転生しても戦争だった ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~ 作:ガンスリンガー中年
ええ、(質的問題を見ないふりをすれば)まさに『蒸気ローラーで全てを圧し潰すが如く』素晴らしい作戦ですよ?
Yak-9D&T、La-5FN:「「「俺たち、デビュー戦!! Ураааааааа!!!!」」」
「これより”スチームローラー作戦(Операция «Паровой каток»)”を発動する!」
スターリンの口からその言葉が出たのは、奇しくも1943年7月4日。
アメリカの独立記念日であり、そして史実の”クルスクの戦い”が勃発した日でもある。
クルスの予想通り、ノブゴロドから南東170㎞ほどのところにあるボロゴエ近郊に段階的に続々と集結した300万に達しようとする”赤衛国際革命旅団”と赤軍正規旅団の混成軍がゆっくりと北西に向かい前進を始めたのだ。
先陣を切るのは、赤軍の選抜部隊である”
土地勘が全くない、それどころかロシアに来るまでまともな行軍訓練をした事がない者が多数派の”赤衛国際革命旅団”を牽引してノブゴロドに誘導するには道案内が必要だった。
赤軍に先導され、更に後方の赤軍本隊から押し出されるようにして200万人を超える外国生まれの赤化義勇兵達は進む……
何やら羊の群れをコントロールする牧羊犬のように見えなくもないが……
だが、その進軍速度は早いわけでは無く。
航空攻撃など食らったらひとたまりもないと考えた赤軍上層部は、先んじて強固な防御を持つであろうノブゴロドに対して先制航空攻撃を敢行する。
爆撃機400機を200機の戦闘機で護衛する、ソ連にしては珍しく防御に気を使った編成の600機の大編隊だった。
本来なら1000機以上の爆撃機で地上だけでなく空中でも飽和攻撃をしたかったのだろうが、空中集合やら何やらでが問題となり断念されたようだ。
技量もさることながら、護衛役のソ連戦闘機は『航続距離やペイロードとトレードオフして性能を引き出している(燃料搭載量の少ない小型の機体や燃費と寿命の引き換えに高出力を絞り出すエンジンなど)』部分があり、一部を除く大半の戦闘機が航続距離1000㎞以下だったのも問題だった。
つまり遠方の基地からは飛ばせないのだ。
ちなみにここの時期(1943年)、ソ連戦闘機最大級の航続距離を誇るとされた”Yak-9D”ですら、航続距離は1360㎞だ。
実は双発爆撃機にも少なからずその傾向があり、例えば時速500㎞/h以上出せる高速爆撃機として知られる”Pe-2”だがペイロードが最大1tで、航続距離(作戦行動半径ではない)に至ってはYak-9TDと同じ1350㎞ほどしかない。
昨年、鳴り物入りで登場させた”Tu-2”爆撃機でようやく500㎞/h以上の速力と両立させる形で最大ペイロード2t、航続距離2000㎞を達成したが……実は2000㎞飛行しようと思うと爆弾搭載量を1tに制限しないと不可能であるらしい。
加えて、毎度おなじみIl-2襲撃機に至っては、航続距離は600㎞ほどだ。
ちなみにノブゴロドとモスクワの間は500㎞近くもあるのだ。
要するに二度とモスクワ爆撃をさせないための防空力を確保しながら、ノブゴロドまで飛ばせる航空機が600機であったということなのだろう。
実際、ほとんどの戦闘機やIl-2はよりノブゴロドに近いトヴェリやウドムリャの前線基地から飛び立つ羽目になったようだ。
実はレンドリースのP-38、P-39、P-40が喜ばれた理由がここにある。
この世界線でレンドリースの主力であるP-39Qで最大航続距離2000㎞、P-40Eで1530㎞、P-38Fに至っては同じ双発のソ連爆撃機よりも航続距離の長い最大3100km。これで900kgの最大ペイロードとスピードテスト・コンディションなら650㎞/hの最高速を誇った。
アメリカ生まれの彼らは、ある程度の余裕を持ってモスクワ近郊の基地からノブゴロドを目指せたのだ。
半数近くがIl-2とはいえ400機を越える空爆は、それでも空爆が成功すればそれなりの効果は期待できたであろう。
しかし……
☆☆☆
「うそん」
僅か一連射……これまで鈍重ではあるが重防御故に落とすのが面倒臭かった(難しかったわけでは無い)ロシア産の”空飛ぶ戦車”があまりにあっさり空中爆発したことに、逆に仕留めたハルトマンが驚いてしまった。
理由の一つは”Mc205B”の火力。
機関砲自体は以前から使われているMG151/20mm機関砲だが、これを機首に2丁+主翼に2丁の計4丁のかなりの大火力だ。
特にプロペラ同調発射される機首の2丁は集弾性や命中率が高く、有効弾になりやすいというのもあった。
ただ、これだけならばこの世界線のBf109Gはモーターカノンと同じくプロペラ同調の機首左右に合計3丁のMG151/20㎜と大差なく、Fw190に至っては最初期のA型でさえ主翼にMG151/20㎜を同じく4丁だ。
つまり基礎となる20㎜機関砲×4の火力の高さは前提にしても、他にも理由があるということだ。
一つはMc205BのMG151×4丁を全てプロペラ同調とし集束搭載するという割と特異な設計による火線集中効果。
これにより命中率と弾幕密度が上がり、敵機に対する有効弾が従来より増加していること。
もう一つは、”20㎜弾自体の改良”だった。
実は……ドイツ自慢の”薄殻榴弾(Minengeschoss)”は重装甲の機体、特にIl-2のような700kgも装甲板を仕込んだような機体とは相性が良くないのだ。
その理由はシンプルに”貫通力が低い”から。
以前、以前にクルスも語っていたが、”薄殻榴弾”は精密プレス加工の極めて薄い金属弾殻に信管と目いっぱいの炸薬を仕込んだような構造だ。
なにせ容積の80%が炸薬という驚くべき機関砲弾なのだが、薄殻故に軽く、また弾殻も特段硬いわけでもない……というか薄さ相応の強度の為、どうしても貫通力が低くなってしまうのだ。
資料により薄殻榴弾の重量の80%が炸薬という記述あるが、流石に誤訳と思われる。実際、別の資料には『一般の炸裂弾頭では全体の重量に対し炸薬は1割程度だが、ミーネンゲショスでは重量比2割以上となっている』と記されている。炸薬が全体重量の八割もあったら、弾殻が紙製でもないと説明ができなくなってしまう。(ロケット花火や爆竹でも、火薬の重量比はもっと小さい)
事実、Il-2では内部に仕込んだ装甲板を貫通できず、表層爆発を起こして機体内部までダメージが通らない事例が史実では多発した。
おまけに当時ソ連機に使われていた”デルタ合板”は重いが引っ張り強度が通常の木材の倍以上あり、しかも耐火性が高かった。
ちなみに史実では、この合板を作るのに必要なホルムアルデヒド樹脂は戦前のドイツからの輸入品で賄われていたが……この世界線では、ヒトラーが『持っていないふり』をしたので、結局、アメリカからの輸入で賄った。
なので品質(強度)は多少落ちるが、結果としてレンドリース品目に含まれ史実よりも安定供給を受けられるという、この世界線では珍しくソ連の結果オーライなバフとなっていた。
だが、それを知っていたクルスが放置する訳もなく……
当時はまだストックホルムにいた小野寺武官を通じて”MG151と薄殻榴弾”を取引材料に日本皇国より空気信管とそれを用いた”マ弾”を入手。
そして銃本体ではなく”薄殻榴弾”の本格的な改良に勤しんだ。
具体的には、薄殻榴弾にMG131/13㎜機銃の徹甲弾を
20㎜弾殻に13㎜弾を仕込むのだから当然、炸薬量が減るのだが……それは弾頭を延長すると同時に空気信管の採用で信管部分の容積を減らし、極力炸薬量を確保した。
また延長した弾頭の空力バランスを取るために尾部を整流効果のあるボートテイル状にすることで対応した。
当然、弾頭が重くなったため銃口初速は低くなるが、そこは元々MG151の薬莢が頑丈な冷間鍛造法で作られた鋼鉄製なことを活かして装薬(発射薬)を強装化と雷管の改良で薬莢サイズは変えずに初速低下を何とか最小限にとどめた。
実はこのノウハウは戦車砲にも生かされるのだが……それでも初速は785m/s→730m/sまで落ちたが、比重の大きな弾芯を仕込んだことで重心が安定し、ボートテイルの整流の相乗効果で弾道直進性や命中精度はむしろ向上した。
そして、空気信管も1/500~1/1000程度の遅延作動するように調整し、出来上がったのは……
”薄殻徹甲榴弾”
と呼ぶべき物だった。奇しくもこれは日本皇国が43年から大量使用する”新マ弾”とほぼ同じ構造だった。
しかもこれ遅延式空気信管のお陰で『貫通して潜り込んでから起爆』するのだ。
ちなみにこの”薄殻徹甲榴弾”の貫通性能は一般的な空戦距離で15㎜以上とされていて、対してIl-2の装甲は最も厚い操縦席背面で12㎜だ。
この”薄殻徹甲榴弾”、まだサンクトペテルブルグで大規模製造が始まったばかりで今回がデビュー戦なのだが……その成果が露骨に出たのが、この空戦だった。
そう、Il-2の重装甲を新型20㎜弾は正面から物理で突破したのである!
いや、クルスは生きている限りどこまでもソ連に災厄を齎す男である。
まあ、これは蛇足ではあるが……MG131用の13㎜弾も同じ構造(弾芯は7.92㎜徹甲弾だが)の”薄殻徹甲榴弾”で、サンクトペテルブルグの機体には同様に試験配布されていたのだ。
先ずはテスト運用からの効果測定であろう。
『ハルトマン、あんまり襲撃機や爆撃機ばかり落とすなよ? 俺たちの優先事項は、「
と通信を入れてきたのは、ランバ……じゃなくて”グスタフ・ラル”大尉だった。
「わかってますよ、ラル大尉」
どうしてもラル大尉と聞くと、北アフリカ戦線でもないのに”砂漠のゲリラ屋”とか言いたくなってしまう。これが世代という物だろうか?
それはさておき我らが未来のトップエース、ハルトマンは今回のミッションではラル直々に僚機を仰せつかっていた。
因果律が仕事したのだろうか?
『まあ、喰いやすい”標的機”はロスマン大尉や新米たちに譲ってやれ。空中戦に慣れるには丁度いい相手だ』
「Ja」
そして、件のラル大尉は信頼できる(つまり自分の操縦に追従できる)部下に背中を預けられることにご満悦らしく、
『メッサーシュミットとは違うのだよっ! メッサーシュミットとはっ!!』
いや、セリフ……
上機嫌にMc205Bの性能を惜しみなく出しながら、見慣れない(おそらくは)新型……実はMc205B同様に今回の戦いがデビュー戦だったソ連機体のニューフェイス”Yak-9(おそらく航続距離延伸仕様のD型)”を片っ端から落としてゆくラルであった。
まあ、それはハルトマンも同じなのだが。ちなみに今撃墜したのは史実ではクルスクがデビュー戦だったらしい37㎜機関砲搭載型のYak-9Tだろう。
見れば今は小隊長を務めるシュミットも、やはりこちらも史実ではクルスクデビューだった新型”La-5FN”を華麗に叩き落としていた。
この戦い、ソ連も史実よりレンドリースが細いのに頑張ってクルスクで登場した新型機を少数ながらも投入してきていた。
史実では大いに活躍した”赤いウォーバード”達だが……
如何せん今回はいくらなんでも相手が悪すぎた。
Mc205Bを装備しているのは何もサンクトペテルブルグで臨時編成された”
ここはドイツ北方軍集団の”
ラルや戦闘機大隊長であるヴィルケ中佐の原隊である北方軍集団の戦闘機隊も、『
サンクトペテルブルグやノブゴロド、イリメニ湖に縁があるエースに限っても「極北のエース」こと”エールラー”や、乗っているのはMc205BではなくFw190の最新型(おそらくはA-8準拠)ではあるが「シトゥルモヴィークの壊し屋」の”キッテル”なんかもいるようだ。
そして、北方軍集団の戦闘機隊にはサンクトペテルブルグに地理的に近いせいもあり、前述の”薄殻徹甲榴弾”が、サンクトペテルブルグ以外では最も早く供給されていた。
無論、前述の(排気タービンが外された)レンドリースのP-38,39,40なども混じっていたが、「戦闘機狩りに闘志を燃やす鋼の猛禽の群れ」相手には如何ともし難い。ソ連の最新鋭機や古株のMiG-3、LaGG-3、Yak-1の性能向上型であるYak-1B/Mなどと等しく、分け隔てなく撃墜されていった。
一つ絶望的な数字をあげよう。
戦後明らかになったこの時の独ソ戦闘機のキルレシオは1:15以上……ドイツ機が1機撃墜される間に15機以上の米国製も含んだソ連戦闘機が墜とされていた計算になる。逆にドイツ機は下手すれば10機落ちてない程度で、ハルトマンがやったようにどさくさに紛れて墜とされたIl-2や他の爆撃機は数字に入っていない。純粋な戦闘機同士の戦闘の結果でのスコアだ。
機体の性能差に加え、ドイツがエースを史実に輪をかけて数多く揃えた(加えてそれらのエースを加えた100機以上のドイツ空軍機が参加していた)故の残酷な空であった。
いや、スモレンスクでの防空戦の時よりも更にソ連側のキルレシオが大きく悪化していることを考えると……もしかしたら機体性能以上にパイロットの技量差が広がっているのかもしれない。
専門性の高いパイロットの質的劣化は、いつの時代でも航空戦力崩壊の明確な兆候だ。
護衛をことごとく食い散らかされたソ連の爆撃機隊は、にわか仕込みのコマンドボックスを何とか維持しながらノブゴロドに近づこうとしていた。
そして、地獄の釜の蓋が開く……
という訳で、初手から航空優勢獲得失敗でしたw
まあ、そりゃあ地理的条件考えれば、ノブゴロドやサンクトペテルブルグの航空兵力だけじゃなくて、他にもドイツ北方軍集団の航空隊やフィンランド・カレリア方面軍航空隊の防空エリアですし、普通にいっぱい迎撃機はいるでしょう?
Yak-9D&T、La-5FN:「「「俺たち、デビュー戦だったのに……」」」
そりゃあ兵器の性能的にもパイロットの質的にも、下手すれば局所的には数でも勝られてしまった敵を相手にすれば、そりゃあね?
しかもドイツの戦闘機乗りは、『爆撃隊の防御を引っ剝がす』事を最優先、『ミリシャ防空隊の被害極小』を狙う”鋼鉄の猛禽”っぷりですからw
もしかしたら、”超ジュラルミンの脳筋”っぷりかもしれないませんが。
いや、ラル大尉見てるとね?
あと、お約束の「大体クルスが悪い」シリーズの”薄殻徹甲榴弾”のせいで、特にIl-2なんかは自慢の装甲防御が台無しに。
特にドイツ系教練のパイロットは、コックピット周辺をよく狙う(ソ連のパイロット捕虜が少ない理由の一つ)から……
こんな相手に「装甲板貫通した後に機内で爆発する弾丸」をしこたま撃たれたらと考えると結果は、ね?
次回はこの続き、「護衛戦闘機を喪ったソ連爆撃隊の
次回もどうかよろしくお願いいたします。