とある科学の肉体支配   作:てふてふちょーちょ

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最終日:さようなら

最近、何かがおかしい。

 

「アンタたち、何してるの?」

 

「えっ!?いや、なんでもないよぉ」

 

庭先、リビングからは見えない角度に彼らは集まって背を向ける。コソコソと、彗糸に黙って何かをしているようで、車椅子で体を隠して二人何かを話し合っていた。

 

「なんでもじゃないでしょ、垣根くんに意地悪してんじゃないでしょうね?」

 

「意地悪って……」

 

「しないよ!」

 

「アンタがしないわけないじゃん!」

 

妹の目が泳ぐ。微動だにしない垣根とは違い素直で嘘のつけない妹のおかげで、すぐに彼らが何かを企んでることがわかってしまう。

なんて単純な妹なのだろうか、自分の妹とてそこは呆れてしまった。

 

「ひどい!お姉ちゃんのバーカ!」

 

「赤点女に言われたかないわ!」

 

「事実陳列罪で捕まっちまえー!!!」

 

何を企んでいるのか聞き出そうと、スリッパを履き替えて外に出る。それにぎょっとしてタイヤを回すと、妹はすぐに逃げ出した。

怪しい、いかにもな行動にため息がでる。残った垣根に踏み込んで聞くこともなぜかできず、そこに立ってただ息を吐く。

 

「一体なんなの……?」

 

ここ最近、垣根をお隣さんに紹介した日からか、彼らはなぜか姉の方と距離を置きたがるようになった。

 

だが話はそれだけではない。

 

「なぁ、ちょっと出かけてきていいか?」

 

「いいけど、大丈夫?一人で行ける?」

 

ある日は外出の許可を求められた。外出自体はなんともないが、垣根から聞かれるのは珍しく、少しばかり驚いて目を見開く。

買ってあげた新しい黒のコートとスラックス、紫のセーターと白いシャツを着て、困ったように頼む彼が新鮮だった。

 

「私いるから大丈夫!」

 

「そもそもどこに……」

 

「図書館!宿題見てもらうの!」

 

だがその内容に再度驚く。図書館なんて、妹が行くようなところではない。この女の行動範囲は遠くて秋葉原か池袋、近くて駅周辺のゲーセンかアニメ関連ショップ。勉強への執着を姉に全て母親の体内でかっさらわれた妹が言い出すような場所ではなかった。

 

「アンタが図書館?送らなくていい?」

 

「大丈夫!!大丈夫だから!」

 

「連絡しなさいよ?」

 

「分かったから!」

 

この日を境に、こそこそするだけでなく、場違いな図書館へ入り浸るようになった。

垣根はともかく、この妹の変化は姉にとって天変地異のようなもの。塾に入れても1日で辞め、テストは古典と数学、英語で赤点を毎回取り、高校生だというのに受験について一切考えていない妹が、図書館なんてあり得ないはずだったのに。

 

そしてもう一つ。

何よりも重大な違和感があった。

 

「あ、お酢がない。買ってなかったっけ」

 

それはまた別の日のこと。キッチンで調味料を探していたときのことだ。

 

「買ってこようか?」

 

「ひゃ!?」

 

調味料入れをひっくり返して見当たらないボトルを探していると、不意に声を掛けられる。全く聞こえなかった足音と気配に驚いて思わずしゃがんでいた体を床にぶつけて、小さな悲鳴をあげた。

 

「っ、か、垣根くん……びっくりするから後ろに立たないでよ」

 

「失礼、しかしお手伝いしようかと」

 

痛いお尻をさすりながら立ち上がると、彼の黄金比もひれ伏す綺麗な顔が視界いっぱいに広がる。その真っ黒な瞳は、光の反射なのかどこか穏やかな緑の輝きを持っているように見えた。

 

どこか違和感を覚える。

しかしそんな違和感を彼に面と向かって伝えることもできず。

ただひたすらに気まずかった。

 

「だい、大丈夫。レモン汁で代用するからさ!垣根くんはテレビでも見てなよ。ほら、情報収集も大切で──」

 

「お手伝い、させて」

 

「……えっと」

 

上から見つめる瞳に違和感があった。

ここ数日、彼は妙に優しい。言葉遣いも、何かがおかしい。

そして、それを不思議に思わない自分がいるのが最も気がかりだった。

 

「どうかした?」

 

「う、ううん。お酢はいいから、冷蔵庫からレモン汁と、棚に片栗粉あるから取ってくれる?」

 

「分かりました!取ってきますね」

 

「ありがとう……」

 

お手伝いをする優しい彼。

目尻を優しく下げる彼

敬語ばかりで慎ましい彼。

 

──この垣根帝督は、いったいだれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その違和感を口に出せず時間だけがすぎ、今日は年末、12月31日。ソファに体を預けると、柔らかい布に下半身が沈む。

冬の寒さは、暖かいエアコンの前では無力だった。

 

「あの子たち、何時帰ってくんだろ?」

 

もうそろそろ12時、年が開ける時間だというのに、妹たちは家にいない。二人で何を企んでいるのか知らないが、大晦日とはいえこんな夜中に外出する二人に心配が募る。

 

(年越しそば作りたいんだけど……いらないのかな。ていうか今どこにいるんだろ)

 

リビングにて、マグカップから登る暖かな湯気とココアの甘い香りに微睡みながら、冷蔵庫の中身に関心を移す。

もうつゆは作ってあり、鍋に火をかけ温め直すだけ。天ぷらを作るための用意もできており、ネギや薬味ももう切って冷蔵庫に置いてある。

しかし頑張って用意したこれらも、彼らが食べなきゃ意味がなくなる。

 

(無駄になっちゃうな)

 

垣根くんに食べて欲しかったんだけど。

 

「あれ?」

 

そう思った。思ってしまったのだ。

違和感しかない感情に不安が募る。その思いは、天羽彗糸にとってがおかしなことだから。

 

だって、彼女は垣根の姉じゃない。家族同然と思ってはいるが、本当の家族ではない。

優先すべきはいつだって妹。ご飯を作るのも、洗濯するのも、掃除をするのも、全て妹のため。

だというのに、今の彼女が真っ先に思い浮かべたのは垣根だった。

 

なんで垣根を優先した?

疑問が浮かぶ。彼女にしてはあり得ないことだというのに。

 

なんだかとても、

 

「……気持ち悪い」

 

「どうした?」

 

うるさい頭を押さえて机に顔を伏せると、優しく肩を叩かれる。驚きつつも顔をあげると、そこにはいつも通りの表情で見つめる垣根がいるだけだった。

 

「な、なんでもないよ。帰ってきてたんだね、遅いよ」

 

「まぁな。つかお前なにやってんの?」

 

魔法のように突然現れた垣根にもう驚きもせず、ソファから立ち上がってキッチンへ向かう。もう垣根の出現に耐性ができていた。

 

「垣根くんたち待ってた。もう蕎麦作ってもいい?」

 

「晩飯食ったろ」

 

「でも年越しだし」

 

だがキッチンに向かう足は垣根によって引き止められる。強く掴まれた手首が少し軋んで痛い。

彼の揺らぎのない黒い瞳も相まって、ひどく恐怖心が込み上がる。

 

「それよりもさ、行きたいとこあんだけど」

 

「え?どこに?」

 

「ほら着替えてこいよ」

 

「その前に行き先くらい……」

 

交わった瞳をそらして背中を向けると今度は後ろから肩を捕まえられて、自室につながる階段に押されていく。

どこか浮かれた声の彼に困惑しながら階段を登って、少し散らかった部屋に入ると一瞬足を止めて彼は嬉しそうに髪を撫でる。

 

「初詣!」

 

彼のイメージにそぐわない柔和な笑顔と、離さないと言わんばかりの強い手の力に違和感と恐怖が膨らんでいく。

何かが蠢くその黒い瞳が怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷たい空気が鼻にあたる。吐く息とマフラーのおかげで暖かいと言えど、露出した顔はやはり寒い。

ミントグリーンのコートと、中に着た白いジャンパースカートは、防寒にはあまり向かなかった。

 

「なんでまた初詣なんて……学園都市の子はそういうの興味無いんじゃないの?」

 

「確かに、クリスマスも初詣も、学園都市ではただの口実でしかねぇからな。意味なんざねぇよ」

 

「口実?セールとか?確かに、福袋とか新年セールは大切だけど……」

 

誰もいない深夜の街を二人歩く。人通りの少ない道は酷く静かで、心音が響き渡る。

なんだかやけに緊張してしまう。まるで綱渡りをしているようだ。

それくらい、この空間に違和感を覚えていた。

 

「……その年で純情ぶるのは些か痛いと思うぞ」

 

「純情?あー、もしかしてアレ?キスするから?」

 

「は?俺としたいの?」

 

「んーん、アメリカだと恋人とかとね、新年になった瞬間キスとかハグするの。新年の抱負的な?年越しの瞬間にしていたことが新しい年の方向性を決めるって言われてるからさ」

 

「へー、年越し前に聞けてよかった」

 

ゆったりとした歩幅で二人並ぶ。身長に差がないからか、歩幅もペースもほとんど同じ。

その同じが、今となってはとても異物感があって、そして安心感がある。

なんて呼べばいいか分からない感情が心の中で混ざる。

 

「それで、初詣ってどこ行くの?お寺はこっちじゃないけど」

 

「寺なんて行かねぇけど?」

 

なんだか話を逸らしたくて、感情を無視して少し前に出る。後ろを向きながら彼と目を合わせると、先程と同じようなどこか狂気を感じる瞳に自分の姿が映る。

夜の魔力か、その狂気が美しく感じてしまった。

 

「じゃあ神社?」

 

「ちげーよ。だって神様はここにいるだろ?」

 

「はぁ?なにそれ」

 

「それに、もう願いごとなんてねぇだろ。才色兼備の俺がいるんだからな、将来は安泰だ」

 

時間が止まったかのようにゆっくりとして、静かな夜。

誰かとこんな静かな道を歩くのは久しぶりで、それがさらに感情を刺激する。

吊り橋効果のようなものだろうか、冷えたからだが徐々に体温を取り戻していく。

 

「自分でそんなことよく言え……って、そんなことないよ!あるよ、願いごと!」

 

「ふーん?じゃあ何願うつもりだったんだ?」

 

「それはやっぱり──」

 

「妹の足が治るように、とか?」

 

だがその熱は直ぐに失われた。小馬鹿にするような、嫌味な言い方が彗糸の足を止める。

この願いを蔑むのは、例え垣根であろうと許せない。

 

「……そうだけど、なんか悪かった?」

 

「別にいいけど、自分で治すんじゃねぇの?」

 

背を向けて信号機の前で立ち止まる。赤信号のカウントダウンが目を刺激して少し痛い。

 

妹への思いは何よりも大切なもの。

それのためなら人生も人権も投げ捨てられる、天羽彗糸の願い。

 

叶わぬ夢と罵られることが、何よりも屈辱だった。

 

「そりゃあ自分で治せるなら治したいよ。でも、彼女を不幸にしたのが神だというのなら、また運命を握るのも神。加害者に願うのもおかしいけど、それで解決するのなら、あたしはプライドとか捨てるよ」

 

「つまり、お前が治さなくてもいいんだな?」

 

「そう聞こえるだろうけど。何なのよ、突然」

 

ぱっと信号の色が変わる。赤と緑、色が反転した。

 

歩き出す。

どこに行くかは多分、彼が導いてくれる。

なぜかそう、脳が理解していた。

 

「いいや?ただ、もうその願いは叶ったって話さ」

 

手が捕らえられた。

少年は、彼女の手を取り予想通り道を正す。

その手は、先程とは打って変わって優しかった。

 

「はぁ?一体なんの話を──!」

 

連れてこられたのは、小さい頃よく訪れた広い公園。蚕の工場だったとかで、普通の公園とは思えないクラシカルな風貌は、暗い夜だというのによく映えていた。

 

「お姉ちゃん!こっちこっち!」

 

そこにいたのは金髪の小柄な少女。自分とは違う、小さくて、可愛くて、ちょっと騒がしい愛しい妹。

彼女はそこで一人、夜空を見上げて佇む。

そう、彼女はその細い足で、大地を踏みしめていた。

 

「な、え……」

 

「あのね!ていとくんがね!足を作ってくれたの!」

 

「は……?」

 

体が浮くような非現実感。目の前の少女は、医療器具の助けなしにその場で立っていた。

茶化す気なんて起きないほど、その光景は衝撃的で、心音が沸き立つ。

 

嫌な予感とは、多分これのことだった。

 

「未元物質(ダークマター)そのものじゃないけどね。人間には適合しないし!簡単にいえば未元物質(ダークマター)を操って神経を新しいものに入れ替えたんだっけ?なんかそんなんでね!治ったの!あし!」

 

「へ、あ……」

 

「平気なんだよな?別の人に治されても」

 

「あ、あぁ……へいき、平気、平気だよ。うん、大丈夫……」

 

ごちゃごちゃと砕かれていく感情に追いつかず、絞り出した声は掠れていた。

体温が消えていく。脳髄が煮えたぎる。

この引き裂かれるような感覚は、とても苦くて、冷たかった。

 

「お姉ちゃんってば驚いてんだ?夢だったもんねぇ、お姉ちゃんの!」

 

「う、うん……あたしの……」

 

「よかったね、お姉ちゃん!これから自分の幸せだけ考えられるんだから!」

 

彼女の暖かい笑顔が針のむしろのようで、ズキズキと心が痛む。

 

あたし、アナタのために生きているのに。

この人生の全て、アナタのためにあるのに。

 

この人生を自分のために消費しろなんて、ひどくつまらなくて、最も愚かな選択を、目の前の肉親が迫る。

そんな選択肢、元からないというのに。

ひどい人。

 

「そうだな。もう無(・)理(・)し(・)て(・)大学院もいかなくていいし、ずっとここにいられる。よかったじゃねぇか」

 

「それはっ、また別の話で、」

 

「てか早く行こうぜ。コンビニで買うんだろ?カップ麺」

 

「年越しは蕎麦がなきゃ始まんないしねぇ」

 

「もう始まってんだろ」

 

呆然と立ち尽くしていると、筋肉のない棒のような足で妹はくるりと回る。二つにくくった同じ色の金髪と、重たい前髪が風に乗って石鹸の香りが舞う。

人工的な甘い匂いが気持ち悪かった。

 

「……え、蕎麦?」

 

「うん。年越しそば。カップ麺でいいでしょ」

 

ようやく彼女たちの声に気がつくと、少し魔の抜けた声を吐き出す。上擦った声が少し喉を痛めて、瞳に水がたまる。

彼女の嫌味のない屈託な笑顔が眩しい。悪気のない言葉は、その無邪気さと反して彗糸の心を抉るばかりだった。

 

「で、でも、あたしもう作って」

 

「お姉ちゃんきつねだよね?私買ってくるよ!深夜ピクニックと洒落込もうぜ!お湯あるし!」

 

「用意周到だな」

 

「言い出したのそっちじゃん!」

 

「そうだったか?」

 

妹はもう、姉なんて必要がなかった。

 

細い足で軽やかに彼女は公園を歩いていく。補助なんていらない、妹は人として歩く。

姉のことなんてどうでもいいというように、彼女は去る。

 

その光景が、辛かった。

 

「ま、いいけど。お姉ちゃんたちは仲良く椅子に座って待ってなよ!今日は私がおごったるのだ!」

 

「あ、ちょっと、恋糸!」

 

「ウッフフ、ていとくんお姉ちゃんのことよろしくねぇ!」

 

「あぁもちろん。責任持って預かるさ」

 

追いかけたいのに、そばにいる少年がそれを拒む。肩を抱かれて、この冷たい空気から逃げられない。

彼女の小さくなる背中に手を伸ばしても、その思いは届かなかった。

 

「ねぇ!これはどういうこと!!?何が、何をして!」

 

「恩返しだよ」

 

彼女が見えなくなってすぐ、パッと垣根の方を振り返る。

この天変地異を起こした張本人に、話を聞く必要があった。そしてその返答次第では、彼を叱る必要も。

 

「は、なんの?」

 

「お前に。俺みてぇな外道に馬鹿みてぇな優しさを振りまく女はお前くらいしかいないだろ?」

 

「そんな、そんなことで彼女に、」

 

「悪いようにはしてねぇよ。ただ治しただけだ。それにかまわねぇんだろ?神だろうが誰だろうが、治りさえすれば」

 

「それ、は……」

 

だが思いの外優しい声色に煮えたぎる思いをぶつけることもできない。目尻の柔らかい、黒い瞳が彗糸の体を縛り付ける。

まるで魔法にかけられたかのよう。

彼を貶すことも、彼を嫌うこともできない。本能が囁いていた。

 

「嬉しくないのか?」

 

「え、いや、」

 

「俺のこと、嫌いになった?」

 

「それは違う!それは、違う。けど、あたし、」

 

近く距離に心が恐怖で飛び跳ねる。この感情が恐怖を増幅させて、息が早くなっていく。

嫌いという言葉を何が何でも否定しなければならないと、本能が叫ぶ。

けれど理性はその本能に疑問を投げかける。

 

「そう怖がるな。俺がいるだろ?」

 

彼に見捨てられたくない。本能がそう言うのだ。弁解するのも、何もかも、行き着く先は彼。

妹への夢も願いも無くなった今、空いた穴を満たすのは彼だった。

 

今まではこんな感情になったことなどないのに。

徐々に心が侵食されていく。

 

「俺がお前の人生になってやるよ」

 

彼の言葉は呪いだった。

妹と言いたいのに。あの子の名前を叫びたいのに、体がそれを許さない。

まるでマリオネットのように、体の自由が奪われろくに言葉が出なかった。

 

「家族がいて、足も治って、誰よりも幸せで、お前のことが嫌いな子供。家族がいなくて、居場所もなくて、哀れにも殺された、お前のことが好きな俺。どっちを選ぶ?」

 

白いコートに、青いセーター、白い靴。全部、足の先から頭の先まで、彗糸が揃えた安物。

けれどそれが希望に見えたんだ。

 

彼ならあたしが幸せにできると、そう思ったんだ。

 

「あ、」

 

「答えは決まってるだろ?」

 

かちっと、なにかボタンが押された。頭に響く軽い音が、脳を揺さぶり意識を奪う。

 

思想が塗り替えられる。

思考がすり替えられる。

 

重い眠気に瞼が閉じていく。

妹への思いも、記憶も全て、今日でお別れ。恐怖と何処か満ち足りた感情が脳髄を掻き乱して、吐き気が込み上がる。

恐怖ばかりが体を支配していた。

 

 

女は願う。

 

少し眠って、また目を開けたて。そしたら、いつもの世界に戻ることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽い体で道を歩く。足の裏から伝わる衝撃が、賑わう心をさらに加速させる。

自分の足で歩くことがこんなにも楽しいことだと、夢にも思わなかった。

 

「あの垣根帝督がなぁ〜」

 

この感情は垣根が教えてくれたものだった。

 

『お前の姉さんに恩返しがしてえんだ』

 

そういって足を治す手段を模索し、一週間もせずに治して見せた彼には驚かされる。

そしてそれが姉のためだと言うのだから尚更。

 

「まさかあんなこと言うなんて。頑張ったかいがあったってわけよ!」

 

男っ気のない姉にもついに春が来たかと内心大喜びだった。それも絶世の美男子が相手など。

姉の幸せを願ってきた妹にはこれ以上ない話だった。

 

「……このままゴールインしてくれたら助かるんだけどな」

 

「誰と誰がだい?」

 

その流れのまま、妹への執着をなくしてくれればいいのに。そう思ってコンビニに入ると、後ろにたった男に話しかけられる。

頬にガーゼをつけた彼は、妹もよく知るお隣の英国紳士だった。

 

「わっ!お隣さんだ!こんばんは!」

 

「お姉さんはどうした?まだ渡米してないと聞いていたんだが」

 

「お姉ちゃんはですねぇ、今男のこといい感じに二人きりなんです!だから私一人っす!」

 

コンビニに入って、男と二人眩しい店内に眼を細める。比較的人見知しない妹は、どんなに胡散臭い見た目でも、お隣さんの彼に屈託のない笑顔で応えた。

それだけでなく、妹の心は多分世界で二番目に浮かれていて、いまにも空を飛びそうだ。

 

「……そうかい、じゃあ彼はうまくいったようだね。作るのを手伝った甲斐があったようだ」

 

「何が?」

 

「いいや?微笑ましい話だと思っただけさ」

 

胡散臭い笑みを浮かべた男に元気よく挨拶すると、彼は少し安堵したように微笑む。憑き物が取れたような気の抜けた顔がどこか不思議だったが、あまり興味は湧かなかった。

今はただ姉のことばかりに気を取られて、彼の言葉の真意などどうでもいい。

 

「でしょー?このままお姉ちゃん、幸せになるといいですけどね!」

 

「それはもう、私も願っているよ」

 

明るいコンビニの中で、男と二人微笑む。

大好きな姉のために、大嫌いな神のために、祝福に満ちた未来を静かに祈っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜風が頬を撫でる深夜0時、女を抱きしめ公園の椅子に二人座る。

女はもう言葉を発さず、虚ろな目で遠くを見ていた。やはり思想の入れ替えは負担になるようで、ゆっくりと浸食したにしても、少しの間意識が朦朧とするらしい。

 

その姿に一種の興奮を覚える

この虚ろな女が欲しかった。血は繋がってないけれど、年上で、ちょっと抜けた、家族という名の光が欲しかった。

だから意識を奪われ、人形になった神様を、ずっと望んでいた。

これから彼女は垣根の家族になってくれるのだから。

 

今日から忙しくなる。そう思うとただ喜ばしい。

大学院はやめさせて、部屋を借りて、家族ごっこを始めるのだ。

それは待ち望んだ願い。それはきっと素敵なこと。

だから垣根は赦される。

 

「これで良かったんですか?」

 

だと言うのに、分身はそれを訝しむ。

白い髪と緑の目。垣根帝督と瓜二つの生き物が、リモコン片手に東屋の影から現れた。

精神を操る幼い少女のデータが入力されたそれは、本来の垣根とは少し違い、優しく、朗らかで、思慮深い。

だからこそ、垣根の願いが叶った未来を危惧していた。

 

「これで良かったんだよ」

 

だがそんなこと無意味だ。

ズルして手に入れた家族と幸せになれないと、誰が決めた。誰が証明した。

彼らの未来など、彼らにしかわからない。

 

「誰も彼も、俺も、妹も、忌々しい男も、全員が幸福になれるハッピーエンドだ」

 

「しかし彼女が幸せではありません。妹も奪われ、夢も奪われて、これを幸福と言えるのか疑問です」

 

「何言ってんだよ。自己犠牲が好きな女にはふさわしいエンディングだろ?」

 

神様は奪われた。

ハッピーエンドで幕が降りる。

 

「支配者が変わった。それだけの話さ」

 

鐘の荘厳な音色が鳴り響く。

世界が彼らの未来を祝福していた。

 




今回で全ての更新が終了しました。この世界線では姉弟になれたようです。
誰もが幸せなハッピーエンドですね。

改めまして、約2年と半年間、応援誠にありがとうございました。
お気に入り登録やコメント、文章のここすきなど、皆様の反応のおかげで最後まで書ききることができたと思っております。
今後ですが、挿絵の制限に届いてしまったので、ハーメルンでの活動はしません。
もし作者の動向が気になるようでしたら、ツイッターをのぞいてみてください。せっせと垣根とその他一次創作の漫画描いていると思います。

ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
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