その時、迷宮都市オラリオの広場は、静寂と熱狂が奇妙に混ざり合った空気に包まれていた。
中央に鎮座する巨大な水晶、そこに深々と突き刺さった一本の槍――「アルテミスの矢」。アルテミス自身がある目的を持って持ち込んだもの。第一級冒険者である『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインや、狼人のベート・ローガですら、指一本動かすことさえ叶わなかった。見守る群衆が「やはり誰も抜けないのではないか」と諦めかけたその時、一人の少年、ベル・クラネルがヘスティアに背中を押されるようにして前に出た。
少年が、震える手でその柄に触れる。
瞬間、誰も動かせなかったはずの槍が、少年の清らかな魂に呼応するように輝き、驚くほどあっさりと水晶から引き抜かれたのだ。光の粒子を撒き散らしながら、それはベルの手に馴染む「青い短槍」へと姿を変える。静まり返る群衆。その驚愕の中心の中心に現れた月女神アルテミスが、愛おしげに少年を「私のオリオン」と呼んだ。
「……いや、待て待て。話が違うんじゃねえか?」
その運命的な出会いを、広場の隅から眺めていた巨躯の男、超人オリオンは頭を抱えていた。
彼はかつて日本という国で生を享け、Fateの世界に転生して神話の英雄として成り上がった男だ。大西洋異聞帯での死闘、冠位(グランド)の霊基を返上してまで愛する女神を撃ち落とした末に、ようやく「座」で眠れると思った矢先、この世界へ放り出された。前世の知識で『ダンまち』の結末を知る彼は、清楚なアルテミスと、自分の名を冠する「オリオン」として選ばれたひ弱な少年の姿に、複雑な溜息を漏らす。
「ここでは『オリオン』はあっちの坊主か。……だが、あの女神が背負ってるもんは、あの少年一人にゃあ重すぎる」
オリオンは自嘲気味に笑い、黄金の粒子が混じる霊基を震わせた。異聞帯で救えなかった「女神の笑顔」を今度こそ守り抜く。たとえ自分が偽物のオリオンと呼ばれようとも、運命(かみ)の筋書きすらも叩き潰す「最悪の番狂わせ」を演じてやると決め、彼は一行の旅を影から追い始めた。
そして旅は、エルソスの遺跡、その最深部。悲しき終焉の舞台へと辿り着く。
暴走する巨獣アンタレスの核に囚われたアルテミス。ベルが手にした槍は、彼女を殺して救うための準備を整えていた。彼女は魂まで汚染され、その槍で射抜かれれば、天界へ還ることすら叶わぬ「完全な消滅」が待っている。少年が涙を浮かべ、一万年後の再会という残酷な約束を交わそうとしたその時、アンタレスの触手が容赦なく彼を貫こうと迫った。
「――おいおい、湿っぽいのはそこまでだぜ。主役の交代といこうじゃねえか」
ドォォォォン! という地鳴りと共に、戦場に割って入ったのは黄金の狩人だった。
オリオンは迫りくる触手を丸太のような腕で薙ぎ払い、ベルを背後にかばう。彼が放つのは、かつて数多の神性を射落とした絶対的な力。ベルが呆然と見上げる中、オリオンは自らの霊基を炎となって吹き上げさせた。
「いいか少年、よく見とけ。神様ってのは、殺して救うんじゃねえ。……泥にまみれてでも、その手を掴んで引きずり出すもんだ!」
引き絞られた弦が空間を軋ませ、絶技が放たれる。
「――『汝、女神を射落とす者(オルテュギア)』!!」
それはアンタレスを無視し、因果を捻じ曲げ、女神の魂を蝕む汚染だけを的確に焼き切った。光の中から分離し、放り出されたアルテミスを、オリオンはその剛腕で優しく受け止めた。彼女の神基は砕けることなく、その瞳には光が戻っている。
「……よっ。随分と長く寝てたな、アルテミス」
「あなたは……オリオンなの……?」
「ああ。お前さんが一万年も待つなんて悲しい真似しねえように、別の世界から駆けつけてやったぜ」
オリオンは不敵に笑い、背後のベルに親指を立てた。魂の消滅も、一万年の別れも、この「番狂わせ」の前には無意味だ。神を救うという最大の難関を暴力で解決した今、残されたのは「悪」を討つ英雄の仕事だけだ。ベルの放つ一撃が、核を失ったアンタレスを塵へと変えていく。
本来なら消滅と永遠の別れで終わるはずだった物語は、一人の転生者の乱入により、神を地上に繋ぎ止めるハッピーエンドへと書き換えられた。
「さて……。俺は少し、あそこの月を眺めながら一服してくるわ」
黄金の光が朝日と共に溶けていく中、オリオンは満足げに腰を下ろした。二人の「オリオン」が並び立つ奇跡の夜は明け、世界にはこれまでよりもずっと明るい月が輝き始めていた。