映画&Tarnished Edition&執行者深度5記念です
……これは、狼の追憶。
夢を辿り、夢を渡り歩く最中の事。
夢とは、人としての集合体たちの意識が、たましいが混じり合ったものだ、と言われている。それらに繋がっているのだと囁かれている。
だからきっと、彼らは出逢うことになったのだろう。だからきっと、その世界の線は間違って混じりあったのだろう。
その世界では、『夜』に世界を呑まれつつあった。
その文言は夜の闇や、夜に現れる獣を抽象的に表したものではない。文字通り、夜が世界を呑み込むその様は、まさに世界の終わる様そのもの。
故にこそ世界の線は狂い、さまざまな世界のものが取り込まれて夜の王となっていた。
あるいはだからこそ、狼はその夜に取り込まれかけていたのかもしれない。果たしてそれはどういった事実からだったのか?
取り込まれていたというのに、意識を保っていたのはその身にあった竜の呪いの残滓だろうか?
全てわかることはない。わかるべく理由もない。
ただ一つ。
事実だけがある。
それは、葦の地の剣士が二人居ること。
その場に、ただ見つけあったということ。
…
……
黄金色の花、アルタスの花が咲き誇る平原の空間で、その者はただ静かに絵筆を走らせていた。その背後にある、もはや存在しない黄金の樹を憧憬し、ただその橙色の鎧に似つかわぬ繊細な絵を描いて。
それを眺めていたのもしばらくのこと。
眺められていた事に気がついたのも少しのこと。
(………)
その片方が、ゆっくりと絵筆を置いた。
それを見た片方が、眉の皺を深めた。
お互いがそれぞれを知らない。それぞれが互いを知る由もない。それを知る理由もない。
否。むしろ、知りたかった。この者は何者か。
しゅ、らあん。
だから彼らは刀を抜いた。
それぞれの腰にあるそれに手を掛けた。
死合う理由は、つまりそれだった。
片や、御子に仕え、それを失った忍び。
片や、三つが混じり、一つとなった混じり者。
どちらもがアイデンティティを失った者たち。
それがそれである理由を失い、個人でなくなり。そしてまた、消えた自らを基に存在を構築した者ら。
無口な者たちだった。
そうだ、それでいい。
葦の匂いがする地の剣士は、そうして死んでいった。
隻腕の狼は、楔丸を静かに構えた。
執行者は、葦の地の刀を静かに片手に持った。
やろう。
ああ、やろう。
無口な者たちだった。
だが、意思だけは互いに、伝わった。
…
……
先手を取ったは、執行の者。振るった刀を狼はまず距離を取り避ける。その太刀筋を見切るため。
そしてしばらくその退屈な拮抗が続く。
振るう、避ける。逃げる、追いかける。
振るう、避ける、逃げ、追う。
振るう。
がきぃん。
執行者の太刀筋が衝撃に歪む。
振るったはずの刀が、あらぬ方向に弾き流された。そしてその隙を逃すものではない。目の前の渋柿色の装束の忍びは鎧の隙間を狙い的確に命を取らんとする。
今度は、攻守が入れ替わる。
忍びは追う、執行者は下がる。忍びはさらに前に挑み出る。執行者はすれ違うように、転がり避ける。
その、距離ができた一瞬。
執行の者は刀を鞘に仕舞う。
「……っ」
刹那、狼はそれを追う事をやめた。その動きは、どんな行為であるかをその故郷から知っていたため。
敵の眼前で武器を仕舞うという行動は、降参と自害を表すものではない。その、逆。
二の太刀要らずの、必殺の一撃。
しゅ、いん。
居合。
鞘走りの加速を受けた大上段の居合いの一撃は戦の技と言うべき速度で狼の頬を、致死の手前で掠めた。
(良し)
なんとか、避けた。
居合は、その速度も、読めない動きも、死を齎すに相応しい技だ。だが故に、それを放った直後の隙は大きい。元来、二の太刀要らずとはそういう意味だ。
初太刀で、命を断つ。
損ねたのなら、さぱっと死ね。
居合いの隙をついての、楔丸の一撃はその居合の隙を、静かについて。その死合いはそこで終わる。
はずだった。
だが隻狼は。
「!」
何故だろうか、刀を引いて後ろに下がる。
直感としか言いようがない、感覚に従った。忍びは自らのその感覚に、絶対的な信頼を置いていた。
危。
身体中が、あれは危険だと警告を発していた。
「………」
執行者は、少し関心、もしくは困惑したように止まってから静かに刀を構え直す。
再び、葦の地の刀を仕舞った。
今度は、居合ではない。
ずるり。
腰にあるもう一本を取り出した。
刀身が赤い。顔料や絵の具ではない。
滴る、滴る。血が、炎が、したたる。
ざん、ざあん。
刀の範囲とは到底思えない、そんな範囲の空間が二連の斬りで切り払われる。
狼はなんとかそれを弾いた。足元、手元の動きから切ってくることだけはわかっていた為に出来た離れ業。
それでも身体が燃えるように熱い。
否、ような、じゃない。確かにその血は燃えている。
滴る性質と相反するように、血炎が猛っている。
「ぐ……!」
それは、死山血河を築き、死屍累々を齎す忌みし妖刀。血に塗れるでなく、血を流す忌まわしき刀。
ある翁が他の、そして自らの屍を晒すべく使った刀。妄執と狂気は、血鬼の王に認められた。それは、そういう所以の妖刀だった。
乱撃、連斬。連続のそれらを、狼は半分は避けて半分は弾き防ぐ。
彼の持久力も無限ではない。だが忍びは、相手よりももっと軽装で、かつ、特殊な呼吸を過去に学んだ。
故に相手より、ずっと長く保つ。
その利点を活かし、狼は背後に跳ぶ。
そして距離を保ちながら、背に負う大太刀を引き抜いた。赤い、赤い瘴気が刃から立ち込める。
それは彼奴の妖刀とは異なり、血ではない。だが血よりももっともっと悍ましい、命を吸ってきた証だ。たとえ、不死のものであっても問答無用に。
刀同士の殺合とは思えない距離のまま。
狼は大太刀を振るう。
秘伝・不死断ち。死屍累々。
それぞれが、それぞれ違う所以で赤黒く閃く剣閃たちは強く、強くぶつかり合う。
滴る血炎を、その血の命すら断たんばかりに。
命を啜る大太刀の、それすら屍にせんとばかりに。
その執念と、妖刀どもがぶつかったからか。
その二つの刀は、ともがらに砕け散った。
「!」
驚愕は、二人分。
二人ともに、そんな事は初めてだった。
この妖刀たちが砕ける事など無かった。ただの刀ならばともかく、この只事ではない太刀たちが。
だが、そういうこともあるのだろう。
だから、そうなるのだろう。
互いはにこりとも微笑わず。全くに表情を変えず。
柄のみになった妖刀を捨てた。
狼は、楔丸を抜いた。
そして執行者もまた。刀を、抜いた。
(……………)
鎧の君。彼奴が持つ刀は、二本ではなかった。
葦の地の刀。血を啜る妖刀。そして、もう一本。
ただ、凡百の木刀にも見えるその刀は鎧の手に巻き付き、その混ざりを拒絶し、理となる。
陽掴。
その刀の銘は、それ。
だがそれを知る由はない。知る意味も、ない。
ただ知るべきは、その技の鋭さのみ。
…
……
じり、じり。
先までの高機動の戦いとは打って変わり、二人ともにずっしりと腰と重心を据えた詰り歩き。
ゆっくり、ゆっくり、摺り足で距離を近づける。
それぞれの刀に、もう剣閃を飛ばす力はない。
だがそれでも、彼らは今持つその刀たちに信を最も置いているのだ。それが自らの技の、本領と理解しているが故に。
がぎいん。
どちらが、先に刀を振るっただろうか。どちらがその火花を発せただろうか。
二人ともにそれの理解は遠いだろう。その剣戟は、ずっと、ずっと続くものの開幕でしかないのだから。
がぎん、きぃん、が、きゃん。
ぎぃん、きん、がぃん。ぐわぁん。
…響き続ける音は、それこそ戦場にそぐわない。
鉄火場や、鍛冶場。そういった類のもの。金属や、それより硬いものが弾き弾かれ、叩き、叩かれる音。
本来ならばあり得てはならない技量を、なんということか、この場で死合う二人は互いに持っていた。
互いが、互いに。
相手の攻撃を弾く限りに体勢を崩さない。崩せない、というべきか。相手の攻撃が来ているならば、それができるならば動かなければならない。超人的なその精神力が、肉体をも超えその持久を高めている。
「……ぐっ…」
だが、少し早く。
体勢を崩したのは、狼だった。
がくり、と後ろに姿勢を崩した瞬間。
陽掴が黄金の色に輝き、煌めいた。
雷霆万鈞。
そういった言葉をそのまま表したように。
稲妻のように、恐ろしい重さのように。
光のままに執行者の妖刀が彼の胴を凪いだ。
たまらず倒れた、隻狼の上半身に蹴り。
そして、構えた妖刀が振るわれる。
致命の一撃が、もろに、入った。
(…………)
どざり。倒れた忍びに、残心をする。
…
……
……ああ。
その、弾きの力も互角。
そうして、戦の技の数も鎧の者が多彩。
きっとその駆け回る速さも大差はない。
ならば、忍びにのみあるものは何か?
答えは、ひとつだ。
どくん。
アルタスの花が舞い散り、黄金色に空が色付く空間にただ一つ、桜の花びらが舞う。
桜が、彼の身体に入り込んでいく。
生命そのもののように。
どくん。
これは、これだけは、唯一、夜を渡る者にはなく、彼にのみ、龍の呪いを受けた忍びにのみある力だ。
死なず。不死。そういった、希望を騙る絶望の呪いを受けた者が、この隻腕の狼だった。
回生。
立ち上がる狼。
相変わらずに、仏頂面。
向き直る執行者。
相変わらずに、兜に隠れ見えない顔。
互いに、何も喋らない。
何も、言葉など介さない。
まだやれるか。
ああ、やれる。
ならば、やろう。
ああ。やろう。
宙空を飛び舞う黄金の葉が、それを雄弁に伝えた。
だから言の葉の必要は、ないのだ。
弾き、弾く、弾いて、弾かれる。
弾かれ、弾いて、弾き、弾き返されて。
そうして弾けば、また、弾く。
………それぞれがそれぞれ、切り札があった。だが、互いが互いにそれを切ろうとは思わなかった。
真に勝たなければならない死合いだったならば、狼はその義手にある糸を、忍具を用いただろう。
勝たねば世が滅ぶ戦いだったのならば、執行者は自らの体を諸相にて巨大な獣と変じていただろう。
だが、二人はそうしなかった。
ただ、今の戦いを目の前にして。
刀の極みを、ただ知りたかった。
自分の限界と極みは何処にあるかを。
技の極みの臨界点は、つまり。
ぎゅ、いん。
陽掴の、輝く戦技が再び狼を襲う。
瞬間を待っていた、というように。隻狼はそれを高く跳んで、避けた。一度見たものを、一度不覚を取った動きの、対応。
そしてそのままに、下段を跳んだままに、執行者の背を、踏んでさらに跳んだ。
互いの力は限界で。故に、技の直後に、背を成人一人の体重を載せられれば、耐え切れず。
崩れ、落ちた。
その背へ、首筋へ。楔丸が刺し込んだ。
…………
ああ、残念だ。
次は。次の夜には、きっと。
そんなことを思っただろうか。それとも、口と同様に、心までも凪いだままだったろうか。
執行者の屍はただそのまま、すうと姿を消した。
隻狼は、片手念仏を静かに終えた後。
静かに、彼の書いていた絵を眺めた。
綺麗な、絵だった。
…
……
これは、追憶。
ただの追憶でしか、ない。いっそ、それらはただの虚構の出来事だったやもしれない。
それらをどう思っているかもわからない。
彼らはそれを、語る言葉を持たない。
一人はただ、絵筆を動かすのみ。
そしてもう一人もただ、仏を掘る、のみ。
誰にも言わず、語らない。
葦の地の者たちは、つまりまったく、そういう者だ。