気持ちはいつも、すれ違う。
それでもやっぱり、伝えたい。
裏側の、その想いを。
「人騒がせ。……いてっ」
独り言のつもりが聞かれていたのか、氷嚢を持った雛にドつかれてしまった。まあ、何事もなくて何よりだけど。
部活の合間に、雛が尻餅ついているのが目に入って。深刻そうな顔で痛みを堪えている風だったから、万が一がありそうで心配で仕方なかった。とは言え人をドつく元気はあるみたいだし、養護教諭の診断でも異常は無いっぽい。
あれこれと喧嘩したり一方的にドつかれたりはするけど、雛は大事な友達だからな。
さっきは千夏先輩がどうしたとか錯乱してた感じだったけど、今はもうそっちも落ち着いたらしい。
……いや、そうでもないかな。なんだかソワソワしているような。
「……人騒がせってなにさ。仕方ないじゃん。プレッシャーとかでいっぱいいっぱいで、夜も眠れなかったりしたんだからね」
ポツリポツリと、雛が溢し始める。こいつが弱音を吐くなんて、相当に追い込まれてるのかもしれない。雛はいつだって自信の塊で、負けず嫌いで、戦って負ける姿なんて想像も出来ない。いやまあ負ける事だってあるだろうけど、そのイメージが無い。
やれやれ、気晴らしでもさせてやるか。
「ほうほう、それで症状はいつから?」
「……バカの癖に人をバカにする気? 蹴るよ」
「あー……、痛みが引くまで話聞いてやるから、話してみろよ」
電柱かカカシだと思ってくれればいい、とりあえず話をすれば気も落ち着くだろう。あと足を傷めた癖に蹴ろうとすんなバカ。
――で。始まったのは、「蝶野弘彦の娘」という扱いについての、……物凄い勢いの愚痴だった。日本代表選手の娘ってことで常に過剰な期待をされるし、寄付金の為にもコーチたちは誉めるばかりでなにもしてくれない。マトモに指導もされず必死に独力で結果を出しているのに、雛は毎回こう言われてしまう。
「さすが蝶野弘彦の娘だ」と。
その気持ちは、俺にはきっと完全には分からない。どんなに俺がもがこうと、うちの親が日本代表選手になる事はない。俺が栄明を背負うようなビッグネームになる事もない。それでも、雛が苦しんでいるのは分かる。分かるから、黙って聞いてやる。雛は意見や解答がほしいんじゃない、胸に詰まったモノを出してしまいたいだけだろうから。
……詰まるようなモノがあるほど、立派なお胸ではない気も致しますが。
「あんた今、すごい失礼なこと考えなかった?」
「滅相もない」
足を冷やしていた氷嚢でペチペチしながら、雛は俺を睨み付けている。何でバレるんだ、俺。
まあ、それは些細な事だと思ったんだろう。再び始まった雛の愚痴は、どうしても勝てないという誰かの話になっていった。すべての面で雛を上回り、しかも審査員にも好かれているとかで、勝ち目はどこにも無い――らしい。憧れさえ抱きそうなんだとか。コイツがそこまで言うなんて、どんな猛者なんだろう。全国トップクラスの中でも更に上位ってことなのか。
「それでも負けたくない、だろ。お前の事だから」
黙って聞いているつもりだったけど、ついつい言ってしまった。雛は根っからの戦闘民族だから、いつだって燃えている。壁なんか叩き壊して、どこまでも突き進んでいく。きっとそいつにも、いつか勝ってしまうんだろうな。
「……っ、何知ったようなこと言ってんのよ、バカの癖に」
今度は氷嚢を顔にグリグリしてきやがった雛の顔は、いつものようなバカ面に戻っている。どうやら、言葉のサンドバッグとしての任は果たせたらしい。
なんか顔が赤く見えるけど、多分気のせいだな。
騒いでないで早く戻りなさい、と養護教諭に言われて保健室を出る俺たち。
雛の足取りに、負傷の影は全く見えない。やっぱり気が落ちてて、痛みに過剰反応してしまったんだろう。俺もたまにあるから、気持ちはわかる。
「負けても言い訳にすんなよ」
「勝つに決まってるでしょ、私を誰だと思ってんのよ」
知ってますとも、不死身の身体と不屈の闘志でお馴染み蝶野雛。俺の大事な友達で、そしてある意味ではライバルだ。雛がこうまで気合い入れて戦おうとしてるんだ、俺も負けられない。競技は違えど、コイツに負けるのは癪だから。雛は確実にインターハイに出るだろうから、俺も絶対出てやるさ。自分が通って俺だけダメだったりしたら、どこまでバカにされるか分かったもんじゃない。それに千夏先輩とも約束したしな、ミサンガの誓いは大事だ。
決意を新たにしていると、不意に雛が立ち止まった。
「ね、大喜。――がんばれ、って言ってよ」
……急に何を言うんだ、このバカは。背中を押してほしい、なんて柄じゃないだろうに。
でも、良いか。俺の応援なんか、意味無いだろうけど。言う分には只だから。
「がんばれ」
どういう風に言えば良いか分からないから、それだけ。それだけを、真っ直ぐに。
たった四文字だけど、どうやら効いてくれたようだ。雛は朗らかに、最高の笑顔を返してくれた。
……まあそのあと「言われなくてもがんばるもん」とか言ってきたけど。言わせておいてコレだもん、な。
世話の焼ける友達を持つと、大変だな。今日は特に、そう思う日だった。
にしても、あの笑顔。雛にしては、そう――
「可愛かった、な」
友達相手にそういう事言うのは、よくない気もするけど。でも、そう思った。
俺が千夏先輩を好きになったように、いつか雛も誰かを好きになるんだろうか。あんな笑顔を、そういう相手に向けるんだろうか。そんなことを思うと、なんだか心がザワザワするような。
……? あれ、おかしいな。何で俺は、そんなことを。
「なんか変だな……? あれー……?」
まぁいいや、とりあえず寝よう。そうすればまた、新しい朝が来る。
明日がどうなるかは分からないけど、きっと良い日になるさ。