「な、何なんだこの街の連中は…」
ボロボロになりながら、マオは必死な形相でゲットーを歩き回っていた。
本当であれば今すぐにでも帰国したかったが、C.C.が居るこの街から去るという結論はあり得ない。
変人どもにボコボコにされた痛みに耐えながら、マオは執拗に情報を集めていた。
その結果、C.C.と思わしき緑髪の女性が黒の騎士団と関わりがあることまでは突き止めたが、具体的な所在地までは掴めていない。関係者さえ見つかれば、ギアスで一気に引きずり出せるのだが、それらしい連中に会うと基本的に酷い目に会う。常人が住んで良い場所ではなかった。
しかし、マオの願いが届いたのか、ヘッドホン越しに、重苦しい波長の思考が飛び込んできた。
(……黒の騎士団は大きくなったが……俺はどうすべきなんだろうな……)
(見つけた……)
マオは邪悪に笑うと、声のする地下街の公衆トイレへと向かった。個室に潜り込んだ獲物を追い詰め、その心をズタズタにしてC.C.の居場所を吐かせる。マオからすれば、最高の復讐劇の始まりだった。
そんなことなど知る由もない、扇は公衆トイレの個室で便座に座り込み、白紙の便箋を握りしめていた。
(……書けない。遺族への謝罪の手紙なんて、ただの自己満足だ。俺が楽になりたいだけだ…)
扇は天を見る。何を思って俺は手紙を書けば良いのか。許されたいのか?貶されたいのか?そんな思考の堂々巡りだった。
「何をやってるんだろうな…俺は」
誰に問いかけた言葉でもなかったが、予想外のことに隣の個室から声が聞こえた。
「その声…扇さんか?」
「その声は…彰君か?」
まさか、偶然入った公衆トイレの隣の個室から知り合いの声が聞こえるとは思わなかった。思わぬ再会に驚きながらも、扇は会話を続ける。
「こんな所で奇遇だね。どうして、こんな所に?」
「そりゃ、お互い様でしょうよ。歩いてたら腹が痛くなっちゃってね…失敗したぜぇ…」
「ははは…そうだね…なあ、彰君。話を聞いてもらって良いかい?」
こんな場所で協力者の彰と隣り合わせになるとは思わなかったが、今の扇にはその偶然さえも、運命が与えた機会のように感じられた。
彰に断られたら諦めようとは思っていたが、承諾に近い返答をもらえたことから、話を進めた。
「最近色んなことがあってね…わからなくなったんだ…自分が何をしたいのか…どうなりたいのか…」
扇は、堰を切ったように心中を吐露した。
死んだ親友、指揮官としての重圧、正解のない戦い。自分という存在が、どこまでも汚れてしまったような気がしていることを。
簡単な理由を見つけようとしても、千葉の言葉が扇の脳裏に蘇る。
『大義を名目にするな。楽になろうとするな。許されようとするな』
千葉凪沙の言葉は扇の弱さを貫いた。その傷は未だに扇の心に残っている。
だが、それに対する、壁を隔てた彰の返答は、驚くほど達観していた。
「皆、そうでしょ。俺だってそうさ」
「彰君もかい?」
「今も後悔してるよ。どうしてこんなことになっちまったのか」
「そう…だよな」
「人間ってのは勝手だよ。皆、持ってる時には気づかない。無くなってから気付くんだ。それが大切なんだって」
(……持っている時には、気づかない……)
扇は衝撃を受けた。指揮官という地位や、平和な日常。失って初めてその重みに気づく。今の自分は、まさにそれを痛感しているのではないか。
「だからさ。思うんだよ。遅いってことは無いんだって。気付いた時がスタートなんだって」
「遅くは…ないのかな」
「たりめーでしょ。気付いた時にどうするか…人間の価値はそこで決まる」
扇の目から、涙がこぼれ落ちた。
そうだ。過ちを犯したかもしれない。迷いの中にいるかもしれない。だが、それに気づいた今、どう立ち振る舞うか。それが大事なのではないか。
彰という少年は、こんな若さでその真理に辿り着き、戦っているのだろうか。
「そうやって…生きてきたのかい?」
「ああ、これからも…そうやって生きていく…」
彰は絶望の顔でトイレットペーパーの芯を見つめている。
「無くなる前に気付けたらって…思うことはあるけどな…」
(こいつ、トイレットペーパーの話しかしてねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)
思考を読み取っているマオは絶句する。扇が真剣に人生に向き合っているのに、隣の彰とかいう男はトイレットペーパーにしか向き合っていなかった。
「本当だよな…亡くす前に…気付けたら…」
「難しいけどな…そんな時に限って余裕がない…」
(亡くす話してんだよ!トイレットペーパー無くす話なんかしてねぇんだよ!)
「ていうか、扇さんは紙持ってない?ちょっとで良いんだけど」
「神…か…持ってたらまた違うんだろうな」
「なんだよ、そっちにも無いのか。しょうがない…誰かー!紙持ってますかー!」
(気付け、扇要ぇぇぇぇぇぇ!!!この馬鹿にお前のシリアス届いてないぞ!!)
マオの内心のツッコミを他所に、彰の叫びに対して一番奥の個室から、深く重厚な男の声が響いた。
「何を恥ずかしいことを叫んでる。そんなもの持ってるわけないだろう…」
便器に座る男ーギルフォードは真剣な面持ちで続ける。
「この世界に、紙も仏もありはしない」
(お前もトイレットペーパー無いんかいぃぃぃぃぃぃぃ!!)
「何だよ、そっちにも無いのかよ。大の男が揃いも揃ってケツにうんこ付けて座ってるしか無いとはね」
「誰かは知らんが、一緒にしないで貰おうか。私は誇りは失っていない」
「ケツにうんこ付けて失わない誇りなんてねーんだよ」
「無礼な!今この沈黙の時間こそが、私に与えられた試練。コーネリア様に恥じぬよう、この苦境を乗り越えてみせる……!」
「いや、コーネリア様の与える試練マニアック過ぎるだろ。ハゲフェミアに主君を変えたらどうだ」
「貴様、愚弄するか…いや、待て!何故、ハゲフェミア様のことを知っている…まさか、貴様…桐島彰か!」
「そうですけど?」
「ユーフェミア様をハゲフェミア様にしたのは貴様だな!何たる無礼を!」
「ケツにうんこつけて、トイレから出られなくなってる時点で無礼も何もねぇよ。あるのは自分のクソだけだよ」
(まさか、ブリタニアの軍人か!?マズイ!このままでは彰君が!)
(凄い真っ当な心配してるけど、口に出せよ!この場に常識人お前だけなんだよ!)
ツッコミとして余りに頼りない扇にマオは内心でツッコミを入れる。バカしかいない会話では何の進展もないのである。
「悪いが、アンタに構ってる暇はねぇよ。俺には行かなきゃ行けない所がある」
(いや、格好つけてるけど、お前がしたいことって経費申請だろ!?)
格好つけた言い方をしているが、心を読めるマオからすればモロバレなのである。何も格好良くなかった。
「行かなければいけない場所?何を言ってる。お前が行くのは豚箱行きに決まっている。心残りがあるなら今のうちに出しとおくべきだ」
トイレから出た瞬間に彰を捕まえようとギルフォードは心に決めていた。問題は未だにお腹が痛いことと、トイレットペーパーが無いことだ。
「今、出してんのはテメーだろうが。というか、臭いんだけど。出したらちゃんと流してくんない?」
「修行が足りんな。騎士であれば、この程度の臭いなど何ともない」
「そんな修行積みたくねぇんだよ、このうんこ騎士が」
「貴様も同じだろう、うんこレジスタンスが」
(二人ともどうでも良い会話をしているようで、裏で何かしらの思惑がある…のか…わからない…俺みたいな凡人では…)
(気づけぇぇぇぇぇぇぇ!!こいつら何も考えてないよ!どうでも良い会話してるだけだよ!)
謎の深読みをしている扇にマオは苛立ちを覚えるが、マオも心中で思っているだけなので彰とギルフォードには届かない。二人はくだらない会話を繰り返していた。
(どうにか彰君を助ける方法はないか…助けを呼べれば…)
文字通り糞みたいな会話をしている、ただ経費申請を出しに行きたい彰を助ける方法を扇は必死に考えるが、扇の個室にもトイレットペーパーは無い。助けを呼びに行くには何かしらの方法でケツを拭く必要がある。
彰もギルフォードも同様だ。会話をしつつもケツを拭く方法を模索していた。
(((拭くものがあると言えばあるが…)))
彰は懐の領収書を、ギルフォードはコーネリアの写真を、扇は謝罪文を書く予定の手紙を手に取る。
だが、彰としては経費申請を出す前の領収書をクソまみれにするなどあり得ない。そんなものを経費申請に出したら自分が千葉にゴミの申請に出されかねない。
ギルフォードもそうだ。敬愛する主君の写真で自分のケツを拭くなど色々と論外だ。扇も白紙とはいえ、謝罪の手紙にする予定の紙で自分のケツは拭けない。
全員がそれぞれの理由で停止する。トイレから先に出たものが一歩リードできる。わかっていても動けなかった。それ以外に選択肢が無いとはいえ、戸惑いがあった。
だが、本当はもう一足選択肢があった。
彰とギルフォードと扇は同時に何故か置いてあるもう一つの物体に目をやる。
紙やすり
全員が背中に冷や汗をかく。これでケツを拭くということは削るに近い行為。自分のケツの穴がそれに耐えられる保証はない。
だが、全員がそれぞれ急ぐ理由がある。どれで自分のケツを拭くか。それとも拭かないか。選択肢は3択。
(((どっちだ…!?)))
コードギアス史上、最も汚い戦いの幕開けである。