もう1人のバカ兄貴   作:佐倉シキ

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終幕•不夜城崩落

 

 

 

 

 

 

 

 

どすん─────

 

地面が大きく揺れ、塔全体が震えた。

落下の衝撃音は空気を震わせ、耳の奥にまで響き渡る。土煙が巻き上がり、遠くの建物の壁が崩れる音すら重なって、不夜城の喧騒に最後の鐘を打ち鳴らしたようだった。

 

勝敗は決していた。

いかに龍であろうと、あれほどの傷を負い、さらにこの高さから落下しては助かるはずがない。生への執念すら、その衝撃に掻き消されるだろう。

 

「……」

 

星海坊主は静かに腕を下ろした。その大きな肩が、安堵とも、あるいは疲弊ともつかぬ重みで沈む。己の全てをかけて放った一撃の余韻がまだ腕に残っていた。彼はしばらく黙したまま、ただ燃え盛る不夜城の街並みを見下ろした。黒煙が渦を巻き、炎が空気を赤く染め上げていく。地獄絵図のような光景の中、彼は亡き息子の面影を思い浮かべた。

 

「お父さん、今度はちゃんとやったぞ。江鷹」

 

呟きは炎にかき消されそうなほどか細かった。だが確かに、誰よりも強く己の胸に響いていた。

 

暫しその場に佇み、落下した地を見つめ続ける。炎と煙の渦が彼の眼前で立ち昇り、地獄の底を隠すかのように揺らめいていた。その時、

 

「パピー……」

 

気遣わしげな声をあげて、神楽が近寄ろうとした。その瞬間、彼らの立つ塔が大きく軋み、震え始めた。

 

「まさか、崩れるのかッ!?」

 

銀時達は咄嗟に壁や柱に手を伸ばし、身体を支えた。足元から響く嫌な振動は次第に強まり、塔全体が唸りをあげている。既に炎が下層を呑み込み、支柱を焼き切ろうとしていた。

 

「早く上に向かいますよ、このままでは蒸し焼きになってしまう。地上へ向かうエレベーターはこの塔に残された一つしかありません」

 

魈雲の声が熱に歪んで響く。燃え盛る街並みへ戻るわけにはいかない。煙と炎が渦巻く街は既に死の領域であり、足を踏み入れれば喉を焼かれ、一瞬で命を奪われる。地下都市全体が蒸し窯のように熱を蓄え、気温は刻一刻と上昇していた。アドレナリンに支配されていた彼らもようやく、それに気づいたのだ。

 

「行きますよ。案内します」

 

魈雲は死にかけの身体を無理やり起こし、足を引きずりながら階段へ向かった。その背中は焼け焦げた影のように揺れていた。

 

だが、夕染は逆方向へ足を進めていた。

 

「お前、何のつもりアルか?」

 

神楽が目を見開き、真反対へ向かう夕染を呼び止める。

 

「私は下に向かいます」

「意味分かってんのか」

「ええ。当然です」

 

夕染は振り返り、5人を見渡した。

炎の光に照らされたその顔は、奇妙に穏やかだった。黒い強膜の中に輝く黄色い瞳。その中には、これまでの彼女には見られなかった柔らかな光が宿っていた。

 

「龍宮様を1人にはできませんから。それに、もう1人友人が下にいますしね」

 

炎と煙に包まれながら、彼女はゆっくりと語る。その声音には恐怖も迷いもなかった。ただ確信と覚悟だけがあった。

 

「龍宮様は、きっと家族を求めていた。1人が寂しくて、満たされなくて、他の人々と同じような繋がりを求めていた。そんな、寂しがり屋の1人の女性のようですから。

作ろうとしても上手く作れず、力を制御できずに壊してしまったり、愛を理解できずに買った人々を容易く捨てたりしていた。我らのような強靭な傭兵部族ですら理解し得ぬ孤独の中に生きてきた。そんな人を最期の時まで1人にはできませんよ」

 

彼女は再び背を向け、階段を降り始めた。

銀時は思わず呼び止めようとしたが、ふと気づいて言葉を飲み込んだ。夕染の腹からは血が滴っていた。ずっと片手を添えていた傷口が再び開き、止まらぬ出血となっていたのだ。あれは致命傷、長くは持たない。

 

「やっと、彼女の見せる虚な瞳の意味を理解できた。もう全て終わってしまったけど、やっと一歩、憧れの人に近づけた。捨てられ、攻撃されようとも、私が龍宮様に救われたという事実は変わらない。

夕染は彼女の側におります。家族として、最期のその時まで」

 

振り返った夕染は、炎の中で微笑んだ。その笑みは驚くほど柔らかで、炎さえもその美しさに霞んで見えるほどだった。

 

「良い人生でした。悔いはありません」

 

彼女は深々と、優雅な仕草で頭を下げる。

 

「皆々様、お世話になりました。どうか長く健やかでいてください。……それでは失礼いたします」

「待ってヨ、何で!」

 

神楽が泣きそうな声をあげる。だが銀時がその腕を掴み、止めた。彼の目には苦渋の色が滲んでいたが、それでも選ぶべき道は一つだと知っていた。彼らは上へ、生き残る道へ足を進める。

 

燃え盛る塔の内部は、地獄そのものだった。鉄と木の軋みが、炎の唸りが耳に響く。黒煙が天井から渦を巻いて落ち、火の粉が雨のように降り注ぐ。木造の床板は次々に崩れ、焦げ臭さが鼻を焼いた。

 

銀時達は汗に濡れた顔を歪め、息を荒げながら必死に駆け上がった。背後からは炎が階段を舐めるように迫ってくる。時間がない。その思いが、彼らの足をさらに早める。

 

一歩ごとに階段は軋み、崩れ落ちそうになる。瓦礫が足元を滑り落ち、炎の中に消えていく。その音が彼らをさらに焦らせる。視界は煙に覆われ、呼吸のたびに喉が焼けついた。だが立ち止まれば、死しか待たない。

 

「あと少しですよ!」

 

魈雲が声を張り上げた。だが声は熱に歪み、喉から血が込み上げた。彼はそれを無理やり飲み込み、なおも足を速める。

 

上を見上げると、残された道は炎に覆われていた。しかしその向こう、唯一の救いであるエレベーターがある。

 

「行くぞ!」

 

星海坊主が前に飛び出し、巨大な傘を振り抜いた。轟音と共に風圧が炎を吹き払い、一瞬だけ進路が開かれる。

 

「今だ!」

 

彼らはその隙を逃さず駆け抜けた。背後で階段が崩れ落ち、火の中に消えていく。轟く崩落音が死の影を迫らせる。

 

ついに、目的地に辿り着いた。

 

皆の姿はボロボロだった。衣服は焦げ、肌は火傷と傷に覆われ、息は荒く、額を伝う汗が血と混じって滴り落ちる。それでも立っていた。生きるために。

 

「このエレベーターで地上に向かえます」

 

目の前にあったのは、奇跡的に無事だったエレベーターだった。周囲の壁は焦げつき、金属の扉も熱で歪んでいた。

 

「電気系統にダメージが……いや、予備電源はまだ無事だな……」

 

焦げ臭い煙と火花が舞う中、魈雲は塔の壁際に取り付けられた古めかしい絡繰り装置に手を伸ばした。熱に歪んだ金属が鈍く鳴り、焦げついた歯車が軋むたび、火花が散る。だが彼の指先は迷いなく複雑な機構を操作し続ける。やがて内部で重々しい鉄の音が鳴り、黒く煤けたエレベーターの扉がゆっくりと開いた。

 

「さあ、さっさと乗ってください。時間はあまりないですよ」

 

その声に背を押されるように、銀時達は急ぎ足で中に乗り込んでいく。だが一人、星海坊主だけが立ち止まった。燃え盛る階下へと視線を落とし、瞳に苦悩の色を宿す。その視線の先には落下した息子、江鷹の姿が残されている。煙に閉ざされて見えぬその場所へと、心だけが向かっていた。

 

「厳しいことを言いますが、燕心さん……江鷹さんの生存確率はゼロです」

 

魈雲の冷静な言葉が、突き刺さるように耳に届く。エレベーターの中でその会話を聞いていた神楽は、顔を曇らせ、苦しげに唇を噛んだ。銀時と新八も、言葉を失いながら神楽を気遣うように視線を向ける。

 

「いくら星海坊主とは言え、下まで降りて亡骸を抱えて上がってくる時間はありませんよ。死にたいのならそれでも良いですが、選んでください。生きている娘さんと共に脱出するか、死んだ息子と人生を共にするか」

 

烈火に照らされた星海坊主の顔が、苦悶に歪む。拳を握りしめると、その力で骨がきしむほどだった。しかし、長い沈黙の末、彼は燃え盛る下方に背を向けた。

 

「俺にはまだ、やらなきゃならない事がある」

 

その声はかすれ、だが決意を帯びていた。

 

「そうですか。それは結構。ならついでにこれも持っていってください」

 

魈雲が声をかけ、片手で何かを放る。星海坊主は反射的に手を伸ばし、それを掴んだ瞬間、息を呑んだ。

 

「これは……江鷹の傘か」

 

煤と炎に焼かれ、布地は破れ、骨組みも歪んでいる。もはや原形をとどめていないその傘は、しかし間違いなく江鷹が使い続けてきたものであった。

 

「そんなものしか見つかりませんでしたがね、何もないよりマシでしょう。一応奴隷商船にいた頃から使っていたものなので……まあ気分的には微妙かもしれませんが、形見とは呼べるでしょう」

 

その言葉に、星海坊主は深く息を吐き、傘を胸に抱き締めるようにして大切に握った。

 

「ありがとう」

 

魈雲に向け、低く、しかしはっきりと告げた。

 

「お前のおかげで息子に再会できたよ」

「僕のせいで死んだようなものですけど」

「露悪的だな。お前は悪くねぇさ。むしろ17年しか生きてないガキのくせに良くやった方だろう」

「……気持ちが悪いですね。攻撃的な態度を取られた方がまだやりやすいですよ」

 

魈雲は肩をすくめ、深いため息をつくと、その手で星海坊主の背を押し、強引にエレベーターへと押し込んだ。そうして、自分は乗り込まないまま扉を閉めてしまった。

 

「ッ!? お前、何のつもりだ!?」

 

星海坊主は反射的に扉をこじ開けようとした。しかしヒビの入った扉は危うく、無理をすれば上昇機構ごと壊れてしまうだろう。

 

「壊すと上へ上がれなくなりますよ」

 

魈雲の言葉に、星海坊主は動きを止める。炎と轟音の中、銀時が「死ぬ気かよ」と問い詰めようとした時、魈雲は被せるように声を上げた。

 

「僕にはまだ、やる事があるんですよ。こう見えて完璧主義者なんでね。徹底的に、完膚なきまでにやらねば気が済まない」

 

彼は側にあった椅子に腰を下ろし、再び絡繰りの装置に手を伸ばした。内部の機構が動き出し、エレベーターは鈍い振動とともに動き始める。

 

「さようなら皆さん。なかなか良い働きでしたよ。無事龍宮さんを倒してくれて助かりました」

 

ゆっくりと上昇していくエレベーター。その中の仲間達に向け、魈雲は軽やかに手を振った。

 

「ありがとう。お元気で」

 

その姿が遠ざかり、やがて見えなくなったのを確認すると、彼はその場にどさりと腰を落とした。途端に押し殺していた痛みが一気に噴き出す。咳き込み、口から血を吐き出し、胸の奥で異様な音が鳴る。興奮が醒めた今、ただ体の痛みに苛まれるばかりだった。気を抜けば意識が飛びそうになるほどの衰弱。だが彼は歯を食いしばり、己を叱咤して立ち上がる。

 

「貴方達も、一緒に上に逃げても良かったんですよ」

 

振り返り、そこに立っていた辰羅の部下達へ声をかける。だが彼らは静かに首を振り、膝をついて答えた。

 

「酔狂ですね。僕の為に買い揃えられただけの貴方達が最期まで共にあろうとは、もう龍宮さんはいないのに」

「我々は元々、彼女に気に入られなかった辰羅です。それが今日この日まで生きていられたのは間違いなく貴方のおかげだ。貴方は、本物の頭領です。龍宮様の指示ではなく、我らは我らの意思で貴方と共にいる」

「酔狂ですね……本当に……」

 

魈雲は椅子に深く座り込み、近くの棚を探る。その奥に隠されていたウイスキーを引きずり出すと、蓋を開け、豪快に喉へと流し込んだ。

 

「頭領ッ!?」

「勝利の美酒って奴ですよ! 素面で死ねるか!!」

 

酒が喉を焼き、顔が赤らむ。彼は片手で絡繰りを操作しながら、笑いとも怒声ともつかぬ叫びを上げた。

 

「全く馬鹿な話ですよ! 最初の計画では星海坊主に龍宮さん殺してもらってさっさと逃げて、不夜城だけまるっと頂いてやろうと思ってたのに!! 金も財も、全部僕のものになるはずだったのに!! あ゛ー!! 愚かッ!! マジで愚かですッ!! 馬鹿! 馬鹿の極みッ!」

 

叫んだ拍子に胸を貫くような痛みが走り、激しく咳き込む。口から再び血がこぼれ落ち、肩が大きく震えた。そんな中、ポケットの中に収めていた小さな機械が、ぴこぴこと微かな光を放ち始めた。

 

「絆すつもりが、絆されてしまいましたね……。燕心さんも夕染さんも死んじゃうなんて、つまんないな。はぁ……こんな感情になる予定じゃなかったのに……」

 

魈雲はその小さな機械を手に取り、じっと見つめる。それは猫耳の幼い兄妹に持たせていた装置と繋がっていた。彼女達には地上で待機し、銀時達と星海坊主が到着したらボタンを押すように指示していたのだ。

 

今光が灯ったということは彼らは無事に地上へたどり着いたということ。つまり、この不夜城にはもはや誰も残っていない。

 

魈雲は乾いた笑みを浮かべ、震える手で再び絡繰りを操作した。

 

「不夜城の灯りは僕が消します。弱っちい辰羅のガキが龍の女王を倒す一助になったんだ。上等じゃないか」

 

 

魈雲が吐き捨てるようにそう言った瞬間、がこん、と腹の底に響くような重い音が鳴り、壁の一角から土砂がどっと流れ込み始めた。

それはまるで長年閉ざされていた堰が決壊したかのようで、乾いた轟音を立てながら一気に広がっていく。超法規的に造られたこの地下空間には、万一の際に証拠を一つ残さず消し去るための仕掛けが施されていた。その最終手段が今まさに作動している。地下に大きく穿たれた空洞を、膨大な土砂で埋め尽くし、痕跡を一切残さぬまま消し去る。それがこの不夜城を丸ごと土に還す仕組みであった。

これで、龍宮の生存は完全に絶たれる。

 

「僕の勝ちです龍宮さん!! これで満足でしょう! はは! あははは!! どうだ見たかよッ、ははは!

灯りは消えてもう寝る時間です、みんな纏めて仲良く永眠しましょう! ははは!」

 

狂気を孕んだ笑いが地下に響き渡る。その声の裏に、魈雲の心に積み重なった絶望と渇望が滲んでいた。

彼の人生はあまりにも辛く、残酷だった。突然、全てを失い、抗う術もなく強者に支配され、ただ慰みものとして弄ばれる日々。屈辱、苦痛、絶え間ない羞恥と絶望。幾度となく死にたいと願った。心も身体も削がれ、命の意味を見失い、何度も自らを終わらせたい衝動に駆られた。

 

それでも、

 

それでも今この瞬間、魈雲の胸は満たされていた。

心臓が痛むほどに脈打ち、肺が裂けそうに荒い呼吸を繰り返すその身体で、なお彼は全身を震わせ、歓喜に浸っていた。

 

「やっと勝った、やっと勝てた……」

 

絞り出す声には、途方もない安堵と熱が宿っていた。胸の奥から噴き出す感情は、これまで彼を嘲笑し踏み躙ってきた全てに対する勝利の雄叫びだった。

魈雲は感無量の面持ちで真っ暗な頭上を見上げ、深く息を吐いた。

 

「僕の勝ちだ! ははは! 最高の最期だ! ああそうさ、良い人生だったよッ! 僕もね!」

 

震える声が、崩れかけた地下都市の天蓋に反響する。

かつて不夜城は、煌めく灯りと賑やかな音に満ち、昼と夜の境を持たぬ幻の楽園のような場所だった。だが今、その面影は一片も残っていない。荒れ果てた瓦礫の中で、轟音と振動、そして土砂の奔流が全てを呑み込んでいく。

 

街の端から少しずつ土砂が染み込むように流れ込み始めたかと思えば、すぐにその勢いは加速度を増し、やがて滝のように轟々と流れ込み、地下都市全体を覆い尽くしていく。

巨大な土砂の波は誇らしげに並んでいた建物を次々と押し倒し、瓦礫を巻き込みながら呑み込んでいく。広場には瞬く間に砂の海が広がり、かつて賑わった路地も店舗も、あらゆる痕跡が音もなく飲み込まれ、消えていった。

 

魈雲は、まるでそれが待ち望んだ祝祭であるかのように、満足げにその光景を見届けていた。

 

無論、彼の立つ塔もまた逃れ得ぬ運命にあった。龍との死闘には耐え抜いた構造も、土砂の重圧には抗えない。根元から深い亀裂が走り、塔全体がきしみながら大きく傾き始めた。金属が裂け、石が擦れ、軋む音が地鳴りのように鳴り響く。頂上から瓦が剥がれ落ち、雨のように街へ降り注いだ。土砂は容赦なく押し寄せ、塔の根元を圧し潰しながら崩壊を加速させていく。

 

そしてついに、塔は耐えきれず崩れ落ちた。

 

だが、その頂部に立っていた魈雲は動じることはなかった。恐怖に駆られることも、逃げようとすることもない。彼はただ、己の選んだ最期を、地下都市と共に迎える覚悟を固めていた。

瓦礫が崩れ、足元が砕け散り、虚空へ投げ出されようとする中でも、魈雲はわずかに笑みを浮かべたまま、その壮絶な光景を見届けていた。そして、土砂が濁流のように押し寄せ、塔を丸ごと呑み込むと同時に、魈雲の身体もまた瞬く間に土砂に埋め尽くされ、視界は砂と闇に覆われて消え去った。

 

塔が完全に崩落すると、その衝撃で街全体が揺さぶられた。崩れた瓦礫と土砂が混ざり合い、周囲の建造物を次々と巻き込みながら、津波のように広がっていく。抗うことなど誰一人できない。

 

静かに眠る江鷹の亡骸も、倒れ伏したまま動かぬ龍宮も、その手を固く握り合い共に永遠の眠りへと沈んだ夕染も、すべては音もなく呑み込まれていった。

 

最後に残っていた街の灯りや炎は、か細く揺らめきながら抵抗するかのように一瞬燃え立ったが、やがて土砂の重みによって完全に掻き消された。不夜城の光と音は一切消滅し、その存在ごと跡形もなく葬られた。

どれほど堅牢に築かれた建築であろうと、どれほど華やかであろうと、すべては土の奔流に呑まれ、二度と戻らぬ闇の中へと沈んでいった。地下の空間はやがて完全に静寂に包まれ、かつて栄華を誇った不夜城はただの土の山へと姿を変えた。

 

 

 

       *    *    *

 

 

 

その光景を、銀時たちは地上から見届けていた。

エレベーターが崩落し、ぽっかりと穿たれた巨大な穴。その奥底に広がっていた不夜城が、音もなく砂と瓦礫に埋め尽くされ、消え去っていく様を。誰一人声を発せず、ただ静かに見送るしかなかった。

 

胸を抉るような沈黙の中で、並々ならぬ表情を浮かべる4人の姿を見て、ベルとルイは居た堪れない思いに駆られていた。何も言えず、ただ手を取り合って立ち尽くす。その幼い肩に、計り知れぬ不安と悲しみがのしかかっていた。

 

そんな兄妹の姿に気づいたのは神楽だった。

振り返った彼女の瞳は、泥と血に汚れながらも互いに支え合う兄妹の姿を映し出し、その胸を締め付けた。次の瞬間、神楽はゆっくりと歩み寄り、迷いなく彼らを両腕に抱きしめた。

 

「会えて……良かったアルな」

 

その言葉には、万感の思いが込められていた。数多の痛みと別離を乗り越えた末の、短くも重い言葉だった。ベルは震える手で神楽を抱きしめ返し、絞り出すように「ありがとう」と伝えた。

 

「出来すぎたガキだったよ。俺の金玉から生まれたとは思えねぇ」

 

子供たちを抱きしめる神楽の姿を目にして、星海坊主がぽつりと語り出す。その声には、静かな哀惜と悔恨が滲んでいた。

 

「客観的に見て、どう考えても悲惨な人生だっただろう。それが最期の時に“良い人生だった”なんて、“悪くなかった”なんて言えるか? 俺は無理だね、絶対恨み言言って死ぬ」

 

彼の手には、焼け焦げてボロボロになった一本の傘があった。江鷹の形見。星海坊主はそれを大切そうに握りしめ、悲しげな眼差しを落とした。

 

「……ガム食べる?」

「いらねぇよ、慰めのつもりか? へたくそが」

 

銀時はズボンのポケットを探り、そこからくしゃくしゃになったチューインガムの包みを取り出した。指先でそれを軽く弾き、星海坊主に差し出す。しかし返ってきたのは呆れ果てた顔と短い拒絶の言葉だった。

 

「悪かったな。お前らまで妙な事に巻き込んじまって。だがいらねぇ咎は背負うなよ。これは全部俺の責任だ」

「そうかい」

「少し神楽借りるぞ、墓参りに行かなきゃなんねぇからな」

 

星海坊主は低く、しかしどこか決意を含んだ声音でそう告げると、隣に立つ神楽へ視線を移した。娘は父の言葉を待っていたかのように、すぐさま頷いた。

 

「銀ちゃん、私少しだけ万事屋を空けるアル」

「へーへー、有給休暇って事にしといてやるよ」

「ありがとう。給料なんてまともにもらった事ないけどな」

 

そう言って神楽はくるりと背を向け、父の背中を追う。ベルたち兄妹もまた、ターミナルから故郷へ戻るために神楽と手を繋ぎ、その温もりにすがるように歩みを進めた。その姿を銀時と新八は無言で見送り、やがて2人もまた、静かに帰路についた。

 

 

         *    *    *

 

 

 

烙陽──。

一年中雨ばかり降るジメジメした街。。濡れた石畳は光を奪われ、街灯のぼんやりとした光だけが、冷たい夜を照らしていた。路地裏には薄汚れたネズミが這い回り、傾いた家々が無言のままそこに在るだけで、街全体がどこか腐り果てたような気配を纏っている。

 

その鬱屈とした街並みを、神楽と星海坊主は黙々と歩いていた。ザーザーと降りしきる雨は強く、容赦なく体を叩き、服を濡らす。音を立てて流れる水は排水溝を溢れ、路地に川を作っていた。

 

(アイツ……雨、好きだったアルな……)

 

神楽の腕には桐の箱。中には江鷹が使っていた、ぼろぼろになった傘が納められている。その箱を抱く彼女の眼差しは、幼い日の記憶を映していた。雨にずぶ濡れになりながらも笑って帰ってきた江鷹の姿。無邪気な少年の面影が、瞼の裏に鮮やかに蘇っていた。

 

険しい道を抜け、二人はようやく崖の上に辿り着いた。そこからは灰色に煙る街が見下ろせる。雨粒で霞むその景色の先に、墓石が静かに立っていた。そしてその横には、新たに据えられたもうひとつの墓石が冷たく濡れて佇んでいた。

 

「先に作っといた。残念ながら体は持ってこれなかったけどな」

 

星海坊主は低く呟きながら、ひとつの墓石の前に腰を下ろした。そして持参した花を手向ける。花弁は瞬く間に雨に濡れ、しっとりと色を濃くしていく。

 

「江鷹に会ったよ……。残念ながら連れ戻す事は出来なかったし、最初で最後の再会になっちまったけどな。……アイツは、人生に満足してたらしい。どうやら友達もいたみたいだしな。今はダチと一緒に地球で眠ってるよ。

最期の時に悪くない、良い人生だったと、そう言ってたらしい。全部全部棚に上げて言うが、それだけは少し救いだ。

アイツは俺には全く似てない、良い奴だったよ。きっとお前に似たんだな。そっちで会う事があったら目一杯褒めてやってくれ」

 

亡き妻、江華に語りかけるように報告を終えると、星海坊主はスコップを握りしめ、新たに据えられた墓石の前を掘り起こした。神楽は桐箱をそっとその穴へと収め、泥に濡れた手で傘を覆い隠すように土をかぶせた。雨粒が土を打ち、まるで涙のように墓を濡らしていった。

 

やがて墓が完成すると、神楽はその前に黄色い花束を置いた。体はここにはないけれど、魂だけでも帰ってこられていることを信じて話しかける。

 

「江鷹。私、もっともっと強くなるアル。今度こそ、全部ちゃんと守れるように、強くなる。胸を張って、ちゃんと前を向いて生きるヨ。だから、見守っててくれよな。

私、お前の妹で良かったアル。お前が兄ちゃんで、良かったアル。ありがとう、バイバイ」

 

神楽はしばし目を閉じ、深く祈りを捧げた。静寂の中、雨だけが世界を満たす。その一瞬だけ、不思議と雨脚が弱まり、柔らかな雫が神楽の頬を撫でていった。彼女ははっと顔を上げ、重たい空を見つめる。その大きな瞳に涙が浮かんだが、すぐに雨がそれを洗い流していった。

 

「……泣いてんのか?」

「ううん、雨が目に入っただけヨ」

 

乱暴に目元を擦り、神楽は顔を上げて笑う。その笑みに、星海坊主は目を細め、そっとその小さな頭を撫でた。父と娘は並んで立ち上がり、振り返ることなくその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨は止まない。

 

 

ザーザーと耳を塞ぎたくなるほどの音を立て、街を打ち据える。

 

やがて時間が流れ、二人が星を去った後。

 

墓の前に、灰色の外套を纏った男がひとり現れた。風に煽られたフードが外れ、オレンジ色の三つ編みが雨に濡れて揺れる。その青い瞳には、雨粒と共に深い陰りが宿っていた。特徴的に跳ねた髪が、風に翻る。

 

男は静かに墓の前に膝をつくと、泥に濡れるのも構わず、新しい墓石を指先で撫でた。石の冷たさが手に伝わる。

 

「馬鹿な奴……」

 

掠れるような声でそう呟き、短く目を閉じた。その表情には、僅かながらも消せぬ哀愁が浮かんでいた。だが、それ以上の言葉はなく、男は立ち上がると雨に紛れるように背を向け、そのまま墓を後にした。

 

雨は、それでも降り続けていた。

重く垂れ込めた雲の下、街は曇天に覆われ、暗い水音だけが響き渡る。冷たい雨は灰色の街を濡らし、風はゴミと埃を舞い上げ、鉛色の空は水溜まりに映り込む。

 

ここは魔窟だ。

無秩序で、無遠慮で、冷たい雨だけが支配する街。

 

その荒んだ景色を見下ろすように、二つの墓石は静かに並び立ち、ただ黙して雨に打たれ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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総合評価:2783/評価:7.98/完結:19話/更新日時:2022年06月11日(土) 22:56 小説情報


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