こんにちは、古明地さとりです。残念ながら、現在はとある事情により地霊殿の主という面倒な役職につかされていますが、私はそんなに凄い妖怪ではありません。ただの、さとり妖怪です。私の妹の方がよっぽど優秀だったのですが、どうしてこうなってしまったのか、私には分かりません。
私の妹、もと地霊殿の主である古明地こいしがいなくなってから一週間が経ちました。彼女がどこに行ってしまったのか、いまも生きているのか死んでいるのかすら、まったく分かりません。ただ、結局のところ、不在となった地霊殿の主という役職には私がつくことになりました。その理由は簡単です。紫がそう決めたからです。
「それが彼女の願いだからよ」
昨日、いきなり私の部屋に現れた彼女は、そう宣言して私を地霊殿の主に任命しました。驚きとともに、どこか胸に引っかかる悲しみがあり、自分でもそれに納得がいきません。いったい何が悲しいのでしょうか。きっと、私が地霊殿の主に任命されたことで、こいしが死んでしまったと、そう実感しているからでしょう。こいしを拒絶したのは他でもない私なのに、今更悲しむとは。
「それで? あの鴉の調子はどう?」
ソファに座りもせず、きりりとした表情を崩さぬまま、彼女はそう言いました。こいしに見せていたような隙のある姿は見せません。きっと心を許していないのでしょう。心を読めないので分からないですけれど。
「あの鴉とは」
「霊烏路空よ。血の池地獄に落ちて大けがをしてるじゃない」
「ああ、今はピンピンしてますよ。どうやら、あまりに痛みが強すぎて、何が起きたかよく覚えていないみたいです」
「それは単純にバカだからじゃない?」
「そうかもしれないですね」
嘘だ。彼女は確かにピンピンしていましたが、あの時のことを忘れたわけではありません。ただ、記憶の奥底に封じ込められているだけです。彼女にとってあの経験はかなりショッキングだったのでしょう。それもそうですよね。だれだって、あれはトラウマになります。
では、なぜあれほどまでにショックだったのでしょうか。血の池地獄に落ちたことがそこまで苦痛だったから。いや、たぶん違いますね。こいしにあそこまでいじめられたからです。あの、こいしに。
「霊烏路空が元気なのはいいけれど」
紫は考え込む私に鼻を鳴らしました。前の地霊殿の主と違って考えすぎよ、と言ってきます。前の主も考えすぎだったことは当然知っているにもかかわらず。
「あの地獄鴉、少し元気すぎるわね。また地上に攻め込むとか言っているのでしょう」
「ええ」
「あれ、どうにかならないのかしら」
なぜ彼女が地上に攻め込むと言っているのか。彼女は地上に行きたいのです。ただ、ほかの鬼たちとはその理由が違う。それを私はよく知っていました。
「まあ、大丈夫ですよ。きっと、大丈夫です」
「ならいいんだけど。というより、あなた変わったわね」
「そうですか?」
「そんなに落ち着いてもいなかったし、そもそも敬語じゃなかったでしょう」
「知ってますか?」
私は手に持ったカップを置いて、紫の目を見つめました。彼女の目に私は映っていないだろうし、きっと私の目にも紫の姿は映っていないのでしょう。
「ほら、言ってたじゃないですか。地霊殿の主は、薄気味悪くて、陰湿で、丁寧口調でなくてはならないんですよ」
「なるほどね」
それで納得したかどうかは分かりませんが、彼女はやっとソファに腰を落としました。それでも、伸ばした背筋はそのままです。
「なら、早速だけれど、そんな地霊殿の主さまに言わなきゃならないことがあるのよ」
「なんですか?」
「あなたのペットのあの火車。怨霊を地上に逃がしまくっているのだけれど、どういうこと? 勘弁してほしいんだけど」
「え、そうなんですか。知らなかったです」
知っていました。ですが、私にそれを止める権利はありません。彼女の目的を知ってしまっているのですから。
彼女は、おかしくなったお空を止めて貰うためにこんなことをしているのです。地上の、噂に聞く博麗の巫女を呼ぶために。
私には頼まないのですね、と直接聞くことはできませんでした。もちろん、彼女は知っていますから。こいしがお空に一体何をしたのかを。そして、私がそれを防げなかったことも。
ですが、不思議ですね。彼女自身も気づいていませんが、彼女が本当に呼びたいのは、博麗の巫女ではないのです。
「こいし、やっぱり見つかりませんか」
駄目だと分かっていながらも、そう聞いていました。何を今更。そんな言葉がどこかから聞こえた気がしましたが、きっと気のせいでしょう。
「地底ではもう探すところがないくらいまでには探したのですが」
「地上にいるかもしれないってこと? さあ。どうでしょうね。いるかもしれないけれど」
「けれど?」
「さきに地底で死体を探したらどうかしら」
「探してますよ」
「あなた一人で探すのにも、限界があるじゃない」
「私ひとりじゃないです」
そうなのです。私だって、最初から探そうと思ったわけではありません。あれ以来、彼女にどんな顔をして会えばいいのか分かりませんでしたし、会いたくありませんでした。ですが、それでもなぜか探してしまうのです。血の池地獄や、竪穴、彼女が行きそうな場所を、つい探してしまう。どうやらそれは私だけではないようで、勇儀やパルスィも同じようでした。会いたくないのに、どうして探してしまうのか。本当に分かりません。
「お空の話、聞いたぞ。許せねえよな」
そう息巻いていたのは勇儀さんです。わざわざ地霊殿まで来て、その話について文句を言いに来たのですが、肝心の犯人であるこいしがいないとしるとひどく驚いていました。
「いないってのはあれか? 出かけて帰ってこねえのか? そうだったら嬉しいんだが」と本心から言っていた彼女でしたが、行方不明だと知ると途端に顔をしかめました。そして、顔をしかめた理由が自分でも分かっておらず、困惑していました。
「絶対に見つけ出して、私が殺してやるよ」
七面相を終えた彼女は、そう腕まくりをし、真剣な顔つきで言ってきました。
「お空を騙して血の池地獄に落とすなんて、絶対に許せねえからな。まあ、もともと許す気はねえけど」
あいつは敵だからな、となぜか笑っていた彼女に、おそらくもう死んでいる可能性が高いことを告げました。私は彼女ほど楽観的ではありません。いえ、彼女が生きていることは、地底にとって害なので、悲観的と言った方がいいのかもしれませんが、とにかく。私は勇儀さんに彼女が死にたがっていたことを伝えました。
「あいつは死なねえよ」
彼女は、やけに自信満々にそう言いました。
「あのくそ陰湿で腹が立つ地霊殿の主、まあ、もとだけど。あいつはな、嘘つきなんだよ。許せないことにな。だから、死にたがってたことも、たぶん嘘なんだよ」
あまりに無茶苦茶な言葉に頭を抱えてしまいます。勇儀さんの心は、相も変わらずこいしに対する嫌悪感で一杯でした。なのに、どうして彼女のことを探しているのでしょうか。恨みを晴らすためとも思えません。八雲紫の以前言っていた、無意識という言葉を思い出しました。彼女たちは心ではこいしのことを嫌っていても、無意識のうちに好いていたのではないか。心というのは複雑です。覚り妖怪である私たちですら分からないほどに。
また、しばらく考え事をしていたからか、八雲紫が呆れの息を吐きました。
「怨霊、どうするのよ」と責問してきます。
「まあ、しばらく放っておいてください」
「え?」
「もしやばそうだったら博麗の巫女を送ってきてください。歓迎しますよ」
「そんな易々と」
博麗の巫女を送れない。彼女はそう言おうとしたのでしょう。ですが、口を止めました。彼女自身にも思うところがあったのかもしれません。
なぜ、お燐が怨霊を地上に放出し始めたのか。
その理由は簡単です。私の言ったことを彼女は忠実に、心の底で守っているのです。『助けの求め方講座』で教わったことを。では、誰に助けを求めているのか。先述したように、博麗の巫女に助けを求めているのか。それもある一方では事実です。
ですが、彼女が助けを求めているのは。本当の心の底で、もう一度だけでいいから話をしたいと思っているのは。願っているのは、実際に一度、怨霊で呼び出された、あの地霊殿の主に他ならないのです。
お空だってそうです。彼女が地上に行きたいと、攻めたいと頑なに主張する理由は、もちろん、内に巣くった得体の知れない力によるものが大きいでしょう。ですが、彼女も無意識のうちに、彼女に、こいしに会いたいと願っているのです。まあ、彼女の場合は死ぬほど謝ってもらいたい、償いをしてもらいたい、と思っているようでしたが。でも、それでも。謝ってほしいということは、許してもいいと思っているということです。彼女は気づいていませんが。
あの子も、こいしも、心の奥底まで読めていればこんなことにはならなかったのでしょうか。そう考え、すぐに首を振ります。たらればには意味はありませんし、私たちが彼女を追い詰め、壊し、とどめを刺し、そして今も嫌っていることは事実です。少なくとも、私は彼女を許す気はありません。
ですが。
「ゆかりん。これ、読んだ?」
「口調、少し崩れてるわよ」
内心で動揺していたからか、いつもの口調が出てしまいました。紫はそこで、やっとソファに背中を預け、私が机の上に差し出した一冊のノートに目を落とします。そして、深くため息をつきました。
「これ、例の日記?」
「ええ」
「あなた、読んだの?」
「読みました」
「どうでした」
「死にたくなりました」
彼女は冗談だと捉えたのか、少し苦笑していました。ですが、冗談でも何でもありません。本気で私はそう言ったのです。彼女の苦悩を、心を読みながらも気づけなかった自分に嫌気が差します。これを読んでますます、彼女に会わなければ、という思いが強くなりました。罪滅ぼしでも、罪悪感でもないです。むしろ、この日記をよんで彼女に対する嫌悪感は強くなりました。でも、なぜだか会いたいのです。
八雲紫は、しばらくの間、パラパラとそのノートをめくっていました。律儀に日記をとり続けていた彼女に驚いたのか、それともあまりの内容に心を痛めたのか、口をぱくぱくとさせています。
「なるほどね」
「何がなるほどなんですか?」
「とりあえず、みんなの前で音読しましょうか」
彼女がいったい何を言っているか分からなかったですが、この日記に書かれていることを思い出しました。たしか、死んだら音読すると、八雲紫が言っていたと書かれていたと思います。
「ですが、まだ死んだと決まったわけじゃありませんよね」
「まあ、そうね。でも多分彼女は、音読されることを望んでいると思うわよ」
「どうして」
これ、言っていいのかしらね、と彼女は肩をすくめていましたが、ぽつぽつと言葉を零すように小さく言ってきました。
「あなたは、おかしいとは思わなかったのかしら?」
「おかしい?」
「どうして、あの子が霊烏路空に、あんな酷いことをしたのか。分かるかしら?」
私は彼女に言われた言葉を思い出しました。
「たしか、お空が地上を攻めるつもりだったから、事前に倒したと、そんなことを言っていたと思います」
「なんのために」
「なんのためにって」
紫が何を言いたいか分かりませんでした。この私が、相手の意を汲めないことなんて、滅多にありません。
「彼女は」
それでも、紫が何かを悲しんでいることだけは確かでした。
「彼女は地底を、この期に及んでも守ろうとしたんじゃないかしら」
「でも、彼女は地底を嫌っていました」
そうです。それこそ、心の底から。
「心を読めるあなたたちには分からないかもね。妖怪の賢者である私は無意識的に幻想郷の安寧を目指すし、鬼である勇儀は無意識的に強者との戦いをのぞむ。そして」
「そして?」
「そして、地霊殿の主は地底の安寧を無意識的に望んでる。そういうことでしょ。彼女は地底を嫌っていたわ。けどね、見捨てることが出来なかったのよ。哀れね。本当に、胸が痛いわ」
彼女はやさしいのよ。紫はそう吐き捨てました。彼女らしくもなく、心底嫌そうに──それこそ感情が漏れ出るほどはっきりと、吐き捨てたのです。
「それに、今回は妙に彼女にしては短絡的だった。これもおかしなことの一つよ」
「どういう意味でしょうか」
「考えてもみなさいよ。今まで彼女が、悪さをしそうなペットは殺せばいいだなんて、言ったことがあったかしら。ないわ。それに、もし本当に霊烏路空を殺すつもりなら、もっと楽な方法もあったはずよ。でも、あんな残虐なことをした。なぜか。分かってるわよね」
分かってあげなさいよね。そう聞こえた気がしましたが、私は素直に首を振りました。本当に分からなかったのです。あの時のこいしの心は、なぜだか私の第三の目でも、読むことができませんでした。それどころか、姿すらおぼろげだったような気がします。
「彼女はね、こう思っていたんじゃないかしら。嫌われすぎている彼女が地霊殿の主をし続けたら、いつか地底が瓦解してしまうと。だから、対策をとろうと考えた」
「対策って、なんですか」
「単純よ。地霊殿の主という立場を、あなたに譲ればいいと、そう思ったのよ。同じ覚り妖怪だけれど、まだマシな姉の方にって。ほら、言うでしょ」
「言うって」
「普通は新しい方をつかって、古い方をスペアにするって。彼女は、もうお役御免だとそう思って、スペアであるあなたに地霊殿の主を譲ったのよ」
紫の話を、その時はうまく理解できませんでした。それとお空をあんな目に遭わせることの関係性が分かりません。どうして、地霊殿の主を譲るために、お空を酷い目に遭わせたのか。
「でも、こいしはただ変わるだけでは不安だった。しかも、霊烏路空が不穏な動きを見せている中、それを解決せずに押しつけるのはあまりにも危険だと、そう考えた」
その疑問を見透かしたのか、紫が悲しげに言ってきます。
「だから、同時に解決する方法を考えた。それが、霊烏路空を殺すこと、いえ。殺そうとすることだったのよ」
「どういうことですか」
「相対主義よ」
「え?」
相対主義。どこかで訊いた気がしましたが、どこで訊いたかは分かりませんでした。それでも、ぽかんとしている私をよそに、紫は話し続けます。
「前があまりに酷いと、相対的に後のものがよく感じる。こいしは、古明地さとりが自分と同じ運命を辿らないかと、今はしっかり者だと言われている彼女も、自分と同じように誰からも嫌われることを恐れた。だから」
「だから」
「だから彼女は、嫌われようとした。違う? 勇儀にも、橋姫にも、あえて不遜な態度をとって、そして肝心の古明地さとり、あなたにも、嫌われるために、ペットたちにもより恐怖を植え付けるために、霊烏路空をいたぶった」
「でも、こいしはそんなことする必要はないと思います。だって、もう十分嫌われているじゃないですか」
「一円を笑う者は一円に泣く」
「え?」
「どんなものでも最後まで完璧に。あなた、よっぽど心配されていたのよ」
紫の口にした言葉が、どれほど本当なのかは分からない。全てが彼女の妄想とも、逆にどれもが真実だとも思えてきます。
「そして、死んだら私が日記を音読する、と言ったことを、覚えていた。日記に書くほどに」
あんなにおかしくなっていたのに、ちゃんと日記を書いていたのね、と八雲紫は淡々と言いました。
「だから、彼女は多分考えたのよ。日記でみんなのことをボロボロに、それこそ死ねだの、嫌いだの、鬱陶しいだの書いておけば、私が音読した後に、もっと嫌われると思ったんじゃないかしら」
「さすがに考えすぎですし、買いかぶりすぎです」
「そうかしら」
「あの、鈍くさい彼女がそこまで考えていたと思います?」
「そう言われると」
彼女はそこでふっと表情を緩めました。
「確かに、考えにくいわね」
私はふと、こいしの言葉を思い出しました。もしかしたら、日記に書かれていた一文を思い出したのかもしれませんが、彼女の音声が頭の中で流れたのを考えると、実際に耳にした事による記憶なのかもしれません。
「手の込んだ羊羹は辛い」
「え?」
「面倒な手順を踏んで、複雑なことをやろうとすると、かえって逆のことになってしまう、でしたっけ」
「ああ。そんなことも言ってたわね」
もしかして、今、地底の皆々が無意識ながらにこいしを探しているのは、彼女が嫌われようとして、複雑な手順を踏んでいたからなのでしょうか。そのせいで、逆に好かれて。
そこまで考え、笑ってしまいました。別に彼女は、今も好かれていません。嫌われているまんまです。
この日記を読むかどうかは、各々に任せよう。ただ、日記というものは、本来自己を省みるために存在するのであって、決して人に読ませるものではありません。ですが、もし親しい人物の日記が置いてあったら、当然読みますよね? しかし、書いた本人からすれば、日記とはいわば黒歴史の詰め合わせともいうべき存在なのです。
その黒歴史を生み出した張本人は、今どこで何をしているのでしょうか。生きているのか、死んでいるのか。それすら分かりません。地底の彼女に対する印象は、結局最初から最後まで変わりませんでした。誰からも好かれることなく、心を壊してしまった、私の可愛かった妹。
もし、彼女が生きているのならば、私は意地でも探し出して、話をしたいです。
もし生きているのなら、この日記にでも生きていると書いてください。なぜなら、日記というものは生存証明なんですから。
私はかぶっている帽子をいじりながら、そう紫のまえで、こいしの日記、つまりはこの日記に書き足しました。
あれ、いつの間に帽子をかぶっていたのでしょうか。
まあ、いいでしょう。それでは。明日もいい一日でありますように。