これは、誰かが間違えたという訳ではない。
少年の身近にいる存在のせいではない。
ただ、彼の本質が変わっただけなのだ。
白髪を結び、赤い瞳を開く。
鏡に写る己を自嘲し、彼は端末に送られてきた音声を再生する。
時刻は深夜、最悪と言うべきか、不幸と言うべきか、彼を止められる存在は何処にも無かった。
[…君には、伝えておこうとな]
音声の主人は、老人のものだった。
その声の正体を、少年は知っていた。
その男がいかに賢しく、また非道であるかを。
しかし、確かな実績があると。
それは〝此処〟でも変わらないと。
[時期は早い。近日中だろうな。
確かに〝そこ〟の天気模様は悪くなる]
[だが、極上の味と保証しよう。
貧相な食事ばかりでは、飢えるだろう?
最も、慣れていない者からすれば毒だが]
ぐちゃり、と踏み躙られる。
今まで取り繕って来たものを。
今まで塗り固めた小さなセーフティを。
今まで留めていたモノを。
戦士とはそういうもの。一度味わったモノからは逃れられず、死ぬまで飢えて飢えて、飢え続ける。
もちろん、騙すことは出来た。それで普通の生活を送れる者だっている。
けど、この声は最悪の一手を打った。
老人は〝剣〟以外の切り札を欲した。
だからこそ、彼に与えてしまった。
最も楽な逃避先を。
正義とは、ある種楽な立ち位置だ。
悪とは、ある種楽な立ち位置だ。
狂人とは、ある種楽な立ち位置だ。
何を行い、成そうとも〝自分は「そう」〟だからと開き直る事ができる。
だからこそ、大衆を動かす場合はそれを起用する者も多い。
だがその全ては皆一様にして「熱に浮かされている」だけであり、だからこそ「本物」の前には無惨に砕き散る定めにある。
では「本物」を動かすにはどうすれば良いか?
[君が餌を平らげれば、それで丸く収まる。
悪い話ではないだろう?]
必然、利益を交渉の場に乗せる。
だがこれはあくまでも定石。
この声を最悪たらしめているのは、見えない所にある。
この声は、少年に対し暗に〝大義名分〟を与えた。
少年自身の表層思考が「どうでもいい」と思っていようが、奥底には確かに響いてしまっている。
遅行性かつ時限型のモノ。タチの悪い病理とどう違う?
少年は、己がそれに踊らされると分かった。
何処まで取り繕おうが、己は己でしかない。
きっと、自分は〝餌〟を平らげる。
だから、少年は何処までも弱々しく鏡に写る自分へ拳を叩きつけた。
自分を初めて殺したいと思ったのか。
自分を何処までも嫌悪したのか。
その心中は定かではない。
…少年は、気付いてないのだ。
此処で心を複雑に歪ませた以上、もう彼はスタートラインに立つ事ができた。
何ごとも、始まりは混沌である。
これより始まるはバランスゲーム。
力を欲した棋士が竜王を作り出すか?
それともゲームを放棄せんと第三者がひっくり返すか?
戦況は、未だ霧に包まれている。
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