お家に帰ろう   作:睡眠人間

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抗命

 雪子という人物を言い表すならば、天上天下唯我独尊・自由奔放にして傍若無人。不屈と不遜が服を着てゲラゲラ笑って闊歩しているような女である。

 周りの人間たちも大まかにそのように捉えているし、本人もそう意識している。

 しかし実際のところは少し違う。

 松下村塾が燃えたあの日から、彼女は家族や幼馴染のために強く在らねばならなかった。挫けた姿を見せてはいけなかった。虚を倒し全てを取り戻すため、自ら悪魔に魂を売った。

 夜兎の本能を飼い慣らしたとて、経緯や状況は違えど朧や松陽といった大切な人たちを傷つけて生きてきた。それらを含めて「やりたいからやった」と強がり、弱い部分を隠そうとしてきた。

 だって大事な人たちを護るにはそれしかなかったから。

 幼馴染たちが頼りにしているのは「強く振る舞う」自分だから。

 あいつらが信じて励みになる存在に、彼女は常にならなければならなかった。

 

 だから今回の神威との戦いで、我を強制的に引き出され「強くなければ」という固定観念が取り払われた雪子は、本当の意味での自由を取り戻していた。

 誰かのために強く在る必要はない。どこまでも自分勝手に振る舞うことが許される。そこに周りの目などなかった。

 そうやって本性丸出しで戦いに没頭し、神威と心を通じ合わせた結果。

 

「……、」

 

 神威の言葉が、今までのどんなものよりも響いていた。

 雪子は神威のことが大好きになっていたし、これ以上ないほど気に入っていた。種が運命の相手と判断したのと同様に、雪子の魂も彼を心の底から愛していた。

 ずっと傷つけたいし殺したい。この男の最期の瞳に自分だけが映っていれば、どんなに最上だろうかと夢想するようだった。

 

「私も」

「!」

「お前を傷つけて、殺したいくらい憎まれたら本望だよ」

 

 雪子がうっとりと笑う。それまで顔に張り付いていた好戦的なものとは違う、薔薇色の笑顔だった。

 それを見て神威はクナイを止めていた手を緩めた。抵抗が消えたので、腕に突き刺さるクナイがより深くなる。溢れた血が滴って雪子の体を濡らし、二人分の血液が混ざり合った。

 神威が空いた手で雪子の頬をぺちと軽く叩く。ドロッと血濡れた頬に新たに神威の手形が残るみたいだった。

 雪子が何度かまばたきをすると、ようやくマシになってきた視界には、神威の顔がよく見えた。揺れる陽炎を映した青い瞳が細められている。

 

「それはOKと受け取っていいのかな?」

「あぁ───」

 

 雪子が返事をした瞬間。

 声に被さるように、ドガン!! と近くで破壊音がした。二人がいる位置よりも階下の方からだ。仰向けに倒れる雪子の体全体に、ビリビリした振動が伝わる。

 何やら下の階で誰かが激闘を繰り広げているらしい。気づかなかった。ずっと目の前に運命の相手がいたので、集中するあまり他の喧騒を意識できずにいた。

 その時になってようやく雪子は周りの気配を探った。

 

「っ、」

 

 気配を探り、自分や神威とは全く別の強者の匂いを嗅ぎとった瞬間。

 雪子の心臓が、ドッと跳ねた。

 先の戦いで神威に胸が躍った時のような高揚感ではない。これは悪寒だ。嫌な予感が全身を駆け抜けて、頭の奥がキリリと痛くなるような、そんな感じ。

 ソイツは夜兎だ。よく知っている夜兎の気配だった。けれど阿伏兎でも云業でも、ましてや鳳仙でもない。

 

「か、神楽、」

 

 雪子が震える声で呟く。それを聞き取った神威がピクリと反応し、視線を押し倒した雪子ではなく階下の煙の方に向けた。

 立ち昇る煙が落ち着くと、二人の人影が露わになる。

 神楽が阿伏兎を圧倒していた。男の肩を長刀で刺し貫き、屈強な身体をヒールで踏みつけている。その顔には狂気的な笑みがくっついていた。瞳孔は開き、無理やり吊り上がった口角がヒクヒクしている。

 阿伏兎との戦いの末に夜兎の本能が覚醒したのだ。阿伏兎が新八の命を奪おうとしたその瞬間、神楽の理性は弾け飛んだ。

 痛みを感じない、相手を殺すまで止まらない獣に成り下がっていた。

 

「なんだ、多少は見れるようになったじゃないか。……阿伏兎の悪い癖が出たね。あんなのに負けるなんてさ。蓬莱は妹と知り合い? 暗殺の標的……じゃないか。君の目に留まるわけないもんね」

 

 神楽を見つけた神威が淡々と言う。そこで、雪子の異変に気づいて目線を戻した。

 

「……? 蓬莱、どうしたの?」

「かぐ、神楽……、かぐら、神楽、」

 

 雪子の顔は真っ青だった。血の雨に降られたみたいに赤黒く染まってるくせに、凍りついた表情が異常事態を物語る。神楽の名前を途切れ途切れに何度も音に乗せ、馬乗りになった神威を退かす暇なくグイグイ移動しようとしていた。

 明らかに様子が変だ。何故? 顔見知りってレベルの反応じゃない。暴走する神楽を直接見たわけでもないのに、気配を感じただけでこの動揺っぷり。

 こんな蓬莱は初めて見る。俺との戦いじゃ隙も焦りも見せなかったくせに。

 ムッとした神威が雪子の顎を掴んで無理やり視線を合わせた。

 

「!」

 

 その瞳には既に闘志の炎が消え失せていた。神楽の方に全ての関心がいって、神威のことがまるで見えていない。

 なんで。さっきまでずっと俺だけを見ていたのに。俺だけを見るって言ったのに。

 神威はその時、はらわたが煮えくり返るような猛烈な怒りや嫉妬に駆られた。衝動に突き動かされるまま腕に突き刺さるクナイを奪い、雪子の心臓目掛けて突き刺す。ずぶ、と肉を裂いて血飛沫が飛び散った。

 

「ああああああッ」

 

 雪子の顔が歪む。喉が潰れてしまいそうなほどの悲鳴が上がる。痛みに苦しみ酷く暴れる身体を、神威は力尽くで組み敷いた。

 ジタバタと激しくもがく女の四肢が鬱陶しくなって、今度はイカれた肩をグリ、と踵で完全に潰した。パキリと骨の砕ける感触がする。

 

「───!!」

 

 今度は悲鳴にならない声だった。ジワリジワリと着物に血が広がっていく。

 雪子は顔を横に向けて、神威の目線から逃げるようにキツく瞼を閉じていた。その状態で痛みに耐えている。脂汗が大量に浮かんでいて、全身があり得ないくらい震えていた。

 

「どうしてこっちを見ないの?」

 

 神威が笑って尋ねる。ふ、ふっ、と短く息を吐きながら、雪子が目を閉じたまま答えた。

 

「……見たら、絶対に殺してしまうから」

「それがいいのに。ああ、それともアイツの顔と似ているのが嫌?」

 

 どうやらこの女は妹と深い関係にあるらしい。さっきまで没入状態だったのに、神楽の異変に気づいた途端に動揺したのがその証拠。

 神威を殺そうとすれば神楽を殺すことになるから、見ないようにしているのか?

 

「そうだよ」

 

 小さな声で雪子が肯定した。

 

「お前を見ていると、妹がチラつく。なのに殺すことに何の躊躇もない。確実に息の根を止めることができる。それを知ったら神楽が悲しむから、もう見ない」

 

 神威の予想を裏切って、そう答えるのだった。

 ゴオ、と再び地響きのような音が轟く。神楽が阿伏兎を殺すべく振り抜いた蹴りが、新八によってずらされた音だった。新八が必死になって神楽を止めている。大切な仲間を護るため、目を覚ませと呼びかけている。

 

「君の敵は、僕らの戦う相手は、こんなチンケな奴じゃないはずだ!!」

 

 その声が小さく聞こえてきて、雪子の心は固まった。ふうと息を吐き切ると、激痛を無視し神威の首に腕を回した。そのまま抱き寄せる。神威は抵抗しなかった。横たわった女の体にピタリとくっつくようにして、雪子の唇に耳を寄せている。

 大きな声を出す体力のなくなった彼女が囁いた。

 

「十年前に出逢っていたら、私はお前に心底惚れていただろう。だけど私は大人になってしまった。神楽のせいで大事にしたいものが増えた」

「は」

 

 突然雪子がありったけの力で神威を突き飛ばした。背中で瓦を砕きながら流されていく神威は、すぐに体勢を整えて着地する。

 顔をあげて辺りを確認すれば、女の姿がない。大きな血溜まりだけを残して消えている。

 神威が屋根の先端まで駆けつけると、やはり彼女は妹と青年のもとに移動していた。神威を突き飛ばして即座にそちらへ跳躍したらしい。

 阿伏兎はそこにいなかった。さっきまでいたはずの屋根が大きく損傷していたから、落下したのだろう。この高さから抵抗できず急降下したのなら無事ではいられないはずだ。

 

「あーあ」

 

 びゅうう、と冷たい風が神威の頬を叩く。その目はどこまでも冷え切っていた。

 

「興醒めだよ、蓬莱。結局アンタも腑抜けだったか」

 

 神威は雪子に失望していた。鳳仙がだめだった分、上がりまくったハードルを易々と飛び越えた運命の相手だったのに、彼女もまた戦いから逃げた。

 二度拳を交え血を浴びて、あんなに共感して殺戮を楽しんでいたのに。雪子と戦った時の興奮や陶酔を、神威はもう思い出せなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 雪子が神楽のように初めて夜兎の本能に目覚めたのは、ずっと昔の話になる。奈落に強襲された時に顕現したそれは、朧を殺すまで止まらなかった。

 それから崩れるのはあっという間だった。大切な人が大事にする何かを壊しても、何とも思わなくなっていた。

 雪子はそれでも構わなかった。それが"私"だと認識し、飼い慣らして彼女の強さへと変えていった。

 だけど、この子だけは……自分がどれだけ醜く汚れようと手を伸ばしてくれる神楽()だけは、絶対にこちら側に来させてはいけない。

 

「ゆ、雪子さん。その怪我は!」

 

 屋根が崩れて落下死するかと思いきや、阿伏兎に助けられて雪子に引っ張られた新八が、彼女の姿を見てギョッとした。

 酷い有様だった。全身血を浴びたように汚れていて、肩が変な方向に曲がっている。心臓の部分にはクナイが突き刺さっていて、表情も息の仕方もおかしかった。

 こんなに追い詰められているこの人を見るのは初めてだ。雪子に対し最強に近い印象を持っていたが、新八はそれを改めた。

 

「ああ、だいじょぶだいじょぶ。返り血返り血」

「いや絶対違うでしょ! 声ちっさいし! クナイ刺さってっし!!」

「刺さってねーもん。ほら見てみどこにも刺さってねーもん」

「今明らかに手で抜いたろ! というか肩! だ、大丈夫なんです!? 骨やばくなってません!?」

 

 普段なら不敵に笑う顔も、今は大人しく弱気だ。言葉選びとのギャップがとんでもないことになっている。

 

「新八……雪子……」

「! 神楽ちゃ……よかった、元に……」

「私……負けてしまったアル。夜兎の血に……自分自身に」

 

 そこへ、目覚めた神楽の声が小さく聞こえた。二人が神楽の顔を覗き込む。神楽はまだ意識がはっきりとしておらず、雪子の満身創痍状態にも気づいていない。

 

「みんな……殺そうとしてたアル。みんな……。偉そうな事言って結局私……アイツらと……、兄貴と……何も変わらなかったアル」

 

 雪子は神楽と阿伏兎の激突の詳細を知らない。だが本能が目覚めたということは、命の危機に瀕したということだ。きっと神楽は絶命寸前まで追い込まれ、自分の身を護るために戦ったのだ。

 命を燃やして暴れ回った記憶を思い出してそう予測する。

 しかし新八の言葉に、それは思い違いだとわからされた。

 

「そんな事ないよ。神楽ちゃんは僕を護ってくれたじゃないか。僕を護ろうと戦ってくれたじゃないか。……ゴメン。僕が弱いばっかりに。僕がもっと強ければ」

 

 神楽は新八を護るために覚醒した。人のために、自分の護りたいもののために戦場に立つと誓う彼女は、それを成し遂げたのだ。

 雪子はそれに声もなく驚いていた。同時に、神楽の強さを痛感した。

 自分や他の夜兎のように、自分のために戦うのはとても簡単だ。深く考えることなく目の前の愉悦に陶酔して、自由気ままに攻撃すれば良いのだから。至ってシンプルで、単純で、理性もない動物的な思考回路だ。

 けれど神楽が目指したものは違う。本能に流されず己の頭で考え、魂で感じ拳を振るう。自分が信じたものを信じ、大事なものを護るその気高さの、なんと尊いことか。

 ずっと昔に雪子が選んだ選択肢は、あまりに容易い楽な道だ。神楽が心に決めた道の方が、ずっと険しく苦難に満ち溢れている。

 

「……何も見えない。何も聞こえない。ドス黒い闇の中で……聞こえたアル。お前の声が。私を護ってくれたのは、新八……お前アル」

 

 朧を惨殺したあの時、獣になった雪子を引き止める声はなかった。彼女を護る存在はいなかった。

 けれど新八は神楽の手が汚れるのを、決死の覚悟で止めていた。夜兎の本能に呑まれて破壊の限りを尽くす化け物を、大切な仲間だと呼びかけた。

 夜兎でもイカれた兄貴の妹でもない、ぶっきらぼうで生意気で大食らいで、でもとっても優しい女の子だと信じていた。

 怖くなって逃げて当然の状況で、しかし新八は神楽を護ってみせたのだ。

 

「私……悔しい。もっと強くなりたい。……みんなを護れる位。誰にも、自分にも負けない位」

「……僕もだよ」

「強いよ。二人とも。私なんかより、ずっと強い」

 

 死にかけの力ない声で雪子が言った。パッと二人の視線が彼女に向けられ、神楽が驚く顔をする。ようやく雪子の重体に気がついたのだ。

 慌てて起き上がってオロオロする神楽と触発されて慌てる新八を、雪子が片手で抱き込む。

 

「わっ」

「ちょっ、雪子さん!?」

「新八。神楽。……二人が私をここに引き戻してくれたんだ。……ありがとう」

「……?」

 

 突然お礼を言われて、新八と神楽は顔を見合わせた。引き戻したって何? 雪子がどこで戦っていたかなんて知らないし、何もしていないのに……という具合である。

 だが雪子の中では違った。神楽の気配を察知したことで、幼馴染たちとの約束や護るべきものを思い出せた。新八の声が耳に届き、戦いから逃げるという判断ができた。

 あのまま殺し合いが続いていれば、間違いなく雪子の命は失われていた。それで本望だと本心から思っていたのに、今はそれが恐ろしい。

 夜兎の本能に呑まれる雪子を引き止めたのが二人だった。

 十数年前には存在しなかった声が、今この瞬間に届いたのだ。強固な闘争本能に打ち勝ったのである。

 雪子の命を護る為に。その魂を護る為に。二人にそのつもりがなかろうと、確かに雪子は救われたのだ。

 

「私も……戦わなきゃな」

 

 無敵状態に近い本能覚醒に至っても、神楽はそれを選ばなかった。本能に縋りつくしかなかった己と違って、別の道を歩もうとしている。

 ならば神楽や新八のように抗わなければ。まさかこの私に戦いよりも優先するものができたなんて……と雪子が小さく笑っていると、二人にものすごい剣幕で怒られた。

 

「その傷でこれ以上戦うなんてバカですか!? 安静にしててください!」

「そうアル! あとは私たちに任せるヨロシ!! 雪子はもう動いちゃだめアル!!」

「ハイごめんなさい」

 

 疲労の溜まった神楽に肩を貸した新八が、木製の格子を蹴り砕く。

 立ち止まっている暇はない。僕らの力を必要としてくれる人たちがいる。護れるものがある。いつだって何かを護る度に、ちょっとずつ自分たちは強くなってきた。

 きっとこの戦いを終えて、また一つ強くなれる。

 そんなことを言いながら新八は神楽を連れて光の中に戻っていく。屋敷に一歩足を踏み入れて振り向けば、

 

「あ……いない」

「後で説教アルな」

「だね」

 

 雪子の姿はどこにもなかった。恐らく戦いに戻ったんだろうなと二人は予想したが、彼女の目的は別のところにあった。

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