初詣で奉仕部の三人とその妹を見かけてしまい思わず出た願いは
『比企谷のこと諦められますように……』
であった。
沙希の身に降りかかる結末とは……
八幡視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/2.html
沙希(?)視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/4.html
「大志、はぐれるんじゃないよ」
「分かってるって」
受験まで一ヶ月に差し迫った新年。あたし達は初詣とお守りを買いに神社に来ていた。人混みは嫌いだけど今日は大志の為だし我慢できる。
それにしても長い行列だね。皆こんな寒い中、並んでまで叶えたい願いがあるんだ。ま、あたし達もそのうちの一人なんだけど。
教室では誰とも話さないからつい景色を見る癖がついてる。何気なく参拝の終わった人ゴミに目をやると
「あ……」
いくつかの見知った顔ぶれが歩いていた。
ボサボサ頭でアホ毛が伸びた目の腐った男。その横には同じくアホ毛の小柄な女の子。他に二人……
(……そっか。もう完全に修復できたんだ)
四人を目で追いながら一人得心した。
去年の生徒会選挙の時、比企谷に
『あの部活でやってるほうが合ってる』
なんて言っちゃったし喜ぶべきことなんだろうけど……。
参拝の順が自分達に回ってきた。何をお願いするかは決まっている。
『大志が総武高に合格しますように……』
『今年一年、家族が健康に過ごせますように……』
あたしの受験は再来年だし来年の参拝でお願いするとして、神様には申し訳ないけどお願いを増やさせてもらおう。
『比企谷のこと諦められますように……』
……我ながらなんてお願いしてんだろ。
あー、やめやめ! 早くお守り買って帰らないと。けーちゃんが寂しがるからね。
× × ×
「…………ん」
「ひっ⁉ なんで猫が⁉」
勢いよく起き上がり猫もびっくりしてベッドから飛び降りた。
起きたら見知らぬ天井だった。
布団の上には猫がいた。
胸を見ると………………………………縮んでいた。
鏡を見ると………………………………顔見知りが写っていた。
「え……これ……比企谷の、妹……?」
大志の友達だし何度か会ってるので忘れようがない。
あたし昨日、自分の家で寝たよね? それがどうして? 訳が分からない。
(……考えるのは後だ。もう結構時間経っちゃってるし、朝ご飯作らないと……)
あたしはいつものように朝食の準備に取り掛かろうと思ったが、比企谷の家って母親が料理してるんだろうか? 勝手が分からないまま取り合えず部屋を出ると一階から女性に呼ばれた。恐らく比企谷のお母さんだろう。
「小町ー、起きてるー?」
(小町……あたしのことだよね……この子の喋り方ってどうだったっけ……?)
「う、うん、起きてるよー」
うわぁ高くて可愛い声! 気持ち悪ぅ! 自分の声がハスキーだって自覚あるから違和感がすごい。
「小町ー、八幡起こしてきてね。仕事行ってくるから」
「え? え? 八幡て……?」
(ひ、比企谷のこと、だよね……)
コンコン ガチャッ
「ひっ、ひ(やば、比企谷って言いそうになった)……お、お……にいちゃん……起きて……る?」
「…………ん……小町ぃ……もうちっと寝かせてくれ……今日は日曜日じゃないだろ……」
緊張しながらやっとの思いで話しかけて返ってきたのがこれだ。呆れるくらいの平常運転。あまりの比企谷らしさに少しだけ冷静さを取り戻せた。
そう自覚すると比企谷の寝顔に目がいく。恐らく雪ノ下も由比ヶ浜も見たことがないであろうそれを、あたしは小町としてだが見ることができる。無意識に比企谷の顔を覗き込むと鼓動が早鐘を打った。
「…………」
「……ん?」
「‼」
「…………え」
「…………ひゃいっ⁉」
瞼が開かれ腐った目で凝視された。急激に顔が熱くなり飛びのく。
「小町……そんなにお兄ちゃん見つめてどしたの?」
「え、え、ううん、な、なんでもない、なんでもないから!」
あ、そっか。いまはあたしじゃないんだ。小町なんだ。
「…………」
「小町、ちょっとこっち来てくれ」
「え? な、なに、ひっ……お、にいちゃん」
比企谷があたしの顔に手を伸ばしてきた。その手は顔の横をすり抜け後頭部に添えられ、優しく引き寄せられた。
「はへ? ひっ、き⁉」
「……んー、ちょっと熱っぽいんじゃねえか?」
(ひっ、比企谷に⁉ おでこ! ぴとって⁉)
うわぁ、顔が熱い……顔どころか体全部が紅潮していくのが分かるよぉ……
バカ! バカ! 比企谷、こんなことされたら熱上がるに決まってんでしょ!
文化祭のときの『愛してるぜ』といい、体育祭のときの『服、作ってくんねぇか』といい、生徒会選挙の相談のときの『俺には必要なんだよ』といい、なんであんたはそう無自覚に人をドキドキさせるわけ⁉
「俺は着替えとくから熱計ってこい。風邪なら一緒に病院行ってやるから診察券と保険証用意しとけ」
「……小町?」
「…………あ、え、ああ、うん、熱計ってくるね」
比企谷ってこんなに妹の面倒見がいいんだ……普段学校で見かけるときと全然違う……
体温計の置き場所知らないし、そもそも熱がないのは分かってたので計った体でやり過ごそう。
一階に降りてふと気づいた。誰もいない。比企谷のお母さんであろうさっきの人があんなに早く仕事に行き、父親らしき人もいないとなると普段小町がキッチンに立ってるんだろうか。
(そういえばスカラシップのこと教えてもらったとき小町が言ってたっけ、両親共働きだって)
ならうちと同じように家事は子供が担当する。あの感じなら小町がやってるだろうね。比企谷はめんどくさがりだし。ってか比企谷がキッチンに立って料理してる画が想像できない。
そう自得してキッチンへ。うちより広くて新しいせいかちょっとだけ浮き立ってしまう。冷蔵庫を見て何が作れそうか考えていると比企谷が二階から降りてきた。
「あ、ひっ、おにいちゃん、熱なかったから朝ご飯作るね」
「今から作るのか?」
「うん、今日はちょっと寝坊しちゃって……」
それらしい嘘でなんとか誤魔化すとハミングしそうになるほど上機嫌で朝食の準備をする。今日ほど普段、料理していて良かったと思ったことはない。比企谷に食べてもらえる。ただそれだけなのに嬉しいなんて。
だ、ダメだダメだ! 諦めるって神様にお願いまでしたのに!
あたしが食事の支度に取り掛かろうとしていると、いつの間にか隣にいる比企谷に声をかけられた。
「ああ……それじゃ俺が作るから小町は座ってていいぞ」
「え?」
え? なんで? なんで? 普段はあた……小町が作ってるんでしょ? どうして今日に限って?
「え? え? い、いいよ別に、ひっ、お、おにいちゃんは座っててってば!」
「遠慮するな。いつもやってもらってるし、たまにはいいだろ」
学校では見られない強引さで朝食の準備を進める比企谷。さすがにあたしの目にはちょっともどかしく映るけど危なげなく、それなりにテキパキこなしていく。
「お、鮭があるな。目玉も焼くか」
「あ、それ、あた……こ、小町、がやるから」
「んじゃ頼むわ」
ボーっとしてたけど、このままじゃあたしの仕事なくなっちゃう。慌てて比企谷を制し、せめておかずくらいは作ろうと思ったが、冷静になるとこれはこれで悶えてしまうような状況なことに気付く。
「…………」
「…………」
キッチンに並んで一緒に朝食作るとか……これってもう……こ、ここ、恋人通り越して、ふ、夫婦……?
比企谷はそんなこと思ってないだろうけど、こっちは緊張して何か話題がないか手を動かしながら必死に考える。
ん?
「……ひっ、おにいちゃん、サラダが緑ばっかなんだけど。トマトとかで彩りつけないの?」
「……やっぱ今日調子悪いだろ小町」
「? なんのこと?」
「……トマト嫌いって前も言っただろ」
しまった。そういえばあたし、比企谷の好みとか全然把握してないよ。
去年、小町に呼ばれて大志と一緒にサイゼ行ったとき、ミラノ風ドリア食べてるくらいしか記憶がないね。
ドリア好きなのかな……洋風は普段あまり作らないけど、今晩作ってあげようかな……
ふふ、それにしてもトマトが嫌いなんて歳相応に幼いとこもあるんだ。いつもは斜に構えて人生に疲れた中堅サラリーマンみたいな言動なのにね。
「あ、ご、ごめん忘れてた。そっか、ひっ、おにいちゃんはトマト嫌いなんだよね」
……なんか比企谷が怪訝な表情でこっち見てる。あたしだってバレたりしないよね?
ってか小町があたしとかそんなの気づくはずないでしょ。
「小町、ちょっと勉強しすぎなんじゃないのか? 時には休むことが必要なときもある。無理はするんじゃないぞ」
‼ ひ、ひひひ、比企谷が! あたしの、あ、頭、撫でてる⁉
「⁉ う、わわわ…………お、おにいちゃん、へ、平気、だから……」
家では長女としてあまり家族に甘えることができないので、こんな風に撫でられるのは小さいとき以来だ。もうどんなだったか覚えていないお父ちゃんに撫でられた記憶が、なんとなく比企谷の手で思い起こされる気がした。
「……顔赤いが? やっぱ熱とか……」
「へ、平気! 熱なんかないから、これはアレで、アレだから!」
…………もー! 一体なんなのさ⁉ テンパりすぎて比企谷みたいな返しになってる。
普段、家じゃこんなにも妹のこと可愛がってるの? ちょっと羨ま……じゃなかった、シスコン過ぎでしょあいつ。
出来た朝食を黙々と食べる。つい比企谷の反応が気になって見てしまうが、それを別の意味に捉えたのか食器まで洗い始めた。ご飯の準備までしてもらったのに食器も洗わせるなんて罰が当たるよ。いいから座っててって言っても聞かないし、結局また二人並んで洗うことになった。
あたしが洗った皿を比企谷に拭いてしまってもらう。うわ……なにこれ、なんか恥ずかし……
× × ×
ご飯と片付けを済ませ人心地ついたあたしは、これから何をするべきか迷っていた。
どうしてこんなことになったのかを調べるのが第一かもしれないけど、少し考えたら結論がでた。
『原因不明』
こんなよく分からないことをどうにかしようってのがそもそも無理な話だと早々と諦めがついた。単純に時間経過によって事態が好転することを祈るしかない。
そうだ、あたしの身体の方がどうなってるのか。いい方向へ導く鍵となる可能性がある。
そもそもあたしが小町になってるからって、小町があたしになってるとも限らないんだよね。
この身体で小町の意識が眠っている状態……てこともあり得るし。こっちにあたしの意識があるから自分の身体は抜け殻状態で眠り続けてるとか。そこまでじゃなくてもあたしの意識が分裂して両方に存在してるって可能性も……
あり得ない状況だからこそ様々なケースが考えられる。とにかくあたし……の身体に連絡を取らないと。申し訳ないが小町の携帯のアドレスを見せてもらう。
……この子の登録件数すごいね。あたしの携帯なんて家と両親と大志と学校と病院とバイト先の番号くらいしかないよ。
去年の生徒会選挙のとき大志経由で呼ばれたし、さすがに番号交換した記憶がない。もしあたしの意識が分裂してて、いまもあたしの身体にあたしが(ややこしい)存在してた場合、番号交換してない人からいきなり連絡きたら驚くだろうね……最悪大志が変な目で見られそうだし弟に迷惑かけない為にも先に大志と連絡とったほうがいいかな。
FROM :小町 TITEL:大志へ 今日そっち行きたいんだけどいい? 受験勉強って名目で行くから何時くらいなら 平気か連絡ちょうだい。 |
――――送信
……あー……文面が普段のあたしになっちゃってた。大志相手だからって油断し過ぎたか。
返事はすぐに来た。お昼過ぎあたりなら大丈夫らしい。
さて、それまでどうしようか……比企谷へ向けてのポーズなら受験勉強してくるって言って部屋で引き篭もるのもいいけど、あまり小町の自室でプライベートに触れるのは悪い気がする。でも受験間近だし何もしてないのも怪しまれるし……折衝案としてリビングで勉強するのがいいかもしれない。
あたしは勉強道具を持って炬燵で勉強を始めた。
比企谷家はリビングの天井も高いし、炬燵も大きい。うちのはもっとこじんまりしてる上、家族が多いからこの家の炬燵に戸惑っちゃう。
あたしが炬燵で編み物をしてると隣でいつも京華がくっついてきたね。蜜柑食べてうとうとしてあたしの膝枕で寝ちゃったりとか炬燵エピソードは沢山ある。
「いっ⁉ ね、ねこ⁉」
丸々とした白猫が炬燵に入って来た。猫は炬燵大好きだし、しょうがないか。それに、いまは小町の身体だし懐いてるんだろうね。当然アレルギーもないし、触って、みよう、かな?
最初はおっかなびっくり触れてみるも、猫が逃げず手触りもいいことから知らず知らずの内に夢中で撫でまわしていた。
(うちじゃ飼えないし、そもそもアレルギーでこうして気軽に触ることすら出来ないからそれに関してはこの現象に感謝だね…………あっ、いけない、勉強しとかないと比企谷に怪しまれる)
我に返り三年前のように高校受験の勉強を始めた。
カリカリ...
「…………」チラッ
「…………」グデー
カリカリ...
「…………」チラッ
「…………」
斜向かいで炬燵に入りながら机に顎をつけてぐでーっとする比企谷を見る。お行儀悪い、ってうちでは京華を窘めてるところだけどこの格好ってなんだかたまの休みでくつろいでるお父ちゃんみたいで噴き出しそうになってしまった。
「小町、珈琲飲むか?」
「え、あ、うん、飲む」
ちょうど勉強が終わったタイミングで珈琲を勧められた。学力は今のままだし当然つっかえることもなくスラスラ解けたからね。
「もう勉強終わりか?」
「うん、終わったよ」
「え?」
懐疑的な視線を向け問題集を要求する比企谷。そのまま正誤チェックも始めてしまう。終わると表情は驚きに塗り替えられていた。
……小町ってそんなに勉強苦手なのかな。疑問を見透かされたような科白が比企谷の口を吐いた。
「どうしたんだよ小町? お前いつの間にこんな勉強できるようになったの?」
「む……別に大したことじゃないでしょ。授業聞いて塾でも勉強してれば分かるよ」
これって小町には似つかわしくない言葉だったかもしれない。現に比企谷の表情には驚愕の色がありありと浮かんでいた。
大志との約束にはまだ時間は十分ある。あたしはそれまでどうやってその時間を使うか炬燵に入り蜜柑を食べながら悩んでいた。
普段は暇があったら京華の相手か、京華が寝てるなら勉強、部屋の掃除あたりがあたしの時間の使い方だ。でも現状、ここはあたしの家じゃないわけだし勝手に何かするのは憚られる。小町のプライバシーが気になり、部屋で勉強している体で過ごそうというのもやめたくらいだ。こうして勝手に蜜柑食べてるのだってちょっと気が引ける。
ツン
「⁉」
いまの比企谷⁉ しかいないよね。猫はあたしの足先に触れてる。急な出来事に比企谷の方を見るとバツが悪そうにしていた。たまたま足が当たったらしい。
(……家族なのにそんなの気にするほうが変か)
今が特殊な状況だからつい忘れちゃうけど、炬燵の中で足が当たるくらいでヤイヤイ言う家族なんていやしないね。それこそうちなんてしょっちゅうだし、子供の頃はよく大志と足の押し出し合いしたもんだ。相手が比企谷だからって過剰に反応し過ぎだよ。
ツン
「⁉」
反射的にまた比企谷を見る。さっきと違いぐでーっとしながらそっぽを向いていた。あのバツの悪い顔はどこへいったんだ。
ツンツン
「‼ ~~~~っ」
またちょっかいかけてきて……しかも白々し過ぎるよこの!
……比企谷にもこんな子供っぽいとこあるんだ。
……小町が相手だから、かな?
ツンツン
ツンツン
いい加減くどいのでさすがに窘めようとした矢先、猫があたしの太股のあたりまで移動し寄りかかって来た。それと同時にちょっかいが止む。
(これってもしかして……)
くくっ、ちょっかいの原因に気付いたあたしは忍び笑いが止まらない。なるほどね、しつこいとは思ったけどそういうことだったの。あんなに用心深くて頭の切れる男が猫に騙されて……ある意味らしいといえばらしいかもしれないけど。
ちょっかいが止むと約束の時間まで本当にやることがなくてぼーっと考え事をしてしまう。
いま起こってる超常現象についてではなく、自分の家と比企谷家の違いについて耽っていたのだ。
四人家族なのにうちより広くて立派な家。それだけで単純に比較はできないかもしれないけど、比企谷家はうちより所得が多そう。多分、比企谷も小町も私大に行かせてもらえるんだろうな。ぼんやりとそんな考えが思い浮かぶが、少しも羨ましく感じないことを不思議に思った。
授業料の安い国公立を目指す為の前段階であんな苦労して深夜のアルバイトで予備校費用を稼いでいたのに。比企谷家に生まれていればそんなことしなくてもよかったのに。なのになんで羨ましくないんだろう。
答えは簡単だった。
家が広いのは良くもあり、悪くもある。きっとこの広さが、侘しさが嫌いなんだ。それに比べ川崎家はちょっと狭いし家族が多いけどその分、賑やかで温もりがある。ときどき京華の元気過ぎる声に困らされたりもするが、あたしはあの家に生まれて良かったって思ってる。そんな想いが無意識に口を吐いた。
「…………なんか、部屋が広いね」
「は? 家は成長しないだろ。むしろ俺達がデカくなって部屋が狭く感じるはずだが」
見当外れな返しをする比企谷にもう一度。
「…………二人だと、広い、ね……」
こんな広い家にたった二人で寂しくないの? 暗にそういったつもりだったんだけど比企谷の理解はまた少し違くって
「…………ほれ」
「……………………え」
(ひ、比企谷が、隣に、あたしを誘って、る?)
今まで一度だって比企谷がこんなのしてくれたことない。いつもちょっとあたしのこと怖がりながらキョドって必要があるときだけ話しかけてくる。そのくせドキッとすること言ってきてあたしを悩ませるスケコマシだ。これもその一つなんだろうか?
この辺からもうあたしはあたしが小町だっていう意識が希薄だったんだと思う。
「……お、お邪魔……しま、す」
おずおずと比企谷の開けてくれた炬燵に足を入れる。
意識しちゃってるのがありありとしてて気恥ずかしい。
こんなのあたしのキャラじゃない。
でも……なんか胸の奥がぽかぽかする……
「…………あの」
「ん?」
「…………課題終わらせたし、その、ご、ご褒美、ほしい……っていうか……」
……ホント何言ってんだろ。熱に浮かされてるみたいに思考力が低下してる。
そもそも勉強は自分の為にやるものでそこにご褒美が発生する考え方自体が間違っている。
言ってしまった後に猛省しているとそれがまるで間違いであるかのような喜々とした声がかけられた。
「いいぞ。何がいい? ハーゲンダッツか? ケーキか? そんなんでいいならコンビニいってすぐに買って来てやるぞ」
……こいつは本当に……
学校では全く見せない
「あ、そういうんじゃなくて…………」
「あ、頭……撫で、て?」
「へ?」
……バカじゃないの?
ホント何言ってんのあたし?
小町になったせいであたし自身もおかしくなっちゃったの?
こんなのあたしのキャラじゃないしって何回同じこと言ってんのよ。
目まぐるしく変わる思考の波を無視し、思いのほか大きな手があたしの頭に触れる。
「ぅぁ…………」
自然に声が漏れた。その手はこの身体のことを熟知し巧妙に快感を生み出していく。
(な、に、これ……気持ち良すぎて、ふわふわ、して……)
身体に力が入らない。まるで全身の力が比企谷の手に吸い取られていくみたいだ。自然と体を比企谷に預ける形になる。
そういえばこうして誰かに寄りかかるなんてこと、最近した記憶がない。
家では忙しい両親の代わりに弟妹達の面倒を見なきゃ……頼れるお姉ちゃんじゃなければいけない。あたしが弱みを見せたら下の子達が不安になる。そうやって肩肘はって生きてきた結果、こんなに目付きが悪くなっちゃったのかも……比企谷もあんな目になったのには理由があるんだろう。
比企谷の胸を借りてこんなにも気丈夫になれるとは思わなかった。弟妹達はあたしに対してこんな風に感じてくれてるのだろうか。それだったら頑張ってきた甲斐があるんだけどね。
比企谷に包まれた安堵感から目を瞑って身体を委ねる。とくんとくんと聴こえる心音が子守唄のようにあたしの
「…………愛してるぞ」
「」ビクッ
ドキッ‼
どっと汗が吹き出しくる。炬燵のせいじゃなく顔中どころか身体全体が熱い。寒さと違う羞恥の震えが起こる。
きゅ、急に何言い出すのよこいつは⁉ 恥ずかしぃ……顔、見れない……見せられない……
顔を隠すように比企谷の胸に埋め擦り付ける。
だが比企谷は追撃の手を緩めない。撫でる手を休めないばかりか、時にはポンポンしたり、わしゃわしゃしてきたりと手を変え品を変えあたしの動揺を誘ってくる。
ああ、もうだめ……ダメになる......
知らないうちにあたしは意識を手放した。
× × ×
「…………ん……んにゃ?」
「…………おう、おはよう」
「‼ あ、あた、小町寝ちゃった⁉」
しまった! 完全に寝ちゃった⁉
「ぐっすり寝てたな」
「どれくらい⁉」
「二時間くらいかな。とっくに昼過ぎてるけど」
大志と待ち合わせがあるのに寝坊だなんて!
「ご、ごめん、このあと約束があって、ついでに勉強も一緒にしてくるからお昼テキトーに食べてて!」
「あ、お、おう。それはいいんだが何時くらいに帰る予定だ?」
「えっと、18時くらいまでには帰るつもりだから」
自室に駆け込み適当な服に着替えると家を後にする。
今まで比企谷の家に来たことはなかったが、弟妹が同じ塾に通ってるという時点で薄々近いとは思っていた。どうやら予感は当たっていたようで自転車で通った記憶もある場所だ。
(よかった、これなら迷わない。早いとこ大志と合流しなきゃ)
しばらく走ると馴染のある通りに出た。冬真っ只中の季節だけど、走ったお陰でそれほど寒さを感じなかった。
「自転車でくればよかったかな……でも小町の自転車あるのかも分からなかったし」
比企谷が自転車通学なのは知っているから最悪それを借りれば……だめだ、比企谷の自転車なんて乗ったらどうにかなっちゃいそう。
『比企谷の』と銘打つだけで、眠る前に撫で繰り回されたのを想起してしまう。
ただ、その効能なのか、よく眠れたし寝覚めがいいしスッキリした気分だ。これなら勉強も捗りそう。
(――――って、あたしホントに勉強しに行くわけじゃないんだった。……でも普段は教えてるだけだけど、大志と一緒に教え合いながら勉強できるって嬉しいかも……)
大志に教わるという時点で色々と問題ある行動なのに気付かない辺り、冷静じゃなかったんだろうね。あたしは家路に着いて、もう一人のあたしに会うことに高揚してたのかもしれない。
× × ×
「ひ、比企谷さん、い、いらっしゃい! ど、どうぞ」
大志に案内され居間へ通された。それくらいの常識は持ってるようで安心したよ。もっとも自室に招いてもあたしがいるだろうし間違いは起こりえないけど。
ん? 今日ってあたし予定あったっけ? 親は仕事だし京華は保育園に預けてるし、いつもならこの時間は勉強か縫い物してから夕飯の買い物に……
いやいや、前提条件が不確かなせいでうまく推測できない。比企谷家を出る前にも考えてたけど本当に小町があたしと入れ替わってるのかすら未確認なんだ。何が起きてても不思議じゃない。
もしあたしの
「……ねえ大志、あんたのお姉ちゃん今日はどうしてるの?」
「えっ⁉ ね、姉ちゃんすか? 姉ちゃんなら朝飯の後、用があるっていって出掛けたっす」
早くも計画が頓挫する。最悪、会っても原因が分からないかもしれないけど会えなきゃ状況すら整理できない。でも抜け殻ってことはないみたいだ。あとはあたしか小町かの二択。
(……あたしだとして、今日なんか用あったっけ……)
冬期講習もないし特に用事はなかったはずだ。急用だったら別だけど、そもそも知り合いが少ないから急用が入る可能性すらゼロだし。などと比企谷をオマージュしてしまうところに今のあたしの闇の深さが窺える。
「ひ、比企谷さん、きょ、今日はいつもと、なんか……違うっすね」
(やば、もっと小町に寄せてかないとバレちゃうかも)
「や、やだなー、そんなわけないでしょ大志ってば、いつも通りだよー♪」
(こ、こんなんでいいんだっけ? 小町とほとんど会ってないから普段が全く分からないんだけど……ってか相手が大志だとどうしても素が出ちゃうよ)
「…………」
(大志だまっちゃったし……怪しまれてなけりゃいいけど……)
時間は刻々と過ぎていき、ただ大志と受験勉強しているだけの状況にもどかしさや焦りを感じていた。その上、何故か大志は
「ねえ、ちょっといい?」
「な、なんすか?」
「……その言葉遣い直してくんない? その体育会系民族共通敬語みたいなやつ」
「え、え、どうすればいいんすか?」
「……普通に話してよ、あたしと同じように」
「え⁉ 同じように、すか?」
「ほら、また言った。敬語禁止ね」
「分かったっす、あ、わ、分かったよ」
ついに我慢できなくなり、それを指摘してしまう。本人のいないところで関係性を変えるような行動が好ましくないのは分かっていたがこんな調子じゃ、将来比企谷みたいに卑屈な人間になりかねないからね。
「ただいま~……」
「姉ちゃん、おかえり」
「‼」
あたしだ。あたしが帰ってきた。あたしってこんなにダウナーだっけ? と疑いたくなる気怠さと疲労感を身にまとった川崎沙希を目の当たりにする。
「遅かったじゃん。どこいってたの?」
「ん、ちょっとね。あ、小町来てたんだ? いらっしゃい」
「は、はい、お邪魔してます」
う~ん、小町……小町かぁ……あたしだったら『妹ちゃん来てんだ?』か『ん、いらっしゃい』って言うと思うけど、小町って呼んでも不思議じゃないのかなぁ……
(……一言「小町?」って訊けば済む話といえばそうなんだけど……)
もし違ったら、小町の立場からすると『ラノベと現実の区別がつかないの?』的妄想発言によって失うものは大きい。大志とあたしをポカンとさせ見る目を変えるほどのポテンシャルを持つ事案、違えてはダメだ。確証が欲しい。
そう指針を決めると途端に打つ手が少ないことに気付く。あたしは小町のことをそんなに知らないし逆もまた然り。お互いの行動の何が自然で何が不自然なのか予測できず『入れ替わっている』を知らせるサインが出しづらい。
そもそも早々と部屋に引っ込んでしまった
大志と勉強を続けてると、徐々に頭の回転が鈍ってくるのが分かる。午前中はあんなにスラスラ解けたものがつっかえるようになった。疲れてきたかな。そう思って軽く息を吐くとお茶が差し出された。
「ん、お疲れ。二人ともちょっと休憩したら?」
「ありがとう、姉ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
どうやって
え、なにこれ? もしかしてあたしのこと避けてない? 確かにあたしは小町のことちょっとだけ苦手かもって思うことはあるけどここまで露骨に避けるほどでもないと思うけど。
それより急がないとまた自室に行っちゃう。
「さ、沙希さん、さっきまで何処行ってたんですかー?」
うわ、これさっき大志が訊いて濁されたやつじゃん。あたしバカなの? 己の話術の拙さが恨めしい。そういえば学校で人と話すことがほとんどないし無理もないか。
「……どこだっていいでしょ」
真っ向からの否定。そりゃあんな考えなしの質問したらこう返ってくるよね。でもここで終わったら本格的に絡む機会を失ってしまう。第一、まだ
(ん? ……それはそれで……いやいや何考えてんの!)
頭お花畑か、あたしは。今まで生きてきた『川崎沙希』を捨てて別人になるなんて有り得ない。絶対に元に戻る糸口を見つける。
お世辞にも高いとは言えないコミュ力を駆使し、
「あ、たいしー、そろそろ京華のお迎え行って来てくんない? あたし夕飯の支度するから」
「分かった。ちょうど区切りいいし行ってくる」
「⁉」
(これだ! 夕飯の準備を手伝いながら小町かどうか確認できれば……)
「あた、こ、小町もご飯の準備手伝いますよ沙希さん!」
「え……いいよ、悪いし……」
「全然そんなことないですから!」
やはり
「姉ちゃん、いいじゃんか。俺も一緒に食べたいし、きっと京華も喜ぶよ!」
(ナイス、大志! やっぱりあんたはあたしの大事な弟だよ‼)
「う……わ、分かったから。でもご飯を一緒に食べる代わりに大志と一緒に京華迎えに行ってやってよ。それならいいよ」
「(うぅ、肝心の二人きりを避けられたか)は、はい、分かりました。大志、行こ!」
「う、うん」
「え⁉ ちょ⁉」
こうなればスピード勝負だ。早いとこ京華を連れ戻ってまだ準備ができてないところを無理矢理手伝う。これだ!
強引に大志の手を引いてお迎えに行く。
(……あ、比企谷の夕飯作らなくちゃいけなかったんだ。連絡しとかなきゃ……)
仮初の兄の夕飯を思い浮かべ電話しようとスマホを取り出すが、あの
(なるべく早く帰らないと……)
× × ×
「今日はさーちゃんじゃなくてたーくんがお迎え? あ、えーっと、こ、こー、小町だぁ!」
「そうだよー、小町だよー、京華ちゃんよく覚えてたねー」
京華だ、京華だ、今朝は会えなかった反動からあたしはギュッと抱き締めてしまう。
「こまちー、苦しいぃ……」
「あ、ごめんごめん、さ、帰ろっか?」
「うん!」
京華の左手をあたしが、右手を大志が繋いで家族のように家路へ着く。いや、家族なんだよ、ホントは。
「な、なんか……こう、照れるっすね……」
「ん、こぉら大志、また敬語になった」
「す、すんませんっす……」
「あたしとおんなじように喋ってみなって。緊張しないでいいから」
逆効果なのは分かっていたが言わずにはいられない。当然、余計緊張してるんだけど。
「じゃ、じゃあ、いくっす。じゃなくて、いくよ」
どこに?
「お、俺達、ふ、夫婦みたいじゃない? こ、小町」
ぶっ、だから緊張してたのか。照れてる大志が可愛すぎる。ついいつものように空いた左手で大志の頭を撫でる。
「まったく、あんた可愛いね」ナデナデ
「⁉ ひっ、比企谷さん⁉」
「小町でしょ? こーまーちー」
京華に会えてあたし、なんか変なテンションになってるのかもしんない。大志や京華と夫婦ごっこしながら歩くのがなんだか楽しかった。
× × ×
家に着くと急いだのが功を奏し、まだ料理は完成には至ってなかった。
大した駆け引きでもないけどお互い意地になり、片や二人きりでいたくないのをありありと出して、片や絶対に離れてやらないと隠すこともしない。
そうしてぶつかり合うも基本的に手の空いていない
そういえば材料は昨日のうちに買ってあったし、里芋があったら里芋の煮っころがし作るよね?
鍋を覗いてみると
「あ、沙希さん、お皿用意してますね」
「ん、ありがと……」
勝手知ったる我が家のキッチン。何が何処にあるのかを熟知しているから、この配膳振りを見るだけでも
「「「「いただきまーす」」」」
夕飯が出来ると結局
「‼」
確かに美味しい。小町もあたしと同じで毎日料理をしてるであろう学生専業主婦だが里芋の煮っころがしがなんというか、不味くはないんだけどまだ未完って感じで作り慣れてない出来だった。煮込みは十分なのに味が上手く染みてない。でもこれ以上煮ると煮崩れる。そんな痛し痒しな状態。
いつも食べ慣れてる大志や京華にも違和感だったらしく、特に正直な京華には「美味しいけどいつもと違うね」と言われるなど散々だった。
まさかあたしの得意料理が決め手になるなんて。
さあ小町(と思われるあたし)これ見て思うところないの?
あんたの
これだけの
食事中、ちらちら様子を窺うとあからさまに目を逸らすのだ。その態度はまるで何か後ろめたいことがあるかのようで触れてくださいといわんばかりだった。
京華はまだ食べる量が少ないし、案外すぐ食事は終わってしまう。これでようやく
「ご、ごめん! ちょっと出てくる!」
「‼」
「姉ちゃん⁉」
「さーちゃん⁉」
唐突に
「ごめん大志、京華のことお願い。あたしが行ってくる!」
なんとか見失わないよう追いかける。
ブランコを選んだところにますます小町らしさを感じてしまう。おっと、さすがにそれは偏見か。
「…………沙希さん」
「‼」ビクッ
動揺がブランコに伝わりガシャリと鎖が軋む音が響く。逃げないことを確認すると、あたしはゆっくりと近づいた。まるで警戒する猫を刺激しないように。時間が止まってしまったように固まった
「…………これ」
「…………ぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁ‼」
……
……
……
「……すみません沙希さん、取り乱しちゃって……」
あたしは缶コーヒーを買って来て小町に渡す。小町の財布だがこの時ばかりは躊躇しなかった。
「……こんなことになったの、小町のせいなんです……」
衝撃の告白――から続く科白で虚脱する。
「小町が初詣で変なお願いしちゃったばっかりに……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……………………は?」
ひっ⁉ と声にならない悲鳴を上げる小町。我ながら物凄く醒めた低い声が出たと思う。小町の声質というよりむしろあたしに近い。あまりにも突拍子もないこと言ってきたから出た声音であり、決して怒っているわけじゃない。
「元旦に初詣に行った時、小町神様に変なお願いしちゃったんです……それで……」
「えっと小町が何言ってんのか分からないんだけど……?」
よくよく訊いてみると『スカラシップがとれるくらい勉強ができるようになりたい』みたいなことをお願いしたらしい。もう受験間近だし、むしろそんなありがちな願いでなんであたしと入れ替わるってことになんのよ。
神様の中ではスカラシップの代名詞ってあたしなの?
スカラシップの申し子なの?
スカラシップはあたしの為にあるの?
最後のだけは同意できる。あたしみたいなのにスカラシップは酷く画期的なシステムだったし、それを比企谷に教えてもらってから生活はいい方向に向いたから。
「それでさっきまで稲毛浅間神社に行って元に戻るようお願いしてきたんですけどね、ダメでした……あはは……」
この子の中ではこの超常現象が神頼みだって確定しちゃってるわけだ。百歩譲ってこれが願いのせいだとしても、その願いでこうなる合理性が薄い。スカラシップならそれこそ一番身近な比企谷だって取っている。性別は違うけど入れ替わるならそっちのが自然ではないのか。
「……小町、なにかあたしに隠してないかい?」
「‼ か、隠してなんていませんよ! どうしてそう思うんですか⁉」
「だってその願い事の叶え方があたしとの入れ替わりってどう考えても変でしょ」
「それは…………クシュッ‼」
「……コート持ってきたとはいえ寒いね、どっかお店で話そっか。お金はあとで返すから」
「いえ、構いません。だってこのまま…………」
そこまで言って小町は口を噤んだ。一生このままかも、と言おうとしたんだろう。隠しても当事者なんだからすぐ分かる。小町が神社で願いをし直して戻れないことで事態を重く受け止めている。あたしはその説を完全に信じたわけではなかったが、その情動に中てられ軽々に言葉を発せられなかった。
× × ×
……しょうもない。
…………本っ当にしょ――――もない!
あれから二人で喫茶店へ行き、暖を取りながら色々推論を立てたが何一つ具体的な方策は浮かばなかった。
無理もない。あたし達がどうにか出来る範疇を超えた事件なのだから。諦めかけたが、それでも何とか糸口をと藁にも縋る思いで小町が頑なに喋らなかった秘密を聞き出した…………のだが。
「…………なにそれ」
内容はしょうもないの一言に尽きる。問い詰めて損した気分になるくらいどうしようもない話で完全に毒気を抜かれてしまった。そこで区切りが付いたのかどちらともなく帰ることにした。
小町はサンダルで飛び出してきたし、あたしも財布とコートだけを持って出たので川崎家に帰り荷物を取りに戻らないといけない。隣を歩く
このままいけば、小町は高校受験をすっ飛ばして来年大学受験へと向かう。丸二年以上も学校生活をスキップしてしまったらとても授業にはついて行けないはずだ。そうでなくても総武はこの辺で有数の進学校。三年分と受験対策をたった一年で詰め込むのはハッキリ言って不可能であり現実的に考えれば専門学校か就職になるだろう。
それに比べればあたしの方がだいぶマシ、いや見方によっては人生が好転してると言えなくもない。
今日初めて比企谷家で過ごしたがあの感じからしてうちより経済的に裕福そうだ。子供は少なく、うちと同じく共働き。比企谷は理数系がダメなのは知っている。恐らく大学も受験に理系科目が必要のない私大に進学するのだろう。家でのヒエラルキーも小町のが上と聞いているからあたしも望めば私大や一人暮らしもさせてもらえそう。大志と付き合っちゃうことだってできる。
……でも今日感じた侘しさが胸にこたえる。
諦めたいと願ったこの想いもあいつと暮らす障害になるかもしれない。
そんな一利一害に悩みながら今は寒空の中、大志に
大志と一緒に帰ることは偶にあるけど、送ってもらうのは初めてで何とも言えない気分だ。
「……もうそろそろ着いちゃう……な」
「…………うん」
喋り方を変えただけでちょっと頼り甲斐があるように見えてしまう。いや、大志は優しいし頼りになるよ? あたしがバイトで朝帰りしてた時も親はなにも言ってこないし怒りもしなかったのに、あたしに疎ましがられてもしつこいくらい食い下がってきて比企谷達に相談までして止めてくれたんだから。
でも一番の功労者はもうすぐ着く家にいる。
(あ、そういえば最後に連絡したの夕飯食べる前だった)
しまった、と心の中で舌打ちした。既に目視できる距離まで近付いているのでもう連絡する気は失せていた。
「じゃ、じゃあ、明日学校と塾でな。…………おやすみ、こ、小町」
「う、うん、大志も送ってくれてありがとね」
お互い照れながら別れの挨拶を済ました。これがおやすみ沙希だったらもっとポイント高いんだけどね。おっと、小町に染まってきちゃったかな。
ガチャッ
「ひっ、おにいちゃん、ただいm「遅いだろ‼」遅くなっ⁉ ……って…………」
「なんで連絡しなかった‼ 心配したんだぞ⁉」
玄関に入った途端、比企谷に怒鳴られた。いままで見たことがない形相と物凄い剣幕だった。
怖い。
怒られてこんなに恐怖を感じたのは初めてかもしれない。
気付けば小刻みに震えていた。血の気が引いていくのが分かる。手足が冷たいのは寒気のせいだけではないはずだ。
比企谷はゆっくりと近づいてきた。
身体が強ばり半歩後退る。
ぶたれるんじゃないか。だが、そんな懸念は杞憂でしかなかった。
比企谷はあたしをそっと抱き締める。
「……ひっ、お、おにい……ちゃん……?」
はじめは強張ってた身体の力が徐々に抜けていく。
「…………ごめんな、怒鳴っちまって。お前のことが心配過ぎてつい、な」
「‼ ――――っ」
それを聞いて瞳が潤むのがわかった。今度は縋るように比企谷の背中に手を回す。
「……どうして連絡してくれなかったんだ?」
学校では一度も聞いたことのない優しい声音。
心苦しかったけど本当のことを言うわけにもいかずいくつか嘘を混ぜてそれらしく弁明する。
「……スマホのバッテリー切れちゃって……勉強の後にあた、さ、沙希、さんとちょっと話してたら長くなっちゃったの……」
「そうか……」
家を飛び出した
あんたのスタンスなら余計なことには首を突っ込まないはずなのに、それを曲げてでも困った人に手を差し伸べちゃうんでしょ。そっちもあんたらしいって、知ってるから……
「川崎んちで電話借りて連絡することも出来ただろ? 今度からそうしろよ。予定より二時間も遅くなったらどう楽観的にみても不安になっちまう」
「…………うん、反省してる……」
「…………で、大志にちゃんと送らせたんだろうな?」
「え?」
「え? ってあの野郎、小町にこんな夜道を歩かせたのか。墓石抱かせて岩井海水浴場に沈めてやる…………」
「わー、待った待った! 大志、くん、にはちゃんと送ってもらったから、ひっ、おにいちゃんは手を汚す必要ないんだよ‼」
危ないところだった。もし今ここで大志を呼び捨てにしてたら……ってかなんでよりによって岩井海水浴場なのよ!
あそこ子連れとかファミリー向けの
「そ、そうか……まあ、こんな大事なときに役に立ったことは認めてやってもいいかもしれんな」
「え? ひっ、おにいちゃんが、大志、くん、にそんなこと言うなんて……‼」
そして比企谷はさらにあたしを驚かせる。
「うっ…………とにかく! 小町が無事で良かった。夕飯冷めちまったから温めなおして一緒に食おうぜ」
「え……つ、作って待っててくれたの……?」
「いつもやってもらってるからな。受験目前の妹に代わってこれくらいやるのはお兄ちゃんとして当然だろ」
あたしなんかの為に、こんなに……
いつ以来だろう。料理を作って出迎えてもらったのは……
いままで弟妹達の面倒も看てきたし家事も率先して手伝ってきた。そのせいで両親に強く怒られたことなんてなかった。
朝帰りでバイトしてた時ですら怒ってもらえなかったあたしを、両親は愛していないんじゃないかって少しだけ疑ったこともあったくらいだ。
そんなあたしを比企谷は本気で叱ってくれた。
込められた意志を感得すると視界がぼやけ瞳は涙で一杯になった。
……それって愛されてるってこと、だよね……
「ぅぅう…………ひっ、おにいちゃ、ん…………ずるいよぉ…………」
「? なにがずるい?」
「…………そんなんされたら……諦められなくなっちゃう……よ……」
『比企谷のこと諦められますように』
知ってしまった今、それがあまりにも堪え難い願いだと自得する。
また気付いてもいた。いまこの情愛を向けられている対象は
だからあたしは苦悩する。
この感情であたし――川崎沙希――を溶かして欲しいと望んでしまう自分がいることに気付いたから。
「ホントに心配かけてごめんね……」
「俺も入学式の時、心配かけたしお相子だな」
「……………………入学式?」
一年生の時は比企谷と別クラスだったし、というか何より認識したのが屋上で出会った時だから内容が理解出来ず曖昧な表情で誤魔化してしまう。
その時の比企谷の顔は何とも言えないもので、あたしは悪くないはずなのに少しばかりの罪悪感に苛まれた。
× × ×
意外にもちゃんとしてて美味しかった。比企谷に対する補正ボーナスが入ってるせいなのかもしれないけどあたしが満足なら何だっていいよね。
普段は小町が先に
先だと比企谷に気を遣ってゆっくりできないし、出てからしてあげたいことに都合がよかったから。
お風呂から上がると髪も乾いて寛いでる比企谷にこんなお願いをしてみた。
「ひっ、おにいちゃん、耳掃除してあげよっか? っていうかさせてほしい」
(……このくらいなら諦めてたってしてもいいよね、兄妹だし)
驚いたものの素直に聞き入れてくれた。やっぱり
膝の上をポンと叩き
耳に触るとくすぐったそうにする比企谷が可愛くて炬燵のお返しと言わんばかりにさわさわと掃除に関係ないことして弄り倒し、マッサージする。
(……そうだ、兄妹だしお弁当作ってあげるのも当たり前だよね)
「……いつもパンでしょ? そ、その……お弁当作ってあげよっか?」
「…………あー…………えっ⁉」
「マジか、頼むわ‼ 俺の妹が天使すぎるから早く家に帰りたい件」
「結局、帰りたいのに変わりないんだ……」
「家大好きだからな……………………お前がいるし」ポソ
「――――っ‼」
膝枕してる距離で聞こえないとでも思ってんの⁉
どうしてこいつは……もう‼
「…………ってか勉強の御褒美が頭撫でるだけで、小町がしてくれるのが膝枕と耳掃除と弁当作りって釣り合い全然取れてなくね?」
前々から思ってたけど比企谷ってこういうとこ案外細かいんだね。
体育祭で衣装作り頼まれた時も借りとして認識して律儀にお礼するとかいってきてたし。
「じゃ、じゃあ……もうちょっと御褒美もらって、い、いい?」
「おう、なにがいい? ハーゲンダッツならお兄ちゃんすぐに走って買いに行ってくるぞ」
小町どんだけハーゲンダッツ好きなのよ。コペンハーゲンも好きそう。あたしも確かに滅多に食べたことないけど。だって、110mlで三百円弱もするなんてバカじゃないの? 同じ容量の牛乳何個買えるのよ。
「ううん、このままでいてくれればいいよ……」
「えぇ…………いや、それって御褒美のターン、ずっと俺じゃん…………」
あたしの膝の上で心地良さそうな表情を見せる。その腐った目もうつらうつらして頭を撫でていると完全に閉じられ規則正しい寝息が聴こえてきた。
撫でた手と反対の手をベッドに突いて身体を支えていると指に触れる物があった。何の気なしに見るとそれは神社で買ったであろう恋愛成就のお守りだった。
(初詣の時に小町が買ったんだろうね)
小町の好きな人がどんな男か想像できない。
姉としては悲しいけど多分大志じゃないと思う。
……それじゃあたしの好きな人は?
―――比企谷
―――――――やっぱり
――――――――――――諦めるなんてできない
あたしはお守りに手を置きながら神様にそう願うと同時に、比企谷の顔を覗き込んだ。
「……………………」
それは目の前にどんどん迫っていき、ついに比企谷とあたしの唇の距離がゼロになった。
――――――
――――
――
「……………………はっ⁉」
(あたしの……部屋?)
見知った部屋には天使のように可愛い京華がいた。絵本の読み聞かせの最中、眠ってしまったのか。
「夢……だったのか……な?」
時計を見るとさっきまで比企谷に膝枕してた時間と一致していた。
「……ん……さーちゃん、絵本読んで……」
睡魔に抗いながらも懸命に読んで欲しいと強請る最愛の妹にこれだけは訊きたかった。
「けーちゃん、今日は小町と遊べて楽しかった?」
「うん! また小町と遊びたい! はーちゃんも!」
本当に嬉しそうに答える京華に対し、あたしの返事は決まっていた。
「そっか、今度頼んでみるから楽しみに待ってようね」
それを聞いた京華は満面の笑みを見せてくれた。
眠りについた京華を布団へ運び、あたしも床に就く。
(……ホントに神様の仕業だったのかもね)
昨夜小町と話したときバカにしちゃったし今度謝っとかないと。
だって神様はあたしのお願いを二度も聞いてくれたんだもの。
妹になってあいつを諦めたこと。
諦めるのをやめて
……そういえば明日お弁当作るって約束したんだっけ。早く寝ないと。
けれど、目を瞑りながら最も強く思い浮かべたのは小町としての最後の瞬間だった。
了?
最後まで読んでいただきありがとうございます。