7月。院生達はもちろん、碁のプロ棋士を目指す者達にとって一番大切な時期。
棋士採用試験の予選が始まった。
院生上位の8人は、予選免除となる。ヒカルとあかりはこれに該当しているため、参加していなかった。
(……)
惜しくも9位で免除を逃した和谷は、昼の食事の時間になっても不機嫌そうな顔をしている。そんな和谷に、同じく予選から参加のフクが声をかけた。
「和谷くんってば」
「ん……あ?」
「何考えてんの? 前半にポカでもやった?」
「やってねーよ」
フクの問いにも素っ気なく答え、また考え込んでしまう。そこに奈瀬と内田も近づいてきた。
「そんなに眉間にシワ寄せて……。大丈夫なの?」
「……大丈夫だよ。ちょっとイライラしてただけだ」
「イライラ? なんで?」
「昨日、ネット碁で負けたんだよ。それも圧倒的大差でな」
「えぇ!?」
「大差で? 和谷くんが?」
「……信じられない。相手がプロだったとか?」
「としか思えねぇよ。くそっ、ネット碁で勝って弾みをつけようと思ったのに、逆効果だったぜ」
驚く奈瀬とフク、内田を見て、和谷はため息をついた。
そして自分の心を落ち着かせながら、周りのライバル達の様子を見渡す。
その中に、見覚えのあるオカッパ頭の少年を見つけた。最後に見たのは遥か昔であったが、そのときの面影がある。自然と、声が洩れた。
「……塔矢、アキラ?」
「はい?」
名前を呼ばれたアキラは、解いていた詰碁集から顔を上げて和谷を見つめた。それと同時に、周りがざわつく。
「アイツが?」
「塔矢名人の息子が今年受けるのは知ってたけど」
「あんまり顔知られてないんだよな」
思わぬ形で注目が集まる。そんな中、フクはマイペースに話を続けた。
「ボク知ってたよ。塔矢くんだって。今日のボクの相手だもん」
「うわぁ。それはなんと言うか……」
「フクくんも、初日から運がないね」
「もう、全然かなわないよ」
奈瀬と内田が御愁傷様と言いたげに見つめる一方、和谷は泣き言を言うなとヘッドロックをフクにかける。それを見て、アキラはクスッと笑った。
「皆さんは院生ですか?」
「うん。ボクは今年が初めての受験なんだ」
「私も!」
「同じくです」
「和谷くんは3回目なんだって。ね?」
「ね? じゃねぇよ!」
再び絡む2人を見て、アキラは嬉しそうに話す。
「そうなんですね。ボクも今年が初めてで……」
「嫌みか、こんにゃろ! 最初で最後だろ、オマエの場合!」
ガルルと敵意を剥き出しにする和谷。それを奈瀬がなだめた。
「和谷、カリカリしすぎよ、いくらネット碁で負けたからって」
「ネット碁?」
「えぇ。どうやら昨日、大差で負けてしまったらしくて」
「へぇ。院生相手にそれは、かなりお強い方だったんですね」
「……。間違いなくプロだと思った……んだけどさ」
「? どうしたの?」
歯に物が挟まったような言い方の和谷に、フクが尋ねる。塔矢の前で言うことでもないことだったが、話を聞いてるのはいつものメンバーの内の3人である。自分が感じたことをそのまま話した。
「いや、何というか。……やけに定石が古いな、って思ったんだよ。今流行りの手とか打つんじゃなくて、昔からある手を打つみたいな。秀策みたいな棋風だった」
「っ!」
「へぇ。珍しいわね」
「そうなると、桑原本因坊とか?」
「いや、あの人はネットとかしないだろ」
「和谷くん、偏見ー」
和谷の言葉にアキラ以外の3人は感心するだけだが、ただ1人アキラだけが息を呑んだ。
約半年前。いつもの碁会所で出会った、2人組の少年と少女。
その内の1人の、彼の姿が脳裏に浮かんだ。
「……」
「? どうしたの、塔矢くん?」
「いや、何でもないよ」
「何だよ。変なヤツだな」
「ちょっと、和谷!」
「ご、ごめんね、塔矢くん」
和谷の態度に内田が謝るという不思議な状況だったが、午後が始まるということで話はそこで打ち切られた。
だが、アキラの中で先ほどの話はすでに確信に変わっている。
(院生相手に大差で勝利。そして秀策の棋風。……きっと君なんだろうね、進藤くん)
彼とは今年のプロ試験での再戦を約束している。
父から聞いた話ではなぜか院生になったということなので、おそらく予選免除でこの場にいないのだろう。
(本選で彼と再び闘うのが楽しみだ。自分がどれだけ成長したのかを、全力をぶつけてやる!)
そう、アキラは強く思った。