空からは未だに星が振っている。
それが結集したAIM拡散力場の粒だと思えば壮観だが、現状では感慨に浸る暇はない。
美琴の腕の怪我は大したことはなかった。だが、マリを倒すべく特攻した当麻の怪我はこうしている今も悪化している。
感電の後遺症と怪我に柳眉を顰めながらも、当麻の手当をするために近寄った。
酷い――全身の至るところから出血し、左腕は綺麗に肘から先が綺麗に切断されている。
気休めにしかならないが、まずは血を止めて、すぐに腕の良い医者に治療してもらわなければ、忽ち死に至るだろう。
応急処置を施す美琴に影がかかる。見ると、足を引きずりながら帝督が歩いて来ていた。
マリに痛めつけられた肉体は重傷であり、それは激痛に顔を顰めるその苦悶の形相と出血が物語っている。
美琴は声を荒らげた。
「なにやってんのよ。アンタも大怪我してるんだからじっとしてなきゃ――」
美琴の勘が冴え渡ったのは、つい先程まで戦場にいたからであった。
やおら形成された白翼が横たわる真理を貫こうと振り下ろされたのを、立ちはだかり止めた。
気丈にも現在、この場で学園都市最強の能力者になった帝督の前を塞ぐ少女を、凄惨な双眸が睨めつけた。
「なにやってんだ、第三位」
「こっちのセリフよ。あたしの目の届く範囲で無意味な人殺しなんてさせない」
勇猛な声に帝督の眉間にシワが寄った。憤怒に彩られた顔が美琴を蔑視する。この無知な少女の的はずれな答えを心底信じられないといった表情だった。
「寝惚けてんのか? 無意味? 意味ならあるだろ。コイツが生きてるだけで学園都市にとっては災厄だってんだ」
この惨状は、真理が生んだ別人格がもたらしたものだ。その被害は甚大である。
一時的に学園都市の人口の八割が昏睡する異常事態を発生させ、都市機能を麻痺、加えてAIM拡散力場を束ねて人工天使へと存在を昇華させた。
危険に過ぎる。幻想猛獣としてのマリはともかく、真理が実行できるかは不明だが、問題はそこではない。
そこまでの事態を引き起こせる危険因子が生きていることが問題なのだ。
絶対能力進化計画を妨害し、関連施設を破壊、さらに暗部に所属する超能力者を重体に追い込んだことから、後に上層部より処罰が下るだろう。
その前に帝督が殺める。この無限を生み出す脳髄を利用する輩が現れないよう、徹底的に存在を抹消しなければ気が済まなかった。
「情に絆されたか? ハッ、甘ェんだよクソアマ。コイツが馬鹿の思い付いた実験で加工されている間に置き去りのガキが何人死んだと思ってやがる。
置き去り相手に死ぬ限界を見極める臨床実験を何度も行って、そうして廃棄されてゆく何百人もの置き去りの屍の上に生まれたのがコイツだ!
コイツが暴力を振るわない? 甘すぎて反吐が出るんだよバーカ! コイツ自体が殺人を許容したこの学園都市の被造物である以上、死ぬまで殺した奴らの罪はついて回るんだよ。死ぬまでな!」
吐き捨て、美琴を睥睨するも、美琴も全く退かなかった。
陽の当たる場所で生きる者は、こうにも愚かに頭の中も腐ってゆくのかと、帝督の堪忍袋の緒が切れた。
「退けって言ってんのが分からねえのか!? テメエが正義みてえなツラしてんじゃねえよ!
コイツの存在そのものが不要なんだ! これだけやられて、まだ気づけねえってなら、俺が一緒に殺してやろうか!?」
白翼を威嚇するように美琴の鼻先に突きつけた。そこに、新たな足音が訪れる。
「ストップ。あなたに連絡よ」
「……今さらやって来やがって。何様気取りだ」
澄ました顔でケータイを差し出す『心理定規』の少女を憮然と出迎え、ケータイをふんだくると耳に当てた。
話し声が聞こえる。しばしその内容に傾聴していた帝督の顔が激情に染まり、その眼光が真理を見据えた。
「ふざけんな! どこまで腐ってやがるんだ、テメエらは……!」
ケータイの機体がミシミシと軋み、喉を振り絞って怒声を張り上げる。
「生かせって言うのか!? このクソ野郎をッ! 老いぼれ共が永遠の命に欲が出たのか! アレイスターの指示か!? 答えろッ!!」
「別に今に始まったことでもないでしょ」
「~~~ッ!」
憤懣やるかたない帝督は、怒りに身体を震わせると、諭すように言い聞かせる電話口の相手の声を無視してケータイを地面に叩きつけた。
傷の痛みも忘れて踵を返す。
「帰るぞ」
「手酷くやられたものね。迎えの車呼ぼうか?」
「黙れ!」
『スクール』が去ってゆく。遅れて、コンテナの残骸の山が崩れ、両肩にフレンダと滝壺を背負った絹旗が現れた。
絹旗本人は無傷だが、二人は額から血を流し、全身至る所が傷だらけで意識がない。
「お、終わったようですね……」
動けなくなった二人を守るために戦闘の余波を避けていたらしい。戦場の跡地にまで歩いてきた絹旗は、四肢から出血し、俯せで倒れる麦野を見つけた。
「わっ、大丈夫ですか、麦野。見たところ超ヤバイくらい出血してますが」
「きぬ、はた……わたしを、アイツの所まで、つれて、いけ……コロス……コロして、やる……」
「超無理です。体の面積的に麦野を抱えられません。それに、もう能力も使えないみたいじゃないですか。というより、よく生きてますね」
血の気が多いのが幸いしたようで、麦野も命に別状はなかった。輸血が必要なのには変わりないが、後遺症が残る心配もない。
同じく、瓦礫を吹き飛ばして、一方通行が美琴の前に姿を表した。
胸から腹にかけての出血をベクトルで操作して循環させ、折れた左足は能力で補って自力で歩いている。
殺さない程度に手加減され、最強だった能力を破られた彼は、襤褸切れのように悲惨な姿で美琴の側を通り過ぎる。
美琴は何も語らず、一方通行もまた黙して通り過ぎた。
分かり合えるわけがない。だから、今はこれでいい。しばらく一方通行は行動に支障をきたした。
絶対能力進化計画を司る主要機関もマリが潰した。妹達を虐殺する狂気の実験は停止せざるを得ないだろう。
全く別の方法で天上に到達する手段を示したマリの、怪我の功名であった。
誰が呼んだものか。救急車の音が聞こえる。涙を流しながら駆けつけてくる黒子の顔が目の前に飛び込んできた。
救命士と医師に当麻ら怪我人を任せ、胸に縋り付く黒子をあやす。
美琴が、ふと、右手に視線を落とした。
ペンダントの中には、幼い真理が、見覚えのある顔と笑っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Epilogue.
残暑はまだ続いている。多湿のまとわりつく熱気が美琴の肌を苛んでいた。
汗を拭う。照りつける陽光は、八月も終わりにさしかろうとしているのに弱まる兆しを見せない。
外れることのない天気予報では、夏休みが終わってもこの暑さは続くようだ。億劫になる。
あの夜――学園都市の超能力者と、ひとりの無能力者が食い止めた天使の事件は、対外的にはテロリストによる集団昏睡事件として処理された。
大能力者以上の生徒は、空に降った赤い雪を鮮明に憶えているが、その真相を知る者は、八人に限られた。
表向きには何事もなかったように事件は解決している。だが、一人の能力者が独自に人工天使へと至った事実は、学園都市には捨て置けない問題として伸し掛る。
絶対能力進化計画が頓挫した今、上層部がどのように動くのか予想がつかない。
その出方を張本人でもないのに窺う美琴だが、今のところは変動はないようだった。
今日は黒子に連れられ、初春や涙子と遊ぶ予定になっていた。
「あ、御坂さーん!」
待ち合わせ場所に行くと、私服姿の二人が快活に手を振っていた。『無限錬成』の後遺症もなく、無事に回復した二人が笑っている姿に微笑む。
が、その横にいけ好かない奴を見つけて、美琴の機嫌が目に見えて悪化した。
「何でアンタもいんのよ」
「さっき偶然会っちゃたのぉ。せっかくだから一緒しようかなぁって思ってぇ」
「お呼びでありませんわよ」
「まあまあ」
猫撫で声で美琴を煽る操祈に喧嘩腰な二人を、涙子と初春が宥める。基本的に、レベル5は仲が壊滅的に悪かった。
とりあえず涼もうと、いつものファミレスに入る。毎回、中身が変わる謎の清涼飲料水を後輩の三人が気を利かせて取りに行き、必然的に二人きりなった美琴と操祈は、気まずい空気が流れた。
頬杖をつき視線を合わせようとしない美琴と対照的に笑顔の操祈の対比が悩ましい。
沈黙に耐えかねた美琴が、言葉を選びながら口を開いた。
「ねえ、アイツとアンタってさ……」
「あら、御坂さんったら、そんなに人の過去を詮索するのが好きなの? やらしいんだぁ」
「お~のれは~!」
慎重に選んだ質問を言う前に、からかってはぐらかした操祈に怒りが沸々と湧き上がり、席を立って頬を上気させた。
操祈は舌をちろりと出して、なおも美琴をからかう。
美琴の知りたい過去は、克明に思い出せるほどに鮮明に記憶に焼きついている。
今も、立ち返れば、そこにある。
●
二人が出会ったのは、ある研究施設の何もない無機質な実験室だった。
頭に脳波測定機などの様々な機器を繋がれた真理と、科学者にモニターされながら対峙しながらしたのが始まり。
詳しくは知らされなかったが、何でも当時最高位の超能力者が、度を越した人体実験で精神に異常を来たし、その治療の為に当時すでに精神干渉系で最高峰であった操祈に白羽の矢が立ったのだと言う。
気乗りはしなかったが、自身の能力の進歩に繋がるとして従った。結果は、全く効果なし。
『状態保存』で置き去りの一人の意識を元に作り出した『マリ』には、彼女の『心理掌握』も及ばなかった。
『無能が』
善意で協力してあげたのに、感謝どころか挙句の果てに罵倒した真理と取っ組み合いの喧嘩になった。
男と女で、操祈は極度の運動音痴だったのに、その時は簡単に倒せた。
当時の一位を倒せたことで鼻が高くなったのも束の間、同じ部屋に押し込まれ、やはり口喧嘩の末に喧嘩になった。
険悪な関係に変化が生じたのは、真理が弱視であることに気づいてからだ。
真理は視野が極端に狭かった。それは、ドアや通行人と肩をぶつけたり、操祈が横に座っても気づいていなかったりと、些細なことから悟れた。
真理は、弱みを決して操祈に見せなかった。
ある日、実験結果を見て、真理の筋力が同年代の子供と比較して、異常に高い検査結果を見つけた。
何度も喧嘩になっても操祈が勝てたのは、真理が手加減していたからだ。それに気づいてから、真理への認識が変わった。
どっちにしろ、球技の才能がなかったり、手先が不器用だったりで運動音痴な真理と操祈は、張り合い、虚勢を張る相手になった。
操祈が真理を理解した気になり、世話を焼こうとし始めた頃には、真理の興味の対象は操祈から別のものに移っていた。
『誰よ、先生って』
真理は、研究者のひとりに懐いていた。地位と権威はあるが、この研究には天下りに近い形で派遣され、実際に真理の研究には関わらない名誉管理職のようなポストにいる男性だった。
厳格で高齢者な彼は、何かと真理を縛り付けた。研究の合間にも、真理の能力への推論を言い聞かせ、実験が終わってからも真里を研究室に呼んで話し込んでいた。
真理が帰ってくるのは、消灯時間ギリギリになってから。遊び相手のいない操祈の機嫌は、徐々に悪くなっていた。
ある日、我慢ができなくなって真理と彼の会話を盗み聞きしたことがある。
内容は、聞くに耐えない夢想話だった。真理の力を錬金術、黒魔術、果ては魔法などのオカルトと結びつけ、科学者にあるまじき論理の破綻した仮説を並べ立てて真理に語りかけていた。
高齢になり、第一線から外された研究者のたわいない会話かと落胆した操祈だが、冗談のように笑って話しかける研究者の絵空事を、目を輝かせて聞いていた真理の顔が、操祈の瞼から離れなかった。
自分はコンプレックスな瞳を、真理は誇らしげに語っていたのが、とてもイラついた。
――真理さんも変な眼をしてるくせに。
『まるで奴隷みたい』
それからしばらくすると、真理は研究者の仕事を手伝うようになった。
研究者は、聡明な真理に海外の論文の翻訳を手伝わせ、真理は実験が終わってからも二人の部屋で本に没頭するようになった。
構ってもらえない操祈は、黙々と作業に耽る真理をそう評した。どれだけ罵倒しても真理は笑っていた。
日に日に、二人の部屋にオカルトの古書が増えていった。操祈が目を通しても、科学に傾倒した彼女には眉唾もので真面目に読む代物ではなかった。
だが、真理は誇らしげにその内容を語った。
『黄金って何千年も錆びないんだ。オレの能力と似てるよな』
自分でも能力を理解していないくせに、自分の能力を黄金に例えた。
それは奇しくも錬金術の命題の一つであり、彼の能力の本質を捉えていたことは偶然と呼ぶ他ない。
時代の科学の範疇にないものは、全てオカルトでしかないのだ。
いつも、『先生』は言っていた。
『私はね、君の能力に夢を見たんだ』
分厚いメガネの奥が優しく笑い、実験で消耗した真理の紫紺の瞳を見つめて。
『いつか君が学園都市の頂点に立ち、私の目に狂いがなかったと証明してくれることを、寝る前にいつも考えるよ』
彼は真理には厳しかったが、同僚であり、妻である女性には優しかった。
彼女は非人道的な思想の持ち主が大半を占める学園都市の研究者の中にあって、良心のような存在だった。
温和で、聡明であり、他者への配慮を忘れず、必ず夫をたてる賢夫人の鑑であった。
こんなことがあった。
バレンタインデーの日に、彼女が真理と操祈に手作りのチョコを渡すと、彼は、
『私にはないのかい?』
と拗ねると、彼女は勿体ぶって微笑み、
『あなたにも用意していますよ』
と、見透かしたように渡していた。二人に渡したものよりも豪華な包装に包まれたチョコだった。
年甲斐もない遣り取りに操祈が胸糞悪い思いをするのに対して、真理はそれを羨ましそうに眺めていたのが印象的だった。
真理は、そんな二人の遣り取りが好きだった。
それからしばらくして、彼が亡くなると、真理は変わった。気弱な人格の『マリ』が表に出る時間が増え、暴力的な人格まで確認された。
もはや操祈では解決できないと、プロジェクトは凍結し、二人は離れ離れになった。
後に、真理が彼の後を追うように亡くなった彼女の遺品――『先生』の遺品の書物を受け取っていたことを知る。
表の世界で生きる操祈は、真理の痕跡を辿ることしかできなかった。
しかし、今年になって、長点上機に入学したことを知った。喜び勇んで名義を調べてみて、名前が『マリ』であることに疑念を持つ。
美琴が接触した噂を聞きつけ、本人と会う決心がついた操祈の前後の心情の変化は、筆舌にし難い。
そして――天使が降った夜に、操祈と真理は再会を果たした。
脳機能の大半をマリに奪われ、毎晩、深夜徘徊を繰り返して、マリとロケットペンダントを探していた無理がたたり、当麻の前で倒れた真理は、美琴を救けるために第一位と戦うつもりだという。
これから駆けつける英雄に、幻想御手事件で得た『流転抑止』の真実を伝えてくれと懇願して死地に向かう真理を、操祈は止めなかった。
その情報を超能力者三人に売り、あの状況を築き上げた。
真理にどう思われても構わなかったし、最後の最後まで顔を見せなかった報いだと心中は怒りで満ちていたが、あの光を見ると笑っている自分がいた。
●
正直、今も真理を許してはいないし、絶対に謝るまでは水に流さないつもりでいる。
でも、あの根性曲がりが自分から謝るかといえば、その可能性は限りなくゼロに近く、和解の道は果てしなく遠かった。
その溜飲を、真理について話そうとしない操祈に怒る美琴を見て下げている。
ニヤニヤと意地悪く笑う操祈にキレたのか、美琴はしたり顔で制服の胸ポケットから真理のペンダントを取り出した。
「あっそ。アンタがその気ならこっちにも考えがあるわ。これ、マリが持っていたんだけど――」
「――ッ! 返して!」
「うぇっ!?」
運動音痴とは思えない素早い手つきで、見せつけるように手からぶら下げていたペンダントをひったくる。
それを両手で胸元に隠して、死守した。美琴がテーブルから身を乗り出して奪い返そうと掴みかかる。
「ちょっと! それアイツに貸し作ろうとして返す機会うかがってたのよ!? 返さんかい!」
「油断する方が悪いのよ……!」
ぐぐぐ、とファミレスであることも失念して取っ組み合う二人を見て、黒子ら後輩が慌てて戻ってきた。
「お、お姉さま! なになさってるんですか! はしたないですの!」
「離しなさい黒子! あたしは盗人に制裁を下そうとしてるだけよ! 風紀委員のアンタも手伝いなさい!」
「先に盗んで返さなかったのは御坂さんじゃなぁい」
最終的に暴れる美琴を黒子と涙子が羽交い絞めにし、ペンダントの所有権は操祈が手にした。
真理の所有物を手にしたことに一息つき、外を見る。
――どういう偶然か。ガラス越しに見る街の景色には、あの二人が並んで歩いている姿があった。
目が合う。ふと思いつき、手にあるペンダントを、見せつけるように揺らしてみた。
彼の目が見開く。それを見て、操祈は底抜けに意地の悪い顔で笑った。
見たかったものが、やっと、彼女の目の前にあった。