▽前回のあらすじ
花梨はヒロとともに、思い出の詰まったマンションを後にする。彼女がマンションを出たわずか三十分後、快斗は部屋を訪れ、消えたぬいぐるみや残された痕跡から花梨の気配を感じ取る。会いたいという想いを胸に、快斗は再会の可能性へ縋った。
第246話
急いで……!
◇
「ほら、花梨ちゃん、急いで……! 俺も着替えるから……!」
「は、はいぃ~……!」
バタバタと慌ただしい足音を響かせながら、花梨のマンションの玄関を滑り込むように入る。
花梨はもつれる足取りのまま、大急ぎで自分の部屋へと向かった。
こんなことなら、昨日あのクローゼットを見たときに、ドレスをセーフハウスへ持って行っておけばよかった。
けれど、まさかこんなに早く、再びこの十六歳の身体に戻る瞬間が訪れるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
……始まりは、前日の夜のことだった。
ヒロのセーフハウスへ移動したその日の夜、花梨の身体はまたしても原因不明の酷い発熱に襲われた。身体の奥からカッと燃え上がるような熱に、意識が朦朧とする。
そんななかでも、花梨は、「ヒロお兄ちゃん、ギプスが痛い……外して……お願い……痛い……」と言い出し、ヒロが花梨の左腕に触れると、緩くなっていたのか、ギプスはあっさり外れた。
そうして、花梨の熱はどんどん上がっていった。
――これは、もしかして。
かつて白神子の力が大きく揺らいだときの感覚に、ひどく似ていた。
『これは……!』
花梨の異変にいち早く気づいたヒロは、驚きに目を見開きながらも、咄嗟の判断で自分のシャツを脱ぎ捨てた。
小さかったはずの身体が、淡い光を帯びながら、急速に、本来の十六歳の姿へと戻っていく。
セーフハウスの花梨の部屋のベッドで、彼女はヒロが咄嗟に貸してくれた、彼にはジャストサイズでも今の自分には少し大きすぎる白いシャツを、だぼっと羽織って身を縮めていた。
『ヒロお兄ちゃん……ま、また戻っちゃった……』
熱のせいで潤んだ金色の瞳を見上げ、気まずそうに、そしてぐったりと弱々しく呟く花梨。
十六歳という、大人の階段を上りかけた少女の柔らかな身体のラインが、薄いシャツの向こう側に透けて見える。
『っ……!』
一瞬、ヒロは息を呑んだ。
だがそこは百戦錬磨の公安警察官、そして何より紳士である。彼はふいっと花梨から視線を逸らし、絶対に彼女の身体を見ないようにしながら、熱で震える彼女の身体をそっとベッドへと横たえた。
『念のため、花梨ちゃんの服を持ってきておいて正解だったね』
ヒロはクローゼットから、昨日自分が「念のために何枚か持っていこう」と花梨に言って、鞄に詰め込ませておいた十六歳の身体に合わせた服を取り出し、枕元へとそっと差し出した。
あの時のヒロの危機管理能力の高さに、花梨は感謝してもしきれない。
……そして、明けた翌日の現在。
元の姿に戻ってしまった花梨とヒロは、夕方からの船上パーティーに間に合わせるため、急遽こうして江古田のマンションへと引き返してきたのだった。
「せっかく可愛いドレス買ったのに~……」
自室のクローゼットを開けながら、花梨はぽつりと唇を尖らせた。
昨日、デパートでヒロに買ってもらったばかりの、
だが、落ち込んでいる暇はない。花梨はクローゼットの奥から、一着のドレスを引き出した。
……新一との思い出の詰まった、黒いドレス。
昨日の今日で、こんなにすぐこのドレスに袖を通すことになるなんて、本当に人生は何が起こるかわからない。
(身体が戻ったら、腕も治っちゃった、なんてびっくりだよね……)
十六歳の身体に戻る際、不思議なことに、なぜか骨折までもが治っていた。
ギプスも変身直前に外れ、着替えもスムーズで、実にいい。
五体満足というのは素晴らしいなと、花梨は骨折が治った左腕に「ありがとう」とお礼を告げた。
『花梨ちゃーーん!』
「あっ、はーーい!!」
扉の向こうからヒロの声がした。
リビングでは、すでにスーツに着替え終えたヒロが待っている。花梨はわたわたと焦りながら、急いでファスナーを上げ、髪を整えた。
「お、お待たせしました……!」
バタバタと着替えを終え、少し息を弾ませながら花梨が部屋を出て、リビングへ。
その瞬間、すでに端正なブラックスーツに身を包んでいたヒロが、ピキリと動きを止め、驚愕に目を見開いた。
「っ! ……綺麗だ。いつもより大人っぽいね」
「あ、ありがとうございます……」
彼女が纏う深夜の虚空に星屑を散りばめたようなミッドナイトブラックのドレス。胸元から上が「イリュージョンネックライン」と呼ばれる、素肌と見紛うほど繊細なシースルーのチュールに切り替わっている。
デコルテを覆う
そのドレスは花梨の白い肌との美しいコントラストを生み、彼女の持つ儚げな美しさを極限まで引き立てている。
ヒロは思わずため息をついた。
「参ったな……」
いつも見せている無邪気な子供の姿とはまるで違う、あまりにも艶っぽく成長した花梨の姿に、ヒロは首の後ろをポリポリと掻きながら、本気で耳の裏まで真っ赤にして照れていた。
「へ……?」
その様子に花梨がキョトンと首を傾げると、ヒロはゴホンと一つ咳払いをし、真剣な表情になって彼女の前に一歩踏み出した。
そして、そっと優しく手を差し伸べる。
「……花梨さん。今夜のパートナーは俺に任せて。何があっても、俺が必ず君を守るよ」
「ヒロお兄ちゃん……ありがとう!」
いつもの「花梨ちゃん」ではなく、一人の女性として「花梨さん」と呼ばれたことに少しだけ胸をときめかせながら、花梨はふんわりと、いつもの柔らかい、ひまわりのような笑顔を咲かせた。
「ははっ、格好は大人っぽくなったけど、笑顔はいつもの花梨ちゃんのままだね」
「えへへ♡」
張り詰めていた緊張が解けたように、ヒロが優しく微笑む。
「ところで、花梨ちゃん」
「はい?」
「髪型を変えていったほうがいいかもしれない。たしか、変装用の
「わかった……! 取ってくる!」
花梨は再び自室へとパタパタ走り、棚の奥から長さを変えるための鬘と、大きめのサングラスを持って戻ってきた。
それを手に取ったヒロは、何かあとで役立つかもしれないと、まずは記念にパチリと一枚素の花梨を撮影する。
(綺麗だな……)
撮れた写真を見下ろし、ヒロの表情が緩んだ。
私情が入っているが、彼女を匿っている以上、これくらいは許してもらえるだろう。
「ヒロお兄ちゃん……?」
「あ、ごめんごめん。よく撮れてるなって。この先、アリバイに使うこともあるかもしれないから、これからも身体が戻ったときは、何枚か写真を撮っておこうね。きっと何か役に立つ」
「! なるほど! さすがヒロお兄ちゃん!」
ヒロの提案に花梨が感心したようにぱちぱちと手を叩く。
本音では、アリバイは二の次なのが少々後ろめたいヒロ。だが、羨望の眼差しを向けてくる彼女に、乾いた笑いを浮かべて誤魔化すしかなかった。
そうして写真を撮り終え、ヒロは「ちょっとじっとしていてね」と言うと、驚くほど器用な手つきで花梨の髪をアレンジし始めた。手際よくピンで固定し、あっという間に美しいアップスタイルへとまとめ上げていく。
その間に、花梨も白い眉と睫毛に、髪の色に合わせた色を乗せていった。
「……うん。これならどこからどう見ても、立派な成人女性だ。俺と腕を組んで歩いていても、これなら周囲に変な目で見られる違和感もないよ」
心の中で、ヒロはホッと胸を撫で下ろしていた。
いくら身体が戻ったとはいえ、一見して女子高生とわかる少女と二人きりで夜のパーティーへ並んで歩くのは、世間体的にも少々まずい。
主に自分が「犯罪的な目で不審者扱いされるのではないか」という危機から脱出でき、本気で安心したのだ。
「あはっ♡ ホントだ~。ヒロお兄ちゃんって器用だね~! ありがとう~♡」
可愛く、そして大人っぽくヘアアレンジされた自分の姿を姿見に映し、花梨は嬉しそうにドレスの裾をちょんと両手で摘まんだ。そのまま、嬉しさを隠しきれないように小さく身体を左右に揺らす。
(……黒羽君、零、松田。ごめんな。今夜は花梨ちゃんとのデート、俺がたっぷり楽しませてもらうよ)
鏡の前で無邪気にはしゃぐ彼女の愛らしい様子に、ヒロは優しく目を細めながら、心の中でちょっぴりライバルたちにドヤ顔で謝罪した。
「では、行きますか」
「……はいっ!」
サングラスをかけ、大人のレディへと完璧に化けた花梨は、ヒロが差し出した頼もしい腕にそっと自分の手を絡める。
二人は、激しい運命が待ち受ける鈴木財閥の船上パーティー会場へ向けて、力強く歩き出した。