彼はどんな顔をしていたんだろう?これを聞いていた時、彼は何を思っていたんだろう?それがアイズには分からない。だって見ていなかったから。アイズが見ていたのは、彼ではなく、自分だけだったから。

 

 

 

「………………………………っ!?」

 

 

「思い当たったか?」

 

「ノアはなんで、体調を崩してるの……!?」

 

「そういうことだ」

 

 

体調が悪い事に気がついても、それに気付けなかった自分を責める事に精一杯だった。むしろそれはミスをした自分を守るための自傷行為で、つまりその時になってもまだ、自分は自分のことしか考えていなかった。彼の顔色を見てもまだ、自分は彼のことを見ていなかったのだ。

 

上級冒険者は強い恩恵によって滅多に体調を崩すことはない、それは彼も言っていた。だから本来、レベル6になった彼は毒でも食らわない限りはアレほどに衰弱する筈がないのだ。彼はそれを、"そんな珍しいことだからアイズが気付けなかったのも仕方ない"という理由で使っていたけれど。

 

「理由は精神的なものだと言われているが、まだハッキリとは言えん。だが今のアイツが薬を飲んで生活しているのは確かだ」

 

「精、神………薬………」

 

「……無茶が祟ったんだろう、この件については半分は自業自得とも言える。昨日今日で発覚した話だ、お前が知らなかったことも無理はない」

 

リヴェリアの言った通り、知らなかったのは仕方ない。

だからそこは別に責められるべきではない。

単にタイミングが悪かっただけと言えば、それまでだ。

 

……だが、それを聞いて本人が感じるものは別。その話を聞いて本人が何を思い、どう考え、どのような結論を出すのかまでは、他人が干渉することではない。そしてリヴェリアはそれこそ、この話を聞いてアイズがどのような結論に行き着くのかを知りたかった。

 

「………………わたしの、せいだ」

 

一気に、それまで何とか抱えることの出来ていた物の重みが増す。抱え切れなく、否、抑え切れなくなった罪の意識が、グッとアイズに向けてのし掛かる。アイズはそれを、自分の罪であったという結論に行き着いたのだった。

無知は罪になるとは言うものの、それは実際に認識出来た時に初めて罪になるものだ。認識さえ出来なければ、それは一生罪にはならない。積み重なっていくだけで、重さは感じない。……しかしだからこそ、認識した時が怖いのだ。認識出来てしまったら、それは形になる。見知らぬ間に積もってしまった罪の山を、認識してしまう。膨れ上がったその罪は、1人で持ち堪えるには……少々重過ぎる。

 

「わ、わたし………リ、リヴェリア………あの、ノアは、その……ど、どう、どうしたら……わたし、あの……」

 

「答えは出さない」

 

「………っ」

 

「それはお前が考えるべき事だ。お前が考え、お前が悩み、お前が苦しむべきことだ。……逃げるな、アイズ。仮にお前が今更ノアのことを全てレフィーヤに丸投げするなどという選択を軽々しく取った場合、私はお前を一生軽蔑しなければならん」

 

「!?」

 

「逃げるなよ、アイズ。お前が考えるんだ。他でもないお前自身が生み出した結論にこそ、意味が生まれる。……たとえそれが間違った結論であったとしても、無いよりマシなんだ」

 

「い、み……」

 

「意味のない結論など、間違っても誠実に向き合ってくれた人間に叩き付けるな。お前がどんな結論を導き出すにせよ、それが意味あるものなら、私はお前を支持する。……悩み、学んでくれ。お前はこれから、成長するんだ」

 

そうしてリヴェリアは席を立つ。

泣きそうな我が娘を背にして、歩を進める。

 

愛すべき娘だ、幸福になって欲しい。

けれどノアの件で、自分の娘がどれほど無知であるのかが分かった。きっと何かを後悔するその日まで、大切な物に気付けないのではないかという危機感を得た。

少しでも強くなって欲しい、けれどそれは戦闘に関しての話ではない。人として強くなって欲しい、それは母親としての願いだ。

 

辛くても、苦しくても、悲しくても、その胸の痛みの積み重ねこそが、人としての厚みとなる。そしてそれを積み重ねた人間が、本当の意味で大人になれる。そうして大人になってもまだ他者に優しくあれるのなら、それは本物だ。

自分の娘にそういう人間になって欲しいと願うのは、母親として当然のことだと思う。

 

「これくらいのことで潰れてくれるなよ。……お前なら出来ると、私は信じている」

 



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29.情報○○

「そうか、アミッドの診断も精神的な疲労だったか」

 

「はい。……ただ、身体の症状の割に精神疾患自体は軽度で済んでいるのが不思議だと」

 

「……ロキ、どう思う?」

 

「分からん、ウチかて一回魂が砕けて生きとるような子供は初めて見るしなぁ。いくら全知でも前例のないことまでは分からんわ、神の力が関わっとるなら余計にな。ちと例外過ぎる」

 

その日の夜、リヴェリアはいつものメンバーを呼び集めて今後のことを話し合う事にした。一先ずノアは気分転換のために大浴場にぶち込んで来たが、アイズは今も自分の部屋に引き篭もっている。

……色々と状況が停滞している。

50階層での謎のモンスターに関してはフィンとガレスに丸投げし、自分達は今のうちにノアに関して解決していこうという狙いだ。……まあ、解決できる目処など正直何処にもないのだが。

 

「ではアキ、先ずは調査をお願いしていたことについて報告してくれ」

 

「はい、分かりました。……今日一日、アイズの運命の相手と思われる少年について調べてきました。名前はベル・クラネル、レベル1の新人冒険者です。所属はヘスティア・ファミリア」

 

「ゲッ、ドチビの眷属かいな」

 

「?知り合いか、ロキ」

 

「気に食わんチビ女神や。……まあ、善神ではあるんやけどな。単にウマが合わんだけや」

 

「ファミリア自体は新興のものですね、眷属もベル・クラネル1人です。今は街外れの廃教会を拠点にしているようです。素行も至って真面目な新人冒険者という感じで、ギルドの担当職員からの評判も良好でした」

 

「なるほどな……」

 

特には問題はないということか。

しかしこれだけ聞くと、ノアがあれほど警戒するような相手には見えてこない。いくらアイズが気に入ったとしても、力も裏もない弱小ファミリアの新人冒険者。脅威になるような要素は今のところ特に見当たらないが。

 

「……これだけだと何もわかりませんね」

 

「そうだな……すまないアキ、悪いがもう少し調査を継続してくれ。何かはあるはずだ」

 

「分かりました」

 

「そんならウチは明日のガネーシャのパーティで、それとなくドチビに話聞いてくるわ。どうせ来るやろ、タダ飯やし」

 

「ああ、頼んだ」

 

3人が何も分からないのは当然、なぜならベルはまだスキルを発現させてから数日程度しか経っていないからだ。しかしあと数日もすれば、それは分かることになるだろう。あまりに早く成長する、彼のその異常性を。

 

「次にロキ、黒幕の神の方はどうだ?何か分かったか?」

 

「それが全然や、何の手掛かりもない。こっちはもうアカンかもなぁ、多分探しても意味ないわ」

 

「……それにしても、信じられません。時が巻き戻っているとか、ノアさんが2周目を過ごしているとか。現実離れしているというか」

 

「悪かったなレフィーヤ、お前には黙っていた。その方がお前の立場的には良いと考えていたんだ」

 

「いえ、それは私もそう思いますから。……それに、だからこそ今は余計に、ノアさんに幸せになって欲しいと思うようになってます」

 

最近の件で、リヴェリアからのレフィーヤに対する信頼度は非常に高くなっている。故に今回、彼女にはノアに関する現時点で知り得ている全ての情報を公開することにした。

それとなく情報を小出しにしていたこともあって、彼女自身それをそこまで驚くことなく受け入れることが出来たので、やはり土台を作っておいて正解だったと言ったところか。それに……

 

「その神のことについてなのですが、レフィーヤ」

 

「え?はい」

 

「貴女、黄色の花の飾り物を持っていたわよね」

 

「は、はい……でも、どうしてアキさんがそれを……?」

 

「ごめんなさい、50階層で貴女がティオナ達と話しているのを聞いていたの。あの時はレフィーヤがその神の支配を受けているんじゃないかと思って警戒していたんだけど……」

 

「な、なるほど……」

 

「ん?どういうことや?話が見えんのやけど」

 

それはまだロキの知らない話だ。何故ならその変化がより顕著に現れたのが、遠征が始まってからであったから。それまでは確かにレフィーヤは積極的であったにしろ、単に役割をこなしていると思える程度のものだった。だからロキはレフィーヤの変化について、まだ何も知らない。

 

「……私、ノアさんが好きなんです」

 

「うぇっ!?ふ、フリやなかったんか!?」

 

「そのつもりだったのだがな」

 

「レフィーヤ、貴女それは夢が原因って言っていたわよね?それにいつの間にか花の飾り物も持っていたって」

 

「は、はい。確かにその、ノアさんのことを強く意識し始めたのは夢が原因です。……それと花の飾り物も、これのことなんですけど」

 

そうしてレフィーヤが鞄から取り出したのは、アキも以前に見た黄色の花の飾り物。それだけでなんだか不思議な心地良さのあるそれは、しかし確かに誰もが見たことのない花が彫ってあって。

 

「っ!?………なんやこれ、微かに神の力を帯びとるわ」

 

「えっ!?」

 

「本当かロキ!?」

 

「マジや、せやけど本当に帯びとるだけって感じやな。詳しいところまでは…………いや、待てよ?」

 

「な、なんだ?」

 

 

「……………………この神威、ウラノスの血縁か?」

 

 

「っ!ギルドの創設神ウラノスか!?」

 

僅かにのこった残り香を、ロキは薄ら目を開けて解読する。この辺りは流石に名のある神といったところか。僅かな証拠であっても、彼女は確実に何か一つの手掛かりを持ってくる。

 

「いや、あんま大した手掛かりちゃうで?ウラノスなんて大神言われるくらいには血縁多いしな。ゼウスにヘラ、ヘルメスにデメテル、ヘスティアにアポロンかてそうや。……せやからまあ、あの辺の同郷の神って言い方の方が分かりやすいんかな」

 

「だが、ようやく見つけた手掛かりの1つだ」

 

「そうやな。……となると」

 

「あの、もしかして……私が見ていた夢は」

 

「黒幕の神がレフィーヤに見せていた『以前の世界の記憶の一部』ということか……」

 

その発信源となっていたのが、この花飾りということ。つまりレフィーヤが黒幕の神の感情を受けていたこと自体は間違いない。……だが、想像していたこととは質が違う。なぜならこうなってくると、最早これ以上に先のことを考えるのも気の進まない話になってくるからだ。

 

「………ノアのため、だろうな」

 

「まあ、そうやろうな」

 

「……いえ、多分違うと思います」

 

「ん?どういうことや?」

 

「その、もちろんノアさんのためでもあると思うんですけど………夢の中の私は、本当に後悔していたんです」

 

「…………」

 

「それこそ夢の中では、自分が自分だったので。その未来の自分?がどんな感情を抱いていて、どれくらい苦しんでいたかが分かるというか、なんというか」

 

「……つまり、未来のレフィーヤもこれを望んでいたということね」

 

「はい……そういう意味では、私も願いを叶えて貰った1人になるんじゃないかなって。もちろん私は夢の中の自分の感情しか分からないので、状況とか記憶までは分からないんですけど」

 

ロキの中で、最悪の想像が積み重なっていく。

それはつまり、確かにこれを引き起こしたのは黒幕であるその神であるかもしれないが、その神に賛同した協力者が他にも相当数存在したという可能性だ。

そして恐らく、レフィーヤはその賛同者の1人だったのではないだろうか。それとも、その神から信頼されていたのか。そうでもなければ余裕のない神の力を使ってまでも、ここまで干渉したりはしないだろう。実際にその目論見通りに、こうしてレフィーヤはノアを支える役割を担っている訳で。

 

「…………あの、ロキ」

 

「ん?なんやアキ」

 

「……もしかしたら私も、レフィーヤと同じかもしれない」

 

「何……?」

 

「この、手帳が……その。いつの間にか、私の鞄の中にあって……」

 

「!!!」

 

アキが恐る恐ると取り出した黄色の表紙の手帳を見た瞬間に、ロキの目が見開く。それだけでもう分かる。それもまた、神の力を帯びているということが。

……だからそう、つまりレフィーヤの監視をしていたアキもまた。

 

「最近、変な夢も見るようになって……夢の中の私は、常に心に空白を感じているんです。空間に空いた小さな人型の穴を、胸を痛めながらずっと見詰めていて……」

 

「……リヴェリアは、どうや?」

 

「い、いや。私は特にそういった夢を見てはいないが……持ち物が増えていたということもない」

 

「……容疑者は他でもない、自分達やったってことか」

 

こうなるともう、未来のロキ自身もその計画に参加していた可能性すらある。未来に関しての情報が少しでもあれば良かったが、ない以上は誰を信じられるか以前に、自分自身も信じられない。

それにもしロキ自身が参加していたのなら、それは黒幕を見つけられるはずがない。天界一のトリックスターの全力の仕込み、そんなもの自分自身ですらも解けるかどうか。五分五分もないだろう。それも未来というアドバンテージが敵にある以上は、余計に。

 

「……悪いんやけどアキ、その手帳貸してもらうことは出来へん?色々試してみたいことがあるんやけど」

 

「それは、えっと、後で返して貰えるのなら……」

 

「……大丈夫や、ちゃんとこのままの状態で返す。変に破いたりもせえへんよ」

 

そして自然と植え付けられている、パーツとも言えるこの物品への執着。……否、もしかすればこのパーツ達も以前の世界での彼等にとって、とても大切な物であったのかもしれない。実際、レフィーヤの方は絶対貸してくれそうにないから、ロキはアキに願った訳で。あれは誰かに一時的に手渡すのも嫌だというくらいだ、仕方がない。

一先ずはヘルメスに見せて、次にウラノスか。自分では分からないことであっても、同郷の大神であれば別だろう。何かしらの手掛かりは見つけ出してくれるはず。

 

「後はその花やな。……せやけどウチも見たことないなぁ、なんや変な形しとるし」

 

「ロキ、その花については私が模写しておいたから。これで聞き込みして」

 

「おお、助かるわ。……ん〜、一気に手掛かりが出て来たんはいいけど、まだまだパーツ散らばっとりそうやなぁ。なんや謎解きしとるみたいな気分になって来たわ」

 

「黒幕を見つけたところで、というところはあるがな……」

 

「……それはまあなぁ」

 

今更元に戻せとも言うつもりはないし、捕まえたところで罰しようにも直ぐに消失すると予想される。天界に送る間もないだろう。本当に嫌味を言って、ノアに会わせて、それで終わりということに成りかねない。

労力の割に得られるものはそれほど多くはないと思われる。だからこそ嫌らしいと、ロキは思うのだが。

 

「それと、あの、リヴェリア様?アイズさんは……」

 

「あー、そういえばそっちもリヴェリアが叱ったんやっけ?夕食にも出て来とらんかったけど、良かったん?」

 

「叱った、か………まあ、そうだな。叱ったのか」

 

「?」

 

「だが今は放っておけ、あれもアイズには必要な時間だ。今は自分でもどうすればいいのか分からないだろうが、それは本来今日までに学んでおかなければならなかったことを、一度に詰め込まれたからだ。下手に手を貸してやれば、アイツのためにならん」

 

「おお、今回は厳しいんやなぁママも」

 

「ママと言うな」

 

それこそいつものように、考えに行き詰まったらダンジョンに行って忘れるという手段も取っていない。それだけでリヴェリアは満足している。

今こうして真面目に目の前のことに向き合っているアイズ、それを邪魔する者はたとえロキであってもリヴェリアは許さない。1人で考えるからこそ意味があるのだ。誰かに依存して、甘えて頼って出した意見など、リヴェリアは決して許さない。

 

「ま、そういうことなら一先ずはアイズ待ちやな。その間はレフィーヤにノアのことを見といて貰って……なんやったらほんまに取ってしまってもええんやで?」

 

「もちろんそのつもりでは居ますけど、私の目的はノアさんの幸福なので。ノアさんが私を見てくれるようになるまでは、私はアイズさんの邪魔をするつもりはないです」

 

「おお、おお、レフィーヤがなんやめっちゃ強くなっとるわ」

 

「……ああ、言い忘れていた。レフィーヤ、そういえばお前はもう並行詠唱が使えるぞ」

 

「え?」

 

「え?」

 

「恐らくは未来の自分と統合した影響だろうな、無意識に半歩の並行詠唱が出来ていた。あれほどの練度であれば、普通の並行詠唱も少しの鍛錬で出来るようになるだろう」

 

「そ、そうなんですね……」

 

「おお、そんな利点もあったんか……」

 

「ノアを助けるのであれば必要になる技術だ。励めよ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

まあ実際のところ、並行詠唱よりもレフィーヤ自身の精神的な成長の方が影響は大きいのだが。指示されるまで魔法を使おうとせずアワアワとしていて、指示されても戸惑って出遅れる……そんな魔導士どころか冒険者としても致命的な状態だったものが、今や51階層で突然新種のモンスター達に襲われても冷静に対処出来るまでになっている。

 

(未来の精神状態を先取りした結果、か)

 

良くも悪くも、しかしレフィーヤに関してはそれが特に良い影響になったということ。ならば素直に受け取るべきだ。ノアの問題に向き合うには、たとえそれが黒幕が用意した要素であったとしても、レフィーヤの存在は必要不可欠なのだから。

 

「ま、なんやったら怪物祭まではレフィーヤがノアのことを連れ回してやり。アイズは暫く出て来んやろうし、会わせるのも良くなさそうやしな」

 

「そうだな。体調次第にはなるが、なんなら私からアイツにお前の並行詠唱の練習に付き合うように言っておこう」

 

「お、お願いします」

 

「ノアのこと、頼むわよ」

 

「はい……!」

 

各々の努力で、徐々に状況が改善しているように見える。もちろん進行中のそれぞれの役割が必ずしも成功するとは限らないだろう。たとえ全てが上手く成功したとしても、それで解決するという訳ではない。

……だが、もし何も知らない誰かが今の状況を聞けば、もしかして笑われてしまうのではないだろうか。天下のロキ・ファミリアがたった1人の恋愛ごとに必死になって走り回っているのだから。

 

「ま、神の力の大戦争にはならなさそうなところだけは安心やな」

 

本当に。




レフィーヤさんのターンに入ります。


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30.知りたい○

朝、レフィーヤは蒸したタオルと朝食を持って、彼の部屋へと入っていく。

食堂での朝食の時間は既に終わっていたが、彼女は自分の食事の時間に事情を説明し、1人分を取り置きして貰っていたのだ。内容も朝に食べ易い物を中心にお願いした。もちろんその全ては彼のために。

 

「うん、今朝は顔色良いですね。やっぱりお薬が効いたんでしょうか」

 

「そう、かもです。流石はアミッドさん特製ですね、久しぶりによく眠れたというか。身体が少し軽いです」

 

「ただ、ちゃんと厚着はしてくださいね。それと……もし調子が良かったら、お昼から少しお出かけしてみませんか?気分転換にもなると思うんです」

 

「……その、ありがとうございます。私のためにこんな風に付きっきりで」

 

「もう、気にしないでください。私が好きでやってることなんですから。……申し訳ないと思うのでしたら、わたしの並行詠唱の練習に付き合えるくらいに、早く元気になって下さいね」

 

「……ええ、分かりました」

 

流石にアミッド・テアサナーレが直接その手で調合した薬は効果があり、ノアの症状は幾分か良くなっていた。顔色が戻っているのもそうだが、身体の症状が落ち着いているのが何よりレフィーヤを安堵させる。

しかしここで油断しないようにと、レフィーヤは彼に上着を羽織らせ、ゆっくりと食事を摂るのを見守った。

 

「………あの」

 

「アイズさんなら、今はご自分の部屋に居ますよ。……リヴェリア様とお話ししてから、ずっと何か考え事をしていて」

 

「……そうですか」

 

「アイズさんも、成長しようとしていると。だからその邪魔をしてやるなと、そう言われました」

 

「成長……」

 

レフィーヤは実際、ここに来る前に同じようにアイズの部屋にも朝食を届けに行っていた。昨夜の夕食はともかく、朝食まで取らないとなると流石に身体に悪いと。部屋の鍵は開いていたから、声を掛けて食事だけを置いて、そっと部屋を出た。

その間もアイズはずっと自分のベッドの上で膝を抱えて、黙りこくっていただけだが。『ありがとう』と一言もらえただけ、少しキツイ物言いをしてしまった自分としては救われた気持ちだった。

 

……正直レフィーヤとて、確かに昨日のアイズは流石に思いやりが欠けていたとは思ったが、あれほど深刻に落ち込むことになるとは思っていなかった。けれど彼女は今、これまでの自分を振り返っているのだと思えば、確かにリヴェリアの言う通り時間がかかるのだろうと想像することも出来る。

その思考の果てに、彼女がどんな結論を出すのかは分からないけれど。その出した結論ではなく、その過程が大切なのだと。そう言う話なのだろう。

 

「ご馳走様でした」

 

「っ!……それでは、私はこれを食堂に返してきますね。ノアさんはどうしますか?お風呂で汗を流してきてもいいですよ?」

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えて。お昼は一緒に外で食べましょう?私が奢りますから」

 

「ほ、本当ですか?ふふ、ありがとうございます。嬉しいです」

 

今日は2人きり、絶好のデート日和。

彼も色々と考えているのだろうけれども、ただ笑っていられる状況でもないのだろうけれども。それでも今日は互いが素直に楽しめる日にしてみせる。

変わらぬ日々の一部とは言え、レフィーヤは気合が入っていた。

 

 

 

 

さて、デートである。

いくらなんでも、普段のダンジョンにも着ていくような服で行くのは違うだろう。こっちは仮にも全力で彼を落としにいくつもりなのだから、自分に出来る限りのお洒落をしていくのは当然である。それこそ今日この日のために、レフィーヤは昨日の夜から着ていく服を選んでいた。

髪はいつものポニーテールを解いて下ろし、大きな三つ編みでまとめて前に出す。衣服はリヴェリアと色が被ってしまうために着ることは少ないが、以前に衝動買いしてしまった薄い緑を基調としたお気に入りのそれを選んでみた。なんとなく肩と足が出ていることだけが恥ずかしく思っていたが、しかし今日ばかりはそれは悪いことではないだろう。少なくともそういう大胆さも、こういう時には必要だ。

 

「へ、変じゃないかな……」

 

その場で服に変なところがないか、もう一度身体を捻りながら確かめる。値札なんて付いていたら最悪だから、そこだけはもう一度確認をした。変な恥はかきたくないし、彼にもかかせたくないから。

……それに、個人的には良いんじゃないかと思っているが、しかしそれを相手がどう思うかは別である。好きな色とかもあるだろうし、髪の形の好みなんかもあるだろう。それを的確に当てることは難しいけれど、せめて好印象を持って貰えるようにと。とにかくレフィーヤは祈りながら望むしかない。

 

「お待たせしました、レフィーヤさん」

 

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 

本拠地の前、後ろから声を掛けられたレフィーヤは体を跳ねさせて振り向く。待ち合わせ時間の30分も前、正直もう少し余裕があると思っていた。まだ心の準備がそれほど出来ていないというのに、あまりの驚きに少し取り乱してしまって……

 

「………ぁ」

 

声が漏れる。

 

「綺麗……」

 

思わず呟く。

 

「そう、でしょうか……?折角の機会ですから、少し気合を入れてみたのですが」

 

元々、容姿には気を遣っている人だ。衣服だって自分で勉強して色々と試行錯誤しているし、普段からしても綺麗な人だとレフィーヤは思っていた。……でも、今日はそれが一段と目を惹かれてしまう。

水色を基調としておきながらも、所々に黄色やフリルが混じっている、極東のドレスに近い生地で作られたそれは、普段の彼の服装とは方向性が全然に違っていて。言うなれば日の光を浴びる海の精の様。女装とも男装とも言い難く、中性的(+女性寄り)な彼にはそれが良く合っている。

だからカッコいいでも、可愛いでもなく、綺麗だと。色の薄い黒髪を今日は後ろで纏めていて、花の髪飾りを付けているだけでなく、毛先も少し青色に染めている。化粧だって薄くしてくれているのだろう。お昼まで時間があったとはいえ、数分程度でここまで作り上げるのは不可能だ。

……つまり。

 

「そんなに、準備してくれたんですか……?」

 

「ふふ。個人的には自分の容姿で、可能な限り男性らしさと見栄えの良さのバランスが良いところで取ったつもりです。……これを見せるのは、レフィーヤさんが初めてですね」

 

「!!!」

 

……どうしよう。

どうしようもなく、嬉しい。

嬉しくて嬉しくて、鼻がツーンとする。

心臓がバクバクしている、その音が妙に五月蝿い。

 

「レフィーヤさんも、すごく準備してくれたんですね。なんだかいつもと雰囲気が違って、少し驚きました」

 

「あ、え、あ……へ、変でしたか!?」

 

「まさかそんなことは。その髪型も、その色も、とても良く似合っています。……ふふ、むしろ個人的には今のレフィーヤさんの方が好みでしょうか」

 

「!?!?」

 

「ありがとうございます、レフィーヤさん。こんな風にお洒落をして貰えて、私は幸せ者ですね」

 

そんなことはない。

自分の努力など大したものではない。

だって自分は昨日思い付いて、昨日考えて、昨日準備したものだ。けれど彼のそれは違う。彼のそれは、ずっと隠していた物で、長く考えて来たもので、準備自体もずっとずっと前からしていたものだ。……それも間違いなく、アイズとの特別なデートのために。

そんな隠し球を、切り札とも言えるものを、彼はこうして自分なんかのために出して来てくれた。その事実を、その理由を、分からないほどレフィーヤは愚かではない。

 

「ど、どうして……」

 

「?」

 

「どうして私のために、そんな……」

 

「……もう、レフィーヤさんの方が私のために色々してくれてるじゃないですか」

 

「だ、だって……」

 

「レフィーヤさんには、情けないところばかり見せてしまっていますから。それでも見捨てずに居てくれるレフィーヤさんに、今日は私も全力でお返ししようかなと。……だから手始めに、格好から。私の1番のお気に入りを持って来たんです」

 

「〜〜〜!!!」

 

本当に、本当にこの人の誠実さに、生真面目さに、心を打たれる。

だってこの姿は、この切り札は、彼はもう使えない。少なくともこの人は、女性とのデートで使用した衣服を、他の女性とのデートでも使うようなことは絶対にしない。彼はそれまで隠していた1番の姿を、本命である彼女との特別なデートで使うはずだったであろうそれを、あろうことか自分へのお返しの1つとして使ったのだ。

その意味が分かるか。

その重みが分かるか。

 

「レフィーヤさんには本当に、感謝しているんですよ……?」

 

それくらいには自分は、感謝されているのだと。この衣服を、この姿の彼を、自分は貰えているのだと。レフィーヤは自覚して、震える。

思わず一滴、涙が流れるくらいに。嬉しい。

 

「レフィーヤさん、今日の予定はありますか?」

 

「い、いえ……その、適当に回ればいいかなって……ご、ごめんなさい」

 

「謝らないでください、私のために誘ってくれたんじゃないですか。……でしたら、今日は私にエスコートさせてくれませんか?」

 

「い、いいんですか?」

 

「ええ、もちろん。今日の私は、全力ですから」

 

スッと、差し伸べられた手を、恐る恐るに取る。

顔が熱い、ニコリと笑うその表情に見惚れる。

ずるい。ずるいずるい、ずるい。こんなの好きになるに決まってる。むしろどうしてこの人の恋が実らないのかが、レフィーヤには心底分からない。強くて、優しくて、綺麗で、誠実で、努力家で……これ以上何を求めるというのか。

この人以上の男の人が、一体何処に居るというのか。

こんな思いは、自分が恋してしまっているからなのかもしれないけれど。それでも。

 

「今日は私、レフィーヤさんのことを、世界で一番幸せだと思って貰えるように頑張りますから。期待していて下さいね?」

 

……もう、なっている。

これ以上の幸せなんて、そんなもの。

もう、怖くて怖くて仕方がないくらいに。

 

 

 

 

 

 

少し冷めた朝食を食べる。

頭はぼーっとしたまま、途方に暮れている。

思い返して、反省して、思い返しては、反省して。それでも分からないことはたくさんあって、考えて、考えて、考えて、分からなくて。自分がどれほど物知らずであったかを、自分がどれだけ周囲に助けられて来たのかを、思い知らされる。

この考えは合っているのだろうか?

世間的には普通の考えなのだろうか?

それが分からない時点で、本当に今まで自分は自分のことしか見て来なかったのだなと、落胆する。

 

「レフィーヤは、すごい……」

 

強くなりたいと願った。そう願って、それだけを突き詰めて来た。でもその代わりに、多くの物を取り零して来てしまったのだと感じる。年下のレフィーヤはあれだけ周囲に気遣いを回しているのに、自分は近くの人間の顔色にすら気付けない。

 

リヴェリアは言った。

『仮にお前が今更ノアのことを全てレフィーヤに丸投げするなどという選択を"軽々しく"取った場合、私はお前を一生軽蔑しなければならん』

 

……正直なことを言えば、あの瞬間。その思考は真っ先に自分の頭の中に浮かんで来た。そして今でも、その思考は何度でも浮かんで来る。

 

何故リヴェリアはああ言ったのか。それは単純にリヴェリアがノアの味方だからとか、自分を困らせるためだとか、色々考えたけれど。……結局は、『逃げるな』という言葉が全てなのだと、一晩考えた今は思う。

そう、自分は逃げようとしていたのだ。

だからリヴェリアは、『軽々しく』という言葉を使った。それが本当に自分が考えて、自分の中に理由があって、自分がそれが正しいと決断したことなら、それはもう仕方がないと。そういうことなのだろう。

 

「………でも、どうしたらいいか分からない」

 

ノアのことを取られたくない、その気持ちは今もある。好きだとも思う。けどその好きがノアの求めているものとは違うということも、分かる。それでもやっぱり彼の求めている感情が今の自分の中には無い。

 

どういう選択肢があるのだろう?

どういう選択が正しいのだろう?

それを考えず、今日まではずっとなあなあに済ませて来た。いつか自分の中にも気持ちは生まれるだろうと、それまで彼に待っていて貰おうと、そんな言い訳をして先延ばしにしていた。知るための努力はしてきたつもりだったけれど、僅かにも実を結んでいない時点でしれたものだ。

 

本気で考えるのは難しいことだ。

そしてとても疲れることだ。

普段している勉強のように明確な答えがないからこそ。その答えを自分で作らなければならないからこそ。それは余計に難しい。

 

「やっぱり私は、誰でもいいんだ……」

 

以前にもそう言った。その時はリヴェリアが『そうではないんじゃないか』と言ってくれたが、今改めてそう思う。確かに条件は色々と作ってしまうけれど、その条件を満たしてくれる人なら、自分は誰だって良い。それこそ恋愛感情を抱いていなくても、英雄にさえなってくれるのなら。誰でも良い。

 

「………最低だね」

 

もし仮にノアを選んだとして、それより条件の良い人を見つけてしまったら?自分はどうするのだろう。

もし仮にノアを選んだとして、その過程で死んでしまったら?自分は彼に何と言うのだろう。

 

……嫌な想像ばかりが頭を巡る。

きっとそうなった時の自分を縛るのが、恋愛感情と言われているものなのだ。彼よりも条件の良い人を見つけても、それでも彼が良いと、そう思わせてくれる何かが必要なのだ。彼が死んでしまっても、それを素直に悲しむことが出来て、自分の孤独より彼の死に打ちのめされる。そうさせてくれるのが、今自分に無いものなのだ。

 

「ん………」

 

ふと、カーテンの隙間から外を見る。

そこに居たのは、2人の女性……いや、片方は女性では無い。ノアとレフィーヤだ。2人はなんだかお洒落をしていて、レフィーヤは今にも泣きそうな顔をしているのが見える。そんなレフィーヤに手を差し伸べているノアの姿は、やっぱりすごく綺麗で。

 

「……私とお出掛けした時、ノアはどんな格好をしていたかな」

 

それすら思い出せない。

あの時もあんな風に、着飾ってくれたのだったか。なんとなく、普段着ていた物とは違った記憶はある。けれど一緒に出かける度に変わっていたから、正直あまり覚えていない。

 

「……一緒にお出掛けした時、私はいつもの服だった」

 

レフィーヤのように、新しい服を出して来たり、着飾ったりなんかしなかった。それが普通だと自分の中では思っていたから。

 

「レフィーヤに、取られちゃう……」

 

そうなるのは嫌なのに、こんなにも苦しい思いをするくらいならあげてしまえ、と思ってしまう自分も居る。

……だが、これから先。ノアほど自分のために努力してくれる人は現れるのだろうか。彼ほど自分を求める人が現れてくれるのだろうか。それを考えると、途端に危機感が湧いてくる。

少なくともレベル6まで上がって来れる人なんて殆どいないし、そこまで来れた人が自分のことを求めてくれるかどうかは別の話だ。自分より良い女性などいくらでも居る。それに求めてくれたとしても、それが自分の求める人柄でなければ、何の意味もなくて。

 

高い理想に、高くしてしまった理想に、それでもと食らい付いてくれる人なんて、滅多に居ない。だからこそ見つけたら、現れたなら、何より大切にしないといけないはずなのに。

 

「……ノアを取られちゃったら。私はこれから、一生自分の英雄とは会えない」

 

そうと決まった訳ではないが、その可能性は高い。

 

「ノアは私のことを、守ってくれた」

 

50階層のあの時、守ってくれた彼に。素直に嬉しいと思うことが出来た。あの時の彼はなんだか、輝いて見えた。レフィーヤから見たら、彼はいつでも輝いているのかもしれないけれど。

 

 

 

「………でもきっと、今の私じゃ。ノアのことを、幸せに出来ない」

 

 

 

それが真理だった。

 

「私は、何も分からないから……自分が幸せになるだけなんて、それはきっと違うから」

 

一緒に居るだけで幸せだと、彼ならそう言うかもしれない。でもレフィーヤなら、彼のことをもっともっと幸せに出来る。

自分が幸せになるだけでは駄目なのだ。

相手と一緒に幸せにならなければ意味がない。

少なくとも物語の中の彼等はそうしていたし、自分の両親もまたそうだった。自分はあの両親達のようになりたかったのだ。あんな風に手を取り合える相手が欲しかったのだ。

 

……そして今、自分は正にそうなれるであろう数少ない機会を捨てようとしている。ただ感情が付いてこないという理由で、最後かもしれないこの機会を、手放そうとしている。

 

 

 

【アイズさん………ノアさんのこと、ちゃんと見てますか……?】

 

 

その言葉は今でも頭に残っている。

見ていなかった。

何も、見ていなかった。

その答えしか出せない。

これまで自分なりに努力はして来たけれど、相手を見ていないにも関わらず、好きになることなんて出来る筈がない。見ていない人を、どうやって好きになればいいというのだ。そんなものは好きになれなくて当然だ。確かに努力はして来たけれど、その努力は間違ったものだったのだ。今ならそれが、なんとなくでも分かる。

 

「……ノアのこと、ちゃんと見ないと。見て、考えて、理解しないと」

 

分かっている。

自分の無知さは。

ちゃんと見るだけでは、自分は本当に彼のことを見るだけで終わってしまう。見ようとして、見るだけで、ジッと見て、リヴェリアにまた『そうではない』と呆れられてしまう。彼をまた失望させてしまう。

見て、考えて、理解するところまでが必要だ。

そこまでして、ようやくだ。

もう同じ過ちは、繰り返さない。

 

 

「……君は、何処から来たの?誰に育てて貰ったの?どうして冒険者になろうとしたの?どうしてそんなにも、悲しそうな顔をしているの?」

 

 

 

「どうして……」

 

 

 

「私のことなんかを、好きになってくれたの?」

 

 

思い出せる彼の顔は泣き顔ばかり。

そうしたのは自分だ。

 

今も脳裏に浮かぶ彼の青い顔。

そうさせたのは自分だ。

 

もう彼を、傷付けるようなことはしたくない。

 

アイズは思考を深めていく。

 

反省を進めていく。

 

分からないことを、分かるようになるために。




次回は丸々1話、レフィーヤさんとデートをします。


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31.海○涙

率直に言おう。

 

隠さず言おう。

 

今日ばかりは、遠慮せずに言ってしまおう。

 

心の中で叫んでしまってもいいだろう。

 

というかもう叫んでしまいたい。

 

だからアイズさん、聞いてください。

 

聞かなくてもいいんですけど、聞いてください。

 

 

 

……彼とのデート、ものすごく楽しいです。

 

 

 

 

「お、美味しいです……!」

 

「ふふ、それは良かった」

 

「ど、どうしてこんなエルフ御用達のお店を知ってるんですか!?私だって知らなかったのに!?」

 

「ヘルメス・ファミリアに居た頃に、ダンジョン休めの日にはお店探しもしていたんです。オラリオ内の店という店は粗方調査しましたから、お店選びにはちょっとだけ自信があります」

 

「す、すごい……」

 

「以前からレフィーヤさんが好きそうなお店だなぁと思っていたんですよ。こうして紹介出来て本当によかった」

 

「〜〜!!あ、ありがとうございます!」

 

例えば、レフィーヤだって女の子らしく、恋愛物の物語を読んで、理想を思い浮かべたことだってある。素敵な恋物語を読んで、それに憧れたことだってある。理想の男性、理想のデート、今思い返せば本当に甘過ぎて羞恥に悶えそうになるような妄想も、数多くしたことがある。

 

「ふふ、偶にはこうしてふらふらと街を見回るのもいいですよね。食べ歩きをしたり、こういう小物を見つけたり」

 

「た、確かに……なんだか行儀が悪い気がして、あまりしたことなかったんですけど。でもこういうのも、なんだか良いですね」

 

「ふふ、広場の方でパフォーマンス大会?っていうのをやってるみたいですよ?飲み物を買ったら見に行ってみましょうか」

 

「は、はい!是非!」

 

オラリオに来た時も、そういう期待が全くなかったかといえば嘘になる。そういう素敵な出会いがあったりしないかなぁと、恋物語を読むたびに、実は今でも密かに思っていたりする。

 

「あ、あの……バベルのこのカフェって、確か会員制だったような……」

 

「ええ、でも素敵でしょう?」

 

「か、会員なんですか……!?」

 

「勿論です。もう2年くらいになりますかね」

 

「に、2年も会員費を!?」

 

「こういう時のためですから。さ、少し休憩していきましょう?」

 

「は、はひ……」

 

けれど彼とのデートは本当に、レフィーヤがずっと甘く夢見ていたそれに、非常に近かった。

典型的なエルフであったレフィーヤの幼い頃の理想の男性像。それは中性的で優しく、容姿が綺麗で、自分を守ってくれるくらいに強くて、誠実で、真面目で、律儀で。それでいて引っ込み思案だった自分を引っ張っていってくれるような、愛してくれるような、そんなスーパーマンだった。

ある程度大きくなって現実を見るようになってからは、流石にそんな夢を見るのは自制し始めたけれど。それでも今こうして目の前には、正にその夢見た人が優しく自分の手を引いている。その夢見た人と一緒に、白昼堂々デートをしている。

 

「あ、あの……やっぱり私、こんなところ場違いなのでは……」

 

「?こんなに綺麗な人を場違いだなんて言う人はここには居ませんよ。もしそんな人が居たのなら、その人こそ、ここでは馬鹿にされるでしょうね」

 

「き、綺麗……そ、そそ、そうでしょうか」

 

「自信がありませんか?」

 

「そ、それは……その……」

 

自信なんてない。そんなのは昔から。

目の前の人の隣を歩くに相応しい人間だと、心から言える気はしない。そうなりたいとは思うけれど、少なくとも今の自分はまだそうなれていない。だからずっとソワソワとしているし、だからずっと遠慮が取れない。あくまで自分は連れて来てもらっている側で、彼に貰っている側だから。それもあって申し訳なくて、情けなくて。

 

「……それでは、そんなレフィーヤさんに私から自信をプレゼントしちゃいましょうか」

 

「え?」

 

「これをどうぞ」

 

そうして差し出されたのは、小さな青い箱。

高級そうな材質のその箱は、とてもではないがこんなにも軽々しく手渡されて良い物ではない。レフィーヤにだってそれくらいは分かる。

……けれどこの状況、受け取る以外の選択など確実に存在しない。

 

息を飲んで、おっかなびっくりそれを受け取り、見つめ、もう一度彼の顔を見て、頷かれる。開けてもいいのだと、貰ってもいいのだと、彼はそれを眼だけで語る。だからレフィーヤも、緊張で表情を固まらせながら、ゆっくりそれを開けていく。中に爆弾でも入っているのではないかと、何も知らない人が見たらそう思ってしまうくらいに真剣な雰囲気と手つきで。

 

「………すごい」

 

そこにあったのは、翠玉の嵌め込まれた銀の髪飾りだった。

細かく加工の施されたそれは、宝石などに殆ど知識のない自分でも、かなり値の張るものであると分かってしまう。何故ならそれほどまでに美しい代物だから。陽の光を神技とも言える技術で複雑に屈折反射させ、その鮮やかな翠をより鮮明に輝かせる。眩しいほどのそれなのに、決して不快な眩しさはない。思わず目を惹かれ、思わず目を奪われる。そんな明らかに普通ではない、とんでもないレベルの髪飾り。

 

「…………はっ!じゃなくて!こ、こんなの頂けませんよ!?」

 

「いえ、受け取って下さい。私には似合いませんから」

 

「で、でも……!!」

 

「恥ずかしながらこれ、かなりの衝動買いでして。街で偶然見かけた時に、『絶対今日のレフィーヤさんの服に似合う!』と思って買っちゃったんですよ。……お手洗いに行ってくる〜、なんて嘘まで付いてしまって」

 

「ぁ……あの時に……」

 

「ですから、どうか貰ってあげて下さい。そして私の目が間違っていなかったことを、今ここで見せて貰えると嬉しいです。……見せて貰えませんか?レフィーヤさん」

 

「は、はぃ………み、見せます……」

 

「良かった」

 

 

………あの。

 

狡くないですか?こんなの。

 

こんなの好きになるに決まってるじゃないですか。

 

こんなの好きになるに決まってるじゃないですか!!!

 

物に釣られたとそういう話じゃなくて!こんなん好きにならない方が絶対におかしいじゃないですか!!むしろこれで好きにならないのなら今直ぐ治療院に投げられるべきですよ!!アミッドさんに頭の中を診てもらうべきですよ!!これ以上の何を求めるんですか!!!これ以上の何が存在するっていうんですか!!!我儘にも程がありますよ!!

 

レフィーヤは心の中で暴れ狂う。

アミッドに頭の中を診られるべき女が自室に閉じこもっていることを良いことに、心の中で好き勝手に言い捨てる。だってレフィーヤの心臓はバクバクだ。顔が真っ赤になっているのも分かっている。でも彼女からしてみれば、こうならない方が絶対におかしい。

 

 

「こ、これで………どう、でしょうか……?」

 

 

「!…………素敵です、レフィーヤさん」

 

 

(心の底からそう思ってくれてるのが分かるのが本当に狡いぃ……)

 

 

「宝石とレフィーヤさんご自身の調和が完璧に取れていて、私の想像していたより何倍も綺麗に見えます」

 

 

(追い討ちを掛けないでくださぁあい!!)

 

密かに宝石の美しさにも負けていないくらいに綺麗だと言われて、その言葉の意味が分かってしまったレフィーヤは「ぁ……」とか「ぅ……」とか言えなくなってしまう。

 

「本当に、衝動に任せて良かった。なんだか私まで誇らしくなってしまいそうです」

 

「あ、あの……もう、本当に……というか、ノアさんはもっと誇らしくしていいんですよぅ」

 

「では……その美しさの一助になれたことを、心から誇らしく思います」

 

「うぅ」

 

周囲の人達からもなんだか温かい目線を送られているのが分かる。

正直、自分には過ぎた代物だ。けれどこうまで言われては素直に受け取って大事に大事にしておくしかないし、今更半額出しますなんてことも彼の面目を潰してしまうから言えない。……仮に恋人であったとしても、ここまで高価な贈り物はそうそうしないだろうに。一体どうやってこの分をお返しすればいいのだろうか。それほど手持ちのないレフィーヤとしては、今は返せるものが言葉しかないのに。

 

「ノ、ノアさん……」

 

「?」

 

「そ、その……すごく、う、嬉しいです……」

 

「!」

 

「ありがとう、ございます。大事にします……ずっと」

 

「……いえ、私こそ。ありがとうございます、受け取ってくれて」

 

なんだかもう目を合わせるのも恥ずかしくて、出来なくて。レフィーヤは前髪を整えるフリをしながら飲み物に口を付けた。

昼食を食べて、街中をふらふらと歩きながら買い食いをして、広場で行われていたパフォーマンスを一緒に見て、会員制のカフェに入れて貰ったと思ったら。こうして贈り物まで貰ってしまった。ここまで来ると本当に、急な話だとしても髪まで整えて軽く化粧までしておいた朝の自分を、心の底から褒めたくなる。おかげで恥をかかなくて済んだと。おかげで綺麗と言って貰えたと。本当の本当に安堵する。

 

「レフィーヤさん」

 

「え?は、はい」

 

「時間もいいところではあるのですが、これからある場所に向かおうと思っています。そしてそれに関して、私は最初に一つ謝っておかないといけないことがあります」

 

「へ?な、なにかあるんですか?」

 

「……これから向かおうと思っているところは、正直レフィーヤさんの好みに合うかどうか分かりません。ただ単純に、私がこのオラリオで1番に好きな場所というだけなんです」

 

「っ!!」

 

「それでも、いいですか……?」

 

もう少ししたら、きっと日は落ち始め、空は赤くなり始めるだろう。きっと普通のデートであれば、この髪飾りを贈られるのも、こういう雰囲気の良いお店に入るのも、日が沈んでからの筈だ。けれど彼はそうしなかった。代わりに彼が入れ込んだのは、その予定。

 

「……………………行きたいです」

 

「!」

 

「私も、行きたいです。私もその場所のこと、知りたいです」

 

「……よかった」

 

断るはずなんてない。

むしろこちらが知りたい。行きたい。教えて欲しい。

ノア・ユニセラフという人物が、このオラリオにて最も好きだと言い切るほどの場所。彼という人物の、好きが少しでも分かる場所。彼のことをもっともっと深くまで知りたいと願うレフィーヤに、それを断る理由など存在しなかった。

 

 

 

 

街の中央たるバベルから離れ、行先はダイダロス通りへ向かう方向。

基本的にそれほど治安の良くないであろうそんな場所であるが、しかしレフィーヤは特に警戒することはない。なぜなら彼のことを信じているから。彼と一緒なら、地獄だって着いていく。それくらいの想いがある。

それに、そうして辿り着いた場所は、結局のところダイダロス通りではなかった。そこの手前の路地を入り、一本隣の通りにある大きな建物。レフィーヤは当然そんな建物のことは知らない。大きな建物であるにも関わらず、雑な看板が一枚立っているだけの不思議な場所。それにその建物はオラリオでも比較的静かなこの付近で、妙に水の音を出していた。

 

「魚、館………?」

 

「さ、こちらですよ」

 

「は、はい」

 

看板に書かれた文字はそれだけ。

レフィーヤにとってもあまり聞き覚えのないその言葉。

取り敢えずノアに手を引かれるがままにその建物の中に入っていくが、入口付近で彼は思い出したかのように自分の上着をレフィーヤに掛ける。……そういえば確かに、この建物は少し肌寒い。中は妙に暗いし、話し声がないどころか、人気すらそれほどなくて。

 

「うん?おやノアかい、久しぶりじゃないか」

 

「お久しぶりです、今日も良いですか?」

 

「勿論だよ、アンタはウチの貴重な常連だからね。……おや?そっちはお友達かい?」

 

「こ、こんばんは……!」

 

「どうも、揃って別嬪で羨ましいもんだ」

 

「今日はデートで来たんです」

 

「デッ……!?」

 

「ほぉ、若いってのはいいねぇ。まあ楽しんでいくといいさね」

 

受付に居たお婆さんと、彼は慣れたように会話をし、流れるように2人分の料金を払って歩を進める。お婆さんは1つ小さく照らす魔石灯の下で何かの本を読んでいたようだが、やはりそれほどお客さんが来ずに暇をしていたのもしれない。……だが、それも当然だ。あんな看板一枚だけを建てて、立地も悪くて。宣伝すら見たことないし、流行る訳がない。あの様子では、それを特に改善するつもりもないのかもしれないけれど。

 

「……元々ここは、あのお婆さんの趣味だったそうです」

 

「趣味……?」

 

「ええ、かなりお金持ちのお婆さんで。趣味で始めたものを見せびらかすために公にしたそうなんですけど、あまりお客さんが集まらなくて。今は偶に来る私みたいな物好きと会話をするのを楽しみにしているんだとか」

 

「……あの、魚館っていうのは?」

 

「直ぐに分かりますよ、この扉の先ですから」

 

魔石灯が点々と照らす廊下を歩き、突き当たった両扉を彼が開ける。少し寒いくらいの室温、より鮮明になる水の音。いつもよりその背中が大きく感じられてしまう。……そうしてそんな彼の後ろを歩き、開けられた扉を潜り、青く照らされた部屋の中に入ってみれば。レフィーヤの心に灯ったのは小さな興奮であった。

 

「ふわぁ……!!」

 

「ふふ、すごいでしょう?」

 

「な、なんですかここ!?こんな……海の中みたいな!!」

 

「隠れた名所、という感じです」

 

それは、それほど大きな部屋ではない。けれどその部屋は壁の代わりにガラスがあって、ガラスの先には海が広がっていた。

 

履物を脱ぎ、目を見開き、その青色の世界に足を踏み入れる。

 

本当に海の中に居るのではないかと錯覚するような光景。魚達が直ぐそこかしこを自由自在に泳いでいる。疑似的な海中の環境が作り込まれている。こうして見渡す空間の光景自体も計算され尽くしている。

……レフィーヤはこんな美しい場所を、光景を、生まれて初めて見た。こんなにも綺麗な場所がオラリオにあるなんてこと、今日の今日まで知りもしなかった。聞いたことすらなかった。本当にロキ・ファミリアの誰もが知らないのではないかと、そう思うくらい。

 

「レフィーヤさん、こちらに」

 

「?……これは、布団ですか?」

 

「常連特権ですね、私用の敷物を置かせて貰っているんです。こうやって寝転んで見るのが私のお勧めでして……さ、どうぞ」

 

「そ、そうなんですね。……あの、失礼します」

 

「ええ」

 

彼の隣に、自分も仰向けになるように身体を倒す。

肩の当たる距離。

息遣いすら聞こえる距離。

しかしそうしてみると、なるほど、これは確かにまたこの空間が違って見える。それこそさっきも海の中に居るようだと表現したが、こうして仰向けになるとその没入感が全然違う。自分が貝や魚になったような。自分が海の一部になったような。少しの肌寒さも、その感覚をより強くしてくれて。

 

「……海が、好きなんです」

 

「……そう、なんですか?」

 

「はい。そして、海に包まれているようなこの感覚が好きなんです。母なる海と言うだけあるんでしょうか。なんだか温かい気持ちになれて」

 

「……今日のノアさんの服装を見て、海の精みたいだなと思いました」

 

「そう見えていたなら、本当に嬉しいです」

 

チラと、彼の横顔を盗み見る。

今も手は繋がったまま。

仰向けに天を見つめる彼の顔は、なんだかとっても解れていて。

 

「……まだ私がヘルメス様のところにいた頃。レベルを上げるために必死になってダンジョンに潜っていた頃」

 

「!」

 

「時間がないと分かっていても、ついついここに来てしまいました」

 

「…………」

 

「私が今日までなんとか正気を保てていたのは、ここの存在が大きいんです。もしここを見つけることが出来ていなかったら、私はとうの昔におかしくなっていたでしょう」

 

「……どうして、そんな場所を私に」

 

きっとこの場所は、あのエルフ御用達の店より、あの会員制のカフェより、この翠玉の装飾品より、それこそ今日見せてくれた彼の衣服よりも、彼の中では大切な物だろう。誰にも教えたくない、自分の物として秘密にしておきたかった、ある意味で彼の唯一の依存先と言って良いほどの場所かもしれない。

それはそれこそ、彼の想い人であるアイズに最初に教えるべき場所だろうに。他の誰よりも先に、先ず彼女と共有しなければならない場所の筈だろうに。……どうして、自分に教えたのだろうか。どうしてここに連れて来てくれたのだろうか。レフィーヤにはそれが分からない。けれどそんなレフィーヤの思いすらも、もしかしたら彼は見抜いていたのだろうか。

 

 

「これが全部です、レフィーヤさん」

 

 

「え?」

 

「……これで、全部なんです」

 

「全、部……?」

 

「全部なんですよ。……私からレフィーヤに差し上げられるものは、これで」

 

「………ノアさん」

 

彼もまた、自分を見る。

近い距離で見つめ合う2人。

これほど近い距離で、2人の目は互いに逃げることを許さない。

逃げる場所が存在しない。

けれどレフィーヤの眼に映る彼の顔は、少し悲しげで。

 

「レフィーヤさんには、本当に感謝しています。こんな私のことを支えてくれて、情けないところを何度も見せたのに、それでも見捨てずにいてくれた」

 

「……そんなの、当たり前です」

 

「それでも、私は救われた。私はレフィーヤさんに救われた。だから何かを返したいと、そう思ったのに。……私はそれを、返せない」

 

「……!!」

 

「だから思ったんです。それなら、今私の出せるすべての物を差し出そうと。私の出せる全てを、レフィーヤさんに贈ろうと」

 

水の音が優しく耳を叩く。

レフィーヤはただ、静かに彼の言葉を飲み込んでいく。彼の言いたいこと、彼の感じていること、それらを丁寧に咀嚼して飲み込んでいく。目も、耳も、頭も、心も、全てを彼に向けて。その全てを、理解することが出来るように。

 

「……でも、いざこうしてみると、意外とそれは多くはありませんでした。私は私が思っていたより、ずっと薄い人間でした」

 

「っ」

 

「私は、自分がどれだけ弱い人間なのかを知っている。ずっと他者に支えて貰って生きてきたから、自分1人では生きていけないことを知っている。……だからこそ、私は誰よりも支えてくれるその人のことを、大切にしないといけない」

 

くしゃりと、顔が歪む。

 

「それなのに、私はこんなにも支えてくれるレフィーヤさんに、こんなことでしか返せない。レフィーヤさんは本当に自分を捧げてくれているのに、私のために色々なものを犠牲にしてくれているのに、それなのに私からはこんなものでしか返せない。私は私の全てを貴方に捧げることが、どうしても出来ない。……ごめんなさい、レフィーヤさん。本当に、ごめんなさい」

 

彼は謝る。ひたすらに、その綺麗な顔が歪んでしまうくらい。

それが心の底からのものであると、分かるのだ。それほどに感謝をしてくれていて、それほどに申し訳ないと思っていたことも分かってしまう。

彼は真面目過ぎるから、レフィーヤのことをちゃんと見ていたから、自分の想いに気付いてしまって、それに応えられないことに病んで、今日までずっとずっと悩んでくれていたのだろう。ずっとずっと、どうしたら報うことが出来るのか考えていたのだろう。

 

それが分かった、分かってしまった。

 

……だからレフィーヤは、嬉しかった。

 

嬉しかったのだ。

 

 

 

 

「……馬鹿に、しないでください」

 

 

 

 

「っ」

 

 

 

「馬鹿にしないでください、ノアさん」

 

 

震える声でも、しっかりと言葉にして彼にぶつける。

 

自分の思いの丈をありったけに、彼の心にぶつけて叩く。

 

 

「今日、私は本当に幸せでした。人生で1番、ううん。これから先の人生を含めても、絶対に1番って言えるくらいに幸せでした。……だから、そんな私の幸せを、他でもない貴方が馬鹿にしないでください」

 

 

誰にもぶつけたことのないそんな強い言葉を、レフィーヤは敢えて口に出す。けれど、それは紛れもない本心だったから。偽りのない、心からの思いだったから。レフィーヤは躊躇うことなく、それを彼に叩き付ける。

 

「……レフィーヤさんの人生は、長いんですよ?1番なんてことは」

 

「だったら、これから先もこうして、私のことを幸せにしてくれますか?私のために、ノアさんの全部をくれますか?」

 

「っ、それは……」

 

「それが出来ないのなら、やっぱり私にとっては今日が1番幸せなんです。これ以上の幸せなんて絶対にない。……これ以上の幸福なんて、必要ない」

 

今日以上の幸せなんて。

彼以外から受ける幸福なんて、受け取りたくない。

 

「私だって分かります。今日ノアさんから受け取った物が、どれほど貴方にとって大切な物だったのか。それは本当ならアイズさんのために用意した物だったはずだったのに、敢えて私に使ってくれたその意味を」

 

「……だから、申し訳なかった。今日レフィーヤさんに渡した物の中に、レフィーヤさんのために準備した物なんて1つも無かったから。その髪飾りだって、それが申し訳なかったから、一生懸命に探して……」

 

「違いますよ。……だからこそ、私にとって価値があるんです」

 

「っ」

 

「私はノアさんがどれだけアイズさんのことを想っているのか知っています。そして知っているからこそ、そのために用意していた物を私に使ってくれたことが嬉しかった。それを使って良いと思えるくらい、自分が大切に思って貰えていることが分かって……心から嬉しかった」

 

何の見返りもないと覚悟して始めたことだ。得るものなど奇跡でも起きない限り存在しないと、そう思い込んで始めたことだ。……そうでもしなければ、確実に自分の心は耐えられないと分かっていたから。だからこそ、こうして彼の方から彼の大切な人生の一部を分けて貰えて、本当に嬉しかったのだ。こうして隣に居て、手を握って貰える今が、何より幸せだったのだ。

 

……もう隠せないほどに流れてしまっている涙が、言葉だけでは伝えきれないこの想いを彼に伝えてくれる。ぎゅっと握られた自分の左手も、自分の本気を彼に伝えてくれる。

 

 

「……あと3年間、私は貴方の物です」

 

「レフィーヤさん……」

 

「その3年間、私のことは好きに使って下さい。……着いて来いと言うのなら着いて行きます。何処かへ行けと言うのなら姿を消します。そうして私はただ、貴方を側で支え続けます。必要なら、いつまでも」

 

「……でも、それは」

 

 

 

「私は絶対に、後悔しない」

 

 

 

「!!」

 

それがレフィーヤの覚悟だった。

レフィーヤはそう決めたのだ。

……もしかしたらこれは自分の想いだけではなくて、未来の自分の思いも入ってしまっているかもしれない。けれど彼のためならば自分の全てを掛けても良いと言う思いは、きっと変わらない。彼を幸せにするためならば、自分はなんだってしてもいい。その場の勢いや空気に流されて、こんな決断をした訳ではない。どれだけ涙を流すことになっても、どれだけ胸を痛めることになっても、彼を支え続けると誓った。

 

「だから、私に謝罪なんかしないで。私に申し訳ないだなんて思わないで。……そんな遠慮は、しないで」

 

「……レフィーヤ、さん」

 

「貴方の幸福が、私の心からの願いなんですから。貴方の幸福を、私は心から願っているんですから。……だから、幸せになってください。幸せになってください、ノアさん」

 

互いに泣いていた。

拭うこともなく、滴を落とす。

涙で濡れて、化粧も落ちて。

互いに素顔を晒して、見つめ合っていた。

 

「それだけで……私はいいんです」

 

この静かな海に囲まれて。ただ、静かに。

心の全てを、分かち合っていた。




レフィーヤさんの髪型はダンメモの花魁妖精と蒼星妖精を混ぜたようなイメージです。服装は頌閃妖精と優美妖精を混ぜたイメージでお願いします。ソードオラトリア13巻のレフィーヤさんも本当にお綺麗でした。


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32.2人○○○

あけましておめでとうございます。
新年早々にこんな重苦しい話を……と申し訳なく思いますが、ここに来て初めてノアくんの二つ名が明かされます。どうぞよろしくお願いします。


「それでは、また明日」

 

「はい、また朝にお伺いしますね。……おやすみなさい」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

すっかり暗くなってしまった本拠地の前で、彼と別れる。本当なら帰るところは同じなのだから別れる必要はないけれど、これがデートの雰囲気というもの。

レフィーヤの勧めもあってノアは先に拠点に入って行き、レフィーヤはそれを小さく手を振りながら静かに見送る。

 

……夕食まで一緒に食べてきてしまった。

なんだか雰囲気の良いその静かなお店は、以前は彼がリヴェリアと会う時に使っていたお店なのだと言う。最近はすっかり行く機会がなくなってしまって、良ければと誘われた次第だった。

魚館の中でのこともあって何となくむず痒い雰囲気ではあったけれど、対面で微笑む彼と笑みを交わしながら、静かに、けれど楽しく食事が出来て。……ああ、本当に。

 

「本当なら、今日はノアさんの気分転換の筈だったのに……」

 

気付けば自分はこんなにも満たされている。こんなにも幸福な時間を過ごすことが出来た。…‥こんなにも、たくさんの思い出を作ることが出来た。胸に灯ったこの想いを、レフィーヤは大事に大事に温める。

幸せだったと。

 

「レフィーヤ!!」

 

「!!」

 

そうして楽しかった記憶を思い返していたからだろうか、ぼーっと立ち尽くしていた自分を見て心配そうに駆け寄ってくる2つの影があった。呼びかけられた声に現実に引き戻され、レフィーヤはその背を伸ばして顔を上げる。すると途端に込み上げてくる、夢心地から覚めたような現実感。安堵とも寂寥とも取れるような、不思議な感覚。

 

「ティオネさん、ティオナさん……」

 

「ど、どうしたの!?なんかずっと立ってたから心配になって来ちゃったけど……」

 

「あ、あいつに何かされた!?なんか嫌なことでも言われたの!?」

 

「い、いえ、そんなことは。……ちょっと幸せ過ぎて、浸ってただけです」

 

「………そう、ならいいけど」

 

「あうっ」

 

パシッと、ティオネに額を小突かれる。

惚気と受け取られてしまったのだろう。まあ実際に惚気てしまったのだが。それはレフィーヤとて否定するところではないのだが。

 

「ファミリア中で噂になってたのよ、2人が妙にめかし込んで出掛けて行ったって」

 

「街でも噂になってたよ。"千の妖精(サウザンド・エルフ)"と"迷異姫(まよいひめ)"が街中の男達の目を集めてたって」

 

「え、えぇ……」

 

「いやでも、ほんと綺麗ね。その髪留めとか、よく似合ってるじゃない」

 

「うん!なんかいつもより大人な感じがする!」

 

「え、えへへ……その、ノアさんにプレゼントして貰ったんです。この髪留め。だから似合ってるって言ってもらえると、嬉しいです」

 

「そんな高い物貰ったの?……なんかすごいわね」

 

「高い物だけじゃなくて、色んな物を見せて貰って、色んなことを教えて貰って……私、本当に」

 

 

そこまで言葉にしたと同時に。

 

 

溢れた。

 

 

「ちょ、ちょっとレフィーヤ!?」

 

「へ?………あ、あれ?」

 

まだ流れるような物が残っていたのかと、一瞬そう思ってしまったが、確かに食事をしたのだから残っているのも当然かと。なんだか変に冷静になって頭はそんなことを考える。

……しかし、これは魚館に居た時のそれとは違う。それよりもっと衝動激しく、それよりもっと悲観的で、それよりもっと個人的なものだ。あの涙が美しいものであるとしたら、レフィーヤはこれを汚れたものだと表現するだろう。だから溢れたのだ。あの時の物とは、出所である根源の感情が違ったから。

 

「だ、大丈夫……?」

 

「いえ、その……なんでしょうか。幸せ過ぎて、急に現実に戻って来たから、辛くなったのかな」

 

「……よくあることよ、私も経験あるもの」

 

「そうなの?」

 

「ええ。だって同じ時間はもう2度と手に入らないのよ?それが自分の記憶の中にだけしか無いだなんて、辛いじゃない」

 

「ふ〜ん。そういうものなんだ……」

 

「……そうですね。同じ時間は、もう2度と」

 

それを自覚したのが、不味かった。

そこから先はもう、まともに言葉を話すことも出来なくなってしまった。それくらいにみっともなく泣きじゃくってしまって、慌てた2人に抱き締められながら、少し寒い夜空の下で涙を流した。

……そうだ、もう2度と同じ時間は手に入らない。こんなにも幸福な時は、今日が最後なのだと。あんな風に自分に目を向けてくれるのは、これが最後だったと。そう自覚してしまったからこそ、抑え切れる筈がない。

 

「ったく……どうしてそんな悲惨な恋をするの。私なんかよりよっぽど大変な恋してんじゃないっての」

 

「う……ぅぐっ……」

 

「……恋って、難しいんだね」

 

「そうねぇ……真面目な奴ほど辛いし大変なのよ。もっと狡くて馬鹿になれれば楽なのに」

 

それが出来ないからこそ、こんな風に涙を流すことになる。

 

……皮肉なことだ。

彼がアイズを好きでいなければ、自分は彼を好きになることなんて無かっただろうに。けれど彼のことを好きになってしまったからこそ、今こうして苦しい想いをしている。

いくら言葉で言い繕ったところで、レフィーヤは1人の普通の少女であり、苦しいものは苦しいし、辛いものは辛い。彼の幸福を願っているのは本当でも、ならば辛くないのかと言われたら辛いに決まっている。

 

でも好きだから。

好きになってしまったから。

苦しむしかない。

 

彼と同じように。

彼がアイズに抱えているのと同じように。

彼が人生を懸けて挑んでいるその恋を捨てて、自分に振り向いてくれる、その奇跡みたいな可能性に懸けて。レフィーヤはただ、歩んでいくしかない。

今日こうして与えて貰った、夢のような幸福の記憶を胸に抱いて。

 

 

 

 

 

レフィーヤがそうして2人に慰められている頃、一方のノアはと言えば、誰とも話すことなく自身の部屋に真っ先に戻ると、ベッドに座り、口を閉じ、膝を抱えてただ静かに俯いていた。

目を閉じて。ただジッと、考え込む。頭を回す。心を止める。暗く、明かりのひとつも付けていない。そんな闇に染まった部屋の中で。

 

「……帰ったのなら、明かりの一つくらい付けないか」

 

「リヴェリアさん……」

 

2人が帰って来たと知って、それこそリヴェリアは彼等の様子を見るためだけに書類も仕事も何もかも放り投げて、こうしてノアの部屋を訪ねに来た。レフィーヤの方はティオネとティオナが慰めている。故に自分はこちらだろうなと、そう察した。それにしても明かりすら付けていないその様子には素直に驚いたし、それほどに彼の精神が落ち着いていないことにも強く懸念している。

 

(………)

 

見て分かる通りに。

こうして帰って来たというのに、彼にしては珍しく鞄もその辺りに置いておくだけで、着替えることもせずに蹲っている。明らかに普通ではない。まさかレフィーヤと上手くいかなかったのか、喧嘩でもしてしまったのか。ここに来る途中でチラと見たレフィーヤが慰められている様子を思い出して、リヴェリアは心の中で少し焦った。

故にリヴェリアは彼の対面に椅子を持っていき、そこに座る。このまま放っておくと、恐らく良くないことになるだろうなと予想して。

 

「……お前がめかし込んでレフィーヤと出掛けたと聞いた時、正直驚いた。単に気分転換程度だと思っていたからな」

 

「……どうでしょう。私は単に自分が楽になりたかっただけなのかもしれません」

 

「なんだ、その言い方では外出自体に問題はなかったのか」

 

「ええ、今日はレフィーヤさんにお礼をしようと思ったので……」

 

「そのためにレフィーヤを幸せに出来たのなら、いったい何の問題がある?それともお前はレフィーヤに何か酷いことでもしたのか?」

 

「気持ちを受け入れるつもりもないのに優しくするのは、酷いことではないんですか……?」

 

「酷いことだろうな。少なくとも私はそう思う。だが本人は違うだろう、レフィーヤはそう思いたくはないはずだ」

 

「………」

 

世間的に見て、客観的に見て、それは確かに良くないことだ。しかし重要なのは相手の気持ち。周りの誰が何と言おうとも、結局は当人達がそれでいいのなら問題はない。……それにリヴェリアとて、今こうして彼の口から言葉として出て来たものが全てだとは思っていない。良くも悪くも、色々な思考が彼の中では渦巻いているのだろう。

なぜなら、レフィーヤが本当に楽しめたのだとすれば、それは彼自身もそうであるはずだからだ。そうでなければ、それが僅かなひと時であったとしても、レフィーヤが心から楽しむことは出来なかっただろう。だからレフィーヤは本当の本当に嬉しかったのだ。その時だけはアイズではなく、自分に目も心も向けてくれたから。自分を見ながら彼もまた、楽しんでくれたから。だから心の底から幸福だと、そう思うことが出来た。

 

 

「……正直に、言ってもいいですか?」

 

 

「ああ、構わない」

 

 

 

 

「…………………今日、初めて気持ちが揺らぎました」

 

 

 

「!!」

 

驚く。

心の底から。

けれどきっと、これより何倍も、彼自身の方が驚き、狼狽えている。それは間違いない。そしてだからこそなのだと、リヴェリアは気付いた。だからこそ、こんなにも彼は落ち着いていないのだと。

部屋の灯りを付けることを忘れてしまうくらいには。整理整頓や服の手入れを後回しにしてしまうくらいには。冷静さを欠いて、これまでにないほどに混乱し、只管に必死に思考を巡らせていたのだと。

 

「ゆらいだんです。揺らいでしまった。……レフィーヤさんに。目と、心を、奪われてしまった」

 

「…………」

 

「これは、アイズさんへの裏切りです。裏切りだと、私は思う。思うのに……この気持ちをそんな風に表現したくないと思っている自分も、また別に居る」

 

「……そう、か」

 

「なんだか、そう考えると、もう……頭の中、どうしようもなくなって。自分のことが、許せなくなって。……消えて無くなってしまいたいって、そう思ってしまって」

 

「…………」

 

「色んな人を巻き込んで、アイズさんも困らせて、レフィーヤさんにも手伝わせて、こんなにも滅茶苦茶なことをして来たのに……今更。どうして今更、肝心の自分が揺れてしまうのか。一度決めて、何もかも投げ捨ててここまで来たのに。アイズさんどころじゃない、これは私の関わった全てに対する裏切りです……それが本当に申し訳なくて……それが本当に最低で……消えて、死んでしまえばいいって……もう、全部……」

 

「良い、言うな。……分かっている、お前の言いたいことは」

 

その可能性自体は、予想していたものだった。

けれどそれが実際に実現したとなると、リヴェリアは素直に驚くし、それを動かしたレフィーヤの想いと献身に敬意を表する。人によってはそれを単に状況に流されて揺れただけと言うかもしれないが、その想いの強さを知っている人間からすれば、それがどれほど奇跡に近いことなのかが分かる。ロキやリヴェリアですら、その可能性は半分諦めていたから。

……それにそもそも、よくよく考えてみれば。彼が1番に辛い時に寄り添っていたレフィーヤと、彼が1番に辛い時にも気付くことが出来ず、むしろ傷付けてしまったアイズだ。揺れてしまうのは当然のことなのかもしれない。少なくともまともな人間なら、レフィーヤに好印象を持つのは普通のことだ。好意に変わってしまうのも、一体誰が責められるというのか。

 

(よくやった、レフィーヤ……)

 

圧倒的な距離差があったにも関わらず、アイズは今からスタート地点に立つ準備をし始めた。しかしレフィーヤは長かったスタート地点までの難所を走り切り、今そのままの速度でアイズを追い抜こうとしている。

……正直に言ってしまえば、アイズのそれはいくらなんでも遅過ぎた。そして実際にスタート地点に立つまでも、あと数日は掛かるだろう。今はまだ心が揺れる程度で済んでいるが、これから先、その揺れはどんどんと大きくなっていくはずだ。気の迷いという言い訳では済まなくなる。

アイズは本当に手遅れになるかもしれない。

少なくとも、それでもノアが欲しいという結論に行き着けたとしても、それほど余裕はないのではないだろうか。加えて、今回の彼女の反省がいつものように失敗に終われば、その時点でアイズがノアを手に入れられる可能性は間違いなく無くなる。なんとなくノアの争奪戦のような言い方をしているが、レフィーヤが奪える地位まで登ってきた以上は、争奪戦と言っても過言ではない。

 

「心底……自分のことが嫌いになりました。こんなこと、誰に対しても失礼です。もう、こんな、こんなもの、なにもかも……」

 

「お前の頭の中が混乱しているというのは分かるが、考えることを放棄するな」

 

「………」

 

「アイズにも言ったことだが、思考が入り乱れている時こそ、人間は向き合い、考え、解いていくべきなんだ。……それを全て放り捨てて逃げる事は簡単だ、だがそれでは何も解決はしない。お前の頭から悩みを排除したところで、状況が好転する訳ではない」

 

「………そう、ですね」

 

「認められないことであっても、実際にそうなってしまったことは歯を食いしばってでも受け止める努力をしろ。……そうしなければ本当に、全てが手遅れになってしまうからな」

 

「……勉強になります」

 

「年の功だ」

 

分かるとも。

可能な限り誠実であろうとしてきた自分が、言い訳の出来ない1番の不誠実を抱えてしまった。混乱するだろうし、嫌悪すら湧く。自分がその願いのために周囲に与えてきた影響を考えれば、自分を殺してしまいたいくらいだろう。全部無かったことにしてしまいたいと、そう思ってしまいたいくらいに直視出来ない事実の筈だ。

……ああ、分かるとも。

彼は決して真っ白な人間ではない、人間らしく黒い心だって持っている。誠実であることも、彼の生来の性格ではなく、そうして生きることで好いた相手から嫌われないようにしたいという、半ば強迫観念から来るものだ。だからこそ人一倍自罰心が強い。

 

「……私は不純が嫌いだ」

 

「っ……はい」

 

「いくらか丸くなったとは言え、それでもエルフとして典型的な考え方が未だに色濃く残っている。……不純な人間を嫌い、不誠実を嫌う。清潔清純こそが尊いのだと」

 

「………はい」

 

「だが私はそれを他人に押し付ける気はない。……求めはするかもしれないがな」

 

「……?」

 

「なあノア。お前は本当に、この世界の人間の全てが恋愛に対して誠実に向き合っていると思うか?」

 

リヴェリアは俯く彼の頭を撫でる。

手の掛かる娘は居るが、最近は手の掛かる息子まで増えた気分だ。……まあ、こうやってみると2人目の娘のようなところもあるが。

最初に会った時とは本当に印象が変わったように思う。まさかここまで踏み入ることになるとは、あの時は夢にも思っていなかった。

 

「私はな、最近思うようになった。恋愛に対して最後まで誠実であれるのは、よほど運の良い人間だけなのではないかと」

 

「……どういう、ことですか?」

 

「単純な話、そもそも全ての恋が必ず叶う訳ではないということだ」

 

「……!」

 

「それまでどれほど誠実に向き合って来たとしても、肝心なのは相手の心だ。究極、こちらに出来ることには限りがある。殆どが相手依存と言っても良いだろう。個人に出来るのは、その確率を上げるための努力でしかない」

 

「それは、まあ……」

 

「……多少不誠実にならなければ、疲れてしまうんだよ。恋愛というのは」

 

リヴェリアは思い返す。

 

「真面目に向き合えば、今のお前のように辛く苦しいばかりだ。相手依存の行為であるにも関わらず、自分の粗を見つけて、自分を責め続けなければならないからな。全てが自分の責任。しかもその末に、あまりに極端な2択が結果として表れる」

 

「2択……」

 

 

「……完全な破滅か、最大の幸福か」

 

 

「………」

 

「そんなものに、まともに向き合える人間がどれほど居る。そんなものに自分の人生の全てを一点掛け出来る人間がどれほど居る。それほど苦しいことに、それほどリスクの高い賭けに、どうして誠実に向き合い続けられる。そんなことをしていれば、先に疲弊するのは自分の心だ。……そうでなくとも、根っから理不尽なものなのに」

 

それこそ先程リヴェリアが言ったように、恋愛に対して誠実であり続けられる人間がどれほど居るのかという話だ。

この世界のどれだけの人間が、好いた相手のために自分を変える努力が出来る?この世界のどれだけの人間が、好いた人間だけに目と心を合わせ続けられる?この世界のどれだけの人間が、好いた人間に真の意味で自分の人生を費やせる?

真の一途など本当にあるのか?本当に一度も目移りしたことはないのか?本当に保険の異性をつくったりしていないのか?本当に自分を磨き続けられるのか?本当に相手を楽しませる努力をしているのか?本当に相手の幸福のためならどんな泥でも被れるのか?

 

「少し不誠実なくらいが丁度いいんだろう。……そうでなければ、自分を守れない」

 

正に今の彼のように。

自分を守れず、自分を犠牲にして、心を壊して、自罰に走る。だからきっと彼がレフィーヤに心を動かされてしまったのも、やっぱり当然で仕方のないことだったのだ。だってアイズは彼のことを助けてくれないけど、レフィーヤは彼のことを助けてくれるのだから。彼の意志は別にしても、彼の心は絶対にレフィーヤを求めるだろう。疲れきった心は、彼女の優しさに癒される。そうして彼女の優しさに、動かされてしまう。誰がそれを責めることが出来ようか。辛い時に寄り添ってくれた相手を、どうして突き放すことが出来ようか。

 

「それに喩えお前が今からアイズからレフィーヤに切り替えたところで、お前をよく知っている人間ならば、誰もお前のことを責めたりしないだろう」

 

「っ」

 

「確かに何も知らない人間は、お前を不誠実な人間だと罵るかもしれない。確かにあれだけ好意を向けられたアイズは、少なくない怒りをお前に抱くかもしれない。……だが、少なくとも私はお前の考えを肯定する」

 

「……そんなの、絶対に駄目です」

 

「ならば聞くが。お前はレフィーヤと一緒になったとして、その未来は不幸なものになると思うか?」

 

「……そんなことは、ないですけど」

 

「仮にそれが不誠実であろうとも、それで幸福に生きていけるのなら、お前はそうすべきだろう」

 

「……っ」

 

「他者から指差されるような行為であったとしても、お前自身がそれで未来を幸福に生きていけるのならば、何故躊躇う必要がある?お前は迷わずそれを取るべきだ。……お前は、お前の幸福のために生きるべきなんだ」

 

 

 

【幸せになってください、ノアさん】

 

 

 

「っ」

 

それは奇しくも、レフィーヤに言われた言葉と同じ。

ノアの心がまた揺れる。

 

(それでも、私は……でも……)

 

確かにそうなれば、アイズは傷付くだろう。落ち込むだろう。もしかしたら今のアイズなら軽く引きこもってしまうかもしれない。

……だが、それだけだ。

それだけで済む。それだけの代償で済む。実際ノアのことを好きになれず、それでも引き伸ばしていた要因にはアイズ自身も関係している。アイズがノアのことを責めるとするなら、例えばノアの存在によって自分が不利益を被ったことについてくらいだが、流石にそんなことを堂々と言い出したらリヴェリアだって彼女を注意するだろう。そんなことを言ってくれるなと。そんなことを言う人間にだけはなってくれるなと。

 

……その程度の代償だ。

ノアが人としての幸福を得られることに比べたら、むしろ少な過ぎるくらいの代償ではないだろうか?それまでノアが支払って来た代償と比べたら、よっぽどに。

 

「ノア、聞かせて欲しい。……お前は、義務感でアイズを求めてはいないか?」

 

「え……?」

 

「ここまで努力して来たから、ここまで想ってきたから、こんなにも周りに知られてしまったから、本人にも好きと伝えてしまったから。……そんな引き返せないという思い込みを、本当に持っていないのか?」

 

「そ、そんなことは……」

 

「……ならば少し切り口を少し変えよう。お前は今自分の心の揺らぎを不誠実だと考えているようだが、それをレフィーヤの努力の成果だと考えたらどうだ」

 

「……!!」

 

「それは本当に、不誠実なものなのか?」

 

「そ、れは……」

 

手を変えて、言葉を変えて、リヴェリアはその切れ込みを広げていく。レフィーヤが齎したその変化を、少しずつ彼の受け入れやすい形に変えていく。

……この機会を逃してはいけない。もし明日にまで持ち越してしまえば、彼はきっと元の自分に戻してしまうから。言い訳を作ってしまうから。だから疲れていようとも何だろうと、リヴェリアは切り込んでいく。その生じた小さな芽を、確実なものへと作り替える。

 

「不誠実で良い、不純で良い。……だから、その気持ちを大切にしろ。その可能性を捨てようとするのはやめろ。たった1つの選択に、お前の人生の全てを捧げようとするのはやめろ」

 

「………でも、そんなことでは。私は、アイズさんに」

 

「努力が必ず報われるほど!……綺麗なものではないんだ、ノア」

 

「………っ!!」

 

「そんなに尊いものではない、美しいものでもない。いくらお前が努力したところで、所詮はアイズの気分次第なんだ。アイツがその日の気分でお前を跳ね退ければ、それだけで終わってしまう。それほど脆いものなんだよ、ノア。お前も分かっているだろう」

 

「……………」

 

そんな、馬鹿馬鹿しいものなのだ。

そんなに綺麗で、尊いだけのものではない。

50階層でアイズがノアを受け入れられないと言ったのに、共闘してからは妙に近付いて来たのと同じだ。それは確かにノアの頑張りもあったのだろうけれど、結局はアイズの気分次第なのだ。そして例の少年が現れて、アイズの目はあちらに移った。……そんな風に、振り回される。理不尽に、努力の程など、関係なく。

人生を賭ける価値など、本当にあるのか?

 

「別に保険を作れとも言わない、二股を掛けろとも言わない。これまで通りにアイズを好きでいればいい。これまで通りにそのための努力を続ければ良い。……だが、今日芽生えたその気持ちだけは、絶対に捨てるな。それがあるだけで、今はほんの小さなその気持ちが、いつかお前を救ってくれることになる」

 

「………分かり、ました」

 

「なんだったら、その気持ちはお前の物ではなく、レフィーヤがくれた物だと思っておくと良い。そうしておけば、少しは受け入れやすいだろう?」

 

「……リヴェリアさんは、なんでも分かるんですか?」

 

「いいや、私とて最近学んできたところだ。そもそも私自身はそんな経験がないからな、単なる耳年増とでも思え」

 

「またそういう自虐をするんですから……」

 

「……勉強になっているのは本当だ。もう少し甘い話であれば、私とて羨ましく思えるのだがな」

 

本当に、恋愛に対する憧れというものを悉く破壊してくれている。そこだけはリヴェリアとて彼のことを恨みたい。

 

「ノア、アイズだけを求めるのはやめろ。お前が1番に幸福になれる道を選べ。それがアイズと共にあることならば、私はもう何も言わん」

 

「……はい」

 

「なに、いざとなれば私がこうしてまた話を聞いてやる。アイズもレフィーヤも慰めてやる。まだ子供のお前達の後始末くらい、手伝ってやる」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「……今日はもう寝ると良い。薬を飲むのを忘れるなよ、着替えるのもな」

 

「……はい」

 

さあ、尽くせるだけの言葉は尽くした。

後はこれから3人が、何を思い、どんな結論を出し、どんな努力を積み重ねていくのか。それに任せるしかないだろう。

誰も幸福になれない結末より、せめて2人は幸福になれる結末を選ぶしかない。少なくともリヴェリアはそう考えて、今を動いている。

 

『彼が2人とも引き取ってくれたら、全部丸く収まるんじゃないかな?』

 

フィンは少し前に頭を抱えながら冗談めかしてそんなことを言っていたけれど、本当に、そうなってくれればどれだけ楽なことか。そうできないからこそ、それが出来ないからこそ、あの少年は厄介なのだ。

……仮にどのような結果を求めるにしても。

あの不誠実に対する強烈な自罰心こそを、何より先にどうにかしてあげないといけない。



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33.祭の○○

話的には前編、中編が終わって後編に入った辺りのつもりです。


「アイズた〜ん♪フィリア祭の日ぃ、ちょっと付き合ってくれへ〜ん?」

 

「嫌です」

 

「え"」

 

「嫌です」

 

「え、いや、でも……これ主神命令……」

 

「絶対に嫌です」

 

「………はい」

 

あれから数日が経ち、アイズはようやく自室から姿を現した。朝に朝食の場に出ると、そこに彼がいない事を確認して、落ち込み思考する。そんな彼女のことを見て、声を掛けにきたロキを、問答無用で(言葉で)ぶった斬る。

てっきり数日の引きこもり生活で大層に落ち込んでいるのかと思っていたのだが、しかし彼女の様子はむしろ非常に鋭かった。主神命令だろうとなんだろうと、強い意志をもって跳ね除ける。彼女のその様子に、その鬼気迫った様子に、ロキでさえもそれ以上に求めることは出来ないし、それこそこのフィリア祭について、彼女は一歩たりとも引く気はないようだった。

 

「………あの」

 

「……!お久しぶりですね、アイズさん」

 

「!……うん。ノアも、前より顔色良くなったね」

 

「ええ、おかげさまで」

 

「辛かったら、横になっててもいいから」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。もうそこまでではありませんから」

 

ただ、そんな彼女の鬼気迫った様子も、こうしてこの場所に座ると、途端に姿を潜めてしまう。

あの日から睡眠薬によって朝の少し遅い時間まで眠ってしまっている彼は、当然ながら朝食の場には姿を出せない。時間になるとレフィーヤが食事を持って部屋に入り、お願いされた時間になってからゆっくりと起こされる。そんな風に病人さながらの生活をしていた成果もあってか、アイズの言う通り、アイズが見て分かる通りに、彼の様子はかなり改善しているようだった。

……それもこれも、アイズがこうしてレフィーヤに直接お願いをして、一緒にその朝の様子を見なければ分からなかったことだ。レフィーヤがこれほど献身的に尽くしていることも、実際に見なければ知らなかったことだ。改めて、見るということの大切さをアイズは思い知らされる。

 

「その……ごめん、なさい」

 

「え?」

 

「……駄目なところ。これからちゃんと、治していくから」

 

「……!」

 

「だから、その……ノアのこと、もっと知りたい」

 

「わたしの、ことを……?」

 

「うん……知って、理解したいの。……今の私が何を言っても、自分でも、信用ないって分かるけど」

 

「そんなことは……」

 

 

「……私きっと、変わるから」

 

 

 

「変わって、みせるから」

 

 

ジッと彼の目を見詰めてそういうアイズに、その変化に、ノアはもちろん、その様子を後ろで見ていたレフィーヤでさえも驚く。

 

……アイズの出した結論。

アイズがここ数日考えて出した、自分の気持ちの結論。それは結局のところ、『彼を誰にも取られたくない』というところに落ち着いた。最初と変わらず、同じ場所。けれど思考を重ねに重ねた末に、そこに辿り着いたのだ。それは着地した場所が同じであっても、最初と今では全く同じ意味の物ではない。

 

だから、手始めに。

 

 

「……わ、私が………食べさせて、あげるから」

 

 

「「…………えぇ!?!?」

 

 

「あ、あ〜ん……?」

 

アイズは開幕で切札を切った。

何の迷いもなく、初手から全力を出した。

この数日の思考の中で思い付いた幾つもの手札を、温存することなく使用した。

 

「あ、ああ、アイズさん……!?」

 

「そ、そんなことまでして貰わなくても……!」

 

「……でも、ノアは喜ぶと思った」

 

「うっ」

 

「嬉しそう」

 

「うっ」

 

「嫌がってない」

 

「ううっ」

 

「いい……?」

 

「は、はい………あ、ありがとう、ございます」

 

「うん」

 

さて、どうしたことか。さて、どういうことなのか。あまりに予想外の出来事に、ノアはもう言われるがままにその幸福を享受するしかないし、レフィーヤは普通に驚愕している。

突然に彼の隣に腰掛けたかと思えば、朝食を掬って彼の口元へ持っていく。しかもそれは以前の姫抱きの時とは違い、しっかりと彼の身体に密着しながらのものだった。

ノアの顔色は青色どころか赤色に染まっていく。アイズは明らかに"分かって"やっている。顔を近付ければノアが喜ぶとか、身体を密着させればノアが喜ぶとか、彼女はそれを今日ばかりは完全にわざとやっていた。

 

「なっ、なっなっなっなっ……!!」

 

狡い、これは狡い。

いくらなんでもこれは狡い。

だってこれは、エルフであるレフィーヤにとってはあまりにもハードルが高い。手を繋ぐだけでさえ未だにドキドキとしてしまうというのに。こんな、ここまで身体を密着させるなど。……勿論、その邪魔をする気はないにしても、しかしこんな物を目の前で見せつけられて、自分に一体どうしろというのか。自分はこの場から退散した方がいいのだろうか。

 

……それでもやはり、今のアイズは振り切れていた。

やるなら全力、その心意気は凄まじい。

 

「レフィーヤ」

 

「は、はいっ!?な、なな、なんでしょう……!?」

 

「ノアの隣に、座って」

 

 

「「…………えぇ!?」」

 

 

「その方が、ノアが喜ぶ」

 

「そ、そそそそそそんなことはあのあのあの!?!?」

 

「レフィーヤも喜ぶ」

 

「ぶふっ!?な、なななななななな何を言って!?」

 

「嘘はついたら駄目」

 

「「……はい」」

 

アイズ・ヴァレンシュタイン。

やると決めたらやる女。

過去を振り返って考え直せと言われたら、本気で振り返って何もかもを思い返す女。そりゃ出てくるまで数日掛かるだろうと、それくらいに徹底的に過去の自分とノアの反応を思い出して、思考を積み重ねた。

たとえば姫抱きをした時。2回したのにも関わらず、妙に焦って、けれど隠しきれない少しの嬉しさがあったのは、2回目の方だった。では1回目と2回目の違いは何だったのか?それは身体を当てていたかどうか。そしてアイズは聞いたことがある。『男なんておっぱい押し付けちゃえばイチコロよ』なんて、顔も名前も知らない通りすがりの女神様達が話していたことを。

 

(ど、どど、どうしてこんなにも急に積極的に……!?)

 

そして一方で、そうは言いつつも、レフィーヤはちゃっかり言われるがままに彼の隣に陣取る。陣取って、やっぱりちゃっかりと自分の身体を少し恥ずかしがりながらも押し付けてみる。アイズに言われたことだから、彼を喜ばせるためには必要なことだから。そんな言い訳を並べるのはあまりにも簡単なことだったから。これ幸いと自分の定位置を作り、アイズ同様に密着した。

 

 

……なお、当の本人はと言えば。

 

 

「ーーーーーーーーーー????っ?????」

 

思考が完全に停止していた。

処理しきれなかったのだ。

彼の平凡な頭では、これほどの情報量の多い状況は。

 

「ね……ノアのこと、教えて?」

 

「ひんっ」

 

「私と一緒に、フィリア祭……行こう?」

 

「い、行きます!行きますから……!」

 

「むっ」

 

こうして顔を近付けると、ノアが恥ずかしがって押されてしまうことを完全に理解したアイズは、本当に目と鼻の距離まで顔を近付け、身体を押し付ける。そうして顔を背けられたのをいいことに、丁度目の前に来た彼の耳の中に向けて、そんな乞い願うような言葉を囁き込む。

……完全に殺しに来ている。

 

しかしその反対側、ノアがアイズに押されることで余計に密着度の上がっているエルフも居た。彼女は確かにノアの幸福を祈っていて、アイズとの恋も応援している立場ではあるけれど、しかし人間である。恋する普通の女の子でもある。そんな2人の様子にちょっとくらいムッとしてしまっても、責められることではないだろう。

 

「ひうっ!?」

 

だからレフィーヤは、自分の頬を擦り付けた。

丁度いい具合に目の前にあった、彼の頬に。

 

「?どうしたの、ノア」

 

「いっ、いいいいいいいえ!な、ななな、なんでもありまっ、ひぇんっ!?」

 

「???」

 

前門の虎、後門の狼。

逃げ場はない。

互いの顔と顔に挟まれるようにしているノアは、最早涙目にすらなっていた。しかもこれがまたレフィーヤとアイズも、ノアとの距離が近すぎる故に、相手が何をしているのか分からないのが酷い。レフィーヤがどれだけノアの頬に自分の頬を擦り付けようともアイズには分からないし、アイズがどれだけ彼の耳に近寄って囁き掛けていようとも、レフィーヤには分からない。

 

「……恥ずかしがり屋だね、ノアは」

 

「こ、こんなの無理ですよぉ……」

 

「ちゃんと食べないと、駄目だよ」

 

「は、はい……」

 

「ほら、口開けて?」

 

「あ、あうあうあう……」

 

「ノアさん?逃げちゃ駄目です、ちゃんと食べさせて貰ってください?」

 

「うぁぁ……」

 

レフィーヤは見出した。

これだと。

アイズの手伝いをするという役割はしっかりと果たしつつ、こうして密かに彼と触れ合う。なんだかちょっと背徳的というか、割と不純なことをしているのかもしれないけれど。しかしこれなら自分の役割と欲を同時に満たすことが出来る。あわよくば意識して貰えるかもしれない。

 

そしてアイズもまた見出した。

これだと。

自分1人の時より、レフィーヤと一緒に囲んだ方がノアは冷静さを失うというか、なんだか素直な反応を見せてくれる。ぶっちゃけ考える余裕がなくなるので、口が軽くなるし、こちらの要求が通りやすくなる。……もちろんレフィーヤに取られてしまう可能性はあるが、しかし今の彼にレフィーヤの支えが必要なのは分かる。まだまだ未熟な自分だけでは彼のことは支えられない。だからきっと、今はこれが1番いい。こうして自分もレフィーヤから学んでいくのだ。他人を支える方法を。

 

「レフィーヤ、レフィーヤもフィリア祭に着いてきて。ノアが体調崩したら、私だと駄目だから……」

 

「はい♪任せてください♪」

 

「……え、この感じで行くんですか!?」

 

「……嫌?」

 

「嫌なんですか……?ノアさん」

 

「……………………………嫌、じゃ、ない、です」

 

「「よかった」」

 

互いの利害が一致した結果、ノアに勝ち目など何処にもなかった。なぜなら彼はもう既に、アイズは当然、レフィーヤの願いも断れない。

それはとても嬉しくて、幸福な状況ではあるのだろうけど。後で解放されて冷静になった時、ノアが凄まじいほどの自己嫌悪に浸ってしまったのもまた悲しい事実である。この辺りを素直に喜べる人間であれば、もう少し楽に生きられたろうに。

 

 

 

 

翌日、フィリア祭当日。

アイズはデートというものがよく分からない。

一応、したことがないということはない。ノアが意識を失う前に、デートという意識は全くしていなかったけれど、何度かしたことだけはあるから。……けれど、アイズはノアとレフィーヤがデートをしていたことは知っている。2人が拠点の前で待ち合わせしていたのを見て、デートの時にはおめかしする必要があると学習した。なので。

 

「ありがとう、レフィーヤ。わたし、お化粧とかよく分からないから……」

 

「いえ、本当に薄くしただけですから。とてもお綺麗ですよ」

 

「……そういうことも、勉強しないといけないんだよね」

 

「…………」

 

「強くなるだけだと、駄目なんだって……分かったから。ノアみたいに、いろんな努力をしないといけないんだって」

 

「……そう、ですね」

 

今日のために、アイズは自分から街に出かけ、自分の意思で新しい服を選んで来ていた。流石にまだお洒落に関する知識なんて無いので、前のレフィーヤとノアほどにしっかりとした装いは出来ていないけれど。しかしそれは単に外に出るくらいであれば十分に可愛らしいものであったし、アイズが自分で服を買って来たというだけで十分に驚かれる変化である。少なくともリヴェリアは素直に驚くだろうし、ノアは間違いなく喜ぶだろう。

 

「やっぱりその服、よくお似合いです」

 

「うん……レフィーヤも、流石だね」

 

「そ、そうですか?ありがとうございます」

 

「いつもと、また違う感じ」

 

「その……いろいろ試してみたいと思いまして、あはは」

 

それにレフィーヤも、今日は以前とは別の服を用意してきた。

レフィーヤにとって以前のデートで着ていたそれは、既に何より大切な物になっている。相当なことがない限りは、2度と袖を通すことはないだろう。だから今日はまた別の、白を基調としたものを身に付けているし、それはかなり控えめな物だ。あくまで自分は2人を支援する立ち位置であるから、それほど目立った物は付けないように気を付けた。

……ただし、今日のレフィーヤは髪を完全に下ろしてもきている。

普段は縛っているそれを、完全に解いてきたのだ。そこで生じるのは、普段とのギャップ。ノアには一度も見せたことのないその姿で、少しでも強く印象を付けようという作戦である。あと青色のリボンもチラホラと身に付けている。青色の入った衣服を選んで来たアイズに対抗して、自分にも青色を入れることで、海が好きだという彼の視線を独り占めさせないためだ。

これが知識の差、これが経験の差。レフィーヤは自分の役割はこなしながらも、同時にしっかりと彼の目を引く工夫をして来た。これもまたアイズがこれから学んでいかなければならないものの一つである。

 

 

 

「わぁ……!お2人共、それ新しい服ですか!?とてもよくお似合いです!最高です!!」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「うん、ありがとう。ノアもすごく似合ってるよ」

 

「ふふ、ありがとうございます。今日はこんな感じに少し落ち着いた装いにしてみたんです」

 

「す、すごく良いと思います……!」

 

「うん」

 

「それは良かった。私実はこういうお祭に参加するのが初めてなので、どういう物を着ていけばいい、の、か……………………………………はじめて?」

 

「「?」」

 

「い、いえ、すみません。何でもありませんよ。さあ行きましょう、時間は有限ですから」

 

「う、うん」

 

待ち合わせをしていた場所に向かってみれば、そこには少し暖かそうな服装をした彼の姿。秋のような装いと言えばいいのか。女装と言うほどではなくとも、しかし何も知らない人間から見れば読書好きな令嬢と言った雰囲気を出しているだろう。

会話の中でちょっとした違和感はあったものの、直ぐに気を取り直すと彼はいつも通りの笑顔で2人を迎え入れる。

まあ、実際ノアの中で今日は別にデートという位置付けではない。仲の良い3人で一緒に祭を楽しむ、そういう認識で強引に自分を納得させている。これは別に2人を侍らせている訳ではなくて、単にお出掛けをしているだけで、レフィーヤを蔑ろにしている訳でも、けど浮気している訳でもなくて。だからってアイズから誘って来たからと全てをアイズのせいにするのも違って、やっぱり最低なのは自分で……などという本当にクソ面倒臭い言い訳を自分の中で幾度も幾度も巡らせた挙句に、ここに居る。誰に責められる訳でもないのに、実に哀れなものである。

 

「っ……や、やっぱりこの姿勢なんですか……?」

 

「駄目ですか……?」

 

「だ、駄目じゃないです……」

 

「嬉しくない……?」

 

「すごく嬉しいです……!!」

 

まあ、いくら個人の中で反省しようとも。こうして両側からお手々を繋がれてしまえば逃れられないことであるし、彼自身がそれを普通の少年らしく嬉しいと思ってしまうのは、どうやったって逃げられることではないのだけど。

 

「それにしても……武器を帯刀して出掛けるようになんて、ロキ様はどうされたんでしょう」

 

「え?……何か起きるんじゃ、ないんですか?」

 

「そうなの?」

 

「?……ああ、神の勘のことですか。そうですね、ガネーシャ・ファミリアのモンスターが脱走したりするんでしょうか。それと、も……………………」

 

「ノア?」

 

「……………………………………ああ、今度はそう来ますか」

 

「え?」

 

「いえ、なんでもありません。ちょっと出掛ける前に忘れ物を取りに行ってもいいですか?直ぐに戻りますので」

 

「そ、それは大丈夫ですけど……」

 

「ノア?大丈夫……?」

 

「ええ、本当に問題ありませんよ。それでは」

 

そうして、ノアは何かを小さく呟きながら自分の部屋へ戻っていった。それから割と直ぐに彼は戻って来たけれど、何か特別に持ち物を増やしているようには見えなくて。

……この時、レフィーヤはまだ薄らとしか気付けていなかった。彼の身に起き始めた、表には決して見えることのない変化を。そしてその変化が、一体どれほど彼自身に影響しているのかということを。



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34.良き○○

まだまだ冒険者としては初心者同然のベル・クラネル、しかし今の彼の頭の中はとある女性と少年のことでいっぱいである。

 

(ノア、ノア・ユニセラフ……一体どんな人なんだろう)

 

少し前に豊穣の女主人という場所で、ベルは自身の命を救ってくれたアイズ・ヴァレンシュタインという女性を見た。彼女はロキ・ファミリアという都市でも最大手の探索系ファミリアに所属しており、その中でもかなりの実力者だという。そんなロキ・ファミリアの遠征帰りの宴会に偶然にかち合ってしまった彼は、そこでミノタウロスに助けられた際の自分をネタにされていたことを聞いてしまった。

 

『雑魚じゃアイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねぇんだ!!そんな奴はそもそも必要とされてねぇ!!』

 

ベルが助けられた際に一緒に居た狼人は、そう言った。そしてそれに対して、アイズもまた否定はしていないようだった。……だからこそ、その言葉はベルに深く突き刺さった。

どうすれば彼女とお近付き出来るか、何をすれば彼女と親密になれるのか。そんなことを考えていた自分だったが、そのためには何をすれば以前に、何もかもを頑張らなければならなかったから。それくらいには今の自分は不足していたから。それに気付けなかった自分、そんな甘い考え方をしていた自分を酷く恥じた。

 

……そして。

 

 

『さあアイズ!言えよ!!あのガキとオレ、ツガイにするならどっちがいい!?』

 

 

『…………………ノア』

 

 

 

『っ』

 

そのやり取りが、更に自分の心に深く突き刺さった。

 

ノア……ノア・ユニセラフ。

エイナから聞いていた。自分と同じ年齢の冒険者でありながら、同じようにアイズ・ヴァレンシュタインに憧れて、今は彼女と同じ立ち位置に居るのだと。それほどに努力を積み重ねて、今はこうして彼女に名前で指名されるほどの立ち位置を得ていて、あの狼人でさえもそれを認めている。

 

……自分とはまるで違う。

こんな甘えた考えをしていた自分とは全く違って、同い年でありながらその少年は、何年も前から十分な努力をして来たのだということ。

あの宴会の中ではそれらしき少年は見当たらなかったし、もしかしたらあの場には居なかったのかもしれないが。それでもベルの中でライバルともなる彼の存在は、あまりにも強く頭に焼き付いた。

 

あの会話の内容からしても、まだアイズと彼はそういう関係にはなっていない。しかし彼女から認められているというだけで、今のベルとは大きく離れた位置に彼がいることは間違いない。

故にベルは焦っていた。

焦っていたが、しかし焦ったところでどうにもならない問題であるというのが、余計に彼を強く悩ましくさせる。故にベルに出来ることは、彼とアイズがくっ付いてしまわないことを祈りながら、自分の努力を積み重ねることだけ。

幸いにもヘスティア曰く自分は成長期ということらしいので、ただコツコツとそれを積み重ねていくだけだ。今の自分にはそれくらいしか出来ないと、情けないと感じながらも、彼は今日もヘスティアに捕まってしまうまではフィリア祭にも行かずにダンジョンに潜るつもりであった。少なくとも、それまではそのつもりで騒がしい街中を歩いていた。

 

「やれやれベルくん、君は今日という日もダンジョンに行くつもりだったのかい?流石にそれは僕としてもいただけないな」

 

「……すみません」

 

「いいかい?祭の日くらい楽しめるような心の余裕がないと、何事も上手くいかないもんだ。物事の効率を上げるには、やっぱり健全な精神が大切なんだから。……ということで、今日は一日ボクに付き合ってもらおう。拒否権はないよ、いいね?」

 

「は、はい。分かりました」

 

しかしそんなベルにとって幸いであったのは、正しく彼を引き止めたヘスティアの存在だったろう。ヘスティアはそんなベルの様子を見るや否や、多少強引にでもダンジョンに向かうのを引き止め、祭を楽しむことを"強制"した。ここでベルが止まれるだけの精神状態であったことも、また大きい。

 

「ノア・ユニセラフ?……う〜ん、ボクもあまりよく知らないなぁ。ベルくんはその男性冒険者のことを知りたいのかい?」

 

「はい、僕と同い年の冒険者みたいなんです。それなのにもうレベル6みたいで……」

 

「レベル6!?君と同い年で!?……はぁ〜、それは相当にすごい子なんだねぇ」

 

「エイナさんも個人情報だからってあまり教えてくれなくて……でも神様も知らないなら、やっぱり他の人に聞くしかないですね」

 

「そうだねぇ。でもあんまりボクは君に無茶をして欲しくないから、見習って欲しくはないよ」

 

「……でも」

 

「いいかい、ベルくん。普通じゃない速度で成長するってことは、普通じゃない経験をするってことなんだ。……君の神様としては、それはあまり喜ばしいことじゃないんだよ。少なくとも君が危険な目に遭いながら成長している姿を見ても、ボクは全然嬉しくない」

 

「……すみません」

 

「分かってくれればいいんだ。でも忘れないでおくれ、ボクには君しか居ないってことを。何度も言うようだけど、ボクを1人にはしないでおくれよ」

 

「はい……約束します」

 

正にヘスティアのこの言葉が、別れ道だったと言っても良い。これを言ってくれる相手が近くに居たかどうか。ノアには居なかったし、ベルには居た。ベルには間に合ったし、ノアには間に合わなかった。……それだけの違い。

けれどそれだけの違いで、ベルは元気を取り戻してヘスティアと祭を楽しむことを決めた。もちろん心の中に今も焦りはあるけれど、それでも今直ぐにどうにか出来る問題でもないから。だから切り替える。今はヘスティアを楽しませることを優先しようと。……そして、自分も楽しもうと。色々な未知が周りにたくさんあるベルにとっては、焦りと同様に、好奇心もまた強かった。

 

 

「……そういえば、アイズさんの隣にいた女の人も綺麗だったなぁ」

 

「ベルくん!?このボクと一緒に居るのにまた他の女のことを考えているのかい!?」

 

「ち、ち、ち、違います!ち、違いませんけど……ご、ごめんなさーい!!」

 

 

 

 

 

 

「……ロキ」

 

「……ま、座りアキ。どうせ戻って来んし、一回休憩しようや」

 

フィリア祭。そのお供としての役割をアイズに強く拒絶されてしまったロキは、最終的には若干強引にはなってしまったが、その代わりをアキにお願いすることになった。

そうしてロキが望んだのは、女神フレイヤとの会談の場。とは言っても近くの茶屋で少し話す程度のこと。故にそれほど大したことではなく、いつも通りに女神フレイヤが男目当てに何かを企んでいる……話はその程度のものだと思っていた。もちろんロキの予想通りに、話の本題はそこであったのだけれど。

 

『ねえロキ?貴女のところに居る彼、まだ元気にしているのかしら?』

 

『………それがどないしたんや』

 

『ふふ、そんなに怖い顔をしないで。だって気になるじゃない?あんなに滅茶苦茶な魂の状態で辛うじて生きてる子、私だって初めて見たもの』

 

『………』

 

話の途中、思い出したかのように出されたその話題。これまで一向に手を出すどころか興味すら見せていなかったフレイヤが、突然こんな話をし始めた。ロキはそのことに酷く警戒をしたが、しかしそれに対して彼女はただ首を横に振る。

 

『本当に単純な興味よ、流石にあんなものを引き取る気は無いわ。……だからね、ロキ。これは私からの善意の忠告』

 

『……善意の忠告?』

 

『これは私の予想なのだけれど……あの子、単に魂が砕けてるだけじゃないんじゃないかしら?』

 

『なんやと?』

 

『……少なくとももう1つ、今もあの子に干渉し続けているものがある』

 

『!?』

 

『それが何かまでは見えないけれど、彼の魂は今も何かの影響を受けて軋んでいる。……早くどうにかしないと、手遅れがより酷くなるわよ?』

 

女神フレイヤが彼について言及したのは、そこまでだった。しかしそれは普段から下界の子供達の魂を見ている彼女だからこそ分かることであり、それは確かにロキにとっては有益な情報だった。……有益ではあるが、また新たな悩みの種を生む要因でもあったが。

 

「……ロキ、こんな時だけど一つ報告して良いかしら」

 

「うん?なんの話や?」

 

「ベル・クラネルの話」

 

「……!!」

 

「彼、凄まじい速度で成長してる。それこそ明らかにおかしいって言って良いくらいの速度で」

 

先程までフレイヤが座っていた場所にアキは座り、彼女もまた沈痛な面持ちでそれを話す。今日まで彼女が見てきたベル・クラネルのダンジョン内での様子。彼のその異常とも言えるような、成長速度。

 

「1日のダンジョン滞在時間と、倒してるモンスターの数に対して、次の日のステイタスの上がり幅が異常過ぎる。少し前まで初期値同然だったのに、今はもう敏捷がLv.1の中位くらいはある」

 

「……アキの見立てでええんやけど、どんくらいでLv.2になると思う?」

 

「……………ステイタスがDに届くって話なら、もう数日もすれば満たすと思う」

 

「……なるほどなぁ」

 

「ノアが脅威に思うのも、仕方ないと思う」

 

あの女神ヘスティアが卑怯な手段やルール破りをするとは思えない。つまり考えられるのは、何らかのレアスキル。そしてアキが監視している間も特に怪しい動きをしていないということは、ノアのようなものではない。単純に何らかの条件下でレベルが上がりやすくなるような、そういう便利なスキル。

 

「まあ、そこまで分かれば十分や。ありがとなアキ、監視はもうええよ」

 

「……本当に良いの?」

 

「仮にその少年が死に掛けたら、どうするん?」

 

「………」

 

「どっちにしても楽しくないやろ。事情を知っとるからこそ、あんまり近付かん方がええ。……その少年に構っとる暇があるなら、ノアのこと構ったり」

 

「……分かったわ」

 

助けてしまったらノアの未来に影が差す。しかし見捨ててしまっても心に傷が残る。ならばそもそも関わるべきではない。相手の大凡の状態が分かったのなら、そこから先の情報収集は別にロキでも出来る。わざわざそんな辛い役回りを、眷属にさせる必要はない。

 

「それにしても……ノアの魂に干渉し続けている何かなぁ」

 

「神の力のことかしら……」

 

「いや、黒幕さんがノアにそんなことする必要がない。それにフレイヤのことや、どうせノアが何かしら神の力を受け取ることも気付いとる筈や。それとは違う何かがあると考えた方がええ」

 

「……他の、何か」

 

「だとしたら、どんだけノアは色んな物に雁字搦めにされとるんやって話や。せやけどフレイヤが嘘を吐いとる様子もなかった……また調べなあかんことが増えたわ」

 

「……手のかかる後輩を持つと大変ね」

 

「ほんまにな」

 

今更、何がノアのことを蝕んでいるというのか。あれほどに傷付いているというのに、これ以上なにを傷付ける必要があるというのか。今もノアの魂を締め付けているという何か、正直ロキも予想が出来ない。黒幕の神以外にも何かしら企んでいる輩が他にも居るのか、若しくはノア自体に問題があるのか。……どちらにしても。

 

(……そろそろ、手に負えんくなるかもしれん)

 

ノアに割くことの出来る時間や労力にも限界がある。今はまだどうにでもなるが、もし都市を揺らすような何らかの問題が起きた場合、本当に手に負えなくなるかもしれない。

……果たして、ノアの魂のリミットはいつなのか?当初のロキの予想では、それこそノアが半年振りに起きた際に他の神々と予想したリミットは、かなり先の筈だった。しかし仮にフレイヤの言う通り、あの時からずっとノアの魂にダメージが入っていたというのなら……

 

(最期のことを、考えるべきなのかもしれん)

 

せめて良き最期を、迎えられるように。

 

 

 

 

 

それは3人が出店を見ながら歩いている時のこと。

 

「ま、待て!!そこの……少女?いや、少年か?」

 

「はい?」

 

「え?」

 

「…………アポロン、さま?」

 

 

「君は……君は、もしかして……」

 

「?」

 

「ア、アポロン様!突然どうなされたのですか!?……ロキ・ファミリア?」

 

「今は少し黙っていろ、ヒュアキントス」

 

「っ!?はっ、出過ぎた真似を……」

 

 

「……少年、君の主神は?」

 

「え、と……ロキ様ですが……」

 

「そ、そうですよ。この人はロキ・ファミリアの大事な団員なんですから」

 

「……引き抜きは、しないでください」

 

 

「……………………………気の、せい、なのか?」

 

「?」

 

「……………すまない、君の名を教えて貰ってもいいだろうか」

 

「の、ノアです……ノア・ユニセラフ」

 

「そう、か……」

 

「あ、あの?」

 

 

「……………」

 

「アポロン、様……?」

 

「………………………ノア。身体は大切にするといい、あまり良い状態には見えない。だが、楽しい祭を邪魔してしまったことは悪かった。それだけは謝罪しよう」

 

「い、いえ、そんなことは……」

 

「行くぞ、ヒュアキントス」

 

「よ、よろしいのですか?」

 

「ああ……それではな、ノア」

 

「え、あ、はい………その、アポロン様も、お気をつけて……?」

 

「……………ああ、ありがとう」

 

 

 

祭の最中。

そんなやり取りが、小さくあった。



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35.○○揺らぎ

神の勘というものは、基本的に当たると考えて行動するべきというのが下界における一般常識である。それは実際に当たる確率が非常に高いことに加えて、何も起きないということがほぼほぼ無いからという理由が大きい。

 

……そうでなくとも今回は、ノアは何が起きるのか知っている。

 

この世界に来てヘルメス・ファミリアに入ったばかりの頃に作ったノートの中に、その時点で覚えていた大まかな事件なんかは最低限メモしてあったから。

勿論、この世界に来た時点で忘れてしまったことは何も書かれていないし、書いてあってもノートの存在自体をいつの間にか忘れてしまっていることも多い。それ等の文章、どころかノート自体も、異様な速さの劣化を見せており、ノアは机の上に置いてあるそれを見る度に思い出し、書き直し、模写した紙をいつも持ち歩きながら、結局また何もかもを忘れる……ということを今日まで密かに繰り返していた。これは彼がこの世界に来た時から繰り返している、悪いルーティンのようなものだ。

 

「っ……アイズさん、レフィーヤさん、やっぱり今日は何処かでモンスターが脱走するということを前提に動きましょう。ロキ様の勘が当たるなら帯刀している私達が動くべきですし、当たらなかったら当たらないでいいですから」

 

「ん……そうだね、そうしよう」

 

鞄から財布を取り出そうとした拍子に転がり落ちたメモ用紙。ノアはそれを拾い上げ、思い出し、2人に伝える。自分が忘れてしまっても、他の人にそれを伝えてしまえば問題ない。未来予測を誰かに伝えても今のところは相手側にも何の問題も起きていないが、一歩間違えればこの世界に来たばかりの頃に自分が味わったあの感覚を、相手にも味合わせることになってしまうかもしれない。

故にノアは、ある程度の納得出来る理由を付けて、なるべく自然な予想という形で2人に伝えた。……それにすら意味があるかどうかは分からないけれど。

ノアがなるべく自分が未来を知っているということを他人に明かそうとしないのは、そういう心配があったからだ。……自分の存在そのものを消されてしまうようなあの感覚に、強い恐怖心を抱いてしまっているからだ。

 

(でも……やっぱり、少しずつ覚えていられなくなってる。今はこうして気付いたら思い出すことが出来るけど、多分そろそろ……)

 

思い出すことも、気付くことすら、難しくなる。それまではまだ意識の中にあった『未来を知っている』という事実そのものが、自分の中から消えようとしている。

……過去のことを思い出せなくなるのはいい、まだ許容出来る。それはノートの中に普段から可能な限り書いているから。だがその認識そのものを消されるのは流石に許容出来ない。それが消えてしまったら本当に、あの世界のことが無かったことになってしまうみたいだから。

 

(……もう、覚えてることなんて、殆ど無い癖に)

 

それでも未だに、この世界に来たばかりの頃に書いた文章を読み返すと、心が揺れる。書いた当時は自分自身混乱していて、とにかくこれから起きるであろうことを片っ端から書き殴っていたけれど、その節々にある前の世界での記憶に触れて、心だけが反応する。その時点で既に穴だらけの記憶になっていて、そのことに恐怖していた自分の動揺が見ていて痛々しくて、それを何処か他人事のように感じてきている自分にも動揺する。

…‥この前の宴会での出来事だって、改めて読み返してみればその長い長い記述の中に小さく書き留めてあったりした。きっと自分はそれを何処かで読んでいた筈なのに、最初から抜けていた記憶だと誤認していた。これは最初から無かったものではなく、後から抜けた記憶だったのだ。

 

(まだ、まだ……もう少しだけ……あと数ヶ月、このままの状態が続くだけでいいから……)

 

とにかく今の話だ。

これからガネーシャ・ファミリアのモンスターが逃げ出して、アイズ達も襲われる。相手もなんだか強力なモンスターらしく、レフィーヤが怪我を負うことになるらしい。だからきっと、ここから2人を守らなければ。2人に傷一つ付けないこと、それが自分の役割だから……

 

 

 

「ノアさん」

 

 

レフィーヤに話しかけられる。

 

 

「っ、どうしましたか?レフィーヤさん」

 

「ちょっといいですか?」

 

「え?ええ……ひぅっ!?」

 

「……顔、強張ってますよ。警戒し過ぎです」

 

突然、抱き寄せられて頭を撫でられる。

思わぬその行動に驚愕し、赤面し、停止してしまう。……けれど。

 

「大丈夫です、ノアさんが何もかも背負い込む必要はありません。私達がいます」

 

「……レフィーヤさん」

 

「むっ……私も居るから、大丈夫」

 

「アイズさん……」

 

「私が殲滅するから」

 

「………そういうところなんですけどね」

 

「そうですね、そういうところです……」

 

「………???」

 

そういうところはまだまだ直りそうにないことに、ノアはレフィーヤと顔を合わせて苦笑った。

 

 

 

『うわぁああ!!!怪物だぁぁああ!!!!』

 

 

「「「っ!」」」

 

ただ残念なことに、そんな安らかな時間は、それほど長く続いてはくれない。3人が楽しむ筈だった祭の時間は、たった1柱の女神の我儘によって、いとも容易く破壊されてしまったのだ。神の勘は当たった。そして同時に、ノアの記憶も現実と符合した。

 

 

 

 

「レフィーヤさん!こっちです!」

 

「は、はい!」

 

フィリア祭の中に突如として発生したモンスター達の大脱走。これだけの恩恵すら持たない観客が溢れている中でのモンスターの脱走というのは、それこそなりふり構っていられないほどの大事態である。

 

『ごめん、ノア。一緒に居られない……』

 

『……いえ、悪いのは私の足の遅さですから。その代わり、私の武器を持って行って下さい。頑丈さだけが売りなので、予備の武器としても十分に機能してくれると思います』

 

『……!うん、ノアだと思って大事にする』

 

『ふふ、終わったらまた会いましょう』

 

高速移動と滑空を得意とするアイズは、この広い街中でモンスターを狩るに、これ以上にないほどに必要とされる人材である。そんな彼女を自分の拘りだけで拘束するほど、ノアも落ちぶれてはいない。

普段使っている武器を整備中であり、今は借りてきた剣を帯刀している彼女。普段は使わないであろうその細い武器に不安を覚えていたのは彼女も同じだったらしく、ノアの頑丈さだけが取り柄のその剣を手渡した時、アイズは確かに安堵したような顔をしていた。それだけでこうして武器を持ってきた甲斐があったというものだろう。

 

……さて、そんな中でレフィーヤとノアも別働隊としてモンスター狩をしている訳なのだが。

 

「アルクス・レイ!!」

 

既に並行詠唱を完全に会得したレフィーヤ。しかし今日の彼女はノアに姫抱きをされながら詠唱を行っている。民家の屋根の上を走りながら騒ぎのある場所へと直行し、遠距離からレフィーヤの追尾魔法によって撃ち貫く。アイズほどの殲滅速度はないものの、これだけでかなり効率良く敵を倒すことが出来た。

……そして同時に、レフィーヤもこれ幸いと良い立ち位置を得ることが出来た。姫抱きをされるなんて、アイズでさえ(したことはあっても)まだされていない事だ。しっかりと抱かれて、しっかりとしがみつき、この状況をしっかり楽しむ。逃げ惑う人達に申し訳ないとは思いつつも、こんな時でも無ければ経験出来ない事だから。

 

「ふぅ、粗方この辺りは片付けたでしょうか」

 

「そ、そうですね。……後は、シルバーバックがダイダロス通りの方に向けて逃げていったとか」

 

「それはまた遠いところまで…………ん?シルバーバック?」

 

「どうしましたか?ノアさん」

 

「……………………………………………………………………なんでしたっけ、何かあったような」

 

「???」

 

記憶の彼方、最早それについても思い出せない。またもやそれはノアの頭の中から消えてしまっていた。ノアの頭の中にあるのは、レフィーヤを守ることと、1人になったアイズの負担をなるべく減らし、彼女が怪我をしないことを祈ることだけ。そのことだけを考えていたからこそ、それ以外のことが消えている。……そのシルバーバックと戦っているのが何者なのか、思い出せないでいる。

 

「ですが、方向的に完全に逆方向なんですよね。これならアイズさんが既に対処しているんじゃないでしょうか」

 

「確かに……それなら、どうしますか?」

 

「そうですね、エイナさんに情報共有しに行きましょう。その後はこの辺りを巡回して……」

 

 

 

ーーーーーッッ!!!!!!!

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「……なんですかね、あの変な触手みたいなモンスター」

 

「……行きましょうか」

 

「はい……」

 

そして運命は、どんどんノアとアイズを引き離していく。彼女がダイダロス通りの住民達に見守られながらシルバーバックと立ち回る少年を目を見張って見つめている間にも、ノアはレフィーヤと共に正体不明のモンスター達の元へと走っていく。

……隣には居られないからこそ、狙われるのだ。本来は立ち会うことのなかった場所に、彼女は居合わせてしまった。まるで本来得られたはずの気持ちの埋め合わせをするかのように。開いてしまった興味の差を、少しでも埋めていくように。

 

「…………強くなってる、あの子」

 

単純な強さ、成長の速さ、そして戦闘のセンス。アイズ・ヴァレンシュタインの興味を引くのに、それ以上に有効なものはない。……ノアがそれと同じことをしたように。

同じ土俵で勝負をするのであれば、ノアが彼に勝てるはずもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月10日

昨日のアポロン・ファミリアによるパーティで、アイズさんとベル・クラネルが仲睦まじくダンスを踊っていたと、他のファミリアの女神様達が話しているのを聞いた。そんなことはアイズさんからもロキ様からも当然聞いていなかった。だからそれを聞いた時、妙な孤独感を感じてしまった。……ああ、また嫌な考えをしてしまう。どうしてロキ様は止めてくれなかったんだろう、なんて。僕の恋にロキ様は関係ない。僕はロキ様に拾われた立場だ。要求されることはあっても、要求することは間違っている。それに僕の恋が上手くいかないのは、他でもない僕自身の責任だ。それを他人のせいにしてはいけない。……それでも、どうすれば良いのかは分からない。僕は彼より3年も長く努力しているのに、アイズさんとダンスなんて1度としたことがない。そもそもパーティに出席したことすらない。きっとこの身長のせいで見栄えが悪いから、連れて行って貰えないんだろう。ロキ様だってアイズさんみたいな美人さんを連れて行きたいに決まっている。……だから、僕にはベル・クラネルと同じ経験は絶対に出来ないのだと思うと、この小さな身体が本当に憎らしい。羨ましい、羨ましい、羨ましい、羨ましい、羨ましい……ああ、本当に気持ち悪いなぁ。なんでこんなことを考える人間になってしまったんだろう。あんなにも優しい神様に育てて貰ったのに、どうして。

 

4月12日

どうやらベル・クラネルがアポロン・ファミリアに決闘遊戯を挑まれたらしい。負けたらアポロン・ファミリアに引き取られてしまうということだが、どう考えたってファミリアの規模的に勝てる訳がない。街の人達もそう言っている。……そんな話に少し嬉しくなってしまった自分が嫌いだ。それにロキ様から頼まれた買い物帰りに、アイズさんとティオナさんがベル・クラネルの稽古を付けているのを見てしまった。やっぱりそうだ、こんな考えばかりしているから追い抜かれるんだ。こんなことばかり考えているから、僕はアイズさんにああして稽古を付けて貰えたこともないんだ。……彼のように純粋な気持ちで努力が出来なければ、アイズさんが僕に振り向いてくれることはない。『負けてしまえばいいのに』って、その様子を見て一瞬でも考えてしまった自分のままでは、どうやったってこの願いが叶うことはないだろう。本当の本当に救いようのないクズだ、僕は。

 

4月19日

ベル・クラネルが勝った。

 

4月26日

ベル・クラネルに追い付かれた。Lv.3になったらしい。僕が3年間毎日ダンジョンに潜って得た位置を、彼はたったの3ヶ月で手に入れた。……彼はどんどん名声を増していく。彼はアポロン・ファミリアの拠点を手に入れて、弱小ファミリアから抜け出した。アイズさんも、ティオナさんも、団長も、みんな凄い凄いと言っていた。僕の時よりも喜んでるんじゃないかって、一瞬思ってしまった。でもそんなことない、僕の時もちゃんとレフィーヤさんやアキさんに褒めて貰ったから。……ああ、嫉妬ばかりが募る自分が嫌いだ。アイズさんが見たこともない顔で彼のランクアップの報を見ていた。それを見て凄く嫌な気持ちになった。彼女にまでそんな気持ちを持ってしまった自分が嫌いだ。

……結局、自分の努力不足が原因だと分かっている。僕はミノタウロスに1人で挑んだりしていないし、Lv.2の段階で18階層に行ったり、戦争遊戯に参加したこともない。いつも死なないように安全を取りながら、その微温湯で時間をかけて足掻いているだけ。僕のランクアップの偉業なんて、決して都市で噂になるほどのものではない。僕の唯一残した記録だって、今回の件で彼に塗り潰された。僕の努力の証はもう何処にも残っていない。……ああ、もう嫌だ。彼のことを考える度に、自分の心が真っ黒に染まっていくのが分かる。どんどん自分のことが憎く感じてくる。もう何も考えたくない。彼のことなんて何も聞きたくない。こんな風に嫌なことばかり考えたくないのに、どうして僕は。

 

4月27日

ダイダロス通りというところの調査に行くらしい。闇派閥の関係だとフィンさんは言っていた。もちろん僕も2軍の末端団員として同行する。……この調査が終わったら、この日記も捨てようかなと考えている。日記に書き殴っていれば心がスッキリするからと続けていたが、改めて読み返してみると本当に酷いことしか書いていない。自分で自分が怖くなってしまった。こんなものをアイズさんには読まれたくない。僕が胸の奥でこんなことを思っていたなんて、アイズさんにだけは絶対に知られたくない。こんな日記に逃げていたら駄目なんだ。僕自身の感情なんだから、僕自身で処理しないと。……そうだ、いつまでもこんな汚れたままの自分じゃ駄目だ。もっと、もっと、もっともっと努力しないと。足りない物だらけの、才能なんて微塵もない僕には、努力くらいでしか自分を主張なんて出来ないんだから。いつかアイズさんに認めて貰えるように。いつかみんなに頼って貰えるように。色んな人にすごいねって言って貰えるように。僕も早く、ロキ様が自慢出来るようなファミリアの一員にならないと。……僕もベル・クラネルみたいに格上の冒険者に勝てたりしたら、アイズさんに褒めて貰えるかな。

 

 

 

 

 

続きはない。

 

 

アイズはゆっくりと、その日記を閉じた。



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36.壊○○後悔

タイトルで察して下さい。


フィリア祭は最終的に中止となってしまった。それは仕方がない、あんな状況の中で祭など続けられる筈もないから。それに……

 

「だ、大丈夫ですかノアさん……?」

 

「え?あ、あはは。服が破れてしまっただけですよ、怪我はありません」

 

「……ごめんなさい、私が油断していたから」

 

「いえ、魔力に反応するなんて誰も予想出来ませんよ。私が間に合ったのも偶然ですし。むしろ最後はレフィーヤさんの独壇場でしたから」

 

「そ、そんなことは……」

 

最後に出現した4体の蔓状のモンスター。その異様な硬度はノアの攻撃にも耐えるほどであったが、レフィーヤの魔法には滅法弱かった。他に戦闘の出来る者が居なかったために2人で対処するしかなかったが、基本的には全ての攻撃をノアが受け、その隙にレフィーヤが魔法で迎撃するという形で殲滅することが出来たのである。

……とは言え、流石に全てを防げる筈もなく。最終的にはノアはレフィーヤを抱えて背中で攻撃を受けるという強引なことまでする羽目になってしまったのだが。それでも大したダメージにはなっていない。ノアには足りない攻撃力を、レフィーヤが補ってくれる。むしろ彼としては普段よりかなり戦い易かったくらいだろう。

 

「それにしても、この魔石……」

 

「……変な色をしていますね」

 

「50階層で遭遇したあの芋虫型のモンスター、彼等もこれと同じ色の魔石を持っていました」

 

「!!」

 

「何かしらの関係性はあるのでしょうが、少なくともガネーシャ・ファミリアとは関係なさそうですね。これは団長に報告することにしましょう」

 

「そ、そうですね。……………それより」

 

「?」

 

この日のために用意して来た彼の衣服はズタズタになってしまって、妙に色っぽい様になっている。……というかそれ以前に、レフィーヤはなるべく彼に寒い思いをさせたくない。前より症状は良くなっているとは言え、そこは譲れない。故にレフィーヤは以前のデートで彼がしてくれたように、今度は逆に自分の上着を彼に掛ける。

周りの視線にも晒したくない。

そんな少しの独占欲も、少しはあったりして。

 

「……ありがとうございます、レフィーヤさん」

 

「い、いえ……その、守ってくれて嬉しかったです」

 

「……ふふ、ちゃんと守りますよ。傷ひとつ付けませんから」

 

そうこうしているうちに、ギルド職員達による現場検証が始まる。大抵の対応はレフィーヤが積極的にしてくれたとは言え、しかしそれほど説明が出来ることもない。見ていたものが全てであり、単に見ているだけならば、別に自分達以外にも野次馬はいくらでも居たから。

 

「…………」

 

そんなことよりノアが気にしているのは、未だにアイズが帰って来ないこと。

 

実際、敵の巨体やレフィーヤの魔法もあって、それなりに派手に戦っていたつもりだ。こうしている間にも少しずつ野次馬は未だに寄って来ているし、今更ながらも別で祭を楽しんでいたティオネとティオナの姉妹も飛んで来た。まさかあのアイズが気付かないとは思えない。

……何かトラブルに巻き込まれたのか、想定外の敵でも現れたのか。であるならば、こうしている暇もないだろう。彼女が今何処にいるのかは分からないけれど、探しに行かないより行った方が良いに決まっていて。

 

「ノア……!!」

 

「っ、アイズさん!!」

 

しかしそんな心配は、焦った様子で空中を高速で滑空して来た彼女を見た瞬間に吹き飛ぶ。見たところ特にダメージを受けているということはなく、精々が彼女の借りていた剣が何だか遠目から見ても欠けていたりヒビ割れたりしているだけ。どうやら自分の貸した剣は使って貰えたらしい。やはり剣を貸したのは間違いではなかったと、ノアはその様子を見てホッと胸を撫で下ろした。

 

「ノ、ノア……大丈夫……?」

 

「え?あ……だ、大丈夫ですよ。ちょっと変なモンスターが現れたんですけど、それほど攻撃力の強い相手ではなかったので」

 

「…………ごめん。私、また……」

 

「ほ、ほら、ほんとに大丈夫ですから。それにアイズさんが無事で本当に良かったです。少し時間が掛かっているようでしたから、変なトラブルに巻き込まれているんじゃないかと心配で」

 

「っ…………ほんとに、ごめん……」

 

……言えない、言うことが出来ない。

まさか彼がこんなことに巻き込まれている間に、自分は他の男の人の戦いに目を奪われていただなんて。そんなことは絶対に言えない。しかもこんな風に心配までさせてしまって、彼から武器すら奪ったのに役割すら果たさずに傍観していて。

 

「っ」

 

今もこうして自分を見て心から安堵してくれている彼の目を、まともに見ることが出来ない。今日は彼のことを知るために一緒に出掛けたのに、そんな彼のことを忘れて他の男のことを知ろうとした自分が、まるで不貞を働いたように思えて。凄まじい罪悪感を抱いてしまう。

 

「アイズさん……?」

 

「…………私、まだ反省してないんだ」

 

「え……?」

 

あれだけ反省したと思ったのに、まだしたりなかったのかと自分自身に失望する。本当に自分は誰でもいいのではないかと、一途に想ってくれる彼と、そんな彼を一途に慕うレフィーヤを見て、虚しくなる。

どうして自分はあの少年に気を取られてしまうのだろう。背後に過去の自分の姿が見えるから?彼が結果を出せば、それが自分の成功のように思えるから?……そうだとすれば、自分はあの少年のことすら見ていないのだろう。本当に、本当に自分のことしか見ていないことになってしまう。

 

「アイズさん」

 

「っ」

 

「私のこと、見ようとしてくれて嬉しいです」

 

「………!!」

 

「そんなに、難しく考えないでください。……私は、アイズさんが私のことを考えてくれているだけで嬉しいんです。そうやって真剣に向き合ってくれることが、何より嬉しい」

 

「………ノア」

 

「少しずつで良いんです。……少しずつでいいので。いきなり変わることなんて、そんなの出来っこないんですから」

 

こんな時でも、彼は優しい。

彼は自分が危険に巻き込まれる可能性をずっと考えていてくれたのに、自分は彼が危険に巻き込まれる可能性なんて少しも考えていなかったのに。それでも彼は、それでいいんだと言ってくれる。少しずつ変わっているから、それでいいのだと。……良いはずないのに。

 

「さ、帰りましょう?このままお店に夕食を食べに行ってもいいんですけど、流石にこんな格好でアイズさん達の横を歩く訳にもいきませんので」

 

「……ごめん、お気に入りの服まで」

 

「それこそアイズさんのせいじゃありませんよ。そんなに落ち込まないで。ほら、行きましょう?」

 

差し伸べてくれた、彼の手を取る。

……また、甘えてしまう。

彼のこの優しさに。自分はまた甘えてしまう。彼のことを知ろうと、見ようとしても、手を差し伸べてくれる彼の笑みを見ても、自分の中の罪悪感が働いてしまって。こんな最低な自分のことを彼が本当はどう思っているのか、それが分からなくて、それが堪らなく恐ろしい。

彼はどこまで自分のことが分かっているのだろう。彼とレフィーヤが戦っている間に自分が何をしていたのか、もしかしたら想像出来ていたりしていないだろうか。自分が何に対して落ち込んでいるのか、そこまで見抜かれてしまっていたりしないだろうか。……少し前までは想像すら出来ていなかったこの心配が、今はどうしようもなく怖く感じる。

 

「アイズさん……!良かった、無事だったんですね」

 

「っ」

 

そんな2人の、主にアイズの姿を見たからだろうか。割って入って来てくれたのはレフィーヤ。彼女はそれまで話していたティオネとティオナも連れて駆け寄って来た。

……しかしアイズは彼女のことも分からない。彼の武器を奪っておいて、結局最後までそれをまともに使うことのなかった自分に何を思っているのだろうと。怒っているのか、心配してくれているのか。自分にやましいことがあるからこそ、分からなくなる。

「アイズにしては時間掛かったわね、まあ何もしてない私たちが言えたことじゃないんだけど」

 

「気付いた時には全部終わってたもんね〜」

 

「レフィーヤ……ティオネ、ティオナ……」

 

「それにしても……レフィーヤも随分と活躍するようになったわよね。遠くからしか見えなかったけど、あの変なモンスター倒したんでしょ?4体も」

 

「へ?あ、あはは……ノアさんが守ってくれたおかげです♪」

 

「いえ、むしろ助けられたのは私の方ですよ。私では攻撃力が足りなかったので」

 

「ふ〜ん?やっぱりアンタのおかげなのかしら?」

 

「な、何がですか……?」

 

「こんな可愛い顔しておいて、罪作りよねぇ」

 

 

「……………………罪、作り」

 

 

「あー!あー!!そ、そんなことよりノアさん!!新しい服でも見に行きましょう!!破れてしまったのは残念ですけど!きっと私が似合う物を探して見せますから!!」

 

「は、はい……え、今からですか?」

 

「今からです!!……えと、ティオネさんもティオナさんもまた後で!アイズさんはどうしますか!?」

 

「え、あ………う、うん。行く」

 

「それじゃあ行きましょう!さあ行きましょう!直ぐに行きましょう!時間は有限ですよ!!」

 

「あわわ……」

 

罪作りという言葉に彼が変な反応を見せた瞬間に、レフィーヤは強引にノアを連れ出した。そしてアイズはそんなレフィーヤを素直に尊敬する。自分もそんな風に彼のことを気遣えるようになりたいと、思い付くどころか彼がどうして一瞬曇った表情をしたのかも思い至らなかった癖に思ってしまう。

……足りない、何もかもが足りない。

英雄になってくれる人を探す以前に、自分がその人の隣に立てるに相応しい人間になれていない。だってこんな風に本当に現れてくれるなんて、思ってもいなかったから。自分は1人で生き続けるのだと、強さだけを求めていればいいと、そう思っていたから。英雄が現れなかった自分は、自分で剣を持って戦わないといけないと思って来たから。

 

……だから、どうか許して欲しい。

何も返せないのに。拒絶することも受け入れることもしていないのに。ただ苦しませてしまっているだけの、最低な自分を。

 

……でも、そんなに時間をかけるつもりはないから。

せめて、せめてあと1年もくれれば。ちゃんと隣に立つに相応しい人間に、なれるような努力をしてみせるから。だからもう少しだけ、もう少しだけ。

 

待っていて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今でもずっと後悔している。

何もかもを。

 

何より後悔しているのは、任されたことを果たせなかったこと。任されたのに、守れなかったこと。結局は他人の子供だと、何処かでそう思っていたのではないかと、今でも過去の自分を疑ってしまうこと。そんなことしか出来なかったこと。その一歩を踏み出して、あの子の背中を押せなかったこと。

 

……彼の主神とは、彼がロキ・ファミリアに入ってからも個人的に会っていた。

"彼女"が天界に帰ることになったのは。その前に知人に会うためにオラリオを出て行くことになったのは、彼が移籍をしてから1年ほど後のこと。その1年の間で私達は、同じように子を育てて来たこともあって、それなりに良好な関係を築けていたように思う。

だからこそ彼女は最後に『あの子のことをお願い』と私に託してくれたのだと思うし、私とて彼が彼女にどれほど大切に育てられて来たか知っていたからこそ、その責任を強く自覚した。

 

……自覚していた、筈だった。

 

思い返す。

 

彼女は天界から、その小さな子供を見捨てることが出来ず、ただその1人を救うためだけに下界に降りて来たのだという。

最初は命を救うだけ、助けたら直ぐに他の人間か神に引き渡そうと考えていたとか。けれど実際に目の前にしてしまえば、なんだか手放すことが出来なくなってしまって、結局ズルズルとこうして育てて来てしまったと。困ったように、けれど何処か嬉しそうに語っていた。

 

自分は善神ではないから、あまり悪い影響は与えたくないと。自分には似て欲しくないから、早く良い人達の元へ行って欲しいと。彼女は常々そう言っていたけれど、少なくとも私は彼女を善神だと思っていた。自身の悪性を恥じて、それを愛した子供に写したくないというその親心は、明らかに善性のそれだと思った。

 

『昔ね、悪いことをしたの。だから私は早く天界に戻って、その罰の続きを受けないといけない。まだ許して貰っていないから。……そういう意味では罰って言い方も違うのかしら、今のままだと単なる自己満足ね』

 

今思えば、彼はその時点でもう手遅れなくらいにバッチリ彼女の影響を受けてしまっていたように感じる。少なくとも彼の異様に自罰的なところは、間違いなく親である彼女によく似た部分だろう。

他にも、ふとした時の表情や仕草、その何処となく寂しげな笑顔にすらも彼女の面影を見ることが出来る。それもそうだろう、あの子は彼女のことを母親として心から慕い愛していたのだから。それこそ彼女がオラリオを出る時に、最後まで泣きながら別れを惜しんでいたくらいに。最終的には彼女まで泣いてしまって、そんなことなら天界になど帰らなくてもいいだろうにと皆が説得したが、それでも彼女は自分への罰のためにも帰るのだと言って聞かなかった。

……そういう頑固なところも、よく似ている。

 

 

怒っているだろうか。

 

憎んでいるだろうか。

 

……いや、きっと自分自身を責めているだろう。

 

自分の都合を優先し、最後まで彼の側に居られなかった自分を。彼女はそういう女神だった。怒るには怒る、けれど内心では自分のことを誰よりも卑下して責めている。そうして他人に怒っていることすら、自分を責め立てる材料にする。そういう女神だった。

だからきっと、もし次に彼女に会うことがあったとしても、彼女は恐らく何も言わない。むしろ謝りさえしてくるかもしれない。怒ってくれたのなら、逆に救われるくらいだ。

 

 

…………本当に、何をしていたんだ、私は。

 

結局は他人の子だと、そう思っていたとしか思えない。

 

何故もっと寄り添ってやらなかった。

何故もっと話を聞いてやらなかった。

クノッソスに入れるべきではなかった。

常に側に置いておくべきだった。

 

託された子だぞ

幼い子だ

生きるべき子だ

これからの子だった

 

……謝りたくとも、謝る相手が何処にも居ない。

彼女があれほど愛した子を、彼女があれほどに涙を流したほどに大切に育てた子を、あんなにも無残な姿にしてしまった。

 

私がアイズを殺されたらどう思う?

アイズがあんな無惨な姿で帰って来たらどう思う?

それを想像する度に、自分のしてしまった取り返しの付かない間違いを自覚させられてしまう。一度も幸福と思わせてやれなかったことを、本当に愚かしく思う。

 

……ああ、そうだとも。

彼以外にももちろん、団員は他にも死んだ。

死んだのは決して彼だけではない。

けれどだからと言って、彼だけは自分にとっての立場が違う。そこに言い訳できる余地はない。託された自分だけは、幹部という立場を別にしても、彼のことだけは特別扱いすべきだったから。彼女が託したのは彼のことだけでなく、彼の母親としての役割もそうだったにちがいないのだから。心から頼れる相手が居なくなってしまった彼に、代わりとなって寄り添える立ち位置を自分は求められていたに違いないのに。

 

『あの子にね、幸せになって欲しいの。私と同じ間違いはして欲しくない』

 

出来なかった。

 

『私は何もかも間違えてしまって、何も成せなかったけど。母親としての幸せをくれたあの子にだけは、成功して欲しいの』

 

その想いすら無にしてしまった。

 

『お願い、リヴェリアちゃん。そんなに手の掛からない子だけど、しっかり見ていてあげて。自分の気持ちを抑えつけちゃうから、そんな時に話を聞いてあげて欲しいの』

 

 

……そんな願いすらも、自分は何処まで。

 

 

『幸せになって、ノア。……大丈夫、今日まであんなに苦労して来たんだもの。貴方はこれから、これから絶対に、幸せになれる』

 

 

……すまない。

 

 

『天界に戻っても、ずっと見てるから。……ずっとずっと、待ってるからね』

 

 

違う。

 

貴女は残るべきだったんだ。

私なんかを、信用すべきではなかった。

軽々しく、受け入れるべきでなかった。

 

……この罪は拭えない。

たとえどれほど命を救っても、どれほど世界を救っても。取り返しのつかないこの罪は、これから一生私の心に残り続ける。

 

貴女は後悔しているか?

そうだろうとも、後悔しているだろう。

お願いだ、後悔していてくれ。

間違いだったと認めてくれ。

そして2度と私に預けないでくれ。

同じ間違いを繰り返さないでくれ。

私を信用しないでくれ。

合わせる顔もない。

会うくらいなら死んでやる。

もっと酷い罰でも受ける。

無かったことにしてくれ。

戻せるならあの時に戻してくれ。

もうだめなんだ、頭がまとまらないんだ。

思考がまとまらないんだ。

毎日夢に見るんだ、貴女達の涙を。

それを何とも言えない顔で見る薄情な自分を。

だから何度も止めるんだ。

何度も叫ぶんだ。

行くな、と。

私なんかを信じるな、と。

どうして聞いてくれない。

どうして行ってしまう。

どうして信じてくれたんだ。

 

あぁ、憎い。

 

憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……!!呑気に彼女に手を振っている自分が憎い!優しい顔をして彼を慰める自分が憎い!!軽々しく引き受けた自分が憎い!!死ね、消えろ、恥を知れ!全てお前のせいだ!お前が殺したんだ!お前が彼から全てを奪ったんだ!!お前が、お前が!お前が!!!

 

 

 

鏡が見れなくなった。

 

夜眠るのが怖くなった。

 

夢を口にすることがなくなった。

 

素直に笑みを浮かべられなくなった。

 

けれどまだ足りない。

 

まだ物足りない。

 

………もっともっと、もっと私に、後悔させて欲しい。

 

魂に刻み込むような、深い傷跡を。

 

心を握り潰すような、深い絶望を。

 

刻み込んで、切り刻んで、彼よりも酷く、深く、引き裂いて欲しい。



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37.○○の足音

「ごほっ、こほっ……」

 

フィリア祭が終わった次の日、ある程度改善した身体を慣らすために、ノアはファミリアの中庭で身体を動かしていた。フィリア祭で襲われたあの時、ノアはここ数日で自分の動きがかなり悪くなっていることを理解した。これは不味いと、流石に焦ってしまった訳である。

元々才能なんてないので今更剣を振ったところで大して上手くはならないかもしれないが、しかしこうして身体のキレを戻すためには素振りというものは丁度いい。……そもそも、素振り自体も果たして何年振りにしていることか。こんなことしている暇があるならダンジョンへ、を繰り返していた身としては、自分の素振りがそもそもうまく出来ているのかどうかも分からない。

 

「お疲れ様です。ノアさん、アイズさん」

 

「ありがとうございます、レフィーヤさん」

 

「うん……やっぱり、鈍ってるのかな。あんまり調子良くないね」

 

「そう、ですね……たった数日動かないだけでここまでとなると、正直少し落ち込みます」

 

身体の慣らしに付き合ってくれたアイズの指摘を受けて、改めて落ち込む。彼女は一枚の落ちる葉を一瞬で粉々に切り刻むような見事な剣技を見せてくれるが、しかし自分はそんな器用なことは出来ない。どころか今では真っ二つに斬ることすらも精一杯で、明らかにキレが落ちている。これは不味い。

 

「……ふぅ」

 

レフィーヤに貰った水に口を付け、息を吐く。やはりそろそろ一度ダンジョンに潜りたい。可能ならば以前のように長い期間を使ってステイタスも伸ばしたいが、今はそれより重要なことがある。しかし次の遠征はもう少し先になるだろうし、かと言ってこのまま弱くなっていくだけの姿勢をアイズに見せ続けるにもいかない。本当にこの体調が恨めしいと思ってしまう。自分がもう少し管理出来ていれば、もっと上手いこと出来ていただろうに。

 

「精が出るな、お前達」

 

「!リヴェリアさん」

 

「リヴェリア様」

 

そんなことをノアが考えていると、声をかけに来たのはリヴェリアだった。もしかしたら彼女としてもアイズの変化を嬉しく思っているのか、なんだか少し上機嫌そうな様子で3人を見つめてやって来る。

 

「どうしたの……?また何か起きた?」

 

「いや、少し提案にな」

 

「提案?」

 

「アイズ、お前はゴブニュ・ファミリアに借りた剣を壊したらしいな」

 

「うっ」

 

「ノア、お前はどうやら身体が鈍っているらしい」

 

「はい……」

 

「レフィーヤ、お前も並行詠唱の練習をしたいだろう。私にも見てもらいたくないか?」

 

「そ、その通りです」

 

「まあ、つまりだな。皆でダンジョンに行かないか?という提案だ」

 

「「「!!」」」

 

それはその場の誰にとっても願ってもない提案だった。

別にこの3人でダンジョンに潜っても良いが、リヴェリアと一緒であれば階層も深い場所まで行けるし、それこそ数日をまたいで潜っても問題ない。心配をかけない。何より安全性が保証される。リヴェリアがついて来てくれるというだけで、3人の願いが一挙に叶う。

 

「まあ、最初の提案はティオナとティオネだったのだがな。フィンも久々に着いてくるそうだ」

 

「団長も……!」

 

「それで、どうだ?行くか?」

 

「「「行きます(行く)!」」」

 

断る理由など何処にもなかった。

 

 

 

 

「ふっ!」

 

『プギッ!?』

 

ゴッ、と襲い掛かってきたミノタウロスの身体を叩き切る。冒険者になったばかりの頃が嘘のように、簡単に倒せるようになった強敵。それでもやはりアイズのような綺麗な斬り口を作ることは出来ないが、しかしいい加減にミノタウロスとの戦闘は手慣れたもの。もう何百回も殺し合った仲だ、ノアには初動を見ただけで次の行動が手に取るように分かる。

 

「えっと、こんな感じでどうですか?」

 

「いいと思うよ、なんだ習えば出来るじゃないか。誰かに教えを受けたりはしなかったのかい?」

 

「そうですね、ここ数年はありませんでした。ずっと一人で潜っていたので」

 

「……なるほど。我流もそこまで来るといっそ清々しいかな」

 

「正直、対人戦闘で誰かに勝てる気はしないですね。モンスター相手ならそこそこ融通は効くんですけど」

 

ダンジョンを潜るその最中、良い機会だからとノアはフィンに剣の使い方を教えて貰っていた。

前回の人生ではまだしも、今回の生ではノアは誰かに戦い方を教わったことなど一度もない。もちろん基礎にあるのは前回教わったものであるが、しかし既に単純な戦闘数だけで言えば前回の時の何倍もこなしている。不死のスキルもあり、ノアの戦闘技術というのは、如何に耐えて耐えて待ち続け、最終的にどんな手段でも敵を殺せればいいというところに尽きてしまう。剣の才能が無いのはともかく、しかしほとんど全てが子供の我流になっているのも、ノアの剣技が拙い理由の1つである。こうして年長者に教わる機会さえあれば、少しとは言えマシになるのだ。マシには。

 

「アルクス・レイ!!」

 

「っ」

 

そうしてノアが剣技を教わっている横で、レフィーヤはリヴェリアに並行詠唱を見て貰っている。ノアとは違い殆ど完全と言って良いほどに身に付いているそれは、リヴェリアから見ても指摘するところは少ししかない。これならばむしろ、並行詠唱の応用についても教えてもいいかもしれない。それくらいにレフィーヤは成長していたし、精神的にも強くなっていた。リヴェリアも自分の後釜として本格的に先が見えて来たように感じて、なんだか嬉しくなる。

 

「ほんと、急に頼もしくなっちゃって」

 

「確かに、レフィーヤなんだかカッコよくなったよね〜。並行詠唱もいつの間に覚えたんだろ?」

 

「……レフィーヤは、凄いから」

 

「……なんだかアイズも、ちょっと変わったかしら?」

 

「?」

 

「ちょっと自信が付いたっていうか、自主性が付いたっていうか」

 

「じしゅ……?」

 

「自分の考えが強くなったってことよ」

 

「………!」

 

「良い傾向なんじゃない?レフィーヤもだけど、ちょっと寂しいくらい。……なんだかみんな、いつの間にか大人になっちゃって」

 

「………うん」

 

そう見えているのなら嬉しいくらいだと。リヴェリアに何かを教わりながら歩いているレフィーヤを見て、アイズは思う。

レフィーヤのすごさは、アイズだって良く分かっている。誰かを支えるということの難しさを知って、それを十分に成している彼女のことを、アイズは憧れてさえいる。少なくとも彼女くらいにならないと、英雄になってくれる彼の横に立つ資格はないと。その目安にさえしているくらいだ。いつかは超えたいと思っているが、その壁の高さはアイズが知れば知るほど高くなる。

 

「……やっぱりさ、ノアの影響なの?」

 

「っ!?っ!?」

 

「いや、それくらい誰でも分かるでしょ。あんた達がノアの影響受けてるなんてバリバリ分かることだっての」

 

「そ、そうかな……」

 

「アイズもノアのこと好きなの?」

 

「ぶふっ」

 

「アイズが吹き出した!?」

 

「めちゃくちゃ意識してんじゃない!」

 

いや、だって……正にそれに悩んでいるところだから。

その話題はいけない、今のアイズにとてもよく効く。影響を受けていることは否定しないけれど。出来ないけれど。彼のおかげで自分も色々考えるようになったから、そこも特に何かを言うこともないのだけど。

 

「どうされましたか、アイズさん」

 

「っ!?!?な、なんでもない……!ノ、ノアはもういいの!?」

 

「ええ、もうすぐ17階層ですから。指導はここまでということで」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「あー!ねえねえノア!!アイズのことなんだけどさ〜!!」

 

「〜〜〜〜〜!!!!!!!!」

 

「うわわわわわ!!!?」

 

「あ、アイズさ〜ん!?」

 

アイズはティオナを担いで走り去っていく。

アイズにだって知られたくないことはあるし、なぜそれを知られたくないかの理由は上手く説明出来なくても、それを恥ずかしいと思えるくらいの可愛げが身に付いても来ているのだ。

……それをもっと上手く使って相手にアピールするとか、そこまでは流石に出来はしないけれど。それはちゃんと彼のことが好きになれてから。少しずつ、少しずつ。

 

 

 

 

さて、話は変わるが、意外な繋がりというのは何処にでもあるものである。しかしその理由をよくよく聞いてみれば、まあそうなるだろうと理解出来てしまうこともあるのだから面白い。

例えばそれは、この18階層のリヴィラの街において。

 

「ん?……おお!"迷異姫"じゃねぇか!なんだなんだ!お前もここに来てたのか!!」

 

「ええ、こんなお忙しい時に申し訳ありません。ボールスさん」

 

「まあ構わねぇよ、手伝ってくれんならな。面倒臭ぇのには違わねぇが、天下のロキ・ファミリア様に手伝って貰えるってんなら百人力だ」

 

リヴィラの街のまとめ役であるボールス・エルダー、彼はノア・ユニセラフとはそれなりに見知った仲であった。それは言うまでもなくノアが彼の店の常連どころかヘビーユーザーであり、ここ数年でアホみたいな稼ぎを彼に齎してくれたからである。

 

ヘルメス・ファミリア時代はリヴェリアとの食事の際にくらいしか地上に戻っていなかった彼は、主な生活用品は全てこのリヴィラの街で揃えていた。特に最初に何の気なしに利用したボールスの店は、身体を洗い流すために水を無料で分けてくれたという本当にそれだけの理由で好んで利用し続けていた訳である。

大量の魔石を持って半分裸のような血塗れで来店し、通常の5割増しの値段で吹っ掛けても気にすることなく交換していく。しかもその頻度も相当なもので、ボールスは荷物を載せての地上との往復という重労働を、普段の何倍もすることにはなった。……だがしかしその一方で、その程度の労力では本来得ることの出来ない途方もない稼ぎを得られ、彼の懐は大いに潤ったのだ。

 

そうこうしていると彼のランクアップの報告を何度も受けて、まあそりゃそうだろうなと納得しながら。しかし変わらず利益を齎してくれる彼は、正に金の成る木。ロキ・ファミリアに移ったあたりからダンジョンに潜る頻度がめっきり減ったようではあったが、しかしそれはボールスも予想していたことだった。商売の関係が薄くなったとは言え、莫大な利益を齎してくれた相手。特に最近はLv.6にもなったというのだから、仲良くしておいて損はない。

 

「それにしても……っ、やっぱり人の死体というのは何度見ても慣れないというか」

 

「そんなに見たことがあるんですか……?」

 

「ダンジョンにずっと潜っていた時に、何度か持ち帰ったことがあります。身元不明の腕とか、モンスターが咥えてたりしますから。……最初の頃はすごくショックだったんですけど、中層辺りを彷徨いていると割とよくあって」

 

「ああ、そんなこともあったな。何度か死体袋も用意してやったか。死体の処理を要求された時は、遂にやりやがったか……と思ったもんだが」

 

「そんなことは一度もしたことありませんからね……?」

 

「冗談だよ、分かってらぁ」

 

そんな冗談を交わしつつ、ボールスは手下達に持って来させた開錠薬(ステイタス・シーフ)を目の前の男性の死体に使うように指示を出す。

 

……簡単に状況説明をするのであれば。宿を取るために訪れた18階層リヴィラの街にて、珍しく街中で殺人事件が起きたという話を聞いたロキ・ファミリア一向。いつものように首を突っ込み、最終的に殺人現場であるヴィリーの宿屋にまで来てしまったという訳である。

倒れているのは屈強な男性。頭部が完全に破壊されており、部屋の中にも暴れたような痕跡は一切ない。単なる殺人とは思えない、不思議な光景だ。

 

「……………」

 

「ノア?どうかしたの……?」

 

「え?あ、いえ……何かをこう、忘れているような気がして」

 

「?……大丈夫?」

 

「最近、定期的にこういう感覚があるんですけど……まあ特に今のところは何もないので、大丈夫だとは思います」

 

「……困ったら相談してね」

 

「ええ、ありがとうございます」

 

そんなことを話しているうちに、事態はより深刻な方へと進んでいく。

殺された男性がガネーシャ・ファミリアのLv.4であるハシャーナ・ドルリアであることが判明したり、それ故にロキ・ファミリアの女性陣が疑われてしまったり、そうして自分の身体を値踏みされたティオネが激怒してボールズ達が震え上がったりと。まあ後半はともかく、Lv.4を一方的に殺すことが出来る存在というのは、素直にリヴィラの街に住む者達を真っ青にするくらいの相手である。この小さな街にそんな恐ろしい存在が未だに潜んでいるというのが、フィンの予想で。そんなことを聞かされてしまえば、もう安易に夜に眠ることも出来やしない。

 

「ノア、君はどう思う?」

 

「え?」

 

そうして事件解決のためにボールスが街の人間を集めるために奔走している間に、フィンはそれとなくノアに話を振ってみた。

それは以前の際に彼がここに来ていたかどうかは分からなくとも、少なからず関連した情報を持っていると思ったからだ。もしかすればその犯人すらも、彼は知っているかもしれないと。だって彼は未来を知っている筈なのだから。もしものことを考えると一つでも情報は欲しい。

 

……しかし。

 

「えっと?そう、ですね……う、ううん?その、私もフィンさんの推察に特に穴はないんじゃないかなぁと思うんですけど……」

 

「……?」

 

「わ、私もそこまで頭がいい方ではありませんので。あまり期待されても困ってしまうと言いますか……」

 

「……この事件の犯人に心当たりとかは、流石にないのかな」

 

「ま、まさかそんな。ありませんよ。……もしかして、わたし疑われていますか?わ、わたし本当に何も知りませんよ!?」

 

「………………………いや、疑ってはいないよ。ダンジョンに長く潜っていた君なら、素性を隠した実力者を知らないかと思ってね」

 

「な、なるほど……ごめんなさい、本当に心当たりはないんです」

 

フィンがいくつも予想していた彼の反応のどれにも、その反応は当て嵌まらない。それがもし本当に明かせないことである場合、しかしそういった際の反応もフィンは予測していた。しかしそれとも違っている。だからフィンも酷く困惑しているし、誤魔化しに走った。

なぜなら、強いていうならばそれは……本当に何も知らないという時の反応。どころか何の予想も、何の情報すら無いとでもいうような、そんな反応。

 

「ノア……」

 

「はい?」

 

「もし僕がその気になれば未来すら見通せると言ったら、君は笑うかな」

 

「???……いえ、笑いはしませんけど」

 

ああ、確定した。

 

フィンは目を閉じて、理解した。

 

理由などどうでもいい。

 

過程などどうでもいい。

 

それでも確かなのは。

 

彼はもうそもそも、未来に関する知識がない。

 

自分が未来を知っていることすら。知っていたこそすらも、認識していない。認識することが、出来なくなっている。

 

(あぁ……ロキ、リヴェリア。この件は2人に任せていたけれど、もしかしたら君達が思っている以上に状況は悪くなっているのかもしれない)

 

皮肉にも。その変化に最初に気が付いたのは彼の隣に居た誰でもなく、偶然にそれを見つけてしまったフィンであった。



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38.○の英雄

「こほっ、ごほっ……」

 

「ん〜?どうしたのノア?風邪でも引いた?」

 

「いえ、最近少し喉の調子が悪くて……そういえばティオナさん、アイズさんとレフィーヤさんは何処に?お手洗いに行っている間に姿が見えなくなっていたのですが」

 

「そういえば……あれ、何処に行ったんだろ。さっきまで2人ともここに居たんだけど……」

 

「……………」

 

街中の冒険者を集めて、さあこれから1人1人を調査していくぞ……となった正にその時。お手洗いから戻ってきたノアは、ティオナからそんな話を聞いて眉を顰める。

 

(お二人もお手洗いに……と考えるのは、少しばかり軽率ですかね)

 

であるならば、怪しい人物を見掛けて2人で追いかけて行った……という方がよっぽど納得出来る。それとも追って行ったアイズに、レフィーヤも心配で着いて行ったとか。少なくとも何も理由が無くフラフラと何処かへ行く2人ではない。

そしてもしそうだとしたら、自分がここに居るのは違うだろう。正直それほど誰かを探したり、探し物をする能力は持っていないが。しかしやりようだけならいくらでもある。

 

「ティオナさん、私はお二人を探しに行きます。大丈夫だとは思いますけど、もしものことがありますから」

 

「ん〜、わかった。ここは任せて、2人のことお願いね」

 

「はい、行ってきます」

 

ティオナとて、3人のなんだかちょっと複雑な事情は、理解は出来なくとも知っている。本当ならば自分も探しに行きたいが、しかし流石にここは彼女も空気を読んだ。そしてそんな彼女に、ノアも素直に感謝をしてその場を離れた。

……正直、全く居場所に心当たりはない。しかしレフィーヤの足を考えるとそれほど離れた場所には行っていない筈で、単純に街中か街から離れた場所にあるとされる資材置き場辺りが怪しいだろう。そして危険性を考えれば、先に見に行くべきは資材置き場の方。街中であれば何か起きても他の団員が駆け付けられるが、街から離れた場所ならそうはいかない。

 

「……単にお手洗いに行っているだけなら、それでいいですからね」

 

その方が何事もなくて嬉しいのだけど。

何事も最悪を想定して動くべきだ。

その人を守りたいと思うのなら、当然に。

 

 

……そして、ノアのその判断は決して間違っていなかった。

むしろ彼にしては珍しく、自分にとって都合よく運命が働いたとでも言うべきか。偶然が重なって、その場に居合わせることが出来たと言うか。まあどちらにしても、心配症な彼の性格は久しぶりに成果を上げることが出来たという訳だ。

 

そんな心配症も、臆病も、その光景を見た瞬間に一面怒気に塗りつぶされてしまったが。

 

「こんにちは、いい夜ですね。……と、ダンジョンの中で言うのは少しおかしいでしょうか」

 

「げほっ、ごほっ……」

 

「大丈夫ですか、レフィーヤさん。一先ずこれを」

 

「………あ、ありがと、ござ……」

 

「無理に話さなくても大丈夫です、今は私の後ろに」

 

この辺りで1番に高いところから、周囲を見渡していた。

よくよく考えたら、そもそも資材置き場があることは知っていても、その詳しい場所まではよく分かっていなかったから。そんな間抜けな理由で高いところに登って、辺りをとにかく見渡していた。

そうしていたら、自身の背後に広がるリヴィラの街に突如として出現し始めたフィリア祭でも見た数多の蔓状のモンスター達。しかしノアは聞き逃していなかった。そのモンスター達が出現する直前、少し離れた場所から聞こえてきた指笛の音を。

故にノアはそここそが自分の行くべき場所であると確信し、リヴィラの街ではなくそこに向かった。そうして見つけてしまった。全身鎧の人物に首を掴まれ、締め上げられているレフィーヤの姿を。

……そんな光景を、見てしまった。

 

「まあ、貴女が何者であってもいいんですよ。貴女が殺人犯であろうと、貴女がモンスターを呼び出した張本人だとしても、貴女が男の皮を被った女性であったとしても」

 

「……ほう、なぜ分かった」

 

「いくら体格や顔を隠しても、貴女の身のこなしは女性のそれなので。単に胸があるだけでも、人の動きは大きく変わります。……自己改造をする時に学びました」

 

「チッ、これはもう使えんな」

 

ノアが思いっきりに殴り付けて吹き飛ばしたその人物。身に付けていた鎧の頭部は粉々に砕け散り、顔に纏っていた人間の皮には穴が空く。体部の鎧も破損し、受けたダメージの大きさもそれだけでよく分かるというもの。……それほどにノアが本気で殴り付け、その人物がそれに耐えたということ。それだけで事の大きさは分かる。

 

「流石に結構怒っているので……無事に帰れるとは思わないで下さいね」

 

「……やってみろ」

 

ノアに遅れて、アイズが背後から走って来るのを見る。少し離れた所に跳ね飛ばされたのか、見知らぬ冒険者も苦しそうに呻いているのに気付く。しかし今はそれより、目の前の人物だ。レフィーヤを殺そうとしていた、この人間だ。どうやったってこの人物は普通ではないし、どうやったってノアはこの人物を許せそうにない。

 

「っ!!!!」

 

「!?腕で私の剣を……!!」

 

「この剣はもう2度と返しませんからね」

 

「なっ!再生能力………ごっ!?!?」

 

「がっ……さあ、剣を離すか殴り合うか。選ぶのは貴女ですよ」

 

鎧も皮も脱ぎ捨て、目にも止まらぬ速度で切り掛かってきたその女性の攻撃を、ノアは咄嗟に腕で受け止める。剣など抜いていない。抜く癖も暇もなかったから。だからその剣による攻撃を強引に受け止めると、右腕で剣の刃の部分を思いっきり掴み、再生を始めた左手で問答無用で彼女の喉元を殴り付けた。反射的に殴り返された顔面、零れ落ちる鼻血と口血。しかしそんなものに今更ノアは動じない。そんなものは彼にとっては擦り傷程度の認識でしかない。

……結局、ノアはこれしか知らないのだ。明らかに技術的に格上の相手と戦う時には、ならば技術の介在しない状況を作るしかない。頭のおかしいほどの至近距離での殴り合い。蹴って殴って打ち付けて握り潰す。自分のステイタスと再生能力を駆使して、馬鹿みたいに接近して、徹底的に削り合う。掴んで、殴って、速度の差など関係のない世界で削り尽くす。

 

「っ………!!いい加減に!!」

 

「!」

 

「しろ!!!」

 

「ぅぁがっ………きり、開け」

 

「!?」

 

「『ダメージ・バースト』」

 

普通であればその一撃だけで人間の身体など容易く破裂するような攻撃を受けて、ただ呻くだけで済ませたノア。それに対して彼が仕掛けた反撃は、両腕を起点にした大爆破。

ステイタス的に優勢ではあっても、しかしやはり単純な殴り合いですらも負け始めた状況を見ての、一先ず確実に武器を破壊するための捨身の行為。そしてまさかそんな魔法を持っているとは夢にも思わず、その女はノアによる爆破を避けることなど出来なかった。爆破の瞬間、女の剣と顔面を強引に掴んで来たノア。光り輝くその両腕に嫌な予感を覚えた頃には既に遅く、直後に吹き飛ぶ両者の身体。爆光、爆炎、爆風、普通の人間が相手ならば、確実に死んでいるような不可避の自爆。

 

「…………………まあ、武器を壊せただけ儲け物ですか」

 

「っ!!!!この異常者が!!!」

 

「今の爆破でも致命的なダメージを与えられないとなると、私の攻撃力では不足ですね。……不甲斐ない」

 

両腕を犠牲にしたその一撃は、掴み続けていた敵の剣を破壊することは出来ても、彼女本人の身体には火傷と皮膚の損壊程度のダメージしか与えることは出来ていない。とは言え、犠牲にしたこちらの両腕は、血を滴らせながらも直ぐに再生を始めている。……だからこそ、そんな目で見られても仕方がない。

再生する身体と、それを利用した自爆特攻。

そんなもの。

 

「………本当に人間か、貴様」

 

「っ……貴女も再生能力持ちですか」

 

「そういう意味では同類だがな。私とてそこまでイカれた真似はしない」

 

そう言われても、仕方がない。

それほどに悍ましいことをしている自覚は、かつてはあった。今はないが。同類である彼女からそこまで言われるということは、やはり人に見せるものではないのだろうとも、思い直す。

 

「ノア!!」

 

「ノアさん……!だ、大丈夫ですか!?」

 

「……すみません、多分私と彼女では千日手です。むしろ技術的に劣っているので、時間を掛ければ突破される可能性が出てきそうです」

 

「それなら……2人で」

 

「……いえ、3人です!」

 

「!」

 

だがそれでも、そんな気持ちの悪い姿を見せても、こうして心配して貰える。こうして少しも気味悪がることなく、味方をして貰える。その幸福だけは、今一度しっかりと噛み締めなければならない。

ずっとずっと1人で戦って来たのに、今はこうして隣に居てくれる人がいる。その心強さと安心感は、何物にも変え難いことだから。

 

 

「………想定していたより面倒だな」

 

 

「「「!!」」」

 

「奴が手負いの間に、お前から潰させて貰う」

 

「ぅっ」

 

「アイズさん!!」

 

しかしそれほどの数の差があったとしても、女の考えは酷く正しい。

これまでの戦闘の最中で、ノアが速度に長けた冒険者ではないと見抜かれている。それは勿論レフィーヤもそうであり、単純な速度で追い付けるのはアイズだけだ。

故に女は先ずノアの両腕の再生が終わらないうちに標的をアイズに定め、彼女に掴み掛かって力だけで強引に投げ飛ばした。群れになる前に引き離すために。そうして最初は、アイズから始末するために。アイズさえ倒してしまえば、速度で劣るあとの2人はどうとでもなるから。

 

「っ、目覚めよ(テンペスト)!!」

 

「なっ!?」

 

「レフィーヤさん!行きますよ!!」

 

「はい!!」

 

「クッソがァっ……!!」

 

「アルクス・レイ!!」

 

だがそれでも、アイズはそれほど簡単に倒されてしまうほど弱い冒険者ではないし。それにノアだって、Lv.6としての最低限の速度はあり、レフィーヤには強力な追尾魔法がある。

剣を失った敵に対し魔法を使ったアイズが引けをとる筈などなく。逆に風を纏った最大威力の攻撃によって叩き落とされながら、逆方向からノアに抱かれたレフィーヤによって放たれた極大の魔法攻撃を、無防備なその背中に叩き込まれる。狙い覚まされた一撃、避けることも弾くことも叶わない。

……アイズもレフィーヤも、2人の攻防を見ていた。だからこの程度の攻撃では相手は死なないという確信があった。それ故の全力攻撃。一切の容赦を切り捨てた、それほどの攻撃でないとむしろダメージすら与えられないという正しい認識。

 

「はぁ、はぁ……生きて、ますよね……?」

 

「少なくとも、立ち上がっては来ると思います。私の体感ですけど」

 

「……あんまり、切った感じがしなかった。気を付けて」

 

ノアとの肉弾戦闘、魔法による爆発、アイズの風魔法、レフィーヤの魔法射撃。普通ここまですれば、大抵のモンスターは力尽きる。それを耐え切ることが出来る者など、せいぜいノアとガレスくらいだろう。それくらいの耐久力が無ければ原型すら残すに難しい猛攻だった。

……それでもなお、立ち上がるであろうという想像が出来る。それがもうおかしいというのに。

 

 

「あぁ……探し物が1度に2つ見つかるとは」

 

 

「「っ」」

 

「とんでもないしぶとさですね……」

 

「……今の風、やはりそうか」

 

「ど、どうしてその怪我で顔色一つ……」

 

 

 

「………お前が『アリア』か」

 

 

 

「!?」

 

 

肉体を過座切りにされ、背部に重度の火傷を負い、普通ならばこうして立ち上がることすら困難になるような重傷。しかしそれでも痛みすら感じていないように立ち上がり、苦痛すら感じていないように無表情に、淡々と意味のわからないことを話している女の姿。

……そして、その女が発した『アリア』という言葉。それを聞いた瞬間に明らかに顔色を変え、身体を震えさせるアイズの姿。

ノアはそんな彼女の前に割り込むように立ち、剣を抜く。そして付与魔法を今度は剣に付与し、構える。真に代償を支払った、ノアの最大の一撃。それを叩き込むことを示す、灰色の光。

 

 

 

『アアアァァァァァアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

「「「!?」」」

 

 

 

「っ、目覚めたか……!!」

 

「2人とも伏せて!!」

 

「くっ」

 

しかしノアのその魔法が効果を発揮するその前に、事は起きた。4人の戦いから隠れていた犬人の冒険者が持っていた宝玉が目覚めたのだ。正しくは、その宝玉の中に入っていた、小さく歪な異形の生物。それが目覚めた。まるでアイズの風に呼応するように。

凄まじい悲鳴を上げながらその生物は宝玉から3人に向かって飛び掛かり、間一髪、アイズが2人を床に押し倒したことによってそれを避ける。……だがそれでも。

 

「チィッ!全て台無しだ!!」

 

宝玉から生まれ出た生物、それが飛び付いた先にあったのは瀕死の蔓型モンスターの半死骸。付着し、溶解し、沈み込む。……つまりは、寄生する。そうしてモンスターの肉体が異様な膨張と変形を繰り返し、巨大化していく様を、3人は驚きながらも見つめるしかない。

頭に過ぎるのは様々な可能性。

しかし仮にどの可能性が正解だったとしても、今すべきことは間違いなくこの場からの撤退だろう。それこそ爆発でもしてしまえば、3人まとめて御陀仏だ。今の彼等に、それを飲み込んだ上で危険を犯すことは絶対に出来ない。

 

「……まあいい、目眩しくらいにはなるだろう。収穫はないが、アリアの存在が分かっただけマシか」

 

「待って!貴女は……!!」

 

「次こそ取る、束の間の平穏を楽しむといい。……そこの化物と一緒にな」

 

「……否定はしませんよ」

 

モンスターは肥大を続けていく。

周囲の他のモンスターすら取り込みながらも、徐々に徐々に3人の見知った、あの姿へと変わっていく。50階層で討伐した大樹のようなモンスター。ここに来てようやくあのモンスターの正体が分かったのだ。

……そして、その誕生の余波に紛れて姿を消した女。最早アイズがどれほど目を凝らそうとも見つけ出すことは出来ず、むしろより暴れる勢いを増したモンスターのせいで、周囲に割くことの出来る意識すら持つことは許されなかった。ただこの場から撤退し、このモンスターに対処するしか。選択肢など存在すらしていなかったから。

 

 

 

その後、一連の騒動はそれほど時間を掛けることなく収束した。

黒幕の女を捕まえることは叶わなかったが、出現した巨大モンスターはそれほど討伐に難することもなく、魔法の集中砲火によって容易く攻略することが出来た次第だ。リヴィラの街を覆っていたモンスター達も所詮は烏合の衆であり、特に女と巨大モンスターが姿を消してからは、レフィーヤとリヴェリアの魔法によって一瞬で焼き尽くされる。

敵の戦力を考えるに、被害はかなり抑えられた方だろう。最善に近い事態の解決だったとも言える筈だ。もちろんリヴィラの街は壊滅状態に近いが、それもこの街ではそれほど珍しいことではない。そうして修復を繰り返して来た街と人々だ。ここに住む者達の誰もが、それほど大きく絶望している訳ではない。

 

「大丈夫ですか、アイズさん」

 

「……ノア」

 

「もう少ししたら出発するそうですよ。一度地上に戻って報告をするとか、後始末を終えたらまたダンジョンに潜れるそうですけど」

 

「……そっか」

 

アイズが落ち込んでいる、というより。どちらかと言えば悩んでいる、思考を巡らせているというのは分かる。そして彼女がどういう理由でこんな状態になっているのかも、ノアにはなんとなく分かる。

 

「『アリア』さん、というのが理由ですか?」

 

「……うん」

 

膝を抱えている彼女の隣に同じように座り、まだ暗いダンジョンの天井を見る。アイズが何か事情を抱えているのは知っているが、その詳細まではノアは知らない。強さを求めてきた彼女が、自分の英雄になって欲しいとも話した彼女が、どういう理由の元でそう生きてきたのか。今更で、とても恥ずかしいことではあるけれど、ノアはそのことについて本当に知らない。ここまで求めて来た、好きな相手のことなのに。

 

「教えて貰うことは、出来ますか?」

 

「……うん。ノアなら、いいよ」

 

だから、そうして『いいよ』と言って貰えた時。それほどの信頼を得ることが出来たのだと、嬉しく思った。なかなか踏み入ることが出来なかった、彼女の心の中に。入れてもいいと言われているようで、すごく。

 

「……お母さんの、名前なの」

 

「!アイズさんの……」

 

「うん、もう居ないけど……本当は、リヴェリア達くらいしか知らない話」

 

「……それなのに」

 

「そう、あの赤髪の女の人は知ってた……」

 

だから驚愕した。だから追い掛けたかった。何を知っているのか、何故知っているのか。聞きたいことはいくらでもあった。……それを成すことは出来なかったけれど。

 

「お父さんも、お母さんも、居なくなって……お父さんは、もうお母さんの英雄だから。私の英雄には、なれないって」

 

「…………」

 

「私は、1人で、独りだったから……素敵な人にも、私だけの英雄にも、出会えなくて……誰も、助けてくれなくて……英雄が、現れてくれなかったから。……だからは私は、剣を持って」

 

「強くなろうと……」

 

「うん……だから。ノアが隣に居てくれるって、助けてくれるって言ってくれた時。本当に嬉しかった」

 

「……今も、その意志は変わっていませんよ」

 

「うん、分かってる。今日だって来てくれたし、代わりに戦ってくれた」

 

「勿論です」

 

「だから……気になってはいるけど、そんなに落ち込んではいないの。ノアのおかげ」

 

それがアイズの中で明確に変わったと言える心情の変化だった。それまでずっと抱えていた心の闇も、彼が側に居てくれることを思い出すだけで、不思議とスッと晴れてしまう。どんなに思い詰めていても、それでも彼が居るから、彼が助けてくれるから、そう思えるようになった。その変化に気付いたのは、情けないことではあったけれど、自分の心のことではあるのだけれど、本当に最近になってからのことだった。

 

「ノア、お願いがあるの」

 

「はい、私でよければ」

 

「恩恵を、昇華させたいの……手伝って、欲しい」

 

「手伝います」

 

「助けてくれるって、ノアの言葉を、信用してない訳じゃないの。……でも、あの赤髪の女の人、凄く強かった。あの人から話を聞き出すためには、多分、もっと力が必要で」

 

「理由なんて、大丈夫です」

 

「………」

 

「それがアイズさんの本当に求めることなら、私は手伝います。それに私自身、まだまだ力が足りていないことは自覚していますから」

 

「……そんなことないよ。本当に、助けられてる」

 

確かに彼はまだまだ発展途上で、特別に強い魔法なんかも持ってなくて、剣の技術だってアイズにも達していないけれど。しかしそれでも、アイズは確かに彼の存在に助けられている。これから先も、自分の側にいるために、ずっとずっと努力をしてくれるということを確信させてくれる。ただ彼がそうして言葉を行動で示してくれるだけで、アイズは十分に救われているのだ。……彼の誠実さに、救われている。

 

「私は……ノアのこと、選びたい」

 

「!!」

 

「でも、まだ、私が足りてないから……」

 

「そんなことは……」

 

「ノアは、誠実だから……私も、もっと誠実な気持ちで、向き合いたい」

 

「……ふふ、意外とアイズさんは焦らし屋さんなんですね」

 

「……ごめんね」

 

「いえ、気にしないでください。『選びたい』って、そう言って貰えるだけで。私はすごく、報われています」

 

本当に、どうしようもないと思っていたあの時と比べたら。本当にもう、ゴール間近まで来られたんだなと思えるから。あと少し、もう少しで。自分の願いは叶うのだなと、希望が見えるから。

 

「………ねえ、ノア」

 

「はい?」

 

「私が仮に、ノアを選んだとして……」

 

「はい」

 

「……レフィーヤは、どうするの?」

 

「う"っ」

 

それ以上はいけない。

 

「レフィーヤは、多分、ノアのことが好き」

 

「……はい」

 

「ノアも嬉しい」

 

「は………はい……………」

 

「責めてないよ。悪いのは、私だから」

 

「うぅ、そんなことは……」

 

まあ実際、ノアがレフィーヤに落とされたのはついこの間のことである。半端なことをして傷付けていたアイズが悪いと言われれば、まあ割と普通に悪い。流れを考えれば『そりゃそうなるだろ』と大多数は言うであろうし、アイズもこれに関しては自分が悪いと自覚している。だからそこを責めるつもりはないし、アイズ自身もそれは当然のことだとすら思っている。そう考えられるくらい、アイズは成長していた。

 

 

「……………2人とも、取っちゃう?」

 

「そ、それはあまりにも不誠実では!?」

 

「なら、とりあえずは、現状維持」

 

「はい……」

 

「これから、考えていこう?」

 

「はいぃ……」

 

いや、流石にアイズとて分かっているとも。

ここで2人を引き離すようなことをしたら、自分は本当に救いようのない悪女になってしまうと。だから決して、そんなことはしない。だってどう考えても間違いなく、少なくとも現状の話をするのであれば。

……自分よりもレフィーヤの方がずっと、彼のことを好きなのだろうし。

ただそうなると"自分だけの英雄"だとか、父の語っていた"もう自分にはお前の母さんがいる"という言葉についても、アイズは考え直さなければならなくなるのだが。

 

どちらにしても、まだまだ容易く解決出来るものではない。

 

 

 

 

 

「こほっ、こほっ……」



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39.見えて来た○○○

「一つ聞いてもいいか、ノア」

 

「はい?」

 

「どうしてお前達は、当たり前のように階層主のウダイオスに単独で挑もうとするんだ……?」

 

「……1番手っ取り早くて、分かり易いので」

 

「いや、だからと言ってだな……」

 

 

 

「本当に倒す奴があるか」

 

 

まあ実際のところ、それは死闘であったのだけれども。

リヴェリアの膝の上で眠るアイズは、それはもう頑張った。それは単純に戦闘に関してだけではなくて、戦闘に向けての準備についても。本当によく頑張った。だからこそリヴェリアも認めたし、今日はこうして大人しく見守っていた。ノアもまた、手を出すことなくハラハラとしながらも最後まで信じて見つめていた。

 

……ウダイオスに単独で挑んだ者というのは、実はそれほど多くはない。ゼウスとヘラのファミリアに関してはさておき、近年では恐らくノアくらいしか居ないだろう。猛者オッタルが挑むのはもう少し先の話だ。しかしだからこそ、今回のアイズの挑戦には、そのノアの助言が非常に効果的だったと言える。

 

「それにしても、ウダイオスがあのような剣を持ち出すとは……」

 

「恐らく単独で挑んだ時にのみ起きる現象だと思われます。集団で挑むより難易度的には上がっているかと。……悲しいことに、私は一撃で気を失ってしまったので」

 

「当然と言えば当然か、事前情報が無ければあんなもの避けられないだろう」

 

「というか、アイズさんくらい速度があっても余波を受けてしまうくらいですし。大半の人間が即死すると思います。そうでなくともウダイオス自体の戦闘力も跳ね上がっているので」

 

「……取り敢えず、予め口の中に回復薬を含んだり仕込んでおくのは考え直せ。いや、有用ではあったんだが」

 

「飲んでよし、吹きかけてよし。手も使わないですし、手軽で、即効性もある。苦しくて吐き出してしまっても身体には掛かってくれるので、絶対無駄にならないんです。含んでいる時は詠唱出来ないことだけが残念なんですけど」

 

「考え直せ」

 

「はい」

 

まあそんな感じで、今回ノアはアイズによるウダイオス単独挑戦を前に、彼女と色々な策を練った。それまで培って来たソロ戦闘での知識と経験を元に、可能な限りアイズが勝てるように、2人で一緒になって頭を回した。

その結果、アイズは回復薬の劣化を早めてしまうが故に滅多に使われることのない鋼製の容器に入れた回復薬をたくさん持ち。魔法を詠唱する度にそれを口に含みながら、頬をパンパンにさせてウダイオスに挑むという少し間抜けな姿になってしまったけれど。しかし結果的にはそれでエアリアルの高速移動による身体の負荷が軽減され、痛みを堪えながらも最後まで大きな怪我もなく戦い抜けたのだから、十分な成果と言えるだろう。

 

「だがまあ何と言うか……娘の成長している姿というのは、なんとも言えない嬉しさがあるな」

 

「……?」

 

「いやな。以前のアイズであれば、こういう話を事前に相談することは無かっただろうからな。少なくとも赤髪の調教師に関する話など、自分の中に溜め込んで話してはくれなかったろう」

 

「そう、かもしれませんね……」

 

「正直に言えば、まあ割と私達ロキ・ファミリアは、お前という存在に相当に振り回されてはきたのだが」

 

「う"」

 

「しかしそれも、結果的には良い影響になって来ているのかもしれない。紆余曲折はあったが、少なくともアイズは成長している」

 

「……それなら、良かったです」

 

「お前達の仲も、よっぽどのことがなければこれから良好に進んでいくだろう。今日のアイズを見て、私はそう感じた」

 

「!」

 

「だからまあ、あとはこれから先のことだけだな」

 

「う"っ」

 

「あとはこれから先のことだけだな」

 

「な、なぜ2回も……」

 

まあ、当然と言えば当然というか。

今はともかく、これから先のことを考えると、本当にどうしてくれるんだと言うか。少なくともロキ・ファミリア的には、魂が半壊していようがなんだろうが、お前ほんと長生きしろよバカヤローくらいは言わざるを得ないというか。

 

「最悪の場合、お前を24時間体制でアミッドの元にぶち込むからな」

 

「24時間!?」

 

「それとレフィーヤのことも結論をどうするかはともかく、ちゃんと最後まで責任を持て。1番お前に振り回されて尽くして来たんだ、当然だな」

 

「う"ぐっ」

 

「さあ、まだまだお前には取るべき責任が山程ある。10年や20年で死ねると思うな、分かったな?」

 

「は、はいぃ……が、頑張りますぅ……」

 

「お前も良い加減に変な拘りは捨てて、泥水を啜れるようになれ。成長だ。言っておくが、お前が誰より精神的に成長していないからな。努力しろよ」

 

「うぅ……分かりました……」

 

とは言え、初めて会ったときと比べれば、それこそこのファミリアに来たばかりの頃と比べれば、最近は随分と狂気も抜けて人間らしくなって来たが。

それこそ段々と仮面が取れて、彼の素らしきものが出て来たというか。蘇って来たというか。恐らくこの弱々しい感じが生来の精神性だったのではないかというか。

 

……まあ、まだ油断出来ることはそれほど多くはないのだけれど。兎にも角にも、リヴェリアとしては悪い状況ではなかった。まあレフィーヤを最初にけしかけたのは自分達ではあるので、自分達にも取るべき責任というものは大いにあるのだが。そこはまあ当然、出来ることはするとも。リヴェリアも変な拘りは捨てて、可能な限り幸福な結論に導くように。努力くらいは続けていく。

 

 

 

……アイズがそうして偉業を果たした一方で、しかし多くの不審な出来事による将来への闇というものは、着実にその色を増している。

例えば彼らが18階層で蔓のようなモンスターに襲われていた一方で、ロキとベートもまたオラリオの地下水路で同様のモンスター達に襲われていた。そしてその後、男神デュオニュソスとその眷属フィルヴィスに出会い、そのモンスターが関連する一連の事件に何らかの神が関わっているということまで判明した。

 

「ってな訳でここに来たんやけど……ぶっちゃけ、あの食人花のモンスター。ギルドは関係しとるんか?」

 

「していない」

 

「ま、せやろな。正直そこは別に疑っとらんかったわ。仮に必要があって持ち込むにしても、あんな量を地下水路に持ってくる意味がないしな」

 

「要件を話せ」

 

「………」

 

「お前がここに来た主題はそれではない筈だ、ロキ。余計な建前は必要ない」

 

「……全部お見通しっちゅう訳か」

 

男神デュオニュソスから、食人花についてはギルドと創設神ウラノスが怪しいと聞かされていたロキ。故に一度探りを入れて来て欲しいとは言われていたが、実際のところ、ロキにとっては別にそれはそこまで重要なことではなかった。

何故なら既にノアの件で、ウラノスがこの都市の防衛に重きを置いていることには確信があったから。あのような危険なモンスターを地上に呼び込むようなイメージが、ロキの中ではどうしてもウラノスに対して重ね合わせることが出来なかった。何かしら必要な理由があったとしても、もう少し上手くやるだろう。どちらにしても怪物祭の日に暴れさせる必要など何処にもない。

……だから今日ここに来たのは、それを口実にした別件。ロキが多くを知るに連れて溜め込んでいた疑問を、疑惑の、答え合わせをするため。

 

「ほんなら、ノアの元主神様がこの食人花の騒動に関係しとる可能性は?未来で失敗した策をやり直すために時間を戻した可能性や」

 

「……それは無いと考えている」

 

「なんで言い切れる?」

 

「お前達の報告がその通りであるのなら、今日より3年も前に戻す必要性がない」

 

「そんなもん分からんやろ、そもそも……」

 

「ノア・ユニセラフの救済と食人花によるリヴィラの街への襲撃は、相反する事象だ」

 

「………」

 

「お前とて勘は働いているだろう」

 

「……確定させたかっただけや、この勘をな」

 

分かるとも。

ロキの中で浮かび上がっているその神は、どう足掻いてもノアのことしか考えていない。若しくはノアのことを大切に思っている人間くらいしか目に入っていない。フレイヤでもあるまいし、試練を与えるためなどと言ってノアに危険を差し向けるようなことをする様なイメージもない。……もちろん現状を見るに、ちょくちょく気になるところもあるが。

 

「それなら次や。これを見て、なんか分かるか?」

 

「これは……」

 

「うちのアキが持っとった、レフィーヤもこれと同じ神の力が宿っとる髪飾りを持っとった。ヘルメスに見せたら、間違いなく同郷の誰かや言うとったわ」

 

「……間違いない、テテュスの子か」

 

「なっ!誰か分かるんか!?」

 

「テテュスとオケアノスの子だ」

 

「だから!その誰やって話や!」

 

「テテュスとオケアノスの子は3000柱以上居る」

 

「全然アカンやんけ!!どんだけ子沢山やねん!!」

 

「そもそも我々の認識から消されている時点で、分かるはずもないことだ。……だが、情報は増えた」

 

「?」

 

「オケアノスの子は、その全てが水のニュンペー。下級の女神だ」

 

「……!花の女神やなくて、水の女神ってことか!?」

 

「花を探したところで見つからない訳だな」

 

つまりその女神が潜伏しているのは、水のある場所。恐らくは水の加護を受けて、その身を潜めていると考えられる。見つからないのも当然だ。大地と海洋、ある意味では相反した存在をその身に宿しているということなのだから。神々の世界でもそれほど多いことではない。

 

「それともう1つ……フレイヤから忠告を受けた。あの子の魂が今も何かの影響に晒されとるってな」

 

「………」

 

「何かわからんか?ウラノス」

 

「………」

 

……ああ分かるとも、その反応だけで。

確実にこの男神がそれについて何かを知っているということなど、容易く予想できる。むしろ彼自身も、それについては特に隠すつもりもないようで。だからロキは目を細める。……もしかすればこの男はそれを知っていながら、今日まで黙っていたのではないかと。そう思えてしまって。ロキの雰囲気は深く鋭く研ぎ澄まされる。

 

「話せや、全部」

 

「………」

 

「話せ」

 

「…………ロキ、お前は時間超越についてどこまで知っている」

 

「あん?……一般的なところまでや。全知言うても時の女神でもあるまいし、割とブラックボックスみたいなところあるしな。そもそも一回通したら権能の無いウチ等じゃ感知も出来ん」

 

「そうだ。出来るとするならば、それこそ時を管轄する神々くらいだろう」

 

「それで?それがどないしたんや」

 

神にも管轄というものがある。全知と言えど、知られては困ることもある。故に神が神に対し秘匿することは多く、時間に関することもその一部だ。時の仕組みは世界の秩序を保つためには容易く明かすことは出来ない。特に天界にいた時のロキのような神には、その情報の断片すらも与えたくないと言うのが当然の判断。

 

「前提として……仮に時間超越が生じたとしても、時を管轄する神々は動かない」

 

「!!」

 

「監視し、必要があれば対処する。故に今回も、天界からの干渉はなかった」

 

「…………なんで、そうなるんや」

 

「…………」

 

「おかしいやろ、仮にも管理者やろ!時間改変が起きて、黙って見とるだけが許されるはずない!!」

 

 

「…………」

 

 

 

 

「仮に時を巻き戻したとして、行き着く結果は変わらない」

 

 

 

「……!!」

 

 

それが結論だった。

 

 

「過程は変わる。微小な変化は当然にある。だがその終着点が大きく変わることはない」

 

「なん、で……」

 

「そうならないために、世界は自己修復的に変化を行うからだ。別時間からの干渉に対して世界そのものを変化させ、ズレを可能な限り修正する。世界そのものに備わっている、自己保全能力とでも言うべきか」

 

「まさか……まさか、それが……」

 

「そうだ。それこそが……"運命"と呼ばれているものだ」

 

故に、時の神々は動かない。

そもそも動く必要がないから。

動く必要がないように出来ているのだから。

そうして結局、どうせ変わらないのだから。

だからその情報を秘匿しておく意味がある。

 

「んな、アホなこと!!」

 

仮に時を巻き戻しても、その事実を知らなければ、単なる力の無駄遣いにしかならない。何も変えることも出来ずに終わってしまう。

そもそも時間への干渉など、時の女神でもない限り大量の力を消費する必要がある。しかし実際に運命を変えるには、時を巻き戻してから更にもう一度大量の神の力を消費して、今度は何らかの方法で運命そのものを変える必要がある。そしてその方法を考えた時に、ようやく時の神々は動き始めるのだ。普通に考えてもそれを実現するのは現実的ではなく、元より不可能だとすら言う言葉は何も間違っていない。

 

「だとしたら……だとしたら……!!」

 

「ノア・ユニセラフの死は避けられない」

 

「ふっざけんな!」

 

「世界は概ね元の状態に戻る。過程の変化はあれど、個人の心情の変化はあれど、死した子供は死に、生き残るべき者は生き残る。起きるべき争いは起き、生まれるべき英雄は生まれる……当初は別に計画がある可能性を警戒していたが。現状を見る限り、相手は本当にその事実を知らなかったと見るのが妥当だ」

 

「……っ!!」

 

「ノア・ユニセラフは死ぬ。だが魂は下界の範囲外の話だ、砕け散ることを避けることも出来ない。……あくまで修正されるのは、時間改変が行われた時点までの下界のみ。未来での転生は考慮されない」

 

ロキは下唇を噛みながら、キッと目の前の老神を睨み付ける。ウラノスに当たってどうこう出来る問題でもない。そんなことは知っている。だが淡々とそう話す目の前の老神が、今は気に食わなくて仕方がない。

 

……だってそれでは。

 

そもそもノアは、最初からチャンスなど与えられていなかったということになる。

 

与えられた3年間はアイズの隣に立つための準備期間ではなく、彼の人生の延長戦だったということだ。巻き戻っているのだから、延長戦とすらも言えないかもしれない。

……だとしたら、だとしたら彼は何のために、今日まで努力して来たというのか。決して叶わない願いのために、今日まで彼は苦しみに耐えながら生きて来たとでもいうのか。ようやく報われて来た最近も、仮初のものでしかないとでもいうのか。

 

「……可能性は、ほんまにないんか」

 

「……本来、子供達には運命を打破る可能性がある。そうして切り開かれた未来であれば、我々も容易く修正することはしない」

 

「そんなら……!!」

 

「だが、ノア・ユニセラフにその素質はない」

 

「っ」

 

「力不足だ」

 

彼にその素質はない。

運命を打破るには、意志だけでは決して足りない。生まれ持っての素質が必要だ。そうでなければ奇跡はあちこちで起きていることだろう。それが起きないからこそ、奇跡と呼ばれるのだ。世界の修復力を打破る、それは決して容易いことではない。そんな素質があるような人間は、それこそ英雄と呼ばれるべき存在であって。

 

「そんなら……あの子の魂が受けとる影響ってのは」

 

「世界の修正力、運命によるもの」

 

「……他の子供なら、どうにか出来るんやないんか」

 

「可能性は否定しない。だが、どのような奇跡を起こせば魂そのものを解放出来る。この世界において、ノア・ユニセラフの魂だけが未来の物だ。故により強い修正を受け続けている。それをどうにかする術が、本当にあるのか?」

 

「…………」

 

「仮にそれをどうにかしたところで、別の要因によって彼は命を落とす可能性が高い。……死の運命を覆すというのは、それほどに難しい」

 

その時、ロキは悟った。

ウラノスの考えは間違いであり、実際にはその黒幕の女神は最初からこのことを知っていたのではないかと。だからこそ、彼の恩恵には"不死"という異様なスキルが浮かび上がったのではないかと。

たとえどんな理不尽があろうとも、アイズのことを想う限りは死ぬことはない。その状態で3年、もしくはそれ以上、少なくとも運命の日まで生き延びていれば、計画は完成していたのではないかと。……だがその計画を台無しにしてしまったのは、他でもない。

 

「既に時間改変を行った神に手が無いと分かった以上、この件に関して私から干渉することはない。世界はただ元の姿へと戻る」

 

「………」

 

「観測しない限り、未来は確定しない。だが確定してしまった未来を変えることは不可能に近い。諦めろ、ロキ」

 

「………喧しいわ、クソジジイ」

 

今の今までそんなことを黙っていた老神にも、それを話せるような神ではなかった自分にも、どちらにだって腹が立つ。ヘルメスはこのことを知っていたのだろうか、それともヘルメスにすらも話してはいなかったのだろうか。……そのどちらにしても。

 

(究極、うちがこの場で死ねば多少なりとも未来は変わる。未来を変えること自体は出来るはずなんや。……せやけど、そのためには未来に関する情報が足りん。何をどうやって変えたらええんか、どういう方法で変える必要があるのか、そこから考える必要がある)

 

ノアが死ぬ未来は確定している。

ならばそれをどうしたらズラすことが出来るのか。修正にかこつけて魂を締め付けるという方法で殺そうとしてきている状況に対し、どのような方法で打破すればいいというのか。……少なくとも最低条件として、未来から来たノアの魂を修正しようとする力を止めなければならない。

 

そのためには……




これで全部です。
ちゃんと支払って貰います。
ずるいことをした代償は。


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40.○○前兆

昨日の2時ごろに一瞬46話を間違えて投稿してしまっていたのですが、あまり気にしないで下さい(無茶)。
つまり現時点で47話まで書いてます、終わりは50話と少しくらいを想定しています。よろしくお願いします。


「こほっ、こほっ……」

 

「?どうした、砂でも吸い込んだか」

 

「いえ、最近少し喉の調子が悪くて……」

 

「大丈夫?」

 

「ええ、また時間のある時に治療院に行ってみますので大丈夫ですよ」

 

ウダイオスを倒した後、3人はそのまま地上へ向けて帰還していた。

ボロボロの服のままにアイズを歩かせるはずもなく、ノアの貸した上着を羽織り、大凡間違いなくLv.6になれただろうことを喜びながら3人で歩を進める。

これでノアは実質的に彼女に追い付かれた訳であるが、しかしそれは素直に喜ばしいことだ。自分の弱さは自分の責任なのだから、それで変に焦ったり、妬んだりはしない。好きな相手が目的を果たした時に、それを素直に喜べるような自分でありたい。だからこそ、こうしてそんな彼女のことを素直に喜べている自分を感じて、ノアは内心ホッとしていたりもしていた。そこまで落ちてはいなかったかと。そこまでクズにはなっていなかったかと。

心の底から喜ばしく感じているのを、嬉しく思う。

 

「ん……?」

 

「?」

 

「あそこ、誰か倒れていませんか?」

 

「なに?……不味いな」

 

「ちょっと行ってきますね、様子を見て来ます」

 

「ああ、頼む」

 

そうして上層を歩いていると、ノアは見つけてしまう。

他でもない彼自身が、それを見つけてしまう。

ダンジョンの中で倒れている1人の少年、そしてそんな彼に近づいて行くモンスター達の群れ。それは以前のノアであれば当然のように同じことをしていたことであるが、ノア以外の者がしていれば完全に死に直結する。ダンジョンで寝るなど、あまりにも死亡願望が強過ぎるだろう。

……正直、もしかすれば既に死んでしまっている可能性も否めないが、だからと言ってそれを見過ごすことはしない。ノアはダンジョン内で何度もバラバラになった冒険者の死体だって見て来た。仮に死んでしまっていても、死体は傷が少ない方が良いに決まっている。そういう思いがあったから、当たり前のようにその倒れている少年のことを助けに行った。

 

……それに、仮に事前にそこに居たのが彼であったと知っていても、ノアは助けていただろう。彼はそういう人間であり、そういう人物がアイズの隣に居るべきだと思っているから。

……まあ、そもそもそれ以前に。

 

 

「…………………っ、思い……出した」

 

「ノア?……どうしたの?」

 

「いえ……私のことはともかく、それよりも」

 

「っ、この子……」

 

「!」

 

「ええ、以前にアイズさんが仰っていた少年です……外傷はありませんし、単なる精神疲弊でしょう。息もしっかりしています」

 

「そう、なんだ……」

 

「………」

 

さあ、なんというかもう。

時期が悪い。

別に彼本人は何も悪くないし、むしろ懸命に努力しているところではあるのだけれど。もう本当に今はとにかく時期が悪い。ノアもアイズもリヴェリアでさえも、ものすごく微妙な顔をして立ち尽くすしかない。

 

「……うぅん」

 

しかもノアに関しては、ここ数日完全に頭から抜けてしまっていた事柄が、彼の存在を認識した瞬間に一瞬で全部蘇ったところだ。記憶を取り戻して鞄の中にしまっていた手帳を取り出して確認すれば、どうしてここまでというほどに記述していた部分が劣化している。だがこんなにも大切なことを当たり前のように忘れていた自分が少し恐ろしくも感じている。無表情を装ってはいるが、本当に心から動揺してしまっているのだ。それどころではない。

 

「え、と……」

 

そして一方でアイズもまた、触れ辛い。

もちろん今もこの少年に対しての興味はあるし、こうしている間にもなんとなく過去の純粋だった自分が重なって見えるくらい。色々とお話ししてみたい欲はまだあるし、こうして寝顔を見ているだけで懐かしさやら心地良さのような温かい感情が込み上げてくるのが分かる。

……しかし、仮にもノアに対して"あんなこと"を言ったのにも関わらず。彼の居るこの目の前で、そんなことを話す訳にもいかない。以前のミノタウロスのことについては、いつかどこかでこの少年に直接謝罪したくはあるものの、しかしそれは今ですべきではない。やはり今はあまりにも場が悪過ぎる。

 

「あ〜、取り敢えずこの場は助けるか」

 

「ええ、それはもう。……もしよければ、私がこのまま運んで行きますよ」

 

「……大丈夫か?」

 

「いえ、まあ……というよりはむしろ、私にやらせて欲しいというか……」

 

「……なるほどな」

 

「あ、えと……アイズさんも、謝罪がしたいんでした……よ、ね?」

 

「う、うん……でも、その、それはまた今度でも……」

 

「わ、分かりました……」

 

ぎこちない。

あまりにもぎこちない。

何だこの空気は、どうすればいいと言うのだ。

いくらなんでも彼を運んでいくなんて役柄をノアの心情的にアイズにはやらせたくないし、かと言ってそれをリヴェリアにさせるのはまた違う。複雑な心境はあれど、ここはノアが運んでいくのが1番丸い。

……それに、もしかすれば彼を見て自分の記憶がもう少し回復する可能性もある。そう思い、ノアは彼を姫抱きする。出来ればこれは女性相手にしたいものであるが、しかし今日ばかりは仕方がない。なるべくノアは優しく彼を抱き上げて、持ち上げる。流石に可哀想なので、あまり起こしてあげないように。ゆっくりと。

 

「えっと……それでは、私は先に行きますね。一先ずギルドにでも届けてこようかと思います」

 

「ああ、悪いが頼む」

 

「その……お願いね、ノア」

 

「ええ、任せてください」

 

空気を読んで、アイズとリヴェリアは少しその場で立ち止まって歩いていくノアを見送った。いくらなんでもノアが彼に危害を加えるようなことはしないだろうし、そんなことはしない人間だと知っている。だから別にその心配はしていない。ただノアのことが心配なだけである。

そして実際、ノアは可能な限り無感情を意識しながら彼を運んでいる。少しでも気を抜けば、嫌な感情が出て来てしまいそうだったから。……ノアはそんな醜い感情を出してしまうような自分を、なるべく理解したくない。なるべく知らずに生きていきたい。難しいことではあるけれど、やっぱり自分自身も嫌な気持ちになってしまうから。

 

「………お、かあ、さん……?」

 

「っ……私は、貴女のお母さんではありませんよ」

 

あのアイズが惹かれてしまうほどに純粋な彼。そんな彼の母親というのは果たしてどんな人だったのだろう。少なくともこうして寝言で呼び掛けてしまうくらいには、優しく誇らしい女性だったに違いない。

……そんな人と間違われるほど、自分は立派な人間ではない。

 

「…………幻覚?」

 

「幻覚ではありません。……こんばんは、気分はどうですか?」

 

「え……えぇ!?あ、あの、これ……えぇ!?ど、どどっ、どういう状況……!?」

 

「貴方はダンジョン内で精神疲弊を起こして倒れていました。私達はそんな貴方を見つけたので、一先ず助けてギルドにでも送ろうかと思いました。……説明は以上です」

 

「そ、れは……その、ありがとうございました」

 

「そうですね。このような時間にダンジョンに潜っているだけでなく、精神疲弊を起こすまで魔法を撃つというのは頂けません。私達が"偶然"にでも通り掛かっていなければ、貴方は今頃死んでいましたよ」

 

「は、はい……すみませんでした……」

 

「謝罪は貴方の主神様にでも。心配をしたのは私達ではなく、そちらでしょうから」

 

「………そう、ですね。帰ったらちゃんと謝ります」

 

「ええ、是非そうしてください」

 

……ああ、いけない。

どれだけ無感情に居ようとしても、どうしても普段より口調が冷たくなってしまう。本当に、こういうところに自分の醜さを感じてしまう。別に彼は何も悪くない。全ては自分の個人的な感情なのに。もう少し綺麗でいたいのに。なかなか上手くはいかないもの。

 

「……あの、あなたは確かロキ・ファミリアの」

 

「ええ、その節はご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。ミノタウロスを取り逃してしまったばかりか、宴会の場で貴方のことを話のネタにまでしてしまって。アイズさんも貴方には謝罪をしたいと言っていました」

 

「い、いえ!そんな!……その、確かにショックではあったんですけど。自分が弱いことはその通りなので、むしろ自分の未熟さに気付けたというか」

 

「……であれば、ミノタウロスを取り逃したことと、今回あなたを助けたことで相殺ということでどうでしょう。飲みの場の席でのことは、まあ、貴方がそれでいいのならそれで」

 

「は、はい。問題ありません」

 

「……そうですか」

 

まあ相殺もなにも、通常この程度のことであればオラリオでは普通に揉み消されたり無かったことにされるような案件ではあるのだが。

とは言え、変に喚かれても困るので、世間体を考えればこうして解決しておくに限る。……もちろん、彼がそんなことをするような人間ではないということは知っているけども。知っているからこそ、というのもあるから。

 

「あ、あの……」

 

「はい?」

 

「も、もう降ろしてもらっても……」

 

「貴方の今の歩速に合わせるより、こうしていた方が早いでしょう。ダンジョンの入口までは我慢してください」

 

「す、すみません……」

 

「……いえ、私も少し口調が厳しくなってしまっていますね。申し訳ありません、あまり気にしないでください」

 

「そ、そんなことはないです。……こうして助けて貰って、その、優しくもして貰って」

 

「???……優しい?」

 

「え?だって、優しいですよね……?」

 

「優しくないです」

 

「えぇ!?」

 

「優しくないです」

 

「なんでそこだけ頑ななんですか!?」

 

「絶対に優しくありません」

 

しかし少年ベル・クラネルからしてみれば、まあ普通にどう考えても目の前の人はクールだけど実は優しい大人のお姉さんにしか見えないのだから悲しいこと。自分を抱える手つきも優しいし、なんだかんだで注意をしてくれながらもダンジョンの入口まで運んでくれる。それに本当に美人なのだ。それこそ容姿だけなら彼の想い人であるアイズ・ヴァレンシュタインにも負けないくらい。そんな人と多少関わりを持ちたいと思ってしまっても、まあ年頃の少年にとっては仕方のないことだろう。残念ながらノアはベルの好みの容姿はしていないけれど。クールなお姉さんというのは少年ならば誰でも憧れてしまうもの。

 

「ちなみに、お名前とか……」

 

「名乗るほどの者ではありません」

 

「助けてくれたのに!?」

 

「助けたのは私だけではありません、アイズさんとリヴェリアさんも居ました」

 

「僕倒れてたところアイズさんにも見られてたんですか!?」

 

「あまり耳元で叫ばないでください」

 

「あ、す、すみません……というか、あの、顔が近いというか」

 

「?」

 

「……そ、そうだ。僕はベル・クラネルって言います」

 

「そうですか」

 

「……あ、あの、貴女のお名前は」

 

「名乗るほどの者ではありません」

 

「あぅっ」

 

「諦めてください」

 

まあノアとしては、彼の人生とはなるべく交わらない方が良いに決まっているし。名前など教えて変に関わりを作りたくもない。最低限のことはするが、それ以上の付き合いをするつもりもないのだ。

もちろんベルからしたら、名前くらいは知りたいだろうけれども。しかし、どうせ否が応でもそのうちに分かることだ。今はエイナが意図的にノアに関する情報を止めているだけで、それでも何処かで必ず耳には入ることだろうから。

 

「さて、もう直ぐダンジョンから出る訳ですが……」

 

「……?」

 

「……まあ、今後はお気をつけください。この街の人間の約半数がLv.1でその生涯を終えます、その意味が分からない訳ではないでしょう」

 

「は、はい……」

 

「今回のように助けて貰えることが2度も3度もあるとは思わないことです。……まあ、実際に貴方はそうして助けて貰えるのかもしれませんが。もしもがあると私も寝覚が悪いので」

 

「……気を付けます」

 

「ええ、それではまた」

 

腕から下ろし、歩いていく彼を小さく手を振りながら見送る。

チラチラと何度か振り返り、何かを言いたそうにしているが、ノアとしてはこれ以上に彼と何かを話すつもりもない。

彼と話していると自分の記憶も少しは蘇るかと思っていたが、どころかマイナスな感情が湧いてくるばかりである。これ以上に一緒に居ると本当に自分のことを許せなくなってしまうので、早めに離れてくれると助かるというか。

 

「あ、あの……!!」

 

「っ……なんでしょう」

 

「ほ、本当にありがとうございました!このお礼はまた……!」

 

「……相殺と言ったでしょう。私のことなど忘れて自分のすべきことに励みなさい。新人冒険者」

 

「は、はい!それではまた……!」

 

「…………だから、"また"は無い方がいいのに」

 

最後までこちらの話は聞いて貰えず、彼は一方的にそう言って走り去っていく。分かっているとも、2度と会わないということなど出来っこないと。

しかし見たくない、見ていたくないのだ。どうせ分かっているから。彼を見るたびに劣等感を感じて、自分のことがどんどん嫌いになっていくのが分かるから。何度も何度も味わった筈のことだから。出来れば同じことは繰り返したくない。

 

「……私も、君のように強くなりたかった。結局、正反対の方法を取ることになってしまったけど」

 

これから辿るであろう彼の人生は、とても綺麗で、劇的で、感動的で。ただ泥と血に塗れながら生きてきた自分のそれとは決して相容れないと。そう思って、生きている。それが間違っているかどうかは、彼の人生を最後まで見てもいないノアには分かりっこ無いけれど。

それでも彼のようになりたいと思ったことだけは、本当だから。

 

 

「!?……???……っ………ただの、立眩みですか」

 

 

 

 

 

 

その日の翌朝、レフィーヤはいつものように彼の部屋を訪れていた。睡眠薬の影響で普段から少し遅めまで眠っている彼、今日もそんな彼のために朝食を運びながらここに来た次第である。

どうも昨日の夜にアイズがlv.6になったということで、レフィーヤもそれは一緒になって大いに喜んだものであるが、しかしやはり疲れもあってかアイズは今日はまだ眠っている。朝食にも出て来てはいなかった。

まあ、あのウダイオスと単独で戦闘をしたのだから、今日ばかりは仕方ないだろう。どうせ特に予定も何もないのだから、偶にくらい昼まで眠るということもするべきだ。むしろアイズにはそういう心の余裕こそ必要だろう、それはノアにも言えるかもしれないが。

 

 

「おはようございま〜す、今日も朝の準備を……」

 

 

「………ぁ。お、おはようごらいまふ、レフィーヤさん……」

 

 

「え!?」

 

いつものように彼の部屋に入って、普段は無いはずの返答が返って来たことにレフィーヤは驚く。この時間であれば普段の彼であれば間違いなく眠っているし、むしろ昨日は眠るのが遅かったはずなので、そもそも起きているはずがないからだ。

 

「っ!?ノアさん!!」

 

……だが、次の瞬間にレフィーヤが血相を変えて彼に駆け寄ったのは、なにも彼が起きているからというだけではない。

目に映り込んだのは赤と黒。

彼の枕元を中心に、起き上がった彼もまた血に濡れている。鼻を押さえて桶を抱えているが、最早それどころではない。

 

「ど、どうしたんですか!?大丈夫ですか!?」

 

「え、えへへ……鼻血が、止まらなふて……」

 

「っ……す、少し待っていてください!リーネさんを呼んできます!!」

 

「す、すみまへん………」

 

「謝る必要なんてないですから!!」

 

枕元に溜まった赤黒い血、彼の寝巻きにもそれは多く掛かっている。咄嗟に近くに置いてあったいつもレフィーヤがお湯を汲んで来る桶を見つけて使ったのだろうが、だとしてもあまりに異様で異常な量の出血。

レフィーヤは咄嗟に部屋を飛び出し、ロキ・ファミリアの治療師であるリーネを呼びに行った。今からアミッドの元に連れていくにしても、まずは止血をすることが優先だと思ったからだ。……そして他ならぬ彼が出血しているのだから、一般的な止血法は既に試してある筈で。

 

 

「……これで大丈夫の、筈です」

 

「何か分かったか?リーネ」

 

「は、はい。……でも、これは」

 

そんな騒ぎを聞き付けて来たのは、リヴェリアとロキだった。レフィーヤがリーネに助けを呼びに行ったついでに、偶然別件で通り掛かった2人は、レフィーヤのその慌てように嫌な予感を感じて着いてきたのだ。

リーネの魔法によって止血が完了したノア。顔色自体はそこまで悪くはなっていないものの、それにしてもやはり出血の量がおかしい。今も彼の寝巻きは大量の血で酷いことになっているし、布団もどうにかしなければならないくらいに血に濡れている。単なる鼻血にしては、異常が過ぎる。

 

「鼻の粘膜がかなり脆くなっています……それに血が固まり難くなっていますね。一度出血すると魔法か何かで強引に止血しない限り、自然治癒は難しいかもしれません」

 

「………どういうことだ」

 

「え?」

 

「ノアは自己回復するスキルを持っている、むしろ自然治癒能力は他の誰より高い筈だ」

 

「そう、ですね……だから血が止まらなくて、ちょっと驚いちゃって……」

 

「…………」

 

しかし確かにリーネの言った通り、ノアが出した血は普通のものと比べると大分空気に触れた後の凝固が遅いように感じる。レフィーヤが濡らした手拭いでノアの顔を拭いていくが、それすらまだ凝固していない。そしてノアの出血がリーネが止めるまで止まらなかったこともまた事実だ。これはどうやっても事実には変わりない。

 

「……ごめんなさい、正直私ではこれ以上のことは」

 

「ノ、ノアさんも心当たりはないんですか……?」

 

「え、ええ。私も朝に反射的に鼻血を吐き出しまして、そこからは自分でも何が何だか……」

 

「……取り敢えず。悪いがレフィーヤ、ノアをまた治療院に連れて行ってやってくれ。リーネ、すまないがお前にも事情説明のために着いて行ってやってほしい」

 

「わ、分かりました」

 

「す、すみません皆さん……」

 

「気にするな。布団と寝巻きの処分はこちらでやっておく、お前はとにかく行ってこい。こんな時くらい他人に甘えろ」

 

「……いつも甘えてばかりな気もしますけど、ありがとうございます」

 

それからノアは服を着替えると、普段通りの足取りでレフィーヤとリーネに連れられて治療院へと向かって行った。顔色や身体の動きに問題は見られない、本当にただ鼻血が出て止まらなくなっただけ。……客観的には、そうとしか見えない。彼のスキルを知っているからこそ、それがおかしいと思うだけで。

 

「……リヴェリア」

 

「?どうしたロキ」

 

「ちょっと話がある」

 

「………分かった、聞こう」

 

そしてリヴェリアは知ることになる。

救いのない、希望もない、あまりに残酷で無情な、彼に関する事実を。



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41.○○暗行

「未来が、確定している……だと?」

 

「……そういうことになる」

 

「馬鹿な!!そんなことが……!!」

 

「事実や」

 

ノアがレフィーヤ達と共に治療院に行っている一方で、リヴェリアはロキから彼女がウラノスから聞き出して来たという話を伝えられていた。出来れば聞きたくもなかった、けれど聞かざるを得なかった、何の救いようもない、そんな話を。

 

「恐らく。時間の巻き戻しが始まった辺りを基準に、未来は収束する」

 

「だと、したら……」

 

「前に話したやんな、ノアは前の周回で確実に死んどるって」

 

「……ああ、レフィーヤやアキの反応を見るにそこは確実と言っていい。……だがそれでは!!」

 

「ノアは近いうち、少なくとも数年以内には確実に死ぬ」

 

「そんなことが認められるか!!」

 

認められるものか、認められる筈がない。

ここまでやってきたのに、ようやくここまで来たのに。アイズもようやく向き合えるようになって、ノアもようやくレフィーヤを意識するようになって、少しずつではあるが未来に希望が見えて来た。……それなのに今になって。どうして。今更。そんなことを。

 

「……ノアは、そのことは」

 

「知っとる訳ないやろ。それを知っとったら、あの子はそもそもウチ等にも近付いとらん」

 

「なんとか、出来ないのか」

 

「なんとか出来んか考えとる、せやけど……」

 

「…………今日の、あれは」

 

「……少し前から、危惧しとったことはある」

 

「なに?」

 

 

 

「魂の状態が精神状態にも反映されるのなら、身体の状態にも反映されることもあるんやないかって」

 

 

「っ!!」

 

そもそも、それは考えてみれば当然の話。一般論として精神の不調が身体に不調を齎すのであれば、どうして魂の不調が身体に影響しないと考えられる。彼の魂の状態は、精神状態に例えるのであれば廃人1歩手前のようなものだ。こんな状態の人間が、どうしてまともに稼働出来ると思うのか。普通なら絶対に無理だ。

……それでは。それではどうして、彼が今日まで十分に動くことが出来ていたのかと言えば。

 

「っ、神の恩恵……」

 

「レベル6の恩恵、そんで不死のスキル。これがあって肉体を維持できていた……」

 

「違う!そうではない!……ノアのスキルは、アイズへの懸想が鍵となって不死を実現している」

 

「?」

 

「……ノアの気持ちは今、確実にレフィーヤにも向き始めている」

 

「!!!」

 

「まさか、それが……」

 

だとしたら、そうだとしたら。

 

(……酷い、あまりにも酷過ぎる)

 

ノアを救うためにと齎した保険の策が、むしろ彼を追い詰めるものになっていた。リヴェリアが彼の背中を押した行為は、むしろ死への引金を引く行為だった。

献身的に尽くしてきたレフィーヤの行いは、むしろ彼を死へと近付ける行為で。そもそも彼がレフィーヤを選ぶということは、彼の心情どうこう以前に、そもそも許されていない行いだったということで。

 

「どうにか、どうにかしなければ……!」

 

「どうにかする方法が、分からん……」

 

「何か方法はないのか!!」

 

「ノアの恩恵を昇華させれば、可能性はある」

 

「そんなこと無理に決まっているだろう!!」

 

ノアがLv.6になったのは、ここ最近のことだ。そうでなくともLv.6に上がるだけで相当な犠牲の上で行ったもの。Lv.7になるなど、リヴェリア達ですらまだ成し遂げていない。どころか不死のスキルは使うほどにノアの魂にダメージが入る、それでは本当に何の意味もない。

 

「……今更、あいつの気持ちからレフィーヤの存在を抜くことなど。出来る訳がないだろう……」

 

「……重要なのはアイズへの気持ちや。まあ、そこを解決したところで先延ばしにしかならんやろうけど。そもそもスキルの名前に"一途"が入っとる時点でな」

 

「根本的な解決をするには、魂を修復して元の状態に戻すしかない」

 

「……その手立てはない」

 

「神の力を使ってもか……?」

 

「たった1人の子供のために、誰がそこまでしてくれるんや。それをしてくれそうな唯一の神は、もう別のことに使っとる。そもそもそんな規則破り、本来なら成立せん。行使した瞬間に天界から邪魔されるわ」

 

「……本当に、どうにもならないのか」

 

「……すまん」

 

結局のところ、ノアの魂が砕けたあの瞬間。全ては終わっていたということだ。今日までの日々は、ノアの元主神が齎した延長戦に過ぎなかったというだけ。

幸いにもまだ鼻の粘膜が脆くなっている程度の話、それくらいしか症状は出ていない。このペースのまま進行していくとすれば、最低でも1年弱は時間がありそうではあるが……アミッドの力があれば、もしかすればもう少し伸びる可能性もある。

 

「どう、伝えればいい……」

 

「……伝えないのが、1番かもしれん」

 

「………………………………分かった、この話は私達の中だけで完結させる。ノアの魂を修復させる方法についてはこれからも探しはするが」

 

「表向きの理由は、魂の不調が肉体にも反映されて来たってことにする。それはスキルがあっても意味が無いってことにな」

 

「ああ……懸想に関しては絶対に口外しない。そもそも他者に話せることでもないのだがな」

 

だがそれは、半分諦めの気持ちが無い訳でもない。

……他のことならなんでも出来る。闇派閥が攻めて来たとか、かつての最強ファミリアの団員達と対立することになるとか。それは確かに恐ろしいことではあるけれど、それでもまだリヴェリア達は前向きに挑みに行く。行くことが出来る。なぜなら自分達で切り開ける問題であり、自分達で解決法を模索できる範疇であり、そこには可能性があるからだ。

 

……なればこそ、この問題は自分達でどうにか出来る範囲にあるのかと言われると。否、ある訳がない。最初に神の力によって始まった問題だ、その時点で子供達には理解そのものが出来ない。そして神々ですらどうしようもないという程の問題だ、そんなものをどうしろと言うのか。諦観が芽生え、最悪の場合を見据え、少しでも保険を用意しておく。自然と考え方がそっちに寄ってしまうのも仕方がないし、それはノアの時にもやったことだ。……組織の幹部として動く以上は、そうする以外に他にない。

 

「……何故、こうなる」

 

「………」

 

「あの子達が何をした……何故ここまでの仕打ちを受けなければならない……何をどうしたら、あの子達を助けることが出来る……」

 

「………」

 

「……そこまでして、ノアは幸福になってはいけないのか」

 

これまでの道のりは本当に善意だけで舗装されていた。決死の思いと努力で歩いて来た。しかしその向かう先は、どうしようもない地獄と絶望。決して幸福な結末は無く、誰もが涙を流す終わりが待っている。

してはいけない無茶をして、狡いことをして、そうしてステイタスを上げ続けてきた報いがこれだというのか。それはそこまで悪いことなのか。もっと報いを受けるべき悪い人間は、他にいくらでも居るだろうに。

……本当にこのまま、見ていることしか出来ないのか。

 

 

 

 

「ん〜、またお薬増えちゃいました……」

 

「ま、まあ、それくらいで済んで良かったじゃないですか。それにお薬を飲めばちゃんと治るみたいですし」

 

「お布団も新しくして貰っちゃって……流石に申し訳ないというか」

 

「仕方ないですよ、病気だけはどうにもなりませんから」

 

ガサガサと音を立てる薬をたくさん入れた箱を持ちながら苦笑いをする彼を、レフィーヤは安堵したような表情で見つめる。治療院ではアミッドは別件で席を外していたものの、他の治療師に見て貰ったところ、血液に異常が生じているということが分かった。話を聞くだけでは素人には正直あまりよく分からなかったが、しかし薬さえ飲めば治るものだというのだから、それで十分というもの。

しかしレベル6になっても自分の部屋にこれほどの薬を常備している冒険者というのも、非常に珍しい。それこそ彼くらいなのではないだろうか。割と健康とは仲良くしていたつもりではあったが、やはり不死を利用して好き勝手やって来た報いとでも言うべきか。段々と不健康になっていく自分に、ノアは1つ溜息を吐く。

 

「ノア!!!」バタンッ!!

 

「「ひぁっ!?」」

 

そんな風に安心感に浸りながら2人で温かいお茶を啜っていたところだった。扉が凄まじい勢いで開け放たれ、アイズが血相を変えて部屋に入って来た。それこそ目を見開いて、まだ髪に寝癖が付いている状態で。

 

「だ、大丈夫……!?そ、外の……布団……!血塗れで……!ノアのだって……!!」

 

「だ、だだだ大丈夫ですっ!?大丈夫ですから!!そ、そんなに頭を揺らされると……!」

 

「アイズさん!ストップです!!ストーーップ!!!」

 

昼前。疲れからか久しぶりにそんな時間に起きたアイズが最初に見たのは、部屋の窓を開けた際に見えた血塗れの布団である。一体何があったのかと思った直後、それが見覚えのある柄の布団であると気付き、アイズの意識は覚醒した。雑に適当な服に着替えると窓から飛び降り、その布団の処理をしていた団員に事情を聞く。そしてその後、ほとんど全速力でここまで走って来たのだ。

……とは言え、まあそれも仕方ない。あんな状態の布団を見れば、ノアが暗殺されたのではないかとすら思ってしまうのに、何が違ったのか下の団員達にはノアが喀血したということになってしまっていたのだから。鼻か口かの違いとは言え、そんな風に聞かされてしまえばアイズだって焦る。こうして拠点内を全力で走り、部屋の中に飛び込んで来てしまったりもする。

 

「ということで……その、ご心配をおかけしました」

 

「………よかった」

 

「私も朝は吃驚しました、次からはもっとちゃんと周りに助けを呼んでくださいね?」

 

「はい……その、直ぐ止まるかなと思っていたので」

 

「うう、ずっと寝てたから……ごめんね」

 

「そ、それこそ気にしないでください。むしろここまで色々とご迷惑をお掛けしてしまって私の方こそ申し訳なく……」

 

「まあまあ、一先ず今は」

 

このままいくとまた謝り合いになってしまうので、レフィーヤは2人を座らせる。ノアはまたチラッと一雫鼻血を出してしまったようで、それに気付いたレフィーヤは手拭いで拭いてみるが、この程度ならやはり直ぐに治るようだった。やはりこうして見る限りは、それほど大したものではないのだろう。

……もちろん、色々と併発している現状でレフィーヤが油断することはないが。かと言って治療師に相談しても問題ないと言うのなら、素人の自分がどうこう言うつもりもない。過剰な心配を見せることは、相手への圧にもなってしまう。見えないところで心配しておくのが1番だ。

 

「………ノア」

 

「は、はい」

 

「ノアは疲れてる」

 

「え?」

 

「……多分。でも間違いない」

 

「な、なるほど……?」

 

「???」

 

「なので……」

 

「はい……」

 

「い、癒しが……必要だと、思います」

 

「「…………?????」」

 

またアイズがよく分からないことを言い出した。

 

「レフィーヤも、そう思ってる」

 

「えぇ!?」

 

「そう思ってる」

 

「………は、はい。私も、ノアさんには癒しが必要だと思います……」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「間違いない」

 

「そ、そうかもです」

 

レフィーヤは乗った。

アイズのやりたいことはよく分からないけれど、なんとなく乗っておけば自分も良い思いが出来るような気がしたから。こういう時のアイズは強い。それに癒すと言っているのだ。それを断る理由など何処にあろうか、いや無い。

 

「なので……癒します」

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

「レフィーヤ、こっちに来て」

 

「は、はい……え?これ本当に何するつもりなんですか、アイズさん?」

 

「大丈夫、任せて」

 

「わ、分かりました……」

 

アイズは何故かノアのベッドの上にレフィーヤを座らせ、その対面に自分も寝転がる。寝転がっているアイズを、レフィーヤが座って見下ろしているような形だ。

……本当に、彼女が何をしたいのかが分からない。勝手にノアの新しい枕を使っているし、なんなら上布団まで被ろうとしているし。

 

 

「ノア、レフィーヤの膝の上で寝て」

 

 

「「……………」」

 

 

「「はぁ!?」」

 

 

流石に2人は取り乱した。

 

 

「ひ、ひ、ひひ、膝って!膝!?膝ですか!?」

 

「お、おおおおお落ち着いて下さいノアさん!わ、わわわ私は別に問題ああああありません!」

 

「わたしが大丈夫ではないのですが!?」

 

「ば、ばっち来いです!!」

 

「私の心臓が全然ばっち来いではないのです!」

 

「ノア、早く」

 

「と、というかやるにしても!これどう寝転べばいいんですか!?」

 

「私の方を向く」

 

「アイズさんの顔が近過ぎるんですが!?」

 

「上向く?」

 

「そっちレフィーヤさんの顔ありますよね!?」

 

「うつ伏せ?」

 

「完全にアウトです!!」

 

「……じゃあ、レフィーヤのお腹」

 

「それは私の方が嫌です!!」

 

「最後の希望が!?」

 

「もう、はやくして」

 

「ひんっ」

 

アイズの圧に、ノアは負ける。

悲しいかな、こういう時にノアは口では決して勝てない。というかノアが口で勝てる相手なんて何処に居るというのか。

アイズはもう準備万端で、レフィーヤも既に覚悟を決めて自分の膝の上に彼を迎える用意を終えている。ノアに拒否権はないし、結局なんだかんだで拒否できないのが彼でもある。困るけど、恥ずかしいけど、嬉しいのだ。普通の少年ノア・ユニセラフ、なんだかんだと言いつつも断れない。申し訳なさそうな顔をしていざその場所へ。

 

「……斜め?」

 

「く、苦肉の策です……」

 

「レフィーヤ、これで耳掻きして」

 

「あ、はい」

 

「耳掻きされたら結局顔横向きじゃないですか!?」

 

「……ノアは、嫌……?」

 

「………………嫌じゃ、ないです」

 

「よかった」

 

そうして結局ノアくんの努力は無駄となり、1人用のベッドの上でアイズと向き合うようにして寝ることになる。恐ろしく近い距離、というかもう殆ど添い寝。あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にさせながら目を逸らすが、そうすると感じてしまうレフィーヤの優しい手付き。柔らかく、細く、それでいて少し冷たい指がノアの頭を撫でながら、軽い鼻歌を奏でつつも耳の掃除をされている。

 

……なんだこれは。

 

なんだこれは。

 

これはこれで普通に鼻血が出るのではないだろうか。しかしこういう時に限って出てこないのは、本当にうまくいかないノアの人生を表しているというか。まあ結局幸せなので問題はないのだが。それにしたってこう、流石に刺激が強過ぎるというか。視界には入っていないのに、レフィーヤの身体の感覚があまりにも感じ過ぎるというか。

 

「…………」

 

「…………」

 

「〜〜♪〜〜♪〜♪♪」

 

「……こっち見て、ノア」

 

「は、恥ずかし過ぎて……」

 

「布団掛けてあげる」

 

「う、嬉しいんですけど……余計にこう、なんというか……」

 

「ふっ」

 

「ひぅんっ!?」

 

「あ、ごめんなさい。驚かせちゃいましたか?」

 

「だっ、だだっ、大丈夫れす……」

 

大丈夫じゃないです……。

レフィーヤさん、突然に口を耳に近付けて"ふっ"ってしないでください。そこまで口を近付けてたらもうなんか耳垢ではなく意識の方が吹き飛ばされそうです。

 

最近は何故かいつものポニーテールではなく、毎日色々な髪型に変えている彼女。今日はなんとなく以前にデートをした時の髪型に似た形で纏めており、ノア的にはあの日を思い出してしまって余計に意識してしまう。あと普通にレフィーヤの息遣いが聞こえて、彼女の体に頭を包まれているような形なのに、そんな状態を直ぐ目の前に居るアイズに見られているという事実が本当にやばい。……こういうのを背徳感とでも言うのか。

めちゃくちゃに幸福な状況で、実際に幸福なはずなのに、なんとも言えない罪の意識がノアの頭を悩ませる。

 

「……レフィーヤ、向き変える?」

 

「そうですね、お願いします。……さ、ノアさんもこちらに」

 

「は、はい……」

 

「アイズさんは今日のご予定とかは?」

 

「ん……特に、ないかな。ダンジョンも明日からにしようかなって」

 

「でしたら、今日は1日こうしてゴロゴロしていませんか?飲み物やお菓子はそこに置いてありますから、今日は休息日ということで」

 

「………うん、そうしよう」

 

「………え?今日一日このままですか?」

 

「ノアさんは今日のこともあるんですし。明日からもアイズさんのダンジョン探索に着いて行きたいのなら、1日くらいしっかり休んで下さい。……私の膝くらいなら、いつまででも貸しますから」

 

「……ありがとうございます、レフィーヤさん」

 

「私も、側にいるから」

 

「はい。アイズさんも、ありがとうございます」

 

そうして3人は、その日は部屋の中で1人用の小さなベッドの上でずっとゴロゴロとしていた。

昼寝をしたり、話をしたり、なんとなく手を握ったりして、触れてみたりと。……つまりは世間で言う、イチャイチャと。

けれどそれは本当に優しく穏やかな時間で。アイズが思っていたようなレフィーヤに対する嫉妬とかも全然無くて。時間が経つにつれて警戒も解けて、見栄も落ちて、自然体になれて。温かく、安心出来て、心が満たされて、近くなって。

 

「ノア」

 

「?はい」

 

「その……お願いがあるの」

 

「いいですよ、なんですか?」

 

「……抱き締めて、欲しい」

 

「!!……良いんですか?」

 

「……うん、お願い」

 

「……分かりました」

 

そうして、ゆっくりと。

少しずつ、深めていく。

彼との距離を、彼との熱を。

 

(……落ち着く)

 

身体を丸めながら彼の腹部に潜り込む。軽く、優しく抱き寄せられて、背中をゆっくりと摩られて。誰かに守られている感覚を、この身を任せられる感覚を、温かさを……悩んで、苦しんで、選んだこの場所を。やっぱり自分は間違っていなかったのだと、そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

「あ、それなら私はノアさんの頭を抱き締めちゃいますね」

 

「……えぇ!?」

 

「あ……レフィーヤ、後で代わって」

 

「ええ、もちろんです♪私も交代して欲しいですから♪」

 

なお、ノアが落ち着けることはない。



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42.再○○

その日、エイナ・チュールは困っていた。

それは、どうやら最近自分の担当している冒険者であるベル・クラネルが、あまり良くない噂を聞くソーマ・ファミリアのサポーターと仲良くしていることが発端になる。もちろん個人の友人関係。それ自体をどうこう言うつもりは無いとは言え、それでもやはり心配にはなるのは仕方のない話だろう。その辺りを調べてみようとソーマ・ファミリアの神酒を買おうとしたものの、高過ぎて手を出せず、結果として何の調査も出来ていないのが現状だ。

 

……それだけならまだしも。

 

 

『よし、行くぞ………手筈通りに………しくじるんじゃ………分かってる………アーデの方は………』

 

 

(え……あれ、"アーデ"って確かベルくんのサポーターの)

 

そんなことを話しているソーマ・ファミリアの冒険者達を見てしまったのだ。彼等はそのままダンジョンに潜って行ってしまって、けれどエイナでは追い掛けることも出来ず、立場上干渉することも出来なくて。

今直ぐに頼れる人なんて何処にも……

 

「あれ、エイナさん?お久しぶりですね」

 

「え?」

 

「私ですよ、どうかされたんですか?」

 

「……ユニセラフ氏!?ヴァレンシュタイン氏も!!」

 

「こんにちは」

 

「ふふ、ノアでいいのに」

 

アイズの方はともかく、彼とこうして対面したのは、果てさていつ以来になるだろうか。意外とロキ・ファミリアに移籍してからはそれほど顔を合わせていなかったとは言え、しかし久しぶりに見た彼のことを、エイナははじめ本当に彼だとは分からなかった。それくらいには雰囲気が柔らかくなっていたし、それくらいには容姿が美しくなっていたからだ。

……いや、今はそれより。

 

「お、お願いがあります!助けてください!」

 

「?」

 

「!……落ち着いて下さい。助けますよ、どうすればいいですか?」

 

彼は一瞬驚くが、その内容を聞く前に自分を助けてくれると言ってくれる。ここ最近は殆ど関わってもいなかったような関係でしかないのに、以前よりも幾分と自然になった、優しい笑みのままに。

 

「私の担当冒険者のベル・クラネルを助けて欲しいんです!!」

 

「っ」

 

「!」

 

「私の思い過ごしかもしれないんですけど、彼はソーマ・ファミリアとの厄介ごとに巻き込まれているかもしれなくて……厚かましい真似だとは思うんですけど、それでも!」

 

「………ノア」

 

「………………いいですか?アイズさん」

 

「ノアが良いなら……」

 

「分かりました。エイナさんには私も色々とご迷惑をお掛けしてしまいましたから、それで少しでもお返しになるのなら」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

少し寂しげな笑みを浮かべながら、アイズと少しの言葉を交わした後、しかし彼は最後にはエイナの頼みを快く引き受ける。その笑みの理由は分からないが、しかしエイナにとっては一先ず引き受けてくれる人が居るというだけで何より安堵出来る。2人の実力は間違いない、この2人であればきっとソーマ・ファミリアの冒険者であっても歯は立たないだろうから。

 

「アイズさん、申し訳ありませんが先に行ってもらえませんか?私よりアイズさんの方が早い筈ですし」

 

「……でも」

 

「大丈夫ですよ。……私はアイズさんのこと、信じていますから」

 

「!」

 

「直ぐに追いつきます。勿論何も思わないなんてことはありませんが、それでも彼に死んで貰っては困りますから……お願いします」

 

「……うん、任せて。私のこと、信じて」

 

「はい」

 

 

 

(……ん?んん〜?)

 

 

ノアのそんな言葉を聞いて、アイズは握った両手を名残惜しそうに離しながら走っていく。しかし交わした互いのその笑みはとても優しげなもので、誰も知らない人が見れば仲の良い女性同士のやり取りに見えるが。彼の性別を知っているエイナにとっては違う。

 

(これは、もしかして……)

 

「それでは、行ってきますね」

 

「は、はい。お願いします……」

 

そうして彼女を追って、ノアもまた走って行く。確かに彼も早いが、やはりアイズの方が速度自体は速そうだった。……ただ、それより問題は。

 

(あの2人、もしかしてもう……)

 

もう、そういう仲になっているのではないだろうか?少なくともエイナにはそう見えた、それくらいの距離感に見えた。というか、そうでもなければあんな風に情熱的に互いの手を握ったりしないだろう。それくらいは恋愛経験のないエイナにだって分かる。

 

(ベルくん……もしかしたら君の恋、もう駄目かもしれない……)

 

それはノアの昔を知っている自分にとっては、喜ばしいのか。ベルの恋を知っている立場としては、悲しいことなのか。

まあどちらにしても、生きていく上で失恋なんてものは相応に付き合わなければならないものだ。たった1度の失恋くらい、乗り越えて欲しいとも思う。彼は純粋でまだまだ可能性のある冒険者なのだから。これから先、色々な女性とも巡り会えるはず。いくらでも恋は出来るはずだ。

 

「頑張れ、ベルくん……」

 

エイナは既に彼が助かることを前提に、彼のこれからについて心の中で応援することにした。彼にこのことを伝えるかどうかは、今は考えないことにしたけれど。

 

 

 

さて、結局のところ。

やはりノアの速度ではどうやったってアイズに追い付くことは出来ない。故に先行したアイズに降りた階層の入口には目印を付けてもらうようにお願いし、ノアは只管に下へ下へと降りていくことにした。

……それにしても、ソーマ・ファミリアと言うと。実際のところノアは殆ど関わったことがない。しかし悪い噂はそれなりに聞くような場所だ。一般人を相手にカツアゲをしていたとか、自身のファミリア内で金銭の奪い合いをしているとか、ダンジョン内で揉め事を起こしたりなどだ。なんだったらノアがダンジョン内で見つけた冒険者の遺体の中には、明らかに人間に傷を付けられたソーマ・ファミリアの冒険者のものがあったりもした。つまりは単純な話、治安が悪い。

 

「っ、思い出した……不思議なものですね、前の世界のことを思い出すのは決まって彼のことを考えた時なんですから」

 

もう一度思い出しても、少ししたら直ぐに記憶から消えてしまうくらいにはなっているのに。色々とメモしていたノートもいつの間にか何処にも無くなっていたし、新しくノートを作ろうとしたら殆ど思い出せなくて筆が止まってしまった。そして直ぐに自分が何のために新しいノートを開いていたのかということすら忘れていた。もう既に、それくらいに記憶に留めておくことは難しい。

それなのにこうして思い出すのは、ベル・クラネルについて考える時。確か彼は前の時にもソーマ・ファミリアとイザコザを起こしたことがある筈だった。これがそれに関係することなのかは分からないが、しかしそのイザコザは確かもう少し後の話。……悲しいかな、それでももう思い出せることはそれほどにない。アイズがこうして彼を助けていたという記憶もないし、思い出した事象すら何処か他人事に感じてしまう。少しずつ、自分の中の大切な物が消えている気がしている。それが今は恐ろしいのに、その恐ろしさすら、自分の物ではないような感覚がある。

 

「……ん?」

 

そうして走っている時だった。

目の前から走って来る3人程度の冒険者に気付いたのは。その内の1人の腕に刻まれているのは、ソーマ・ファミリアの団印。明らかに急いでいる彼等のその様子は、どう考えても怪しいとしか言いようはない。

 

「あの……お忙しいところ申し訳ありませんが、少し良いですか?」

 

「あん!?なんだお前!」

 

「ここらで"アーデ"さんという方をご存知ありませんか?」

 

「っ……し、知らねぇなぁ。もう良いかよ嬢ちゃん、俺達は忙しいんだ」

 

「……………なるほど」

 

良くもまあその反応をしておいて何もかも誤魔化せると思ったものだと。……明らかに彼等が纏っているものより質の劣る布着の中に、様々な物をいれて作った即席の袋を担いで。その右手に大事そうに握っているノームの貸金庫の鍵は、本当に自分のものなのか。

 

「もう1つよろしいですか」

 

「うるせぇなぁ!!こちとら急いでるつってんだ……ぁげぇぁっ!?!?」

 

「ぉごっ!?」

 

「ぅぐぁっ!?」

 

冤罪であったら謝罪するとも、相応の金額だって払ってもいい。……だが、まあそういうこともないだろう。ここまで隠すつもりもない反応で、なんとなく記憶の中に薄らとあるベル・クラネルの横にいた少女の衣服に似たそれを袋にして担いで、こんな場所で貸金庫の鍵なんかを握り締めて。これで冤罪であると言うのなら、別に全財産を渡したっていい。

 

「何すんだテメェ!!」

 

「その袋と鍵、渡してくれますか?アーデさんに返しておきますから」

 

「はぁ!?何ふざけたこと言ってやがる!!」

 

「なるほど、ではこのまま下の階層まで連れて行きますね」

 

「なっ!?……っ!っ!?な、なな、なんだテメェ!?」

 

「おい!離せ!離せ!!」

 

「貴方は何も奪っていないみたいですね。まあ私の手も二本しかありませんので、この2人は連れて行きますね」

 

「!?……!?!?」

 

袋を担いだ1人、鍵を持った1人。ノアは彼等の首根っこを引っ捕まえて、強引に下の階層へと連れて行く。

ただの少女のようなその容姿からは考えられないような怪力、そして何度こうして殴り付けてもびくともしない頑丈さ。残された最後の1人がノアの後頭部に向けて拳で殴り付けたものの、それすらも全くダメージになっていないのを見て、それ以上は何もすることなくただ呆然と2人を見送った。

……別にノアからは殴ったりはしない、蹴ったりもしない。投げたり引き摺ったりはするが。どんなに相手から殴られても蹴られても構わない、どうせ効きはしないのだから。ただその一切の罪悪感のない姿が気に食わないと言うだけで。

 

「なっ、ななっ、なんなんだよお前!俺達をどうするつもりなんだよ!!」

 

「悪いことをしたら謝りに行く、当然では?」

 

「ふざけんじゃねぇ!!これは俺の物だ!!絶対に返したりするもんかよ!!そうでなくともアイツはとっくに!!」

 

「であれば、死体に謝罪をしてください」

 

「!?」

 

「貴方達がしたことを、その目で見て、その頭で理解して、ちゃんと謝罪をして下さい。その方の遺産も正しい手続きをして受け取って下さい」

 

「お、お前なに言って……」

 

「小さな少女がモンスターに臓物を引き摺り出され命を失った身体の前で、頭を擦り付けて謝罪をしてくださいと言っているんです。……強盗だけでなく殺人まで?ふざけないで下さい、絶対に許しません。逃げて忘れられるなんて思わないで下さい。その目と頭に、自分のしたことを深く刻み込んで下さい」

 

「ひっ」

 

盗みだけなら、まだやり直せる。そこには何か、どうしようもない理由だってあるのかもしれない。同情の余地はある。……だが、殺人は駄目だ。盗みのために殺人まで犯すのは、絶対に駄目だ。それどころか殺人をして逃げ出すなど、背を向けるなど、そんなことは絶対にあってはならない。

ノアの中のまだまだ幼い価値観が、むしろ残酷な行動を強制させる。殺した人間の目の前まで連れて行き、その最期の様子を2人の目に刻み付ける。そして自分がしてしまったことを、強引に直視させる。ノアは本気でそれをさせるつもりだった。

 

「お、思い出した……!こいつ"迷異姫"だ!!」

 

「なっ!?"迷異姫"!?ロキ・ファミリアの、レベル6!?」

 

「知り合いからアーデさんと行動を共にしていた少年を助けるように頼まれています。……仮にその2人に危害を加えたのが貴方なのであれば」

 

「ち、違う!!俺達はアーデを!!……あのガキを騙したのはアーデの方だ!!」

 

「だからなんですか?そうであったとして、貴方達がアーデさんを殺したのは間違いないんですよね?」

 

「そ、れは……」

 

「酒のために女の子の命を奪ったんですか?」

 

「………」

 

「あなた何歳なんですか?」

 

「………」

 

「貴方の人生、最後までそのままでいいんですか?」

 

「っ……」

 

「私にはその酒の魅力は分かりません。ですが貴方達はお爺さんになって死ぬまで、そうして酒のために他の全てを犠牲にするんですか?誰にも胸を張れることをせず、ただ蔑まれるだけの人生でいいんですか?」

 

「〜〜〜!!うるせぇ!!テメェには関係ねぇだろうが!!」

 

「人の命を奪ったのは誰ですか!!」

 

「「っ」」

 

「他人の命を奪った時点で!貴方達の行動は多くの人間に迷惑をかけているのだと、悲しませているのだと、どうして分からないんですか!!知り合いが悲しむと言う時点で!私だって十分に関係しているんですよ!!」

 

Lv.6の人間の本気の圧を感じて、男達は本当の恐怖を感じる。その恐怖は普通のものでなく、彼の中に僅かに潜む狂気を垣間見てしまったからこそ、心の底から震え上がらせた。自分達は知らずに、踏んではならない虎の尾を踏んでしまったのだと。

単なる少女かと思っていた目の前の人間は、僅か3年と少しでレベル6にまで登り上がった異常な人間であったのだと。頭が冷えた今になって、思い出したのだ。

 

「ああぁぁぁあああっ!!!!」

 

「痛っ……」

 

「逃げろ!逃げろ!!」「うあぁぁああああ!!!!!!」

 

「っ……本当にいいんですか、それで」

 

咄嗟にノアの手を斬りつけて、荷物も何もかもをかなぐり捨てて彼等は逃げていく。アーデのものと思われるそれは、ノアの頭に向けて叩き付けられた。

……別に痛くはない。

痛くはないが、痛い。

本当にそうして生きていて、辛くないのか。

足を踏み外してしまった人間の思うことは、踏み外していないノアは理解することが出来なかった。人外の領域まで足を踏み外した彼のことを、周りの人間が時々理解出来なくなるように。

 

 

それからノアは、そのまま下の階層へと下っていった。アイズはまだ先の階層まで走っている。しかし先ほどの男性達の様子を見るに、それほど離れた階層ではないと予想していたから。……とは言え、目的の人物を探し出すのに、本当にそれほど時間がかかることもなかった。

 

「……はぁ、また会いましたね」

 

「!貴方は……」

 

「そちらがアーデさんでよろしいですか?」

 

「え?……あ、それ」

 

「先ほどすれ違った冒険者達が置いて行きました、これは貴方のでしょう?お返ししておきます」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

今頃は死んでいる、なんて言われていた彼女だが、しかしどうやらベル・クラネルは救出に成功していたらしい。

……やはり会いたくは無かったが、まあこれはエイナの頼みを聞いた時点で覚悟していたことでもある。それに改めて顔を合わせて、思い出した。そう言えば彼はいつもこの少女と赤髪の鍛治師を連れていたなと。

それと、そう言えば彼はミノタウロスを倒してLv.2に上がるんだったなと。

まあノアにとっては、今更それはどちらも有益な情報ではないが。

 

「あ、あの……ありがとうございます!」

 

「いえ、お礼ならエイナさんにお願いします。私とアイズさんに彼を助けて欲しいと願い出たのは彼女ですから」

 

「エイナさんが……そ、それにアイズさんも居るんですか!?」

 

「……?会いませんでしたか?私より先行していた筈ですが」

 

「………!もしかしてさっき助けてくれたのは!」

 

「お礼なら私から伝えておきますよ」

 

「あ、ありがとうございます。……その、お願いします」

 

「いえ、構いません」

 

まあ何はともあれ、これで依頼は完了だ。自分は特に何もしていないが、2人が無事であるというのなら、それほど未来も大きく変わることはないだろう。彼女が死んだと聞かされた時はその焦りもあったが、なんとなく安堵することが出来た。……まあ、その肝心の未来をもう全く思い出せないので何の意味もないが。どうせこの意識すら、直ぐに忘れてしまうことなのだし。

 

「あ、その……また助けて貰っちゃって」

 

「いえ、助けたのはアイズさんです。私は何もしていません」

 

「そ、そんなことは……」

 

「私はエイナさんに恩を返すために行いました、アイズさんには私のお願いで手伝って貰いました。私はアイズさんに恩を返す必要がありますが、別に貴方は恩を感じなくとも問題ありません。ただし、エイナさんにはしっかりとお礼を言ってください」

 

「そ、それはもちろん……」

 

「それでは」

 

「ま、またですか!?せめて名前くらい……!」

 

「名乗るほどの者ではありません。恐らくもう2度と会うこともないと思いますので、それでは」

 

いや、まあ、会うことは嫌でもあるのだろうけれど。それほど意識はしないで欲しい。将来的には難しいかもしれないが、取り敢えず今のところは、それほど認知して欲しくない。

……そう、思っていたのに。

 

「どうして教えてくれないんですか!?」

 

今日のベルは、変に積極的だった。

ノアは狼狽え、隣のリリルカ・アーデも彼のそんな姿に少し驚いている。

 

「っ、教えたくないからです」

 

「どうしてですか!?」

 

「……とにかく、あまり私に関わらないで下さい。貴方は貴方の人生を生きる。今は私なんかより、貴方の隣にいる少女に気を掛けるべきでは?」

 

「っ」

 

「時と場所を考えて下さい。私はこれからアイズさんを迎えに行きますが、貴方はこれから彼女を地上に連れて帰らなければいけないのでしょう?……今は私なんかより、彼女のことを気遣ってあげて下さい」

 

「……はい」

 

「……2度と会うことはない、というのは撤回します。ただ、一先ず今日はこれで。……この回復薬を使って下さい、差し上げますので」

 

「え、でも……」

 

「好意は素直に受け取って貰えると嬉しいのですが」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「ええ、それでは」

 

まあ、適当なことは言うべきではないというのが、この件から学ぶべき教訓なのかもしれない。ノアは回復薬を2本彼に手渡し、下の階層へ向けて歩く。あの疲労具合であれば、帰るだけなら問題ないはずだから。そうでなくとも荷物もボーガンも取り戻した、少し休めばあの少女も元の役割をこなせるようになる。

 

「……はぁ、結局こうして譲歩しちゃうんだから不思議」

 

仮にも自分のライバルなのに。

どうしてこうも、変に関わりを持ってしまうのか。

 

「まあ……単に私がアイズさんの隣に居るから、だとは思いますけど」

 

そう考えると、自然と邪魔をしている気がして。これでいいんだ、良くやったぞ、と思いつつ、変に罪悪感も感じてしまう。だがここは流石に引くわけにはいかない、今回こそは彼に譲る訳にはいかないのだから。

 

 

 

「ごほっ、ごほっ……」

 



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43.一筋の○

結局、そうしてノアがアイズを見つけたのは、その直ぐ下の10階層に来たところだった。何かを悩んでいるような顔をしてポツンとそこに佇み、ジッと虚空の1点を見つめている彼女。そんな珍しく不思議な様子をした、妙に神妙なアイズの姿。

 

「アイズさん」

 

「!……ノア」

 

「お疲れ様です。彼は無事でしたよ、ありがとうございました」

 

「ううん……そっか、急いでたみたいだから」

 

「アイズさんに感謝を伝えて欲しいと、そう言われています」

 

「……うん、ありがとう」

 

「いえ、それより……」

 

ノアを見つけると同時に小走りで走り寄って来た彼女は、なんとなく申し訳なさそうで、けれどなんとなく心配そうな顔をして、モジモジとしながら彼の話を聞く。

もちろんそんな彼女の様子に気付かないノアでもなく、ノアは俯く彼女に目線を合わせるように少し姿勢を屈ませながら、話を聞く姿勢を作った。

 

「なんでも話して下さい。私は何があってもアイズさんを助けますよ」

 

「!……ありがとう、すごく嬉しい」

 

「約束ですから、大切な」

 

さて、今回はどんな厄介ごとに彼女は巻き込まれてしまったのか。しかしそれがどのような内容であったとしても、ノアがそれを断る筈がない。彼女を助け、彼女の側にいると誓ったのだから。彼女が求めることなら、嫌な顔ひとつせず受け入れる。そして着いていくとも。そのためにつけた力だ。

 

「あの、ね……」

 

そしてアイズは話し始めた。

この階層に現れた不審な人物、そして頼まれた24階層で発生したモンスターの大量発生の鎮圧の依頼。この依頼が以前にリヴィラの街に現れた赤髪の調教師や、宝玉に関係している可能性が高いということ。……そんなことを聞かされてしまったら、アイズに断ることなど絶対に出来ないということまで。

 

「分かりました、私も行きましょう」

 

「ありがとう……その、ノアも来てくれるって、勝手に伝言もしちゃったから……」

 

「私のことを信じてくれたんですね」

 

「……うん、ありがとう」

 

「いえ、むしろ私の方こそ嬉しいんです。アイズさんが信じてくれたのが」

 

人によっては傲慢とも言うかもしれないが、ノアなら絶対に着いてきてくれるという確信を持ってくれているというのは、ノアにとっては何より嬉しいアイズの変化だろう。

それに、そうしてノアが言葉を返すと、アイズは嬉しげに笑顔を見せて、彼の手を取る。こうして自然と彼の手を取ることが出来るようになったのも、ある意味で彼に甘えて、それを当然のことではないと自分を戒めるようになったのも、間違いのない彼女の成長である。

 

「……ねえノア、どんなお礼が欲しい?」

 

「へ?」

 

「今回のお礼」

 

「い、いえ!そんなお礼なんて……」

 

「貰って」

 

「っ……そ、そういうことであれば」

 

「何が欲しい?」

 

「そ、そう言われるとその……う〜ん、私も困ってしまうといいますか……」

 

「…………」

 

 

 

 

「………キス、する?」

 

 

 

「ぶふっ」

 

 

「頬に、とか……」

 

「そ、そそ、そうですよね!そうですけど……いや!それでも十分に嬉しいんですけど!!」

 

「じゃあ、これが終わったら……約束」

 

「は、はい………あ、あの。ありがとう、ございます」

 

「ふふ、お礼なのに」

 

「そ、そそ、そうかもしれませんけど……!」

 

そうであったとしても。

いや、だって、ほら。まさかそんな、ここまで来ることが出来ていたなんて。あのアイズ・ヴァレンシュタインが、たとえ頬にであったとしても、他人にキスをしようとしているのだから。これがどれほどの偉業か分かるか、これがどれほど大きな変化であるのか分かるか。彼女が自分のキスが相手のご褒美になると認識しているのだ、もうこれだけでウダイオスを倒すよりよっぽど凄い。

 

(ああ、これ今日でわたし死んだりしませんよね……)

 

ただまあ、ノアがそういうことを思うのはあまりにも縁起が悪い。

 

 

 

ノアとアイズがそうして24階層に向かおうとしている頃、本拠地ではロキとリヴェリアが話し合っていた。話題はそう、ロキがノアの部屋から持ってきていた"とあるノート"について。

 

「こ、れは……」

 

「せや、ノアがメモしとった未来の出来事についてや」

 

「……これは、本当に3年程度の代物なのか?あまりに劣化が酷い気がするが」

 

「ま、なるべく自然に情報消すにはこうするしかないやろうしな。内容的にもこれ2冊目か3冊目やろ」

 

「……これを知っても、問題はないのか?」

 

「それが怖かったから、ノアは何も言わんかったんやと思うで。……自分も一回怖い目見たんやろ。誰にも自分からは言わんかったんやから、それこそレフィーヤにもリヴェリアにも」

 

「………」

 

本来知るべきではない、存在しないはずの記憶。多少の物理法則を捻じ曲げてまでも異様な劣化をさせるほどに、この世界が存在を抹消しようとしている情報。

……その情報の根源とも言える彼は、果たしてどのような体験をしたのだろう。今目の前にあるこれを読むことにすらも抵抗があるリヴェリアは、それを想像することすらも恐ろしい。

 

「せやけど、ノアを救う手段があるとしたらここしかない」

 

「!」

 

「そもそも、このノートをノアから奪うことがウチのそもそもの目的やったんや。……世界による修正。その対象が前のノアの意識や記憶やとしたら、それを維持しとるのは間違いなくコレやからな」

 

「……だがそれは」

 

「ああ。ここの内容を知ったら、巻き添え食らう可能性はあるかもしれん。……せやから、こうする」

 

「?」

 

ロキはペンを取り出すと、その劣化したノートの何も書かれていない表題のところに何かを書き始めた。いきなり始まったロキの奇行にリヴェリアは眉を顰めるが、しかしここでふざけるほどロキも常識が無いわけではない。

 

「妄想ノート……?」

 

「あんな、必要なのは結局のところ建前や。これを単なる妄想を綴ったノートってことにしとけば、修正力は弱まる」

 

「……ふざけて、いないのだな?」

 

「当然、こんなもんで全部どうにかなるほど生優しいもんやない。せやけど、状態をちっとばかし維持する程度ならこれだけで十分やろ。実際、妄想の可能性も無いこともないしな」

 

「……だが、ノアの行動も以前とは違っているのだろう?そこに私達までこれを見たら、建前はどうあれ、どうやったって未来は変わってしまうと思うのだが」

 

「過去に遡った時点と、概ね同じなら問題ないねん。……つまり、最終的に生きとる人間と死んどる人間が同じようになるくらいの調整がされる。そこに至るまでの過程はどうでもええんや、着地点が同じならな」

 

「正直、そこがあまり理解出来ない」

 

「ま、こればっかりは時の女神共が自分等の仕事減らすために作った仕組みやろうからな。簡単に、時間を遡っても着地点は殆ど何も変わらないって思えばええ。そら1度目と2度目でより将来的な未来は変わるかもしれんけど、それはまだ誰にも観測されとらんからな。ぶっちゃけ時の管理上はどうでもいい。観測されとらんから、どうとでも言い訳が出来る」

 

「……であるならば、やはりノアの死を回避する方法は無いのではないのか?ノアが死んだ後の私達の未来は変わるかもしれないが」

 

「……さっき言うたやろ?建前が必要やって」

 

「!」

 

「着地点に戻って来た時に表向きは死んどっても、『実はこういう理由があって生きてました』って後から納得出来るような形にすれば問題ないと思うんよ。……これはあくまでウチの予想やけどな」

 

「……問題は人の生き死にではなく、その時点の状況に矛盾がないかどうか。ということか?」

 

「そうやといいな、って。まだ思っとる程度や」

 

恐らく運命という名の感情はあるとは言え、過程はある程度どうにでもなる。どうにもならないのは最後の着地点だけ。だが表面上だけでも結論を再現すれば、それで時の神々を納得させることは出来るのではないか。……実際にノアが死んでいなくとも、全ての者がノアが死んだと思い込んでいれば、世界を騙すことは出来るのではないか?

ロキはそう考えたのだ。

それは時の権能など持ってもいないロキの願望も伴った予想ではあったけれど、他にどれだけ考えてもこれ以外にノアを生かす方法が無かった。もし実際に人間の生き死にがカウントされるような仕様があったのなら、これからロキがしようとしていることは完全に無駄になる。それを確信する方策はない。オラリオに居る時の女神達も、それだけは教えてはくれないだろう。……つまり、これは大きな賭けになる。

 

「せやからリヴェリア、これを見るのはウチだけや」

 

「っ!?どういうことだ!!」

 

「この中身を見るのはウチだけや。リヴェリアには、ウチがこれを読んだってことだけ知っといて欲しい」

 

「……つまり、これから先のお前の行動に理解を示せと。そういうことか?」

 

「ま、こればっかりはな。神がやった方がええやろ」

 

「分かっているのか?お前にもしものことがあれば……」

 

「そうならんようには意識するつもりや。……せやけどな、リヴェリア」

 

「?」

 

「……仮にこのままノアを死なせたら、遅かれ早かれファミリアは止まるで」

 

「っ!?」

 

それは神ロキとしての勘。

そして今日まで自分のファミリアを見てきたからこそ、多くの抗争を体験してきたからこそ、経験と知識も含めてその結論を出した。これから起こり得る何かを含めて、予測した。

 

「アイズもレフィーヤも、機能せんくなる。アイズは時間を掛ければ立て直せるかもしれんけど、レフィーヤは絶対無理や。……これから先のことを考えると、2人の存在は間違いなく必要不可欠になる」

 

「………それは」

 

「ま、その辺もこれを読めば分かるんやろうけどな……はぁ、こんな嫌なドキドキ久しぶりやわ」

 

そうして、早速ロキはそのノートを開いて読み始めた。リヴェリアはただその様子を見守るだけ。何か起きても困る、しかし起きたとして何も出来る気がしない。そんな複雑な気持ちで座っているしか出来ない自分が、なんとももどかしくて……

 

 

 

「…………………………………ぁぁぁぁぁぁあああ」

 

 

「ど、どうした?まだ読み始めたばかりだろう」

 

「……すまんリヴェリア、これウチ後で読むわ」

 

「な、何があった?」

 

「……心がキツすぎる」

 

「あぁ……」

 

その一言だけで、リヴェリアもなんとなく察した。それはまあ、本当にそこにただ情報だけが書いてあるなんて思っていなかったけれど。

……ロキの想像が本当なら、もう2冊目か3冊目のそれ。書き直して、書き直して、ふと気付けば自分の記憶からも消えていることが多くて。だからこそ覚えているうちに全てを書こうと、そう思ったであろう。

分かるだろう。

いくら未来のことをメモするためとは言え、それだけのためにこんなノート一冊を丸々と使うほどに書くことがあるか。何かが起きる、程度の内容ではない。……全て、全てが記録してあるのだ。当時の彼の気持ち、それを思い出している彼の気持ち、それを踏まえてこれからどうすべきかという自身への反省と叱咤。

 

「……こないなもん、読ませられるか」

 

ロキは心から称賛した。この全てを自分だけで完結させることにした、数分前の自分の英断を。

 

 

 

 

 

 

ノアのノート(一部抜粋)

 

日付:覚えていない(遠征の日、怪物祭より後)

場所:ダンジョン上層

内容:ベル・クラネルがLv.1でミノタウロスを倒す。Lv.2になった直接の偉業。

詳細:彼については以前から聞いていたし、アイズさんに助けて貰ったとか、アイズさんが稽古を付けていたとか、アイズさんが何処かで膝枕をしていたとか、そういう話も聞いていた。しかしそれまでは何処か『所詮は新人冒険者』という油断が心の中にあった。実際に彼の戦う姿を目の前で見て、能力値オールSという異常を見せつけられ、そんな彼の背中に手を伸ばすアイズさんを見て、漸くその時になって悟った。彼こそが自分にとって最大の難敵なのだと。……それとこの時に僕のLv.2への最短記録も消滅した。僕の打ち立てた唯一と言ってもいい他の人より優れた偉業は、彼によって塗り潰された。

僕の特別は無くなった。

僕が誰かに誇れる物はなくなった。

……最初から彼は特別で、僕は特別では無かったけれど。

 

日付:この時の遠征

場所:ダンジョン50階層

内容:フィン団長達がボロボロになって帰って来た

詳細:59階層に仕掛けたアイズさん達が、何かとんでもないものと遭遇したらしい(精霊?って言っていたような)。いつも通り僕は50階層で留守番、2軍とは言え末端のLv.3なので仕方がない。……仕方がないが、やはりLv.4にならなければ認められないし、彼女の隣にも立てないのかもしれない。ステイタス的には十分、あとは偉業だけだった。

なので今回は絶対に最低でもLv.4以上にはならなければならない、レフィーヤさんのように魔法の才能が無いのであれば絶対だ。剣の才能も魔法の才能もない僕は、とにかくステイタスを上げる以外に伸び幅がない。大丈夫、レベルを上げることは比較的得意な筈だ。今回は不死のスキルだってある。ベル・クラネルのことを考えると、そしてアイズさんと対等になることを考えると、Lv.5でも物足りない。足りないものはとにかく時間を掛けて埋めるしかない。痛くて苦しい思いをするだけで、あの人に追い付けるというのなら。きっと才能のない僕にとっては、それはあまりにも安いものだから。次こそはこの遠征の時に、僕もアイズさんの隣に居られるように。

 

日付:(ページ全体にバツ印が書かれている)

場所:

内容:

詳細:才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。才能がない。ステイタスの伸びが悪過ぎる、あと2ヶ月以内にLv.3にならないといけないのに。こんな物を書いている場合でもない、地上に戻っていられる暇もない、店探しや容姿の勉強をしていられる時間もない。これだけ戦闘を重ねているのに自分が成長している気が全くしない。ベル・クラネルのように自分より格上の存在に勝てる気が全くしない。剣も魔法もスキルも何もかもが自分の才能のなさを自覚させに来る。ベル・クラネルが特殊なスキルでレベルを上げていると前の時にリヴェリアさんが予想していたのを聞いたことがあるが、それでもステイタスだけでミノタウロスに勝てる訳がない。単純な剣技で僕はあの時の彼に勝てる気がしない。時間がない、時間がない、時間がない。どうして僕には、私には、こんなにも何もないのか。そもそもこれはこんなことを書くためのノートではないのに。

 

日付:遠征より後

場所:ダンジョンではない地下迷宮

内容:何かに襲われて、死んだ。

何に襲われたのかはもう覚えていないが、ダンジョン以外の地下迷宮がこのオラリオにはある。私はそこで調査中に殺された。確かリーネさんは助けることが出来たと思う、正直記憶も薄いどころか、意識も殆どなかったので覚えていないことの方が多い。ただ闇派閥の残党が関係しているのは覚えている。何人があの時の調査で亡くなったのか、あの後のロキ・ファミリアはどうなったのか。……私の死で、誰かは悲しんでくれたのだろうか。団員の一員としても認められていなかった未熟者だ、そこまで求めるのは烏滸がましいにも程があるのかもしれない。だから今回は、ロキ様に『将来性を見込んで合格』なんて言われないように努力をしないと。大丈夫。Lv.6になることが出来たら、きっと受け入れて貰える筈だから。容姿も、心も、しっかりと綺麗に直して。今度こそ、ちゃんとファミリアの一員になりたい。

 

 

目標

・Lv.6になる。

・ロキ・ファミリアに入る。

・リヴェリアさんの信頼を得る。

・ロキ様に団員の1人として認めて貰う。

・容姿を改善する。

・もっと綺麗な心になる。

・アイズさんと対等になる。

・アイズさんに認められる。

・アイズさんと恋仲になる。

 

 

 

 

 

早く楽になりたい



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44.静かな○

最近になって、ダンジョンの中を歩くだけでも以前とは全然違う心持ちで居られるようになったなと、アイズは思う。

以前は強くなることに必死で、とにかく焦りに駆られてダンジョンに潜り、朝から晩までずっと張り詰めたような心苦しさがあった。だからダンジョンにいる時は努力しているという安堵はあっても、常に何かに削られているような感覚を拭うことが出来なかった。……けれど最近は、もっと自然な気持ちで、もっと落ち着いた気持ちで向き合うことが出来ている。むしろこうして歩いているだけでも、明るい気持ちで居ることが出来る。

 

「……… ♪」

 

理由は明確だった。

それは今もこうして、自分の右手から伝わって来る人の温もりがあるから。その人が側に居てくれるから。その人を信じることが出来るから。

こうしてアイズの好きな時に手を握っても、彼は絶対に嫌がらない。むしろ喜んでくれるから、アイズも何も気にすることなくその手を握りにいくことが出来る。それでも物足りなくなったら、その腕を掴みにだっていく。……それが出来る人が居る。それを許してくれる人が居る。それをしても良い人が隣に居る。それだけで心に灯っていた黒い炎が、一瞬にして掻き消されてしまうのだ。それを優しく消してくれる人が、アイズの目の前に現れたのだ。

 

「ふふ、どうしたんですか?私の左手がアイズさんに取られてしまいそうですね」

 

「ん……痛かった?」

 

「いいえ、むしろ嬉しいです」

 

「……落ち着くから。一人じゃないって、思えて」

 

「ええ、ちゃんとここに居ますよ」

 

彼の腕は女性のように細いのに、しっかりと硬くて、こうして触れると意外と頼り甲斐がある。自分より温かくて、香水を使っているのかなんとなく心地の良い甘い香りがして、握り締めた手からは言い方は変かもしれないが、彼がちゃんとここで生きていることをアイズに教えてくれる。

 

「……あのね」

 

「はい」

 

 

「……キス、したら。ノアのこと、選んだってことに、なるのかな……?」

 

 

「っっつ!?」

 

「頬でも、いいのかな……?」

 

腕に抱き着きながら、上目遣いでそんなことを言ってくるアイズ。そんなもの最強に決まっている。

最初はレフィーヤに先を越されたかのように見えた彼女、しかし最近になってのその追い様は凄まじい。元よりあった小悪魔気質、そこに彼女の甘えたがりも加わって、彼女は完全に最強の存在と化していた。

……誰も指摘することがないだろうから言ってしまうが、こんなものは普通に考えて、もう選んでいるようなものである。実際そう思っているからこそ、アイズはこうして何の躊躇いもなく甘えている訳で。そこを既に割り切っているからこそ、あとはそのタイミングが欲しいだけで。

 

「な………なるんじゃ、ないでしょうか……?」

 

「そっか、なっちゃうんだ……」

 

「な、無かったことに……しちゃいますか……?」

 

「……ううん、しない」

 

「!」

 

「無かったことには、しない」

 

「そ、そうですか……」

 

「うん……約束は、守らないと」

 

「……はい、そうですね」

 

こんなもの、もう殆ど告白も同然だろうに。けれどそれは、一先ず今回の騒動が終わるまでお預け。そう約束したから、仕方がない。約束してしまったから、今はここまで。

 

「ノア……」

 

「は、はい……」

 

「…………今日、ゴライアス居ないね」

 

「そ、そうですね。まだ復活してないんでしょう」

 

 

 

「……誰も、いないね」

 

 

 

「……はい」

 

 

どちらともなく、足を止める。

背はノアの方が少し高いくらい、ノアにとってはこの背丈こそが前の時との何よりの違いだった。何よりこの異様な成長に感謝をしていた。だからこうして、彼女のことをしっかりと抱き寄せることが出来るから。一般的な男性よりは低くても、それでも求めていた必要最低限をなんとか確保出来た。……たったそれだけで、こんなにも幸福を得られることができる。たったそれだけで、彼女が自分を見る視線が変わっている。もちろん、理由はそれだけではないだろうけど。

 

「……こうやって甘えちゃうの、良くないよね」

 

「どうして、良くないんですか?」

 

「だって……いつも、だから……」

 

「私は嬉しいです、もっとして欲しいくらい」

 

 

「……私もずっと、こうしていたい」

 

 

「!」

 

「ノアと、レフィーヤと、3人で部屋で寝てた時……」

 

「はい」

 

「……すごく、幸せだったの」

 

「……私もです」

 

「あんな風に怠けてたのに、すごく心地良かった」

 

「………はい、すごく」

 

「帰ったら、またしようね」

 

「はい」

 

ぎゅ〜っと、アイズは彼の胸に顔を押し付ける。Lv.6になった自分が思いっきり抱き締めても、同じLv.6である彼は問題なく受け入れてくれる。むしろ嬉しげに、こうして包み返してくれる。誰かに包まれているというその感覚に、このまま溺れてしまいたくなる。

こんな幸せが続くというのに、どうして過去の自分はもっと早くに彼を選ばなかったのだろうと。今ではそう思ってしまうほどに、アイズは浸っている。……けれど、あの失敗があったからこそ今の自分があるとも、理解している。だから何も間違ってはいなかったのだ。自分は最善の道を歩むことが出来たのだと。今ならもう、そう思える。

 

「げほっ、ごほっ……んぐっ……」

 

「?」

 

 

 

「確か……18階層で協力者の方々と合流するんでしたよね」

 

「うん、『黄金の穴蔵亭』っていう酒場なんだって」

 

「なるほど」

 

さて、そんなふうにイチャイチャとしていた2人であるが、もちろん18階層に入れば切り替える。流石にここには普通に人の目があるので、ここからはちゃんとお仕事モードだ。その辺りの切り替えはしっかりと出来る、そこは流石に2人とも歴戦の冒険者としての気質か。

 

「いらっしゃい」

 

「どうも……」

 

「どうも、こんにちは………ん?」

 

 

「………ん?」

 

「え?」

 

「は?」

 

「おい……」

 

「おいおい、まさか……」

 

「え?なんでここに……?」

 

そうして入った小さな酒場。町から少し離れた場所にあるそこは、2人が入ると既にかなりの数の冒険者達が待機していた。一見しただけでは、特に共通点もない人の集まり。アイズも知った顔はそれほどなく、それでも間違いなくそれなりの強さを持っていると分かるくらいの雰囲気。……しかしなによりその冒険者達は、他でもないノアがその全ての顔を知っていて。

 

「あの……一応、一応確認させて貰っていいですか?」

 

「は、はい」

 

「……注文は?」

 

「ジャガ丸くん抹茶クリーム味……」

 

「よりにもよって貴方達ですか!!!」

 

「???」

 

アイズには何が何だか分からない。

しかしノアがこの場に居る全員と顔見知りであり、目の前の青髪の女性:万能者アスフィ・アル・アンドロメダが何やら激昂したということは分かった。……ただ、先も言ったがアイズの知っている顔もある。それは以前のリヴィラの街襲撃の際にアイズとレフィーヤが助けた犬人の少女。彼女はまたここに居て。

 

「ノア……どういうこと?」

 

「あ、えっと……ここに居る皆さん、全員ヘルメス・ファミリアの方です」

 

「え?」

 

ザッと見渡し、その全ての冒険者達が一様に頷くのをアイズは見る。……つまり、今回の件の協力者。それはアイズが想像していたような適当な冒険者の集まりではなく、ヘルメス・ファミリアそのものであったということだ。

それはノアも知っている筈だ。なにせ彼は元々ヘルメス・ファミリアに所属していたのだから。それがたとえ形だけのものであったとしても、決して何の関わりもなかった訳ではない。

 

「お、お久しぶりです。皆さん」

 

「いえ、まあ……はあ、とにかく元気そうでなによりです」

 

「ああ、そうだな。半年寝たきりって聞いた時は驚いたが、その様子だともう大丈夫そうだ」

 

「おっ、ってことは今日は久々に我等が元トップ様と冒険出来るってことだよなぁ?こりゃ気合が入るぜ」

 

「ま、まあ実際には2、3回くらいしかお供出来たことないんですけどね」

 

「気楽にいけていいじゃないか」

 

「これ、もしかして簡単な依頼になる?」

 

「分け前が減るなぁ、まあいいけど」

 

これも主神の影響なのか、それとも主神がわざわざ集めて来た人材だからなのか、好き勝手に話し始めた団員達に、ノアは困り顔で笑うしかないし、アイズは困惑するばかり。

……まあ実際、ノアが彼等と接したことはそれほど多くはないので仕方がないと言えば仕方がない。席だけはあるし、レベルアップの報告は受けているのに、その本人が1月に2〜3回程度しか地上に戻って来ないのだ。遠征だって殆ど彼が1人でこなしていたし、定期的にアスフィが一行を連れて疑似遠征を行っても、彼だけはそこに居ない。最後の方には何度かその疑似遠征にも着いてくることはあったが、その時も彼は全体の指揮には入らず、基本的には団員のフォローをしていたので、元同僚という感覚すら無い者も多いだろう。

 

「………」

 

「あ、お久しぶりです。スィーリアさん」

 

「………」

 

「あらぁ♡私には何もないの?ノア♡」

 

「あ、あはは……タバサさんも、お久しぶりです」

 

「むっ」

 

とは言え、こうして世話になった相手も居る。無口で基本的に言葉のないエルフの女性であるスィーリアに頭を撫でられると、今度は横から現れた獣人の女性であるタバサに彼は抱きつかれ、その頬を指で何度も弄ばれる。彼等2人はとある事情から、ノアがヘルメス・ファミリア時代にもとてもお世話になった。アイズはその様子に頰を膨らませるが、こうして顔を合わせるのも1年ぶり。半年も眠っていたという彼の話は聞いていたし、アイズが思っている以上にノアは心配されていた。

 

「あの、えっと……アスフィさん。それで、一体どうしてこんなことに?」

 

「ルルネがレベルを偽っていることを脅されました」

 

「あ〜……」

 

「め、面目ない……」

 

「脅された?……あの黒いローブの人に?」

 

「うぅ、そうだよ。くそぅ、あんなことに首突っ込むんじゃなかったぜ……」

 

「……ですが、協力者が貴方達となれば話は別です。最初はこんな厄介事と思っていましたが、貴方達が居るのでしたらかなり楽が出来るでしょう」

 

「そ、そそ、そうだよな!報酬も良いし!」

 

「ルルネ?」

 

「わ、悪かったよぅ……」

 

どうやらルルネという犬人の少女は、最初に宝玉の運搬を依頼してきたローブの人物に、ファミリアの弱みを握られてしまったらしい。まあ実際、ヘルメス・ファミリアはファミリアの等級を落とすためにかなりレベルの詐称を行なっている。これがギルドにバレれば、相当な罰金を支払うことになるだろう。それこそ詐称していた期間が長いだけに、とんでもない規模の。

そうでなくとも主神であるヘルメスの我儘に駆り出されることの多い彼等にとっては、特にアスフィにとっては、今回の依頼というのはかなり気の重い話だったはずだ。リヴィラの街が襲撃され、ロキ・ファミリアも関わっているほどの案件。しかも依頼して来た人物も如何にも怪しい様相。そこにノアとアイズが来たのは、正に渡りに船といった形か。

 

「ん〜……それなら、一先ず指揮はアスフィさんにお願いしたいと思います。私やアイズさんより経験がありますし、上手く使って貰えるとも思いますので」

 

「私も、それで構いません」

 

「そうですね……分かりました。そうしましょう。ノア、貴方のステイタスは以前と何か変わっていますか?」

 

「スキルで前より堅くなりました」

 

「……具体的には?」

 

「防御力だけならガレスさんくらいあります」

 

「エ、重傑(エルガルム)と同等……」

 

「嘘だろ……」

 

「それと一応まだ公表されていませんが、アイズさんもLv.6になりました」

 

「どうも」

 

「れ、Lv.6が2人……!?」

 

「……これ、俺たち要るのか?」

 

「一応これは私達の予想ですけど、恐らくこれから向かうところは私達2人だけではどうにもならないです。Lv.6相当が1人と、Lv.3相当のモンスターがウジャウジャと居る場所だと思うので」

 

「おいもう帰ろうぜ!!」

 

「ルルネぇえ!!!」

 

「そ、そそ、そんなとんでもないところだって知らなかったんだよぉぉおお!!」

 

「い、一応それは最悪の場合なので!違うかもしれませんから!!」

 

どちらにしても、ここまで来てしまったのだからもう仕方がない。それにここで逃げ帰れば、それこそ主神に怒られてしまうだろう。あのヘラヘラとした主神は、しかしそういうところはしっかりとしているものだ。それが分かっているからこそ、アスフィは困っている。本当にまあ、とんでもないものに巻き込まれてしまったものだと。

 

「はぁ……本当にお願いしますよ、ノア」

 

「はい、出来る限りのことはします。まあ最悪、私を置いて逃げてしまっても大丈夫ですから」

 

「……する訳ないでしょう、そんなこと」

 

「「「…………」」」

 

まあ、こんなでも一応は元団員だから。

過去の疑似遠征の際に、実際に彼1人に殿を任せて逃げてしまった経験があるからこそ、この場に居る団員達は心に決めている。もうあのようなことは絶対にしないと。全身を血塗れにさせながら笑顔で帰って来た彼を見たからこそ、もう2度と。

 

 

 

 

○ヘルメス・ファミリアでのノアのイメージ

 

・団長:アスフィ・アル・アンドロメダ

一番付き合いが長いが、ロキ・ファミリアに入ってから徐々に人間味が出てきたことに安堵している。不死のスキルを知ってはいるが、気を抜けば死んでいそうなイメージがある。ヘルメスの側に居ることが多いために彼の事情も深くまで知っているので、なるべく長生きして欲しい。戦闘に関しては信頼しているし、彼がファミリアに残してくれた財産については心から感謝している

 

・副団長:ファルガー・バトロス

副団長故に多少の関わりはあったが、正直良いイメージはない。これは悪感情的な意味ではなく、脆く儚いイメージが抜けないということ。特に単なる笑顔がいつも泣いているように見えてしまうので、完全に染み付いたその笑みを向けられる度に心を痛めている。それと一度彼が夜中にダンジョンからほぼ半裸で血塗れになって帰ってきたところに遭遇してしまったことがあるため、生来の世話焼き気質が覚醒している。

 

・団員:ルルネ・ルーイ

関わりは殆ど無く、最初に見た時にはダンジョン狂いという噂と彼の容姿のギャップに驚き混乱した。疑似遠征の際に自分のミスでパーティが危機に陥ったところを助けられ、血塗れになって帰って来た彼を見て、未だに罪悪感を抱えている。

 

・団員:スィーシア

当初ヘルメスとアスフィによってダンジョンに潜っていた彼の監視を任されていた。故に一番彼のして来た無茶を知っており、実はそれがアイズのためのものだということまで知っている。時には彼が気絶した際に影ながらモンスターを処分していたりもした。直接話したことは無口故に殆どないが、密かに妹のように思っている。ノアも何度か彼女に助けられていることを知っているため、定期的にお礼の贈り物をしていた。

 

・団員:タバサ

アスフィの紹介によって彼に化粧や美容等を教えていたため、実はファミリアの中でも特に彼との接触が多い。本人曰く、素材も良く素直で教え甲斐があるとのこと。隙あらば頬を触ったりして堪能していたので、彼の移籍に割と普通に落ち込んだ。今も自分の教えた化粧をそのまま使っているのを見て、密かに嬉しく思ったりしている。

 

・団員:エリリー

あの体型で自分より堅いのは心の底から羨ましいと思っている。

 

・団員:メリル

綺麗な女の人だなぁと思っている。

 

・主神:ヘルメス

剣姫に賭けている。



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45.○進撃

目的の24階層に向けて歩く、とは言うものの。

実際にファミリア単位の大人数で移動する際、ダンジョンでの対応というものは中々に難しいものがある。それは単純に人数が多くなるほど楽になる、というほど簡単な話ではない。人数が多いほどモンスターに見つかり易くなり、人数が多いほど手の回らない部分がどうしても出て来てしまう。……だからこそ、そこをどう立ち回るかでファミリアとしての力量が測られるというもの。そして同時に、指揮をする立場の人間の能力も、嫌でも分かってくるというものだ。

 

「……すごい」

 

その点、アスフィ・アル・アンドロメダという人物の指揮能力は非常に高かった。彼女は暗黒期の大抗争の際からファミリアを率いており、経験も非常に豊富だ。特に嫌々ながらヘルメスの側で彼の手伝いをしている分、対応力というものは非常に優秀である。

 

「すごいね、パーティとしての戦力ならロキ・ファミリアの中堅以上ありそう……」

 

「ふふ、そうですよね。アスフィさんの的確な指示があるからこそ、それを信じて皆さんが自信を持って動けるのだと思います」

 

「……あの、恥ずかしいのであまりそういうことは言わないでください。ノア」

 

パーティとしての戦闘経験の多さ、そしてヘルメスの無茶に付き合わされて来たのは団長であるアスフィだけではない。偵察や捜査、潜入まで、ありとあらゆることに付き合わされているのが彼等である。一人一人も相応に高い技量を持っている。

 

「……ファミリアの到達階層って、何階くらいなのかな。公式だと19だったよね」

 

「………………」

 

「……ノア?」

 

「えっ、と……」

 

「あ〜、剣姫。その辺りは少し話し辛い事情がありまして……」

 

「?」

 

「このパーティとしての最高到達階層は37階層です。……ただし、ファミリアとしての最高到達階層は44階層でして」

 

「???」

 

「その、えっと……私が1人で、そこまで行ってしまったことがあって……」

 

「え……」

 

「いえ、あの、その時は本当に頭がおかしくなってたんです……気付いたらそこに居て、44階層の火山地帯を見てようやく正気に戻ったというか……」

 

「………大丈夫?」

 

「も、もう大丈夫です……!」

 

「それを聞いた時には私達も同じことを聞きましたし、実際に治療院にも連れて行きましたよ。……本当に、よくもまあ無事に戻って来ることが出来たなと」

 

「………無、事…………」

 

「ノア……?」

 

「……まさか、貴方」

 

「も、もう1年以上前のことですから!セ、セーフということに……!」

 

「なりません!!」

 

「ひぃん」

 

実はその時、無事に帰れたなんて話はなくて。

44階層から地上に潜るまでに大凡30回近く殺されかけていたことなんて、今更ではあっても言い出せる話ではない。むしろハメ殺されなかっただけマシで、そういう意味では(ノア基準では)何事もなく帰って来れたので、当時の彼はそれで良かったと思っていたのだ。

……複数のペルーダに遭遇してしまい、全身に猛毒の針をぶち込まれてもがき苦しんだ。その上で焼き殺されて、追い討ちまでかけられて。最後は全身を魔法で起爆して、なんとか命辛辛逃げ出して。それでも全滅させることは叶わなくて。結局同じことを何度も何度も繰り返して。……本当に、あれは珍しく死にたいと思ってしまった出来事の1つだった。あの凄惨な様子は、到底人に見せられるどころか、話せることですらなくて。

 

「剣姫、聞いての通りこういう大馬鹿者ですので。どうか馬鹿をやらかさないように見ていてあげて下さい」

 

「はい……大丈夫です。ノアのことは、離さないので」

 

「っ!?」

 

「え」

 

「え」

 

「え」

 

「え」

 

「え」

 

アスフィの言葉に対して、アイズは彼の腰を抱き寄せて、そのまま身体にしがみ付くことで返答をした。……返答してしまった。

大勢の人の目のある場所だと言うのに。彼の古巣であるヘルメス・ファミリアの団員達の前だというのに。彼が無茶をしていたという話を聞いてしまったからか、唐突にそうしたくなってしまった。

それに対して周囲の人間が送る反応は、至極当然のもので。

 

「…………………剣姫。もしかして貴女には、そういう形で他者に親愛を表す習慣が……?」

 

「……いえ、ノアにだけです」

 

「え」

 

「あ、あの、アイズさん?ま、周りの目もありますから……」

 

「……補給」

 

「補給!?なんのですか!?」

 

「……ノア成分?」

 

「私そんな成分放出してましたか!?怖い!?」

 

なんてことを言いつつも、ノアは彼女を引き離そうとはしないし、アイズもグリグリと自分の頬を彼の脇腹に擦り付ける。

……明らかに普通の友人関係ではあり得ない距離感。

ここまで2人の関係が進展しているなどと、少なくともアスフィは聞いていない。他の団員達も同様だ。そもそも団員達の中には、ノアがアイズに惚れていると言うことすら知らない者も多いのだ。それがこんな、ここまで……

 

「け、剣姫?まさかその、貴方達はもう、そういう関係に……?」

 

「…………まだ、ですけど」

 

まだ!?ですけど!?

明らかに"今後"がありそうな彼女のその言い方に、アスフィは目を見開いた。直ぐに彼の方を向けば、彼は照れくさそうな顔で頬を掻くばかり。

 

……いけたのか。

本当にそこまで辿り着けたのか。

 

アスフィは素直に驚愕する。

それこそ最初の頃、アスフィはヘルメスと彼の目的を予想して、『そんなの無理じゃないですか』と言ったことがある。それは今でも変わらない本音の感想だった。

……だが、それを彼は成し遂げたのだと言う。いや、彼女の言葉が正しいのなら、それはまだこれからなのかもしれないが。そこまで行けた時点で十分に凄い。まさか本気でそんなことがあり得るのかと、今でも疑わしいくらいなのに。

 

「ええと……その、アイズさん。すこしいいですか?」

 

「?……うん」

 

「では、失礼します」

 

「ぁ……」

 

「「「!!?」」」

 

「その、わたしたちの事情でパーティ全体の足をとめるのもよくありませんので。話しながらあるきましょう?……すみません」

 

「ぅ、うん……」

 

アスフィとの会話でパーティ全体の足を止めてしまったことを気にしていたのか、ノアは自分に抱き付くアイズを一旦離して、直ぐに彼女のことを抱き上げて歩き始めた。

……それは以前に彼女がしたものとは違って、本当に本当の、ほぼ完璧とも言える姫抱き。寝かせるのではなく座らせるようにして抱き、思いの外に近くなってしまった顔に、互いに顔を赤らめながら視線を逸らす。けれどノアは勇気を持ってこれをしたし、アイズは彼の思わぬその行動に、そして自分がされると意外と嬉しく思ってしまうその行動に、恥ずかしさを覚えながらも自然と自分の腕を彼の首元に回す。

 

……そんなところを見せつけられてしまえば、もう間違いない。アイズのそんな顔を見せられてしまえば、疑うことはなにもない。

 

「ノア……」

 

「あ、どこかいたかったですか……!?」

 

「ううん、そうじゃなくて……」

 

「?」

 

「……顔、近い」

 

「あうっ」

 

「……そんなに近いと、しちゃうよ?」

 

「な、なにをですか……!?」

 

 

「……………後で、ね?」

 

 

「は、はひ……」

 

 

 

ぺっ!!!

 

アスフィは思わず唾を吐いた。はしたない。

いや、普段は彼女は決してそんなことはしないけれど。そんなことを目の前で見せ付けられてしまったら、むしろこうするのが礼儀のようにも感じられてしまったから。いやまあそんなことはないのだけれど。ないのだけれども。

 

「……え〜、この先の小部屋で一旦休憩を取ります。各員準備をするように、以上」

 

はいはい、喜ばしいですね。

そのままどうぞ幸せになってください。

良ければそのまま子供の顔でも見せてください。

投げやりにそんなことを思いながら、アスフィは休憩の準備を始める。これから大変な場所に向かうというのに、なんとも気の抜けてしまうことか。

 

……そんなアスフィの心配は、その後に24階層で大量のモンスター達を単独で殲滅したアイズの姿を見たことで完全に消滅することになる。

少しくらい気を抜いていてもいいのだ。

やるべき時にやれるなら。

まあこの2人の場合、やるべき時にやり過ぎてしまうのが問題だが。

 

 

「っ」

 

「……ノア、どうかした?」

 

「いえ、なにかこう……せなかが」

 

「背中?痒いの……?」

 

「……そうはも、ひれないれす」

 

「?」

 

「……??」

 

 

 

 

 

 

さて、そうして2人がヘルメス・ファミリアと共に24階層へと向かっている頃、地上は地上で大変なことになっていた。……具体的にはレフィーヤが。そしてそんな彼女に着いている、フィルヴィスが。

 

「ぃよし!レフィーヤ!ベート!あとリヴェリアも!!フィルヴィスちゃん連れて24階層へGOや!!」

 

「分かった、行ってくる」

 

「な、ななっ!!なぁっ!?わ、私なんかがリ、リリ、リヴェリア様と……!?そ、そのようなことはなりません!!絶対に!!そうなるくらいなら私は……!!」

 

「さあ行きましょう!フィルヴィスさん!!ベートさんも行きますよ!!」

 

「チッ、指図すんな」

 

「なっ!ななっ!?わ、私に触れるなレフィーヤ・ウィリディス!!私は穢れている!!」

 

「そんなことはどうでもいいんですよ!!」

 

「どうでも!?」

 

「穢れていようが汚れていようが!私が掴む手は私が選びます!!血に塗れていようがどうでもいいです!!」

 

「わ、私と一緒に居たら死ぬかもしれないんだぞ!!」

 

「どーでもいいです!!」

 

「否定が強い!?」

 

「ああもう!時間がないんですから!これ以上あーだこーだ言うようなら、フィルヴィスさんのこと抱えて行きますからね!!」

 

「そ、そうなるくらいなら歩いて……行動が早い!?」

 

「それでは行ってきますね!ロキ!!」

 

「お、おおう……強うなったなぁ、レフィーヤ」

 

「は、離せウィリディス!?私は自分で歩く……!というか私はリヴェリア様だけは穢しては!?」

 

「もういいですよ!18階層までこのまま行きますから!!」

 

「それだけは勘弁してくれ……!!」

 

まあそういう会話もあって、4人はアイズとノアを追って24階層へ向かうことになったのだ。

ロキと話していたおかげで、遠征の準備をすることなく待機していたリヴェリア。前回の時とは違うのは、彼女がこの進行に参加していることだろう。

そしてもう一つ違うのは、レフィーヤが精神的にあまりにも強くなり過ぎているということ。それはもう強くなり過ぎて、リヴェリアと一緒に行くことになってしまって明らかに焦っているフィルヴィスを、そのまま抱き抱えて走り始めたくらいだ。

問答無用で彼女を連れ去っていくレフィーヤ、確かに今回の彼女にとっては穢れていようが汚れていようがどうでもいい。血に濡れていようと吐瀉物に浸っていようと、此度の彼女は本当に大切な人であるのなら、それがどんな状態であろうと何の迷いもなく受け入れることが出来る。それが今のレフィーヤ・ウィリディスであった。

 

「も、もういい!もう分かったから!降ろしてくれウィリディス!!許してくれ!!」

 

「レフィーヤと呼んでください!」

 

「レ、レフィーヤ!これでいいのか!?」

 

「もう穢れているとか気にしませんか!?」

 

「そ、それは、その……」

 

「じゃあもう少しこのままですね!」

 

「わ、わかった!気にしない!気にしないから!!」

 

「ではこのまま手を繋いで行きましょう!」

 

「はぁ!?」

 

「さあ行きますよ!フィルヴィスさんが穢れていないって私が証明しますから!24階層まで手を繋いでいれば、それも証明出来るでしょう!」

 

「ば、馬鹿を言うな!?お前は本当に死にたいのか!?」

 

「ジンクスなんて破るためにあるんですよ!運命なんて打ち破ってナンボです!」

 

「エルフにしては強過ぎないかお前!?」

 

「そうならざるを得なかったんですから仕方ないじゃないですか!!」

 

レフィーヤは止まらない。

以前の時は彼女に冷たくされて勇気を振り絞って気持ちを伝えるまではこうして言葉をまともに交わすことも出来なかったが、しかし今回は違う。ぎゅっと彼女の手を握り締めて、キビキビと前へ進んで行く。

……そもそも、今日だって本当はアイズとノアに付いて行きたかったのだ。諸事情でそれが出来なかっただけで、したくても出来なかっただけで。

 

「いま行きますからね!ノアさん!!」

 

出遅れた分は、ここから取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……正直、知っていた。

 

彼等が何かを企んでいることにも。

彼等が何をしようとしているかにも。

 

概ね予想はついていた。

けれどそれを、見て見ぬふりをした。

 

ロキも自分も、それが最善だと判断したから。

 

 

 

人造迷宮クノッソスに対して予定していた2度の進行。

その1度目。

 

……被害は想定以上の酷いものであった。

 

想定外の連続。

士気は低く、対応は遅れ。

主神の送還によりデュオニュソス・ファミリアが壊滅したことをきっかけに、ロキ・ファミリアの団員達の心は遂に折れた。

 

……努力はした、可能な限り。

しかしそうまでしても一部の団員達の心に深く刻まれた心の傷は大きく、それを癒すために必要な時間すら何処にもなかった。

 

気にしていない振りをしている者。

 

義務感だけで動いている者。

 

既に完全に折れてしまった者。

 

そうなったきっかけは彼の死にあり、その全ての責任は自分にある。自分の犯したミスが、状況をここまで悪化させたことは明らかだった。その責任からは、決して逃れることは出来ない。

 

……それに。

英雄がどうとか、勇者がどうとか。

第一次進行で新たに死人を出してしまい、決戦を前に完全に静寂に陥ってしまった団員達を前にしたら、それが酷く薄っぺらいものに感じてしまう。あれほど執着していた夢すらも、自分のミスで命を落とした彼等の顔を思い浮かべる度に、自らの手で破壊したい衝動に駆られてしまう。

 

分かってしまったのだ。

これでは闇派閥には勝てないと。

 

敵は最初からこちらの万全の戦力を想定して策を立てている。それはフレイヤ・ファミリアも含めて、それでも十分だと考えて仕掛けて来た。それはこれまでの敵の動きを見ても明らかなもので、確信さえしている。敵にはオラリオ全体を敵に回しても問題のない勝算があるのだと。

 

だが一方で、既にこちらの戦力は削られている。

士気は最低と言ってもいい。

勝ち目など何処にもないと、自分の頭が断言していた。

 

……レフィーヤは、もう無理だった。

第一次進行にはなんとか着いて来たが、正にその場所で、目の前で、自分を支えてくれた同胞を失った。彼を失った後でさえ部屋から出て来なくなってしまった彼女だ、もう立ち上がれる筈などない。

 

……アキも限界が近かった。

それまではなんとか自分なりに言い訳をして来たのだろうが、闇派閥との抗争は常に彼女の精神を削り続ける。目の前で死んでいく仲間達、自分の身体に爆弾を巻き付けて特攻してくる信徒達。目の前で繰り返し見せ付けられる地獄の光景に、彼女はもう自分の心を隠すことも出来ない。

 

日に日に憔悴していくリーネ。

睡眠不足が酷くなっていくリヴェリア。

力を求めて無茶をし続けているアイズ。

そんな彼等の姿を見て、日々ファミリアの空気は重くなっていく。団員達の目線が揃うことは一向にない。他でもない団長である自分でさえも、こうして心が揺れている。何よりロキがそういった空気に蝕まれ始めたことが、ファミリアとしては痛過ぎた。

 

 

 

……そんな時だった。

 

"彼女"が帰ってきたのは。

 

彼の元主神である彼女が、オラリオに帰って来てしまったのは。

果たしてそれは最悪のタイミングだったのか。

それとも自分達にとっての救いであったのか。

それは今でもよく分からない。

 

もうとっくに天界に帰ったのかと思っていた彼女は、オラリオの外で目的の女神を探し出すのに3年を掛け。どうせオラリオの近くに来たのだからと、本当に最後の最後に、彼の顔を見に来たらしい。

知っての通り、その彼はもう居ないのだけれど。

 

……あの日から、心の折れた団員達はずっと彼女と何かを話している。

常に花に溢れている彼の墓石の前で。

彼女が営んでいた小さな花屋の中で。

ファミリアの小さな空き部屋の中で。

ずっと彼女と共に、何かの企みを深めている。

 

『時間を戻す』なんて単語を、時々使って。

 

……ああ、戻せるのなら戻して欲しい。

本当にそれが出来るのなら、そうして欲しい。

自分が同じ間違いを犯す前まで、どうか戻して欲しい。

彼を殺してしまう、その前まで。

 

諦めてはいない、やれることはやる。

そこで死ぬのなら、それはもう仕方がない。それが自分の取るべき責任だと言うのであれば、それは素直に受け止めるとも。自分の命くらいで他の団員達を守れるのなら、いくらでも差し出したって良い。

……けれど、それでも。

やり直せるのなら、やり直したい。

同じ間違いはもう絶対にしない。

 

ロキは何も言わない。

ただ淡々と二次進行に向けての準備を進めている。

フレイヤ・ファミリアにすら出向いて、頭を下げている。もう自分達では手に負えない事態になっているから。フレイヤ・ファミリアの全面協力がなければどうにもならないから。それでも敵の隠し球を考えると、本当に都市全体の戦力を掻き集め、総力戦の形を取らざるを得ないかもしれないが。

 

……きっともう、このファミリアは元の形には戻れない。

 

壊れてしまった心を、元に戻すことは出来ない。

 

あの楽しかった日々を、取り戻すことは出来ない。

 

 

今、思えば。

 

戦死者を出しておいて、直ぐに切り替えようとしたのが1番の間違いだった。せめてあの場で、リヴェリアだけでも、会議の場から外させるべきだったのだ。そしてそのフォローについて、もっと頭を回すべきだった。自分の失敗に焦って、次の手を考えることばかりを優先してしまった。

……死なせてはならない子を死なせてしまったことを、自分はもう少し考えるべきだったのだ。団員達の命は皆平等などと、そんな綺麗事を考えている暇があるのなら。ベル・クラネルの活躍に目を奪われている暇が、あったのなら。

 

 



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46.終わりの○○

それでは崩していきますね。


ノア・ユニセラフは、かつてのこの時。この戦闘には参加していなかった。それこそダンジョンの中には居たし、いつものようにレベルを上げるために必死にモンスターを狩っていた。

……だから、仮に記憶があったとしても、ここでこれから何が起きるのかまでは伝聞程度の知識しかない。だがそれでも、なにか大変なことが起きるというのは雰囲気だけでも分かるというもの。

 

「……っ」

 

アスフィとアイズが、この緑の肉によって覆われた奇妙な空間について話し合っている。なんとなくあの蔓状のモンスター達を思い出させるような、食糧庫に広がるこの歪な緑。きっと2人は、ここから先で現れるであろう敵の存在について語っていた。

 

しかし、ノアにはその会話は聞こえない。

 

……いや、別にそれほど離れた位置に居る訳でもないので、当たり前のように聞こえてはいるのだが。

 

 

 

何を言っているのかが、分からないのだ。

 

 

 

知っている言葉なのに、それを脳が理解しようとしてくれない。

 

 

「ぅっ……」

 

頭から胸を通って背中に走っていくような奇妙な痛み。それまでずっと抱えていた小さな違和感がここに来て大きくなる。口の中でずっとしている血の味、少し前に咳をした時に血が混じっていたのを見てしまった。隠しはしたけれど、自分が一番に驚いている。

……ここから帰ってからアミッドに相談しに行こうと思っていたのに。この咳についても、ほかの医療師ではなく、彼女に直接見て貰おうと思っていたのに。

どうしてこんなにもタイミング悪く、不調が症状として出て来てしまうのか。これからが色々と、大変そうなところであるというのに。

 

 

「○○!!!!!」

 

 

「……え?」

 

瞬間、横向きに殴り飛ばされる。

 

驚く、止まる、痛みはそこまでない。

 

だが無防備に吹き飛ばされ、受け身も取れず地面を滑り、血を吐き出した。しかしその血は今の攻撃によるものでもない。それまでずっと口の中に流れていたもの。

そしてそこまでの衝撃を受けて、ようやく意識が引き戻される。思考は未だに曇りはあるものの、ようやく状況を理解する。敵に襲撃されたのだ。フィリア祭とリヴィラの街の時にも見た、あの蔓状のモンスターに。

 

「まっ……まほをつかわると、えらわられます!つかうるなら、わらひが……っ!?」

 

言葉が上手く出て来ない。

呂律が回らない。

だが今はそんなことを言っていられる余裕もない。

ノアは付与魔法を利用して、魔力を発揮することでモンスター達のヘイトを稼ぐ。何度かの戦闘で理解をした。このモンスター相手には、自分はこうして立ち回るのが一番周りのためになる。それにこれなら言葉による意思疎通が出来なくとも、周りとの連携が取れなくとも、最低限の仕事は出来る。

 

「っ……!!」

 

「ノア!!」

 

「らいひょぶれす!!」

 

モンスターの一体に食らい付かれ、そのまま持ち上げられる。そうして無防備になったところを、他の個体達が一斉に歯を立てた。

……とは言え、それでもそもそも攻撃力が足りていない。痛みはあるが、ダメージ自体はそれほどない。これに食らい付かれるよりも、今も体を走っている奇妙な痛みの方がよっぽど痛いくらいだ。

 

「そうなんろも、おなじろは……!!」

 

そしてこうして食らい付かれた時のために、ノアは今日は予備の剣だって持って来ている。本当はもう少し使うべきところがあるとは思うが、それでも今はそんなことを言っていられる余裕が自分の身体にはなくて……

 

「っ!?」

 

そうして、爆破魔法を使おうとした瞬間のことだった。

突然それまで食らいついていたモンスター達が動きを変えて、ノアをそのままアイズ達から引き離す様にして動き始めたのは。未だ乱戦の最中、ノアのその様子に気付けた者は……

 

「っ、待って!ノア!!」

 

「ぁ……ゃば……」

 

魔法を使って起爆しようとした間際、再び頭を襲う違和感。脳を掻き回されるように意識が崩れ、視線の先でこちらに手を伸ばす彼女の姿が暗く染まっていくのを見る。2人を割く様に天井から地面に向けて突き出された緑の肉壁。アイズの手はノアには届かず、意識を半分失った彼はそのままダンジョンの奥深くへと連れて行かれてしまう。

 

「○○!!」

 

アイズの言葉すらも、今のノアには届かなかった。深く、遠く、離れていく声。見渡す限り緑しか見えない様な視界の中で、まるで脳が半分崩れたかの様な感覚を抱きながら、意識を取り戻そうと抗う。

 

(…………ぁ、ぃ?)

 

夢見心地、そう表現するのが一番適切なのか。何もかもがふわふわとした状態、視界が半分機能していない。けれどその意識を起こすために、何をどうすればいいのかも分からない。それを考える思考の余裕すら存在しない。

 

「っ」

 

再びモンスターに投げ出される。

視界が周り、ゴロゴロと転がっていく自分の身体。緑の肉壁に打つかり、それでも聞こえてくるのはノイズのような自分の呻く声だけ。

 

……どうしてしまったのだろう、自分は。

 

……一体この身体に、何が起きているのだろう。

 

それが分からない。それを深く考えることも出来ない。ただ俯せになって倒れ、横に向いた視界に薄暗い緑の世界を映し込むだけ。口を動かす、言葉を出そうとする。しかしそうしても、動いているかどうかすら分からない。言葉が出ているかどうかも分からない。

 

自分の身体が、どこで、何をしているのか。

 

それすら全く、掴むことが出来ない。

 

 

 

 

 

「○○、○○○○○○○」

 

 

 

「………?」

 

 

誰かの声のようなものが聞こえる。

しかしやはり何を言っているのかは分からない。ただその人は自分の隣に蹲み込み、こんな場所であると言うのに、優しく声を掛けてくれているらしい。もしかしてヘルメス・ファミリアの誰かが追いかけて来てくれていたのか、それともここには他の誰かも潜んでいたのか。

どちらにしても危ないので、出来れば逃げて欲しいところだが……

 

「○○、○○○○○……………よし、これでどうかな。多少はマシになったんじゃないかい?」

 

「ぁ……え……?」

 

「お、いいね。思考も戻ったかな」

 

「ぁ、ぁり、がと……ござ……ます……?」

 

「うんうん、最初にお礼を言えるなんて良い子だね。いやはや、まさかこんな権能が下界に来て本当に役に立つ時が来るなんて思わなかった。何事もやってみるもんだ」

 

その人物に背中を触れられると、不思議と全身が温かくなり、思考が元に戻り始める。それと同時に身体の自由も戻り始め、視界も半分は未だに潰れていても、それでも現状認識をする程度ならば問題ないほどに体調は回復した。

 

「ごほっ、ごぼぇっ……」

 

「おおっと、すごいな。限界まで放置するとここまでになるのか。ごめんね、俺もここまで酷い子は初めて見たからさ」

 

肺の中にまで入っていたのか、意識が戻ると同時に凄まじい勢いで咳き込み血を吐き出し始めたノアに、その人物は驚きながらも引き続き彼の背中を撫でる。そうして撫でられる度に身体の感覚が戻っていくが、戻っていく度に自分の身体がどれほど酷いことになっているのかも理解させられる。

 

……傷が治らない。

 

いや、治ってはいる。

ただその治癒速度が普段見慣れているそれより、よっぽど悪いということ。加えて全身から血は止めどなく流れていて、固まる様子が一切ない。それは口の中から流れ出る血液も同じで、ノアは鞄から取り出した回復薬を身体にかけ、強引に口に含むと、血と一緒に無理矢理に飲み込んだ。

あまりにも普通ではない自分の身体、まるで本当に死が直ぐそこまで迫っている様な感覚。……恐ろしくなる。これほどまでに流れ出る血が。慣れている感覚の筈なのに。どうしようもなく怖くなる。

 

「ハッ、ハァ、ハァ……ごほっ、ごほっ……」

 

「落ち着いたかな」

 

「す、みま……ごほっ、げほっ……んぐっ」

 

苦しい、気持ちが悪い。

この感覚が、一向に治ってくれない。

不死のスキルが、機能していないのか。

もう一本の回復薬も飲み干して、強引に治療を進めていく。

鼻血も流れはじめ、苦しさを堪えて、回復薬を鼻の中にも入れる。

 

……きっと、見た目は本当に酷いことになっている。

けれど、そこまでしても心臓が凄まじい速さで鼓動している。

身体の内側が割れるように痛い。

濃い血の匂いに、血の味。

ただ生きているだけなのに、頭がおかしくなりそうになる。

 

「……分かってると思うけど。君、このままだと死ぬぜ?」

 

「っ………どう、して」

 

「そんなの、魂が砕けてるからに決まってるだろ」

 

「!!」

 

「魂は下界の子供達にとって、存在そのものと言っていい。それが砕けたら、消えるのが筋ってものでしょ。……それを君は無理矢理に生かされている。本来消えるべきはずのものが、消えずに残っている。これはどうしようもない異常だ」

 

「………」

 

「異常は正されなければならない。だから君の肉体は死ななければならないし、君の心だって本来はある筈がない。……順序が逆なのさ。魂の状態が肉体に反映される訳じゃない。消えるべき物が消えてないから、肉体の方から崩れようとしている」

 

「……それ、じゃあ」

 

「そうだ、君はもう死ぬしかない」

 

ごほっごぼっ……と、最後の血液を吐き出す。ようやく落ち着き始めた症状。回復薬を何本も使った。それでも未だに残る体内の違和感が、目の前の人物、いや神物の話に説得力を与える。

ふと見る自分の足元、まるで水溜まりのように溜まった自分の血液。真っ赤なそれを見るほどに、自分の死を自覚させられる。……どうしようもない終わりの姿を、頭の中に浮かび上がらせる。

 

「でも、俺なら延命措置くらいは出来る」

 

「っ!?本当でずか!?」

 

「ああ、もちろんだよ。俺はこれでも天界では子供達の魂の管理をしていたからさ、多少は融通が効くんだよね。……つまり、君にとって有益な権能を持っている」

 

「ど、どうずれば……!!どうすれば助けで……!!」

 

「闇派閥に入らない?」

 

「っ!?!?」

 

目の前に吊るされた希望。

与えられた可能性。

しかしその代償は……

 

「いやさ、俺これでも闇派閥やってんのよ。……それで、ちょ〜っと戦力的に物足りないところあるんだよねぇ」

 

「………!」

 

「ぶっちゃけ、君がこっち来てくれるだけで相当楽なのさ。まあこのまま死んでくれても好都合なんだけど、それってほら、勿体ないじゃん?」

 

「……そんな、誘いに、乗ると思うんですか?」

 

「でも君、このままじゃ死ぬぜ?」

 

「っ」

 

「俺以上に魂に干渉出来る神が他に居るのなら、そっちに頼ればいいけど。その辺はロキだってもう探してるだろうし……生き残りたいなら、乗るしかないんじゃない?」

 

「そ、れは……」

 

「死にたくないんだろう?」

 

「………」

 

「死にたくないなら、これ以外の選択なんて無いと思うけどなぁ」

 

「で、も……」

 

「ちなみに、この誘いはこれっきりね」

 

「っ!」

 

「俺も暇じゃないからさぁ。だからこの場で決めて欲しい。あ、当然だけど嘘は直ぐに分かるから。手伝ってくれるって言うなら覚悟は決めて欲しいよね、今この場で」

 

左目が見えない。

また口の中から微かな血の味がしてくる。

その神様の手が背中から離れる。

そしてその瞬間、再び背中に痛みが走る。

意識がまた徐々に暗くなっていくのを感じる。

それが堪らなく恐ろしくなる。

自分が自分でなくなる様な、この感覚が。

 

「なんだったら、別に変装して裏方で働いて貰ったっていいんだ。普段はロキのところに居たっていい。……俺だってそれくらいの融通は利かせるさ。悪い話ではないだろ?」

 

死にたくない、まだ死ねない。

だって自分はこれからで、自分はこれから彼女と仲を深めていくのだから。こんなところで死ぬことなんて絶対に出来ない。リヴェリアにだって言われたのだ。直ぐに死ぬことなんて許さないと。自分はまだ、色々な責任を取らなければならないのだと。

 

……だから。

 

 

 

「………………無理、です」

 

 

「!」

 

「…………そんなことを、したら。アイズさんに、レフィーヤさんに……嫌われて、しまいます」

 

「……なるほど」

 

「死にたく、ないです……まだ、死ねないです……でも、あの人達に、嫌われてしまうようなことをしたら。そもそも生きている、意味がない」

 

「……そう、それはちょっと予想外だったかな」

 

「…………だから、その提案は……………受け入れ、られません……」

 

「はぁ……つくづく厄介だなぁ、恋愛事っていうのは。まあ散々それを利用して信徒を増やして来た俺が言えることでもないけど」

 

目的がそれでなかったら、もしかしたら乗ってしまっていた可能性はあったかもしれない。それほどに死は今だって恐ろしいし、また暗くなって来た意識に酷く恐怖で身体が震える。

……けれど、それでは意味がないから。

あの2人に嫌われるようなことをしたら、それではそもそも生きている意味がないから。たとえ今この場所で死ぬことになったとしても、それでも。そんな風に生きながらえることだけは、絶対に間違っているから。だから……ノアにはこれしか、選べるものがない。

 

「……なら、これは俺からのプレゼントってことで」

 

「っ……え?」

 

「ま、これで普通には死ねるんじゃない?少なくとも人間らしくはさ」

 

「………どう、して」

 

「ん〜……理由は色々あるけど。一番は確実に戦力を削るため、かな」

 

「?」

 

「ま、その辺は嫌でもそのうち分かることだし。……それじゃあ俺はもう行くから。多分もう2度と会うこともないと思うけど、いや本当に。天界で会うこともないだろうし。君はこれから完全に消滅するんだから」

 

「……」

 

「じゃあね、可哀想な子。君はこの世界に絶望だけを残して消えるのさ。……感謝させてもらうよ、そこだけはね」

 

そうして暗闇に消えていく見知らぬ神を、ノアは震える足で立ち上がりながら見送る。少しずつ身体の感覚がまた戻り始める。意識は先ほどの様に暗くなることもなく、左目は未だに見えなくとも、それでも確実に状態が改善している。

……だが。

 

「絶望だけを、残して。消える……」

 

最後に残されたその言葉だけが、彼の心に深く深く突き刺さっていた。どうしようもないその事実を、どうにか考えないようにしていたその現実を、こうして目の前に突き付けられて。

 

「私、は……なんの、ために……」

 

 

 

 

 

「まあ、実際のところさ。本当に生き延ばせたいのなら、先ず何よりあの子をダンジョンに潜らせてたこと自体が間違いなんだよね」

 

魔道具越しに肉壁のダンジョン内で戦う剣姫とヘルメス・ファミリアを見ながら、神タナトスは呟く。彼が最後に慈悲を与えた少年もまた、今正に剣姫とレヴィスの戦闘に加勢しようと走り始めた。……本当に、この期に及んでも愚かなものだと、そう思わずには居られない。

 

「それがよく分かんねぇんだよなぁ、戦闘と魂ってのは関係あるのか?」

 

「そりゃあるでしょ、ヴァレッタちゃん。君達の恩恵は何に刻まれてると思ってるんだい?」

 

「あん?背中だろ」

 

「いやいや、確かに刻まれてるのは背中だけど、繋がってるのは君達の魂だよ?……つまり、俺達は恩恵を通じて子供達の魂に干渉してるって訳さ」

 

「ほ〜ん」

 

「だから、まあ、恩恵を触るってことは、魂に触ってるってことだからさ。割と毒にも薬にもなるんだよね、あの子にとっては」

 

さて、剣姫からは彼のことが一体どう見えているのか。いつも通りに自分と戦ってくれる彼。少し顔色は悪くとも、けれど変わらずこうして隣に居てくれる彼。……頼もしいだろうか、安心出来るだろうか。

だがタナトスからしてみれば、よくもまああんな状態で戦いに行こうとするものだと、そう思わずには居られない。自分の状態など、なんとなくでも分かっているだろうに。

 

「馬鹿だよねぇ……レヴィスちゃん、オリヴァスちゃんの魔石食べちゃったんでしょ?万全の状態でもキツイだろうに」

 

「ま、フィンの野郎がいねぇならあたしはどうでもいいけどな」

 

「いやいや、これから面白いことが起きるよ?……魂の損傷による肉体も含めた急激な連鎖的崩壊。俺の予想が正しいのならそれは……」

 

 

 

 

 

 

「恩恵の崩壊から始まる」

 

 

 

 

「!」

 

それは正に、タナトスがそう言葉にした直後に起きた出来事だった。

レヴィスが振るった剣。それに対して普段通りに剣を構えて迎え撃ったノア。

 

……飛んだのは、彼の右腕だった。

 

破壊されないはずの肉体。

不死のはずのスキル。

Lv.6のステイタス。

防御に偏った最高峰の恩恵。

 

今正にそれが、砕け散ったのだ。

 

「さ、これで"迷異姫"はおしまいだ。まあ仕方ないよね、仲間になってくれなかったんだし。……楽にする代わりに恩恵の崩壊を早めただけで済ませてあげたんだから、むしろ優しいくらいでしょ」

 

 

 

 

「ロキも判断が遅すぎるよね。魂なんか砕けた時点で終わりなんだから、ダメージを見つけた時点で殺してあげたほうがよっぽど優しいのに」



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47.一輪の○

共通テストお疲れ様でした。
では参りましょう。



ずっと、ずっと怖かった。

戦うことは、怖い。

1人で居るのも、怖い。

 

最初にダンジョンに入ったのは、少しでも生活を良くするためだった。

仕事の手伝いをするだけではお金は入って来ない、けれどこんな小さな身体ではいくら恩恵があっても雇ってくれるところは少ない。雇って貰っても、足元を見られてしまう。

そうやって何度も何度も酷い目に遭って、泣いて帰って、慰められて。それならもう冒険者になるしかないって、そう思った。

 

けれど自分には才能なんか無くて、戦いに秀でた何もかもが無くて。臆病で、怖がりで、勇気も無くて。ただ1匹のゴブリンを倒す以前に、1人で暗いダンジョンに潜ることさえ恐ろしくて泣いてしまいそうだった。だから最初の1日目は、本当にただダンジョンに潜って立っていただけで、魔石の1つすら持ち帰ることが出来ず。あまりの情けなさに泣きながら帰って、また慰められた。……そんな自分が嫌だった。

年齢を言い訳にすることは、いくらでも出来る。けれどだからと言って、そのままで居るのは絶対に違うから。だから自分を変えるために、頑張らないといけなかった。

 

……アイズ・ヴァレンシュタインという少女に助けられたのは、そんな時のことだった。

 

冒険者になって1週間が経っても、ゴブリンを倒すことにすら精一杯で。ようやく倒せたとしても他者の命を奪った事実と、眼前いっぱいに広がる血液、更にこの死骸の中から魔石を取り出さなければならないという事実に、毎回泣きそうになりながら戦闘を続ける。持ち帰れる魔石は、本当に1日に3つや4つ程度。端金にもならない。ギルドで換金していると、他の冒険者達にも笑われるような毎日。

 

……何もかもが怖かった。

冒険者は怖い、モンスターは怖い、戦闘は怖い。血は怖い、刃物は怖い、暗闇は怖い、ダンジョンは怖い。ずっとずっと怖くて、恐ろしくて、1週間続けても怖さは取れず、毎日帰ってはずっと抱き締められながら慰められる毎日。

それでも続けていたのは、やっぱり少しでも生活を良くしたかったから。少しでも楽にしたかったから。

 

そうしてダンジョンに潜っていたある日、私は3人の見知らぬ冒険者達にモンスターの大群を押しつけられた。所謂、怪物進呈(バス・パレード)というものだ。上層でたった一人で活動している様な弱小ファミリアの冒険者、餌にしたところで大して咎められることもない。そういう意味では私は、本当に絶好の対象であったのだろう。

上の階層では。少なくとも当時はまだ深くとも3階層くらいまでしか行ったことのない自分にとっては、見たこともないような大量のモンスター達。必死に走って逃げようとしても、ステイタスが未熟過ぎる上に身体も小さかった自分では満足に逃げ切ることも出来ず。体力も尽きて転んでしまい、囲まれて……

 

本当に怖かった。

自分の死を前にするという現実は、あまりにも恐ろしかった。

ダンジョンを舐めていた訳ではない、むしろ誰より恐怖していたくらいだ。だが実際の恐ろしさは、そんなものでは済まなかった。助けてくれる人は居ない、逃げる場所もない、周りも既に囲まれている。これから自分がどんな酷い殺され方をするのか。歯はガチガチと鳴り、持っていた剣も落ち、尻餅を付いて頭を抱える。死にたくない、死にたくない。助けてください。誰でもいいから。なんでもするから。なんでも言うことを聞くから。お願いだから。

 

叶うはずのないそんな願いを叶えてくれたのが……彼女だったのだ。

 

まるで流星の様にして現れ、あっという間に周りに居た大量のモンスター達を殺し尽くす金髪の少女。自分よりも少し背が高いくらいの彼女は、しかし自分よりも何倍も戦闘に慣れていた。この上層程度のモンスターでは、いくら数で優っていても容易く殲滅されてしまう様な、圧倒的な力と技能。

 

『大丈夫……?』

 

……彼女は、とても美しかった。

自分が何もかもを恐れていたダンジョンの中で、彼女だけが自分に『恐怖』ではなく『希望』を与えてくれた。恐る恐ると差し出されたその手が、とても綺麗なものに見えた。

 

戦うことは怖い。

 

それは今でも変わらない。

 

あれだけ戦い続けても、あれほどレベルを上げるために無茶を繰り返しても、自分の中に巣食っている根源的な恐怖が完全に消えてくれることはない。

戦わずに居られるのなら、そうしたい。

戦わずに生きていけるのなら、それがいい。

それがいいに決まっている。

 

……けれど、それでも今でも自分がこうして戦いの中に身を置いているのは。それでもと自分を奮い立たせてダンジョンに向かうことが出来るのは。

 

『その……地上まで、送っていこうか?大丈夫、私がちゃんと守るから』

 

あの時、そう言って本当に地上の光を見せてくれた彼女が居るから。地上の光を背負いながら、ぎこちない笑みを浮かべて手を引いてくれた彼女が居たから。……そんな彼女のことを、心の底から、どうしようもないくらいに。

 

好きに、なってしまったから。

 

 

 

 

 

「ぁ…………」

 

 

 

 

意識が戻る。

 

過去の光景が、途切れる。

 

 

「ノア!!!」

 

 

眼前に振り下ろされんとする鋼の大剣。

しかし既にもうそれすら見ることは出来ない。

何が起きているのか、視認することも出来ない。

 

アイズは疾る。

 

剣による一撃を前に、微動たりともしない彼を見て、必死になって。割り込む。

 

「ノア!!立って!!」

 

「ぇ……ぁ……」

 

「ノア!!」

 

様子がおかしい、そんなことは分かっている。けれどただおかしい訳ではない、何か取り返しのつかないことが起きている。それだけが、どうしようもなく分かってしまう。

 

「……無駄だ、そいつはもう立てん」

 

「何が……!ノアに何をしたの!?」

 

「別に何もしていない。問題があるとするなら、そいつと契約している神の方だろう」

 

「……!?」

 

「気付かなかったのか?そいつは今、私の剣撃にも。お前の動きすらも、目で追うことが出来ていなかったぞ」

 

「……え」

 

「お前、恩恵が消えているな?契約していた神でも死んだか?……どちらにせよ、私にとっては好都合だがな」

 

「くっ!!」

 

アイズは風を最大出力で放ち、強引に敵との距離を取る。しかし敵はそれを許すことなく、ノアを退避させる邪魔をする。アイズ達の背後で行われている戦闘も益々激しさを増している。レフィーヤにリヴェリア、ベートにフィルヴィスという援軍があるだけに上手く回れているが、"だからこそおかしいのだ"。

 

「あり得ない!!ノアは私達と同じ、ロキの恩恵を刻まれてるはず!!」

 

「私がそんなことを知るか。……だが事実として、その足手纏いを守りながら何処まで戦える?アリア」

 

「っ!!」

 

気を抜けば蔓状のモンスターがノアを狙おうとする、だがそちらを守ろうとすればアイズが不利に回る。しかし恩恵のないノアは何もすることは出来ないし、むしろこうして大人しくしてくれている方がマシなくらい。

 

……故に、アイズは決断する。

 

躊躇はない、こうするしかない。

 

 

『ベートさん!!助けてください!!!』

 

「っ、貴様……!」

 

 

アイズは大声で、叫んだ。

あちらの戦況が悪くなるのは分かる、だがこのままではノアを守ることが出来ない。自分も負けて全滅する。故に速度もあり耳も良い彼に助けを求めた。……そして、そんなアイズの声に応えない彼ではなかった。

 

「何してやがんだ馬鹿野郎!!!」

 

「ベート、さん……」

 

ノアに迫り寄ったモンスターを、最高速で突っ込んで来たベートが叩き潰す。背後で大量の未成熟の食人花が暴れている現状、ベートにすら余裕はない。しかしそれでも彼はアイズの言葉に応えて、自分の身体が傷付くことも恐れずここへ来た。……アイズが助けを求めるほどの状況、その深刻さを分かっていたから。

 

「ベートさん!!ノアを……レフィーヤのところに!!」

 

「何があった!!」

 

「……恩恵が!ノアの恩恵が!!」

 

「!?」

 

そこまで言われれば、何が起きているのか嫌でも分かる。しかしそんなことが本当にあり得るのかと、実際に起きている目の前の状況を見せられてもベートは信じられない。何が起きたらそうなる、ロキの方から契約を切ったとでも言うのか?……いや、そんなことはあり得ない。あの眷属想いの女神が、そんなことをする筈がない。それくらいの信用は、ベートの中にだってある。

 

「これを……アイズさんに……」

 

「っ、アイズ!使え!!」

 

「!」

 

彼がベートに差し出した自らの剣を、ベートはそのままアイズに向けて投げ渡す。投げ渡し、劣勢な彼女に背を向けながら、ノアを担いで走り出す。

……混乱しているだろう、困惑しているだろう。冷静では居られないほどに、恩恵のない状態でダンジョンにいる事は恐ろしい筈だ。しかしその中でも自分の武器をアイズに渡した彼のそれは、単に諦めなのか、それとも勇気なのか。

 

そんなことはベートには分からない。

突然こんな場所で恩恵を奪われた人間の心など、ベートには分かるはずがない。

……だが、それでも。

 

「ベート、さん……」

 

「っ、なんだ」

 

「魔剣、使って下さい……私が持っている、より。上手く、使って……」

 

「……ああ、使ってやる」

 

「……ありがとう、ございます」

 

ベートは彼のことを認めている。

こんな状況であっても自分のすべきことが出来る人間のことを、蔑むことは決してしない。知っているから、こいつが弱い人間ではないことは。直ぐに泣くし、女みたいな見た目をしていても、強くなるための努力の出来る人間であることは。知っているから。

 

「さっさと立ちやがれ、馬鹿野郎」

 

「……アイズさんの、こと……お願い、します」

 

「………ああ」

 

それは同じ女性を好きになった男同士の理解とでも言うべきなのか、歪な友情に近いものとでも言えるのか。ぶった斬られた右腕、回復薬で止血を試みてはいるが、しかし治療は難航しているらしく、未だに血流が完全に止まることはなく、少しずつその顔色は悪くなっていく。

 

「馬鹿エルフ!!」

 

「っ、ノアさん!?一体何が……!」

 

「さっさとこいつらを殲滅しやがれ!!俺はアイズのところに戻る!!」

 

「……もう直ぐリヴェリア様の詠唱が終わります!巻き込まれない様にだけ伝えてください!!」

 

「……さっさとしやがれ、クソ」

 

既にヘルメス・ファミリアの中でも数人の犠牲者は出ている。しかしレフィーヤとフィルヴィスによる援護射撃と、リヴェリアによる最高効率の長文詠唱。状況はそれほど悪くはない。

ベートは受け取った魔剣を使い、大群のど真ん中を突き進む。最短距離で、可能な限り多くを殺し尽くしながら。この魔剣で、誰より多くの食人花を焼き尽くしながら。

 

「ノアさ……!」

 

「今は!!」

 

「っ」

 

「今は、なにより……目の前の、ことを……!」

 

「………はい、分かりました」

 

肩口から先は無く、塞げない傷口を、ノアは苦痛に耐えながら焼き、強引に止血を行う。その上から回復薬を更にかけ、とにかく自分の命を繋ぐ作業を、自分の中だけで完結するように努力する。

……あんな治し方をしてしまえば、もう2度と治すことなど出来ないだろうに。仮に彼の右腕が見つかったとしても、元の形に戻すことは、アミッドでさえ難しいだろうに。恩恵もなく、ステイタスもなく、しかしそんな中でも彼は他者に迷惑を可能な限りかけないよう、自分の出来ることを精一杯にやっている。

ならばレフィーヤがやれることも、1つしかなくて。

 

『解き放つ一条の光、聖木の弓幹。汝、弓の名手なり。狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢』

 

 

ーーーーーアルクス・レイ!!

 

 

"光散(アリオ)"!!

 

 

自分の中で最も扱い易い攻撃魔法。それを最大威力でぶっ放し、爆散鍵(スペルキー)によって爆散させる。

殲滅はリヴェリアが準備している。ならば自分は敵の足止めをするために可能な限りこれを続け、可能な限り敵を弱らせ続ける。だがレフィーヤがこの役割を担うだけでも、ヘルメス・ファミリアの負担は大きく減っていた。

犠牲者は2名、キークスとホセの2人。その2人がこの場に居ないことは、ノアも既に分かっている筈だ。そのことについて、自分自身も責任を感じている筈だ。感じなくてもいい責任も。……だから、絶対にこれ以上の犠牲は出さない。これ以上に彼に負担を負わせない。そのためにレフィーヤは、魔法を放つ。

 

 

「リヴェリア様!!」

 

 

 

そうして間もなく、焔は放たれる。

 

本来この場にはいなかった筈の、都市最強の魔法使い。ノアという存在があってこそ、この場に駆け付けることの出来た2つ目の異常事態。

仲間が死しても、ヘルメス・ファミリアの者達の目に絶望が宿ることはない。それは自分達の役割を全うすれば、確実にこの場を切り拓くことが出来るという確信があったから。……彼女という大木を守り抜くことさえ出来れば、なにより犠牲を少なく勝利を得ることが出来るとわかっていたから。

 

【九魔姫】リヴェリア・リヨス・アールヴが放つ、紅蓮の炎による広範囲殲滅魔法。深層のモンスターすら容易く焼き尽くす無慈悲の猛火。

レフィーヤであれば3分は掛かるであろうそれを、リヴェリアは大凡1分と少しの時間で間に合わせる。殲滅するに必要な魔力量を、他のどの魔導士よりも正確に、最適に縫い合わせ、組み合わせる。

この戦乱に幕を引き、ことごとくを一掃する業火の化身は。本来ここで死ぬ筈だった者達に魔の手が及ぶより先に……放たれた。

 

 

ーーーーーレア・ラーヴァテイン!!!

 

 

緑の世界は焼き尽くされる。

まるで彼等を牢獄から解き放つように。

 

……しかし、それでも囚われたままの者も居る。

死という運命に縫い合わされ、決して逃げることの出来ない絶望に、遂に捕まってしまった者が。リヴェリアがそんな手遅れの彼のことに気がついたのは、悲しくも、牢獄を焼き払った炎が完全に消失した後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「運命を打ち破ることの出来る人間、か……」

 

「せや、教えてくれヘルメス。誰がそれに当たると思う?」

 

「真面目な顔をして来たと思ったら、突然とんでもないことを言い出すなロキ」

 

「ええから、教えてくれ」

 

「……………そうだな。これは完全に俺の主観になるんだが、大凡英雄と呼ばれる子供達には、その可能性はあるんじゃないか?」

 

「英雄……」

 

「その点、ロキのところの"勇者"や"九魔姫"、"重傑"にもその可能性はあるだろう。だからこそ今も生き残ってる訳だしな」

 

「………」

 

「だが、うん、そうだな……一番はやっぱり"剣姫"だろう」

 

「!」

 

「仮に運命を打ち破る必要があるとするなら、今のオラリオでは実力も含めて彼女が一番可能性があると俺は思う。……アストレアのところの子達は、もう居ないからな」

 

「……ノアは、どう思う?」

 

「……それを俺に聞くか?」

 

「……ウチかて分かっとるけどな」

 

「素質がない。そもそもあの子は本来、戦う側の人間ではないだろう。あの子の何もかもが、戦うには向いていない」

 

「…………やっぱり、そう思うか」

 

「あの子は本来、その辺りの小さな花屋なんかで穏やかに生涯を終えるべき子供だ。小さな世界で、小さな幸せを周囲に振り撒いているような、そんな子供だ。……俺も一度は英雄としての役を担ってくれないかと考えたことはあるが、知れば知るほどに、それがあの子にとってどれほど重荷になるのかを理解した。あの子は英雄にはなれないよ。あの子がなれるのは本来、精々が一輪の花だ」

 

「……せやから、器に見合わないことをした報いを受けんとあかんってことか」

 

「!……そうか、ロキも知ったのか」

 

「ヘルメス、協力してくれ。……ここからなんとかして引っくり返す。ノアが手遅れにならんうちに、せめて少しでも可能性を作っておきたい」

 

「……ああ、分かってる。俺とて今日まで何の準備もしていなかった訳じゃない。食人花の件もあるが、ノアの件は俺が一番責任が重い。むしろこちらから頼みたいくらいだ」

 

 

……これはノアが恩恵を失うより少し前の会話。

 

ロキがノアの恩恵が消えたことに気付くのは、この直ぐ後。

 

手遅れにならないうちに、ではない。

 

彼等は既に、手遅れだったのだ。

 

誰もが思っているよりも早く、絶望は舞い降りた。



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48.悲○

狡いことをしたのなら。

しようとするのであれば。

 

代償を、支払わなければならない。

 

……それは別に誰が決めたことでもない。単に生きていくだけならば、罪悪感という感情程度で済む話。しかしそれが世界を相手にした場合は、そうはいかない。

時間を巻き戻すという禁断の行為。偶然とは言え、不死という本来あり得てはならない、生物としてのルールを逸脱したスキルを持ち。剰え、それ等を利用して本来手の届かない場所に手を掛け、一度観測されたはずの未来を改竄しようなどと。そんなことを神々の作り出したこの世界は、何の代償もなく許してはくれない。

 

故に、前者に関しては存在そのものの修正という形で、後者については魂魄への負荷の蓄積という形で代償が求められた。

 

時を司る神は言うだろう。それは当然の措置であると。

死を司る神は言うだろう。それは当然の代償であると。

 

そしてそれほどの代償がありながらも、走り続けた。

 

……であるならば。

両者は口を揃えて、全く同じことを言う筈だ。

 

お前は滅びるしかない、と。

 

仮に彼が過去の記憶を手放していたら。

仮に彼が不死のスキルに頼っていなかったら。

力を手に入れてしまっても、それを悪用しなかったら。

 

願いは叶わなかったかもしれないが、もしかしたら、死の運命からだけは逃れることは出来たかもしれない。世界に何の影響も齎すことのない、ただ一輪の花程度として生きるのなら、許してもらえたかもしれない。

 

けれど、そうはならなかった。

 

そうはならなかったから、こうなってしまったのだ。

 

 

「ロキ!!」

 

「アミッドさん!ノアさんは……!!」

 

 

「「………」」

 

24階層での死闘。

それは最終的には死者2名という規模を考えれば最低限というくらいの被害で終幕した。死者の2人はどちらもヘルメス・ファミリアの団員であり、団長であるアスフィを守るために殺されたキークスと、リヴェリアを守る最中に敵の大群の中に引き摺り込まれてしまったホセだけ。

 

その犠牲をヘルメス・ファミリアの団員達は悔やんではいたものの、しかし責めることはしなかった。あれが最善の手段であり、むしろ全滅の可能性すら十分にあったから。それも分かっていたことだから。

 

これは、その上での話。

 

 

「……恩恵が、刻めん」

 

「「「!!」」」

 

「もう、恩恵を刻める状況やない。無理矢理にしようとすれば、強引に接着させとる魂が今度こそ本当に砕け散る。……触れることすら、簡単には出来ん」

 

「そん、な……」

 

 

「身体の方も、酷い状態です……」

 

「アミッド……」

 

「肉体の劣化、とでも言うべきでしょうか。全身のあらゆる部分が少しずつ脆くなっていました。……そして、恩恵を失ったことをきっかけに、その劣化速度が急激に加速しています」

 

「ど、どうにか出来ないのですか!?」

 

「……少なくとも、私の魔法でも完治させることは不可能です。治癒することは可能ですが、治ったところから再び崩れ始めます。そして、劣化速度は今こうしている間にも速まり続けている……延命処置以外に、方法はありません」

 

「そんな……!!」

 

ディアンケヒト・ファミリアの治療院。

夜も深く、既に往来にも人が歩いていないような時間。

けれどその一室にだけは、多くの人間が集まっている。

ロキ・ファミリアからは、ロキ、リヴェリア、レフィーヤ、アイズ、アキの5人。ヘルメス・ファミリアからはヘルメスとアスフィの2人。そこにアミッドが加わり、話しているのは異様な恩恵消失を受け、今は治療院の一室で眠っている彼のことについて。

 

「……治療院への入院は当然として、既に余命宣告をせざるを得ない状況であることは、皆様に理解して貰わなければなりません」

 

「「「っ」」」

 

「よ、めい……」

 

 

 

「………………長くとも、半月」

 

 

「!?」

 

「半月!?」

 

「嘘だろう!?そこまで時間がないのか!?」

 

「本来であれば、3日で生存が困難になるような状態です。私が定期的に完全治癒を施したとして、諸々の事情を考慮しても半月が限度でしょう。……もちろん、外出の許可も出来ません」

 

「……………ぁ」

 

「ど、どうしてですか!?昨日までは、それこそ今日だって!いつもみたいに普通に!!」

 

「恩恵の消滅が、1番の原因です」

 

「!」

 

「……そういう、ことか」

 

「はい、元より神の恩恵を求めて重い病を患った患者がこのオラリオに訪れることはあります。大凡の理解はこれと同じです。……元より抱えていた劣化が、恩恵を失ったことで表面化した。つまり彼は元々、恩恵と不死のスキルが無ければ、3日で死に至るような状況であったということです」

 

「そん、な……」

 

「……他の病であっても、発症するまで前兆が殆ど無い場合もあります。運の悪いことに、今回もそういう病であったということです」

 

レフィーヤは、その場に崩れ落ちる。

違う、前兆が何もなかったということなど決して無かったから。だって彼は最近は定期的に咳をしていたし、そうでなくとも鼻の粘膜が脆くなって鼻血が止まらなくなるようなこともあった。数日の休息で急激に身体の動きが悪くなったり、とにかく異様なことが多くあった。

……だから。もっと、もっと早くに、アミッドに見せていれば。他の治療師ではなく、アミッドに見せていれば、それが事前に分かっていたかもしれないのだ。レフィーヤはそれが出来なかった。それこそ彼が、今回の探索を終えたらアミッドに診てもらうとも言っていたから、だから。

 

「本当に!本当に、方法はないんですか……!?」

 

「……少なくとも現状、治療の方法はありません。私には魂の治療方法までは分かりませんので、根本の原因がそこにある以上は」

 

「ヘルメス様!」

 

「…………悪い、アスフィ。こればかりは俺達でもどうしようもない」

 

今回の件で、団員が2人も死んだ。

それだけで十分だ、それだけで十分にお腹いっぱいだ。これ以上の不幸など必要ない。……それなのに、どうしてこうなる。ヘルメスでさえも諦めかけている状況に、アスフィは顔を歪めながら下唇を噛む。

彼はまだこれからだ、これから幸せになっていくのだ。アスフィは行きの会話の中で、それを理解して、それを実感出来て、安心した。……それなのに、その矢先に。なんだこれは。どうしてこうなる。どうしてこんな酷いことになる。

 

「剣、姫………っ」

 

そうして見た、彼女の表情は。

 

 

 

 

「リヴェリア、さま……」

 

「……戻らないのか、明日も早いだろう」

 

「……リヴェリア様こそ、遠征の準備はいいんですか」

 

「……そう、だな」

 

アミッドの言葉を聞いた後、それぞれは各々に自分の行くべき場所へと向かった。

レフィーヤは迷うことなく彼の病室に向かい、今もその隣で彼の手を握り続けている。ヘルメスはロキと共に治療院を出ると、足を揃えて何処かへ向けて歩いていく。アスフィは何とも言えない顔で本拠地に戻っていき、アイズは俯きながら覚束ない足取りで誰も居ない大通りをフラフラと歩いて行った。

……リヴェリアは、そんなアイズを止めることはしなかった。アキと共に部屋に残り、十数分、ただ言葉を交わすこともなく、立ち尽くしていた。今この瞬間まで。

 

「……何処で、間違えたんでしょう」

 

「……私にも、分からない」

 

「何をしたら、良かったんでしょう……」

 

「……分からないんだ、私にも」

 

あの時、無理矢理にでもLv.6になるのを諦めさせておけば良かったのか。それとも、彼にレフィーヤをあてがおうとしたこと自体が間違っていたのか。……どんな例えを出しても、それで事態が良くなっていた光景が思い浮かばない。なんならロキ・ファミリアに来た時点で、既に手遅れだったようにすら思えてしまう。けれどそこに自分達のミスがあったことも違いなくて。

 

「だから、私達は……」

 

「……?」

 

「……受け入れるしか、ないのか」

 

「……無理です、そんなの」

 

「……ああ」

 

「あの日から……あの日からずっと、私は夢に見てるんですよ?ノアが死んでしまった、前回の自分を」

 

「……」

 

「無理ですよ……もう、無理です。もう、なんか、ほんとうに……無理なんですよ。ずっと、ずっと泣きたいのに、泣けないんです。泣かないで、いつも通りに振る舞って。そんな自分が嫌いで、嫌になって、苦しくて……」

 

「アキ……」

 

「……増えるんですよ、人型の空白が」

 

「……」

 

「あの子の穴が出来て、それをずっと見ていたら。他の穴まで出来始めて。……どんどん、どんどん自分の身体にも穴が空いていくんです。堪えていた気持ちが、もう、堪えられなくなって。全部全部、壊してしまいたくなって、全部全部、投げ捨てたくなってしまって。……自分自身を、壊したくなってしまって」

 

「もう、いい」

 

「少しずつ、その時の自分に近付いてる気がする……あの時の自分が、怒ってる。どうしてこんなことになっているんだって。どうしてこんな風にしてしまったんだって。……どうして、どうしてどうしてどうして!!」

 

「もういい!!」

 

……アキは、レフィーヤと同じだ。

以前の自分の感情を引き継いでいる。今回のやり直しで、ノアを支えるために用意された1人。だからこそ、受けているダメージも人一倍に大きい。

リヴェリアはしゃがみ込み彼女を抱き寄せると、震える背中を撫でる。

 

……自分ですら、取り乱しそうになっている。前回の感情を引き継いでしまっている彼女がここまでになってしまうのは、当然のことと言える。リヴェリアですら分からないのだ。自分がこれからどうすればいいのか。彼のために何が出来るというのか。……自分はそもそも、償いをするべきなのかどうかも。何も分からないから、立ち止まっている。

 

「リヴェリアさま……わたし、どうしたら……」

 

「…………」

 

リヴェリアは答えない。

答えることが出来ない。

その答えを持ってはいないから。

 

……けれど。

 

「それ、は……?」

 

リヴェリアは取り出す。

 

自分の鞄の中に収まっていた。

 

一冊の、古びた日記を。

 

「……地上に戻って来た時。代わりに持ってやっていたアイズの鞄の中に、入っていたのを見つけた」

 

「アイズの……」

 

「書かれていた持ち主の名前は、ノアだがな」

 

「!!」

 

「……読んでみるか?アキ」

 

それは、本当に自分達が触れてもいいものなのか。それすら分からないままに、しかし2人は特に迷うこともなくそれを手に取った。……そこに、僅かでも希望を見出すために。明らかに自分達を地獄に叩き落とす要素でしかないそれを。まるで自罰するかのように。進んで。その身を。乗り出すように。

 

 

 

 

 

「それで?当てはあるのか、ロキ?」

 

「無い」

 

「……だろうな」

 

「せやけど、もうこれ以外に方法がない」

 

「……仮に見つかったとしても、可能性はゼロに近いけどな」

 

「ンなこと分かっとる!!……それでも」

 

真っ暗に染まったオラリオの通りを、2柱は歩いていく。目的地はない、ただ手当たり次第に歩くだけ。……けれど、もう単純にそれ以外の方法がない。それ以外に縋れる要素がない。

 

「ノアの元主神が水の神であることは分かったが、神1柱をここまで匿える場所には限りがある」

 

「……それが分からん。それらしい場所は、もう大体見回った。せやけど見つからんかった」

 

「俺としても魂の管理をしていた神に手当たり次第当たってみたが、流石に砕けた魂を戻せるような権能の持ち主は居なかった。……仮にそれほどの持ち主が居たとして、祭壇の構築に果たして何ヶ月かかるやら」

 

「それなら、やっぱり神力の使い方を聞き出すしかない。……1回だけでええんや、あと1回だけでも使えるなら」

 

「自分が犠牲になるつもりか?他の眷属はどうする?天界からの干渉はどうするつもりだ?」

 

「………」

 

「……まあ、必要なら俺がやるさ」

 

「……ええんか、自分」

 

「あの子の無茶を増長させたのは俺だからな。俺が何処かで止めていれば、もう少しマシに……なったかも、しれない」

 

「さあ、それもどうだかなぁ」

 

「少なくとも、お前がやるよりは下界への影響は少なく済むさ。取るべき責任くらいは取れるだけの男気はあるつもりだぜ」

 

運命を変える手段、それは2つ。

単純に運命を打ち破れる人間が事を成すか、神が世界に干渉をするかのどちらかである。つまりは、神の力を使えば運命を変えることは出来るはず。

……ノアの元主神は、恐らくそれを時間を戻し、ノアに不死性を与えるという方法で成そうとしたのではないだろうか?そして保険として、運命を打ち破ってくれる可能性のある人間達に、花飾り等でそのきっかけを保持させた。

だがそれでも無理だったというのなら、それだけでは足りなかったということだ。ならば更に他の力で上書きをしてやればいい。……もちろんそれは、天界で監視をしている時の神々と全面戦争を行うことに繋がるかもしれないが。それでも、そうだとしても……このまま壊れていく自分の眷属達を見るくらいならば。

 

 

「悪いがその話、私も混ぜて貰えないだろうか?」

 

 

「っ!」

 

「……………………アポロン?」

 

「久しぶりだな、ロキ、ヘルメス」

 

「……?」

 

それは本当に、珍しいというか。珍し過ぎて、思わず身構えるというか。こうして神だけで夜中に歩いているところに、いくらファミリアの拠点の近くを通りかかったからと言って、あのアポロンが少し息を切らす程度に走って来て、声を掛けに来るなんて。……それに、彼にしては妙に、あまりにも妙に、真剣な顔で。眷属の1人すらも、付けることなく。

 

「……何の用や、こんな時間に」

 

「その様子だと……偶然会った、って訳じゃないな。眷属に付けさせでもしたのか?」

 

「まあ、そんなところだ……ノア・ユニセラフが治療院に運ばれたと聞いたからな、君達が出て来るのを待っていた」

 

「……何が目的や」

 

神アポロン、彼の神としての評判は決して良いものではない。好みの眷属を見つけると戦争遊戯や小細工を仕掛け、強引に奪っていく。彼のファミリアの眷属にはそういった者が数多く居り、元々天界でもそれほど評判は良くなかったにも関わらず、下界に来て更に敵を増やしているような有様だ。それこそ暇を持て余している神々にとっては彼の大胆な行動は喜ばしいことなのかもしれないが、大切に眷属を育てている者達からすればたまったものではない。

 

「はぁ……最初に言っとくけどな。あの子に手を出そうとしとるんなら、ほんまにお前んとこ潰すぞ」

 

「……いや、それは誤解だ。確かに私は彼に興味を持ってはいるが、それは決して自分のものにしたいからではない」

 

「?どういうことだ」

 

「…………ロキ、ヘルメス」

 

 

 

「彼の主神は、誰だ……?」

 

 

 

「「!」」

 

「今の主神がロキであることは知っている、ならばその前は誰だ?その前の……つまりは、彼の恩恵の基礎を担っているのは。一体、誰によるものだ?」

 

「……お前」

 

彼にしては、あまりにも本気で物事を考えている表情。周囲に眷属の気配はなく、彼が本当に神同士だけで話すためにここに来たということが分かる。……そして、アポロンのその様子にヘルメスはなんとなく勘付いた。彼もまた同郷の神。つまりは、そう。

 

「アポロン……誰の存在を感じ取っている?」

 

「!」

 

「……そうか、やはり関わりがあるのか」

 

「なんか知っとるんか!?」

 

「いや、何も知らない。……だが、何も知らないからこそ、違和感を感じている」

 

つまりは、そう。

この神アポロンこそが、ロキとヘルメスが探し続けていた黒幕の神と関わりがあったということだ。それはそれこそ。

 

「ずっと……違和感が抜けない。私という存在から、致命的な何かが抜け落ちたような、そんな感覚が消えない。何のしがらみもなく往来を歩いているこの身が、何故かどうしようもなく受け入れられない」

 

「……何処まで思い出せる?アポロン」

 

「……女神だ、それだけは間違いない。そして私は間違いなく。過去に、その彼女に……酷い仕打ちを、している……」

 

「……恋愛事か?」

 

「恐らくな……」

 

「……」

 

また、恋愛かと。

神も人も、どうしてこの恋愛という感情にここまで振り回されてしまうのか。……本当に、この件について知れば知るほどに、関われば関わるほどに、恋愛というものが恐ろしくなる。それはリヴェリアだって本当に自分がこれと同じことをして相手を見つけられるのかと不安にもなるだろうし、ロキも苦い顔しか出来なくなる。

 

「……ウチ等は、今その女神を探しとるんや。このままやと、ノアが死ぬ」

 

「!!」

 

「……まあ、見つけたところで助けられるかは微妙なところだが」

 

「何か手掛かりはないんか?アポロン、なんでもええんや」

 

「……正直、手がかりはない。だが恐らく、私は他の誰よりも彼女の気配を感じることが出来る」

 

「というと?」

 

「ノア・ユニセラフを見た瞬間に、彼女との関係性を感じられた。……役には立てると思うが」

 

「なるほど……それは良い、丁度そういうのが欲しかったんだ。ロキもいいか?」

 

「ま、便利なのは間違いないしな。……今はなんでもええ、手掛かりが欲しい。あと半月、手伝って貰うで、アポロン」

 

「ああ、是非手伝わせて欲しい」

 

それはノアとは関係のない、彼の元主神である女神の悲恋と愛惜の話。決して終わった話ではなく、今も続いているはずの報われない恋の話。

……だから、きっと。

 

彼等2人は、似た者主従だったのだ。

どうしようもないくらいに、悲しい運命を持った。

 



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49.○○の本音

恋愛要素が増すので60話くらいまで続きます。


「ノアさん……」

 

ぎゅっと、彼の手を握る。

もう何度握ったかも覚えていないくらいに、何度も何度も握った手。それほどに握ることを許してくれた、彼の手。……けれど、どうしてか。今日ばかりはそんな彼の手が弱々しくて、小さくて、少し冷たい。

 

「まだ……まだ起きたら、駄目ですからね」

 

恩恵を失った。

 

余命宣告を受けた。

 

その事実は、きっとこんなにも泣きそうで胸が張り裂けそうな自分なんかよりも、それを聞いた時の彼本人の方がよっぽど苦しいに決まっている。……だから、起きて欲しくない。

起きて欲しいけれど、起きて欲しくない。何も知らないままに眠っていた方が、もしかしたら彼は幸せなんじゃないかと。そう、思ってしまうから。

 

「好きです……好きなんです……貴方のことが……」

 

どうしようもなく、どうしようもなく、好きになってしまった。好きで好きで、たまらなくなってしまった。この人のためなら、自分の全部を捧げてもいいと思えた。こんなことは初めてだった。

彼の声が好きで、言葉が好きで、優しさが好きで、笑顔が好きで、誠実さが好きで、必死さが好きで、愚直さが好きで、抜けてるところも好きで、好きで、好きで、好きに、なってしまって……

 

「なんで……どうして、貴方なんですか……もっと、もっと他に悪いことをした人なんて、いくらでも居るじゃないですか……」

 

どうして。こんなにも好きになった人を、奪われなくてはいけないのか。彼のして来たことは本当に、本当にこんな仕打ちを受けなければならないほどに悪いことだったのか。

確かに彼の直向きさに振り回されて来た人は居るけれど、きっと自分もそのうちの1人だったのだろうけど。だからと言って誰が彼のことを恨んでいる。誰もが彼の幸福を祈っているはずだ。そしてもうすぐ、もうすぐ彼は、その幸福を掴めていた筈なのに。どうして今になって、こんな酷いことをするのか。時を遡ったことだって、不死性を手に入れたことだって。

……それだって別に、彼自身が望んだ訳ではないのに。

 

「ある物を、使っただけじゃないですか……」

 

強力なスキルや魔法を使う自分達と、何が違うというのか。

 

「こんなに酷いことをするくらいなら……最初から、止めていれば良かったじゃないですか」

 

それは誰に対しての恨み言か。けれど、それを許してくれないのなら、最初から駄目だと言っておけばいいのに。

 

この人はすごい人だ。

レフィーヤはそれをよく知っている。

こんなにも頑張れる人はいない。

こんなにも我慢出来る人はいない。

こんなにも自分に厳しく出来る人はいない。

……人の命だって救って来た。罪なんて犯してもいない。力だって私利私欲のためだなんて、せいぜい自分の恋のためくらいにしか使っていない。この人は本当に最初からそれしか求めていなかった。

 

「どうにか、ならないんですか……」

 

今やレフィーヤよりも弱々しいその身体は、思いっきり力を入れてしまえば、たとえLv.3の魔道士の筋力であっても、その手を握り潰してしまうことができるだろう。それがどうしようもなく悲しく思う。

 

「なんでもしますから、助けてあげてください……お願いします……」

 

誰でも良いから。

どうやってもいいから。

彼だけは……彼だけでもどうにか、幸せに、出来ないのか……

 

 

 

「……レフィーヤ、さん?」

 

 

「っ!!……起きちゃったん、ですか?」

 

「…………泣いているん、ですか?」

 

「……えへへ、泣いちゃいました」

 

ああ、本当に酷い。

起きてしまった、起こしてしまった。

彼をこの辛い現実に、向き合わせてしまった。

少し考えれば、分かるはずなのに。こんな風に隣で泣いていたら、彼が気付かない筈がないのに。自分がこうして泣いていたら、彼はきっと起きて、その涙を拭ってくれるんだって。知っていた筈なのに。

 

「……もう。駄目、なんですね……わたし」

 

「そんな、ことは……」

 

「狡いこと、したので」

 

「っ」

 

「仕方ない、です……」

 

彼はレフィーヤの涙を指で拭いながら、優しい笑みを彼女に向ける。それは自分の全ての気持ちを抑え込んで、レフィーヤを慰めるためだけにつくった表情。

もう残っているのは左腕だけ。利き腕を失い、彼からは冒険者としてだけではなく、普通の人間としての残りの人生すら難しくなる。少なくとも残り僅かな余命の間に、その左腕を自由に動かせるようにはならないだろう。慣れて来た頃には、動かなくなる。

……そうでなくとも、彼は。

 

「レフィーヤさん……」

 

「は、い……」

 

「………ごめん、なさい」

 

「!!」

 

「わたし、レフィーヤさんを……また、泣かせて、しまいました……」

 

「そんなこと!」

 

「…………これから先も、泣かせて、しまう」

 

「っ!!」

 

「レフィーヤさんは、優しいので……ずっと笑顔で、居て欲しかった、のに……」

 

本当に申し訳なさそうに、彼はそう言う。

自分の死が近付いてきていることよりも、これまで必死に叶えようと努力して来た恋が報われないことよりも。何より今こうして、レフィーヤを泣かせてしまったことを謝罪する。

想いの深い彼女が、自分が死んでしまうことで、深く、そして長く悲しんでしまうことになることを……心から悔やんでいる。

 

「……好き、でした」

 

「!!」

 

「好きになって、しまいました……レフィーヤさんの、こと」

 

「……ほんと、ですか?」

 

「はい……だから、悩んでました」

 

「ど、どうして」

 

「だって、好きな人が、2人なんて……酷いじゃないですか」

 

「………………そう、ですね。酷いですよ、ノアさん……酷いです」

 

「……ごめんなさい」

 

「本当に……本当に……」

 

こんな風に、こんなところで、こんな状況で……こんなにも嬉しい気持ちにさせるなんて。本当に酷い。今はただ、目の前の大切な人の不幸を、素直に悲しませて欲しいのに。

 

「……魚館で。レフィーヤさんに、奪われてしまいました。『幸せになって欲しい』って。言ってくれた、レフィーヤさんに」

 

「……今でも、変わってません。私は貴方に、幸せに、なって……欲しかった、のに……」

 

「でも……レフィーヤさんは、幸せに、してくれました」

 

「っ」

 

「ずっと、私の隣に……居てくれました」

 

彼は微笑む。

 

「朝、起きると……レフィーヤさんが、居て」

 

「……はい」

 

「夜、寝る時も……眠るまで、話してくれて」

 

「……はい」

 

「毎日、可愛らしく。髪型も、変えてくれて……」

 

「……気付いて、いたんですか?」

 

「気付きます。……好きな人の、ことですから」

 

レフィーヤの頬を一雫。

彼の目からも、それは流れていた。

皮肉にもそれは、あの最も幸福だった一時と同じように。

互いのことを、想い合って。

 

「教えてください、レフィーヤさん。……わたしはあと、何日ですか?」

 

「…………アミッドさんは、半月って」

 

「……思っていたより、ありますね」

 

「全然、ないですよ……私は、もっと。もっと長く、貴方と……っ」

 

レフィーヤの涙を拭っていた彼の左手が、優しく自分の頬を撫でる。その撫で方は本当に弱々しくて、力が無くて。けれどいつもみたいに、とても優しくて。

 

「どうしたら……笑って、くれますか……?」

 

「っ」

 

「私のもの……全部、あげますから……」

 

「そんな、の……」

 

「もう、変な拘りも、意味ないですから……レフィーヤさんに、本当に。私の全てを、渡せます」

 

それは受け取り方によっては、本当に酷い言い方ではあるかもしれないけれど。むしろこういう状況になったからこそ、彼も吹っ切れることが出来たのかもしれない。

……だから、こんな風に何処かスッキリしたような顔で。けれど酷く悲しげな顔で、そんなことを言うんだ。彼は本当に、どうしようもなく。自分に残っている全てのものを、差し出せる状況になってしまったから。恥も外聞も、意味のない状況になってしまったから。後先のことなんて、考えることが間違っているくらいに。

 

「……それなら。今日からノアさんのお世話は、全部私がやります」

 

「……それは、むしろ」

 

「食事も、着替えも、身体を拭くのも、全部です」

 

「……」

 

「ずっと、ずっと……ここに居ます。最後の最後まで。貴方の、隣に」

 

「……いいんですか?私のことなんて、忘れた方が」

 

「忘れられるくらいなら!…‥そんな簡単に、忘れられるなら。とっくに」

 

「……ごめんなさい。馬鹿なことを、言いました」

 

「本当です……好きな人のこと、そんなに簡単に、忘れられる訳ないです」

 

「……本当に、ごめんなさい。そんなこと、私が一番、よくわかってる筈なのに」

 

分かっている、自分のためにそう言ってくれているのは。けれどそんなことは出来ないから、出来る筈がないから。悲しんで欲しくないと思ってくれているのかもしれないけれど、ここまで来たのなら、悲しませて欲しい。……悲しみたいのだ。仮にもう、どうしようもないとしても。最後の最後まで、付き添いたい。

 

「最後まで、側に居させてください」

 

「……はい」

 

「責任を取って、最後まで……私のこと、愛してください」

 

「……もう、こんな酷い男に、捕まっては、駄目ですよ?」

 

「大丈夫です……これ以上の男性なんて、見つけられそうにありませんから」

 

「それは少し、ご自分を、過小評価、しすぎです」

 

「……ノアさんにだけは、言われたくないですよ」

 

レフィーヤは立ち上がり、少し顔色の悪くなった彼の顔を覗き込むように身を乗り出す。なんとなく艶の落ちた気のする彼の長い髪を撫で、それでも綺麗な彼の頬に手を当てる。

 

……ゆっくりと、顔を近付ける。

 

それこそ、2人の鼻先が当たるほどまで。

 

でも、残り時間が少ないのなら。

もう何をするにも、早いなんてことはないから。

誰にも気にする必要なんてない。

彼女のために身を引く必要もない。

示したいのだ。

自分の本気を。

知って欲しいのだ。

自分の想いの丈を。

 

「……いいん、ですか?大事な物、ですよ?」

 

「だって、こうでもしないと……分かってくれないじゃないですか。取り返しなんか、もうつかないって」

 

「レフィーヤさんの、人生は、長いんですよ……?」

 

「そうかも、しれません。でも、だからこそ。だからこそ、私に良い思い出を下さい。……これから何十年も、大切に持っていられるような。そんな優しい、最高の思い出を」

 

直ぐ目の前にある彼の顔は、それまですごく申し訳なさそうに目線を逸らしていたけれど。レフィーヤのその言葉に、動揺したように瞳を揺らす。向き直る。

すると彼は、なんとなくそれを覚悟したように。

 

「……すごく、光栄です」

 

「本当ですか?」

 

「はい、とても」

 

「……それに、ノアさんは本当にいいんですか?勢いで、ここまで来ちゃいましたけど。本当は最初は私より、アイズさんの方がぅんみゅっ………???」

 

 

重なった。

 

 

「…………っ!?〜〜〜!!?!?!?」

 

 

「っふぅ……ふふ。貰っちゃい、ました」

 

「なっ!なっ!ななにゃにゃにゃっ!?!?」

 

「レフィーヤさんが、悪いです。そんなに可愛い、お顔を……近付けて」

 

「か、ぁ……ぇ、う……」

 

自分から迫っておいて。いざされてしまうと、こんな風に不意打ち気味にされてしまうと。流石にもう……

 

「こういう、時に……他の女性のこと、話したら、駄目です……」

 

「……それ、本来私が言う側だと思います」

 

「でも、気にしたら、駄目です」

 

「………」

 

「何も、考えないで」

 

「……はい」

 

頭に熱が上がっているからか、それとも単に睡眠不足だからか、若しくはこれが恋愛の魔力とでも言うのか。一度は驚いて距離を取ってしまったけれど。優しく差し出された手を取ってしまい、もう一度ゆっくりと顔を近付ける。

 

「一度で、いいんですか……?」

 

「……もっと、したいです」

 

「私もです」

 

彼は一体、今、何を考えているのだろう。

いくらこんな状況になってしまったからと言って。きっと、アイズに対する気持ちだって無くなっている訳ではないのに。それにこう言う状況になってしまって、彼女がどういう反応を示すのか、何よりそれを恐れている筈なのに。……それでもこうして、ちゃんと向き合ってくれるのは。こうして、自分にだけ向き合ってくれるのは。あの時のデートのことを思い出す。それは本当に、ただ自分のことを好きでいてくれるからなのか。それとも、自分に対する罪悪感がそうさせてしまっているのか。

 

「ん……」

 

そんな風に、色々なことを頭の中に巡らせていたというのに。いざこうして唇同士が触れ合うと、その柔らかさに一瞬で虜になってしまう。最初は触れるだけの、優しいそれを。そのまま何度も啄むようにキスをして、次第に舌先が絡み合い、吐息も唾液も混ざり合って溶け合っていく。

 

「っふぁ……はぁ……」

 

どれくらいそうしていただろう。息苦しさに耐えきれずに口を離すと、互いの口元を銀糸が繋いだ。それが何だかいやらしくて、艶かしくて、恥ずかしくて。少しの間、夢見心地に呆けていた意識が覚醒すると、思わず目を逸らして顔を離してしまう。

 

「んっ」

 

けれど彼はそんなレフィーヤを見つめながら、愛おしげな表情を浮かべて、一度握っていた手を離すと、親指の腹で彼女の濡れた唇をなぞった。それだけのことなのに腹の底から頭の上まで、妙な感覚が心を揺さぶりながら走っていく。

 

……ああ、駄目だ。

 

やっぱり私はこの人のことが好きだ。

 

それを自覚して、自覚してしまったからこそ、その痛々しい姿に、改めて苦しく思ってしまう。こんなにも幸福に満たされているのに、こんなにも好きで好きで堪らないのに。

 

「……ノアさんの"キス上手"。経験、あるんですか?」

 

「いいえ、初めてです。勉強は、しましたけど」

 

「勉強って……」

 

「とても、可愛らしかったですよ。レフィーヤさん」

 

「あうっ」

 

まだ口の中に彼の味が残っている。それを自覚してしまうと、途端に本当にしてしまったんだと理解してしまって。そしてあんな惚けた顔を見られてしまったのだと気付いてしまって、もう駄目だった。再び彼に握られた自分の手も気付かないうちに汗をかいてしまっていて、彼の患者衣の襟の部分にはどう考えてもさっきの時に落ちたであろう唾液の染みが付いてしまっているし……

 

「……なんとなく、涙の味、しましたね」

 

「それは、その……私達らしいというか」

 

「そう、ですね。私達、らしいです……」

 

本当に、思い返せば2人揃って泣いてばかり。喧嘩もしたことない癖に、ずっとずっと泣いている。それは最初のキスも涙の味がするだろう。……きっと、最後のキスも涙の味がするのだろうなと分かってしまうから、余計に辛い。

 

……死なないで欲しい。

 

生きていて欲しい。

 

これから先も、ずっと隣に居たい。

 

どれだけ涙を流しても良い。

 

どれだけ心を痛めても良いから。

 

繋いだこの手を、最後まで、離さないで居て欲しい。

 

 

「ん、しょ……」

 

「あ……お、起き上がるんですか?それなら私が……」

 

「いえ、場所を開けようかと……」

 

「場所……?」

 

「だって……ここに居て、くれるのでしょう?それなら、寝る場所も、必要ですし」

 

「さ、流石にそれだけは駄目です!……ほんと、必要になったら仮のベッドとか借りて来ますので。流石に治療中の方のベッドで寝ると言うのはよくないですよ」

 

「……………そう、ですか」

 

「あ、う…………っ」

 

それは卑怯だ、そんなのは卑怯だ。

お願いだからそんな寂しそうな顔をしないで欲しい。

……いや、それはレフィーヤだって本音を言えば入りたい。一緒に寝たいと思っている。しかし流石にそれは常識的にアウトというか、明日の朝に誰かに見られたら確実に叱られる案件というか……

 

「………まあ、それも余計な心配ですね」

 

「え?」

 

「いえ、もう誰に怒られてもいいかなって。それよりやっぱり、ノアさんの隣に居たいので」

 

「レフィーヤさん……」

 

「……その、実は汗を流してから結構時間が経っていまして。替えの服は、あるんですけど」

 

「気に、しませんよ」

 

「……せめて、着替えと消臭だけはさせて下さい。好きな人に、変なところを見せたくないですから」

 

「……ええ、分かりました」

 

別に、朝になって他の誰かに怒られたっていい。それよりも大切なことだから。こんな時間は、きっともう何回もないから。この人の側に居られる時間は、この人と一緒に眠れる時間は、後からでは絶対に、手に入らないものになってしまうから。

 

レフィーヤはその場で衣服を脱ぎ、簡単に身体を拭くと、持って来ていた寝巻きに着替える。彼はその間も目を覆ってくれていたけれど、今度からは見られても問題ない格好で来ようとレフィーヤは思った。出来る限り綺麗な姿を、彼には見ていて欲しいから。

 

「……駄目な私を、許して、ください」

 

「え……?」

 

「私は……本当に、何もかもが、中途半端で。結局、最後まで、何かを貫くことが、出来なかった」

 

「ノアさん……」

 

「……あと、半月で、いいですから……」

 

「……」

 

「私のこと……見捨て、ないで……」

 

彼の腹部に潜り込むようにしながら、顔の見えない彼の、そんな泣きそうな呟きを、耳に入れる。……きっと、それこそが彼の抱えている本音の1つなのだろうと。レフィーヤに最高の思い出をくれる男性ではなくて、ノア・ユニセラフ本人の本音なのだろうと。理解する。

 

「……見捨てる訳、ないじゃないですか」

 

「……」

 

「どんなにカッコ悪いところを見せられても。私は、あなたの隣に居ます」

 

「……ありがとう、レフィーヤさん」

 

ああ、泣かないで欲しい。

これ以上、辛い思いをしないで欲しい。

もう十分に、辛い思いをした人だから。

だからこれ以上、追い詰めないで欲しい。

こんな悲しいことを、彼に言わせないで。

 

もう彼の泣き顔は、見たくないから。

 

彼の心からの笑みを、見たかったから。

 

だから……どうか……

 

彼のことを、もう許してあげて欲しい。

 

罪があると言うのなら、私もそれを受け持つから。



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50.○○の押し付け

それはノアが治療院に入院することになった次の朝のこと。

場所はギルド。冒険者とその担当職員。2人は今日もいつものように空き部屋に入り、沢山の本を広げて、ダンジョンに関する勉強を……している訳では、なかった。

 

「え……って言うことは、あの人が!?」

 

「……うん、ノア・ユニセラフ氏。前にベル君にお話しした、君と同い年の冒険者」

 

リリルカ・アーデの件が落ち着き、ギルドにエイナへのお礼を言いに来たベル。しかしそこでエイナから聞かされた話は、彼にとってはあまりにも予想外なことだった。

 

「で、でも!あの人は女性で、年上に……」

 

「……見えるでしょう?けど私が最初に会った時は、本当にただの小さな男の子だったの。それが3年のうちに見違えるように成長して、容姿も整えて」

 

「ということは、本当に……?」

 

「うん、彼は男性。ロキ・ファミリアのLv.6、"迷異姫"と呼ばれてる第1級冒険者」

 

「……全然、気付きませんでした」

 

ベルがずっとずっと知りたいと思っていた、ノア・ユニセラフという冒険者。自分と同い年で、同じようにアイズ・ヴァレンシュタインを好きになって、自分よりも先にその努力を始めていた人。

まさかその人物と既に知り合っていただなんて、ベルは夢にも思わなかった。それも間接的とは言え2度も助けられて、助言なんかもされて、ベルとしては名前を知る前から凄く気になっていた人で。

 

「それと……これは、もしかしたらなんだけど……」

 

「は、はい……」

 

「もうあの2人は、そういう関係かもしれなくて……」

 

「………え?」

 

ベルの心が揺れる。

 

「確証はないの、本当に私の想像なんだけど……なんとなく、そういう雰囲気があったって言うか……」

 

「……アイズさんと、ノアさんが……」

 

「まあ、その、私としてはベル君の応援をしてあげたかったんだけど……彼が死に物狂いで努力してたことも知ってるから。もしそうだとしても、おかしくないかなって……」

 

「……そう、なんですか」

 

それは本当に、ただのエイナの予想ではあるけれど。しかし確かにベルが彼に会った時は、どちらも彼はアイズと共に居たようなことを言っていた。もしかしたら単純に友人関係ということもあるかもしれないが、しかし仮にも男と女。普通に考えれば、そういう関係であると考えられるだろう。何せ年頃の男女なのだから。ノアの方が明確にアイズのことが好きな以上は、そういうことが無いという方がむしろおかしいくらいで……

 

「……エイナさん、ノアさんに会うことって出来ますか?」

 

「…………それが」

 

「え?」

 

「彼は、その、昨日ベル君を助けた後に……24階層で大怪我をしてね」

 

「お、大怪我!?」

 

「うん、右腕を無くしたの。今は治療院で入院してる」

 

「そ、そんな……」

 

「……もしかしたら、冒険者もやめるかもしれないって。もう戦える状態じゃないみたい」

 

「!?」

 

それは果たして、どれほどの怪我をしたと言うのだろう。右腕を失う、それだけでもベルには想像も出来ないほどに恐ろしい。しかし冒険者までやめるということは、それ以外にももっと酷い怪我をしたということだ。

……仮にも知っている相手。しかも自分のことを助けてくれて、リリの荷物も取り返してくれて、色々な忠告もしてくれて。それがたとえ恋のライバルであったとしても、恩のある人だ。彼がなんと言ったとしても、少なくともベルは彼に恩を感じている。仲良くなりたいとさえ思っている。

 

「……エイナさん」

 

「?」

 

「僕、ノアさんにお礼を言いに行きたいです」

 

「!」

 

あの人はもしかしたら、また溜息を吐くかもしれないけれど。他人を気にしている暇があるのなら、自分の人生を生きろと。そう言うのかもしれないけれど。……それでも。

 

(僕はあの人と、話してみたいんだ)

 

自分より先を走っていた人が、何を思い、どんな人生を歩んで来たのか。それは本当に単純な興味で、聞くべきことではないのかもしれないけれど。もう2度と会うことはない、なんてあの言葉を。本当のものにはしたくなかった。

 

 

 

 

「……思っていたよりも元気そうだな。少し安心した」

 

「そう、ですか?実は、今はあんまり……身体、動かせないん、ですけど」

 

「……そうか」

 

ベッドに身体を持ち上げられて、力なく背を預け、本当にしおらしくなってしまったような彼に向き合うと、表には出さないように懸命に努力しているこの感情が途端に暴れ出しそうになってしまう。

……リヴェリアは昨夜、殆ど眠ることは出来なかった。あの日記を共に読んだアキは、ここには居ない。彼女はもしかすれば何かを思い出してしまったのかもしれないし、少なくとも今はノアの前に顔を出せる精神状態ではなかったから。

あれを読む前と今では、リヴェリアですら、これまでと彼の見方が変わってしまう。

 

「何か欲しいものはあるか?……ある程度のことなら用意出来るが」

 

「いえ、特には。食べ物も、制限を受けて、いますし。……お洒落も、もう、意味ない、ですから」

 

「……そんなことはない。容姿を整えることは、お前の心を強くする。少し待て、髪の手入れをしてやろう」

 

「……ありがとう、ございます」

 

言葉を発するにも、以前のようにスラスラと口から出ることは無くなってなってしまって。少し息苦しそうに、絞り出すように話すようになった。アミッドの回復魔法を受けた直後は楽そうになるが、ある程度の時間が経つと、こうしてやはり辛そうにしている。きっと治療前の今の時間が彼にとっては一番苦しい。

アミッド曰く、これから回復魔法の間隔を少しずつ早めていくことになるのだとか。今は日に2回程度で、万能薬でも代替になるそれも、半月もすればどうにもならなくなる。身体の劣化は、止まらない。

 

「っ、これは……髪も、劣化しているのか」

 

「……みたい、です」

 

「苦しく、ないのか……?」

 

「……実は、割と」

 

「……そうか」

 

彼の髪を手に取った瞬間に、リヴェリアはその酷さを理解する。あれほど綺麗に整えていた彼の髪は今では本当に脆くなっていて、よくよく見てみれば彼自身も最低限の化粧をしている。……きっと、相手に体調の悪さを悟られないように、わざと隠しているのだろう。

痛くないはずがない、苦しくないはずがない。それは単に彼が苦痛になれているから、何事もない顔をしているだけだ。

 

「……私の前でくらい、弱音を吐け」

 

「……リヴェリア、さん」

 

「レフィーヤと、アイズの前では……お前は強がるだろう。だが今は私しかここには居ない。苦しい時に、辛い時に、我慢をするな」

 

「……」

 

「ずっと聞いてやっていただろう?何を今更躊躇する必要がある?……大丈夫だ。何を言おうとも、私はお前を見捨てたりはしない」

 

「……はい」

 

あの日記を見て、改めて感じた。そう言えば彼はアイズよりも2つも年下だったなと。単に生きている時間だけでいれば、それよりいくつか年上なのだろうけれども。しかしその記憶も消えた以上、というかリヴェリアからしてみれば、本当に子供であることに変わりはない。容姿が大人びているから、今回の彼は大人びてしまったから、なんとなく子供扱いし辛かっただけで。

 

「あの……お願い、が、あって……」

 

「言ってみろ」

 

「……手を、握って、欲しいです」

 

「?……それくらいなら構わないが。どうした、レフィーヤが居なくなって寂しくなったか?」

 

 

「………怖く、て」

 

 

「っ」

 

きっとそれが。今の彼が抱えている、どうしようもない本音。

 

「え、えへへ……ご、めんなさい。情け、ないんです、けど」

 

「……そんなことはない」

 

「おかしい、ですよね。あんな、無茶ばかり、してきた、のに……今更。死ぬのが、怖い、なんて……」

 

「そんなことは、ない」

 

「……リヴェリア、さん」

 

「ああ……」

 

「…………死にたく、ないです」

 

「………ああ」

 

俯きながら子供のように泣き始める彼のそんな姿は、きっとレフィーヤもアイズも見ることはないだろう。そういう子だ。好きな相手の前では、こういう姿を見せたくないと、そう思ってしまう子だ。でも、そんなに強い子でもないから……徹底することが出来ずに、こうやって漏らしてしまうような、普通の子だ。

 

「……私が、悪いって、分かってます。ヘルメス様や、ロキ様の、忠告も、聞かずに……」

 

「そんなことはない……」

 

「ずるいこと、して……レベル、上げて……色んな人に、迷惑、かけて……」

 

「……誰も、お前に怒ってなどいない」

 

「結局、こうして、死ぬのなら……私は、本当に、迷惑をかけた、だけで……」

 

「それは違う」

 

「私なんか、居なかった方が……」

 

「お前のおかげで、アイズは成長した。レフィーヤもだ。……全て、お前の成したことだ」

 

「……でも。悲しませて、しまいます」

 

「…………」

 

「死にたく、ない……死にたくない、です……」

 

「…………」

 

「これから、なのに……これからだと、思ったのに……」

 

「あぁ……」

 

「怖い、です……死ぬのは……こんなことに、なるなんて、分かって、いたら……」

 

「っ」

 

「…………あぁ、馬鹿ですね。多分、分かっていても……私は、同じことしてたと、思います」

 

「ノア……」

 

「だって、そうでもしないと……アイズさんに、見て、貰えなかった、から……」

 

「……」

 

「何もない、私は……こんなずるを、しないと……ここにすら、来れなかった、から……」

 

才能のない彼は、それでも、精神力だけはあったから。単に細かな努力を健気に続けて、レベルを上げるという行為に関しては。きっと適性があったのだろう。

しかし過去の彼の日記を見れば、分かる。それだけではアイズに振り向いて貰うには間に合わないのだと。……ベル・クラネルという、彼よりよっぽど成長速度の速い少年が現れてしまうから。

だから、彼の言う通りなのだ。

こうでもしなければ、アイズは振り向いてくれなかった。自分の命を前借りして、多くのズルを使わなければ、今この場にも立てなかった。ここに彼が立てていること自体が、本来であれば、あり得ないことで。

 

「まだ、死ねない。死にたく、ない。…………死ぬのが、怖い」

 

「……大丈夫だ」

 

「もう……死にたく、ない……」

 

「っ!」

 

果たして……今の彼に以前の記憶は残っているのだろうか。けれどリヴェリアはもう、残っていないで欲しいと思わざるを得ない。忘れていて欲しいと願いたい。

だって、こうして生きていて、2度も死ぬ経験をするなんて。それはとても辛いことだ。それは恐ろしくなっても仕方のないことだ。その分の恩恵は、2度目の生として、彼は確かに受けたのかもしれないけれど。それでも。

 

「…………ふふ。ごめん、なさい。好き勝手、話して、しまいました」

 

「……言えと言ったのは私だ」

 

「情けない、です……」

 

「誰でも、死ぬのは怖い。それがこんな風に、蝕まれていくような死であるのなら……怖くない方がおかしいくらいだ」

 

「……レフィーヤさんにも、甘えてしまいました」

 

「……あいつは喜んだだろう」

 

「1人で眠るのが、怖くて……あと何回、眠れるのか……考えたら……」

 

「……大丈夫だ、お前を1人にはさせない。レフィーヤは可能な限りお前の側に居るだろう。そうでない時は、私が来てやる」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「手だって、握っていてやる」

 

「……これだけは、右手が無くなって、残念です」

 

「そうだな、寂しいだろう」

 

「はい……」

 

優しく頭を撫でてやると、少し嬉しそうに笑う彼は、もう本当に子供にしか見えなくて。ああ、そう言えばこの子には保護者と呼べる存在が今は居なかったことを思い出す。だから大人ぶっていたのかと、思うくらいで。だから自分のことを頼ってくれていたのかもしれないと、今更思って。

 

……分かっているとも。

その失った右腕に、いつもそこを占領していた馬鹿娘が、未だに昨晩から帰って来ていないことも。だから彼も、右腕と同じように、恩恵を失ったと同時に、彼女も失ってしまったのだと、そう考えていることも。

 

……けれど、大丈夫だ。

確かに、もう時間がないというのに何をしているんだと叱りたくはなるが。あの子ももう、そこまで救いようのないことはしない。少なくともリヴェリアはそう信じている。

 

 

「……?」

 

 

 

 

扉が叩かれる。

 

 

 

 

 

「?はい、どなたでしょう」

 

 

その馬鹿娘が、ようやく来たのかと。

 

そう思った。

 

 

「す、すみません!ベル、ベル・クラネルと言います!入ってもいいでしょうか……?」

 

 

「「っ!?」」

 

ただ、残念ながら。

そうして現れたのは決して彼が求めていた人物ではなく。むしろこのまま会わずに終わりたかったとも言ってもいいような人物であったけれど。

 

 

 

 

 

……静寂。

それは治療院には似つかわしい状況。

しかし緊張。

そこに漂う雰囲気は、残念ながら。

それほど似つかわしいものではない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……はぁ。何処で、嗅ぎつけて、きたんですか?」

 

「っ、すみません……エイナさんから聞いて、居ても立っても居られなくなって……」

 

「……まあ、いいです。貴方のことも、決着、つけないと、ですし」

 

「決着……?」

 

ノアのお願いもあって、リヴェリアは一度部屋を出ているので、ここには今2人しか居ない。しかし部屋に入って来たベルが驚いたのは、あまりにもあまりな彼女……いや、彼の様子。

右腕を失ったのは知っていたが、それどころではない。端的に言えば、以前まであった存在感のようなものが酷く気薄になっている気がしたのだ。以前のようなクールでぶっきらぼうな女性から、儚く萎れた女性へという感じに。それでもまだ女性にしか見えないのは、ベルとしては素直に凄いと思うしかないが。

 

「……私のこと、どこまで?」

 

「えっと……ノアさん、ですよね。僕と同い年の、男性の冒険者で」

 

「そう、ですね……」

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

「はぁ……すみません。少し、今日は、話し過ぎて……」

 

「ご、ごご、ごめんなさい!あの、また後日に出直します!!」

 

「いえ、いいです……貴方と、会うのは。これきりに、したいので」

 

「は、はい……」

 

なんとなく気付いてはいたけれど、やはり自分は彼に少しばかり嫌われているらしい。それは素直にベルとしてもショックなことではあったけれど、しかしそれでも完全に拒絶をされないだけマシか。こうして今日はしっかりと話してくれるのだし、以前に自分を助けてくれたこともまた事実。

 

「あ、あの……冒険者を、やめるって……」

 

「続けられ、ないです。治らない、ので……」

 

「そ、そんなに酷いんですか……?」

 

「……ベル」

 

「は、はい」

 

「……好きな人は、居ますか?」

 

「っ!!」

 

「私は、居ますよ」

 

「…………僕も、居ます」

 

「そう、ですか……」

 

ベルの頭を、先程のエイナの言葉が過ぎる。

彼とアイズが、既にそういう関係になっているのではないかということ。もしかすればこの人は、自分が同じように彼女を好きになってしまったことを、気付いているかもしれない。誰かに聞かされているのかもしれない。それこそエイナなんかから、自分と同じように、聞いてしまっているのかもしれない。

……もしそうなら、彼が自分になんとなく素っ気ないのも。

 

「ベル」

 

「は、はい」

 

「……私の、命は……あと、半月です」

 

「!?」

 

「どうしようも、ありません」

 

「ど、どうして!?だって冒険者は、眷属は……それにレベル6だって……!」

 

「無茶を、しました。レベルを、上げるために」

 

「っ」

 

「その、報いです」

 

「そんな……」

 

「………ふぅ」

 

言葉を口にするにも、この時間帯の身体は疲労する。だがそれでも、もうこうして会ってしまったのなら、しっかりと向き合わなければならない。もうその機会も、きっと、2度とはないだろうから。

 

「……剣を、学びなさい」

 

「え?」

 

「恐らく、必要に……っ、なる」

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫、です…………っ、誰にでも、構いません。強い、人に……剣を、学びなさい」

 

「……学ぶ」

 

「…………豊穣の、女主人」

 

「!」

 

「そこの、エルフが……貴方になら、きっと……ごほっ、ごほっ」

 

「っ!?い、いま治療師の人達を……!」

 

「必要、ないです」

 

「でも!!」

 

「……いいから、聞きなさい」

 

「は、はい……」

 

ノアは必死に思い返す。

目の前の少年を見て、それをきっかけに戻り始める以前の記憶。それを必死に探り起こして、彼のためになる情報を。探り出す。

 

これから彼はミノタウロスと戦うことになる。

 

しかし今回はきっと、アイズは彼に稽古を付けてくれないかもしれない。……だから、記憶の中に、何処かで、ダンジョンの何処かで、彼と共に居た、あのエルフの女性のことを、話す。

前回の情報を再び思い出すということは、つまりはまた魂に修正力を受けてしまうということ。それは今のノアにとっては、あまりにも危険なことだ。だがそうしなければ、ベルはミノタウロスには勝てないから。ここまで色々なことを変えてしまった責任くらいは、取らなければならない。

 

「貴方なら……勝てます……」

 

「な、何にですか……?」

 

「……運命に」

 

「運命……」

 

「私は、負けて、しまったけど……」

 

「そんな……」

 

「……諦めないで、続けなさい」

 

「っ」

 

「私が、死んだら……アイズさんの、こと……」

 

「……分かり、ました」

 

「……素直で、いい子、です」

 

もう、それで良かった。

自分がこんな中途半端なことをしてしまったせいで、彼女の残りの生涯が、孤独なものになってしまわないのなら。別に、運命に屈したっていい。

 

「………」

 

「え?……こ、これですか?」

 

最後に、ノアはもう言葉を出すこともせず、ただ自分の鞄に指をさす。それを見てベルは慌てて立ち上がり、彼の指し示したそれを手に取るが。そうしてノアが最後に彼に与えようとしたものは、特別ではあったけれど、しかしそれほど特別なものでもなく……

 

「こ、これって……エリクサー?」

 

「……」

 

「こ、こんなの貰え……」

 

「……」

 

「………いえ。あ、の。ありがとう、ございます」

 

「……」

 

それはノアがずっと自分の鞄の中に入れていた、自分以外の誰かに使うためのもの。右腕が飛んだ時も、苦痛に喘いでいた時も、これだけは他者のために使うと心に決めていた。

だって自分には不死のスキルがあり、なにより、救いたい人がいたから。助けると約束した人が居たから。だからこれも最後には……自分ではなく、他の誰かのために。食人花に襲われた時に、容器に傷が付いてしまったが。効果に問題はないはずだから。

 

「……」

 

「……また、会いに来ても。いいですか?」

 

「……」

 

「っ……そう、ですか……」

 

「……」

 

 

「……頑張、れ」

 

 

「!!」

 

きっともう、2度と会うことはない。

それは来世を含めても。

ノアにとっては、他の誰とも、こうして別れたら2度と出会うことはなくなってしまう。どんな奇跡が起きたとしても、それだけは実現することはない。

 

……だからだろうか。

最後の最後に、彼がベル・クラネルに対して。

ようやく、自然な笑みを向けることが出来たのは。

本当に初めて、心から応援をすることが出来たのは。

 

「……ありがとう、ございました」

 

「……」

 

下唇を強く噛み締めながら、ベルは最後にもう一度だけ頭を下げ、部屋から出て行く。自分がここにいることが、彼にとって負担になってしまうと。そう感じた。

自分がどうこう出来ることでもない。

治療師でもないのだから、彼を助けられる筈もない。

ベルはただ、最初から最後まで、与えられるだけだ。ベルの方から何かを返すことはできないし、返せるものは何もない。ただその背中に、新しく願いを乗せて行くだけだ。

 

だからベルは、ただ彼に言われた通りに、頑張り続ける。懸命に努力し続ける。彼に託されたものを、彼に託された思いを。絶対に無駄にすることのないように。

 

「がん、ばれ……」

 

自分が滅茶苦茶にしてしまった何もかもを。

全部、後始末を押し付けてしまうけれど。

 

それでも……きっと彼なら。

 

やってくれるから。



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51.妖○挑発

日が沈んだ。

日は登った。

そしたらまた自分を通り越して。

それはまた今、赤く色を変えながら世界の向こう側へと落ちようとしている。

 

嘘つき

 

そんな言葉が、出そうになった。

 

嘘つき、嘘つき、嘘つき

 

って、言ってしまいそうになった。

 

だからここに逃げて来て、動けないでいる。

 

心の中の自分がずっとそう言っているから。

 

彼のところにも、顔を出せないでいる。

 

……もう、時間がないというのに。

 

また自分はこうして、時間を無駄に浪費している。そうして最後には、後悔をするのだろうに。どうして残り少ない彼との時間を、こんな風に浪費してしまったのかと。

 

そんなことは、わかっているのに。

 

「ノアの、嘘つき……」

 

ずっと側に居てくれるって言ったのに。

ずっと助けてくれるって言ったのに。

もう1人にはしないって、そう言って……

 

「……わたしの、せいだ」

 

何も知らなかった。

今日この日まで、本当に、何も。

 

ノアの魂がボロボロだなんて。

不死のスキルを持っているだなんて。

それを使ってレベルを上げていたなんて。

 

あの場で聞かされるまで、アイズは本当に何も知らなかった。

 

でも、どうして彼がそんな状態になってしまったのか。どうしてそんな状態になるまで頑張ってしまったのかは、今のアイズになら分かる。

 

『雑魚じゃアイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねぇんだ!!そんな奴はそもそも必要とされてねぇ!!』

 

いつだったか、ベートが言っていたその言葉を思い返す。アイズはそれを否定しなかった、だってそう思っていたから。ノアを受け入れることが出来たのも、彼が単に強かったからだ。自分を守ってくれるくらいの、力が彼にはあったからだ。

……自分を好きだと言ってくれた彼は、きっと分かっていたんだろう。強くならなければ、見ても貰えないのだと。だからあんな無茶をした。

 

「でも……だって……」

 

自分の英雄が、欲しかったから……

 

誰かに、助けて欲しかったから……

 

それは今でも変わっていない。

 

だから彼に24階層に行く前に立ち止まっていた自分を抱き上げて貰った時、自分が本当に助けてくれる人を得られたのだと思って、物語のお姫様のように扱ってくれる人が出来たのだと思って、嬉しくて、ドキドキとした。目の前の人がすごくすごく、かっこよく見えた。

 

「やっと……好きって気持ちが、分かったのに……」

 

遅かった、遅過ぎた。

何もかもが間に合っていなかった。

ノアを連れ出すべきではなかった。

自分の我儘に付き合わせるべきではなかった。

 

それ以前に……彼のしていた無茶を、あの異常な成長速度を、自分はもっと不思議に思うべきだったのだ。最近の彼の不調のことにも、もっと、もっと……レフィーヤに任せきりにしてしまうのではなくて、自分でも。

 

「……好き、なのに」

 

 

「好きに、なれたのに……」

 

 

「遅いよ……今更……」

 

こんなことなら、好きになんてならなければ良かった。

……そう、思うことが出来ないのだから不思議だ。

どうしてもっと早く好きになれなかったのかと、自分を恨むことは出来るのに。好きになったこと自体を間違いだったとは、思えない。

ただ自分だけの英雄が欲しいと思っていたのに、今は英雄でなくても良いと思っている。英雄ではなく彼に居て欲しいと思っている。側に居て欲しいのではなく、何処にも行かないで欲しいと……そう思えている。

 

「死なないで……」

 

もう、我儘は言わないから。

強くなんてなくてもいいから。

戦ったりしなくてもいいから。

ただそこに居てくれるだけでいいから。

 

……それだけで、いいから。

 

 

 

「あーー!!!やっと見つけました!!」

 

 

「っ」

 

 

突然響いたそんな大声に、アイズは身体をビクンと大きく跳ねさせて頭を上げる。思考に沈んでいた意識を無理矢理引き出されるような感覚。お腹も空いて、なんだか身体もふわふわとしているアイズの元に、その声の人物は怒ったように早足になって近付いてくる。

 

「……レフィーヤ?」

 

「もう!こんなところで何してるんですかアイズさん!!どれだけ私が探したと思ってるんですか!!」

 

「え、あ……ごめん」

 

「1日くらいならまだしも、2日目に突入するのは絶対に許しませんからね!!というか落ち込むならもっと分かりやすいところで落ち込んでください!!なんで街の外壁の上なんかに居たんですか!!」

 

「な、なんとなく……」

 

「それに……ああもう!とにかく行きますよ!こうしている時間すら勿体無いです!!」

 

「ま、待ってレフィーヤ……私はまだ……」

 

「待ちません!!……というか、これ以上はノアさんが待てません!!」

 

「え……」

 

「分かってるんですか!?絶対あの人、自分が戦えなくなったからアイズさんに捨てられたんだと思ってますよ!!嫌われたんだと思ってます!」

 

「そ、そんなことない!私そんなつもりは……!」

 

「それは!私じゃなくて!ノアさんに伝えてあげてください!」

 

「あ………うん……」

 

レフィーヤに手を掴まれて、アイズはどんどんと外壁から引き離されて行く。あれだけ沼に沈んだかのように動かなかった身体を、彼女は何の苦もなく引っ張って行く。

……正直、そこまでは思い至っていなかった。思い至らなかったことを、本当に申し訳なく思う。けれどそれは彼からしてみれば、当然の反応だ。だって自分はこれまで、彼にそればかりを求めて来たのだから。側に居て、助けてくれることを。それが出来なくなって、自分が全く顔を見せなくなったとしたら、それは嫌われたんだと思っても仕方のないことだ。

 

(また、間違えた……)

 

自分の悲しみばかりではなくて、自分の感情ばかりではなくて、それを飲み込んででも彼の側にいないといけなかったのに……

 

「……ちょっと待ってください」

 

「え?う、うん」

 

「アイズさん、まさか昨日からずっとあそこに居ました?」

 

「………うん」

 

「お風呂、入りました……?」

 

「……まだ、だけど」

 

「はあぁぁぁ………やっぱり今から拠点に戻ります、こっち来てください」

 

「え?でも……」

 

「何処に一日お風呂も入っていない状態で好きな男性に会いに行く女性が居るんですか!」

 

「すっ……!?」

 

「今更驚くことではないです!さあ行きますよ!こうなったら目一杯お洒落して行きましょう!今日は2人でノアさんと寝ますからね!!」

 

「!?!?!?」

 

分からない、アイズには何も分からない。

レフィーヤの言っていることが全く分からない。

けれど彼女の勢いはあまりにも凄く、アイズはされるがままに拠点に帰ると、されるがままに風呂に連れて行かれ、そのまま無理矢理に着替えをさせられると、寝巻きと一通りの宿泊用の荷物を纏めさせられて、また拠点を連れ出される。

嵐のようなレフィーヤの勢いに、アイズは目をぐるぐるとさせて付いていくだけ。けれど彼女のこういうところが凄いのだと、アイズは思わざるを得ない。自分には本当に戦うことくらいしかレフィーヤに勝てるところがないと、そう思わされてしまう。

 

「レフィーヤ……あの、ね……私……」

 

「……ノアさんには、アイズさんが必要なんです」

 

「っ」

 

「私は……所詮は後から割り込んで来た人間です。けどノアさんはずっと、アイズさんを見て来ました。私より先に、アイズさんが居るんです」

 

「そんな、ことは……」

 

「ノアさんの努力は全部!アイズさんに認められるためのものだったんです!……そして今、その努力が本当に全部消えてしまったんですよ!?アイズさんまで消えてしまったと思い込んだままでは、あの人は本当に駄目になってしまいます!!」

 

「っ」

 

「私では駄目なんです!!……アイズさんが居ないと。ノアさんは絶対に言いませんけど、それでもやっぱり1番は貴女なんです。それくらい私にだって分かります」

 

前を歩く彼女が、どんな顔をしてそれを話しているのかは、アイズには分からない。……それでも、彼女が本当にアイズに対して怒っているのは分かる。こうして探し出して、無理矢理に連れ出すくらいに。怒っていることだけは分かる。

……実際、レフィーヤが居るから大丈夫だと、そう考えていたところはある。自分が居なくとも大丈夫だと、考えていたことはある。彼にとって自分がどれほど重要な存在なのか、未だに理解出来ていない。けれどそれはきっと、単純に自分がノアの隣に居る時間が少なかったからだ。彼のことを考えている時間が足りなかったから。何処かで自分の中に、余裕があったから。彼はレフィーヤよりも自分の方が好きだという、そんな最低な余裕が。

 

「……ごめん、レフィーヤ」

 

「……別にいいです。それを分かっていて、私は今を選んだんですから」

 

「本当に、ごめん……」

 

「……まあ、それに。アイズさんがそうやって呑気なおかげで、私も良い思いをさせて貰ってますし」

 

「え?」

 

振り返るレフィーヤ。

しかし彼女は意外にも、特にアイズが想像していたような、悲しげで寂しげな表情はしておらず。むしろ挑戦的で、どこか優越感を持った顔をしていて。

 

「貰っちゃいました♪」

 

「え」

 

「アイズさんより先に?ノアさんの唇、貰っちゃいましたから♪」

 

「………え"」

 

唇に指を当てながら、ウインクをしてアイズにアピールをしてくる彼女。

 

……瞬間、アイズは思い出す。

そういえば24階層に行く前に、アイズは彼と約束をしていた筈だ。この騒動が終わったら、お礼に彼の頬にキスをするのだと。そうしてキスをしたら、自分が彼を選んだことになるのだと。そんな約束を、していたはずだった。

 

……したか?キス。

 

「あ、あぁぁぁぁ…………」

 

「え、あ……そ、そんなに落ち込みます?」

 

「………私の馬鹿」

 

「えっと……」

 

そう、つまりは。

自分の視点ばかりで考えていたから気付かなかったが、そもそも自分はまだ彼を選んでいなかった。つまりは、彼にまだ好意を直接伝えたことがなかった。好きだと、ノアが良いと、ノアを選ぶと、言っていなかった。選びたいとは言ったけれど。

それはノアも捨てられたと思うだろう。だって約束したことも放り投げて姿を消したのだから。約束を守ってキスをするまで、彼を選んだことにはならないのだから。

 

……それに。

 

「レフィーヤ……」

 

「な、なんですか……?」

 

「し、したの?……く、唇に」

 

「は、はい。し、しましたけど……」

 

「………むぅぅ」

 

「ア、アイズさんが悪いです!私は今日までずっとノアさんの隣に居ましたから!実はアイズさんより沢山の特別をノアさんに貰ってます!」

 

「そう、なの……?」

 

「はい、ノアさんは尽くせば尽くすだけ返してくれますから。アイズさんの方が1番であることは重々承知していますけど、それでも私は負けてるだなんて、一度も思ったことはありません」

 

「………」

 

アイズは走る速度を早める。

先程までは会うのに躊躇っていたけれど、今はむしろ彼と早く会うために。そしてまた出来てしまったレフィーヤとの差を縮めるために。

 

「私もする……!」

 

つまりはまあ、ノアの唇を奪うために。

頬にキスだなんて生温い、それがこうしてレフィーヤに言われてよく分かった。自分は何もかも足りていないし、むしろ何もかも遅れていたのだと。それがよく分かった。

 

「!……そうですよ、してあげてください。……せめて少しでも彼に、生きるための力を」

 

アイズは進む。

そんな彼女の姿を見て、レフィーヤは微笑む。

そうだ、辛くて悲しい事実に頭を悩ませているより、こうして衝動に突き動かされて突き進む姿の方が彼女にはよく似合っている。そうして思いっきり好意をぶつけてあげて欲しい。

 

……どうせ死んでしまうのなら、せめて。

その最後くらいは、幸福なものに。

 

 

 

 

 

「……どうでしょう、身体の方は」

 

「ええ、ありがとうございます。とても楽になりました。……本当に、治療を受けた直後はこんなにも楽になるのに。不思議なものですね」

 

アミッドによる治療を終えた後、ノアは食事と水浴びを行い、再度彼女に回復魔法をかけて貰っていた。

実際のところ、症状の辛さも回復魔法をかけて貰った直後はかなり改善する。それこそ立ち上がって歩いたり、普通にシャワーを浴びられたり、普通に食事が出来るくらいに。それは単純にアミッド・テアサナーレという人物の回復魔法がそれほどに凄まじい代物であるという証左であるのだが、しかし同時に分かってしまうものもあるということ。

 

「……こうしていられるのも、今のうちだけですね」

 

「……はい。今は1日に2度の治療で問題ありませんが、次第にそれでは足りなくなります。食事も、まともに出来るのは今だけです。一定の速度に達してからは、流動食に切り替えます」

 

「……アミッドさん。他の患者の治療の邪魔になるようでしたら、私のことは見捨てて下さいね」

 

「それは……」

 

「アミッドさんは、多くの人を救える人です。先の短い私の延命措置など、決して優先しないでください。優先順位だけは、どうか」

 

「……不甲斐のないこの身をお恨み下さい」

 

「恨みませんよ。恨むのは自分だけで十分ですから」

 

アミッドは最後に一度頭を下げて、病室を後にする。

やはりこうして治療を受けて直ぐは、恩恵のあった頃までとは言わないが、普通に生活が出来る程度まで回復するので心地良い。……まあ、普通の感覚で言えばまだ苦しい方なのだろうが。それでも先程までの息も絶え絶えといった時と比べれば、それは随分とマシな方だ。

とは言え、これも恐らく3時間も保たない。直ぐにまだ苦しさはやって来る。夜間はマシな方だ、睡眠薬で無理矢理眠ることが出来るから。だがその分、こうして生きていられる時間が減るとなると……ただ眠ることすら、怖くて。

 

「ノア、治療終わった……?」

 

「アキさん……!はい、終わりましたよ」

 

「そう、大丈夫そう?顔色は良くなったみたいだけど」

 

「ええ、この通り。ふふ、今が一番元気な時間帯です」

 

「それなら良かった」

 

アミッドから声を掛けられたのだろう。治療が終わるまで病室の外に待機してくれていたアキが、心配そうに入って来る。

ついさっきまで彼の本当に苦しそうな顔を見ていただけに。治療を終えて普通に話すことも出来るようになった彼を見て、アキはかなり安堵していた。

一方で、ベッドに腰掛けて彼女が来るのを待っていたノア。アキから差し出された手を握り、嬉しそうに笑みを浮かべて布団に入る。

 

(……ほんと、子供みたい)

 

なんとなく、アキの前では後輩気質だった彼は、こうして入院し始めてからは本当に子供のように見えてしまう。甘えて来るというか、随分と寂しがり屋になったというか。

今のように1人の時間が嫌いなのか、こうして顔を出すとすごく嬉しそうな顔をするし。リヴェリア然り、アキ然り、常に誰かと手を繋いでいたい様子がある。

こうしてベッドの上に萎れているからか、容姿まで子供のように見えてしまって、余計に悲しくなってしまうというか。

 

「……多分、そろそろレフィーヤが来るから。そしたら私は一度帰るわね」

 

「……はい、ありがとうございます。遠征前で忙しいのに」

 

「いいのよ、あなたの方が大事だもの。それに、そんなに寂しそうな顔しないでも明日も来るわ。……リヴェリア様だって、そう言ってたでしょう?」

 

「嬉しいです、すごく」

 

「そう、良い子ね。……大丈夫、1人にはしないわ。それに嫌でも、レフィーヤ達は側に居たがるでしょうし。むしろ1人になれないんじゃないかしら?」

 

「……嫌なことを考えないで済むので、その方がいいです」

 

「……そっか」

 

レフィーヤの頼みもあり、この部屋には簡易ベッドが2つ置かれている。それにベッドと高さを合わせた椅子もあり、アキはそれに座って彼の手を握りながら、彼の頭を撫でている。

……着実に、今日一日でレフィーヤによって、この病室が改造され始めている。少しでも側にいられるように、少しでも彼に寄り添えるように。

リヴェリアとアキがこうして彼の側にいる間、彼女はもう本当に走り回っていたのだ。それこそ病室の模様替えについてアミッドに頼み込んでいたり、足りないものを買いに行ったり、アイズを探しに行ったり。実質的にアキとリヴェリアは本当にこうして彼の側に居るだけで良かった。それくらいにレフィーヤは、頑張っている。

 

「……幸せ者ですね、私は」

 

「ん?」

 

「こうして、隣に居てくれる人達が居てくれる……当然のことじゃないです」

 

「……貴方が頑張ったからよ」

 

「……やっぱり、頑張ることって大切なんですね」

 

「……難しいところね」

 

自分を壊してしまうほどに頑張って欲しくはない、けれど彼がそれほどまでに頑張らなければ今は無かった。だからそれを肯定することも否定することも難しい。

 

「難しいこと考えなくていいから。楽しいことを考えましょう?例えば、そうね……」

 

身体だけではない、心も弱くなっていて。リヴェリアから聞かされたように、彼はまだ自分の死を受け入れることなんて出来ていないし、どころか腕を失ったことにすら今なお困惑している。外見では大人びたことを言っていても、それは取り繕っているだけだ。何より、これまで何もかもを犠牲にして築き上げてきた恩恵を失ったことは、彼にとって何より大きな喪失感を齎していることだろう。

あれからアイズも帰って来ないし。本当にレフィーヤが居なければ、こうして生きていることさえ諦めていたかもしれない。出来れば自分も1日こうしていてあげたいが、それをするには少しばかり仕事を持ち過ぎていて。

 

「……ん?」

 

「……?どうかしました?」

 

「なんか、すごい足音しない……?」

 

「んっと、恩恵を失ってから感覚もすごく悪くなってしまって。私はちょっと分からないです……」

 

「まさか……いや、でも……もしかして……」

 

そうしてアキが不審そうな顔をしている間にも、徐々に病室に向けて近づいて来る足音。というか、どう考えても普通に走っているであろう、その音。

……夜である、そして治療院である。

騒がしくするのはご法度であるし、走るなどもっての外だ。それなのに。

 

 

 

「ノア!キスしたい!!」

 

 

 

「「ぶふっ」」

 

数日振りに彼の前に姿を現したアイズ・ヴァレンシュタイン。彼女の一言目はそれだった。



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52.○姫

「……????????」

 

「ノ、ノアさん。気持ちは分かりますけど、しっかり」

 

アキに正座をさせられて怒られているアイズを見ながら、ノアはまるで宇宙の神秘を見せつけられている猫のような表情をして現状を受け入れられずに居た。

それもそうだ、ノアにはもう何が何だか心の底から本当に良く分からない。アイズにはもう見放されてしまっていたと思っていたし、自分には彼女と顔を合わせる資格もないと、今の今までずっと心の中で彼女に謝り続けていたのだ。

 

それが、この……なんだ?

 

なんだ、この状況は。

 

彼女はなんと言った?

 

遂に幻聴まで聴こえるようになってしまったかと、自分の耳を疑う。

 

「………………ちゅっ」

 

「はひっ!?レ、レフィーヤさん!?」

 

「えへへ、今ならアイズさんにバレないかな〜って」

 

「だ、駄目ですよ!?ほ、本当にバレちゃいます……!」

 

「え〜?いいじゃないですかぁ♪私とノアさんの仲なんですし〜?」

 

「そ、それはそうですけど……」

 

 

「……こっちでもキス、しちゃいましょうか?」

 

 

「!?」

 

アキに叱られながら俯いているアイズを見て、レフィーヤは悪い顔をしてノアにしなだれ掛かった。ぐっと自分の身体を押し付けて、その顔に自分の顔を近付ける。それこそノアが大声を上げられないことを良いことに、少しずつ自分の唇と彼の唇を合わせるように……

 

 

「レフィーヤ?全部私に聞こえてるんだけど?」

 

 

「「!?」」

 

「え?……あ、キス……」

 

アキが笑みを浮かべて振り向く。

矛先が向いた瞬間である。

アナキティ・オータムは猫人のLv.4。仮に囁き声であったとしても、この距離でそれを逃すようなことは絶対にない。自分とアイズを餌にレフィーヤが何をしようとしているかなど、言葉の1つまでしっかりと把握していた。

 

「それじゃあ次はレフィーヤの番ね」

 

「え……私なにも悪いことしてない……」

 

「ほら、こっちに来なさい?アイズを煽ったことと、今の件も含めて、ちょっと長めにお話ししましょうか」

 

「ご、誤解です!私は無罪です!ああぁぁぁぁ……ノアさぁぁん……」

 

「え、えと……また後で……」

 

レフィーヤの首元を掴んで部屋から出て行くアキ、彼女は最後にノアの方を見てウィンクした。それだけで彼女がなにを考えて、レフィーヤを自分から引き離したのか分かるというもの。

 

……残されたのは自分とアイズ。

正座をした姿勢のままに2人を見送るアイズは、少しぼーっとしてから今の状況に気付く。そしてこれがアキが作ってくれた大切な時間であると気付き、目を開いて身体を撥ねさせた。

 

「……」

 

それから彼女はゆっくりと立ち上がると、先ほどまでレフィーヤが座っていたその椅子とは反対側にある椅子にちょこんと座り、横目でノアをチラリと見る。彼もまたなんとなく緊張した面持ちで、隣に座ったアイズに横目を向け、その視線が重なってしまった瞬間に、2人はまた顔を赤らめて身体を硬直させた。

 

「………」

 

右腕を失ったノア。

いつもアイズが握っていた自分だけの手は、もうそこには無い。

ノアが右腕と共にアイズを失ってしまったと思っていたように、アイズもまたそこに自分の席が無くなってしまったように感じてしまう。2人の想いは今でもしっかりと向き合っているのに。

 

「…………」

 

「…………」

 

「………あの、ね」

 

「は、い……」

 

なんとなく、どちらともなく、言葉をかけづらい。けれど一番困っているのは自分に嫌われたと思っていたノアであると、アイズは分かっているから。アイズは自分から話を振る。

……いつものように、手は繋げない。

繋げないからこそ、この想いは、言葉で伝える以外に方法はない。

 

「ノアのこと、嫌いになってなんかないよ……」

 

「っ」

 

「私、ノアのこと……ちゃんと好きだよ」

 

「………ほんと、ですか?」

 

「うん、嘘じゃない。……今は本当に、ノアのことが好き」

 

はじめて、そして漸く。

アイズはその言葉を口にした。

口にすることが出来た。

 

今なら迷わず言える。

自信を持って言える。

しっかりと彼の目を見て言える。

 

だって、これは嘘じゃないから。

 

だって、これは勘違いなんかじゃないから。

 

だからこれは、心の底からの自分の本音。

 

 

 

「……好きだよ、ノア」

 

 

 

「!!」

 

「私、ノアのこと……好きになれたよ」

 

「アイズ、さん……」

 

「待たせて、ごめんね……」

 

本当に、本当にずっと、待たせてしまった。

こんな風に、もう、手遅れになるまで。

 

「本当に……ごめん、ね……」

 

最初に彼が自分に"好き"だと言ってくれた時から、果たしてどれだけ待たせてしまったことだろう。最初にそう言ってくれた時と比べて、彼は随分と弱々しくなってしまって。

……もう、時間もなくなってしまって。

 

「……嬉しい、です。すごく」

 

「ノア……」

 

「本当に、ほんとに……わたし……」

 

「ごめん……今更、ごめんね……」

 

「今更なんかじゃ、ないです……アイズさんに、そう思って貰えただけで。私は……私は、それだけで……」

 

彼が涙を流している。

……けれどアイズは、そんな彼の姿は、あまり見たことが無かったから。ノアが泣いている姿なんて、アイズは殆ど見ていなかったから。だから彼が意外とよく泣くなんてことは知らなくて、それが本当に申し訳なく思えてしまって。……それでも勿論、彼のその涙は本当に、積年の思いによるものでもあって。

 

「ごめんなさい、アイズさん……」

 

「ノア……」

 

「私、アイズさんの隣に居るって、約束したのに……」

 

「……うん」

 

「その約束……もう、果たせなくて……」

 

「……うん」

 

「せっかく、アイズさんは……私のこと。好きに、なってくれた、のに……私は……私は……」

 

「ううん、もういいの……もう……」

 

アイズはノアを抱き寄せ、抱き締める。

英雄になってくれなくてもいい、助けてくれなくてもいい。そんなことはもう、気にしなくてもいい。……ただ隣に居てくれるだけでいいんだと、今ならそう思えるから。それはあまりにも遅過ぎたかもしれないけど、それで良いのだと気付くことが出来たから。

 

「側に居て、ノア……」

 

「……はい、居ます」

 

「もう何処にも行かないで」

 

「……はい、最期まで」

 

「……ずっと、隣にいてほしい」

 

「……私も、居たいです。ずっと」

 

 

それが無理だと分かっていても、それでも。

 

 

「好きだよ、ノア……好き、好き」

 

「私も、好きです……」

 

「ううん、私の方が好き……好きだもん。好き。こんなに、こんなに好きになれて……こんなに好きになるなら、なれるなら。どうして、もっと早く……」

 

「………」

 

思い切り抱きしめてしまえば、そのまま壊してしまいそうなほどに弱々しくなってしまった彼の身体。こうして触れて、確かめる程に、悲しくなる。

もし自分がもっと早く決断して、もっと早く考えて、もっと早く彼のことを好きになっていたのなら。もっと早くに、ただ隣に居てくれるだけでいいのだと気付くことが出来ていたなら。彼はこんな風にならなかったのではないかと。

そんな無駄な想像を積み重ねて、頭を振る。それは何の意味もない後悔だ。その後悔をしたところで、どうにもならない。そんな後悔は、もっと後からいくらでも出来る。

 

「ノア」

 

「はい……」

 

「……キス、したい」

 

「……そんなに、ですか?」

 

「うん。レフィーヤとは、したって聞いた」

 

「うっ」

 

「私とは……したく、ない?」

 

「し、したいです!そんなの、したいに決まってます!……けど」

 

「けど……?」

 

 

「流石に、その……最低過ぎませんか?私」

 

「!………ふふ」

 

相変わらず、そんなことを気にしている彼にアイズは優しく微笑む。確かに普通に考えれば、彼の言動は男性としては割と最低な部類に入るかもしれない。こんな風に2人の女性に言い寄られて、どちらも好きになってしまって、どちらかに選ぶことも出来なくて。

……けれど、アイズもレフィーヤも、もうそんなことは気にしていない。むしろそれについては、彼よりもよっぽど受け入れている。

 

確かに初めてをレフィーヤに取られてしまったことは悔しい。アイズだって素直に嫉妬している。けれどそれはアイズと違い、自分の悲しみを抑えてでも彼の側に居ることが出来た彼女の特権だから。彼と交わした約束を忘れて、逃げ出してしまっていた自分が悪いから。だから。

 

「約束を、守ります」

 

「……それじゃあ、頬にですね」

 

「ううん、違うよ」

 

「?」

 

「どっちにも、するから」

 

「!」

 

「それと……ノア、私の恋人になってください」

 

「え」

 

だからアイズは。レフィーヤでもまだしてないであろう、取っていないであろう、彼の初めてを取ることにした。

……今度こそ先を越されてしまわないように。

自分だって今度は、レフィーヤよりも先に行けるように。きっとレフィーヤでもまだ言えていないであろうそれを、思い切って。

 

「私は……あなたの恋人に、なりたい、です」

 

「……でも、もう私には時間が」

 

「それがもし、あと半月の話だとしても」

 

「……はい」

 

「私は、ノアの恋人で居たいの」

 

それはアイズが、自らの意思で決めたこと。

あの日あの時あの瞬間から、アイズは自分の行動をしっかりと考え、意志を持って決めるようになった。感覚ではなく、流されるままにではなく、自分で。

だからこれもまた、それと同じ。

 

「いいんですか……本当に、私で」

 

「ノアが良いの。違う人は嫌」

 

「初めての恋人が、私になっちゃうんですよ?……私みたいな、約束破りの、酷い人間が」

 

「私も、酷い人間だから……お揃いだね」

 

「……私の願い、叶っちゃいました」

 

「まだ、叶えてないよ?」

 

「……はい。そうでしたね」

 

この人生の中で、これから先、あと何年生きるか分からないけれど。もしかしたらまた、ノアのように、アイズの心を解きほぐしてくれる人が現れる可能性だってある。……けれど、最初はこの人だったなと。思い出して貰える。それだけで嬉しい。先が長くないと分かっていても、それでも求めてくれたというだけで……これまでの努力は、きっと、報われて。

 

 

ーーーーーーーーーー。

 

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「………ぅ」

 

「………ん」

 

「ぇ、……ぁ……っ」

 

「んん……」

 

「ま……んぐっ……」

 

「んぅ」

 

「ぅ……んんん……!?」

 

「ん……のあ、にげひゃらめ……」

 

「ゃ、やぁ……」

 

それはレフィーヤの時のような、決して感動的なものではなくて。まあこういうのを比べるというのは、あまりにも失礼なことだから。ノアだって決してそんなことはしないけれど、しないけれども。

……むしろアイズは啄むようなキスなんて知らなかったから。物語で知識を得て来た彼女にとっては、キスという概念は知っていても、それをどのようにするのかまでは知らなかったから。むしろ物語の中ではそれは感動的な場面でされていることで、大抵の場合はそれは深いもので。

そして一度してしまったそれに、その幸福感に、彼女は嵌まってしまって。

 

「………………っくはぁ。はぁ、はぁ、はぁ」

 

「ノア、もう一回……」

 

「ふぇ……?ぁ、んぅ……!?」

 

押し倒して、押さえ付けて、貪るような。

そんなキス。

もう恩恵のないノアは体力もなくて、息も続かなくて、必死に呼吸をするけれど。そうして取り込んだ酸素も、彼女はすぐに奪っていってしまう。

リードをする余裕もない、ノアが勉強した賢くて上手なキスなんてそこには無い。ただ本能的に、したいがままに、されるだけ。まるで自分の全てが彼女に強引に取られてしまうような、奪われてしまうような、そんな強引な彼女の勢いは、ノアの思考すらも回すことは許さない。

 

「ノア……好き、好きだよ。恋人になって?」

 

「ぁ……な、なりましゅ……なります、からぁ……」

 

「ほんと?嬉しい。恋人、嬉しい。……もう1回、もう1回しよ?いい?するね」

 

「ま、待……ぅみゅ……」

 

だからきっと、これはこれで彼女の強みなのかもしれない。

レフィーヤが言葉で彼を説得したように、アイズは行動で彼を持っていく。ノアが悩む暇なんて与えないし、一度決めれば自分から進めて行く。

 

「……ふふ」

 

「………ぇ、ぁ?」

 

「可愛いよ、ノア」

 

自分の身体の下で、だらしなく唾液を流しながら呆けている彼を見て呟く。もう遠慮することなんて何もないから。恋人となった彼に、自分はもうなんだって出来るから。

アイズは力なく倒れている彼の身体を優しく抱き上げ、抱き締める。唾液に濡れることも気にすることなく、その頬に自分の頬を擦り付ける。

 

この人はもう自分のものだ。

 

誰にも渡したくない。

 

そんな気持ちが強くなる。

 

結局そうして、レフィーヤ達が帰ってくる頃には彼は疲弊してしまったのか寝息を立ててアイズの腕の中で眠ってしまっていた。……その割には、ただ眠ったようには見えず、彼の病衣の襟の部分は妙に濡れてしまっていたけれど。敢えてそれを2人が指摘することがなかったのは、優しさか、それとも現実逃避か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、愛しい子。

きっと私を恨んでもくれない優しい子。

馬鹿で愚かな決断をしてしまった私のせいで、来世の希望すら失ってしまった大切な子。

 

ああ、恨めしい。

何もかもが恨めしい。

 

自分から離れた癖に、最後に一度でもあの子に会いたいと思ってしまった自分が。今度は絶対に彼を幸せにするのだと、口先だけでそう言って結局それを成せなかった彼女が。そして、ただ1人の小さな子供を幸福にすることも許してくれない、こんな世界が。

 

本当に、恨めしい。

 

私は決して善神ではないから。

何もかもを間違えて生きて来たから。

だから何もしなければ、きっとそれが1番の正解だったのかもしれない。結局こうして、何もかもが裏目に出ている。何もかもが悪い結果を出してしまって。もしかしたら1度目の時よりも、酷い最期にしてしまうかもしれない。

 

もう少し自分に力があれば。

 

もっと賢い神であれば。

 

あの子を救うことが出来たのだろうか。

 

ああ、違うの。

そんなつもりじゃなかったの。

そんな風に泣かせるつもりはなかったの。

そんな風に傷付けるつもりはなかったの。

私はただあなたに幸せになって欲しかっただけなの。

 

いつものように慰めたいのに。

いつものように抱き締めたいのに。

 

今の私では、そんなことも出来ない。

 

ああ、お願い。

誰かあの子を助けて。

誰でもいいからあの子を止めて。

これ以上あの子を傷付けないで。

 

貴女は何をしているの?剣姫。

だって言ったじゃない、今度は絶対に気付くって。今度は絶対に助けるんだって。今度こそ、あの子のことを幸せにしてくれるんだって。貴女がそう言ってくれたから、私は、貴女を信じて……

 

 

 

……そんなことを考え続けて。

 

 

気付けばもう、3年が経つ。

 

 

あの子の恩恵は消えた。

けれど生きているのは分かる。

 

……それでも。

きっともう、長くない。

 

私に出来ることはもう何もない。

残った神力は、契約を果たすためのもの。

これ以上の力をあの子の為に使うことは出来ない。

 

ごめんね、ノア。

ごめんなさい、私の子。

 

こんなことなら、私は天界に帰って、何年掛けてでも、何十年掛けてでも、貴方の魂を探し出しに行けば良かった。たとえ漂白されてしまったとしても、何百年でも、何千年でもかけて、もう一度貴方と出会えば良かった。

ずるいことなんて、しなければ良かった。

 

……私はまた間違える。

 

また、大切な人を失う。

 

他ならぬ、自分自身の決断で。

 

これは私の罪であるのだから、その全ての咎は私だけで引き受けるべきだったのに。今度はあの子にまで、背負わせてしまって。

 

せっかく、母親にしてくれたのに。

私なんかを、幸せにしてくれたのに。

それでも私は自分のことしか考えてなくて。自分の罪のために、自分の恋のために、あの子を残して消えようとしたから。私は母親になったのなら、あの子のことを最後まで大切にしなければならなかったのに。

 

だからこれは私の罪だ。

私だけの罪だから。

 

だから、お願いだから……これ以上もう、あの子から取り立てようとはしないで。



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53.近付く○

少しずつ、ノアの体調が悪くなっている。

 

 

「ぅ……っ……」

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

「ノア、これ……」

 

「あ、ぁり、がと……ござ、ます……」

 

ノアが倒れてから5日目。

しかし彼の身体には既に異常が現れている。……否、もちろん異常など最初からあったことではあるけれど。こうして見ているだけでも、明らかに体調が悪化し始めているのが、素人目でも分かるという意味で。

 

「ん……ぐっ……」

 

「ノアさん……」

 

「アミッド、まだかな……」

 

アイズに手渡された回復薬を飲み、けれど未だ何かを堪えるような表情をしたままの彼。

アミッドが以前に治癒魔法を施してから、まだ9時間ほど。以前は12時間毎にされていたそれであるが、それでもここまで苦しそうな顔はしていなかった。……つまり、着実に彼の身体の速度は早まっているということ。

けれどアミッド曰く、この苦痛も必要なことであるらしい。そうでなければ、末期の症状に精神の方が耐えられなくなってしまうから。少しずつでもこの苦痛に慣れていかなければ、体より先に心のほうが死んでしまうから。……1日でも長生きするためには、これは必要な処置で。

 

「申し訳ありません!遅れました……!」

 

「アミッド……!」

 

「っ、今直ぐに治療を行います。……本当に申し訳ありません、辛かったでしょう」

 

「い、ぇ……おきに、なさ、らず……ごほっごほっ」

 

「ノア……!!」

 

治療中、思わず咳き込んだ彼の口から赤黒く変色した血がドボリと零れ落ちる。それを見るだけで、9時間というリミットが彼にとってどれほど重いものであるのかも分かる。

……しかし、だからと言って、アミッドを責めることも出来ない。彼女は今の今まで他の患者の手術を行っており、そちらもまた予断を許さぬ状況だったのだ。終わって直ぐにここに駆け付けて来た。ここまでの精度で完全治癒が出来るのは彼女くらい。エリクサーでも現時点ならば治療出来ないことはないが、残りの命を少しでも伸ばしたいのであれば彼女に治癒して貰うのが一番良い。……しかし逆に言えば、最悪今はエリクサーでも良いのだ。ならば彼の治療が後回しにされてしまうのは、仕方のないこと。

 

「これで、どうでしょう……気分はいかがでしょうか?」

 

「ふぅ……こほっこほっ」

 

「だ、大丈夫ですか……?あの、お水です」

 

「ん……んぐっ、んぐっ。……はぁっ、はぁ。あ、ありがとうございます。もう大丈夫です」

 

「良かった……」

 

「……ノア」

 

いつものように。

治療を終えると、途端に元気になる。

だから朝方に様子を見に来た団員達は安心して帰って行くし、夕方頃に訪ねに来た団員達は酷く心配して帰って行く。そんな不思議な病状ではあるが、それを誰よりも近くで見ている2人だから表情は曇る。少しずつ、少しずつ彼が死に近付いてしまっているのが分かるから。アミッドでさえ、これをどうにかすることは出来ないと知ってしまっているから。

 

「あの……ごめんなさい、また汚してしまって……」

 

「いえ、構いません。時間管理の出来ていなかった私の責任ですから。後ほど新しいシーツを持って来ますので」

 

「ありがとうございます……」

 

ノアの吐き出した赤黒い血によって汚れた布団をアミッドは纏め、その口元を拭くと、桶を持って来て彼に口を濯がせる。

この後は食事と水浴びの時間であるが、それもあと何日出来ることか。水浴びはともかく、食事もそろそろ流動食に変えなければならないし、治療間隔3時間を切った時点でアミッドの通常業務にも致命的な支障が出てくる。当初はそれが14日目辺りで到達すると思っていたが、正直予想よりも若干進行が早い。

 

(……医療技術だけで、何処まで持ち堪えられるか)

 

病原のある劣化ならまだどうとでもなる、だが彼の場合は治すべきそれが見当たらない。何かを治せばどうにかなる、ということでもない。……アミッドが出来るのは、崩れた身体を再構築するだけ。正直"魂"がどうのと言われても、どう手を付けたらいいのかも、そもそも手を付ける方法すらも分からないから。

 

「それでは、失礼します」

 

アミッドは彼にいつものように食事と水浴びの準備をするように伝えると、一度頭を下げて病室を出て行く。

残されたノアはようやく苦痛から解放されたことから腕を持ち上げて身体を伸ばすが、しかし左右の2人はそうはいかない。先程彼が吐き出した赤黒い血は、明らかに普通の物ではなかったから。それがもう、恐ろしくて。

 

「っ……あ、あの、お二人共……?」

 

「……食事が来るまでですから」

 

「……」

 

この元気な姿も、あと何日見られるのか。

それが堪らなく恐ろしい。

ここ数日、アイズはダンジョンにも潜っていないし、2人とも可能な限りはここに居る。もちろん何かしら理由を付けて、互いに2人だけの時間を交互に作っていたりはするけれども。

そうして楽しい時間があるからこそ、嬉しい時間があるからこそ、こうして現実を見せ付けられると余計に苦しくなる。こうして時間を共にして、情を深めて、彼のことを知れば知るほどに、苦しさは増していく。

 

「……私は、幸せ者ですね」

 

「絶対、違うと思います……」

 

「そんなことはありません。こんな風に好きな人達に側に居て貰えるんですから」

 

「……死なないで、ノア」

 

「……私も、死にたくないです」

 

ロキ達はまだ何かを探し続けている。

けれどもう、彼本人を含めたほぼ全員が諦めかけている。諦めざるを得ない状況だから。そんなことを探している暇があるのなら、少しでも長く彼と共に居てあげた方がいいのではないかと思うから。……でもだからと言って、何をしたい、どうしたいという案が直ぐには思い付かないし、したいことだって出来る体調でもない。

いくらアミッドが治療魔法を使ったとは言え、完全に治った訳ではないから。そうまでしても治らない部分は彼の腕のように確実にあるし、きっとそういう部分はこれから時間が経つに連れて増えていくのだろう。少しでもその苦しさから彼を救えることが出来るのなら、なんだってするのに。

 

 

 

「……ノアさん、眠りましたね」

 

「うん……良かった。苦しくなさそう」

 

アイズとレフィーヤが動き始めるのは、彼が眠ってからのこと。彼は治療を受けてから3時間後には睡眠薬を飲んで眠りに着くが、ではアイズ達が自分達の食事や水浴びをどうしているのかと言われれば、それは彼が眠ってからだ。流石に治療院のそれを借りる訳にもいかないので、2人は彼が眠ってから片方ずつ拠点に戻って済ませているが……正直、実際にそうして起き上がるのは彼が眠ってから割と時間が経ってからのことになる。

それは何より、離れ難いから。

 

「……アイズさん」

 

「?……なに?」

 

「多分、私達の関係って……世間的に見たら、結構おかしいですよね」

 

「……うん、そうかも」

 

「嫌、ですか……?」

 

「……嫌じゃ、ないけど」

 

「けど……?」

 

「……独り占めしたいって、思う時は……あるかも」

 

「……私もです」

 

静かに寝息をたてながら眠っている彼は、しかし起きる間際になるとかなり苦しそうにして呻き出す。普段は2人の前だからと我慢していても、それは眠っている時まで続く訳ではないから。それを見ると、実際にはこれだけ苦しい思いをしているのだなと思わされて、辛くなる。そうして起きると直ぐにぎこちない笑みを浮かべて挨拶をしてくる彼の姿にも、もう……

 

「でも……レフィーヤが居ないと、駄目だから」

 

「!」

 

「私だけだと、ノアを苦しめちゃう」

 

「……」

 

「それに、こっちの方がノアも幸せ」

 

「……そうかもしれませんね」

 

「一番大切なのは、それだから」

 

「はい、私もそう思います」

 

ぎゅっと左右から彼にしがみ付く。

人が見たら贅沢なものだと思うかもしれないけれど、この今を得るための代償はあまりにも大き過ぎる。改めてこうして抱いてみると、本当に女性のように細く、軽い。こんな身体でこれまであれほど身体を張って来たのかと、改めて驚いてしまうくらい。

それでも本当に顔は綺麗で、こんなことになっていても少しでも2人の前では綺麗で居ようという彼の努力が垣間見える。もちろん、こんな状態であるので限界もあるのだが。少しずつ、少しずつ、やつれているのが分かるのだが。

 

「……エリクサーで治るなら、いくらでも買うのに」

 

「……使い過ぎると、むしろ悪化が早まるそうですね」

 

「うん……」

 

「アミッドさんも、色々と方法を考えてくれているみたいですが……」

 

「……分けたり、出来ないのかな。魂って」

 

「それが出来たら、私も……」

 

「ノアは、止めそうだけど」

 

「ふふ、確かに」

 

止められたとしても、きっと自分達は止まらないだろうけれど。だってそれで彼が助かるのなら、彼と共に居られる時間が増えるのなら。なんだってする。……なんだってしてもいいのに、その方法が見つからない。

ロキは本当に朝から晩までずっと街中を歩いているし、遠征の予定日もギルドに掛け合って1週間ほど遅れることになった。……本来の予定日が、彼の余命とほぼ重なっていたから。

リヴェリアはあらゆる繋がりを使って治療法を模索しているし、少しでも可能性がないか神々にも相談していた。でもそれでも、良い知らせはまだ入って来ない。

 

「ん……ぅ……」

 

「……始まりましたね」

 

「……うん」

 

治療してから4時間と少し。

少しずつ苦しそうな表情を見せ始める彼。

レフィーヤは優しく彼の身体を撫でる。

それは単なる自己満足に過ぎないかもしれないけれど、少しでも彼の苦痛を軽減させたいから。

 

「……それではアイズさん、お先にどうぞ」

 

「……うん、行ってくるね。2時間くらいしたら戻って来るから」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

アイズは布団から出て、自分の荷物を持ち上げる。今日はアイズから先に拠点に帰る番。こういう決まり事は交互にするようにしている。時間もしっかりと決めて、それまでは戻って来ない。

レフィーヤとの関係もここ暫くで大きく変わった。以前までは自分を慕っていた後輩気質だった彼女だけれど、最近は本当に対等な存在になれてきた感じだ。確かに冒険者としては自分の方が上だけれど、人としては彼女の方が上だから。そういうことを自覚出来たからこそ築けた関係であると思う。

……もちろん、ライバルであることもまた間違いないけれど。今はそのライバルと手を繋いで事に当たらなければならないことも、間違いなくて。

 

 

「……ノアは、もう、外も歩けないんだ」

 

いつもと比べて少し肌寒い夜の道。

まだまだ大通りでは冒険者達が酒を片手に飲み歩いているような時間帯。……けれど、彼にはもうそんなことも出来ない。こうして外を歩いて星空を見上げることも出来ないし、宴にだって参加することは出来ない。

こうして考えると、彼はもう既に多くの物を失っていた。もう2度と出来ないことが、既にたくさん出来てしまっていた。

 

アイズは拠点に戻る。

12時間間隔で治癒をかけていた時には帰るのが少し遅くなっていたけれど、感覚が短くなり始めたことで比較的早めに帰れるようになった。もちろん眠る時間についてはアミッドが調整すると言っていたので、きっとこれからはこれくらいの時間に戻ることになるのだろうけれども。

……それでも、あとこれを10回も繰り返せば全てが終わってしまう訳で。

 

「!……戻ったのね、アイズ」

 

「ティオネ……」

 

「ほら、こっち来なさい?夕食、残してたんだから」

 

「……うん、ありがとう」

 

事前にこれくらいの時間に戻ると軽く伝えてはいたけれど、どうやらそれを聞いていた彼女はアイズの帰りを待ってくれていたらしい。

アイズが拠点に帰ると彼女は玄関の近くで本を読んでいて、気付くと手を引いて食堂に連れて行ってくれる。

……ノアの件に関して、実はレフィーヤにもアイズにも特に気を回してくれていたのは彼女だった。きっと彼女だけは、2人の気持ちが分かるから。その苦しさが、想像出来たから。

 

「……そう、もうそんなに」

 

「うん……もう、5日目なんだね」

 

「そうね……否が応でも、時間は進むものだもの。何をどうしたって、その時は来るわ」

 

「……」

 

「困るわよね。いきなり余命なんて言われても」

 

「……うん」

 

そうだ、困っている。

いきなりあと半月なんて言われても、どうすればいいのか分からない。何をすれば正しいのか分からない。

アイズはただ言われるがままに『お前が側に居てやれ』というリヴェリアの言葉に甘えて、彼の側に居るけれど。それでも側に居ても、彼のために何が出来るのか分からない。それでも少しずつ彼の時間は削られていて、彼が苦痛を我慢しないで平気な顔で居られる時間もどんどん減って来ている。

……自分には、何が出来るのだろう。

……自分は彼と、何がしたいのだろう。

もしこのまま彼と別れてしまったら、自分は絶対に後から『ああしていれば良かった』と後悔するだろうに。今の自分は『ならばどうすれば良いのか』が分からない。むしろその後悔を、先に教えてほしいくらいで。

 

「それにしても、変われば変わるものよね」

 

「?」

 

「だって、あのアイズが誰かに恋しただなんて。少し前までは考えられないことじゃない?少なくとも私は想像もしていなかったもの」

 

「……うん、そうだね」

 

「それもレフィーヤと取り合うのかと思ったら、むしろ2人で甲斐甲斐しく世話焼いちゃって。彼、相当幸せに思ってるんじゃない?」

 

「……そうだと、いいけど」

 

「……好き?彼のこと」

 

「……うん、大好き」

 

「そう、もう自信を持って言えるのね」

 

自信を持って言えるようになってしまったからこそ、辛いのだろうけれど。

 

アイズは夕食を食べ終わる。

この後は少し時間を潰したら、汗を流して、着替えをして、また治療院へと戻ってレフィーヤと交代する。いくら寝ているとしても、決して彼を1人にはさせない。これは絶対だ。仮に2人とも用事が出来てしまったとしても、他の人に代役をお願いするくらいに。絶対に大切なこと。

 

「そうだアイズ、ちょっと気分を変えてみない?」

 

「え?」

 

「何をしたら良いのか分からないんでしょう?私に良い考えがあるのよ」

 

「!」

 

そうしてアイズはティオネの部屋へと連れて行かれた。それは後ほど、レフィーヤも同じようなことを提案されて、飲んだことで。

……その日の夜、2人は治療院に大きな荷物を持ち込むことになった。確かにこれならば、彼を喜ばすことが出来るかもしれないから。少なくとも暇はさせないし、代わり映えのしない毎日ではなくなるから。

最後の日まで、少しでも彼に楽しんで欲しい。少しでも彼に幸福で居て欲しい。そのための努力ならいくらでもする。助けられないというのなら、それくらい。

 

 

 

 

「やあ、元気そう……という言い方は少し失礼かな、ノア」

 

「フィンさん……!いえ、仰る通り今は元気な時間帯ですから。間違っていませんよ」

 

「……座ってもいいかな?」

 

「もちろんです、どうぞ」

 

それは4日目の昼前くらいの頃だったか。

ノアの件で諸々の対応が必要になり、遠征の延期なども含めて忙殺されていたフィンは、それでも時間を見つけて彼のところを訪れていた。少しの間2人にさせて欲しいとアイズとレフィーヤにお願いをして、今この病室には彼とフィンだけ。

……彼の件はその殆どをリヴェリアに任せていたフィン、それでも彼は大切な団員の1人であることに変わりはない。もちろん彼のために何もかもを優先することは出来ないけれど、それでも見舞いくらいには来る。

 

「……今日僕がここに来たのは、もちろん君への見舞いというのもあるのだけれど」

 

「はい」

 

「うん……まあ、こういうことは単刀直入に聞いてしまおうか」

 

「そうですね」

 

「……君の、死後のことだ」

 

「……はい」

 

それは、避けたくはあるけれど、避けずにはいられない話だから。つまりは遺言。自分の死んだ後の後始末を、どうするのかという話。こんな話はきっと、誰もしたくはないだろうから。

フィンは敢えて今日、それを聞きに来た。

ギリギリではなく、しっかりとまだ余裕のあるうちに。彼の死後のことを、責任を持ってしっかりと綺麗にするために。

 

「私の財産は、まあそれほど多くはありませんが……物品関係は全てアイズさんとレフィーヤさんにお渡し下さい。金銭はロキ・ファミリアに」

 

「……いいのかい?」

 

「恩がありますから。こんな自分を引き取ってくれたことは、今でも感謝しています」

 

「……分かった、君の意思に沿おう」

 

「それと、一応ですが今お世話になった人達にお手紙を書いているところでして」

 

「!」

 

「流石にお二人の前では書けないので、アミッドさんの診察の時に書かせて貰っているんですけど。それもフィンさんに持っていて貰いたいです」

 

「……ああ、責任を持って皆に渡すと誓うよ」

 

「ありがとうございます」

 

お世話になった人は多く居る。

迷惑をかけてしまった人も同様に。

自分の残している財産など、碌なものがない。

だからせめて、こうして言葉を残すしかなかった。感謝の気持ちを、謝罪の気持ちを、文章で示すしかなかった。そしてそれはフィン・ディムナ相手であれば、託すことが出来る。彼ならきっと皆に渡してくれると、信じられる。

 

「……私、死んでしまうんですね」

 

「……」

 

「魂も壊してしまったので、生まれ変わることも出来ないそうです」

 

「……ああ」

 

「不思議な話です。前までは魂とか生まれ変わりとか、そんなことどうでも良かったのに。……今になって少し、惜しいと思っている自分が居ます」

 

「……」

 

「また来世で、って言えませんからね。最期の挨拶の選択肢が減ってしまったことが凄く残念です」

 

「……冗談にしては笑い難いよ、ノア」

 

「ふふ、ごめんなさい」

 

悪戯そうに彼は笑うけれど、きっとその事実に対して悔やんでいるのは本当だろう。ここで死んでしまっても、来世こそはと。そう気休めに思うことさえも出来ない。ここで完全な別れになってしまうから、『来世こそは』と約束を交わすことも出来ない。

本当に今になって、分かるのだ。

魂を砕くということの意味が。今更になって、その深刻さを理解出来てしまう。来世を失うということの恐ろしさを、今になって。

 

「最近、思うようになったんです。もしかしたら生きるということは、縁を繋ぐことが目的なんじゃないかって」

 

「縁……?」

 

「はい。……その人の来世も、その次も、そしてその次も。繰り返し縁を重ねていって、沢山の人と惹かれ合っていく。そうして縁を重ねていくほどに、その次の人生は素晴らしいものになっていく」

 

「……なるほど」

 

「今が駄目駄目でも、しっかりと人と人との縁を繋いでおけば。きっとその次の人生は、今よりもっと素晴らしいものになる。たとえ今回、好きな人と結ばれることが無くても。縁さえ繋いでおけば、次こそは一緒になれるかもしれない」

 

「……でも、それは君の恋のライバルにも言えるんじゃないのかい?」

 

「ふふ、そうかもしれませんね。でも彼の場合、他の女性とも色々と縁が出来ていそうなので。来世では期待はあったかもしれません」

 

人は今の人生のことしか分からないから。だからそれに固執して、それが全てだと思って、自分の全てを掛けてしまうけれど。一度諦めてしまったら、その全てを投げ出してしまうこともあるけれど。

たとえ何もかもが上手くいかなくても、しっかりと縁を繋いで真面目に生きていれば。それはきっと次の時に生きて来る。次の生がどんなに悪い生まれであったとしても、その縁がもしかしたら助けてくれるかもしれない。

 

……だから神様達は、子供達の魂を大切にするのだ。一度死んでしまっても、真面目に誠実に生きていた子供達は、次はもっと強くなって生まれて来るから。魂がある限りは、決してその全てが消えてしまうことはないから。魂の漂白がされてしまっても、繋いだその縁だけは、決して切れることはないから。

 

「……アイズさんとレフィーヤさんのこと、お願いします」

 

「……ああ」

 

「私は結局、なにもかもを引っ掻き回してしまっただけで……フィンさんにもご迷惑をお掛けしてしまいましたけど……」

 

「……」

 

「あの2人にだけは、幸せになって欲しいんです……ここまで滅茶苦茶してきた私が、今更な願いかもしれないんですけど……」

 

「……いいのかい?君にはもう来世すらない。これが本当に最後だ。……最後の願いが他者の幸福だなんて。もっと我儘を言ったって、誰も怒らないだろう」

 

「我儘じゃないですか、十分に。自分のやったことの後始末を他人に押し付けて消えるんですから、十分に酷いことをしていますよ」

 

「……消えたくて消える訳ではないだろう?」

 

「だとしても、全部自業自得ですから。色々な狡いことをした割には、かなり幸福な終わり方じゃないでしょうか。……好きな人達と気持ちが通じ合えただけでなく、たくさんの人に死を惜しんで貰えるんですから。これ以上を求めたら、バチが当たりそうです」

 

「狡いこと、か……」

 

けれどきっと、仮にフィンが彼と同じ立場であったのなら……間違いなく、自分も彼と似たようなことをしていただろう。

自分の悲願のために、時間が足りないというのなら、同じように不死を利用してそれを実現しようとした筈だ。それは確かに狡くて、してはいけないことだったかもしれないけれど……誰が責められる。少なくともフィンには責められない。絶対に叶えたい悲願のある自分には、それを責めることは出来ない。

 

「……ヘルメス・ファミリアの団員達は来たかな?」

 

「ええ、丁度今朝方に。なんだか凄く泣かれてしまって、とても申し訳なかったです」

 

「まあ、君のおかげで僕達もある程度はヘルメス・ファミリアと交友を持つことが出来た。これはきっと、これからの闇派閥との対決において大きな力になるだろう」

 

「!」

 

「君のして来たことは、悪いことばかりじゃない」

 

「フィンさん……」

 

「少なくとも、君のおかげで増えた仕事は確かにあるけれど、君のおかげで解決出来たことも多くあるんだ。そう悲観にならず、自信を持って欲しいものだね。……ありがとう、ノア・ユニセラフ」

 

「……私こそ、ありがとうございました。フィン団長」

 

全く、これでノアが生き延びることが出来たのなら、果たしてどんな顔をして笑い合えばいいというのか。

……どんな恥でもかいてやるから、そうなって欲しい。少なくとも今話したことは全て、フィンの本音であったから。だからどうか、今この時こそ、奇跡のような何かが。起きたりは、してくれないものか。



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54.ご褒○

もう書き貯めは出来ているので……
今から何かを変えることは私にも出来ません……
結末がどうなるかは、とにかく待って頂くということで。


あと今回"若干"えっっ!な描写がありますのでお願いします。


「……ということで」

 

「と、ということ、で……」

 

「じゃ〜ん!どうですかノアさん!」

 

「に、似合ってる……かな?」

 

 

「に、似合ってるも何も、これって……!こほっこほっ」

 

 

「ふふふ、そうです……"ウェディングドレス"……っぽいドレスです!」

 

「……です!」

 

ティオネが2人に提案したこと。

それは単純に、色々な姿の2人を彼に見せること。それは本当に単純なものではあったけれど、しかしそれこそ彼が喜んでくれることに違いないと、2人は確信することが出来た。

 

故に本日7日目。

昨日の色々な私服に代わり、今日はちょっとした変わり種を持って来ていた。

 

「いえ、まあ、その……流石に本物は持ってこれなかったので……」

 

「それっぽいドレスを……ティオネにお願いして……」

 

「そ、そんなことないです!凄く綺麗です!……こほっこほっ。まさか自分がお二人のこんな姿を見ることが出来るなんて……」

 

「え、それどっちですか?なんか微妙に親族気分入ってません……?」

 

「え……あ、いえ、そんなことは……」

 

あくまでウェディングドレスっぽい、白のドレス。

けれど装飾品は実際に使われている物を集めて来たので、ぱっと見はそうとしか見えないだろう。そうなるように(ティオネが)努力してきたのだから。

 

そして流石に病室でこんな姿をしているのを彼以外の誰にも見せる訳にはいかないので、しっかりとカーテンも閉めてドアにも鍵はかけてある。そうでなくとも、こんな格好をしたのなら。……やりたいことは1つしか無くて。

 

「で、では……先ずは誓いのキスから……」

 

「え?」

 

「え?嫌なんですか……?」

 

「そ、そうではないですけど……ある程度この流れも、予想はしてましたけど……こほっ。そこから始めるんですか……?」

 

「ノア、誓いのキスからだよ」

 

「え、そうなんですか?」

 

「というか私達は何かしら理由を付けてキスしたいだけなので」

 

「言っちゃったじゃないですか。というか言ってくれれば私だってそれくらい……」

 

「普通にキスをしても面白くありませんから。ですよね、アイズさん?」

 

「……私はいつでも、したい、けど」

 

「裏切られた!?わ、私だってしたいです……!」

 

「ま、まあまあお二人とも……」

 

というより、なにより……あの、意外とウェディングドレスというのは露出度が高い。それこそ色々な型があるとは言え、2人の来ているそれは所謂ビスチェと呼ばれるものとハートカットと呼ばれるもので、言ってしまえば首元も肩も全部出ている。しかも正規の物でもなく大きさも本人の適性より若干大きめで、つまりは割と危うくないけど危うく見える。

思わずノアは目を逸らしてしまうが、しかし2人はしっかり左右から迫って来る。視線も身体も、逃げ場など何処にもない。

 

「さて、アイズさん?どちらからしますか?私は先にしようかなぁと思うのですが」

 

「ううん、私が先」

 

「……でも、ほら。後からの方が色々良いと思いますよ?学べると言うか、私の失敗が見られるというか」

 

「私はノアの恋人だから、私が先」

 

「!?な、何の話ですかそれ!?私は聞いてないですよノアさん!?」

 

「ひんっ!?そ、それはその……」

 

「ノアの最初のキスはレフィーヤのだけど……最初の恋人は私だから……」

 

「〜〜〜!?ノ、ノアさん!!私も恋人にしてくれますよね!?」

 

「それより先に。ノア、私と誓いのキスして」

 

「だ、駄目です!そういう事情があるなら、絶対駄目ですぅ!」

 

「あ、あはは……こほっこほっ」

 

「「っ」」

 

冷静になる。

なんだか彼がすごく嬉しそうにしてくれたから、はしゃいでしまったけれど。そう。今日起きた辺りくらいから、治療を受けた後でもこうして定期的に咳をするようになってしまった。本人は大したことはないとは言うが、しかしそれは着実にタイムリミットが近付いているということ。こんな風に困らせている場合ではない。

……もう、7日目だ。

半月を15日と考えるのであれば、折り返し地点まで来てしまった。こうして楽しんでいられるのも、もう。

 

「……アイズさん、先にどうぞ」

 

「いいの……?」

 

「はい、私は後でじっくりとさせて貰いますので」

 

「……!うん、分かった」

 

「え、あ……これ本当にする流れなんですね。いえ、嬉しいんですけど、恥ずかしくもあるというか」

 

「気にしないでください。これはその、私達もお互いに納得しての関係ですから」

 

「うん」

 

そうして彼に色々と考えさせてしまう前に、アイズは彼のベッドの上にのり、そのまま足の上に跨る。あ、そうやってやるんだ……と思ったのはレフィーヤも同じ。なるべく彼に体重をかけないようにしながら、目と鼻の先にいる彼を見つめる。

 

「ん……どう、かな?」

 

「……とても綺麗ですよ、アイズさん」

 

「うん……明日からは、また違うのを見せてあげるね」

 

「ふふ、それでは長生きしないといけませんね。こんなに素敵なものを見られないなんて、勿体ないですから……こほっこほっ」

 

「うん、長生きして」

 

すりすりと、額や、鼻や、頬を擦り付ける。

もっと、もっと大切にしないと。

この時間を、この瞬間を。

1秒たりとも、無駄には出来ない。

 

「お願いしたら……私と、結婚してくれる……?」

 

「それ、は……」

 

「出来ない……?」

 

「……そんな無責任なことは出来ません」

 

「そっか……」

 

「先の長くない人間ですから。誓いの言葉を唱えることも出来ません……こほっ」

 

「……じゃあ、キスはして?」

 

「なにを私は、誓えばいいのでしょう……?」

 

「好きって言って」

 

「!」

 

「それだけでいいから」

 

「……好きです、アイズさん」

 

「うん。私も好きだよ、ノア」

 

そうして2人は唇を合わせる。

そんな様子を見ていたレフィーヤは、いやまあ普通に考えて居づらそうな顔をしていた。覚悟はしていたとは言え、普通に嫉妬はあるし。あと自分が思っていたより2人のそれは深いし。なんだか自分としていた時よりも水音が聞こえて来て、2人の間を唾液が垂れていて。とても淫美で、見ているこちらまでドキドキしてしまって、まるで彼がアイズに貪られているようで……………ん?

 

 

「ぅ……ふっ……んんっ……」

 

「あ、これ駄目なやつだ」

 

 

レフィーヤは理解した。

 

 

「っはぁ……ノア、ノア……」

 

「ま、まっへくらさい……い、息が……」

 

「ん……好き、好き……」

 

「ひゅぐっ!?……んっ、ひぁっ」

 

 

「ちょちょちょ!ま、待ってくださいアイズさん!ストップです!ストップ!!」

 

 

「んちゅっ……レフィーヤ?もう交代……?」

 

「そ、そうじゃなくて!ノアさん!ノアさんが……!」

 

「……あ」

 

もうなんか途中から押し倒して、魂でも引き摺り出そうとしているのか?というくらいに滅茶苦茶にされていたその様子は、さながら捕食者と獲物のようで。

 

「だ、大丈夫ですかノアさん!?」

 

「ご、ごめん……だ、大丈夫……?」

 

「はぁ、はぁ……だ、大丈夫です……けほっ、けほっ」

 

「あ、あぁ……ご、ごめんねノア……ごめんね……!」

 

「………」

 

ここに来て、レフィーヤはようやく悟った。

というか、分かってしまった。

こんな特殊な状況でもなければ、きっと一生知らなかったであろうその事実を。知ってしまった。

 

 

(アイズさん、キス下手だ……)

 

 

知りたくなかった、そんなこと。

けれどもう間違いない。

いや、当然と言えば当然だけども。

彼女がキス上手に見えるかと言われたら、それは確かに首を横に振るしかないけれども。だからと言って下手が過ぎる。なにせキスというか殆ど吸引だから。彼の口を舌でこじ開けて、その何もかもを吸い取ろうとしているだけだから。そんなもの死ぬ。やっていることは殆どサキュバスだ。流石のレフィーヤでも擁護することは出来ない。

 

「……はぁ、仕方ないですね。これも必要なことですから」

 

流石に『今後はキスするの禁止です!』とは言えない。ここで2人に罪悪感を与えるくらいであれば、ここは恥ずかしくともしっかりと修正しておくべきだ。……いや、本当に恥ずかしいけれど。人前でするだけでもなのに、それをじっくり見られるなんて。恥ずかしくて頭から火を吹きそうだけれども。

 

「ア、アイズさん……」

 

「な、なに……?」

 

「その……これから私が、まあ、言うほど上手でも無いんですけど……手本を、見せますので……」

 

「……!」

 

「な、何回もはしませんから!なので、その……」

 

「……うん、勉強する」

 

「……はい、お願いします」

 

レフィーヤに背をさすられながら、苦笑いをする彼。いや、本当に。レフィーヤが止めなければどうなっていたことか。……好きなのは分かるけれど、今のアイズと恩恵を失った彼では完全に生物として力量が違うのだから。特に弱ってきた彼には、たとえキスであっても激しいものはしない方がいい。……そもそも、激しいキスとは言うけれど、あれほど激しいものは普通ではないので。しっかりここで学んで、実践して欲しい。彼のためにも、本当に。

 

「そ、それでは……その……」

 

「は、はい……もう少しこちらに」

 

「あ……ありがとうございます……」

 

彼の横に座り、少し見上げるように位置取りながら身体を寄せる。彼は片腕だから身体を寄せるのは自分の役目で、残った左手だけはしっかりと繋いでいた。……こういう時、自分の背の低さや身体の小ささに感謝したくなる。きっとこの背丈は、彼とのキスに適しているから。

 

「い、いきますね」

 

「は、はい……お願いします……」

 

まずは重ねるだけ。

柔らかな唇を優しくゆっくりと当て合って、時折離しては見つめ合う。好きになる、愛おしさが増していく。幸福感に溶けてしまいそうになって、互いにより身体を密着させるようにより深く抱き合った。

……少しずつ、少しずつ感情が昂り始める。誰かに見られている事とか、緊張とか、そういうことも頭の中から消えていく。

 

「んっ………はっ……」

 

「ぅん………んく……」

 

レフィーヤだって決して上手い訳ではない、まだまだぎこちない所は多くある。……けれど、彼が苦しくないようにすることくらいは出来る。それに、そうでなくとも彼は上手いから。あくまで自分は彼を楽にさせるように気を遣うだけで、それは自然と満足の出来るものになって。

 

「……ぁ……ぅあ」

 

「ふふ……可愛いですよ、レフィーヤさん」

 

位置関係的にたくさん飲まされてしまった2人分の唾液と、腰が震えてしまうほどに齎された快楽で、まるで酔ってしまったかのように意識が朦朧として。力の抜けた身体をそのままに彼の胸元にもたれ掛かる。それでもこれで終わる訳にはいかないから。自分ばかりがされているのは、良くないから。相手にも、同じように。

 

「わ、わたしも……」

 

「?」

 

「わたしも、ノアさんのこと、気持ちよく……」

 

「して、くれますか?」

 

「ぁ……は、はい……します……」

 

そう言って彼は今度はレフィーヤを自分の膝の上に乗せる。それは奇しくもアイズがした時と同じ形であるが、しかしその様子が自分の時とは違うということは、静かにそれを見守っているアイズだって分かる。

……というか、ぶっちゃけアイズもものすごくドキドキとしている。甘くて情熱的なキス、蕩けるようなレフィーヤの表情、2人の唇を繋ぐようにかかる銀糸の橋。そのどれもがアイズの背筋を伸ばすには十分な衝撃を持っていて、彼女の顔を赤くさせる。縋り付くようにして彼に甘えるレフィーヤの姿は、そんな彼女を愛おしげに見つめるノアの表情は、なんだかとても羨ましく思えて。

 

「んっ、ふにゅ……っはぁ、はぁっ……っんぅ!?」

 

「大丈夫、大丈夫です……そのまま……」

 

「は、はい……んぅっ」

 

彼に腰を撫でられながら、身体を震わせて、少し目端に涙まで浮かべて。それでも必死に彼を気持ちよくさせようと、まだまだ未熟なその舌使いで奉仕する彼女。上下を変えても、少し気を抜いてしまうと、負けそうになってしまう。気持ちよくしてあげたいのに、自分の方が負けてしまいそうになる。

 

「んぇ……す、すき……すきれす、のあしゃん……」

 

「っはぁ……私も、好きですよ……レフィーヤさん」

 

「ぁ……はぁっ……ふっ、ぅ……っ」

 

「おっと……」

 

荒い息を吐きながら、思わず脱力して彼にもたれかかってしまう。駄目だ駄目だとは思いつつも、身体に力が入らない。彼の肩に頭を置いて、せめてとばかりに抱き締める。……自分は恩恵があるのに、体力だって自分の方があるはずなのに。

 

「んっ……こ、腰……撫でるの、だめ……」

 

「こほっこほっ……ふふ、反応、可愛くて」

 

「うぅ、意地悪……」

 

最後になんとか身体を起き上げて、数秒ほど普通のキスをする。目を閉じながら、一心不乱に。もう全然しっかり出来なくて、口の周りが濡れてしまって、彼の布団の上にもポタポタと水滴が落ちてしまう。こうなるともうなんだか、誓いのキスでもなんでもなくなってしまったけれど……

 

「むゅ……」

 

「ふふ……舌、出てますよ?まだ足りないんですか?」

 

「っ〜〜!」

 

恥ずかしい。

自分の恥ずかしい顔が、全部見られてしまった。

ちょこんと出ていた舌に人差し指で触れられながらそんなことを言われて、無意識にもう一度とせがみそうになった自分を恥ずかしく思う。でも仕方ないじゃないか、こんなにも幸せな気持ちになってしまうのだから。もっともっとと求めてしまっても、誰が責めることが出来る。もっと愛して欲しい、もっと夢中にさせて欲しいと、もっと溺れさせて欲しいと、そう求めてしまっても……

 

 

「………すごい、ね」

 

 

「「っ!!」」

 

互いに身体を跳ねさせる。

ああ、しまった。

流石に夢中になり過ぎた。

完全に見られていることなんて忘れてしまっていた。いや、忘れていたなんて言ったら酷いのだけれど。でも彼女も自分の時には夢中になっていたのだから、それはそれでお互い様で……

 

「レフィーヤ、すごい……」

 

「あ、いや!これは、その……!」

 

「う、上手いのは私ではなくノアさんの方で……!」

 

「私もしたい」

 

「「………」」

 

この瞬間、ノアは察した。

ああ、今日は多分これで終わるんだなぁと。

けれどそんな1日は決して悪いものではなくて、体力の心配は確かにあるが、それでもこれ以上に良くなることもないから。出来るうちに出来ることをしておくに限るし、割と欲に溺れてるしまっている状況ではあるけれど、これのためなら多少寿命が削れてしまっても仕方ないと思える。

 

(っ……あと少し、もう少しだけ……頑張れ、私の身体……)

 

何やらレフィーヤに迫ってコツを聞き出そうとしているアイズ。レフィーヤはそんな彼女に顔を赤くしながら、しどろもどろに言葉を返している。……こんなにも可愛らしい2人の様子を見ることが出来るのも、あと少しなのだ。泣いている姿より笑っている姿を見ていたい。そんな2人の様子を、しっかりと頭に焼き付けてから死にたい。

 

(この半月のために私の人生があったというのなら……)

 

 

 

「えい」

 

「ひゃうっ!?の、のの、ノアさん!?」

 

「せっかくですから、もっと近くに来てお話ししませんか?アイズさんも」

 

「……うん、そうする」

 

ああ、あと何日こうして人として生活出来るのだろうか。あと何日歩くことが出来るのだろうか。着実に身体が動かなくなっていることを感じている。回復出来る上限が減ってきたのを自覚している。それでも出来る限り、隠していきたい。少しでも長く彼女達の笑顔を見ていたいから。そのための我慢なら、これまでの我慢と比べれば、よっぽど簡単だ。



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55.○の宣告

あれから3人は、割と退廃的と言われても仕方のないような生活を送っていた。

それこそ他の見舞いの客が来ない限りは延々とイチャついていたし、毎日のように色々な衣服を着ては、ちゅっちゅくちゅっちゅくとしているような有様。それこそまあ、ここには書けないようなことを"彼が"させられたりしたこともあったが、まあそれはいいとして。

 

10日目だ。

 

もう、リミットはそこまで迫っていた。

 

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

 

「ノ、ノア……」

 

「だ、大丈夫、ですよ……まだ、大丈夫です」

 

「無理、しないで……?」

 

「はい……」

 

遂に、アミッドの治療を受けても立つことが出来なくなった。こうしてベッドから上半身だけを起き上がらせるにも、他人の助けがないと出来ない。水浴びをすることなど当然に出来ないし、食事も流動食。そろそろ食事そのものが難しくなるとアミッドは話した。

……既に治療間隔は5〜6時間、最低でも日に4〜5回。いくら恩恵を持っているとは言え、アミッドの睡眠時間は削られているし、これから頻度は更に上がることになる。顔色も明らかに悪くなって来た。化粧をして誤魔化す余裕すら無いように見える。

それでもアイズと話す時にはしっかりと笑顔を見せてくれるのは、悲しんで欲しくないからなのか。しかしその笑顔すらも痛々しく、顔が歪む。彼の願い通りに笑って接することなんて、難しくなる。

 

「ノアさん。リヴェリア様とアスフィさんが……」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「っ、これは……」

 

「ノア、大丈夫か……?」

 

「……なんとか、大丈夫、です」

 

「「………」」

 

結論を言ってしまえば。

リヴェリアも、アスフィも、成果は何も無い。

2人はそれぞれに違う方面から事態の解決のために情報を集めていたし、少しでもノアを救う方法がないかと必死になって走り回っていた。それこそヘルメスの付き人という役割や、遠征の準備という仕事を投げ捨ててでも。なんでもいいからと縋る思いで希望を探し続けた。……それでもやはり、何も見つかることはなかった。既に10日も経ってしまったというのに、何一つ。

 

「すみません、ノア。何か一つでも良い報告を持って来れたら良かったのですが」

 

「いえ……気に、しないで、ください」

 

「……治療は、いつ受けた?」

 

「2時間くらい前、だよね?」

 

「はい……」

 

「そうか……」

 

彼の代わりにアイズが返答をする。

治療を受けてから約2時間でここまで辛そうな顔をするのかと思うと、であれば治療前はどれほど苦しい表情をしているのかと。恐ろしいくらい。

まだこうして起き上がれるだけ、話せるだけ、笑えるだけ、きっとマシなのだろう。それすら出来なくなるのも、きっと直ぐだ。

リヴェリアは今は折り畳みのベッドの代わりに置いてある彼の横の椅子に座り、その左手を手に取る。……以前に握った時より、ずっと細くなった。力がない。とても軽い。何より、冷たい。

 

着実に死に近づいている。

 

あと半月とアミッドは言ったが、それは具体的には何日なのか。あと何日彼にはあるのか。あと何日彼は生きられるのか。

……きっと、それも彼の気力次第なのだろう。

早ければ3日、長くても……

 

「どうだ、アイズとレフィーヤとの生活は」

 

「とても、幸せです……まあ、恥ずかしい思いも、していますけど」

 

「ほう?例えば?」

 

「……水浴び、出来なくなって」

 

「ああ」

 

「身体を、拭いてもらって、いるんですけど……昨日から、腕も、動かし難くて……」

 

「なるほど」

 

「……もう、なんだか。頭から、火を吹きそうで」

 

「……アイズ、お前達は本当に何をしているんだ?」

 

「ち、違う!あれはレフィーヤが……!」

 

「わ、私のせいにしないで下さい!?最初はアイズさんが……!」

 

「なるほど、お前達が何やら風紀を乱しているということだけはよく分かった。……状況が状況だけに多くは言わないが、あまり相手に恥をかかせるものではないな」

 

「「……はい」」

 

つまりはまあ、まだまだ子供な小娘共がはしゃいでしまったと。そういうことなのだろう。

まあ変に暗くしているよりかは、そうしてはしゃいでいるくらいの方がいいかもしれないが。しかしまあ、そこまでいくのなら、もうヤってしまえばいいのにと思わなくもない。いや、まあ流石にそれは本当に風紀が悪くなるし、ガキ共には難しい話であるかもしれないが。しかしノアがこの状況である以上は、そういう希望ももう無いということだ。

……本当に、何も残さず行ってしまうのか。

 

「……ノア、これは団員達からです」

 

「……!お手紙、ですか!」

 

「ええ、流石に大人数で治療院に押しかけることは出来ませんから。暇な時にでも、剣姫に読んで貰うといいでしょう」

 

「ありがとう、ございます。とても、嬉しいです」

 

「……皆にもそう伝えておきます。勿論、私はまだこちらに顔を見せに来る予定ではありますが」

 

聞いている話では、ノアは片目も見えていない。残った片目も、今やどれほど視力があるのか、少なくとも恩恵を持っていた時よりは低いはず。

……ロキ・ファミリアだけではない、ヘルメス・ファミリアの団員達も悲しく思っている。しかし彼と特に仲の良かった団員達は既に一度ここに来て話をしていたし、彼の側にいる2人を見て邪魔をするのも良くないと身を引いた。

アスフィだって、きっとこうして顔を合わせられるのはあと1度や2度程度だろう。まさかこんなことになってしまうなど、思いもしなかった。

 

「……アスフィさん、リヴェリアさん」

 

「「?」」

 

「……もう少し、近くで……顔を見せて、欲しいです」

 

「「!」」

 

「視力、少し、落ちてて……覚えて、いたいので……」

 

「……勿論です」

 

「ああ、何の問題もない」

 

本当に、本当にやめてほしい。

そうして死を意識させないで欲しい。

2人は意識して自然な笑みをつくり、彼の側に顔を寄せる。悲しい顔を見せなくて済むのは嬉しいが、しかし最後に見せる顔くらい、わかっていればもう少しくらい作ってきたのに。

それに、そうして顔を見せてやると、彼は嬉しげに微笑む。きっと、もう見れない顔がいくつもあると分かっているからだろう。2人もまた彼の顔をしっかりと見ながら、その頭を、頬を撫でる。

……きっと、こうして別れを惜しむ時間があるだけマシなのだ。冒険者の多くは、そんな時間すらも与えられない。けれど、こういう別れだからこそ辛いものはある。嫌でもこうして死を見せつけられる。少しずつ衰弱していくのを、指を咥えて見ていることしか出来ない。

 

「……こんなことで良いのなら、いつでも言ってください」

 

「はい……」

 

「大丈夫だ、ノア……大丈夫だ……」

 

「……はい」

 

何が大丈夫なのかは、自分でもよく分からないけれど。それでも、そう言うことしか出来ない。もう起き上がっていることが精一杯の彼を抱き寄せ、背中を撫でる。こうしていれば、彼の背中についた死神を振り払うことが出来たりしないだろうか。そもそもそんな神がいるのかどうかも分からないが。せめてその苦痛を少しでも和らげることが出来るのなら……そんな迷信じみた馬鹿げたことしか考えられないのだから、やるせない。こんなにも苦しんでいる子供が目の前に居るのに、何も出来ない自分が、恨めしい。

 

「そ、そういえばノア?ルルネが先日、面白い薬材を見つけて来まして」

 

「……ルルネさん、ですか?」

 

「え?ええ、ルルネですよ。盗賊(シーフ)の」

 

 

「……………………………………?」

 

「ノ、ノアさん?あの、あの人です。リヴィラの街で襲われた時に私と居た、犬人の女の人……」

 

「……そんな人も、居たような」

 

「「「………」」」

 

そこからのアスフィの行動は、早かった。

 

「ああ、そういえば貴方は彼女との面識が殆どありませんでしたね。実は彼女は貴方がファミリアを離れた後に都市の外から戻ってきた団員でして」

 

「あ、そうなんですね……」

 

「私としたことが、つい知っている体で話してしまいました」

 

アスフィは可能な限り明るい声でそう言う。

しかしノアが見えていないだけで、彼女を含めた他の者達の表情は全くと言っていいほどに笑みはない。出来ない。そんなものを作れるはずがない。

ルルネと初対面など、そんなことはあり得ないからだ。何故なら彼女はノアがヘルメス・ファミリアの擬似遠征に着いてきた時にトラブルを起こしてしまった張本人であり、その際に彼女に何度も何度も謝られながら感謝をされていた。そうでなくとも24階層の時にも一緒に行動していたし、彼はそんなタチの悪い冗談を言うような人間ではない。

 

「……"九魔姫"、そういえば貴女は"戦場の聖女"に呼び出されていたのではありませんか?」

 

「っ……ああ、そうだったな」

 

もちろん、そんな予定など無い。

それは今正にこの瞬間に出来たものだ。

アスフィのパスを、リヴェリアは上手く受け取った。

 

「すまないノア、レフィーヤとアイズを少し借りる。色々と手伝って貰いたいことがあってな」

 

「いえ、私はその間アスフィさんとお話しさせて貰いますね」

 

「……直ぐ戻るから、ノア」

 

「ええ、お気をつけて」

 

「……」

 

リヴェリアは2人を連れて病室を出る。……多少強引ではあったが、あの様子では気付かれてはいないだろう。少なくとも、レフィーヤが何も話せなくなるほどのショックを受けているということなど、気付かれていないはずだ。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

誰も話すことはしない。

否、話せる余裕がない。

3人はただ同じ方向へ向けて歩いていくだけ。

せめて間違いであって欲しいと。

気のせいであって欲しいと。

そう、願って……

 

 

 

 

 

「……脳に、影響が出ています」

 

 

ああ、しかし。

そんな都合の良いことは存在しないと。

そんなことは彼をずっと隣で見て来た自分達が、一番によく分かっていた筈なのに。

 

「脳、に……」

 

「……私も失念していました。しかし、起きて当然の事象ではありました」

 

「治ら、ないの……?」

 

「ある程度は治せます。……しかし、それは一時的なものです。記憶だけは欠落したままという事も考えられます」

 

「それは……これから先も、失い続けるということですか……?」

 

「……」

 

アミッドの顔は暗い。

どころか、青いとまで言ってもいい。

記憶を失い続ける、その事実だけでもう十分なほどに苦しいのに。

まだこれ以上のことがあるとでも言うのか。

彼女は少しの間、思考するように目を閉じて黙りこくった後……ゆっくりと目を開けて、3人に真剣な表情を向けた。それは彼女の治療師としての覚悟が出来たということ。

 

「……私は治療師として、皆様に酷な選択肢を突き付けなければなりません」

 

「え……?」

 

「どういう、ことだ……?」

 

 

 

「……安楽死、という選択肢です」

 

 

「「「!?」」」

 

つまりは、限界が来る前に彼の命を絶つという。

苦しむ前に楽に死なせるという。

そういう話。

 

「ど、どうしてそんな!?」

 

「脳が劣化する、これがどういうことか分かりますか?」

 

「……?」

 

「劣化する箇所次第では、人間としての最低限の機能すら破壊されることになります」

 

「っ!!」

 

「それだけではありません。仮に記憶のみが消去されるにしても、本人がそれに気付いてしまえばどうなりますか。……既に身体の苦痛に悩まされている状況です。死の恐怖を明確に感じ始めている頃合です。そんな中で記憶の消却という恐怖まで覚えてしまえば……」

 

「……だめです、そんなの」

 

「レフィーヤ……」

 

「そんなの……耐えられる訳ないじゃないですか……!」

 

つまり。

彼が死ぬ時に、どんな状況にするのかという話。

 

数日程度は本来より長く保たせても、記憶も滅茶苦茶で、人間としての機能も損失し、意識があるのかどうかも分からない状態で死なせるのか。

 

それとも、死期は早まるが、最後まで周囲の人間を認識できる状態で、特に苦しむ事もなく皆に見守られながら死なせるのか。

 

どちらがいいのかという、そういう話。

 

「……アミッド。仮に安楽死を選んだとして、今からだと何日保つ」

 

「……私が付き切りになるとしても、2日後には」

 

「2日後!?」

 

「そ、そんなに……早いの……?」

 

「お二人は、今朝の治療前の彼の様子を見ているはずです」

 

「「………」」

 

「当初、私が見積もっていたのは15日です。しかし脳の劣化という事象が判明した現状では、安楽死という選択を捨て、長く見積もっても14日が限界です。……人として死なせたいのであれば、今日から少しずつ調整をしていかなければなりません」

 

「「「………」」」

 

朝の治療の前。

彼の容体は、アイズとレフィーヤが思わず恐怖してしまうほどに酷いものだった。治療後2時間であの状態なのだから、それは当然の話だ。

寝ている最中に突然血を吐き出したかと思えば、起き上がる事も出来ずにもがき苦しみ、血に黄色の混じった赤黒い液体を吐き続ける。慌ててやって来たアミッドの治療によってなんとか一時的に容体は落ち着いたが、彼は治療を終えた後も暫くは吐き続けていたし、その間は意識すらも殆ど無かったようだった。

……それほどの状態だ。

そもそもアミッドが居なければ、既に死んでいる状態。2日間というのも、アミッドが努力しての話になる。最低でも相手と普通に会話の出来る状態を保ちたいのであれば、それは2日が限界なのだ。……それ以上となると本当に、彼は苦しむこととなる。

 

 

 

「………死なせてやってくれ、アミッド」

 

 

「!?」

 

「リヴェリア様っ!!」

 

 

「これ以外に選択肢などあるか!!」

 

 

「「っ」」

 

 

「……よろしいのですね、本当に」

 

「ああ、これは私が決める。……他の誰にも決めさせない、私の判断だ」

 

「……分かりました」

 

「リヴェリア……」

 

ノアは当然。アイズにもレフィーヤにも、その選択はさせない。他の誰にも相談することはなく、この責任は全てリヴェリアが引き受ける。それが彼女の選択だった。

……それが彼女の取れる、唯一の責任だった。

 

「今日明日と、少しずつ彼の意識を保ったままに身体だけを衰弱させていきます。言語能力の維持に努め、思考能力も一定の水準で安定させます。……そうして、緩やかに死へと向かうように誘導します」

 

「……ああ」

 

「可能な限り苦痛を取り除くようにはしますが、それにも限度があります。また、私が隣に着く事で彼が自身の死が近いことを意識することは回避出来ません。それについては皆様で対応をお願いいたします」

 

「……っ、はい」

 

「最後に……」

 

 

「力になることが出来ず、申し訳ありませんでした」

 

「「「っ」」」

 

「自身の未熟を恥じます。今回の件に関して、私は適切な処置を行うことが出来ませんでした。治療法を確立する事も出来ませんでした。また、事前に治療院へ受診して頂いていたにも関わらず、この様なことになってしまったことについては、弁解の仕様がありません。治療院を代表する者として強く責任を感じております。……本当に、申し訳ありませんでした」

 

「そんな、こと……」

 

きっとそれは、この10日間、彼の治療をし続けて来た彼女だからこそ強い責任を感じてしまっているのだろう。最初から最後まで解決策を提示することが出来ず、以前に診療を受けた時の記録を改めて見返した際に漸く異常に気付き、延命のための薬剤の調合すらすることが出来なかった。

延々と魔法を使うだけで、治療師としては何も出来ていない。生きてさえいれば、どんな人間であろうと治療出来る筈の魔法でも、彼の劣化を止めることは出来ない。

 

……本当は安楽死など、提示したく無かった。

 

だが自分の実力と頭では、それ以外の最善が見つからなかった。彼を癒すどころか殺すという方法でしか、彼を楽にする方法が思い付かなかった。

 

もしあの時に他の団員でなく自分が診ていれば、もっと早く彼の記録に目を通していれば。彼は24階層に行くこともなく、もう少し長生き出来ていたかもしれない。恩恵がある状態ならば、まだやりようはあったかもしれない。

アミッドの感じている責任は重い。それは彼が聞けば背追い込み過ぎだと、アミッドのせいではないと言うかもしれないが。他の何より、彼女自身がそれを許せなかった。

 

「……嫌」

 

「レフィー、ヤ……」

 

「そんなの、嫌です……嫌……」

 

泣き始めたレフィーヤを、アイズが抱き寄せる。……いつかこうなると分かっていたけれど。時は流れるものだと知っていたけれど。それでも、そうだとしても。愛した人間が死にゆくことを、時間があれば受け入れられる訳がない。それはアイズだってそうだ。リヴェリアだってそうだ。こんな結末、誰も受け入れることなど出来るはずがない。こんな結末にならないように、してきたはずなのに。

 

「ぅっ、ひぐっ……」

 

胸が痛い。

頬を涙が伝う。

声が出せない。

息が止まる。

唇を噛み締め。

眉間に皺がよる。

 

……自分はまた、失うのだと。

 

アイズはその事実に、憎しみすら抱くことが出来ず、ただただどうしようもない喪失感に支配されていた。



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56.○会と

1万文字超えていますが、お付き合い頂けると幸いです。


「ノアさん」

 

「……?どう、しました?」

 

「ノア」

 

「……?」

 

アスフィと入れ替わるように、2人は彼の横に座る。リヴェリアは拠点に戻った、このことを伝えなければならない人達が居るから。アスフィも同様だ。彼女はリヴェリアにそのことを聞かされたあと、同様に自身のファミリアに戻るのだろう。……アミッドも、あと少ししたら、準備と引き継ぎを終えてここへとやって来る。

 

先程よりも苦しげに、浅い息を繰り返す彼は、それでも戻ってきた2人に笑いかける。いつまでも変わることのないその優しさが、今はとても悲しい。最後の最後まで決して変わることのなかった彼の優しさが、この悲しみを余計に強くする。

 

「……ノアさん。私も、ノアさんの恋人を名乗ってもいいですか?」

 

「……あと、数日しか……使えません、よ?」

 

「そんなことないです、一生使えます」

 

「……あまり、使って欲しく、ないです」

 

「っ」

 

「一生、1人なんて……寂しいです」

 

「……それだけは聞けません。ノアさんのことは、私が一生覚えてるんですから。私はこんなにも素敵な人の恋人だったんだ、って」

 

「……頑固、ですね」

 

「そんな私は嫌いですか?」

 

「大好き、です……」

 

「それは良かった」

 

レフィーヤは横たわる彼の唇に軽くキスを一つ落とす。苦しげな彼と、もう以前のような深いものは絶対に出来なくて。なんとなく乾燥してしまっている彼の唇に気付くと、クリームを取り出して塗ってあげる。

 

……正直、将来のことなんて何も分からない。

こう言っていても、もしかしたら普通に良い男性と出会えて、お付き合いすることになるかもしれない。しかしそうだとしても、今はそんなことは考えたくない。目の前の人への想いだけを持ち続けて、一生1人でいたいとすら思っている。身寄りの居ない彼を、これから先も、ずっと覚えている唯一の人間でありたいと。そう思っている。

 

「……それなら。私も」

 

「アイズ、さん……」

 

「私は、ノアの最初の恋人だから」

 

「……ふふ。誇って、くれるんですか?」

 

「うん。初めて好きになった人だから」

 

「……ちゃんと、幸せに、なって下さいね。私のせいで、不幸に、なんて……」

 

「……なれる、かな」

 

「なれます。……私より、素敵な男性は……たくさん、居ますから」

 

「……居ないよ、そんなの」

 

「……ふふ。嬉しい、ですけど」

 

アイズもレフィーヤと同じように、彼にキスを一つ落とす。以前よりも少しは上手くなったけれど、もうそれを披露することも出来ない。まるでガラス細工のような今の彼は、Lv.6のアイズでは迂闊に抱き締めることも出来ない。今だけは、この力の強さが恨めしい。

置いて行かないで欲しい、1人にしないで欲しい、本当はそう言葉にしたい。したいけれど、言える訳がない。そんなこと、彼が一番にそう思っていることなど、アイズだって分かっているから。こんなにも自分のことを好きだと言ってくれた彼が、一番死にたくないと思っている筈だから。

 

「いつも、見てる、とか……」

 

「はい……」

 

「また来世で、とか……」

 

「うん……」

 

「言えたら、いい、ですけど……」

 

「……分かってます」

 

「ごめん、なさい……私が、馬鹿、でした……」

 

「……そんなことないよ。ノアが頑張ってなかったら、私は気付けなかった。馬鹿だったのは、私の方」

 

「そうですよ……そんな貴方だから、私も」

 

「罪作り、だなぁ……償う、機会も、ない、なんて……」

 

あとはもう、こうして、その終わりの時を待つだけ。彼にはもう何も出来ない。ただ死を待つことしか出来ない。自分と関わらなければこんな悲しい思いをさせずに済んだのにと、彼等の人生を傷付けずに済んだのにと、2人がなんと言おうとも、そんな後悔を抱えて沈んでいく。

何度も、何度も頭の中で繰り返した。

どこでどうしていれば、自分はもっと良い道を歩けたのだろうと。けれど、その度に思い至る。きっと今が一番に幸福なのだろうと。こんな風に2人の女性を愛してしまって、それなのに、その2人からも愛して貰えて。そんなもの、あまりにも都合が良過ぎる。それは早死にしてしまっても仕方ないだろうと、そう思える。むしろ、こんな状況でもなければ許されなかった筈だ。

……だから、きっと自分は幸せなのだと。自分だけは、幸せなのだと。そう思い込むことは出来た。それもまたきっと、幸福なことで。

 

 

 

 

 

……本当に、この10日間は。

 

 

 

早かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ノア、聞こえる?」

 

「?……アキ、さん?」

 

「ええ、そうよ。ここに居るわ」

 

「……うれしい、です」

 

「みんな居る。アイズも、レフィーヤも、リヴェリア様も、アスフィさんも。団長だって」

 

「フィン、さん、も……」

 

「ああ、ファミリアを代表としてね。流石に大人数では来れなかったけれど、皆君によろしくと言っていたよ」

 

「……そう、ですか」

 

限界は、近付いていた。

 

今日が、最後の1日だった。

 

今日の夜には、彼は……

安らかに眠れるように、調整されている。

 

もう、目は見えていない。

起き上がることも負担になるから。

まだ予定の時間までは少しあるけれど、それでも彼に寂しい思いをさせないようにと皆ここに集まった。不在にしているのは互いのファミリアの主神達くらい。彼等は未だに帰って来ていない。ファミリアの団員まで連れ出して、必死に何かを探している。

そろそろ夕日も沈んでいる頃合、つまりは1日が終わりに差し掛かる。アイズとレフィーヤとリヴェリアはアミッドに安楽死を提案された時からずっとここに居たし、ずっと彼と話して、その手を握っていた。アミッドがこうして側についてから、彼は本当に楽そうな顔をするようになった。それは単純にアミッドが彼の感覚を一部遮断しているからであり、意識もまた意図的に少し混濁させているからだ。

 

……しかし同時に、彼の身体は少しずつ死に近付いている。それは劣化によるものではなく、アミッドの手によって。彼を殺すのは身体の劣化ではなく、アミッドの魔法によってだ。本来治癒すべきそれを、彼女は今日殺すために使う。

救えなかった人間を、殺さなければならない。

一体それはどれほどの屈辱だろうか。

精神回復薬を飲みながら治療を続ける彼女を動かすのは、それに対する衝動が大きい。

 

「しあわせ、だなぁ……」

 

「……っ」

 

「………」

 

「ねむたい、のに……ねたく、ない……」

 

「……たくさん頑張ったんだもの、疲れてしまうのも仕方ないわ」

 

「……がんばれ、ましたか?」

 

「ええ、貴方が頑張ったから皆ここに居るのよ。貴方の頑張りを見ていたからこそ、ここに居るの」

 

「……はい」

 

「……貴方の頑張りは無駄じゃなかった。貴方の人生は、とても素晴らしいものだった」

 

「……はい」

 

「だから……っ」

 

それ以上の言葉が、出て来ない。

もっと、もっと言いたいことはたくさんある筈なのに。言わなければならないことはたくさんある筈なのに。喉が詰まったかのように言葉が出て来なくなる。

アキはこれまで、彼の姉のようにして接して来た。だから最期も、しっかり頼り甲斐のある姉として接さなければならないのに……

 

「不甲斐のないお姉ちゃんで、ごめんね……」

 

「……そんなこと、ない、です」

 

もう、彼の中にその記憶は無いのだろうけれど。アキの中にはある。……また、また自分は同じことを繰り返すのだということを。いつの間にか心の中に居たもう1人の自分が泣き叫んで罵倒する。受け入れられなかったからこそ乖離してしまった、もう1人の自分が暴れ狂う。

 

「ノア」

 

「リヴェリア、さん……」

 

「……思えば、お前と私は、それなりに長い付き合いだったな」

 

「……はい」

 

「あの時から私は、お前に、話を聞いてやることくらいしかしてやれなかった」

 

「……すくわれ、ました」

 

「私は、お前を……もっと、助けてやるべきだった」

 

「……」

 

「お前を、もっと……優先すべきだった」

 

「……いえ」

 

「……正直、アイズが羨ましくも思ったよ」

 

「!」

 

「私も、それくらい純粋に誰かに求められたいものだ。お前のような男に」

 

「……いつか、だれかが」

 

「……そうだと、いいのだがな」

 

以前もそうしたように、リヴェリアは彼の頭を撫でる。こうする度に、段々と彼の生気が無くなっているのが感じられて、まるで自分が殺してしまっているのではないかとすら思えてしまう。

……本当に、リヴェリアは彼に壊されてばかりだ。恋愛に対する理想も、憧れも、幻想も。この世界に抱いていた運命という名の美しさも。

けれど同時に、こんな人間も居るのだということを教えられた。こんな愛すべき大馬鹿者が居るのだと、ある意味では勇気付けられもした。そんな人間を死なせてしまった原因の中に、自分の至らなさがあったことは、それ以上にリヴェリアの心を蝕んでいるけれど。

 

「ありがとう」

 

「……リヴェリア、さん」

 

「私は、お前と出会えて……良かった」

 

「……わたし、も、です」

 

「すまない……本当に。私は、お前を、助けてやれなかった」

 

そんなことはないと、ノアは言いたい。

ずっとずっと相談に乗ってくれた彼女が、いつからか自分のためにアイズと話してくれていたのは知っている。ノアはリヴェリアに助けられてばかりだったから。恨むことなんて一つもなくて、心の中には感謝しかないくらいなのに。

 

「私からは……特に、ありません」

 

「アスフィ、さん……」

 

「貴方の無茶を止めなかったことは、間違っていたかどうかも私には分かりませんから。……ただ、本当に私は驚かされた、とだけは言っておきましょう」

 

「……ごめん、なさい」

 

「いいえ、違いますよ。私が驚いたのは、貴方が本当に剣姫と恋仲になれたことにですから」

 

「……!」

 

「正直、最初はそんなことは無理だと私は思っていました。ですが貴方はそれを成し遂げた。……それだけでも驚いたのに、"千の妖精"の心まで射止めるとは。本当に信じられない思いでしたよ」

 

「……えへへ」

 

アスフィは彼の手を握る。

恋人でも友人でもなく、団員の1人として。

かつてファミリアを共にしていた、仲間の1人として。

 

「後は任せなさい」

 

「……はい」

 

「貴方のことは、決して忘れませんから」

 

「ありがとう、ござい、ます……」

 

アスフィはそのままフィンの方へと顔を向けるが、しかし彼は首を横に振る。彼は既にノアとの別れを済ませているから。……いや、これまで彼のことの大半をリヴェリアに押し付けて来た身としては、ここに居ることすら相応しくないと思っているからだろう。

だから、必要なのは。

 

 

 

「貴方を好きになれて良かった」

 

 

「……!」

 

レフィーヤは詰まることなく、はっきりとその言葉を彼に伝えた。

 

「愛しています、心から」

 

「……はい」

 

「貴方だけを、一生愛し続けていたい」

 

「……」

 

「……それくらい、大事な人でした」

 

「……はい」

 

ノアだってそうだ。

彼女に伝えたいことなんて、いくらでもある。自分を救ってくれた彼女に、側に居続けてくれた彼女に、伝えたいお礼なんていくらでもある。

 

「ノアさんとのデートは……私の一生の宝物です。あの素敵な時間は、きっと一生忘れることなんて出来ないと思います」

 

「……うれしい、です」

 

「キスだってそうです。……私達、いつも泣いてばかりでしたけど。本当に、そこらの物語なんかより、ずっとずっと素敵な恋が出来たと思います」

 

「……わたしも、そう、おもいます」

 

「……だから」

 

どれだけ笑みを作っても。

どれだけ声を作っても。

きっともう、お互いに、見なくてもわかる。

だって自分達は、最初からずっとそうだったのだから。デートの時だって、キスの時だって、いつだって。

 

「最後も……泣いてしまっても、いいですよね」

 

「……はい」

 

素敵な恋だった。

彼は本当に、理想の恋をさせてくれた。

きっとこの別れだって、人によっては綺麗だと言ってくれるかもしれない。

 

でも、そんな綺麗さより。

もっと、もっと隣に居たかった。

デートだって、またしたかった。

もっともっとキスをしたかった。

どうしようもなくなってしまうくらいに、愛して欲しかった。

来世でも、その次でだって、彼の恋人になりたかった。

 

「……本当は、私も、一緒に死んでしまいたいけれど」

 

「だめ、です」

 

「……はい。なので、ちゃんと生きます。生きて……っ、ノアさんのこと、覚えてます」

 

「……はい」

 

「好き、なのに……愛してる、のに……どうして、どうして……」

 

どうして誰も助けてくれないのか、なんて。

きっと、そんな悲恋をしたのは、もっと世の中にはたくさん居て。きっと2人の恋も、それと同じ、救われないもので。奇跡なんて起きないから、彼は助からない。

彼の死は、奇跡というものの希少性を持ち上げるための犠牲の一つとなる。彼は特別ではなかったから。彼は奇跡によって救われるに相応しい器など持っていなかったから。奇跡は起こらないし、死は覆せない。

 

レフィーヤは泣きながら縋り付く。

きっとアイズよりも、誰よりも、彼女が一番に彼のことを想っていた。彼女が誰よりも愛していた。ぎゅっと手を握り締める。いつだってそうしていたように。彼の左手はレフィーヤが握り続けて来たものだから。

 

「……あの、ね」

 

「……」

 

「謝ることしか、出来ないの……」

 

彼女のようには、泣けない。

 

「でも……私、ノアのこと好きになれた」

 

だからきっと、自分は後から後悔するのだ。

いつものように。

これまでのように。

大切な物に、大切なことに、手遅れになってから気付いて、後悔をする。ずっと続けて来たそんな馬鹿なことを、きっとこれから先もずっと続けていくことになる。

力を手に入れることを引き換えに手に入らなかったことを自覚して、絶望する。手に入れた大切なものを、こうして滑り落とす。

 

「私、もっと……大人になりたい……」

 

「アイズ、さん……」

 

今日まで一体、自分は、何をして来たのだろう。

彼のために一体、何が出来たというのだろう。

自分のことばかりで、彼に向き合えた時にはいつだって手遅れで、そうこうしている間に、こうしてもう、取り返すことが出来なくなってしまった。

アイズは思う。

彼を殺したのは自分だと。

自分の足りなさが、至らなさが、そして子供さが、恋を教えてくれた彼を殺したのだと。

都合の良い英雄なんてものを求め続けて、モンスターへの憎しみに囚われ続けて、自分にも相手にも力を求め続けた結果……人としてどれだけ自分が成長出来ていなかったのかを、思い知らされた。

 

「わたし、もっと……もっと、頑張るから……」

 

父と母を失った時とは違う。

恨める相手が誰も居ない。

強いて言うのなら、それは自分だ。

誰にも言い訳は出来ない。

憎しみを抱くことさえも、許されない。

 

「ごめん……ごめん、ね……」

 

アイズには彼とデートをした記憶が殆どない。

間違いなくした筈なのに。

キスだって、本当に下手だった。苦しそうな彼に無理矢理して。何をするにも自分のことばかり。何をやっても受け入れてくれる彼をいいことに、ずっと彼に何かを求め続けていた。……受け入れてくれるなんて、当たり前だ。好きな人の頼みなのだから。今こうして誰かを好きになったからこそ分かる。自分が本当に、どれだけ彼の気持ちを弄んで来たのかが。

 

「アイズ、さん……」

 

「……?」

 

「しあわせ、でしたよ……わたし」

 

「っ!」

 

こんな時でも、彼は。

 

結局自分は、最初から最後まで何も変わることなく。

こうして、彼に、気を遣わせて……

 

「だから……アイズ、さんも……」

 

「……うん」

 

「しあわせに、なって……」

 

「……うん」

 

アイズはまた、子供のように泣く。

レフィーヤや彼とは違う。

涙を手で拭って、子供のように泣きじゃくる。

ごめん、ごめん、と。

上手く、言葉に出来ないから。

小さな頃から成長出来ていなかった、彼女の幼い感性が。隠すことも出来ず表に出て、涙を流していた。泣いても謝っても、彼は許してくれるけど、他ならぬ自分は絶対に許してくれないのに。

 

「……それでは、ノア様」

 

「はい……」

 

「このまま、意識を落とします。……それで、本当に最後になります」

 

「……ありが、とう……ござい、ます」

 

「お礼を頂けることでは、ありません……」

 

気付けば、もうまもなく予定の時刻。

 

少しずつ、彼の眠気が深まっていく。

 

もう目を開けているのも、精一杯。

 

彼はこのまま心地の良い眠りに入りながら、命を落とすことになる。

苦しみなど絶対に与えない。

安楽死を選んだからには、絶対に苦しませない。

アミッドの神がかり的な調整がそこにあったから。

 

 

……だから、これで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

 

 

足音が響く。

 

2人分の走る音。

 

それが聞こえた瞬間に、アミッドは魔法を納める。

彼を永久に眠りの中に落とす最後の引鉄であるそれを、引き止めた。

 

何故ならまだ、ここには要るべき筈の2人。否、2柱が居なかったから。なんなら彼女は今この瞬間まで、その最後の最後まで、彼等の成果に賭けていたくらいだったから。

 

「アミッド!ストップや!!」

 

「……ロキ様!」

 

「ヘルメス様……!」

 

「すまないが、全員手伝ってくれ!ノアをある場所に連れて行きたい!……"戦場の聖女"、可能だろうか」

 

「無論です。必ず保たせてみせます」

 

「それは心強い、頼んだ」

 

「だとしたら、彼は僕が運ぼう。……アミッド、君もベッドの上に乗っていて欲しい。少々見栄えは悪いが、緊急時だ」

 

「問題ありません」

 

2人の言葉を聞いた瞬間にフィンは窓を開け放ち、彼とアミッドを小さな簡易ベッドに乗せて持ち上げる。これこそ自分の仕事だとばかりに、突然の対応にも関わらず、迷うことなく指示を出した。……間に合ったのなら、あとは行動するだけだ。迷っている暇など何処にもない。

 

「あ、あの……!た、助かるんですか!?ノアさんは!!」

 

「「………」」

 

レフィーヤの問い掛けに、ロキとヘルメスは俯きながら目を逸らす。……ああ、そうだろうとも。そんな都合の良いことなど起きるはずがない。彼等2柱が探し出して来たのは、そんな都合のいいものではない。むしろこうして間に合ったことの方が、よっぽど奇跡に近くて。

 

「ロキ、場所は?」

 

「ダイダロス通り!その手前の裏通りを抜けたところにある大きい建物や!そこにノアの元主神がおる!」

 

「え……」

 

「それはまた、随分と草の根分けて探して来たものだね」

 

「全くや!マジで見つけた時は奇跡かと思ったわ!!」

 

そういう余計なところにばかり奇跡は起きてしまうこともまた、本当に皮肉なところ。それに仮に今の発言がレフィーヤの想像通りだとするのなら、それもまた……

 

「あ、あの……!それなら、私が先導します!」

 

「レフィーヤ……?」

 

「魚館のことですよね!?私、知ってます!……ノアさんと、行ったことがあります!!」

 

「「!?」」

 

ある意味それは、皮肉なものだった。

ロキにとっても。

レフィーヤにとっても。

そして……ノア自身にとっても。

 

 

 

 

 

 

 

「……ということは、貴女は」

 

「そうさ、あたしだって自分の住んでる場所に自分以外の誰かが居ることくらい気付いてたさ。……けどねぇ、それでいいと思ってたのさ」

 

「それは、何故だろう?」

 

「魚達が受け入れてたからだよ。……それと孤独だったからねぇ。誰かは知らないけど、誰かが居てくれるのは心地良いのさ。たとえこの目には見えなくとも、ね」

 

「……そう、か」

 

 

 

「アポロン!!」

 

日も沈んだ後。

その館の前にある唯一の灯りの下で、彼等はその人物達を待っていた。

フィンによってベッドごと運ばれながら走ってくる彼とその一団の姿は、何も知らない者達には本当に何事かと思うような姿であろう。特にロキはリヴェリアに、ヘルメスはアスフィに担がれているのだから。それはもう本当に。

しかしそれは何しても、ロキ・ファミリアにヘルメス・ファミリアの幹部陣がやっていることだから。きっと誰が見ても、普通ではないことが起きていることは分かる。……実際に、普通ではないことは起きている。

 

「間に合ったか!ヘルメス!!」

 

「ああ!なんとかな……!!」

 

「……魚館の、お婆さん」

 

「ああ、ノアの彼女さんだったかい?……やれやれ。話には聞いてたけど、全く」

 

「………」

 

「……ババアより先に死ぬもんじゃないよ、ノア」

 

「………」

 

きっと、何も知らなかったであろうこの魚館の主である彼女は、常連でもあり、孫のように可愛く思っていたノアがこのような状態になっているということもまた知らなかったのだろう。それこそ、こうしてヘルメス達に教えられるまでは。

 

「……こんなババアの長話にも付き合ってくれたアンタがこんなことになっちまうなんて、世の中ってのは残酷なもんだ」

 

「……」

 

「もう少しだけ頑張りな。会わなくちゃいけない相手が居るんだろう?……男の子なんだ、アンタなら出来るさ」

 

ベッドの上に横たわり、既に言葉も話すことのできない彼に、お婆さんは元気付ける。言葉はまだ聞こえているらしく、表情だけはそれに応えてくれるから。

あと少し、もう少しだけ。

彼に、気力を与える。

 

「さ、全員入りな。部外者のあたしはここに居るさね。……案内は嬢ちゃん、アンタが出来るね?」

 

「……!はい、任せてください」

 

以前は彼がそうしてくれたように、今度はレフィーヤが先頭を歩く。以前と同じように薄暗い一本道の廊下。段差はそれほど無いが故にベッドの上の彼にもそれほど影響はなく。

前に来た時には、この廊下も、突き当たりの扉も、通る時には彼の背中があって。ずっと、彼が手を握っていてくれたから。少し肌寒くはあったこの通りも、寂しさとかは無かったけれど。

 

「レフィーヤ、ここは一体……」

 

「……魚館です。ノアさんがこのオラリオで、一番に好きな場所です。それこそ、ヘルメス・ファミリアに居た頃から定期的に来ていたとか」

 

「そんな場所が……」

 

「それに、ここがどういうところなのかは……入ってみれば、分かると思います」

 

そうしてレフィーヤは、最後の扉を開ける。

今度は彼の前に立って。

彼に背中を見せるようにして、押し開ける。

 

 

 

「……ぁぁ」

 

 

 

青色の空間。

相変わらず、綺麗な空間。

そこに踏み入れた瞬間に、誰もが声を失う。

それはきっと、誰であっても変わらない。

まるで海底を歩いているような、水底に沈んでしまったような、そんな感覚。

 

 

 

「……あぁ」

 

 

 

誰もが上を見上げる中。

けれど彼だけは、違った。

多くの魚達が自由自在に泳ぎ回り、あまりにも美しい光景が広がっているこの空間の中で。彼だけは、その空間の中央に眼を留めていた。何も存在しない筈の、誰にも何も見えていない筈の、その空間に。

 

 

「……アポロン」

 

 

「ああ……居る。私には、分かる」

 

 

ずっと、ずっと感じていたから。

ずっと、ずっとそれを見て見ぬふりをして来たから。

だからそれを失った時、感じなくなってしまった時に、酷い違和感と喪失感を感じてしまった。ずっと自分に向けられていた視線が、いくつもの視線が、この世界の何処からも消えて無くなってしまった時に。むしろそれを受け入れられなくなった。

 

 

「……光明の神、アポロンが命じる」

 

 

「っ」

 

 

「昏き世に隠された真実。目に見えぬ闇に囚われた囚神。……今一時だけで良い。我が目の前に、その姿を映し出せ」

 

 

太陽を司る神。

それは他の神と比較しても、相当に重要な権能を持った神であるとも言える。故に彼は実は天界ではそれなりに忙しい立場に居て、重要な立場に居て。そして本当に意外にも、地上での彼の姿を見ては想像出来ないかもしれないけれど、かなりモテた。

……だからこそ、だろう。

だからこそ、多くの恋をして、多くの間違いを犯した。

 

彼がその背に背負った日の光が、この暗い空間に隠された存在を映し出す。一時的な全てを照らし出す光の顕現によって、本来見える筈のないものが映し出される。

 

 

「っ」

 

 

栗色の長い髪。

青と黄色の薄いドレス。

その顔に浮かぶのは悲しい笑み。

 

……ああ、と。

その場にいる誰もが納得した。

 

彼女こそが。

この女神こそが、ノアの主神であると。

 

だってそれほどに、彼女の雰囲気はノアにそっくりだったから。そしてレフィーヤは、よりその感覚を強く感じていた。今こうして目の前の女神が来ている衣服が、デートの時にノアが着ていたものにそっくりだったから。

……こうして見ると、本当に。

ノアの笑みも、精神性も、きっと、この女神にそっくりなもので。

 

「まさか……貴方が来てくれるとは思わなかったわ、アポロン」

 

「今、ようやく分かった。この世界で私に向けられる視線の多くが消えた理由が。……つまり、この世界から向日葵という花の全てが消えた理由が」

 

「……気付いて、くれたのね」

 

「……気付かないふりを、していた」

 

彼女はゆっくりとした足取りで歩き出す。

その歩き方は酷くぎこちなく、危うくて、とてもゆっくりで。

……きっと、彼女もまた、限界が近くて。

 

「ノア……」

 

「ぁ……」

 

彼のベッドに辿り着き、言葉をかける。

その瞬間に彼もまた、反応する。

 

「ノア……私よ……聞こえる?」

 

「………く……りゅ……」

 

「ノア……!」

 

ゆっくりと持ち上がった手を、握って、乗り出す。

 

「くりゅ、てぃ……え……さ、ま……」

 

「そうよ、私よ……ごめんね、ごめんね、ノア……」

 

きっとそれは、ノアの、最後の踏ん張りだったのかもしれない。懸命に声を出して、手を握り返して、目の前の女神と、同じような顔で、同じような笑みで、同じように涙を流す。

本当にそっくりな2人は、泣いている姿までそっくりだった。

 

「私、あなたに……幸せになって、欲しかったのに……!こんな筈じゃ、なかったのに……!!」

 

「……ぁ」

 

「もう一度、もう一度だけ……あなたに、会いたかった……!あなたに笑って、名前を呼んで、欲しかった……それだけ、だったのに……!!」

 

それなのに、それを求めていただけだったのに。結果的にこうして、彼は2度目の死を迎えようとしている。それこそ、以前の時よりも時期を早めて。

……ボロボロと流した涙が、彼の頬を濡らす。女神クリュティエにとって、自分を母親にしてくれた大切に育て、愛した子供が。今正に自分の腕の中で息絶えようとしている。

 

 

……だから。

 

 

 

 

「ぁ……り、がと……ぅ……」

 

 

 

 

 

「っ……………っうぅうううああああああ!!!!!!!!!!!」

 

 

「っ、クリュティエ!?何をしようとしている!!やめろ!!」

 

「止めないでアポロン!!止めないで!!」

 

「そんなことをしたら君まで……!!」

 

「そうだとしても!!そうだとしても……!!この子は!この子は!!

 

私の子だから!!!」

 

「っ」

 

「私の大切な、息子だから!!」

 

 

握り締めた彼の手から力が抜けた瞬間に、女神クリュティエはその神力を解き放つ。まるで大きな花を象るように黄色の光が2人を包み、小さく、色を濃くしながら、それはゆっくりと実体を持った何かへと変わっていく。

……それは決して世界に混乱を齎すものではない。誰かを傷付けるものでもない。神が、天界が、咎めるほどのものでもない。

 

ただ。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

「……馬鹿な、ことを」

 

 

「……もう、取り返しつかへんぞ」

 

 

「いい、のよ……これで……。だってもう、これ、しか……っ」

 

 

 

 

 

「ごめんね、ノア……ごめんね……」

 

 

 

 

「……ぁ」

 

女神クリュティエが、黄色の欠片を持って、泣き崩れる。彼女自身も限界なその身体を床に落として、泣き続ける。

 

……その瞬間に、理解してしまった。

 

分かってしまった。

 

きっとあの欠片こそが、彼なのだと。

 

そして今もそこにある、もうピクリとも動かなくなってしまった彼は……

 

 

「ぁ……ぁあ………」

 

 

「………っ」

 

 

 

 

 

「……お亡くなりに、なりました」

 

 

 

「「「っ」」」

 

 

死亡宣告は、告げられた。

 




最終回ではないです。


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57.絶望○底

きっと、数多ある人の死に方の中では。

過去の多くの冒険者達が直面したそれと比べれば。

それは十分に、救われた死に方だったのだろう。

 

……そんなことを冷静に考えながら、今にも自分の頬を殴ろうとする右手を抑えつける。それでもと暴れ出しそうなその身を、唇を噛み締めて食い止める。

 

何が救いだ。

何が報いだ。

 

どうしてこの世界はこんなにも、残酷なのだ。

 

 

リヴェリアは泣いている者達を見て、もう数十分もこのままに悲しみに浸っている空間を見て、ただただ立ち尽くすことしか出来ない。遂に辿り着いてしまったこの結末を、どれほど時間が経っても受け入れることが出来ない。

 

 

 

「クリュティエ……」

 

 

「…………私に、構わないで。アポロン」

 

 

「だが……」

 

 

「私は……貴方に、照らされるべきなんかじゃないの……」

 

 

「……」

 

 

「私は……もう、いいの……」

 

 

「「っ!?」」

 

 

彼女がそう言葉にした直後、彼女の足元が突如として青色の炎によって発火した。

突然のその現象にリヴェリアも含めて周囲の全ての者達が驚くが、しかし彼女のそんな姿を見ても驚くことなく眉を顰めるだけだったのは、他ならぬ神々だけであった。

彼等だけは、こうなることを知っていた。

知っていたからこそ、驚くことはなかった。

 

「……止めても止まらないのは、本当に、ノアにそっくりだな」

 

「……違うわ。私があの子に似たんじゃない。あの子が私に似てしまったの」

 

「……そう、かもな」

 

彼女の足から発火した青い炎は、少しずつ彼女の身体を焼いていく。しかしロキはそれすら気にすることもなく、彼女に肩を貸し、立ち上がらせた。

それを見たレフィーヤはフラフラと近くに置いてあった、ノアが持ち込んでいた敷物を持って来て、彼女の近くへと敷く。……そしてアミッドは、そうしてロキに座らされた彼女の横に、彼の亡骸を持っていった。

 

……もう、誰もがなんとなく察していた。

 

 

 

「魂の、物質化……」

 

 

「……!」

 

「この子を、少しでもこの世界に残すには……こうするしかなかった」

 

「………」

 

「それでも、半分くらいは、消えてしまったけど……」

 

彼女はそうして自らの手に握っていたその黄色の欠片を、目の前のレフィーヤへと手渡す。今も目を真っ赤にして、もう流す涙もないほどに泣き散らして、声すら掠れてしまっている、彼女の元に。

 

「……いいん、ですか?」

 

「いいの。貴女にしか、任せられない」

 

「でも……」

 

「少なくとも、私は……最初から貴女しか、信用していない……」

 

「……!!」

 

「私はね、レフィーヤちゃん。善神なんかじゃないの。……だから自分のことは棚に上げて、誰かのことを憎むことが出来る。そんな自分のことを最低だと思うけど、その衝動に動かされて、他人に酷いことだって出来る」

 

「女神、様……」

 

「……」

 

「ねえ、剣姫?……私、貴女のことが嫌いよ」

 

「っ」

 

「だから……これから私がすることで、死ぬほど苦しんで欲しいって。理不尽かもしれないけど、心から願ってるわ」

 

「!?」

 

「待て、待てクリュティエ……!何をする気や!?」

 

「契約を守るだけよ。……本当は、こんなことのために結んだ契約では無かった筈だけれど」

 

「契、約……?」

 

神ではない彼等には、そのやりとりが分からない。今も聞いているだけでは、何が起きているのかも分からない。何が起きようとしているのかも分からない。しかしそれは神々である彼等とて同じ。しかし契約という言葉の持つ重みだけは、神である彼等はよく分かっていた。

 

「大丈夫。レフィーヤちゃんとアキちゃんには、そんなに影響は無いはずだから。……他の子達は、知らないけど」

 

「クリュティエ!契約って、何の契約や!?今更なにをするつもりなんや!?」

 

 

 

 

「……前の世界の記憶を、戻してあげる」

 

 

 

 

「「「なっ!?」」」

 

目を見開く。

体を強ばらせる。

 

だってそれは、あまりにも……

 

あまりにも、恐ろしい契約だったから。

 

「これはね、私が消える時に履行することになっていたの。私が消えることは殆ど分かっていたから。だからそこを鍵にした。……全員が前のことを思い出して、全員がこの子と同じ目線になれるように。本当の意味でこの子を孤独から救ってあげられるように。……対価として提案してくれたのは貴女よ、"剣姫"」

 

「私、が……」

 

「下級の女神、殆ど妖精と言っても良いほどに神としての力のない私がこんな大それたことをするには、契約で色々と補強して貰う必要があったから。……だから、この契約は私にだってもう止めることは出来ない」

 

言うなればそれは。

その全てが、自分達で蒔いた種ということ。

クリュティエ自身にも止められない。

そもそも止めるつもりもない。

だって、苦しんで欲しいから。

泣いて欲しいから。

分かっているとも、それは理不尽だと。

このまま自分だけが消えれば済む話だと。

けれどクリュティエという女神は、そうして素直に消えることが出来るほど善神ではないから。いつもそうして間違いを犯してから、酷く自分を罰する神だから。

 

だから……

 

 

 

 

「みんな、苦しんで?」

 

 

 

契約は、履行された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今度こそ、気付いてみせます」

 

「……」

 

「今度こそ、彼を幸せにしてみせます」

 

「……」

 

「だから、お願いします……私も、協力させて、ください……」

 

「……」

 

女神クリュティエがレフィーヤやアキ達と時間を巻き戻すということについて話していることを知ったのは、アイズにとっては本当に偶然のことだった。

フィンによって最近のレフィーヤと女神クリュティエの関係について調べて来て欲しいと言われ、そうして彼等の話している内容について、アイズは扉越しに聞いてしまったのだ。……それがフィンの思い通りだったかどうかは、ともかくとして。

 

「お願いします……」

 

「……」

 

何も迷うことはなかった。

そしてその言葉にも、偽りはなかった。

ずっと、後悔していたから。

 

彼が亡くなった後。

偶然にリヴェリアの部屋で彼の日記を見つけてしまって、それを読んでしまった時から。ずっとずっと、後悔していたから。そして頭が滅茶苦茶になっていたから。自分を追いかけてロキ・ファミリアに入って来た彼のことは、彼との出会いは、アイズだって、ちゃんと覚えていたから。

どうして、どうして気付けなかったのだろう。

どうして分からなかったのだろう。

少し考えれば分かる筈だったのに。

彼はあんなにも苦しく悩んでいたのに、どうして自分はそれに気付くこともなく、見ることもせず、能天気にしていたのだろうと。ずっとずっと後悔していた。それを忘れるために、その思考の苦しさから逃げるために、とにかくダンジョンに潜ったりもした。戦っている間は何もかもを忘れられたから。そうやって逃げ続けていた。そうして自分の責任から逃げ続けていた。

 

……だから。

もしかしたらこれも、逃げだったのかもしれないと。

今更ながらにそう思う。

過去に戻ってやり直すなんていう甘い言葉に惹かれて、その責任から逃げ出すために食らいついたのではないかと、今更になって、そんな光景を思い出しながら、そう思う。

 

「……確かに、この計画に貴女が協力してくれるのなら、私達にとっても都合は良いわ。結局のところ、この街で1番に運命を切り開ける力を持っているのは貴女だもの」

 

「それなら……」

 

「でも、信じられない」

 

「っ」

 

「過去に遡っても、本当に貴女は気付けるの?この3年間、あの子の気持ちにずっと気付けなかった貴女が」

 

「それ、は……」

 

「それなら私は、レフィーヤちゃんに賭けたい。私がここに帰って来たと知って、何より最初に謝りに来たあの子に。……確かに可能性はずっと低いけれど。少なくとも、今日の今日まで逃げるようにダンジョンに篭っていた貴女よりは信頼出来る」

 

「っ」

 

神の目は誤魔化せない。

アイズがクリュティエから逃げていたことなんて、彼女はとうに気付いていた。

だから計画の中心はレフィーヤを据えていたし、正直ノアの性格を考えるに可能性は低いけれど、レフィーヤがノアの心を惹くことが出来ることに賭けようとしていた。

 

「お願いします……」

 

「……」

 

「絶対、絶対に、役に立ちます……ノアのこと、助けます。ノアのこと、幸せにしてみせます……だから」

 

「……信用出来ない」

 

「……」

 

「…………でも、確かにあの子を救うのなら。貴女が居てくれた方が可能性が高くなるのは、本当」

 

「!」

 

「だから……私の感情だけで判断するのも、違うわよね」

 

「クリュティエ様……!」

 

正直クリュティエとしては、気は乗らないというか。正直アイズを自分の大切な子の恋人にするには、あまりに頼りないと思ってしまうけれど。

……それでも、その子が愛した子だから。母親である自分が子供の恋人まで選ぶというのは、流石に違うと思うから。

 

「いいわ、貴女にも記憶を思い出せる道具を作ってあげる」

 

「ありがとう、ございます……!」

 

「……でも、そのためには貴女とあの子の明確な繋がりのある物が必要なの。何か持っているかしら?」

 

「それ、は…………日記、とか……?」

 

「日記……ノアの?」

 

「は、はい……」

 

「……繋がり、あるのよね?」

 

「……読んだだけ、です」

 

「う〜ん……」

 

実際、アイズにはノアとの繋がりになりそうな物は殆ど無かった。彼が亡くなった後からアキとレフィーヤは肌身離さずに花飾りだとか手帳なんかを肌身離さず持っていたけれど、しかしアイズにはそういうものはない。日記だって、どちらかと言えばリヴェリアがずっと持っていたものだ。偶然に読む機会があっただけ。それを自分の物だと言い張るのは、なかなかに難しいことだろう。

 

「……それしか、ないのよね」

 

「……はい」

 

「そうなると、やっぱり効き目は悪くなるわ。過去に遡ると言っても、何処まで届けることが出来るか……少なくとも、レフィーヤちゃんやアキちゃんと同じ地点まで届けることは出来ない。つまり、思い出すのも彼女達よりずっと後のことになる。思い出せるかどうかも、貴女次第になる。それでもいい?」

 

「は、はい……」

 

「……もちろん、時間遡行の起点にするのは貴女達になるから。それでも強い感情は多少は残ると思うけど」

 

「……絶対、助けてみせます」

 

「……分かったわ。信じるわよ、アイズちゃん」

 

「はい、絶対に……」

 

思い出す。

そんなやりとりをしたことを。

そうして約束をしたことを。

 

「ぁ………あぁ……」

 

その約束は、果たせただろうか。

自分は、何をして来ただろうか。

あの時の自分は、本当に、彼を助けようとしていたのだろうか。

 

……むしろ自分は、彼ではなく。

 

自分自身を。

 

 

 

 

 

 

 

「すまない……すまない……」

 

「……」

 

「私が、私が愚かだったんだ……貴女から、任されたのに……私は、私は、何も……」

 

「……顔を上げて、リヴェリアちゃん」

 

「私は、私は……!!」

 

リヴェリアは額を床に擦り付ける。

それほどに強く謝罪する。

そんな彼女の姿を他のエルフ達が見てしまえば、きっととんでもないことになってしまうだろうけれど。しかし彼女は、それでも……自分のことが、許せなかった。

 

「すまない……すまない……」

 

「……顔を上げなさい」

 

「…………っ!?」

 

顔を上げたリヴェリアの頬に、クリュティエは平手打ちをした。

 

「……リヴェリアちゃん。確かに私は、貴女のことが憎いと思ってる。あの子のことを守れなかったこともそうだけど。何より、あの子のことを見てあげなかったことも」

 

「っ……」

 

「でもね、私も悪いの。ううん、私が1番悪い。……自分のことばかり考えて、あの子を放って。天界に帰ろうとした。あの子のことを貴女達に押し付けようとした私だって、当然悪い」

 

「そんな、ことは……」

 

「私は貴女が憎いけれど。それと同じくらい、やっぱり貴女のことが好きなの。……友人として、好ましいと思ってる」

 

この女神は、善神ではない。

けれど、慈悲深い女神だ。

大切な相手のためならなりふり構わなくなる。

けれど、それでも優しい女神だ。

 

リヴェリアのその謝罪が心からのものだと分かった時から、責めるつもりなどもうなかった。彼女のそのやつれ様を見た時から、責めることなど出来はしなかった。自分が罰を与えるより前に、彼女は自分自身で罰を与えていたから。クリュティエ自身がそういった気質を持っているが故に、彼女はそういった自罰を尊重していた。そうすることによって得た、反省を。無碍には出来なかった。

 

「……女神クリュティエ、頼みがある」

 

「……なにかしら」

 

「貴女やレフィーヤ達が、何をしようとしているかは……概ね理解している」

 

「……そう」

 

「私を、信用しないで欲しい」

 

「!」

 

「頼む、お願いだ……私なんかを、もう信用しないで欲しい。私なんかに、あの子のことを、任せないで欲しい」

 

「貴女……」

 

「私は、私が思っていたよりずっと、考えが足りていないんだ……それが今回の件で嫌というほどによく分かった。私ではあの子のことを、幸せには出来ない……」

 

「……分かったわ。今回の件に、貴女は巻き込まない」

 

「すまない……すまない……」

 

「いいのよ、最初からそう言って貰えた方がこちらとしても楽だもの。……ごめんなさい。恨むなら私を恨んで。全て私が悪いのだもの」

 

彼女はそう言った。

そう言って、悲しげに笑った。

あの子と同じ笑顔で。

 

「ぁ………ぁあ……」

 

そうだ、そうしたんだ。

関わらないと、関わらせないで欲しいと。

そう願ったのだ。

 

……そう、逃げたのだ。

 

あの苦痛から。

あの涙から。

そうして。

 

 

 

 

「……まさか、貴女が見逃してくれるなんて思わなかった。ロキ」

 

「……まあな」

 

だからそれは、最後の前日。

その夜にロキの部屋を訪れた彼女は、部屋を暗くした月明かりの下で、互いの顔を見ることもなく言葉を交わした。

 

「……このままやと、オラリオは終わる」

 

「……」

 

「必死に戦力を掻き集めとるけどな、それでも敵の手が未知数過ぎる。ここ数日フレイヤの所に行ったりして、動いとったら。結局、敵の正体を見破ることすら出来んかった。……勝てたとしても、うちのファミリアは半壊する」

 

「……だから、貴女にも都合が良いってこと?」

 

「それがほんまに出来るんならな。……正直、半信半疑ってとこや。どうやったって天界からの干渉は防げんやろ」

 

「それが、そうでもないのよね」

 

クリュティエは未だに血の跡が残っているボロボロのカバンを撫でながらそう言う。言わずとも、それはノアの物だった。彼が最後の瞬間まで身に付けていた、それ。

 

「私は下級の女神ではあるけれど、神として当然である"不変"という性質を破ったことのある数少ない例外」

 

「……!」

 

「水の妖精でありながら、太陽に焦がれ、対となる大地根付く向日葵となった。……後天的に身に付いたこの権能だけは、特別なの」

 

故に女神クリュティエは。

自身の身で神力を行使することは出来なくとも、自身の分身である向日葵を用いることによって間接的に神力を比較的自由に行使することが出来るという、彼女にのみ許された想定外の特異性を持っていた。それは孤立していたが故に誰にも知られていなかったもの。……もちろん、それは通常の神力とは違い、非常に出力の弱いものにはなってしまうけれど。それだけで世界を変えることなど、到底出来はしないけれど。

 

「自分の存在くらいなら、消せる」

 

「……ほんまに、そこまでするんか」

 

「同じ手段が使えたのなら、今の貴女なら、絶対にやらないと言い切れる?」

 

「………」

 

「私はするわよ、ロキ。……だってこんなの、受け入れられない。あの子が幸せになるためなら、自分自身が死んだっていい」

 

「……そうか」

 

子供達にはまだ来世があるのに。

……などということは、ロキには口が裂けても言えなかった。ならば同じように自分の眷属達が全滅したとして、自分をそれで納得させることが出来るのかと問われれば、そんなことは絶対に出来ないから。……自分だって今こうして、そのやり直しを見過ごそうとしているのだから。

 

「……すまんかった」

 

「駄目、許さない」

 

「……」

 

「許さないけど、別に何もするつもりはないわ。私がただ貴女を恨んで、これはそれで終わり。私は貴女を罰しないし、叩いてもあげない」

 

「……」

 

「……だから、せめて次は、愛してあげて」

 

「……ああ」

 

「次に思い出した時に、貴女が絶望しないようにしてあげて」

 

「……分かっとる」

 

「お願いよ、ロキ。……次こそは、次だけは。もう、私には手が出せないから」

 

「……約束する」

 

そうして、交わした筈だ。

そうして、言葉にした筈だ。

次こそ、絶対に、そう言って。

 

「……あぁ」

 

今、絶望しているだろう。

今、笑っていられるだろうか。

今、何を思っている。

 

今、自分は心の内に、何を感じているだろうか。

 

 

 

 

 

「ぉっ………ぅぇっ……」

 

 

「アスフィ!!アミッド!!剣姫を!!」

 

「わ、分かってます!!」「はい!」

 

 

「………っ、ぁ……ぁあ……ぁぁぁあぁぁあああああああああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

「剣姫!!落ち着いてください!!剣姫!!くっ……!!」

 

「おやめ下さい!!そんなことをしては……!!」

 

 

 

「はっ、はっ、はっ、はっ、はぁっ……」

 

「ゆっくり、ゆっくりと呼吸をするんだ。……そうだ、一度思考を捨てろ。情報を1つずつ整理していけ。全てを曖昧に受け入れてはならない、1つずつ見据えるんだ」

 

 

 

「ぁあ……ぅっ、ううぅぅぅぅああああああああああ……!!」

 

「っ……リヴェ、リア。駄目だ。感情に飲み込まれるな。思考に浸るな、リヴェリア!」

 

ヘルメスはもう何もない胃の中のものをまだ吐き出そうとしているレフィーヤの背を摩る。アスフィはアミッドと共に自傷行為をし始めたアイズを必死になって止める。アポロンは過呼吸になり始めたアキをゆっくりと諭し。フィンは自分自身もその影響を受けながらも、それでもより強い絶望を味わったリヴェリアを揺さぶった。

 

……地獄絵図。

 

本当に、そう言っても差し支えなかった。

 

けれど、そうなってしまっても仕方のないことではあった。それほどになってしまっても当然な、状況であったから。

 

最悪の、最悪の追い討ち。

二重の絶望。

二重の罪悪感。

 

片方だけでも耐えられなかったそれが、今こうして彼等に重なって襲い掛かっている。それはどれほど強い精神を持っていたとしても、どう耐えれば良いというのか。

前の時にはノアとはそれほど関わりを持っていなかったからこそ、ヘルメスもアスフィも平気でいられる。関わりの深かった者ほど、それは辛いのだ。

彼を助けられなかったという事実が、その意味が、その受け止め方が、大きく変わってしまう。単に彼を助けられなかったのではない。2度も助けられなかった。……どころか、それまでの自分の全ての行動が刃となって突き刺さって来る。あらゆる全てが自分を殺す刃物となる。

 

……それは、そう約束した者に特に。

 

その約束を守ることが出来ず、どころか逆に傷付けるような真似をしてしまった、自分達に。仕方のないなどという言い訳は、他の誰が言ったところで、彼等自身を納得させる言い訳になどなってはくれないから。

 

 

 

「……やっぱり。あまり、気分の良いものではないわね」

 

そんな彼等を見て。

クリュティエはいつものように悲しげな笑みを浮かべて、呟いた。



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58.誓○

誰も救われない。

誰も笑うことなど出来ない。

誰も幸せになることなんて出来ない。

 

「私は、わたしは……なんで、なんで……なんでなんでなんでなんでなんでなんで!!!!!!!!!!!」

 

「剣姫!!落ち着いてください!!」

 

「アイズさん!!」

 

でも、知らなかったから。

覚えていなかったから。

そんなの、仕方のないことだ。

 

……そう言うことは簡単だ。

 

ならばそれを受け入れられるのか?

そう言い訳することが出来るのか?

そんなの無理に決まっている。

 

「わたしは、今度こそ……今度こそ!!ノアのこと、助けないと、いけなかったのに……!!」

 

彼の想いに、必ず気付くと。

今度こそ幸せにするのだと。

そう約束したはずなのに……それなのに。

ずっとずっと、自分のことばかりを考えていた。一度も以前のことを気付くことなど出来ず、思い出すことも出来ず。今この瞬間まで、忘れていた。どころか多少は残る筈だった感情が、残っていてもこの様だった。

何をしていたんだと。

自分は何を考えていたんだと。

自分はあの時、本当に後悔していたのかと。

ただ楽になりたかっただけなのではないかと。

そうして、結果的に1度目と変わらず彼のことを傷付け続けていた自分を思い出し、許せなくなる。能天気に彼の想いを弄んでいた自分を。手遅れになってからしか向き合えなかった自分を。ただ只管に自分を助けてくれることだけを求め、彼を助けることなど、遂には出来なかった自分を。

 

「……死んでしまえ」

 

死んでしまえ。

死んでしまえ。

自分の方がよっぽど死ぬに値する人間ではないか。絶望する。切望する。あまりに幼稚なことしか考えていなかった過去の自分に、殺意すら抱いてしまう。どこまでも自分本位な自分に、嫌悪すら抱いてしまう。

 

 

「………クリュ、ティエ」

 

「思い出した?ロキ」

 

「……ああ」

 

「どんな気持ち……?」

 

「……お前と、一緒や」

 

「そう……」

 

「……いや、お前の方が辛いに決まっとる」

 

「そんなことはないと思うわ。……だって私はもう、絶望し切ってしまったから」

 

「……」

 

既に炎は彼女の腰元まで来ている。彼女の足は完全に焼失し、彼女はノアの手を握りながら自身の完全な消滅を待っている。

……生まれ変わりなどない、永劫の消滅を。

 

「自分の存在を賭けてまで、する必要があったのかクリュティエ……魂の物質化なんて」

 

「さあ、どうかしら……でも、この子が消えるのなら、私も消えるのが筋だと思うの」

 

「クリュティエ……」

 

「私はそういう女。それは貴方が1番よく知っているでしょう?アポロン」

 

「……」

 

ノアは消えた。

クリュティエもまた消える。

 

彼等主従はこうして皆の心を荒らすだけ荒らした後に消え去り、2度とこの世界に姿を現すことはない。

これが時間を巻き戻し、辿り着いた結末。

 

結局、前の世界と同じように。

この世界も恐らく、行き詰まる。

 

……つまりは、何も変わらない。

変わることはない。

 

同じように挑み。

同じように敗れ。

同じように犠牲を出す。

 

ただ、彼の魂が消えただけ。

ただ、一柱の女神が消えるだけ。

 

そういう意味で言うのなら、逆に、やり直す前より、状況は悪くなったと言っていいのかもしれない。けれどそれはきっと、世界をやり直そうとしたが故の罰だから。罪に対する、明確な代償だから。

だからきっとこれは、仕方のないことで。

 

 

 

 

「………違う、女神クリュティエ」

 

 

「……なにかしら、"勇者"」

 

「違う、違うはずだ。……まだ、他に手はあるはずだ」

 

「……フィ、ン?」

 

 

それでも、と。

 

勇者は、立ち上がった。

 

かつて見た英雄たる少年のように。

 

以前のあの時には難しかった彼の真似事を。

 

今この時こそ、それを再現するかのように。

 

 

「教えてくれ、女神クリュティエ。……貴女が最後の力を使ってでも、彼の魂を物質化した理由を」

 

「……」

 

「彼を……ノア・ユニセラフを救う方法は、まだあるんだろう?」

 

「え……」

 

 

フィンは看破した。

 

神の秘め事を。

 

何故なら、天界でも常にアポロンを見上げるだけであった彼女は。そもそも生来の気質もあって、他者との騙し合いなど得意ではなかったから。仮に神であったとしても、そういった経験など皆無に近かったから。

故にこうして対面して、言葉を交わして、感じた違和感を、フィンは見破った。彼女という女神の、善性も含めて。その、想いも含めて。彼は知っていたし、思い出したから。

 

「あるん、ですか……?本当に……」

 

「……」

 

「クリュティエ様……!!」

 

こうしている間にも、彼女の身体は消えていく。だから、時間がない。時間がないのだ。それを聞くためには、それを聞かなければ、どうしても……まだそこに、僅かであっても、可能性があると言うのなら。

 

「クリュティエ!!」

 

「教えて下さい!!クリュティエ様!!」

 

「……」

 

「頼む……クリュティエ!!」

 

 

 

「……………………………時を戻しても、運命を破れなければ、意味がない」

 

 

「それは分かっとる!」

 

 

 

「それなら、そもそも……破れる人間が、行けばいい」

 

 

「「「!!」」」

 

 

 

 

「……剣姫。貴女が過去に、行けばいい」

 

 

 

「!?」

 

 

彼女が話したのは。

本当にそれだけの、単純な話だった。

 

どうしても運命が破れないのなら。

破れる人間を送り込めばいいと。

本当にただ、それだけの話。

 

「わ、たし、が……」

 

「待て!!……それは、そんなに簡単な話やないやろ!!」

 

「そうね……最低でも、1柱の神の犠牲と。剣姫、貴女が死ぬ必要がある」

 

「な、何故だ!?何故アイズまで……!?」

 

「魂を送って……過去の貴女の魂と、同化させる。時の修正力と、天界からの干渉を、回避するには……これしか、ない」

 

「……肉体ごと送れば、時の女神の目を掻い潜れない。だが魂を送るには、肉体からまず切り離す必要がある。だから一度死ぬ必要がある、ということか」

 

「……そう」

 

それは最初から手段としてはあった。

しかしクリュティエはもう一度彼に会いたかったから、使わなかった。そもそもアイズが信用出来なかったから、複数人に可能性を分配した。

……そしてきっと、彼女はここでこの話をするつもりも本当はなかったのだろう。だってそんな話を聞いてしまえば、そうするしかなくなってしまうから。そうなれば傷付くのは、この件について1番に足掻いてきた彼女だ。クリュティエの友人たる彼女。だから教えず、このまま消えようとしていた。……彼等が気付いたその時に、一応の可能性だけは残して。

 

 

「駄目だ!!!!!!」

 

 

「………リヴェ、リア」

 

「そんなのは!絶対に駄目だ!!絶対に!!……やめてくれ、アイズ。やめてくれ、頼む……」

 

「……」

 

「ノアが居なくなって、お前まで居なくなるというのか?……そんなの、そんなもの!!認められる訳がないだろう!!」

 

 

 

「私は絶対に!!そんなことは許さない!!!」

 

 

リヴェリアは絶叫するように言葉にした。

当然だ。

当たり前だ。

クリュティエとて分かっていた。

そんなの、絶対に駄目だ。

これ以上、どうして失うことが出来るものか。

それは他の者達だって同じだ。

魂を移動させるということは、つまり、この世界からアイズの魂もまた消失するということだ。アイズが運命を変えた瞬間に、その時間軸と今ここに居る時間軸は分岐してしまうから。未来永劫、アイズの魂はこの世界に戻って来ないし、現れることもなくなってしまう。……彼女という英雄たる器が、完全に消失するのだ。それはつまりは、本当に、この世界にとっての絶望を表していて。

 

「……クリュティエ。この物質化した魂を、仮に剣姫の魂に乗せて過去の彼に渡した場合、どうなる?」

 

「……魂には、記憶が、宿ってる」

 

「「「!!」」」

 

「同化すれば、記憶も、ある程度……共有……出来る、はず」

 

「……それでも、運命は破れないと」

 

「……それは、過去の……剣姫、次第……」

 

「っ」

 

「ノアには……出来、ない……絶望、する、だけ……」

 

アポロンは目を瞑り、思考する。

消え掛ける彼女の頬に手を当て、流れるその涙に濡らされながら。心を定める。自分がすべきことを。自分の成すべきことを。自分のして来たことを。……そして。

 

 

 

「……過去への送還は、私がしよう」

 

 

「っ」

 

「……いいのか、アポロン」

 

「これは私の償いだ。良いも悪いも無い。……それに、別に私は消える訳ではない。これでも力だけはある神だからな。ただ天界に戻されて、罰を受けるだけだ。その程度で済むのなら、何を迷うことがある」

 

「アポ、ロン……」

 

「すまなかった、クリュティエ。私は、ずっと自分の罪に向き合うことを恐れていた……君に向き合うことを、ずっと、恐れていた」

 

「……それ、は」

 

「最後くらい、君の役に立たせて欲しい。……一度くらい、君の願いを叶えさせて欲しい」

 

もう2度と、会うことはないから。

何千年、何万年経っても、出会えることはないから。自分の全てを代償に力を行使した彼女は、このまま完全に消え去ってしまうから。

だからこの仕事は、この願いだけは。どうしても、他の誰にも渡したくない。この程度で自分の罪を償うことなど出来はしないと分かっていても、それでも。……レフィーヤ達と同じだ。最期くらい、愛した相手に、希望を持って欲しいのだ。きっと彼を助けてみせると、そう伝えたい。

 

「……私、行きたい」

 

「アイズ!!」

 

「……行かせて、リヴェリア」

 

「駄目だ!!絶対に許さん!!」

 

「行かないと……自分を、許せない」

 

「っ」

 

「ここで行かないと、私は……自分を、殺したくなる」

 

リヴェリアはアイズの首を見る。

自分の指で掻きむしった、その酷い痕を。

自分の血に濡れて、治療しても綺麗になることはない、その指を。

 

「ぁ……ううっ……」

 

そして理解した。

きっとここで行かなければ、アイズは、この絶望に耐えられなくなるのだと。それは遅いか早いか程度の違いでしかなくて。どちらにしても、必ず何処かで……アイズ・ヴァレンシュタインは破滅することになるのだと。

 

「……私も、行きます」

 

「レフィーヤ……」

 

「今更一緒は嫌なんて、言わないですよね。アイズさん」

 

「……うん」

 

きっともう、この世界は駄目なのだろう。

アイズ・ヴァレンシュタインとレフィーヤ・ウィリディスが消え、恐らくリヴェリアもまた再起不能になる。そして同時に彼女を起点とした最後の英雄の足取りは止まり、あらゆる全てが絶望へと突き進む。

フィンはそう直感した。

ヘルメスもまた、下唇を噛み締めた。

けれどもう、きっと、どうやったって、アイズを止めることは出来ないから。こうなってしまった以上、フィンもまた、この絶望に向き合わなければならないから。

 

 

「………駄、目」

 

 

「え?」

 

「クリュティエ、さま……?」

 

 

「今の、貴女では……駄目……」

 

 

「なん、で……」

 

 

 

「貴女の、こと……信用、出来ない……から」

 

 

 

「っ」

 

息が止まる。

睨まれるように向けられたその目に、身体が止まる。

それほどに、信用されていないのだと。理解する。

当たり前だけれど。当然だけれども。

そうだとしても。

……この気持ちまで、信じて貰えないというのか。

 

 

 

「せめて……世界の1つでも、救って、から……」

 

 

「!」

 

「女神、クリュティエ……」

 

 

「それ、くらい……出来ない、と……」

 

 

「……運命は、破れない?」

 

 

「……その、後でも……まだ……この子の、こと……救い、たいって……思える、なら……」

 

 

最後に彼女は、彼と繋いでいた自分の腕を一輪の小さな向日葵にして、アポロンに差し出す。

それは媒体だ。

自分が神力を使った時に用いたもの。

他の神では無理でも、それがアポロンであるのなら。その向日葵だって使うことはできるから。だってこれは、そして自分は元より、彼のために全てを捧げたものだから。

 

「ごめん、ね。リヴェリア、ちゃん……」

 

「……これで、相子、ということか」

 

「ごめん、ね……」

 

「クリュティエ!!」

 

そうして、最後の最後まで謝り続けた彼女は。

自分の子を亡くしたように、リヴェリアにもまた娘を亡くすことを半ば強制してしまった彼女は。完全に全ての力を使い切り、光の粒子となって跡形もなく霧散していく。

他の神々のように天界に送還されることもない。何故なら彼女は今この瞬間に本当に消失してしまったから。この世界に残すものは何もない。

似たもの主従は最後まで、その終わり方まで、変わらなかった。幸せになって欲しいと、思わせるだけ思わせて、消えていった。周りの者達の心に、深い深い、傷跡を刻み付けて。

 

 

 

「……世界を、救わないと。駄目、なんだって」

 

 

「……はい」

 

 

「ノアと会うためには……頑張らないと、いけないんだって」

 

 

「そう、ですね……」

 

 

きっとそれは、彼女が友人であるリヴェリアに残した猶予。

それと同時に、試されているのだろう。

本当に自分はそれが出来るのか。本当にそれが出来るほど強い気持ちを持っているのか。そうしてことを成した後に、結局お前は他の男に目移りするのではないのかと。死ぬことなど、出来ないのではないかと。

 

……そう、試されているのだ。

 

だって女神クリュティエは、アイズのことを、信用していなかったから。彼女がノアと一緒になることを、快く思ってはいなかったから。一度裏切られて、2度目を信じるなんてことは、彼女には決して出来なかったから。

 

「……アイズ」

 

「……時間、貰えたから」

 

「……ああ」

 

「次に会う時は、もっと……相応しい恋人に、なりたいから……」

 

「……はい」

 

「だから……」

 

きっともう、示すしかない。

自分の行動で、表すしかない。

気持ちの強さを、証明するしかない。

きっとそうして努力をして。やり直すための時間を、見つめ直すための時間を。彼女はくれたのだと思うから。

 

「もう少し……もう少しだけ待ってて、ノア」

 

もうそこには居ない彼に、言葉をかける。

しかしそれは決して会話ではなく、決意だ。

世界を救った後にも、きっと。その達成感に満ち溢れた後にも、絶望からの解放感に決して浸ることなく。もう一度この地獄に戻って来るという、そういう決意。世界の救済は単なる過程でしかなく、最後には必ず彼を助けにいくのだという、絶対の想い。

 

「絶対に……助けに行くから……」

 

他の誰にも目移りなんてしない。

どれだけ時間が掛かっても忘れたりなんかしない。

どんな障害に晒されても、絶対に立ち止まったりしない。

 

ここで彼女は決めたのだ。

自分はもう姫にはならない。

彼の元まで辿り着くその時まで、姫になることはない。運命に囚われた彼を助けるまで。もう一度彼を取り戻すまで。その時まで。

 

 

アイズ・ヴァレンシュタインは。

 

 

英雄にだって、なってやると。

 

 

そう、決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の星空。

曇る月明かり。

見上げる度に、そこに貴方が居ないものかと、探してしまう。

 

……ごめんなさい、ノアさん。

私、貴女とした『生きる』という約束を破ります。舌の根も乾かないうちに、本当に酷いと、自分でも思ってしまうけれど。破ります。

 

罪悪感はあります。

貴方が悲しむのも分かります。

けれどそこで止まるつもりはありません。

 

殆ど自殺のようなものですから。

これは今まで育ててくれた人達を、良くしてくれた人達を、裏切るような行いです。これ自体が自分の罪になるということも、自分なりに理解しているつもりです。……でも、それでもやります。

 

だって、貴方が好きだから。

 

もう一度だけでも貴方の、隣を歩きたいから。

 

……分かっています。

こんなにも貴方のことを苦しめた世界だから。きっと、何もかもが上手くいくはずなんてないって。いくら私達が過去に飛んだって、結局、色々なことが壁として立ちはだかってくる事でしょう。異物である貴方を殺すために、あらゆる手を使って、責め立ててくる。そんなことはいい加減に、私達にだって分かります。

 

……それでも、幸いなことに。

 

私達には、クリュティエ様がくれた時間があるから。

貴方とは違って、対策を立てることの出来る十分な時間があるから。

 

だから、絶対に貴方を助けることの出来る手段を用意してから、そちらに向かおうと思います。どんな病が貴方を蝕んでも、どんな理不尽が貴方に襲い掛かっても、それをきっと全部どうにか出来る準備を整えてから、貴方に会いに行きます。

 

神の意志になんか負けません。

世界の規則にだって負けません。

全部全部打ち破って、貴方を本気で取りに行きます。

 

 

「……ベル・クラネル、ですね」

 

 

「え?は、はい……あの、貴女は……?」

 

 

「ノアさんから、これを貴方に」

 

 

「っ……!」

 

 

白い髪、赤い瞳。

兎のような、そんな彼。

そうして手渡した手紙を読みながら泣きはじめてしまった彼を見て、なんだか不思議な気持ちになる。貴方の敵とも言えた彼が、どうして貴方のために泣けるくらいまでになれているのかと。本当に不思議に思ってしまう。

 

「僕、この前……ダンジョンの中で、ミノタウロスに襲われて……」

 

「……はい」

 

「その時に……ノアさんがくれた、エリクサーがあったから……勝つことが出来て……!」

 

「……そうですか」

 

「あの人が……"頑張れ"って、言ってくれたから……!」

 

「………」

 

きっと、そんな彼の言葉を聞いてもあなたは、『私の力ではありませんよ』なんてことを言うのだろうけれど。それでも私は声を大きくして言います。全部あなたの成した事だと。まるで自分のことのように胸を張って言います。

……そうやって、自慢します。大好きで大切な恋人である貴方のことを、私は自信を持って。こんなにも素敵な人だったんだって、自慢の貴方を。自慢したいから。

 

「それでは、私達はこれから遠征なので」

 

「は、はい……あの、ありがとうございました」

 

「いえ……頑張って下さいね」

 

時間はある。

けど、やっぱり無い。

貴方を救うその前に、世界を救わないといけない私達は。

きっと、立ち止まっていられる時間なんて何処にもない。

……こんな世界から逃げ出して、貴方の元へ行きたくはあるけれど。それではカッコがつかないから。ちゃんと相応しい人間になってから迎えに行きたいんだ。

 

世界の一つや二つ救えなければ、貴方を救うことなんて出来ない。

 

間違いじゃないとも。

 

むしろ、救ってやるから譲歩しろと、そう言ってやるのだ。

 

あなたを寄越さないと、救ってやらないと。

 

そう、言えるように。

 

 

「……レフィーヤ、行こう」

 

 

「はい……行きましょう。アイズさん」

 

 

負けたりなんかしない。

泣いたりなんかしない。

貴方の元に辿り着く、その時まで。

 

私は絶対に、貴方を救うんだ。



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07.迎えに来た希望

「あの、ありがとうございました」

 

「おや、もういいのかい?……あんまり無理するもんじゃないよ、疲れたら遠慮せず来な。茶菓子くらい出してあげるさ」

 

「ふふ、分かりました。お言葉に甘えて、また来ます」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

いつものように、ついフラフラと逃げ込んで来てしまった魚館を出る。

疲労が溜まると、精神的に限界になると、無意識に、惹かれるように、ここに来てしまう。何をするでもなく、ただぼ〜っとしているだけなのに。満たされるようなその心地に、依存してしまう。

 

余計な時間だ。

無駄な時間だ。

こんなことをしている暇はないのに。

 

……けれど。

あと少し、あと少しだから。

 

昨日、ようやくロキ様と約束を取り付けることが出来た。

半年後に、自分はようやくロキ・ファミリアに戻ることが出来る。それまでにLv.6になるのは確かに困難な道ではあるけれど、今まで以上になりふり構わずやれば、きっと出来る。やる。やってみせる。

だから手始めに今日は、Lv.4にならなければならない。

 

「頑張ら、ないと……」

 

こんな風に時間を浪費したんだ。

魚館で十分に疲れは取れたはずだ。

だからもう、Lv.4になるまでは地上には帰って来ない。帰って来てはいけない。それでは間に合わない。無駄に出来る時間なんて何処にもない。

 

……さあ、今日はどうするか。

ゴライアスに挑むか。

階層更新を狙って深くまで潜るか。

モンスターの群れを作って殲滅するか。

 

無茶でもなんでも、しなければならない。

そうでないと、振り向いて貰えないから。

また彼に追い抜かれて、取られてしまうから。

 

認めてもらうためには。

見つめてもらうためには。

平凡で才能のない自分は、それ以上の努力をする必要があって。

 

 

「……アスフィさん達に。顔だけ、出しに行こうかな」

 

 

夕暮の大通りを母親と共に笑いながら歩いていく子供を見ながら、無意識にそう口走る。思わず口元に手を当てるが、一度出してしまった言葉は無かったことにはならない。それが自分の本音を表しているということは、誤魔化すことなど出来ない。

 

……寂しい。

 

自分が選んだ道ではあるけれど。

こんなことなら狂ってしまった方が楽だ、とか。

むしろまだ狂っていないのか、とか。

そういうことも考えてしまうけれど。

 

1人で居るのは、やっぱり辛い。

 

それでも、その辛さも寂しさも飲み込んで、今日もダンジョンに向かう。怖さも痛みも全部振り切って、ただ1つ、自分の求める未来だけを見据えて走り続ける。それだけを見ていれば、それだけを求めていれば、想像していれば、夢見ていれば、苦痛も孤独も忘れられるから。

だから大丈夫だ。

まだ大丈夫だ。

寂しくとも、心細くとも。

1人でも、やっていける。

 

……やっていける、はず。

 

 

 

 

 

「ノア……?」

 

 

 

 

「っ!」

 

背後から声を掛けられ、思わず振り返る。

勢いよく、思わず。嬉しさのあまり。

だって自分の名前を知っている人間は、今のこの世界にはそう多くない。その中でもこうして名前を呼び捨ててくれる女性となると、それはより絞られて。

 

 

「………リヴェリアさん?」

 

目に映る緑色の長い髪。

夜でも輝く綺麗な佇まい。

つい先日、ロキ様に自分を紹介してくれた彼女が、声を掛けてくれた。……ただそれだけなのに、なんだか嬉しくなってしまうのは何故だろう。自分はこの人を利用して、アイズさんに近付こうとしているだけだった筈なのに。そんな不純な理由で近付いたというのに。自分はいつの間に、こんなに。

 

「ああ、やはりお前か。どうしたんだ、こんな時間に。今から帰るところか?」

 

「あ、いえ……実はこれからダンジョンに行こうかと思っていまして」

 

「なに?……今からか?」

 

「はい、地上にはヘルメス様の使いで戻って来ただけなので。届け物は終わったので、あとはダンジョンに戻ろうかと」

 

「……ふふ、ダンジョンに戻るなどと。お前くらいしか使わなさそうな言葉だな」

 

「っ」

 

優しく頭を撫でられながら、くすくすと笑われてしまう。ただそれだけなのに、どうしてか。自分の心がとても温められたように、ほぐされてしまう。嬉しく思ってしまう。もっとして欲しく思ってしまう。

そんな自分の姿は、あまりにも、子供っぽく見られてしまうだろうに。

 

「……ダンジョンに行く前に、一緒に食事でもどうだ?」

 

「え?でも……」

 

「お前をロキに紹介したんだ。その褒美として少しくらい付き合ってくれてもいいと思うがな?」

 

「……そう言われてしまうと、弱いです」

 

「ふふ、まあ誘ったからには奢ってやる。何か食べたいものはあるか?」

 

「あ……え、と……」

 

「……魚でも食べるか」

 

「!……はい」

 

いつの間にか。自分の好きな食べ物を把握されていたことに、気恥ずかしさと嬉しさを混じらせながらも。彼女の横を歩く。

それでも自然と口角が上がってしまうのは、やっぱり、1人ではないからだろうか。あの時にすれ違った子供と、もしかしたら自分は今同じ顔をしてしまっているかもしれない。……一応、作ってはいるつもりだけど。それでも。やっぱり嬉しいから。1人ではなくて、寂しくないから。

 

 

「そういえば……リヴェリアさんはどうしてこんな時間に?」

 

「ああ、今朝方からアイズとレフィーヤが何やら街中を走り回っているようでな。こんな時間になっても帰って来ないとなると、心配にもなるだろう?」

 

「それは、確かに……心配ですね」

 

「全く、私が出払っていた時に限って何をしているのだか。……だがまあ、そのおかげでお前とこうして会えた訳だしな。馬鹿娘共は放っておいて、少し良いところにでも行ってみようか」

 

「ふふ、なんだか珍しく悪い顔をしていませんか?」

 

「あいつらのせいで夕食を取れてないんだ、悪い顔もするさ」

 

リヴェリアさんはそうして、悪戯な笑みをして自分のマントを私に掛けてくれた。……そんなに寒かったりはしないのに。

けれどそれがどうしても温かく感じてしまうのは。それほど自分が他人の温もりに飢えているということなのか。それとも、実は本当に凍えているだけなのか。……それはまあ、どちらでもいいことではあるけれど。

 

 

 

 

 

「ノア!!」

 

 

 

「っ」

 

 

また、後ろから名前を呼ばれる。

 

今日で2度目、こんなことは珍しい。

 

となると、次はアスフィさんか。

それとも、タバサさんか。

もう考えられる人はそれくらいしか居ない。

 

 

 

……けれど、そう。

 

 

それにしては何だか。

聞き覚えはあるのに、聞き覚えのない。

それはそんな、女性の声で。

 

 

 

「アイズ……?」

 

 

「え……?」

 

リヴェリアさんの言葉に、私も振り向く。

 

……いや、そんな筈はない。

 

そんな訳がない。

 

だって私と彼女とはまだ、こちらの世界ではそんなに話したこともない。まだ挨拶を数回した程度。"ノア"なんて呼ばれるほど気安く接したこともないし、そもそもまだロキ・ファミリアにも入っていないから、関わりも殆どゼロだし。むしろ、どこまで彼女に自分のことを覚えて貰えてるのかも心配なくらい。……だから。

 

「アイズさん!」

 

「レフィーヤ!!こっち!!」

 

だから、そんな風に。

必死になって駆け寄ってくるようなことは、ないはずで。

アイズさんどころか、まだこちらの世界では一度も顔を合わせたことのないレフィーヤさんまで。一緒になって……涙を流しながら、走って来るのは。何故?

 

 

 

「「ノア(さん)!!」」

 

 

 

「………えっ?」

 

 

 

抱き付かれる。

 

 

 

押し倒される。

 

 

 

抱き締められる。

 

 

 

そして……ああ、泣かれてしまう。

 

 

 

「ノア、ノアだ……ノアが居る……」

 

「やっと、やっと会えた……ノアさんに、また会えた……」

 

 

「ぁ……え……え?」

 

 

「な、なんだお前達!?どうした!?というか……な、なんなんだ?」

 

私もリヴェリアさんも、状況が理解出来ない。押し倒されて2人に抱き締められたまま。混乱する頭で、動揺する心で。リヴェリアさんと顔を合わせて、困惑する。

……分からない、分からないけれど。

2人がどうしてか自分のことを知っていて。自分に間違いではなく、こうして抱き着いて来て。何かが悲しくて泣いているということだけは。どうしようもなく、間違いがなくて。

 

「あ、あの……?」

 

「生きてる……ここに居る……」

 

「は、はい。ここに居ますよ?なのでその、えっと……」

 

 

「……ノアは、私のこと、信じてくれる?」

 

 

「!……ええ、信じますよ。アイズさんの言うことなら」

 

「っ……ありがとう、嬉しい。やっぱりノアはノアのままだ」

 

「ぅっ」

 

涙を目の恥に浮かべながら、満面の笑みを浮かべる彼女に、思わず息が止まる。こんな表情、それこそ前の時でも見たことがない。というか、ベル・クラネルと一緒に居た時ですら見たことがない。……そもそも、その表情は母親代わりであるリヴェリアさんですら驚いているくらいのそれで。

 

「ノアさん……これを」

 

「?……これは、何かの宝石ですか?」

 

「飲み込んで?」

 

「え」

 

「お願いします、ノアさん」

 

「飲み込んで」

 

「うっ……わ、分かりました。飲み込めばいいんですね」

 

なんだか妙に暖かい黄色の幾つかの塊。レフィーヤさんが光と共に何処からともなく取り出したそれは、けれど確かに不思議な雰囲気を放っていた。

それこそ、なんというか。

こんな塊に使う言葉としては適切ではないと思うけれど、親近感が湧くというか。妙にこう、受け入れることに難がないというか。……それこそ、飲み込めと言われた時には戸惑ったけれど。いざこうして口にしようとしてみると、それは本当に当然のことのようにすら思えて。

 

「お、おい?お前達は本当になにを……」

 

「リヴェリアはこっち」

 

「なっ!?わ、私も飲むのか!?」

 

「大丈夫、信じて」

 

「〜〜っ……後で、後で必ず説明して貰うからな!」

 

「説明しなくても、大丈夫だから」

 

リヴェリアさんとまた顔を見合わせる。

困ったような顔をしている彼女。

きっと自分も似たような顔をしている。

……けれどまあ、そこまで言われたら。

 

「ノアさん」

 

「っ、は、はい」

 

「大丈夫です。きっと、それで分かるはずです」

 

「レフィーヤさん……」

 

「お願い、します」

 

「……分かり、ました」

 

今も涙を浮かべているレフィーヤさんに手を握られて、勢いに任せてそれを口に含む。それと同時に、リヴェリアさんもそれを口の中に入れた。飴でもお菓子でも無さそうなそれを、自分の中に。

 

 

入れ、て……

 

 

「っ……?」

 

 

溶ける。

 

 

溶ける。

 

 

溶け込む。

 

 

硬いそれは、直ぐ様に液体に変わり染み渡る。

 

 

そうして飲み込むまでもなく、身体の中へと溶けていき、馴染んでいく。

 

 

……不思議な感覚だった。

まるで、自分の中に生じたたくさんの傷跡に、それが入り込み、埋めていくような。そんな不思議な感覚が、感じられて。

 

 

「ぁ……ぇ……?」

 

 

思い出す。

 

思い出す。

 

知るのではなく。

 

見るのでもなく。

 

ただ、思い出す。

 

 

「あ、れ……なんで、私……」

 

 

知らない景色が、知っている景色として、思い浮かぶ。

知らない事実が、知っている事実として、頭を巡る。

 

 

「なん、で……私……ここ、に……?」

 

 

思い出す。

 

思い出す。

 

思い出す。

 

思い出す。

 

思い出す。

 

あらゆる事を、多くのことを、思い出す。

 

 

「私、は……もう……消えた、はず……」

 

 

彼女を求めて突き進んだ。

 

彼女を求めて破滅した。

 

彼女に心を奪われた。

 

彼女の心を得られた。

 

そうして最後に……自分は……そう、何もかもを取りこぼした筈で。

 

 

「私、は……」

 

 

「ノアさん!!」

 

 

「っ……レフィーヤ、さん?」

 

 

「ノア!!」

 

 

「アイズ、さん……?」

 

 

世界が変わる。

世界を見ている自分が変わる。

世界の見え方が変わる。

 

目の前の人達が、どんな人で。

自分にとって、何者で。

そして、自分がいったい、誰であるのか。

 

理解、するには。

 

 

 

「愛してる」「愛してます」

 

 

 

「っ」

 

 

そうして、理解してしまった。

そうして、分かってしまった。

 

 

ああ、本当に……本当に……この人達は……

 

 

「何、してるんですか……?駄目、じゃないですか、こんなこと……」

 

 

こんな、こんなこと。

こんな、いけないこと。

絶対に、絶対にしたら、いけないことなのに。

 

 

「そんなの、だって……仕方ないじゃないですか」

 

「うん……会いたかった、から」

 

 

「………っ!!」

 

 

「会いたかったから!ノアに!!」

 

 

彼女が声を荒げる。

 

 

「ノアさんに!会うためだけに!……私達は!!」

 

 

だから、もう、それ以上は。

男として、言わせては駄目だと思った。

 

涙を流す2人を、抱き締める。

もう、屁理屈なんか要らない。

余計な言葉なんて要らない。

 

だって、確かに。

確かに自分には、奇跡なんて起きなかったけれど。

なればこそ、彼女達は奇跡に頼ることなく、こうしてまた自分に会いに来てくれたのだから。こうしてまた会うために、きっと、頑張ってくれたのだから。

……それなら、もう、何を迷う必要がある。

自分が言うべきことは。

自分がすべきことは、一つしかないだろう。

 

 

「ありが、とう……」

 

 

「「っ」」

 

 

「ありがとう……ありがとう……」

 

 

「……ノア」

 

 

「私も……私ももう一度、もう一度だけでも、こうして……2人と、いっしょに……」

 

 

「……はい」

 

 

「いっしょに……!」

 

 

 

「居たかったから……!!」

 

 

それが本音だ。

 

それが全部だった。

 

それ以外に、何がある。

 

 

「好きです……大好きです……」

 

 

怖かったから。

 

痛かったから。

 

苦しかったから。

 

 

「愛しています……」

 

 

ずっとずっと、恐ろしかった。

自分の身体を蝕んでいく破滅が。

少しずつ少しずつ、死に近づいているという事実が。着実に見えなくなっていく彼女達の顔が。触れ合えなくなっていく温もりが。思い出せなくなっていく人達のことが。何もかもが。ずっと、ずっとずっと、怖かった。

 

嫌だった。

死にたくなんてなかった。

もっと一緒に居たかった。

もっと長く生きたかった。

ずっとずっと、この人達と一緒に。

ずっとずっと、この人達の隣で。

もっと、もっとたくさんのことをしたかった。

知りたかった。

 

だから。

 

「私は、私は……」

 

「もう、離しませんから……!もう絶対に、ノアさんを1人にはさせませんから……!」

 

「はい……」

 

「ノアのことは、私達が助けるから……病気にも、神様にも、世界にだって、絶対に渡さないから……!」

 

「はい……!」

 

 

もっと、もっと話したいことがたくさんある。

もっと、もっと伝えたいことはたくさんある。

けれど、それは今伝えられるほど少なくないから。

これから先、ずっと。もっと長く、時間を使って。

……そうして、伝えていかなければならないことだから。

 

 

 

 

「っ……そうか、上手くいったか……」

 

「リヴェリア……」

 

「リヴェリア、さん……?」

 

「全く……本当に手のかかる馬鹿娘共め」

 

2人に抱き付く私を、丸ごと全員抱えるように、リヴェリアさんに抱き締められる。……温かい、心地の良い空間。もう2度と、こんな幸福に、包まれるなんてことはないと思っていたのに。

 

「遅くなって、すまなかったな……」

 

「っ……私の体感、本当に直ぐですよ」

 

「助けてやれなくて、悪かった」

 

「……いえ」

 

「私は……もう、迷わない」

 

「……?」

 

「お前は、私にとっても娘同然だ」

 

「!……息子では、ないんですか?」

 

「お前は可愛げがあるからな、アイズよりよっぽど」

 

「むぅっ」

 

「もう大丈夫だ。……お前も、私が守ってやる」

 

嬉しい。

嬉しい。

涙が止まってくれない。

止まる訳がない。

こんなに満たされることがあるなんて。自分の全てはあの瞬間で終わりなんだと、諦めていたから。寂しさも辛さも、全部全部持っていってしまおうと思っていたから。こんな風に、また抱き締めて貰えるだなんて。

 

「ノアさん、もっとちゃんとお顔を見せてください」

 

「その、泣いている姿を見られるのは流石に恥ずかしくて……」

 

「私達だって、泣いてるから。お互い様」

 

「……もう、ずるいですよ」

 

「だって、見たいので。ちゃんとここに居るんだって、確認したいので」

 

もう、とても他人に、特に好きな人に見せられる顔をしていないというのに。こんな姿を見せたくはないのに。けれど2人はそんな自分の顔が見たいと言うし、半ば強引に顔を上げさせられる。それに、それはリヴェリアさんも同じだ。こんなに汚れた自分の顔をマジマジと見られてしまって。もう、恥ずかしくて仕方ないというのに。3人はそれすらも嬉しそうに見つめてきて……

 

「ふふ、いつまでもこうしていてもいいが……だが、まあ、やるべきことはまだあるからな。そろそろ動くか」

 

「やるべき、こと……?」

 

「……その、私達には時間がありましたから」

 

「!」

 

「色んな神様に、手伝って貰った。……ノアも、女神様も、みんなを助けるために」

 

 

「……助け、られるんですか?」

 

 

「うん、任せて」

 

そうして、アイズさんに右手を引かれる。

レフィーヤさんに、左腕を抱かれる。

リヴェリアさんはそんな私達を、呆れたように、けれど何処か嬉しそうに見つめた後、背中を見せて前を歩き始めた。……まるで3人がかりでノアのことを守るように。彼のことを、もう決して離してしまわないように。しっかりと、囲い込んで。

 

「さあ、ここからが本番だ。準備はいいな、お前達?……世界を1つ救った程度で、自惚れてつまらないミスをするなよ」

 

「はい!」「うん……!」

 

 

 

「……え?何の話ですか?」

 

「大丈夫です!どうせ私たちも直ぐ忘れちゃう話なので!」

 

「え?え??……あ、あの!?本当に私が眠っていた間に皆さん何をしていたんですか!?」

 

「大丈夫。……浮気は多分、してないから。安心して」

 

「え?あ……た、多分!?」

 

「あ!わ、私は寂しくてもずっとノアさんのこと想ってましたよ!?私はノアさん一筋です!」

 

「むぅ……私だって、ノア一筋だもん……」

 

「い、いえ!別に責めた訳では!?……うぅ、死んでてごめんなさい……」

 

「いや、どんな謝罪の仕方だ……」

 

身体が軽い。

心が晴れる。

自分の足で、自分の身体で歩くことが。

そして、こうしてまたこの人達の隣を歩けることが。こんなにも嬉しくて、幸せなことだなんて。きっと、一度死んでいなかったら思えなかったことだ。

 

(あ……そういえば、あれが2度目だったっけ)

 

きっと、2度も死んで。

これから3度目も間違いなくあるというのに。

それでもこんなに希望に満ち溢れているのは自分くらいではないだろうか。……もちろん、そう何度も死んだ人がいてたまるかという話ではあるけれど。

 

 

「幸せだなぁ……」

 

 

心から、そう言える。

それがどれだけ幸福なことなのか。

今の自分になら、よく分かる。

 

 

「ノア」

 

「はい」

 

 

「ノアさん」

 

「はい」

 

 

これ以上の幸福が、これからの人生で待っているというのなら……

 

そんな怖さなら、大歓迎だから。

 

 

 

「今日は寝かせないから……!」

「今日は寝かせませんからね!」

 

 

 

「……………はい」

 

 

 

大、歓迎……ですとも。

 

もちろん……幸せなので……




あと1話だけダラダラっと書いて終わります。


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08.見渡す未来

 

「………なあリヴェリア」

 

「なんだ、ロキ」

 

「……何があったら、こうなるんや?」

 

「諸々だ」

 

「いや……諸々て……」

 

 

 

「ノア、デートしよ?お願い、デートしたい」

 

「だ、駄目ですよ。ノアさんは今日は私とお買い物に行くんですから。ね?そうですよね?」

 

「あ、あはは……クリュティエ様……」

 

「こ〜ら、すぐに助けを求めないの。……普通に2人とも連れて行ってあげたらいいと思うわよ?私はアポロンと食事の約束があるから、着いて行ってあげられないけど」

 

「いえ、その、流石にお母様同伴のデートというのは……」

 

「ゆ、許してください……」

 

「ふふ、なにかしら?アイズちゃんはもしかして私のことが苦手?」

 

「………」

 

 

 

「……なんなんや、これ」

 

本拠地の食堂で、周囲からの目を惹きながらそんな会話をしている彼等を見る。

……いや、本当に。本当に、ロキには何も分からない。マジで何も知らない。ろくに教えられてもいない。いや、概ねは聞かされたけども。それは決して簡単に理解出来る話でもなくて。

 

「ううん……」

 

ただ突然、予定を早倒ししてリヴェリア達がノアを連れて来たと思ったら。そのノアの元主神だという見たこともない女神を何故かアポロンと一緒に連れ込んで来て、そしたらレフィーヤとアイズが自分は彼の恋人であるとかなんとか言い出した訳だ。

ぶっちゃけ洗脳でもされているのかと思った。

この女神が実は美の女神だったり、ノアの特殊なスキルか何かによって。なんかこんな状況になっているのではないかと。

 

……ただ。

 

「ロキ、まだ信じられないようなら、もう少し話してもいいんだぞ?……例えばそうだな、お前が天界で女神フレイヤから盗んで来た羽衣が……」

 

「ああ!もうええ!もうええから!!……ちっくしょう、未来のうちのアホぅ。そないなこと子供に話さんでもええっちゅうねん……」

 

「ノアと女神クリュティエは時間を巻き戻した、私とアイズとレフィーヤはその未来から魂だけを飛ばしてここに来た。それだけの話だ」

 

「言うほどそれだけで済む話か……?」

 

「私達にとってはな」

 

いや、まあ、もちろん。

ほんの一日の間にレフィーヤとアイズがこんなにも変わったことに加えて。見知らぬ女神と冒険者が入って来て、特にあれほどアイズが懐いているのを見てしまえば、周囲からの目線は冷たいものになってしまうけれど。……今や彼等はその程度のことには動じない。何度絶望したと思っているのか。何年引き離されたと思っているのか。それに比べればこんなもの、本当に何でもない。

 

「……その辺りの細かい話も、知りたいんやけどなぁ」

 

「他人の恋愛事情に好奇心で首を突っ込むべきではないな」

 

「いや、気になるのはウチだけやないと思うんやけど……」

 

「……まあ、好きだ好きだと言われつつLv.6まで辿り着いたら。その上で守られたら、アイズとて目は向くだろう。その上、あいつは献身的だからな。レフィーヤというライバルが居たのも大きい」

 

「……あんな顔、出来るようになったんやなぁ。その過程が見れへんくなったのだけが残念や」

 

「逆に言えば、ここでなければアイズもレフィーヤもあんな顔は見せなかった。……ここに来なければ3人とも、本当の意味で救われることはなかった」

 

「……向こうのうち、喚いとらんかったん?」

 

「苦渋の決断、という感じだったな」

 

「そらそうやろなぁ……そんでも決断したってことは、まあこれが最善やったんか」

 

他でもない自分がそれが1番であると思ったのなら、そういうことなのだろう。たとえ今の自分が全ての事情を理解したとしても、同じ結論を出すのかもしれない。

ならばやはり、余計な欲を求めるより、この状況を受け入れた方がよっぽど幸福だということか。もちろん、彼等の馴れ初めなんかは、彼等本人の口から聞きたいところではあるけれど。

 

「で?未来の方は大丈夫なん?……未来というか、そっちの世界か?」

 

「概ね問題はない筈だ。……あの後に別件で何か起きない限りはな」

 

「アイズとレフィーヤとリヴェリアが居なくなったんやろ?やばいやろ、どう考えても」

 

「いや、私は魂を分割しただけだ。向こうで生きてはいる。……先はそう長くない上に、死ねば本当に消えるが」

 

「……罪作りな子や」

 

「そうでもない。あの子は自分の中にあったもので懸命に努力をしただけだ。私達はただそれに惹かれて着いて来ただけに過ぎない。……決して、彼は罪人などではない」

 

「そか……」

 

「少なくとも私達は、そう結論付けた」

 

むしろそんなことより。彼とまた会うためとは言え、大神だろうがなんだろうが巻き込んで利用して、知恵を絞らせて、意図的に神の力を使用した自分達の方こそ、よっぽど罪人である。

もちろんその代償は、向こうの世界での自分達の死という形で支払って来たつもりだが。

 

……もちろん、向こうの世界が大変であることは間違いない。それでもフィン達は自分達を信じろと送り出してくれた。知ってしまった少し先の未来の情報を、自分達の魂をボロボロにしながらも利用して、なりふり構わず道を切り開いた彼等が。だから余計な心配はしない、ただ前だけを見て突き進む。それは送り出してくれた彼等への裏切りになってしまうから。

 

『ノアさんを、お願いします……!』

 

そうだ。女神クリュティエの死によって前回の記憶を思い出したのは、決してリヴェリア達だけではなかったから。リーネも含め、少なくともロキ・ファミリアの大半の者達が思い出していた。リヴェリア達はその多くの人達に背中を押されて今ここに居る。その事だけは決して、決して忘れてはならない。

 

 

「あ〜、えと、ちょっとええか?」

 

「ロキ様。はい、もちろんです」

 

ロキは彼等が楽しんでいる中に悪いと思いつつも、声を掛けた。なんだか以前に会った時と比べて、随分と人間らしい顔で笑みをくれる彼の姿。ロキにとってはもうそれすら信じられないくらいの変化で。こうして2人に押されている姿を見ると、むしろ彼の方がアイズとレフィーヤに洗脳でもされているのではないかと思ってしまうくらい。どちらかと言うと押しが強いのがアイズ達の方であるから、そう思えてしまうのか。

 

「え〜っとな、これからのことなんやけど……」

 

「は、はい……」

 

「うん、まあその、ノアの移籍自体はええんやけどな?流石にファミリア内にうち以外の神が住み着くってのは困るというか……いや、別に訪ねに来るくらいならええんやで!?」

 

「あ、それなら問題ないわよ?ロキ」

 

「?」

 

「ノアがね、私のためにまた花屋を作ってくれるみたいなの。私はそこでノアと2人で暮らすつもり」

 

 

「「「「……えぇ!?」」」」

 

その話、誰も知らなかったみたいなのですが大丈夫なのだろうか。それこそ当のノアでさえも。花屋についてはともかく、一緒に暮らすことまでは知らなかったのではないか?

ロキは訝しんだ。

 

「当然でしょう?だって貴方達、いつノアのことを襲うか分からないのだし」

 

「お、おお、襲うって……!?」

 

「………」

 

「あの、アイズさん?どうして目を逸らしたんです……?」

 

「………」

 

「だから、別に通うことはいいけれど、寝る時には必ず私のところに帰ってくること。これは神としてではなく、母親として課す規則です」

 

「それ完全に息子やなくて娘に出す条件やろ……」

 

「世界一可愛い自慢の子供なんだもの、料理の一つも出来ない子に簡単にあげるつもりはないわ」

 

「うっ」

 

「花嫁修行なら任せて。私がいくらでも付き合ってあげるから」

 

「あかん、これ完全に親バカや」

 

アイズは渋い顔で撃たれる。

それはまあ彼に相応しい恋人になれるようにと、多少なりとも料理に挑戦したことはある。なおその結果、可もなく不可もなくの、割と不可寄りのところに居るのが今のアイズである。

挑戦はしたのだ、挑戦は。ただその極端な性格が災いして、分量を測っている最中に物を焦がしたり、綺麗に切ろうとするあまりにまな板ごと真っ二つにしてしまうだけで。未だそれは修行中であるというだけで。

 

「まあ、うん、でもそういうことならええわ。みんな健全なお付き合いをな…………うん?」

 

「……?どうしたロキ」

 

「そういえば、リヴェリア達って何年先の未来から来たん?」

 

「「「っ!?」」」

 

「あ、それ私も気になります」

 

「せやんな?聞いとる感じやと、2〜3年ってほどやなさそうやし。精神年齢考えたら、もしかしたら普通に良い歳に……」

 

 

ーーーーーッッ!!!

 

 

瞬間、アイズが手に握っていたコップが爆ぜた。

文字通り、爆散した。

3人分の、凄まじい威圧感と共に。

 

「女に公衆の面前で歳を聞くとは。良い度胸をしているな、ロキ?」

 

「折檻が必要ですか?ロキ」

 

「私は16歳だよ、まだ何かある?」

 

 

「………なんもないです、はい」

 

どうやら踏んではいけない地雷を踏んでしまったらしい。いやまあ、実際そこまで年齢はいってないのだけれど。流石にその辺りは多少のコンプレックスが生まれても仕方ないというか。こうして久しぶりに会った彼が記憶よりも意外と子供らしくて、正直少し犯罪的な意識があったりするというか。

 

「はっ!……と、ということはその。お二人が私よりずっとお姉さんという可能性も……?」

 

「ふふ、ノアは年上の子が好きだったかしら?」

 

「い、いえ!決してそんなことは!?」

 

 

「「!?」」

 

 

なお、今この瞬間にそんなコンプレックスは吹き飛んだということをここに記す。

 

 

「ノ、ノア……!私、お姉さんだから……!」

 

「は、はい……?」

 

「わ、わたしにも!うーんと甘えてくれていいですからね!!お姉さんなので!」

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

ちなみに現在はノアが亡くなった時より2年も前である。それはノアだって2人の記憶の中より幼いし、張本人である2人も普通にノアの記憶の中より幼い姿をしている。それはまあ健全なお付き合いをしろとも言われるだろう。これに関しては圧倒的にロキとクリュティエが正しい。……なんならアイズは現在の体の年齢は14歳なので、もう全部間違えているのである。

 

「それに……もう今が奇跡みたいなものだから。私もそれほど深くまで状況は掴めていないけど、私にもさせて欲しいの。普通の母親として、子供が恋人を連れて来る〜なんて甘酸っぱい経験を」

 

「クリュティエ様……」

 

「ロキもそう思わない?」

 

「……うん、まあ、それに関してはうちも同感や。仲ええのは良いけど、あんま置いてかんで欲しいもんやで。酸いも甘いも味わって、ゆっくり成長していくところを隣で見たいわ。リヴェリアもそう思うやろ?」

 

 

「思わない!!!」

 

 

「「えぇ!?」」

 

リヴェリアは机を叩いた。

というか突然ブチギレた。

誰もが予想していなかったことではあるけれど、今の彼女にとっての地雷は正にそこにあったのだ。そこはもう本当に、ど真ん中のストレートというくらいの場所。

 

「さっきから聞いていれば!好き勝手言ってくれるな!巫山戯るなよお前達!!私がここまでどれだけ苦労して連れて来たと思っている!!なんなら今直ぐにでも子供でも作ってエンドしろと言いたいくらいだ!!年齢など知ったことか!!山も谷もこれ以上必要ない!!早く互いに責任を取れ!!」

 

「「え、えぇ……」」

 

「それと!もし仮に今更こいつらの関係を不純などと言って引き裂こうものなら私が消し飛ばすからな!?お前達もだ!今更やっぱり別れますなどと言い出した日には全員氷付けにした後にそのまま纏めて焼き払ってやるからな!!分かったか!?」

 

「「「は、はい……!」」」

 

リヴェリア・リヨス・アールヴ。

なんなら彼女が此度1番の被害者である。

『酸いも甘いも味わって成長していくところを隣で見たい』などと言われたら、それはもう彼女とて怒る。隣でそんなものを心を痛めながら何度も見せられて、絶望させられて、挙句の果てに時間すら超えて漸くここに辿り着いたのだ。

もう本当に変な事件とか要らないから、このまま平和に幸せになって欲しいとしか彼女は思わない。不純でもなんでもいいので、何事もなく孫の顔でも見せてくれとしか思えない。

だってノアはともかく、アイズとレフィーヤは本来ならもうそういうことを考えはじめてもいい年齢だったのだから。彼女達の頑張りを知っているだけに、仕方ないとは言え、何も知らない神2柱に邪魔して欲しくはないのだ。これ以上、自分の恋愛に対する観念を壊されてたまるものかと。

 

「そういうことだ、いいから今日はデートでもなんでも行ってこい。なんなら午前中はアイズで、午後はレフィーヤとかでも構わん」

 

「あ……それいいね。レフィーヤはどう?」

 

「私もいいと思います!明日は午前と午後で交代しましょう♪」

 

「ふふ、なんだか私ばかり良い思いをしているみたいですね」

 

「問題ありませんよ。その分、ちゃんと2倍愛して貰いますから♪」

 

「うん」

 

「あ……これは頑張らないと」

 

ノアもいつの間にか、2人と恋仲になっていることを自然と受け入れている。罪悪感なんかも、かなり薄れた方だろう。そういう意味では今回の諸々は彼にその辺りを吹っ切れさせるという役割は果たせたのか。

……もちろん、周りの目は冷たいが。

そんなことよりも大事なことがあると、彼は気付くことが出来た。周りの目なんかより大切にしなければならないものが分かったから。自分が本当に求めていることを、知ることが出来たから。

 

 

 

「それで……結局、私達の記憶は消えちゃうんですか?」

 

「消える……というか、消えることを受け入れることが大切なんだって」

 

「受け入れること……」

 

「うん、無理に維持しようとするから負荷がかかる。未来の記憶に頼らないことが1番大切って言ってた」

 

「なるほど…… 」

 

アイズと共に、ノアはダイダロス通りへ向けた通りを歩く。そこから向かうのは、言わずもがなの場所。アイズももう知っている、その場所。それこそつい先日、神アポロンの力を借りて女神クリュティエを救い出した、あの場所のことだ。神アポロンが彼女の分の罪も半分引き受けて、相応の対価を支払った、あの場所。

 

「じゃあ、私達のあの思い出も、いつかは忘れてしまうんですね」

 

「それは、覚えていても大丈夫」

 

「え?」

 

「未来を変えるものじゃないし、あと3年もしたらそれは過去のことになるから」

 

「でも、今の私達にとっては未来の話では……?」

 

「私達の魂は、過去と未来のものが同化して、強くなってる」

 

「……!」

 

「ノアがやってたことに比べれば、よっぽど安全だよ」

 

「……ふふ、これは耳に痛い言葉ですね」

 

「それに……忘れて欲しくないし、私も忘れたくないから」

 

きっとそれが1番の理由。

それでもノアとリヴェリアには1.5人分の魂が、アイズとレフィーヤには2人分の魂が存在している。これは最早強度的に言えば漂白することも一苦労というレベルの話になるらしい。それはもう神タナトスが喜びそうな話ではあるが、まあそれは今はどうでもいい。

とにかく、大きく未来さえ変えなければいいのだ。例えば今から闇派閥を殲滅しに行ったり、そういう大きなイベントを潰さなければ。

 

……とは言え、実はその話も"保険"でしかなかったりする。なんなら闇派閥の殲滅を行ったとしても、なんの罪にも当たらない可能性さえある。

 

なぜなら既に、運命はアイズが一度完全に破壊してしまっているからだ。

 

時間軸上の連続性がなくなった今、未来は再び未観測のものになったと言っても良い。仮にその知識を持って使おうとも、それほど大きな負荷がかかることもないだろう。

 

一体アイズがどのような運命の破り方をしたかと言われれば、それは……

 

「アイズさん……」

 

「?」

 

「やっぱりその……ダイダロス通りに大穴を空けるというのはやり過ぎだったのでは……」

 

「……でも、これが1番簡単に滅茶苦茶に出来るから」

 

「いや、そうかもなんですけど……なんだか凄いことになってます」

 

「うん……」

 

アイズがやったこと。

それはダイダロス通りの中心部を大爆発させ、ダイダロス通りに隠されたものを、それこそ人造迷宮クノッソスも含めて無理矢理露出させるという、あまりにも大胆な手段である。なんなら普通にテロ行為だ。今もこうして多くのギルド職員を含めた者達が慌ただしく動いている。

 

だが、これによって確定していた未来は消え、全てが未観測の状態となった。例えば闇派閥の残党の動きも変わり、この時点でクノッソスの存在が露見したことで、少しずつ調査も進んでいくだろう。未来の殆どが全く違う形に変わっていく。アイズの見境のないテロ行為によって。

 

そして重要なのは、これをアイズが自分の意思で引き起こしたということだ。他でもない、一度は英雄となった彼女がである。

同じことをノアがやったとしても、例えば直ぐ様に闇派閥による隠蔽作業が始まったり、そもそも邪魔をされたりして、結果的に未来は変わらなかっただろう。しかしこれを運命を破るという力を極限まで高めた今のアイズがやろうとすれば、彼女はあらゆる世界による干渉を跳ね除ける。観測された物を破壊し、無理矢理新たな道を作り出す。何者にも縛られることはない。

 

……運命を破る力というのは、つまりそういう理不尽なものなのだ。観測されているはずの未来すら破壊する力。これがあるかないかが、重要になる。神々で言う主人公補正とでも言うべきか。自らの意思で敷かれたレールを降りる力。

もちろん、その先の結果が良くなるのか悪くなるのかは分からないが。ノアはどれだけ努力しても降りられない。だがアイズなら降りることが出来る。当然いつも降りることが出来るという訳ではないし、そこには彼女自身の意志の強さが大きく関わって来ることではあるが。あくまで降りやすさ、という点においては、今のアイズは歴史を遡っても最高峰とも言える素質を持っているだろう。魂すらも二重になった彼女は現状、神にもこの世界にも縛られない。単一の個体として最強の存在となったと言っても良い。……正しく、英雄として相応しい存在に。

 

「けどね、ノア」

 

「?」

 

「確かに私が、運命を変えたのかもしれないけど……変えたいって思わせてくれたのは、ノアなんだよ」

 

「……!」

 

「だから、これはノアの責任でもあります」

 

「あ、そう来ますか」

 

「私がノアのことを好きになれたのも、ノアのせいです」

 

「ふふ、それは嬉しいですね」

 

「なので……」

 

アイズは彼に顔を近付ける。

腕を深く抱え込んで、身体を密着させて。

少し背伸びをするように、求めるように。

 

「責任を取って……キス、して?」

 

「まだ駄目です」

 

「が〜ん……」

 

断られた。

まだこっちに来てから一度もしてないのに。

なんだったらもうずっとしていないのに。

せっかく久しぶりに彼と出来ると思ったのに。

だから勇気を出して、割と無理矢理めな会話の流れでお願いしてみたのに。ノアは酷い。

 

「ふふ、別にやらないとは言っていませんよ。ただ、せっかくならもっと良い雰囲気でしたくありませんか?」

 

「……!!うん、したい」

 

「ささ、こっちへ」

 

ノアに連れられて、魚館の中へと入っていく。

まだ昼間の明るい時間帯、しかしやはりと言うべきか他にお客さんなど1人もいない。それでも少しばかり暑い今日は、この涼しさが快適なくらいだった。

いつものようにお婆さんに挨拶をし、お金を払うノア。けれどアイズにとっては、そんな姿でさえも初めて見るもので。

 

「うん?なんだいノア、彼女さんかい?」

 

「ええ、私の大切な人です」

 

「こ、こんにちは……」

 

「へぇ、こりゃまた美人さんを貰ってきたもんだ。大事にしてやりな、人生共にしてくれる相手なんてなかなか見つかるもんじゃないからねぇ」

 

「はい、肝に銘じます」

 

アイズがこの魚館について抱いている印象は、それほど良いものではない。確かにノアがここを好んでいたということは知識として知ってはいるが、それでも実際に見たのは、クリュティエが囚われていたことと、ノアがここで死亡したという2つである。良い印象を持てという方が難しいくらいだろう。

……それでも。

 

「……綺麗」

 

「ええ、本当に」

 

それでも、足を踏み入れればそう思ってしまうのだから。これもまた不思議なもので。

 

「アイズさん、こっちにどうぞ?」

 

「え?あ……うん」

 

彼が何処からともなく持ってきた敷物の上に、肩を並べて座る。こんな物まで持ち込んでいたのかと驚きつつ、そう言えばこれもレフィーヤがあの時に使っていたなとか思い出して。……レフィーヤは彼とデートの時にここに来ていたということを思い出して、少し嫉妬する。まあ自分の場合は本当に色々と手遅れになってからだったから。自分が悪いと言えばそうなのだけれど。

 

「アイズさん」

 

「?どうしたの?」

 

「……なんだか、夢みたいで」

 

「夢……?」

 

「幸せ過ぎて」

 

「!」

 

「こんな、こんなにも都合の良いことがあっていいのかなって……そう思ってしまって。実はこれが死ぬ直前の私が見ている自分勝手な妄想なんじゃないかって、ちょっぴり不安にもなってしまうんです」

 

「ノア……」

 

「だって、そうでしょう?あんなに私に厳しかった世界が、突然こんな風に……何か裏があるんじゃないかって思ってしまっても、それは仕方がないというか」

 

「……怖い?」

 

「……はい、怖いです」

 

アイズは彼に両の手を差し出す。

それは彼に握って欲しいから。

されるがままに互いに手を握り、向き合う2人。

目と目が合う。

鼓動が速くなる。

互いに顔が赤くなっていることが、この暗闇でも分かってしまう。

 

「確かにノアの言う通り、これで全部うまくいった訳じゃないかもしれない」

 

「はい……」

 

「私が運命を破れてないかもしれないし、破っても結果は変わっていないかもしれない。……クリュティエ様は助けられたけど、他に何か別の罰を要求されるかもしれない」

 

「……はい」

 

「もしかしたらこれも、私が見ている都合の良い夢で。起きたら全部が消えてしまっているかもしれない」

 

「……」

 

「……でもね」

 

アイズは微笑みかける。

 

「もしそうだとしても、私は諦めない」

 

「……!」

 

「ノアと幸せに暮らせるようになるまで、私はずっと頑張り続ける」

 

「アイズさん……」

 

「だから、怖がらないで?もしノアが誰かに攫われても、私が絶対に助けに行くから」

 

「……なんだか、これでは私がお姫様みたいですね」

 

「私にとっては、お姫様かも。英雄になってでも、助けたかったから」

 

「……英雄?」

 

「気にしないで、それくらい大事ってことだから」

 

ノアの記憶の中にある彼女より、少しハキハキと話せるようになったろうか。表情もとても自然に笑えるようになって、彼女という人が成長しているということを感じられる。

……分かるとも。自分を助けるために彼女達が相当に努力をしてくれたということは。そうでなくとも前回、闇派閥との抗争が予想出来るような状況であった。彼女達はそれを乗り越えているということも分かる。それだけのことを乗り越えても、自分のことを忘れないでいてくれたことも。諦めないでいてくれたことも。分かる。

 

「助けてくれて、ありがとうございます」

 

「!……うん」

 

「私を選んでくれて、ありがとうございます」

 

「私の意志だから」

 

「好きになってくれて、ありがとう」

 

「……私も、そう」

 

自然と顔を近付け、指を絡める。

鼻先を当て、その瞳を覗き込む。

 

「して、いい?」

 

「もちろん、私はもうアイズさんのものですからね」

 

「レフィーヤと共有、かな」

 

「い、言い方が……」

 

「でも、2人でこんなに頑張らないと手に入らなかったから。ノアは高嶺の花」

 

「それ使い方合ってます……?」

 

「あってるよ」

 

「んぅっ……」

 

もう我慢出来ないとばかりに、アイズは彼の唇を奪う。指を深く深く絡めて、絶対に離さないとばかりに握り締めて、すっかり下手くそになってしまった舌使いで、縋り付く。

 

「っ……ふふ、少し下手になりましたか?」

 

「むっ……ずっとしてなかったもん……」

 

「それでは、また上手になっていきましょう」

 

「!……うん」

 

だから今度は、ノアの方から誘導していく。握った手はそのままに、空いた手で彼女を抱き寄せ、優しく背中をさすりながら舌を差し込む。

 

「んぅ……ふっ……ぅぁ……」

 

……彼のこういうところは卑怯だと思う。ただキスをするだけでもいいのに、しっかりと抱き寄せてくれて、満たしてくれて、それなのにこうして背中を摩って、なんだか変に意識させられてしまって。

 

「……ふふ、恩恵があるので。息が続けます。アイズさんにだって負けません」

 

「はぁ、はぁ……ノアのえっち」

 

「背中を摩っただけで"えっち"は流石に酷いですよ」

 

「もっと触って」

 

「……なんだか、アイズさんの方がえっちですね」

 

「嫌い……?」

 

「そんなはず」

 

「……私も、勉強したから」

 

「そうなんですか?」

 

「うん」

 

ぐいっと、押し倒される。

力では敵わない彼女にこうされてしまうのは、流石にノアとしては慣れたものであるし。恩恵のある今なら確かに彼女の獣のようなキスにだって付き合ってあげることは出来るけれど。

……なんだか、雰囲気が違うというか。

 

「クリュティエ様に、駄目って言われたから……そこまではしないけど」

 

「え?え?」

 

「ノア……私もう、大人だから」

 

「は、はい……?」

 

「色んな愛し方、知ってるよ」

 

「……え?」

 

「レフィーヤに、取られちゃう前に……奪っちゃうね」

 

「………ひんっ!?」

 

 

……だからこれは、後日談であるけれど。

実は恩恵を更新したら4人とも恩恵が前の世界の経験値を一部引き継いでしまっていたり。それでもノアは前線を退くことになって、基本は後方支援を担当するようになったり。それこそ花屋の手伝いを主にし始めた楽しそうな彼の笑みに、アイズとレフィーヤが暴走してしまったりはしたけれど。

 

その日々に飽きることは決してない。

世界は前回とは全く違った道を辿り始め、飽きさせてくれることなど決してない。

 

もちろん何もかもが上手くいくはずなんてない。その道を辿ってしまったが故に直面することになった辛い現実だってあるだろう。だがそれでも、アイズ・ヴァレンシュタインという英雄となった少女の心が折れることは決してないし、何度でもその運命を打破る。

 

 

だって……

 

 

「ノア」

 

「は、はひっ……」

 

「……逃がさないからね」

 

「に、逃げるつもりはないですけど……けど……!」

 

「安心して、ちゃんと責任は取るから」

 

「それ私の言いたかったこと!?台詞まで取らないでください……!?」

 

「大事にするからね、私のお姫様」

 

「ひぁっ!?」

 

自分にとっての姫を手に入れたから。

自分が姫になるのではなく、自分が英雄になるのだと、覚悟することが出来るから。

 

「私のこと見て、ノア」

 

「は、はい……」

 

「またキスして、ノア」

 

「も、もちろん……」

 

「私の子供産んで、ノア」

 

「それは無理ですけど!?」

 

「……ノアなら、いけるかなって」

 

「私のことなんだと思ってるんですか!?」

 

「愛があればいけるよ」

 

「もしかして産まそうとしてます!?そこまで運命破ろうとしてます!?」

 

「大丈夫、多分似合うよ」

 

「似合うどうこうの話では……ぁぁぁぁあああ」

 

ノア・ユニセラフは、凡人だ。

何もかもを捨てても、2周をかけても、願いに手を掛けることしか出来なかった。

けれどそれを引き上げてくれる人がいた。求めていた彼女こそが、そんな自分を愛してくれた人達が、3周目を回してまで、引き上げてくれた。

 

奇跡も、運命も、味方になってくれなくても。

馬鹿で愚かで、それでも懸命で誠実であった努力こそが、今この時まで導いてくれたのだから。

 

……だからきっと、何も間違ってなどいなかったのだ。

 

 

 

「……好きだよ、私の恋人さん」

 

「……はい、わたしもです」

 

 

剣姫と恋仲になりたいんですけど、もう一周してもいいですか?

 

……私にはもう一周必要でしたけど、なれました。

 

けど、これでようやくスタート地点に立てたと考えると。

人生は本当に長くて、大変なものなんだなぁと。

……思えて。

そう、思えることがきっと。

 

 

何より、幸せなんだ。




これで最終回です。
60話もの長いお話になってしまいましたが、ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました。

今後も何かしら黙々と書き貯めてはダバ〜っと投稿していく予定ですので、宜しければ別の作品等についても目を通して頂けると嬉しいです。

本当にありがとうございました。


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