初詣の帰り道、八幡と雪乃を二人きりにする為、神社に戻った小町はあるお願いをする。
次の日、小町の身に起こったこととは……
八幡視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/2.html
小町(?)視点はこちら→https://syosetu.org/novel/194482/3.html
「お兄ちゃん何言ってんの⁉ ごみいちゃんのバカ! ボケナス! はちまん‼」
「は、八幡は悪口じゃねえだろ」
バカだよお兄ちゃんは。せっかく気を利かせてるのに。
雪乃さん……はちょっと分かりづらいけど、結衣さんなんてあんなに分かり易く矢印出てるのに。
あの分なら近いうちお義姉ちゃんが出来そうで小町は嬉しいのです。
ああやって気が遣える小町ってホント、お兄ちゃん想いでポイント高い!
……だってお兄ちゃんてば小町がお兄ちゃんのシャツ一枚でソファに五時間も寝てるのにバスタオル掛けて興味ないって態度だし、二人乗りで学校まで送ってくれた時も意識して当ててるのに全然気づいてくれないし……
(……小町は妹だから、お兄ちゃんがそういう好きになってくれるわけないもんね……)
元来た道を引き返し再び稲毛浅間神社に向かった。
絵馬やお守りなんて方便だし別に無理して戻らなくてもよかったんだけどせっかくだからもう一度お願い事しにいこうかな。
また列に並ぶなんてこれじゃホントに願い事し忘れたみたいじゃん。
さっきと違って話し相手がいない今は景色を見るくらいしかやることがない。何気なく目をやると知り合いを発見してしまう。
(あ、大志君と沙希さんだ)
一瞬声をかけようかと思ったけど、手荷物でもう帰るところだって分かったから辞めといた。もうそろそろ順番だからさすがにいま列を抜け出してまで『明けおめ』はコスパが悪すぎる。
(あの二人も仲いいなぁ)
とはいえうちには敵いませんけどね。
こんなことに対抗心燃やしちゃうなんて小町もブラコンだな……
だってしょうがないじゃん! お兄ちゃんはコミュ障で目が腐ってて大してカッコよくもないし時々笑い方がキモいけど家出した小町を探しに来てくれる優しいお兄ちゃんだもん。
再び順番が回ってきた。
さっきのお願いは『総武に受かりますように』っていう無難すぎる感じだったからちょっとだけアレンジしてみようかな。
ちょっと考えたあと、これだ! っていうのを思い付いた。
『お兄ちゃんみたいにスカラシップがとれるくらい勉強ができるようになりますように』
でもこれってさっきお願いしたのとほぼ変わらないのにお賽銭二回入れてるから追加でお願いしてもいいか。
次にパッと思い浮かんだお願いがこれだった。
『……おっぱいが大きくなりますように』
さっき二人乗りしてるときのこと思い出したら自然とこれが出てきた。私欲に塗れすぎてるけど、叶ったらお兄ちゃんも得するしいいよね?
あ、いけない。お兄ちゃんには素敵な彼女さんと幸せになってもらわないと……
我に返った小町は身を切る思いで願った。
『お兄ちゃんを好きな人が現れますように』
ホントは雪乃さんか結衣さんと結ばれますように、の方がいいかもしれないけど二人とも小町にとって大事な友達だしどっちかだけを応援するのは悪いしなあ。それに最有力候補に変わりはないんだけど、あの二人は親友同士だからどちらかを選ぶとなるとお兄ちゃんにも少なからず負担がかかりそうなんだよね。
むしろそれなら二人は奉仕部仲間として親友として今の関係性を維持しつつ第三勢力に出て来てもらった方が割とすんなり事が運びそう。三国志だとそのせいで長編戦争大作になっちゃったけど。
そんな算段から出た最後の願いだけど、小町の胸がきゅっと締め付けられる。
(……ああ、ホントにブラコンだなぁ……)
参拝が終わるとそんな兄の為に恋愛成就のお守りを買ってしまうのだった。
× × ×
「…………ん、もう朝か……およ?」
なんだろう、ちょっと息苦しい。
胸の上に何か乗ってみたい。さてはカーくんだな。普段なら足を枕にして絡みついてくるのに珍しいこともあるもんだ。
「……あれ?」
布団の上には何も乗っかっていないが、胸の辺りが膨らんでる。
(あれー? 小町こんなに胸あったっけ……)
仰向けに寝て息苦しさまで感じてしまうくらいの重量感。
光の速さで成長ホルモン分泌しちゃった?
横になったまま両の手で掴んでみるとかつてないボリュームで自分のバストじゃないみたいだ。
勢いよく起き上がると胸だけでなく何故か頭も重たい気がした。
(え、なにこれ? 怖い怖い怖い!)
「小町いつから獣の槍所有者になっちゃったの?」
重さの正体は髪の毛だった。
伸びた髪に手をやりながら、兄を飛び越えて親世代にしか分からない昔の漫画を例えに出してしまう。
気付いたのはそれだけじゃなかった。
布団もパジャマも部屋も見たことがないどころか自分の声まで変わってる。
怖くなったのでドアをそっと開けて部屋の外の様子を窺う。やっぱり見たことのない家だった。
(ど、どうしよう……小町もしかして拉致されちゃったとか……怖いよ、お兄ちゃん…………)
突然放り込まれた非日常に不安と冷や汗が溢れてくる。そして一番信頼するお兄ちゃんのことを想い縋った。
もしかしたら小町を付け狙う変態ペドが……って小町は十五だしペドは違うな。じゃあロリか……いや、ロリも十二歳以下とか聞いたことあるし、ただの異常者でいいや。
その異常者が小町をお人形みたいに愛でる為に自分好みの髪型にして服を着せてとかされちゃったの⁉ 想像すると怖気が走る。
(……でも縛られてるわけでも監禁されてるわけでもないし、こんな無防備に放置とかするかな……)
時間が経って少し冷静になると色々とおかしな点に気付いていく。
部屋に戻って鏡に写る自分の姿を見て驚愕した。
写っていたのは、川なんとか……沙希さんだったから。
「……………………え」
「……なんで⁉ どうして⁉」
コンコン
『姉ちゃん、デカい声出してどうしたの?』
「た、大志君⁉」
『京華もう起きてるし相手しとくから、ご飯作ってくれる?』
「あ、う、うん、分かった」
(なんなの、どうなってんの一体⁉)
混乱しつつも流されるまま朝食を作る小町なのです。
× × ×
川崎家では朝はお米派だった。うちはどっちでもいけるけどお米のが腹持ちがいいよね。
ああ、もう大志君って家ではお行儀悪いね。もっとお兄ちゃんを見習ってよ。トマトは残すけど魚の食べ方なんか綺麗だし、こぼしたりしないもん。
京華ちゃん食べてる顔幸せそう! 小町のご飯美味しい? 嬉しくてついついペースを考えないで口に運ぶが放り込み過ぎて抗議されちゃったよ。小町ったらテヘペロ!
川崎家は朝から忙しない。お世話する
小町も普段お兄ちゃんのお世話してるけど、よく手が掛かるとか言ってるのは単にお愛想で実際はそんなことない。
まず服とか脱ぎっぱなしにしないし洗濯物を取り込んだり畳んだりもしてくれる。
自分の部屋だっていつも綺麗にしてるし、食べた後、食器も洗ってくれる。
小町が疲れてソファで寝てたりすると毛布を掛けてくれたり、珈琲を淹れて労ってくれる。
小町はまだ結婚したことないけど、いい夫婦ってこういうものなんだと思うんだ。
お兄ちゃんは相手を尊重して扱ってくれる旦那さんみたいに小町に気を遣ってくれるし甘えさせてくれるからいつも愛されてるって実感が湧く。そんなところが小町的にポイント高い。
そういった意味でいえば4歳児のお世話は楽しいけどガチで大変だ。大志君もやっぱり男子中学生って感じでまだまだガキっぽさが抜けず気遣いがいまいち。まあ、お兄ちゃんと比べちゃ仕方ないか。
っていうかこれは沙希さんが甘やかし過ぎてる可能性もありそう。うちも掃除に関してはお兄ちゃんを甘やかしてて自分の部屋以外お掃除させない。色々雑だから結局はじめから小町がやった方が手間が増えなくていいとか、効率考えるとそういうふうになっちゃうんだよね。あれじゃいつまでたっても掃除は上手くなりそうもないな。
普段と違う環境でいつも以上に目の回る忙しさが上手く作用して自然と現実逃避ができてしまってた。でも親が京華ちゃんを保育園に送る時間になったら急に手持無沙汰になっちゃってこの現象に目を向ける余裕がでてしまう。
嫌な汗もかいちゃったしお風呂でも入浴ってこよう。
家に大志君がいるけど部屋で勉強してるし、沙希さんの身体だしね。
……沙希さんて随分大人っぽい下着つけてるんだ。小町とは真逆のタイプでちょっとドキドキしてきたよ。中でも黒い下着がお気に入りなのか沢山あった。
シャワーを浴びながらいつもより目線が高くなった身体をまじまじと見る。特にお胸がすごい。千葉村で水着に着替えた時、結衣さんのを見たけどそれと遜色ないくらい。
それと同時におっきいと肩が凝るって初めて知った。
もちろん噂では聞いてたし知識としては知ってたよ? でもそれと実際に体験するのとでは全然違う。小町は控え目だから結衣さんを見て羨ましく思ったこともあるけど育ってみてこうもツラいと考え改めちゃう。濡れて重くなった髪の毛も肩凝りに拍車をかけてる気がする。早く洗髪してまとめちゃった方がいいみたい。
湯舟に浸かるとまた新たな体験をした。
「…………おっぱいって、浮くんだ」
湯冷めしないようにしっかり髪の毛を乾かし、部屋で寛いでいると扉をノックされた。
『姉ちゃん、ちょっと数学で分かんないとこあるんだけど見てくんない?』
うええぇぇ、た、大志君⁉ 小町いま沙希さんだから教えれるか分かんないよ⁉ って、あれ? 逆か? とにかく、教えたらボロが出るから沙希さんじゃないのがバレちゃう‼
「あ、うん、ちょ、ちょっとごめん、いま無理、アレがアレだから」
『なにお兄さんみたいな常套句言ってんの、いいから教えてって。入るよ』ガチャッ
「暇そうじゃん、ちょっとだけだから頼むよ」
「あ、ああ、うん、分かった……」
(やばいやばいやばいやばい⁉ お兄ちゃんにもよくアホ妹とか心無い言葉かけられるくらいの学力しかないのに教えるとかハードル高すぎる!)
部屋にまで入ってこられ観念した小町の目はお兄ちゃんと同じくらい腐っていることでしょう。諦めながら大志君の持ってきた参考書を開き質問された問題を見てみると……
(ん? んん?)
小町も苦手な証明問題だったけど、問題文を読んでくうちに自然と次の展開が湧き出て組み立てられていく。
「ここの〇〇より同位角は等しいので~……対頂角は~……ここは〇〇だから平行四辺形だって分かる? したがって……」
小町が小町じゃないみたいにスラスラと大志君に教授する。自分でもびっくりだよ。
大志君がお礼をいって自分の部屋に戻っていく。
過ぎ去った憂い事が後回しにしていた事態の異常さを思い出させた。
小町は数学が苦手だ。お兄ちゃんに教えてもらえないのも遠因になってる。それなのに何でさっきはあんなに的確に教えれたんだろう。
そういえば…………初詣に行ったときの願い事を思い出す。
『お兄ちゃんみたいにスカラシップがとれるくらい勉強ができるようになりますように』
何気なく沙希さんの教科書を広げてみる。数学Ⅱとか数学Bとか中学生の小町には馴染みない題名だけどパラパラと捲っていると分かる問題もあった。そして次第に、まるで思い出していくかのように内容の理解が進んでいく。
(うそ、なんで⁉ 小町まだこんなの習ってないよ⁉ 身体だけが沙希さんなんじゃないの⁉ 身体だけが沙希さんとかも意味わかんないけど)
沙希さんの学力まで入れ替わってる?
もしかして、神様が願いを叶える為に小町と沙希さんと入れ替えたの?
いや、それだと入れ替わるのに相応しい人は他にもいるはず。
どうして絡みが少ない沙希さんなのか。他にも総武高生の友達は学年トップの雪乃さんだっているしお願いに『お兄ちゃんみたいに』って文言がついてんだから、むしろ血が繋がったお兄ちゃんと入れ替わるほうが自然なんじゃない?
突拍子もないことだけどそう考える方がしっくりくる。
何か見落としてるのでは……頭を捻り初詣のことを注意深く思い出していくと
(あれ、そういえば小町、他にもお願いしたような……)
『……おっぱいが大きくなりますように』
願ったな願ったわ叶ったわ。
って、そんなお願い追加したせいで沙希さんになっちゃったの⁉
確かに雪乃さんは一つ目の条件は満たしてるけど、二つ目はむしろ小町のが条件満たしてるまであるし、結衣さんだったら二つ目が完璧だけど、一つ目が絶望的だし……お兄ちゃんもよく言ってるけど、あの人ホントどうやって総武に受かったんだろう?
だから沙希さんかー、そーかー
そんな風に自得すると次にやることが見えてきた。
(早く元に戻らないと!)
何の疑いもなく稲毛浅間神社に向かった。小町この時は元に戻れるって信じてたんだけど……
(勉強は自分で頑張ります! 胸もいますぐ大きくならなくてもいいです! だから小町を元に戻してください‼)
結果は惨敗。
やっぱり、いますぐ大きくならなくてもっていう含みを持たせた言い方がまずかったかも……
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
バッカじゃねーのバーカバーカ小町のバーカ‼
お兄ちゃん風にいえばアイデンティティークライシス!
ここに来るまでだって胸とかちらちら見られたし小町別に胸元見える服着てないんだよ?
Vネックじゃなくてタートルネックだよ?
しかもコートも羽織ってるんだよ?
それで見られるとか沙希さんのお胸ってどんだけフェロモン放ってるんのって話じゃん!
こんなんじゃちっぱいのがいいまであるじゃん!
肩凝らないしジロジロ見られないし!
って初詣の時の小町に言ってやりたい‼
初詣の願い事が原因と仮定して、お願いしてからこうなるまでにタイムラグがあったことを考えるといま解けなくても希望はあるはず。でもこの非現実な状況に陥って不安で一杯な小町にそんな余裕はない。
誰にも事情を喋れないことで否が応でも不安が増していく。
いつもなら小町が不安そうにしてるとお兄ちゃんが「どうした?」って声をかけてくれる。その安心をくれる声に、気遣いにいままでどれだけ救われていたか無くしてから気付かされる。
スマホを出してアドレス帳を開く。沙希さんもお兄ちゃんと似て人付き合いに疎いから番号が少ない。その中に……お兄ちゃんの番号はなかった。
空で覚えてるお兄ちゃんの番号を入力して通話ボタンにタッチしようとしては思い止まって、を何回も繰り返す。
(お兄ちゃんと話したい……でも登録されてない番号からいきなりかかってきたらお兄ちゃん出てくれないかもしれないし、沙希さんに迷惑かかっちゃうかも……)
仮に電話してもこんな訳の分からないことを真剣に話したら沙希さんの頭が大丈夫か疑われるまである。
はあ……これからどうなるんだろう……
「あ、サキサキだ」
途方に暮れてると後ろからそんな声がした。え、どこにチーズなんてあるの?
「サキサキ、無視しないでよ」トントン
「え? こ、こま、わたし?」
親しそうに肩を叩いてきたのは、肩口で切りそろえられた髪型と赤いハーフリムの眼鏡がよく似合う清楚系な美少女だった。
一瞬パニックになりつつもこの人どこかで見覚えがある。さっき考えてたことがヒントになった。
(‼ そうだ、千葉村のボランティアで会った人だ。結衣さん達のクラスメートの、えーと……そう、海老名さんだ)
「あ、ああ、久しぶり、明日もう学校だね」
「そーなんだよねぇ、始業式の日に6限まであるとかどうなってるんだって感じだよ」
得意のコミュ力を遺憾なく発揮する。そういえば小町明日から総武高校に通うの? 合格どころか受験も終わってないのに?
「あ、いまサキサキ一人だよね? これからちょっと時間ある?」
「なにかあるの?」
「それがさー、親戚が勤めてるケーキ屋さんのクーポン券たくさんもらっちゃって。家族の分と優美子達の分を確保してもなお余ってるっていうか」
「(確か……葉山さん? でいいんだっけ)えっと、は、葉山とか、あのべえべえ煩いの、なんだっけ、それの分とかで使えば?」
「あ、うーん、それは考えたんだけどみんな色々忙しいみたいでなかなか集まれなかったんだ。クーポンの期限も迫ってるし」
「ふーん」
コミュ力自慢の小町といえど沙希さんの学校での行動を見たことがないので迂闊な行動は控えたい。できるだけ素っ気無くして話を切り上げようと舵取りしたけど海老名さんも引いてくれない。手強い。
「というわけでサキサキ、一緒に行かない?」
「え、こ、わたし? いいの?」
「もちろん! タダじゃないけどすごい値引きされるからお得もお得! 弟さんと妹さんのお土産にもいいんじゃない?」
「……じゃ、じゃあ、行こうかな」
本当はそれどころじゃないんだけど、生来の甘いもの好きの虫が顔を出して誘いに乗ってしまう。
お店に入ってみるとさっきまでの憂慮も紛れるくらいの彩り豊かで煌びやかなケーキ群が小町達を出迎えた。
「これおいしーよ、あとこれとかこれとかもお勧め」
「じゃあ……これとこれ」
大志君達のお土産とは別にお店で食べる用のケーキをチョイスした。海老名さんと二人で四種類頼んでシェアする。
「あ、ホントに美味しい」
家ではお兄ちゃんが偶にコンビニのケーキを買ってきてくれるくらいで小町一人で買いに行ったり食べに行くことはない。だって一人で食べてもなんとなく美味しくないし。
でもお兄ちゃんが御褒美で買って来てくれたケーキは美味しいけどね。例えそれがコンビニのでも。
「……サキサキ、誰のこと考えてるの?」
「え、別に、おに、ひっ、比企谷のことなんて!」
「あれぇ、わたし別にヒキタニくんのことなんて言ってないけど?」
嵌められた。
ってかさっきからずっとお兄ちゃんのことばっか考えてる。
入れ替わって不安なときお兄ちゃんのこと思い浮かべて、川崎家で家事してて大志君達をお兄ちゃんと比べたり、神社でお願いして元に戻れなくて途方に暮れたときも電話でお兄ちゃんの声を聞きたくなったり、ケーキ見てお兄ちゃんが買って来てくれたこと思い出したり……
どうにか誤魔化そうと頭を捻ってると間髪入れず畳みかけてきた。
「まあ、予想はしてたけど。よく授業中もヒキタニくんのこと見つめてるし」
「⁉」
沙希さんがお兄ちゃんのこと見つめてる⁉
わたしは知っちゃいけない沙希さんのプライベートを聞かされてなんとなく居心地が悪い。
迂闊に喋るとボロが出そうだし沙希さんも口数多そうなイメージないから様子見を続ける。
ってかヒキタニって誰。
「…………」
海老名さんは明後日の方を眺めながら「んー」と呟き思索を巡らす。
「……サキサキはさ、それでいいの?」
「え?」
海老名さんの言葉が漠然とし過ぎて返しに困っていると真面目な表情でさらに続けた。
「このままだと二人に比企谷くんとられちゃうよ」
「‼」
二人というのは雪乃さんと結衣さんのことだろう。沙希さんはもしかしたらって印象はあったものの二人を押し退けて割って入るとは想像すらしていない。
それに確か海老名さんて結衣さんとも親しくなかったっけ。結衣さんの気持ちに気付いてないわけないと思うんだけどなー
「……こ、わたしにそんなこと言うって由比ヶ浜のことはいいわけ?」
「んー、それはまあ……ちょっとしたお返し、かな?」
顎に手を当て考える素振りを見せるとよく分からない返しをしてきた。
この『お返し』が恩讐どちらの意味かは分かるけどこれが結衣さんへの恩義ですることには思えないし、かといって結衣さんへ報讐というのもピンとこない。友達の嫌がることなんて絶対しない素直で優しい性格の人だから。
「わたしは結衣の友達だし、こういうの本当は良くないって分かってるけど」
そう前置きした上でこう続けた。
「結衣が比企谷くんのこと好きだからって、サキサキが想いを伝えちゃいけないなんてことにはならないよね」
「う……」
確かにお兄ちゃんは結衣さんと付き合ってるわけでも、ましてや雪乃さんとも付き合ってるわけでもない。好きって言われたわけでもない。もし沙希さんがお兄ちゃんを好きだとしたら想う権利は等しくあるはずだ。海老名さんの「お返し」っていうのは未だに解明されてないけど。
「それになんとなく比企谷くんは二人を選べない気がするんだよね」
それは小町も思ってたことだ。だからこそ第三勢力をと望み初詣でお願いし……
『お兄ちゃんを好きな人が現れますように』
ああ……
そうだよ、小町願っちゃってたよ!
お兄ちゃんを好きな人って沙希さんだったんだ!
ん? でも沙希さんはいま小町なわけでそれだと願いが叶ったっていえるの?
「えと、海老名は、こ、わたしのことどうしたいわけ?」
「言葉通りだよ。もし結衣達に遠慮してるならそんなの止めて自分の思い通りに行動すればいいんじゃないかなって」
「ぶっちゃけ結衣達って比企谷くんとそういう仲になっても合わないかなって思うんだよね」
マジでこの人ぶっちゃけたなあ!
「あ、悪い意味じゃなくていい意味でね」
どうとればいい意味になるのそれ⁉
「ほら、あの三人ってさ、今のかたちで綺麗に完成されてるっていうか、わたしはそんな気がするんだよね」
「もうこれ以上なにかを積んだら崩れてしまうっていう絶妙のバランスで成り立ってるような関係に見えるの」
「だからさ、もしさらに歩み寄って比企谷くんがどちらかとそういう関係になったとしても、それまでと比べたら満たされないんじゃないかなって」
結衣さんにはちょっと酷かもしれないけど海老名さんの言いたいことは分かる。
仮にお兄ちゃんが結衣さんを選んだとして雪乃さんは……っていう典型的な三角関係。
きっと結衣さん達もこの関係が壊れるのが怖くて踏み出せないんじゃないかな。
より素晴らしい世界が広がるって約束されるなら踏み出す勇気がでるかもしれない。ただ現実は酷く不確定で、海老名さんが言うように今が一つの完成されたカタチであるならば、その先は絶望かもしれない。
「それなら無理に踏み出さなくてもいいんじゃないかな……って思って……」
そう呟く海老名さんの瞳はすごく仄暗い。ハイライト消えてる。見てるわたしが吸い込まれそうになるくらい底なしの闇。実感籠ってるっていうか、まるで自分のことのように評してる。
自分の思い通りに……
海老名さんの話を聞いてあの関係は一つの解であると得心した今、小町の考えは揺らぎ始める。
初詣の時、お兄ちゃんと雪乃さんを二人きりにする為、小町は嘘をついて神社に戻った。今にして思えばあれは結衣さんに対しての背信行為だったのかもしれない。三人があのままの関係を望むなら小町のしていることは余計なお節介というやつで……
でも、そうなるとお兄ちゃんは?
あの暗くてキモくて中二病から高二病を患った病歴の持ち主を貰ってくれる女の子なんて結衣さん達以外いるわけない。いや、いいところだって結構あるんだよ? でも捻くれててそれに気付ける人が小町以外はその三人くらいしかいないから結衣さん達に脱落されたら困る。神様が叶えてくれた頼みの綱の沙希さんだっていまは小町になっちゃってるから……って、ん? んん?
考えてるうち抱いた疑問を確かめるべく海老名さんに質問してみる。
「……あの、わたしが授業中におに、ひ、比企谷のこと見つめてたっていつから気付いた?」
「んー、文化祭終わってからちらちら見てたって感じかな」
やっぱり。
これは神様のお願いとは別口だ。沙希さんは
じゃあ、この現象は?
神様はどんな意図があって小町を沙希さんに入れ替えたのか。
――――心当たりがある。
理屈を当て嵌めるには些か超常的すぎる現象だけど、それしか思い浮かばない。
『小町は妹だからお兄ちゃんがそういう好きになってくれるわけないもんね』
そんな小町の意思を汲んでくれたとしか思えなかった。
今は沙希さんだから。
小町はお兄ちゃんの妹じゃないから。
比企谷八幡を好きでいても許されてしまったから。
『お兄ちゃんを
そんなふうに願いが叶ってしまったんだ。
そう自覚すると無意識に心の奥底へ仕舞っていた感情が溢れ出た。
兄妹だから望んではいけない関係。
結衣さんか雪乃さん、どちらかと上手くいけばいい。そう願いつつ、二人にはそうなれる資格があるのに踏み込まないでいるその態度に、ずっともやもやしてた。
お兄ちゃんがヘタレって言えばそれまでなんだけど、それは結衣さん達の見方であってお兄ちゃんにだって言い分はある。
お兄ちゃんは今まで勘違いで失敗して悪意に晒されてきた。そのせいで他人の好意が自分に向けられるのはおかしいと感じることで自己防衛するくらい臆病になってしまった。だから結衣さん達が素敵な女性であればあるほどお兄ちゃんはその好意に疑念が湧く。自分なんかがこんな女性に好かれるはずがないからと。
でも8ヶ月だよ? 奉仕部で二人と知り合って8ヶ月以上も経つのにこの警戒が解けないなんてむしろ結衣さん達に原因がある気がしてきた。
そんな人達に大切なお兄ちゃんを任せるくらいなら小町がお兄ちゃんを……
お兄ちゃん、を?
お兄ちゃんをどうするの?
好きだって言うの?
……この姿で?
今の小町は沙希さんなんだよ。好きだって伝えて仮にお兄ちゃんが応えてくれても、その想いは、気持ちは沙希さんに向けられたものなんだよ。
いまこの身に起きてることよりその事実に絶望を感じてしまう。
せっかくお兄ちゃんを好きでいることが許されたのにお兄ちゃんは小町を見てくれない。
それだけじゃない。
沙希さんがお兄ちゃんを好きなのが分かってしまった以上、その恋慕も
二つの問題に懊悩しケーキの味も分からなくなってしまう。小町の落ち込み様を気遣ってか海老名さんはその後さして追及もなく解放してくれた。
帰路に着くも途中うっかり比企谷家に向かっていることに気付き行先を変更してまた落ち込む。
自分が比企谷の人間じゃなくなったことを実感してしまったから。
お兄ちゃんの妹じゃなくなったと思い知らされたから。
お兄ちゃんに会えない。会う切っ掛けすらない。
会ったとして何を話すの?
いまの小町は沙希さんだからお兄ちゃんに甘えることも悩みを打ち明けることも出来ない。
そしてそれと同じくらいにツラいのは沙希さんがお兄ちゃんに想いを打ち明けられなくなってしまったこと。沙希さんの意識が何処に行ってしまったのかも心配だし小町にできることは少ないしで憂患は尽きない。
(……そういえば小町の身体っていまどうなってんだろう?)
そんな最大の疑問にようやく考えが及んだ頃、日が暮れ始め、ようやく川崎家に辿り着いた。
× × ×
「ただいま~……」
「姉ちゃん、おかえり」
「‼」
こ、小町⁉ わたしが来てる⁉ なんで⁉
大志君と勉強する約束なんてしてたっけ⁉ いや、ないない、そんなのない! 男の子の家にあがるなんて初めてなのに約束を覚えてないなんてありえない!
もしかして、沙希さん、なの?
だとしたらまずいよ……なに話していいのか全然わかんない……責められるのが、こわい……
「遅かったじゃん。どこいってたの?」
神社に行ったなんて言うと、どうしてってなるし言わない方がいいか……
それより小町に対して何て言えばいいの?
沙希さんってどんな口調だっけ?
「ん、ちょっとね。あ、小町来てたんだ? いらっしゃい」
「は、はい、お邪魔してます」
こ、この対応でいいんだよね? 怪しまれたりとかしてないよね?
っていうかこの小町って本当に沙希さんなの?
考えてみればそんな保証どこにもないじゃん。小町が影分身しちゃったっていう可能性だってあるじゃん。こっちの小町は沙希さんだけど。あれ、影分身と変化の術の合わせ技とか小町って下忍の中でもなかなか出来る忍者じゃない?
なんにせよ鏡に写った姿なら見慣れてるけど、意思をもって動く自分は初めて見るし、声も自分の耳に入ってくる時と聴こえ方違うし。大袈裟に言えばちょっと気持ち悪い。同族嫌悪の最上級なのかもしれない。
挨拶もそこそこに部屋へ引き篭もる。嫌悪感に因るところか、沙希さん(かどうかは分からないけど)への罪悪感からか、もしくはその両方が作用したのかこれ以上顔を合わせることに耐えられなかった。
一人、部屋で勘考するとちょっとないなと反省する。家に来た弟の友達に碌なもてなしもしないなんて。
改めて、でも最小限に接する。
「ん、お疲れ。二人ともちょっと休憩したら?」
「ありがとう、姉ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
頭使って甘いものが欲しいだろうとココアを用意した。珈琲でもよかったけど、ついお兄ちゃん用にどばどばシュガーとミルクと練乳を入れてしまわないよう配慮した結果だ。
二人は手を止めてココアを受け取る。
見れば見るほど小町そのもので、つい視線を奪われちゃう。あ、目があっちゃった。やばい。
中身が沙希さんかどうか確証が欲しいけど、もしそうだったら藪蛇だし、まだ小町の中で気持ちの整理もできてないし遠ざけておかないと。
って思ってたのに呼び止められる。
「さ、沙希さん、さっきまで何処行ってたんですかー?」
直球!
でもそれに答えるわけにはいかんのですよ!
「……どこだっていいでしょ」
うわー、自分で言っててぶっきらぼー!
でもなんか沙希さんっぽい‼
ただ
「あ、たいしー、そろそろ京華のお迎え行って来てくんない? あたし夕飯の支度するから」
「分かった。ちょうど区切りいいし行ってくる」
「あた、こ、小町もご飯の準備手伝いますよ沙希さん!」
諦めないなこの人!
「え……いいよ、悪いし……」
「全然そんなことないですから!」
「姉ちゃん、いいじゃんか。俺も一緒に食べたいし、きっと京華も喜ぶよ!」
(ぐっ、この、なんでこう空気が読めないの大志君! 小町的にポイント爆下げだよ‼)
「う……わ、分かったから。でもご飯を一緒に食べる代わりに大志と一緒に京華迎えに行ってやってよ。それならいいよ」
「は、はい、分かりました。大志、行こ!」
「う、うん」
「え⁉ ちょ⁉」
小町は大志君を引っ張るようにお迎えに出掛けた。……でも
(た、大志って、呼び捨て⁉ やっぱりあれ沙希さんだ……)
男の子を名前で呼び捨てにする自分を見たら、なんだか遣る瀬無くなっちゃったよ……
(ああ、そうだ、ショック受けてる場合じゃないや。晩御飯なにするか決めなきゃ……)
冷蔵庫を開けると所狭しに食材が詰められていた。根菜が多くて冷蔵庫が畑の土なんじゃないかってくらい。特に目についたのは里芋だ。
(これは……筑前煮とか里芋の煮っころがしを作るつもりだったのかな)
(小町あんまり煮物は得意じゃないんだよね)
こういう時に頼りになるのがスマホだ。レシピくらいいくらでも出てくるし、レシピさえあれば小町なら余裕で作れる。
「さて、始めますかね」
うちと違うキッチンに戸惑いながらスマホ片手にクッキングタイムが始まった。
× × ×
三人が帰ってきた。早い。早すぎる。
「手伝いは別にいいから、京華の相手しててあげて」
だってレシピ見ながら料理してるとこ見られたら小町だってばれちゃう。
そうなれば沙希さんにどれだけ責め咎められることか。
沙希さんの大好きな家族をとっちゃったばかりか、小町になることで
そんな小町をどうして許せようか。
「なら沙希さんの料理してるとこ勉強させてください」
結局、拒んでも食らいついてくる熱意に負けスマホを手放さなきゃならなくなった。
ど、どうしよう、試験官が隣に立ってカンペ見れなくなったみたいじゃん!
いや、小町はカンニングなんてしたことないけどね!
「あ、沙希さん、お皿用意してますね」
「ん、ありがと……」
なにこれ、なんで小町が川崎家の食器の場所知ってるの? これ絶対沙希さんじゃん、まごうことなき沙希さんじゃん、比企谷さんちの子だけど沙希さんじゃん、比企谷沙希さんじゃん! あれ、意味違くない?
様々な思惑が交錯しながら夕飯が完成した。レシピが見れなかったから煮物はイマイチかな……
「「「「いただきまーす」」」」
「‼」
「⁉」
「?」
皆が里芋を口に入れた時、場の空気が変わる気がした。
あれ? 美味しくない? 小町頑張ったんだけど。
「美味しいけどいつもと違うね」
京華ちゃんのその一言が小町にとってかなりショックだったのは言うまでもなかった。
ああ、やっぱ家族大好きなんだなこの人……
目尻が下がって頬もゆるゆるで、小町こんな顔できるんだ。家だといつこんな顔したっけ。ってかしたことあったっけ?
心当たりを探ってみる。
あ、あったかも。
それは去年、お兄ちゃんが修学旅行から帰って来て喧嘩したとき、些細なことで喧嘩して久々の冷戦状態になった。
きっかけ自体は些細だったが原因となる出来事は重大で……悩み続けていたお兄ちゃんが唯一相談相手に選び打ち明けたのが小町だった。内心ではお兄ちゃんの特別に選ばれた喜びが爆発してて乱暴に撫でられた時、自然と笑いがこぼれ全身がくすぐったい様な気持ちいい様な物凄い多幸感に見舞われたのを覚えてる。
きっと、その時の小町はこんな
沙希さんにとって京華ちゃん達家族と一緒にいるのはそれくらい幸せなことなんだろう。
そう意識してしまったら後戻りができなくなった。
後悔、慚愧、焦燥、罪悪感、あらゆる負の感情が小町を包み込んだ。
だって小町からお兄ちゃんを奪っちゃうくらいのことを、沙希さんにしちゃったんだよ?
そんなの申し訳なさ過ぎてもうまともに
そんな小町の思いとは裏腹に、
「ご、ごめん! ちょっと出てくる!」
「‼」
「姉ちゃん⁉」
「さーちゃん⁉」
突っ掛け履きで家を飛び出した。
真冬の外気が肌を刺すのも意に介さず闇雲に走った。
川崎家はうちとさほど離れてはいないが近所と呼べる距離でもない。あまり見慣れない景色が流れていく中、ふと頭の片隅に残った記憶がちらついた。
(⁉ あ、ここって……)
そこはかつて家に誰もいない寂しさに負け家出した時、辿り着いた児童公園だった。
過去と同じようにブランコに腰かけると、油の足りない金属と金属の擦れるイヤな音が耳に届く。
記憶の頃よりもあらゆる遊具が小さく感じる。それだけ小町が大きくなったということだけど今やってることはあまり変わらなかった。
(……はぁ……やっちゃった……小町全然成長してないよ……)
あの時と同じように家族に心配をかけてしまう後先考えない行動に辟易してしまう。
お兄ちゃんが迎えに来てくれた時の喜びは今も忘れられない。こうしてればまたお兄ちゃんが来てくれるかも、そんな有り得ない期待を胸の奥底に秘めてしまうくらいに。
でも大きな胸が小町を現実に引き戻す。今は沙希さんだからお兄ちゃんが来てくれることはないんだよね……
はぁ……またお兄ちゃんのこと考えちゃってるよ。小町どんだけお兄ちゃんのこと好きなの? よくお兄ちゃんに「小町はそうでもないけど」とか言っちゃってるけど嘘じゃん、ありまくりだよ、ありまくってむしろ小町の方がブラコン過ぎてヤバイレベルな気がしてきたよ。
「…………沙希さん」
「‼」ビクッ
静かだけどはっきりした声で呼ばれた。心臓をキュッと握られたみたいな不快感を伴い、人生で最も見慣れたその人物が歩み寄ってきた。
一番会いたくない人に見つかってしまい、何を言われるか気が気じゃなかった。呼吸するのにも手こずるくらい緊張していると、何かをそっと差し出してくる。
「…………これ」
それはコートだった。部屋に掛けられてた沙希さんので、それを見て自分が薄着であることに初めて気付かされた。
「…………ぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁ‼」
ずっと謗られると身構えていた末に起こされたアクションが
……
……
……
「……すみません沙希さん、取り乱しちゃって……」
小町は種明かしがないままの
買ってきてくれた缶コーヒーの熱が痛く感じるくらいに小町の手は冷え切っていた。
言わなきゃいけない。でも怖い。でも言わなきゃ何も進まない。
意を決して口を開いた。
「……こんなことになったの、小町のせいなんです……」
「小町が初詣で変なお願いしちゃったばっかりに……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……………………は?」
「ひっ⁉」
怖いよ、沙希さん怖いよ!
今は小町の姿だけど、小町って怒るとこんなに怖かったの⁉ お兄ちゃんにも見せたことあったっけ? これじゃお兄ちゃん最初から全面降伏だよ‼
そんな恐怖を乗り越えおずおずと説明を続ける。
「元旦に初詣に行った時、小町神様に変なお願いしちゃったんです……それで……」
「お兄ちゃんみたいにスカラシップがとれるくらい勉強ができますようにってお願いしたらこんなことに……」
「えっと小町が何言ってんのか分からないんだけど……?」
「それでさっきまで稲毛浅間神社に行って元に戻るようお願いしてきたんですけどね、ダメでした……あはは……」
ううぅ、沙希さんの視線が痛い、冷たい、不穏!
小町だって訳わかんないんだもん、小町ばっか責めないでくださいよ!
「……小町、なにかあたしに隠してないかい?」
「‼ か、隠してなんていませんよ! どうしてそう思うんですか⁉」
鋭いよ、沙希さんの怖さが倍増しちゃったよ!
「だってその願い事の叶え方があたしとの入れ替わりってどう考えても変でしょ」
ごもっとも。もっと言えば願い事してこんなの実現しちゃうこと自体が変なんだけど。
「それは…………クシュッ‼」
「……コート持ってきたとはいえ寒いね、どっかお店で話そっか。お金はあとで返すから」
「いえ、構いません。だってこのまま…………」
あっちゃー……不吉なこと言いかけちゃったよ。
でもね、小町も昼間沙希さんのお財布でケーキ食べたからむしろそのお財布から出してくれたほうが良心の呵責に悩まされないで済むんだよね。ケーキの栄養自体は沙希さんの身体に吸収されたけど美味しいって感覚は小町が味わっちゃったわけだし、やっぱり沙希さんごめんなさい。
心の中で懺悔しながら二人で喫茶店へ向かった。
× × ×
朝起きてからのことをお互い情報交換した。
さっきまで寒空の公園で話していたことと大差がないから会話はすぐ途絶えちゃったけど。
「……やっぱりなんか隠してるでしょ小町」
沙希さんは小町の説明に納得してないようで怪訝な表情と胡乱な視線を向けて詰問してきた。
……だってしょうがないじゃん!
本当はお兄ちゃんのことを好きだからそのお願いも一緒に叶えて貰えたなんて口が裂けても言えないもん!
「…………」ジーッ
「…………」
疑念が解けない。このままじゃ吐くまで吊るし上げられちゃうかも。
そういえば嘘をつくときはちょっとした真実を混ぜたほうが真実味が増すってお兄ちゃんが言ってた気がする。ってかもう今日の小町お兄ちゃんのことしか考えてないよ、なんかやばいよ、これ本気でやばいから! なにがやばいって第二の高坂家になっちゃうから!
「えっと、その…………」
「はやく」
追い詰められた小町は最悪を回避できるならば他のことには目を瞑る判断を下した。
「…………おっぱいが大きくなりますように……って、神様に、お願い、しちゃいました……」
「……………………は?」
「…………なにそれ」
それから
ああ、お兄ちゃんはいつもこんな目で小町達から見られてたんだね。
ホントごめんね、お兄ちゃん、これからはもっと優しくするからどうか小町を嫌いにならないで。
それと同時に沙希さんの熱が急速に引いていくのが分かった。
小町の名誉を犠牲にした嘘(ではないんだけど)で真相をうまく暈せたみたい。大体、現象自体が雲を掴むような話なのに解決策なんて出るはずない。今はとりあえず逃避して成り行きに任せる他に手立てがないことも事実だ。
川崎家に向かう小町の足取りは重く、お兄ちゃんばりの猫背を披露していた。
沙希さんは小町よりも順応してるみたいで家に着いてから京華ちゃんのお世話についてあれこれ指示してくれた。代わりに兄扱い説明書でも書いて渡したいところだったけど、沙希さんがお兄ちゃんを好きなのは知ってたし小町の姿で本気のアプローチしたらどんなことになるのか予想がつかないから、普段の小町の家事についてだけ教えておいた。
大志君に
すごいな沙希さん、もう完全にお母さんって感じ。初めて会ったときは怖そうな感じの人だったのに家ではこんなだったなんて。深夜バイトしてた頃の変貌を見たら、そりゃ大志君も心配で相談するよ。
でも比企谷家も負けてはいないんだけどね。今頃は家に帰って夕飯作って二人で食べて、手のかかる兄のお世話してから炬燵に入って受験勉強しながら小町が寝落ちしたらお兄ちゃんが「風邪引くぞ」って心配して起こしに来ても小町が眠くて歩けないって甘えるとお兄ちゃんは小町をおんぶして部屋で寝かしてくれたりとか……弟みたいに手が掛かるかと思ったら偶にお兄ちゃんらしく頼りになって甘えさせてくれて……
「…………」
お兄ちゃん……やっぱりお兄ちゃんに会いたいよ。
たとえ好きになるのが許されなくても沙希さんとしてじゃなくて、小町を見て欲しい。
前に小町はお兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなかったら絶対近づかないとか言ったけどあれも嘘だ……今の
隣で寝付いた京華ちゃんを起こさないように頭を優しく撫でながら望郷のようにお兄ちゃんを想う。
もし元に戻れなかったら……
それを考えると絶望すら感じてしまう。
多分、学力とかは沙希さんのままだし、このままちゃんと勉強すれば国公立に受かるかもしれない。
でも……
その中にお兄ちゃんがいないだけで、小町の世界から色がなくなっちゃうような気がした。
うちは家族仲良いけど、やっぱり両親の仕事が忙しくて滅多に一緒に居られないし、小さい頃から助け合って暮らしてきたのはお兄ちゃんだ。小町にとって他所の家庭での母親のような役割をしてくれているといっても過言じゃない。小町にとって安心をくれる母親であり、ちょっと手のかかる弟でもあり、頼りになって甘えさせてくれるお兄ちゃんなんだ。そんなお兄ちゃんがいない生活なんて身を裂かれるよりつらい。
(神様お願いします、どうか小町を元の姿に戻してください!
もう我が儘言いません!
お兄ちゃんのこと困らせるような好きとか言わないから、どうか小町を
お兄ちゃんの妹でいさせてください‼)
――――――
――――
――
「……………………えっ⁉」
(お、おに、お兄ちゃんの顔、ちか! くち、触れてる⁉ キ、キス、して、る⁉)
頬が熱くなっていくのが分かる。びっくりして顔を離すもちょっとだけ後悔した。
辺りを見回すと自分の部屋で、鏡に写る姿もさっき別れた小町だった。
「夢……じゃないよね……?」
どきどきが治まってくると冷静になってくる。手に触れた何かを見てみると初詣の時に買った恋愛成就のお守りだ。さっきまでこの身体の制御権を持ってた沙希さんがこれに触発されて事に及んだんだって推測できた。
(…………初めての相手はお兄ちゃんかぁ……)
時計を見るとさっきまで京華ちゃんを寝かしつけてた時間と同じだった。
お兄ちゃんの寝顔を間近で見て改めて考える。
兄妹だからこんなにお兄ちゃんの傍にいられるんだ。恋人や夫婦と違って、兄妹ならずっと一緒にいられるじゃん。むしろ小町が妹だから、お兄ちゃんがこんなにいっぱい愛してくれるんだよ。小町はラッキーなんだよ。雪乃さんも結衣さんも沙希さんだってなり得ない唯一の存在なんだから。
「............お兄ちゃん、お兄ちゃん、そろそろお布団で寝てきなよ」
「……………………んぁ……?」
「あ、ああ、悪い、そうする…………」
寝ぼけ眼でふらふらと部屋を出ていく。
ああ、危なっかしい。こんなんじゃ小町は片時も目を離してなんていられないね。
もっともっとお兄ちゃんのお世話してあげないと。
ずっとずっと、ず――――っとね。
× × ×
「いつまで寝てんの、今日から学校でしょ? 早くご飯食べてくれないと片付かないでしょ。これだからごみいちゃんは……」
いつものように二人での朝食。
頬の筋肉が緩みそうになるのを懸命に抑えて食べている。ちょっとでも気を抜くとニヤニヤが止まらなくなるからだ。起こした時に悪態をついたのもその裏返し。こうでもしないと昨日神様にしたお願いを反故にしかねないくらいお兄ちゃん大好きって溢れてきちゃうから。
「…………」モグモグ
「…………」モグモグ
お兄ちゃんと向かい合ってご飯食べるのがこんな嬉しいことだって知らなかったよ。そういう意味では昨日の出来事に感謝してもいいくらい。あれがなかったら、小町はきっとこの先ずっとこれが幸せだって自覚しないままお兄ちゃんが家を出てから後悔してたんだろうな。
「小町、そういえばもう弁当って作ってくれたか?」
「へっ? いつもお弁当なんて作ってないじゃん。それに小町まだ受験生だし、今は家事も忙しいお母さんに手伝ってもらってるくらいなんだから作る暇ないよ?」
「……………………え」
急に予想外なこと訊いてくるお兄ちゃんにありのまま答えてしまう。
あー、昨夜膝枕して小町の身体でこっそり、キ、キスしてたし、沙希さん攻めたんだろうなー。きっと今日作ってきてくれるはずだから、しょーがない、今から作る時間もないし、お弁当は沙希さんに譲るとしますかね。
「お兄ちゃん、朝からキモいよ? 今日は始業式なんだしピシッとしてよね。じゃ、小町さき行ってるね!」
そう残して元気よく家を出た。
あ、自転車で送って貰えば良かったか。いいや、明日からお願いしよっと。
「あ、小町、おはよ」
「おはよー小町、冬休みどうだった?」
「あ、おはよー! ちょっと不思議な夢みたくらいかなー、よく覚えてないんだけどねー」
根掘り葉掘り訊かれるのは面倒なんでそう予防線を張っておく。
おや、昨日一日だけの弟くんが登校してきた。
小町がいつものようにフランクな感じで挨拶しようとするととてつもない爆弾をおとしてきた。
「あ、小町、おはよう。昨日は楽しかったね」
「「「⁉」」」
友達二人も固まってるけど、それ以上に小町の石化具合は酷いもんだったと思う。
この口調、どっかの無駄にキラキラした人みたいなんだけど大志君どうしちゃったの?
「…………えっと……なにそれ、なんのことかなぁ?」
「えっ! 昨日うちで一緒に勉強して夕飯食べたじゃん、覚えてないの小町?」
「……それは覚えてるんだけど、その、なに、呼び方っていうか、いつから大志君はうちのお兄ちゃんになったわけ?」
小町を名前で呼ぶ男の代名詞がお兄ちゃんだって告白してるみたいで恥ずかしいはずだけど何故か気にならない。小町はそれ以上にショックを受けてるみたいだ。だって小町を名前で呼んでいいのはお兄ちゃんだけだもん。お兄ちゃんの湧き上がる殺意の波動が小町にも伝播してきちゃったよ!
お兄ちゃん譲りの殺意をなんとか抑えていると大志君は核地雷級のエピソードをぶっこんできた。
「昨夜家まで送って行ったときに俺の頭撫でながら小町の方から言ってきたんだけど……」
「――――っ⁉」
「「きゃー♪」」
沙希さんかー、沙希さんだなー、この核地雷は沙希さん作だなー!
せっかく花を持たせてお兄ちゃんのお弁当を作る権利を譲ったのに忘恩の徒とはまさにこのことか。まあ、そんなこと沙希さんは知る由もないことだけど。
決めた!
明日からお兄ちゃんにお弁当作って沙希さんの邪魔してやる!
愛妹パワーみせてやる!
覚悟してくださいよ‼
おっと、その前に
「ん、んん! ……えーっと……誰でしたっけ? んー、かわ……川越? 川島? まあなんでもいいや、川なんとかさんで。川なんとかさん、遅刻しちゃうんでもう行きますね。
そ・れ・と、気持ち悪いんで小町のこと名前で呼ぶの止めてもらっていいですかねー、虫唾が走るんで」テヘ
そこまで一気に捲し立てて可愛く敬礼。丁寧に喋ってるけど声は低いし目は笑ってなかったと思う。女友達はドン引きしてたし、
川なんとかさんは抜け殻のようになっていた。
だってしょうがないじゃん。名前呼ばれた瞬間、たいs……じゃなかった。川なんとかさんが生理的に無理ってなっちゃったんだもん。名前呼びは当分の間、お兄ちゃんだけの特権でいいや。
……やっぱり小町はブラコンでお兄ちゃんを愛してる。
了
あとがき
最後までお読みいただきありがとうございます。
同一の短編を視点別に三つ作ってみました。
想像以上に長くなってしまい申し訳ありません。予定だと各話一万文字以下で完成させたかったんですけどね。まとめるの下手すぎ……
そもそも不可解な現象なので沙希と小町が元に戻る明確な条件が上手く表現できたとは言い難いですけどこんな感じで勘弁してください。
本当はこんなにお兄ちゃんラヴさせるつもりなかったんですけど、書いてるうちにそうなっていってしまいました。
大志一人だけ損してる気がしましたが、小町【沙希】視点のコメント欄(pixiv)の民意です。大志、強く生きるんだよ……!
あと今更気付いたのですが、初詣のちょい後って時系列だとクリパに参加してない小町は京華のことを知らない状態でした。その辺の整合性が取れてないのは申し訳ありません。
思い浮かんだ短編がこれでやっと出来たので、サキサキシリーズの続きに着手できそうです。
想定してたプロットが中盤くらいまでは進んだと思うのですが、まだ具体的に何話くらいで終わるか予測できません。これ来年のバレンタインきても終わんないな……
宜しければ今後もお付き合いください。
なごみムナカタ