【完】これは圧倒的美貌で凱旋門賞馬になる俺の話 作:SunGenuin(佐藤)
凱旋門賞に至るまでのディープインパクト陣営の話(ヒト族いっぱい)
65~67話に加筆修正しました。
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大百科を更新しました。
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例えば、僕のことなんか知らないって前を向く、目のギラギラを見たとき。
例えば、そのふわふわの鬣が風に揺れて、甘い匂いがしたとき。
例えば、その丸い目から涙が零れて、キラキラして見えたとき。
共感と、感動と、うれしさと、ほんのすこしの動揺。
それが、僕が彼に抱く、すべて。
「どういうことですか、沼さん」
事務所の扉を無遠慮に開いて、低く唸るように呟いた目の前の男に、沼江はわざとらしく肩を竦めた。
「どういうことって?」
「ディープインパクトのローテーションです!なんですか、これは」
そう言って男── 竹が沼江に叩きつけたのは1枚の紙だった。
なんの変哲も無い、次走について書かれただけの紙を見やって、だからなんだと沼江は言葉を返した。
そんな沼江の様子に、竹は憎たらしそうに、怒鳴るように口を開いた。
「10月の凱旋門賞に出走することは聞いていました、聞いていましたがしかし、しかしステップレースをひとつも使わないとはどういうことですか!?」
10月に行われる凱旋門賞には、いくつかの前哨戦、ステップレースが存在する。
その前哨戦を叩く、つまり出走してから本戦となる凱旋門賞に挑むのが、ひとつのパターンとなっていた。
凱旋門賞2着まで駆け上がったエルコンドルパサーもまた、前哨戦となる「フォワ賞」を勝ち抜いて本戦へと出走している。
1度も海外レースの経験がないディープインパクトは、だからこそ、その前哨戦を使ってから本戦へと進むべきだと竹は考えていた。
「使わないものは使わない、そう私とオーナーとで決めた」
「ッ僕は、使わない理由を聞いているんです……!沼さん、知らないわけないでしょう凱旋門賞がどんなものか!」
「ちょっと、
今にも掴み掛かりそうな勢いで迫る竹を、沼江の息子・寿馬が止める。
それを飄々とした様子で気にもとめていないような沼江の態度に、竹はますます眉間の皺を深くした。
「なんのステップレースも触らずに凱旋門賞直行……これで勝てると本当に思ってますか?」
「なんだ、お前は勝つ気がないのか?」
「あるから言ってるんですよ……!?僕は、僕とディープインパクトはね、負けるつもりで走ってきたことなんて1度もない!」
寿馬の腕を振り払い、竹は沼江の肩をつかんだ。
それから2度揺さぶると、どうしてですか、とか細い声で呟いて、唇を強く噛みしめる。
耐えがたい痛みに身を焦がすような表情を浮かべ、苦しそうに口を開いた。
「ディープインパクトは、サンジェニュインとは違うんですよ」
その言葉に寿馬が気分を害したように表情を歪めるも、沼江は依然として表情を変えることはない。
竹は眉間に皺を寄せたまま、言葉を続けた。
「欧州初戦で26馬身差。これが出せたのは、重馬場が本来の適性であり、荒れ地を駆け抜けるパワーを持つサンジェニュインだからです。ディープインパクトでは、今日明日と欧州で走らせて出せるような着差ではない。違うんです、この2頭は」
「創くん」
「目が眩みましたか、日本調教馬でも世界に通用することを確信して油断ができましたか、3度サンジェニュインに勝って、負けたって2センチ差まで追いすがったことが自信になりましたか。……それがなんになるっていうんだ」
「言葉が過ぎるぞ、創くん……ッ!」
竹の肩をつかみ、沼江から引き離そうとする寿馬の腕を振り払って、竹は再び沼江の肩を掴んだ。
「僕は、ディープインパクトは強い馬だと確信を持って言えます。この馬は強い。今年だけで2つのレースレコードを塗り替えた。古馬相手にも怯まず、勝ち続けたんです。国内最強だと言われても、僕は否定しません。この馬は本当に強いから」
「……そこまで言うほど強い馬なら、かまわんだろう、このまま出走しても」
「強いからこそ!……強いからこそ、僕は彼を万全の状態で持って行きたい!」
沼江の言葉を遮るように叫んだ竹の言葉に、事務所は一瞬の静寂に包まれた。
それを気にすることなく、竹は話を続けた。
「稍重の神戸新聞杯」
沼江は一瞬だけピクリと反応した。
「あの時、サンジェニュインを追って走るディープインパクトの脚は、中盤からすでに一杯一杯でした。理由は誰の目から見ても明らかでしょう。ディープインパクトは重い馬場に慣れていなかった。……しかしそれは、サンジェニュインも同じでした」
条件は同じはずだった。
だが結果は違った。
サンジェニュインは逃げ切り、ディープインパクトは差し切れずに沈む。
その着差の大きさは、ファンよりも厩務員よりも調教師よりも、乗り手である竹が一番よく解っていた。
「ディープインパクトとて稍重の馬場で走れないわけではない。ただ経験が足りなすぎた。重い馬場で走り抜けた経験が。……誰もが口を揃えて言う通り、サンジェニュインは重馬場に関して天賦の才を持っています、僕もそうだと思っているし、アレはもはや努力がどうこうではなく、単純な資質の違い。それをとやかくいうつもりはありません。大事なのは、ディープインパクトもまた、経験さえあればそれに追いつけるくらい、高い資質の持ち主ということです」
重い馬場に、丈の長い芝に慣れ、最適な走り方を覚えて行ければ、ディープインパクトは十二分サンジェニュインを追い詰めることができる。
竹はそう確信していた。
確信していたからこそ、そのためのチャンスが得られない事実を、受け入れたくなかった。
「どうしてですか」
震える声が響く。
「沼さんだってわかっていたはずでしょう、ディープインパクトに足りないのは経験だと」
沼江は答えない。
「僕とディープインパクトは……ッ!本気で……本気でサンジェニュインに勝とうと……ッ!それなのに……」
沼江の肩を掴む竹の手に、もう力は無い。
ゆっくりと離れていくその両手を、沼江はぐっと掴んだ。
そのまま引き離されるだろうと考えていた竹は、しかし、いつまでも両手を包む沼江を不思議に思って、その表情を覗き込む。
ずっとしかめっ面をしていたはずの沼江は、竹と視線が合うと、ほっとしたような表情を浮かべた。
「よかったよ、お前がそんなに怒ってくれて。てっきり── そこまで興味ないのかと思っていた」
「は……」
予想外の台詞に竹が言葉を詰まらせていると、沼江は竹の手を離し、椅子に深く座り込んだ。
「去年から少し考えていたんだ。お前の騎乗について……ずっと囚われていたものについて」
アレから8年が過ぎた。
沼江はそう話し始めて、内心でそれを否定する。
沼江にとっては
沼江の過去の管理馬に、メジロマックイーンという名馬がいた。
竹はこの馬の、古馬になってからの主戦騎手。
この頃の竹は22歳と若く、前年、21歳にして稀代のアイドルホース・オグリキャップの引退レースを彩った騎手として、注目の最中にいた。
だが周囲の熱狂を他所に、竹はいつも冷静で、澄ましている印象だったことを、沼江はそっと思い出した。
その冷静さとは裏腹に、誰よりも青臭く、競馬をまっすぐに愛していたことも。
大多数に望まれるような「竹創」像を演じながら、内心の熱を隠して走り続けていた竹が、それを堪えきれなかった馬こそが、サイレンススズカだった。
「あれほどまでに、たった1頭の馬に入れ込む姿を見たのは初めてだった。このまま潰れやしないか心配もした」
恐ろしいことに、竹の理性は強く、たった1度の痛飲以降、酒に身を任せることなく努めて冷静に、何事もないように、荒れ狂う競馬の世界へと戻っていった。
それでもその胸の内に、栗毛の馬がしっかりと住み着いていたことは、沼江の目から見ても明らかだった。
しばらく感傷に浸らせ、心の整理をつける時間をやるべきか考えた沼江の元にディープインパクトが預けられたのは、神の悪戯だろうか。
明らかに他の馬とは格の違う、美しい馬体をした馬に乗せる騎手を竹に定めたのは、沼江なりの、竹という騎手への愛情だった。
「調教では順調だった。相性が良いと見て取れたし、お前もディープインパクトに集中しているのがわかった」
それが崩れたのは、2004年12月19日。
阪神競馬場5R新馬戦、芝2000メートル。
噂は聞いていた、写真越しにも見たことがあった。
その白毛が風に揺れるたび、馬も人も視線を奪われた。
ただそこに立っているだけで、馬は特別な空気を放っていた。
「他馬を置き去りにする圧倒的な大逃げは、いっそ罪深いとさえ思えたよ」
どうして今、現れる。
沼江は、その一瞬で思い浮かべた感情に翻弄されながらも、その時はまだ冷静さを保っていた。
しかしまたもや感情を揺さぶられることになる。
年明け2005年の弥生賞で、ゴール後にサンジェニュインが倒れると、竹の空気は一変した。
サイレンススズカの一件から持ち直しているように見えた、竹の胸の傷が一気に広がったのを、沼江もまた感じていたのだ。
それでも騎手として誇りを失わず、レースではそれらを欠片も見せなかった竹のプロ根性には、拍手を送らざるを得ない。
皐月賞、東京優駿と、ディープインパクトの主戦騎手として恥じない走りを見せてくれた。
「満足だった」
最後の菊花賞へと、シンボリルドルフ以来21年ぶりの無敗三冠を頂く道は開けた、と。
そう思うと同時に、沼江の心中を酷い罪悪感が渦巻いていた。
「お前がサンジェニュインに乗りたがっているのは知っていた」
弥生賞での出来事を経てからますます強まっただろう、サイレンススズカへの思い。
今は亡き名馬へと向かうはずの、その感情の行き先がサンジェニュインだと知っていてなお、沼江ははいそうですかとそれを許すわけにはいかなかった。
それはもちろん、竹と沼江の間に横たわる信頼のことでもあり、もっと大きく考えると、今後の竹の騎手人生に大きな影を落とすだろうと解っていたからだ。
「ディープインパクトと出会ったことで、お前はサイレンススズカではない、新しい夢を見られると思っていたが、それがかえってお前の枷になってしまった」
「違います、そんなことは……!」
沼江にとって竹は、競馬という厳しい道のりを共に戦い抜くパートナーであると同時に、もう1人の息子も同然だった。
叶うならば憂い無く好きな馬に乗り、力ある限り走って欲しい。
しかしそれはできない、許されない。
競馬は感情だけで動いているわけではないと、沼江はよく知っているからだ。
1頭1頭の馬に詰められたドラマの内側に、多額の金銭が動いている。
好き嫌いではどうにもならない世界なのだ。
「調教時の騎乗を許可したのは苦渋の決断だったが、あの夏以降のお前の顔を見ていたら、間違っていなかったと思っている。それでも……」
沼江は悩み続けた。
ディープインパクトと竹が阪神大賞典を、天皇賞・春をレコードで制してもなお、悩み続けたのだ。
「今、国内にサンジェニュインはいない」
今や画面の向こう側にいる白毛の馬。
ディープインパクトに集中できているのは、その馬がいないからではないか、という疑心。
もしディープインパクトを早い段階で海外遠征に行かせたら、そこで竹がサンジェニュインの走りを見てしまったら。
好みの馬場を自由に走り、他の追随を許さない圧倒的な走りは、竹でなくても魅了される。
いつまでの栗毛の幻影を追い求める竹であればなおさら、強く惹かれてしまうだろうと、沼江は考えていた。
「僕を……信じ切れなかったと、いうことですか……」
竹はそう力なく口にした。
暗に、いつか裏切るだろうと思われていたことが、竹にとってはショックで仕方なかった。
沼江はギョッとしたように口を開きかけると、小さく
「ッいや……いや、そうだ。正直に言おう、信じ切れなかった」
「父さん!?」
寿馬が驚いたように沼江を見た。
沼江はまた頭を振って、それから言葉を続けた。
「申し訳ないと思っている。お前にも、ディープインパクトにも。それくらい……それくらいサンジェニュインの輝きは、見る者を眩ませる。良くも悪くも。あの馬に夢を見ている者の大半が……私や創のように、一級戦の戦いを制した者たちがほとんどだ。それが何故なのか、寿馬、わかるか」
沼江の問いかけに、寿馬は悔しそうに俯いた。
「国内で並み居る名馬たちを退け手にした栄光── それを抱いたことで我々は、さらに上を見るようになる。国外に目を向け、険しい戦いを知る。40年以上の挑戦の中で、駆け抜ける前に崩れ落ちる優駿の門の、耐えがたい苦しさを知っているから、あの馬に── サンジェニュインに期待して止まない」
国内外の、特に欧州の競馬場と日本はあまりにも違い過ぎる。
芝質はもちろん、気候が異なることで馬場状態もまったく違う。
パンパンに張った高速馬場が当たり前になりつつある日本に適応した馬が、重く沈み、スタミナとパワーを最も必要とする欧州のレースに適応することも、勝ち上がることも難しい。
「しかしサンジェニュインは適応しただけでなく、圧倒して見せた」
国の違いによって生じる多くの不利を撥ね除けて勝ち進んだ。
「この馬ならば」という思いが関係者のみならず、競馬界全体に広がりつつある。
長く業界に身を置いている沼江には、方々から話が入ってくるから、誰よりも敏感だった。
「父さんもその波に呑まれているのか……自分の馬では無理だと……」
「……いいや。私はやはり、自分の馬で勝ちたい。勝ちたいからこそ、このままコイツを乗せ続けて良いか悩んだ」
心に迷いのある竹を乗せ続けて良いのか。
オーナーより託され、沼江自身もまた「馬としてこれ以上ない素質」を持っていると信じている、ディープインパクトの鞍上に。
サンジェニュインに心揺れる騎手を背にして、競り合いの最中に隙が生まれやしないか。
竹が乗るんだ、まったくそんなことはないだろう、と断言できないくらいには、深く悩んでいた。
「沼さん……」
竹は、8年間抱え続けてきた、撫で続けてきた傷が、自分以外にも大きな影を落としている事実に、酷く動揺していた。
それ以上に申し訳なく思った。
避けられない事故など、サイレンススズカの一件だけではない。
竹はいい加減前を向き、歩き始めなければならなかったのかもしれない。
それでもいつまでも私情で振り切れずにいた。
それが、こうして恩ある沼江を悩ませていたことが、ただただ申し訳なかった。
項垂れる竹を見て、沼江がその肩をポンと叩いた。
「だが今日のやりとりでそれらは杞憂だと知れた」
竹が顔を上げると、沼江は穏やかそうな顔で笑って頷いた。
「お前の口から、あんなことが聞けるなんて」
“ 僕とディープインパクトはッ!本気で……本気でサンジェニュインに勝とうと……ッ!それなのに…… ”
心揺れる騎手の放つ台詞ではなかった。
ディープインパクトただ1頭に心を預け、共に戦い抜くことを誓った男の言葉だった。
沼江は、この一連のやりとりで、竹の声色から、目から、言葉のすべてから思い知った。
「疑って悪かった」
心を込めた声色でそう言うと、沼江はその場に膝をついた。
竹は慌てたようにその身を起こそうとするが、沼江は動かない。
きっかり5分間、額を地面につけた沼江は、しばらくすると竹の手を借りて再び立ち上がった。
「沼さん……僕が未熟だったばかりに……」
「騎手を信じ切れない、私にも非がある、すまなかった」
繰り返される謝罪に、竹が待ったを掛けた。
「本当に、謝らないでください。不安を抱かせた僕の非は大きい。それに……ディープインパクトが海外で調整するためのチャンスをふいにしたのは、きっと僕のソレがあったからでしょう」
ならば僕自身がチャンスを潰したも同然です、と竹が言葉を続けると、沼江はハッキリと首を横に振った。
「それとこれとは話が違う」
「え?」
困惑する竹を前に、沼江は寿馬に車を出すように指示する。
用意された車に竹を放り込むと、寿馬が運転する車の助手席に乗って、短く行き先を告げた。
「北海道へ」
数時間後。
沼江が竹をつれてやってきたのは、広い放牧地を持つある牧場だった。
どこか目的地に向かって歩き続ける沼江を追いながら、竹はさりげなく周囲を観察した。
古い施設と真新しい施設とがアンバランスな牧場だったが、それ故か珍しく視線があちこちに吸い寄せられていく。
不思議な雰囲気の牧場だと思いつつ、竹は口を開いた沼江の言葉に耳を立てた。
「寿馬、サンジェニュインが向こうで月イチ出走しているのは何故か、わかるか」
「GⅠのタイトルを積むため、じゃないんですか?」
困惑したような寿馬の回答に、沼江は首を横に振った。
「サンジェニュインが月イチでレースに出走するのは、向こうの馬場がサンジェニュインの脚に負担を掛けないからだ」
そして「サンジェニュインは使われるごとに調子を上げていくタイプだ」と説明する沼江を、竹はすかさず肯定した。
「だがうちのディープインパクトは違う」
凱旋門賞のステップレースはいくつかあるが、宝塚記念に出走した後でも出走可能なレースの場合、かなり限られてくる。
望ましいのは同じロンシャン競馬場で開催されるフォワ賞への出走。
しかし、フォワ賞から凱旋門賞までの日程は中2週と、決してゆとりはない。
過去のGⅠ勝ち馬にも共通するように、蹄の薄いディープインパクトを前哨戦となるフォワ賞で使用して中2週の凱旋門賞は、体調も含めてかなりリスキーだと言える。
毎月叩くことができないタイプの馬なのだ。
「あの、テキ……ソレより前に遠征とか、できんかったのかなーって、思いまして……」
手続きのために沼江がつれてきた厩務員が、そうおずおずと沼江に質問すると、沼江はひとつ頷いて再び首を横に振った。
「そもそもディープインパクトを国内戦に集中させたのは、もちろん国内の芝がディープインパクトに合うからということもあるが、何より引退後を考えてのことだ」
かなり早い段階から「阪神大賞典、天皇賞・春、宝塚記念」の3レースに関しては出走予定だった。
古馬になった時の大レースと言えば天皇賞・春/秋に宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念が主たるところ。
サンジェニュインの海外遠征が決まるまでは、凱旋門賞出走すら予定外だったことを考えると、無難な選択だと言えた。
そしてその無難な選択とやらは、引退後、つまり種牡馬入りした後のディープインパクトの扱いに大きく影響する。
「サンデーサイレンスの後継種牡馬としてスペシャルウィークらが仔を出し始めている現状、三冠を逃し、有馬もすり抜けていったディープインパクトの種牡馬入りは、決して楽観視できるものではない」
二冠を制した時点で種牡馬になれない、ということはまずない。
そもそもディープインパクトは良血であり、それに見合う戦績は3歳時点で既に出している。
種牡馬入りは目標ですらなく、当たり前の通過点だと、沼江は強調した。
それでも国内戦に集中させたのは、より好条件での種牡馬入りのため、そしてより多くの名牝を集めるためには、国内での影響力を強めていく必要があるからだ。
それまでは海外に行くことなどそうそうできなかった。
「伝統の天皇賞・春と宝塚記念への出走は確定だった。そして期待通り結果を出してくれた」
いずれも5馬身差以上、天皇賞・春に関してはレコードタイム。
これで国内で求められてきた力は見せきった。
後は、世界の大舞台で魅せる時だ。
宝塚記念を制してすぐ、沼江は長期遠征も企画していたが、ディープインパクトの疲労や馬主との折り合いを前に難しく、前述の通り中2週からの凱旋門賞の厳しさも考えて、あえて直行することにしたのだ。
竹への疑心が、海外遠征を断念した主軸ではないことを繰り返し宣言しながらも、しかしそれが判断材料のひとつになったことだけは、沼江は否定しなかった。
竹はヘンに誤魔化されるよりも、こうしてありのまま言葉にする沼江に内心で感謝した。
竹という男が、下手に慰められることの方が苦しい性分だと、沼江は知っていたのだ。
騎手への疑心に、馬主との折り合いに、馬の体調。
様々な悩みの中で、沼江が決断したあらゆること。
それらに思いを馳せ、納得しきれない思いを抱えながらも、竹は割りきることにした。
ステップレースに挑めないとしても、竹自身ができる全力でディープインパクトを支える。
勝つための道筋を描き続け、決してブレないと心に誓ったところで、沼江が表情を緩めた。
「確かにステップレースは使えないし、長期間向こうで調整することもできない。……だが何もしないわけじゃない」
ピタリ、と沼江の歩きが止まる。
その視線の向く先を見て、竹は大きく目を見開いた。
「ディープインパクトと共に優駿の門をくぐる……そのために選んだ道がこれだ」
育成牧場かと錯覚するほどの広大なトラック。
パッと見でもわかる丈の長い芝は、札幌競馬場で見たモノや、欧州のレースで竹が見たモノに似ていた。
「今年の春に完成したばかりの施設だ。元々リハビリ用だった洋芝コースを、さらに広く、坂をつけるよう改修したそうだ」
「リハビリ用……?」
そもそもこの牧場はなんだ、と竹が困惑した様子で首を傾げた。
竹たちが乗っていた車は牧場の関係者用の道を通ったため、その看板を一度も見ずに進んでいた。
困惑が見て取れたのか、沼江が苦笑いを浮かべながら話を進めた。
「ああ。
社来ファーム・陽来は、その前身を「陽来牧場」と言った。
北海道で2番目に古いサラブレッド生産牧場であったが、1990年代後半から生産数が減少し、2000年代に入る前には競走馬専用リハビリセンターとしての機能のみを残していた。
2000年に社来グループに吸収された後は「社来ファーム・陽来」となり、リハビリを中心として今は繁殖牝馬1頭、その仔馬を1頭だけ有している。
サンジェニュインはこの牧場の吸収後初めて生まれた仔で、現在有している繁殖牝馬というのが、その母馬であるピュアレディーだ。
仔を2頭出したが、そのどちらも育児放棄したほか、配合予定のキングカメハメハを蹴ろうとしたため年明けにはアメリカに戻される予定となっていた。
陽来には元々リハビリ用に洋芝のコースがあり、サンジェニュインの初等育成にも使用されていたという。
それを改良して新たな洋芝コースが整備され、社来グループの許可を貰ってここでディープインパクトの調教をすることになったと、沼江は語った。
「ここでなら、万一の時でも熟練のスタッフによる迅速な手当てを受けることもできる。装蹄師も控えてるってことだから、脚のケアもしっかりしてくれるだろう」
沼江が言い終わるのとほぼ同時に、陽来の事務所から2人の男が駆け寄ってくる姿が見えた。
「ようこそ、陽来へ。沼江さんは先日ぶりで」
「その節はありがとうございました。今回はディープインパクトの主戦にも施設を見て貰おうと思いまして」
「ああなるほど」
沼江の短いアイコンタクトで何をくみ取ったのか、男はウンウンと頷くと竹に向き直った。
「私、ここでディープインパクト号の担当をしています、米村と申します。隣にいる大津は、当歳から1歳秋までのサンジェニュイン号の担当を務めておりました。今回はサポートとして付きます」
「ご紹介にあずかりました、大津と申します。若輩者ですが、精一杯サポートさせていただきます」
そう言って生真面目そうな好青年、大津が頭を下げると、竹も慌てて頭を下げた。
サンジェニュインを担当していたというから、もっと年上の手慣れた男が出てくるかと思っていた竹は、予想外の若さに驚きつつも感心した。
自慢でも驕りでもないが、竹も沼江も競馬界では名の知れた人間だ。
それに臆さず、失礼なことを言うわけでもなく、背筋を伸ばして立つ大津に好感を抱いていた。
その大津は、竹の右後ろにいる厩務員の顔をじっと見ると、にこりと笑顔を見せた。
「サンジェニュインの担当をしていましたが、だからと言って手を抜くような真似は一切しません!むしろ、サンジェニュインを担当していたからこそ、手抜きなど言語道断。陽来のスタッフとして誇りを持って、ディープインパクト号のサポートを全力で行います!」
「あ、ああ、すんません……!失礼な
「いえいえ!心配になるのはわかるので」
その2人のやりとりに、先ほどの視線の意味を知った沼江も頭を下げた。
「いや、大津くん、すまないね」
「いやいやいやいや!!本当に気にしないでください!!それよりも!!……ディープインパクト号、今はリハビリセンターの方にいますので」
「リハビリセンターに?……どこかまずいところが?」
沼江が張り詰めた表情を浮かべると、大津は大げさなくらいに首を横に振った。
「まったく元気ですよ!ただ疲労回復を早めるためだけに、洋芝コースを走った後はマッサージするようにしてるんです。今、そのマッサージを受けてるところです」
その言葉に沼江も竹も安堵したように息を吐いた。
沼江は大津や米村といくらか言葉を交わし、2人と別れると、再び竹に向き合った。
「本場でやるほどの効果は得られないかもしれない。しかし、この最良の限りを尽くした施設で積む経験は、決して無駄にはならないと思っている。ここで9月まで洋芝に慣れる訓練を続けるつもりだが……創にも、時間の許す限り手伝って欲しい」
聞けばこの施設は、翌年の9月から社来グループの幼駒の育成用に準備されていたらしい。
それを使用できるよう交渉しただろう、沼江の努力を思ったとき、竹はたまらない気持ちになった。
竹自身がディープインパクトに抱く情熱を遙かに上回って、沼江のディープインパクトに賭ける思いに強く触れたのだ。
「……言ったじゃないですか。
力強く言い切った竹の言葉が、陽来の空に溶ける。
それに心を合わせるように、小さな嘶きがひとつ、竹の耳に響いた。
2006年10月1日。
白毛の馬が、赤い手綱をつけてターフを走り抜く。
後続は完全にちぎられていて、その影を踏むことさえ許されていない。
圧倒的な大逃げは、美しい軌跡をターフに残して花開く。
その1歩1歩が、世界の中心を揺さぶっているように見えてしかたがなかった。
それでも。
「止まるな、ディープ……ッ!」
僕は、僕らは。
初めて出会ったあの日からずっと、ずっと、ずっと。
君を、追い駆けている。
きっと、これからも。
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| 【史上初へ】サンジェニュインが仏GⅠ・凱旋門賞を制覇!日本調教馬ワンツーフィニッシュ |
| 現地時間の10月1日、フランスのロンシャン競馬場で開催された凱旋門賞(サラ3歳以上、GⅠ・芝2400メートル)に出走したサンジェニュイン(牡4、栗東・本原佳己厩舎)は、いつも通り調子よくスタートするとハナを切って進む展開。2番手にディープインパクト(牡4、栗東・沼江琢郎厩舎)を引き連れて3番手以下に6馬身差つけたまま終盤までレースを進めた。追うレイルリンク、ディープインパクトに並ばれるも抜き返して、日本調教馬として初の凱旋門賞制覇となった。これで欧州レースは5戦5勝。 また、2着にはディープインパクトが入線。後方からレースを進めるいつものパターンから先行に脚質を変えると、サンジェニュインの背中にピタリと張り付いて猛追。パリ大賞典を制した地元有力の3歳馬・レイルリンクとの叩き合いを制してラスト2ハロン(=400m)をサンジェニュインと競り合った。
サンジェニュインを管理する本原佳己調教師は「感無量。これ以上の喜びはありません」とコメント。騎乗した芝木真白騎手は、2003年デビューし、今年3年目、22歳で掴んだ栄光となった。芝木騎手は記者団へのコメントとして「サンジェニュインは僕の太陽です」と空を指さして答えた。 惜しくも2着となったディープインパクトを管理する沼江琢郎調教師からは「サンジェニュインにはおめでとうの一言。そしてディープインパクトおつかれさま。よく走り抜いた。実りある2着だった」とコメント。竹創騎手からは「サンジェニュインと勝負になるとしたらディープインパクトだと確信を持って挑んだ。最後の叩き合いに勝てなかったのは悔しいが、この経験がディープインパクトをさらに強くする」と次走に向けた前向きなコメントが届いた。
サンジェニュイン1着、ディープインパクト2着となったことで、以下を達成した。 ①史上初の日本調教馬の制覇 ②史上初の白毛の勝ち馬 ③日本初のGⅠ・8勝目(同着の皐月賞を含む) ④凱旋門賞において日本調教馬によるワンツーフィニッシュ
2頭の次走は、サンジェニュインはジャパンカップ、ディープインパクトは天皇賞・秋を予定している。 10月3日の便で共に帰国して検疫を受けた後、ディープインパクトは東京競馬場で、サンジェニュインは競馬学校で着地検査を受ける予定だ。
2004年12月19日に共にデビューし、2005年のクラシックを盛り上げた2頭が、凱旋門賞という世界の大舞台で叩き合い、競り合い、高めあったことは、日本競馬史に残すべき重要なレースになっただろう。 |
冒頭の台詞はディープインパクトです
完全素人ニキの愛馬名アンケート
-
サニードリームデイ
-
サンシカカタン
-
タイヨウノムスコ
-
タイヨウハノボル
-
ブライトサニーデイ
-
ラブディアホワイト