すっかり日も陰り、午後の光が薄れ、辺りに夕暮れの気配が漂い始めた頃、ステンドグラスの窓から漏れるオレンジ色の光を浴しながら、俺は黒い軍服に身を包み、自身に与えられた部屋を眺めていた。
白亜の大理石の壁には、深い藍色の重厚なカーテンと同色の絨毯が彩りを添えている。壁には精緻なモールディングが施され、ヴィクトリア朝の優雅さを思わせる。巨大な本棚には革装の古書や航海日誌が整然と並び、その横にはマホガニー材の荘厳な振り子時計が、静かに時を刻んでいる。備え付けられたバルコニーからは、マルタの海を見下ろす穏やかな光が差し込んでいた。
壁を飾るのは、ブリタニアの栄光を讴歌する絵画だ。トラファルガーの海戦でネルソン提督がアイリス艦隊を打ち破る場面や、伝説の騎士アーサーが聖剣エクスカリバーを掲げる姿。さらに、第一次セイレーン大戦でロイヤルの艦船が波濤を切り裂く雄姿が、夕暮れの光に照らされてどこか神聖な輝きを放っている。
備え付けられた銀のベルを鳴らせば、給仕役のマンジュウ達が数分で優雅に軽食を運んでくるだろう。つい先ほども、濃厚なミルクティーと、バターの香るスコーンにクロテッドクリームとジャムを添えた一皿を堪能したばかりだ。ティーカップと皿が、繊細なロイヤルブルーの模様が施されたテーブルクロスの上にそのまま残されている。
至れり尽くせりな環境。
ロイヤルの貴族の館を思わせる内装の部屋が、自身に与えられた私室であることを再確認する。つい2年程前に過ごしていた安宿の軋むベッドとは比べ物にならない、柔らかなクッションの詰まったアームチェアに身を沈める。
「いや…ないわー…」
アームチェアの柔らかなクッションに身を沈めながら、俺は改めて部屋を見渡した。いや、その…いくらなんでも、これは……ロイヤルの貴族感丸出し過ぎだろわざとやってんのか?
つい数週間前まで、俺がいた鉄血の基地の部屋はもっと質実剛健だった。黒と赤を基調にした無骨な内装、鉄の匂いが漂うような武骨な家具、壁にはジークフリートやルックナー伯爵の戦歴を刻んだ飾り額。そこに比べ、このマルタ基地の私室はまるで別世界だ。ステンドグラスの窓から差し込む夕暮れの光が、藍色の絨毯に金の刺繍が施されたカーテンを照らし、マホガニーの家具がまるで紅茶の香りを漂わせるかのように部屋を支配している。
「いや、皮肉すぎない? 何この内装……?」
思わず口に出してしまった。改めて部屋を見渡せば、どこからどう見てもロイヤルの貴族そのものだ。壁の絵画には、さっき確認したネルソン提督やアーサー王に加え、エリザベス一世がスペイン無敵艦隊を打ち破る場面までが誇らしげに飾られている。鉄血の英雄たちの勇姿が並んでいたあの部屋とは、まるで正反対。こんな部屋に着任するなんて、誰が想像しただろうか。
「よりにもよってエリザベスって…アイツ…」
ため息をつきながら、頭に浮かんだのは勿論リットリオだ。間違いなくアイツの差金に違いない。イオニア海戦が終わった後のパーティで、紅茶片手にエリザベスとジョン王——そう、ロイヤル史上最もあの無能とされたジョン欠地王の名前を並べ。
「元々このパーティーは純粋な祝勝会というよりは国内外に反ロイヤルの姿勢を見せつけて我々の立ち位置を明確にして、貴族や軍人に自分達はレッドアクシズと一蓮托生だと自覚させる目的があったんだ。とはいえ少しやり過ぎたと私も思ってはいるよ……あっ、クッキーでも食べるかい?」
なんて言っていたのを思い出す。一応ロイヤルとは協調路線になったとはいえレッドアクシズの仮想敵である事には違いない。きっと今後この部屋で取材を俺に受けさせながらインタビュアーに戦利品の様に威圧感を与えろとでもそれとなく示された様に感じてしまう。
「イラストリアスとグレンツェンの部屋なら別にいいが……後でリフォームでも考えようかね」
だって落ち着かないもん。前の私室が恋しい。部屋ってのは何というか自由というか…休む場所じゃないとね。
「あっでもベッドはすっごいふかふか…これだけはそのままにしておくか」
独り言を呟きながら、俺はアームチェアから立ち上がり、バルコニーへと足を向けた。マルタの海風が、部屋のロイヤル風の気品を一瞬だけ薄めてくれる。だが、背後の部屋は相変わらず、まるで宮殿の書斎のような雰囲気を放ち続けていた。
あぁほら今も変わらずネルソン提督やアーサー王に首だけひょっこりと出してこちらを見つめている……って。
「よっ、久しぶり」
唐突な展開に絶句している俺を尻目にシュモクサメの様な巨大な艤装に跨った少女……最早因縁すら感じるセイレーン。ピュリファイアーがニタニタと笑いながら、こちらを覗いていた。
「どっから入ってきとるんじゃ!?」
思わず大声を出してしまった。慌てて近くにいるはずのマンジュウに目をやれば苦しそうにピヨピヨと鳴きつつ猿轡状態で全身を縛られている。感傷的にバルコニー云々なんて考えていたが、まさかコイツが来るとは……。
「あれ?思ってたより驚いてなくない?前なんてもっと愉快に驚いてくれたのに」
ピュリファイアーは不満そうに口を尖らせる。ボディの再生云々と過去に彼女が言っていた以上、たとえ殺したとしても意味はないとは分かっていたが…なんというか、こう……ダメだろ!
最後の介入とか最終決戦の様なやり取りをしておいて当たり前の様にひょっこりと顔を出した事実に色々と台無しだ。今生の別れ的な雰囲気を醸し出していたのに、この気安さはなんなんだ?
「いや……まぁ、うん。とりあえずその艤装は仕舞ってもらっていい?ここ室内だから後今すぐマンジュウを解放しろ。撃たないように言っておくから」
俺はピュリファイアーの艤装を指さして言ったが、当のかのしは全く意に介していない様子で小首を傾げると勝手に部屋に入り込み、机の上にあったクッキーを勝手に食べ始めた。
「いや、あのなぁ……人の話聞いてたか?」
いや、そもそもこのセイレーンは人間の話を聞くようなやつだったか?と今更ながらに思い至る。だがそんな俺を無視してピュリファイアーはクッキーを頬張るとそのままバルコニーへと出て海を眺め始めた。それ鉄血から持ってきたお気に入りのクッキーなんだが……。
「おいおい」
呆れながらバルコニーに近づくと、ピュリファイアーは海風に髪をなびかせながら潮の匂いを堪能していたようだ。コイツにセイレーンだとか人類の敵なんて言われてもまるで説得力が無い。まぁこいつが今更俺を害するならもっと上手くやるだろうから今回は純粋戦闘以外の目的地で来訪したんだろうと頭の中で色々と算段してみせる。
「それで何しに来たんだよ?」
俺は彼女の横に並びつつ問いかける。彼女はこちらを見ずに水平線をぼんやりと眺めており、いつものようなハイテンションな様子は見られない。
「一つだけ。あの後さー、君らを観測してたんだけど、どうしても分からん事があって聞きにきた」
あっけらかんと彼女は切り出した。
「色々とこっちは鉄血に関して何千、何万、何億と観測してるのに初めての経験でさぁ。気になってオブザーバーに聞いたら直接聞けば分かるなんてニヤニヤしながら言われてイラっとしてこうして聞きにきたってワケ」
イラッとしたのかクッキーをひと摘みすると口に放り込み、指をぺろりと舐める。
俺はと言うと「あぁ…アレの事か」と思わず納得しながら、ピュリファイアーが疑問に思うとある研究を思い出す。それは鉄血の軍事費ではなくビスマルクや俺達個人のポケットマネーで行っている研究。側から見ると馬鹿らしい研究内容かもしれないが、彼女なりに気になったのだろう。
────なんで、死ぬための研究なんてするの?
ピュリファイアーが心底不思議そうに問いかける。好奇心や呆気。驚きなども含めつつ、その表情はどこか困惑の色を滲ませていた。
白状してしまえば、ビスマルクが行っている研究はkansenを老化させる為の研究だ。kansenは全ての兵器を過去にしたと言っても過言ではない存在。その理由の一つが彼女達は一切老ける事がなく、誕生すればその美貌のまま生涯を終える事になる。
そう、彼女達は不死ではないが不老なのだ。寿命こそあるらしいがその美貌は一生失われず、常に全盛期の姿で戦い続ける事が可能。永久に老いず、成長せず、進化せず、変化しない。それが戦乙女たる彼女達に約束された特権であると同時に……呪いだ。
「馬鹿だよ。君ら馬鹿だよ」
「だろうね」
ピュリファイヤーの罵倒も甘んじて受け入れるしかない。ただ、この研究をビスマルクが……俺との間に産まれた子を抱きながら皆に語った際。俺も含めて全員賛同した。
試しにサディアや北方連合の指揮官達に声をかければ既婚者である夫婦達もまた是非手伝いたいと協力を申し出てきた。それ程までに人を愛する道を選んだkansen達にとって「老いる」という選択肢は渇望する夢だったのだ。
「ピュリファイヤーは知ってるかもしれないけどさ。kansenと人間の間に産まれた子供達ってある一定の年齢になれば一切成長する事は無いんだ。そしてその年齢は何歳に止まってしまうのかも分からない」
年齢一桁で成長が止まるハーフもいれば、二十代半ばで一切成長が見られなくなったハーフもいる。後者はまだいいが、前者ともなると……人間社会に属する事は難しいだろう。
「だから子供達の為に老いる為の研究を……じゃないでしょ。それなら年齢、肉体を二十代で固定化する研究にすればいい、なのにさー!アンタらはさーー!」
頭を掻きむしるピュリファイアーは怒りとも困惑とも取れる表情を張り付けている。その顔がなんとも面白く、少しだけ頬が緩んだ。
「珍しいね?セイレーンに正論吐かれるとは思わなかった」
そう俺が冷やかすように言うと、更に頭に血が昇ったのかピュリファイアーのほっぺたがプクゥっと膨らんだ。
「もういい!分かんなくていい!あーやだやだ!何?何なの?愛する人と一緒に歳取りたいとかセンチメンタルな理由で!?なんで老化を選ぶの!?kansenとして与えられたギフトを放り捨ててまで!?意味不明なんだけどなー!!!」
同じ時間を生きる為に、同じ時間を過ごす為に。子供達にはある一定の年齢になった時に選択させる予定だが、研究が完成すればグラーフ達は全員老化をする為の薬を服用する予定だ。
彼女の言う通りそれならば俺の若さを延長する研究や不老不死のための研究をすればいいし、わざわざ老いて死ぬという選択をする理由がない。
だが、俺達は不思議と老いる事を求めたんだ。死への恐怖はあると言うのに。全盛期の身体で戦えなくなるというのに。そこに理論や理屈はなく、ただそういった選択も有りなのだという一種の肯定感。それが何よりも合理的じゃない理由なんだと悟った時……「至極真っ当な決定」として受け入れられた。
まぁ、色々言い訳や屁理屈を固めてみたけど一言で言えば。
「愛、それが理由かな?」
「あっそ」
ピュリファイアーは俺の言葉を聞き終わるとそのままバルコニーの柵から海へと飛び降りる。そしてそのまま水面にドボンと落ちていく。シュモクサメ型の艤装を展開させれば睨むようにこちらを見上げ、この距離からだと言うのに彼女の声が脳に届く。
「はー惚気うぜぇ……わざわざくるんじゃなかった…」
「試しにお前らも一旦破壊とか殺戮とかせず、色恋とかにうつつ抜かしてみたら?意外と楽しいよ?」
「……異種同士の受精卵の交配実験くらいこちとら何度もやってるわ。科学的アプローチはとっくに飽和してんの!だからこっちは色々実験してるっつーのに…」
ぶつぶつと文句を言うピュリファイヤーに俺はカバンを開くと焼き菓子の包みをバルコニーから放り出す。弧を描く様に飛んでいく菓子の包みにピュリファイアーは一瞬だけ驚いた様な表情を浮かべると、次の瞬間にはニッコリと笑ってみせる。
「またくるからさぁ!その時に実験の進展を聞かせてもらうからね!今度は惚気以外も聞かせてほしいよ!」
ピュリファイアーがそう言うと同時に彼女の身体が水面に沈む。水しぶきと共にその身体は海へと消え、俺はただ彼女が消えた海面を眺め続けていた。
「またあの焼き菓子、取り寄せないとね」
きっちりと焼き菓子を胸元にキャッチしたピュリファイアーを思い浮かべながら、申し訳なさそうなマンジュウの頭を撫で、それはそれとして警戒網を新調するようにビスマルクに後で連絡を入れようと心に決めるのだった。
壁一面に書棚が並び、エアコンで快適な室温に保たれた執務室。鉄血らしい無骨な黒と赤を基調にしたこの部屋は、私室を兼ねている。かつてはただの殺風景な空間だったが、今は少し違う。書棚の隙間には我が子の愛らしい笑顔を捉えた写真や、夫と並んで立つ私の姿、家族の皆で誕生日を祝った時に撮ったスナップショットが飾られている。独身時代に比べれば、この部屋の硬質な空気もいくらか和らいだはずだ。
「にゃぁぁ〜〜♪」
どこからか迷い込んできたネズミ捕りの黒猫が、ベッドの上で丸くなってゴロゴロと喉を鳴らしている。気にしてはいけない、と思うが……本音を言えば、膝の上に乗せてその柔らかな毛並みを撫でたい衝動に駆られる。だが、今は勤務中だ。誘惑を振り切り、折り畳まれたファイルのページを一枚ずつチェックしていく。
「さて……誰にしようかしら?」
手元のファイルには、卒業したばかりの新人指揮官たちのデータが並んでいる。メンタルキューブ適正を持つ者は数百万分の一の確率でしか現れない、まさに鉄血の宝だ。彼らのデータを見ながら、私は新たな艦隊の指揮を任せる為の候補生のリストを眺めてきた。
それまではアズールレーン。いや、ロイヤルとの戦争もあって緊張状態の中、国家を守る為の人材を任命していたのだが戦争は終わった。今必要な人材は優秀な指揮官としての素質もだがそれ以上に他陣営との連携を円滑に取る事ができる柔軟さ必須となっている。
特に、二年程前まで敵陣営であったロイヤルへの敵愾心をもつ者は決して少なくはなく、それが人材選定の難易度の高さに拍車をかけていたのだ。
最も、戦時中に私も含めた上層部はプロパガンダによりロイヤルへの敵愾心を煽りに煽ったのが大元な要因でもあるのでこればかりは自分達のせいだと受け入れる他ない。戦争で生じた関係の溝は今もなお深く残っている。
「まぁ……このリストから選ぶなら……」
私はファイルに綴じられた写真を見ていくが……やはりピンとくる人物はいないなと思うと同時にため息が出る。やる気があるのは充分。素質も問題ない。性格面に於いても恐らく彼らは共産主義者である北方連合の軍人相手でも笑顔で交友を深められるだろうと太鼓判を押せる善人ばかりではあるが、ロイヤルは例外として概ね嫌っている人物ばかり。
難しい。本当に難しい。いっそマルタ島で勢力を広げつつある旧エリザベス体制に批判的なネプチューン派と彼らを交友させる必要があるかも知れないなと机上の空論を膨らませればその瞬間、部屋の扉越しからコンコンとノック音が。
「あぁ、好きに入って頂戴」
私が声をかけるとガチャリと音が響き、扉は開く。不用心かもしれないが、私の執務室には網膜センサーと静脈センサーを設置しており、どちらも突破しなければ部屋に入ることすら不可能。この二つの仕掛けを突破出来るのは上層部の人員か鉄血kansenの幹部くらいなのだから。
(ふふっ♪ ビスマルクさん? 網膜センサーは対象者の目をくり抜けば突破できますし、静脈センサーもその人の指を持ってくれば扉も開くので油断は禁物ですよ♡ )
……一瞬ローンから放たれた過去の物騒な発言が、記憶の海からサルベージされたのだが即座に沈めて、ため息を吐いてしまう。これで二度目だが、ローンは一切変わらない。だが、彼女は実はロイヤル陣営のkansenと裏表もなく純粋に善意で笑顔で握手できる数少ない人材だ。彼女の力を借りる日もそう遠くはないだろう。
「にゃ〜?」
そう言えば、この欠伸をしている黒ネコは、ここまでセキュリティを強化している私の勤務室にどうやって入ってきたのだろう?
この二年間追加で何度もこの子について調べたが、盗聴器やマンジュウの様な知性体という訳でもなく結果は全て白。どれだけ最新鋭のセキュリティを作ろうとも、いつの間にかすり抜けて入ってくる。まるで……幽霊のような不気味さがあるのも事実だ。
「黒猫、か」
私は余り迷信の類は信じはしないが、黒猫は不吉の象徴と噂されている。この黒猫もまた、そう言った迷信を助長させるかのような……不吉な存在なのだろうか?
「安心しろビスマルク。黒猫は重桜では幸運の象徴とされてるそうだ」
背中まで届く銀髪を無造作に伸ばし、こぼれ落ちそうな胸元を見せつけながらマントを羽織った女性。鉄血海軍の幹部であり、今では鉄血最強の航空母艦kansen。通称『黒衣の狩人』として歴史にその名を刻んだ、グラーフ・ツェッペリンは近くの椅子に座ると気怠げに口を開く。
だがその身に纏っているのは以前のような気崩した軍服ではなく妊婦用のゆったりとしたマタニティドレスだ。実用性と動きやすさを第一に考えた結果、そのドレスは彼女の動きに合わせて裾が揺れている。
「ソイツは卿と我等が出会う前からここに居着いている。だとすれば間違いなく幸運の象徴だろう」
ふっと表情を緩めつつ彼女は黒猫の頭を撫でると、グルグルという音と共に気持ち良さそうな喉の音を鳴らす。撫でられた黒猫も心地良いのかゴロゴロと喉を鳴らしながら尻尾をゆらゆらと揺らす。
私はその光景を見て、つい苦笑してしまう。グラーフの表情は二年前と比べ穏やかな物になっている。瞳に厭世と虚無は最早なく、無意識に撫でた彼女の腹部は大きく膨らんでおり、すくすくと育っているのが目に見えて分かる。
彼女は第二子を妊娠中だ。世界最強の空母という異名も彼女にとっては埃の被ったトロフィーに過ぎない。世界に向ける憎悪と諦観ではなく、愛する家族と最愛の夫に向けられた愛慕は彼女を冷酷な死神から母親のそれに変えたのだ。
「そう、ね……それでグラーフ。要件は?」
「明石経由で連絡が入った。どうやら秘密裏に重桜がレッドアクシズへの加入を希望しているらしい」
グラーフは明日の天気でも話すかのような軽い口調で言ってみせるが、それは極めて重要な情報だ。アズールレーンに今も所属しつつ、第三陣営ともいえる北桜同盟を立ち上げた極東に位置する神秘の国重桜。海軍力としては鉄血をも凌駕しかねないこの国の加盟申請は新たな火種となりかねない。
「分かったわ、その件はこちらで対処する。と、言っても……現状重桜が、あの長門が世界に緊張と混乱を齎す事をするとは思えないわ」
「同感だ。恐らく加入理由はロイヤルやユニオン。ましてや東煌対策の防衛協定の樹立ではなく、北方連合との関係を強化する為のもの」
「同盟が破綻し、北方連合が重桜と敵対した途端。欧州からレッドアクシズが雪崩れ込み。二正面作戦となって北方連合が崩壊する最悪のシナリオが産まれかねない。それを防ぐ為には北方連合はイデオロギーを乗り越えて重桜と手を結ぶほかない、か」
私達レッドアクシズを交渉の道具として長門は……いや、ソユーズも含め利用するつもりなのだろう。宗教国家の重桜と共産主義国家の北方連合。世界に『極東情勢は複雑怪奇』とまで驚愕されたこの同盟は今でこそ良好な関係だが、将来的に破綻する事は目に見えている。
だからこそ2人は自身の目が明るい内に同盟関係を良好にするのではなく、同盟関係の破綻によるデメリットを敢えて被る事で存続させるつもりだろう。
互いに嫌いな相手ではあるが、手を組まなければ大きな不利益が産まれる。ならば多少は目を瞑り、机の下で足を踏み躙り合いながらも握手を続けられる状況を構築する。それがこの同盟関係のスタンスであり、長門とソユーズが目指す未来予想図なのだろうか?
「不服か?」
「レッドアクシズが利用されている以上当然ね。その分、長門達にはクルジス・エルサレム関連でもう少し『便宜』を測ってもらう事で帳消しにしましょう」
指を一本ずつ折って必要な条件をリストアップしていく。北桜同盟は戦争終結のアシストをしてもらった仲ではあるが、唯一無二の友人でもなければ、頭を垂れる関係でもない。長門は恐らく対価を用意しているはずだがギリギリのラインを見極めなければ。
戦争が終わっても世界は再び一つになる事はなかった。アズールレーン、レッドアクシズ、北桜同盟の三つの勢力に別れたゼロサムゲームの始まり。軍備拡張とブラックキューブを元にした抑止力を片手に冷たい戦争が再開しつつある。
「安心しろビスマルク」
重桜との交渉を脳内で想像しているとグラーフは穏やかな口調でそう言ってのける。それは何の確信があるのか、と私が無言で彼女を見つめるが瞳の奥にあるものは信頼、期待、そして愛情。
「我らが愛する卿を世界各地に振り回せば何とかなるはずだ。彼の知名度と性格は戦場ではなく戦後のテーブルでこそ発揮される……だろう?」
「……随分と期待しているのね」
「当然だ。卿は既に磨けば光る原石でもなく、幼い雛鳥でもない。大空で力強く羽ばたかんとする大鷲だ」
一片の狂いもない純粋な信頼と期待。少し妬いてしまいそうになる。私だって彼の事は愛しているが能力面や過去の失態によって常に評価を慎重に行わねばならない立場だと言うのに、グラーフは全面的に彼を信頼している。
嫌な気分ではないが敗北感に襲われそうだ。琴線に触れた彼を基地司令として任命したグラーフの決断は私達の輝かしい未来に繋がったのだから。
もし、あの日。グラーフの意見を却下していれば。
もし、あの日。サディアに彼を送らなければ。
もし、あの日。彼がオブザーバーを各国から招集するという提案したければ。
きっと、私達の戦争はまだ続いていただろう。
「……さて、そろそろ行くとするか……この腹で余り周囲を出歩くなとヒッパーにも叱られている身なのでな」
「身体に気をつけなさい。それと、そろそろ彼もマルタ基地に着いた頃だから通信設備は自由に使いなさい。本当は私も向かいたいけど公務と引き継ぎで忙しくて」
「……ティルピッツの目が死んでいた。引き継ぎ作業に勤しむのもいいが子供にかまけてないで妹も構ってやってくれ。最初の引き継ぎ作業のパンフレットを見た瞬間絶句していたぞ」
「えぇ、善処するわ」
グラーフが椅子から立ち上がるとその腹部は大きく膨れており。私は思わず彼女の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせると彼女は少し驚いた表情を見せる。
「……どうした?」
「いいえ……ただ……」
私の脳裏には2年前の戦いの光景が浮かぶ。ただ鉄血救うためにがむしゃらになって歩んでいた日を。自分の幸せな事など考える余裕もなく、ただ責任感と焦燥感に背中を押されていた日々を。
「───我が同胞のために鉄血の力とならん事を。なんて言っていたのに、今じゃ貴女も幹部ではなく私の家族の一人だもの。少し、嬉しくなっただけよ」
私はグラーフの手を取り、膝を突きながら彼女をそっと抱き締める。大きくなった腹部の感触を指先で感じると同時に私の目から涙が零れたのを感じる。相変わらず涙は止まってくれず、また泣いてしまったと内心自嘲気味に笑うとそのまま頭を優しく撫でられてしまう。
「もう、悔やむな。もう、悩むな。もう、我慢するな。シュペーも、ヒッパーも。ヴェネトもガスコーニュもリットリオもイラストリアスも……我と卿もお前と共に歩む。例え道に迷おうと、皆がお前を導くだろう」
「そう、ね……陣営代表も引退して、母として私は……幸せよ」
「当然だ。誰が……誰がお前を見捨てるものか……」
その一言で私は救われ、今度こそ涙は止まったのだ。もう俯いて歩く事はないと確信する程に今の自分は充実していると胸を張って言えるのだから。
『ビスマルクさん? そろそろ時間ですけれど……』
インカム越しにZ23の声が聞こえてきて我に帰るが既に時計の針は大きく進んでおり、予定していた時間が迫っている事に気付くと慌てて立ち上がる。
「二年前の約束よ。今夜は一杯奢るわ」
「我は妊婦だぞ…だがまぁ、酒以外なら構わん」
互いに軽口を叩きながら笑い合い、私は執務室から出る。全てはあの頃とは比べ物にならないくらい良き未来を歩む為に。愛する家族と共に過ごす未来を確かなものにする為に。
その日、黒猫は姿を消した。
まるで自分の役目は終わり、と告げるかのように。姿を消したのであった。
「さて、卿よ…本日よりはアズールレーンとの共同作戦だ、抜かるような真似は…しないとは信じているぞ?」
「ったく、バカヴァイス!用意が遅いっての!さっさとしなさい!」
「わかってる、わかってるからちょっと待ってくれ…昨日があれで忙しかったんだから仕方ないだろう!」
「ふふ、昨日も頑張ってくれていましたものね?」
「全く…今日がこんな日だと言うのに、元気すぎるのも困りものね?」
「…指揮官に関しては、皆のせいじゃないかな…?」
「主の昨晩の睡眠時間はごく僅か、皆、もう少し労るべきだと思う…よ?」
「…まあ、久しぶりの大規模作戦なのよ、こうしてしまうのも仕方ない所はあるとは思うわ」
「だからと言って、皆様も激しすぎかと思いますが…ええ、まだ前線に出れない私が言っても仕方のないことではありますが」
全員が全員、好き勝手な発言をしているのを聞きながら…ようやく準備ができた。
「よし、準備完了…ごめん、待たせた」
「ならば行こうか、他の面々を待たせるのも良くないだろう」
「ほら、さっさと行くわよ!あれこれ言われるのは私達なんだからね」
「うん…それじゃ行こっか。ヴァイス」
「ふむ、しかし……こう並ぶと、壮観だな?」
「…そうね、これもまた、彼の行動の結果の一つ、なのかしら」
「主の頑張りが、今につながってる…うん、そうだね」
「では、私とイラストリアスは後方にて支援と待機となりますね」
「…いってらっしゃいませ、皆様方…ご帰還をお待ちしていますわ」
「うん、ありがとう…それじゃあ、各員前進…出撃!」
レッドアクシズに一人の指揮官が着任する
指揮はダメ、身体はモヤシ、メンタルも脆いとダメダメ尽くしの鉄血軍人
ただ運は10、悪運だけは90もあるしぶとい男
これはそんな鉄血のひよっこ指揮官(20歳童貞)が皆に支えられ、時に怒られ、時に皆を巻き込み、上司であるビスマルクの胃を破壊しつつ
――そして英雄になるまでの物語である
√鉄血→レッドアクシズ
『紅の旗の元に』END
あとがき
これにて今作『鉄血の旗の元に』は完結となります。4年もの長きに渡り連載を続けさせて頂いたのはひとえに応援してくださった読者の皆様方のお陰、本当に感謝しても仕切れません。
今作は某サイトにて行われたダイススレを作者様の許可を得た上でノベライズをしたものであり、そのほぼ全ての内容はダイスロールによって展開されたもの。それらを肉付けしていったものがこの作品であり、結果としてここまで長期になるとは……連載中に次々とアズールレーン本編のシナリオも展開されていき、例えば本作では未成扱いされたクレマンソーが本格登場するわ、レッドアクシズとアズールレーンの戦いが事実上終結するわ、ビスマルクや天城が本格復活するわと驚きの展開ばかり。執筆時期の頃はまだ史実再現シナリオ中心の展開でしたのでゲーム内と比べて少し違う所もある反面、モナークとネプチューンがイベントに登場しロイヤルへ上層部への不満を口にするなど偶然今作とリンクしてしまう展開もあって驚きを隠せません。
今作の後の世界は恐らく世界は三つに分割されて存続していくことになるでしょう。史実枢軸国陣営と史実連合国陣営。そしてソ連と日本にエチオピアやオスマン帝国も加わった面々中心に歩むことになり。
最終的に私設武装組織ソレスタルビーイングによって統一を…なんて事も(恐らく)なく、全ての世界が手を取り合って笑顔になる世界ではなく、三陣営が冷戦によるゼロサムゲームが続く緊張が続く世界。ピュリっちからの「備えろ」という警告により各陣営が軍備増強を進め、それらの作用が結果的に観測者たるセイレーンにとって新たな可能性の光として興味深いサンプル扱いされるかもしれません。
そして、指揮官はマルタ基地で『英雄』として働きつつ、愛する家族に囲まれて騒がしい日々をこれからも過ごす事になるでしょうね。ちなみに元ネタのダイススレ作者様曰くヤバいくらいの親バカ子煩悩になるらしく。自分の娘が好きな男性を連れてきた瞬間ENTの値は3になって問答無用で娘は渡さんモードになるそうな。自己評価が低過ぎて生きる為の執着心に欠如していた男がご覧の有様です。もしご希望の声があるのならそっち方面もおまけとして描きたいですね。ちなみに最後の会話は概ね元ネタの鉄血ダイスそのままに。リスペクトは忘れませんよ、はい。
それでは皆様改めて今作を読んで頂きありがとうございます。また私事となりますが今作のパラレルワールドともいえる作品である『ヴィシア戦記 鬼神と呼ばれた男』が今作と同時に投稿されますのでもし宜しければそちらの方も見ていただけたり、評価をして頂けるとと幸いです。
https://syosetu.org/novel/377736/
といっても現段階ではプロローグだけですので投稿はゆっくりとなりますが……本編でちらっと出てきたヴィシア指揮官が主人公であり、何もかもがヴァイス君とは正反対な彼の活躍も注目して頂けると涙が出るほど喜びます。
最後に。読者の皆様と今作を元ネタである鉄血ダイスを執筆していただいた名もなき作者様への感謝を込めて締めさせて頂きましょう。一読者としてダイススレ作者様の次回作も楽しみにしていますよ!
コメント、感想、評価をお待ちしております!
指揮官の後世の評価はどうなる?
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戦争を終わらせた立役者
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サディアを救った救国の英雄
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ロイヤル最大の敵
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女の子に手を出しまくりの色を好む英雄