偽五条悟 作:アローラマコーラ
伊地知にとって五条悟関連の仕事は悩みの種である。補助監督としての仕事だけなら良い。だけどコンビニスイーツのラインナップから地方の電車の時間まで電話で聞いてくる。
そんな伊地知の最大の不幸は五条悟の後輩であるというより、どんな無茶ぶりであっても断れない気の弱さと対応できてしまう能力にあった。
無論、できるのなら無茶ぶりはやめて欲しいし、補助監督の仕事外の情報は自分で調べて欲しいし、余計な仕事を押し付けないで欲しい。
五条悟はその気になればなんでもできてしまう人間だ。そのうえで面倒ごとを増やしては悉く押し付けてくるのだからタチが悪い。
ただ彼にはどうしても五条悟に逆らえない恩義があった。 それはまたいつか語るとして…
年が明けてすぐのこと、伊地知は五条悟にある仕事を頼まれた。
「最近、僕の偽物がいるっぽいんだよね。その偽物、僕と同じ格好をして僕の名前を名乗って好き勝手やってるらしい。伊地知、ソイツのこと調べてくれない?」
その仕事を頼まれた時、年始早々に変な冗談を言い出したと思った。ただ、五条悟は平然とした様子で偽五条悟の目撃情報があった場所、またそれと接触したと思われる高専関係者のリストを渡してきた。
「あのこれは…」
「僕が集めた情報はここに書いてるからあとの調査はよろしくね」
そのリストに目を落としたとき、見知った呪術師の名前の上に罰印が書かれていた。
「あの…庵準一級術師の罰印は」
「歌姫も偽物と会ってるみたいだけど、勘違いさせたままの方が面白いからなしで頼むよ。まぁ、伊地知なら証言の一つくらいなくても余裕で調べられるでしょ」
(またこの人は…)
伊地知は軽薄に笑う五条悟の顔を見て、内心でため息をついた。
ただ悲しくも伊地知も五条悟に信頼されているスペシャリストである。そのリストを見ただけで、目撃者に何を尋ねるべきなのか、行動履歴を突き止める方法、監視カメラの記録を提供してもらう手順や書類手続きなど、必要な情報を見つけ出す方法がすぐに思い浮かんでしまった。
そして、その仕事にかかる労力と時間も。
「はぁ…やりますか」
年始早々だろうが五条悟の無茶ぶりは平常運転である。
とはいえ伊地知は今回の仕事を甘く考えていた。五条悟の偽物といっても本人の勘違い、もしくは偶発的なトラブルで変な噂が飛び交っているに過ぎないだろうと。まさか本当に五条悟の真似をして徘徊している命知らずがいるはずがないと。
ただ、偽五条悟の情報を集めるなかで伊地知はありえない事実を知ることになった。
「本当だ。本当に五条さんの偽物がいる…⁉︎」
監視カメラの映像には五条悟そっくりの男が映し出されていた。
もし彼が五条悟の立場を利用して悪事を企む呪詛師であったのなら見逃すことはできないだろう。五条悟の立場は魅力的だ。現在最強の呪術師の称号をもち御三家の一角 五条家の当主にして、特級術師に任命されている。その立場を悪用できれば莫大な富を手にすることもできよう。
だが、それ以上に大きなリスクがある。それは五条悟に正面から喧嘩をふっかけているということ。それはたとえ国家予算を超える富を得たとしても割に合わない対価だ。
現状、偽五条の目的は不明だ。街を気ままに散策しているようで、目立った被害は確認されていない。だが狂った行動目的も直ぐに判明するだろう。伊地知がまとめあげた報告書を五条悟に渡せば偽五条はお縄に付くことになる。
とはいえ報告書が完成したのは深夜だった。五条悟なら電話をすれば今すぐ来るかもしれないが、伊地知は少し休みたかった。
(今日はもう寝ましょう。明日は五条さんの任務に同行することになっている。その時にこの報告書を渡せばいい)
その翌日、伊地知は某県のコンビニに高専の公用車を停めて待機していた。そこは五条悟と待ち合わせに指定した場所であった。
ただ伊地知は予定時刻の20分前に到着しておりコンビニで買ったサンドイッチを片手に車内で済ませられる仕事に取り掛かっていた。
そんなとき、車のガラス窓をノックする音が聞こえた。顔を見上げると五条悟がこちらを覗き込んでいた。
「ご、五条さん。おはようございます。珍しいですね。五条さんが約束より早く来るなんて」
「なにいってんの。伊地知の遅刻だよ。メモを確認してみなよ」
五条悟は少し不機嫌そうに言った。まるで長時間待たされたような態度だった。その反応を見て伊地知は慌ててメモ帳を開いて確認した。ただ、そこには伊地知が記憶していたとおりの時間が記されていた。
「あの、間違っていませんけど」
「ハハ、ばれた?柄にもなく早く着いたのが癪だったから、ちょっと意地悪してみたんだ」
「まったく、冷やかしもほどほどにしてください」
「悪い悪い。それじゃあ任務にいこうか」
悪い悪い?伊地知はなにか違和感を覚えた。こんな会話をするとき五条悟はどんな態度をしていただろうか。悪びれない態度をしていた気がする。気のせいか?そんな事を考えながらも伊地知は車を発進させた。
そして車内にて伊地知はバックミラー越しに映る五条悟の顔を見てふと口にした。
「それにしても、今日の五条さん、なにか若々しいですね」
「それって普段の僕が老けて見えるってこと?」
「え、いや…」
「次それ言ったらマジビンタ」
伊地知は会話の内容を切り替えるため仕事の話をすることにした。
「これが例の偽物の報告書になります」
赤信号で停車したとき、伊地知は助手席に置いていた鞄からファイルを取り出すと、それを五条悟に渡した。その報告書には偽五条悟の名前や住所などが記載されていた。監視カメラの映像に加えて、利用している金融機関などを調べることで、芋づる式に個人情報を特定したのだ。
「なるほどね。流石は伊地知だ。よく調べたね」
五条悟はそう言いながら報告書を関心した様子でめくっていた。報告書の内容は五条悟の納得できるものだったようで伊地知は安堵して運転していた。
ただ、山道に入ったあたりからだった。伊地知の携帯に着信が鳴り響いた。入り組んだ山道であり、後続の車がいたため電話に出ることはできず、放置していたが、着信は何度も繰り返された。ただあまりにもしつこかったため、伊地知は脇道を見つけると、そこに車を止めて携帯を確認した。
直近の着信履歴には五条悟の名前があった。
そこで違和感を覚えた。後部座席に座る五条悟をバックミラー越しに見ると、変顔をして遊んでいた。また趣味の悪い悪戯をしたのか。そう思いたかった。
だが再び運転をしていると電話はかかってきた。
それも何度もだ。
だんだんと心臓の音が大きくなる。
伊地知は報告書に載せた偽五条悟の顔を思い返した。その顔は本物の五条悟より若々しく、年齢は20歳と記憶していた。
『それにしても、今日の五条さん、なにか若々しいですね』
『それって普段の僕が老けて見えるってこと?』
『え、いや…』
『次それ言ったらマジビンタ』
少し前に交わした会話が頭に過った。
もしかしてーー
伊地知は今日五条悟と出会った時のことを思い返した。五条悟は約束の場所に現れた。だけど時刻はズレていた。しかも遅刻魔の五条悟には珍しく早く来た。ただ、それは考えすぎかもしれない。後部座席にいる五条悟は今日のスケジュールだって知っていたし、偽物とは思えぬほどスムーズに会話が成立している。本当にそうか?
『伊地知の遅刻だよ。メモを確認してみなよ』
『あの、間違っていませんけど』
『ハハ、ばれた?』
いや、誘導されたのだ。メモ帳の予定を盗み見て、それで話を合わせてきたのだ。つまりである。
「いやーデッカい山だね。まるでテーマパークに来たみたいだ」
後部座席にいる五条悟は五条悟ではない。五条悟の顔をした誰かが五条悟の声で喋ってる。
「伊地知もそう思わない?」
「…えぇ、そうですね」
伊地知潔高25歳。これまで数多くの呪霊に遭遇した。恐ろしさのあまり悲鳴をあげたことがある。ちびったこともある。泣いたこともある。ただ、今日ほど恐ろしい体験をしたことはなかった。
(私はいったい誰と車に乗っているんだ⁇)
伊地知は全身から血の気が引いてくるのを感じた。
「伊地知、集中力が乱れてるけど大丈夫?そこの脇道で少し休憩入れるか?」
「すみません。大丈夫です」
それは貴方のせいだと叫びたかった。ただ、何故なのか赤信号の合間で携帯を見ても、脇道に止めて車外で電話を使おうとしても携帯は圏外と表示されていた。
今できることは穏便にやり過ごしつつ、五条さんに助けを求めること。なのに肝心の携帯電話が繋がらない。
伊地知は人生一番の恐怖を感じていた。
一方の偽五条悟こと北条は報告書を見て戦慄していた。
(なるほど。個人の秘匿処刑が許されている組織なら銀行や市役所から情報を提供してもらうのもわけないか。彼の協力がなければ詰んでいたな)
北条はさりげなく伊地知の態度を観察していた。彼は事故を起こすことなく運転しているが、顔は青ざめており、ハンドルを握る手は必要以上に力が入っていた。
(やっぱりバレてるなー、一応、結界術で携帯の電波を遮断してるが、このあとどうしようかな?)
北条は思案する。もし自分が伊地知の立場ならば敢えて事故を起こして、強引にでも事を大きくするだろう。ただ伊地知はそんな事を思い付かない。やれと言われたらやる度胸は持ち合わせているだろうが、根が優しすぎる彼には持ち得ない選択だろう。
だから、今は五条悟のコスプレを楽しむことにした。今日以降、現在利用している戸籍や口座は使えなくなるが、保険は用意している。だから今は五条悟を満喫しながら、動く結界を維持しておけばいい。
基本的に結界術は、『複数の基点を設定する。それを線で繋いで空間を作る。その中を呪力で満たす』この三つの過程を基礎としている。
だが北条は結界術を学ぶ過程で早々に気がついた。この発想では何千年修行しようとも閉じない領域展開には到達できないと。だから北条は別のアプローチから結界を作成することにした。
(結局は手品みたいなものなんだよね。ネタが分からなきゃ本当に神業に見えてしまう)
現在、高専の公用車の後部席に座る北条を中心に半径15メートルの結界が張られていた。それに付与された効果は通信妨害。この結界は従来の結界術とは全く異なる手法で張られていた。
この帳は基点を設定したのち、その基点を核にして呪力を繊維のように絡ませて空間を作っていた。例えるなら縁日で売られる綿飴のような構造である。箸を軸に砂糖の繊維が複雑に絡み合い外角なしで空間を形成している。これならば空間を維持するため外角を作る必要はないし、動かすこともできる。北条はそれを結界術に応用していた。
ちなみに、これは縁日にて五条悟の行動パターンを練習していた際に思いついた発想であり、それすなわち五条悟の恩恵といえるだろう。
そして、北条はその恩恵をフル活用して、五条悟として伊地知の運転する車に乗っていたのだが。
(これが本物の五条悟が座っていた後部座席と思うと興奮するね♫)
(この人怖い。急に後部座席を撫で始めたぞ⁈)
突如として後部座席を有り難そうに撫でる北条をバックミラー越しに見て、伊地知はさらなる恐怖を覚えた。だが車は着々と山奥に進み、ついには本当に電波がつながらない場所に突入した。
そして伊地知の心はさらに揺れ動くことになる。
「なるほど。常世神信仰の呪霊か。偽物の神様が相手とは皮肉だね」
任務地に到着すると偽五条悟は村に巣食う特級呪霊を真正面から殴り飛ばしていた。その様は本物の五条悟のように圧倒的であり、伊地知はさらなる戦慄を覚えた。この強さ、見抜いていることがバレたら間違いなく殺されるッ!
「へぇ、なにか細工をしているとは思っていたけど、そういう術式だったか。最高に趣味が悪い」
特級呪霊は村人達に自らの卵を産みつけていたらしく、大量の眷属が村人達の身体を食い破り誕生した。
その光景は目を閉じたくなるほどの生地獄であったが、偽五条悟は瞬く間に眷属を皆殺しにした。その圧倒的な速度を見て伊地知は戦慄した。逃亡は不可能。逃げても追いつかれて殺される。
「よく耐えたね。もう安心して。最強の呪術師 五条悟に任せなさい」
呪霊を討伐したのち偽五条悟は村人達に反転術式の治癒を施していた。反転術式のアウトプット。それは本物の五条悟でもできない高等技術であり、偽五条悟が卓越した呪力操作の技術を持つことを証明していた。
老若男女構わず爽やかな笑みを浮かべて反転術式で治癒する様は御仏のようであり、見抜いていることがバレたら慈悲もなく殺される。
あれ、本当にそうか?
むしろ、本物より良い人な気がする。
「伊地知、お疲れさん。熱いから気をつけて飲みな」
任務の帰路に寄ったパーキングエリアにて、偽五条悟は伊地知に自販機で買ったコーヒーを手渡した。その温かさは冬の寒さで冷え切った指先によく染みた。
この五条さん すごく優しい。五条さんに優しくされたのなんていつぶりだ。と思ったが、そんな事は一度もなかった気がする…
そこで思い出した。任務が終えて、後処理をするまで一緒に働いてくれたが、本物の五条悟はそんなことしない。この五条悟は偽物なのだと。
ただ伊地知が気が付いたときには偽五条悟は立ち去っていた。伊地知は慌ててパーキングエリアを隈なく探したが、見つけることはできなかった。
その後、高専に戻った伊地知を待っていたのは不機嫌そうにぜんざいを食べる五条悟だった。
「ーーで、絆されて見逃したと?伊地知マジビンタ確定な」
「お、お手柔らかにお願いします…」
今回の失態は五条悟の無茶振りとは関係ない伊地知のミスである。伊地知は今回ばかりはケジメと戒めを兼ねて五条悟のお仕置きを受けようと思ったのだった。
北条聡
任務では反転術式を使わず村人を見捨てるか、人命救助を優先すべきか、かなり迷ったが、五条悟なら宿儺対戦のあとくらいにはできるようになるだろうと思い、後者を選択した。なお預金口座が使えなくなったので、今はへそくり頼みのもやし生活を送っている。
伊地知潔高
最強の呪術師も重宝する補助監督。偽五条悟と接触後、ノイローゼになって久しぶりに有給を使った。ただ休暇後も完全に立ち直れたわけではなく、五条悟と会うたびに偽物の写真と見比べて確認するようになった。
五条悟
後輩3号が顔を合わせるたびに本人確認してくるので、その度にデコピンをしている現代最強の呪術師。行方をくらませた偽物を探し出すため後輩1号を招集することにした。
与幸吉
最近、怪しい友だちができた。