一年前、黒鉄刹那に完膚なきまでに叩き潰された後、目覚めた静矢の心に湧いたのは恐怖でもなければ諦観でもなかった。身体の傷が癒え、学園に復帰した彼の心を襲った
《僕という男は、こんなにも弱かったのか!?》
黒鉄刹那個人に対するものではない。
それは、己に対する怒りだった。
恵まれた才を持っていながら、これまで怠惰に過ごしてきた自分への怒りだった。
圧倒的強者を前にして、早々に恐怖に屈してしまった己への不甲斐なさだった。
《その、程度……?》
《……ッ》
そして、何よりも――
目の前のいけ好かない女に“失望”の念を抱かせてしまった。
そんな情けない自分に対する怒りだった。
《ッ……やめろ! 僕をそんな目で見るな!》
……認められない。
他の誰に見下されるのも、侮られるのも構わない。
けれどお前には、お前だけには!
そんな目で見られることを受け入れるわけにはいかない!
だから徹底的に力を磨いた。
――次にあの女と会ったとき無様に怯えることのないように。
だから今度は本気で弟に目を付けた。
――同じ剣を使うあの男を倒し、いつか再び黒鉄刹那と戦うために。
だからこの一年、一輝を観察して密かに対策を練ってきた。
試合中殊更に彼を罵倒してみせたのも観客を煽ったのも、全ては作戦の一環だ。一輝の精神にダメージを与え、戦いを有利に進めるための戦術だ。
仮に失敗して評判が下がるだけに終わったとしても、おそらく彼は毛ほども気にしなかっただろう。その他大勢からの評価などもはやどうでもよく、ただ一輝と、その後ろにいる刹那にさえ勝てればいいのだから。
「ハハ……僕の観察力もまだまだだな」
「あ?」
とどのつまり、桐原静也という男は最初から――
「待たせてすまなかったね、桐原君。さあ、試合を再開しようか?」
――
「ッ……おいおい黒鉄君~、何急にやる気出しちゃってんの? もしかしてお姉さんが見に来てくれたからって喜んじゃった? 君、ドMだったの?」
「フフ、そうかもね」
「……ちっ」
こちらを見据えるその眼にはもはや一片の濁りもない。観客の視線も罵倒もそこには映っておらず、倒すべきただ一人を見据え静かに戦意を漲らせていた。
こうなってしまった
しかしそれもあの女の登場で全てご破算となった。いつもいつも的確にこちらの嫌がることばかりしてくれる、まったくもって忌々しい女だった。
『ぬおおーーっとぉ!? 何がなんだか分からない内に黒鉄選手、立ち上がって臨戦態勢に入っているぞ! お姉さんに軽く罵倒されただけでどうしてそうなった!? まったくわからーーん!』
『……ンー、まあ、姉弟間でしか分からない何かがあんじゃね?』
どうする?
調子を取り戻したこの剣鬼に対し、臆病者の弓兵がどう抗えば良い?
無策でクロスレンジに踏み込めば確実にやられる。
座して待っても神速の踏み込みで斬り捨てられる。
行くも地獄、戻るも地獄、どう足掻いても待つのは死だ。
作戦が破綻した時点で勝ち目などゼロに等しくなっている。
「どうするッ? どうすればいいッ?」
――諦めろ。
――やはり無理だった。
――時代錯誤の熱血なんて似合わない。
――これまで通り小狡く賢く生きれば良いだろう?
頭の中の矮小な自分が賢しげにそう囁いてくる。
「――ハッ! クソ食らえだなッ!!」
その全てに対し、桐原静矢は中指を立てた。
賢く生きる? そんなクソつまらない考えは一年前にドブに捨てた。
相手が強い? ならそれを上回るくらい強くなればいい。殺される前に殺せば何の問題もない。
攻撃が当たらない? なら当たるまで出し続けろ。相手が力尽きるまで撃ち続ければそれで勝ちだ。レベルを上げて物理で殴れば良いんだよッ!
「やってやる……ああ、やってやるさ! Fランクの雑魚が調子に乗ってんじゃねえぞ! 学年主席の力を見せてやるよ!」
「そうか。ならば僕もその心意気に応えよう!」
凝縮された魔力の発露により一輝の全身が薄っすらと光り始める。
天才たちを倒すために彼が編み出した、最弱にして最強の伐刀絶技。
肉体のリミッターを外して全ての魔力を絞り尽くす、常識外れの身体強化。
「僕の
――【
研ぎ澄まされた魔力が全身に行き渡り、人外の剣士がここに誕生した。
「だからどうしたああああッッ!!」
「ッ!?」
それに追い縋るように、静矢の両脚からも膨大な魔力が迸る。溢れた魔力の余波がリングを叩き割り、今にも爆発せんと激しく明滅する。
「そんなまさか!?」
「あれは、お兄様と同じ……!?」
「ッ! いえ、違うわ。あれは一輝のとは別物よ!」
この一年、一輝を観察し続けた末に静矢が辿り着いた答えがコレだ。
脚だけに範囲を絞った限定的な身体強化に加え、足裏から魔力を放出することで爆発的な加速を可能とする高速移動術――名付けるならば“一踏”修羅とでも言うべきか。全身のリミッターを外すには肉体強度が足りないゆえの苦肉の策だったが、しかし弓兵たる彼にはこれこそが最適解だった。
狙撃に過剰な腕力は要らない。攻撃は霊装に込められた魔力に任せ、自身の身体強化は全て機動力に割り振る。引き撃ちで削りまくれば相手はいずれ魔力切れで自滅するはずだ。
――せこいやり方で見苦しい?
ハッ、何とでも言え! こちとら狩人、策を弄して敵を嵌め殺すのがセオリーなんだよ!
「行くぞ、
「ッ――すごいよ、桐原君。キミは僕が考えるよりもずっと素晴らしい騎士だった!」
「ハッ、そんなお上品なモンじゃねえよ! 僕は狩人! 誰に笑われようが卑怯な手を使おうが、獲物を仕留められればそれで良いんだよッ!!」
黒刀と黒弓が互いに向けて掲げられる。
もはやお互い以外はどうでもいい。
観客の罵声も、怨敵への執着も、今だけは全て消え失せた。
為すべきことはただ一つ、目の前の敵を全力で打ち破ることだけだ。
「「ッ!!」」
――ダンッッ!!
言葉もなく両者の姿が掻き消える。
「【
リング上方に張り巡らされた魔力の帯――試合序盤の数倍に及ぶ規模で展開された道の上を、静矢が縦横無尽に滑走する。
「そこで死んでなッ!」
高速移動する射手から絶え間なく放たれる雨矢は、硬いリングすら豆腐のように粉々に粉砕していく。この攻撃だけでほとんどの伐刀者は血煙となって命を散らすだろう。
「――旭日一心流・【天津風】!!」
その死の乱舞をたった一本の刃が全て薙ぎ払った。コンマ数秒差で襲い来る高速の矢の内、一輝は自分の身体に当たるものだけを的確に把握し、圧倒的な剣速で斬り払っていく。
見下していたFランクが見せた神業に観客は瞠目するが、相対する静矢に動揺はない。この程度やってくるのは分かり切っていたこと。むしろこれで終わったら拍子抜けもいいところだ。
「【
放たれた多数の光弾が機雷のようにばら撒かれる。一輝が射程範囲に踏み入った瞬間、魔力に反応して光弾が爆散。蕾から種子が飛び出すかのごとく四方八方へ光の矢が撒き散らされた。
「【
さらに静矢本人からも追撃の連打。
機雷の誘爆も狙いながらとにかく矢を放つ。
立ち込める雲霞のごとく、撃って、撃って、撃ちまくる!
『桐原選手、目にも止まらぬ矢の連射ッ! ていうかもはや数えられません! 一秒に何発撃ってんだ、機関銃か!?』
『実際の弓じゃないからこそできる芸当だね。一々弦を引く動作が要らないから理論上はいくらでも連射できるのさ。……ま、ここまでやれるのは予想外だったけど』
『なるほどッ、桐原選手もいよいよ本気というわけですね!』
片方の戦意喪失という尻すぼみの展開からここまで盛り上がったのは、運営側としても嬉しい誤算だろう。学生どころかプロの上位層にも匹敵する実力伯仲の競い合いに、俄然実況にも力が入る。
『し、しかし西京先生、それならばなぜ彼は……』
『うん?』
それだけに、観客の目には今の状況が殊更不可解に映っていた。
彼が本気で戦っているならば、それは本来ありえない光景だった。
『本気を出しているのなら、なぜ桐原選手は――
――
「闇雲にばら撒いても当たらないよ!」
「ッ……クソ!」
そう、実況席だけでなく観客席からも、リング上を忙しなく駆け回る
『なぜ優位となるはずのステルス能力を使わないのでしょう? 大量の矢を連射できている以上、魔力不足という理由も考えづらいですが』
『それはたぶん……あえて使ってないんだろうね』
『あえて……ですか?』
『そう』
一つ頷き、寧音はリング上を指し示す。
『相手の心理を読み解いて行動を予測する黒坊の奥の手――
『え、ええ、試合中の演技も含めて見事な対応策だったと思いますが……』
『だけど、もうあの策は通じない。……いや、通じなくなりつつあると言うべきかね。桐やんもそれが分かっているからこそ、ああやって戦法を変えて――おっと、ちょうど分かりやすい場面が来るよ?』
『え……?』
そう言って寧音がもう一度扇子を向けた先で――
「はああッ!!」
「ッ……チィ!」
軌道を曲げて死角から襲って来た矢を、一輝が
「ようやく分かってきたよ、桐原君!」
「舐めるな! 【
「それはもう見せてもらった!」
静矢が後退しながら繰り出す凄まじい弾幕を、一輝はことごとく躱し、斬り払い、紙一重で掻い潜る。演技をやめて本気になった静矢の全てが――性格まで含めた彼を構成する要素全てが、【完全掌握】によって暴かれつつあったのだ。
「右、下、左……! 次は上から……! 視界外から曲げて後方! 2cmズレた、再計算して修正!」
「くっ……!」
このまま続けていればいずれ動きどころか思考までもがトレースされ、次の行動を完璧に予測できるようになるだろう。姿を消そうが矢そのものを消そうが、その全てが先読みされて躱される。
ならば魔力消費の多い
――遠距離武器の優位を活かし、【完全掌握】が完成するより前に圧倒的な手数で押し切る。
追い詰められた結果とはいえ、その選択は決して間違っていなかった。
「唸れ朧月! ――【
「軌道を誤魔化す技ッ……本命はこっち!」
「っの、チート野郎が! 初見の技にあっさり対応してんじゃねえ!」
しかしそれでもなお、一輝の適応速度が異常に過ぎた。
フェイント、偏差射撃、死角からの一撃、別の矢の背後に隠しての奇襲。静矢が知恵を絞って用意した技の数々を、悉く予測し、見切り、超人的な反射神経で斬り裂いていく。今はまだ掠らせたり、無駄な手数を使わせたりもできているが、後数分もすれば完全にこちらの攻め手に対応し、最短距離で懐まで迫ってくるだろう。
「後30手で君に辿り着く!!」
「クッ……!」
そうなればその時点で終わりだ。
いくら静矢が今日まで必死に鍛えてきたとはいえ、あの剣鬼相手に近接戦など数合ともたないだろう。
「ッ……クソ……やっぱり、ダメか……!」
ゆえに――
「ちくしょうッ……あんなに努力したのに……! これだけの策を用意したのに……!」
ゆえに静矢は――――諦めた。
「――結局、命がけになっちまっただろうが!!」
「ッ!?」
静矢は無傷で勝つことを……命の危険を冒さず勝つことを、諦めた。
「いい加減離れろ、鬱陶しいッ!!」
「くッ!」
相手との中間点に複数の矢を乱れ撃つ。魔力を過剰に込めた矢は地面に接触した瞬間弾け、無軌道に爆風を撒き散らした。
当てることが目的ではない。剣だけでは防ぎきれない攻撃で一輝を後退させるのが狙いだ。ほんの数秒の時間稼ぎに過ぎないが、それだけあれば十分だった。
「深層魔力……解放……!」
懐に入られたら終わり?
――なら近付かせなければいい。
弾幕を張っても近付かれる?
――ならもっと増やせばいい。
次手を予測して回避される?
――なら分かっていても躱せないほどの弾幕を浴びせればいい。
魔力が足りない?
何を生温いことを言っている。
あるじゃないか、自分の奥底に。
まだ使い切っていない最後の
「重奏伐刀絶技――【
「ッ……それは!」
ミリオンレイン――百万の雨。
かつて勢いだけで名付けた大言壮語も甚だしいハッタリ、それを現実のものとする。機雷を生み出す能力で無数の発射口を形成し、全砲門から同時に矢の雨を浴びせかけて敵を殲滅する、二つの伐刀絶技の合わせ技だ。
「ッ……圧縮……形成……装填……! ケホッ!」
魔力の過剰放出の影響か、静矢の目や口から激しく血が溢れ出すが、構うことなく魔力を込め続ける。
生み出された砲口はすでに百以上。今か今かと発射の時を待つその殺傷力は明らかに対人の域を逸脱していた。
「ッ……ハハ、
「こふッ……フフッ……! こっちも命がけで放つ技なんだ、どうか存分に味わってくれよ?」
軽口を返しながら、静矢は震える指先で
全砲門が眼下へと向けられ、激発寸前の魔力で大気が軋みを上げる。
それは遠く離れた観客席も例外ではない。安全のために張られた強力な魔力障壁が余波だけで軋み、生徒たちは言い知れぬ予感にその身を震わせた。
「な、なあ……? これもしかして、俺らもヤバイんじゃ?」
「い、いやいやまさか……観客席にまで被害が出る攻撃なんて」
「き、桐原ああッ! 俺たち友達だよな!?」
「つーかさすがに黒鉄が死ぬぞ!? 桐原ストーーップ!!」
『こ、これはちょっとマズイのでは、西京先生!?』
『ッ……魔導班は結界を強く張れ! ガキどもはその場に伏せろおおおおッ!!』
恐慌と焦燥に駆られる周囲の様子など気にすることもなく、静矢は天を掴むように血濡れの右腕を振り上げ――
「――【
瞬間、轟音と呼ぶのも生易しいほどの号砲が一斉に解き放たれた。浮遊する全ての光が同時に火を噴き、発射の圧だけでドームの天井と壁が放射状に吹き飛んだ。隙間なく放たれた矢群はもはや巨大な壁と化し、リングの石材を抉り取りながら一輝を蹂躙せんと押し迫る。
着弾点を一カ所に絞るなんて真似はしない。そんな安易な方法を取ればあの剣鬼は一瞬で弾幕の薄い箇所を見極め、神速の剣技で突破してくるだろう。
「潰れろ、
「く……ッ!」
ゆえに――面で潰す。
直径数十メートルのリング全てを同等の厚みの弾幕で覆い尽くし、回避する余地のない絨毯爆撃を浴びせて磨り潰す。横に動いても逃げ場はなく、後ろに下がってもどこまでも追い縋ってその身を刺し貫く――否、打ち砕く。
秒間1000発か、2000発か……数えるのも馬鹿らしくなるほどの雨矢が一輝の頭上に降り注ぎ、粉砕された石片と粉塵が天高く舞い上がった。
『ちょ、直撃!! 直撃です! 黒鉄選手まともに食らいました! これはさすがにどうしようもありません! あっさり勝負が決まってしまいました!! ――と、というかこれは生きているのでしょうかッ!?』
まるで爆撃でも受けたようなこの鉄火場に、生身の人間が晒されて無事で済むはずがない。
――これでは死体どころか肉片すら残っていないのでは?
実況席を始め、見ている者たちがそう顔を青褪めさせるのも無理はなかった。
『と、とにかく早く救助を! もしかしたらまだ助かる可能性が――』
「――はああああッ!!」
『ッて、えええええ!? 嘘おッ!?』
その絶対の摂理をたった一本の黒刀が粉砕する。
砂塵の只中を突っ切ってきた一輝には、今の攻防で付いた傷など一つもない。一刀修羅によって限界以上に引き上げられた斬撃は音速の壁など容易く飛び越え、もはや常人どころか大半の伐刀者の目でも追い切れない。剣閃は刃による結界と化し、迫りくる光の壁を浸食するように端から削り飛ばしていく。
「その……程度でッ!!」
負けじと静矢もさらなる力を【朧月】に込める。身体の奥底から魔力を振り絞り、追撃の弾丸を生み出した先から射出していく。全てのリソースを攻撃に注いだことで移動の術は喪われ、もはや彼もこの場に留まり一輝を迎撃する他ない。
「このバケモンが!! さっさと墜ちろおおおおッ!!」
血に塗れながら叫ぶ静矢。
撃つ。
撃つ。
撃つ。
もはや何発撃ったか分からない。
魔力の使い過ぎで意識が霞んできた。
しかし手を緩めるわけにはいかない。
目の前の強い男に勝つには、命が尽きようが諦めるわけにはいかない。
「全て、斬り伏せるッ!!」
砂塵に塗れながら吠える一輝。
斬る。
斬る。
斬る。
もはや何度腕を振ったか分からない。
身体の各所が小刻みに震えてきた。
しかし足を止めるわけにはいかない。
目の前の尊敬すべき男に勝つには、こんなところで膝を屈するわけにはいかない。
「打ち破ってみせるぞッ、狩人!!」
「いい加減潰れろ、
戦う意気はいまだ軒昂。
戦士たちの心は折れていない。
勝利への意志は微塵も揺らいでいない。
最期の一滴まで死力を尽くしてみせる。
「この……一撃でッ……!? グ、あぁあッ!」
「!」
それでも終わりは無慈悲にやって来る。
鍛え上げられた剣士の体力と、湯水のごとく振るわれる弓兵の魔力、どちらが先に枯渇するかは明白だった。一輝を縫い止めていた弾幕に一瞬のラグが生じ……そしてそれを見逃す剣鬼ではない。
「そこだ! 第一秘剣――【犀撃】!!」
「! しまっ――」
全体重を乗せた突進術によりついに弾幕に風穴が開く。
咄嗟に迎撃しようにも、緊急時に捻り出せる余剰魔力はすでに尽きていた。
「第六秘剣――【毒蛾の太刀】!!」
「がッ!?」
繰り出されるは第六の刃。
静止状態からでもダメージを与えられる浸透剄――人体の共振と同波長の振動が静矢の体内に直接叩き込まれる。
すでに極限まで気力と魔力を消耗していたところに、この一撃は文字通り致命的だった。
内臓全てを揺さぶる衝撃に静矢は大量の血を吐き、ついにその意識を喪失――
「ッ――まだだッ!!!」
「!?」
否、手負いの獣は死の果てまで牙を剥くことをやめない。
たかが内臓が傷付いて血を吐いただけ。
手足が無くなったわけでも、身体が砕けたわけでもない。
なら諦めるには早過ぎる。
渾身の一撃を叩き込み、剣鬼の意識が微かに緩んだこの一瞬。
一輝の身体を押さえ込むと同時に、狩人が仕掛けた最後の罠が発動する。
「地獄まで付き合ってもらうぞッ、黒鉄一輝!!」
周囲に浮遊する無数の矢が強く輝く。
数万本に及ぶそれらが一斉に光を発する様は、まるで破裂寸前の爆弾のようで――
「これはッ!?」
そう、
つまり、
桐原静矢、最期にして最大の攻撃とは――
「耐久力と根性の勝負だ。嫌いじゃないだろう、こういうの?」
「ッ……!」
光り輝く驟雨が舞台上の二人に殺到し、
そして――
「――【
白銀の光が全てを塗り潰した。
…………。
………………。
……………………。
――――
「………………!」
声が聞こえる。
ザー、ザーと、雨粒が叩き付けられるような大きな歓声が。
「………………!」
……いや、これは耳鳴りか。
爆発の後遺症で朦朧としているのか……、もしくは衝撃で鼓膜でも破れたか……。
「………………!」
全身が鉛になったように重く、気怠い。
少し動かそうとしただけで手足の先まで痛む。
今すぐ意識を投げ出して、何もかも忘れて眠りこけてしまいたい。
「………………!」
そんな弱気に鞭打って、なんとか意識を奮い立たせる。
このまま倒れるなんて冗談じゃない。
やりたい放題やってきたのなら、最後まで意地を通さなくてはならない。
自分の手は届いたのか、それとも届かなかったのか……?
それだけは確かめねばならない。
そのために自分はここまで来たのだから。
「……なあ……僕は、強かったか?」
「うん……今まで戦った中で、二番目に強かったよ」
そうか……。
「僕は君たち黒鉄の鼻を、明かしてやれたか?」
「うん……。正直、今は悔しくてたまらないよ」
本当に……?
「ハッ……よく言うよ。僕のとっておきまであっさり跳ね除けておいて」
「最後の一撃を防げたのは偶然だよ。破れかぶれの魔力防御が偶々うまく行っただけ。結局最後まで、君の掌の上だった」
……そうか。
僕の力は。
情けないなりに鍛えたこの牙は。
ほんの僅かでも君に、届いていたのか。
「……なら次は、魔力制御の方も鍛えておくんだね。
「ああ、今日の試合で驕りが身に沁みたよ。これからはもっと……これまで以上に死ぬ気で鍛錬に励むさ」
「……そうか」
そうだ、それでいい。
この僕をこんな気持ちにさせたのだ。
あの女以外の……他の誰かに負けるなんて許さない。
僕やあの女以外の、有象無象の下に立つことなど決して許さない。
「だから、さ。……また今度、僕と手合わせしてくれないかな? 君みたいな凄い騎士と鍛錬を積めたら、きっと今以上に強く――「ハッ! やなこった!」あ痛ッ!?」
だからこそ、意地でもそれだけは突っ撥ねる。
差し出されたボロボロの右手を――どこまでも善意しかないそれを上から引っ叩く。
施しなんぞ受ける気はない。
試合が終わればノーサイドなんてクソ喰らえだ。
いつかまた挑むつもりの
「生温いこと、ほざく暇があったら……ケホッ……その時間でもっと、強くなれ……! 次に僕の前に立ったとき、踏み台にすらならない雑魚に成り下がっていたら……容赦なく踏み潰すからなッ」
「桐原君……」
ああ、ちくしょう、これじゃ完全に三下の捨て台詞だ。
結局最後までこんな役回りか。
あまりの情けなさに血を吐きそうな気分だ。
「ッ……けど……やられ役にも、意地はあるんでね」
「桐原君? 何を」
覗き込む仇敵に精一杯の恰好を付けて、未だ視えない空へ手を伸ばす。
少し休んだおかげで腕一本だけはどうにか反応した。
それだけ動けば十分だ。
満身創痍の右腕を高く掲げ、最後の力を引き絞る。
「――疾ッ!」
「え?」
ポカンと見上げるマヌケ顔の横を通り過ぎ、最後の一撃は空気を切り裂いて打ち上がった。
立ち込める黒煙のドームを突き抜け、吹きさらしになった天井を飛び越え、
やがて闘技場の遥か上空へ達した矢は、太陽のように輝きを増し、
「
弾けて、
砕け散り、
柔らかな虹色の雨となって、人々の頭上に降り注いだ。
「ッ! これは……」
立ち上る粉塵が、
飛び散った返り血が、
傷付いた身体の痛みが、
暖かな雨粒に流され、雪がれていく。
『! か、会場を覆った煙が晴れていきます! これは、桐原選手の何らかの攻撃でしょうか!? ダメージがあるようには感じられませんが、まだ戦いは続いているのでしょうか?』
『……いや、これは』
それはまるで、祝福の雨のようで……。
それはまるで、口に出せない捻くれ者からの、精一杯のエールのようで……。
「ハッ……さっさと強くなって……あの女と盛大に潰し合って来い。それで生き残った方を僕が倒せば、手っ取り早く最強だ」
「ッ……ハハ。それはなんとも、責任重大だね」
「何を笑ってやがる。こっちは100パー本気だぞ」
「そっか……。なら君の野望のためにも、これからもっと頑張らないとね」
「……フン、そうしろ」
『あっ、煙が晴れて二人の姿が見えてきました! 立っているのは…………黒鉄選手です! その横で桐原選手が倒れて……ということは――!』
実況の声を受け、血だらけの拳が恐る恐る掲げられる。動作が小さ過ぎて目立たないガッツポーズだったが、目ざとく見つけた観客が控えめに拍手を送ってくれる。
「ふはッ……慣れていないのが丸わかりだな」
「し、仕方ないだろ、ちゃんとした試合は初めてなんだから」
「ククッ、そう言えばそうだったね、落ちこぼれの
「ぐ、ぐぬぬ……ッ」
嘲笑に見えるよう精一杯の笑みを送ってやる。
戦いが終わって仲良くなるなど冗談ではない。
これ以上絆されてたまるものか。
自分は少年漫画のツンデレライバルキャラではないのだ。
『
けれどもとりあえず。
今日ぐらいはこの性悪にも、ライバルを讃える殊勝さは残っていたので。
「誰にも負けるなよ――――黒鉄一輝」
「ッ――!? き、桐原君! 今、僕のこと応援ッ」
「ハッ、聞き間違いだ、バカヤロー」
最後の最後まで憎まれ口を叩きながら、今度こそ桐原静矢は意識を手放したのだった。
…………。
………………。
……………………。
◇◇◇
自分は夢を見ているのだと、すぐに気付いた。
明晰夢なんてあまり見る性質ではなかったが、これが現実でないのはすぐに分かった。
これまで生きてきた十余年の記憶の中に、こんな光景はなかったから。
「………………!」
目の前で刀を振るうのは白髪の少女。
常の無表情が嘘のような笑みを浮かべながら、
愉しそうに懐へ斬り込んで来る。
「………………!」
こんな光景を自分は知らない。
こんな輝くような笑みなど向けられたことはない。
自分はアレを前に、無様に膝を着くしかなかったのだから。
(ああ……そうか……)
つまるところこれは……願望なのだろう。
誰にも明かしたことのない、彼女に追い付きたいという馬鹿な願い。
無理だと分かっていて星に手を伸ばす、子どもの癇癪のような愚かな行い。
改めて突き付けられてみると自分でも笑ってしまう。
なんて滑稽で情けない姿なのだろう、と。
「………………!」
だけど……それでも。
愚かさを自覚してなお、欲しいと思ってしまった。
無様な姿をいくら笑われようが……それでも構わないと手を伸ばしてしまった。
「………………くん」
ならば、こんなところで寝ている暇などないだろう。
目標に近付くどころか、その手前にもう一つの壁までできてしまったのだ。
さっさと目覚めてまた鍛錬に励まなければならない。
「…………くん!」
ああ、せっかくの追憶の時間ももう終わりだ。
気付けば泡沫の夢は消え去り、誰かの声が鼓膜を震わせていた。
呼びかけに引き上げられるように意識が浮上していくことを自覚し……、
やがて、閉じられていた静矢の視界に光が差した――
…………。
………………。
――――
「お目覚めね。気分はどうかしら?」
「……ここはあの世ですかね? いきなり目の前に死人の顔があったんですが」
「あらぁ? そんな憎まれ口が叩けるならもう大丈夫みたいねぇ、桐原君」(#^ω^)
目を覚ますとまず保健室の白い天井が……、次いで視界の端にキョンシー――もとい、
とはいえ心配している言葉も嘘ではないようで、今もさり気なく静矢の容態に気を配っているのが見て取れた。実際、諸々の奇行を除けば生徒想いの良い先生なのだ、この人は。
「気分が悪いとか、どこか痛いとかあるかしら?」
「……いえ、至って健康体ですね。多少の切り傷があるくらいです」
「そう、治療が間に合って良かったわ。簡易検査でも目に見える異常はなかったし、とりあえず安心して」
あんな頭の悪い大技を使っておいてこの程度ならば幸運と言うべきなのだろう。現段階で放出できる全ての魔力を破壊力に全振りした、文字通りの自爆技だったのだ。iPS再生槽などの先進医療があるとはいえ、再起不能になってもおかしくなかった。
「喜ぶべき、なんでしょうかね?」
「当たり前じゃない。あんな危険な技を躊躇なく使ってボロボロになって……、すごく心配したんだからね?」
「……お手数をおかけしまして」
月並みな謝罪を述べつつ身を起こす。寝付きの悪さからかクラリと眩暈を感じるも、額に手をやりながらゆっくり床に足を下ろした。
「その渋い顔を見るに、最後までちゃんと覚えてるみたいね?」
「……ええ。何せ特等席で見せられましたから」
静矢が最後の技を放ったあのとき、一輝はできる限りの矢を隕鉄で斬り落とすと、残った全魔力を使って全身をガードしたのだ。本来Fランクの彼では満足な魔力障壁など張れないはずだが、あのときは“一刀修羅”の効果によりAランク並みに出力が引き上げられていた。ゆえに苦手な魔力操作もゴリ押しで実現でき、あの規模の爆発にもギリギリ耐えられた。
さらに彼はついでと言わんばかりに、傍にいた静矢の身まで守ってみせた。放っておけば勝手に自滅していたというのに、あの男はそれを良しとせず、自身を危険に晒してまで敵を守ったのだ。
すなわちこれは、真剣勝負の場で相手に庇われて命を繋いだという、不本意極まりない結果だった。
「ハハ……きっついなぁ」
「桐原君?」
途端に力が抜け、再びベッドの上に大の字で倒れ込む。訝しげな有里に返答する気力も湧かなかった。
「結局……負け犬かぁ」
決着直後はなんとか取り繕った。
相手の力を認めたのも本当だし、また一から鍛え直すという決意にも嘘はない。
だがそれでもやはり、心にクるものはあるのだ。
黒鉄刹那に追い縋るべく必死で己を鍛え上げ、満を持してその血族に戦いを挑み、策を弄してまで追い詰めたというのに……、結果はあっさり逆転されての無様な敗北。さらには相手に情けをかけられるというオマケ付きだ。
これを道化と言わず何と言う?
もはや黒鉄刹那にとって、桐原静矢の価値など最早路傍の石にも劣るだろう。……いや、試合中のあの態度を思い返せば、最初から気にも留めていなかったのかもしれない。
刹那の中で静矢などすでに終わった存在であり、いくら鍛えようが誰に勝とうがどうでもいい有象無象の一人でしかない。
根拠のない思い込みに過ぎないとは分かっている。
しかし、今の精神状態ではまるでそれが真実であるかのように思えてしまい、どうにも何もかもを投げ出したい気分に――
「こーら」
「あ痛ッ」
不意に、頭部に軽い衝撃が走る。
「そういう後ろ向きな考え方はよろしくないわよ、桐原君?」
「……何ですか? 僕は今傷心を慰めるのに忙しいんですけど?」
叩かれた額を擦りながら軽く睨む。
が、有里は気にすることもなく、微笑みながらさらなる爆弾を投じてきた。
「それは……黒鉄さんに失望されて悔しいから?」
「ッ……!?」
内心を悟られた発言にドキリとする。
――どこかで感付かれるヘマでもやらかしたか?
――だとしたらこの場をどう誤魔化すべきか?
一瞬だけ焦るも、最早それを気にする意味もないことに気付く。
「……そうですけど。それがどうかしましたか?」
「あら、意外に素直」
散々恥を晒した上に、最も手にしたかったモノは手の届かないところへ行ってしまったのだ。今更教師一人に本心を知られたから何だと言うのか。
揶揄いたければ勝手にすればいい。
「ノンノン! そうやって諦めるにはまだ早いと思うわよぉ?」
「~~ッ」
イラっとした。
「あなたが凄く頑張っていたことはちょっと見ただけの私でも分かったし、その努力自体は決して卑下されるようなものではないわ。それに多分だけど……黒鉄さんもそういう泥臭い努力は嫌いじゃないと思う」
「……ハッ、何を根拠に?」
普段なら当たり障りなく返せる教師からの苦言も、今は煩わしいという感想しか抱けない。
勝手に心情を分かった気になって適当な慰めを寄越すのも鬱陶しいし……、何より、黒鉄刹那のことを訳知り顔で語られるのが気に食わなかった。
「知ったような口をきかないでもらいたいですね。部外者に過ぎない一教師に、一体何が分かるって言うんです?」
「いやぁ……だって、ねえ?」
精一杯の威嚇を見せても有里はますます愉しそうな笑みを浮かべるだけだ。
それに一層憤る静矢に対し、彼女はニコニコとベッドの向こう側を指差すと――
「だって黒鉄さん、さっきからそこにいるし」
「ン……おはよ」
「!ッくぁwせdrftgyふじこlpッ!!??」
今日一の奇声を張り上げ、静矢はベッドから転がり落ちた。
ここで突然だが、黒鉄刹那はとても優しく、慈悲深い少女である。
――??? お前は何を言ってるんだ?
と言いたいだろうが、事実である。
確かに、犯罪者は問答無用で殴るし。
そうでなくても理由があれば殴るし。
理由がなくとも相手が強そうなら嬉々として挑みかかるヤベエ女ではある。
しかしながら、不器用なりに弟を助けようと尽力してきた行動を鑑みれば、根っこの部分が善良であることはご理解頂けることと思う。本当に力のない相手には手を出さないし、家からの命令にも基本は従うなど、最低限の分別は有していた。
あくまで……そう、あくまで……ちょっとばかりどこかに常識を落っことしてしまっただけで、本質は優しく思いやりのある少女なのだ。
「おー……い? 聞いて、る?」
ゆえに――知らない仲でもない後輩を見舞いに訪れるくらいの気遣いは、意外なことに持ち合わせていたのである。
「~~な、なんッ、こ、クェΔ♯×%&●♪$!?」
一方で、そんな内実など露知らぬ静矢は混乱の極みにあった。
確かに彼はこの女――黒鉄刹那に強く執着していた。圧倒的な戦闘力に打ちのめされながらも、『いつかその顔に一発ブチかましてやる!』とどこぞの弟のように奮起し、これまでひたすら力を磨いてきた。
「な、ななな、何しに来たんだッ……! く、黒鉄刹那ぁ……ッ!!」
しかしながら同時に、あの試合での恐怖やトラウマは今でも彼の心に色濃く残っていた。反骨心のおかげで立ち直ったとはいえ、素の性格を完全に理解したわけでもなく、今でも静矢から刹那への印象は基本的に“恐怖の大魔王”だ。
なんなら一輝を観察したこの一年でさらにその想いは補強されていた。毎日毎日、死の向こう側三歩くらいに平気で弟を叩き込む姿には何度戦慄したか覚えていない……。
さて、そんな状態の静矢の前に、相変わらず無表情の大魔王が急に現れた場合、一体何を思うだろうか?
「ま、ま、まさか……!? と、トドメを刺しにッ!?」
ご覧の有り様である。
虐待しているとはいえ、彼女が自分の
Q、それに手を出した
A、決まってるでしょ? 殺す一択。
「ッうわばばああああッ!?」
静矢は一目散に逃げ出した。疲労と負傷のせいで赤ちゃんのハイハイ状態だが、見栄えを気にする余裕なんて全くない。パニック映画のモブのごとく、怪物から逃げようと必死に地面を這いずる。
――騎士のくせに見苦しい?
――立ち向かおうという気概はどこへ行った?
うるせえッ! 化け物の殺気を間近で浴びてから言ってみろ! 追い詰められたら誰でも命が一番なんだよ!
謎の脳内師匠へ罵倒を返しながら静矢は出口目指して突き進んだ。
「待って、待って」
「ひぃい!?」
――が、全快でも敵わない化け物から満身創痍で逃げ切れるわけもなく、あえなく足首を捉まれ、元の位置まで引き摺り戻されてしまう。これでも静矢の身長は180cm近くあるのだが、まるで小包みのごとく持ち上げられて壁際に放られた。
ゴリラかな? いや、ゴリラの方がまだマシだろう。実際のゴリラは意外と大人しいし、鉄骨を片手で引き抜くほど化け物ではない。言うなればこの女は、“森の賢者”ならぬ“破軍のキングコング――
――ダァァン!!
「ぴぃい!?」
不穏な思考を読み取られたのか、刹那の右手が顔の真横へ叩き付けられた。いわゆる壁ドン状態――それも少女漫画的なアレではなく由緒正しい意味合いの方だ。勢いが強過ぎて壁にヒビが入っている。
(ま、間違いないッ……殺す気だッ!)
純粋な殺意(?)に静矢の全身が震え上がる。わざと外したのは『お前も今からこうなるぞ』と
同時に、これまでの人生の軌跡が静矢の脳内を駆け巡る。
――屈辱的な敗北の記憶。
――何クソと奮起した再起の記憶。
――背中を追い続けた雌伏の記憶。
――弟への
様々な記憶が浮かんでは消えていき……。
そして最後に浮かんだのはやはり、この女に勝ってみたかったという“悔しさ”の記憶だった。
(ああ、ちくしょう……。最期に一度くらい、コイツに一泡吹かせてやりたかった)
しかし最早それも叶わない。
ゆっくりと近付いていた刹那の腕の速さが元に戻りつつあった。
いよいよ終わりの瞬間が近付いてきたようだ。
(南無三!!)
ならばせめて死に様は見苦しくないようにと、静矢はギュッと目を閉じてそのときを待つのだった。
――コツン。
「……?」
額に硬い衝撃。
しかしそれは、想像していたそれよりもずっと軽い。
殴られたわけでも斬られたわけでもない。
意識があるから死んだわけでもない。
――ならば何だ?
――自分は一体何をされたんだ?
湧き上がる疑問に促されるように、静矢は恐る恐る重い瞼を開いた。
「ん……熱はない、みたい……。傷も特に……残って、ない」
「…………へぁあ?」
思わず間の抜けた声が出ていた。
開けた視界の先……、文字通り静矢の目と鼻の先に、深い漆黒があった。
死をもたらすはずの両手は頭部に柔らかく添えられ、眼前にはこの世のものとは思えぬ美しい
「――ッてえぁあッ!? な、なんで!」
「コラ……動か、ない」
「ふぐッ!?」
慌てて身を離そうとするも強い力で引き戻され、もう一度至近距離でジッと覗き込まれる。
再び接近する深い黒。
緊張状態で鼓動が一気に早まり、手指の先まで血流が加速していく。
心臓がバクバクと脈打ち、発汗と動悸が静まらない。
「やっぱり……熱は、ない……? 頭を打って……混乱した?」
「……ッ!」
だというのに、抱いているのは嫌悪感でも不快感でもなかった。
激しく平常心を乱されているのは間違いないはずなのに、先ほどまでの震えは全く起きない。
それどころか何やら変な思考まで浮かんできている。
――あ、よく見ると睫毛長いんだな――とか。
――普段から活動的なのに肌は白くて綺麗だな――とか。
――長い髪も手入れされていて、そこはちゃんと女の子なんだなぁ――とか。
…………。
………………。
(いや何なんだ、この思考は!?)
命の危機が差し迫っている瀬戸際で、何を若干気持ち悪いことを考えているのか!
これではまるで思春期真っ盛りの男子――それも気になる女子のことを四六時中考えている恥ずかしいヤツの思考ではないか!!
「おーい……? 桐原ー?」
ありえないッ。
断じて違う!
自分はメタクソにボコられた相手に懸想するような特殊な趣味など持っていない!
「やっぱり……体調、悪い?」
いやそれ以前に、こんな危険で得体の知れない化け物女に情欲を抱く男なんているわけがない!
いたとしたらそいつは間違いなく当代一の異常性癖の持ち主だ!
この天才エリート伐刀者には断じてありえるはずがない!
「ん……じゃあ、言いたいことだけ……手短に」
なぜならば、自分が好きなのは!
顔が良くて、スタイルが良くて!
強くて、優しくて、愛嬌が有って!
あとついでに言えば、自らの足で人生を切り開いていける自立した女性なのだかr――「あのね、桐原」
「むぎゅうッ!?」
再び思考が遮られ、強制的に視線を上へと向けられた。
両頬には少女の手が添えられ、もう一度――今度は吐息の触れる距離で目が合った。
「ッ~~な、なんだコラ……! そんな至近距離で見たって(あ、掌スベスベ)動揺しないぞ! こっちはお前を倒すために(顔が良いッ)あらゆる手を尽くしてきたんだ!(めっちゃ近いッ) そそ、そんなハニートラップみたいな(いい匂いッ)真似したところで、(役得かもッ)断じて絆されるなんて思わないこt――
「君を能力だけって言ったこと……訂正する、ね?」
「――へ?」
「良い試合、だった……。この一年で、見違えるほど……強くなってた」
「……ッ!」
光の浮かばぬ闇色の瞳の中に、ほんの微かに感情の色が乗っていた。
そこには確かに、桐原静矢に対する敬意が宿っていた。
彼以外ではおそらく気付かない。
他の誰でもない、この一年彼女を見続けていた静矢だからこそ気付くことができた。
「作戦も、良かった……。時間をかけて、世評を偽って……一輝の先読みを、完璧に封じた」
「……ッ」
内心では悔しく思っていた小賢しい作戦すらも、彼女は一片の曇りもなく肯定した。
天才と持て囃される一方で臆病と揶揄されてきた静矢にとって、それは初めて受ける心からの称賛だった。
先ほどとは違う種類の動悸に、再び身体全体が熱を持っていく。
初めて感じる暖かさに胸の内が解されていく。
(! ち、違うッ。
そんなわけがない!
こんな……こんな短絡的で直情的な!
そこらの単純馬鹿な男みたいなそんなことが、エリートの僕の身に起こるはずが……ッ!)
往生際悪く抵抗したところで、
結局のところ、男が頑張る理由なんていつの時代も変わらぬもので――
「よく頑張った、桐原静矢……。誰が何と言おうと……君は強い騎士だ」
「……ッ!」
それはきっと、彼にとって一生の不覚。
けれどもきっと、生涯忘れられない大切な記憶。
「怪我が治ったら……今度は私とも……戦ろう、ね? ふへへ」
「ッ~~~~!」
初めて見るその笑顔に、
少年は今度こそ
……。
…………。
………………。
――――
「…………あ、あの……桐原君?」
「ッ!!?」
「ご、ごめんね? ……その……一応僕も、お見舞いに来たんだけど」
「~~~~ッ」
「そ、その……なんというか……お邪魔したというか……、タイミングが悪かったというか……そのぉ」
………………。
……………………。
「に……義兄さんって、呼んだ方が良いのかな!!」
「良かねえよッ!!」
後日、この会話がねじくれて伝わった結果、黒鉄本家に激震が走ったらしいが……。
それはまた別のお話である。
登場人物紹介
桐原静矢:
狩人(笑)から狩人(ガチ)にワープ進化した、真・桐原静矢。化け物少女にボコボコにやられた結果、復讐を目的として執着するようになった――はずが、勢い余って憧れるようになってしまった特殊性癖者。
もちろん当人は頑なに認めないし、ストレートな好意など示さないが、
・推しに認知されようと努力したり、
・腕試しで弟の方にちょっかいを出したり、
・姉弟が訓練するのを一年間ずっと
――と、やっていることは完全に“拗らせた思春期男子”。
エリート街道を順風満帆に歩んでいたのに、何がどうしてこうなった?
なんもかんも、無駄に顔の良いあの姉が悪い。
それでも積み上げた努力は本物であり、実力は原作より数段パワーアップしている。一輝のレベルが上がっていなければ完封できていたくらいには強く、ぶっちゃけ現時点での実力は破軍で三番手。(刹那>>一輝≧静矢≧刀華)
このままレベルが上がっていけばいずれ、自分という存在を抹消して相手の記憶から消え去る“概念系ステルス”――みたいなこともできるようになるかもしれない。
恋愛関連も含め、今後もいろんな意味で活躍が期待される逸材である。
頑張れ、少年。超頑張れ。
黒鉄刹那:
一人の少年の性癖と人生を台無しにした罪深い女。
本人的にはその他大勢と同じようにブッ飛ばしただけのつもりだが、挫折を知らない傲慢少年にはクリティカルヒットとなり、いろいろな意味で蒙を啓いてしまった。深く反省するべき。
今回の静矢の試合に関しては、実力・作戦ともにかなりの高評価。試合中に無視していたのも、大勢の前で普段のキャラを出すことができなかっただけで、大切な
もちろんそれは友情・親愛の話であり、静矢の本心に関しては一切気付いていない。『強くなりたいんだろうなぁ』という一点のみが唯一正解で、その他の憧憬やら恐怖やら葛藤やらは全く認知せず。保健室でのアレも純粋に、『静矢の健闘への労い』と『昔の暴言への謝罪』であり、恋うんぬんについては欠片も思い至っていない。
それでも好感度は高いので(※強くなった&一輝を評価)、今後も何かにつけてウキウキ絡んでいって、順調に少年の性癖を破壊し続ける予定。
想いに気付かれないことを憐れむべきか、推しと絡めることを幸せと取るべきか、今後の静矢の精神が心配されるところである。
黒鉄一輝:
原作よりも過酷な戦いに放り込まれることになったバタフライエフェクトの被害者。傲慢だったはずの天才同級生が、情けない演技をしてまで勝ちに来るとは完全に予想外で大苦戦に陥る。
それでも土壇場で精神を立て直して逆転する辺りは、さすがの原作主人公。初の公式戦で見事勝利を収め、自分を見てくれる同年代男子とも友誼を深め、心地良い充足感とともに初試合を終えた。
……と思ったら、最後にとんでもない爆弾が放り込まれた。
ライバルのお見舞いに訪れたら、まさかの魔王姉に春到来疑惑?である。
――嘘やろ? あの人に恋する人間がこの世に存在するのか? 一体どんなドMだ? いやでも顔は良いし……、いやいやしかし実態は災害級モンスターだし……。え? まさか脳浸食系の伐刀絶技でも食らった? iPS再生槽用意しなきゃ……!
と、大混乱して数日悩むことになった。
後日、妹にこの話をしたら鼻で笑われ、兄に電話したら『寝言は寝て言え』とガチャ切りされ、苦肉の策で父に相談したら無言で胃薬を飲み出したので、もうこれはそっとしておく他ないと諦めた。
身体の怪我よりも、精神の回復の方に長く時間がかかった模様。おのれ、許さんぞ、赤座守。
折木有里:
破軍学園教師、伐刀者ランクC。一輝の入試で試験官を務めた人物であり、その縁で今でもちょくちょく付き合いがある。
吐血して頻繁に保健室の住人となるため誤解されがちだが、別に養護教諭ではない。本職は普通に一年の担任であり、担当生徒以外のことも気にかけてくれる優しい先生。今回の試合でも、結構な傷を負った静矢を心配して見舞いに訪れていた。
そこでまさかの甘酸っぱい場面に遭遇してテンション爆上がりした。
元々生徒をよく観ていた人なので、実は刹那の外面と中身の差にも薄っすら気付いており、今回のことがきっかけでいつか彼女の本質にも辿り着くかもしれない。
『なるほど、この子割と愉快な子なのね?』
『桐原君はそのギャップにやられちゃったのね?』
『そしてほとんどの人は中身のポンコツに気付いていないのね? 何この面白過ぎる状況!』
……まあそうなったら、ラスボス姉ちゃんから“口止め”という名のお話を食らうことになるわけだが。
『ん? ということは、普段の黒鉄さんの悪役的発言の数々は弟君の――おや? 誰か来たみたいね』
その内先生が、『あなたは知り過ぎた』とか言われることのないように祈っておこう。
――というところで、原作一巻終了です。
これまでオリ主が暴れ回ってばかりだったところに、満を持しての原作主人公活躍回でした!
のはずが、なんか気付いたら“桐原編”みたいになっていました。かませと名高い桐原君のガチの活躍、いかがでしたでしょうか?
実は落第騎士の二次創作を書こうと思ったとき、最初に思い浮かんだのがこの桐原君活躍話でした。『このキャラもっと輝けるポテンシャルあるのに勿体ないなぁ』と思って、今回かなりスペックを盛りました。実際に原作の後の巻では敵勢力との戦いで大活躍していますし、早い内からガチで鍛錬に励めば、これくらいは割と行けるのではないかな、と。
最終的に敗れはしましたが、彼のカッコいいところや見せ場などもたくさん書けたので、個人的には満足の結果でした。皆さんにも楽しんでいただけたのでしたら幸いです。
【おまけのおまけ】
:本編に入れられなかった会話
「そういえばさ、桐原君」
「あん?」
「試合の後、観客の人たちにすごく心配されたり元気付けられたりしたんだけど、あれってなんだったのか分かる?」
医療班に伴われて退場するときの話である。足を引きずりながら会場を出る一輝に対して、試合中とは打って変わって暖かな声援や拍手が送られてきたのだ。
これが外部の人間に対するポーズならまだ分かる。将来仕事で関わるかもしれないプロの騎士が近くにいるなら、普段の言動を抑えて態度を取り繕ってもおかしくはない。
しかし【完全掌握】で洞察力が研ぎ澄まされている一輝には分かったのだ。彼らが本心からこちらの身を案じ、祝福してくれているのだと。
「試合中は罵声一色だったのに、なんでいきなり掌を返されたのかな……って」
「ああ、そりゃそうだよ」
「え?」
という疑問を保健室でなんとなく口に出してみたところ、桐原からはあっけらかんとした答えが返ってきた。
「だってあの罵倒していた連中、僕が雇ったサクラだし」
…………。
………………。
「はあああーーッ!?」
「おっ、面白い顔」
目と耳を大きくかっ広げて驚く一輝。
イケメンが台無しなその様を愉快げに眺めながら、静矢は種明かしを続ける。
「そもそも疑問に思わなかったかい? 何百人もいる学園の生徒が、全員判で押したように一人の同級生を罵倒するなんて、普通はありえないだろ?」
「え? そ、そうなの? 実家では親戚全員からいつも罵られていたから、てっきりそれが普通なのかと……」
「………………」
「………………」
「なんか……スマン」
「憐れまないでよ!?」
一輝君の悲惨な過去はさておき……。
そう、普通はありえない。ランクの低さで見下されているとはいえ、特に問題行動を起こしたわけでもない一生徒を、同級生全員が揃って嫌うなど普通は考えられない。中には他者に無関心な者もいるだろうし、虐めに対して眉を顰めるまともな層だって一定数はいるだろう。(※原作での酷い民度は考えないものとする)
だというのに、先ほどの試合において応援の声は皆無であり、聞こえてくるのは罵声しかなかった。
それはつまり、誰かが意図的に仕組んでいたとしか考えられないわけで……。
「あっ! まさかッ、試合中の演技と同じで……!」
「そう。個人的に何人かに依頼して、僕の煽りに合わせて罵倒してもらったんだよ。セリフの内容とか声の大きさとか、条件やタイミングとかいろいろ細かく決めてね。いやー、ぶっつけ本番なのにみんな良い仕事してくれたよ」
「なんでそんな良い笑顔で語ってるの!? こっちはすごい傷付いたんだけど!?」
「ちなみに罵声しか聞こえなかったのは【
「無駄に高度な技術をそんなことに使わないでよ! 僕の人生初めての声援返してよおお!」
「言ったろ? 僕は狩人、どんな汚い手を使おうが相手を傷付けようが、試合に勝てさえすればそれで良いんだよ。……ていうかさっきは君も『勝負に徹して立派だ』とか言ってなかったっけ?」
「ッ……言ったけども! そりゃ言ったけども!」
だからってこれはないでしょ!
勝つために最善を尽くすったって限度があるでしょ!
こんな鬼畜な手段使って、人の心とかないんか!?
虐げられていた少年の悲痛な叫びに、普通なら良心の呵責を起こすところだろう。しかし生憎ここにいるのは性格の悪いエリート系サディスト。多少心を入れ替えたとはいえ、短期間でそんな簡単に性根が良化するはずもなく……。
「ったく、結局そっちが勝ったんだからいいだろ? 少し意趣返しするくらい許せよ。器小さいな、このFランクは」
「………………」
――ブチン!
「越えちゃいけないライン考えろッ、このチキン野郎ッ!!」
「え? ちょッ待っ!? こっちは怪我人ぐわあああーーーッ!!?」
多少心を入れ替えようが、人の本質はそうそう変わらないというお話。
お読みいただきありがとうございました!