提督をみつけたら   作:源治

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数多の艦娘の中にありて、煌々と幼馴染属性光を放つ白色矮星。

そう、彼女こそ──
 


『コレクター』と『軽巡:Gotland』

 

「ゴットゥランドくぅん! ゴットゥランドくぅんは居るかね!?」

 

 豪勢な北欧家具で彩られた屋敷のホールに、野太い男の声が響き渡る。

 そこに居たのは、モコモコタイプのバスローブを羽織った禿げた中年の男。

 

 男はメタボ気味の腹をゆらしながら、のっしのっしとホール中央まで歩いてくると、再度女性のものと思われる、誰かの名前を叫ぶ。

 

「ゴットゥランドくぅぅぅううううん!!」 

 

「はいはい……なに? ゴトになにか用かしら?」

 

 眠たげな声がホール二階から聞こえてくる。

 階段の手すりを軽くつかみながら現れたのは、北欧的な爽やかさが漂う、泣きぼくろが素敵な青い髪の美女。

 上品でおっとりした雰囲気で、やや大人びた優しさが漂っていた。

 

 そのたたずまいは、まるでおとぎの国から現れた女神のよう。

 

 しかしその正体は女神ではなく、北欧スウェーデン生まれのGotland級 1番艦

軽巡洋艦の艦娘である『ゴトランド』である。

 

「わしが昨日パーティーで口説いてお持ち帰りきめた、エキゾチックな美女をどこにやったのゴトランドくん!!」

 

「なによ、ゴトのせいだって決めつけて……まあそうだけど」

 

 彼女は高級そうな絹のバスローブを艶めかしく揺らしながら、笑みを浮かべる。

 

「その人なら、お金が欲しいなら恵んであげるし、本気で恋したって言うなら正々堂々叩き潰してあげるけど。もしゴトの提督を傷つけるのが目的なら、ウチで扱ってる組み立て家具の部品みたいに丁寧にバラバラにして、ゴトシープの餌にしてあげる♪ って言ったら服も着ずに裸足で逃げていったわ☆」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『コレクター』と『軽巡:Gotland』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴットゥランドくぅん!? なにやっちゃってるのゴットゥランドくぅん!?」

 

 男は両手を広げ、バスローブの襟元をはだけさせながら、大げさな身振りで嘆き始めた。

 本当にどうでもいい情報だが、頭の毛は薄いのに、胸の毛は結構濃い。

 

「なによ、あんな見え見えの産業スパイに引っかかっちゃってさ。夜に提督の書斎に忍び込もうとしてたのを、ゴトが追っ払ってあげなかったら大変なことになってたかもよ?」

 

「やっぱりー!? やっぱりそうだったのー!? ノリノリで家までついてきたのに、酒飲まされるばっかりで手を触るのもお断りされたから、うすうす気がついてたけど……やっぱりー!?」

 

「やっぱりよー、うにゃにゃにゃ~」

 

 ゴトランドはあくび交じりの返事をしながら、ホールに置かれたソファに腰を下ろす。

 

 その姿はくつろぎきった猫そのものだったが、どこか優雅な振る舞いも感じさせた。

 美女はなにをやっても絵になる。

 

「だいたい提督、あなたには愛人で秘書艦娘で恋人でビジネスパートナーで幼馴染のゴトがいるのに、なんでほかの女が必要になるのよ。もしかして母親とかになってほしかった?」

 

「許せ! 男はわかっていてもキンタマに支配されてしまう瞬間があるのだッ!」

 

「じゃあソレ()()()あげようか? ゴトは提督のソレが無くても愛してあげるわよ?」(母性に満ちた目)

 

「ヒェッ!? ごめんなさい!!」

 

 バッと跳ねるように土下座する男に、ゴトランドは肩をすくめて小さく笑った。

 

「まぁいっか。じゃあ……お詫びとして、今夜はゴトの相手をしてくれる?」

 

 艶めかしく髪をかき上げながら、わざとらしく上目遣いを決めるゴトランド。

 男はそのむせかえるような色気にあてられ、一瞬たじろぐ。

 

 だが、すぐににやりと口をゆがめて言い返した。

 

「うむ……わしの渾身の一夜漬けロマンスをお見せしよう!」

 

「漬け物じゃないのよ、それ」

 

「漬けすぎてシュールストレミングになるよりはましだ!!」

 

「……ゴト、ちょっと興味あるな……それ」

 

 豪奢な北欧家具に囲まれた広いホールに、二人の笑い交じりの会話が響く。

 

「それよりも」と、ゴトランドは軽く指先を立てて、話題を変えた。

 

「今日は『ひまわり』*1の作品を扱ってるバイヤーと会う日じゃなかった?」

 

「……あっ!」

 

 男の顔が、湯気のように蒸気を吹き上げそうなほど真っ赤になった。

 

「うわっ、いかん! いかんぞゴットゥランドくん! わしとしたことが、今日という日を忘れていたとは!」

 

 バスローブの裾を翻しながら、男は廊下をダッシュ。

 途中、ずっこけそうになりつつも、かろうじて持ち直し、そのまま寝室に飛び込んでいった。

 

 ゴトランドはゆっくりと立ち上がると、呆れたような笑みを浮かべて呟いた。

 

「はあ……あの人が、北欧最大の家具と建設会社の社長だって、普通の人はわからないでしょうね~」

 

 数分後、頭のてっぺんから足の爪先まで見事なまでにダークグレーで統一された、いかにも“商談用”なスーツ姿で男が現れた。

 鼻息荒く、胸ポケットにはその筋では有名な『ひまわり』の作品冊子がしっかり挿さっている。

 

「さあ行くぞ、ゴットゥランドくん! なんでも軽巡の像らしいからな。もしかしたら今日こそわしは、あの幻の“水辺のヘレナ”を我が手にできるかもしれん──!」

 

「はいはい、忘れ物しないでね提督」

 

 

 

 屋敷を出発してしばらく。

 車が停まったのは、郊外の高台にある、妙にきらびやかな豪邸だった。

 

 金属とガラスでできた玄関ファサード。

 ねじれた柱に、意味の分からない非対称の屋根。

 

 一見すれば最先端、あるいは富の象徴と呼べるかもしれないが、男の目にはどう映ったか。

 

「くだらん……こんなものは建築ではない、ただの自己顕示欲の塊だ」

 

 男は鼻を鳴らし、スーツの袖を正す。

 

「美しさの欠片もない。こういうのは“加工された退廃”というんだ、くだらん」

 

 隣を歩くゴトランドは、彼の毒舌にもう慣れている様子で、指先でスカートの裾をつまみながらさらりと返す。

 

「でもあの屋根の上の飾り、提督がデザインしたうちの商品じゃない? というか、ここ建てたのってうちの会社でしょ?」

 

「……ますます気にくわん」

 

 応接室に通されると、すでに待っていたのは黒のスーツを着こなした細身の男だった。

 よく磨かれた眼鏡の奥には、どこか底の見えない笑みがある。

 

 周囲には、分かりやすく黒服のガードマンたちが何人も立っていた。

 その視線は、決して好意的とは言えない。

 

 対してこちらの付き人は、ゴトランドひとりだけ。

 

 だがゴトランドの目がひとつ動くだけで、黒服たちは瞬間的に警戒を強めた。

 おそらく彼女が“艦娘”であることを、彼らもすでに把握しているのだろう。

 

「いやあオラフ様、ようこそおいでくださいました。道中はお疲れだったでしょう?」

 

 バイヤーの男が、軽妙な口調で出迎える。

 

「すぐにでもお茶をお出ししますので、まずはお寛ぎいただいて──」

 

「いや、いい。余計なものは要らん」

 

 男、オラフと呼ばれた彼は、手をひらひらと振った。

 

「茶は帰ってから飲む。わしは“作品”を見に来た」

 

 バイヤーの笑顔が一瞬だけ強張ったが、すぐに営業スマイルに戻る。

 

「……さすが、効率を重んじる実業家の鑑ですね」

 

「効率ではなく、敬意の問題だ。茶を飲んでる時間があるなら、わしはひまわりの足跡を一筆でも多く見る」

 

 どこかの宗教家のような物言いである。

 が、彼はいたって真面目だった。

 

 ゴトランドはというと、応接ソファにちょこんと腰掛け、退屈そうに天井を見上げていた。

 

「さて……本題に入ってもらおうかな」

 

 オラフの小柄な体から放たれる、重い一言。

 

 その瞬間、空気がゆるく緊張に変わった。

 

 バイヤーが静かに指を鳴らすと、背後の扉が滑るように開く。

 そしてその奥から、二人がかりで豪奢な台車が押し込まれてきた。

 

 黒い布に覆われたそれは、高さこそ1メートルほどだが、台座を含めるとずっしりと床に根を張るような存在感を帯びている。

 台車を押す男たちの額には、うっすらと汗が浮かんでいた。

 

 オラフの目が細くなる。

 

「……前か、後か?」

 

 ぽつりと発した問い。

 

 バイヤーは間髪容れず、ほんの僅かに顎を引きながら答えた。

 

「前です」

 

 たったそれだけのやり取り。

 だが応接間にいた全員が、なにか言葉にならない緊張を感じた。

 

 “前”、それは『ひまわり』の転換点──とある時期を境に、彼の作品は根底から表情を変えた。

 

 前の作品には、荒涼とした孤独と切実な祈りが滲んでいた。

 後の作品には、色彩と形状の爆発、ある種の恍惚や祝祭性が宿っていた。

 

 どちらも評価は高い。

 だが「前」は、知る者、手に入れた者だけが見ることを許された、禁断の果実。

 

 そして静謐の宝石だった。

 

「ほう……」

 

 オラフが喉奥で低く唸る。

 

 バイヤーが無言で頷くと、黒服の一人が布の端をつまみ、丁寧に、だが一切の演出を排して布を取り去った。

 

 姿を現したのは、石で彫られた艦娘の像。

 

 両腕を広げ、どこかを包もうとするような軽巡の艦娘の姿。

 その面差しは、微笑でも憂いでもなく、ただ深く祈っているように見える。

 

 無骨な石の肌を持ちながら、その輪郭は柔らかく、滑らかで、まるで静かに呼吸しているかのよう。

 

 それが、ひまわりの「前」の仕事──沈黙と孤独の果てに生まれた聖像。

 

 オラフは石像の前に立ち、両手を後ろに組んで、微動だにせずにそれを見つめた。

 

 まなざしは真っ直ぐ像の目元に注がれている。

 が、焦点はその奥、形の内側に向いているようだった。

 

 ゴトランドが足を組み替え、ちらとその横顔を見やる。

 バイヤーはその様子を確かめるように、一歩下がって声をかけた。

 

「……お気に召しましたかな? オラフ様」

 

 答えはなかった。

 しんとした室内に、時計の針の音だけが響く。

 

 やがてオラフが口を開く。

 

「……どうして“左目”が彫り込みすぎてる?」

 

 ごく小さく、独り言のような声。

 

 バイヤーの顔が、一瞬だけ動く。

 だが笑みを崩さず、こう返す。

 

「作者の……意図かと。静寂と──」

 

「意図?」

 

 オラフの声が、一段だけ低くなった。

 はっきりとバイヤーを見た。

 

「“ひまわり”は、左目に陰を置くときはかなりのケースで右の口元に反転を入れる。笑みか、苦悩か。左右で感情を捻じって見せるんだ。これは違う。どちらのバランスもない。情動がない」

 

 ゴトランドが、静かに口元をゆがめた。

 半ば呆れたような、だがどこか満足げな笑み。

 

 オラフはもう一歩、像に近づいて指先で頬のラインをなぞった。

 

「そして、頬骨の削り。この削り方は“東欧の贋作屋”にみられる癖だ。あと素材も怪しい、ひまわりがこの手の素材を使うのは……ともかくだ。おそらく艦連が検査すれば、五年以内の加工と出るだろうな。前の作品だというのに五年以内……まあ、そういうことだ」

 

 場の空気が変わった。バイヤーの笑みが崩れる。

 

 オラフはため息をついた。

 

「よくできてはいる。全体のフォルム、サインとして彫られた絵、足元の台座。鑑賞者が“ひまわりだ”と思いたいところはきっちり押さえてある……だが、これは“ひまわり”じゃない。“ひまわりに似せた作品”だ」

 

 ピシャリと言い切ると、石像から背を向けた。

 

「じゃあ、帰るか」といったふうに、軽やかに。

 

 バイヤーの顔から血の気が引いた。

 声を荒げることもできず、ただ口を開閉させる。

 

 代わりに、ゴトランドが椅子から立ち上がり、ふわりと軽い足取りでオラフに続いた。

 

「……大損です」

 

 ぽつりと呟くバイヤーの声は、もはや誰に届かせるでもなかった。

 オラフはひとつ肩をすくめる。

 

「他の価値のわからん俗物に売るんだな。元くらいはとれるだろ」

 

 それが慰めか皮肉か、バイヤーにも分からなかった。

 ただ背後の像に目を落とし、小さくうなだれる。

 

「正直……私には本物にしか見えませんよ。目を凝らしても、触っても。ですが……あなたがそうおっしゃるなら、それは“偽物”なのでしょう」

 

 言葉の端に、やるせない諦めと、ほんの僅かな嫉妬がにじむ。

 

「……だから、本物のコレクターには価値がない。ああ、やれやれ……」

 

 オラフは黙って踵を返し、ゴトランドと共に歩き出す。

 だが、部屋の出口に差し掛かったとき、不意に後ろから声が飛んだ。

 

「そういえば──」

 

 バイヤーだった。

 オラフが眉をひそめ、足を止める。

 

「ひとつ、妙な話を耳にしました。……近々、オークションが開かれるそうです。“ひまわり”の、遺作となった作品のオークションが」

 

 ゴトランドが片眉を上げる。

 オラフは振り返りもしなかったが、沈黙のまま続きを促す。

 

 バイヤーは一歩前に出て、声を潜めて言った。

 

「出品者は、“叢雲”*2です」

 

 その名前を聞き、オラフの息が止まった。

 ゴトランドも目を細める。

 

「……叢雲だと?」

 

「ええ。間違いありません。あの“ひまわり”の艦娘。彼の創作期に最も長く寄り添っていた……いわば、生き証人です」

 

 その瞬間、オラフの目の色が変わった。

 射抜くような光を帯び、身体の向きすら変えずに言う。

 

「会場は?」

 

「艦夢守市。市の管理下にあるオークション施設……艦連の公認だそうです。つまり、オフィシャルな枠組みの中での開催。あらゆる真贋論争を封じるお膳立てがととのったオークションです」

 

 バイヤーの口元に、わずかに笑みが戻った。

 痛い真実を突き付けてきた相手が、いまこの瞬間だけは、自分の情報で目を見開いている。

 

 それだけで、偽物を掴まされた悔しさが少しだけ溶けた気がした。

 

「ふん……ひまわりの遺作か」

 

 オラフはぼそりとつぶやき、顎を指先で撫でたあと、急に軽やかな足取りで踵を返す。

 

「ゴトランド君。予定を空けてくれ。艦夢守市だ」

 

「ええ!? ……まさかとは思うけど、参加するつもり?」

 

「当然だ」

 

「……あーあ、提督がこうなると、ゴトは寝かせてもらえないのよね」

 

 皮肉に笑いながらも、どこか楽しげな表情のゴトランド。

 二人の背が扉の向こうに消えるのを、バイヤーは苦い笑みで見送った。

 

 そしてふと、未だに静かに佇む艦娘像を見やる。

 

「……お前も、哀れだな。本物と見紛うほどの姿をして……本物にはなれなかった」

 

 そう呟くと、バイヤーは再び静寂の中に沈んだ部屋の奥へと戻っていった。

 

 

 

 数日後。

 

 北欧某所、広大な敷地に建てられたオラフの自邸。

 その書斎の机上には、その手の冊子としては信じられないほどに薄くはあったが、高級感のあるオークションパンフレットが広げられていた。

 

「──これか」

 

 指先でページをなぞりながら、オラフが呟く。

 パンフレットの中央、金の箔押しで飾られたページには、こう記されていた。

 

 Lot No.1

『ひまわり最後の作品』

 出品者:叢雲(MURAKUMO)

 備考:完全未発表、保管状態極良。艦夢守市・文化遺産局の真贋検査済。

    諸事情により写真の掲載、下見会はありません。

 

 オラフの目に、いつになく鮮烈な光が宿る。

 

「最後の作品……この目で見ずして、死ねるものか。だが……問題は会場に誰が来るかだな……まともな人間なら推定価格を知れば躊躇するだろう。なんせ推定の“最低”落札額でも50億以上だ……だが写真掲載も下見会も無しとはどういう……いや、それよりもいくら用意するべきだ?」

 

 がたん、と椅子を引く音が響く。

 

 その瞬間、ゴトランドがちょうど書斎へ入ってきた。

 いつもどおりの緩い動きだが、手元には分厚い書類ファイルが抱えられている。

 

「手に入ったわよ提督。現状の出席者名簿──まあ、ある程度手順を踏めば手に入る、表向きのやつだけど」

 

「……どこで調べた」

 

「艦連の知り合い。昔、同じ訓練施設にいた子が、いまは艦夢守市の情報部にいるの。だから……」

 

 ファイルを机に置いて、ぱさりとページを開くゴトランド。

 オラフはその上に身を乗り出した。

 

「これは……」

 

「世界中の名だたる富豪がかなり出てくるみたい。特に大きいところだと金剛連合会の金剛、京都の裏翁って呼ばれてる資産家、アメリカDD会のフレッチャー会長、世界最大の石油メジャーの帝王、地中海マフィアの影の支配者ドンリベッチオ、百万石海運の加賀、それにPentagon海運の翔鶴。それに欧州や帝国の王族貴族の連中もごろごろと。

 あと艦夢守市市長のビスマルクとPrinz Materialのプリンツ・オイゲンが出てくるみたいだけど、これほぼ確実にDKD財団が絡んでるわ……おまけにひまわりのパトロンだった艦夢守市艦連軍基地司令官大淀の名前もある……彼女のバックには艦連元老院がいるでしょうね……で、一番まずい参加者はこれ」

 

 ゴトランドが一呼吸置いてから、最後の一枚をめくった。

 

「──上堂薗財閥の総帥が出席予定なの」

 

 ぴしり、となにかが弾けるように、オラフの眉間が引きつる。

 

「……なんだと?」

 

「上堂薗よ。知ってるでしょ? 世界最大級の財閥。その総帥が直々に来るって話。噂じゃ、彼も“ひまわり”のファンなんだってさ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、オラフの顔から一切の表情が消えた。

 

「……ゴトランド」

 

「なに?」

 

「会社の株式、手持ちの不動産、工房、倉庫……あと、家具設計に使ってる特許群、それから俺の名義になっているあらゆる資産。いますぐ、現金化しろ」

 

「…………」

 

「ひまわりの最後の作品を、投機や税金対策なんぞとしか見てないような、価値のわからぬ俗物どもに渡すわけにはいかん」

 

 沈黙。

 

 長い間、ゴトランドはオラフの顔を見つめたあと、やれやれと髪をかき上げる。

 

「またそれ? 昔、ひまわりのレリーフ像一式の初期ロットを手に入れるために、家売りかけたときと同じ顔してるわよ」

 

「その時は未練がましく止めただろ。だが、今度は違う。“最後の作品”なんだ。これ以上のものは、もう存在しないかもしれん」

 

「そうねえ……たしかに、このタイトルには“終わり”の匂いがするわね」

 

「ならば──俺が手に入れねばならん」

 

 言い切ったオラフは、そのまま書斎の奥の壁面棚を開け、中から年代物の革製スーツケースを取り出した。

 いくつかの引き出しを開け、印章や封筒、証書らしき紙を手際よく詰めていく。

 

「わかったわよ。はいはい、やります。……どうせ止めたって無駄だし」

 

 ゴトランドは、やれやれとため息をつきながらも、既に手帳を開いて確認を始めている。

 銀行、資産管理会社、弁護士事務所──全てが彼女の指先で動き出す。

 

「まったく……こういうときだけは、金の亡者みたいになるんだから」

 

「ちがう。俺はな、芸術の亡者だ」

 

「それがもっとタチ悪いのよ」

 

 二人のやり取りが交差する書斎の窓の外には、北欧の空。

 しとしとと、霧雨が静かに降り始めていた。

 

 

 

 そしてオークション当日。

 

 艦夢守市の国際オークション会場、そのホールの扉をくぐった、瞬間。

 オラフは息を呑み、ほんのわずかに目を細めた。

 

 空気が違う。

 

 この場に充満するのは、常人には理解できぬ熱──いや、熱を装った、執念のようなものだった。

 

 黒の衣服で着飾った紳士淑女の輪郭の内側に、奇妙な陰りが見えた。

 それは常人の姿をしてはいるが、常人ではない。

 

 ──ひまわりの作品に魂を焼かれ、正気のまま狂気へと踏み出した者たち。

 

 どの顔も、眼差しの奥になにかが渦巻いている。

 欲望と覚悟と敬愛とが渾然一体となったなにかが渦巻いている。

 

「……投機や税金対策なんぞとしか見てないような、価値のわからぬ俗物どもに渡すわけにはいかん……そう思っていたのは、わしだけではなかったようだな」

 

 そしてオラフはふと、自分もまた、同じ表情をしているのだろうと気づいた。

 頬をゆがめ、乾いた笑みを浮かべる。

 

 ──まったく、おかしな集まりだ。

 

 やがて開会の合図が鳴り、場内の照明がわずかに落とされる。

 

 進行役のオークショナーが姿を見せるかと思われたが、最初に壇上に現れたのは、一人の艦娘だった。

 

 叢雲。

 ひまわりの艦娘であり、生前の彼に最も近く在った者。

 

 小柄な身体に凜とした気配を纏い、彼女は壇上の中央に静かに立つと、会場を見渡す。

 そして、はっきりとした口調で告げた。

 

「……今回のオークションに出品されるのは、間違いなく彼の、最期の一作よ。

 だけど、ごめんなさい。その作品を、いまこの場で見せることはできないわ」

 

 場内がざわめく。誰もが耳を疑った。

 

「これは、本人の遺言なの。

『最後の作品は、それを手に入れた者にだけに、見せなさい』と。

 だから、いまここでは見せられない。

 ……だけど、それが本物であることは、この私が証明する。

 私は──ひまわりの艦娘だった。最期まで、彼の傍らにいた存在よ。

 今回の出品物である作品が彼の遺作であることは、この身命に誓って保証するわ」

 

 戸惑いの空気が渦巻く。

 それでもなお、彼女は続けた。

 

「この作品を落札した者が、それをどうするかは自由よ。公開しても、飾っても、売り払っても、壊しても、封印してもかまわない。

 けれど少なくとも、いまは私の手にある。私のものよ。

 ……それでも構わないという人だけ、参加してちょうだい」

 

 ざわつきはやがて怒号へと変わる。

 「ふざけるな」「冗談じゃない」

 代理人たちが抗議の声を上げる。

 

 現物も見せずに、どうして入札などできようか──当然の反応だった。

 

 だが、それらの手元に、次々と通信が入る。

 

『かまわん。落札しろ』

『参加だ。いくらかかっても手に入れろ』

『それが本物なら、他のなにも要らん』

 

 ──遠方にいる参加者たちから、次々と。

 

 代理人たちは顔を見合わせ、言葉を失った。

 

「……狂ってる……」

 

 その声は、誰のものでもあり、誰のものでもなかった。

 

 だが、それは事実だった。

 この場に集った者たちのほとんどは、皆、理性を越えた領域に踏み込んでいた。

 

 落札価格は、美術史上、かつてない水準に達するだろう。

 噂では最低でも50億。

 

 ──それほどの金を、実物も見ずに投じようというのだから、常軌を逸している。

 

 けれど、ここ集ったほとんどの者は皆──狂っていた。

 

 その証拠に、ほとんどの参加者は席を立とうとしない。

 むしろ彼らの視線は、壇上の叢雲に釘付けになっていた。

 

 ひまわりの最期を見届けた者。

 その意思を唯一知る艦娘。

 

 彼女が「本物」だと言うなら──それだけで十分だった。

 

 ひまわりの作品に魂を焼かれ、もはや戻れぬ者たち。

 その狂気の輪の中に、オラフもまた、静かに座していた。

 

 オラフは唇を歪める。

 

 身を包む黒のスーツ、古風なタイピン。

 爪の先まで完璧に整えられた姿で、オラフはただ静かに着席していた。

 

 よく見れば、周りの参加者たちの服色は、オラフと同じくほとんどが黒だ。

 それはまるで、ひまわりの葬儀に出席しているかのような身なり。

 

「見事に全員、目がぎらついてるわね」

 

 隣に座るゴトランドが腕を組み、周囲の参加者たちを見渡している。

 

「俺も含めて、だ」

 

「うん、提督の目もまったく同じ……ねえ、いくらの値が付くと思う?」

 

「正直予想できん。今回の出品物が、歴史上最高額をつける美術品になるかは、会場にいる買い手がどれだけ覚悟を決めているかどうかだろうが……このありさまだ。結末は誰にもわからん」

 

 オラフは笑った。

 短く、乾いた笑み。

 

「──ああ、楽しくなってきた」

 

 それは、コレクターという名の、深淵に堕ちる者の微笑みだった。

 

 やがて、進行役(オークショナー)が入札開始を告げる。

 

「それでは──今回のオークション、最初にして最後の出品物! Lot No.1、作品名『ひまわり最後の作品』。スタートプライスは……20億から!」

 

 開始の宣言と同時に、札が上がる。

 20億。すぐさま22億、25億……。

 

 たちまち空気が張り詰め、周囲から鋭い視線が飛び交う。

 オラフは一度だけ目を閉じ、深く息を吸った。

 

「……ゴトランド君」

 

「はいはい、ここからが地獄の始まりね。全部ぶち込むって顔してるもの」

 

 オラフは静かに、札を上げた。

 

「30億」

 

 地獄の蓋が開いた。

 

 その声は会場中に響き渡り、壇上脇で成り行きを見守っている叢雲の表情が、わずかに動く。

 その目が、初めてオラフの方を見たような気がした。

 

 叢雲から見たオラフの目。

 そこには、氷のような静けさと、炎のような熱が同時にある。

 

 それは誰か、彼女の大切だった存在と、どこか似ていた。

 

「31億!」

 

 が、そんなささいな感傷も、すぐに入った入札の声にかき消される。

 

 切迫する入札に次ぐ入札。

 

 20億から始まった競り合いは、最低予想落札額の50億をあっさり突破。

 そして息つく間もなく100億を超え、それでも止まる気配を見せなかった。

 

 120億、130億、140億──

 

 誰かが静かに手を上げるたび、会場全体が刃物の上に立っているような緊張に包まれる。

 

「なんだかすごいピリピリとした空気ね……」

 

 ぼそりとゴトランドがこぼす。

 オラフは無意識にうなずいた、まるで中世の決闘のような緊迫感。

 

「はい……値が付きました、ただいまの価格は150億です」

 

 会場にギリギリと音が聞こえてきそうなほどの、張り詰めた空気が漂う。

 無理もない、作品も見ないで150億の入札を行うなど狂気の沙汰だ。

 

 だが、しかし。

 

「151億だ」

 

 ここにいる多くは、正気にして狂気に至ったひまわりの作品にとりつかれたコレクターたち。

 

 おまけにその存在を保証するのは、ひまわりに最後まで寄り添ったあの叢雲。

 むしろこれからだ、そう言わんばかりに次々と入札額を釣り上げていく。

 

「はい……お電話で159億の入札がありました、159億です! ただいまの価格は159億になります!!」

 

 その入札に対抗するように、参加者の一人が札を上げる。

 

「たかが金だ、160億」

 

 たかが金。

 

 だが、そう口にした人物は、金銭というものの価値を下に見てそう口にしたわけではない。

 むしろ金銭というものの重さを、常人よりもはるかに理解している。

 

 そして、そのうえでそう口にしたのだ。

 

 たかが金、と。

 

 それよりもはるかに価値があるものを知っている、そんな人間だから口にできる言葉。

 この会場には、そのレベルの人間たちがゴロゴロといる。

 

 さらにその入札額を超える額が飛び出す。

 札と数字と、静かな狂気だけが飛び交う。

 

 すでに一つの出品物を扱う競売にしては、異様に長い時間がたっている。

 だが、競り合いは一向に終わる気配を見せない。

 

 200億、300億、そして……400億。

 

 その数字が告げられた瞬間、進行役(オークショナー)の目がちらりと、一人の男を捉えた。

 

 上堂薗財閥の総帥。

 

 この場にいる誰よりも巨大な資本を持ち、ただの一度も入札していない男。

 

 ホールの空気が凍る。

 

 金額は当初の想定をはるかに上回るほどに高まっていた。

 だが、彼なら、ここからさらに数百億を上乗せすることさえ可能だろう。

 

 静寂の中、全員の視線が集まるのを感じながら、総帥はふう、と小さく息を吐いた。

 それはまるで、自身がそんな風に思われていたことを、嘆くようなため息だった。

 

「こんないい男や女たちの戦いに割って入るなんて、無粋なことをするつもりはないわ」

 

 それは静かな、けれど圧倒的な宣言だった。

 

 会場が、ざわめきすら呑み込む沈黙に包まれる。

 

 財閥の怪物は、降りたのだ。

 

 ならば、可能性はある。

 この狂気の果てに、まだ誰かが、自分が辿り着けるかもしれない。

 

 再び始まる競り合い。

 

 490億──

 500億──

 

 もう誰が手を上げているのか、視線すら追えない。

 異常な金額に、代理人たちは顔を青くし、通信機の先で指示を出す主たちは、なおも札を掲げさせる。

 

 510億。

 520億。

 

 オラフはなにも言わない。

 

 ただ、必要なときに札を上げ、値を告げる。

 顔をしかめることも、汗を拭うこともせず、まるでなにかを迎えに行くかのように。

 

 ただただ、まっすぐに。

 

 だが一瞬。

 

 オラフの脳裏に記憶の奥底から、過去のある一日が浮かび上がった──

 

 

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 まだオラフが十代半ばにも届かなかっただころ。

 小さな北欧の町で、家具工房の三男として生きていた日々。

 

 兄たちに疎まれ、木くずと油の匂いの中で、言われたとおりに木を削るだけの毎日。

 家具作りに興味があったわけではなかった。

 ただ、家族の歯車として、静かにそこにいただけだった。

 

 その日、父の小間使いとして、郊外の大きな邸宅に同行した。

 資産家の老人が、ある石像の台座を特注したいというのだ。

 

 ──オラフは何気なく、その石像に目を向けた。

 

 瞬間、世界が音を立てて崩れた。

 

 呼吸が止まり、目の奥が焼けた。

 見たことのない感情が、心の芯を貫いた。

 悲しみとも、歓喜ともつかないものだった。

 

『ああ……世界は、こんな……こんなにも美しかったんだ……』

 

 それが、ひまわりという名の芸術家の作品との出会いだった。

 

 その日から、彼の中のなにかが変わった。

 

 オラフは己が打ち込むべき対象を得た。

 まずは家具だ、腕を磨かねばならない。

 

 ひまわりの作品を迎えるに足る、たったひとつの家具を、この手で作るために。

 

 そして、その頃出会ったのが、艦娘であり幼馴染でもある少女──ゴトランドだった。

 

 夢を語るたび、彼女は真っ直ぐに頷いた。

 会社を作るんでしょ? 家具だけじゃない? 建築物もあつかいたい?

 了解、じゃあ、私が支えるから。

 

 そう言ってゴトランドは、経営学を学び、資産形成を研究し、法律の資格を取り、彼の傍に立ち続けた。

 

 ふたりで駆け抜けた。

 

 やがてオラフは、北欧でも名の知れた富豪になった。

 裏のあれこれの伝手もでき、ひまわりの作品をいくつも所蔵するようになった。

 

 だが──それでも、心は満たされなかった。

 

 家具を作っても、建物を設計しても、称賛はされた。

 誰もが手放しで褒めた。

 

 けれど、オラフ自身が納得しなかった。

 

 どれも「ひまわりの作品を飾るに足る器」にはなりえなかった。

 そのたびに、彼は己の無力を噛み締め、敗北を受け入れた。

 

 ひまわりは、彼の遥か先を行っていた。

 超えられない。どれだけ追っても、届かない。

 

 決定的だったのは、ひまわりの死だった。

 

 訃報が世界を駆け巡った日、オラフは荒れに荒れた。

 会社の執務室を滅茶苦茶に破壊し、食事もとらず、数日声も出さなかった。

 

 あの時、傍にゴトランドがいなければ──

 

 本当に命を絶っていたかもしれない。

 そのくらい、絶望した。

 

 あれから数年。

 

 ようやく立ち直り、心に空いた穴も、少しだけふさがった。

 

 だが、その穴を完璧に埋める唯一のものが、いま、目の前にある。

 彼の人生を変え、導き、挫き、そして救った、あの芸術家の──

 

 その最後の作品。

 

 だから、オラフはいま、立っている。

 全てを投げ打つ覚悟で。

 もはや金も会社も、命すら惜しくはない。

 

 ただ、あれだけが、欲しかった。

 

 

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 オラフが我に返ると、そこは熱気と沈黙が入り混じる、濃密な空間だった。

 

 場所は、艦夢守市の国際オークションホール。

 数々の歴史的美術品が落札されてきた、世界でも屈指の「火花の舞台」。

 

 いま、そこでは、最後に残った三人の参加者たちが、闘いを演じていた。

 

 その一人は、当然、オラフ。

 

 オラフの資金、すべてをかき集めた総額は──560億。

 

 自社株を売り払い、保険を解約し、資産の根こそぎを現金化した。

 

 だが、もう限界だった。

 これが……最後。

 

 覚悟を決め、提示したその数字──560億。

 

 場内がどよめき、進行係(オークショナー)の声が震える。

 

「560億、入札入りました……!」

 

 だが残った二人も、尋常な者たちではない。

 

 一人は、世界最大の石油メジャーの帝王。

 スキャンダルや粛清を経てもなお、産油国すら操る魔王のような存在。

 代理人が通話機の前で冷や汗をかきながら、動揺した手で承認を待っている。

 通信の向こうで、帝王が唇を噛んでいる様が目に浮かんだ。

 

 もう一人は、艦夢守市の艦連軍基地司令──大淀。

 その背後には、艦連元老院がいる。

 刻一刻と連絡を取りながら、彼女もまた、全身の神経を張り詰めさせている。

 これは艦連の象徴たりうる最後の芸術作品。

 その政治的価値は計り知れない。

 なにより彼女が愛した芸術家の最後の作品なのだ。

 

 そして同時、二人が手を上げる。

 

「「561億」」

 

(届かなかった……)

 

 魂が抜けたように、椅子に身を沈めるオラフ。

 

 進行役(オークショナー)が、どちらの入札が先に入ったのか判断に迷う。

 

 が、これで決定した。

 

 残ったオラフにはもう余力がないことは、一目見れば明らか。

 

 つまりこれからは、この二人の一騎打ち。

 

 ──誰もがそう思った、まさにその時だった。

 

 

「600億」

 

 

 響いた声は、ゴトランドのものだった。

 彼女がオラフの腕をとり、札を上げさせ、値段を告げたのだ。

 

 オークションホールが、一瞬、無音になった。

 

 時間が、止まったかのようだった。

 どこかでペンが床に落ちる乾いた音だけが響いた。

 誰もが聞き間違いだと思った。

 だが、進行役(オークショナー)は恐る恐る確認し、青ざめながら叫ぶ。

 

「ろ……600億……! 確認……入りました……! 落札候補、オラフ・ヴィグナルド氏側から──!」

 

 オラフは言葉を失う。

 

 隣を見ると、ゴトランドが、小さなウィンクを投げていた。

 その表情は、どこかあきれたようで、どこか誇らしげでもった。

 

「あーあ……ほんとはね、一文無しになった提督を養ってあげるために、こっそり貯めてた40億だったのにな~」

 

 そう呟く声に、オラフの喉が鳴る。

 口を開きかけて、なにも言えない。

 言葉にならなかった。

 

 ようやく、喉の奥からしぼり出すように言う。

 

「……地獄に付き合わせて、すまない……」

 

 ゴトランドは、少しだけ首を横に振る。

 

「ゴトはね、提督と一緒なら、どこでも平気よ」

 

 それは、痛いほどに静かな微笑み。

 オラフはただ、拳を握りしめて頷くことしかできなかった。

 

 会場の空気は凍ったままだった。

 

 帝王の代理人は、ついに動かなかった。

 大淀は、耳元でなにかを聞き、悔しげに目を伏せた。

 

 ──そして。

 

「600億……他に入札は……ございませんか……? ……では、落札者──オラフ・ヴィグナルド様に、決定……!」

 

 静寂の中で響く、進行係(オークショナー)の声。

 それと同時に、ホールに響き渡る木槌(ガベル)の音。

 

 誰もが、はっと息を呑む。

 

 その瞬間、会場の空気が、別のものに変わった。

 

 歓声も、拍手もなかった。

 ただ、圧倒的な「なにか」を見せつけられた人間たちが、畏怖と敬意の間に揺れるように、震えていた。

 

 それは美術品のためではない。

 

 金額のためでもない。

 

 ──この狂気的な執着の戦い、その決着の瞬間を、見届けた者たちの沈黙だった。

 

 その沈黙のなか、オラフはそっと目を閉じる。

 

 これで、ようやく──ようやく、辿り着けるかもしれない。

 ひまわりの作品、幼き日に見た美しい存在、その終着点へ。

 

 

 

 オークションが終わった後。

 

 入金確認の連絡が入ると、係員に導かれ、オラフとゴトランドは会場奥の応接室へと通された。

 絨毯の深い青に、藍色の壁紙。

 時が止まったような空間に、重苦しい沈黙が満ちていた。

 

 部屋の中央、黒檀の机の上には、重厚なジュラルミンケースがぽつりと置かれている。

 その質量が、部屋の重力を変えてしまったかのようだった。

 

 鍵のついた留め金、エンブレムの擦り傷。

 それは美術品を運ぶには不釣り合いなほど、堅牢すぎる棺のようにも見えた。

 

 しばらくして、叢雲が姿を現す。

 きっちりとスーツを着こなし、視線は硬い。

 

「……ご苦労様。まさかあなたが落とすとはね」

 

 30億の落札の札を上げたあの時。

 最初にオラフを見た瞬間、叢雲の中でなにか感じ入るものがあったのだろう。

 

 声に揶揄の色はなかった。

 ただ、事実を確認するように呟いただけだった。

 

 その背後には、大淀がいた。

 やや俯き加減で、唇を結んでいる。

 

「ほんとは大淀が落札する予定だったんだけどね、その方が色々都合がよかったから」

 

「それは……できれば秘密にしておいていただけると……」

 

 小声でそう言った大淀の言葉を、叢雲は無視した。

 

「艦連で落札した上で、保存先として、私が立ち上げる予定の美術館に委託する。それが、今回のオークションの目的だったのよ」

 

 その口調は冷たくも厳かで、隠しごとを嫌う性分がにじんでいた。

 

「……いくら艦連といっても、予算には限界があります。ひまわりの残した作品群は膨大で、しかも彼は基本的に作品を売らなかった。逮捕前に作らされていた作品はそれなりにありますが、それ以外は誰かに譲ったり……その程度」

 

 しかたなく、大淀が説明する。

 

「……じゃあ、どうして今回の作品はオークションに……?」

 

 叢雲は一つ、息をついてから続けた。

 

「美術館をつくるために、馬鹿みたいな額のお金が必要だったのよ。保存のためには、場所がいる。施設がいる。恒温・恒湿の展示室と、警備と、スタッフと、法律。……その全部が、金を喰うのよ」

 

 その言葉は、どこか悲鳴のようにも聞こえた。

 

「私は、彼の艦娘として……彼の最期を見送った者として……なんとしてでも、彼の作品を残す責任があると思ってる。私が死んだ後もずっと残るように。だから大淀に相談して、艦連でオークションを開催することにした。正直持ち主以外に見せるなっていうのも……まあ、そういうことよ」

 

 税制上の扱い、文化予算からの流用、大義名分、希少性の演出。

 それらを使って「保護」を正当化し、艦連主権で美術館を運営するつもりだった──それが、本来の筋書きだった。

 

「でも……あなたが600億を出してしまった」

 

 そう言って、叢雲は微かに目を細めた。

 皮肉にも似た光が、その奥にちらついていた。

 

「……まさか、本当に魂を焼かれた人間がいたとはね。いや、数人いたか」

 

 オラフは黙って、ジェラルミンケースを見つめていた。

 

 その視線は、いまにも炎が滲み出そうなほどの熱を孕んでいる。

 

 ゴトランドが、おずおずと叢雲を見た。

 

「でも、叢雲さん……本当によかったんですか? 作品を売る、それはあなたの提督の意思に反することじゃ……」

 

「“それ”はいいの……なにより、あなたの提督が正式に落札した以上、それはあなたたちのものよ」

 

 そう言って、叢雲はそっと机に鍵を置いた。

 

「これが、どこに置かれようと、どうなろうと私は構わない……。けれど、あなたが“見た”ことを、私はきっと忘れないわ」

 

 それだけ言い残すと、叢雲は大淀を促し、静かに応接室の端に移動する。

 もう自分たちには、そのケースの中身を見る資格はない、そう告げるように。

 

 重苦しい沈黙。

 

 ゴトランドが横目でオラフを見る。

 問いかけるような目だった。

 

 だがオラフは、その視線に応えず、低く言った。

 

「……どうでもいい、そんな話は」

 

 その声には、炎のような渇きがあった。

 

「早く……見せてくれ。ひまわりの“最後の光”を」

 

 震える手で、鍵を掴む。

 手が汗で滑る。

 だが、動きは止まらない。

 

 カチリ、と小さく金属音が響く。

 

 静まり返った応接室の空気の中、銀色の蓋が、わずかな音を立てて開かれた。

 

 

 

 

 その内側に収められていたのは、ただ一枚の油彩画だった。

 

 一輪の向日葵。

 

 青い花瓶に挿され、背景はぼんやりとした灰色。

 

 絵としては、ごく平凡だった。

 毒気も、激情も、奇抜さも、ない。

 

 まるで──どこかの小さな喫茶店にひっそりと掛けられていても、おかしくないような特徴の無さ。

 

 そんな絵が、額に収まったまま、端然とケースの中央に鎮座していた。

 

 オラフとゴトランドは、言葉を失っていた。

 

 しばらくして、ゴトランドが、ぽつりと呟く。

 

「彫像じゃない? いや……それ以前にこれ、ひまわりが描いた絵じゃないでしょ」

 

 その声音は、怒気よりも前に、深い戸惑いと哀しみを含んでいた。

 

 オラフと共に歩んできた年月。

 彼の集めたひまわりの作品を、彼女も多く見てきた。

 

 ひまわりがまだ若く、学内で評価もされていなかった頃の作品。

 卒業後に描いたらしき、売り物にならなかった荒削りの試作。

 

 そういったものもオラフは収集していた。

 そして目の前の絵は、それらとすらも違っていた。

 

 筆遣い、塗りの厚み、色の置き方、花弁の表情。

 

 なにもかもが──あの「ひまわり」では、なかった。

 

「これは……まるで、誰かが、全く“別の人間”が描いたみたいな……」

 

 ゴトランドの中に怒りが、ゆっくりと込み上げてくる。

 全財産を賭けたオラフの姿が、脳裏に焼き付いていた。

 

「ふざけないで……これが、ひまわりの最後の作品? 本気で……そう言うの……?」

 

 その声に、叢雲も大淀も答えを返さない。

 言葉を失ったのではない、沈黙を選んだのだ。

 ただ、黙って視線を落とすだけだった。

 

「私たちは……オラフは、全てを賭けて挑んだのよ……それをあなたたちは──ッ!!」

 

 絞り出すように、ゴトランドが叫ぶ。

 その目には、涙が滲んでいた。

 

 だがその瞬間。

 

「……しっ」

 

 ふいに、別の声が空気を裂く。

 

 低く、掠れるような声。

 静かに、しかし確かに空気を断ち切った。

 

「静かに……静かにするんだ、ゴトランド君」

 

 オラフの声だった。

 

 彼は、まるで時が止まったかのように──ただ、絵を見つめていた。

 

 その顔には、怒りも、落胆もない。

 むしろ、目は深く、澄んで、吸い込まれるように──ただ、ひとつの確信に囚われていた。

 

「これは……違う。確かに違う。技術も、タッチも、色も……全部、別人のものだ。だが……」

 

 その言葉は、誰に語るでもなく、自分の内側に落としているようだった。

 

「だが、これは……ひまわりの“作品”だ」

 

 そう言って、オラフはそっと手を伸ばし、額の端に触れる。

 まるで、墓標に手を置くような、祈るような指先だった。

 

 ゴトランドが、息を呑んだ。

 

「提督……?」

 

「ゴトランド君……これは、確かに“ひまわり”が“道具”を使って描いたんだ」

 

 顔を上げたオラフの瞳には、涙が浮かんでいた。

 

 オラフは頬を濡らす涙を隠そうともしなかった。

 そのまなざしを、ゆっくりと叢雲へと向ける。

 

「……この絵は……最初から最後まで、あなたが描いたんですね? 叢雲さん。難病かなにかで体の自由が利かなくなった、ひまわりのかわりに……」

 

 部屋の空気が、音を立てて止まったようだった。

 

「……!」

 

 驚愕に目を見開く大淀。

 息を呑んで叢雲を見つめるゴトランド。

 そして、まるで心臓の裏を突かれたような顔を、叢雲が見せた。

 

「な……なんで……」

 

 掠れた声を漏らしたのは、大淀だった。

 

「どうして、それを……彼の病状や死因は、ほんのわずかな人間しか知らない……はずなのに……」

 

 オラフは、微笑んだ。

 それは、子どもが秘密を見つけてしまったときのような、どこか照れくささすら含んだ微笑みだった。

 

「わかるさ。彼の前の作品も、後の作品も、私はずっと見てきた。……私も一応、天才のはしくれだからな、気づくよ。後の作品、さらにその後期。あれは……“自分の手”じゃない手を、どうにか動かそうとして作った作品の跡だった」

 

 それを、何気ない声で言い当てたオラフに、大淀は言葉を失う。

 

 叢雲はまだ、黙っていた。

 だが、その目に浮かんでいたものが、怒りや焦りではないことだけは確かだった。

 

「この作品は……」

 

 オラフは続ける。

 絵に目を落としながら、そこに刻まれた“在りし日の祈り”のようなものに、そっと手を添えながら。

 

「──ひまわりが、あなたを“使って”描いた絵だ。私はそう思う。おそらく描きあがるまえに、彼は息を引き取ったのだろう……そういった“跡”がある。だが……魂が、あなたの中に……残っていた。だから、あなたの手ではあるが、描き上げた。ゆえに、まちがいなく彼が完成させた作品なんだ、これは……」

 

 それは奇跡でも美談でもなく、ただ一人の芸術家が、最後に残したもの──。

 

 叢雲は、長い沈黙のあと、ふうっとひとつ、短く息を吐く。

 そして、かすかに肩をすくめ、まるで弱さを見せることをようやく自分に許したかのように、短く肯定した。

 

「……そうよ」

 

 その声は、硬く、そして透明だった。

 

「最後の頃……あの人は、筆も持てなかった。目も、だんだん見えなくなって……」

 

 その指先が、震えている。

 かつて、彼女が筆を握ったあの夜を思い出していたのかもしれない。

 

「……それでも、描こうとしたの。頭の中には、ちゃんと“絵”があったのよ。見えてたの。はっきりと。でも……身体が、もうついてこなかった」

 

 誰もが黙って、叢雲の言葉に耳を傾けていた。

 

「私が……その手になった。筆の動かし方も、絵の構図も、色の置き方も……全部、あの人が指示して……いえ、指示もできないから、彼の目を見て私が読み取ったつもりになった指示を、私はただ、それをなぞっただけ……ちゃんと指示が読み取れたのは花瓶の色だけよ」

 

 短い笑い。

 

「……絵の才能なんて、私にはないわ。だから……ビックリするくらい、寂しい絵でしょ。これが、あの人の最後の作品だなんて、皮肉よね」

 

 声に、あきらめと、悔いと、そしてどこか穏やかな寂しさが滲んでいた。

 

 しばらく、誰も言葉を発しなかった。

 

 ただそこに、一枚の絵があった。

 青い花瓶に、一輪の向日葵。

 構図は単純で、余白が広い。

 筆の運びには迷いがあり、色使いも未熟。

 だが、そこに宿っていたのは技術ではなかった。

 それは、孤独そのものだった。

 

「……彼は孤独だったかもしれん」

 

 ぽつりと、オラフが言った。

 

「だが、だからこそ……彼は傑作を生み出した」

 

 誰よりも孤独を知っていたからこそ、彼はこの絵を描いたのだと。

 それは自己表現ではなく、遺言でもなく──贈り物だったのだと。

 

「この絵は……彼がいた世界の記録だ。そして、ひまわりのいない世界への……贈り物なんだ」

 

 静かに言いながら、オラフは目頭を押さえた。

 

「叢雲さん。この絵には、ひまわりの想いが満ちている。それにこの花瓶の色、これは彼の魂が最後に縋り求めたあなたの……ああ、そうなんだ、これは彼の最後に、ふさわしい絵だ。間違いない」

 

 叢雲はなにも言わずにその言葉を受け止めた。

 ゴトランドも、大淀も、目を伏せていた。

 

「忘れていたよ……世界は、こんなにも美しかったということを……」

 

 ひまわりが死んで、絶望していたのは叢雲だけではなかった。

 大淀も、その他の関係者も、そして彼の作品に救われた無数の人々も。

 

 ──みな、喪失を抱えていた。

 

 だからこそ、この絵が必要だった。

 この絵が、残されなければならなかった。

 

 ひまわりは常に哀しみを背負っていた。

 だからこそ、彼の作品でしか癒やされないなにかがあった。

 

 よい作品が出来上がる工程には、無数の失敗と破滅がある。

 だから哀しみには意味があり、価値がある。

 哀しみが喜びがより価値の無いものであるはずがない。

 

 この絵は、それを教えてくれる。

 

 沈黙が、部屋を満たしていた。

 

 夕陽が斜めに差し込む。

 絵の中のひまわりが、淡く赤く照らされて、どこか遠くを見ているようだった。

 

 それは、去った者のまなざし。

 もう戻らぬ人の手による、最後の伝言。

 

 ただ一輪、そこに咲く。

 

 なんの変哲もない、たった一輪の──けれど、この世に二つとない、向日葵。

 

 

 

 ひとしきり沈黙が続いたあと、オラフは鼻をすする音を立てた。

 

 そして懐からさっと手拭いを取り出すと、涙をぬぐい、さらに大きな音で鼻をかんだ。

 

「ふんぐ……うう、いい絵だったな……!」

 

 場の空気が、一気に台無しになる。

 それでも誰も咎めなかった。

 

 むしろ、大淀があきれ顔で溜息をつき、ゴトランドが小さく肩を揺らして笑う。

 オラフは手拭いをポケットに押し込みながら、少し照れたように言った。

 

「ま、さておきだ。叢雲さん、ちょいと相談があるんだが」

 

「相談?」

 

「うむ。じつはな、この絵を落札したせいで、わし、すってんてんでな……今年の税金は確実に払えん。家も売らにゃならん。いままで集めたコレクションも、すべて手放さざるを得んだろう」

 

 淡々とした口調だったが、その内容はなかなかに過酷だった。

 

「……でもな、それでいい。この絵と共に、コレクションを建設予定の美術館に引き取ってもらえれば、本望だ」

 

 さらりと語るオラフに、大淀が冷静に指摘する。

 

「……察するに、オラフさんのコレクション、大半が違法取引由来のものなんじゃないですか……?」

 

「ぶっちゃけその通りだが気にするな! いや、だからこそ! 叢雲さん、建設予定の美術館に、ぜひ引き取ってもらいたい!」

 

 オラフは前のめりに言いながら、両手を広げた。

 

「で、だ。ものは相談なんだが、美術館の設計と建設、そして調度品や台座なんぞの手配──そのへん、全部このわしに任せてみないか?」

 

「……無理では? 貴方のプロフィールは一応把握していますが……オラフさん。貴方、自分の会社の株もすべて手放して、もう社長じゃないでしょう?」

 

 大淀の突っ込みは容赦なかった。

 だが、オラフは胸を張って答える。

 

「財も、地位も、コレクションも失ったが──コネと経験、そして熱く燃える魂は残っとる!!」

 

 その言葉に、叢雲も思わず吹き出しかけた。

 

 その横で、ゴトランドが小さく笑いながら続ける。

 

「それと、ゴトもね♪」

 

 オラフとゴトランドが見せる、どこか漫才じみた掛け合い。

 だがその奥には、確かな信頼と絆があった。

 

 空気はゆるやかにほどけていた。

 

 悲しみを分かち合ったあとの、ささやかな再生の気配が、そこには確かにあった。

 

 

 

 数年後。

 

 艦連指定都市、艦夢守市。

 その海を望む高台の上に、美しい建物があった。

 

 ひまわり美術館──。

 

 彼の遺作をはじめとする作品群を展示するために設けられた、静謐な空間。

 

 すったもんだの末、結局この美術館はオラフが設計することになった。

 

 かつて彼が社長を務めていた家具と建築を扱う会社が、設計と調度品の手配を担った。

 光と影、静と動、空間と作品との関係が精緻に計算された館内は、ひまわりの絵をこれ以上なく引き立てていた。

 

 その完成を機に、社の面々は再びオラフを社長にと懇願した。

 もともと、彼の才に惚れ込んで会社に集った職人や企画者ばかりである。

 

 その熱意は本物だったが──オラフは断った。

 

「もういいんだ」と、彼はただ言った。

 

 いまの彼にとって、ひまわりの作品に囲まれた日々は、どんな肩書きも報酬も足元に及ばぬほど、幸福な時間だったのだ。

 

 ちなみに、この美術館の防犯体制は、あまりにも盤石すぎることで知られていた。

 

 時価にして国家予算を超える可能性すらある作品群を守るため、館長を務める叢雲が常にいる。

 また、オラフも警備員として常駐し、受付嬢としてゴトランドも当然のようにセット。

 美術館内には生活区画も完備されており、事実上、彼らはこの場所に暮らしていた。

 

 さらには、美術館スタッフの大半が、なぜか元憲兵軍出身者で占められており。

 おまけに美術館の隣には、艦連軍の駐在所まで建っているという徹底ぶりであった。

 

 そんな美術館のある午後の日のこと。

 

 館の正面にあるガラス扉が、軽やかな音を立てて開く。

 入ってきたのは猫だった。

 

 そんな威風堂々と入り込もうとしていた猫を、オラフがすっと抱きかかえ、軽々と持ち上げる。

 

「まったく……毎日来るな、この猫」

 

 そう言って猫を優しく抱えたまま、扉の外へ出ていく。

 警備員の制服姿が妙に様になっているその背中を、受付から見つめていたゴトランドが、ふふっと微笑んだ。

 

「猫にモテモテね、提督」

 

「勘弁してくれ。あの猫、どうも中の作品に興味があるらしい」

 

「いい趣味してるのよ、きっと」

 

「まったく、似た者同士だ……」

 

 そんな、ささやかなやり取りが交わされる日々。

 

 騒がしさと静けさがほどよく混ざり合い、笑い声が、午後の光とともに満ちていく。

 美術館は今日も、ひまわりの遺した色と光に包まれていた。

 

 

 

 ひまわり美術館の地下。

 窓のない、大きな地下室。

 

 その部屋の壁と床一面には、大海原と空、水平線が描かれている。

 本物と見まがうほどの出来で、波頭は淡く揺れ、空と溶け合うように続いていた。

 

 この部屋は、美術館の中でもひときわ静かな場所だった。

 

 ──地下作品保管室。

 

 ただし、ここにある作品は、すべて展示不可。

 法の枠を外れたひまわりの「裏」の作品だからだ。

 

 けれどもその空間で、オラフは至極楽しげだった。

 

「んんん……これをあそこに……いや、やっぱりもう少し右か……」

 

 床にマーキングした仮のレイアウトに沿って、彫像をあっちへこっちへと移動させていく。

 汗をぬぐい、手を組んで遠くから眺め、またやり直す。

 

 その様子を、ゴトランドが二人掛けのソファーにもたれて見ていた。

 腕を組み、退屈そうに脚をぶらぶらとさせながら、小さく溜息をつく。

 

「……まったく、展示もできないのに、なに張り切ってるのよ」

 

 そう口では言いながらも、目の奥にあきらめと、わずかな親愛が滲んでいた。

 

 オラフは聞こえているのかいないのか、返事もせずに配置を続ける。

 その横顔は、まるで少年のように嬉しそうだった。

 

「……そういえば、さ」

 

 しばらくして、ゴトランドが思い出したように呟く。

 

「このあいだ来たじゃない。あの、提督と最後まで競り合ってた、石油メジャーの帝王」

 

「おう、おう、来たな。なんぼでも払うから、遺作を見せろってな」

 

「それで提督ってば、財団の設立を手伝えって持ちかけたんでしょ? この美術館を何百年でも維持できるように」

 

 オラフはにやりと笑った。

 

「条件としては、まあ、妥当だろ? あの遺作を見たいなら、それなりの対価は要るさ」

 

「……あの帝王、ちょっと渋ってたけど、結局見たあとに『わしの最後の仕事として完璧にやりきったるわい!』って息巻いてたわね」

 

「うむ、いい顔してた。あれはなかなかの表情だったな。そしてこれで、あの絵を堂々と展示できる……くくく」

 

「いい性格してるわほんと……でもあの人、自分もここで警備員やりたいって駄々こねたの、覚えてる?」

 

「ずるいずるいって言いながら、床で足バタバタさせてたな……あれはひどかった」

 

 二人で顔を見合わせて、笑いがこぼれた。

 

「そのうち、しれっと面接受けに来そうよね……受けてきたら、どうする?」

 

「……その時考える……よしっ」

 

 オラフが並べ終えた作品を一歩引いて見渡す。

 その配置は完璧で、まるですべての彫像がいまにも動き出しそうなほど。

 

 大海原を行く、麗しき艦娘たちの姿そのものだった。

 

「……うん。やはり、いい……」

 

 まるで、誰もいない展示会を一人で開催しているような、満足げな様子でそう呟くと、彼は深くうなずいた。

 

 その様子を見て、ゴトランドが小さく口をとがらせた。

 

「ここに本物がいるのに……」

 

「ふふふ、ゆるせ、どうしようもなく止められんのだ。心のキンタマというやつだな」

 

 オラフはそう言い訳をし、目の前に広がるコレクションを満足そうに眺めた。

 その姿はまるで、自身の艦隊を眺める提督のよう。

 

「きっといまこの瞬間、提督以外にも、こうやって自分のコレクションを並べて楽しそうに眺めてる人たちがいるんでしょうね」

 

 どこかあきれ気味に、そうつぶやくゴトランド。

 

「うむ、ひまわりの作品を……いや、艦娘を愛するものは多かろう。彫像だけではない、絵でも映像でも文字でも、それこそ本物でも!! 収集して悦に浸ることのなんと素晴らしきことか、コレクターとはそうでなければ」

 

「浮気者」

 

「ゴトランド君も大切なコレクションの一人だ! ふふふ、これ、口説き文句」

 

「最低!!」

 

 嬉しそうにどや顔で言い放ったオラフにイラっとしたのか。

 ゴトランドが彼の裏膝をヒールでごつんと蹴っ飛ばす。

 

 体勢を崩しながら、ゴトランドの方に倒れこむオラフ。

 

 そんな彼の目にうつるのは、水平線へと向かう、艦娘たち。

 彼が人生をかけて集めた、麗しきコレクション。

 

 自分だけの艦隊の姿があった。

 

 

 

「これぞまさに、艦隊これくしょん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『コレクター』と『軽巡:Gotland』

 

おわり

 

 

 

*1
・参照『芸術家』と『潜水艦:伊168』

*2
・参照『芸術家』と『潜水艦:伊168』




 
書きたかったんですよね、艦隊これくしょんのラブコメを……(原初の衝動

と、いうわけで、完結ではないのですが、本作はひとまずこれで区切りになります。
ただ諸事情で、一旦 連載中→完結 に設定を切り替えさせていただきます。

長らく『提督をみつけたら』をご愛読いただきありがとうございました。
いつか連載が再開されて新しい話が投稿されましたら、覗いていってください。


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※ひまわりの絵は、縁のある方にお仕事としてお願いして、描いていただきました。
 
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