「呼ばれず飛び出て、熾天使アリシアちゃん降臨!」
ブルーのリボンを揺らしながら、アリシアはきゃっきゃと騒ぎながらアリサの周囲をぐるぐると回る。
「だぁぁ! アンタはいつも鬱陶しいのよ!」
―――犬か! 犬なのか!
生憎バニングス家には犬は足りているのだ。これ以上要らない。
大型犬と桜色の方の犬に囲まれて悠々と生きるつもりなのだ。ヤバめの親御さんの引っ付いた自称熾天使は天に還れ。
「やだなぁ、アリサのツンデレさん!」
テンションが上がりすぎてひとつ突き抜けてはいけないなにかを突き抜けていそうな様子のアリシアにアリサは一歩退く。
「アンタ馬鹿なのによくこの学校に来れたわね」
「その心底蔑んだような目はとても友達に向けるものじゃないと思うんだけどそこのところ、どう思う?」
「まずは、アタシがアンタの友達っていう前提から検証し直してみましょうか」
「この遠慮のなさこそが友情! うりうりー!」
アリサの胸、いや、胸板に頭をぐりぐりと押し付けるアリシア。
柔らかな感触は皆無だった。ロリ巨乳などというものは幻想だったのだ。
「沙羅さんの方が柔らかかった……」
「今、廊下に三つほど蓑虫が吊り下げてあるんだけど、アンタも吊られてみる?」
「転入してきたばかりのちやほやされたいお年頃の女の子に対する仕打ちがそれ!?」
「ちやほやしてるじゃない。ねぇ、すずか」
「ちやほやしてるのかなぁ。……アリサちゃんが言うならそうかも」
すずかは一瞬だけ考えるポーズを取ってから答えた。
まぁ、いいんじゃないかなレベルの適当さだった。段々と純粋だった少女が歪んだ常識に汚れていく。アリシアは確かにそんな無情な現実を感じ取った。
「諦めた! すずかちゃん、今絶対諦めたよっ!」
「仲良しさんだもんね。きっと良くあることだよ」
隣で話を聞いていたなのはは戦慄した。
仲良し同士で吊るし合うような世紀末的小学校など想像したくなかった。一瞬脳裏に豚肉や牛肉と一緒に吊るされているユーノの姿が浮かんだので、慌てて頭を振る。特になにもなく、ミッドチルダに帰ってしまったユーノは元気だろうかと一瞬だけ思案して、まぁ、いいかぁと割り切った。なのはにとって、ドラマティックな形で始まったはずの魔法少女稼業がいつの間のか勝手に終了していた時の虚しさの象徴がユーノである。平和なのは良いのだが、消化不良感がハンパなかったのである。
それよりなのはにとって問題だったのはプレシアとサクラである。
「すずかちゃん、すずかちゃん、すずかちゃん! なのはにはサクラちゃんをぎったんぎったんにするだけの力が足りないのです!」
「なのはちゃん、落ち着いて自分がなに言ってるんだか一回再確認した方がいいと思うよ」
口調が完全崩壊しているなのはを心配気に見るすずか。
「大魔導士ってゅうの、もぅマヂ無理。勝てなぃ。これじゃぃつになってもミッドぃけなぃ」
――駄目だ、完全に壊れてる。
メンヘラ特有の言語を喋り始めたなのはからすずかはそっと目を逸らした。放っておけばそのうち勝手に直ると信じて。
「ねぇねぇ、すずかちゃん聞いてぇ」
「あっ、うん……」
逃げられなかった。
正直、絶賛ぶっ壊れ中のなのはは出来るだけ相手したくなかった。僅かに涙に濡れたなのはの表情が愛らしいとかそういうことを含めてももう面倒な気しかしなかった。
「無理、無理だよぉ。逃げるしバリア張るしどっかから稲妻落ちてくるし逃げても歯車追いかけてくるし攻撃当たってもサクラちゃんに回復されちゃうんだよぉ……」
なのはは濁った瞳をしていた。
一体なにがあったというのか。基本的に強靭すぎるなのはのハートがぽっきりと折れている。すずかは頬を引き攣らせた。
「えと、アリサちゃんともう一回約束の中身決めてきたらどうかな? アリサちゃんもきちんと話せば分かってくれるよ」
「そうかな? 「なのはは指切りまでした約束破ったりなんてしないわよね?」とか言われないかなぁ?」
――うわぁ、言いそう。
「そ、そんなことないよ。とりあえずアリサちゃんと一回話してみれば?」
すずかは心ではそう思いつつ、口だけでなのはを励ました。正直話してみても無理だろうなとある種の核心もあったが、やらないよりはやったほうがマシだろう。パタパタとアリサの元へと駆けていくなのはを見ながら、すずかはある種、達観した思考をしていた。
「ア、アリサちゃん!」
手持無沙汰だったのでアリシアをルービックキューブや知恵の輪感覚で縛って遊ぼうか悩んでいたアリサはなのはの言葉に顔を上げる。
「アリサちゃん、あ、あのねっ!」
「あっ、そういえばなのは。この間、二人を倒したらミッドチルダ渡航を認めてあげてもいいんじゃないかって話、ご両親に鮫島経由で伝えておいたわよ。大分悩んでたみたいだけど、プレシアさんとサクラを倒せたなら考慮くらいはしてもいいって話に纏まったからよろしく」
なのはは踏み出した足をくるりと半回転させてUターン、すずかに狙いを定めようとする。
「……ばたんっ。きゅー」
案の定、面倒な事態に陥っていたことを察したすずかはあざとさ溢れる効果音を口にしながら、これ見よがしに机に寝そべり狸寝入りを決め込む。
――完全に詰んでいる。
すずかは察した。察してしまった。もうなのはには道が残されていない。これで、なのはが条件の緩和を狙って妥協すれば両親からのバッシングが飛んでくるだろう。例えば、条件などなしに、ミッドチルダ渡航を決めていたのなら最低限のことをこなせば、それはそれで許して貰えただろう。
だが、今回の場合は別だ。ましてや、自分で決めた目標を勝手に投げ捨てる。それは、決して体面の良いことではない。間違いなくなのはの両親は難色を示すだろう。九割九分九厘大悪魔アリサに誘導させられたこととはいえ、了承したのは間違いない。そして、そのことをなのはの両親は知らない。これは、完全に親友同士の輝かしい友情が契った約束などというほんのり青春模様を覗かせる代物ではない。――悪魔の契約である。
――娘が、心配する両親に覚悟を示すために自ら魔法世界有数の強敵を打倒する。
アリサが用意した着地点は恐らくここだった。文句なしの美談である。難易度インフェルノのクソゲーであることを除けば。
「すずかちゃん! すーずーかーちゃーん!」
「すー、すかぴー」
「すかぴーなんて寝息なんて誰も言わないよぉ!」
涙目のなのはが延々とすずかの肩を掴み、揺さぶる。
なのはが割と本気で揺さぶってくるせいで、すずかは何度か机に鼻が叩き付けられて割りと本気で痛かった。こちらもある意味で涙目である。
「……うぐぐぐ、サクラちゃん。なのはにはサクラちゃんしか残されていないのです」
どこからか、割と強引にサクラを引きずってきたなのはは、サクラの胸元に顔面を押し付けて、制服をぐしゃぐしゃに乱す簡単なお仕事が始まった。
「……よし、よし?」
丸きり状況が掴めていないサクラは、とりあえず犬猫にするのと同じような感覚で頭を撫で回してから、まるでロッテにするようになのはの顎に手を添え、ゆっくりと同じように撫でる。
「……っ、う、うにゃー」
サクラの制服の上着をより強く掴み、ごしごしと上着に擦り付ける作業をしていたなのは、改め、にゃのはが照れ臭そうに鳴いた。
「ぶふっ!」
傍目から見れば美少女の顎をつつつ、と撫でる美少女という健全という言葉を次元世界に投げ飛ばしたかのような光景を目撃してしまったごく平凡な男子生徒Aが鼻を両手で覆いながら水道目がけて駆けていく。覆った両手の隙間からはぽたぽたと血の滴が伝い、廊下に不規則な血液のラインが描かれていく。その最中、生徒Aは自らの血液で足を滑らせ、廊下に鼻から落ちていく。気絶する男子A、意識を失って尚、加速する鼻血。男子Aの倒れる場所からじわりじわりと面積を広げる巨大な血痕。
――倒れたまま微動だにしない男子A。
――廊下一杯に広がる血痕。
――男子Aの指先が描く謎のダイイングメッセージ「ゆりもどきはいがいとありかも」。
少年少女の悲鳴。
血溜まりに沈む少年。
自身の証明を刻むかの如く血濡れの指先が描く軌跡。
――私立聖祥大学付属小学校殺人事件(偽)はこうして始まった。
つづかない