騒がしい夜に反して森の中は静寂に包まれていた。
森にいた月の民は全滅していた。
私が直接手を下したわけではない。皆心に巣食うトラウマと、精神を蝕まれる恐怖に発狂してしまったのだった。でも罪悪感は湧かない。たとえ彼らが使命に従っていただけの普通の人であっても、月に帰りを待つ家族がいたとしても、私はこうした。私とはそういう妖怪なのだ。
それに最も嫌気がさしているのは私自身なのかもしれない。
輝夜達は森を抜けれたのだろうか。案外月の民が手強いせいで予想より時間がかかってしまった。
「輝夜達を追うかい?」
輝夜達にとってこの土地は見知らぬ場所。このまま放っておいたら迷子になっているかもしれない。
「……ええ、示した場所へは貴女が案内してください」
「なるほど、さとりはまたあそこに戻るのかい?」
宇宙船がある方向を猫又は向いた。いまだに派手に戦いが続いているのか、爆発と怒号が風に乗って流れてきていた。
「ええ、そうです」
まだ戦いは終わる気配を見せなかった。
戻ってみると草原は屍と、戦いを続けるもので溢れていた。ほとんどは人間と妖怪のものだったけど、月の民も何人か死んでいるのかそれらの屍も紛れ込んでいた。どれも酷い損壊を受けたものばかりだ。でも争いは終わらない。
戦場そのものがそこに出現していたのだ。
そんな中でもルーミアは一際目立っていた。
敵も味方も関係なく、常闇がところ構わずの蹂躙と捕食を繰り返していた。
ある意味では月の民も、人間も、そして妖怪までもがその場で奇妙な共闘をしていたのだ。
それほどまでに常闇の妖怪は恐ろしいものだった。
周囲では乱闘と乱戦が繰り広げられていてもはや戦う理由などどこかに忘れてきたのではないかと言うほどだった。
庫持皇子の姿も見つけられそうにない。もう死んでいるのだろうか。
そんな中で、不意に月の宇宙船が高度を上げた。
まだ戦っている地上の味方を見捨てたらしい。それに気づいた月の民が宇宙船に向かって何か叫び声をあげていた。その宇宙船の腹から、何かが投下された。黒くて大型の球体のようなものだった。嫌な予感がして背筋を悪寒が走った。
「ルーミア!!!伏せて!!」
私がそう叫ぶのと同時に周囲が白く染まった。音も感覚も全てが光の中に溶けていった。
私の意識が回復したのは、全てが吹き飛んだあとだった。時間にして一分も経っていない。
空を見上げると、宇宙船が夜空に溶け込むように遠ざかって行くのが見えた。全身が痛いが軽い打撲だけらしい。
障壁が間に合ったのもそうですが、近くにあった死体を盾にできたのも大きいです。
熱戦を浴びた死体は表面が真っ黒に炭化していた。
吹き荒れた爆風で周囲は地面が抉れ全てが吹き飛んでいた。恐ろしい破壊力で全てが薙ぎ払われていた。
動くものは見当たらない……と言いたいところだったけれど、一人だけ土の中から這い上がってきた人影があった。
「わは、すごい爆風だったぞ。闇が全部吹き飛んじゃった」
ルーミアだった。
「よく、無事でしたね」
「さとりこそよく生きてたね」
私は運が良かっただけだ。多分投下されたのは燃料気化弾の一種だろう。周囲の酸素を奪って真空状態にさせられた上で衝撃波で吹き飛ばされる。なんとなく意識が落ちていた中でそんな経験をしたと体が覚えている。
「火傷はしましたけど、許容範囲です」
それにしてもこんなあっけない幕引きになるとは思いませんでした。最後は全てを消し炭にして去っていくとは。月の民も地球はもう懲りたのではないでしょうか。
希くば、蓬莱のための流刑の地にしないことを……
それにしても酷い有様だった。死で溢れかえった大地は鼻を突く死臭と焦げた匂いが溢れかえっていた。
「もうちょっと食べたいのだ」
散らばっていた死体をみてルーミアが涎を垂らしていた。人喰い妖怪の心理はよくわからないけれど彼女にはアレがご馳走に見えているらしい。
「食べるって……好きにしてください」
「死んだばかりだからまだ新鮮なのよね」
「その代わり生存者は見逃してくださよ」
「はいはい、生きている者は食べない。これでいいでしょ」
しかしどれもこれも死体ばかりだ。
それに動ける者はもう逃げ出しているのだろうか。生きている者の気配がほとんどしない。サードアイを出して様子を見ても物言わぬ屍だけ。
だけど一人だけ、一人だけまだこの地獄で生きている気配を見つけた。
案の定と言うべきか、私が出来れば会いたくない人だった。
庫持皇子は下半身を潰されながらもしぶとくまだ生きていた。
爆心地に近い位置にいるにしては随分と小綺麗だ。どうやら周りにいた配下が命懸けで守ったらしい。それでも虫の息だった。
「まだ生きていたのですね。ええ、勿論ですよ。私は覚妖怪、貴方の心は全てお見通しです」
(貴様は、さとり……)
「喋らなくて大丈夫です。わかりますからね、それに……喋ったら死に近づくだけです」
(死ぬ のか……私は……)
口から血の泡をこぼしながら庫持皇子は私を見つめていた。月の灯りで私の顔が陰になっていて良かった。そうじゃなければ私は彼とどう顔を合わせて良いか分からない。
「手遅れです。貴方の部下も、ここに集まった者はほとんど死に絶えました」
無事だったのは戦線から離れた位置にいた御門達くらいでしょうね。
いやむしろ、この人が武人すぎただけか。月の民と妖怪相手に宇宙船に接近して大立ち回りしていたのですから。
(そうか、 輝夜姫は?)
「無事です。全て……彼女の思うがままに」
そして私は貴方を利用した。利用して駒として使い倒した。その十字架は消せない。
(そうか……娘にあったら伝えておいてくれ)「約束守れ……なくてすまない…」
まだ私に、貴方を死に追い詰めた存在にどうしてそれを頼むのか。そしてどうして、もう何も思考もしてくれないのか。
光を失った瞳を閉じてやると、その顔は穏やかそのものだった。
つくづく勝手な人だ。
いや、人間らしい生き方だ。
「父上!!」
此方に駆けてくる人影が一つ。妹紅だ。
全てが吹き飛んだのを彼女も見ていたはずだ。だから心配になって来た。激しく取り乱した心の声が全て伝わって来た。混乱と焦りと悲しみと、悔しさと怒り。全てが混ざり合って行き場を失って心をかき乱していた。
「さとり……、その姿は?それに父上は……」
「手遅れです」
私が言えるのはそれだけ。私には彼女に顔を合わせる資格はない。
黙ってその場を後にする。背後から聞こえる泣き叫ぶ少女の声だけが鎮魂歌として残っていた。
他に生きている気配は見つからず、それでもほとんど私の心は何も感じない。妖怪として生きて来た期間はとっくに人間の頃を超えている。もう私は人間ではないのだろう。
ふと私の影に別の影が覆い被さった。見上げると闇を少しだけ纏い出したルーミアが空から降りて来た。
「さとり、生きている気配を見つけたけど……」
「瀕死の女の子?」
「野次馬だったやつだと思う。私はこんな子供を食べる趣味はないのだ。食べるなら大人になって成熟した肉がいいのだ」
肉の良し悪しはともかく生きているならまだ助けられるかもしれない。
絶望的な確率の希望を抱いて私はその場所に向かった。
爆発があったところから少し離れたところにそれは横たわっていた。それは輝夜に仕えていた女童だった。どこから飛んできたのか分からないが、爆風で吹き飛んできた矢がその腹に深々と刺さっていた。
「どうしてあなたが……」
見知った顔だった事に私の心はショックを受けていた。
「さとり、…お姉ちゃん?」
「ええ、私よ」
焦点の合わない瞳が私を見ていた。生きたい、死にたくないと生にしがみつく幼い子供の感情が流れ込んでくる。
「死にたくない?」
少女は首を縦に振った。
いつのまにかルーミアはどこかに飛んでいっていたのか、その場には私と彼女だけだった。
「人間を辞めてでも、生きる?」
「死に……たく、ない」
例え化け物になってでも彼女は死にたくない。そう強く願った。
「わかったわ……」
だとすると、こうするしかない。他に方法はなかった。
妖力で自らの掌を薄く斬る。
少しの痛みと、同時に流れてくる真っ赤な鮮血。
それを彼女の口に垂らした。人間から妖怪になる手っ取り早い方法。それは妖怪の血や肉を喰らうことだ。
「今日から人間としてのあなたは死んだわ。でも、死は終わりじゃない。新たな生を授けるわ。さよなら……そして、おはよう」
血を飲んだ少女の瞳が薄緑色に変化した。それと同時に彼女は完全に意識を手放した。
お腹から矢を引き抜いて、ズタボロの少女を担ぎ上げた。
私にとって彼女は唯一の救いだった。