戦国異聞〜偽物・慶次郎〜   作:ちょろいん

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姫君と鬼小島

 

 

 

 その後の始末は、手早く済んだ。

 寄場へ戻り、依頼主に一部始終を伝える。

 

 紋次郎はまとめた刀をひとつ、足元へ放った。

 

「連中の得物だ。あの一帯に死体が転がしてある」

 

 依頼主はそれを拾い上げ、刃こぼれを確かめるように眺めた。

 

 やがて鼻で笑い、懐から銭袋を取り出した。

 重さを確かめるように手の中で転がし、勘定もそこそこに報酬として寄越す。

 

 文句をつけるつもりもない。命を張った分の銭だ。

 紋次郎は銭袋を受け取り、無造作に懐へ放り込んだ。

 

 回収した武具はまとめて質へ流した。

 刃こぼれのあるものは鉄として、使えそうなものはそのまま値を付けられる。

 どれも大した品ではないが数があればそれなりの銭になる。

 

 銭はその場で分けた。

 細かい理屈は抜きだ。取るべき分を取る。

 一葉も異を唱えず、幽が静かに取りまとめていた。

 

「やれやれ、これにてひと段落でございますな」

 

「そうだな。……幽殿が一番、気が楽になった顔をしてる」

 

「ええ、否定は致しませぬ。肩の荷が下りたのは事実にございます」

 幽はあっさりと頷いた。

 

「……どなたかが一葉さまを(かどわ)かしてくださったおかげで、それがしは気が気でならぬ思いにございましたからなあ」

 

「はは、それはまた大層な罪を着せられたものよ。人さらいの真似事とあらば、首ひとつじゃ足りんな」

 

「おや、ずいぶん軽く受け流されますな」

 

「重く受けても首は軽くならんだろう」

 紋次郎は笑って、幽を見た。

 

「では、お認めに?」

 

「認めるさ。だが人さらいでは些か名乗りが悪い!」

 紋次郎は笑った。

 

「どうせ罪を着せるなら、業平気取りで姫君を誘った男、とでも言って欲しいものよ」

 

「姫君とな」

 一葉が小さく呟いた。

 ほんのわずか、視線が紋次郎へ流れる。

 すぐに何事もなかったように逸らしたが、今の一言がまったく響かなかったわけでもなさそうだった。

 

 秋子もまた、紋次郎へ一度だけ目を向けた。

 感心とも驚きともつかぬ、静かな視線だった。

 

 貞子は黙っていたが袖の陰で指先をわずかに握り込んでいた。

 声に出さない分だけ、何かを堪えているようにも見えた。

 

「おや、ご自身を業平になぞらえられますか。なかなか見上げた御仁にございますな」

 

 幽はさらりと受けた。

「ただ――姫君、とはまた。ずいぶんと雅な呼びようで」

 

「雅かい。ただのたとえだろう」

 

「たとえにしては、少々含みがあるようにも聞こえますが」

 

「含みなら、幽殿の言葉にもたっぷりあるだろう」

 

「それがしのは、ほんの嗜みにございますよ」

 

「なら、オレも嗜みに一首詠もうか」

 

「……ほう?」

 幽の返事が、わずかに遅れた。

 紋次郎に物語や書の心得があることは、幽もすでに見ていたはずだ。

 

 だが、この場で業平を引き、姫君を置き、さらに歌へと繋ぐとは思っていなかったのだろう。

 

 そのわずかな間だけで十分。

 幽の呼吸が一つ遅れた。

 ならば、そこへもう一手差し込むだけでよい。

 紋次郎は低く詠んだ。

 

「名を隠す 雲の衣の その下に 照る月ありと 知らぬ者なし」

 口調は軽い。だが歌の底に沈めたものまで軽くしたつもりはなかった。

 

 幽はすぐには返さなかった。

「……いやはや」

 と、やがて静かに息をつく。

 

「歌には歌で返すのが礼儀にございましょうが、これはまた随分と物騒な歌で」

 

「物騒かい」

 

「ええ。歌にかこつけて、雲をはらおうとなさる」

 

「はらうまでもない。月の方が勝手に光るだけよ」

 

「……はぁ。まこと、困った御仁ですな」

 幽はそう言ったがその声には先ほどまでより、わずかに慎重な響きが混じっていた。

 

「困らせたつもりはないんだがな」

 

「それで困らされるから、なお質が悪いのですが」

 幽はまたも小さく息をつき、それ以上は追わなかった。

 紋次郎もまた、歌の意味を解くつもりはない。

 言葉にすれば野暮になる。

 言葉にせずとも届くものは届くのだ。

 

 一葉は何事もなかったように振る舞っていたが、先ほどより口数が少ない。

 秋子は静かに場の空気を見守り、貞子は紋次郎の傍らに立ったまま、袖の陰で指先を握り込んでいた。

 

「――ま、歌の話はここまでにしておこう。稼ぎも入ったことだしな」

 

「……そうじゃな。余もよい退屈しのぎになった。次もこのような話があれば手伝おう」

 

「一葉さま」

 幽がすかさず声を挟む。

 

「退屈しのぎで賊退治をなさる御方はそうそうおられませぬぞ」

 

「そうか? なかなか面白かったのだが……次は――」

 一葉はまだ言い足りなさそうだった。

 放っておけば、次の賊退治の話まで持ち出しかねない。

 

「やれやれ。お戯れにしては、少々血の匂いが濃すぎますな」

 その一言で、一葉の話はそこで畳まれた。

 軽口で流したように見えて、切り上げどころを誤らないあたり、幽もなかなか手慣れたものだった。

 

「では、我らはこれで失礼いたしましょう」

 幽が言った。

 

「おう。またどこかでな」

 

 一葉が歩き出しかける。

 その傍らで、幽がふと足を止めた。

 

「紋次郎殿」

 

「何だい」

「先ほどの歌、なかなかに見事でございました」

 

「ほう。幽殿にそう言われるとは今日は良い日だな」

 

「腕が立つばかりの御仁かと思えば、歌の心得までおありとは。いやはや人は見かけによりませぬなあ」

 

「褒めてるのか、けなしてるのかよく分からんな」

 

「もちろん、褒めておりますとも」

 幽は涼しい顔で言った。

 

 それを聞いた一葉が、横から口を挟んだ。

「幽が人を褒めるとは……。珍しいこともあるものよな」

 

「一葉さま。それではそれがしが、日頃から人を褒めぬ底意地の悪い者のように聞こえますが」

 

「違うのか? 以前も腕の立つ者を見て『伸びは早いですがまだ渋の抜けぬ柿のようですな』などと言っておったではないか」

 

「おー。よく覚えておいでで」

 

「忘れぬわ。あれを褒め言葉と思える者はそうおらぬ」

 

「これは手厳しい。されど、それがしは褒め言葉を安売りせぬだけにございますよ」

 

 幽はそう言ってから、改めて紋次郎へ視線を戻した。

 

「ゆえに、見立てあってのものにございます」

 

「そうかい。そいつはまた、随分と買ってくれるじゃあないか」

 

「ええ。まあ、()()()()()()()()()こちらも助かるのですが……」

 幽の声は柔らかかったが、その奥にある目利きの色は隠れていない。

 

「紋次郎殿。あなたはただの無頼ではございませんな」

 

「さてな。ただの旅の従者よ」

 

「従者が業平を引き、雲に隠れた月を詠むのであれば――越後の従者もずいぶん風流になられたものにございますな」

 

「はは、京の風に吹かれりゃあ、越後者も少しは雅に見えるものよ」

 

「まこと口も達者で」

 幽はそう言って、紋次郎へ柔らかく微笑みかけた。

「……まあ。ただの旅の従者で済ませるには、少々気にかかる御仁ではありますな」

 

「そいつも褒め言葉として受け取っておくさ」

 

「ええ。そう受け取っていただければ、それがしも言い逃れがしやすくなります」

 うまい逃げ方をするものだ、と紋次郎は思った。

 褒めたとも、からかったとも取れる言葉だけを残している。

 

「紋次郎」

 

「何だい」

 

「また会おう。そなたとはまだ話し足りぬ」

 

「ああ。縁があればな」

 

「ふふ。縁は待つばかりのものでもあるまい」

 それだけ言うと、一葉は歩き出した。

 幽は小さく頭を下げ、その後に続く。

 秋子も別れの挨拶を静かに口にし、貞子も丁寧にそれへ続いた。

 紋次郎は二人の背を見送った。

 

 ――やれやれ。京へ来た甲斐が、ひとつ増えたか。

 口には出さなかった。

 厄介な縁には違いない。だが、胸の奥では少しばかり血が騒いでいた。

 

   ⭐︎⭐︎⭐︎

 

 九条通りの外れにある長尾屋敷に帰ると、秋子は預かりの老人と二言三言、今日の始末について言葉を交わした。

 賊退治の後処理は終わったとはいえ、長尾家としての報告や書き付けは残る。そういう細かな仕事は、秋子の領分だった。

 

 今回の稼ぎは、越後へ戻るための路銀に回る。

 京に長居するつもりはない。二、三日も身支度を整えれば、また北へ発つことになる。

 

 紋次郎が奥へ向かおうとしたところで、ふと後ろの足音が遅れていることに気づいた。

 

 振り返ると、貞子が少し離れてついてきていた。

 いつものように背筋は伸びている。歩き方も乱れてはいない。だが紋次郎の隣に並ぼうとはしなかった。

 

 秋子もそれに気づいたらしい。

 預かりの老人へ一言告げてから、紋次郎へ静かに目を向けた。

「……紋次郎さん」

 

「何だい」

 

「貞子ちゃんのこと、少しお願いしてもよろしいですか」

 その一言は、貞子を責めるものでも紋次郎を咎めるものでもなかった。

 ただここは紋次郎が向き合うべきだと告げているようだった。

 

「オレがかい」

 

「はい。貞子ちゃん、()()()()()ほど何も言わなくなりますから。今は、紋次郎さんが話した方が良いと思います」

 

 今は、という言い方が妙に残った。

 秋子には、貞子が引っかかっているものが見えているのだろう。

 

 紋次郎にも思い当たるものはあった。

 あの時貞子は何も言わなかった。

 だが何も言わないことがかえって妙に残っていた。

 

 秋子はそれ以上を言わず、預かりの老人とともに奥へ下がっていった。

 

 紋次郎は、少し後ろに立つ貞子へ向き直った。

「貞子」

「はい」

 返事はいつも通り丁寧だ。

 

「……さきの姫君ってのは歌の上の飾りよ。業平を引けば、ああいう言葉も転がり出る」

 

「…………それは分かっています。あれが、あの場に合わせたお言葉だったことも」

 貞子はそう答えた。

 納得している声ではない。胸に残るものがある。貞子の返事にはそんな小さな引っかかりがあった。

 

「ならば、何が引っかかる」

 紋次郎は急かさず問うた。ここで先回りして言えばまた言い訳になる。

 貞子の口から出る言葉を待つ方がよい。

 

「…………姫君、とお呼びになったことです」

 紋次郎は口を開きかけて、やめた。

 ただのたとえだと、もう言った。

 同じことを重ねても貞子の胸に残ったものは消えまい。

 

「……一葉殿にどうこう言いたいわけではありません。ただ……目の前であのようなものを見せつけられると……その、胸が苦しくなります」

 それで紋次郎にも腑に落ちた。

 貞子が欲しかったのは弁明ではない。

 自分にも何か向けて欲しかったのだ。

 

 手のかかる女だ、と言ってしまえばそれまでである。

 だが紋次郎はその手間が嫌いではなかった。

 好いた相手の一言に胸を揺らしながら、それでも筋を外さぬよう言葉を選ぶ。

 そういう不器用さも、情の深さも貞子という女の一部だった。

 

「……そうか。そいつはオレの片手落ちよ。一番近くにいる女に言葉ひとつ渡せんとは締まらん話だ」

 

「そ、そこまでではありませんが……」

 

「そこまで言わせた時点で、男の不覚さ」

 貞子は黙った。

 

 先ほどの「姫君」はただの戯れではない。

 一葉の身に隠しきれぬものがあると知って、あえて投げた言葉だった。

 歌に乗せれば、やんごとなき身分を匂わせながら相手を飾ることもできる。

 だからこそ、あの場ではうまく収まった。

 

 だが、貞子の胸に残ったものはそこではない。

 

 嫉妬、と呼べばそれで済むのかもしれない。

 しかし紋次郎にはそれだけで片づくものとも思えなかった。

 一葉をどうこう言いたいわけではない、と貞子は言った。

 ならば、引っかかっているのは一葉そのものではない。

 

 あの場で紋次郎が誰をどう呼び、誰に言葉を渡したのか。

 貞子はそこを見ていたのだろう。

 言葉の端に、自分の立つ場所があるかどうかを。

 

 ならば姫君では足りない。

 一葉へ向けたそれは、身分を飾るための名だった。

 貞子に渡すべきなのは相手を飾る名ではなく、傍らに立つ女へ向ける言葉だった。

 

 それに紋次郎にとって「姫」という言葉には、もう一つ別の響きがあった。

 御簾の奥で男の帰りを待ち、戦場(いくさば)から遠ざけられ、ただ訃報だけを受け取る女。

 

 そういう姿は、どうにも胸に障る。

 

 思い出す背があった。

 かつてある男たちを逃がすために殿を務め、討ち死にした女がいた。

 その背を、紋次郎は今も忘れていない。

 

 だからこそ、待たせるだけの姫よりも同じ道を歩ける女がよかった。

 死出の道行きさえ、ともに踏み込める女がいい。

 

「ふうむ。……貞子は姫君ではないな」

 紋次郎は、さらりと言った。

 貞子の息が、わずかに止まった。

 

「……私は、姫君ではないのですね」

 

「姫君とは、戦場から遠ざけ、御簾の奥で大事に飾るにはよい名だ――」

 言葉だけを聞けば、貞子を突き放すようにも響く。

 そこで誤解されたままにするつもりはなかった。

 

「だが戦人たるオレには性に合わん。遠くで待つ姫より、共に刃を抜く女の方がよほどいい」

 

「……」

 

「お前は、()()()()()だ」

 貞子はしばらく答えなかった。

 だがその沈黙は沈んだものではない。

 紋次郎の言葉を、胸の奥で確かめているようだった。

 

「……そのお言葉、とても嬉しいです」

 

「そうか」

 

「はい。私の立つ場所を、紋次郎さんのお側に置いてくださったようで」

 貞子の声は静かだった。

 ただ胸の奥に届いた言葉を丁寧にしまい込んでいるようだった。

 

「なら、その胸のつかえは少しは落ちたか」

 貞子はすぐには答えなかった。

「苦しいままに刃を抜かれちゃあ、こっちの背まで重くなる」

 

「……申し訳ありません」

 

「謝るな。背を預ける女の胸の内を知らずに何が男よ」

 

「…………紋次郎さんはずるいお人です」

 

「ずるい?」

 

「そのように言われてしまっては何も言えなくなります」

 

「ならば、懐にしまっておくといい」

 女の胸の内を、男が一から十まで覗き込むものではない。

 言うべきことは言った。

 あとは、貞子が自分の中で大事に持っていればいいのだ。

 

 その夜。

 紋次郎が寝所に身を横たえてしばらくした頃、戸の外に気配が立った。

 

 忍びなら、もっと遠くに気配を殺す。

 訪ね人なら、もう少しは音を立てる。

 そのどちらでもない。

 

 来たと知らせながら、なお言葉を待つ気配だった。

 

「――誰だ」

 

『……私です』

 

 貞子だった。

 

 紋次郎はしばし黙った。

 

 昼の言葉が、夜になって姿を変えて戻ってきた。

 ならば、ここで理屈を並べるのは無粋というものだ。

 

 女が覚悟を持って戸の前に立った。

 男がそれを問い詰めてどうする。

 

「入れ」

 紋次郎はそれだけ言った。

 余計な言葉はいらなかった。

 

 

 

 

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