前編――『喫茶ポアロでガールズトーク』
喫茶『ポアロ』は毛利探偵事務所のすぐ下、つまり一階にある。
彼の名前をそのまま店の看板として恭しく掲げているわけだから、マスターはいわばその方面に関しては『マニア』とか『オタク』の部類だった。
当然、私とはよく話が合う。暇と金銭に余裕さえあれば、頻繁に足を運んでいた。カウンター席に腰を落ち着けて、熱いコーヒーを啜りながら語らうのが至福の時なんだ。
そんなわけで、このお店とは客としても個人としても懇意にさせてもらっている。
ところが、今日の私はだいぶ勝手が違っていた。
テーブル席にドカッと座り込んで、ひたすら暴飲暴食の嵐。
人類三大欲求の一つに従って、溜まりに溜まったストレスを解消しに掛かる。こうでもしないとやってられない。それぐらい虫の居所が悪かった。
ほんの一瞬思い出しただけでも身の毛がよだつし、腹が立つ。
「やっぱおかしいわ、この世界」
ひとしきり平らげた後で吐き捨てるようにそう言うと、向かい側に座る蘭が顔を引き攣らせて「うっ」と呻いた。
食いっぷりに唖然としたのもあるんだろうけど、すぐ後の第一声が世相を呪うような言葉だったから、こういう反応になっちゃうのも無理はないか。こんなことに付き合わせてるのがなんだか申し訳ないくらい。
「あ、荒れてるね、瑠璃ちゃん。もうパフェ三杯目……」
その前に梓さん特製のパスタも胃の中に放り込んでいる。
ダメだ、全然腹の虫が治まらない。
生クリームに突き刺さっていたスティックチョコを指の間に挟んで引っこ抜いて、先っぽを咥え込んでみる。
タバコに見立てた。
今世はもちろんのこと前世でも喫煙の習慣はなかったのに、なぜかそうしたい気分だった。後ろに深くもたれて脚を組み、しきりに貧乏揺すり。
今のアタシはすっかりやさぐれウーマン。
「あらあら! あの瑠璃ちゃんがここまで不機嫌になるなんて、珍しいこともあったもんねー」
がくんと気だるげに首を傾けたまま天井の一点を見つめていると、横から覗き込むように梓さんの顔が入り込んできて、私はぎょっと目を見開いた。
トレイの上には追加注文した四杯目のパフェが乗っている。
「うわわ!? ご、ごめんなさい!」
慌てて姿勢を正して、座り直した。
口に挿し込んだままの菓子をバリバリと嚙み砕いてさっさと飲み込んでしまう。
さすがに行儀が悪かったかな。
こうべを巡らしてみると、常連客の何人かが「今日の瑠璃ちゃんはどうしたんだ?」とでも言いたげにこっちの様子を窺っている。ばつが悪い感じがして、私はコホンと軽く咳払いした。
「別に謝らなくてもいいのよ。怒ったわけでも注意したわけでもないんだし! ねっ?」
梓さんは耳元でそう囁いて、私の背中を一発張った。
結構威力が強かったから、たまらず顔をしかめてしまった。
どういうわけか、彼女はやけにテンションが高かった。
いつも明るくて愛想の良い笑顔を振り撒く天使のような店員さんなんだけど、今日は妙に元気が有り余っているというか、舞い上がっているというか――素直に困惑するところだった。
何か良いことでもあったのかな。
前置き無しにまっすぐ訊いてみると――
「瑠璃ちゃんの意外な一面を垣間見たからよ。ほら、今日の格好、その髪型!」
え、アタシ――?
今日は白いシャツに黒のスラックスという格好だった。
少し髪が伸びたから、後ろをアンダーポニーで一本に纏めている。
梓さんに指摘されて改めて確認してみると、たしかに衣服が乱れていた。
ボタンが何個か外れてやや胸元が開いているし、捲った袖は左右の長さに統一感がなくて折り方も雑。無意識のうちに行ったのか、いずれもとんと記憶にない。
いつもはこういうルーズな着こなしはしないはずなんだけど、やっぱり服装と心は相互関係にあるみたい。内部の荒れ具合をそのまま外見に反映しているような気がした。
梓さんはそんな私をだらしないと思うどころか、むしろ歓迎している様子だった。
「見た瞬間ビビッと来ちゃってさ、今日の瑠璃ちゃん! なんだかヤンキー上がりのカッコいい大人のお姉さんってカンジ! 私の方が年上なのに!」
「え、ええぇ――??」
ひたすらはしゃぎ通す彼女とは対照的に、私はすっかり顔面蒼白だった。
なんだそりゃ。そんなガラの悪い客がテーブルを一つ占領していても良いのかな。
営業妨害になっていないか本気で心配になった。
改めて周囲を見回してみると、たしかに引き続き注目を集めている感じはあるんだけど、見る限りではおそらく怯えているというより興味ありげな視線がほとんどだったと思う。
え、需要あるの、コレ――?
「さっきの様子を観賞用にこっそり動画に収めようとしたんだけどねー、さすがにやめておいた!」
思い止まって正解だと思う。
店の従業員が勤務中にスマホを片手に客を隠し撮りしていた、なんて事実が外に知れ渡ったらちょっとした炎上騒動に発展するかも。まだ安室さんが来ていないとはいえ、米花町ではそこそこ評判の喫茶店として既に認知されているわけだし。
私個人としても、そのような行為はぜひご遠慮願いたいところだった。
ゆくゆくは園子の影響で怪盗キッドの大ファンになるはずだから――まあ、元々ミーハー気質なところがあるんだろうね。
「どーお、瑠璃ちゃーん? そのスタンスでウチでバイトしてみなーい? だいはんじょ……大人気間違いなしだと思うんだけどなぁ」
悪い顔だなぁって思った。
梓さんはニヤリとほくそ笑んで、猫撫で声で囁きながら肩にしなだれ掛かってきた。吐息が思いっきり耳元に掛かって、ぶるりと震えてしまった。
間近で見続けたいっていう個人的な願望もあるんだろうけど、それ以上に打算的な考えが働いているような気がした。
アルバイトのくせして商売逞しいというか。
大繁盛って言い掛けたでしょ、今――
私はチャームポイントのおでこに手のひらを当てて、迫り来る梓さんをぐいっと押し返した。
せっかくのお誘いだけど、丁重にお断り申し上げる。
「ざーんねん!
彼女は身を起こして、心底つまらなそうに嘆息した。
「そっかー、そういえばそうだったよね。じゃあ、名物客としてこれから頑張ってもらうしかないか」
私はあんぐりと口を開けて愕然とした。
ダメだ、どう足掻いてもこの人には勝てそうにない。何が何でも利用するつもりか。
それなりに人生のキャリアを積んでる『私』でさえ「この子はきっと大物になる……!」と泣きながらの敗走を余儀なくされている。
「あ、でもテーブルに足乗っけちゃったりしたらさすがにキレちゃうけどねー?」
「そ、そんなことするわけないでしょ!?」
梓さんがちょろっと舌を出してイタズラっぽく笑う。
そんな彼女に対して、私は声を上げて猛抗議した。反射的にテーブルを叩いて勢いよく立ち上がってしまう。
し、失敬な――!
まったく、アタシをなんだと思っているのか。
「る、瑠璃ちゃん、梓さん……!」
蘭が声をひそめながら身を乗り出して、私の手首の辺りをぴしゃりと叩いた。
今まで口を挟まず静観していたのに、いきなりどうしたんだろう。
血相を変えて厨房の方を指差している。
嫌な予感がして、恐る恐る蘭が指し示す先を目で追っていくと、憤怒に歪んだマスターの丸顔とぶつかった。目が光っている。軽くホラーだ。
それを見た私と梓さんは「うげっ」と乙女らしからぬ声を出した。
この後の展開が容易に想像できてしまった。
結局、二人とも軽い説教を受けた後で謝罪行脚に駆り出される羽目になった。
お騒がせしてすみませんでした、と客の一人一人に頭を下げて回る。幸いなことに寛大な人達ばかりで、気にするなとかいいもの見させてもらったとか、労いの言葉をたくさん頂戴した。
アタシと梓さんが掛け合いすると、ヒートアップして大体店内が騒がしくなる――
いくらかくたびれて席に戻ってみると、蘭が「おつかれさま!」と私達を出迎えてくれた。
「え、えらい目に遭った……」
「ごめんねー、瑠璃ちゃん。はしゃぎすぎちゃった」
「あー、大丈夫! 元はといえばアタシのせいだしね」
喫茶ポアロが誇る元気印の看板娘。彼女目当てで来店する客は非常に多い。
蘭や園子に対しては敬語混じりのいささかかしこまった口調なのに、私にはいつも砕けた感じで接している。
一応目上の人ではあるんだけど、交流を重ねるうちにいつしか私もタメ口で話すようになっていった。
こっちの世界の時系列は、今二十巻前後ってところかな。
その頃はまだ影も形も無かったはずだけど、まあ本編に登場していなかっただけで前々から籍を置いて働いてはいたんだろうね。さすがに野良猫の『大尉』はまだポアロに通っていないみたいだけど。
「いいかげん機嫌直さないとダメだよね、ほんっと……」
品のない振る舞いを反省してため息混じりに独り言ちると、今まで冗談めかして笑っていた梓さんが少し真面目な顔付きになった。
「でも、無理もないよね。コナン君からちょろっと聞いただけなんだけど、とんでもない目に遭ったんだって?」
「とんでもないどころじゃないわよ。
「ええぇ!?」
そこまでの情報はまだ耳にしていなかったのか、梓さんはすうっと青ざめて驚愕した。
この世界に身を落ち着けて生活を営む以上、それ相応の覚悟はしていたつもりだったんだけど、ついにその時が来てしまった。
そんな悪い意味で有名なヤツが相手だっていうのに、例によってポンコツの『私』はほとんど最後の方まで事件の概要を思い出せなかった。
おかげで私は多大な苦労を強いられる羽目になった。
顔色を窺うように、おずおずと蘭が尋ねてきた。
「でも、本当にいいの、瑠璃ちゃん? 私もまだ詳しくは知らないんだけど、思い出したくないなら無理に話さなくてもいいんだよ?」
私はひらひらと手を振って応えた。
「あー、だいじょぶ! 誘ったのはアタシの方だしね。愚痴ついでに色々吐き出したい気分だから」
「私もできれば一緒に聞きたいところなんだけど、まだ仕事中だから。じゃあ、二人ともごゆっくり!」
踵を返していく梓さんを見送った後で、私達は改めて向き直った。
「じゃあ、お願いできる? 瑠璃ちゃん」
「おっけー」
蘭に促されて、私はぽつぽつとあの日の忌まわしい出来事を語り始めた――