機動戦艦ナデシコ -Shoot it in the steel- 作:古鉄の夜
前回の戦闘は本当に紙一重でした。あれからナデシコクルーは……特に艦長、エステバリス隊の皆さんは本格的に危機感を覚えたらしく、以前にも増して訓練。シミュレーション。火星領域での戦闘における事前準備と余念が無いみたいです。
……私も時々、パイロット組によるシミュレーター訓練にオペレーターとして参加させてもらってます。——もうあんな思いはごめんです。艦長も時々、エステバリス隊のフォーメーションについて、ミナヅキさん達とミーティングをしてます。とはいえそれでも今は平時。艦長は艦内の士気を保つのも並行してやらなきゃいけません。
苦情処理。各部署の定期視察。艦内放送の番組表作り。誕生日のおめでとうメール。朝の放送で社歌を歌うこと。トイレ掃除の順番決めも、クルーの退屈をまぎらわす為の各種イベントの司会も、みーんな艦長。艦長って、実は戦争してる時より忙しいみたいです。
……そんなわけでテンカワさんに興味ありのメグミさんはここぞとばかりにアプローチを掛けてるみたい。こんな時でも自分の恋心にひた走るメグミさん。いっそ脱帽モノですね……。
最もテンカワさんもコックと俄かに忙しくなってきたパイロット業務の両立で忙しくしてるからメグミさんへの対応もどーしてもおざなりになってしまいます。……むしろテンカワさんは訓練で真剣に話してる艦長の姿に感心してるみたい。と、ゆーわけでメグミさんと艦長のテンカワさん争奪戦(いつのまにか始まってました)は、今の所、イーブン。
あ、ちなみに艦内のトトカルチョは、ウリバタケさんが仕切ってるみたいで、当人たち以外、ほとんど参加してます。
……ミナヅキさんですか? あの人は「そういったことで騒いだりするのはあまり」と言って辞退してます。……ミナヅキさんらしいです。ちなみに私も遠慮しておきました。
なので、ミナヅキさんと私はトトカルチョではどちらでもない中立としてカウントされちゃってます。
……恋。愛。私にはよく分からない感情です。ミナヅキさんもそういうのは自分にはまだ早いと思うって言ってましたし。
このナデシコの航海で、私がそのどちらかでもわかる時がくるのかな?
「……うーん。物資の補給はなんとかなったけど……このまま火星についたとして今のナデシコで勝てる、かな~?」
――艦長室。無数の空間モニターに表示されたナデシコの実戦データがデスクの上に表示されていた。そして過去一年、連合が木星蜥蜴と交戦してきた膨大な戦闘記録を改めて見直しながらナデシコ艦長、ミスマル・ユリカは悩んでいた。
上着はいつもの指揮官用の白いマントではなく、ピンクのカーディガンを羽織っていた。連合大学時代から着ているお気に入りだ。
ユリカはモニターを前回の戦闘で、アルトアイゼンのカメラアイがとらえたチューリップ——それが再起動する場面へ切り替えた。
「この前、チューリップ内部のアルトアイゼンから送られてきた映像……内部にはそれらしい機械どころか、なんにも映ってなかった。そしてこの不思議な光が爆発的に拡がったと思ったら木星蜥蜴の無人メカが大量に現れた、と。
うん、これでチューリップが木星蜥蜴の母艦じゃなくて、ワープホールみたいなものっていう仮説は証明されたね。……原理はさっぱりわかんないけど~~」
頬を指でコリコリとかきながら、ユリカは困ったような顔で唸り声を上げた。あくまでユリカは戦略家だ。こうした未知の現象を研究、科学的根拠に基づいて説明するというのはその道の研究者や科学者の領分だ。——スゴイ技術だなぁ。ワープなんてSFだよ、と思うくらいだ。
……自分が艦長を務めているナデシコも大概なのだが、天性の
それはそれとして前回の戦闘、あと少しでアルトが撃墜されていたかもしれない、という事態はユリカにとって悔いが残るものであった。もしかしたら、あの戦闘でユキヤは命を落としていたかもしれないのだ。
自分がもっとあらゆる事態を想定して戦闘指揮を取れていれば……チューリップが生きていた場合、どんな行動予測をしておくべきか想定できていれば……。
やはり実際の戦闘で一番、危険な目に合うのは現場のパイロットだ。どうやって自分の戦闘指揮で彼らにかかるリスクを減らしていくのか……。これまで無敵の行軍であったナデシコ。
一人の犠牲者も出さずに木星蜥蜴と
あの作戦での指揮官としての失敗。それはユリカを確実に成長させていた。
「もし、ワープホールだとしたら……どうして一つのチューリップから連合の予測した戦力を上回る物量を一気に繰り出してこないの? ……一度にワープさせられる数に限りがある? それとも無人メカの製造数が追いついていないのかな? そーいえば木星蜥蜴の無人メカってどこの工場で作られてるんだろ……?」
ユリカはいつしか、なぜ木星蜥蜴は地球に侵略戦争を仕掛けてきたのか? それそのものについて考えを巡らせていた。
「ああ……そもそも、なんで木星蜥蜴は火星を第一目標として侵攻してきたんだろ? 自分の生まれ故郷を悪く言いたくないけど……まだまだ開拓途中で正直、あんまり侵略しても旨味がないと思うんだけどな……?
なんで一直線で地球に仕掛けてこなかったのかな? ……想像したくないけど、火星をスルーして、地球にいきなりチューリップから無人兵器の大群が攻めてきたら地球の被害だってあんなものじゃすまなかったろうし……」
ギッと椅子を反らして自室の天井を見上げながら、ユリカは自分の推論を口に出しながら考えを纏めていく。
「地球侵略の橋頭保としてまず、火星を墜としておきたかった? ……でも、その割にはその後の侵攻が緩やかな気がするな……確かに月まで抑えられちゃったけど、
敵は自信があったのかな? 火星をあんなに簡単に墜とせちゃったから、これからも同じ戦略で地球も攻略出来るって……違う。木星蜥蜴がコンピュータ制御されているなら、そんな非効率的な侵略手段を取るハズがない。敵だってこちらの戦闘データを解析、学習する事が出来るんだから……」
アルトを優先撃破目標に設定。倒す為に強力な敵機を差し向けたあの戦術的判断を思い出して、ユリカは天井を見上げたまま、首をゆっくりと横に振った。
「どうも、敵の戦略がちぐはぐな気がするなぁ……。地球を本気で墜とそうとしてない? そんなハズないよね……」
そこまで考えて、ユリカはハッとした。優れた戦略家としての資質。ユリカの“直感”が働き始めたのだ。
「違う――きっと逆なんだ。木星蜥蜴は地球より火星を真っ先に墜としたかった。きっと長期間、占領し続ける必要があったから、地球への攻撃よりも、火星の防備に戦力を多く割り振ったんだ。万に一つも火星を連合に奪還されない為に。なら、地球への攻勢が緩やかになったのもある程度、納得出来る。
でも……なんで? 開拓途中の火星にそこまでの価値は……いや――もしかして、私達が気付いてなかっただけで木星蜥蜴にはあったのかな? 火星を長期間、確保し続けたい理由が。
…………まだ、推測でしかないけど、これが当たっていたら――」
ユリカは自分の頬から顎先にかけて冷たい汗が伝っていくのを感じた。ガタリ、と椅子を後ろに倒しながら立ち上がる。モニターに今一度、視線を向け直す。
「――私達が火星で戦う事になるのは木星蜥蜴の本隊なのかもしれない」
それはナデシコ艦長にとって最悪の予測であった。
あの隕石群での戦闘から三日……。ナデシコは大分、落ち着きを取り戻していた。表向きは。
——その夜。自室で就寝していたルリは何となく目が覚めてしまい、寝直そうにも寝つけなかったので少し、ナデシコ艦内を散歩でもしてから改めて寝ようと、適当に艦内をブラついていた。ナデシコ艦内は日本時間で夜となると、基本的には全体が消灯される。艦内の白い廊下は今は闇で覆われ、足元を僅かに照らす小型灯だけが輪郭を現している。
トコトコと歩くルリの手には自販機で買ったコーンスープが握られていた。この時間帯はプロスペクター曰く、経費の節約の為、暖房等の空調システムも止められている。身体を冷やさないよう水色の寝間着の上から同色の上着を羽織り、なんとはなしに艦内を歩いていく。時々、コーンスープを口にしながら。そんな時——
「……あれ……?」
ルリが進むT字路の先、見知った人影が通り過ぎていった。
「ミナヅキさん……? でも……あれ?」
ナデシコに子供は自分とユキヤしか乗っていない。あの背格好は間違いなくユキヤだ。……そのはずだ。
今、通り過ぎていったユキヤの横顔——
ユキヤは黒目のはずだ。小型灯の加減でそう見えただけだろうか? しかし……ユキヤはルリに気付かず、そのまま格納庫のある方面に足を進めていく。
こんな夜更けに……何か気になることでもあったんでしょうか? それに——気になって仕方ない。ルリはいけない、と思いつつもユキヤの後を気づかれないように尾けていった。
格納庫——ハンガーにアルトアイゼンが固定されている。あの戦闘で中破してしまったアルトだったが、ウリバタケら、ナデシコの優秀な整備班による不眠不休の努力によってすっかり元通りの姿を取り戻していた。……担当だったスタッフは今頃、自室で泥のように眠っていることだろう。
メタリックレッドの塗装も綺麗に塗り直されており、格納庫内の僅かな灯りを受けて鈍い輝きを放っていた。
それをユキヤは見上げていた。
ルリは足音を殺しながら近くのフォークリフトにその小さな体を隠しながらユキヤをそっと覗き見る。……そしてさっき見た光景が見間違いではなかったのだと確信した。
(……やっぱり、ミナヅキさんの目……紅いです。どういうコト?
どうして変えてるのかな。ナイショにしたいから? あと、可能性として考えられるとしたら……もしかしてミナヅキさんも私と同じで、遺伝子操作された上でナノマシン処理を受けているから目の色が変わった……でも、それはおかしい。
普通、ナノマシン処理を受けた人の目は私のように金に近い黄色になる筈。ミナヅキさんの目は……紅です。そもそもアルピノにしては目の色が鮮やかすぎる。とても虹彩色素の欠乏で、毛細血管の色が浮き出て赤くなっているとは思えない。——なぜ? どうしてそれを隠すの……?)
ルリの頭の中は疑問符で一杯だった。……またそれとは別に、言いようのない悲しみが胸に沸いてくる。……友達だと信じていたユキヤに隠し事をされていたこと。それはルリに少なからずショックを与えていた。何か理由があるんでしょうか……? ルリはじっと愛機を見上げるユキヤを物陰から見守った。
「……俺がミスったばかりに、お前を散々な目に合わせちまった……すまん、アルト。……それでも、お前でなければあの戦闘、俺は生き残れなかった。
みんなに心配させて、ウリバタケさん達にも迷惑かけて……みんな、気にしてないって言ってくれるけど、それに甘えるわけにはいかないよな。
お前の性能はまだ底があるはずだ。必ず引き出してみせる。俺も——もっともっと腕を上げて。
じきにナデシコは火星に辿り着く。そこが俺達にとって最大の戦場になるだろう……頼むぞ、アルトアイゼン。——もの言わない俺の相棒よ」
アルトの消灯した翡翠色のデュアルアイ。それを見上げながら、ユキヤは静かに語りかけた。——戦場における己の分身に向けて。
その時、フォークリフトの辺りから誰かが駆け出す音が聞こえた。——もしかして誰かいたのか? ハッとなったユキヤはそちらに視線をやった。人影が曲がり角へ消えていったような気がしたが、一瞬の事でよく分からない。一体誰だ? そこまで考えてユキヤは自分の失敗に気付いた。思わず目の辺りを右手で覆う。
「——しまった! コンタクトしてなかった! 見られたのか!? 夜ならそんなに人いないだろうと気を抜きすぎた! ど、どうする……なんとか見つけて説得しないと!」
とはいえ、これ以上、騒がしくして誰かに見咎められては本格的にまずい。ユキヤは走り去っていった誰かをなんとか静かに追跡しようとしたが……結局見つけられず、断念する他なかった。
……ルリは走っていた。ユキヤのアルトアイゼンに向けた静かな決意。心臓がどくどくと高鳴っている。
見てはいけないものを見てしまったような……ルリは胸の辺りを手で抑えながら自室に飛び込むように入るとそのまま、ベッドに急いで潜り込んだ。
まだ胸が騒いでいる。もう今夜は眠れないかもしれない……。そんな予感を感じながら、なんとか眠ろうと目を瞑った。
——ミナヅキさんは本当にアルトを大切にしているんですね——
その次の日、ユキヤは訓練、アルトアイゼンの調整についてウリバタケらに相談——といつも通りに過ごしつつ、周囲の人の反応を注意しながら観察していた。
理由はもちろん昨夜、走り去っていった誰かに事情説明をする為だ。事が事だけにどうしても黙っていてもらわなければならないのだ。マリオンや研究所の人達。その誰かにも迷惑が及ぶ可能性がある。問題は相手にどうやって説明するかだ……。
ユキヤはその事に頭を痛めながら相手を探してナデシコの人達に話しかけていった。
基本的に礼儀作法がしっかりしているユキヤを嫌うナデシコクルーはほとんどいない。むしろ近頃の子供にしては良く出来ていることもあって彼が話を振れば、快く応じてくれる人達が大半だった。その中から不自然な人がいるとすれば……。
ナデシコブリッジ。ユキヤはいつも通り、各クルーに挨拶して軽く話しながら、注意深く様子を伺っていた。
そして、いよいよブリッジ中段の三人に声をかけた。
「こんにちは。ミナトさん、メグミさん、ホシノ」
「こんにちは、ユキヤ君!」
「ユキヤ君、こんにちは〜。今日も元気そうね〜♪」
「…………こ、こんにちは。ミナヅキ……さん」
ミナト。メグミはいつも通りで含みのない挨拶を返してくれた。ただ、ルリは明らかに動揺していた。ユキヤの心にまさか、という疑念が沸いたが確信するにはまだ早い。
ユキヤは暫く三人と取り止めのない世間話をしながらルリの反応を見てみた。……ミナトと話をしている時、ルリがユキヤの目を——いや、正確にはその虹彩の色を覗きこむように見てきたのだ。
ユキヤの疑念は確信に変わった。
「——ホシノ? どうした。俺の顔に何か付いてるか?」
「おやおや〜? ルリルリったらユキヤ君をさっきから熱い目で見つめちゃって、もしかしてもしかしちゃったりするのかな〜?」
「え〜!? ルリちゃん『も』そうなの!? 最近の若い子って進んでるんだー!」
単純にユキヤが気になって仕方ないのだろうと推測していたミナトが、少しおどけるように話しかけてきた。自分もアキトに恋煩いをしているメグミはそれに乗ってきた。だが……その誤解はルリにとってたまったものでは無かった。
「ち、違います!! ——あっ。す、すみません。ちょっと早いですけど……私、休憩に入ります」
「「「…………」」」
急に大声を出したルリにユキヤ以外の二人は目を丸くしてしまった。そんな自分を恥じるようにルリはシステムをオモイカネに預けてそそくさとブリッジから去っていった。
「……あ、あれれ? か、軽い冗談のつもりだったんだけど、嫌だったのかな、ルリルリ。ご、ごめんね。ユキヤ君……」
「どうしたんだろ? ルリちゃん。いつもは冗談言っても冷静に返してくれるのに……?」
気に障ってしまったか、とミナトは申し訳なさそうにユキヤに謝った。メグミもいつものルリとは違う様子に不安そうだ。
「いえ、もしかしたら、俺の態度に何か落ち度があったのかも知れません。俺の気付かない所でホシノを傷つけていたのかも……ちょっと話してきます」
「う、うん。私も次ルリルリと会った時にちゃんと謝っておくわ」
「私も……」
「……ちょっと過敏になってしまっただけですよ、きっと。俺もホシノにそれとなく話しておきます。じゃ、行ってきます」
すまなさそうにしているミナトとメグミをフォローすると、ユキヤはルリの後を追ってブリッジを出た。
……ルリにあんな態度を取らせてしまったのも恐らく自分のせいだ。ますますしっかり話し合わなければならない。
「ホシノ! ちょっと待ってくれ! 話したい事があるんだ!」
「ミナヅキさん……」
休憩とはいったものの、とても落ち着いて休んではいられず、なんとなく廊下を歩いていたら後ろからユキヤにとうとう声をかけられてしまった。振り返りはしたものの、どう反応していいか分からない。
「……その……昨日の夜、格納庫で俺を見たか?」
「——ッ!!」
見抜かれた——ルリは思わず身を固くしてしまう。–—やはりか。目を閉じて顔を俯けるユキヤ。
ユキヤのその様子にルリの心臓が早鐘を鳴らしだした。どうしよう? やっぱり逃げちゃったのはまずかったかな? ミナヅキさんに責められたら……嫌われちゃったらどうしよう? どうしようどうしようどうしよう……。
ナデシコで唯一の友達と呼べる人に嫌われるかもしれない。それはルリにとって恐怖以外の何者でもなかった。そこには若干、11歳でナデシコのシステムを統括する天才児の姿は無かった。
ただ友達を失うかもしれないと怯える少女がそこにいた。……もっとも、それは杞憂に過ぎないのだが。
ユキヤは覚悟を決めて顔を上げるとルリの顔を真っ直ぐに見る。白い顔を更に真っ白にしているルリがその黒い瞳に映っていた。
「……その、言い訳を聞いてもらえないか? 自分でも図々しいこと言ってると分かっているけど……頼む」
「——え?」
てっきり覗き見していた事を責められると思っていたルリはそうやって真剣に頭を下げてくるユキヤに面食らってしまう。言い訳を聞いてもらいたい? じゃあ事情を話してくれるの……?
ルリはユキヤに掠れた声で返すしかなかった。
ユキヤは事情説明の為にルリを自室に招いた。……ユキヤの部屋にあがるのは初めてだ。さっきとは別の意味で胸がドキドキしてしまう。だが、ユキヤの深刻そうな様子にこれからどんな話を聞かされるのかと心配になった。クッションを勧められ、それにおずおずと腰をおろす。
ユキヤは自室のデスクから何かの容器を取り出している。
彼の自室は本人の性格を現すかのように整理整頓が行き届いていた。散らかっておらず、デスクの上にはノートパソコンが置いてあり、その横の本棚にはぎっしりと専門書がつめられている。……恐らくエステバリスに関するものばかりなのだろう。彼がテストパイロットの仕事にどれだけ真剣に打ち込んでいるのか。部屋の様子を見ただけで理解できた。
ユキヤがルリの対面に座る。そしてフタが二つ付いたその小型容器のうち、片方だけ開けた。
「……ホシノが昨日見たのは多分、これだろう?」
ユキヤはそう言うと右眼に右手の人差し指と中指を当てて摘む仕草をすると、
そしてこちらに顔を向けたユキヤの姿にルリは息を呑んだ。
ユキヤの右眼が……紅い。まるでルビーが嵌め込まれたかの様な鮮やかな紅だ。対して左眼は黒のままだ。
「やっぱりコンタクトをしていたんですね……」
「ああ……ホシノも気付いてると思うけど、この目の色を隠す為に、な」
「……どうしてですか?」
「俺は遺伝子改造を受けて誕生し、特殊なナノマシンを体内に入れられた……。その影響でこの通り、目は赤——いや、真紅と呼べる色に変化しているんだ」
「……一般的にナノマシン改造を受けた人の目の色は金色になるはずです……私のように」
「体内にあるナノマシンの違いだろうな。……ホシノのナノマシンは多分、コンピューターと素早く大量のデータをやり取りする事を主目的に調整されたタイプなんじゃないか?」
「その通りです……そのお陰で私はオモイカネとアクセスしてこのナデシコのシステムをコントロールすることができます。
——ミナヅキさんのナノマシンはどう違うんですか……?」
これまでこんな話をユキヤとしたことはなかった。
自分が特殊な生まれをしていることなどユキヤと話している時はほとんど忘れていられた。——ただの友達でいられたからだ。
……ユキヤの顔は無表情だ。こんな話をするのは彼としても本意ではないのだろう。これまでの付き合いからルリもそれを察することが出来た。
——でも知らなきゃこれから先、どうやってミナヅキさんとお話していけばいいか分かりません。
ルリは辛抱してユキヤの話に耳を傾けた。
「主に身体性能の強化。ホシノには及ばないが、ナノマシンによるデータ処理能力の向上。ナノマシンのサブ脳で受け取った情報の演算処理能力。これによって各種センサーで捉えた情報をサブモニター等、映像で確認すること無くサブ脳を仲介して膨大なデータをダイレクトに知覚、それらを演算処理する事で戦場で次に起こる状況を高精度で
地球脱出でデルフィニウム三機を仕留める際、ホシノが寄越してくれたデータ……あれもこの演算能力で敵機の機動を予測対応する為に使いたくて頼んだのさ。だから一気に三機墜とすことが出来た……」
「……そう、だったんですか。その、聞きづらいんですけど、ミナヅキさんが13歳でアルトのテストパイロットをされているのは……」
「この能力による所もある。俺がアルトの過酷な加速Gに耐えられるのは……そもそも身体が頑強だったからだ。もちろん訓練で鍛えたからってのもある。
ホシノもそうだったろうけど、いくら遺伝子改造されて素質や才能があってとしても、結局は本人が努力しないと実戦で通用する力は身に付かない……宝の持ち腐れになってしまうんだ」
そのユキヤの言葉にルリは深く頷いた。自分も人間開発センターで情報処理能力を毎日ひたすら磨いたからこそナデシコのオペレーターとして十全に働く事が出来ているのだ。
そしてルリはいよいよ核心を突く質問をユキヤに尋ねた。
この質問を口にするのはルリにとって、とても勇気がいる事だった。
「その……経歴ではミナヅキさんは一般家庭で生まれ育って……その、虐待に遭って家を出た……とありましたが……違うんですね?」
「――ああ、俺が生まれ育った場所はそもそも両親のいる家庭なんかじゃない。——得体の知れない研究所だ。間違いなく非合法の」
ルリの瞳が今度こそ大きく見開かれた。
――俺はその研究所で生まれた。人間としてではない。効率良く戦争に勝利する為の存在。“
物心ついた頃からずっと戦争に勝つ為の訓練を受けさせられたよ。
その目的は『個としての究極の単体戦力を創造すること』——俺はその先駆けとして造り出されたそうだ。何処まで本気で言っているのか分からないし、そんなもので何をするつもりなのかなんて知りたくもないが……奴らはそのつもりで俺を使い、研究していた。
——治癒機能。身体能力の強化。耐G適性の向上。各感覚神経の鋭敏化。及びナノマシンコントロールによる最適化された兵器制御能力。
――その機能こそが存在の全てと知れ――
俺に戦闘教練を課してきた教官役の研究員にいつも呪文みてぇにそう聞かされてきたよ。
……ひたすら戦闘——いや、人殺しの技術を植え付けさせられる日々。
……自由に生きたい。あの頃の俺は戦闘以外の事をまるで教えられなかったから、なんとなくそんな思いだけを持って毎日を耐えていた。自分でもどうして自由が欲しいと考えてしまうのか分からなかったんだ。
切っ掛けとなったのはある研究員が自室でテレビを見ていたのを覗き見た時。TVキャスターが街を歩く人に何かを尋ねている風景が画面に映っていた。……俺には街と、そこで暮らす人達の姿がとても眩しかった。光り輝いて見えた。
……俺もそこに行ってみたい。せめて一目だけでも見てみたい。そんな思いが一気に弾けた。
俺は研究所を脱走しようと考えた。どんなリスクがあろうと知ったこっちゃなかった。
演習の合間を縫って研究所のあちこちに爆薬を仕掛けた。……自由に生きたいなんて考えを奴らに知られたら何をされるか分からなかったから俺は表向き、奴らに従順なフリをしていた。だから欺けた。
そしてある日——爆薬を一斉に起爆した。俺はその混乱に乗じて研究所から脱走した。……ただ、その時、研究所に設置されてた自動迎撃システムが撃ってきた弾を一発もらってしまった。幸い、急所は外れてたから俺は構わず脱出した。途中、痕跡を消す為に川を渡って追手を撒いた。
……滅茶苦茶に走りまくって……そしてとうとう辿り着けたんだ。人が暮らしてる夜の街へ。——もうふらふらだったけどな。
せめて……死ぬなら憧れ続けた人が暮らす街の光景を目に焼きつけて死にたかった。……それで道路に倒れ込んじまって、これで終わりか、と思ったその時——
「ちょっと貴方っ!! 何を道路のド真ん中で倒れているのです! 轢かれたいのですか!? 若い身空で! 私の目の前で堂々と死のうとするなど許しませんわよ!!?」
ラドムラボ——いや、当時はただの研究所の一つだったけど。車で自宅に帰る途中だったラドム博士が、そうやって俺を担ぎ込んで、病院へ運んでくれたんだ。手術まで受けさせてくれて……お陰で俺は一命を取り留めた。今の時代、身元は全て遺伝子データで検索出来る。俺が訳アリだという事も理解した上で、黙っていてくれた。あの人は命の恩人なんだ。
目を覚ました俺は病室を訪れたラドム博士に全てを話した。——自分の身の上を。街を見たくて、自由に生きたくて、研究所を脱走した事を。
ラドム博士はずっと……しかめっ面しながら俺の話を聞いてたよ。そしてウチに来なさい。と言ってくれた。
そしてラドム博士の家に招かれて、人として生きる為の勉強を受けながら、過ごした。その数日後……
「貴方はどう見ても日本人——日系人です。それらしい名前を考えました。これからは“
……そう言って、俺の名前が入った戸籍抄本を手渡してくれた。ラドム博士の目の下には濃い隈が出来ていたよ……。
「じゃあ、ミナヅキさんにとってラドム博士は……」
「そう、俺の名付け親でもあるんだ。まあ、こう言ったらラドム博士は怒るんだけどな。私はまだそんな歳じゃありませんって」
日本の旧暦で六月を示す「
名前の由来が気になった俺にラドム博士はそっぽを向きながら話してくれたよ。
「……どうして水無月——六月なんですか?」
「俺がラドム博士に助けてもらった月—— つまり出会った月が六月だからだ」
自分の誕生日についてラドム博士に聞かれた時——俺にとって誕生日は生体兵器としての製造年月日だからあまり好きじゃない。と零した事をあの人は覚えてくれてたんだ。
……ラドム博士は何も言わなかったけど、悩むことがあったら自分の苗字を、自分と出会った月——六月を思い出せ——そういうことだと思う。得体の知れない子供であった俺の為に。
……どうしてそこまで良くしてくれるんですか? と尋ねたらあの人は……
「——自由に生きたい。そう望んだのでしょう、貴方は。自分の人生というのは自分でコントロールするものです。貴方は間違っていません」
そうやってピシャリと言ってくれた。やるからには徹底的に、です。貴方の面倒を見ると決めたからには中途半端はしません。
……お陰で俺は欲しくてたまらなかった自由をようやく得られた。
あの人は俺の意思を尊重してくれた。どんな時も俺の味方であってくれた。俺が一人前の人間としていきていけるように厳しく——けれど沢山のことを教えてくれた。
けど、同時にラドム博士は厳しい現実も見据えて、判断できる人だった。
俺が非合法の研究所で生まれたという事実は覆せない。もし、奴らに俺の生存がバレたら奴らはどう出るか……。あの偽の経歴も、このコンタクトレンズも奴らに俺が生きているのを知られないよう、ラドム博士が骨を折って用意してくれたものだ。
……俺のこの紅い目。目立つだろ? 社会で暮らすというのは見知らぬ人と関わって生きるということだ。沢山の子供が通う普通の学校には通えない。どこに奴らの目があるか分からないからな。……学校に関しては親に虐待されていたのが原因で人と接するのに問題があるという体裁で通信制の学校に通わせてもらえた。
俺の目を見て、黒髪紅目の子供がいると何処かで噂が立てば……それを聞きつけた研究所の奴らがどう考えるか。
『本人とは限らないが、ひとまず確保しておくか』
——そうなったらお終いだ。だから黒のコンタクトレンズをはめてカモフラージュした。黒髪黒目なら日本人としてそこまで目立たないからな。
……それでも、不確定要素でバレてしまう可能性があるのはラドム博士も分かっていた。
「ユキヤ。貴方は選ばなければなりません。このまま、息を潜めて連中から隠れながら一生を過ごすか。それとも運命に対抗する為に貴方自身が戦う力を付けるか……。自分で選びなさい。どちらを取ろうと、私がその為に力を貸します」
ラドム博士は選ばせてくれた。……そして俺は戦う力を付ける道を選んだ。
俺がパイロットとして生きると決めたのは……自分の意志でもあるけど、同時に俺を狙う奴らから自分自身を守るためでもあった。来るべき時が来た時、奴らに俺の人生を好きにさせない為に……。
あの人に出逢えて俺の生は変わった。生体兵器として生まれ……番号で呼ばれてた俺に人としての名前と——人生をくれた。
「だからホシノ……頼むっ! ラドム博士が俺の為にしてくれたこと。この目や、偽の経歴のこと。どうか黙っていてくれないかっ!?
どんな理由があろうと俺が嘘をついていたのは事実だ。俺のことなんか嫌ってくれていい。軽蔑してくれてもいいっ! でもっ! ラドム博士だけはどうか……どうか……許してあげてほしいんだ。生体兵器として造り出された俺を人間として生まれ変わらせてくれたあの人を……世界でたった一人の俺の家族なんだ——血の繋がらない俺の姉さんなんだ……」
——ミナヅキさんはその場で土下座してまで、私に必死に頼み込んできました。……ミナヅキさんがラドム博士をどれほど大切に思っているか。改めて理解できました。
本当に……ミナヅキさんにとって人生の恩人だったんですね。ラドム博士は。
……私の答えは決まっています。
「はい。絶対、話したりしません。約束します。ミナヅキさんのことも嫌ったりなんてしません。そんな事情があったなら本当のコト話せないなんて当然です。……むしろ私も謝らなくちゃ。辛いことたくさん話させてしまって、ごめんなさい」
「とんでもない! 俺こそこんな重い話をしてしまって申し訳ない……でも、ラドム博士のことを誤解してほしくなかったから、話さない訳にはいかなかったんだ。……ありがとう、ホシノ」
「いえ……あ、休み時間だいぶ過ぎちゃいました。私、そろそろブリッジに戻ります」
「話し込み過ぎてしまったな。本当にすまない。ブリッジの人達には俺も一緒に謝るよ」
「プライベートなコトですから詳しくは話せませんね……あ、そのミナヅキさん……」
「ん? なんだ?」
不思議そうに私を見てくるミナヅキさんに私は——精一杯、勇気を出して尋ねました。
「……私達、まだ友達ですよね?」
「——ああ、もちろん。ありがとう、ホシノ」
ミナヅキさんはゆっくりと微笑みながら私にそう返してくれました。
この人だけは裏切りたくない——私は心の底からそう思った。
主人公について書きました。とはいえ、これが全てではないのですが……。
ルリにはこれまでの信頼の積み重ねもあって信じてもらえました。
主人公がアルトをある意味、擬人化して見ているのは自分の同類と考えているからです。生体兵器である自分と機動兵器であるアルトアイゼン……。有機体か無機物ベースかの違いで捉えているというか。
何故、そう考えてしまうのか? それは自分が生体兵器として生まれたことをある程度、受け入れてしまっているからです。
良くも悪くも性格が生真面目すぎる……。
人間として生きると決心しながらもどこか、自分の生を受け入れています。
改めて、この物語は機動戦艦ナデシコのフリした機動突撃兵アルトアイゼンです。