一年の計は元旦にあり、とは謂いますが。
はてさて。
まだ夜明け前の海辺、二人きりの俺たち。
潮風は肌に冷たくて、握りあった手の温もりがやけに強く感じられる。
水平線に朝日が昇るまで、まだ少しだけ時間があるけど。
俺の隣には、太陽のような輝きが静かに微笑んでいる。
もうじき。もうじき、その時が来る。
年末年始をどうするか、という話になったのは、どんな経緯だっただろうか。
日頃の雑談の中で、そんな流れになったのだろう。だから特に思い出せない。
とはいえ、それはきっと偶然でもなかったのだろう。
「いつもだったら家族にくっついて、年始参りとかするんだけどねー……」
若干着膨れしてモコモコの先輩が、天井を見上げて呟いた。
先輩の家族は現在海外にいて、だからこそ千夏先輩は俺の家にいてくれている。
うちは年末年始基本的に家で過ごす流れで、年始のお客を迎える側だから先輩の家とは反対なんだろうな。
「一人であちこち行くと旅費だけで足出ちゃうし、今年は無理かな」
まあ、それはそうかもしれない。家族と行動する分には、全部親たちに任せられるし。社会的には高校生なんてのは子供で、そう言うことを自力でやるのは難しい。
でも先輩は、年末年始を猪股家で過ごす事にも消極的なようだ。「家族でもないのに、団欒を邪魔したくない」と常々言っているし。
……まあそういう事は、俺以外がいる時は絶対に言わないけど。やっぱり先輩は気を遣う人で、距離は適切に保ちたがるんだ。
俺としては、そんな事はないと思うんだけど。じゃあ俺と結婚して家族になりましょう、とか言えるほどの度胸があればなー……。無理だけど。
このままなにもしないでいれば、先輩は若干気を遣いつつ猪股家の居候として年末年始を過ごすことになる。
先輩が居心地悪い思いをするなんて嫌だけど、でも他に何か手があるだろうか。そもそもここで先輩が冬休み一杯どこか他所で過ごします、とかなったら嫌だし。
うちの家族はともかく、俺が辛い。最近は先輩分が俺にとって必須栄養素になりつつあるから、そんなに長く離れてたらおかしくなりかねない。
一緒にいたい。先輩が、好きだから。
「じゃあ、――こういうのはどうです?」
ふとした思い付きが口を突いて。
俺たちの年末年始に、一つのイベントが発生することとなった。
大晦日、普段なら眠い目を擦りながら年越しを待つ時間。俺と千夏先輩は、二人で終夜運転の電車に揺られていた。
長く家を明けるわけにはいかないけど、何か思い出になる事がしたい。ほんの短い間でも良いから、どちらの家の過ごし方とも違う事をしよう。
そんなこんなで、俺たちは。初日の出を拝みに、海へと向かう。
多少は眠いけど、興奮はそれよりずっと強い。
出来れば人がいないところがいいから、なるべく市街地から距離のある所へ。……ちょっとだけヨコシマな期待もあるけど。
こんな時間に出歩く事なんか普段は無いし、慣れない道はどうも落ち着かない。でも先輩と一緒だと、なんだか気が楽になるような。そうでもないような。なんだか浮わついた気持ちで、並んで歩く。
日付はとうに変わって、でもまだ良さげな場所には着かない。日が昇っても見つからなかったらどうしようか、いやその時は道端でも良い。二人で朝日を見られれば。
そして、それからまたしばらく。
海を向く、古ぼけたラバーズベンチが目に入った。
きっと以前は日の出スポットとして賑わった時代もあったんだろうが、ろくに手入れもされていない所を見ると結構長い間放置されているんだろう。まあ、構わないけど。
二人で腰を下ろすと、僅かに幅が狭いのか身体が密着する。ラバーズベンチってそういうことなんだな、初めて座ったけど。
「あと、何時間くらいかな」
「えー……あと一時間ちょいくらいですかね」
座ったまま過ごすには大分長い時間だけれど、千夏先輩と一緒にこうやっているなら悪くはない。もちろん千夏先輩がどう思うかは、本人しか分からないけれど。
「忙しい一年だったねー……」
闇空を仰いで先輩が呟く声に、小さく同意する。
先輩との同居、インターハイを目指した事、遊佐君に完敗して挫折した事、そして、――そして。俺のまだ20年にも満たない人生の中できっと、一番激しい一年だった。
このままの関係で先輩と過ごせるのは、あと一年と少し。次の一年は、その先の年月は、どうなるんだろう。
願うことが許されるのならば、俺は。先輩と、ずっとずっと一緒にいたい。この命が続く限り。
「来年、……じゃなくてもう今年も、きっと良い年になりますよ」
口にすれば風に拐われてしまいそうで、願いは言葉に出来ないまま。俺は先輩に笑いかける。
「そうだね。……今年も来年も再来年も、良い年になるよ。大喜くんは、大丈夫」
それは、どういう意味なんだろうか。でも聞くのはなんだか野暮な気もする。
そのまま、小さな沈黙が流れて。
先輩の手が、そっと俺に触れた。
この意味も、聞いたら野暮だろう。冷えた手を握り返しながら、ちょっとだけ期待もするけれど。
やがて空が薔薇色に染まり、水平線を緑の光が走った。
新年を告げる新しい太陽が、少しずつ頭を覗かせていく。
「大喜くん」
「え、あ……」
呼び掛けられて先輩の方を向いたその瞬間、目の前が暗くなった。
そして唇に触れる、柔らかな感触。僅かに感じた吐息。――キスされた、と分かったのは先輩の顔が離れた少し後。
「今年もよろしく、ね」
微笑む千夏先輩は、眩しくて。朝焼けさえ霞むほどに美しくて。
俺は返事も出来ないまま、ただ茫然と先輩を見つめるだけだった。
冬休みの話は原作時間軸ではまだまだ先なので、完全にオリジナルです。
ちなみに扇町さんは帰る郷里もないので、年末年始は基本仕事してます。
大晦日と元日はさすがに休む気でいますが。