~さやか~
数時間前
アルビオンに着いた頃には、さすがに最悪の状態は抜けていた。
重かった体もいくらか軽くなって、呼吸も落ち着いている。
とはいえ――完全じゃない。
どこか、奥の方に引っかかるような違和感が残っていた。
「サヤカ。体はどう?」
声をかけてきたキュルケは、いつもの調子より少しだけ柔らかい。
その表情は、まるで熱を出した子供を見る母親みたいだった。
「大丈夫とは言えないけど、そんな心配されるほどではないよ」
「ならいいんだけど」
今いるのは、アルビオンの港近くの待機所。
人の出入りはあるけど、どこか落ち着かない空気が漂っている。タバサはシルフィードを迎えに行っていて、あたしたちはここで待機中だ。
体の異変は、確かに落ち着いてきている。
でも――
それとは別の“何か”が、ずっと引っかかっていた。
「キュルケ、使い魔の引渡しってこんなに時間がかかるものなの?」
自分でも、落ち着きのない聞き方だと思った。
「そうね、色々手続きもあるから……どうしたのサヤカ、あなたさっきから様子が変よ?」
「そうかな?」
「ええ。落ち着きがないようだけど」
図星だった。
視線が定まらない。じっとしていられない。何かを待っているようで、でもそれが何かもわからない。
「……」
キュルケですら気づく違和感。
それはそのまま、あたしの中にある異変そのものだった。
「隠しても仕方ないよね」
「サヤカ?」
一度息を吐いて、言葉を探す。
「多分ガンダールヴの影響なんだけど、さっきから急がなきゃいけない気がするんだよね」
言葉にした瞬間、それははっきりとした“形”を持った。
焦燥感だ。
胸の奥が、ざわついている。
理由もないのに、時間だけが削られていくような感覚。
時計なんて見ていないのに、何かが“間に合わない”と告げてくる。
じっとしているのが、無性に怖い。
「ルイズに何かあったの?」
「そこまではわからないけど――」
言いかけて、喉がひりついた。
わからない。
何が起きているのかなんて、何一つ。
それでも――
このままだと取り返しがつかない。
そんな確信だけが、妙にリアルに胸に残る。
「急いだほうがいいと思う」
短く言い切ると、キュルケは一瞬だけ目を細めた。
そしてすぐに、頷く。
「わかったわ」
冗談も軽口もない、真剣な声だった。
ちょうどその時。
「おまたせ」
タバサが戻ってくる。
相変わらず感情の薄い声。
でもその一言が、やけに頼もしく感じた。
「お帰りタバサ。さっそくで申し訳ないんだけど、ちょっと急がなきゃいけないみたい」
「わかった」
理由も聞かずにうなずくタバサ
「じゃあ行こうか」
あたしたちは迷うことなくシルフィードに乗り込む。
鱗の上に足をかけた瞬間、風の匂いが変わった気がした。
「タバサ、あそこに見える島に向かって飛んでくれる? 近くに行けばわかるから」
「ん」
軽く首元を撫でられたシルフィードが、ゆっくりと羽ばたく。
次の瞬間には、もう地面は遠ざかっていた。
風が頬を叩く。視界が一気に開ける。
それでも、胸のざわつきは消えない。
むしろ――強くなる。
早く。
もっと早く。
そんな声が、内側から押し上げてくる。
どれくらい飛んだのか、時間の感覚が曖昧になった頃。
遠くに、教会が見えた。
その瞬間――
心臓が、跳ねた。
ドクン、と一度だけ強く脈打って、そこから一気に加速する。
「……あそこみたい」
ただの勘じゃない。
あそこに“いる”。
キュルケが目を細める。
「中で何が起きてるかわかんないし、ちょっと上から様子って見れる?」
タバサが小さく頷いて、シルフィードが高度を保ったまま旋回に入る。
様子を見る――
それは、正しい判断だ。わかってる。
でも。遅い。
その一瞬が、致命的な“遅れ”に思えた。
たったそれだけの時間すら、許されない気がした。
焦りが、確信に変わる。
その時。
『助けて!』
脳の奥に、直接叩きつけられる声。
考えるよりも先に、体が動いた。
「あ――」
誰かが何か言った気がする。キュルケか、タバサか。でも、もう届かない。
視界の端で、世界が遠のく。
次の瞬間。
あたしは、シルフィードの背中を蹴っていた。
空が、反転する
いつも読んでくれてありがとうございます!
ちょっと仕事が繁忙期に入ってしまったので、しばらく更新ペースが落ちます。
止まるわけではないので、合間を見て少しずつ書いていきます。
落ち着いたらまたしっかり更新していくので、ゆるく待ってもらえたら嬉しいです!