鬼滅の刃異伝〜鋼の心、血の楽園〜 もしも明治時代に最強の「鳴柱」が存在し、無惨を懐柔して人間を家畜に変える「管理社会」を築いていたら 作:斉宮 柴野
夏祭りを楽しみ、酒も加須底羅もたっぷり堪能した私こと鱗滝颯。
あとは臆病な上弦の爺さんを捕まえて、愛するさっくんに首を斬らせれば万事めでたし――のはずでございました。
ところがどっこい。
港は燃える。
仲間は分断される。
宿には鬼が降ってくる。
挙げ句の果てには、この私が竹櫓へ一直線。
馬鹿と侮った相手ほど、何をするか分からないもの。
さて、完璧な筋書きを破られた鳴柱。
この借り、一体どう返してくれましょうか。
障子が赤い。せっかく花火を見て、加須底羅を食べて、お酒まで美味しくいただいたのに、祭りの締めくくりが火消しとはどういうことかしら。
それにしても、ずいぶん欲張りな燃やし方をしたものだ。
一か所では飽き足らず、倉庫街のあちらこちらへ火を置いている。
私なら、人を追い立てたい先を決めてから同じことをする。祭り客は逃げているのではない。逃がされている。
「ただの失火にしては火の回りが早すぎますね……。私と弥太郎で様子を見てきます。本当に上弦の鬼が関わっているなら、一般の隊士や民間人だけでは危険ですし……」
そこで行けば、さすが光柱で終わったのに。
千草の口元が笑っている。あ、その顔は駄目だ。
「それにぃ~、お姉様がせっかくさっくんと二人きりでイチャイチャしたいのを、私たちが邪魔したら、あとでどんなお仕置きをされるか分かったもんじゃありませんし♡」
「さっくん言うな! 誰がイチャイチャよ、大真面目な作戦会議よ! 早く行きなさい!」
さっくんと呼んでよいのは妻である私だけよ。しかも、イチャイチャしたいなどと本人の前で言うなんて気が利かない。黙って二人きりにしておけば、あとで褒めてあげたのに。
「……じゃあ、颯母さん、行ってきます」
「いつの間に起きたのよ、あんたは! そして母さんじゃない! 私はまだ十八歳のピチピチよ! 四つ子を産んでもお肌の張りは最高峰よ!」
「へいへい」と手を振るだけで、弥太郎は母さん呼びを訂正する気がない。しかも千草まで笑っている。覚えてなさい、二人とも。帰ったら弥太郎の枕へ四つ子を並べ、千草にはその隣で乳を用意させてやる。
二人が窓の向こうへ消えた。――まあいいわ。これで、さっくんと二人きり。火事さえなければ、千草の言うイチャイチャをしてもよかったのに。
子が生まれてから、夫婦だけの時間なんて加須底羅の端切れほどしかないのだ。
ところが、さっくんは私より火のほうが気になるらしい。
「……かなり大規模な火事ね。ただの失火じゃないわ」
聞こえているはずなのに、返事もない。港を睨んだまま、眉間の皺ばかり深くしている。若い夫が、妻と二人きりになって見せる顔ではないでしょう。
まあ、心配性なのは今に始まったことではない。千草と弥太郎で足りなければ、私たちも港へ降りればよいだけだ。四人で囲めば、半天狗など分裂する端から刻める。
◇◇
トン、トン。襖を叩く音にしては、ずいぶん遠慮がちだった。避難を知らせに来た仲居だろうか。それとも、この騒ぎの中でも追加のお酒を忘れず運んできたのか。
後者なら実に立派な宿である。
「ん? なぁに? 仲居さん? 追加のお酒なら、そこに置いておいてちょうだい~」
返事がない。まさか、お酒だけ置いて逃げた? それなら私が保護してあげなければ。けれど、襖の向こうに酒はなかった。人もいない。
「……あら? 誰もいないわ」
おかしい。誰もいないのに、音だけした?
「颯――!! 上だッ!!」
天井裏から、錫杖と大団扇が覗いていた。積怒。可楽。
どうして、半天狗の分裂体がもう出ている。火事は私たちを分ける餌?
では、最初から狙いは――。
「…………可楽!! 積怒!!!」
「チッ……目敏く気づきおったか。無惨様を誑かし、我ら上弦を顎で使おうとする不届きな裏切り者めが」
「カカッ! 怒るな積怒、せっかくの夏祭りだ! 風音、大いに楽しませておくれよ!」
馬鹿! さっくんの前で風音と呼ぶんじゃないわよ!
私も二人の名前を口走ってしまったけれど、そちらまで旧知の仲だと教えてどうするの。積怒に至っては、無惨様、裏切り者、上弦を顎で使うと、困る言葉を一息ですべて並べてくれた。斬って、口を塞ぐ。そう決めたときには、畳が沈んでいた。
「なっ……!! ぐっ……!」
息が消え、次に見えたのは夜空だった。
「お主の雷は厄介だからな! しばらく遠くへいなくなってもらうぞ!」
厄介なら正面から戦いなさいよ! 私だけを先に追い払うなんて、楽しそうな顔をして戦い方が陰険すぎる。
「油断し……っ、きゃああああああ!!」
「颯―――ッ!!!」
さっくんの声が遠ざかる。大丈夫よ、と返したいのに、口を開けば風しか入ってこない。港と宿の屋根が入れ替わり続け、上も下も分からなくなる。
まず頭から落ちないこと。可楽を殴るのは、それから。ようやく下を向いたとき、祭りの広場が見えた。よりによって竹櫓。嘘でしょう。避けきれない。頭と心臓だけは外す。
あと、少し――。
「ぐううううう……ッ!!! あ、がっ……!」
痛い。左の太腿が動かない。脇腹が熱い。右胸の奥で血が鳴る。三本。三本も刺さっている。
でも、頭は無事。心臓も外した。あの勢いで飛ばされながら二か所とも守るなんて、さすが私。やはり天才である。だからといって、三本まで刺さってよいとは言っていないわよ!
しかも、お気に入りの浴衣まで血まみれである。半天狗を殺す理由が、また一つ増えてしまった。まあ、竹など押し出せばよい。傷を閉じ、潰れたところを元へ戻せば、すぐに可楽を殴りに行ける。
「きゃああああ! 人が降ってきた!」
やめて。
「嘘だろ、竹の櫓に串刺しだ!」
来ないで。
「おい、息をしてないぞ! 死んでる!」
死んでいないわよ! 怒鳴れないのをよいことに、好き勝手言わないでちょうだい。
しかも悲鳴を聞いた人たちまで集まってくる。火事から逃げている最中でしょう。
どうして私を見る余裕だけはあるのよ。誰か、竹へ触ろうとしていない? 抜かないで。絶対に抜かないで。治っても困るし、治すのを我慢して血が噴き出しても困る。
「カァーッ! 鳴柱、負傷! 鳴柱、瀕死! 応援を、応援を要請するッ!」
クソ鴉! あんたまで人を呼ぶんじゃないわよ! 心配してくれるのは嬉しい。
鎹鴉としても正しい。でも今だけは黙っていて。隊士まで来たら、もう目の錯覚では押し通せない。治せば、この痛みはすぐ消える。代わりに鳴柱が終わる。
私は人間。正真正銘、産休明けの鳴柱。竹が三本刺さっても、傷は勝手に塞がらない。人間らしく助けられて、人目がなくなってから治せばよい。簡単でしょう、颯。
「いっ……たぁぁぁぁい……!」
簡単ではなかった。何が少し我慢よ。竹三本よ。出産なら四人まとめて耐えたけれど、四つ子は可愛い。竹は一本も可愛くない。耐えても何一つ得をしない。
半天狗、覚えていなさい。この我慢大会が終わったら、あんたにも三本きっちり刺してやる。同じ場所へ、同じ深さで。鬼同士なのだから、文句はないでしょう。
◇◇
颯へ伸ばした手には、千切れた浴衣の袖だけが残った。
「颯―――ッ!!!」
返事がない。火の粉の向こうへ消え、どこへ落ちたのかも分からない。
追わせる気はないらしい。爪先を雷が掠め、焦げた畳の臭いが立った。邪魔だ。
「貴様らが……上弦の鬼か。私の妻を、よくもやってくれたな」
「いかにも! 我らは上弦の肆、半天狗である。……人間。風音の輩よ。お前もあの裏切り者と同じく、ここで無惨様の不興の塵となるが良い」
風音。
「……風音? 颯の、昔の源氏名か? 何故、鬼である貴様らがその名を知っている」
吉原にいた頃の名だと、颯本人から聞いている。
あの頃のことも、その名で生きていたことも。颯へ問い直すことは何もない。
なぜ、お前たちが知っている。なぜ、裏切り者と呼んだ。火事も奇襲も、最初から颯を狙ってのことか。
「カカッ! 問答無用! 詮索したところで、もうすぐ死ぬお主には不要なことよ!」
答える気はないらしい。ならば、もうよい。颯を探すほうが先だ。
懐には、二年前の顔がある。赤い天狗。家族の前では使わない。颯にも娘たちにも、隠す顔などないからだ。だが、ここに家族はいない。いるのは、私の妻を傷つけた鬼だけだ。鬼に見せる顔はない。
「……いいだろう。お前たちの事情など、どうでもいい。私の妻を傷つけ、流させた血の報い……その身で受けてもらう」
水面は静かでよい。だが、底を流れるものまで静かである必要はない。待っていろ、颯。
「鬼に見せる顔はない。……少し、三途の川まで付き合ってもらうぞ」
青い奔流が、火の赤を呑み込んだ。
◇◇
油の臭いがする。火の粉と煙で鼻がおかしくなったのかと思いたかったけれど、道のあちらこちらから同じ臭いが立っている。
逃げる人々の流れも妙だった。広い道を選んでいるつもりで、炎のない一方へ追い集められている。誰かが、そうなるように火を置いた。
「くっ……火の回りがあまりにも早すぎるわ。やっぱり、あちこちに油の匂いが立ち込めている。これ、ただの失火じゃない、意図的な放火ね!」
「……ん。群衆を混乱に陥らせて、一箇所に追い詰めるための誘導だ。人が逃げ惑っている」
弥太郎にまで分かるなら、間違いない。いえ、別にこの男が考えなしだと言いたいわけではない。
「私たちも消火に……いや、まずは『隠』の部隊を緊急動員して避難誘導を――」
背後で夜が割れた。振り返った先に、つい先ほどまでいた旅館はなかった。
「千草……! 旅館のあった場所が吹き飛んだ……!」
「罠だわ……ッ! あっちが本命で、こっちはただの囮!? 戻らなきゃ……いや、違う!」
お姉様と鱗滝さんがいる。戻らなければ。
けれど、今ここを離れれば、炎に追われた人たちを誰が守るの。考えなさい、千草。お姉様なら、見えたものを一つずつ数えたりしない。
その奥で、敵が何を欲しがっているかを先に見る。私と弥太郎を港へ引き離した。旅館には別の何かがいる。なら、敵は一体ではない。
そして、私たちをここへ残したままにするつもりなら――。羽音が降ってきた。月を背にした影が、翼を大きく広げている。鳥のような脚の先で鉤爪が曲がり、笑い声だけが人のものだった。
「カカッ! 逃げ惑え、怯えろ人間どもォ! 祭りだ祭りだァ! 『狂圧鳴波』!!」
やっぱり、来た。
「弥太郎、伏せて――ッ!!」
地面へ飛び込んだ私の背中を、目に見えない何かが通り過ぎた。すぐ後ろで、声が潰れた。
「ぐべっ!?」
「がはっ……、あ……」
壁へ叩きつけられた男の腕が、人なら曲がらない向きへ折れている。その手前では、ついさっきまで子どもの手を引いていた女が動かない。二人とも、私たちの後ろにいただけなのに。
「…………っ」
弥太郎の目が開いていた。相原さんを失ったあの日から、時折見せるようになった目。
普段の眠そうな顔を知っているからこそ、私はあれが怖い。
「……これほどの大衆の中で、平然と無関係な人間を巻き込んで仕掛けてくるか。……ふざけるなよ、クズが」
弥太郎の首筋へ、闇が伸びた。違う。槍。
「弥太――」
「……気配が、ひどく湿っぽくて陰鬱だ」
金属音が私の声を消した。振り返りもしない。いつ抜いたのかさえ分からない日輪刀が、十文字の穂先を受け流している。
「黄昏の呼吸・壱ノ型――蛟」
散った火花の向こうで、槍が押し戻されていく。
「……ほう、見事な反応だ。だが、こんなにも弱き人間たちが無惨に抗い、死にゆく姿……実に悲しいものよなあ」
「二体……」
鳥の鬼と、槍の鬼。笑っているほうも、泣きそうな顔をしているほうも、目の中には同じ文字があった。
「……二人とも、眼球に文字が刻まれている」
「上弦の肆……!? 待って、じゃあさっき旅館を吹き飛ばした爆発は、また別の個体ってこと!??」
冗談ではない。上弦一体を柱が複数で囲む。それでも命を落としかねない相手なのに、向こうが数を増やしてどうするのよ。
ここで止めるしかない。弥太郎の背中が触れた。一人で二体を見る必要はない。
「……千草」
「え?」
「……上空のうるさい鳥、一体、お前に任せていいか?」
「……相変わらず、サラッと無茶な注文をつけてくれるわね」
次の一撃を受ければ、私も後ろの人たちと同じように潰れる。
でも、背中は温かい。弥太郎が立っている。それなら、空だけを見ればよい。
「……絶対に死ぬんじゃないわよ、弥太郎! もしあんたが死んだら、二度と私の胸を枕にして眠らせてあげないんだからね!」
「……ん。善処する。お前の枕は、ちょうどいい硬さだからな」
こんなときに、何を言っているのよ。だから、絶対に死なせない。
◇◇
「ううう……ッ、あああああああ!!! 舐めるんじゃないわよォォ!!」
竹が、私の身体へ食いついている。太腿も、脇腹も、胸も、すでにどちらが肉でどちらが竹なのか分からない。抜けば痛い。抜かなくても痛い。
それなら、動けるほうを選ぶ。力を込めるたび、胸の奥で空気が漏れた。抜けなさい。私は今、機嫌が悪いのよ。
肉の中を竹が擦り、骨まで一緒に引かれていく。目の前が何度も白くなった。最後に身体から抜けたものが地面へ落ちたとき、私もそのまま倒れそうになった。
「カァーッ! 動くな! 鳴柱、動くなッ! 出血多量、即座に止血せよ! 『隠』の到着を待て!」
「うるさいわね、この焼き鳥にするわよ! 鬼殺隊の柱が、こんな竹切れに刺さったままおねんねしていられるわけがないでしょうがァ!!」
まったく、誰の鴉なのよ。主人が動くと言っているのだから、黙って応援しなさい。
とはいえ、立ち上がったら死ぬという忠告そのものは正しい。
太腿にも腹にも胸にも穴が開き、血が止まる気配もない。
鬼の身体は、さっきから早く治せとうるさかった。私だって治したいわよ。けれど、まだ見られている。
ここで肉が盛り上がれば、鳴柱どころか見世物小屋の化け物である。我慢よ、颯。路地へ入るまで。あと少しだけ。せっかく築いた人間としての極楽――もといさっくんとの新婚生活も、こんなところで終わらせてたまるものですか。
それに、寝ている場合ではない。私のところへ来たのは積怒と可楽。半天狗が四つに分かれたなら、残る二体は哀絶と空喜。戦力を均等に割りたがる連中の考えることなど分かりやすい。千草と弥太郎のところにいる。二人とも強い。
「はぁ、はぁ……っ、くそ、肺の穴から空気が漏れて上手く息が……っ」
日輪刀を地面へ突き立てた。立ちなさい、私。娘を四人まとめて産んだ女が、竹を三本抜いた程度で寝てどうするの。血が喉まで上がり、地面へ黒い塊が落ちた。周りの人たちがまた悲鳴を上げたけれど、今度は構っていられない。
「死なせないわよ……! 私の、大切な仲間たちは……ッ!」
お姉様と呼ばせ、美味しいものを食べさせ、寝床まで用意して育てたのは誰だと思っているの。私よ。
弥太郎だって、あれほど好きなだけ寝かせてやった。千草には胸を貸せと何度も助言した。まだ何一つ、十分な見返りをもらっていない。こんな小汚い爺さんの肉片に横から奪われたら、大赤字ではないか。許さない。
私がかけた恩も手間も飯代も、これからきっちり戦果で返してもらう。
勝手に死んで踏み倒すことなど、この私が許すものですか。
恩讐の天秤は、いつだって私のほうへ傾いているのよ。
「……待ってなさい、悪趣味な分裂変態じいさんども。このお母さんが、今から最悪の雷を頭上から落としてあげるからねぇぇ!!」
一歩目は、足跡ではなく血溜まりになった。二歩目は、少しましだ。
颯はこの日の戦い以降、竹を見るたびに少しだけ機嫌が悪くなるそうです。
左近次が庭へ竹垣を増やそうとしたところ、
「竹は嫌。見るだけで脇腹が痛くなるわ」
と即座に却下。
なお、竹筒に入った甘味だけは、
「食べ物なら話は別よ」
と普通に受け取ったとか。
恨みと食欲は、きちんと別勘定のようです。