サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

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話し合い

 

 カオルからのメッセージは、ひどく簡素だった。

 

『話がある。二十時。ここに来てくれ』

 

 本文はそれだけ。

 あとは店の位置情報だけが、無機質に添えられている。

 

 それを受け取った瞬間、それぞれが少しずつ違う顔をした。

 

 

 ユアンは、端末の画面を見たまま舌打ちした。

 

「なんだよ、急に」

 

 独り言のつもりだった。

 だが、言葉の端には苛立ちよりも戸惑いの方が強かった。

 

 昨日の今日だ。

 しかも送り主はカオル。

 

 あいつの方から、こんなふうに“話があるから来てくれ”などと送ってくるのは珍しい。

 いや、珍しいどころか、ほとんど初めてかもしれない。

 

 ユアンはベッドへ端末を放り投げ、天井を見上げた。

 

「何の話だよ……」

 

 謝罪か。

 説教か。

 それとも、“やっぱりチームは解散だ”という話か。

 

 どれもあり得る。

 どれも、昨日の空気なら十分あり得た。

 

 だが、端末を見つめ直したユアンは、短く息を吐いてから起き上がった。

 

「……行くしかねえだろ」

 

 行かなければ、たぶん気になる。

 行って嫌な話をされる可能性はある。

 でも行かなければ、もっと嫌な想像だけが膨らむ。

 

 ユアンは髪をかき上げ、上着を掴んだ。

 

 

 ナミは宇宙管理局の端末室から出たところで、そのメッセージを受け取った。

 

 端末に表示された短い文面を見て、足が止まる。

 

「……カオルから」

 

 周囲に人がいないことを確認してから、もう一度読み直す。

 誤読の余地はない。

 話がある。来てくれ。

 

 簡潔すぎる。

 それが余計に緊張を誘った。

 

 ナミは、その場で端末を閉じようとして、やめた。

 また開く。

 地図を見る。

 店の位置を確認する。

 会社から少し離れた、古い居酒屋だった。

 

「……何を言われるんだろ」

 

 昨日、あれだけ感情をぶつけた。

 降りる、とまで口にした。

 ククルにも言われた。

 クリスタルからも話を聞いた。

 

 だから、ある意味では昨日より落ち着いている。

 でも、だからといって平然と行けるほど整理しきれてもいない。

 

 ナミは端末を胸の前で持ち、しばらく考えてから小さく呟いた。

 

「逃げないで行くって決めたんだから」

 

 それは誰かに言うためではなく、自分へ言い聞かせる声だった。

 

 

 シンゴは、工具箱の中身を整理している時にメッセージを受け取った。

 

「え、カオルから?」

 

 目を丸くしたまま、すぐに読み返す。

 

 そして次の瞬間には、妙に慌て始めた。

 

「話って何だろ……え、いや、待って、今の状態で話って重いやつかな。いやでもご飯屋さんだし……ご飯屋さんで解散話ってするかな……でもカオルならするのかな……」

 

 独りで勝手に考えて、独りで勝手に沈みかける。

 それがシンゴらしい。

 

 だが結局、工具箱の蓋を閉めた時には、もう行く気になっていた。

 

「……ちゃんと聞こう」

 

 逃げたいわけじゃない。

 むしろ昨日のあと、自分から話さなきゃいけないことが山ほどあると分かっていた。

 だから、こうして場を作ってくれたのなら、行くしかない。

 

 シンゴはいつもより少しだけきちんと髪を整え、それから工具油の匂いがついた手を念入りに洗った。

 

 

 キャットは、メッセージを見るなり笑った。

 

「へえ」

 

 それだけ言って、ソファに深く座ったままもう一度読み返す。

 

「話がある、ねえ」

 

 短い文面の中に、妙に不器用な誠実さがにじんでいた。

 あの男らしい、と言えばらしい。

 

 昨日、最後に見たカオルの顔を思い出す。

 険しくて、でもどこか、思っていたよりちゃんと傷ついていた顔。

 

 キャットは片足を組み替えながら、小さく笑った。

 

「逃げないのは嫌いじゃないわ」

 

 誰に聞かせるでもない独り言。

 

 それから立ち上がり、鏡の前で髪を軽く整える。

 大げさに着飾るつもりはない。

 けれど“ただ呼ばれたから行く”ではない顔はしておきたかった。

 

 

 カイエは、メッセージを見た時、すぐには動けなかった。

 

 端末を持ったまま、しばらく呼吸が止まる。

 

「……カオル」

 

 その名前を、小さく口にする。

 

 昨日、公園でルナと話したことなど、カイエは当然知らない。

 知るはずもない。

 

 だから、今このメッセージだけが、カイエにとっては答えだった。

 

 カオルは逃げなかった。

 少なくとも、昨日のあの空気を無かったことにはしないつもりなのだ。

 

 その事実に、胸がじんと熱くなる。

 

 カイエはゆっくり目を閉じてから、短く息を吐いた。

 

「……よし」

 

 それだけで、迷いは少し消えた。

 

 昨日、自分は“嫌がらせだと思う”と言った。

 ククルを怒らせた。

 チームを整えるどころか、自分が一緒に空気をこじらせた。

 

 なら、今日行くべきだ。

 話があるなら、ちゃんと受ける。

 自分も話す。

 

 カイエは鏡の前で髪を結び直し、真っ直ぐ立った。

 

 

 店は、コロニーロカA2の外縁寄り、会社街の賑わいが少し落ち着いた区画にあった。

 

 大きすぎず、小さすぎず。

 木の看板と暖簾のある、昔ながらの居酒屋だ。

 店先には白い提灯が下がっていて、外から見えるカウンターの奥で湯気が立っている。

 

 最初に来たのはユアンだった。

 

「……早すぎたか」

 

 腕時計を見る。

 約束の十五分前。

 

 入るか迷って店先で立ち止まっていると、後ろから足音がした。

 

「ユアン」

 

 振り返るとナミがいた。

 

「あ」

 ユアンが言う。

「……おう」

 

「こんばんは」

 ナミは一応そう言ったが、どこか歯切れが悪い。

 

「……こんばんは」

 

 互いに、昨日のことを思い出しているのが分かる。

 挨拶はした。

 でもそこから何を続けていいか分からない。

 

 気まずい沈黙の中で、二人とも店先の提灯を見た。

 

「入る?」

 ナミが言う。

 

「まあ……来たしな」

 

 先に暖簾をくぐったのはユアンだった。

 後ろからナミが続く。

 

 個室ではなく、小上がりの座敷席が一つ、予約札付きで取られていた。

 六人くらいが余裕で座れる大きさだ。

 

 二人は向かい合わないように少し斜めに座った。

 

「何頼む?」

 ユアンが手元のメニューを見ながら言う。

 

「全員揃ってからでいいんじゃない」

 ナミが答える。

 

「……そうだな」

 

 また沈黙。

 

 店員が水だけ置いて去っていく。

 そのタイミングでシンゴが駆け込んできた。

 

「ご、ごめん、遅れて――って、あ、まだだった」

 

「遅れてない」

 ナミが言う。

「まだ時間前」

 

「そ、そう?」

 シンゴは少しほっとした顔で座る。

「よかった……」

 

 その数分後にキャットが来た。

 

「早いわね、みんな」

 

 声はいつも通り、どこかのんびりしている。

 けれど、その“いつも通り”に少し救われる空気があった。

 

「まあ」

 ユアンが言う。

「呼び出し食らったみたいなもんだしな」

 

「そういう言い方」

 ナミがぴしゃりと言う。

 

「本当だろ」

 

「まあまあ」

 キャットが笑う。

「まだ始まってないんだから、噛まないの」

 

 シンゴが、そこで小さく笑った。

 ほんの少しだけ、空気が動く。

 

 最後にカイエが来た。

 

「ごめん、待たせた?」

 

「いや」

 ユアンが言う。

「ちょうど今」

 

「そっか」

 

 カイエが座る。

 視線が一度、全員を回る。

 昨日と違って、誰も今は戦闘態勢ではない。

 でも安心しきってもいない。

 その微妙な硬さが、そのまま座敷の空気になっていた。

 

 誰かが何かを話し出せば、たぶん普通に会話はできる。

 でも最初の一言が見つからない。

 

「……」

 

「……」

 

 水を飲む音だけがやけに大きい。

 

「カオル、遅いね」

 シンゴがぽつりと言った。

 

「わざとじゃない?」

 キャットが言う。

「先に全員座らせてから来るつもりとか」

 

「ありそう」

 ナミが言った。

 

「ありそうだな」

 ユアンも小さく同意した。

 

 その時、暖簾の向こうで人影が止まった。

 

 次の瞬間、カオルが入ってくる。

 

 いつものように無駄のない足取り。

 けれど、今日は少しだけ違った。

 ただ歩いてくるだけなのに、“ちゃんと話しに来た”という気配があった。

 

「悪い、待たせた」

 

「いや」

 カイエが言う。

「今来たところ」

 

 カオルは席についた。

 全員を一度ずつ見る。

 その視線は短いが、逃げていない。

 

 そして、最初に口を開いた。

 

「サヴァイヴにいた時、よく揉めたりすると、皆んなで飯を食ってから話をしてた。今日はそれに習ってみた」

 

 その一言で、全員の顔に少しだけ驚きが浮かんだ。

 

 ユアンが先に反応する。

 

「……飯?」

 

「ああ」

 カオルは頷いた。

「空腹だと、言葉が尖る。腹に入れてからの方が、少しはまともに話せる」

 

 キャットがふっと笑う。

 

「へえ〜案外、そういうの覚えてるのね」

 

「覚えてる」

 カオルは短く返した。

「実際、あのやり方で救われたことも多い」

 

 それから、手元のメニューを少しだけ押しやる。

 

「だから先に頼もう。今日は俺が払う」

 

「は?」

 ユアンが思わず顔を上げる。

「なんで」

 

「呼んだのは俺だからだ」

 

「いや、そこは割り勘で――」

 ナミが言いかける。

 

「今日は俺が払う」

 カオルはもう一度言った。

「その代わり、遠慮なく食え」

 

 その言い方に、ユアンが一瞬だけ目を細めた。

 強引だが、妙に嫌ではない。

 

「じゃあ」

 キャットが先にメニューを開いた。

「そういうことなら、遠慮しないわ」

 

「お前は本当にそうだろうな」

 ユアンが呆れたように言う。

 

「失礼ね」

 

 少しだけ笑いが起きる。

 それだけで、さっきまでの座敷の重さが少しやわらいだ。

 

 

 注文は、最初こそ遠慮がちだった。

 

 枝豆。

 だし巻き卵。

 焼き鳥盛り合わせ。

 唐揚げ。

 刺身。

 ポテトフライ。

 茶碗蒸し。

 

 だが、キャットが「鍋もいいんじゃない?」と言い出し、シンゴが「揚げ出し豆腐も食べたい」と小さく乗っかり、結局テーブルの上はしばらくして皿で埋まり始めた。

 

 湯気が立つ。

 醤油の匂い。

 焼き鳥の焦げた香ばしさ。

 揚げ物の熱。

 

 不思議なもので、料理が並ぶだけで、少し人は現実へ戻る。

 

 最初に箸をつけたのはカオルだった。

 

「食え」

 短く言う。

 

「だから、命令形なのよ」

 ナミが呆れたように言った。

 

「じゃあ、どう言えばいい」

 

「“食べてくれ”とかあるでしょう」

 

「食べてくれ」

 

「今のはただ言い換えただけ」

 

「難しいな」

 

 そう言ったカオルに、今度はシンゴが本当に笑った。

 

 小さかったが、確かな笑いだった。

 

 誰かが食べ始めると、他も続く。

 

「……うま」

 ユアンが、焼き鳥を一口食べて呟く。

 

「本当だ」

 シンゴが頷く。

「塩ちょうどいい」

 

「この店、前に一回来たことある」

 カイエが言った。

「煮物が美味しいんだよね」

 

「じゃあ追加」

 キャットがすぐ言う。

 

「早い」

 ナミが突っ込む。

 

 それでも、また少し笑いが起きる。

 

 完全に元通りではない。

 でも、“もう二度と同じ卓につかない”みたいな最悪の空気ではなくなっていた。

 

 料理が少し行き渡った頃、カオルが箸を置いた。

 

 その動きだけで、他も自然と手を止める。

 

「……昨日は悪かった」

 

 カオルは真っ直ぐに言った。

 

「俺が切りすぎた。短くすることと、渡すことを同じだと思ってた。お前らに仕事を渡すんじゃなく、“これで分かれ”って投げてた」

 

 静かな声だった。

 大きくないのに、座敷の空気を正面から変える声だった。

 

 ユアンが、少しだけ顔をしかめる。

 

「お前だけじゃない」

 

「分かってる」

 カオルは頷いた。

「でも、まずは俺から言う」

 

 そこから、少しだけ間が空く。

 

 カオルは、テーブルの上ではなく、その先のどこかを見るように話し始めた。

 

「もう昔だが、俺はアストロノーツ養成学校にいた時、同じ学年で俺より上をいく奴が二人いた」

 

 その言葉に、誰も口を挟まない。

 

「操縦から座学、人間性、全部完璧だった。本当に腹が立った。いつか超えてやるって、ずっと思ってた」

 

 ユアンが、小さく眉を上げる。

 ナミも視線を動かす。

 カオルが、ここまで自分の“悔しさ”を口にするのは珍しかった。

 

「でも俺は失敗して、一度宙から離れた」

 カオルは淡々と言う。

「離れた時間、ずっと止まっていた。だが、サヴァイヴで俺はもう一度、宙に戻ると決めた。そこからずっと考えてた。何が足りなかったのか、何を失って、何をまだ持ってるのか」

 

 湯気の立つ鍋の向こうで、カオルの横顔はいつもより少しだけ硬かった。

 

「そして、こうしてまた宙に戻った。戻った時、俺はもう一度誓ったんだ。そいつを追い越すって」

 

 カイエが、そこで小さく息を呑む。

 

「一人は、今もS級パイロットだ。もう一人は、もういない。」

 

 短いその言葉が、座敷へ重く落ちた。

 

 シンゴが、そっと箸を置き直す。

 キャットも、今は茶化さない。

 ナミは真っ直ぐカオルを見ていた。

 

「今回の探索シミュレーションで、俺はS級パイロットより上の実力を示したいと思ってる」

 カオルが言う。

「だが今のS級パイロット達は全員、怪物だ。俺一人じゃ、太刀打ちできない」

 

 そこで、一度だけテーブルの全員を見る。

 

「それでも勝ちたい。勝つには、ここにいるメンバーの力を借りるしかない。だから改めて、俺に力を貸してほしい」

 

 言い切ってから、カオルは座ったまま深く頭を下げた。

 

 誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 

 カオルが頭を下げる。

 それだけで十分すぎるほどの重さがある。

 

 しばらくして、最初に動いたのはユアンだった。

 

「……やめろよ、そういうの」

 

 ぶっきらぼうな声だった。

 けれど、そこにさっきまでの刺はない。

 

「お前が頭下げると、こっちが余計に言いづらくなる」

 

 カオルは頭を上げる。

 

 ユアンは、少しだけ視線を逸らしてから言った。

 

「昨日は悪かった。俺、張り合いすぎてた。お前に食ってかかること自体が、半分癖みたいになってた。副操縦士として噛まなきゃいけない場面もあったと思う。でも、あれは違った。“俺が認めてない”って意地の方が前に出てた」

 

 そこまで言ってから、ユアンは軽く舌打ちした。

 

「……ダサいよな」

 

「ダサくない」

 カオルがすぐ返す。

 

「いやダサいだろ」

 ユアンが睨む。

「でも、認める。俺はお前に張り合ってた。お前が前にいるのがムカつく時もあった。でも同時に、あの映像見せられて一番思ったのは、“俺たち、このままじゃ負ける”だった」

 

 その“負ける”という言葉に、カオルの目がほんのわずかに細まる。

 

「だから」

 ユアンは言う。

「力は貸す。ただし遠慮はしない。お前が変な切り方したら、今度はちゃんと噛む」

 

「それでいい」

 カオルが言った。

 

「それに」

 ユアンが少しだけ笑う。

「S級に勝つとか、面白そうだしな」

 

 その言葉で、場に少し熱が戻る。

 

 次に口を開いたのはナミだった。

 

「私も、謝ります」

 

 言葉は整っていた。

 でも、声の奥は少しだけ硬い。

 それがかえって、今の彼女の本音らしかった。

 

「私は“正しい順番”を守ろうとしすぎた。その順番から外れるものを、全部直さなきゃいけないと思ってた。だから、人の言葉の温度まで管理しようとした、それが必要な時もあるけど、少なくとも昨日の私は違った。私はもう、“整える”じゃなくて“押しつける”に近かったと思う」

 

 ナミは、そこで少しだけ目を伏せる。

 

「それに……自分でも分かってた、余裕がなくなってるって。でも、その余裕のなさを認めたくなかった。認めたら、自分が一番ダメになる気がして」

 

「ナミ」

 シンゴが小さく名前を呼ぶ。

 

 ナミは首を振った。

 

「でも、違った。認めない方が、もっとダメだった。だから……もう一回やらせてほしい。今度は、“正しいこと”だけじゃなくて、“どう渡すか”も含めてやる」

 

 カオルが短く頷く。

 

「ああ」

 

 シンゴは、二人を見てから、自分の膝の上で握った手をほどいた。

 

「僕も……僕も、ごめん」

 

 声は小さい。

 でも、逃げていなかった。

 

「僕、気を遣いすぎてた。間違えたくないって思いすぎて、出すべき時に出せなかった。メカニックとして、見えてることはあったのに、“これ言ったら邪魔かな”とか、“今じゃないかな”とか考えて、遅れた。それって結局、チームを助けてるんじゃなくて、自分を守ってただけだったかもしれない」

 

 シンゴは、そこで少しだけ笑った。

 自嘲気味の笑いだ。

 

「僕、機械は好きだけど、人に言葉を投げるのはまだ苦手なんだと思う。でも、探索って、機械だけ見てればいいわけじゃない。だから逃げない。必要な時は、もっと先に出す。そのかわり……」

 少しだけ困ったように視線を揺らす。

「言い方、変だったら教えて」

 

「それは俺が言う」

 ユアンが即答した。

 

「いや、ユアンだとちょっと怖い」

 

「失礼だな」

 

 小さく笑いが起きる。

 

 キャットは、そのやり取りを見ながらグラスの水を一口飲んだ。

 

「じゃあ、私も言う番ね」

 

 全員の視線が向く。

 

「昨日、“降りる”って言ったのは本心半分、試し半分」

 キャットはあっさり言った。

「このチームが、本当にそこで切れるのか見たかった。止める人がいるのか、止められないまま壊れるのか……悪趣味よね」

 

「自覚あるんだ」

 ナミが言う。

 

「あるわよ」

 キャットは肩をすくめる。

「ただ、私は私で、“軽い方が全体のバランスが取れる”って思いすぎてた。実際は違った。軽く見えることと、軽くしてあげることは別だった。私はそこを履き違えた」

 

 そして、ほんの少しだけ目を細める。

 

「でも収穫もあった。カオルはちゃんと降りなかった。ナミはちゃんと怒った。ユアンは意地を剥き出しにした。シンゴは最後まで残った。カイエは逃げなかった。ククルは本気で叱った。悪くないわ」

 

「最後だけ褒め言葉っぽくするな」

 ユアンが言う。

 

「だって事実だもの」

 キャットが笑う。

 

 そこで、最後にカイエが口を開いた。

 

 他の四人が順に反省や謝罪を言うのを、ずっと静かに聞いていた。

 だがその目は、さっきまでの迷いだけではなかった。

 

「私は」

 カイエが言う。

「反省なんてしなくていいと思う」

 

 その一言に、全員が少しだけ驚いた顔をした。

 

 カイエは、真っ直ぐに続ける。

 

「いや、悪かったことはあるよ。昨日のことを無かったことにするつもりもない。でも、今みんなが言ったことって、結局は“それぞれの強さ”でもあるでしょう?」

 

 ナミが、わずかに眉を上げる。

 

「ユアンは噛める。ナミは順番を見られる。シンゴはちゃんと深く見る。キャットは一歩引いたところから全体の歪みを見つけられる。カオルは前で決められる」

 

 カイエは、一人ずつを見る。

 

「今のままでいい、その尖りを消したら、たぶん弱くなる」

 

 そして、自分の胸へ軽く手を当てた。

 

「それを私が整える。皆んなの持っている力を最大限に活かして、皆んなに渡すために、コックピットコンディションがいるんだもの」

 

 その言葉は、宣言だった。

 

 昨日のカイエなら、ここまで言い切れなかったかもしれない。

 でも今は、もう少しだけ違っていた。

 

「私、ずっと勘違いしてた。コックピットコンディションって、全部拾って、全部繋ぐ役だと思ってた。でも違う。ずれた温度を戻して、必要な相手に必要なものを渡す役なんだと思う。だから、みんなは今のままでいい、その代わり、私ももっとちゃんと見る。誰が今、どこで詰まってるのか、どの言葉を、どの相手に、どう渡せば流れるのか、そこは私がやる」

 

 カオルは、その言葉をじっと聞いていた。

 

 そして、静かに頷く。

 

「よろしく頼む」

 

 カイエはまっすぐ見返して答えた。

 

「うん。任せて」

 

 その時だった。

 

 暖簾の向こうから、ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。

 

 次の瞬間、

 

「ごめん! 遅れちゃった!!」

 

 勢いよく入ってきたのはククルだった。

 

 髪が少し乱れている。

 肩で息をしている。

 しかも、片手にはまだ端末を持ったままだった。

 

 座敷の全員が、一瞬だけ呆気に取られて、それからほとんど同時に息を吐いた。

 

「……お前、ほんとにそういうタイミングだな」

 ユアンが言う。

 

「ご、ごめん!」

 ククルが頭を下げる。

「映像見てたらつい!」

 

「つい、で時間溶かすのはククルくらいだよ」

 シンゴが苦笑する。

 

 ククルは、へへ、と気まずそうに笑ってから、空いている席を見た。

 

「えっと……座っていい?」

 

「丁度いいところに来たな」

 カオルが言った。

 

 ククルが、ぴたりと止まる。

 

「え?」

 

 カオルは、ククルを真っ直ぐ見た。

 

「追加メンバーはククルに頼みたい」

 

 その言葉に、ククルは目を丸くした。

 

「……は?」

 

「この中で、未探索領域を経験してるのはククルだけだ」

 カオルが言う。

「実地の空気を知ってる。未知の場所で、人がどう硬くなるかも、逆にどうやって動き出すかも、少なくとも俺たちより分かってる。力を貸してくれ」

 

 ククルは、完全に固まっていた。

 

 昨日まで、こんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。

 驚きがそのまま顔に出ている。

 

「で、でも……」

 ククルが言う。

「私、今のメンバーより全然……だって、操縦もシステムもメカも――」

 

「そういう話じゃない」

 ナミが、今度は真っ直ぐに言った。

「あなたにしか見えないものがある」

 

 ククルがそちらを見る。

 

「私達、昨日そこを見落としてた」

 ナミは言う。

「未探索領域の“情報”じゃなくて、“空気”。人がどう縮むか、どう怖がるか、どう戻るか、それを経験で知ってるのは、あなた」

 

「うん」

 シンゴも頷く。

「機械の数値とか航路の話だけじゃなくて、そこで人がどうなるかって、すごく大きいと思う」

 

「それに」

 ユアンが少しだけ気まずそうに言う。

「昨日、あれだけ啖呵切っといて、今さら外から見てるだけってのもなしだろ」

 

「ちょっとそれ言い方」

 ナミが言う。

 

「でも本音だ」

 ユアンが返す。

「ククル、お前があそこまで言ったなら、俺は一緒にやりたい」

 

 キャットも、口元を少し上げた。

 

「未探索領域経験者って肩書きだけじゃないわ。あなた、空気が死んだ時に一番先に分かるタイプでしょう?そういう人、追加一名としてはかなり貴重よ」

 

 カイエは、最後に柔らかく言った。

 

「ククル、私は、いてほしい。みんなの間を走り回れるのも、空気が変わった時にすぐ顔に出るのも、今のチームには必要だと思う」

 

 ククルは、言葉を失っていた。

 

 嬉しい。

 でも怖い。

 その両方が、分かりやすいくらい顔に出ている。

 

「でも……」

 ククルはもう一度言った。

「私、また失敗したら……」

 

 それは、十班応援の時のことを言っていた。

 誰もその単語を出さなかったのに、全員に分かった。

 

 カオルは、その言葉に少しだけ表情をやわらげた。

 

「失敗しても、今度は一人にしない」

 

 短い。

 でも、強かった。

 

「俺たちはチームだ。一人で抱えさせない。だから来てくれ」

 

 しばらくの沈黙。

 

 ククルの目が、順番に皆を見た。

 

 ユアン。

 ナミ。

 シンゴ。

 キャット。

 カイエ。

 そしてカオル。

 

 誰も、目を逸らさなかった。

 

 ククルの胸が、きゅっと熱くなる。

 

 嬉しい。

 怖い。

 でも、やりたい。

 

 その全部を抱えたまま、ククルはぎゅっと拳を握った。

 

「……分かった!」

 

 顔を上げる。

 

「やる!」

 

 その瞬間、座敷の空気がぱっと明るくなった。

 

 シンゴが「よしっ」と小さく拳を握り、ユアンは「そうこなくちゃな」と笑う。

 ナミも、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 キャットは肩をすくめる。

 カイエは、心からほっとしたように息を吐いた。

 

 カオルも、短く頷く。

 

「ありがとう」

 

「う、うん!」

 ククルは慌てて座りながら言う。

「でも、お腹空いた!走ってきたから!」

 

「そこは通常運転だな」

 ユアンが言う。

 

「ククル、何食べる?」

 カイエがメニューを差し出す。

 

「えっと、唐揚げ! だし巻き! あと鍋まだある!?」

 

「あるわよ」

 キャットが笑う。

「さっき追加したもの」

 

「さすがキャットさん!」

 

「褒めても何も出ない」

 

「じゃあ後で褒める!」

 

「意味が分からないわね」

 

 また笑いが起きる。

 

 それは、昨日までのぎこちない笑いではなかった。

 まだ全部が元通りではない。

 でも、少なくとも同じ方向を見て笑える空気だった。

 

 

 料理がさらに追加され、ククルが本気で食べ始める頃には、卓の空気はだいぶ変わっていた。

 

「で、ククル」

 ナミが言う。

「映像、どこまで見てたの」

 

「え?」

 ククルが唐揚げを頬張ったまま顔を上げる。

「三回くらい最初から最後まで!」

 

「見すぎ」

 ユアンが言う。

 

「だって意味あると思ったんだもん!」

 

「そこは、お前の勝ちだな」

 キャットが言う。

 

「勝ち負けじゃないよぉ」

 

 ククルがむっとする。

 その顔に、ナミが小さく笑う。

 

「で、何が一番気になった?」

 

 そう聞かれたククルは、途端に真面目な顔になった。

 

「エリンさん!エリンさんが、誰か一人の横にずっといないところ」

 

 その答えに、カイエの目が少しだけ細くなる。

 

「ずっと誰かを助けるんじゃなくて、今ここが詰まってる、ってところにだけ一瞬入って、すぐ次を見るの。でも、放ってる感じじゃなくて、ちゃんとみんな見えてる。それがすごかった」

 

「うん」

 カイエが静かに頷く。

 

「あとね」

 ククルは続ける。

「みんな、自分の担当がなくなると焦るんじゃなくて、“空いた”って分かったら自然に入ってた。マリさんとかサツキさんとか、ペルシアさんが仮に負傷した時も、“えっどうしよう”ってならなかったじゃん。ちゃんと怖かったはずなのに、止まらなかった」

 

 シンゴがそれを聞いて、小さく頷いた。

 

「うん……僕そこだった。止まらないんだよね。しかも無理してる感じじゃなくて」

 

「たぶん」

 ナミが言う。

「“次に誰が入るか”のイメージがみんなの中にあるからだと思う。役割表じゃなくて、流れとして持ってる」

 

「それ、明日やろう」

 カイエが言った。

「役割表を増やすんじゃなくて、“誰が抜けた時、誰がどこまで入るか”をみんなで作る」

 

「いい」

 カオルが頷く。

「最初にそこを決める。その上で回す」

 

「だったら」

 ユアンが言う。

「俺は副操縦士として“操縦の補助”だけじゃなくて、一時的にシステム側へどこまで目を伸ばせるか整理する」

 

「私は」

 ナミがすぐ続ける。

「システムエンジニアとして、順番を守るだけじゃなくて、誰が受けやすいかも含めて渡し方を調整する。あと、通信寄りの補助フローも作る」

 

「僕は」

 シンゴが言う。

「メカの仮説を出す時に、時間と優先度を一緒に出すようにする。待てる形で出したい」

 

「私は」

 キャットが箸を置いて言う。

「医療と現場対応の線引きをもう少し明確にする。兼任した時、どこから誰に渡せるか、整理する」

 

「私はコックピットコンディションとして」

 カイエが言う。

「流れの詰まりを見つけて、一拍早く戻す。“抱えないで整える”」

 

 最後に、全員の視線がククルへ向く。

 

「わ、私!?」

 ククルが驚く。

 

「追加メンバーなんだから当然でしょ」

 ナミが言う。

 

「え、えっと……」

 ククルは少し考えてから言った。

「私は、未探索領域で人がどう固まるかを見てる。それと、視野が狭くなってる人を見つける。たぶん、そこなら出来ると思う」

 

「十分だ」

 カオルが言う。

 

 その一言に、ククルは照れくさそうに笑った。

 

 

 夜は更けていった。

 

 鍋の汁が少なくなり、空いた皿が積み上がり、最初の気まずさはもうどこにもなかった。

 

 とはいえ、全部が解決したわけではない。

 明日になればまたぶつかるかもしれない。

 シミュレーションを回せば、今日整理したものでは足りない穴も見つかるだろう。

 

 それでも今は、ちゃんと同じ卓を囲んでいる。

 同じものを食べ、同じ目線で先を見ようとしている。

 

 それだけで十分大きかった。

 

「そういえば」

 ナミがふと思い出したように言う。

「サヴァイヴの時って、揉めた後ほんとにこうやってご飯食べてたの?」

 

「ああ」

 カオルが言う。

 

「誰が一番食べてたの?」

 ククルが聞く。

 

「ハワード」

 カオルが即答した。

 

「想像つく!」

 ククルが笑う。

 

「あとチャコも」

 カオルが続ける。

「緊張すると、食う量が増えた」

 

「猫型ロボット?」

 キャットが聞く。

 

「ああ」

 カオルが少しだけ懐かしそうに言う。

「うるさくて、よく喋って、でも頭が切れた」

 

「なんか会ってみたいかも」

 キャットが言う。

 

「俺は遠慮したい」

 ユアンが言う。

「絶対うるさいだろ」

 

「うるさい」

 カオルが言った。

「でも、助かったことは多い」

 

「……そういう仲間、いいね」

 ククルがぽつりと言う。

 

 その言葉に、カオルはほんの少しだけ目を細めた。

 

「今は、ここがそうなればいいと思ってる」

 

 その一言は、大きくなかった。

 けれど、誰の胸にも静かに届いた。

 

 カイエが、やわらかく笑う。

 

「なれるよ」

 

「うん」

 シンゴも頷く。

 

「まずはちゃんと回してからね」

 ナミが現実的に言う。

 

「その後、勝つ」

 ユアンが言った。

 

「勝つ、か」

 キャットが笑う。

「嫌いじゃない響きね」

 

 ククルは、そんな皆を見てにこっと笑った。

 

「じゃあ明日から、ちゃんと勝ちにいこう!」

 

 勢いのあるその声に、店の奥の客が少しだけこちらを見た。

 ククルは「あ、ごめんなさい」と慌てて口を押さえる。

 それがまたおかしくて、全員が笑った。

 

 カオルは、その笑いの中で静かに息を吐く。

 

 昨日までとは違う。

 まだ完成には遠い。

 でも、ここからなら行ける。

 

 S級の怪物に勝つ。

 あの頃追い越せなかった背中を、今度こそ越える。

 そのために必要なのは、もう“自分一人で飛ぶこと”ではない。

 

 ここにいる全員の力を、繋げて、渡して、前へ出すことだ。

 

「明日、九時」

 カオルが言う。

「シミュレーションルーム集合。映像の分解から始める。そのあと、役割の仮組み。昼から一本目を回す」

 

「了解」

 ナミ。

 

「分かった」

 ユアン。

 

「うん」

 シンゴ。

 

「はいはい」

 キャット。

 

「任せて」

 カイエ。

 

「はーい!」

 ククル。

 

 返事は揃わない。

 でも、それが今のこのチームらしかった。

 

 そして、その揃わなささえ、どこか心地よく感じられる夜だった。

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