具体的に恋愛というものを語る程、私に人生経験はありません。
しかし恋に落ちる瞬間というのは確かに存在します。それが何時、如何なる時、明確に分かる訳ではありません。
けど、確かにあるのです。気付けば、あの人を視界の端に収めている。気付けば、あの人のことを想っている。
何かの狭間に、何かの境界で、確かに何かが起きたはずで、それから先は心の片隅に、心の核に、何時も貴方が宿っている。そのほとんどが笑った顔で、真剣味の帯びた格好いい顔、そして感情を噛み殺した悲しい顔、その全てが愛しくて、とても大事で、大切で私だけの宝物。胸をギュッと締め付けられる。温かくなる。ぽわぽわする。
愛しています。その言葉だけでは足りない、愛しています。それ以外の言葉がない。愛しています、愛しています、愛しています、愛しています。一度、口にするだけでは物足りない。器の表面に保たれた水が縁から溢れるように、流れる川の端が決壊したかのように、愛しています。私は貴方を愛しています。
この想いは誰にも負けない。この想いは私だけが持てる想いでありながら、その輝きは世界最高峰の宝石すらも凌駕する。夜空に浮かぶ仲秋の名月すらも凌駕した。愛している、燃えるような恋心。お淑やかに、慎ましく、時に激しく、燃え盛るように私は貴方様を慕っております。
神仏は認めていない、それでも祈らずには居られない。
どうか、どうか、と願いを込めるように私は誰彼に祈りを届ける。
彼の隣で在り続ける幸福を許してください、と。
祈りを捧げずにはいられないのです。
藤襲山。山の中腹から麓にかけて、藤の花が年中咲き誇る事で知られている。
夥しい薄紫色の花弁に囲まれながら石畳の階段を昇る。これから始まるは鬼殺隊の最終選別、この藤襲山には鬼殺隊員によって生け捕りにされた十数匹の鬼が放たれており、何時、何処で鬼に襲われるのか分からぬ状況で七日間も過ごさなくてはならない。山に送り込まれた候補生は勘を頼るに二十人弱、この内の半分以上が死に至る過酷な試験内容となっている。
恐れがない訳ではない。兄弟弟子が一人、この最終選別に挑み、そして命を落としてしまっていた。
これは本当に命を落としてしまう試験だ。
一段、また一段と階段を昇る度に体が強張っていくのがわかった。そうして登り切った先には朱色の柱が二つ、互いを結ぶように吊るされた紐には魔除けの札のようなものが所狭しとぶら下げられていた。此処はちょっとした広場になっており、集まった候補生の数は予想通り、二十人弱。そのほとんどが男性であり、一人、いや二人の女性が紛れ込んでいる。そして私もまた女性剣士の一人、鬼殺隊の入隊を試みる候補生の一人であった。
男性の中に数少ない女性というのは、良い意味でも、悪い意味でも目立つものだ。
そんな中でも一際に目立つ女性がいた。
朱色に輝く着物に袖を通した少女。髪は艶のある黒色で、背中を覆い隠す程に長い。
顔は同性の私であっても思わず、身惚れてしまいそうな程に整っており、蒼色の瞳が凛と前を見据えていた。その立ち振る舞いは如何にも御嬢様といった様子であったが、ただ突っ立っているだけでも隙が視えず、腰に挿した一振りの日輪刀が彼女が一端の剣士であることを裏付けている。
彼女は誰だろうか?
その場にいる半数以上がそうするように私も彼女の様子を盗み見ていた。
「皆さま、今宵は最終選別にお集まりくださってありがとうございます」
そうこうしていると広場の奥にいる、御嬢様と負けず劣らずの綺麗なお姉さんが口を開いた。
どうやら試験が始まるようだ。ごくり、と唾を飲み込んで試験内容について耳を傾ける。
これが終わると、遂に私は生き死にを賭けた戦いに身を投じることになる。
私の名前は
師、鱗滝左近次の下で兄弟弟子達と数年間も修行する日々を送り、必要十分な実力を身に付けてから、この最終選別に臨むことになった。今や鱗滝さんの弟子は私一人だけ、十四人も居た弟子は初年度で四人が死に、一人が死に、五人が死に、二人が死んだ。生還したのは冨岡義勇、彼だけである。それだけで、この最終選別がどれだけ過酷か分かるというものだ。
試験内容の説明を語り終えた後、私達候補生は別々に散開しながら鬼の潜む山へと潜り込んだ。
山に潜む鬼は想定していたよりも弱かった。
闇夜、鱗滝さんから借り受けた日輪刀を振り回し、視界の効かぬ木々の隙間、茂みの中から襲いくる鬼共を切り伏せる。油断大敵、という言葉がある。しかし、この程度の相手ならば兄弟子達が遅れを取るはずもなかった。少なくとも兄弟子の錆兎なら間違っても命を落としてしまうような相手ではない。嫌な予感がする。女の勘とも呼べるものが違和感を察知していた。
二日目、まだ体力には余裕がある。竹筒に入れた水を口に含んで、周囲を警戒しながら体を休める。三日目もまだ大丈夫だった。四日目になると流石に集中力が切れてくる。強く意識しなければ、水の呼吸もままならない。兄弟子達が鬼共に後れを取ったのも、この長期戦が原因だったのかも知れない――でも、それでも、あの錆兎が山に住む鬼程度に倒されるとは思えなかった。五日目になると息も絶え絶えであり、昼間の内に休息を取ろうとするも未知の恐怖から眠りに就くことはできなかった。不眠が続く五日目の夜、私の心身は遂に限界を迎えようとしていた。ふらり、と揺れる視界、そんな私にも容赦なく鬼は襲いかかってくる。もう何体の鬼を倒したのだろうか。わからない。それでも私は生きなくてはならない、生き延びなくてはならない。今日までに十二人の兄弟子達が還らず、鱗滝さんは塞ぎ込むようになってしまった。鱗滝さんは孤児を引き取ることも辞めてしまい、私が最終選別に向かうことも最後まで反対していた。
師の反対を押し切って最終選別に臨んだのには理由がふたつある。ひとつは兄弟子達の死の謎を解き明かす為、もうひとつは鱗滝さんの教えが正しかったことを証明する為だ。兄弟子達はもう還らないけど、少しでも鱗滝さんの抱えるものを軽くしてあげたかった。顔を面で隠し、その裏で泣き続ける鱗滝さんを見ていられない。
だって、私たち鱗滝さんが大好きなんだから。
もう意識が断続的に途切れ始める中、ほぼ反射だけで鬼を切り伏せる。
朝はまだか、太陽はまだか。流麗な水色の刀身を持つ日輪刀を引き摺って、最早、保てぬ意識を純化させる。ただ鬼の頸を斬る為だけに純化させる。半ば眠りながら鬼の頸を斬り落とし続けた。しかし、やはり、それでも限界というものはあるようで――気付けば、全てが闇の中に閉ざされていた。
女の私は体力が少ない。無茶が祟り、死を予感した。
次に意識が覚醒した時、太陽光が降り注ぐ、開けた場所に私は寝かされていた。
周りを見渡せば、樹木が切断されている。それも一本や二本ではなく、十数本といった規模でだ。数多ある切り株の内ひとつに、少女が一人。この最終選別の開始地点で一際に目立っていた彼女が干し肉を噛み千切っているところだった。
衣服は流石に汚れてしまっているが、髪や肌の美しさは未だに保たれたままだ。
「……助けてくれたの?」
そう問いかけると「そんなんじゃないですし」と少女は不貞腐れるように告げる。
「ちょっと疲れただけですし、私が偶々休憩に選んだ場所にクソザコちゃんが倒れていただけですし」
「クソザコちゃん……」
「あーこれ、しょっぱいなあ! 私の舌に合わない! だって私、グルメですから!」
少女は徐に愚痴を零すと「これいーらない!」と竹筒と小袋を私の前に放り投げた。
「え、分けてくれるの?」
「違うわよ、捨てただけよ。その竹筒も、もう新しいのに変えようと思っていただけですし?」
「ありがとうございます」
「だーかーらー! 捨てただけだって! 自意識過剰過ぎよ、クソザコちゃん!」
彼女は初対面の印象とは打って変わり、子供のように地団駄を踏み始めた。そんな彼女の様子に、くすりと笑って仕舞えば「あー! あー! そんな態度取っちゃうと分けてあげるのやめちゃうんだから!」と自らドツボに嵌るようなことを口にする。
「捨てただけだったんじゃ?」
「……ええ、そうよ! 捨てたものをどうしようが貴女の好きにすれば良いわよ! いらなきゃ捨てなさいよ!」
「いいえ、本当にありがとうございます」
小袋と竹筒を受け取りながら深々と頭を下げれば「ふーんだ!」と頰を赤く染めてそっぽ向いた。可愛い子だと思った。
「私は真菰」
「真菰だって? ふぅん、クソザコの割に可愛い名前してるじゃない。まあ私の記憶には残らないでしょうけど、今日のことだって気紛れなんだから貴女もさっさと私のことなんて忘れちゃいなさい」
「名前、教えてくれないかな?」
「あのさ〜、話を聞いてるわけ?」
「教えて欲しいな?」
少女は照れ臭そうにガリガリと頭を掻くと「
「うん、朱音ちゃん。一緒に受かろうね!」
「はあ〜? あんたなんかに張り切られも困るんですけど? まあ精々、全身を泥塗れにして、木々の隙間で怯えながら息を潜めていると良いわ」
「いざとなったら、そうするね」
「……調子狂うんですけど? もっとほら、他にいうことない訳? それとも真菰、あんたって頭の中が空っぽなの?」
「朱音ちゃん。私の名前、覚えてくれたんだね」
そうやって微笑み返すと「違うっつーの! すぐに忘れてやるっつーの!」と地団駄を踏んだ。
「まあ私に顔を覚えて欲しかったら、無事に最終選別を生き延びてみなさい。泥を啜った惨めな姿を目に収めてあげる」
挑発的に笑う朱音に「うん、頑張るから」と力強く頷き返した。
「……ま、小物は小物なりに精々頑張ってみることね」
肩を竦めた後、朱音は逃げるように木々の奥へと駆け出していった。
ありがとう。と心の中で呟き、また会いたいな。とも思う。
生き残る理由がまたひとつできた。だから、生き延びよう。と決意を改める。
七日目の夜、彼女がくれた竹筒の水を半分、飲み干して、残った干し肉は全て胃の中に収めた。
昼間、朱音が切り倒してくれた木々のおかげで十分に休息が取れた。そろそろ頂上に詰めて行こうと考えて、重い腰を持ち上げる。それから暫くの間、鬼の気配を感じ取ることもないまま、頂上付近まで登り詰めることができた。
六日目までと比べて足取りは軽い、朱音との出会いが余裕を生んでくれたようだ。
しかし未だ嫌な予感は拭えない、女の勘が油断をするなと訴えている。
その警鐘が正しかった、と知るのは雲に月が隠れた闇夜のことだ。
山に足を踏み入れた時からずっと感じていた粘っこい視線から殺意が放たれた瞬間、私はその場から大きく跳躍した。背後から放たれた一撃は大木を抉り、地面を大きく吹き飛ばす。後ろを振り返って、日輪刀の切っ先を相手に向ける。
それは異形の化物だった。全身から巨木のように太い腕を生やしており、それらを自身に鎧のように巻きつけていた。
鬼は人が成る存在だ。人の道を外すことで、鬼へと成り代わる。しかし今、私の目の前に現れた存在は、元が人と呼ぶには、余りにも人という存在からかけ離れていた。いや、重要なのはそこではない。仮にも私は鬼殺隊の候補生だ。相手が鬼である以上、頸を斬り落とす。それだけの話だ。重要なのは相手の首が極太の腕によって守られている、ということ。はたして、私の力で、あの腕ごと頸を斬り落とすことができるのだろうか? 呼吸を整える、刀を握り直す。逸る想いを抑え付け、猛る想いを制御する。
逃走はない。朱音と出会った余裕が、ひとつの結論を導き出していた。
たぶん、あいつだ。
溢れる殺意を止められない、抑え切れない。いっそ、それなら全身を殺意に委ねてしまおうか。
あいつが、兄弟子達を殺して食った。
女の勘が訴えている。奴を殺せ、と。
闘志を漲らせる、身体は疲弊していた。しかし、漲る殺意が体調を最高潮へと押し上げる。
歯を食い縛る、奴が臭い息を吐くよりも早く、私は怒鳴りつけた。
「貴方が私の兄弟子達を食ったなッ!?」
「――ッ! ああ、そうだ。俺が――」
それだけ聞ければ十分だ。
姿勢を低く落として、一気に距離を詰める。それに呼応するように相手が腕を伸ばしてきたが、最小限の動きで身を捻り、歩法によって立ち位置をズラすことで回避、その動きと連動して相手の腕を切断する。斬られた腕を、そのまま横に薙ぎ払われるのを跳躍して躱し、上から抑えつけるように振り落とされる鬼の大きな手を水の呼吸を以て迎撃する。
水の呼吸。弐ノ型・水車。
垂直方向に身体ごと一回転させながら敵を斬り付ける大技。私が女であるが故に、その非力さを補う為に鍛え上げた技のひとつ。その練度は兄弟子である錆兎の折り紙付き、相手の腕を縦に両断することを可能とした。そのまま水の呼吸、独自の歩法を駆使しながら距離を詰める。右へ左に上から下へと縦横無尽の体捌きは私の居所を掴ませない。私は非力だ、故に私は鬼と打ち合うことはできない。そんな私が優先して鍛え上げたのは水の呼吸。参の型・流流舞い。四肢のひとつでも掴まれたおしまいだから、私は影をも掴ませない動きを目指した。
相手を牽制しながら隙の糸を見出し、確実に致死の一撃を確実に与える為、私は参の型から全ての型へと繋げる術に気付いた。
元より水の呼吸とは変幻自在の戦術が元になっている。
参の型・流流舞いを軸に壱から捌ノ型を絶え間なく繰り出し続ける事ができると知ったのは、つい先日のことだ。拾の型・生生流転は奥義に辿り着く為に学ぶ型でしかなかった。錆兎ですらも気付き得なかった奥義、私だけが持つ技術。合理的に、効率的に、祖の呼吸から学び独自に発展をし続けてきた水の呼吸、先人達が積み上げてきた鍛錬の結晶を今、ここで振るわずに何時振るう! 兄弟子達の無念を、鱗滝さんの教えを以て今晴らす!
駆けろ! 壱ノ型・水面斬り! 足を止めるな! 肆ノ型・打ち潮! 四方八方から次から次に襲い掛かってくる腕だらけの鬼と私の技術は相性が良かった。斬って、斬って、斬り続ける。呼吸を絶やすな、死ぬ気で心臓を鼓動させろ! 全集中の呼吸を続けている限り、私に負けはない! 入り乱れる木々を見やり、地上に殺到する敵の猛攻から逃れる為に大きく跳躍した。鬼が笑うのが見える。捉えたと思ったか? 空中だと身動きが取れないと思ったか?
水の呼吸には、それ用の型がある!
陸ノ型・ねじれ渦!
大きく体を捻った反動を利用した回転斬り。襲い来る腕を斬り飛ばし、それでも尚、腕々は捌の型・滝壺で払い除けた。
地面に着地すると同時に壱ノ型・水面斬り。このまま地上に居続けても分が悪いと察し、大きく跳躍して、木の幹に着地。そのまま玖ノ型・水流飛沫へと繋げる。簡単に言ってしまえば、玖ノ型・水流飛沫は参の型・流流舞いの応用だ。十分な広さがなければ使えない参の型・流流舞いに比べて、今のような入り組んだ地形や狭い屋内でも十二分に力を発揮できるように考案された型の一つ。木々を跳び渡り、時には敵の腕を足場代わりに、地面に着地しては参の型・流流舞いへと繋げる。玖ノ型・水流飛沫は、参の型・流流舞いと比べて体力の消耗が激しいという欠点を持っているが、三次元的に動き回る為に敵の的を絞らせない効果もあった。
故に敵の死角へと潜り込むことも容易となる! 斬って、斬って、斬った先に取った、敵の頭上! 鬼の視界外ッ! 勢いはもう充分に付いている! これまでの全てが布石であり、前準備であったと知れ!
ただ一撃、とどめの一撃に全てを賭すことが水の呼吸の真髄と知れッ!
拾の型・生生流転ッ!
水の呼吸とは積み上げる力! 今まで繰り出してきた全ての型を、この一撃に結集させる!
水の呼吸。弐ノ型・水車ッ!
「取ったァッ!!」
手応えはあった。
日輪刀の刃は極太の腕を両断し、鬼の頸に深く食い込んだ。
しかし頸を両断するまでには至らなかった。
「……なッ! 水車が完全に入ったのにッ!?」
勢いが完全に止まった。
直後、横殴りに体が吹き飛ばされる。ぐるんぐるんと回転する視界、状況を把握する前に幹に背中を打ちつけた。鬼と人との間には、身体能力に絶望的な差がある。そして男と女の間にも、同じように膂力に絶対的な壁があった。落下する体、辛うじて身を捩り、両足で着地する。刀を手放さなかったのは奇跡に近かった。しかし状況は絶望的だ。今まで酷使し続けてきた肉体は激痛を発し、思わず嗚咽いた。鉄の味がする。内臓を痛めてしまったのか、口の中に溜まった血を吐き捨てる。体が震える、視界が霞んだ。意識が朦朧としてきているのが分かる。それでも戦わなくては――呼吸を整えろ、大きく息を吸って、そして咳き込んだ。血を吐き捨てる。呼吸が、水の呼吸が、できないッ!
あっ、と視界が閉ざされた。大きな手が眼前まで迫る。
死を直感する、私は此処で終わってしまうんだ。と嫌でも思い知らされる。
絶対的な力の差、絶望的な力の差、悔しくて、涙が溢れた。
「炎の呼吸。壱の型、不知火ッ!」
鬼の手が私の顔を掴む、その瞬間、まるで燃え盛る炎のように輝いた赤髪が視界を流れた。
「……誰だ、お前は?」
鬼が問う、赤髪の少女が私を庇うように刀を構えている。
「こんな強い鬼の気配を逃していたなんて、まさかまさかよ」
それは最終選別の開始地点で、周りから一際目立っていた少女だった。
髪の色は変わっているが間違いない、朱音だ。
灼熱の日輪刀を握り締めて、纏う剣気が熱波となり、周囲の空気すらも熱く滾らせる。
「炎柱の継子として情けなし! 穴があったら……」
朱音は姿勢を低くし、地面を強く踏み締める。
「入りたい!!」
そういうと同時に灼熱の少女は、腕塗れの鬼に向かって真正面から駆け出した。
◇
私の名前は、煉獄朱音。先祖代々鬼殺を生業とする煉獄家の養子だ。
そして現炎柱である杏寿郎の婚約者でもある。
幼い頃に親を亡くした私は杏寿朗に拾われて、そのまま煉獄家の世話になった。
刀を取ったのは、惚れた男と同じことがしてみたかっただけだ。息抜きのついでにと刀の握り方から手取り足取りと教え込まれた結果、何時しか炎の呼吸を会得するまでに至る。その頃から杏寿朗はなにかと理由を付けて、私に型を教えることはなくなってしまったが、彼の父、槇寿郎の尻を蹴飛ばして無理矢理に稽古を付けさせた。
常在戦場を掲げた私は朝から晩まで、隙あらば槇寿郎に襲撃を繰り返している内に動きも洗練されてくる。今は落ちぶれたが、昔は優れた炎柱だったと話に聞いている。とても今の有様を見て信じられる話ではないが、杏寿朗が云うなら間違いないのだ。実際、彼にとっては片手間の稽古であっても得るものは多く、語らずとも私の未熟な箇所を容赦なく攻め立ててきた。
杏寿朗の居ぬ間に襲撃を繰り返して数年、やっとの思いで槇寿郎に一太刀を入れることができたのが一ヶ月前の話だ。
十二鬼月が相手でもなければ生き残れるだろうよ。と元炎柱のお墨付きを貰った私は満を辞して最終選別に臨んだのである。
ちなみに杏寿朗が最終選別の時に斬った鬼の数は二十一体と聞いている。
今、私が斬った鬼の数も二十一体。そして目の前に立ち塞がる鬼で二十二体目だ。
愛故に、愛の為に、心を燃やそう、この身を焦がそう。
全集中の呼吸・常中。燃える想いは私の髪質を変化させる。
艶のある黒髪から炎のように輝く灼髪へと、炎の呼吸は私の想いに呼応する。燃えるような想いを力に、猛り昂り滾らせて、全てを燃やし尽くす灼熱となれ! 炎の呼吸は日の呼吸の後追いだって? それは違う、炎の呼吸は日の呼吸の先を行ったのだ! その証拠に連続攻撃を基本とするネチネチした日の呼吸と違って、炎の呼吸・玖ノ型は、ただ一刀を下に鬼の肉体を根刮ぎ抉り斬る為の奥義だ。
仮に脳や心臓が幾つあっても同時に消し飛ばせば、問題ない! 他愛なし!
そして今、十二鬼月にも到達し得ない鬼如きで躓いていられる程、私は悠長でもなかった。
私に向けて伸ばされる手を型も使わず、斬って、斬って、斬り落とす。杏寿朗は立ち止まらない。私の遥か先に立ち、今、尚も誰かを助ける為に走り、自己鍛錬に身を費やしている。そんな彼の隣に立つ為には、こんなところで足踏みをしている訳にはいかないのよ!
間合いに入る、懐に潜り込んだ! 呼吸を整える。
「貴様、なんでこんなところに……!? なんで最終選別なんかに……っ!」
「口が臭過ぎて、まともに呼吸できないんですけど?」
刀の切っ先を地面に擦りながら型を放った。
「くそっ! どうして――ッ!」
炎の呼吸。弐ノ型・昇り炎天。
「口を開くなって言ったでしょうが、ざーこ」
振り上げた日輪刀は図太い鬼の頸を撥ね飛ばした。
◇
夢心地だった。どうして生き残れたのか、未だによく分かっていない。
炎が迸ったかと思えば、熱風が吹き荒れて、気付いた時にはあれだけ硬かった鬼の頸が撥ねられていた。
兄弟子達の仇が朽ちる横で、少女が赤色の日輪刀を鞘に収める。
「これだからザコは困るのよ」
朱音は前髪を掻き上げると冷ややかに私のことを見下してくる。
それなりに強さには自信があった。私には錆兎のような才能はなかったけど、それでも記憶の中にあった錆兎の足元には辿り着けた自負はあった。けど結果は見ての通りだ。仇を前に復讐することも叶わず、こうして道半ばで果てようとしていた。それを今、同年代の少女に助けられ、私の遥か先を進んでいる事を見せつけられた。
そのことが悔しくて、情けなくて、嫌になる。
「ほら、歩ける? 手を貸さなきゃ駄目?」
呆れるように溜息を零す彼女に「歩けます!」と大声を張り上げた。
泣くな、悔しくても泣くな。情けなくても泣くな。私は狭い世界で満足していた。錆兎よりも強くて若い者が、この世界には存在している。私は弱い、私はもっと強くならなくてはならない。道半ばで果てた仲間達の為にも、そして、目の前の少女を見返してやるのだ。
きっと睨み返す、そして頭を下げる。
「ありがとうございます」
「えっ? まあ、いいって事よ。おかげで鬼も見つけらたし……」
「次は私が貴女を助けてみせます」
これは宣戦布告にも近かった。
「えぇ……っ?」と困惑する朱音に「もうすぐ夜明けですよ」と告げて背を向けた。
これが助けられた者の態度ではないことは分かっている。
それでも対抗心を隠すことができない。
「まあ良いけど、お礼が欲しかったわけでもないし……」
ぶつくさと呟く彼女を後ろに頂上を目指して歩き出す。
最終選別を生き残ったのは僅か三人だけだった。私と朱音の他に男が一人、それだけだ。
何時か朱音に追いつけるように、闘志を燃やす。
でも、その前に先ずは鱗滝さんの家に帰ろう、報告すべきことがいっぱいあった。
思いついたので形にしてみた話。
供養として投稿しましたが、続きが気になる方が多そうであれば考えます。