サヴァイヴ(オリジナル小説)   作:一塔

184 / 222
話し合い

 

 カオルからのメッセージは、ひどく簡素だった。

 

『話がある。二十時。ここに来てくれ』

 

 本文はそれだけ。

 あとは店の位置情報だけが、無機質に添えられている。

 

 それを受け取った瞬間、それぞれが少しずつ違う顔をした。

 

◇

 

 ユアンは、端末の画面を見たまま舌打ちした。

 

「なんだよ、急に」

 

 独り言のつもりだった。

 だが、言葉の端には苛立ちよりも戸惑いの方が強かった。

 

 昨日の今日だ。

 しかも送り主はカオル。

 

 あいつの方から、こんなふうに“話があるから来てくれ”などと送ってくるのは珍しい。

 いや、珍しいどころか、ほとんど初めてかもしれない。

 

 ユアンはベッドへ端末を放り投げ、天井を見上げた。

 

「何の話だよ……」

 

 謝罪か。

 説教か。

 それとも、“やっぱりチームは解散だ”という話か。

 

 どれもあり得る。

 どれも、昨日の空気なら十分あり得た。

 

 だが、端末を見つめ直したユアンは、短く息を吐いてから起き上がった。

 

「……行くしかねえだろ」

 

 行かなければ、たぶん気になる。

 行って嫌な話をされる可能性はある。

 でも行かなければ、もっと嫌な想像だけが膨らむ。

 

 ユアンは髪をかき上げ、上着を掴んだ。

 

◇

 

 ナミは宇宙管理局の端末室から出たところで、そのメッセージを受け取った。

 

 端末に表示された短い文面を見て、足が止まる。

 

「……カオルから」

 

 周囲に人がいないことを確認してから、もう一度読み直す。

 誤読の余地はない。

 話がある。来てくれ。

 

 簡潔すぎる。

 それが余計に緊張を誘った。

 

 ナミは、その場で端末を閉じようとして、やめた。

 また開く。

 地図を見る。

 店の位置を確認する。

 会社から少し離れた、古い居酒屋だった。

 

「……何を言われるんだろ」

 

 昨日、あれだけ感情をぶつけた。

 降りる、とまで口にした。

 ククルにも言われた。

 クリスタルからも話を聞いた。

 

 だから、ある意味では昨日より落ち着いている。

 でも、だからといって平然と行けるほど整理しきれてもいない。

 

 ナミは端末を胸の前で持ち、しばらく考えてから小さく呟いた。

 

「逃げないで行くって決めたんだから」

 

 それは誰かに言うためではなく、自分へ言い聞かせる声だった。

 

◇

 

 シンゴは、工具箱の中身を整理している時にメッセージを受け取った。

 

「え、カオルから?」

 

 目を丸くしたまま、すぐに読み返す。

 

 そして次の瞬間には、妙に慌て始めた。

 

「話って何だろ……え、いや、待って、今の状態で話って重いやつかな。いやでもご飯屋さんだし……ご飯屋さんで解散話ってするかな……でもカオルならするのかな……」

 

 独りで勝手に考えて、独りで勝手に沈みかける。

 それがシンゴらしい。

 

 だが結局、工具箱の蓋を閉めた時には、もう行く気になっていた。

 

「……ちゃんと聞こう」

 

 逃げたいわけじゃない。

 むしろ昨日のあと、自分から話さなきゃいけないことが山ほどあると分かっていた。

 だから、こうして場を作ってくれたのなら、行くしかない。

 

 シンゴはいつもより少しだけきちんと髪を整え、それから工具油の匂いがついた手を念入りに洗った。

 

◇

 

 キャットは、メッセージを見るなり笑った。

 

「へえ」

 

 それだけ言って、ソファに深く座ったままもう一度読み返す。

 

「話がある、ねえ」

 

 短い文面の中に、妙に不器用な誠実さがにじんでいた。

 あの男らしい、と言えばらしい。

 

 昨日、最後に見たカオルの顔を思い出す。

 険しくて、でもどこか、思っていたよりちゃんと傷ついていた顔。

 

 キャットは片足を組み替えながら、小さく笑った。

 

「逃げないのは嫌いじゃないわ」

 

 誰に聞かせるでもない独り言。

 

 それから立ち上がり、鏡の前で髪を軽く整える。

 大げさに着飾るつもりはない。

 けれど“ただ呼ばれたから行く”ではない顔はしておきたかった。

 

◇

 

 カイエは、メッセージを見た時、すぐには動けなかった。

 

 端末を持ったまま、しばらく呼吸が止まる。

 

「……カオル」

 

 その名前を、小さく口にする。

 

 昨日、公園でルナと話したことなど、カイエは当然知らない。

 知るはずもない。

 

 だから、今このメッセージだけが、カイエにとっては答えだった。

 

 カオルは逃げなかった。

 少なくとも、昨日のあの空気を無かったことにはしないつもりなのだ。

 

 その事実に、胸がじんと熱くなる。

 

 カイエはゆっくり目を閉じてから、短く息を吐いた。

 

「……よし」

 

 それだけで、迷いは少し消えた。

 

 昨日、自分は“嫌がらせだと思う”と言った。

 ククルを怒らせた。

 チームを整えるどころか、自分が一緒に空気をこじらせた。

 

 なら、今日行くべきだ。

 話があるなら、ちゃんと受ける。

 自分も話す。

 

 カイエは鏡の前で髪を結び直し、真っ直ぐ立った。

 

◇

 

 店は、コロニーロカA2の外縁寄り、会社街の賑わいが少し落ち着いた区画にあった。

 

 大きすぎず、小さすぎず。

 木の看板と暖簾のある、昔ながらの居酒屋だ。

 店先には白い提灯が下がっていて、外から見えるカウンターの奥で湯気が立っている。

 

 最初に来たのはユアンだった。

 

「……早すぎたか」

 

 腕時計を見る。

 約束の十五分前。

 

 入るか迷って店先で立ち止まっていると、後ろから足音がした。

 

「ユアン」

 

 振り返るとナミがいた。

 

「あ」

 ユアンが言う。

「……おう」

 

「こんばんは」

 ナミは一応そう言ったが、どこか歯切れが悪い。

 

「……こんばんは」

 

 互いに、昨日のことを思い出しているのが分かる。

 挨拶はした。

 でもそこから何を続けていいか分からない。

 

 気まずい沈黙の中で、二人とも店先の提灯を見た。

 

「入る?」

 ナミが言う。

 

「まあ……来たしな」

 

 先に暖簾をくぐったのはユアンだった。

 後ろからナミが続く。

 

 個室ではなく、小上がりの座敷席が一つ、予約札付きで取られていた。

 六人くらいが余裕で座れる大きさだ。

 

 二人は向かい合わないように少し斜めに座った。

 

「何頼む?」

 ユアンが手元のメニューを見ながら言う。

 

「全員揃ってからでいいんじゃない」

 ナミが答える。

 

「……そうだな」

 

 また沈黙。

 

 店員が水だけ置いて去っていく。

 そのタイミングでシンゴが駆け込んできた。

 

「ご、ごめん、遅れて――って、あ、まだだった」

 

「遅れてない」

 ナミが言う。

「まだ時間前」

 

「そ、そう?」

 シンゴは少しほっとした顔で座る。

「よかった……」

 

 その数分後にキャットが来た。

 

「早いわね、みんな」

 

 声はいつも通り、どこかのんびりしている。

 けれど、その“いつも通り”に少し救われる空気があった。

 

「まあ」

 ユアンが言う。

「呼び出し食らったみたいなもんだしな」

 

「そういう言い方」

 ナミがぴしゃりと言う。

 

「本当だろ」

 

「まあまあ」

 キャットが笑う。

「まだ始まってないんだから、噛まないの」

 

 シンゴが、そこで小さく笑った。

 ほんの少しだけ、空気が動く。

 

 最後にカイエが来た。

 

「ごめん、待たせた?」

 

「いや」

 ユアンが言う。

「ちょうど今」

 

「そっか」

 

 カイエが座る。

 視線が一度、全員を回る。

 昨日と違って、誰も今は戦闘態勢ではない。

 でも安心しきってもいない。

 その微妙な硬さが、そのまま座敷の空気になっていた。

 

 誰かが何かを話し出せば、たぶん普通に会話はできる。

 でも最初の一言が見つからない。

 

「……」

 

「……」

 

 水を飲む音だけがやけに大きい。

 

「カオル、遅いね」

 シンゴがぽつりと言った。

 

「わざとじゃない?」

 キャットが言う。

「先に全員座らせてから来るつもりとか」

 

「ありそう」

 ナミが言った。

 

「ありそうだな」

 ユアンも小さく同意した。

 

 その時、暖簾の向こうで人影が止まった。

 

 次の瞬間、カオルが入ってくる。

 

 いつものように無駄のない足取り。

 けれど、今日は少しだけ違った。

 ただ歩いてくるだけなのに、“ちゃんと話しに来た”という気配があった。

 

「悪い、待たせた」

 

「いや」

 カイエが言う。

「今来たところ」

 

 カオルは席についた。

 全員を一度ずつ見る。

 その視線は短いが、逃げていない。

 

 そして、最初に口を開いた。

 

「サヴァイヴにいた時、よく揉めたりすると、皆んなで飯を食ってから話をしてた。今日はそれに習ってみた」

 

 その一言で、全員の顔に少しだけ驚きが浮かんだ。

 

 ユアンが先に反応する。

 

「……飯?」

 

「ああ」

 カオルは頷いた。

「空腹だと、言葉が尖る。腹に入れてからの方が、少しはまともに話せる」

 

 キャットがふっと笑う。

 

「へえ〜案外、そういうの覚えてるのね」

 

「覚えてる」

 カオルは短く返した。

「実際、あのやり方で救われたことも多い」

 

 それから、手元のメニューを少しだけ押しやる。

 

「だから先に頼もう。今日は俺が払う」

 

「は?」

 ユアンが思わず顔を上げる。

「なんで」

 

「呼んだのは俺だからだ」

 

「いや、そこは割り勘で――」

 ナミが言いかける。

 

「今日は俺が払う」

 カオルはもう一度言った。

「その代わり、遠慮なく食え」

 

 その言い方に、ユアンが一瞬だけ目を細めた。

 強引だが、妙に嫌ではない。

 

「じゃあ」

 キャットが先にメニューを開いた。

「そういうことなら、遠慮しないわ」

 

「お前は本当にそうだろうな」

 ユアンが呆れたように言う。

 

「失礼ね」

 

 少しだけ笑いが起きる。

 それだけで、さっきまでの座敷の重さが少しやわらいだ。

 

◇

 

 注文は、最初こそ遠慮がちだった。

 

 枝豆。

 だし巻き卵。

 焼き鳥盛り合わせ。

 唐揚げ。

 刺身。

 ポテトフライ。

 茶碗蒸し。

 

 だが、キャットが「鍋もいいんじゃない?」と言い出し、シンゴが「揚げ出し豆腐も食べたい」と小さく乗っかり、結局テーブルの上はしばらくして皿で埋まり始めた。

 

 湯気が立つ。

 醤油の匂い。

 焼き鳥の焦げた香ばしさ。

 揚げ物の熱。

 

 不思議なもので、料理が並ぶだけで、少し人は現実へ戻る。

 

 最初に箸をつけたのはカオルだった。

 

「食え」

 短く言う。

 

「だから、命令形なのよ」

 ナミが呆れたように言った。

 

「じゃあ、どう言えばいい」

 

「“食べてくれ”とかあるでしょう」

 

「食べてくれ」

 

「今のはただ言い換えただけ」

 

「難しいな」

 

 そう言ったカオルに、今度はシンゴが本当に笑った。

 

 小さかったが、確かな笑いだった。

 

 誰かが食べ始めると、他も続く。

 

「……うま」

 ユアンが、焼き鳥を一口食べて呟く。

 

「本当だ」

 シンゴが頷く。

「塩ちょうどいい」

 

「この店、前に一回来たことある」

 カイエが言った。

「煮物が美味しいんだよね」

 

「じゃあ追加」

 キャットがすぐ言う。

 

「早い」

 ナミが突っ込む。

 

 それでも、また少し笑いが起きる。

 

 完全に元通りではない。

 でも、“もう二度と同じ卓につかない”みたいな最悪の空気ではなくなっていた。

 

 料理が少し行き渡った頃、カオルが箸を置いた。

 

 その動きだけで、他も自然と手を止める。

 

「……昨日は悪かった」

 

 カオルは真っ直ぐに言った。

 

「俺が切りすぎた。短くすることと、渡すことを同じだと思ってた。お前らに仕事を渡すんじゃなく、“これで分かれ”って投げてた」

 

 静かな声だった。

 大きくないのに、座敷の空気を正面から変える声だった。

 

 ユアンが、少しだけ顔をしかめる。

 

「お前だけじゃない」

 

「分かってる」

 カオルは頷いた。

「でも、まずは俺から言う」

 

 そこから、少しだけ間が空く。

 

 カオルは、テーブルの上ではなく、その先のどこかを見るように話し始めた。

 

「もう昔だが、俺はアストロノーツ養成学校にいた時、同じ学年で俺より上をいく奴が二人いた」

 

 その言葉に、誰も口を挟まない。

 

「操縦から座学、人間性、全部完璧だった。本当に腹が立った。いつか超えてやるって、ずっと思ってた」

 

 ユアンが、小さく眉を上げる。

 ナミも視線を動かす。

 カオルが、ここまで自分の“悔しさ”を口にするのは珍しかった。

 

「でも俺は失敗して、一度宙から離れた」

 カオルは淡々と言う。

「離れた時間、ずっと止まっていた。だが、サヴァイヴで俺はもう一度、宙に戻ると決めた。そこからずっと考えてた。何が足りなかったのか、何を失って、何をまだ持ってるのか」

 

 湯気の立つ鍋の向こうで、カオルの横顔はいつもより少しだけ硬かった。

 

「そして、こうしてまた宙に戻った。戻った時、俺はもう一度誓ったんだ。そいつを追い越すって」

 

 カイエが、そこで小さく息を呑む。

 

「一人は、今もS級パイロットだ。もう一人は、もういない。」

 

 短いその言葉が、座敷へ重く落ちた。

 

 シンゴが、そっと箸を置き直す。

 キャットも、今は茶化さない。

 ナミは真っ直ぐカオルを見ていた。

 

「今回の探索シミュレーションで、俺はS級パイロットより上の実力を示したいと思ってる」

 カオルが言う。

「だが今のS級パイロット達は全員、怪物だ。俺一人じゃ、太刀打ちできない」

 

 そこで、一度だけテーブルの全員を見る。

 

「それでも勝ちたい。勝つには、ここにいるメンバーの力を借りるしかない。だから改めて、俺に力を貸してほしい」

 

 言い切ってから、カオルは座ったまま深く頭を下げた。

 

 誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 

 カオルが頭を下げる。

 それだけで十分すぎるほどの重さがある。

 

 しばらくして、最初に動いたのはユアンだった。

 

「……やめろよ、そういうの」

 

 ぶっきらぼうな声だった。

 けれど、そこにさっきまでの刺はない。

 

「お前が頭下げると、こっちが余計に言いづらくなる」

 

 カオルは頭を上げる。

 

 ユアンは、少しだけ視線を逸らしてから言った。

 

「昨日は悪かった。俺、張り合いすぎてた。お前に食ってかかること自体が、半分癖みたいになってた。副操縦士として噛まなきゃいけない場面もあったと思う。でも、あれは違った。“俺が認めてない”って意地の方が前に出てた」

 

 そこまで言ってから、ユアンは軽く舌打ちした。

 

「……ダサいよな」

 

「ダサくない」

 カオルがすぐ返す。

 

「いやダサいだろ」

 ユアンが睨む。

「でも、認める。俺はお前に張り合ってた。お前が前にいるのがムカつく時もあった。でも同時に、あの映像見せられて一番思ったのは、“俺たち、このままじゃ負ける”だった」

 

 その“負ける”という言葉に、カオルの目がほんのわずかに細まる。

 

「だから」

 ユアンは言う。

「力は貸す。ただし遠慮はしない。お前が変な切り方したら、今度はちゃんと噛む」

 

「それでいい」

 カオルが言った。

 

「それに」

 ユアンが少しだけ笑う。

「S級に勝つとか、面白そうだしな」

 

 その言葉で、場に少し熱が戻る。

 

 次に口を開いたのはナミだった。

 

「私も、謝ります」

 

 言葉は整っていた。

 でも、声の奥は少しだけ硬い。

 それがかえって、今の彼女の本音らしかった。

 

「私は“正しい順番”を守ろうとしすぎた。その順番から外れるものを、全部直さなきゃいけないと思ってた。だから、人の言葉の温度まで管理しようとした、それが必要な時もあるけど、少なくとも昨日の私は違った。私はもう、“整える”じゃなくて“押しつける”に近かったと思う」

 

 ナミは、そこで少しだけ目を伏せる。

 

「それに……自分でも分かってた、余裕がなくなってるって。でも、その余裕のなさを認めたくなかった。認めたら、自分が一番ダメになる気がして」

 

「ナミ」

 シンゴが小さく名前を呼ぶ。

 

 ナミは首を振った。

 

「でも、違った。認めない方が、もっとダメだった。だから……もう一回やらせてほしい。今度は、“正しいこと”だけじゃなくて、“どう渡すか”も含めてやる」

 

 カオルが短く頷く。

 

「ああ」

 

 シンゴは、二人を見てから、自分の膝の上で握った手をほどいた。

 

「僕も……僕も、ごめん」

 

 声は小さい。

 でも、逃げていなかった。

 

「僕、気を遣いすぎてた。間違えたくないって思いすぎて、出すべき時に出せなかった。メカニックとして、見えてることはあったのに、“これ言ったら邪魔かな”とか、“今じゃないかな”とか考えて、遅れた。それって結局、チームを助けてるんじゃなくて、自分を守ってただけだったかもしれない」

 

 シンゴは、そこで少しだけ笑った。

 自嘲気味の笑いだ。

 

「僕、機械は好きだけど、人に言葉を投げるのはまだ苦手なんだと思う。でも、探索って、機械だけ見てればいいわけじゃない。だから逃げない。必要な時は、もっと先に出す。そのかわり……」

 少しだけ困ったように視線を揺らす。

「言い方、変だったら教えて」

 

「それは俺が言う」

 ユアンが即答した。

 

「いや、ユアンだとちょっと怖い」

 

「失礼だな」

 

 小さく笑いが起きる。

 

 キャットは、そのやり取りを見ながらグラスの水を一口飲んだ。

 

「じゃあ、私も言う番ね」

 

 全員の視線が向く。

 

「昨日、“降りる”って言ったのは本心半分、試し半分」

 キャットはあっさり言った。

「このチームが、本当にそこで切れるのか見たかった。止める人がいるのか、止められないまま壊れるのか……悪趣味よね」

 

「自覚あるんだ」

 ナミが言う。

 

「あるわよ」

 キャットは肩をすくめる。

「ただ、私は私で、“軽い方が全体のバランスが取れる”って思いすぎてた。実際は違った。軽く見えることと、軽くしてあげることは別だった。私はそこを履き違えた」

 

 そして、ほんの少しだけ目を細める。

 

「でも収穫もあった。カオルはちゃんと降りなかった。ナミはちゃんと怒った。ユアンは意地を剥き出しにした。シンゴは最後まで残った。カイエは逃げなかった。ククルは本気で叱った。悪くないわ」

 

「最後だけ褒め言葉っぽくするな」

 ユアンが言う。

 

「だって事実だもの」

 キャットが笑う。

 

 そこで、最後にカイエが口を開いた。

 

 他の四人が順に反省や謝罪を言うのを、ずっと静かに聞いていた。

 だがその目は、さっきまでの迷いだけではなかった。

 

「私は」

 カイエが言う。

「反省なんてしなくていいと思う」

 

 その一言に、全員が少しだけ驚いた顔をした。

 

 カイエは、真っ直ぐに続ける。

 

「いや、悪かったことはあるよ。昨日のことを無かったことにするつもりもない。でも、今みんなが言ったことって、結局は“それぞれの強さ”でもあるでしょう?」

 

 ナミが、わずかに眉を上げる。

 

「ユアンは噛める。ナミは順番を見られる。シンゴはちゃんと深く見る。キャットは一歩引いたところから全体の歪みを見つけられる。カオルは前で決められる」

 

 カイエは、一人ずつを見る。

 

「今のままでいい、その尖りを消したら、たぶん弱くなる」

 

 そして、自分の胸へ軽く手を当てた。

 

「それを私が整える。皆んなの持っている力を最大限に活かして、皆んなに渡すために、コックピットコンディションがいるんだもの」

 

 その言葉は、宣言だった。

 

 昨日のカイエなら、ここまで言い切れなかったかもしれない。

 でも今は、もう少しだけ違っていた。

 

「私、ずっと勘違いしてた。コックピットコンディションって、全部拾って、全部繋ぐ役だと思ってた。でも違う。ずれた温度を戻して、必要な相手に必要なものを渡す役なんだと思う。だから、みんなは今のままでいい、その代わり、私ももっとちゃんと見る。誰が今、どこで詰まってるのか、どの言葉を、どの相手に、どう渡せば流れるのか、そこは私がやる」

 

 カオルは、その言葉をじっと聞いていた。

 

 そして、静かに頷く。

 

「よろしく頼む」

 

 カイエはまっすぐ見返して答えた。

 

「うん。任せて」

 

 その時だった。

 

 暖簾の向こうから、ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。

 

 次の瞬間、

 

「ごめん! 遅れちゃった!!」

 

 勢いよく入ってきたのはククルだった。

 

 髪が少し乱れている。

 肩で息をしている。

 しかも、片手にはまだ端末を持ったままだった。

 

 座敷の全員が、一瞬だけ呆気に取られて、それからほとんど同時に息を吐いた。

 

「……お前、ほんとにそういうタイミングだな」

 ユアンが言う。

 

「ご、ごめん!」

 ククルが頭を下げる。

「映像見てたらつい!」

 

「つい、で時間溶かすのはククルくらいだよ」

 シンゴが苦笑する。

 

 ククルは、へへ、と気まずそうに笑ってから、空いている席を見た。

 

「えっと……座っていい?」

 

「丁度いいところに来たな」

 カオルが言った。

 

 ククルが、ぴたりと止まる。

 

「え?」

 

 カオルは、ククルを真っ直ぐ見た。

 

「追加メンバーはククルに頼みたい」

 

 その言葉に、ククルは目を丸くした。

 

「……は?」

 

「この中で、未探索領域を経験してるのはククルだけだ」

 カオルが言う。

「実地の空気を知ってる。未知の場所で、人がどう硬くなるかも、逆にどうやって動き出すかも、少なくとも俺たちより分かってる。力を貸してくれ」

 

 ククルは、完全に固まっていた。

 

 昨日まで、こんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。

 驚きがそのまま顔に出ている。

 

「で、でも……」

 ククルが言う。

「私、今のメンバーより全然……だって、操縦もシステムもメカも――」

 

「そういう話じゃない」

 ナミが、今度は真っ直ぐに言った。

「あなたにしか見えないものがある」

 

 ククルがそちらを見る。

 

「私達、昨日そこを見落としてた」

 ナミは言う。

「未探索領域の“情報”じゃなくて、“空気”。人がどう縮むか、どう怖がるか、どう戻るか、それを経験で知ってるのは、あなた」

 

「うん」

 シンゴも頷く。

「機械の数値とか航路の話だけじゃなくて、そこで人がどうなるかって、すごく大きいと思う」

 

「それに」

 ユアンが少しだけ気まずそうに言う。

「昨日、あれだけ啖呵切っといて、今さら外から見てるだけってのもなしだろ」

 

「ちょっとそれ言い方」

 ナミが言う。

 

「でも本音だ」

 ユアンが返す。

「ククル、お前があそこまで言ったなら、俺は一緒にやりたい」

 

 キャットも、口元を少し上げた。

 

「未探索領域経験者って肩書きだけじゃないわ。あなた、空気が死んだ時に一番先に分かるタイプでしょう?そういう人、追加一名としてはかなり貴重よ」

 

 カイエは、最後に柔らかく言った。

 

「ククル、私は、いてほしい。みんなの間を走り回れるのも、空気が変わった時にすぐ顔に出るのも、今のチームには必要だと思う」

 

 ククルは、言葉を失っていた。

 

 嬉しい。

 でも怖い。

 その両方が、分かりやすいくらい顔に出ている。

 

「でも……」

 ククルはもう一度言った。

「私、また失敗したら……」

 

 それは、十班応援の時のことを言っていた。

 誰もその単語を出さなかったのに、全員に分かった。

 

 カオルは、その言葉に少しだけ表情をやわらげた。

 

「失敗しても、今度は一人にしない」

 

 短い。

 でも、強かった。

 

「俺たちはチームだ。一人で抱えさせない。だから来てくれ」

 

 しばらくの沈黙。

 

 ククルの目が、順番に皆を見た。

 

 ユアン。

 ナミ。

 シンゴ。

 キャット。

 カイエ。

 そしてカオル。

 

 誰も、目を逸らさなかった。

 

 ククルの胸が、きゅっと熱くなる。

 

 嬉しい。

 怖い。

 でも、やりたい。

 

 その全部を抱えたまま、ククルはぎゅっと拳を握った。

 

「……分かった!」

 

 顔を上げる。

 

「やる!」

 

 その瞬間、座敷の空気がぱっと明るくなった。

 

 シンゴが「よしっ」と小さく拳を握り、ユアンは「そうこなくちゃな」と笑う。

 ナミも、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 キャットは肩をすくめる。

 カイエは、心からほっとしたように息を吐いた。

 

 カオルも、短く頷く。

 

「ありがとう」

 

「う、うん!」

 ククルは慌てて座りながら言う。

「でも、お腹空いた!走ってきたから!」

 

「そこは通常運転だな」

 ユアンが言う。

 

「ククル、何食べる?」

 カイエがメニューを差し出す。

 

「えっと、唐揚げ! だし巻き! あと鍋まだある!?」

 

「あるわよ」

 キャットが笑う。

「さっき追加したもの」

 

「さすがキャットさん!」

 

「褒めても何も出ない」

 

「じゃあ後で褒める!」

 

「意味が分からないわね」

 

 また笑いが起きる。

 

 それは、昨日までのぎこちない笑いではなかった。

 まだ全部が元通りではない。

 でも、少なくとも同じ方向を見て笑える空気だった。

 

◇

 

 料理がさらに追加され、ククルが本気で食べ始める頃には、卓の空気はだいぶ変わっていた。

 

「で、ククル」

 ナミが言う。

「映像、どこまで見てたの」

 

「え?」

 ククルが唐揚げを頬張ったまま顔を上げる。

「三回くらい最初から最後まで!」

 

「見すぎ」

 ユアンが言う。

 

「だって意味あると思ったんだもん!」

 

「そこは、お前の勝ちだな」

 キャットが言う。

 

「勝ち負けじゃないよぉ」

 

 ククルがむっとする。

 その顔に、ナミが小さく笑う。

 

「で、何が一番気になった?」

 

 そう聞かれたククルは、途端に真面目な顔になった。

 

「エリンさん!エリンさんが、誰か一人の横にずっといないところ」

 

 その答えに、カイエの目が少しだけ細くなる。

 

「ずっと誰かを助けるんじゃなくて、今ここが詰まってる、ってところにだけ一瞬入って、すぐ次を見るの。でも、放ってる感じじゃなくて、ちゃんとみんな見えてる。それがすごかった」

 

「うん」

 カイエが静かに頷く。

 

「あとね」

 ククルは続ける。

「みんな、自分の担当がなくなると焦るんじゃなくて、“空いた”って分かったら自然に入ってた。マリさんとかサツキさんとか、ペルシアさんが仮に負傷した時も、“えっどうしよう”ってならなかったじゃん。ちゃんと怖かったはずなのに、止まらなかった」

 

 シンゴがそれを聞いて、小さく頷いた。

 

「うん……僕そこだった。止まらないんだよね。しかも無理してる感じじゃなくて」

 

「たぶん」

 ナミが言う。

「“次に誰が入るか”のイメージがみんなの中にあるからだと思う。役割表じゃなくて、流れとして持ってる」

 

「それ、明日やろう」

 カイエが言った。

「役割表を増やすんじゃなくて、“誰が抜けた時、誰がどこまで入るか”をみんなで作る」

 

「いい」

 カオルが頷く。

「最初にそこを決める。その上で回す」

 

「だったら」

 ユアンが言う。

「俺は副操縦士として“操縦の補助”だけじゃなくて、一時的にシステム側へどこまで目を伸ばせるか整理する」

 

「私は」

 ナミがすぐ続ける。

「システムエンジニアとして、順番を守るだけじゃなくて、誰が受けやすいかも含めて渡し方を調整する。あと、通信寄りの補助フローも作る」

 

「僕は」

 シンゴが言う。

「メカの仮説を出す時に、時間と優先度を一緒に出すようにする。待てる形で出したい」

 

「私は」

 キャットが箸を置いて言う。

「医療と現場対応の線引きをもう少し明確にする。兼任した時、どこから誰に渡せるか、整理する」

 

「私はコックピットコンディションとして」

 カイエが言う。

「流れの詰まりを見つけて、一拍早く戻す。“抱えないで整える”」

 

 最後に、全員の視線がククルへ向く。

 

「わ、私!?」

 ククルが驚く。

 

「追加メンバーなんだから当然でしょ」

 ナミが言う。

 

「え、えっと……」

 ククルは少し考えてから言った。

「私は、未探索領域で人がどう固まるかを見てる。それと、視野が狭くなってる人を見つける。たぶん、そこなら出来ると思う」

 

「十分だ」

 カオルが言う。

 

 その一言に、ククルは照れくさそうに笑った。

 

◇

 

 夜は更けていった。

 

 鍋の汁が少なくなり、空いた皿が積み上がり、最初の気まずさはもうどこにもなかった。

 

 とはいえ、全部が解決したわけではない。

 明日になればまたぶつかるかもしれない。

 シミュレーションを回せば、今日整理したものでは足りない穴も見つかるだろう。

 

 それでも今は、ちゃんと同じ卓を囲んでいる。

 同じものを食べ、同じ目線で先を見ようとしている。

 

 それだけで十分大きかった。

 

「そういえば」

 ナミがふと思い出したように言う。

「サヴァイヴの時って、揉めた後ほんとにこうやってご飯食べてたの?」

 

「ああ」

 カオルが言う。

 

「誰が一番食べてたの?」

 ククルが聞く。

 

「ハワード」

 カオルが即答した。

 

「想像つく!」

 ククルが笑う。

 

「あとチャコも」

 カオルが続ける。

「緊張すると、食う量が増えた」

 

「猫型ロボット?」

 キャットが聞く。

 

「ああ」

 カオルが少しだけ懐かしそうに言う。

「うるさくて、よく喋って、でも頭が切れた」

 

「なんか会ってみたいかも」

 キャットが言う。

 

「俺は遠慮したい」

 ユアンが言う。

「絶対うるさいだろ」

 

「うるさい」

 カオルが言った。

「でも、助かったことは多い」

 

「……そういう仲間、いいね」

 ククルがぽつりと言う。

 

 その言葉に、カオルはほんの少しだけ目を細めた。

 

「今は、ここがそうなればいいと思ってる」

 

 その一言は、大きくなかった。

 けれど、誰の胸にも静かに届いた。

 

 カイエが、やわらかく笑う。

 

「なれるよ」

 

「うん」

 シンゴも頷く。

 

「まずはちゃんと回してからね」

 ナミが現実的に言う。

 

「その後、勝つ」

 ユアンが言った。

 

「勝つ、か」

 キャットが笑う。

「嫌いじゃない響きね」

 

 ククルは、そんな皆を見てにこっと笑った。

 

「じゃあ明日から、ちゃんと勝ちにいこう!」

 

 勢いのあるその声に、店の奥の客が少しだけこちらを見た。

 ククルは「あ、ごめんなさい」と慌てて口を押さえる。

 それがまたおかしくて、全員が笑った。

 

 カオルは、その笑いの中で静かに息を吐く。

 

 昨日までとは違う。

 まだ完成には遠い。

 でも、ここからなら行ける。

 

 S級の怪物に勝つ。

 あの頃追い越せなかった背中を、今度こそ越える。

 そのために必要なのは、もう“自分一人で飛ぶこと”ではない。

 

 ここにいる全員の力を、繋げて、渡して、前へ出すことだ。

 

「明日、九時」

 カオルが言う。

「シミュレーションルーム集合。映像の分解から始める。そのあと、役割の仮組み。昼から一本目を回す」

 

「了解」

 ナミ。

 

「分かった」

 ユアン。

 

「うん」

 シンゴ。

 

「はいはい」

 キャット。

 

「任せて」

 カイエ。

 

「はーい!」

 ククル。

 

 返事は揃わない。

 でも、それが今のこのチームらしかった。

 

 そして、その揃わなささえ、どこか心地よく感じられる夜だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。