「何度も言わせてもらうがな! あんなもんにサインする必要なかっただろっっ!!」
かなり離れていても、はっきり言葉が聞き取れてしまうほどの怒声。
想定外の騒々しさに、俺もヒナも一瞬固まってしまう。この階は重症者病棟だったはずだ。会話制限やらなんやらあって、静まり返っている状態が常である。
だというのに、こうも騒ぎ立てる奴らがいるというのは、つまり。
「先輩が怪我してる隙に手柄を掠めとるなんて、あの人どういう神経してるんだかっ」
「あんな最低な人のこと、庇わないでくださいっ!」
「朱焔なんて呼ばれて調子に乗ってるんだ、コネばっかりのくせに!」
怒声や泣き声が混ざり合った耳障りな騒音が、廊下に響き渡る。
ヒナが躊躇いがちに俺を見上げた。気持ちはわかる。
「スモーカーくん、あれ」
言いたいことはわかる。だが止めないと、際限なく続くだろう。
行くしかない。肩を竦めると、ヒナは額に手を当てた。
「……わたくし、あの人たちは苦手だわ」
「同感だな」
「上官を呼んだら良いんじゃなくて?」
「チクリって言われんだろ」
「つまり突っかかられるのが明日に延期になるだけってことね、ヒナ辟易」
「諦めろ」
大怪我をしているドレークを、こんな喧騒の真っただ中に置いてはおけない。
傷に響いて悪化でもされたら事だ。多少の嫌味なら聞き流して、ドレークのためにも喧しい奴らは引き剥がさなければ。
わざと足音を高くして歩き出す。目指すのは仄明るい一番端の部屋。多分、あそこが騒ぎの元、ドレークの病室だ。
近づくごとに騒がしさが酷くなる。周りの病室のへの迷惑も考えろよ、馬鹿どもが。
デリカシーの無さに苛立つ気持ちを抑えてドレークの病室の前に立つ。
「いいかドレーク、断言してやる! ロイはお前を」
「――ロイがドレークにどうしたって?」
明かりが零れるドアを、思いっきり開く。
「スモーカー、ヒナ?」
一斉に室内の視線が俺に向く。中央のベッドに困り顔で横たわる包帯まみれのドレークが、途方に暮れた顔で俺たちを迎えた。
枕元で捲し立てている最中だった奴は、多分俺たちの同期だ。メソメソ泣いてドレークの手を握っている女と、その肩を抱いている男もいる。
顔は見たことはないが、口振りからして後輩あたりか。全員がボルサリーノ中将隊所属の人間だ。
「……何しに来た、スモーカー」
振り返った同期には予想通り険があった。敵に向けているのかと言いたくなる棘が含まれた視線に、溜め息が出そうになる。
しかし喧嘩を売っている場合ではない。溜め息を吐きそうになるのを誤魔化して視線をいなした。
「見舞いだよ、ドレークが目ェ覚ましたって聞いてな」
「……今更? しかもこんな遅くに来るなんて少尉に迷惑だって、考えられないんですか?」
だが、そう相手の問屋は卸してくれないらしい。
唇を噛み締めた女の目に軽蔑の色が浮かぶ。あからさまな挑発だ。
ちらりと隣に目をやる。ヒナは面倒そうに髪を掻き上げていた。
「じゃあ、こんな遅くまで側で騒いでいる人も、ドレークくんには迷惑じゃないかしら」
「っ、僕らは少尉と同じ隊の人間です、身内なんだから別でしょう!」
「俺らはそいつと付き合いが長いダチだぜ? 身内の内だろ」
「しつこいぞ、お前ら!」
「貴方たちもね」
ここで騒ぐつもりはなかったのに、乗っかってしまった。
どうにも止まらない。下手に熱くなりすぎるのは悪手だ。ドレークのためにならないとわかっているが、俺たちから止めると負けた気がしてしまう。早く相手が負けてくれないとどうにもならない。
「……准尉」
また元の騒ぎに戻った室内に、掠れた呻きが響く。
呼吸にも聞こえそうなくらい微かな声量のくせに、しっかりと俺たちに届く。
ドレークは困り顔を向けて俺たちを見ていた。自然と全員、口を閉じる。
「すまないが、席を空けてくれないか」
お前たちも、と振り返った同期と後輩の男にドレークは目をやった。顔を歪ませた女を視線で制す。
「スモーカーたちと話したいんだ、ほんの少しでいいから」
「少尉……」
「頼むよ」
あいかわらず口調は柔らかい。しかし有無を言わせない雰囲気を纏っている。
ドレークの態度に女たちも反論のしようがなくなったらしい。何か言いたそうにしていたが、渋々ドレークに労わる声を掛けて席を外した。もちろん、俺とヒナにガンを飛ばすのは忘れずに。変なところで徹底してやがる。
病室が一気に静まり返った。空気の緊張が取れて、ようやく息を吐く。
「すまん、その、彼らは俺のことを……」
「わかってる、わかってる」
申し訳なさそうにしているドレークの声に、声を被せる。
「お前を贔屓し過ぎてるだけなんだろ?」
深い息とともに、ドレークが首を縦に降った。
ドレークは士官学校を首席で過ごし、卒業した。そのために羨望や尊敬の念を向けられ、否応なしに取り巻きが発生しやすかった。
特に近頃は、非能力者でありながら同期の中でも最初に中尉に上がるとの噂もある。もしそれが実現すれば、非能力者将校における中尉昇格の最少年記録を塗り替えると聞く。
つまりドレークは、非能力者の若手にとって期待の星だ。
勝手にドレークに憧れて取り巻いている奴らが、能力者の中でも頭一つ飛び出したロイを目の敵にしても仕方がない。
ロイはロイで、有望株。能力も含めての攻撃力は若手最強。頭の出来もそこそこ上等で柔軟。人当たりも悪くなく協調性もあって、大将二人を始めとした上層部に見込まれているときた。あいつは文句なしに若手能力者のトップランナー。ドレークの対極と目されている。
奴らにとってロイは、ドレークの出世を邪魔する最大の敵に見えるのだろう。ロイに近い能力者である俺たちに噛みつくのも、挨拶程度の行動なのだ。
「本当に、すまん……あの、わざわざ来てくれて、ありがとうな」
気まずさを払おうとしてか、ドレークが笑う。ぎこちないのは顎に負った傷のせいだろう。手で顎を抑えている。
「おう、気分は――よかねぇか」
ドレークは返事の代わりに肩を竦める動作をしたが、傷に響いたのか顔を顰めた。
慌ててヒナが起き上がりかけていたドレークをベッドに押し戻した。
「ドレークくん、無理しちゃだめ!」
「ヒナ、これぐらいなんともないさ」
「なんともないわけないわ、怪我には無理は禁物なんだから、ヒナ忠告」
唇を軽く突き出したヒナの顔が面白かったのか、ドレークは目を細めた。
備え付けの丸椅子を二つ、ベッドに寄せて座る。こいつも見下されるよりはいいだろう。
ヒナに毛布を掛け直されているドレークの様子を窺がう。顔色はまだ少し、血色が悪い。病衣の隙間から覗く包帯や顎に貼られたガーゼには、うっすら赤が滲んで痛々しい。文句なしの重症者の体だ。
だが、今は生気がある。死の匂いを漂わせていた死の匂いはきれいさっぱりなくなっていた。もう心配はいらないだろう。直で見ての自分の判断に、肩の力を抜く。
「地獄遠征は予定は中止みてェだな」
ふたたびベッドに沈んだドレークは目を伏せて、そうだな、と呟いた。
「本当に、無事でよかった。ロイくんも喜んでいたでしょう?」
「ああ……一つも、文句を言わずに喜んでくれた、俺、あいつの足手まといになったのに」
呼吸に混じって吐き出される自嘲。ドレークが自然に差し挟んだそれに戸惑って、ヒナは会話を続けられなくなった。
「文句もくそもねェだろ、ありゃ事故だ」
「いいや、俺がもっと、もっと気を配っていればよかった、ロイの指示を仰げばよかったんだ」
俺が出した助け舟まで拒否された。睨みつけても効かない。ドレークは目元に腕を押し付けて、俺とヒナを見ようとしない。
よほどドレークは、今回の失態が堪えているらしい。くそ真面目な分、運がなかったとは思えない奴だ。ある程度人のせいにすればいいものを、優等生の親友は自分を責める方へ向かっている。
ロイといい、ドレークといい、どうして俺の周りは手の掛かる奴ばかりなのか。
髪を掻き回して天を仰ぐと、何故かまたドレークが謝った。何を勘違いしているんだ。イラッときて軽くゲンコツを落としておく。
「~いったぁ!」
「スモーカーくんっ、何するのっ」
すかさず飛ぶヒナの非難に眉を寄せて言い返す。
「必要ねェのに謝ってる、このアゴ野郎がわりィんだ」
「それ、理由になってないわよ?」
「なってる。おいドレーク」
額を擦っているドレークを覗き込む。痛みで涙目になった碧眼を覗き込み、言い聞かせる。
「グダグダメソメソしてるくらいならさっさと怪我ァ治せ。ロイに申し訳ねェならな」
「だが」
「だがもクソもねェ、気になるんなら治った後であいつの仕事の一つでも手伝えや。それで今回の失敗はチャラだ」
「おい、それ、むちゃくちゃだぞ、スモーカー」
「ウルセェ、俺がチャラっつったらあいつもチャラって言う」
呆れた顔のドレークを、軽く小突いてやる。
「考え過ぎんなっての、俺らの仲だろ?」
親友なのだ。過度の遠慮はいらない。持ちつ持たれつ、お互いの失態をカバーし合えるくらいがちょうどいい。ロイだってそうに違いない。
ドレークはしばらく視線を彷徨わせてから、躊躇いがちに頷いた。
「わかった……ありがとう、スモーカー、ヒナ」
まだドレークの中で納得がいっていないのは、目を合わせようとしないからわかる。でも今はこれくらいでいいか。吐きかけた息は飲み込んでおく。
「おう、早く切り替えて怪我ァ治しやがれ」
まったく、どいつもこいつも世話が焼ける。
一度酒でも飲んで腹を割って話した方が良い気がしてきた。次に俺たち四人が揃って休暇が噛み合うはいつだろう。
ヒナとドレークが話しているのを眺めつつ、俺は頭の中のスケジュール帳を捲った。
□□□□□□□
スモーカーたちの背中が、ドアの向こうへ消えた。
病室が一気に静かになる。耳を澄ましていても空調の音しかしない。
同じ隊の面々は帰ってこないようだ。時間も時間だし空気を読んでくれたか、それとも医療スタッフに追い出されたかだろう。
ようやく手に入れた静寂に、ホッと息を吐く。真新しい傷が疼いた。ズキズキとした痛みに顔を顰める。鎮痛剤が切れてきたからか、少しばかり辛くて寝つけない。
早く寝てしまいたいのに、厄介だ。今の俺には身体のために睡眠が必要だ。深い傷や失血で、かなりの負担が掛かっている。身体を休めてやって、自己回復力を応援してやらなくてはいけない。
目を瞑って身体の力を抜く。寝る姿勢に入っても睡魔は訪れない。そればかりか、意識はどんどん冴えていく。身体の痛み、空気の温度、明るすぎる月明り。すべてを捕らえて眠れない。眠れ、と自分に言い聞かせてもダメだ。意思に反して意識が冴えていく。
眠れ、眠れ。眠ってくれ、俺。
眠らないと、考えてしまう。昼間のことを、ロイのことを考えてしまう。
今日もまた、ロイの足を引っ張った。
ガープ中将直々に命じられた任務を失敗させた。俺が犯した失態の始末のせいで叱責まで受けさせて、俺と同じ隊の奴らからの嫌味を浴びさせた。
また、ロイの迷惑になってしまった。
『迷惑なんて思っていない、大変な目に遭わせてすまん』
謝り返されると、胸が軋んだ。
いっそもう遠慮してくれと言われたかった。そう言われても仕方ないことをした俺に、ロイの優しさは痛かった。
身の丈に合わない行動をしてしまったとわかっている。力になりたいなんて言っても、気持ちだけで十分と言われるくらい俺の力は足りていない。
わかっているくせに、そんなことはないと無視をした。その結果が、これ。言い訳できるはずがない。
最近、同期の期待の星だと、周りの奴らが俺を褒めそやす。ロイは能力に胡坐を掻いて俺を見下していると、俺に悪口を吹き込む。
その度に俺の周りの目は節穴だと頭が痛くなる。自分の力すら見誤って、親友に泥を掛け続けている男のどこが星に見えるのか。そんな男すら庇って気を配ってくれるロイをどう見たら、そんな下衆の勘繰りができるのか。
星は、俺ではない。ロイだ。
ロイは自分の力を知り、余裕を保って駆けている。上の人たちに見込まれて大変そうではあるけど、きちんと期待に答え続けていけている。周囲の人間にも慕われている。
ロイには、本当の意味での実力も声望もある。いつもギリギリのラインであくせく取り繕っている俺とは大違いだ。嫉妬する気も失せる差が、俺とロイの間には横たわっている。
「わかっている、けれど」
俺はロイの足を引っ張る真似をしてしまう。あいつの側をうろついて、失敗して、迷惑を掛けてしまう。止めようと思っても止められず、結局今日のような始末になる。
愚かな真似を繰り返す自分が、近頃は恐ろしい。ロイを羨んで、困らせて、苦しませたいと心の底で思っているから、こんな行動を取ってしまうのか。
隠れた最低な本音があるのではという自分への疑いが、俺を支配しようとしている。
息を吐く。夜だからか、思考が暗い方へと進んでしまった。これでは余計に眠れなくなる。
もう考えるな。自分に厳しく言い聞かせる。これ以上は自分のためにならない。
考えすぎるなとスモーカーも言っていた。俺たちの仲だ。気にするな、とも。
それで、本当にいいのだろうか。許されるのだろうか。
落ち着かなくて、目を開く。月光に染まって、仄かに青白い病室が視界いっぱいに広がった。顔を窓の方へ倒す。
窓の向こうには、真円の月があった。
それは息を飲むほど美しくて、優しく輝いていて。
ロイに覚えているものと、同じ種類の気後れを感じさせる月だった。
次回、ゼファー先生の出演があるかも