最終回もご都合主義、独自設定ありありなのでご注意ください。
俺――アイズ・ラザフォードは、短期間の滞在の予定で日本を訪れていた。
ピアニスト、アイズ・ラザフォードの名前は急速に広まりつつある。今を逃せば、身動きか取りづらくなるだろう。そう思っての、この時期の日本への訪問だった。
目的は一つ。ナルミ・アユム、それとついてではあるがミヤマ・スバルを見定めるためだ。
ナルミ・キヨタカの弟であるナルミ・アユム。キヨタカが俺達、呪われた子供達――ブレード・チルドレンの希望として示した存在だ。
ブレード・チルドレン。俺達が生まれた当初は、それは希望と祝福の名前だった。しかし、それはすぐに呪いへと変わった。
ミズシロ・ヤイバ。俺達ブレード・チルドレンの父親であり。『悪魔』と呼ばれた男。
ヤイバは成人前はとても優秀であり、神のように慈悲深い男だった。周りの誰もが、将来は優秀な指導者として人々を導く存在になるだろうと期待されていた。
だが。ヤイバは成人と当時に、『悪魔』となった。慈悲深い男は、人間を強く憎むようになり、人間を滅ぼすために暗躍し始めた。成人前までに獲得した社会性と、人望を隠れ蓑として。
しかし、いくらヤイバが優秀であろうとも、普通の手段で人間をことごとく滅ぼすのは不可能だ。
ヤイバが人間を滅ぼす手段。それが、俺達ブレード・チルドレンだった。
ヤイバの子供達――ブレード・チルドレンは、幼少期から常人より遙かに優れた能力を示した。一人残らずだ。
そして、ヤイバは予言した。俺達ブレード・チルドレンは、二十歳になると同時にヤイバと同じように『悪魔』としてのスイッチが入り、人間を滅ぼすために行動するようになると。
従来の人間よりも優秀で、かつ残虐なブレード・チルドレンが増えていけば、いずれ人間を駆逐するだろう。
その未来を想定できた一部の人間は、ヤイバを殺害するために動いたが、あらゆる幸運がヤイバを守った。誰がどんな手段を持ってしても、ヤイバに傷すらつけられなかった。まるで、神の加護でもあるかのように。
そして、殺害が可能なブレード・チルドレンすら、ヤイバが保護して手出しができなくなった。人間に黄昏が落ち始めていたのだ。
そこに現れたのが『神』――ナルミ・キヨタカだった。キヨタカは、どうやっても殺せなかったヤイバをあっさりと殺して見せた。そして、ヤイバが残した影響力をことごとく排除していった。
ナルミ・キヨタカも成人と同時に『神』として覚醒したと言った。人間を滅ぼす『悪魔』をことごとく滅ぼす破壊神として目覚めたと。
ヤイバが殺された後。残されたのが、俺達ブレード・チルドレンだ。
人間のため、そのままでは殺されるしかなかった俺達だったが、キヨタカが一つの希望を指し示した。それが盤面に一人ぽつんと存在する、神の弟――ナルミ・アユムだった。
『神』が『悪魔』を滅ぼすのなら、『神の弟』はなんのために存在しているのか? なにかしらの役割を持たされて、誕生したのではないのか? もしかしたら、その役割がブレード・チルドレンの救済なのではないのか?
人はゲームの盤面と同じだとでも言うのか――? ふざけた話だが、それを否定すれば俺達は殺されていた。全く持って、気にいらないことだ。
それがキヨタカの指し示した希望だった。だが、それはキヨタカの嘘だった。俺達、ブレード・チルドレンにやはり希望などなかったのだ。
『神の弟』に相反する存在がいたのだ。『悪魔の弟』――ミズシロ火澄。ナルミ・アユムは俺達の希望などではない。単にミズシロ火澄を殺す役割に過ぎなかった。
ナルミ・キヨタカとミズシロ・ヤイバの焼き直しをしただけだったのだ。
「それでも……俺は願い続ける」
だが。ナルミ・アユムはまだなにも果たしていない。ならば、まだナルミ・アユムの役割は固定されていない。キヨタカが予想もしていない、別の役割を果たす『なにか』になれる可能性を秘めているかもしれない。
諦めてしまえば、俺達ブレード・チルドレンはことごとく滅ぼされる。俺だけでなくブレード・チルドレンの仲間達も、そして――カノンさえも。
だから、俺はナルミ・アユムを見定めに来た。ナルミ・アユムにもしなんの希望も感じなければ。偽りの希望であったなら。俺はナルミ・アユムを――
そして、俺はナルミ・アユムとミヤマ・スバルの演奏を聴く機会を得て。二人の演奏に希望をたしかに見た――いや、聴いた。
この演奏はうつむき、下を見ている者にはできない。順風満帆に生き、挫折を味わったことがないものにもできない。
深い暗闇の中で、それでも折れず――いや、たとえ折れたとしても、再び立ち上がり懸命にピアノに向かい続けてきた『ピアニスト』だけが出せる音だ。
これは同じ『ピアニスト』の俺だからこそ、分かるものだろう。
「ナルミ・アユムとミヤマ・スバル……お前達も、ブレード・チルドレンと同じように闇を見てきたと言うのか?」
その後。俺は組織のセイバー――ブレード・チルドレンを護るものとしての権限も使い、改めてナルミ・アユムとミヤマ・スバルの経歴を洗い直した。
二人の経歴は元々知っていた。だが、ナルミ・アユムはキヨタカの巨大な才能に押しつぶされ、常にうつむきながら生きてきたと思っていたし、ミヤマ・スバルは裕福な家庭に生まれ、何不自由なく生きてきたと思っていた。
だが――ナルミ・アユムはキヨタカの才覚に押しつぶされながらも、懸命に抗ってきたのだ。また、苦労知らずだと思っていたミヤマ・スバルは、ナルミ・アユムを献身的に支え続け、共に重荷を背負いながら生きてきたのだ。
そして……ナルミ・アユムは、長く生きられないかもしれない体だと言う。そして、ミヤマ・スバルはそれを知りながらも、ナルミ・アユムに寄り添い続けていると。
二人も、俺達と同じように深い闇の中にいたのだ。
誰からも『呪いの子供達』と呼ばれるのと、誰からも『神の如き者の無価値な弟』としか見られない。
どちらが辛いのかと問うなど、それこそばかげた話だ。
「……なぜおまえらは笑っていられる? あそこまで力強い演奏ができる?」
俺のつぶやきは、闇の中に誰にも聞かれずに消えていった。
俺はホテルの一室で、キヨタカと電話で会話していた。
『それでは、アイズは歩を信じると?』
「いや――まだだ。たしかにナルミ・アユムが自らの運命と役割を越え、希望となることを望んではいる。だが、直接確かめるまで俺達の希望と認めはしない」
あの二人の演奏と生き方に希望を持ったとはいえ、ブレード・チルドレンの命運を簡単に託すわけにはいかない。やはりナルミ・アユムに勝負を挑み、本当の希望となり得るかを確かめなければ納得はできない。
仮に俺がナルミ・アユムを認めたとしても、他のブレード・チルドレンはなにも試さずにナルミ・アユムを信じようとはしないだろう。
『そうか。ならば、歩に公平に戦いと勝利の機会を与えるならば、その上で
「……キヨタカ。おまえは弟を殺す許可をあっさりと出していいのか?」
『なに、これも歩を信じてのことさ。兄の信頼がなせるものだよ』
その信頼する弟を、自らの才能で長く押しつぶしておいて良く言うものだ。
まあいい。キヨタカの許可が出た以上、遠慮はいらない。存分にナルミ・アユムを試すことにしよう。
しかしあまりに軽い言い方だ。まるでナルミ・アユムの勝利をみじんも疑っていないかのように。
「その様子だと、俺達がナルミ・アユムに勝てないとでも思っていそうだな?」
『さて、どうだろうね? ただ、もしアイズ達が負けたならば、私も歩に勝負を仕掛けてみてもいいかもしれないな』
キヨタカは失踪している身だろうが。そもそも、ナルミ・キヨタカが勝負を仕掛けるなど、出来レースも良いところだ。最初から勝敗は決まっている。
「やめておけ。ピアノ以外では出来レースにしかならないぞ? さすがに勝敗の決まった勝負では見極めるも何もない」
『ほう? ピアノでは歩にも勝機があると?』
「……そもそも、キヨタカはナルミ・アユムと違ってピアニストではないだろう?」
『またそれか。以前、すばるお嬢さんも同じことを言っていたな』
「ミヤマ・スバルか? 彼女もピアニストだ。同じ意見になるのも当然だな。しかし……キヨタカは分からないのか?」
神のごとき目を持ったキヨタカが、分からないという。これは驚くべきことだった。
『アイズはすばるお嬢さんの答えを知っているとでも?』
「ミヤマ・スバルだけでなく、他のピアニストでも……いやピアニストに限らず、他のプロフェッショナルでも同じことを言うだろう」
簡単なことだ。
「ピアニストの命たる指を自ら望んで折る者を、どうしてピアニストと言える?」
ピアニストが懸命に磨き、状態の保持に生涯神経を注ぎ続けるべき指を自ら折る。そんなことができる者を、ピアニストと呼ぶ者はいない。プロなら簡単に分かることだ。
『……なるほど。かつてピアノを弾いていたときも、手や指の状態について考えたことなど、私には一度もなかったな。これは盲点だった。教訓としよう』
なにか琴線にでも触れたのか、キヨタカは面白いことを聞いたと言わんばかりに答える。
キヨタカは、意識せずとも常にピアノを弾くのに最適な手を保ってきたのだろうか。恨めしいことだ。
キヨタカへ話すことが済んだ俺は電話を切ろうとしたが、その前にある人物から伝言を頼まれていたことを思い出す。
「ああ、キヨタカ。コヒナタ・モンジュウロウという人物から伝言を頼まれている」
『コヒナタ・モンジュウロウ……小日向のじいさんか? また懐かしい人物だな。だが、なぜ私の伝言をアイズに託したのだ?』
「キヨタカは行方をくらましているだろう。モンジュウロウも既に俺達には後始末程度しか関わっていないから、ずいぶん接触に苦労したみたいだがな」
『おおっと、そいつはうっかりしていたな。どうも、まどかに会えない寂しさで胸が埋め尽くされているようだ』
「キヨタカ……分かっていて惚けているな?」
あのナルミ・キヨタカがこの程度のことを分からないはずがない。間違いなく分かってて惚けている。
ああ、それに伝言の内容も内容だ。さっさと済ませて、キヨタカとの疲れる会話も終わりとしよう。
「伝言の内容だが……ナルミ・アユムはキヨタカと違い、先天性無精子症ではないとのことだ」
なんだこの伝言の内容は。そう思いながら伝えた言葉だったが――その言葉にキヨタカが驚いたのが、電話越しでも分かった。
「……どうした、キヨタカ?」
『……バカな。歩はブレード・チルドレンと、その更に子供達の救い――いや、希望になり得ると? ブレード・チルドレンが生き続け、ブレード・チルドレンの更にその子供達が生まれるとして……その子達を見守り導くか、はたまた脅威となったときの抑え役としての役割が、歩とその子供に与えられているとでも言うのか……?』
電話越しに届く静かながらも、かすかに驚きと戸惑いが混ざった声。
キヨタカはいつもふざけているようだが、その本質は常に冷静沈着だったはずだ。
そのキヨタカがわずかとは言え……戸惑っているだと?
キヨタカは俺の言葉に返答せず、そのまま電話を切ってしまう。
「……キヨタカのあのような声は初めて聞いたが……どういうことだ?」
その答えが今の俺に分かるはずもなく、しばらく呆然とするしかなかった。
時は経ち。私とあゆくんは高校に進学した。
私とあゆくんが通うことになる
あゆくんは、家に近くて学費が安いからという理由で月臣学園を選んだ。あゆくんの学力が羨ましい。
私はピアノの傍ら、必死に勉強したんだぞ。
ただ、私としても、あゆくんと一緒にいるためにも、ピアノで活躍し続けるためにも、加えて学費面でも月臣学園に通うのは願ったり叶ったりである。
ピアノの練習をするためにも、やはり設備は充実しているに限る。加えて、あゆくんは成績優秀者として、私はピアノの特待生として学費免除を得られたのは大きい。
まどかさんは、清隆さんの失踪のショックから、表向きはなんとか立ち直って今では刑事としてバリバリ働いている。
しばらく休職していたのにも関わらず、警部補として活躍しているあたり、やはりまどかさんはすごい人なのだろう。
ただ、まどかさんは清隆さんの失踪と、加えてあゆくんの体の事情を知っても、なお清隆さんを信じて、帰ってくるのを待ち続けるそうだ。やはり、頻繁に辛そうな様子を見せている。
今でも刑事の仕事の傍ら、懸命に清隆さんを捜し続けていた。
そんな、まどかさんの様子を見ていられなかった私は、まどかさんに清隆さんを忘れた方が良いと言ってしまったことがある。
けれど、まどかさんは聞き入れる素振りは全くなかった。
まどかさんは、きっと清隆さんを忘れることはできないだろう。
もし、仮にあゆくんがいなくなったとして、私が忘れることができるかと言われれば――それと同じだ。
「ねーさんが兄貴を忘れることなんて、できるわけない。兄貴が、そんな隙を残すわけないさ」
あゆくんも、辛そうにそう言っていた。自分のお兄さんのせいで、まどかさんが辛い思いをするのを見続けるのは、あゆくんだって悲しいはずだ。
あゆくんと付き合いの長い私も、私の両親も辛いものがある。
それでも、今は見守り続けるしかないだろう。
幸いにも、私とあゆくんは同じクラスになれた。
「すばると歩君は、色々と特殊な事情を抱えているからな。一緒のクラスの方が都合がいいだろう?」
私達の入学前、くるみさんは私にそう言って、不敵な笑みを向けたことがあった。
……まさか、私とあゆくんが同じクラスになれるように、手を回していたりしないよね?
いや、あゆくんの事情を考えたら、たしかに色々と都合は良いんだけど。
「あゆくん、一緒にお弁当食べよ!」
昼休み、あゆくんの席にお弁当を持って向かう。
中学までは給食だったので、高校でのお弁当や学食と言った選択肢は新鮮だ。
特に月臣学園は、広大なだけにいくつも学食やカフェテリアがあり、選択肢も多いし、値段も安い。
ただ、あゆくんはお弁当を作ってくることが多い。あゆくんもまどかさんの家事や、勉強にピアノ、通院と忙しいのにすごいしマメだ。
「ああ、良いが……なんだか、俺達注目されてないか?」
「ああ、ほら。あゆくんかっこいいから」
「いや、どちらかというと、すばるの方が注目されているぞ」
「そんなことないと思うけど? それにほら、あゆくんは有名人だし」
あゆくんは、ピアノで表舞台に復帰した。
自分の出生を知り、決意したあの日から――元々凄かったあゆくんのピアノは、更に飛躍していった。
あゆくんは、まだまだ兄貴には届かないとは言っているけれど、私的には清隆さんのピアノを越えていると思う。
「知名度では断然すばるの方が上だろ。それに腕前でもな」
「ううん。腕前はあゆくんの方が上じゃないかな? でも、そう簡単にあゆくんに置いて行かれるつもりはないけどね」
あゆくんと楽しくお話ししながらお弁当を食べていると、クラスの子達が話しかけてくる。
「ねえねえ、すばると……鳴海君!」
「どうしたの?」
入学してすぐによく話すようになった、クラスメイトに話しかけられる。
他にも数人、同じクラスでよく話す子ができた。
月臣学園の入試倍率と学生数のせいで、中学からの友達が一人も同じクラスにいないことは、少し寂しかったけれど、どうやらあゆくん以外に話す人がいない事態にはならなそうで、安心している。
「や、やっぱり二人って付き合っているの?」
「……ふえ?」
突然の質問に、思わず固まってしまう。
「だってだって、なんていうか、いつも一緒にいるし!」
「しかもとっても自然というか、一緒にいるのが当たり前みたいな感じだし!」
「ピアノのコンクールでも、一緒にいることが多いみたいだし!」
「お弁当の中身まで一緒だもんね!」
しかもなんか増えてる!?
気がついたら複数のクラスメイトの子達に取り囲まれていた。
「ねえ、やっぱりそうなの!?」
「まあ、たしかに付き合っているが」
「ふえ!?」
その上、意外にもあっさりとあゆくんが肯定する。
「やっぱりやっぱり!? いいないいなー!」
「すごい! 有名ピアニストカップルじゃない! 『天使の指先』と『妖精の弾き手』! すっごいお似合い!」
「どっちから告白したの!?」
「告白の言葉は!?」
「いつから付き合っているの!?」
「結婚のご予定は!?」
なんかものすごく盛り上がっている!? というか、他のクラスの子達までいるのなんで!?
付き合っていて噂になりそうな人なら、同じ学年で他にもいるんじゃないの!?
「ちょ、ちょっと落ち着いてーっ?」
その日の放課後。あゆくんと二人で校内を歩いていた。
……お昼休みの騒ぎのせいで自意識過剰になっているせいかもしれないけど、なんだか周りから見られている気がした。
「昼休みは騒がしくなったな。大丈夫だったか?」
「うん、ちょっとビックリしたけど、大丈夫だよ。なんだかんだ、皆好意的に見てくれてたし」
「なら良かったが……隠して置いた方が良かったか?」
「ううん。あゆくんが付き合っているって言ってくれて、嬉しかったよ」
「そうか」
素っ気ないように言うけど、あゆくんがちょっと照れてるのはすぐ分かった。
「うん。おかげでクラスでも仲良くお話しできるし!」
「今日の昼休みの前から、遠慮なく話しかけてきただろ」
「そうでした、えへへ。だってあゆくんとお話したいし」
「まったく、すばるは幼稚園の頃から変わらないな」
「むう。私だってちゃんと成長してますー」
身長だって155センチになったぞ。軽く背伸びをしながら、成長をアピールする。
後5センチは欲しいなあ……無理かなあ。
「俺は今日は病院に行くが、すばるはピアノの練習か?」
あゆくんは小日向の病院に通院して、治療を続けている。
思ったよりも経過は良好で、治療は継続する必要があるけど、あゆくんの健康寿命は当初の見立てよりずっと伸びそうだと聞いている。
――そのことが、涙が出そうなくらい嬉しい。
「うん。頑張って、あゆくんに負けないようにしないとね!」
「そうか。なら俺も負けないようにしないとな」
「えへへ、お互い頑張ろうね」
「ああ。五時半には終わる予定だから、その後はスーパーで買い物していくつもりだが」
「それじゃあ、一緒に買い物しようよ」
「分かった。それじゃあ、いつもの場所で待ってるぞ」
「うん! また後でね!」
空いている音楽室に行き、ピアノを使わせて貰う。
学校より、空いているピアノは自由に使っても構わないと許可をいただいているので、予定がない日は学校で練習することもあった。
月臣学園にもピアノを教える先生はいるけれども、入学早々に私に教えることはないと言われてしまった。
……いや、教育者の方から第三者目線で意見を貰うのも勉強になりますからと説得して、たまにピアノを聴いてもらうようにして頂いたけれど、基本は放置状態だ。
そうして一通り弾き終わると、ふと誰かの視線を感じた。
音楽室の入り口に目を向けると、そこには生徒が一人。
お下げ髪の、かわいい顔立ちをした女性だった。なんとなく幼げな感じだけど、入学したての新入生のような雰囲気はない。おそらく先輩だろうか。
「あれー、止めちゃうんですかピアノ? もっと聴かせてくださいよー」
顔だけでなく、声まで可愛らしい先輩だった。
「えっと……あなたは?」
座ったままなのも失礼なので、立ち上がって、先輩に向き直る。
「すみません、こちらから名乗るべきですね。私は一年の深山すばるです」
「あっ、これはこれはご丁寧に。私は二年の
そう言って、にっこりと笑う先輩。
「結崎先輩ですね。よろしくお願いします」
「はい! でも結崎先輩なんて他人行儀ですから、ひよのちゃんと呼んでくださいね! あ、でも先輩として敬うのは忘れないでください! ここ重要ポイントです!」
「は、はあ……では、ひよの先輩と呼ばせてもらいますね」
なんというか、人懐っこくて元気な方だなあ。
「それで、ひよの先輩。私になにか御用でしょうか?」
「ああ、そうでした! すばるさんのピアノが素晴らしくて、ついつい聴き入ってしまいました」
「ふふ、お上手ですね。私なんかのピアノでそう言ってもらえると嬉しいです」
「なに言っているんですか! あの『妖精の弾き手』のピアノをタダで聴けるなんて幸運ですよ! それだけで月臣学園に入って良かったって人もいるくらいです!」
「あ、あの……恥ずかしいのであまり大声で言わないでもらえます?」
ホント『妖精の弾き手』とか誰が言い出したんだ。妖精とかそんな柄じゃない。
「あ、すみません。私はこう見えて、新聞部の部長さんでして」
「部長さんですか! すごいですね!」
「まあ、部員は私一人なんですけど」
「部活として成り立っているんですかそれ!?」
「それはもう。私一人で取材やら新聞作成やらこなさないといけないんで、大変なんですよー」
「それは凄いですけど、よく一人で部活動として認められていますね」
もしかして、新聞部として名乗っているだけの、自称部活動とかだったりするのだろうか?
「それはもう、学園長の弱みをつかんで、強引に正式な部として認定するように脅して――ごほんごほん、ひよのちゃんのジャーナリストとしての真摯な精神と情熱を学園に訴えた結果です」
「最初、脅したとか言いかけませんでした!?」
まあ、ジョークだろうけど。冗談にしてもきつい。
「それはそうと、すばるさんにインタビューしに来ました!」
「話の切り替えが急ですね。でもインタビュー? 私にですか?」
はてさて。私なんかにインタビューとはいったいどういうことだろう?
月臣学園には各部活に、全国クラスのエースがいるし有名人だってよりどり見取りだ。それこそ現役アイドルすらいるだろう。
私なんかにインタビューなんて、時間の無駄だろうに。
「ではでは、早速! 鳴海歩さんとの馴れ初めを、ぜひぜひお聞かせください!」
「ひよの先輩までそれを訊くんですか!?」
「いやー、鳴海さんとすばるさんのことを、早速記事にしたのは良いんですが、書けたのは公にわかることぐらいでして。ここは本人にアタックして、スクープ情報を獲得しようかと!」
とんでもないことを言いながら、手作りの校内新聞を見せる先輩。
そこには、あゆくんと私の記事があった。しかもこっそり撮ったと思われる、あゆくんと私が一緒に話していたり、手をつなぎながら街を歩いている写真付きで。
「お昼休みや放課後にやたら注目されていたのは、先輩のせいだったんですか!? 私とあゆくんのプライバシーは!?」
「ひよのちゃん的には良く書けていると思いますよ! あと、すばるさんは鳴海さんのことを『あゆくん』と呼んでいると。やっぱり仲良いんですねぇ」
「私、記事の出来とか訊いてないですよね!?」
「でも、この記事の人気は高くてですね」
「人気の話もしてないです!」
「嫌ですね。新聞なんて売れてナンボなんですよ。人気が一番です!」
「ジャーナリストとしての真摯な精神と情熱はどこ行ったんですか!?」
「私、すばるさんのピアノに心から惚れ込みまして……ぜひ、月臣学園の皆様にすばるさんの素晴らしさを知って貰おうとこの記事を書きました」
ひよの先輩はやたら澄ました表情を作って、言葉を返す。
「その言葉、この記事を見る前に聞きたかったですけどね!」
「まあまあ。このお礼は必ずしますから。こう見えて、私色々とお役立ちですよ?」
「ええ……? まあ、今更記事はどうすることもできないでしょうし。少しの時間なら良いですけど」
この先輩の場合、相手しないといつまでも引っ付いてきそうな気がするし。
「おお! さすがすばるさんです!」
それにしても、ここまで振り回されているのに、嫌な感じがほとんどないのは不思議である。
理不尽の塊みたいな清隆さんを相手にし続けて、感覚がマヒしてしまっているのか。はたまたひよの先輩が距離感の取り方が非常に上手なのか。
――本当に、ひよの先輩に色々とお世話になるとは、この時の私はまったく思っていなかったのである。
病院帰りのあゆくんと合流して、スーパーに入る。
数日分の献立や日用品の備蓄を確認し合いながら、買い物を進めていく。
「えーっと、豚バラ肉と、ほうれん草とー」
「っと、牛乳を忘れるところだった。あれがないとねーさんがキレる」
「まどかさん、毎朝牛乳を飲むんだよね」
「ああ。朝飲む分がないと怒るんだ。まず殴られるか蹴られる」
「そこまで怒るくらいなら、牛乳くらい自分で買い足ししておくべきだと思うんだけど? ましてやあゆくんがそんな仕打ちを受けるのはおかしいよね?」
「だからって、この前みたいなケンカは止めてくれよ? 一言二言、文句を言わせておけば、ねーさんだって気が済むんだから」
まあ、まどかさんのいらだちも、あゆくんがまどかさんを気遣うのも分からないでもない。清隆さんが失踪してもうじき二年になる。
でも、それとこれとは関係ないと思うんだけど。まどかさんはもっとあゆくんに労りの心を持って欲しい。
「それにしても、すばる。もう毎日のように、こっちに来ることもないんだぞ?」
あゆくんが、急に真面目な様子で、私に問いかけてくる、
「どうしたの、急に?」
「ねーさんは完全にとはいかないが、立ち直った。すばる達の助けがなくても、十分に生活できる。それに、俺だってもう子供じゃないんだ。もっと自分のやりたいことに時間使って良いんだぞ?」
「……本当に、まどかさんは助けがなくても生活できそう?」
あの人の家事能力のなさは、筋金入りだと思う。
「……まあ、俺一人いればなんとかなるだろ」
あゆくんは若干遠い目をしながらも、なんとか言葉を返す。
「……大変だと思うよ?」
「深刻な顔をして言うな。俺まで不安になる」
「まあ、二割は冗談だけど」
「ちょっと待て。残り八割はどうした?」
「本気で心配してる」
「即答か!?」
「あゆくんが大変すぎて倒れないか、心配で心配で」
「ねーさんじゃなくて俺の方の心配か!?」
「どれくらい大変かは、むしろあゆくんの方が私より理解していると思うよ?」
まどかさんと一緒に暮らす大変さは、あゆくんの方が身にしみて分かっているはず。
「……ノーコメントだ」
「あゆくん、それだいたい答えを言っているからね?」
あゆくんはバツの悪そうな顔をしている。
「それにね、お父さんもお母さんもあゆくんのことは心配しているし」
「すばるのご両親には、それなりに顔合わせているし、そんな心配してくれなくても良いと思うんだけどな」
「二人とも、あゆくんのこと好きだからね」
「そう言われると恥ずかしいんだが」
「もう、照れることないのに」
あゆくんは照れ屋さんなんだから。そういうところもかわいいけど。
「それに、私もあゆくんと一緒にいたいから」
「……その言葉は反則だろう」
それを言われたら、なにも言えない。そう、かすかにつぶやくあゆくん。
その通り、私は意外とずるいのだ。あゆくん限定で。
「あゆくん、顔真っ赤」
「そういうすばるだって同じだろ」
「もう、そこは見なかったことにするべきだよ?」
「最初に指摘したのは、すばるじゃないか」
「えへへ、そうでした」
「代わりと言ってはなんだが、なにか俺にできることはないか?」
「できること? うーん、そうだなあ……」
「別になんだっていいぞ。俺にできることならだけどな」
「それじゃ、今度一緒にお出かけしようよ! 忙しいのが続いているけど、時間作って!」
「そんなことで良いのか?」
「いいの! 私がしたいんだから」
「やっぱり別のことでって、後から言ってもダメだからな」
「分かってるよ。えへへ、どこ行こっか? あゆくんはどこ行きたい?」
「こら、スーパーの中であんまりはしゃぐんじゃない」
そう言いながらも、あゆくんは穏やかに笑っている。
そんなあゆくんの様子に、私は嬉しくなり――ふと、初めて出会った頃のあゆくんを思い出す。
いつも寂しそうで、なのに心にふたをして、無理をして平気そうに振る舞っていた、小さな男の子。
私は平凡な女の子で、誰かの心を変えるなんてことはできないと思っていた。
「ねえ、あゆくん」
けれど。もし、私にもできるなら。
「今、楽しい?」
隣にいる大切な人を、どうか笑顔にすることができますように。
「……ああ、そうだな。すばるのおかげだ」
あゆくんは答えるように、私の頭を優しくなでてくれた。それだけで、胸の中が温かくなる。
それは、あゆくんと一緒にいなければ、決して得られなかったものだ。
あゆくんも――私といて、同じ気持ちになってくれているのかな?
もしそうなら、とても嬉しいなって思う。
どうか、これからもこのような日々が続きますように。
これにて本作は完結です。
ここまで読んでくださった方。お気に入り登録してくださった方。ここ好き、評価してくださった方。感想をくださった方に感謝します。
ありがとうございました。