Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜 作:しらなぎ
「シャルルも行かない?」
「行かない」
「何よ、また図書室に引きこもるつもり?たまには陽の光を浴びた方がいいわ」
「行かない」
パンジーの誘いをにべもなく断る。ドラコやパンジーはもうすぐ始まるグリフィンドール対ハッフルパフの試合を偵察しに行くらしい。
シャルルは自寮の試合は応援に足を運ぶが、他寮の試合を見に行くほどクィディッチに熱がなかった。
スリザリンの談話室からごっそり人が減る。どうやら随分行く末が気になる人が多いようだ。どうせハッフルパフ席で野次を上げて、嫌な顔をされるに決まっているのに。スリザリンはグリフィンドールを扱き下ろしたいだけであって、ハッフルパフのことも平然と揶揄するので、当然どの寮も彼らが自分たちの応援席にいることを歓迎しない。
廊下が静まったのを見計らって、同じソファにいたセオドールと共に図書室に向かった。
「今日は何の予習をする?」
「数占い学かな。古代ルーンは始めは暗記だろう」
「じゃあそっちはお互いある程度文字や単語を暗記してからになるわね」
「ああ。そういえば、初歩に学びやすい数占いの本があるんだが、この前は貸出中だったんだ。返却されていればいいけど」
「誰か他の人も予習してたのかしら。きっとレイブンクローね」
雑談しながら2階に進む。すれ違う人もほとんどいないし、今日は静かに快適な時間を過ごせそうだ。
セオドールの端正な横顔を見上げながら話しかけていると彼の眉が怪訝に顰められて、ふと歩みを止めた。「セオドール?」
みるみる内に彼の横顔が強ばる。
シャルルが前を見ると、前方の廊下…曲がり角の影にふさふさとしたものが覗いているのが見えた。それは明るいブラウンの…髪の毛だと感じた。そう、ちょうど誰かが曲がり角の向こうで倒れているような。
ギシッと身体が固まる。そしてシャルルは次の瞬間には駆け出していた。
心臓が冷たく高鳴り、鼓動がハッキリと耳の裏で反響していた。
シャルルの眼前に映るのは、重なるように倒れている二人の少女だった。豊かなウェーブヘアが無惨に床に広がって、微動だにせず強ばったままの姿で横たわっている。
ハーマイオニー・グレンジャー。
いつも小生意気な気の強い眼差しを浮かべる彼女の瞳は、今は硝子玉のように虚ろで、瞳孔すら動かない。もう一人はたしかレイブンクローの監督生だ。名前を覚えてないからマグル生まれだろう。
たぶん…死んではいない。知識でしか知らないけれど、死体の死後硬直は時間がかかるはずだから。
石になった生徒と直接合間見えるのは初めてだった。
皮膚の内側から凍ったような心地で、シャルルの足は地面に縫い付けられて動けなかった。
「シャルル!危ないだろ、まだ近くに危険があるかもしれない」
セオドールは焦りの滲む尖った声で咎め、立ち竦むシャルルの腕を掴むと、引き寄せて自分の背に回した。庇うように前に立つセオドールの肩越しにシャルルはグレンジャー達を眺めた。
「なんで…なんでまだ石に…」
「何で?今更だろう。継承者がまた粛清を始めたんだ」
「だってもう…なんで…!?」
会話ではなく、彼女の自問だとセオドールは察した。顔色をなくしたシャルルは口元を片手で覆い、視線をうろつかせながら深い混乱に陥っている。
「…君は……」
倒れている二人をシャルルは真剣に観察する。彼女たちに怪我はなく、ただ石になっていて、近くには手鏡が落ちていた。きっと、反射でバジリスクの瞳を偶然逃れたのだ。たぶん今までの生徒も。
シャルルはバジリスクからどう生き残ったのか被害者のことを具体的に考えたことすらなかった。
「と…とりあえず、医務室、いえ、そうね、職員室に行きましょう」
セオドールが何か言う間もなく、彼女は呟いたかと思うと走り出した。
被害者を最初に見つけた二人が飛び込み、青い顔で訴えると職員室はにわかに騒然となった。教授たちは短くあれこれと言葉を交わし、マクゴナガルが現場に向かい、シャルルたちはスネイプと共に残された。
「それで、周辺には他に誰もいなかったのだな?」
「はい、スネイプ教授。人はもちろん、生き物などの音や気配も近くにはなかったと思います。すぐこちらに向かったので、あまり詳しく状況を確認できたわけではありませんが」
「結構。危機的状況への素早くも正しい判断に、スリザリンに5点加点しよう」
「ありがとうございます」
応答するセオドールの声をぼんやり聞きながら、シャルルは俯いていた。胸中が嵐のように乱れている。
だって、たしかにリドルの日記帳は捨てたのに。
もしかしたら、飢えたバジリスクが単独で行動を起こしたのかもしれないとも考えたが、それならば捕食されていなければおかしい。彼女たちの肉体には損傷がなかった。
じゃあリドルが勝手に動いた?いつか自分でシャルルの寝室に戻ってきた時のように?でも、それならシャルルが捨てた時に動くはずだ。あのリドルが排水溝に流されることを許すとは到底思えなかったし、まずそもそもリドルならば自分を裏切ったシャルルを決して許さないだろう。彼は復讐…いや、裏切りに罰を与えに来る男だと、短い付き合いの中でも断定できる。
「緊急事態のため寮へは我輩が付き添う。その後寮生を集め今後の対応について説明することになるだろう」
リドル自身が動いていないのなら、誰かが日記を拾った?どうやって?だってトイレに流したのに。
湖に浮いてしまった?それとも詰まって逆流した?
拾ったとしたら一体誰が?
リドルはもうマグル生まれの粛清には興味を失っていたのに、なぜまた再開させたのだろう?
ぐるぐると、一人では答えが出せない問いが渦巻いていた。
答えを持つ彼はもうシャルルの手を離れた。
二度と交差しないと思っていたのに、これほど早くリドルが戻って来るなんて、シャルルは想像もしていなかった。
スネイプの後に続き、シャルルとセオドールは寮に戻った。
午後6時以降の出入りが禁止されること、授業やトイレは教授が全て引率すること、クラブ活動は全て停止すること。様々な安全措置が取られることを説明してスネイプは早足で去っていった。
寮内は口々に窮屈な生活になることへの不満を口にするか、マグル生まれがまた粛清されることを喜び、せせら笑う声に溢れた。
いずれにせよ、危機感はまったくない。
寝室に戻ろうとする彼女をセオドールが引き留めた。
「少しいいか」
「…どうしたの?」
彼は視線で寮の隅の席を示した。暖炉から最も遠く、巨大な本棚のそばの少し薄暗く冷たい席。
ソファに腰掛けると、普段はスペースを開けて座るセオドールが、ピッタリと身体が触れ合いそうな距離で座った。
驚いて顔を上げると、彼の黒い目がすぐ近くにある。
「な、なに?」
動揺して咄嗟に軽く仰け反ったが、彼はさらに顔を寄せると、耳のそばで低く囁いた。
「君が関わっているのか?」
「…え」
「それか、何か知っているんだろう」
シャルルは走った緊張をゆっくりと取り繕い、視線を逸らした。小さく微笑みを浮かべてみせる。
「やだ、何言ってるの?たしかにわたしはずっと継承者の足跡を追っていたけれど…何も掴めなかったわ」
いつも通りに振る舞うシャルルの表情を見抜こうとするように、彼は深い色の瞳で鋭く検分している。二人の会話を聞いている人はいないし、二人の様子もソファやセオドールの広い背中の影に隠れていた。
彼は思案しながらまじまじと無言で見下ろし続ける。シャルルは僅かに眉を下げた。
「ねえ、さすがに恥ずかしいわ…」
弱々しく彼の胸を押すと、彼は少し驚いたように瞬きをして、ようやく身体を離した。
シャルルは視線を伏せて、指先で髪を弄んだ。
彼は鋭いし、意外と周囲を見ている。機微にも聡い。それを人に見せることが滅多にないだけで。彼の追及から今逃れることが出来たとしても、疑念を晴らすことは出来ないだろう。
シャルルはフー…と息を吐き、正直に繰返した。
「ほんとよ。襲撃に関わったことは一度もない。わたしを継承者だと思ってるの?」
「いいや、まさか。だが君がさっき浮かべた表情が不可解だったから」
「表情…?」
「不安、焦り、怯え。どれも純血のシャルルが抱くには不自然な感情だ」
「……」
肩を竦めて返事を考える。
「…最近少し考えが変わったの」
「どんな風に?」
「マグル生まれを襲撃するべきじゃない。ホグワーツが閉鎖されたらもっと最悪」
「何故…?その言い方は効率の話じゃないんだろ」
「うん…」
眉間に皺を寄せるセオドールの顔色をうかがうように見上げるシャルルは、どこか子犬のような雰囲気を漂わせている。最近自分の考えを話す機会が多い。でも彼にどう思われるかはシャルルの中で大きな問題だった。
サッと視線を走らせると、察した彼が耳をシャルルの口元に寄せる。
「ありがとう。あの…あのね、」
「うん」彼の相槌は平坦だが、優しかった。それに少しホッとしてたどたどしく言葉を選んだ。
「マグル生まれを魔法界のコミュニティから締め出すのは、現実的じゃないと思う。マグルとの関わりを完全に断つか…支配しないと」
「それは去年も言っていたけど」
「そうね、だから…その、つまり…」
「うん」
「わたしは、マグル生まれも混血も、魔法界の一員として、魔法族として、受け入れる」
弾かれたようにセオドールは顔を上げた。驚愕の眼差しが困惑と嫌悪にゆっくりと変化していく。
シャルルは彼の視線から逃れるように顔を背け、手で隠すように長い絹の黒髪を落ち着かなげに撫でた。
「分かってる、理解を得られないって…。でも、今のはあなたを信頼して言ったわ」
つっけんどんに早口でシャルルは言った。非難を訴えるような口調は防御的な姿勢が現れている。
長い沈黙の末に彼が絞り出した声は、理解し難いと言わんばかりだったけれど、断罪は含んでいなかった。
「純血主義を捨てるのか?」
「まさか!違うわ…純血は尊いものだし、尊重されるべきだし、繋いでいくべきものよ。ただ…純血でない者は、望んでそう生まれたわけではないのだから…。なんというか、マグル生まれがマグルの世界に戻って、またマグル生まれが生まれる穢らわしい連鎖を止めないといけないわ。結局全部、マグルが悪いんだから…」
「……まぁ、君の主張も、理解はできるよ」
「…ほんとかしら」
「筋は通ってる」
「……軽蔑した?」
「いいや」
「……」
二人は口を噤む。彼がそう言ったのはたぶん、シャルルに対する礼儀や愛想に近いものだと感じた。本心なはずがないと。心臓が鈍く痛む。
でも歩み寄るパフォーマンスを取ろうとしてくれたのなら、まだ嫌われてはいない、と思う。
たしかめるように、シャルルはおずおずとセオドールの肩にコテンと頭を乗せてみた。一瞬肩が僅かに揺れ、彼がそれを抑制したのが伝わる。拒否はされなかった。なのに何故かむしろ涙腺が潤むような心地になった。
彼が身動ぎする。身体を離そうとしているのだ。またズキンと内側が痛んだけれど、彼はぎこちなく体勢を崩し、これまたぎこちなくシャルルの頭に僅かな重みを乗せた。
そして独り言のように囁いた。
「君が変わっているのは今更だろう。だから僕の感情を君が窺う必要はないんだ」
不安と痛みがするすると解けていく。シャルルは青い目を柔らかく細め、小さくうなずいた。
「ところで」
喜びにじんわり浸っていたシャルルに、セオドールは冷静に話を戻した。
「君の考えはわかったよ。けどそれは、あの光景に君が怯えを浮かべる理由になっていないと思うけど」
「……」
彼は忘れていなかったし、話を逸らしたことにも気付いていたらしい。
「継承者を追う中でスリザリンが遺した怪物には推測が立てられたの」
「! …一人でそこまで?一体なんだったんだ?」
「…でも、その怪物を操るすべも、止め方も、倒し方も分からない。襲撃が止まったから安心していたけど、身近にいたら全ての生徒が危険な生物よ。でもその怪物が討伐されることは、わたしは望まない…」
彼の問いはあえて無視した。彼もそれ以上問わなかった。
「その怪物への根源的な恐怖もあるし、討伐されることへの虞れもある。ダンブルドアは最初の襲撃で気付いているわ。次があったらきっとホグワーツは閉鎖されるでしょうね。マグル生まれのことも、怪物のことも、何もかもわたしの願いとは全部真逆の方へ向かっていっちゃう…」
「なるほどね。まぁ、一応答えとして受け取るよ。君が全てを話してくれるまで待つくらいの器量はあるつもり」
「なっ、なによ、いじわるな言い方」
「意地悪?逆だろ。君の信頼を利用するやり口に答えてあげてるんだよ」
うわー、とシャルルは顔が引き攣りそうになった。言葉自体は刺々しいけど、やっぱりセオドールは怒っても機嫌を損ねた風でもなく、少し微笑んでいる。
シャルルが自分で思うより秘密を隠すのも、誤魔化すのも、誘導するのも上手くないが、セオドールはそれを込みでシャルルを受け入れて待つと言っている。ほわっと頬に喜びが灯る。
「じゃあ今度から、色々相談していい?わたし、まだ自分の考えが纏まっていない感じがするの」
「いいよ。君の考えには僕も興味がある」
「ふふっ、他の人だったら絶対わたしが間違った考えに進もうとしてるって思うでしょうね。わたしの中ではむしろもっと、純血主義とか…魔法界の発展とか…そういうものを踏み込んで色々考えてるつもりなのよ。そう見えないかもしれないけど…」
「いや、分かるよ。去年からその片鱗があったし」
「そう…?」
「うん」
そうらしい。シャルルにはその自覚がなかったので首を傾げる。自分に変化が生まれ始めたのはターニャの件があってからだと思っていた。
それで、魔法族とかマグルだとか、純血以外にも視野が広がったのだと。
セオドールがシャルルの何に、色々考えていると感じたのかは答えるつもりがないようだったが、褒めてくれていたので、素直に受け取っておく。
普段何も考えない頭の悪い人間に賞賛を受けるより、彼のような聡明で深い思考が出来る人間に褒められる方が気分が良かった。信頼や評価を損ねたくないと思う。
その頂点に立つのはリドルだった。
裏切ってなお、リドルの役に立ちたいだとか、褒められたいだとか、目的を知りたいという欲求がある。同時に彼を止めたいとも。ホグワーツを閉鎖することが魔法族の血の浄化に繋がるとは思えないし、リドルが魔法界や純血のために、思想のために動いているとはもう思えなかった。
トム・リドルは常にトム・リドルのために行動しているように感じる。
誰が襲撃をしているのかシャルルに心当たりがあるとすれば、それはジニーしかいない。けれど学年も寮も違う彼女の様子をこっそり窺おうにも、そもそも広大なホグワーツですれ違うことすらなかった。
数回大広間で遠目から見かけたが、彼女は俯きがちで顔色までは確認できず、グリフィンドールは全体的に普段のやかましさが鳴りを潜めていた。彼らの寮からは二人も被害者が出ている。
その中でスリザリンは純血主義を掲げ、誰も被害がない。それどころか意気揚々と胸を張ってイキイキと他寮生をあげつらいに行くスリザリン生もいる始末だ(もちろんこれはシャルルの友人のことだ)。向けられる嫌悪の眼差しの中に憎しみや恐怖も混ざっている中で、堂々とグリフィンドール席に行くことは出来なかった。
会って話したい旨の手紙をジニーに送ってもみたが、返事は帰ってこない。
継承者に関係がなくとも、普通の感性ならば今スリザリン生と関わりたくないと思うのが当然だ。
校内はかつてないほど緊張感と恐怖が漂っていて、シャルルの肌もピリピリと震わせるほどだった。
「今日のあいつらを見たかい?揃いも揃って青い顔で震えて、情けないったらなかったね!」
「ロングボトムなんか、杖を取り出そうとしただけで転んでたわよね!本当面白いわ!」
「次の校長はもっとマシなのが来るよ。秘密の部屋が閉じられるのを望まない校長がね」
「ドラコのお父様がきっと推薦なさるのよね?」
「そうなるだろう。もちろん他の理事と意見を擦り合わせる必要があるだろうけど…」
「まぁ、もう既に理事たちを掌握なさってるのに、話し合いが必要なの?」
「ハハッ、当然さ。父上は人望を集めてらっしゃるが、独裁者ではないからね。あのダンブルドアとは違って」
「さすがだわ!」
パンジーに欲しい言葉を掛けてもらっているドラコは、得意げに顎を上げて胸を膨らませている。シャルルはウンザリとした溜息を抑え切れなかった。
暖炉前に集まっているが、話しているのはもっぱら二人で、シャルルは本を開き、ダフネは熱心に爪の様子を確認している。セオドールはそもそもいなかった。ここに集まるのは友人たちとの楽しいお喋りの場というだけでなく、小さな社交場の面もある。
特につい先日ルシウス・マルフォイがダンブルドアをとうとう校長職から追放したばかりだった。
そのおかげでスリザリンは絶好調で連日こんな話ばかりをしている。
ダンブルドアのことはこの上なく嫌いだったし、校長職を罷免されたのも、本来なら喜ばしいことのはずだった。……こんな状況でなければ。
あの日記帳は闇の品だとはいえ、リドルは16歳の少年の記憶だ。記憶に過ぎない少年によって、ダンブルドアはホグワーツから去り、教授方もダンブルドアも被害を止めることが出来ず、魔法省すら振り回されてハグリッドをアズカバンに連行していった。
シャルルが思うより大人たちは有能でなかった。いや、それ以上にリドルが類い稀なる存在なだけなのかもしれない。あのダンブルドアよりも。
そんな相手と真っ向から立ち向かうのでもなく、自ら手放した選択は賢いものだと思っているが、手放すべきではなかったのかと後悔や恐れもあった。
ホグワーツで見るに堪えないほど増長しているのは、スリザリン生だけではなかった。
ロックハートは生徒の引率、授業、ありとあらゆる盤面で得意げに自論を振る舞った。曰く、「私はハグリッドの異常性を早くから見抜いていた」らしい。以前から忠告し、今回逮捕したのも魔法省が彼の意見を重く受け止めたから、のようだ。
秘密の部屋の怪物も彼の手にかかれば赤子の手をひねるように簡単に討伐できるらしく、もう何も心配することはないらしい。
それを聞いたグリフィンドール生の激しい怒りの表情はシャルルでも「ひえ」と背筋が寒くなりそうなのに…。
彼は鈍感だとか、悪意に無頓着というレベルではないように思う。
スリザリンでは彼の言は呆れと辟易を持ってスルーされていたが、シャルルはだんだん、彼が日記を持っているのではないかとバカな邪推を抱いてしまいそうになった。
彼は教師で、ファミリーネームからして純血ではない。
なのに彼が抱くべき感情がまるで見えないのだから、疑いたくもなるというものだ。
まさか本気でリドルの駒になったとは思わなかったが(それにしてはあまりにも振る舞いが杜撰なため)、尚更本気で理解がしがたい。
スリザリンや純血へアピールするためでもないし、ハグリッドに個人的な確執があるほどには復讐心や残虐な優越感が滲んでいない。事態が解決したと思い込んで純粋に喜んでいるというには、まるで自分の手柄だという得意げに溢れている。
彼がリドルの味方であるという可能性を排除すると、狂人であるか、救いがたい愚か者であるということになる。おそらくどちらもなのだろうとシャルルは結論づけた。
期末試験が近づいたある日、暗く淀みきっていたホグワーツに明るい知らせが齎された。マンドレイクが収穫期を迎え、今夜にでも被害者を蘇生できることになったのだ。
その瞬間大広間には爆発のような歓声が轟いた。ほとんどの生徒が叫び、立ち上がり、魔法を打ち出す生徒までいる。スリザリンの席はつまらなそうに白けきっていたが、マグルの血が混ざった半数の生徒は、安堵した表情を見せていた。
シャルルも喜びを滲ませ、青い目をきらきらと輝かせていた。自分の中心から湧き上がってくる安堵が無視できないほど大きく、本心からのものだと分かっていた。
マグル生まれと積極的に関わりたいとは思わないし、石になった生徒に心を砕くつもりはまったくない。ただ学年の初めの頃のように、マグル生まれの魔法族が被害に遭ってもどうでもいいとは思えなかった。
これが…この感情がどういうものか、この感情が自分の信念に関わるものか、どう理屈づければいいのかシャルルにはまだ困難だった。
かつてなく浮き足立つ校内の雰囲気にドラコは気に入らなそうに、高い鼻に皺を浮かべていたが、スリザリンの全てがそうではない。
純血だって常にピリピリした空気に晒されていると気が滅入るし、敵意を向けられるのもウンザリする。
横に並んでいたダフネは「ようやく平穏が戻ってくるのね」と薄く息を吐き、小声でシャルルに微笑みかける。
「こんなこと大きな声で言えないけど、この一年ずっと過ごしにくかったもの」
「たしかに、嫌われようがすごかったわ」
「あら、あなたはそんなこと気付きもしてないと思ってた」
悪戯っぽく言われて肩を竦める。
「そのわたしでも気付くんだからよっぽどってことよ。あなたは特に滅入ったでしょうね?なにしろ、穏健派のダフネだものね」
お互いにからかい、ぷっと吹き出す。
ダフネはスリザリンの中でも穏健だと周囲には思われている。その認識は正しいが、もっと正確に言うなら、ダフネは自分が心地の良い空間で心地よく過ごせればそれでいいタイプだった。
だから、何も関係がないのに針の筵にされたこの一年はダフネには苦いものだったのだ。
シャルルはそんなダフネの性質を理解していながら、寄り添うことをしなかった。思い至らなかった。継承者やリドルに夢中だったから。
後から後から、どんどん自分の至らなさに気付く。
ダフネはシャルルのことを気にかけ、けれど邪魔をすることもなくずっと見守ってくれていた。
「ダフネ、今年も泊まりに来るわよね?」
「ええ。いいの?うちじゃなくて」
「折れることにするわ。湖のほとりでティーパーティーしましょうね。箒で散歩するのもいいし、あとダイアゴン横丁にも行きたいわ。さすがに今年はわたし達で出かけるのを許してくれるはず」
「ふふっ、いいわね。今から楽しみだわ。パンジーたちも呼ぶの?」
「あとからね。それかパンジーの家にお招きされるかもしれないわ。でもとりあえず、最初はグリーングラス家だけよ。いつも通り」
「きっとよ。休みくらいはいつもの顔と離れていたいし」
「やだぁ、ダフネったら」
「そうでしょ?誰が休暇でまでマルフォイのあの長ったらしい自慢を聞きたいと思うの?」
さらに声を顰め、横目で見ながらダフネが辛辣なことを囁いた。彼女は穏やかだが、時折結構鋭いことを言うし、何故かは知らないがマルフォイには特に評価が厳しい。
シャルルも声を潜めて、クスクスと笑った。
だが、ひと時の明るさは一日も保たなかった。
授業終わり、雑談に興じる生徒たちの上を拡声されたマクゴナガルの怒声が駆け巡った。
『生徒は全員、それぞれの寮にすぐ戻りなさい。教師は全員、職員室に大至急お集まりください』
ハッ、と周囲を警戒するように見回し、生徒たちは自然と恐怖を浮かべて顔を見合わせる。マクゴナガルはいつにも増して厳格で、張り詰めていた。今にも糸が切れそうなほどに。
今年で何度もマクゴナガルのこんな声を聞いている気がする。
この声だけでマクゴナガルの強ばった顔がパッと思い浮かんだ。
彼女の極度の緊張を固い理性で必死に抑え込む石のような顔は、激しい激怒のようにも見えたし、青ざめた能面のようにも見えた。なんにしろ、その緊張は押さえ込もうとすればするほど周囲に伝播する類のものだった。
シャルルの背中にも緊張と不安が走る。
もしかしてまた襲撃が?
でももう、マンドレイク薬はできるはずだし。…
生徒は至急談話室に集まるよう呼びかけられた。実質的な避難だ。スネイプもいつにも増して鬱々と闇が深まっているように見えた。
生徒がまた一人犠牲になったらしい。今回の犠牲は、石ではなく、秘密の部屋に連れ去られた。被害者はジニー・ウィーズリー。
『彼女の白骨は永遠に秘密の部屋に横たわるだろう』と継承者からのメッセージが遺されている。
淡々と語られたその被害の事実を一瞬理解出来なかった。遅れてシャルルの頭皮にジワッと鳥肌が広がる。
ジニー?
ジニーが怪物によって連れ去られた?
違う!
リドルだ。彼が操って秘密の部屋にジニーを連れて行った。乗っ取るために。
彼が戻ってきたのだ。
やっぱり、日記はジニーが持っていた。
スネイプがいなくなったあとの談話室はさすがにシンと静まり返っていたが、その空気を率先して気取った声が切り裂く。
「ハハ、滑稽だね!いつか僕はこうなると思ってたよ──血を裏切る者は、必ず粛清されるってね。穢れた血に、ダンブルドアに、血を裏切る者。ホグワーツから邪魔者が次々と消え去って、今年は実にいい年じゃあないか」
すぐさま追従したパンジーを皮切りに、クラッブやゴイルの鈍い笑い声が続き、スリザリン生の同調する声がポツポツと続いた。
シャルルは感情のままに咄嗟に激しくドラコを睨んだ。彼は実に楽しそうに笑いながら、「次に死ぬのは誰だろうね?」と唇を歪めていた。
そしてシャルルは「違う」と気付いた。
──彼女の『白骨』は永遠に秘密の部屋に横たわるだろう。
そうだ、おかしい。
白骨?だってリドルは自身の復活を望んでいて、そのために肉体を奪おうとしていたんじゃなかったの?
シャルルは脳内で渦巻く激しい疑問と違和感を整理するために、深く考え込みながら、ざわめく談話室に背を向けて足早に寝室に向かった。その背中を怪訝に観察するようなセオドールの視線が眺めていた。
ベッドに腰掛けて宙を睨む。
肉体を乗っ取るというのは、あくまでシャルルの推察に過ぎない。リドルはシャルルに血を捧げさせた。だから、ジニー自身の肉や血を捧げることで、リドルが復活を遂げる…というのは、矛盾がない…のだろうか?
血肉を捧げることによって、あの記憶の身体が物理的に受肉する?
ならなぜ、シャルルが血を捧げることに躊躇いがないというのも困る、と言ったのだろう?
なぜ霊体(?)としてジニーには姿を見せていなかったのに、操ることができたのだろう?
考えても高度すぎてシャルルには答えが出るわけがない。だがそもそも、という根本的な疑問にも行き着く。
なぜリドルはわざわざメッセージを残したの?
復活するなら、もちろん水面下で行動した方がいいに決まっている。今までジニーやシャルルを操っていたように。
始めのメッセージは恐怖を与える宣告として。今回のメッセージは?閉鎖に追い込むため?けれどリドルはシャルルが日記を手にした時からすでに粛清からは興味を削がれていたし、継承者としての目的も、閉鎖ではないはずだった。
サラザールの目的はホグワーツに相応しくない生徒を粛清することであって、閉鎖とは違うし、リドルはそもそもサラザールの意思を全うするために動いていたとは言いがたい。
彼は常に彼自身のために動いていた。
メッセージを遺すということは、そこに彼の意思が潜んでいる。
恐怖を与える?
支配をする?
…誘導する?
誰を?もういないダンブルドア?教師?マグル生まれ?シャルル?……ハリー?
ふと彼が浮かんだ。リドルがさり気なく、けれど常に気にかけていた少年を。
この状況で真っ先に動きそうな、正義感と行動力に溢れ、友人と友人の妹を傷付けられた、魔法界の英雄を。
T・M・リドルとよく似た境遇に育ち、T・M・リドルと同じ蛇語を操るハリー・ポッターを。
…もしかして、リドルがハリーを気にかけるのはそれが理由なのだろうか?自分と同じように彼が特別な血を持つと睨んだから?それだけで、粛清も復讐も投げ出して、こんなにあからさまな誘導を仕掛けたのだろうか?
理由は分からない。
けれど、ダンブルドアのいない今のホグワーツでリドルが誘導したがっているのは、ハリー・ポッターだとシャルルはほとんど確信していた。
自分と同じルーツを持つハリーを…新しい自分の身体にしたい……?
その答えが落ちてきた時、シャルルには奇妙な興奮と納得が静かに広がった。ああ、なるほど、彼の考えそうなことだ、とストンと思う。
半分のマグルの血を持ち、マグルに虐げられて育ち、半分の純血の血を持ち、サラザールの血を引く。彼は第二のトム・リドルをハリーに見出したのだ。