────シュートに見せ掛けたフェイクトラップ。
「やるって分かってたらこれ程取りやすいもんはねぇよ」
浮いた球は即座に奪われて、応用とばかりに俺の前で全く同じものを使ってゴールを奪われる。
────瞬間吸収。
「やろうと思えば誰でも出来る」
フェイクに引っかかる様子なんてあるはずも無く、詰将棋ですらない一手のチェックメイトを突きつけられる。
「あと、お前ドリブル下手くそ過ぎ。もうちょい頑張れ」
一週間という短い期間の、さらに一日の中で限定されている僅かな時間で水野は俺を徹底的に鍛え上げてくれたけれど、同時に俺というサッカープレイヤーを破壊するほどの激しさを見せていた。
「……こういうの言うようなキャラじゃないし、俺自身根性論とか嫌いなんだけどさ」
心のどこかで慢心があったのかもしれない。
玲央と出会って、サッカーを始めさせられて。特に練習する必要もなく、周りと比べ物にならないほどに俺はサッカーの素質があった……あってしまったから。
そんなもの、目の前のカイブツを前にしたらどうということもない平凡なものだと言うのに。
そんなちっぽけなアドバンテージにもならないものに酔っていたのだろう。
「『熱』が無いんだよお前」
「────」
「お前が言う目的……潔に勝つ、だっけ? それにしてはやる気っていうかなんて言うか。必死さが感じられない。お前大して上手くない癖に謎の余裕があるんだよなぁ……クソ気持ち悪い」
今までの水野とは違う。
感情表現があまりなかったあいつと今の水野は似ているようで全くの別物。
明確な苛立ち。それは俺に対してでは無くて、何かを見ている……その対象が誰なのか分からないけれど、どこか諦めのような表情を浮かべるこの男の姿がとても嫌だった。
だから、一度だけ。
いつものように水野との練習を始めようとした最初に俺はある提案をした。
眉を顰める水野だったけれど、少し考えた後、了承を得てから1VS1を始める。
「────ぁ」
瞬間。迸る悪寒。全身を押し潰す圧力。
準備運動を十全に行った俺の体から吹き出される冷や汗。面白いほどに言うことを聞かない身体と、たった一人から動かすことの出来ない眼球。
まだボールに足を乗せているだけだと言うのに、既に身体は敗北を受け入れて……違う。もう敗北しているのだと叫んでいる。
(これがゾーン……水野の、本気)
たったの10分。
そんな僅かな時間で行われた小さな試合で、俺の体力は底をついた。
込み上げてくる胃液を何とか抑え込む。震える脚は無理に抵抗することなく膝を折り地面に這いつくばって浅く荒い呼吸を続ける。
「マシにはなってるんじゃねぇの? 状況次第にもよるけど、潔にも勝てるかもな」
頭の奥がジンジンとする。血流が速くて脈も今までに感じたことの無いほどに酸素を全身に巡らせようとしているのが分かる。
重圧から解放された俺の身体は一気に押し寄せてきた疲労によってさらなる重圧を受けることになる。今日一日は、もう満足に動ける気がしない。
「派手なプレーをしろなんて誰も言ってねぇよ。そういうのはワールドカップでのパフォーマンスの一環でやることだ。勝ちに拘るんなら常に最適解を意識しろ。自分の武器を正しく認識しろ、それはこの監獄の中じゃノアの次に光ってるものだ」
「ぶ……っ……き……」
「もっとも、あの人のは先天的なものでお前のは後天的よりのものだから厳密には違うが。俺と似たようなもんだろ」
酸素が、酸素が。
全身が、脳が、酸素を欲して堪らなくなる。
吐くように呼吸をする。
水野の言葉だけは聞き逃すまいと耳だけに意識を集中させて、呼吸を忘れてしまいまた咳き込む。
きっと、水野は俺の事をなんともない表情で見下ろしてるんだろう。なんの障害にも思ってないんだろう。ただ気紛れで俺に手解きを加えているだけだろうから。
(ゾーン……ゾーン……ゾーンか)
俺にもあの領域に立てる才覚はあるのだろうか。
何度も考えた。水野という天才が立つ頂点。
同じく、周りから天才と称されている俺にもその資格はあるのだろうかと。
(無理だな〜)
資格があっても無くても、俺が水野の領域に足を踏み入れるという映像が全く想像出来ない。
一矢報いる。ただ一点だけ。それだけなら、という淡い期待を胸に抱いて、俺は出来ること、ギリギリ出来ないことを突き詰めていく。
「……熱が無い、ね」
入念なストレッチ。長すぎず、短すぎない適切な睡眠時間。
食事、入浴、トレーニング。全てを最適なものに設定して、俺はこの日のために備えてきたから。
広い、けれど狭く感じてしまうコート上。
その相手側の、さらに奥に立つ規格外の姿を見る。
いつも通り。張り詰めた空気もなし。ただ作業を行うかのような心持ちでそいつは居たから。
「
少し、ムカついた。
子供のような理由。それを自覚しながら、俺は隣に立つ相棒に向けて拳を向ける。
以前のような言葉は無い、必要無い。相手もそれをわかっている。
だから、ホイッスルがなる直前に俺達の間で行われたことは、ただコツンと拳を合わせることだけだった。
◇◇◇◇
「水野悠。次の試合、お前はDFにまわれ」
「はい」
サバイバルデスゲーム第二回が始まろうとしていた。
俺が所属するチーム、蹴落とそうとする気マンマンの奴らもいるけれど、一応全員が集まったミーティングみたいな雰囲気を醸し出す空間で、俺はノアからそう告げられた。どうせ拒否権ないし、嫌でもないから適当に頷いておく。DFかぁ、久しくやってなかったポジションだなぁ。GKやってみたいけど。やったことないし。
と、数あるポジションの中の一つが埋まっただけの話なのに、何故か周囲はざわつき始めた。なに、そんな危険なのDF? 足元から剣が突き出してくるとか無いよね? 死なないよね? 怖くなってきた寝たい。
え? DFってディフェンスだよね?
「…………理由を聞いても?」
「
「………………………………いいや」
刺青って敬語使えるんだ、ノアに顎クイし始めたら本物だなアイツ。ちょっと見てみたい。やっぱ見たくないわ、他所でやってくれ。
違うわ。めっちゃ唇かんでるわアイツ。何が刺さったの? 何キレてんの? おい、潔。出番だぞ、ケツを差し出せ。
「水野くん後ろか。やる気無くなるわァ。前出てな?」
「出ねぇよ」
俺の隣に経つのは氷織ン。後ろに手を組んで話を聴きながら、肘で俺の横腹を小突いてくる。男なんだよなぁこいつ。女の子にされたい。
肩と肩が触れ合う距離。こいつそのうちそっちの趣味あるやつに喰われそうで怖い。第二の潔辺りか。地獄かよこの空間。帰りたい。
「────分かってるな、潔世一」
「押忍!」
あいつ「押忍」とか言う性格だっけ? 双葉状態を保ってくれよ。たまに肉食獣みたいに男を見てる時があるからな。冴とか食べ頃だと思いますよ。人間と付き合いたいらしいから射程圏内ですね良かった良かった。
「後ろに呑み込まれるなよ、ストライカー共」
「ちっ……」
怖い。刺青隠せ。舌打ちすんな。忠犬みたいなやつが心配してんぞ。
そしてやってきた試合のお時間。相変わらず設備だけは超一流なようだ。閉鎖空間すぎて壁が迫ってきそうだけど……はっ!? つまりあれか、生き残りをかけた最終戦、どちらかが勝って喜び、悲しみを顕にしている所を無慈悲な両チーム鏖殺!! そのための自動ドア、そのための四方壁に囲まれたサッカーコート!! 気づいた、気づいてしまったぞ!!!
「どないしたん?」
「あの壁……動くぞっ!!」
「阿呆」
文ですら無くなって単語で煽られた。泣こうかな?
「おいおいおいおいおい〜??? な〜んで後ろ下がってんだ、ミスター・ユウ???」
「試合にならないからな。合理的な判断と言えよ、クリス」
「……ははっ。世界一様は面白いことを言うな。ルール改定を知らないのか? キミのチームと試合する時、
「俺のチーム、じゃなくて、『水野悠』だ。その意味を履き違えてるんじゃないだろうな、圧倒的二位くん」
「────────」
大人同士の煽り合いほど滑稽で面白いものは無いな。聞こうと思ってなかったから聞いてないけど、あの金髪ムキムキの血管爆発しそう。筋肉見せたいんだったら胸筋辺りに力入れろよ、顔に力入れるな、顔トレ? 女優ですか?
「……コロス」
「なんで俺見て言ってんのあいつ?」
「キミに言ってるからね」
「こわ」
そして対戦相手を見る。凪いるじゃん。あと凪のガチ勢くんも。
話しかけてはこない。何やら集中しているようだ。あまり会話しているイメージの無い二人は距離が近く、拳を互いに軽く合わせていた。いいね、相棒くんか。呪詛吐いてたから厄介ストーカーかと思ってたわ。安心安心。
んじゃ、後ろで大人しくしとこうかな。
試合が始まった。
◇◇◇◇
バスタード・ミュンヘンにとっての第2戦目が始まった。
一戦目と比べブルーロックメンバーが増え、人数比も半々。
この試合からの大きな違いといえば、むしろ相手チームか。
元々設定されていた、指導者ストライカーの出場制限の撤廃。
ノアを除く指導者ストライカーに対して1:10という完勝を世界に示した水野悠がいる時限定の特別ルールにあやかり、早速イングランドのクリス・プリンスが最初からコートに立つ。
同時期に行われているであろう、別チームの試合。
ほぼ同時中継の二試合の中で、しかし世界が注目するのはこの試合だろう。
水野悠の名前は、もはや世界に知れ渡った固有名詞となった。
スポーツ特集のトップを独占。ネットニュースも、テレビニュースも、SNSでもその名を聞かない時間はない。
DFに下がっている水野に対しての不満を誰もが抱いた。次はどんな神業シュートを見せてくれるのかと期待していた視聴者たちは少しの落胆を浮かべながらそれでも試合の動きを見守っていた。
その不満は、即座に崩れ去る。
試合展開は超スピードで発展していく。
潔とカイザーのツートップ。このふたりの超次元の駆け引き。
マンシャイン・Cはこの二人に苦戦しつつ、しかしクリスを含めた連携によりボールを奪う。
超次元の試合。この時点で、視聴者達の興奮は高まるばかり。
「……俺、行きます」
クリス・プリンスにボールが渡った。
突き進む。アギ、千切、玲王が横一列に走り、パスを回しながらゴールを狙う。
クリスの走るライン上。その先に誰がいるのか気がついた人達は、その興奮をマックスに高め、今か今かとその瞬間を待ち望んでいた。
クリスの口元が歪に歪む。その時を待ち望んだかのように。
鋭い目で、楽しそうに、忌々しそうに。
対称的な、気怠げな目をした男……水野悠が立ち塞がった。
来た。この瞬間。
少し前に見た、1VS1。その時の蹂躙劇を、あるいはリベンジを求めていた人達が立ち上がり、画面に釘付けになる。
コート上の空気が張詰める。クリスの中の世界が、水野悠と自分のただ二人だけの空間を形成した。
パスの選択肢は無い。今だけは指導者の立場を全て無視し、ストライカーとしての矜持が彼をつき動かした。
クリスは止まらない。走る、走る。延べ11度の対決。その全てを思い出し、この瞬間に集約するクリスは自身の勝ちを疑わずに水野へ挑む。
「取ってみろ!! 水野ユ────」
二人だけの世界。今こそ果たす復讐の時間。
意図せず狭まったクリスの世界。相対する水野はただ立つだけで構えることは無い。
ブチり、と何かが切れた音がした。ただ目の前の愚か者を駆逐するためだけにクリスは意識をさらに絞る。
「こんなもんかよ、
コート上で起きうる、最高の組み合わせだった両者の結末は。
────潔世一の勝利で、あっさりと幕を下ろした。