お昼には間に合った。
一の鐘が鳴る前に起床して寝台から降りる。
本日の不寝番はティム、時間つぶしに冬用品でも編んでいたのか、暖かそうな作品をサッと籠に仕舞い、私を見るや柳眉を逆立てた。
おそらく、私が自ら幕を捲り這い出てきたのが駄目だったのだろう。呆れはてた表情を隠しもせずネーベル直伝の小言が始まった。
だが私も慣れたもの、軽々聞き流しながら小用を済ませて丁寧に石鹸で両手を洗い、歯を磨き顔を洗う。
上が終われば次は下。靴と靴下を脱がせてもらってから、深めの桶に足を入れ少し熱めの湯が注がれるのを待つ。
温かな血流が足元から回り、寝起きでボンヤリした意識がシャキっと目覚め、体がポカポカ温かくて気持ちがいい。
一息つき、ティムへ頷くと石鹸を泡立だてた布で、丁寧に膝から下、特に足の指とその間、そして爪の隙間を重点的に洗ってもらう。
誰かに世話をされながら生きていく以上、口臭、腋臭、足臭の三大害悪は私の人生から排除せねばならない。これくらいは義務の範囲だろう。
肌寒さが増した気候に合わせてか、昨日よりも分厚い上着を羽織りティムと共に隠し部屋の扉を潜った。
相変わらず家具が一つもない
縦に長い十畳程の広さで、あぜ道が中央を真っ直ぐ壁まで通り、構築段階で凸型にへこませた両端は、あぜ道と同じ高さになるまで土が盛られ、側仕えの手によって畝が作られていた。
天井と側面は全て透明なガラスで覆われ、柔らかい光が太陽もないのに畑全体を照らしている。
ちなみに土は適当に神殿内から採取した、栄養など欠片もないパサパサに乾いた赤土だったのだが、ゲドゥルリーヒの聖杯から汲み取った恵みの雫を存分に含ませると、黒光りするほど豊かな土壌となった。
日本の拘り農家が助走をつけてぶん殴るレベルのチートである。
最初はルトレーベやカルフェ芋、後は料理人に仕入れさせたクルアイゼの実から育てた低木を――フリュートレーネの杖でずるをしつつも――細々とした、趣味の範囲と言える規模で栽培していたのだ。
だが、今はどうだろう? 土が見えない程青々とした草木が生い茂げり、たわわな実で茎や枝がしなるくほどの豊作だった。
「ベーゼヴァンス様、今日も美味しそうです」
「なんで、たった一巡りで収穫出来るんだろうな……」
「大地の母たる
そのゲドゥルリーヒの恵みを混ぜすぎたのだろうか……先週、種を植えたばかりのメリルが茂みまで育ち、重そうな果実が枝の隙間から顔を出している。
「メリルは脂っこくてクドいから苦手だな…。有用性が見つからなければ、油にしてしまおう」
前世でもアボカドは好みではなかった。森のバター? 山羊のバターがあるから十分だ。それに油の方が料理や石鹸、そして私の実験にと用途は多い。
「あの洗髪液はメリルでございましょう? 髪が艷やかで仕上がりも手触りも素晴らしかったです。もう一度――」
「――いや、あれはもう作らない。試しに一回だけと決めていたんだ。そのうち売りに出されるから買えば良かろう」
「いつ頃でしょうか? 是非、発注をお願い致しますね」
悪いが四、五十年後くらいだ。ファン心理でリンシャンを作ってみたかっただけだし、艶々髪が似合う男はフェルディナンドみたいなイケメンだけだ。
ただ、将来のためにスクラブだけは真似した。細かくすり潰した塩を石鹸水に混ぜただけの代物だけど、後退していた
私と側仕えたちしか使わないし、外に出さなければ問題なかろう。
ティムが地面に布を広げ、クルアイゼの幹を掴んで大きく揺すると小指の爪くらいの小さな実が雨あられの如くボタボタと音を立てて落下した。
料理人からクララが話を聞き出したところ、このクルアイゼの低木は虫や鳥に狙われ、手入れに大変な手間の掛かる難物らしいのだが、
時折、他植物のスペースへ侵食してしまい、ティムたちに刈られてしまうくらい元気だ。
油を含んだ枝は薪に、花や葉は染料として、実は絞れば油に、魔力で染めれば小さな風の魔石と捨てるところがない。
しかも今は秋の収穫シーズン真っ只中で、短期間に何度も花が咲き、結実してくれるので採り放題だ。
まあ、魔石の品質はクズ魔石に毛が生えた程度しかないが、コネコネすれば数でカバーできる。
クルアイゼ君の優等生ぶりの一端は、土に混ぜられた恵みの雫の影響があるだろう。だが、恵みの雫の効果は成長促進だけではない。なんと作物の甘味や旨味が段違いに上昇する効果もあるのだ。
ルトレーベやカルフェ芋も、広さを考えれば購入できる作物は畑から排除すべきなのに、その濃厚で滋味深い味に魅せられ、なかなか踏み出せない。『美味しい』は狡猾だ…ラッフェルやとうもろこしも…と血迷ってしまうくらいなのだから。
煩悩を振り払い、最近畑に加わったのはイサナベーラが持ってきた素材に使う薬草類と、塩、胡椒だ。
薬草たちは素材として持ち込まれたので保存のためか乾燥されパリパリだったのだが、試しに
切除された根まで生えていたので、そのまま土に植えると花が咲いて種まで採取できたという都合の良さ。
同じく、カラカラに乾燥していた塩の実と舶来品の胡椒の実を試したら、実の採取は未だならずもスクスク成長中だ。
利用しまくっている私が言うことじゃないが、ユルゲンシュミットは神々パワーでやりたい放題だ。祈れば必ず神々に届くあたりからしてチートだものな。
私が袖を汚さぬよう、ちまちまと薬草を採取する傍ら、ティムは縦横無尽に満杯になった籠を替えつつ、どんどん収穫している。
畑はティムともう一人の神官ロドンと一緒に世話をしてもらっているのだが、隠し部屋は女子禁制で不寝番も男性のみ、もちろん洗濯や掃除などの雑務も割り振られるとあっては、どこぞのブラック企業に並ぶほどのオーバーワークだ。
一方、女の子三人組もチーズ作りに収穫した作物の処理、掃除や書類仕事と、こちらもたいがいである。
そう、人手が足りない。あと二、三人くらい男性を採用したい。一芸があるなら年齢不問だ。
うちは美味しい食事が出ると噂で、希望者が殺到していると聞いていたのに、決まらない。
忠誠心や信仰心がどうたらとネーベルがやたら厳しく選別しているせいだ。
全く、そんなもの最初から求めてどうする。
新しい側仕えたちの部屋はもう整えてあるのだ。とにかく早く決めろと何度もしつこく催促するしかない。
忙しく働くティムに一声かけ、自ら採取した素材を抱えて調合室へ移動する。
回復薬に使う素材だけ調合机に並べ、その他の素材は保管棚へ実と葉を分けたり、茎のトゲを取ったり、ヴァッシェンで乾燥させたりと、適切な処理をしながら仕舞っていく。
調合室では運べない大きさや重さの物以外は、極力側仕えには触らせず自らの手で整理整頓している。
アレは触ってもいいけどコレは駄目とか、昨日は触って良かったけど今日は駄目とか、日によって…下手したら時間によって扱い方が変化するのに、毎回説明するのは手間だし、何かの拍子に怪我でもしてしまったら大変だ。
よって、側仕えは私が求めた時以外、調合関係は接触禁止にした。
調合室は器具が届いて以来、暇を見つけては籠もる、私の仕事場兼、趣味の領域だ。
ここ最近は、フリュートレーネの杖を駆使して素材を量産し、回復薬を作り続けている。
最初はレシピ通り作成していたのだが――それでも魔力が多い分、品質や効果は彼女が作るよりも高いらしい――すぐ物足りなくなって、工夫を重ね始めた。
まず、薬草を均等に切り揃える工程だ。
単純にもっと魔力に溶けやすくなるよう、更に細かく切ってみたり、切るどころかすり鉢でペースト状にしてみたりと試したが、結果は大失敗。効果が上がるどころか大幅に低下してしまった。
木札に結果をメモに取り考察する。大きく切るのと小さく切るの、その二つの何処に違いが合ったのか?
推論を立て、それに基づいて実験し、結果を確認、考察する。この作業がとてつもなくワクワクしてしまう。
調合鍋がピカッと光って完成するせいか、ファンタジー色が全面に押し出され、小難しい研究をしてると言うよりも、どちらかと言えば某錬金術士のゲームをやり込んでいる時のような没頭感しか感じない。
今回の場合、何が違うのか結果を言うと薬草から滲み出る汁だった。同じ大きさに切ってすぐ使う場合と、時間を置いて使う場合。より効果が高いのは前者だった。
どうやら空気と接触すると変質してしまうようだ。薬草を乾燥させるのは理にかなっていたのだと納得し、次は葉緑と葉脈に茎、そのどれが最も成分が高いのか――
と、回復薬を構成する全ての材料を対象に検証していった。
「いやー、楽しかった。これだけやれば品質Dは硬いだろう」
素材の組み合わせやら何やら、グラム単位どころか、0.1まで突き詰めたいし、純水を作ってただの水を使う工程と入れ替えてみたいのだけど……何分、設備が貧弱過ぎて厳しい。
道具不足で簡単な純水すら困難だ。そもそも一番酷使している秤の精度が信用できない……重りの一部が欠けているとか、君は本当に秤と呼んでいいのかい…?
「ハァ、貰い物に文句は言えないし、新しいのは入手先がなぁ」
この秤は魔術具だ。平民の商人を頼れない。イサナベーラは実父からいくつか譲り受けたとのことで、レシピを知らない。それは娘も同様だ。ちなみにこの母娘、文官である。ツッコミどころ満載だ。
回復薬の売買で広がった人脈を使って、レシピか狂いのない現物を仕入れるよう頼んだが、どうなることやら……。
マクシミリアンは文より武だったし、秤などの調合道具は父母や奥方が用意していたから、作成方法が不明なのだ。
この秤でも売れる品質が作れているのだから、問題ないと言えばそうなのだが……正確な数字が出ないとモヤモヤしてしまう。
どうにもならない不条理は置いておいて、当初、毎週三十本の回復薬をイサナベーラへ出荷していた。
彼女の取り分は一割。三十本なら三本は彼女の『利』、自由に売るなり使うなりしてもよいという事だ。
おかげさまで、質が良いと販売当初から売れ行きは順調だ。というか、取り合い状態らしく、もっと販売量を増やせと催促されたと報告を受けている。
うーん、なんだろう? この……貴族院で何を学んだのかと問い詰めたくなる状況は……コレもお金稼ぎが卑しいとされてる弊害だろうか。
そういう訳で、要望があればコッソリ追加販売しているので、資金面は改善どころかこのままいけば倍増を超える勢いで増えていきそうだ。
資産を自ら築けるようになって、やっとこさ一息つけた気分だ。不安定な立場で誰かに寄りかからないと生きていけないのは、首に縄をかけられているような心境であった。
心機一転、イサナベーラの来訪に合わせてスケジュールを変更し、要望分も合わせて毎週だいたい五十本程度を生産しているが……早ければ二日、遅くとも三日で完成してしまい、調合したい欲望を満たせない。
じゃあ、どうする? うん、魔術具を作るしかないよね!
と、子供みたいな論法だが、ここでセーブして調合の感覚を鈍らせる意味はない。ないったらない。
素材の在庫と相談しつつ、まず作ったのは魔力が籠もったインク。回復薬の品質維持のため、劣化防止の布を生産したかったからだ。
基本的に販売している回復薬は、最初期に生産していた【イサナベーラが作るよりも効果が高い】レベルになるよう品質を抑えている。
――いちいち【イサナベーラが作るよりも効果が高い】など長くて分かり辛いので、暫定的に販売用の【品質E】とこれからは言い換える。
今後は品質が高い順に上から【S>A>B>C>D>E>F】とランク分けしていく――
で、現状回復薬は品質Dまで生産可能だが、彼女の魔力と腕では作れない品質だ。そんな物を販売しようものなら、彼女が何処ぞから仕入れていると感づいて、こちらを探られる可能性が高い。
今はまだ目立ちたくないので、それは困る。
よって、ワザと品質Eに落としているのだが、一つだけ問題があった。品質が低い程、劣化しやすいのだ。
原価が高くつくので販売用の薬管――見た目は試験管だ――に劣化防止は刻まない。なので今まではイサナベーラが来る直前に完成するように、タイミングを合わせて生産する必要があった。
その手間が劣化防止の布さえあればなくなる。作り方も簡単、自分の魔力で染めた布に、魔力インクで魔法陣を描けばいいだけだ。
ただ、保存用の平べったい
どうするか思案に暮れた時、ふと閃いた。
書道をする時のように重しか何かで、ピンッと布を張ればいいのだと。
思わず大声で、良しと膝を打った。
重し……大きいと邪魔だし、紐や釘で張るのは一人では難しい。側仕えたちに助けを求めても、これより大きいサイズ……ご加護を賜る魔法陣を描く時は、例え手を借りても難儀するだろう。
再度、頭を捻った解決方法は力技だった。小麦粉から糊を作って布の外周に塗り込め、床に貼り付けたのだ。描き終わればヴァッシェンで糊だけ除去するよう、願いながら洗い流せば完成だ。
上手くいったと拳を握りしめながら、劣化防止の布を回復薬を保存している甕に被せた。
さて、次は指輪の魔術具だ! とばかりに意気揚々と取り掛かりたかったが、こちらも、いやこちらの方が厳しい課題を抱えていた。
『貴族らしい装飾品のデザインや設計をどうするのか?
幼い手で、設計通りに加工し、組み立てる事ができるのか?』
と、言う難題だ。
私はフェルディナンドのような審美眼や芸術性が皆無とまでは言わないが、あるなんて見栄でも言えない凡庸な人間だ。
インターネットが使えるなら、ネットに潜ってそれらしいデザインをコピペして、ハイ完成と誤魔化せるだろう。
だが、ここはユルゲンシュミット…ファンタジー
そんな便利な物に頼れる訳がない。
参考にできるのは記憶だけ。私は前世で自慢じゃないが、装飾品に興味を持ったことなどない! 興味がないなら記憶にも残るはずがなく、お手上げ状態だ。
ならばどうする? そう問われても、簡単に閃くのならば苦労はしない。
ため息をつきながら今日も頭を捏ねくり回し、魔石もコネコネ丸めていく。
販売用の回復薬を回収するついでに、イサナベーラが魔石を交換してくれるので、手元になかった火や土、命属性の数が溜まってきた。
捏ねる前には必ず木札に
『入手した日付、交換した相手の名前又は採取した場所、
品質のランク、属性、どの植物又は魔獣のどの部位か』
を理解る範囲でまとめて記録し、捏ねて上位にした魔石の欄には私だけに分かる記号を書き加えて保存する。
現在の交換対象は一人だけだが、いずれは幅広く相手を探し、様々な魔石を数多く収集したい。
山羊の角しか魔石の種がなかった頃と比べ、手元の魔石が増えたせいで少しでもサボると未加工の魔石が溜まってしまう。ひたすら無心に捏ねていると、視界を遮るように大きな手のひらが差し入れられた。
「二の鐘が鳴りました。ベーゼヴァンス様、朝食に致しませんと」
「あ、ああ…もうそんな時間か」
「本来なら今が起床のお時間です。根を詰めすぎではございませんか?」
「大丈夫だ。疲れたら昼寝でもする」
「予定に入れておきます」
「ネーベル、
ネーベルは念押しには無言で片眉上げて答え、開いた扉へ私を促した。
調合道具が届いて此の方、作業や研究に夢中になり過ぎて自由時間は工房に篭りっぱなしだ。いい加減、欲望をセーブしないと側仕えたちの堪忍袋の尾が切れそうだ。
手早く捏ねていた魔石を専用の引き出しに仕舞い、かかとを上げ組んだ両手のひらを頭上へグーッと全身を伸ばす。ついでに肩甲骨を剥がすように両肩をグルグル回し、腰も左右に捻ってから最後にアキレス腱をストレッチ。骨がパキポキと軽快に鳴って気持ちが良かった。
ネーベルの呆れた視線に晒されつつ、居室へ戻り手洗いをしてから食卓に着く。
今朝の給仕はクララ。廚房にいる事が多いので珍しい。
「ベーゼヴァンス様、お久しゅうございます。今朝はとても早起きされたそうで驚きましたわ」
「クララ、お前たちはネーベルに影響を受けすぎではないか…?」
「フフ、わたくしは昨日は不在でしたので久しく感じただけですわ」
「全く、口も上手くなった……休日だったのか?」
「はい、ですので孤児院に顔を出したのですが――」
――機織りと絨毯作りに熱を上げる音楽巫女ならぬ、機織り巫女の新たな作品の行先、
今日の朝食は温野菜のサラダにメインは――コッソリ注文した――鉄皿に盛り付けられた熱々のブルストに玉ねぎのソテー。毎日お馴染みのコーンスープにはツブツブのとうもろこしがたっぷりと加えられ、食べごたえがありそうだ。
早速、ジュウジュウと誘惑するブルストにナイフを入れ、溢れた肉汁を零さぬよう、パンと共に口内へ招き入れる。
噛めば噛むほど肉汁の旨味が広がり、追加で焦げる寸前まで焼かれた玉ねぎが参戦すると……もう、モグモグが止まらない。
あっと言う間に平らげ、食後のお茶で一息つき歯磨きをしたら、三の鐘まではフェシュピールの時間だ。
マインと同じく毎日時間を決めて練習に励んでいる。今の実力はようやく美しい姿勢で弦を弾ける程度、まもなくピアノで言うところの
つまり、まだフェシュピールを構えて座り、音階を覚えてなぞっただけの超初心者レベルということだ。曲すらまだ手をつけれてない。
気長に練習を繰り返して熟練度を上げるしかないだろう。
三の鐘の後はいつもは山羊に会うため散歩したり、軽く奉納舞を舞いながら、フェシュピールで凝り固まった体をほぐすことが多いが、本日は専属にしている商会からの面会予約が予定に組み込まれていた。
私は自堕落な青色が眠る午前中に商人を呼んでいる。裏通路ではなく表通路を使う彼らが、無用なトラブルに巻き込まれないようにとの配慮だ。
家具の完成が遅いのは、手作業で細かい装飾を施しているのもそうだが、今日のように途中、途中で依頼した家具が貴族のイメージ通りかどうか、木材の磨き具合や彫刻のデザインに取っ手の彫金至るまで、部分毎に見本を作成し、工房の代理として商会の商人が『これで進めて良いか』と伺いを立てにやってくるせいもあるのだ。
正直、面倒くさい。前回なんて、板材にかけるカンナの刃立てをどうするかの選別だった。勉強するつもりで真剣に選んだが、ぶっちゃけ木目以外は全部同じに見え、最終的に手触りで決めた。
専属商会は貴族階級と平民を繋ぐ架け橋だ。この商会はおそらく乾物をメインに据えているがそれは関係なく、要望さえあれば何でも揃えてくれる、前世で言うところの総合商社やデパートの外商に近い。こちらでは命もかかっているからか、私の傾向を把握するのがとても早いと、今回献上された品々から推察できた。
「これが平民の薬か…?」
「はい、これが痛み止めに熱冷まし、それから傷薬でございます」
「ほう! それは興味深い…」
なんと使える男だろうか。前回の会合の際、何気なく平民の病事情を質問したので気を利かせて調達してくれたらしい。
一つ一つ手に取って観察する。
飲み薬は丸薬らしく丸い。ザラザラとしているが、少しイジった程度では崩れない。しっかりと固まっていた。嗅ぐと青臭くツンと鼻にくる臭いで、飴よりも大きな形状と相まって服薬には難儀するだろう。
「平民の飲み薬は丸薬なのだな。材料は解るか?」
「……いえ、存じ上げません」
「よいよい、傷薬は軟膏か。どれほどの傷ならば完治する?」
「擦り傷やあかぎれならば確実かと」
「なるほど…」
僅かを指に取り手の甲に塗り伸ばす。こちらも匂いは同等、青臭い。色味はドス黒かったが、触感は悪くない。もっとべっとりしているかと思いきや、スッと肌に馴染んで染み込んだ。
この色味には見覚えがあった。回復薬の材料でもあるのだ。
「リンネの実か」
ボソッと呟くと商人の肩が面白いように跳ねた。なるほど、正解らしい。油はなんだろう? 特有の匂いが混じってないから牛脂や豚脂ではない。
馬油だろうか? 馬は運搬を担っているだけあって、加齢やよほどの重症でなければ屠殺しない。よって値段は相応にする。
「この傷薬はいかほどなのだ?」
「小銀貨三枚でございます」
軟膏は私の手のひら程のサイズしかない。馬油が使えるな……いや、マインが提案するまで塩析はなかったはずだ。ならば植物性か……わからん、情報が少なすぎる。
「コレを作った薬師と話してみたい。手配してくれ」
「いえ、あの……医者は老齢で見苦しい振るまいしか……」
「よい、許す。連れてまいれ。何なら灰色が使う裏から来ればよい。日付はネーベルと擦り合わせよ」
「……承知致しました」
「なに、悪いようにはせぬ」
青くなった商人には悪いが、知りたくなったのだ。仕方あるまい。
会話が一段落したのを受け、今日の本題が並べられる。
「こちらが親方の彫刻、こちらが弟子のものです」
「ふむ」
すっかり来訪理由を忘れていた。気を取り直して回ってきた木板に目をやる。どうやら今回は装飾の彫り手を選ぶようだ。
流石親方、相変わらず力強く猛々しい。私の家具はほぼ彼の作品だ。意匠は写実的、所謂写真のようにリアルに再現されていて夜中に見るとビクリとしてしまう、そんな手だ。弟子も彼の焼き直しが多く腕も数段落ちるため、親方以外を選んだことはついぞない。
そんな中、見覚えのない意匠が目をかすめた。
「おや、これは新人かい?」
「はい、親方の娘婿として他の街から移動してきました」
「これは……素晴らしいな」
指定した山羊の彫刻も、中央アジアの遊牧民が使う刺繍紋様みたいに抽象的で異国情緒溢れる意匠に戸惑いすら覚える。
――コイツだけ世界観が全く違う。私同じ、異世界転生でもしたのか?
それとも他領から来たのか? 気になる……気になる気になる。
「この者の手をもっと見たい」
「ご用意がございます」
数にして十枚、サイズはB5か、それほど大きくない木板にこれでもかと、意匠が詰め込まれていた。
紋様や植物の意匠はともかく、動物をここまで省略すると貴族受けは難しかろう。
「一度会いたいな」
無意識に溢れてしまった言葉に、またもや商人の肩が大きく揺れた。とって食うわけでもあるまいに大袈裟な男だ。
その動作に逸れた視線がまたもや木板に吸い寄せられる。
しかし、本当に精緻で美しい。私の魔術具のデザインもかく有りたいものだ。
いっそこの弟子にデザインを任せるか? だが、簡易な曲線と直線が多いとはいえ、絵柄もある。拙い手ではゴミクズを量産するだけだろう。凸凹を減らしたハンコを作らせるか? だが指輪や腕輪の形にハンコを作らせても、上手く圧力をかけなければ……待て、ハンコ……圧力?
思い浮かんだのは学生の頃の調理実習。同級生とふざけながら生地を捏ねて先生が用意した型抜きで、星型や車型など様々な形に力を込めてクッキー生地をくり抜いた。結局、遊び半分だったせいで最後は焦げてしまったが……。
懐から魔石を取り出し、茶器をテーブルから避けてから捏ねる。ネーベルが商人たちを後ろに向かせたのにも気づかず、一心不乱に続け柔らかくなったそれを、沈み彫りされた彫刻に押し込んだ。
暫し固まるのを待ってから爪で穿ると綺麗に離れた。反転させた魔石は、見事忠実に精緻な彫刻を再現していた。
指で魔石の表面をなぞるが、ヤスリで丁寧に磨かれたのだろう、引っ掛かりはなく滑らかだ。
端に残ったバリが気になるが、この細かさはナイフでは難しい。竹串…では魔力の通りが悪いな、金と銀を混ぜた合金が良かろう。細工職人に注文せねば……。
脳内で色々な考えが浮かぶ。忘れてしまわぬうちに、木札に記したくなった。
「ネーベル、木札を」
「その前に、商人への指示を頂けませんか?」
「ああ、そうだった」
心が魔術具へ飛んでいた。背を見せている彼らに首を傾げつつ、欲望のままに言葉を投げた。
「家具よりもこの娘婿とやらに頼みたいことができた。仔細打ち合わせたいので連れてくるように」
「私共が仲介致します。彼は不勉強にも――」
「見苦しいのだろう? 大目に見る」
強く言い切り反論を許さない。項垂れてしまった商人に娘婿以外の木板を返し、代金を支払うように申し伝える。
「こちらは見本でございまして、商品では――」
「私が欲しいのだ」
なかなか克己ある男だ。この木板は客たちに腕を披露する職人の名刺のようなものだ。おそらく季節二つか三つはかけたに違いない。私の家具一つなどより手間も腕も惜しまず、己の職人人生を賭けた作品と言える。
だが私はこの職人を囲い込み、私の仕事だけやらせたいのだ。
私の心の内に気づいたのだろう、商人は悔しいのか一瞬、唇を噛み締めた後、爽やかな笑顔を浮かべて値付けを口上した。
取れるところから取れるだけ。かのベンノを思い出させる価格に、思わず眉が上がる。
「良かろう、受け取るがいい」
側仕えから重い革袋を渡され、商人の手が震えていた。甘いな、渋るとでも思ったのか。残念だが、私は今とても気前がいいのだ。なにせ、喫緊の課題が解決しそうなのだから。
木板をなぞり、未来に完成するであろう魔術具たちを想う。
指輪に腕輪に各種お守り、それからヴァッシェンの魔術具も。紋様と植物は娘婿で動物は親方に任せるか。親子合作なかなか良い考えではないか?
――ああ、楽しい。とても楽しい。この世界に生まれてきて本当に良かった。
「そうだ、金銀細工も依頼したい。そなた、竹串は解るか? グリーンゴールドは解るか?」
新たに示された難題に商人の肩が落ちる。その様に笑いの琴線が刺激され、満面の笑みが広がった。
ここで祈るべきは
いや、
――どうかご照覧あれかしと。
ここまで書いて三の鐘までしか進んでない。