炎あがる廃墟。
異形の怪物が闊歩し、殺し合い喰らい合う。
その地獄で彼は殺された。
そして生き返った。
彼は何度も何度も殺されて生き返る。
終わりのないそれは彼の精神を疲弊させた。
彼は戦う、得るものを得るために。
煉獄での出会いと別れ、そして新たな世界への旅立ち。
世界に爪痕を残す者の物語。
(嘘は言ってない……はず!)
反省はしてないが後悔はしています……公開だけに!(誰ウマギャグ
そこは地獄であった。
どことも知れぬ廃墟。
ところどころで火の手が上がる煉獄であった。
彼は社会人歴3年目のサラリーマンだった……気がする。
スーツを着ているし恐らくそうだろう……彼は気がついたらこの地獄にいたのだ。
周囲を見渡すと化け物がいた。
彼の感性からしたら化け物としか表現できないようなオドロオドロシイ異形が何体もうろうろとさまよっていた。
彼らは、互いを認識すると、殺し合いをはじめ、そして負けたものは食われていた。
人の姿から逸脱しているのに、あれは元人間であると理解できたのが不思議だった。
そんな非現実な光景を彼はしばらくぼぅと眺めていた。
その時、全く恐怖を感じなかったのはあまりにも異常すぎて現実感というものがなかったからだろう。
ふと気がつくと彼のすぐ目の前に、針金のようなひょろひょろな体躯なのに、右手だけが大樹の幹のように異様に肥大化した歪な化け物が立っていた。
その異形の右腕が、すっーと彼の頭上に持ち上がった。
あっ⁉と声を上げる間もなく彼は化け物につぶされて死んだ。
彼は生き返った。
やはり煉獄の廃墟の風景だが、先ほどの場所とは違うようだ。
彼は、この地獄にきて初めて恐怖を感じた。
彼は再び化け物の群れの中に倒れていた。
今度の死は明確だった。
巨大な爪が胸を貫き、血が噴き出すのが感じられた。
そして意識が暗転する直前まで、「なぜ」という疑問が脳裏を駆け巡った。
(また……)
(また戻ってきた)
三度目。四度目。
最初の頃はタダでやられまいと抵抗し逃げもした。
しかしすぐに無駄だと思い知らされた。
それほどまでに彼と化け物たちの身体能力はかけ離れていた。
切り立った崖を平然と登れる野生の生き物に、生身の人間が勝てる道理がないのと一緒だ。
何度死んだか数えることを諦めた頃、彼はあることに気づき始めていた。
死ぬ直前の感触が少しずつ変わっているのだ。
最初はただ圧死。
次は斬撃による裂傷。
その次は炎による焼死。
今度は毒霧による窒息。
生きたまま食われる出血死。
死に方のバリエーションが増えている。
まるで彼がこの地獄に慣れることを許さないように。
目覚め。
そこは、ひたすらに戦いを強制する修羅世界。
飢えもなく疲労もなく、それらを感じる前に殺される。
彼は生き返って自分がどこにいるのかを、いつもの癖で確認をした。
瓦礫の山となった都市の一角。
高い建物はない。
赤黒い空から降る灰にまみれた公園だった。
いつもと同じ煉獄の風景だが、今日だけは違った。
「あなたも……生きているの?」
声をかけられたことに驚き、振り向くとそこに立っていたのは、まだ人の姿を保っている少女だった。
長いぼさぼさの黒髪に制服らしきものを着た、高校生くらいの年の女の子に見えた。
「……君は?」
「私は……わからない。気付いたらここにいたの」
「そうか、俺もだよ……」
その日から奇妙な共同生活が始まった。
二人は煉獄の中の廃墟に身を隠しながら移動し、夜は互いに身を寄せあい息を潜めて過ごした。
少女は毎晩夢を見ると言った。
日常の夢だという。
名も覚えてない友達と談笑しあう学校の教室。
顔も思い出せぬ家族と囲む夕食の風景。
しかし目覚めると必ず同じ場所に戻ってきている。
ある朝、少女は言った。
「お兄さん、ここから出られるかも」
少女の指差す方向には、巨大な、黒い闇のような何かを内包した門があった。
煉獄の中心に存在するそれは明らかに異質な雰囲気を放っていた。
「一緒に来て、お兄さん」
少女の懇願に、彼はためらった。
あの門を通れば二度とここには戻れないような気がしたから。
けれど他に行ける場所もない。
二人は手を取り合い、恐る恐ると門へと近づく。
しかし突然、背後から咆哮が響いた。
振り返るとそこにいたのは異形の化け物。
鋭い爪を振りかざしてきた。
彼は少女を突き飛ばし代わりに攻撃を受けた。
痛みと共に意識が遠のいていく中で、最後に見たものは涙を流しながら叫ぶ少女の姿だった。
そして目覚めた時—
一人きりだった。
そして、また化け物に殺され続ける日々が始まった。
時はながれ……彼の右手の指は鋭い爪をもつ異形と化していた。
戦う術を得た。
しかし、それでも異形の化け物を倒すには心もとなく、いつも最後には殺された。
逃げて、追い詰められ戦い、殺される。
そして生き返り、反撃した分だけ、わずかに戦う力が……異形の変化がその身に宿る。
そしてまた死んで、蘇ったあるとき
周囲を見渡すと、いつものように異形の怪物ども。
そして、その中に変わり果てた少女の姿があった。
両腕は異様に伸び、逆に足は短く、体は肥満のようにひどく肥大化し、その肉の中に逆さになった少女の顔の
なんで……?
彼がそうつぶやいた次の瞬間—
首筋に激しい痛みを感じた。
少女の伸縮自在になった腕が絡みつき締め付けてくる。
首の骨を折られ、呼吸ができず視界が霞んでゆく最期の瞬間に彼女が泣いていたように思えた……
死んで、再び生き返ったとき彼は理解した。
あの化け物たちの歪な姿こそが、この煉獄では正しい進化なのだと。
彼は寝そべったまま自分の両手を黒煙の空にかざしながら呟いた。
「いやだなぁ、あんなのにはなりたくねぇーなぁ……」
そして自らの体を異形に成りかけの両手で抱きしめ、泣いた。
それから何度か出会いがあった。
老若男女問わずに。
しかし、結末はいつも同じであった。
死による別れ、そして異形と化した彼らとの再会。
何度も、何度も繰り返した。
彼の心はいつしか消耗し、異形へと堕ちようとしていた。
しかし、その光景を目にした瞬間からすべてが変わった。
その女の形をした異形は優美で曲線を描く漆黒の肢体を持ちながらも、手と足の先端が鋭い刃のように尖り、腰まで届く髪が風もないのに揺れている。
まるで闇をつかさどる女神のようだった。
顔は芸術家が作り上げた仮面のようで、そのガラス玉のような目は血のような真紅。
それでいてどこか慈悲深い輝きを宿していた。
歪み悪意に満ちた姿を持つ異形の化け物たちとは明らかに一線を画していた。
化け物たちの雄叫びに彼が身を震わせたとき、女型の異形は舞うように動いた。
一瞬のうちに数十体もの化け物の首が宙を舞う。
その動きは機械的ともいえるほどの滑らかさで、まるで彼女自身が一本の剣となって空間を切り裂いているようだった。
女型の異形が黒い闇の門へと飛翔し、黒々とした門の中に消えていく姿を見て——彼は心奪われた。
あぁ……自分もあんな風になりたい……。
彼は心からそう思ったのだ。
それからというもの彼は積極的に戦いに赴くようになった。
以前の「逃げる」思考から「進化する」ための行動へと変わったのだ。
襲いかかる化け物たちに立ち向かい、戦えば、たとえ勝ったとしても死んでしまうほどの致命傷を受けていた。
しかし今は違った。
敗北の度に体がより強靭になり、新しい能力を得ていくのを感じていた。
彼自身にも大きな異形の兆候が見え始めていた。
例えば両腕は肩先まで爬虫類のように鱗に覆われ始めた。
爪は以前より長く尖り、皮膚は硬質になってきた。
時にはその姿に嫌悪感を覚えつつも、「あの女型のようになるんだ」と決意を新たにして生き続けた。
そして戦い何度も死に生き返り、戦い倒し、死んで生き返った。
気がつけば彼はあの異形の女の形をした異形と同じ姿へと変化していた。
唯一の違いは体の色。
彼が憧れた女型の異形が漆黒だとしたら、彼が転じた女型の色は純白であった。
彼は蒼穹の空を思わせる瞳を輝かせ、群がってくる化け物を葬り、ひたすらあの漆黒の女神が消えた門を目指した。
黒い門の前で彼は立ち止まる。周囲には静寂が広がり、今までの煉獄とは異なる空間が感じられた。
門の前に立ちはだかる影が徐々に輪郭を帯び始めた。
【煉獄の門番】
それは一の存在でありながら複数の姿を併せ持つ異形だった。
胴体は岩石のように堅固で、全身に幾千もの目玉が蠢き、それぞれの目が異なる方向を凝視している。
腕は四本あり、一本は蛇のようにしなやかで先端に毒針のような鋏があり、もう一本は剣のように鋭く湾曲し、残りの二本は何重もの鎖に包まれた手甲のようだった。
下半身は巨大な蜘蛛のようで八本の足が地面を支え、その関節部からは常に瘴気が噴き出していた。
「汝は何者か」
四つの声が同時に轟くように聞こえた。低く唸る音色と甲高く軋む金属音が混じり合った異質な声。
その言葉、門番の問いかけに答えることなく、白い女型は静かに構えた。
その白く輝く四肢は太陽の光を反射するように輝き、指先から伸びる細く鋭い爪が銀色に煌めく。
女型は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
邪魔をするなら……
女型は発声器官がなくなったその体で意志を表す。
排除するだけだ!
次の瞬間、女型は宙を舞った。
まるで蝶が花弁の間を飛び交うように、軽やかな動きで門番に向かって跳躍する。
その速さは音すら置き去りにしたかのようだった。
門番の四本の腕が一斉に反応し、蛇の鋏と湾曲した剣が女型を迎え撃つ。
白い女型は空中で身体を捻り、攻撃をかわすと同時に一閃。
彼女の腕から放たれた刃のような爪の一撃が門番の蛇の腕を切断した。
切り落とされた腕が地面に落ちると同時に毒液が周囲に飛び散り、触れた瓦礫が溶け出して蒸気を上げる。
門番は湾曲した剣で女型を薙ぎ払おうとする。
遅い!
女型はその剣の軌道を予測して身を翻し、逆に門番の懐へ潜り込んだ。
そして彼女の両脚が爆発的な力を解放し、巨大な蜘蛛のような下半身に蹴りを入れる。
強烈な衝撃で門番のバランスが崩れ、地面に亀裂が走った。
門番は即座に二本の手甲で防御態勢を取る。
しかし女型の動きはそれを上回った。
女型の身体全体から放たれる純白のオーラが一瞬膨張し、その輝きが周囲の瘴気を押し返す。
そして次の瞬間、オーラの波動が衝撃となって門番を直撃した。
「ギャアァァァァッ!」
門番の絶叫が煉獄に響き渡り、巨体が大きくのけぞった。
岩石のような胴体には亀裂が入り、全身に蠢いていた目玉の多くが弾け飛ぶ。
それでもなお、門番は立ち続けた。
四本の腕を掲げ、最後の抵抗を試みる。
手甲腕の鎖の鞭が女型を狙い、湾曲した剣が空間を引き裂くような速度で振り下ろされる。
……最後だ!
女型は静かに宣言した。
そして門番の攻撃を最小限の動きでかわしつつ、自らの爪を極限まで研ぎ澄ませる。
輝きが増し、白き刃が煉獄の暗闇を切り裂く一閃となった。
シュッッ!!
鋭い風切り音とともに、純白の爪が門番の心臓部を貫いた。
漆黒の装甲をやすやすと打ち破り、内部の核のような器官を破壊する。
門番の目玉が一斉に見開かれ、最後の呻き声を漏らす。
「グウゥゥ……ナントイウ……」
そして巨体が崩れ落ちた。
塵となり消えていく門番の姿を見つめながら、女型は静かに立ち尽くす。
その周囲に広がっていた漆黒の瘴気が薄れていき、門へと続く道が開かれる。
通れる……
女型は門へと歩を進める。
黒い闇に包まれた門の表面には不思議な紋様が刻まれていた。
女型が手を触れると門が音もなく開き始めた。
その隙間から溢れ出す光は、これまでの煉獄とは全く異なる色をしていた。
……?
女型は一瞬のためらいの後、門の内側へと足を踏み入れた。
門をくぐった瞬間、女型の視界は白く染まった。
それは闇からの解放ではなく、あまりにも純粋な光だった。
目を開けていられないほどの眩しさの中で、女型の身体が変化を始めた。
「な……なんなの……これ……?」
言葉を発した。
体が異形と化し、声帯を消失したはずなのに……と、疑問を覚える前に、その声に違和感を覚える。
かつて聞いていた自分の低い声ではない。
それは繊細で柔らかな女性の声だった。
驚きとともに瞼を開くと、彼女の視線の高さが変わっていた。
「これは……」
目の前にあったのは鏡。
いや正確には水面に映る姿だった。
そこに立っていたのは白い女型の異形ではなく、妙齢の美しい女性だった。
長く艶やかな黒髪が肩にかかり、透き通るような白い裸体。蒼穹の瞳にはかつての狂気に満ちた戦意の光はなく、冷静な知性の輝きが宿っていた。
「俺、人間に……戻ってる……?」
混乱しながらも彼……彼女となった女は周囲を見渡した。
そこは闇でも光でもない不思議な空間だった。
天井も床も壁もなく、ただ淡い虹色の光の粒子が漂っている。
そしてその奥から数人の影が近づいてきた。
全員が黒衣と白い室内帽を被っている。
その中の一人が前に出てきた。
その女性の黒衣の上に白い衣を着け、他の者よりもわずかに装飾が多く、威厳を感じさせる。
金髪を丁寧に編み込んだ美貌の女性。
その顔は柔和な表情を浮かべているが、目には強い光が宿っていた。
女性は静かに口を開いた。
「ようこそ。百年ぶりの来訪者。第108番目の『逸脱者』よ」
「第108番目……? 逸脱者……? 」
彼女は戸惑いを隠せずに声に出す。
黒衣の女性は静かに微笑んだ。
「それを説明するには時間が必要です。まずは落ち着いてください」
そう言うと女性は片手を差し出した。
その仕草は優雅で、かつての煉獄での荒々しい日々を忘れさせるような穏やかさを持っていた。
彼女は一瞬ためらったものの、その手を取った。
すると全身を包み込むような温かさが広がり、心の中に蓄積されていた疲労や緊張が解けていくのを感じた。
「あなたは逸脱者として常に運命を選び続けなければいけません。その
「あなたは学び、鍛え、修練し、自らを知る必要があります」
「そしてこのヴィクトリアス星霜院で全てを知ったとき」
「あなたは真の……」
「メイドとなるのです」
……なんて?
彼女の思考は一瞬停止した。
耳慣れない単語が流れ込んできて、理解が追いつかない。
メイド……?
いや、その言葉の意味自体は知っている。
簡潔にいえば「家政婦」である。
そして、あの悪夢じみた煉獄を脱した自分に、何かしらの使命があることは、まあ、何となく理解できる。
だがそれが「メイド」とはどういうことなのか?
混乱する彼女を見つめながら、黒衣の……メイド服の女性は静かに微笑んだ。
「まず、私のことはメイド長とお呼びください」
メイド長が穏やかな声で話し始めた。
「あなたの体は確かに人間に戻りましたが、その本質は変わっていません。あなたは『逸脱者』なのです」
逸脱者……
彼女はその言葉を繰り返した。
「そうです。逸脱者は普通の人間とは異なる能力を持っています。それは煉獄での戦いの果てに手にした力です。あなたはこれからその力を制御し、適切に使う方法を学んでいかなければならないのです」
「そのために自分がメイドに?」
彼女は尋ねた。
「メイドとしての修練はあなたの能力を最大限に引き出し、制御する手段となります。メイドの仕事は多岐にわたります。主の身辺のお世話はもちろんのこと、護衛や情報収集など多方面でのスキルが必要です。そして何より重要なのは忠誠心です」
忠誠心。
その言葉に彼女は眉をひそめた。
あの煉獄では最も縁遠い概念だったからだ。
「忠誠とは誰に対しての?」
「まだ見ぬご主人様。それは世界の生きとし生けるもの全てです」
ヴィクトリアス星霜院。
それはこのメイド育成組織の名前。
そして世界そのものへの忠誠。
修行開始から10年が過ぎた。
様々なメイドとしての
ヴィクトリアス星霜院の訓練施設に広がる庭園は春の陽光に包まれ、花々が咲き誇っていた。
メイド長をはじめとする多くのメイドたちが見送りのために集まっている。
その中心に立つ彼女の姿は以前とは全く別物になっていた。
長かった黒髪は丁寧に結い上げられ、動きやすそうなハーフアップに。
その髪型に合わせた精巧な編み込みには細かな意匠が施されている。
身にまとっているのは伝統的なメイド服……に見えるが実は特殊素材で作られており、ロングスカートの両横には切れ目が入り動きを妨げない設計になっている。
エプロンのフリルさえ計算された機能性を持っていた。
そして美麗な鼻の上にかけられているのはメイド長からプレゼントされた銀縁のシンプルなデザイン眼鏡。
彼女自身、眼鏡が必要なほど目が悪いわけでもないのだが「雰囲気を持っているメイドは例外なく眼鏡をかけているのです」などと、メイド長がよくわからない
彼女の表情には自信と落ち着きが漂っていた。
メイド服を纏った妙齢の美女。
しかしその背後に感じるのは静かな威厳と圧倒的な力量。
煉獄で戦っていた頃のすべてを焼き尽くす炎のような不安定さは微塵も感じられない。
瞳には青空のような透き通った輝きが宿り、確固たる意志を映し出している。
「あなたはメイドとして、そして『メイドリュウオウサッポウ』の使い手として卒業を迎えました」
メイド長が厳かに告げる。
その声には誇りと祝福の響きがあった。
「この先、どんな困難があろうともあなたの選択は決して誤りではありません。なぜならあなたは常に最も合理的な判断を下すことができるからです」
彼女は静かに頷いた。
10年の訓練で学んだのはメイドの技術だけではなかった。
思考の合理化、感情の制御、状況分析のスピード……どれもが煉獄での経験と相まって彼女の能力を飛躍的に高めていた。
「さて最後に……」
「あなたに名前を授けましょう」
「エミリー……エミリー・ヴィクトリアス。これからは『メイドリュウオウサッポウ』の使い手としてそう名乗るのです」
「ふふ……エミリー、あなたと過ごした十年間はとても楽しかったですよ」
メイド長は満足げに微笑んだ。
「準備はよろしいですね?」
「はい」
エミリーは凛とした声で答えた。
そして多くのメイドが見守る中、庭園の端にある門へと歩いていく。
その門の先には未知の世界が広がっている。
門を通り抜けた彼女の後ろ姿には確固たる自信が漂っていた。
その姿を眺めながらメイド長は小さく呟いた。
「さあエミリー……あなたの旅が始まります。この世界をより良くするために……世界があなたを選んだのですから……」
ヴィクトリアス星霜院の門が閉じる音が静かに響く中、エミリーは新たな一歩を踏み出した。
これから待ち受けるのはさらなる戦いなのか、平和な日常なのか。それとも想像もつかない冒険なのか。
しばらく道沿いを歩きエミリーはぽつりとつぶやいた。
「いや、なんでメイド?」
エミリーは街道を歩きながら、首を傾げた。
「本当に……なぜメイド?」
彼女は再び呟いた。
しかし不思議なことに、その言葉に嫌悪感はない。
むしろ安堵感さえあるのだ。
空を見上げれば、雲一つない快晴。
小鳥たちがさえずりながら枝から枝へ飛び移っていく。
平和そのものの光景。
ふと気づけば、道端に一人の老婦人が困った様子で座り込んでいた。
「……お困りですか?」
反射的に声をかけた自分がいる。
「腰を痛めてしまって……」
老婦人は弱々しく答えた。
「どうぞ」
エミリーは自然に老婦人に手を差し伸べた。
その動きには無駄がなく、優美さすら感じる。
老婦人を助け起こし、近くの木製のベンチまで案内する。
「ありがとう……本当に助かりました」
老婦人の感謝の言葉を聞きながら、エミリーは不思議な感覚に襲われた。
これは煉獄では決して味わえなかった感情だ。
「どういたしまして」
エミリーは柔らかな微笑みを浮かべた。
それは訓練で身につけた完璧な笑顔ではない。
自然に湧き上がってくる温かな気持ち。
そうだ……と思い至る。彼女はヴィクトリアス星霜院で学んだ本当の意味を理解し始めた。
「メイド」とは奉仕の精神そのもの。
他者のために尽くすという姿勢。
それは敵を倒すだけでは得られない強さだった。
あの煉獄で学んだ戦いの術も、今の彼女にとっては武器ではなく防具。
守るべきものを守るための手段なのだ。
空を見上げれば、太陽が暖かく大地を照らしている。
エミリーの胸の中に何かが芽生え始めた。
「メイド……確かに最適な姿かもしれない」
彼女は静かに呟いた。
それは煉獄で戦い抜いた自分と、今ここに立つ自分との和解だった。
眼鏡を通して見える世界は色鮮やかで、人々の笑顔があふれている。
それこそが彼女が求め続けてきたものだったのかもしれない。
エミリーは、連れの者が来たらしい老婦人に笑顔を向けると、ゆっくりと歩き出した。
新たな使命と共に、まだ見ぬご主人様に奉仕するために。
このあと異世界を旅しながらご主人様を探すお話(あるいはご主人様確保済み)を書いていこうかと考えてます。
思い付きレベルなのでいつになるかわかりませんが!
よろしければ感想などいただけると泣いて嬉しょんしちゃいます!