敬虔なるフランドールは祈りたい   作:センゾー

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自分に罪がないと言うなら、
自らを欺いており、
真理はわたしたちの内にありません。
          ーヨハネの手紙 第一章八節よりー


第六話【アンビバレント】

 今、一人の少女が大きな扉の前に立っている。

 それは何も概念的なものではなく、ただただ幼い身体には大きい木製の扉というだけのこと。

 それでも少女が手を伸ばせずにいるのは、その敬虔な心が勝手に概念的なものも含んで考えているからに違いない。

 少女はその扉を開くことを恐れている。普段ならば開けることに何の問題もない扉を、彼女の姉がいるだけのその扉を。

 不仲であるわけではない。喧嘩をしたわけではない。姉との関係性に変化はない。

 ならば、その理由は姉が知らない何かに由来するわけであり、詰まるところ、少女は姉に伝えるか迷っていることがあるということ。たとえば、何かを壊してしまった。たとえば、誰かに迷惑をかけてしまった。たとえば、一族の名を汚してしまった。

 過ちというのは言葉を遮るものである。発された言葉でなく、言葉を発することを遮るものである。

 故にこそ、過ちとは厄介なものだ。場合によっては、遮られた言葉はそのまま仕舞い込まれるか、明かされるまで秘されるか。そのような顛末を迎えるのだから。

 それでは、果たして、少女は過ちを犯したのだろうか。

 その答えは極めて不明瞭なところにある。

 それは誰も少女に罪を見出していないからであり、他ならぬ少女だけは罪を見出しているからである。

 少なくとも、その罪が、罪への罰が少女を苛んでいる。

 だから、今扉の前に立ち尽くしている。

 今の少女の考えを端的に伝えるならば、外の世界が怖いということだ。

 やがて、扉は小さく軋みながら開かれた。勿論、少女の手によってではなく、その姉の手によって。

 

「あら、フランじゃない。何をしているの?」

「お、お姉様」

「どうしたのよ、そんなに慌てて。用があるのならば入りなさい。咲夜!」

 

 姉の声と共に、銀髪のメイドが現れて、その手にはトレイが乗っていた。微かにチョコレートと紅茶の香り、少しばかり鉄臭い。

 少女は逃げ場をなくしていた。適当な言い訳をして地下室に戻ろうという魂胆であったところ、紅茶にクッキーの準備、答えを聞かずに部屋へ戻る姉の背中。戻るなどと言い出せるはずもなく、少女は恐る恐る姉の書斎に足を踏み入れた。

 こうして、お茶会は始まった。

 いつぶりかわからないほど久しい、レミリア・スカーレットとフランドール・スカーレットの、高潔で優雅でそれでいて大胆なティータイムの幕開けである。

 

「それで?」

「え?」

 

 紅茶を啜るレミリアの言葉に、フランドールは思わず戸惑いの言葉を漏らした。

 

「あなたがそこに立ち尽くすのならば、どんな試練に立ち向かっているのかと思って」

「試練だなんて、そういうのはもう終わったでしょう」

「そう?」

「そうよ」

「ならば、あなたをここに留める楔は何なのかしら。美鈴があなたの背を見ていない理由はどこにあるのかしら」

「……っ」

 

 思わず身を少し引いたフランドールを見て、レミリアは静かに紅茶を置いた。

 

「勘違いはおよしよ。美鈴は話したがらなかった。私が無理を言って聞き出したのだから」

「なんで、わざわざそんな事を?」

「数百年ぶりに外に出る妹を心配することがおかしいことかしら?」

「それは、だって、私は普通じゃないから」

「普通じゃない。ふむ、破壊の力を持っていることが?」

「そう」

「宝石のように輝く羽根を持つことが?」

「……そう」

「ただの人間のようであることが?」

「…………そう」

「神を信仰することが?」

「………………そう」

 

 少しずつ返答は遅くなり、語気もまた弱くなるばかりであった。

 それは事実を伝えられていたからか、現実を突きつけられていたからか、篤実な言葉であるとわかったからか、理由を推し量ることなどできるはずもなく、ただただフランドールの顔が俯いていくことだけがそこで起きていることであった。

 

「フラン」

「……」

「答えずとも良い。ただ、聞きなさい。あなたはあなたの姉を、紅魔館の主人を、レミリア・スカーレットを侮り過ぎているのよ」

「っ」

「謝罪は不要よ。その全ては、あなたを取り巻く我々血族の罪なのだから」

 

 配慮などといったものが感じられない、ただ事実を語るだけのような口ぶり。

 反論を受け付けず、罪の分け前を与える気もなく、そしてここに大した関心もない様子であった。

 だから、レミリアはただ話を続けた。

 

「私はその程度の普通を受け入れられない器ではない。あぁ、いえ、少し見栄を張った。神に関する事を除いて、ね。それ以外は元々関係なかった」

「ならば、その点だけはやっぱり」

 

 フランドールが顔を上げて、少しかすれた声を発した。

 しかし、その視線の先には幼い口に人差し指を当てた姉の姿があった。

 

「向こうでは私は偉大な吸血鬼、素晴らしきワイルドハントだったからね。体裁というものがあった」

「……」

「でも、それら全ては向こうに置いてきた。イデオロギーは全て彼の地に、ノブレスは全て遠き過去に」

 

 紅茶を一息に飲み干して、手を大仰に広げてレミリアは言い放った。

 捨てたものへの後悔などないような素振りであったが、どこかしら忘れ難いものがあるような気がした。

 

「それら全てを捨ててでも、こうする今を私は優先したのよ。もう、我らに守るべき家はない。ただ、血族でも家門でもなく、自身を愛し自身を誇り、そして本当に守るべきものの為ならば汚れは厭わない」

「……それが」

「安心なさい、フランドール・スカーレット。私はもうあなたの全てを受け入れられない姉ではない」

「あ、ありがとう」

「礼も不要よ。私は本当はずっとこうしたかったのだから。あなたに愛しているとずっと伝えてきたけれど、それでも言わせて頂戴」

「えぇ、お姉様」

「フランドール・スカーレット、あなたを私は愛している」

「えぇ、えぇ」

「あなたは普通じゃあない。普通でない吸血鬼の中でも誰もいない場所に立っている。それでも、そんなことは問題にはならない」

「ここは忘れ去られたものの理想郷、普通などない幻想郷だから」

「祈れないから手が空いたのならば、その手で世界に触れなさい。何も知らぬまま祈りばかりを捧げるのは白痴の行いだけれど、あなたは祈れないその手で世界を知ることを選んだのだから」

「いかにもそれが恐ろしくとも」

「初めて旅行をする子供のように、恐る恐る足を踏み出すのよ。誰もがそうしてきたのだから」

 

 レミリアが紅茶を飲み終えると、次の瞬間にはカップが美しい橙色に満ちていた。

 それに驚くでもなく、小さな波紋に視線を注いで続けた。

 

「あなたは色々なことを知り過ぎた。世界の多くを知り過ぎて、だから今それらが待ち構える外が怖いのね」

「私には勇気が足りていないの」

「勇気ならあったわよ」

「私に?」

「あなたが外に出るのは、自身の為でなく世界と祈りの為でしょう。勇気のない人は他者の為に恐怖に飛び込めないものよ」

「アハハ、気休めじみてる」

「単なる事実とは往々にして気休めのように聞こえるものよ」

「ありがとう」

「いいえ」

 

 フランドールは苦笑し、レミリアはかすかに微笑んだ。

 それは、恐らくは本質的な理解から遠く、論理的な理解に近い、信仰という一つの壁を隔てた美しき姉妹愛であった。

 

「世界って残酷ね」

「呪いたくなったかしら?」

「いいえ、それは主を呪うことに他ならないから」

「その心を吸血鬼に宿したことへの恨み言くらいは許されるのではない?」

「それ宣うには、多くの時が流れすぎた」

「神のことを考えすぎたのね」

「人のことも考えすぎたの」

「罪深い人間のことを」

「誰よりも罪深い私が」

 

 長い沈黙。自罰的な言葉からくる逃れ難い苦しみがそこにあった。

 

「だから、私は気が狂ったように振る舞うの。罪は常人には見つめ難く触れ難いものだから、気狂いが盲目的になって初めて躊躇いなく触れられるものだから」

「その罪に対する在り方にはある種の名を与えられるかもしれないわね」

「お姉様もそう思う?」

「これほどに思索に耽って最後に行き着く言葉がこんな俗っぽいものだなんてどうかと思うけれど」

「いいじゃない。私はこの言葉が嫌いじゃないわ」

 

 姉妹は微笑みあった。不思議と想起した言葉は同じであるらしかった。

 だからレミリアはわざわざ口にする必要性を感じなかった。けれど、フランドールはその奇妙な一致をよく喜んだ様子だった。

 俯きがちで、暗いばかりだった今日の表情。フランドールははじめてひどくおかしいといった様子で笑った。

 

「恋って、きっとそれほどに罪深いものなのよ」






お久しぶりです。
後半スランプ気味ですが、頑張って続きをまた書きます。

この作品を読んでいて良いと思う部分

  • シナリオ
  • キャラクター
  • 台詞回し
  • 地の文
  • 語彙・表現
  • 考察可能な点
  • 世界観への解釈
  • シリアスの部分
  • ギャグの部分
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