比企谷八幡が迷子に遭遇する、というお話です。

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捻くれた少年と迷子の幼女

 バレンタインデー前日。

 翌日のイベントの為、買い出しに駆り出された俺は、千葉駅付近の商業施設内を、一人でとぼとぼ歩いていた。別に一人で買い物させられているわけじゃない。各自別れて買い出しをしているだけだ。ちなみに俺の担当は当日使う紙皿など。まあ、妥当な人選だろう。

 とにかく、こういうのはさっさと済ませて、さっさと帰宅するに限る。寒いし。

 気持ちはやめに目的地を目指し、人混みをすり抜けながら歩くと、進行方向に何やら一人で辺りをキョロキョロ見ながら歩いているのが見えた。

 ……あれ、迷子か?

 周りに保護者らしき人物はいない。

 ……迷子だろうな。

 しかし、声をかけるべきか否か……とりあえず由比ヶ浜に連絡して来てもらうか……。

 すると、女の子と目が合った。

 

「…………」

「…………」

 

 ……じぃ~っとこちらを見ている。うっかり仲間にしちゃいそうだ。

 ていうか、あれ?なんかこっちに歩いてきてない?

 気のせいかと思い、そのままじっと見ていると、女の子は俺の真ん前でちょこんと立ち止まった。

 そして、こちらを見上げ、その小さな口を開く。

 

「あの、お聞きしたいのですが、お姉さまを見ませんでしたか?」

「……お姉さま?」

 

 幼い割に礼儀正しい。あら、この子ったらいい家柄のお子さんかな?と思いながら、とりあえずしゃがんで視線を合わせる。

 その間もくりくりした可愛らしい瞳は、こちらにじっと向けられていた。

 

「……家族とはぐれたのか?」

 

 なるべく優しい声音を心がけ、死んだ魚のような目を……こっちは仕方ない。とにかく、優しく接するよう心がける。

 すると、その女の子はふるふると首を振った。

 

「いえ、お姉さまがファンやパパラッチに囲まれているかもしれないのです」

「……は?ファン?パパラッチ?」

 

 えっ?もしかしてこの子、有名人の妹?これ、やばい展開?

 内心ドキドキしながら、とりあえず話を進めた。

 

「お姉ちゃん、有名人なのか?」

「その、周りに人がいるので、あまり大きな声では言えないのですが……」

 

 周りを警戒するようにキョロキョロと周りを見た女の子は、俺の耳元に顔を近づけ、ひそひそ声になった。

 

「実は私のお姉さまは、あのスーパーアイドル・矢澤にこなのですっ」

「…………」

 

 女の子からふわりと漂ってくるお菓子のような甘い香りに包まれながら、俺はぽかんと固まってしまう。

 ……誰だ、それ。

 そんな内心が顔に出ていたのか、少女は訝しげな目をこちらに向けた。

 

「もしかして……私のお姉さまを知らないんですか?」

「あ、ああ、ごめんな。あまりテレビ見ないから……」

「ふぅ……まったくもう……こちらが私のお姉さまです」

 

 呆れたような声とともに、女の子は携帯の画面をこちらにつき出してきた。

 そこに写っている女子は、フリフリのアイドル衣装に身を包んでいて、確かにアイドルっぽい。ただ、名前はわからないし、テレビで見た記憶はない。あまりこういうのは詳しくないからだろうか。

 しかし、それをそのままこの子に伝えると、また怒られる気がする。

 とりあえず話を戻そう。

 

「それで、アイドルのお姉ちゃんはどこに行ったかわかるか?」

「う~ん、もしかしたら私が目を離した隙にファンに追いかけられて、どこかに隠れているのかもしれません」

「どこかに、ね……じゃあとりあえず、駅員に……」

「それはだめです!もし、お姉さまがここにいることがバレて、追いかけられたらどうするんですか!」

「…………」

 

 えー……俺にどうしろと?

 しかし、この子の目は真剣そのものだった。

 ……とりあえず、アイドルのお姉ちゃんがこの子を探しているだろう。そろそろアナウンスで迷子のお知らせとかあるかもしれない。

 幸いこちらはまだ時間があることだし……。

 ひとまず、この子が行った場所を辿ってみるとするか。

 

 *******

 

 とりあえず手を繋いで歩くことになった。ていうか、いつの間にかしっかり掴まれていた。

 その手は小さくひんやりとしていて、うちのカマクラみたいに柔らかかった。

 ……小町の小さな頃を思い出すな。

 懐かしい気分に浸りながら、女の子の小さな歩幅に合わせ、とぼとぼ歩いていると、いきなり「あっ」と声をあげた。

 

「あのお店です!」

 

 少女が指差した先には、アイスクリーム屋があった。

 

「ここに来たのか?」

「はいっ!さっきここでお姉さま達とアイスを食べました」

「そっか、てかお前……」

「こころです!」

「はい?」

「わたしの名前は、矢澤こころです!それと、おにーさんの名前も教えてください!」

「……比企谷八幡だ」

「ひきがや、はちまん?変わった名前ですね。どんな漢字なのですか?」

「まだわからんと思うぞ」

「大丈夫です!これに書いてみてください」

 

 渡された紙に、さらさらと自分の名前を漢字で書き込んでから返すと、こころはその紙を見て、きらきらと目を輝かせた。

 

「わぁ……何だかカッコいいです!」

「お、おう、そうか……じゃあ、こころ。一緒にいたのはお姉ちゃん以外誰がいるんだ?」

「双子の妹と、二つ下の弟ですよ」

「そっか」

 

 小さな弟と妹まで連れているなら、案外見つけやすそうだが……。

 すると、こころは何かを思い出したように、ぽんと手を打った。

 

「あっ、そういえば姉さまのキャッチフレーズがありますので、それをやれば姉さまが気づいてくれるかもしれません!」

「キャッチフレーズ?」

「はいっ、キャッチフレーズです!」

 

 何だ?変な自己紹介でもするのだろうか。

 

「今からやってみますね。しっかり見ててくださいよ!」

「……あ、ああ」

「よ~し……にっこにっこに~!」

「…………」

 

 ……ちょっと寒くないかにゃあ?いや、周りの人達は微笑ましく見てくれてるけど……。

 すると、こころは満面の笑みで「さあ!」と促すように両手を差し出してきた。

 

「さぁ、お兄さんもやってみてください!」

「……あ、ああ、また今度な?」

「……う~……やってくれないのですか?」

「…………」

 

 どうやら俺は人生最大のピンチの迎えているらしい。やれやれ、どうすればこの窮地を切り抜けられるというのか。誰か教えてほしい。

 

「う~……」

 

 こころの目が次第に潤んできた。あっ、これもう迷ってる時間ねえわ。

 すぐに俺は覚悟を決め、恥じらいを捨てた。

 

「に、に……にっこにっこに~……!」

 

 やってしまった。

 近くを歩いていた高校生くらいの女子が、こちらを見ながらクスクス笑っている。さらに、小さな男の子と母親らしき女性が、「ママ、あれな~に?」「しっ、見ちゃいけません!」と、どこかで聞いたようなやりとりをしている。

 

「む~。ここにはお姉さまはいないみたいですね」

「……そうか。なら仕方ないな。じゃあ、さっさと次の場所に行くか」

 

 そもそも何故信じて変なキャッチフレーズをやってしまったのか?これは俺が悪いということだろう。とにかく、今は一秒でも早くこの場から立ち去りたい。立ち去らなければならない。

 

「こころ!」

 

 すると、人ごみの中から、よく通る声が届いた。

 まさかと思い、その声の主に目をやると、こころをそのまま大きくしたようなツインテールの女子が、こちらに駆け寄ってきた。年は中学生くらいだろうか?ていうか、さっき携帯で見た。

 そして、その少女の傍には、こころとよく似た女の子と、弟らしき小さな男の子がいた。

 

「こころ!」

「お姉さま!」

「いた~!」

「みつけた~」

 

 四人はひしと抱き合い、再会を喜び合う。

 

「もう、バカッ!勝手にウロウロしちゃダメじゃない!」

「……ごめんなさい」

「さがしたんだよ~」

 

 ……これで、とりあえず問題解決か。

 さて、もう行きますかね。

 感動のシーンを邪魔しないよう、こっそりその場を後にしようとすると、何かが服に引っかかるのを感じた。

 振り返ると、こころの弟が服をちょいちょいと引っ張っていた。

 そして、ぼんやりとした目でこちらを見上げながら、ぼそっと口を開いた。

 

「ありがとー」

「お、おう……」

 

 そこに、さらにこころの双子の妹も加わってくる。

 

「ありがとー!目つきわるいお兄ちゃん!」

「あ、ああ……」

「ここあっ、失礼なことを言ってはいけません!はちまんお兄さんは、目つきはわるいですけど、私を助けてくれたんですよ」

「………」

 

 お前も目つき悪いって言ってるけどな。いや、いいんだけどさ。

 すると、こころの姉が俺の前に立ち、深々と頭を下げた。

 

「あの、本当にありがとうございました!」

「いや、俺は……」

「はちまんお兄さん!ありがとうございました!」

「……おう、もう迷子になるなよ。じゃあな」

「あっ……」

 

 その場を去ろうとすると、こころがジャケットの袖をちょこんとつまんできた。

 その目はじぃっと可愛らしく……甘えるようにこちらを見上げている。

 

「も、もう少しだけ……」

 

 その様子を見たこころの姉は、腰に手を当て、「めっ」とこころを叱った。

 

「こころ、だめでしょ。わがまま言ったら」

「でも……」

 

 そして、その様子を見ていたら、自然と口が動いた。

 

「……ああ、まあ、別に少しぐらいなら」

 

 さすがにこのまま回れ右をするのは無理だった。

 だって……ねぇ?

 

 *******

 

 結局、改札口まで見送ることになってしまった。

 まあ、多分もう会うことはないだろうと思うので、最後くらいしっかり見送るのも悪くはないだろう。

 そう考えると、ほんの少ししんみりした気分が胸に湧き、人混みの喧騒が遠のいた。

 そんな中、こころの姉は、もう一度深々と俺に頭を下げてきた。 

 

「あのっ、本当にありがとうございました!」

「……どうも」

「……えっと、はちまんお兄さんっ……」

「おう、それじゃあな」

「……は、はいっ、ありがとうございました!」

 

 何か言おうとしていた気がするが、多分気のせいだろう。

 こころは手を振り、姉と手を繋いで、改札口へ歩き出した……のだが……。

 急に振り返ったかと思えば、こちらへトコトコと駆け寄ってきた。

 

「ん?ど、どうした?」

「だいじなことを忘れていました!ちょっとしゃがんでください!」

「?」

 

 言われるまま黙ってしゃがむと、こころは俺の肩に手を置き…… 

 

「んっ」

「っ!」

 

 突然頬に感じた柔らかな感触に、思わず肩が跳ねそうになる。それが小さな唇の感触だと気づくのに時間はかからなかった。

 

「なっ!?」

「ふふっ、お礼です♪今はお姉さまのお手伝いで忙しいのですが、大きくなったらお嫁さんになってあげますからね。絶対に浮気しちゃダメですよ?」

「……お、おう」

「じゃあ、ゆびきりです!」

「…………」

 

 頬に残る柔らかな感触に少しだけ……ほんの少しだけ戸惑いながら小指を絡める。まあ、3日後には忘れてるだろうけど……。

 数回振ってから小指を離すと、こころは相変わらずの礼儀正しさで頭を下げた。その隣で、こころの妹と弟もひらひらと手を振っていた。

 

「それでは失礼します!」

「ありがとうございました」

「じゃあねー!」

「ばいばーい」

「……ああ。それじゃあ」

 

 こころは姉に手を引かれ、人混みの中へと……完全に紛れ込む前に、またこちらに向かって大きく手を振った。

 それに合わせ、こちらも小さく手を振ると、すぐに見えなくなってしまった。

 ……さて、行きますかね……そういや何か忘れてるような気がする……あ。

 

「どこをほっつき歩いているのかと思えば……こんな所にいたのね」

 

 氷のように冷たく、刃のように鋭い声。

 それだけで色々思い出してしまった。

 

「ヒッキー……鼻の下伸びてる」

「せんぱ~い、やっぱり年下好きなんだぁ。でも、年下すぎじゃないですかね~?」

「随分嬉しそうね……ロリ谷君。そんなに嬉しかったのかしら。幼女からのキスが」

「……お、おい」

「さっ、帰りましょうか。時間もないことだし」

「そうですねぇ、帰りますか。先輩の話を聞きながら」

「うんっ、さんせ~!」

「…………」

 

 あっ、これヤバいやつですね。わかります……だって、三人とも目がまるで笑ってないんだもん……。

 この後、部室に帰るまであれこれ尋問された。

 

 *******

 

 その頃、電車の中では……

 

「こころ、その紙はなんなの?」

「この紙は……ナイショですっ。ふふっ」

 

 その紙には、はっきりと『比企谷八幡』と書かれていた。

 少女はその紙を愛しそうに抱きしめた後、そっとカバンの中に仕舞った。 

 数年後……この紙切れを手にした少女が、千葉で一騒動引き起こすことになるのだが、それはまたナイショの話。

 


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