ただ彼女をこの手で救いたかった―――――

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ただ一人のための人生を

 ―――――これは魔王軍に攻められている人間界にいる、一人の男の物語である。

 

 男の名はセシル・ブラウン。そこらの町で見ることのできるただの薬術師―――だった。

 過去形であった理由は単純に、町の薬術師を辞めたからだ。

 セシルは真面目な男であった。少なくとも任された仕事を放棄したことはない。ならばなぜ彼が辞めたのか。堅物の男を変えたのは、ただ一人の街で見かけた少女だった。

 別に、少女が説得して彼を戦士にしたわけでもなく、ましてや彼を騙して職を失わせたわけでもない。

 彼が変わったのは、単純にして複雑な病が原因である。

 

 ―――――その病を人は『恋』と呼んだ。

 

 しかし、少女は彼とはまた別の病にかかっており体は弱く、生きていられる時は限られていた。彼はそんな身ながらも家族を優先させようとする少女に心を打たれていた。

 たとえ病気が、少女が成人する頃にはもう数日と持たなくなるだろうことが確定しているほどであろうとも、関係ないと言わんばかりの決意を胸に。

 

 彼が少女に惚れ込んでからしばらくして少女の事情を知った彼は"町の薬術師"を辞め、"少女の薬術師"となったのだ。

 「必ず君の病気を癒す薬を作る」

 そう、約束をして。

 

 それからというもの、彼は国を回り、大陸を渡り、知識を蓄えた。

 禁忌と定められた法にも手を出した。

 ただ、彼は真面目な男であったので禁忌は己の身を持って試し、改良し、試しを繰り返していった。心の折れそうな激痛を味わっても、いつかの日に苦しそうに寝込んでいた彼女よりは良いだろうと言い聞かせて、耐え続けた。

 

 そうして改良に改良を重ねること数年の試行錯誤を経て。ついに彼は掴んだ。

 少女を救うことのできる薬の作り方を。その薬についての研究を終えれば彼は目一杯に引き絞られた弓から放たれる矢のように研究室を飛び出した。

 

 「約束を果たしに来た!」

 

 そう言ってかつて己の暮らした町へと戻り、彼女の元へ駆けつけた。

 しかしそこにいたのは彼女の母親である女性だけ。

 どこにいるのかと聞いてみればなんと旅の方が癒してくださったのだとか。

 さらにはその相手が勇者であり、「娘は勇者について行ったのだ」という。彼は自分の体から力が抜けていく様を他人事のように感じていた。

 

 

 

 彼は気が付けば研究室の一角にいた。

 あの後、なんと会話をしてどのようにして帰ってきたのかを覚えてはいない。

 だが、少女が幸せになれるということだけは誰よりも理解していた。なにせ、偏屈な地にある彼の研究室にまで噂は届いてくるのだから。

 

 彼は、これまで付けていた日記にただ一つだけ文を書き込む。

 そして書き込んだ言葉を直視することに耐えられず、横線を一本上から加えてからその日記は二度と開かないようにした。

 それからというもの、彼は来る日も来る日もただ研究室の中で過ごした。

 (願わくば、成長した彼女を一目だけでも)

 そんな一抹の希望を抱いてその日もまた、目を閉じて眠る。

 

 数日後、彼の願いは叶うことになる。

 少女が成長したその姿で研究室の扉を開けたのだ。

 

 けれどそれは彼の求めた形ではなかった。

 

 ――――彼女は武装し、剣の刃を彼へと向ける姿勢を取っていたのだ。

 

 まさに一触即発という空気の中で、彼は少女の述べる『この場にいる理由』を聞いた。

 

 彼は禁忌にも手を出してしまっていた。

 そのことが国へと報告され、魔王再誕を恐れた国王が彼の連行を勇者へと命じたのだ。

 そして研究室の扉に新たな影が差す。

 影の主は勇者と少女に呼ばれた男。そいつはなるほど整った顔立ちをしていた。金糸を思わせる髪、エメラルド色に輝く瞳。

 まさに人を救う者と言うような容姿だ。

 

 だが、男の中に嫉妬などという感情は沸いてこなかった。

 むしろ安堵を覚えたくらいだった。なにせその存在感から伝えてくるようなのだ。

 (この男ならば彼女を守れるだろう)

 ということを。彼は自分では敵わないと。そう、素直に思えたのだ。

 

 それからというもの、彼は自らありもしない事実を語り自身を悪役へと仕立て上げた。

 曰く己の不老不死の為に民の血をどれだけ流しただとか、曰く子供の命をどれだけ奪っただとか。

 どこか自慢するような口調を心掛け、勇者の逆鱗に必死に手を伸ばした。

 少女の言葉も聞かず、ただ勇者に剣を抜かせようとした。

 だが、元より禁忌を己の身で試した影響で体はすでに使い物にならなくなっている。結果として剣を抜くまでもなく勇者に捕まると国へ連れていかれてしまいすぐさま処刑されることになった。

 

 実に淡白な幕引きであった。

 けれど最後の最後にまで、熱烈に不死であろうとする男を演じた事が功を成したのか、彼は最悪の薬術師として後世にまで語られることになる。

 

 ―――――彼の物語は、まだ終わらない。

 

 彼は死んだ。それは紛れもない事実だ。

 しかし彼の物語はまだ終わっていない。

 なぜなら、彼女の中の彼がまだ生きているのだから。

 

 少し、時を遡る。

 少女は彼のことを覚えていた。心優しい薬術師だと信じていた。

 だから王の依頼を聞き、研究室に到着するや否やすぐに彼の説得を始めた。

 「どうして禁忌に」「まだ引き返せる」

 そんな言葉を彼は聞かず、不老不死への執着を見せた。

 

 そんな彼に少女は失望した。故に彼の処刑を見届けるつもりもなく、勇者と共に彼の研究室を調べていた。

 当然、勇者として今後の世界に悪影響のあるものがないかを調べるためである。

 しかし、驚くほどに彼の言っていた不死の研究については何も出てこなかった。

 正確に言えば、言葉自体は研究資料にあっても上から大きく言葉自体を消しているのだ。強いて言えば不死という言葉の上部に小さく、悲しみを呼ぶとだけ書かれているくらいであった。

 

 そうして調査を進めていた彼女は、ついに手がかりを見つけた。見つけてしまった。

 彼の研究机の上に置かれた日記を。涙と後悔で汚れた日記を。

 

 しかしそんなことに気づかないままにこれを読めば何かわかるのではと、彼女と勇者は二人で日記を覗き込んだ。

 しかしそこにあるのは少女を愛する男のつけた記録だけしかない。書かれているのは彼女へ処方する薬の研究状況と禁忌によって弱り逝く躰のことだけ。

 その日記には不死への執着などと言うのもはまるで書かれていなかった。

 そんなはずはないと信じたいながらに速読を続け、ついに最後のページを読み終え、その深い悔恨に濡れた日記帳を閉じた少女と勇者は走った。もしかしたら間に合うかもしれないと、そう希望を持って。

 

 しかし世界は優しくなんてない。少女たちの希望は叶えられず、彼に向けて手を伸ばす少女の目の前で彼の首が飛ばされた。

 すぐ近くまで矢のように走っていた彼女らの頬に一筋、彼の血が線を残す。

 

 広がる血だまりを揺らすのは血か、涙か。

 

 

 

 

 

 

 

『彼女に幸福を』

 

 

 

                『彼女はこれでは治らない』

 

 

      『僕はいいから彼女を幸福に』

 

 

 

                   『躰が死ぬのは怖いが、彼女が死ぬ方が何倍も怖い』

 

 

 

 

  『やっと見つけた。彼女がこれで救われる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              『彼女に僕は必要なかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ただ一人で歩む人生を
https://syosetu.org/novel/284105/


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